220: 夕焼けと影 2007/07/08(日) 04:41:53 ID:???
『夕焼けと影』


歩いた。

アスカから遠く離れたかった。離れなければいけないと思った。
もうどれくらい歩いたろうか、いつの間にか夜が明けていた。太陽の光が海の赤さを際立たせ、はっきりと今の世界の姿を僕の目に焼き付

けた。グロテスクな世界。
赤い海のほとりを歩く。太陽の位置が高くなっていき辺りを灼熱に変えた。僕の喉は乾き切り、汗がシャツに張り付き、頭が朦朧とする。
このままでは倒れてしまうと思い日陰を探す。周囲には細かな瓦礫だけで他には何もなく、進む先に目を凝らして見ても何もないようだっ

た。それは海の反対側、内陸の方も同様だった。ためらいがちに後ろを向く。砂浜に自分の足跡が残っているだけで何もなかった。アスカ

の姿も。

風も雲も一切無かった。ただ小波の音だけが響いている。
「もう、誰もいないんだ。」そうつぶやいて着ている物を脱ぐ。濡れたシャツや下着に砂が付かないようにまとめて、海に入った。

水面に浮かびながら僕は考え始める。
(食料や水の無い、こんな状況でこれからどうやって生きていけばいいんだろう。このままじゃ、すぐ死ぬ。探すしかないのか。探しても

見つかるのか?)
思考を一旦遮るように、海に潜る。
(みんな、この海に溶けてしまった。人間だけじゃなく他の動物、もしかしたら植物や細菌なんてものまで溶けてしまったのかも知れない

。母さんは、自分をイメージ出来ればすぐに戻れるって言ってたけど、一体、いつまで待てばいいんだろう。本当に戻ってくるのかな。自

分のイメージなんてこの海の中で持てるものなんだろうか?)
水面から顔を出す。
太陽は傾きかけていたけれど、それでも日は強かった。僕はもう少しこのままでいようと思った。

221: 夕焼けと影 2007/07/08(日) 04:56:15 ID:???
しばらくの間、水面をたゆたっていた。
不意に、強い波が来て僕の体は水の中に潜り込む。
鼻と口に水が入り慌てて水面から顔を出す。
ケホッ、ケホッ、としばらくむせている間、乾いた喉に飲み込んだ水が染み込んでいくのを感じた。
(この水、飲めるんだ。)
僕は特に考えもせず水を飲み始める。乾いた喉が潤っていく。おいしい、と思った。
僅かにあった空腹感も後押しするように僕に赤い水を飲み込ませる。喉を潤わす爽快感と腹が満ちていく満腹感で僕の心は満たされ始める。LCLの味に似てる。
忘れていた、この水の中には多くの人たちが溶けている事を。
思い出して今飲み込もうと口に含んだ水をすべて吐き出す。それでも口の中に残る味を消したくて唾を吐き続ける。
頭の中に今まで出会ってきた人たちの顔がよぎっていく。
その瞬間、僕は猛烈な吐き気と眩暈に襲われる。
海から上がりながら腹の中から何とか今まで飲み込んだ分を吐こうとし続ける。
しかし、腹の中には最初から何も入っていなかったかのように、唾液と胃液がせり上がって来ただけだった。
それでもしばらくの間、僕は吐き出そうとし続けた。

太陽がもうすぐ沈む。僕は服を着るのも忘れてただ海に沈みゆく太陽を見ていた。
海の色は赤から紅になり、空も、何もかもが紅く染まって昼間の醜い世界が隠れていく。
結局、飲み込んだ水は吐き出せなかった。何故飲んでしまったのかと後悔した。
それ以上に 'おいしい' と感じてしまった自分に嫌悪感が湧いた。
その一方で、人間は他の生き物を食べて生きて来た。なら、生き物が溶け込んだこの水を飲んでいれば僕たちは生きていけるんじゃないか、という考えも浮かんでいた。
それが一層、僕自身に対する嫌悪感を強めた。

222: 夕焼けと影 2007/07/08(日) 05:01:32 ID:???
(自分の知っている人たち、おじさんやおばさん、トウジやケンスケや学校のみんな、ミサトさんやリツコさんやネルフの人たち、その人
たちだったモノを、いつか帰ってくるかもしれない人たちの命を僕は飲んだのか・・・)
(だが自分が今まで食べてきたモノだって他の命を奪って得たものだ。生命は他の生命を奪わなければ生きていけないのさ。)
(それに人は所詮、傷つけあい、奪いあわなければ生きていけない生き物だ。お前も、今まで他人に傷つけられ奪われ、他人を傷つけ奪っ
て生きてきたんだろう。)
頭の中で誰かのようで誰でもない、自分自身の声がする。
(だから奪ってもいいのか!傷つけてもいいってのか!他の命を!)
(でも、奪わなければ生きていけないわ。それが現実。)
(僕がみんなをこんなふうにしてしまったんだ。僕が世界をメチャクチャにしてしまったんだ。それなのに、これ以上、誰かの命を奪って
生きていていいはずないんだ。そんな権利、僕にあるはずないだろうっ!!)
(そうね。じゃあそのまま死ねば?あんたが死んだって世界は何も変わらない。今更なのよ。)

223: 夕焼けと影 2007/07/08(日) 05:07:44 ID:???
太陽はもう半分以上海に沈み世界を更に紅く染め上げる。
世界のすべてが紅に染まる中で唯一つ、自分の影だけが黒く、まるで世界から取り残されたかのようで、それは自分の孤独を現しているように見えた。
自分が自分である限り、この影は消えない。ならいっそ、自分もこの海に、みんなのように溶けてしまいたいと思った。
その夕焼けは僕が今まで見た中で最もきれいな夕焼けに見えた。
「生命は生きている限り、他の生命と戦い、奪い合わなければいけない、それはとても孤独なこと。」
「人は生きている限り、他人と傷つけあい、奪い合ってしまう、それはとても孤独なことだと思うよ。」
太陽はもうほぼ完全に海に沈み、消え去る直前の残光を発していた。
それはとても眩しくて、まるで世界のすべてが橙色の光に包まれたように見えた。
「ぅぅぅぅぅぅぅううっぁああああああああああああああああああああっ!!!」
気づかぬうちに声が漏れ、そのまま僕は叫んでいた。
どうしようもない程のさみしさに襲われる。胸が締め付けられるように痛い。苦しい。
もう誰にも傷つけられたくなくて、もう誰も傷つけたくなくてここまで来たのに。
(それでも人は、一人では生きてはいけない。)
会いたい、と思ってしまった。

224: 夕焼けと影 2007/07/08(日) 05:13:55 ID:???
「この海で溺れて死ねば、みんなの所に行けるのかな?」自嘲気味にそう言ってみる。
(まーた逃げるのね。アタシをおいて。)そんな答えが頭の中から返ってくる。
夕焼けが闇に変わっても、まだ寂しさは消えない。
僕は思い出していた、エヴァに乗ってきた、これまでの事を。
トウジやケンスケやミサトさんや加持さん、綾波にカヲル君、そしてアスカ。
辛い事ばかりだったけど、それだけじゃなかった事。偽りだったのかもしれないけど、楽しかった、嬉しかった。
忘れていた、大切な思い出。
みんな消えてしまったけど、ただ一人だけ。
もう戻らないかもしれないけど、たった一つだけ残るつながり。
それを守りたいと思った。もう消えないように。
僕は左頬をそっとなぞり、「戻ろう。」と呟いた。

続く

229: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 13:57:53 ID:???
足跡はまだ残っていた。その跡を辿りながら歩いた。
歩き出したはいいけど、どんな顔をして会えばいいのかわからなかった。
僕はアスカに酷い事をしてきた。殺そうとさえした。許されないかもしれない。当然、何らかの償いをしなければならない。
でも、何をすればいい?僕に、何が出来る?きっと、何も出来ない。
それでも、行かなきゃいけない。
いちいち考えながら歩いていたせいか、夜が明け、かなりの高さまで太陽が昇ってもまだアスカの元には着かなかった。
今日も雲一つどころか風さえ無く、太陽が容赦無く照りつけて体力を奪っていく。
すぐ傍に赤い海があるけれども、今度は入る気にも飲む気にもならなかった。

やがて、砂浜に横たわる赤い何かが見えた。
アスカだ。
さっきまで熱と日射しで鈍っていた頭が一気に冴えていく。
心臓がバクバクと音を立てているのがわかる。
早く辿り着きたいと思う一方、逃げ出したい思いに駆られる。一歩一歩がとても遠く、遅く感じた。

アスカの元に辿り着いた。僕がここから去ったときと違い、アスカはうつ伏せに倒れている。アスカの長い髪は顔どころか首や耳さえ完全に隠していた。
ただ、それ以外に動いたような形跡は無かった。

230: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 14:06:02 ID:???
「アスカ。」呼びかけるが返事が反応が無い。もっと大声で、何度も呼びかけてみても全く反応しない。
恐る恐るアスカの体を揺さぶってみる。徐々に揺さぶりを強めていってもまるで人形のように無反応だ。
(まさか、死んだのか?!)そう思い焦った僕はアスカの顔を確かめようとする。
アスカの髪を掻き分けてアスカの肌に触れる。熱い。アスカの顔を両手で掴んでこっちに向ける。
顔は赤く染まり、吐息が荒く、苦しそうだった。
ほとんど動いた形跡が無いことから考えて、アスカは昨日今日とずっとこの炎天下の元、何も口にせず居た事になる。
とにかく何とかしないと、と思った僕はまず太陽を遮ることを思いつく。
しかし昨日からずっと歩いてみたけど日陰になりそうな物は何もなかった。
いや、あった。僕だ。僕の体を使って日陰を作ればいい。
そう思った僕は早速実行に移すが太陽の位置は高く、僕の影はアスカを完全には包めなかった。
それに、これだけじゃダメだ。何でもいいから何かを食べさせないと・・・。
海が目につく、赤い水。
しばらく躊躇したけど、海に向かい両手に水をすくえるだけすくってアスカの元に急いで戻る。
しかし、何回水をアスカに飲ませようとしてもうまくいかない。
何とかアスカの口まで持っていっても唇を濡らすだけでほとんど口に入らない。
口に入ったとしても僅かな量で、その僅かな水ですら唇から流れ出した。
「どうしたら、いいんだ。」苛立ちながら呟く。

231: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 14:11:43 ID:???
いい方法を思いついた。
普段ならためらうけどアスカの命がかかってる今はそんな場合じゃない。
僕は海まで行き水に口を付ける。口の中に水を含めるだけ含んでアスカの元に向かう。
両手でアスカの顔を掴んでしっかり固定してアスカの唇をこじ開けるように僕の唇を合わせる。
そしてそのままアスカが吐き出さないようにゆっくりと口に含んでいた水をアスカの口に流し込んだ。
うまくいったみたいで咽る様子も無かったので僕はまた海に向かう。
そうして四、五回ほど水を飲ませていると水が逆流してきたので慌てて唇を離す。
アスカは少し咽ていたけどすぐに収まって、顔色も少し良くなり吐息も穏やかになっていた。
僕は掴んでいたアスカの顔をゆっくりと下ろして立ち上がり、再びアスカに日陰を作った。
何度か倒れそうになりながらも何とか持ち直し、やがて世界がまた紅に包まれた。
夕焼けは相変わらず綺麗だったけど、昨日よりは寂しくは無かった。
太陽が完全に沈むまで、僕は太陽とアスカの間に立ち続けた。

232: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 14:17:03 ID:???
暗闇が辺りを包み始めた時、僕はアスカの様子が気になってアスカの頬に触った。
コップ数杯分の赤い水と、僅か数時間の間だけ太陽を遮っていただけだけれども、熱は引いていた。聞こえる吐息も穏やかになっていた。
僕は少し安心してアスカから離れた所に座る。
(僕は正しかったんだろうか。アスカに赤い水を飲ませてしまった事。僕自身、また少し飲んでしまった。もう、慣れちゃったのかな。他の命を奪ってしまうことに。)
今度は誰の顔も浮かばなかった。
(僕には生きていていい資格なんて無い。アスカの傍に居ていい資格なんて無い。それでも・・・)
死にたくない、って強く思ってるわけじゃない。寂しいってだけなのかもしれない。それでも・・・
(生きていたい。ここにいたい。)
あの夕焼けを見た時から、僕は強くそう思ってしまっている。

僕は立ち上がると赤い海に向かって歩き出す。両手で水をすくい上げる。
「みんな、ごめん。」
そう言って、自らを禊ぐように、自らで穢すように、僕は手の中の水を一気に飲み干した。

233: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 14:25:11 ID:???
しばらくすると疲労感が一気に襲ってきた。
考えてみれば一睡もしないで、口にしたものはあの赤い水だけでここまでやってきたんだった。
当然だった。よくここまで持ちこたえたもんだと思った。
心は達成感でいっぱいだった。仰向けに大の字で寝そべって顔をアスカのほうに向け、
「おやすみなさい。」とアスカに言った。
そしてそのまま心地よい眠気に誘われて僕は眠りに落ちていった。

曖昧な意識の中で、何かが動く気配と声を聞いた気がした。

起きた。
まだ日射しは柔らかく、夜が明けてからそう経っていない事がわかった。
起き上がろうとする。痛い。全身に針で刺されたような痛みがした。腕を見ると皮膚が赤かった。日焼けだった。
筋肉痛も併発したらしく起き上がるのが辛い。
アスカを見る。
相変わらずうつ伏せだったけど、昨日とは微妙に位置が違っていたし、砂の形跡からもアスカが動いていたことがわかった。
僕は立ち上がり、海に向かった。水を飲み、顔を洗った。腕と顔にやたらと水が染みた。
アスカの元に向かう。昨日と同じように日射しを遮断する。
まだ日が低いおかげで僕の影はアスカの体をほとんど覆うことが出来た。
日焼けで痛んだ皮膚に直射日光は辛い。暑さと痛みで朦朧とする中で、何とか楽をしようと身体の向きを変えたり、アスカが影から出ないように太陽の位置に合わせて動いたりする。
長時間立ち続けなければいけないのも辛くて、しきりに足を動かしてみたり、フラミンゴみたいに片足で立ったりしていた。
倒れそうになるので途中で何度も水を飲みに行った。
そのまま海に飛び込みたかったけどここは我慢して、日射しが直接当たる顔と腕だけ水を浴びて戻る。
ようやく辺りが夕闇に包まれる頃には僕はクタクタで、何とか気力だけで立っている状態だった。
夕焼けは相変わらずだったけど、寂しさより疲労感や達成感を際立たせた。
ようやく日が沈む。なんだか昨日より疲れた気がする。

234: 夕焼けと影 2007/07/09(月) 14:31:01 ID:???
そういえば昼の間、アスカは全く動かなかった。
「アスカ。」呼びかけても反応しない。
寝てるだけかもしれないけど何か心配だったので、念の為アスカに水を飲ませようと思い昨日と同じように水を口に含んでアスカの顔をこちらに向ける。
気持ちに余裕が出来たせいかアスカの唇が妙に艶っぽく見えた。
ダメだ。変な気持ちになってきた。振り払うように目を瞑り一気に唇を合わせて水を送る。
が、すぐに逆流してきた。恐る恐る目を開ける。
アスカの目が開いていた。

