1.ごめん
|2.再び
|3.アスカの日記
|4.謝罪
|5.記憶と嫉妬と汚れ
|6.最後のシ者
|7.そして終わり、鰻を殲滅したあと。
590: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:17:47 ID:???

     1
     ごめん


玄関の方から大声が響く。その青空を裂く雷のような彼女の声は、僕の耳を文字通り劈いた。
どうやらその声は僕を呼んでいるようで、その声の主は酷く苛立ちながらもワクワクと興奮しているように感ぜられた。
僕は、思わずその身が竦んでしまう声に負けじと、大声を張り上げて「今行くよ!」と告げた。
僕は深い溜め息を吐きつつ、ポケットに携帯を捩じ込んで玄関へ向かった。
玄関にはジーパンに半袖姿というボーイッシュな服装のアスカが、まさに準備万端という風に僕を待っていた。
彼女は腕を組みながら、足の爪先でコンクリートの床をトントンと貧乏揺すりをするように細かく叩いていた。
「遅いぃ~!」
とアスカは言って、ダンと一発コンクリートの床を踏み付けると、仁王立ちになって僕の鼻先に人差し指を突き出した。人を指差してはいけないと教わらなかったのだろうか?
「何時間待たせる気よ!」
「そんな……何時間って……せいぜい二十分……。」
「問答無用! さっさと行くわよ、バカシンジ!」
とアスカは僕のささやかな抵抗を粉砕し、にんまりと喜色を浮かべると僕の左手を鷲掴みにして、右手を突き上げながら歩き出した。
何が楽しいんだろう? そこまで僕を引きずり回して遊び回って。
「しゅっぱーつ!」



アスカが僕に意見を求めている。ここは第三新東京市で一番大きなデパートの五階に入った洋服店で、彼女は両手に二着の洋服を持っている。
右手に持つのはデニムのミニスカートとレモンカラーのティーシャツのセットで、左手に持つのは白を基調としてストライプの入れられたワンピースだった。
アスカはそれを僕の目の前に突き出すように提示していた。
「どっちがいいと思う~?」

591: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:19:26 ID:???
正直どっちでも良かった。周りの買い物客も、この違和感ありありなカップルを注視している。もっとも、男性方に関しては僕ではなくアスカ単体への眼差しだろう。
それに、どうせ僕が何を言おうともアスカの選択には大した影響は及ぼさない筈だった。
だから、僕はなかば投遣りに白いワンピースを指差して「こっちが良いと思うよ。」と言った。
それを聞いたアスカは「ふーん、あっそ。」と言ってレジに向かって行った。
僕はアスカが会計を終えるまで、洋服店の前で彼女の荷物を抱えたまま待っていた。荷物を降ろさないのは、僕がそれを地べたに降ろすとアスカが怒り出すからだ。
アスカは店から出てくると、一つの袋を僕に押し付け、僕がそれをちゃんと落ち着ける前に、ご満悦という感じで次の店へ歩き出していた。
だから、僕は彼女の傍若無人なところが好きではなかった。



結局彼女は午前中までに、部屋着や洋服を合計八着にアクセサリーを三品買い、全てを僕の腕に預けた。更に彼女は僕に弁当まで制作させており、それの入ったバスケットまで僕に持たせていた。
体力に自信も定評もない僕にはその荷物持ちという簡単な仕事でさえ、重労働だった。
どうやらショッピングの前半戦を最高に近い形で終えることの出来たらしいアスカは、意気揚々として疲れ果てた僕をデパートの側にある公園に連れこんだ。
広い芝生を見つけた彼女は、すぐさまその青い芝生の上にシートを敷くように僕へ命令した。僕は溜め息を吐きつつシートを広げ、荷物をその上に置くと、アスカに言われるままにバスケットから昼食を取り出してせっせと並べた。
アスカは随分腹がすいていたらしく、ドカっとシートに腰を降ろすと、僕が並べた端からタッパの蓋を開け、卵焼きやらウインナーやらをパクパクと頬張っていった。
「お行儀が悪いよ……アスカ……。」
聞く耳無し。僕は半分諦めの境地で自分の分の昼食をゆっくりと食べ始める。


592: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:30:43 ID:???



昼食というインターバルを置いたアスカは、益々その激しい衝動を高みへ持っていった。
そして、その僕にあまり好ましくない彼女の衝動は、結果的に僕の腕への負荷を衣料品三品増す事になった。
僕は彼女のこういう、何も気遣わないところが好きではなかった。



この憂鬱に拍車が掛けられている。
それはひとえに、今日、シンクロ率がまた下がったからだった。
と言うのも、最近の下がり具合いは自分でも信じられない位だからだ。
それまでちょっとのコンディションや心境の変化で上がり下がりしていたシンクロ率は、異常とも言える速度で急激に下がり始めた。
それは丁度、僕が球形の使徒に取り込まれた後のシンクロテストからだった。
使徒に取り込まれて暴走し、記憶がなく脱出した翌日から、僕は毎夜の如く嫌な夢を見るようになった。
多分不調の理由は、恐らくその夢だろう。
父さんに捨てられ、駅で泣く僕の夢。
忘れたくて、忘れようとしていたものがまるで親に縋り付く子供、もう一人の僕のようにまとわり付いて離れなかった。
そして僕から下がった分のシンクロ率を吸い上げるように、ただでさえ高かったアスカのシンクロ率は木に登る猿のようにスルスルと上がっていった。
だからだろうか? アスカの機嫌は頗るよくなった。普段ならば彼女の機嫌が良いという事は喜ばしい自称なのだが、僕にとってはそれがマイナスの方向へ向いてしまった。
彼女は自分の機嫌がよくなるのに比例して、僕の事を街での買い物や公園へ連れ出すようになった。
先の一日のように。






593: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:34:34 ID:???