続く

240: 夕焼けと影 2007/07/10(火) 12:55:12 ID:???
「んぐむぶっ?!」
唇と唇の隙間から水が噴出する。慌てて唇を離す。
気道に入ったらしく僕がしばらく咽ている間に、アスカは何度か唾を吐いた後、身体を起こそうとする。
その動きはゆっくりで、痛みを堪えながら動いているように見えた。
やがて上体だけ起こした状態でアスカは僕と向き合う。
あまりに突然だったので、僕の頭の中は真っ白になっていた。
アスカは嫌悪感で一杯という表情だった。
アスカと目が合う。
その瞳は怒りで満ちていて、目だけで人が殺せそうだと思った。
僕はすぐにでも目を逸らして逃げ出したくて仕方なかった。
(逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・)
頭の中で必死に唱え続けて、何とか目だけは逸らさないようにする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
異様な空気が流れる中で何とかさっきの状況だけでも説明しようとするけど言葉がうまくまとまらない。
僕の口から「あ・・・。」と、言葉になってない言葉が漏れた。
「さっきの・・・何?」先に言葉になっている言葉を発したのはアスカだった。
まとまらない頭で何とか言葉を紡ぐ。
「あ、アスカが・・・、倒れてて苦しそうだったから・・・、水を飲ませようとしたんだ。コップも何もなくて・・・、手ですくってもうまくいかなくて、・・・だから・・・その・・・く、口移しならうまくいくと思って・・・。」
しどろもどろになりながら言う。アスカからはもう目どころか顔も逸らしてた。
「それで・・・、水はあそこから・・・」「あっそ。」僕の言葉を遮るように強い口調で、掃き捨てるようにアスカが言う。
そしてそのまま、また痛みを堪えているようなゆっくりとした動作でうつ伏せに寝転んだ。
僕の心は早くも折れかけていた。さっきまであった心地よい肉体的な疲労感は気持ち悪い精神的な疲労感に取って代わられていた。
「もう、寝よう。」

241: 夕焼けと影 2007/07/10(火) 13:02:44 ID:???
陰鬱な気分で目が覚めた。
日射しの感じからして大体昨日と同じくらいの時間だろう。昨日と同じように海に向かい水を飲み顔を洗う。
相変わらず雲どころか風さえない。それが僕の心を更に沈ませた。
とぼとぼとアスカの元に向かい昨日と同じように立つ。昨日のように身体の向きをあまり変えたりはしなかった。
変えてもアスカが視界に入らないようにしていた。
暑さと痛みで頭が朦朧とするけど陰鬱な気分が薄まるのはちょっとした救いだ。
モゾッ。
後ろで何かが動く気配がする。言うまでも無くアスカだ。
モゾッ、モゾッ・・・
後ろでアスカが動くたびに言い知れない緊張感に襲われる。背中に力が入り、流れる汗の量が多くなる。
(何・・・してるんだろ?)気になったけど見る勇気が無い。でもそろそろ時間が経ったから影の位置を確認しなきゃ・・・
「アンタさ・・・」
ビクッとして思わず全身が固まる。
「何してんの?」
僕はゆっくりとアスカの方を向く。アスカはうつ伏せからしゃがみ込むような体勢に変わっていた。俯いていて表情はわからなかった。立ち上がろうとしている?
「だから、何やってんのって聞いてんのよ。」
「・・・アスカが日に当たらないように、・・・影を作ってる。」
・・・・・・・・・・・・・・。沈黙が流れる。アスカが動く音と波の音だけがする。
たぶん、返事は無い。それに沈黙が辛かったから太陽に振り返ろうとした。
その時、
「バッカじゃないの?」
アスカが散々、僕に言ってきた言葉だ。なんだか懐かしくって、嬉しくなった。
いい意味の言葉じゃないけど、無視されるよりはよっぽどよかった。
「余計なことしないで。」
拒絶の言葉。でも・・・、
「ごめん。」
それだけ言うと僕はアスカが影に入るように移動して、太陽と向かい合う。もう陰鬱な気分も変な緊張感も無くなっていた。

242: 夕焼けと影 2007/07/10(火) 13:15:26 ID:???
もうすぐ日が暮れる。
後ろではアスカが僕の影を避けようとしながら、何度も立ち上がろうとしていた。僕はアスカが影からはずれるたびに移動した。
「アンタ、アタシをバカにしてんの?」
「違う。」
「満足に立てないアタシを哀れんで、庇って、優越感に浸って居たいだけなんじゃないの?」
「そうかもしれない。けどきっと違う。」
「それとも・・・」ただでさえ低かったアスカの声のトーンが更に下がる。
「それで償ってるつもりなの?アタシに。」
「・・・。」
「・・・なら、ほっといてよ。何もしないで」
「・・・。」
沈黙。アスカが立とうとする音と、波の音だけがする。
「・・・アスカは、何で立とうとしてるの?」
「・・・。」
なんとなく理由はわかる。僕の助けを借りたくないんだ。
僕はアスカの左腕の下から右手を入れてアスカの背中をつかむ。そしてそのまま一気に立ち上がる。僕がアスカに肩を貸している格好になる。
「ちょっ、いきなり何すんのよ!離しなさいよ!」アスカが抵抗する。無視する。
「離してよ!離して!離せ!離せ!離せっ!!離せっーーーーー!!!」
立つこともままならないのに何処にそんな力があるのか、凄い力でアスカは僕から離れようとする。
左腕が暴れ回り僕を殴ってきたり引き離そうとしたり首に巻きついて締めようとしてきたりする。
すぐ近くでわめかれるので耳が痛い。それでも構わず僕は海に向かう。アスカは必死に抵抗するのでそのうちバランスが崩れて僕とアスカはお互い向かい合う格好になる。
アスカは嫌悪感と憎しみで一杯という表情だった。お互いに目が合う。
アスカの瞳はまるで、殺してやる、と言っているようだった。
それでも、今度は何故か、僕は恐いと思わなかった。
目が合っている間、お互い瞬きすらしなかった。アスカの抵抗は止んでいた。
どれくらいの時間が経っただろう。先に目を逸らしたのはアスカだった。
アスカはそれから何も言わず、何も抵抗しなくなり、僕達は海に向かった。
僕は今どんな顔をしているんだろう。今の僕の顔を見たらきっと誰もが狂ってると思うんじゃないだろうかと歩きながら思った。
波打ち際でアスカを離す。完全に離れる間際、アスカは小さく「気持ち悪い。」と呟いた。
同感だと、僕は思った。

243: 夕焼けと影 2007/07/10(火) 13:21:22 ID:???
アスカは結局、水を飲まなかった。
僕はまたアスカに肩を貸すと元居た場所よりも少し海に近い場所でアスカを離した。
「ずっと、このまま飲まないの?」
「・・・。」
「じゃあアスカが気を失っている間に、また口移しで飲ませるけど、それでもいいの?」
「イヤ・・・。」首を横に振るアスカ。
「そうだ。僕が手ですくってくるからそれを飲みなよ。」
僕は両手を引っ付けて杯を作りアスカの前に腕を伸ばす。
アスカが同じように杯を作り、僕の作った杯の下に腕を伸ばす。
「それを、ここに入れて。」
「わかった。」
僕はうなずいた。

245: 夕焼けと影 2007/07/12(木) 18:29:20 ID:???
それから三日が過ぎた。
相変わらず雲どころか風さえ無かった。
僕の考えが正しかったのか赤い水を飲んでいるだけで僕たちはまだ生きている。
空腹感は全く感じなくなった。
それと同時に、今のところ口にしているのが赤い水だけのせいなのか、便意どころか尿意すら催すことは無かった。
一日数回ガブ飲みする僕ですらそうなんだから、一日一回だけしか飲まないアスカもそうなんだろう。
僕はいまだにアスカと太陽の間に立ち続けてる。
僕の肌は今では健康的な小麦色になっている。
日焼けの痛みはもう全くない。
一日中、日に照らされている割にはそれほど焼けていない気がする。
一方、アスカは僕が日光を遮断しているせいか、それともドイツ人の血のせいなのかまだ肌は白いままだ。
あれ以来、僕とアスカは話してない。
僕はアスカに常に背を向けて立っていて、アスカも僕なんて居ないように振舞う。
アスカに赤い水を運ぶ時も、アスカが杯を作っている限り僕が水を運び続けるという暗黙のルールが出来上がっていた。
アスカは無闇に僕の影から出ようとはしなくなったけれど、ずっと一人で歩けるようになろうとし続けていて、今では一人で立って二、三歩ほど歩けるようになってる。
身体の痛み自体、無くなってきてるみたいだ。
この調子だとすぐに僕の助けも要らなくなるだろう。すごい執念と回復力だ。
日が沈んでからしばらくの間、僕は探索、と言うよりは散歩をするようになった。
この時間からだと夜にはちょうど目が慣れてきて、月明かりだけで辺りの様子は大体見える。
残念なことに、まだ何も見つけれてはいないけど・・・。

246: 夕焼けと影 2007/07/12(木) 18:34:49 ID:???
さらに数日が過ぎた。
天候は相変わらずだった。
アスカはすでに海まで一人で歩けるようになっていたけど日中は変わらず僕の影の中に居る。
ただ、やっぱり僕たちの間に会話は無かった。
一方、僕の方は、廃墟群を見つけた。
今にも崩れそうなところばかりでとても住めそうにはないけど何かが出るんじゃないかと期待できる。
パラソルみたいな太陽を遮るものが見つかったらめでたくお昼の御役目御免だ。
そうなれば、もっと探索に時間をかけられる。
僕たちの気持ちは離れたままだけど、それぞれに希望が見えてきた。
アスカとのつながりは元に戻りそうもないけど、これはこれでいい気がしてた。この時点では。

いつものように探索に出かけた。
夕闇が完全な夜になってからしばらくして僕は違和感を感じる。
(暗すぎる。)空を見ると月が何処にもなかった。
(そうか、今日は新月なんだ。)危険なので僕は探索を中止して戻ることにした。
戻ってくるとアスカの気配が無かった。アスカがいつも寝てる辺りを探してみたけど見つからない。
ジャボッ。
波の音に混じって水をかき分ける音がする。嫌な予感がした。もっとよく聞こえるように耳を澄ます。
ジャボッ。
(こっちだ。)音の聞こえた方へ走る。
新月の夜の闇は深くて、何も見えない。
ジャボッ。
音がさっきより大きく聞こえる。方向はこっちであってる。僕は海に目を凝らす。海上を動く影がうっすらと見えた気がした。
(あれだ。)影は海をさらに進もうとしているように見えた。僕は服が濡れるのも構わず海に入り影に向かう。
こっちに気づいたのか影の動きが止まった。影が振り返ったように見えた。

247: 夕焼けと影 2007/07/12(木) 18:40:22 ID:???
「アスカッ!!」僕は叫びながら影に向かう。
胸まで浸かり、ようやく影に追いつく。
顔は見えないが影の形からアスカだとわかる。
もっと影に近づく。
よく見えないが威圧されてるような雰囲気だけが伝わってくる。
近づいてアスカの肩をつかむ。
アスカの顔をはっきりと見る。
人形のように無表情で、目だけが大きく開かれている。
その瞳には強い、それでいて方向の定まっていない感情が渦巻いているように見えた。
前に見た殺気立ったものではなく、何か得体の知れない迫力があった。
狂ってる、と僕は感じて、あの時の僕はこんな瞳をしていたのかと不意に思う。
瞳に異様な迫力を感じたのは一瞬で、アスカの瞳はすぐに、新月の闇よりも光を感じさせない、死んだような瞳になっていた。
「・・・っ何っ、してるんだよっ。」ここまで必死だったので息を切らしながら僕は言う。
「別に。ただ水浴びしていただけよ。」そう言ってアスカは陸に向かいだした。
「何でプラグスーツのままなんだよ。」
「脱ぐのがめんどくさかっただけよ。」
「めんどくさいって、プラグスーツが濡れたまんまでいるのは気持ち悪いじゃないか。砂だってつくし。」
「身体が乾くまで待つのがだるかったのよ。待ってる間にアンタが帰ってくるかもしんないし。」
「・・・なんでこんな遠くまで来たんだよ。」
「アンタに裸を見られたくなかったから。最初はプラグスーツ脱ぐつもりだったのよ。」
「でも・・・、」
「現にアンタ、アタシを探してここまで来たじゃない。それも服のまんま。」
アスカについて行く形で僕も陸に向かう。アスカの表情は見えない。
「これは・・・」
「しつこいわね。あんたが何勘違いしてるんだか知らないけど、ただそれだけよ。」
納得なんて出来ないけど、これ以上、何を聞いても無駄なんだと思った。

アスカは髪の濡れた部分を少しの間絞っただけで、すぐに砂浜に倒れこんだ。
僕はアスカが見える位置に座り込む。濡れた服の感触と張り付く砂が気持ち悪い。
さっきのは本当にただの水浴びで、一瞬見えた異様な瞳も気のせいだったと思えてきた。
(何も、わからないや。)
アスカが何を考えているのかわからなかった。ただ、このままじゃダメなんだと、漠然と感じていた。

248: 夕焼けと影 2007/07/12(木) 18:45:55 ID:???
夜が明けた。
あれからアスカがまた海に行くんじゃないかと心配だったり服の感触が気になったり、他にもいろいろ考えてたせいでほとんど眠れなかった。
眠気を抑えながら水を飲み顔を洗う。そしていつものように影を作る。アスカはまだ寝ているようだ。
僕はこれからどうするべきか、昨日の続きを考え始めた。

後ろで動く気配がした。アスカが起きたんだ。
僕は大きく深呼吸して、今出来る精一杯の笑顔を作り、アスカの方に振り向いて、言った。
「おはよう、アスカ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
アスカは上体を起こして頭をボリボリと掻いていたが、手の動きが止まった。何が何だかわからないって顔をしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
間が辛い。
自分の顔が引きつっているのがよくわかる。
やがて、
「アンタ、なんか気持ち悪いわよ・・・。」とアスカが言った。
僕の顔は引きつったまま凍りつく。その顔のままゆっくりアスカに背を向ける。
(失敗だ。)泣きたい気分だった。
後ろでまたボリボリと頭を掻く音が聞こえ始めると、はぁ~、とわざとらしい溜め息が聞こえてきた。
そして、
「おはよう、シンジ。」投げやりっぽい口調でアスカが言った。

「あのさ、服、気持ち悪くない?僕もまだ乾いて無くってさ・・・。」
「そうね。」面倒くさそうにアスカが言う。
「そうなんだ・・・。」会話が続かない。
「あのさ、アスカが水浴びしたいなら僕に言ってよ。アスカがいいって言うまで後ろ向いてるからさ。」
「そんなのアンタが覗かないって保証がないじゃない。」
「覗かないよ。」
「どーだか。」
「・・・。」会話が続かない。

続く

255: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 18:48:28 ID:???
さらに数日が過ぎる。
天候は相変わらず。
廃墟からは結構いろんなものが出てきた。
でも使えそうなものは今のところ、水筒、ライター、電池、カッターナイフ、懐中電灯ぐらいだ。
懐中電灯を発見したのは僕にとってちょっとした革命だった。
これのおかげで月の光の届かない廃墟内の探索がだいぶ楽になった。スペアの電池もあるので当分は使えそうだ。
一方、僕とアスカはというと、続かないながらも何とか会話はしてる。
「おはよう、アスカ。」
「おはよう、シンジ。」
「前に廃墟を見つけてそこを探索してるって言ったよね。昨日もさ、行って来たんだ。それで廃墟の一つに入ったらさ、いきなり、行こうとしてた場所の天井が崩れてきてびっくりしたよ。もう少し進んでたら危なかったよ。」
「そっ。」
「・・・。」この素っ気無さ、綾波と会話してるのを思い出す。ただ違うのは、
「アンタん所にも崩れたらよかったのに。」たまに辛辣な言葉を言われることだ。
「そうだね。」何故かそう答えてしまった。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
以前の僕なら少しは反論して口ゲンカになっていたけれど今の僕はそういった言葉を素直に受けてしまう癖が出来てしまっているようだった。
だからだろうか、会話が続かなかったりぎこちなかったりするのは、
「つまんない。」アスカが呟いた。

256: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 18:59:45 ID:???
傘を見つけた。
黒い傘だ。
骨組みは折れていて、布にも穴が開いていてボロボロだったけど何とか傘として使える形にまで直した。
アスカを隠すには小さすぎるけど、僕自身に当たる日射しはある程度遮れそうだ。
これで日中の仕事が楽になると思った僕は上機嫌だった。
翌日、
傘を持ってアスカの前に立つ僕。
背中に動く気配。僕はアスカの方を向く。
「おはよう、アスカ。」
「おはよう、シン・・・・・・・っっぷっ。」アスカが吹き出した。
僕は怪訝な顔をした。
「っっっっ・・・・・・アンタっ・・それっ・・何っ?っっ・・・」アスカは笑いを堪えながら言う。
「傘だよ。見ればわかるだろ。」
「っっっ・・・ふぅんっ、そうっ・・っっ・・・わかった・・・っっっ」アスカは抑えるように笑い続けてる。
(わけがわからないや。)僕はアスカに背を向けたけどしばらくしてもまだ笑い続けていた。
何か背中がむず痒い。ぼんやりと小学校の頃失敗して陰で笑われたことを思い出す。
「何で笑うんだよ。」
「っっっ・・・・だってっ・・・アンタっ・・・っっっ・・・っ昨日まで普通だったのにっ・・・っ・・いきなりそんなボロい傘持って立ってんだもんっ・・・っ・・・しかも・・っ・・・・何かっ・・・っっっ・・・誇らしげだしっ・・・・・・っっっっ」
それがここまで面白いことなんだろうか?
アスカは外国育ちだから感性が違うのかな?
よくわからない。
しばらくすると静かになったけど、僕が太陽に合わせて動くたびに「ぶっ」っと吹き出す声がして、また抑えた笑い声がしばらく聞こえる。
それは太陽が沈むまで続いて最終的にアスカは声を出して笑っていた。
僕はやるせない気持ちになっていた。夕焼けにアスカの笑い声が響いてやるせなさを際立たせた。
「あんたっ・・・、やれば出来んじゃないっ!」
「・・・・・・。」何がだろう・・・。楽なはずだったのにひどく疲れた。
「それとアンタ前から言おうと思ってたけど汗臭いのよっ!せめて二日に一回ぐらいは水浴びしなさいっ!」
全然脈略無いじゃないか・・・。
とは言え、アスカが初めて笑ったのは良いことだ。何か腑に落ちないけど。

257: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:11:32 ID:???
さらにその翌日、
陰鬱な気持ちで目が覚めた。
「おはよう、アスカ。」
「おはよう、シンジ。」
あれ?
アスカは傘をじーっと見て、
「アンタまたソレェ?つまんなーい。同じネタで笑いをとろうなんて甘いのよ!」
って言ってたけど、僕が太陽に合わせて動くと「ぶっ」っと吹き出して、
「あははははははっ・・・・ごめんっ・・・やっぱ無理っ・・・それ反則っ」
って言ってまた笑い出した。
どうなんだよ。

さすがにアスカが傘に反応しなくなった頃。
僕とアスカの会話はやっぱりあまり続かないままだけれど、僕からだけじゃなくて、アスカのほうからも話しかけてくれるようになった。
「ねぇバカシンジ、アンタがいっつも行ってる廃墟に布とか服とか落ちてないの?」
「瓦礫ばっかりで布とかそういうのは見たこと無い。今度見つけたら持って帰ってくるよ。」
「あーあぁ、身体乾かすのに時間かかるのよねー。プラグスーツはむれるしさぁ。」
多分、僕が寝てる間にでも水浴びしてるんだろう。昼は寝てることが結構多いし。
「ねぇ、アンタさ、何でずっとアタシの為に影作ってんの?」
「え・・・なんでって?」
「だってアンタ、アタシが倒れてたから日を遮ってたんでしょ?アタシが元気になったらもうそんなことする必要ないじゃない。」
「・・・また倒れたら困るかなって・・・。正直あんまり考えてないや。」
「はぁ~~。あんたバカァ?それで夕方から廃墟探索って、いつかアンタが倒れるじゃない。」
これはアスカなりに心配してくれてるんだろうか。アスカは僕の持つ傘を指差して、
「そのボロ傘で十分よ。アンタはもっと便利な物が見つかるよう、探索に力入れなさい!」と言った。
少し迷ったけれど、
「うん。わかったよ。ありがとうアスカ。」と僕は言った。
こうして僕は立って影を作る仕事をクビになり、探索一本になった。

258: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:17:14 ID:???
「行ってくるよ、アスカ。」
そう言って僕はこの前見つけたばっかりの鞄に懐中電灯と赤い水を入れた水筒を入れて出発した。
しばらく傘で楽してたから、久しぶりに直射日光を長時間浴びるとふらふらする。
太陽の下で見た廃墟群は、僕が思っていたものよりもずっと広かった。
これだけ時間があって視界もいいと色んな物が見つかるんじゃないかってワクワクした。
実際、収穫は大きかった。アスカのリクエストである布が数枚、今もっている物より大きな水筒や懐中電灯、救急箱、何かのぬいぐるみ、小型の折りたたみ式のテントなんて物まで出てきた。
「さすがに全部は持って帰れないや。」
とりあえず見つけたものを一箇所に集めて何日かかけて持って帰ることにした。
帰ってくるとちょうど夕暮れ時だった。
アスカは傘の下で眠っていた。僕は今日持って帰ってきた分の荷物を置くとアスカの傍に座った。
「ただいま。」
持ってきたぬいぐるみを傍に置く。アスカの顔を見る。穏やかな寝顔だった。
左目に痛々しく巻かれた包帯に目が移る。
この包帯の下がどうなっているのか、僕は知らない。
でもあるのは多分、傷、エヴァ達との戦いで受けた傷。
僕が直接つけたものではないけれど、僕が戦っていればつかなかったかもしれないもの。
僕が自分の罪と向き合う為には、この包帯の下を見なければいけない、と思った。
包帯に手を伸ばす。
「ママ・・・。」
包帯に伸ばした手が止まる。寝言か。
「ママ。」
アスカは、とても幸せそうな顔をしていた。
・・・・・・・・。
僕は、包帯に伸ばした手を下げて、アスカの左頬を撫でて、そのまま手を止め、ずっとアスカの頬に触れていた。
太陽が沈むまで、ずっとそうしてアスカの顔を見つめていた。

259: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:22:46 ID:???
目覚めると珍しくアスカが先に起きていた。
昨日、僕が置いたぬいぐるみを持って、赤い海を見つめていた。
「シンジ。」アスカは海を見つめたままで言う。
「このぬいぐるみ、あんたが?」
「うん。」
「・・・そう。」
それだけ言ってアスカはずっと海を見つめていた。
その顔はどこか、がっかりしたような、さみしそうな顔に見えた。

260: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:38:13 ID:???
「ただいま。」
「おかえり。」
廃墟を探索し終え、今日の分の荷物を持って帰ってきた。無理してたくさん持って帰って来たからくたくただ。
「へぇー。結構色々あるじゃない。」持ってきた荷物を見てアスカが言った。
「やっぱりアタシの判断は正しかったわね!感謝しなさいよ。バカシンジ。」
確かにね。
「これ何?」
「折りたたみ式のテント。」
「へぇー。」そう言うとアスカはテントを勝手に組み立てだしてあっという間に完成させてしまった。器用だ。
テントは思っていたより小さくて、入れても三人ぐらいがやっとのように見える。
アスカはさっそくテントに入って、
「んじゃ、アタシここで寝るから、アンタはいままでどーり外で寝てなさいよね。」とテントから首だけ出して言った。
「蒸し暑いんじゃない?」
「どうせ風が無いんだから一緒よ。」そう言ってアスカは首を引っ込めてテントのファスナーを完全に閉めた。
「・・・。」
(何だかどんどん以前のアスカに戻ってきてる気がする。これで良いはずだよな。これで良いはずなんだ。これで良いはずなのに。)
何かが胸に引っかかる。
包帯。
(余計なことしないで。)
(そのほうがいいな。)
夜の海で見たアスカの瞳。
「あっ、そうそう・・・」
「あのさ・・・」ほぼ同じタイミングで言葉を発した。
アスカはテントから首だけ出して言う。
「何よ?」
「・・・包帯、換えさせてほしいな。なんて・・・」
「・・・。」
「ごめんっ!変な事言って!アスカはさっ・・」
「いいわよ。」
「えっ?」

261: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:44:57 ID:???
それからアスカは首を引っ込めて右手だけをテントから出した。
「早くしてよね。」
「う、うん。」僕は慌てて救急箱を持ってきて中からハサミと包帯を取り出す。
「ずっと換えたいと思ってたのよね。」
「・・・。」僕はハサミで右腕の包帯を切っていく。そして右腕から包帯をすべてはずした。
「・・・。」思わず息をのむ。
右腕には中指と薬指の間から肩までにかけて、溶接されたように塞がった、大きな一筋の傷跡が走っていた。
バラバラにされた弐号機。
「っ・・・。」
声を必死で殺す。包帯を持つ指が、震えだす。
「・・・。」アスカは何も言わない。
震える指で何とか包帯を巻き始める。巻く事で傷を隠そうとする。
「アンタ、アタシの間接を曲げさせない気?」
「ごっ、ごめん。」慌てて包帯をちゃんと巻き直す。巻いているうちに落ち着いてきた。
何とか全部巻き終えると、僕は放心していた。
「こっちは、いいの?」
アスカはテントから出てその左目の包帯を指差した。僕は我に帰って頭の包帯も切っていく。包帯が落ちてアスカの左目が見えた。
刺された後のような大きな傷跡が二つ、瞼とその上にそれぞれあった。こっちも既に塞がってる。
ただ、瞼の膨らみから眼球自体は残ってるようだった。無事かはわからないけど。
「アスカ、左目開けれる?」
アスカは瞼をしばらくビクビクと動かしていた。
「ダメ、みたい・・・。」
「・・・そっか、傷はもう塞がってるけど、包帯巻く?」鏡のようにはっきり顔を映すものは無いし左目も開く可能性があるなら巻かない方がいい気がした。
「シンジに任せるわ。」
「・・・そっか、止めとくよ。」

262: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 19:56:44 ID:???
「おやすみ。」
「おやすみ。」アスカがテントに入った。
一人になって僕はアスカの傷跡を思い出し、そしてバラバラに食い散らかされていた弐号機を思い出す。
あの時の何十分の一かの大きさの感情の渦が生まれ、僕は声を上げそうになる。それを必死に押さえ、
また、アスカの傷と、あの光景を思い出し、また感情の渦を作り出した。
そしてまた同じ様に何度も何度も、心をえぐるようにそれを何度も繰り返す。
なぜこんな事をしているのか自分でもよく分からないまま、気づけば夜が明けていた。
疲弊しきった頭でぼんやりと、
(アスカの痛みを知ろうとしたのか?)と、自分に尋ねた。

263: 夕焼けと影 2007/07/13(金) 20:05:48 ID:???
延々と思考のループを繰り返した果てに、いつの間にか眠っていたらしく、起きたら夕方だった。
顔の横にはボロ傘がさしていた。アスカが気を遣ってくれたんだろう。
「やっと起きたのね。」
「ごめん。」
「アンタ、無理しすぎなのよ。何焦ってんのか知んないけど。」
(焦ってる?僕が?)
アスカの顔を見る。包帯の取れたその左目には大きな傷。
「焦ってもしょーがないじゃない、こんな世界じゃ。ゆっくりやってけばいいのよ。何とか生きていけてるしさー。」
何だか自分がちっぽけに思えてくる。
「強いな。アスカは。」
「あんたバカァ?アタシを誰だと思ってんのよ?無敵の惣流・アスカ・ラングレー様よ。当ったり前じゃない!」
あれだけの事があったのに、アスカはもう自分の力で立っている。今までだってずっとそうやって立ち上がってきたんだろう。
本当に、凄いと思う。
それに比べて僕はずっとただ逃げてきただけだった。僕は本当に、どうしようもない奴だ。
(そうやって自分に価値が無いなんて思い込む事で、結局何も出来なくなるんだったよな。止めよう。)
「相変わらずだな。アスカは。」僕はそういって笑った。
「何よそれ。」アスカはむっとした表情を作った。
(アスカはアスカ、僕は僕だ。)
「そういえばアスカ、左目は開きそうなの?」僕はアスカの傷を見てもそれほど動揺しなくなっていた。
「ダメね。何度か動かそうとしてるんだけど・・・、目玉は動くんだけどね。」
「でもきっと、アスカの事だからすぐに開くようになるよ。」
「そうよね。ありがとっ、シンジ。」本当にそう思った。

続く

265: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 13:44:42 ID:???
数日が経った。
アスカの左目は本当にあれからすぐに開いた。視力も問題ないみたいだ。
一方、僕の方はあれから生活リズムが狂ったみたいで、朝寝て夕方起きるという生活リズムが続いたので探索は夜に行ってる。まあ懐中電灯は二個あるし、生活リズムが戻るまでしばらくこれで行こうと思う。
夕方に起きると、
「シンジ、ちょっと。」テントから首だけ出してアスカが呼んできた。プラグスーツを投げつけられる。
「それ、洗ってからテントの上に干しといてよ。」
「またぁ?何でいつも僕に任せるんだよ。」
「つべこべ言ってないでさっさと洗ってきてよ。」
「へーへー。」たまにこういう事がある。
「それと、テント覗いたら殺すからね。」覗かないよ。

すごい発見をした。はやる気持ちを抑えながら僕は家路を急ぐ、早く伝えたい、早く教えなきゃ。
夜が明け始めていた。
僕はテントを見つけると一直線にテントにむかってテントのファスナーを開けた。
「アスカッ!」
「へっ?」
瞬間、時が止まる。
テントの上にはプラグスーツが干していた。つまり今、アスカは裸だ。
「あっ・・・・・・。」
気づいた瞬間にでもすぐに後ろを向けばよかったのに、目はアスカの身体に釘づけになっていた。
傷。
胸元から太ももにかけて、抉られたような、引き裂かれたような傷が無数、それは特にお腹の辺りに集中していた。
「見ないで。」
アスカは傷を庇うかのように身体を丸める。
我に返りテントを閉めようとするが慌てていたせいかうまく閉まらない。仕方が無いのでそのまま後ろを向いた。
「ごめんっ・・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
波の音だけが響く。

266: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 13:50:34 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「びっくり、したでしょ?」
「・・・・・・・・・。」言葉が出ない。
「これでもう、アンタのオカズにもなれないわね。」
「そんなこと無いっ!!」何故か力強く即答してしまった。
自分で言ったことの意味に後から気づく、しまったこれじゃまるで・・・、
「いや、違うんだ。だから、そのっ、そういう意味だけどそういう意味じゃなくて・・・」
「・・・ぷっ、は、あはははははっ。」アスカが笑い出した。
「へぇー?じゃあシンジはまだまだアタシをオカズにするんだ~?」
「だからそういう意味じゃなくて。」
「じゃーどういうイミ?」
「だから、えーっと、オカズに使えるほど十分キレイだって意味だよっ!」
「へーじゃあここでやって見せなさいよ。」
「なっ!?で、出来るわけないだろそんなのっ!!」
この流れは何だろう?なんか、不自然だ。
「そーいやアンタ普段どーしてんの?」
「アスカには関係ないだろ。それより早く服着ろよ。」
「じゃー上のそれ取って。」
僕は顔を逸らしたまま、アスカにプラグスーツを渡した。