僕としては極力外界からの刺激を減らし、部屋の中でジッとシンクロ率の回復を待ちたかったのだが、アスカは僕の事をソッとして置いてくれない。
そりゃアスカは楽しいだろうが、気晴らしや荷物運びなど召し使いのように連れ回される側になってみれば憂鬱なだけだ。
僕が「今日は家に居たいんだけど……。」と言っても、アスカは「アンタバカァ? こんな美少女と一緒に歩けるっていうのに、ぶちぶち文句言うんじゃないわよ!」と満面の笑みで言って、決して取り合ってはくれなかった。
荷物運びなんて、アスカなら手頃なヤツが斬って捨てるほどよってくるだろうに、何故僕でなければならないのだろう? まったく分からなかった。
そしてアスカは僕の、やっと出来た最初の友達を殺し掛け、一生残る傷を負わせた。



その日は透けるほどにまっさらな青空で、大きな入道雲がぽっかりと浮かんでいた。
ミサトさんもリツコさんも出張、そして鈴原トウジも居なかった。
そして僕は学校でネルフに呼び出され、出撃した。
その日、シンクロ率の低下していた僕が様子見の前衛で綾波が中堅、そしてシンクロ率が順調に上がっていたアスカが、主力である後衛だった。
僕は今でも、どうしようもない後悔をしている。なぜシンクロ率が下がってしまったのか、と。
その日はいつもと違う事がいくつかあった。
命令をしていたのはミサトさんではなく父さんで、尚且つ敵はエヴァだった。
不審に思った僕は、通信を使ってアスカにパイロットの事を尋ねてみたが、彼女は一向に教えてはくれなかった。
知っていた筈なのに。

僕はバズーカを手に、小山の裾野に控えていた。
汗の滲む両手でイグニッションレバーを握り締め、緊張する。
僕がそうして体の底から湧く震えをその体で実感していると、両手をダラリと垂らしたエヴァが、夕日を背にしてこちらへ向かってくる影が見えた。
ノソリノソリと、ゆっくりと。
僕は緊張しつつ、銃口を敵に向けるとしっかりと狙いを付け、射程に敵が入るまでジッとしていた。
するとエヴァはグルリと顔を僕に向けた。その瞬間。



594: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:37:26 ID:???

エヴァの右手がその先を擡げ、何をするのかと見ていると、突然その手がゴムのように伸びてあっというまに僕の頚を捕えた。
恐ろしい力で頚が絞め上げられ、気管が圧迫されて呼吸がきつくなる。
手に力が入らず、バスーカを持っていられない。
段々とボンヤリとして落ちていく意識の中、アスカの悲鳴が聞こえた。
僕の名も聞こえたが、なぜわざわざ僕の名前を呼んだのか、その理由を考えている余裕はなかった。
薄く目を開けると、エヴァはその伸縮自在らしい腕を縮めながらもう僕の傍まで来ていて、次の瞬間には僕の体は山の斜面に倒されていた。
エヴァは僕に馬乗りになって、延びていなかったもう片方の手も使って更に首をきつく絞め上げた。
初号機の頚と僕の首が悲鳴を上げる。ギシギシと装甲が軋むような不快音も聞こえる。
もう少しで意識が飛ぶ。そう思った時だった。
首の苦しさが消え、呼吸が楽になる。思わず首を押さえて蹲り、激しく噎た。
目を開けて見ると、そこにいたのはスマッシュホークを手にしたアスカだった。赤い弐号機のボディに、夕日が反射している。
目を横に向けると、そこには鮮血を迸らせる腹の傷を押さえて蹲り、恨めしそうに眼光鋭くアスカを睨むエヴァがいた。
「大丈夫!? シンジ!」
アスカから通信が入り、ディスプレイにアスカの顔が四角い枠に表示された。
僕はその画面に向かって無事だと軽く頷いた。
通信はすぐに切れる。
しかし切れ際に、聞こえるはずのないアスカの「ごめん。」と言う声が聞こえた。
そしてアスカは使徒を倒し、トウジを殺しかけた。




595: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:39:30 ID:???



僕は病室のベッドに寝ていた。
しばらく僕が何故ここにいたのかよく分からなかったが、すぐにその理由を思い出した。そうだ、僕は錯乱――ある意味では反乱――してアスカと弐号機を攻撃し、遠隔操作で父さんに気絶させられたのだった。
やおら記憶が蘇る。
アスカはスマッシュホークで3号機、トウジをエントリープラグごと攻撃して使徒を倒した。
スマッシュホークの衝撃で、使徒の侵食で腐った背後のカバーからエントリープラグが飛び出し、段差になった道路にまともに衝突した。
そして無惨にそれはひしゃげ、中から人影が見えた。そしてパイロットの顔は紛れもなく……。
痙攣するように、体が震える。激しい頭痛を感じる。
頭が割れるような強烈で激しい頭痛が、僕の無力を苛む。僕はベッドの上で蹲り、頭を抱えて痛みに耐えた。
「シンジ……。」
入り口の方向から女の声が聞こえる。
それは彼女には似合わない、水底から浮き上がるように静かで、僕みたいに機嫌を伺うような声だった。
僕は折り込んだ膝の間から、そこに埋めていた首を少し擡げてアスカを見た。
アスカは一中の制服を着て、バッグを両手に提げて立っていた。
敢えて言うなら、アスカは運が悪かった。
もしこれが目覚めた後、頭痛に堪えている時でなければ幾分マシだった筈だ。
そう、僕はその時、僕自身の憤り、怒りをぶつける相手を見つけたのだ。
「なにしに来たの?」
沸々と湧く怒りを出来るだけ抑え、感情を込めずに俯いて言った。
アスカは柄にもなく頬を掻いたり、俯いたりバッグを持つ手元を蠢かしたりして口篭っていたが、やがて吃りながらも口をきいた。
「あ、あの……早く元気になりなさいよ……。い、家でご飯作ったり洗濯したり……アタシの話し相手になるの……アンタしかいないんだから……。」
つまり家政婦ってこと?
それになんの謝罪もないのか。人の友人を殺しかけておいて?



596: ◆8CG3/fgH3E 2007/10/22(月) 16:41:58 ID:???

余計に頭痛が酷くなる。
「それに鈴原があんな風になったのはアンタのせいじゃないし……。」
そうだ。僕のせいじゃない……。
アスカのせいじゃないか。
「だから……。」
僕はアスカのその顔を見て、トウジのことで糾弾するのをやめた。冷静に考えて、どうせ僕にはそんな復讐する度胸も無いし、他人を傷付ける事も出来っこないのだから。
しかし、こんな僕でも他人を憎む事くらいは出来る。
「心配してくれてありがとう。でも、もういいよ。」
なかば面倒くさくなり、アスカを追い返そうと冷たい声をかけた。
アスカは何か言い掛けるように口を開いたが、結局なにも言葉を発する事はなく、後ろ髪を引かれるように名残惜しげに病室を出ていった。

アスカの消え、寂しくなった病室で僕は一人溜め息を吐いた。
アスカが憎くて堪らない。
僕を召し使いか何かと勘違いしているようにこき使い、疲弊させ、 シ ン ク ロ 率 を 奪 い 、 挙げ句にやっと出来た友達を僕の手の中から奪っていった。
憎くてたまらない。
僕を動かせなくした父さんが憎い。
だけど、トウジをあんなにしたアスカが一番憎い。
僕は病室の皺がれたベッドの上で、栓の壊れたポンプみたいに泣いた。膝を抱えて幼児のように、日が暮れて月が夜を知らせ、眠りが僕を深い谷の底へ引き込むまで。ずっとずっと。





658: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:21:31 ID:???