267: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 14:03:36 ID:???
パシーンッ!!
「いいわよ。」とアスカが言ったので、僕は振り返ったがそれと同時にまるでカウンターのようにビンタが飛んできた。
朝焼けに清々しいほどの良い音が響く。
「とりあえず、見物料よ。」
どっかで聞いたセリフだ。そういえば最初に会った時もビンタされたっけ。
「そういやアンタなんでそんなに服に血がついてんの?」
そうだった、色々あって当初の目的を忘れていた。僕は水筒とカッターナイフを持ってきてカッターナイフで自分の手首を強めに切った。
「ッ。」
「ちょっ!?ちょっと何やってんのよっ!!」
手首から血がダクダクと流れ出る。
「いいから見ててよ。」そう言って僕は傷口に水筒から赤い水を注ぐ。
血が洗い流され傷口が露出する。やがて傷口がみるみる閉じていき、すべて注ぎ終わるとうっすらと白い線だけが残った。
「すごい・・・。」
「帰ってくる途中、頭の上に瓦礫が落ちてきたんだ。血が止まらなくてさ。
とりあえず傷口を塞ぐ為にまず血を洗い流そうとして水筒の水を傷にかけたんだ。
そしたらだんだん痛みが引いてきて、血も出なくなってた。
それで傷を触ってみたら塞がってたからもしかしたらって思ってさ。」
アスカの顔をみる。
「もう塞がった傷に効果があるかわからないけど、浴び続けてたら傷は消えるかもしれない。」
アスカの顔がパアッと明るくなったのがわかる。表情には出していないけど、喜んでいるのは見て分かる。
「ホントに?」
「まあ、あくまで可能性だけど・・・。」
喜んでるはずなのに表情は困惑しているようだった。
「あれを見れば、期待はしてもいいと思う。」思えばアスカがこんなに早く自由に動けるようになったのも、この水の影響だったのかもしれない。
「・・・。」
「アスカ?」
アスカの様子がおかしい。感情表現が直接的なアスカならもっと喜んでてもおかしくないのに。
「ちょっと・・・、しばらく一人にして。」
そう言ってアスカはテントに入って閉じこもった。
不可解だった。嫌な予感がした。
アスカがいなかったあの夜のような。

268: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 14:14:50 ID:???
(何でアスカは、あんまり喜ばなかったんだろう。)考えれば考えるほど分からなかった。
(アスカだって、自分の傷が消えたら嬉しいはずなんだ。なのに何であんな顔、してたんだろ。)
自分の不安の核心がそこにあるのは間違いなかった。
(この嫌な感じ、あの時と同じだ。)
暗い海で見たアスカの顔が浮かぶ、一瞬だけ見えた狂気の瞳と、その後の死んだような瞳。
(そうだ、この気持ち、恐いんだ。アスカを失うんじゃないかって。)
そして僕は一つの結論に達する。それは最近のアスカからは不自然なもののように感じたけど。
(考えすぎ、なのかな?)合っている気がした。

ようやく眠気がやってきた。
太陽はもう結構高い所まで昇っていた。
僕はアスカが差してくれた傘の影に頭だけ入れて眠ろうとした。
今日はずっと寝て、探索は止めとこうと思った。ずっと眠ることでこの嫌な気持ちが消える気がした。
目が覚めると夜だった。
横にアスカが座っていた。
僕が起きたのに気づいてこっちを向いた。
「おはよう。」アスカが言う。
「おはよう。」僕が返す。
「また睡眠時間ズレたわね。アンタ。」
「うん。」
「今日はもう行かないの?」
「うん。今日はこのまま、また眠ろうと思う。」
「アンタまだ寝るの?ナマケモノばりの睡眠時間ね。」アスカが呆れたように言う。
アスカと話していると僕の感じていた不安は気のせいだったんだと思えてきた。

269: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 14:20:14 ID:???
「・・・そっか、その方がいいかもね。」アスカは僕に顔を向けるのを止めた。
「アンタ、明日の探索、アタシも連れて行きなさい。」
「なんで?」
「行ってみたいからに決まってんじゃない。ずっと同じ景色ばっかり見ててもつまんないし。」
「でも、危ないよ。瓦礫が崩れてきて怪我するかもしれないよ?」
「アタシをアンタみたいなマヌケと一緒にしないで。それに、アンタと一緒だったら大丈夫でしょ?」
「大丈夫じゃないよ。この前僕に崩れてきたって言ったじゃないか。」
「ならなおのこと連れてってよ。アンタみたいなマヌケが一人でいる方が心配だわ。」
「でも・・・」
「それとも・・・」
「アタシと一緒にいるのがイヤ?」
「・・・。わかった。」僕はうなずいてしまった。

「起きなさいバカシンジ!」
朝だ。
今日も雲一つどころか風すらない。
アスカを連れて行くことになってしまって自分の中の不安感が大きくなった。
おかげでほとんど眠ってない。まあ、それまで散々眠ってたってのもあるけど。
「ほら、さっさと顔洗って支度しなさい!」心なしかアスカのテンションが高い。
急かされるまま海まで行き水を飲んで顔を洗う。
「ほらっ、早く早く!」リュックと鞄に必要なものを入れ支度を済ます。
(いけね。水筒に水入れるの忘れてた。)急いで海まで行き水筒に水を入れる。
「おっそーい!何やってんのよバカシンジ!」
「ごめんごめん。」慌ててアスカの元まで行く。
アスカは待ってられないとばかりに先に歩き出す。
「待ってよ。道分からないだろ。」
「平気よ。アンタの足跡辿ってけばいいんでしょ。」僕に構わず先々進む。ちなみに荷物は全部僕が持っている。
時折、瓦礫で足跡が分からなかったり、足跡が分かれていたりすると、
「シンジー、次どっちー?」と聞いてくる。僕が方向を教えるとまた僕に構わず先々進む。まるで子供がはしゃいでいるみたいだ。
まあ、ずっとあそこで同じ景色ばっか見てたんだから無理もないか。
廃墟に近づいて行くにつれ、瓦礫が多くなって足跡が分かりにくくなってるせいか僕とアスカの距離は徐々に縮まっていった。

270: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 14:25:52 ID:???
廃墟群に着いた。
アスカが廃墟群を一通り見渡す。
「思っていたより広いのね。ここって元々なんだったんだろ?」
「さあ、わからないよ。僕達の居たところも第三新東京市の近くだったって事ぐらいしか分からないし。」
「ふ~ん。」
そういうとアスカは息を大きく吸い込んで、いきなり、
「わぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」と大声で廃墟に向かって叫んだ。
どっかでガラガラと瓦礫が崩れる音がした。
「へー。本当に崩れやすいんだ。」
「いきなりやめてくれよ!心臓が止まるかと思ったじゃないか!」
アスカが僕の方に向かってきてリュックを勝手に開いて水筒を取り出した。
(今度は何だ?)
「んじゃアタシ、ちょっとその辺見てくるわ。」
「なっ!?危ないよ!一緒に行くんじゃなかったの?」
「ヘーキよ、ヘーキ。大丈夫よ。それにアンタが迷ったらちゃんとアタシが見つけてあげるわよ。」と言って勝手に廃墟に入っていった。
「待ってよ!アスカッ!」
仕方が無いのでアスカの後について行く。アスカは時折、「ふーん」とか「へ~」とか言って辺りを見渡しながら先々進む。
脈略無く突然曲がったりするから道を憶えにくい。帰れるか心配になってきた。
「別についてこなくてもいいのに。」
「心配なんだよ。それにこんなグネグネ曲がって、帰り道わかるの?」
「わかるわよ。それにしても何もないわねー。あんたよくあれだけ色々見つけてきたわね。」そう言うとまた勝手に進みだした。
(まったく。)
キラッと、横目に光が飛び込む。何だろうと振り向いて目を凝らす。ナイフだった。しかも結構ゴツい。
何であんなものがと思いながらもアスカは先に行ったし別に切るものは間に合ってるからいいかと思い。アスカについて行った。

271: 夕焼けと影 2007/07/14(土) 14:31:40 ID:???
しまった。
見失った。
あれからしばらくしてアスカがいきなり
「そうだシンジ!鬼ごっこしましょ!」って言ったかと思うと僕にタッチして、
「はい、アンタが鬼ね。負けたら罰ゲームよ。」と言って走り出した。
「なっ!?」しばらく呆気にとられたけど我に返ってすぐ追いかける。しかしグネグネと迂回しながらアスカは進むので、しばらくするとアスカを見失っていた。
あれから結構経った。
最初から嫌な予感はあったけどこれは予想外だった。
「アスカー、もう僕の負けでいいから出て来てよー。罰ゲームでもなんでもするからさー。」廃墟を回りながら呼びかける。
しばらくすると、
「やったー!アタシの勝ちね!」とアスカが勝ち誇ったような顔で出てきた。

続く

277: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 04:54:52 ID:???
「それじゃあ罰ゲームね。」
何が来るかと僕は身構えて唾を飲んだ。
「アンタの水筒とアタシのを交換しなさい!」
(えっ?そんなんでいいの?)身体から力が抜ける。
僕は自分の水筒を取り出してアスカに渡し、アスカの水筒を受け取る。
空だ。
「久しぶりに走って疲れたから全部飲んじゃったのよね。」とアスカが言った。
僕はこれ以上ここに居ると次は何があるか分からないと思い、
「そろそろ帰らない?」とアスカに提案する。さすがに疲れたのかアスカも、
「そうね。帰ろっか。」と同意してくれた。
とは言え、帰り道が分からなかった。何となく、朧気ながらこの辺りに見覚えがあったので、僕はかすかな記憶を頼りに歩き出す。
ドボボボボボボボ・・・・
背後で水が流れる音。
僕の中で眠っていた不安が突然目を覚ます。
カラン、カラン。
金属音。
不安が一気に膨張する。
「シンジ。」
(ダメだ!)無我夢中でアスカの方に振り返る。
「サヨナラ。」アスカがその言葉を言い切るその前にアスカの左手を僕の右手が掴んだ。

278: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:00:25 ID:???
アスカの手はナイフを握っていて、今にも自分の首を切ろうとしていた。
その手を全力で、アスカの首から遠ざけようと引き寄せる。
無我夢中でアスカに向かったせいで、僕はアスカの方に倒れこみ、そのままの勢いで二人一緒に地面に倒れた。
脇腹に感触。
熱い。すぐに強く鈍い痛みが伴う。
脇腹を見れば案の定、ナイフが深々と刺さっていた。
「あ・・・。」
感じていた痛みが強くなる。シャツにじわりと血が滲み始めてる。
「アス・・カ・・・。」アスカはまるで人形のように無表情で、虚ろな瞳で僕を見ていた。アスカの手からナイフを離す。
「ぐっ・・・、あっ・・・。」僕は起き上がろうとする。動くたびに鈍く、鋭い痛みが走り、シャツの血が広がっていく。
脇腹に刺さったまんまのナイフがもたらす異物感が気持ち悪い。
何とか起き上がり、そのまま転がるようにアスカの横に仰向けに倒れこむ。
血が、止まらない。
口の中に血の味が広がっていく。
呼吸するのが苦しい。
痛みより、傷口の熱さや流れ出る血の暖かさを強く感じる。
視界の端に地面に転がっている水筒が見える。赤い水はもう、アスカが全部流したんだろう。
そこに至ってようやく、もうすぐ自分は死ぬんだと悟った。

279: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:05:47 ID:???
ブツン。と、視界が暗転した。何も見えない。
音も、匂いも、何もしない。
何も感じない。痛みさえも。
恐い。
恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い
恐い、はずなのに、
意識の表層をただ言葉だけが滑り落ちていく。
まるで、実感がない。
感情が、無くなっていく。
何もない。
自分だけ、いや、自分さえいなくなる。
これが死ぬって事なんだろうか。
あの時、君もこんな気持ちだったのか、アスカ。
アスカ?

光。
空、土、石、砂、壁、瓦礫、水溜り、水筒、指、手、腕、包帯、赤、身体、髪、頭、目、鼻、口、耳、顔。
視界が鮮明に甦る。
血の味。
寒い。
痛み。
恐い。
麻痺していた感覚、感情が戻ってくる。
(これで最期、なんだ。)
恐くて、痛くて、仕方がない。
鮮明だった視界がまた、ぼやけ始める。
世界のすべてが、遠ざかっていくような不安。
何かに、誰かに、縋り付きたい。
アスカ。
(そうだ。これで最期なんだ。)
まだ、伝えたい事、伝えていない事がある事に気づいた。

280: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:11:11 ID:???
アスカの顔がこっちを向いていた。
その瞳は虚ろで、口は何かを言いたそうに見えた。
「これも・・・罰ゲーム?」
精一杯、冗談っぽく言う。口を開くのがつらい。
「ずっと・・・謝らなきゃ、って・・・思ってたんだ。」
視界がぼやけてアスカの表情は分からなくなっていた。
「僕は、無神経に、アスカを傷つけて、・・・アスカが、つらい時も、アスカに頼って、逃げようとして、
・・・僕が、戦わなかったせいで、アスカが、傷、ついて、
・・・挙句の、果てに、・・・殺そうとまで、・・・した。・・・だから、これは、罰、・・・なんだ。」
グボッっと喉の奥から熱さを持って血の塊がせり上がって来る。口の端から血が溢れ出した。
「この、数日間、たのし、かった。・・・こんな、・・・どうしようもない、僕に、
・・・構ってくれて、・・・やさしくして、くれて、うれし、かった。
・・・ありがとう、アスカ。・・・そして、・・・・ごめん。」
視界は、更にぼやけていく。頭が、朦朧とする。
「母、さんが・・・いって、たんだ。・・・すぐに・・・みんな・・・かえって、くるって。
・・・だから、一人じゃ、無いから・・・、ひとりじゃ、なくなるから、・・・生きてよ、アスカ、・・・いきて・・・・・・」
ぼやけて、何も分からない。頭が、うまく働かない。ひどく、眠たい。
でも、とても、安らかな気分だ。
もうすぐ・・・
完全に意識が途切れる間際に、「ママ・・・」という声が聞こえた気がした。

何だろう。脇腹の傷口が、暖かな水に包まれているような感触がする。
「ママ・・・」
「ママ・・・」
「ママァ・・・」
泣きながら誰かが言う声がする。これは、夢なんだろうか。
そう思いながら僕は再び深い眠りについた。

281: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:21:57 ID:???
紅い。
瞼を閉じていても分かるほど紅い光が飛び込んできた。目をそっと開ける。
ここは何処だろう。すべてが紅く染まっている。
一瞬、僕はみんなのところにいけたのかと思った。
「うっ、うっ・・・」
すぐ近くで嗚咽が聞こえる。
みると僕の身体の上でうずくまって震えているアスカが見える。
(そうか、生きてるんだ。)
「・・・カ、アスカ。」搾り出すように声を出した。
アスカの震えがとまる。そのまま顔を上げて僕を見ると
「・・・っあ。・・・・・・っああああ、あああああああああああああ」
アスカが泣きながら僕に抱きついてきた。
僕は状況がよく分からないながらも、アスカが泣き止むまで紅い世界の中、アスカの頭をずっと撫で続けた。

282: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:27:13 ID:???
満天の星空に、月と、赤い虹が見える。
僕は仰向けに寝転がり、アスカは僕の横、少し離れた位置に膝を抱えて座っている。僕からはほとんどアスカの背中しか見えない。
「何でアンタが・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・死にそうになってるアンタを見て、何でかママを思い出した。アンタをこのまま死なせることが、何でかママをまた死なせてしまう事みたいだった!」
それが僕を助けた理由。
水筒にはまだ少しの赤い水が残っていて、あの後アスカは僕の脇腹からナイフを引き抜き、傷口に赤い水をかけて、血と、赤い水が零れないようにしてくれたようだった。
「何でアンタなんかがっ・・・・なんで・・・」
「・・・あのさ。」僕は口を開いた。何とかしゃべれるみたいだ。
「僕があのまま死んでたらさ、アスカ、あの後死ぬつもりだったろ。」
「・・・・・・。」
「きっとアスカのお母さんは、アスカに生きていてほしかったんだよ。」
「・・・・・・。」
アスカの肩がわずかに震えているのが見える。泣いているのだろうか。表情は、ここからは見えない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・danke.」
たぶん、ドイツ語で、アスカが何か呟いた。
何となくだけど、ありがとうって言われた気がした。

283: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:38:02 ID:???
星空に、月と、赤い虹が見える。
僕は仰向けに寝転がり、アスカは僕の横、少し離れた位置に僕と同じ様に寝転がっている。ちょうどいつかと同じ様に。
「アタシが死のうとしてるってわかってたのね。」
「・・・うん。」
「何で?」
「アスカを夜の海まで追いかけた時から、ずっと嫌な予感はしてたんだ。ずっと気のせいなんだって思ってたけど、ずっと心の隅に引っかかってた。」
「・・・。」
「赤い水で傷跡が消えるかもしれないって言っても、アスカ、あんまり喜んでなかった。
それが気になって、考えて、心の隅にあった不安が、アスカがいなくなるんじゃないかって不安が大きくなって、もしかしたらアスカは死にたがってるんじゃないかって、思ったんだ。」
「・・・。」
「あの時、アスカが僕を呼んだ時、何故か、ああ、不安は当たってたんだって、すぐにわかった。あとはただ、必死だった。」
「・・・そう、なんだ。」

284: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:43:24 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しばしの沈黙の後、
「アタシね・・・」とアスカが口を開いた。
「アンタがアタシの首を絞めて、泣いた時、アタシはまだこの世界で生き延びてやるって思ってた。アンタがしばらくしたらいなくなって、むしろせいせいした。一人でも生きてやるって、思ってた。」
「・・・。」
「アタシは身体を動かそうとした。でも、身体に力が入らなくて、ほとんど動かなかった。何度も動けって思いながらやっとの思いで身体を起こした時にはもう太陽が昇ってた。
遠くには気持ち悪いオブジェばかりで、近くには何もなかった。遠くに見える崩れたファーストの顔が、今のアンタには何も出来ないって嘲笑っているように見えた。
それを見たくなくて、否定したくて、後ろには何かあるんじゃないかって思って後ろを見ようとした。上半身だけを曲げようとしても出来なくて、全身をつかってようやく振り向いたけど、やっぱり何もなかった。
身体を支えきれなくなってそのままうつ伏せに倒れこんだ。
身体は自由に動かせなくて、周りには何もない。あっても遠くに気持ち悪いオブジェがあるだけ。それがアタシを絶望させた。この醜く変わってしまった世界で生きていっていたって仕方ないって思った。
もう、太陽の光さえ見たくなくて、最後の気力を振り絞って、何も、砂しか見えないように首を動かして、そのまま眠ろうと思った。
そしてこのまま、何もしないで、死のうと思った。それが、アタシをこの世界に残した誰かに対する復讐になるんじゃないかって思えたから。」

285: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:48:47 ID:???
「・・・。」僕は黙ってアスカの話を聞き続けた。
「それからずっと、アタシは眠り続けた。太陽がアタシを照らして、熱くて、渇いて、苦しかったけど、それでもアタシは眠り続けた。そうしていつか死がやってくるのをアタシは待ってた。そんな時にね。」
「・・・夢を、見たの。ママの夢。アタシはまだ赤ちゃんで、ママの腕の中で、ママのおっぱいを吸って、そのままママの腕の中で眠ってしまう夢。気づいたら、アタシは目覚めてた。
身体の熱さや苦しさ、口の中の渇きまで無くなっていた。ママが来てくれた。ママが助けてくれた。そう思ったアタシはママを呼びながら、ママを探そうと身体を起こそうとした。
さっきまでと違って動くたびに身体に痛みが走ったけど、動けないことはなかった。
でも、そうして身体を起こしてみても、世界は何も変わってなかった。がっかりした。夢、だったんだと思った。
その時、アタシは近くで誰かが動く音を聞いた。ママだと思って見たら、アンタが寝てた。アタシはとても不愉快になって、またママの夢が見たくて、眠った。」
「・・・。」
「ママの夢はもう見なかったけど、眠っている間、アタシは心地よさを感じてた。太陽の光がアタシに届いてないこと、誰かがアタシの傍に立ってる事に気づいた。また夢だと思ってた。
しばらくしてその誰かはアタシの顔を持ち上げて、アタシの口に何かを流し込んできた。気持ち悪くなって、その何かを吐き出そうとした。目を開けたらそこにアンタの顔があった。」
「・・・。」それがあの時か、と僕は思った。

286: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:54:25 ID:???
「アタシは一気に不愉快になったわ。アンタがしていた事やあの水についてもそうだけど、アンタの話を聞いてるうちに、アンタがアタシにママの夢を見させたことに気づいたから、アタシとママとの絆を汚された気がした。
それが何よりも嫌だった。」
「・・・。」
「アンタが憎かった。アンタが傍に居るだけで、アタシの事を助けようとするたびに、アタシとママとの思い出を汚されていってるような気がした。だからアタシはアンタから離れようと思った。」
「・・・。」
「アンタがアタシを無理やり海に連れて行った時は、本当に、嫌だった。これ以上、アタシの心を汚されてたまるかって思った。アンタが憎くて、殺してやろうかと思った。でも・・・」
「・・・アンタの顔を見たとき、アンタまるでアタシに殺されてもいいって瞳をしてた。自分はどうなってもいいって思ってるんだ、って思った。そして、何故か、アンタとファーストの顔がダブって見えた。
何かに飲み込まれるような気がして、アンタの瞳が見れなくなった。それでアタシは、抵抗する気を無くした。」
「・・・。」あの時の僕はそんな瞳をしてたのか。綾波と僕がダブって見えた理由は、何となく分かる気がする。
「それからアタシは、一刻でも早く、自由に動けるようになりたいと思った。一刻でも早く、アンタに頼らないで、アンタから離れられるようになろうと思った。
でも・・・、一方で、アンタの影の中にいるのを心地良いと思っている自分がいた。アタシは、それを認めたくなかった。」
「・・・。」

287: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 05:59:47 ID:???
沈黙。
「・・・あの新月の晩、アタシは初めてアタシの身体の傷跡を見た。黒い塊みたいな感情の渦がアタシの胸に生まれて、それが大きくなっていくのを感じて、すぐに傷を隠した。
でも、その感情の渦はどんどん大きくなって、アタシは、最後の戦い、エヴァ達との戦いを思い出した。あの時の痛みと、あの時の憎しみと、何も出来なかった悔しさと虚しさが蘇ってアタシの心を掻き乱した。何もかも壊てしまいたいと思った。
でも周りには何もなくて、アタシはただこの心の中の嵐が通り過ぎるのを待つしかなかった。そうしてうずくまって、心が落ち着いて来て、最後に残ったのは、恐怖、だった。」
「・・・。」
「何もかもが、恐いと思った。恐くて動けなかった。暗闇からエヴァ達がやってきて、アタシを突き刺しに、貪り喰いにくる気がした。恐くって、何かに縋りたかった。
そして、ママを思い出していた。ママなら助けてくれる。アタシを守ってくれる。だってずっと弐号機の中でアタシと一緒に戦っていてくれたんだもの。弐号機。弐号機はアタシと一緒に・・・。
そしてまたアタシの心の中に嵐が吹き荒れた。アタシだけじゃなくてママも殺したんだ。ママも奪ったんだ。・・・最初よりも大きな嵐だった。
しばらくして嵐が収まると今度残ったのは恐怖だけじゃなかった。自分に対する怒りだった。アタシがもっと強ければ、ママは死なずに、二度も死なずにすんだんだ。
そう思ってアタシは暗闇の中のエヴァと戦おうと立ち上がった。恐怖と、闘おうとした。そうだ、そうやってアタシはいつも立って来たんだ。そうやって闘って何もかもを勝ち取ってきたんだ。そうやって・・・、その結果が、コレ?
・・・今度は無力感が襲ってきてアタシはまたうずくまった。一気に恐怖に押しつぶされた。
恐怖感と無力感の中で、アタシに何かが囁いた、アタシはあの時ママと一緒に死ぬべきだったんだ、アタシがもっとママを支えていれば、ママは死なずにすんだんだって。アタシはその囁きが正しいような気がした。
そして、気づいたら海に入ってた。」

288: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:05:42 ID:???
「・・・。」
「誰かが近づいてくる気配がして、頭の中でアンタだって、声を聞いてアンタだってわかってても、暗闇から槍が伸びてきて、アタシを突き刺すんじゃないか、アタシを貪りに来るんじゃないかって、恐かった。
音を立てたら一気に襲い掛かってくる気がして立ち尽くす事しか出来なかった。あたしの心は恐怖で押しつぶされそうだった。だからアタシは必死に、今度は自分で心の中に感情の嵐を作り出して恐怖と闘った。アンタの顔を見るまで。」
「・・・。」
「アンタだって分かって、恐怖感は消えて、冷静になったけど、代わりに無力感がアタシの心を支配した。
もう、疲れ果ててた。もう、傷つきたくなかった。」
「・・・。」それが、あの時見えた一瞬の狂気の瞳と、死んだような瞳の理由。
「アタシの心はもう、この身体のように傷だらけで、もう以前のアタシじゃない、もう、戻れない。
だからせめて、これ以上、アタシの心を変えられたくなかった。傷つけられたくなかった。
でもアンタは、今のアンタはきっと、アタシの心がこんなになってるのを知ったら、何とかしようとする。もっとアタシの助けになろうとする、傍に居ようとする。
そうなれば、アタシの心はきっと、変わって行ってしまう。
だから、アタシは、アタシの心を守るために、アンタが心配して何かしないように、アンタの望む、記憶の中の『アタシ』を演じようと思った。アンタに何も悟られないように、ゆっくりと、少しずつ。
そうやって、心の中に壁を作って、アタシは何とかバランスを取っていく、はずだった。」

289: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:11:38 ID:???
「・・・。」
「アンタと一緒にいて以前の『アタシ』を演じるのは、楽しかった。何も変わってないんじゃないかって、戻れるんじゃないかって、思った。
でもその度に、自分の傷跡を見ると、もう以前の『アタシ』じゃないって、もう戻れないんだって、現実に引き戻されて、哀しい気持ちになって、つらかった。
だからあえて、自分から傷跡を見るようになった。自分の境界線を、明確にするために。」
「・・・。」
「アンタが包帯を換えてくれるって言ったとき、『アタシ』じゃないアタシを知ってもらえるかも、理解してもらえるかも知れないって期待した。
アンタの手は震えていたけど、アンタは一生懸命平静を装っていたけど。嬉しかった。」
「・・・。」
「アンタが包帯を換えてくれた後、アタシは自分の傷を見ても、哀しい気持ちにならなくなってた。
アタシは自分の境界が曖昧になって行ってるって感じた。それに気づいたとき、アタシは自分が自分じゃなくなるんじゃないかって、自分が分からなくなるんじゃないかって、恐くなった。
アンタに傷を見せた事を後悔した。それでも、心の何処かで、ホントのアタシを知ってほしいと思ってた。」
「・・・。」
「アンタがこの傷が治るかもしれないって言った時、最初は嬉しかった。けど、この身体の傷が消えたら、アタシの心は、心の傷は、ママの居場所は、どうやって確認したら良いの?
身体の傷が治っても、アタシの心に傷は残っていて、アタシは自分の心が分からなくなって、アタシはアタシじゃなくなっていく。
そしたら、変わってしまったアタシを見たアンタは、アタシの首を絞めた時みたいに、アタシのママみたいに、アタシが要らなくなって、アタシの元を去るんだって思った。
そうやってまた、アタシは一人になってしまうんだ、それならいっそ、自分から一人になった方がマシだった。それで、アタシは、アンタの元から去ろうと思った。」

290: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:17:18 ID:???
「・・・。」
「最初は、この廃墟で迷った振りしてそのまま消えようと思ってた。最後だから、『アタシ』として思いっきり楽しんだ後で。
でも、廃墟の中でナイフを見つけて、アタシはこのあとアンタと離れて、一人であの感情の嵐や、恐怖と闘っていくより、ここでもう死んだ方が楽だって思って、
それに、一人で孤独に死ぬよりも、最後ぐらいアンタに看取ってもらいたかったから、もう、ここで終わらせてしまおうと思った。」
「・・・。」
「でも、もう、分からない。アタシが何をしたいのか、何をすればいいのか、アタシが何なのか、わからないの。」
「・・・・・・。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・シンジ。・・・泣いてるの?」
いつからだろう。気がついたら涙が流れてた。
アスカの話を聞いてるうちに、アスカの悲しみや苦しみが、僕に流れ込んで来てるみたいだった。
僕は、全然アスカの事をわかってなかった。何の助けにもなってなかった。
それが不甲斐無くて、情けなくて、どうしようもなかった。
どんな言葉をかければいいのかも分からなくて、僕は唯々、涙を流し続けていた。
「・・・・・・。」
「・・・・・ごめん。・・・・・・・」泣きながら、それだけ言うのがやっとだった。
「・・・・・・シンジ・・・・手に、さわってもいい?・・・・」
「・・・・・うん。・・・・」
アスカの手のひらが僕の手の甲を包み込むような形で二つの手が重なる。
それだけで、何もしない。
しばらくの間、僕は静かに泣き続けた。

291: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:22:53 ID:???
涙は止まった。
何だか、心が空っぽになったみたいな気分だった。
何かを、自分の中の何かを話したい、と思った。
「この世界に取り残された時、横にアスカがいた。僕は、また拒絶されるなら、また否定されるならいっそ、アスカを殺してしまおうと思って、首を、絞めた。」
「・・・。」
「アスカに頬を撫でられて、僕を受け入れてくれた気がして、気づいたら涙が溢れて、僕は泣いた。
僕を拒絶するもの、僕を否定するものなんて死んでしまえばいいと思ってたのに、また、受け入れられたい、認められたいって、思ってたんだ。
僕は、自分の気持ちが、どうすればいいのか、わからなくなったんだ。」
「・・・。」アスカは、ただ、黙っていた。
「ただ、あそこに居れば僕はアスカに受け入れられたいって、強く思うようになってしまう気がした。
でも、きっと受け入れられるはずなんてなくて、そしたらきっと、僕はまたアスカを殺そうとするんだと思ってた。
だから僕は逃げたんだ。もう傷つけられないために、もう、受け入れられたいだなんて、思わない為に。」

292: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:28:24 ID:???
「・・・どうして、戻ってこようって、思ったの?」
「・・・夕焼けを見たんだ。とても、綺麗な夕焼け。赤い海を紅に染めて、何もかもが紅く染まっていって、すべてが一つになって行くような気がした。
それはとても綺麗で、僕はこのまま、この景色をずっと見ていたい。ずっと、この景色の中にいたいって、思ったんだ。海に溶けた、みんなみたいに。
でも、・・・影に気づいたんだ。自分の影。
それは紅い景色の中で唯一つ黒くって、まるで、誰とも分かり合えない自分みたいに見えて、どうしようもなく寂しくなったんだ。
独りでいる事なんて、分かり合えない事なんて、慣れていたはずなのに、寂しさで胸が痛くて、苦しくて、ただ声を上げるしかできなかった。
・・・夜になっても寂しさはずっと消えなかった。そんな時、僕はこの街に来てからの事、エヴァで戦ってきた間のことを思い出したんだ。
父さんに会って、ミサトさんに引き取られて、トウジやケンスケとつるんで、綾波とわかり合って、アスカとケンカして、加持さんと語り合って、カヲル君と触れ合って・・・。
どれも偽りだったり、壊れてしまったりしたけど、大切な思い出だったんだ。大切な、つながりだったんだ。僕がもっと強ければ、僕がもっと強く望めば、守れたかもしれないものなんだ。
・・・みんな死んだ。みんな消えてしまったけど、まだアスカだけが、アスカとのつながりだけが残ってた。
だから僕は、もう手遅れかもしれないけど、傷つくかもしれないけど、アスカを、アスカとのつながりを、今度こそ失わないように、何があっても守ろうって思ったんだ。
僕にとって、アスカが最後に残った、希望だったんだ。」