     2
     再び


僕はミサトさんと別れを済ますと、すぐ側に停車して僕を待っていた黒く光る車に乗り込み、黒服の運転でモノレールの駅へ向かった。
流れる街の風景を眺めながら、ミサトさんへ去りがけに告げた言葉を思い出す。
「アスカに伝えてください。」
ミサトさんはその時、怪訝そうな顔をしていた。
「アスカに伝えて下さい。『僕は君を憎みつづける。』って。」

我ながら陰湿な仕打ちだと思う。アスカには直接会わずに憎しみを伝え、暗にこれからもその憎しみを糧として生きると宣言した。
思わず、平生の僕には似合わない陰湿な笑みが漏れる。
その上に、一通の“ラブレター”をアスカの部屋の襖に挟んできた。その書面には、如何にアスカが僕に対して酷い仕打をしてきたか書いてある。直接にはとてもじゃないが言えないし、二度とは会うつもりもなかった。
あのアスカに効くとは到底思えないけれども、無いよりはましだろう。
駅が見えてくる。もうすぐこの街ともお別れと思うと、清々とすらした。
しかし雲行が怪しくなる。気持ちが既に決まっていると言うのに、前部座席の黒服二人が騒がしくなったかと思うと、車が突然駅側のロータリーでUターンし、来た道を引き返し始めた。
「なんで引き返すんですか!」
僕は抗議の声を上げたが、黒服はまったく取り合わずに淡々と感情のない声で告げた。
「使徒が現れた。君の解任は不許可になった。これより引き返す。」
なぜ今頃引き返さねばならないのか。僕は愕然とし、震えた。
時間から言って、アスカは僕の残した例の手紙を読んだ筈だ。今から戻るなんて冗談ではない。逃げ出したくなるが、それは出来ない相談だった。
「僕はもうエヴァには乗らないって決めたんだ!」
黒服はもう一言も喋らなかった。
やがて僕は喚き疲れて車のシートに体を埋め、頭を抱えた。


659: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:33:28 ID:???

そうして僕は、またエヴァに乗った。しかしこの本部への帰りがけに見た光景で、いくぶん気分がいい。
無様に両手頭を切り取られて、血をダラダラと垂れ流しながら棒のように立ち尽くす弐号機。爽快だ。きっとこれはトウジにアスカがしたことの報いだ。
普段の僕ならそんなことは思えないが、今僕の精神状態は――自分で言うのもなんだが――かなり不安定でおかしいと思うので、問題ない。
父さんに直訴して乗せてもらうっていうのも気に触るけど、仕方がない。この際なんでもいいじゃないか。ケイジの拘束具が外れる。しばらく歩くと目の前には今まさに下に降りて行こうとする使徒の姿。僕は何も武器を持たず突進した。

◇報告書

 エヴァ初号機は暴走、第十四使徒を捕食したエヴァンゲリオン初号機の専属パイロット碇シンジは、現在乗機内に取り込まれ、赤木リツコ博士を筆頭とする技術部は総力を上げてサルヴェージ計画が進行中である。



ここはどこだろう……。
エヴァ? ミサトさん、綾波、アスカ。僕の世界? 狭いんだな……。
優しくしてる? ウソだ。アスカ……優しくなんかない。
「優しくしてるわよ。」
とミサトさん、アスカ、綾波が言った。
「優しくなんてない。」
アスカなんて嫌いだ。もう戻りたくない。



「シンジ。」
母さん?
「僕はここにいていいの?」
行きたい。母さんの所へ行きたい。ここに居たい。でも。
「どこだって天国になるわ。」
足が動かない。香りがする。いい香りだ。誰だろう? 会ってみたい。僕は、一向に母さんへ進まなかった足を、海原の向こうへ向けた。

660: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:50:12 ID:???

     3
     アスカの日記


○月×日


今日日本に着いた。
ホントにふざけんじゃないと言いたい! 加持サンはアタシに見向きもしないし、それどころか初めて会ったサードチルドレンは情けなくて意気地無しで、しかも無意味にアタシの母性本能をくすぐりやがる。
それにあの中性的な顔だち! これまでアタシの周りにまったくいなかったタイプだ。それにルックスは悪いどころかAあげてもいいぐらい。それに強気のアタシと組めばちょうどよくなりそうな弱気具合い。ある意味釣り合いが――って何書いてんのよアタシは……。
万年筆で書かなきゃ良かった……。


△月□日

未だにアタシの頭は混乱のきわみだ。
日記をつける気分ではないのだけれど、気持ちの整理をつけるために事の一部始終をここに記したいと思う。
なにから書いたらよいのか分からないので、結論から書く。
使徒に負けて、碇シンジと同居することになった。
もちろんアタシは断固拒否した。だけどミサトに「作戦上必要だ」なんて言われたら断れる訳がない!
そうしてアタシは仕方なしに渋々承諾した。
まぁバカシンジの部屋はトーゼンアタシが頂いた。ところが! 荷物が半分も入らない!
なんでこんな狭い部屋に住まなきゃならないのよ。あ~ホント! 日本なんて嫌いだ。




661: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:51:44 ID:???

い月は日

もうムカツク! ホントにシンジはドンクサイったらありゃしない! 前にA評価なんていったけどありゃ撤回する! C評価に降格することにした!
そりゃあんまりじゃないかと言われそうだけど、フザケるなと言いたい! これでも一中のヤツらの中では最高評価なのだから。
アイツったら、楽器やってたみたいに音感だけはいいんだけど、運動神経がまるでナシ。アタシのダンスとなんテンポも遅れているし、何度も転んでアタシの足を引っ張る。
ホントにいい加減にして欲しい。
大体、なんでこんなショボイ男が使徒を三体も倒せたのかまったくわからない。なんかの間違いじゃない?