293: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:33:49 ID:???
「・・・。」
「僕は、アスカの傍に居る資格なんて無いし、何も出来ないかもしれない。・・・それに本当は、僕はずっとあの時感じた寂しさから逃げているだけなのかもしれない。
でも、そんなの関係なかった。そうやって気にして何もしないで、今までずっと、大切なものを失ってきたんだ。資格なんて無くても、何も出来なくても、たとえこの気持ちが偽りだったとしても、僕は前に進もうと思った。
それが、僕がここに、アスカの横に戻ってきた理由。」
「・・・。」
「アスカにとって迷惑だったと思う。余計な事ばかり、してきたと思う。現に今、僕のせいで、アスカを混乱させてしまってる。
それでも、僕はアスカの傍に居たい。だから、・・・アスカの傍に居ていいかな?僕でいいなら、アスカが望むなら、僕はずっと傍にいるから。」
「・・・・・・。」
アスカは何も言わなかった。
ただ、重ねていただけだった手が、ぎゅっと強く握られるのを感じた。
僕はそれに応えるように、アスカの手を握り返した。
それだけで、お互い何もしなかった。何も言わなかった。
ただずっと、空を見ていた。

294: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:39:45 ID:???
太陽の光で目を覚ました。
いつの間にか寝てたみたいだ。
アスカの手と僕の手は握られたままだった。アスカの寝息が聞こえる。
僕は自分の脇腹を見る。シャツは血でベットリと赤く染まっていた。アスカの手を握っている方とは反対の手で、シャツをめくり上げた。
脇腹には、塞がっているけれど、痛々しい大きな傷跡が残っていた。
「ん・・・」
アスカが起きたみたいだ。
「おはよう、アスカ。」

僕達は帰ることにした。
立ち上がると傷が痛んで、ふらついた。
「ちょっと、大丈夫?」
心配してアスカが肩を貸してくれた。確かに一人じゃ歩いて帰れそうになかった。
帰り道は分からなかったけど、太陽の位置で大体の方角は分かったから、それを頼りに歩いた。
廃墟群を右往左往して、太陽が傾きだした頃には何とか迷路みたいな廃墟群を抜け出していた。
それからしばらく歩くと、遠くに赤い海が見えた。もう辺りは、紅い光に包まれていた。
「キレイね・・・。」アスカが呟いた。
「うん。・・・・」と僕は答えた。
立ち止まって、太陽が沈むまで二人でその光景に見とれていた。
延びていく二つの影。
もう夕焼けをみても、あのさみしさはやって来なかった。

295: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:46:07 ID:???
それからしばらくして僕達はいつもの場所まで辿り着いた。
もうすっかり夜になっていた。
「はぁー、疲れた。やっと帰って来れたわね。」
「ごめんね、アスカ。肩貸してもらって。」
「何言ってんのよ。元々アタシのせいなんだし。・・・アタシの方こそ、ごめん。」アスカが俯きながら言う。
「いいんだよ。気にしなくていいって、何度もそう言ってるじゃないか。」
「・・・。」
アスカは僕をゆっくりと離す。
僕は地面に座り込み、アスカも僕と向き合うように座る。
「シンジ、アタシね、・・・昨日アンタにアタシの気持ちを話して、アンタが自分の気持ちを話してくれて、何となくだけど、アタシが何なのか、アタシが何をしたいのか、分かった気がするの。」
「そうなんだ。良かった。」
「・・・シンジ、昨日アンタさ、・・・アタシの傍に居たいって、・・・アタシと、アタシとのつながりがアンタにとっての希望だったって、言ったわよね。・・・その気持ち、・・・今も、変わらない?」
「うん。」むしろ以前よりも、この気持ちは強くなってる。
「なら、目を瞑って、」僕は言われるままに目を瞑る。
「アンタに、もっと大きな希望をあげる。」

296: 夕焼けと影 2007/07/15(日) 06:51:43 ID:???
そう言って、アスカは僕にキスをした。
突然の唇と唇の合わさる感触に思わず目を開けると、目を閉じたアスカの顔がすぐ近くにあった。僕はまたゆっくり目を閉じた。
ずっと、こうしていたいと思った。
どれくらい経っただろう。長いようで短い時間。やがて名残惜しそうに唇が離れて、僕は目を開ける。
アスカと目が合う。何となく気まずくてお互いに俯く。
アスカの顔が赤くなっているのが分かった。
僕も自分の顔が熱くなっているのを感じた。恥ずかしい。
「・・・あ、アタシ、水筒に水汲んでくるわ!」
アスカも恥ずかしいんだろう、そう言って慌てて海に向かっていった。
何となく、空を見上げた。
満天の星空と、月と、赤い虹。相変わらず雲一つない。
不意に、風が吹いた。
心地良い夜風が火照った頬にあたり、少し伸びた髪を揺らす。
何かが変わったんだと、僕は思った。






358: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/26(木) 05:50:38 ID:???
『夕焼けと影』エピローグ

『二人が旅にでかけるまで』


雨だ。
シンジとキスした日から、今まで決して変わることのなかった天候が変わり始めた。
最初に風が吹き始めて、次に雲が戻ってきた。
しばらくは穏やかな天候が続いてたけど、今日、とうとう雨が降った。
霧雨程度の雨で、ほとんど音もなく降り続けてる。
テントの中、背中越しにシンジがいる。雨で濡れるとかわいそうだから入れてあげた。
アタシ達はお互いに背中を向け合って寝てる。
テントの中には雨で濡れないように他に荷物を入れてるからかなり狭い。
だから、アタシとシンジは背中越しに密着してる。
背中越しに、シンジの体温が伝わってくる。
「・・・もうちょっと、離れてよ。」
本当は、もっとシンジの体温を感じていたいけど、そんな思いとは裏腹な言葉が出た。
「ごめん。」
そう言ってシンジは少し身体を動かす。二人の間に少しの隙間が出来た。

359: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/26(木) 05:56:01 ID:???
あれから、アタシ達の関係はほとんど変わってない。
キスも、あの一回きりだ。
アタシもシンジも、そういう雰囲気になるのを意図的に避けてる。
アタシは、恥ずかしくていま一歩踏み出せないでいる。シンジは、どうなんだろ・・・?
「あ~あ、絶対に崩れない壁でもここにあったらいいのに。」
「ジェリコの壁だっけ?懐かしいね。ユニゾンの時を思い出すよ。」
「あの時結局、アタシ達一緒の部屋で寝てたわよね。アンタ本当に何もしてない?」
「まだ疑ってたの?ホントに何もしてないってば。」
「ふーん。まあいいわよ。」
ユニゾンか・・・。あの時は、シンジの事をこんなに好きになるなんて考えても見なかったわね。
一体、いつからアタシはこんなバカに惹かれてたんだろ。
もしかしたら、最初に会ったときからそうだったのかもしれない。
「そういえばあの時、使徒を倒したのはいいけどアンタのおかげで大恥かいちゃったじゃない。」
「なっ!?確かに最後ミスったのは僕だけどあれはアスカがあの後僕に電話で突っかかってきたからじゃないか。」
「何ですって?」
そういってアタシは後ろを向いたままシンジに蹴りを入れる。
「痛い痛い痛い。痛いって。止めてよアスカ。」
蹴るのを止める。
「はー。バカシンジの戯言に付き合うのも疲れるわね。」
「・・・。」背中越しにシンジが何か言いたげな雰囲気を漂わせてる。
「・・・。」
また、やっちゃった。
思えばシンジにはアタシこんな態度ばっかりとり続けてたわね。
どうして加持さんに甘えてた時みたいに素直になれないのか自分でもわからない。
こんなんじゃ、いつまでたってもシンジはアタシに振り向いてくれないわね・・・。

360: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/26(木) 06:01:26 ID:???
アタシがシンジに惹かれていることにはっきりと気づいたのはいつだろう。
使徒が、アタシの心を侵した時だっただろうか。
アタシは認めなかった。認めたくなかった。
加持さんがいたから、
シンジに対してエヴァのパイロットとして劣等感を抱いていたから、
エヴァのパイロットとしてのアタシのプライドがズタズタにされて、
加持さんを失って、それどころじゃなかったから。
それに、シンジにとってアタシは特別な対象じゃあ無かったって、わかってたから。

サードインパクトの時、アタシに縋り付くシンジの姿や、心が流れ込んできて、アタシの心は傷ついた。
シンジは縋れるなら誰でも良かったから。そんな気持ちでアタシに近づいてほしくなかったから。
だから、アタシはシンジを拒絶した。
なのにすべてが終わった後、アタシは生きていた。
ファーストの正体は使徒リリスで、補完から甦らせる事ができなかったから。
ミサトの記憶が流れ込んで、それにシンジが嫌悪を感じたから。
ヒカリや鈴原や相田には、負い目を感じていたから。
シンジを拒絶したアタシには、負い目なんか感じなかったんだろう。
だから消去法的に、シンジの寂しさを紛らわすためにアタシが選ばれたんだと、アタシは解釈した。

361: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/26(木) 06:07:13 ID:???
シンジがアタシの首を絞めて、アタシを殺そうとした時、シンジがどうしようもなく哀れに見えた。
人に拒絶されるのが恐くて、それでも人に会いたいから補完を拒んで、
それにもかかわらずこの期に及んで人に拒絶されることを恐れるその姿はあまりに哀しく見えた。
気づいたらアタシはシンジの頬を撫でていた。
アタシの上で嗚咽を漏らすシンジの姿は哀れで、滑稽だった。
殺されかけたのにアタシの心には怒りも、憎しみも湧かなかった。
それほどシンジを好きになっている事に気づいた。
その事実を認めたくなかった。
相手を傷つけることで得られる、昏い喜びに浸っていたかった。
醜い世界も、泣き続けるシンジも、それを許せてしまう自分も、
何もかも気持ち悪いと思って、突き放したかった。
せめて自分の気持ちだけでも誤魔化したくて、
シンジの頬を撫でた理由を、
そうすることでシンジが首を絞めるのを止めるだろう事を無意識的に悟って行った、
自己防衛から来る打算的なものだとすり替え、
心の中に何とかしてシンジに対する憎しみを抱こうとした。

シンジが戻ってきて、アタシの中の薄っぺらな憎しみはすぐに消えていってしまった。
シンジがアタシのためだけに尽くしてくれて嬉しかった。
でも、シンジはきっとアタシじゃなくてもそうするだろうと思ってた。
だから、その気持ちを認める訳にはいかなかった。
そうやってアタシは自分を誤魔化して、シンジを失いそうになってさえ、自分の気持ちを認めようとしなかった。

シンジは、自分が死にそうなときにも、アタシを気遣って、励ましてくれた。
アタシの話を聞いて、アタシの為に泣いてくれた。
アタシの傍に居たいと、傍に居てくれると言ってくれた。

362: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/26(木) 06:12:48 ID:???
(アンタにもっと大きな希望をあげる。か、本当に希望を貰ったのはアタシの方なのにね・・・。)
アタシがシンジに抱いている感情と、シンジがアタシに向けてくれている感情は多分違うものだけど。
シンジはアタシじゃなくても他の誰かにその感情を向けていたかもしれないけど。
アタシはこの気持ちを認めようと思った。
いつか、シンジがアタシの事を本当の意味で好きになってくれると信じて。
(そう思ってる割には素直になれないのよね。何でなんだろ。本当に恥ずかしいだけ?)
シンジへの気持ちを認めて以来、シンジが傍に居るどころか、シンジの事を考えるだけで胸の奥が熱くなる。
ただ、そうなればなるほど、シンジを邪険に扱ったり、避けてしまってる自分がいる。
(そっか、恐いんだ。シンジに拒絶されるのが。結局、アタシもバカシンジと一緒じゃない・・・。)

「ねぇシンジ。」
「何?アスカ。」
「・・・やっぱり、そんなに離れなくていい。」
そういってアタシは二人の隙間を埋めるようにシンジと背中を合わせた。
シンジの体温が背中越しに再び伝わってくる。
胸の奥が熱くなって、シンジに伝わるんじゃないかってぐらい鼓動が大きくなる。
それだけで心が満たされて、幸せな気分になれた。
今は、これだけで満足だわ。

続く

365: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:12:57 ID:???
朝。
雨は既に上がっていて、変わりに霧が辺りを包んでいた。
湿った、ひんやりとした風が心地いい。
「それじゃあ今日も行ってくるよ。」
シンジはもう、かなり前に動けるまでに回復してる。
「ちょっと待ってよ!霧が出てるじゃない!」
「大丈夫だよ。そんなに濃い霧じゃないし、空も晴れてきてる。
それに、アスカのテントにいつまでも居続けるのも悪いしね。」
「・・・そんなこと、ないわよ。」蚊の鳴くような小さな声。
「ん?何か言った?アスカ?」案の定、シンジには聞こえていない。
「うるっさい!なんでもないわよ!行くんならとっとと行ってきなさいよ!バカシンジ!」
「わ、わかったよ。何怒ってるんだよ。」
そういってシンジは逃げるようにそそくさと出かけていった。

は~。
思わず溜め息が漏れる。
どうしてアタシはいつもこうなんだろう。つい反射的に憎まれ口を叩いてしまう。
軽く自己嫌悪を感じる。
そもそもシンジにしてもアタシがキスまでしたっていうのにアタシの気持ちに気づいてないはずないじゃない。
なのにアタシに何もしないっていうのは・・・・アタシのこと、そういう対象で見れないって事なの?
(ダメよアスカ!そんなの関係ないじゃない!
アタシが勝手にシンジを好きになったんだから、アタシはただ素直に気持ちをぶつけるしかないのよ!)
わかってるけど不安は消えてくれない。
(シンジはアタシの傍に居たいって、アタシの傍に居てくれるって言ってくれたじゃない!)
そうだ、シンジがアタシの傍を離れることはないんだ。それだけは、信じることが出来る。
アタシの心からようやく不安は消えて行った。

366: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:18:18 ID:???
右腕の包帯を解いていく。
腕を縦に裂いている痛々しい傷が露わになる。
プラグスーツを脱いでいく。全身にある傷が目に映る。
アタシの心と同じ様に、傷だらけのアタシの身体。
シンジにこの身体の傷を見られて以来、この傷を見てもつらい気持ちにはならなくなったけど、
それでも、何かがズレている様な違和感はまだ感じ続けてる。
それと、
(こんな身体じゃ、シンジも嫌だよね・・・。)以前とは違う種類の哀しみを感じるようになった。
徐々に曇り空は晴れていってるけど、まだ空は薄暗い。水浴びをしてもそれほど日に焼けることはないと思う。
アタシは赤い海に身を沈めていく。
早くこの傷を消してほしい。
そうなればアタシはもっと素直にシンジと向き合えるような気がする。
水面をたゆたいながらアタシはその事だけを想い続けてた。

いい加減身体がふやけてきたからアタシは海から上がった。
布で身体を拭いて、その布で身体を巻いて、そのままアタシは赤い海の前で立ち尽くしていた。

367: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:23:41 ID:???
空はまだ薄暗い。
遠くにまるで十字架のようなエヴァシリーズの残骸、でも特に感慨はない。
石のように無機質になったそれは、確かに気持ち悪いけど、アタシを貪ったあの醜悪なものとはほど遠く感じられた。
だからアタシが最初にあれを見たときも、もはや景色の一部としか認識してなかったし、あの時の記憶が深く呼び起こされることがなかったのだろう。
今も、あの時の記憶にうなされる。一人の時、寂しいと思う時に、それはやってくる。
恐怖と、感情の嵐。
この時だけ、助けに来てくれなかったシンジをアタシはいつも憎んでしまう。
逆恨みだって、わかってるけど。
それでもこの苦しみから解放してくれるのはいつもシンジだった。
シンジの声で、気配で、アタシは解放された。
たまにシンジへの憎しみが残ることがあるけれど、
それがもたらすであろう結果をアタシはもう知っているから、アタシはいつも平静になることができた。
こうして考えてみればアタシのシンジへの想いはかなり大きく揺れ動いている事に気づく。
さらに遠くに見える半分に割れたファーストの顔。
まるで、嘲笑っているような不気味な微笑みを浮かべていたそれは、今はかなり崩れてとても正視できないようなものになってしまってる。
(アンタの事キライだったけど、こうなってしまうと寂しいものね・・・。)