●月■日

決戦日はいよいよ明日。流石にシンジも様になってきた。完璧とはいかないケド。
まあ太平洋艦隊の戦いの時に、アイツは本番に力を出すヤツだって分かったから、きっとなんとかなると思う。うん、きっと大丈夫。もししくじりやがったらシメてやることにする!
と言うわけでアタシはもう寝ることにする。
Gute nacht Mama.


朝起きたら、アタシはシンジの布団で寝ていた。
何故だろう……?


▽月△日

今日アタシは死に掛けた……。シンジやミサトには何も言わなかったけど、実はさっきになって体が震え始めたところ。
火山に飛込むなんてバカな作戦立てたヤツは誰かしら。まったく……。
不本意なんだけど、アタシを助けてくれたのはシンジだった。
認めるわ、シンジ、アンタはA-に昇格させてあげる。
だけどすぐに借りを返さないことにはアタシのプライドが許さない!
だけどすぐにシンジはC評価にしてやる。

662: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:53:18 ID:???

◎月〇日

やばい、じつにやばい。そりゃシンジに借りは返したし、シンクロ率も断トツトップ←ここ重要! だし、シンジと毎日のように遊びに出掛けて楽しいのたけれど……。
あの浅間山で助けてもらった夜から、いつもシンジの事ばかり見てる。加持さんの居場所が、アタシの中から消えていってる。前より電話の数も少なくなってしまって、シンジと遊ぶ程、顔を見る機会も極端に少なくなってしまった。
加持さんはアタシにとってそれだけの存在だったの……?
シンジの影がアタシの中でどんどん大きくなっていく。
それに今日、アタシはシンジにファーストキスを捧げてしまった。アタシ自身はあんなヤツ好きじゃないって信じてるけど、心がホワっと暖かくなって今までに経験しなかった心地良さを、アイツの側にいると感じてしまう。
それにキスの後急に恥ずかしくなって思わず洗面所に逃げ込んでしまった。ホントに、アタシらしくない。
シンジはアタシにとって特別なのだろうか……?


□月■日

どうしたらいいのか解らない。
アタシは取り返しのつかないことをしてしまった。
鈴原の片足を奪ってしまった。
何年も訓練してきたけど、親友の、ヒカリの好きな人を傷付けた時にどうしたらいいのかなんて、誰も教えてはくれなかった。
アタシの心が、らしくない後悔で一杯になってしまう。
家に帰ってから、アタシはもうどうしていいのか分からなかった。
家にシンジはいなかった。
部屋を覗くと、荷物は全部ダンボールに詰められていて、まるで引っ越しのようだった。
台所の食器とか調理器具は、不審なくらい丁寧に片付けられていて、嫌味なくらい詳細に家事のノウハウが紙に書かれて冷蔵庫に貼ってあった。洗濯の仕方やあるコロッケや肉じゃがなど程度の料理のレシピ。
掃除の重点区域とか安いスーパーの場所まで、それこそ重箱の隅をつつくぐらい細かく。
自分の部屋に戻ると、置き手紙があった。


663: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/01(木) 19:55:35 ID:???

アタシはその手紙をさっき読み終わったところだ。
涙が止まらない。泣かないって決めたはずなのに、日記の紙面も涙で歪んでよく見えない。
思い出すのも辛いのだけれど、一応のあらすじを書いておく。じゃないと真正面からこのことを受け止められそうにないから。シンジは、不本意ながらもアタシの心で重要な位置を占めていたから。
手紙の書き出しはアタシへの恨みつらみだった。シンジはアタシとの関係をただの召し使いとご主人様の関係に思っていて、アタシはシンクロ率で目立って、シンジの上げた戦績を埋めさせてシンジの居場所を奪い、挙げ句に鈴原のことを傷付けさせた。
まるで逆恨みのように書かれていた。
その手紙を読んでやっとわかった。全てはアタシの思い込みで、シンジはアタシのことをただの傲慢な女だと思ってたんだ。
バカみたい。
一人で悩んで、一人でシンジのことを大切な位置につけたりして。
ホンット、バッカみたい。アタシ。

いま携帯が鳴った。
使徒が来たらしい。
はぁ、なんかヤル気なくなっちゃった。心になんか大きな穴が空いたみたい……。もうどうでもいいかな……。


●月△日

シンジがエヴァに取り込まれて三日が経った。
突然だけど今日からしばらく日記をつけるのを止めようと思う。
五日かそれ以上、ちょっと遠くまで行こうと思い立ったの。
本当は第三から離れられる状況ではないのだけど、何故かあっさりと許可が下りたのよ。使徒がしばらくこないとが分かっているみたいに。
と言うことでみんなとも――といっても誰にこの日記を見せる気は無いのだけれど――お別れ。
Bis bald!



アスカの日記はここで途切れていた。

684: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 16:56:31 ID:???

     4
     謝罪


目が醒める。
やはりそこは白くて最近やっと知り合ったばかりの天井だった。
ピッピッと生命維持装置の電子音と、アルコール消毒液の鼻を突く匂い。
首を傾けてみるとそこにはカレンダーが掛けてあって、それは僕が無理矢理エヴァに押し込められてから一ヶ月近くか、それ以上経っていることを示していた。

ボストンバッグを肩にぶら下げて病院から出ると、正面の道端にアルピーヌA110が停めてあった。ミサトさんはその車にもたれていたが、僕の姿を認めると体を車から離して片手を上げた。
僕もミサトさんに倣って片手を上げて挨拶すると、車に駆け寄ってボストンバッグを肩から下ろした。
「お久しぶりですね、ミサトさん。」
と僕は軽く微笑みながら言った。
しかしミサトさんは無言のまま、冷たく車の助手席を開けて乗るように促し、僕は素直に従った。
僕の乗り込んだ助手席を閉めたミサトさんは、運転席に座るとキーを回してエンジンをスタートさせた。
ガチガチとギアレバーを動かし、クラッチペダルをゆっくり開放させてギアを噛ませると、アルピーヌは見事なくらいゆっくりとスタートした。
本部病院の敷地内を出てジオフロントから地上に出たアルピーヌは、いくつかの見慣れた角を曲がり、直進し、結局僕が予想した通りの場所に辿り着いた。
アルピーヌはコンフォート17の正面玄関前で停車した。ミサトさんはサイドブレーキレバーを引き起こし、ステアリングから手を離すと僕に向き直り、ただ一言降りるようにと言った。
「あんまりここには戻りたくないんですけど……。」
「分かってる。アスカの事でしょう?」
ミサトさんはサングラスを外して、未だに助手席に座る僕の顔をジッと見た。図星だった。
「いやなの?」
「……いやですね。」
と僕が言うと、ミサトさんは溜め息を一つ吐いて、ステアリングに再び両手を置いた。
「貴方がアスカを嫌っているのは分かる。それが鈴原君の事が原因だと言うのもね。」
ミサトさんは諭すように言ってくれるが、僕はミサトさんの顔も見ないし、声も出さない。僕が何も喋ろうとしないのを見ると、また一つ深い溜め息を吐いて諦めたようにかぶりを振った。

685: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 16:58:56 ID:???

「いいわ、そうじゃないかと思ってた。家に入りなさい。アスカはもう部屋を引き払ったから。」
とミサトさんは言った。
いないのか、アスカは。
僕は荷物を持ち、やっと車を降りた。まるで駄駄っ児のようだなと少々恥ずかしくもなるが、それはあまり後を引かずに霧散した。
僕は形式だけの挨拶をミサトさんと交してコンフォート17へ入り、部屋へ向かった。
部屋は一ヶ月前とは何一つ変わってはいなかった。アスカがいないこと以外は。

玄関からはアスカの靴は消えていた。部屋の前からは拙い筆跡で書かれた立ち入り禁止の札は外され、代わりに僕の部屋を示す札が架けられていた。
家の中は驚くほど綺麗に整頓されていて、帰ってきて早々の掃除にならなかった事に心中でほっとした。
ダイニングに入り、ふと時計を見てみると時刻は既に正午近く、腹も減っていたのでとりあえず昼食を作る事にした。
ボストンバッグをダイニングテーブルの側に置くと、冷蔵庫を物色する。中にはそれなりの食材が入っていたが、僕はその中から葱とほうれん草、豚肉を取り出して調理台に置いた。
キッチンキャビネットからインスタントラーメンを取り出して他の食材と一緒に調理台へ置く。その隣のキャビネットから鍋を取りだし、それに水を入れて沸騰させる。
せっかく退院したのにインスタント麺なんてどうかと思ったが、まともな料理をする気が起きないのだから仕方がないし、野菜や豚肉をプラスするのだから栄養面でもまあいいだろう。
煮立った鍋に乾麺を投入し、煮込む。ある程度柔らかくなるまで、僕はダイニングチェアを引っ張り出して座り、目を閉じて口笛を吹いた。
しばらく自分の吹いている曲が何か分からなかったが、前半を一吹きしたところで思い出した。そうだ、これはユニゾン訓練の時使った曲だ。そう、あの時はアスカが寝惚けて僕の寝床に入り込み、僕は危うくキスをしてしまうところだった。
少しの後悔が頭をよぎる。どうせならあの時、アスカにキスしとけば良かったかな……。僕は口笛を吹くのを止め、目を開いた。
でも……嫌いだ、あんなヤツ。
調理台の方に目をやると、コンロの上ではグツグツと麺が湯だっていた。



686: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:01:29 ID:???

僕はダイニングチェアから腰を上げ、菜箸を箸立てから取って麺を一本掬い口に運ぶ。
目を瞑っていた時間はそれほど長く感じなかったが、物理的には短く無かったようで、茹で上がったそれはすっかり伸びきって不味くなっていた。
僕はそれを生ゴミの袋に捨て、ラーメンに入れる筈だった食材を冷蔵庫にしまった。
食べる物が無くなる。冷蔵庫を開けたまま中を眺めていたが、改めて探してみると結局惣菜のサラダと作り置きのコロッケが見付かったので、それをダイニングテーブルに置き、ご飯を茶碗に座って昼食を済ませた。
 コ ロ ッ ケ ?
なぜ冷蔵庫の中に、ラップのかけられた手作りのコロッケがあるんだ?
僕はダイニングチェアに座りながら、目の前に置かれたコロッケの残滓がこびりついた皿を眺めてなかば自失していた。
僕は前に作った残り物の腐ったコロッケを食べたのか? いや違う、味もなんとも無かったし一ヶ月前にも作った覚えがない。
このコロッケは誰が作ったんだ? ミサトさん? いやミサトさんが作れる筈がない。ではアスカ? いやアスカだって作れる訳がないじゃないか。
僕と暮らしている間、彼女は一度もキッチンなんて立たなかったんだから。
惣菜だろうか? だが味はどこか特徴があって、惣菜のような平坦な味ではなかった。
考えても考えても、誰の顔も浮かばない。
僕はやがて考える事に疲れて、椅子の背もたれに体を預けて天井を仰いだ。
そうしてただ天井を見ていると、段々いろんな事がどうでもよくなってきた。
僕はコロッケの残滓が残る皿と、惣菜のサラダが入っていたプラスチック容器をシンクに放り込んで、床に置いていたボストンバッグを担いだ。
自室への復活を遂げた部屋の扉を開け、中に入るとボストンバッグを置き、ベッドに寝転んだ。
誰もいないんだ。
この家には 誰 も い な い 。





687: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:02:54 ID:???



一週間が過ぎた。
何も無かった。無さすぎるほどになかった。
家の中は静まり返り、聞こえるのは僕自身の息遣いか咳払いか衣擦れの音だけだ。
ベッドの中から時計を見る。午前十時だった。外からは雨が地面を打つ音が聞こえる。
僕はベッドから抜け出し、洗面所で顔を洗って歯を磨いきうがいをし、キッチンに向かって冷蔵庫から牛乳を取り出して飲み、空になったそれをシンクに置いてリビングに入った。
テーブルの前に腰を下ろそうと屈むと、どこからか僕の携帯の呼び出し音が耳に入る。ボストンバッグの中に置き忘れたのか退院の日に着ていた服かと思ったが、一ヶ月前のネルフ脱退騒動の時に保安部へ返したのを思い出した。
僕はリビングの隅々から、自室や玄関までそれこそ虱潰しに探してみたが、一向にその殆んど使われた事のない真新しい携帯は見付からなかった。
もう一度リビングを探していると、一ヶ所だけ探していない場所があるのに気付く。僕が前に使っていた物置部屋だ。
戸に近付いてみると、やはり鳴る筈のない携帯の呼び出し音が、戸を境に多少くぐもって聞こえる。
戸を少し開けると、僕の耳に入るその音は少しクリアになった。
戸を半分まで開き、部屋に入って中を見回してみる。
そこには、荷物の入っているであろうダンボールや机が置かれ、まだ一ヶ月も経っていないというのに、それらには既に埃がうっすらと積もり胡散臭い雰囲気と重苦しい空気を漂わせていた。
机?
なんでここに机なんかがあるんだ? ミサトさんは使っている。僕の机だって部屋にある。じゃあこの机は誰の机なんだ?
携帯の呼び出し音は机から鳴っていた。僕は机に近寄って机上の携帯を取り、そこにある何かを確かめるように机の表面を撫でた。それは紛れもなく、アスカが使っていた机だった。
携帯の通話ボタンを押す。
「はい、もしもし……。」
通話の相手はミサトさんだった。



688: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:05:22 ID:???