368: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:29:07 ID:???
赤い海。
多くの人々が溶けている海。
LCLに似てるけど、明確に違うもの。
アタシ達はこの海の水を飲んでいるだけで今のところ生きている。
それだけでもおかしな事なのに、この水は出来たばかりの傷ならば瞬時に治す力がある。
(そういえば、エヴァが使徒のパーツを取り込んで再生したことがあったわね。)
サードインパクトの時わかった事だけど、ヒトの身体はATフィールドによって形作られてる。
この水は、身体の中に取り込むことで身体を造るATフィールドを補強したり補完したりする効果があるのだろう。
だから、飲んで身体に取り込むことで身体を維持できて、傷口というATフィールドの綻びから取り込むことで傷が治っていく。
ATフィールドを失ってみんな溶けたけど、ATフィールドを生み出す力の源だけがこの海に残って溶け込んでいるのかもしれない。
そんな事を何となく思った。
(あるいは、アタシ達自体、もう使徒やエヴァみたいなものになってるのかも知れないわね。)
エヴァ、か・・・。

「ATフィールド!!」

「・・・・・・・・・・・・何やってんのかしら・・・。アタシ。」

何だかバカバカしくなってテントの中に戻ることにした。

369: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:34:32 ID:???
「ただいま、アスカ。」
「おかえりなさい。シンジ。」
夕暮れ時に、シンジが帰ってきた。空はもうすっかり晴れてる。
アタシはテントから顔だけ出した。
「霧が出てたから、結局思うように進めなかったよ。昨日の雨で瓦礫も崩れやすくなってたし。」
「ほーらごらんなさいよ。せっかくこのアタシが心配して止めてあげたってのに、無理していくからよ。」
「止めたって、最初だけじゃないか。その後すぐに急かしたくせに。」
「バカの癖に揚げ足とりだけは上手いんだから。いいこと?バカシンジ?
このアタシが心配してあげたって事ほどありがたいことなんて他に無いのよ?
感謝こそされても批判される筋合いなんてこれっぽっちもないわ。」
「言ってることがムチャクチャだよ。ま、アスカらしいけどさ。」
「何よすましちゃって。なーんかムカつくわね。」
何となく地面を見る。まだ砂浜は湿ってる。
「・・・まあ、心配してくれたのは素直に嬉しいよ。ありがとう。アスカ。」
そういってシンジはアタシに笑って見せた。
アタシは、胸の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。

370: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:39:49 ID:???
「・・・。」
「ごめんね。アスカ。二日も連続で泊まっちゃてさ。」
「・・・別にいいわよ。今日は荷物は外に出してるからそんなに狭くないしね。
それにあんな湿った砂浜じゃ気持ち悪くて寝れないでしょ。」
テントには余裕があったから、アタシ達は昨日みたいに互いに密着することも無く、背中合わせで寝てる。
距離が、もどかしい。
「ねぇ。シンジ。」
「何?アスカ。」
「・・・初めて、キスした時の事、憶えてる?」
「・・・どうしたの?急に。」
「・・・答えてよ。」
「・・・アスカに鼻をつままれてたから、息が出来なくて窒息するかと思った。」
「・・・ごめんね。」
「・・・。」
「ねぇ。・・・そっちに、行っていい?」
こみ上げてくる気持ちを、止める事が出来なかった。
返事を聞く前に背中越しにシンジに抱きつく。
シンジが息を呑んだのがわかった。
シンジの体温が伝わってくる。
シンジの、匂いがする。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ・・・・・
鼓動が、大きく、激しくなる。
きっとシンジにもアタシの鼓動が伝わってる。
身体が熱くなっていく。
アタシの体温も、シンジに伝わってる。
恥ずかしくって、目を瞑った。
これ以上、何も出来ない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
時間だけがただ流れていく。

371: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/27(金) 12:45:07 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ねぇ・・・?」
期待と不安を入り混ぜてシンジに囁いた。
か細い小さな声。だけど確実にシンジには伝わってる。
「・・・・・・。」
沈黙。やがて、
「ごめん。分からないんだ・・・。」

気づいたらシンジから離れて、背を向けていた。
身体が、心が、急速に冷めていく。
疲労感が重たくのしかかり、アタシは眠った。

続く

374: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 02:37:30 ID:???
目が覚めた。
シンジはいなかった。もう出かけたんだ。
何も、する気力が湧かない。
拒絶、されたんだ・・・。
視界が滲んだ。
今頃になって、悲しさや、悔しさがやってきた。
(分かってたのに、シンジがアタシに対して持っている気持ちと、
アタシがシンジに抱いてる気持ちが違うって、分かってたのに。)
昨日の、軽率な自分が許せなかった。
縋りつくものを失ってしまったような喪失感。
(それでも、シンジは、アタシの傍にずっと居てくれる。)
(でも、傍に居るだけ、何もしない。何もしてくれない。
そっちの方が、ずっとつらくて、残酷じゃないの?)
「ぅ、ぅぅぅぅうっく、ううううううううううううう」
遂にアタシは嗚咽を漏らし始めてしまう。
それでも、声を上げて泣き喚いたりしなかった。
希望を投げ出してしまう気がしたから。
(シンジは、例え傷ついても、アタシを、アタシとのつながりを守るって言ったんだ。だからアタシも・・・)
それがシンジからもらった希望。
シンジはきっとあきらめない。だからアタシも自分の想いをあきらめたくない。
例えどんなにつらくても、今のアタシにはシンジしかいないから。

375: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 02:43:05 ID:???
包帯を解き、プラグスーツを脱いで海に入る。
とにかくこの気持ちをどうにかしたくて、水浴びをして気を紛らわしたかった。
傷が嫌でも目に入る。
(なんでこんなに半端な状態でアタシは生き返ったりしたのよ・・・。)
自分の傷が恨めしかった。こんな傷さえなければと思った。
でも本当は傷なんて関係ないことなんてわかってる。
昨日までとは違って雲一つ無い快晴。
太陽は既にかなり高い。
いつもは夜や朝、曇りの日にだけ浴びていたから日射しがキツい。
今のアタシの精神状態と相まってすぐに意識が朦朧とした。
空を仰ぐ。
白い何かが飛んでいるように見えた。
鳥?
違う。
それは太陽を直視した事と朦朧とした意識が見せた幻だった。
空を旋回するエヴァシリーズ。降ってくる槍。
一瞬にして記憶が甦る。
「ぃ、きゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
アタシは錯乱した。
記憶のフラッシュバックがあまりに突然すぎて心の準備が出来てなかった。
いつもはジワジワと思い出すのにこんなことは初めてだった。
錯乱したままアタシは海から必死で上がり、何も身に着けずにそのままテントに閉じこもった。
恐怖心だけだった。いつもセットになってやってくる憎しみや悔しさの感情の嵐はやってこない。
アタシはただ、テントの中でうずくまって怯え続けた。

376: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 02:48:27 ID:???
助けて欲しかった。
誰に?
シンジに。
どうして、あの時、助けにきてくれなかったの?
どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?・・・
アタシを見捨てたんだ。アタシを見殺しにしたんだ。
憎い。
憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。・・・
違う!
あの時アタシはシンジに助けなんて求めてなかったじゃない!なのに何で?何で?・・・

「ただいま。」
シンジの声にハッと我に返る。
いつだってこの悪夢はシンジが終わらせる。
まるでシンジがこの悪夢を操っているかのようだ。
憎い!
違う!
いつものようにアタシはシンジを刺してしまった時の事を思い出す。
(そうよ、憎んでもあんな結果が、あんな気持ちが待ってるだけじゃない。)
それでようやく、アタシは冷静になれた。

377: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 02:53:42 ID:???
「アスカ?大丈夫?」
異変に気づいたシンジが声をかけて来た。
「・・・。」答える気になれなかった。
「外にあったプラグスーツと布、テントの前に置いとくよ。」
「・・・。」
「アスカ?」
「・・・。」
「・・・アスカ、開けるよ。」
「やめて。」
そういってテントから右腕だけ出してプラグスーツと布を受け取った。
「そのままでいいから、聞いて欲しい。」
「・・・。」
「・・・アスカ、昨日は、ごめん。」
「・・・。」
「アスカの気持ちには、気づいていたんだ。アスカに抱きつかれて、・・・嬉しかった。
でも、僕がアスカと同じ意味でアスカを好きなのか、自分ではまだよく分からないんだ。
それなのに、そんな半端な気持ちのままでアスカに何かしたら、またアスカを傷つけるんだけになると思って、何も出来なかった。
だから、本当に勝手だけど、アスカの事を好きだって自信を持って言えるまで、待ってて欲しいんだ。」
「・・・。」
「ごめん。」
「・・・そんな事、分かってたわよ。バカシンジ。」
「・・・じゃあ」
「待っててあげるわよ。だから早く、自分の気持ちに整理つけなさいよね。」
「うん。ありがとう、アスカ。」
何とか気丈に振舞ったけど、テントの中、今度は嬉しくて泣きそうだった。
まだ、望みは消えてないんだ。
アタシはまだ、シンジを想っててもいいんだ。
それだけで、不安や悲しみが消えて、少しだけ、幸せだと思えた。

続く

380: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 17:32:51 ID:???
それから数日がたった。
最初のうちはまだ、アタシ達はギクシャクしていたけど、今ではもう元通りになっていた。
「しんじらんなーい!ホント、アンタってどうしようもなくバカなんだから!」
「ひどいよアスカ!そこまで言わなくたっていいじゃないか!」
「フンッ、本当のことを言ったまでだわ!だいたいシンジって昔っから・・・」
あいかわらず些細なことでケンカしてる。
まあ最初に突っかかるのはいつもアタシなんだけどね・・・。
結局、これがアタシ達の一番自然な形なのかもしれないわね。
変わったことは、アタシが、例のボロ傘を差して、シンジと一緒に探索に出かけるようになったことだ。
ずっと一緒に行きたいと思ってたけど、あの廃墟群であんなことがあったから、アタシはその事を言い出せないでいた。
でも、もう待っているだけなんてイヤだった。少しでも、シンジと一緒に居たかった。
あの日から、アタシのシンジへの想いは膨らみ続けてる。
分かってはいたけれど、シンジにはっきりと、アタシの気持ちに気づいてるって言われて、吹っ切れた部分があるのかもしれない。
だから、

381: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 17:38:10 ID:???
「ねーシンジ、ちょっとこっちきてよー。」
「わかったー。ちょっと待っててよー。」
シンジがアタシのほうに駆け寄ってくる。
「ここになんかあるみたいだから掘ってほしいのよ。」
「うん。わかったよ。」
そういってシンジはスコップを取り出して地面を掘り始める。
チャーンス♪
「ねえアスカ、ホントにここに何かあ・・・」
「好きよ。シンジ。」後ろからシンジに抱き着いてシンジの耳元で囁いた。
シンジはしばらく固まってたが、
「なっ!?なんだよいきなり一体!?」
と、顔を真っ赤にしながら耳元を押さえてアタシに振り向いた。
「シンちゃんったら真っ赤になっちゃって、かーわいー♪」
「か、からかうなよ!アスカ!」
「からかってなんか、ないわよ。」真剣な顔を作って言った。
「えっ?・・・」
・・・・・・・・・・・。
「ぷっ、あははははははははははは!
さっきのアンタの顔、写真があったら撮っときたかったわ!
アンタって単純だからすぐひっかかるわよね!」
「ちょ!?ひどいよアスカ!」
だからアタシはもう、こうやってシンジをからかうことが出来る。
素直になりきれた訳じゃないけど、以前に比べれば、アタシは前に進んでる。

382: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/28(土) 17:43:36 ID:???
「ここって?」
アタシは見覚えのある景色の前に立っている。
忘れもしない。アタシがシンジを刺した場所だ。
血の跡は、雨で流れてもう無かった。
(ホント、バカなことしたわよね・・・。)
あの時、シンジが止めてくれなかったら、アタシは多分もうこの世にいなかった。
シンジが命懸けでアタシを守ってくれた。その事を思うと胸の奥が熱くなる。
ここで語り合った言葉を思い出す。
そして、
(アタシは必ず、シンジを振り向かせてみせる。)
そう心の中で強く誓った。

続く

384: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/29(日) 08:55:21 ID:???
苦しい。
アタシは今テントの中にいる。もう二日間ほとんど籠りっぱなしだ。
生理だった。
ナプキンなんて気の利いたものは無いけど、幸いシンジが以前見つけてきた救急セットの中のもので、
生理用品の代わりとして使えるものがいくつかあるから、事なきを得てる。
動け無いことはないけど、辛いからアタシはずっと寝転がってる。
暇だ。

苦しみが和らぐと、一人で居る寂しさがやってきた。
(こんなことなら、無理してでもシンジについて行けばよかった。)
最近ずっとシンジと一緒に居たから、一人になると余計に寂しさが募る。
会いたい。早く帰ってきて。

ドクン、と、鼓動が突然大きくなる。
来た。
この前、海で思い出したように突然襲いかかって来るんじゃなく、
いつものようにゆっくりと記憶の扉が開き始める。
あの時の記憶。
感情の嵐と恐怖と無力感。それらがまるで波のように交互にやってきてアタシを揺さぶる。
アタシはただじっと、声も出さずに耐え続ける。
ただずっと、シンジの帰りを待ってる。
シンジだけがこの悪夢を終わらせる。
まるでシンジがこの悪夢を操ってるかのようだ。
アタシの事、助けてくれなかったくせに。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。

385: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/29(日) 09:00:48 ID:???
まただ。
いつの間にか憎しみがシンジにも向かってる。
でも、シンジがくれば、アタシは落ち着く。
そうなれば、また、シンジを刺してしまった時の事を思い出せばいい。
そうやっていつも乗り切ってこれた。
そうだ、そうやっていつも・・・
いつも?
いつから?
アタシがシンジまで憎しみだしたのっていつから?
ザッ、ザッ、と足音が聞こえて、アタシは我に返った。
シンジが帰ってきたんだ。
心が落ち着きを取り戻す。アタシはシンジを失いかけたときのことを思い出す。憎しみが消えていく。
「ただいま、アスカ。」
「おかえりなさい、シンジ。」
そうよ。いつものようにすればいいだけ。いつものようにシンジを失いかけた時の事を・・・
じゃあ、それが起こる前のアタシってどうしてたの?
シンジへの憎しみは、どうしてたの?
アタシって、シンジの事を憎んでたの?
アタシがシンジまで憎しみだしたのっていつから?
・・・・・・・。
寒気がした。
足元が崩れて、落ちていくような感覚に襲われる。
気づいてしまった。
アタシ、シンジを好きだって認めてから、シンジを憎むようになったんだ・・・。

386: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/29(日) 09:06:16 ID:???
どうすればいいのかわからない。
でも、きっと大丈夫、アタシはシンジを憎んでどうこうしたりはしない。
だって、その先に何があるか、もう知っているから。
大丈夫。
大丈夫、
大丈夫?
本当に?
多分、アタシはもっと、シンジの事を好きになっていく。
だけど、それと一緒にあたしの中の憎しみが強くなっていく。
そうしてアタシは、シンジをいつか傷つけてしまう。
いつか、そうなる気がした。
(違う!憎いんじゃない!甘えてるだけなの!わかって欲しいだけなの!)
(そう。甘えてるだけ。わかって欲しいだけ。アタシの苦しみを。)
(だから、シンジを傷つけたい。)