「あ、シンジ君?」
「なんですか?」
「いや、なにって訳じゃないんだけどね……。携帯がちゃんとシンジ君の手元に戻っているか気になってね。確かアスカが自分からシンジ君に渡すって言ってたのを思い出して……。」
「アスカが?」
「そうよ。その様子だと一応あなたに渡ってたみたいね。安心したわ。これからは特に予断を許さないから、携帯は肌身離さず持ち歩いてて頂戴ね。」
とミサトさんは言って一方的に電話を切った。
アスカが僕に渡すと言っていたって? なぜ? あれから僕とアスカは一言も喋るどころか顔を合わせていなかった。
しかし顔を合わせることぐらいは出来た筈だ――それも、僕の意思を無視して。しかし彼女はそうはしなかった。なぜか?
机上をもう一度良く見てみると、そこには最初見た時には気付かなかった封筒があった。
それは横書き用の、横に長い封筒だった。
心臓の、血液を送り出す音が、耳の奥で僕の脳を刺激する。僕の鼓動が体の芯まで響く。
封筒の口は蝋で封印がされ、『シンジへ』と宛名が書いてあり、裏には『アスカ』と差出人の名前が小さく書かれていた。
蝋の封印を外し、中身を取り出す。入っていたのは一枚の便箋だけだった。
『ごめんなさい』
手紙には、それだけが書かれてあった。
僕は震える両手で手紙を封筒に戻し、本来あった所に置き直した。



僕が物置部屋から出ると、ポケットに捩じ込んだ携帯が鳴った。電話の主はまたミサトさんだった。
僕はポケットから携帯を取り、通話ボタンを押して耳に近付けた。僕はその電話でミサトさんに、使徒が襲来した事を告げられた。
僕が外に出ると、コンフォートの前には保安部の黒い車が停車していて、保安部の黒服が待っていた。僕は促される前に車へ乗り込み、黒服の運転でネルフへ向かった。
ネルフ本部に着いた僕は誰とも会話することなく、更衣室でプラグスーツに着替えてケイジへ入った。
一週間振りにエヴァに乗った僕は、随分久し振りに感じるエントリープラグの匂いを鼻孔一杯に吸い込み、その後に流し込まれたL,C,Lを肺へ取り入れた。

689: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:06:55 ID:???

アスカの弐号機を見る。それはいつもと変わらず、そこにいて出撃を待っていた。当然アスカの顔は見えない。
ミサトさんから通信が入る。
「シンジ君。悪いけど今回は貴方の出撃は無いわ。」
「どうして……ですか?」
「いま初号機はS2機関を搭載しているからよ。凍結されているの。」
通信が切れ、エントリープラグを沈黙が支配するが、完全な沈黙ではない。外から発進シークエンスの類の音や機械音が聞こえる。
僕は溜め息を吐いてシートに体を沈めた。
まあいい。休めるんじゃないか。使徒はアスカと綾波に任せよう。
僕は右腕で両目を覆い、息を吐いた。



アスカの悲鳴が聞こえ、心臓がその悲痛な叫びを受けて不意に軋む。必死で父さんに僕を出すように言い、ミサトさんに懇願するが、一向に事態は良くならず僕の手に余った。
使徒の可視光線に犯されて苦しげに喘ぐアスカが、一言だけ僕の名前を呼んだ。だがそれだけだった。
公開されていた通信が切られ、僕とアスカを結ぶ紐は無残にも引きちぎられた。
やがて綾波が得体の知れぬ槍を持って出撃し、使徒を殲滅した。
僕は、アスカがエントリープラグから下ろされて病院送りになるところまで、その一部始終をただ黙って眺めていた。

結局、僕は何も出来ないままエントリープラグから降りるしか無かった。
僕は更衣室に戻り、帰り支度を始める。さっきの事を、着替えながら改めて考えてみると僕の思った事が酷く矛盾しているように思えた。
僕は確かに何かをしたかったと言う風に考え、現に父さんやミサトさんに出撃させてくれるように懇願した。
なぜ? なんで僕は憎んでいるアスカを助けようと思ったんだろう?
僕はそれについて、シャワーを浴びるときまでも理由を探し続けたが、結局その答えは見付からなかった。


690: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:08:55 ID:???



僕が制服に着替えて廊下に出ると、そこにはネルフの制服を着たミサトさんが真剣な面持ちで僕が出てくるのを待っていた。
「どうしたんですか? 何か用ですか?」
と僕が尋ねるとミサトさんは「ええ、チョッチね。」と独特の言い回しで用があると告げた。
さらに僕が何かと訊くと、ミサトさんは来て欲しいと言って僕の腕を掴んだ。僕の腕を捕まえたミサトさんは医療区域へと僕を連れて行く。
僕はささやかな抗議と目的地を設問したが、ミサトさんはほとんど取り合わない。十分ほど歩き、ようやくミサトさんが立ち止まる。
医療区域に向かった時点で既になにか嫌な雲行ではあったが、結局その悪い予感は当たっていた。
立ち止まった場所はとある普通の病室。303号室、名札には『惣流・アスカ・ラングレー』と書かれていた。
「ここにはアスカが入院しているわ。」
僕はハッとして振り返る。ミサトさんは僕の背後に立ち、逃げる事の出来ないようにしていた。
「ノックして。」
抵抗するのは無駄だと解っていた。僕は二度三度、病室の無機質な扉をノックする。帰ってくる答えはなく、静寂だけが漂った。
このまま病室の前から逃げてしまいたかった。もしかして、ミサトさんに止まるよう言われて腕などを捕まれても、喚けば見逃してくれるかもしれない。
しかし僕は知らず知らずのうちに「逃げちゃ駄目だ。」と心中で呟き、リノリウムの床の上に残留していた。まるで裸山にポツンとしぶとく残る枯れ木のように。
その姿がしぶっているように見えたのだろう、ミサトさんは立ち竦む僕をしり目にドアノブを回し、扉を開けた。
病室内の白い壁と大口の窓、そして電源の切れた見慣れて久しい生命維持装置とベッド。
アスカはそのベッドの上に蹲っていた。彼女はシーツを体に纏い、膝を抱えて顔をそこに埋めていた。
「アスカ? 大丈夫?」
とミサトさんは言い、僕を病室内へ手招きした。
「大丈夫な訳ないでしょ……?」
それは酷く疲れたような、擦れた声だった。
「それもそうね。」
僕は黙って病室の敷居を跨いだ。僕の姿は見えていないようだ。
「なんの用よ?」
微かにアスカが動き、衣擦れの音が聞こえた。



691: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:10:09 ID:???