「アスカ。大丈夫?」
「大丈夫よ。なんでもない。」
「ホントに?何か落ち込んでるっぽいけど。」
「アレなのよ。わかるでしょ。ほっといてよ。」
「あ・・・、ごめん。」

続く

389: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 04:31:51 ID:???
生理は止まったけど、まだアタシはテントに籠りっぱなしだった。
シンジと顔を合わせることが出来ない。
シンジを好きになっていけばいくほど、シンジの事を傷つけたくなってしまう。
そんなジレンマに、アタシは陥っていた。
(アタシはただ、シンジの事を好きなだけなのに。なんで。)
外にシンジがいる。アタシを心配して今日は出かけないでいるんだろう。
その心遣いが嬉しかったけど、今は、優しくなんてされたくなかった。
「・・・アスカ、ホントに大丈夫?」
「・・・。」
「・・・あのさ、アスカの気に障るようなことしたかな?・・・そうだったら、謝りたいんだけど。」
「・・・。」
「アスカ?」
「・・・心配、しないで。」
「・・・・・・・・・わかった。アスカが望むんなら、そうする。」
心が痛い。

390: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 04:37:07 ID:???
(考えてみれば、いつもシンジに助けられてた。なのにアタシ、シンジに何もしてやれてない。
今だって、シンジに心配かけて、・・・シンジの事、傷つけたいと思ってる。
そんなアタシに、シンジを好きになる、好きになってもらう資格なんてあるの?)
・・・・・・・。
(内罰的ね・・・。シンジの事、悪く言えないじゃない。
でも、どうしたらいいのかわからないの。・・・助けて、ママ・・・。)
・・・・・・・。
(・・・ママ、か。シンジに縋れなかったら今度はアタシ、ママに縋ろうとしてる。
・・・最低ね。アタシって。)
・・・・・・・。
(アタシって本当に、シンジの事が好きなのかな・・・。縋りたかった・・・だけだったのかな。)
そう思うと、悲しくなって視界が滲んだ。
(違う!最初はそうだったかもしれない。でも今は違う!今は違うの!)
・・・。
(でもどうしたらいいのかわからないの!これ以上好きになったら、シンジの事、好きになったら、アタシ、いつか・・・。)
血まみれで横たわる、シンジの姿。
(もうシンジを傷つけたくないの!)
涙が、流れ落ちた。
外にいるシンジに気づかれないよう、嗚咽を抑えるのが精一杯だった。
暗いテントの中で一人、アタシはしばらく静かに泣き続けた。

391: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 04:43:03 ID:???
「喉、渇いたな・・・。」
泣き疲れたアタシはテントから出て、水を飲みに海に向かった。
もう陽が傾いていて、辺りは紅く染まっていた。
しばらく行くと太陽の光の中に黒い人影が見えた。
シンジだ。
今は、会いたくなかった。
けど、ここで下手に避けたら、またシンジを心配させてしまう。
だから、黙って俯いて傍を通り過ぎようと思った。
「アスカ、大丈夫なの?」
シンジがこっちに気づいた。影がこちらに振り返る。
「・・・うん。」
「本当に?アスカ、何か目が赤いよ。」
アタシは慌ててシンジから顔を逸らした。
逆光でシンジの表情はわからないけど、シンジからはアタシの表情が良く見えるはずだ。
「な、なんでもないわよ。きっと寝起きだからだわ。」上ずった声でアタシはそう答えた。
「そう、なんだ。・・・あのさ、そのまま、聞いて欲しい事があるんだ。」
「・・・水が飲みたいから、早くしてよね。」
シンジはしばらく黙って、二、三度、手を閉じたり開いたりして、言った。
「・・・アスカ。好きだ。」

392: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 04:48:28 ID:???
・・・・・・・・・。
一瞬、意味が理解できなかった。
すぐに、胸の奥から熱い想いがこみ上げてきて、嬉しくて、どうにかなりそうだった。
乾いた瞳がまた潤んでいくのを感じた。
「・・・この数日、また僕一人で出かけるようになって、アスカが傍に居ないことが、寂しいって、思ったんだ。
それで、気づいたらアスカの事ばかり考えてた。
思い出したんだ。世界に僕達二人だけが残ってから、僕はアスカの事ばかり考えてた。
・・・死にそうになった時も、僕の頭に真っ先に浮かんだのはアスカだったんだ。
そのことに気づい時、目の前が開けて、何かが僕を貫いた気がした。
胸の奥が熱くなって、これが、好きって気持ちなんだって、気づいたんだ。」
「・・・・・・。」
「遅くなってごめん。アスカ。」
「シンジ・・・」

393: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 04:55:32 ID:???
その先の言葉を紡ごうとして、アタシは口を噤む。
アタシはいつか、あの時みたいに、シンジの事を傷つけるかもしれない。
それなのに、アタシに、シンジの気持ちに応える資格なんて、あるの?
さっきまで喜びに満ちていた心が、悲しみで、ぐちゃぐちゃになっていく。
「・・・・・・・。」
「・・・アスカ?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・ごめん。・・・アンタの気持ちに、応えられない。・・・」
シンジは今、どんな表情をしているのだろう。逆光で、よく見えない。
アタシは俯き、シンジの横を通り過ぎようとする。
胸が痛い。
アタシは、シンジの気持ちを裏切った。
それでも、いつか、今よりひどい裏切りを、きっとアタシはしてしまう。
だから、今ここで終わらせなければいけないと思った。
「・・・待ってよ。」
シンジが通り過ぎようとするアタシの手を掴んだ。
「・・・離してよ。」
アタシは力無くそう答える。

394: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:01:31 ID:???
「・・・アスカ、何かあったんだろ。さっきから様子がおかしいよ。」
「何も、何もないわよ。シンジには、関係ないじゃない。・・・お願いだから、アタシの事なんて、ほっといてよ・・・。」
「ほっとけるわけ無いだろ!・・・話してくれるぐらい、いいだろ。」
心の中に、シンジに頼りたい気持ちが沸き起こる。
でも、ここでシンジに頼ったらアタシは・・・
だから、気力を振り絞る。
「・・・ハッ、あんたバカぁ?いくら振られたからって往生際が悪いのよ!
アンタなんかに話したって、何にもならないのよ!」
「・・・。」
「いつもいつも、余計なお世話なのよ!アンタなんか、別になんとも思ってないのよ!
だからいい加減この手を離してよ!」
「・・・じゃあ、なんでそんな泣きそうな顔してるんだよ。」
思わずシンジから顔を背ける。シンジは離してくれない。
「知らないわよ!アンタなんかにアタシの気持ちなんてわからないのよ!
だからもう、この手を離してよ・・・。」
「あのさ・・・、話す事ができないなら、それでもいいけど、
・・・余計なお世話かも知れないけど、僕じゃアスカの力になれないかな?」
「・・・。」
そんな風に優しくしないでよ。
せっかく突き放そうとしたのに。
頼りたくなんてないのに。
「・・・。」
「・・・。」

395: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:07:53 ID:???
・・・・・・・・・・・・・・・。
夕焼けの中、しばらくの間、アタシ達は黙り込んだままだった。
シンジはずっと、アタシの手を掴んだままだ。
アタシは、もうこれ以上黙っていても仕方ないと思った。
「・・・アタシの話、聞いてくれる?」
「うん。」
アタシがあの日の記憶に今だ苦しめられていること。
その間、シンジの事を憎むようになったこと。
シンジへの憎しみはシンジを刺した時の記憶が抑えてくれること。
シンジを好きだと認めてから、憎みだしたことに気づいたこと。
そして、シンジを好きになればなるほど、その憎しみは強くなっていき、
いつかアタシはシンジを傷つけるだろう事を、アタシは話した。
「・・・気に、しすぎじゃないのかな。」
「違うわよ!自分でわかるもの!・・・結局、甘えてるのよ。自分の苦しみをわかって欲しがってるのよ。
アンタを傷つけてまで。」
「でも、アスカは今まで抑えてこれたんじゃないか。それに、例え憎まれても、僕はアスカの傍にいるよ。」
「それがイヤなのよ!アンタを憎みたくなんかない!アンタをもうこれ以上、傷つけたくないのよ・・・。」
「・・・僕にはアスカの事がわかるわけじゃないけど、アスカは僕を刺してしまった事を気にしすぎてると思う。
仕方なかったんだよ、事故みたいなものだったんだから。
それに、僕だってアスカを殺そうとしたんだ。しかも、僕自身の意思で。」
「アンタはあの後、アタシの為に尽くしてくれたじゃない。アタシを、守ってくれたじゃない。
なのにアタシはアンタの事を傷つけて、それでもまだ傷つけようとしてる。
そんなアタシに、アンタと一緒にいる資格なんてあるわけないじゃない・・・。」
「じゃあ、これからどうするの?」
「・・・アンタから離れて、一人で生きるわよ・・・。」

396: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:13:19 ID:???
シンジは、掴んでいたアタシの手を離した。
そしてアタシの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「僕は、アスカといて幸せだった。アスカは、どうだったの?」
「・・・アタシも、シンジといて幸せだったわよ。でも、このままじゃアタシ、アンタを不幸にする。」
「僕は今まで、償いきれない程の罪を犯してきたんだ。幸せになる権利なんて、もうないんだ。
だから、アスカは何も気にしなくたっていいんだよ。
・・・アスカは僕から離れて、一人になって、幸せになれるの?」
「幸せになんて、なれるはずないじゃない・・・。」
「僕だってそうだよ。アスカと離れて、アスカが幸せじゃないのに、僕が幸せになれるはずなんてないよ!」
「・・・。」
「僕は、アスカに傷つけられたって構わない!
アスカを不幸にするなら、アスカを失うぐらいならその方がずっとマシだ!
どうせ不幸になるんなら、どっちだって一緒じゃないか!・・・そうだろ?アスカ。」
シンジは真っ直ぐにアタシの瞳を見て言った。
アタシは、瞳を逸らさずにはいられなかった。
「・・・アンタに、アンタなんかに何がわかるって言うのよ!
好きな人を傷つけるかもしれない事の恐さなんて、アンタにわかりゃしないのよ!!
なのに、勝手なことばかり言わないでよ!!」
「わかるよ。」
「・・・なんで、なんでそんなに簡単に言えるのよ!
アタシの事なんて、シンジにわかるはずないじゃない!!」

397: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:18:36 ID:???
シンジは数歩、海に向かい進んで立ち止まり、しばらく海を見た後、アタシに振り返った。
太陽はもう海に沈みかけていて、橙色の残光を発している。
逆光で、シンジが黒い影に見える。
「・・・綾波が使徒と一緒に自爆した後、僕の周りには頼れる人がいなくなった。
・・・アスカはいなくなってて、ミサトさんは加持さんを亡くした悲しみから抜けれなくて、綾波は以前の綾波じゃあ無くなってた。
そんな時、渚カヲルっていう子に会ったんだ。フィフスチルドレンとして、カヲル君はネルフに来た。
誰にも頼れなくて寂しかった僕に、カヲル君は構ってくれた。優しくしてくれた。・・・僕の事を好きだって、言ってくれた。
でも、・・・カヲル君は、最後の使徒だったんだ。」
シンジの背中越しにエヴァの残骸が見える、逆光の中で黒い十字架のように見えた。
「・・・だから僕は、エヴァで、この手で、カヲル君を握り潰した。
初めて、僕の事を好きだって言ってくれた人を、僕はこの手で殺したんだ・・・。」
そう言って、シンジは俯いて、少し、項垂れた。
まるで、シンジが黒い十字架を背負ってるように見える。
十字架の重さに、耐えているように見えた。

398: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:24:06 ID:???
「最後の戦いが始まっても、僕はエヴァに乗る気が、生きる気力が無かった。
僕が生きていても、好きな人を傷つけるだけだ、だからエヴァに乗る資格なんて僕には無いんだって思ってた。
そうやって、僕が何もしなかったせいで、ミサトさんが死んだ。
アスカが苦しんでるのもわかってたのに、僕はエヴァに乗ろうとしなかった。
ようやくエヴァに乗ったときはもう、全部手遅れだった。
バラバラにされた弐号機を見て、アスカが死んだって思って、どうしようもなくなった。
僕はそのまま、混乱したまま、事態に流されるまま、サードインパクトを起こしてしまった。
そして、世界を、みんなをこんなにしてしまった。
・・・一緒なんだよ、あの時の僕と。アスカ、逃げてるだけなんだよ!!」
「・・・・・・。」返す言葉なんて見つからなかった。
アタシが、シンジの心の傷を蒸し返してしまった。
ただ、その事が、申し訳なかった。
「・・・ごめん。こんな事言う資格、僕には無いのにね・・・。アスカが今、苦しんでるのだって僕のせいなのに。
でも、これでわかったろ。アスカが僕を傷つけても、それは僕の自業自得にしか過ぎないんだよ。
・・・・・・だから、僕のために幸せを捨てるようなことしないでよ・・・。僕の傍にいてよ!!アスカ!!」
「シンジ・・・。」
アタシは項垂れるシンジに近づいて、抱きしめた。
シンジも、アタシを傷つけるのが恐かったんだ。
そんな単純な事に気づけないなんて、アタシはホントにバカだ。
シンジもアタシを抱きしめ返してくれた。
心が繋がったような、安心感と幸福感で、アタシの心は満たされた。

399: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:29:26 ID:???
しばらく、ずっと抱きしめあってた。
やがてどちらとも無く離れて、シンジがアタシの横に座った。
海を見ながら、指を、お互いに絡ませあった。
「・・・・・・これからアタシ達、どうなるのかな・・・?」
「わからないよ・・・。でも、今は、正しいと思うことをやり続けていくだけだ。」
アタシ達は、これから傷つけあったり、憎みあったりするかもしれない。
でも、アタシ達は、もう一人じゃ生きていけない。
だから、アタシはずっと、シンジの傍に居ようと思う。
アタシ自身の為だけじゃなく、シンジの為にも。

400: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:35:11 ID:???
「早く来なさいよー、バカシンジー」
「わかってるよー、アスカー、ちょっとまってー。」
あれから、数日がたった。
アタシ達は他の場所に移ることにした。
あの廃墟群は一通り探索し終わったし、天候の心配もあった。
だから、ちゃんと暮らせるような、新しい場所を探すことになった。
今のアタシ達はあの赤い海から離れて生きることは出来ないから、海沿いをずっと歩いている。

あの日から、アタシはシンジに対して素直になろうとするのを止めた。
シンジに対する気持ちを抑えきれなくなると思ったから。
シンジは、アタシがどんなに傷つけても許してくれるだろう。
でも、それに甘えていると、いつかシンジを傷つけても何も感じないようになる気がした。
だから、二人の間に、アタシは自ら心の壁を造った。
正直、もどかしくて、切なくて、つらい。
いつか、こんな素直じゃないアタシに、シンジは愛想を尽かすかもしれない。
それでも、シンジを傷つけるぐらいなら、その方がマシだった。
それに、
シンジが傍にいるだけで、アタシは幸せだ。
時間は、まだまだある。
ゆっくりでも、あの悪夢から一人で抜け出せるように、アタシは強くなりたい。
そしていつか、
この心の壁を壊して、シンジに素直になれる日が来ることを、アタシは信じてる。

401: 二人が旅にでかけるまで 2007/07/31(火) 05:41:34 ID:???
立ち止まって赤い海をみる。
いつか、ここから誰かが還ってくる。
でも今は、もう少しだけ、シンジと二人だけでいたい。
シンジが追いついてきた。
アタシはシンジに振り返り、シンジの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「どうしたの?アスカ?」
「なんでもないわよ。バカシンジ!」
アタシはそう言うと、シンジにぷいっとそっぽを向いた。







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