「会わせたい人がいるのよ。お見舞いがてらね。」
それが僕の事であると言う事は即座に分かった。ミサトさんはちらりと僕を見た。
「イヤよ。」
とアスカが言った。
ミサトさんは驚いたような目でアスカを見た。
「なぜかしら?」
「シンジとは会いたくない。」
きっぱりと、それは絶対に無いのだと断定した口調でアスカが言った。ミサトさんは黙りこくり、俯いて頭を人差し指でカリカリ掻きながらしばらく考えていが、やがて顔を上げた。
「分かった。行くわよシンジ君。」
僕の名前が響き、アスカの耳に入ると彼女の肩が強張ったように見えた。僕はそれに黙って従い、部屋を出た。

それが僕の一ヶ月と一週間振りに目にしたアスカの姿だった。



目が覚める。暗い、ひたすら暗い。枕元の時計を見ると時刻はまだ三時、早朝の三時だった。
「なんだよ……こんな時間に……。」
掌で目を擦り、時計を置く。玄関の方からチャイムの耳障りな電子音が鳴り響き、僕の耳朶を打った。眠りの阻害の主はそれだった。
僕は眠り眼のまま、呆けた体を引きずって玄関へ出るとドアのロックとチェーンを外してドアを開けた。
「こんな時間にどちら様ですか?」
と言おうとしたが、僕の口からは空気しか漏れなかった。僕の口は壊れたポンプのように空気だけを吐き出した。
最初に口をきいたのは、僕ではなく彼の方だった。
「よっ、センセ! ご無沙汰やったなぁ! なんや黙りこくってからに、パクパクしよって鯉みたいやぞ!」
「トウジ……。」
「やっと喋ったのがそれかいな……。ま、立ち話もなんやし、お邪魔するで。」
その場にいる筈のない鈴原トウジは、僕の意思を聞くこともなく敷居を跨ぎ、かつてのように変わらない所作で振る舞い、僕の横を通り抜けた。一つ、違うものがあるとすれば、彼には片足がないと言う事だけだった。


692: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:11:28 ID:???

銀色の目立つステンレス製の松葉杖を突いたトウジは、僕を後ろに従える形で部屋の中へ推し進む。
「惣流はどこや?」
トウジはリビングの入り口で振り向く。
「おらんのか?」
トウジの視線が僕を鋭く貫き、覚えのない罪悪感を掻き立てる。僕はゆっくりと首を振った。
「なんでや。」
とトウジは僕を責めるような口調で言った。
僕が黙ったままそこにつっ立っていると、彼は一つ溜め息を吐き、カーペットの上に座った。
「座れや。」
僕はトウジのテーブル向かいに座った。
傍らに松葉杖が置かれる。
「大丈夫なの?」
「ん……ああ、これか。」
とトウジは言い、左足の切断されたであろう場所を二度叩いて撫でる。
「なんでもあらへん。今はぎょうさん立派な義足があるさかい。すぐ歩けるようになるて病院の先生も言っとったがな。」
そう言うとトウジは快活そうに笑った。
「病院……抜け出して来たの?」
「おう、意外と難儀せなんだわ! 病院の看護士はん達出し抜く程度なんでもあらへん。」
「よくここまで来れたね……。」
僕は、トウジの入院した病院の場所を松代だと聞かされていた。
トウジはここまでの旅路を話してくれる。
彼は病院を抜け出したあと、親の財布からくすねた金――2000円程度――で電車に乗り、道中安い弁当や公園の水道などで空腹を満たしてやっと甲府まで辿り着くと、そこに住んでいる年上の友人に頼み、車でここまで送って貰ったのだと言った。
「大変、だったんだね。」
「なんも……大変な事なんてあらへん。センセが間違った事しとらんか気になったからやし……。ま、悪い予感は当たったけどな。」
とトウジは言って、座り心地が悪そうに体勢を変えた。
「悪い……予感?」
僕がそう言うと、トウジはしまったと言う風に自らの頭を叩いてポリポリと掻き「そうやそうや、肝心な事うっかり忘れとったわ。」と言った。

693: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:13:24 ID:???

「おのれ、惣流ん事恨んどるやろ?」
とトウジの言った瞬間に僕の五体は、指先から真の髄までもがまるで氷水に浸けられたようにひやっと冷たくなった。
「な……だ、だからなんなのさ……だってあいつはトウジの足を……。」
と僕は吃りながら呟くように言うと、トウジの目線を避けて俯いた。
「それはセンセが気にしたり、恨んだりする事やない。」
それは妙に冷めた、トウジには到底似合わない口調の言いだった。
僕ははっと俯いていた顔をあるべき正常な場所へ戻し、トウジの顔を見た。彼の目線は明らかに僕を責めている。人と触れ合う事の乏しく、相手の心境を推し図る経験のなかった僕でも、何故だかそれが分かった。
「惣流な……ワシのとこに来たんや。」
その言葉を脳内で言語として認識した僕は「え!」と驚きの声をあげ、訝むようにトウジを見た。
「んで、謝った。ワシや無いぞ! あの惣流がやぞ! あの惣流が、ワシの前で両手ついて謝りおったんや。」
俄かには信じられなかった。
「あいつの手、両手がな、肩とか、震えとった。おのれのプライドとと、必死になって殺りあってたんがワシにでもよう分かった。多分、あの髪の下じゃ歯ぁ食い縛ってたんやろな。隣にいた委員長も苦しそうにしとった。」
そこまで話してトウジは一息吐き、座る体勢を変えた。
「だけどな、ワシはなんも恨んどらんのや。それどころか感謝しとる……。」
「感謝……?」
と僕は顔を引き攣らせて言った。
「そうや、感謝や。そやな……考えてみい、もし……もしワシの事を惣流が止めてくれなんだら……。ワシは、ワシはセンセを殺してたかも知れん。」
「あ……。」
と僕は声を上げた。
「センセ殺すぐらいなら……それに比べたら足一本くらいなんともないわ。」
とトウジは言い、笑った。



トウジは帰っていった。
最期にこの三日間、第三に泊まる場所の住所と電話番号を手渡して。

694: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:19:33 ID:???

僕が早く帰らなくて良いのかと聞くと、
トウジは「しばらくこの町見てから帰りたいんや。最近はキナ臭い噂で出ていくヤツばかりやからな、妹にも家の様子伝えよ思うてな、
それに保安部の兄ちゃん達にワザと見付かれば、タダで松代まで送ってくれるかも知れんし。」と言って何でもないように笑った。
そして僕とトウジは別れた。
トウジを見送り、部屋に戻って渡された紙切れを見てみると、そこに書かれた住所はここから反対側の町中にある団地だった。
時計を見ると短針は四時のところを過ぎていて、僕は少し小腹が空いたのに気付く。しかし何故か食欲というものが湧かなかった。
僕はキッチンに入って薬缶に水を入れるとそれを沸かし、インスタントの珈琲を煎れて飲んだ。
不味いその黒い液体は喉を通って胃に落ち込み、多少の空腹を満たして喉を潤した。
一息つくと何もする事がないと気付く。
今から寝るのも難しかった。コーヒーではなく、ミルクでものんで置けば良かったと後悔する。
僕はしばらくダイニングテーブルの前で逡巡していたが、やがて思い立ったように自室へ向かい、久方振りにチェロをケースから取り出した。
手に取るのはアスカと苦い――と言っても本当に苦くはなく、むしろ甘かった――キスした日以来だと思い出す。
僕は軽くチェロ調弦し、一心不乱に知っている曲を弾いた。
バッハにベートーヴェン、そしてドヴォルザーク、果ては名もよく知らぬジャズの一節まで、自分のレパートリーを絞り尽すように。
実はチェロなんてもう二度と弾きたくなかったし、持ちたくもなかった。
しかし時間を潰し、朝の夜明けを待つには他にない。
つくづく自分の人間の薄さを思い知らされる。
チェロを弾いていると脳裏に様々な記憶が蘇り、頭の中を支配した。アスカにあの時掛けた言葉や、取った態度。
思えばアスカは、トウジに傷を負わせた後からかなりおかしくなっていた。
もしかすれば、僕が気絶された後に病室で言った言葉。あれはもしかして僕を慰める言葉だったのか? 僕の回復を願う言葉だったのか?
そう考えると僕の行ってきた行為全てが、まるで悪意に満ち満ちているように感ぜられ、一旦客観的視点から改めて見てみると、酷く子供染みて見えた。

695: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/04(日) 17:21:51 ID:???

しかし僕は最初のうち、その感情が何であるか分からなかった。
それに僕は、例えあのプライドの塊のようなアスカがトウジに謝り、そしてトウジがアスカを許せと言っても、とてもではないが許す気にはなれなかった。
僕はこれまであまり意地を張らずに生きてきた。預けられていた先生のところでも、「素直な子だね。」と言われた――もっとも、僕がなにを考えているかなんて分かってくれてはいなかっただろう――くらいだ。
しかし今回ばかりは、あの傍若無人なアスカを許せないと僕は思った。

金属の切れる音と共に演奏がいかれた。閉じていた瞼を上げてチェロを見てみる。チェロの弦は見事に全てが切れ、飛んでいた。
弦を押さえていた手が急に痛み出し、顔を思わず顰めて痛む指を見た。その指はチェロの切れた弦が跳ね、綺麗なほどに赤いミミズ腫れをつけていた。
僕は弦の切れて弾けなくなったチェロをケースにしまい、キッチンの水道で腫れたところを冷やした。
指を冷やしていると、ふと気付く。そうだ、あの感情は後悔だ。僕は後悔しているんだ。
蛇口を捻り水を止める。水道水で濡れて腫れた手をタオルで拭った。
でもなんで、僕は後悔しているんだろう?
リビングへ振り返り、テーブルに立掛けたチェロを手に取ると、リビングに開いた大きな窓を見た。いつの間にか夜は明けていた。
僕の見た部屋の中には、朝日の陽光が差し込み僕の体や部屋のカーペットを優しく暖めていた。




713: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/09(金) 18:32:16 ID:???

     5
     記憶と嫉妬と汚れ


その日の昼過ぎ、使徒が襲来した。
僕はトウジが帰った後、トーストを焼いてバターを塗って食べ、ミルクを飲んだ。それを片付けると僕はリビングでテレビをただぼんやりと見て、しばらくするとテーブルに突っ伏して眠ってしまっていた。
目が覚めて時計を見ると時刻は正午過ぎだった。
僕は切れた電源を再び入れたようにテーブルから身を起こし、何か腹に入れようと思ってキッチンへ向かった。
しかし特にお腹がすいていると言う事は無かったので、キャベツやキュウリをぶつ切りにしたものを皿に入れ、ドレッシングで和えてボソボソと食べた。
サラダを食べ終わると僕はその皿をシンクに運び、麦茶を冷蔵庫から取り出して飲んだ。
飲み終わり、コップをシンクに置いたところで携帯が鳴っている事に気付いた。
僕は自室に戻り、携帯を充電器から取って通話ボタンを押した。
「はい、もしもし……。」
「シンジ君?」
ミサトさんだった。
僕は使徒が襲来したと告げられた。携帯を切ると同時に警報が聞こえてきた。
僕は下へ降り、黒服の車に乗り込んだ。




僕はネルフに着くと前と同じ様に、誰とも口をきかずに更衣室に入った。僕はプラグスーツに着替え、ケイジに向かった。
いくら見回してもケイジにはアスカの姿は無かった。
僕は無意識の内にアスカの事を探す自分を見付ける。なんで、なんで恨ましい筈のアスカの事を僕は探していたのだろう。僕はエントリープラグに搭乗してから、通信を使ってそれとなくアスカの事を訊いてみた。
「アスカ? アスカならまだ入院中よ?」
とミサトさんは怪訝そうにしながらも教えてくれた。
だからだろう、ミサトさんはそうでも無かったのだが、比較的アスカとは仲のよくなかったように見えたリツコさんは柄にもなく主力(アスカの事だ)の不在にあからさまな不快感と、不安感を呈していた。

714: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/09(金) 18:33:44 ID:???

僕の初号機はやはり待機、凍結だった。つまり、出撃するのは綾波の零号機だけと言うことになる。



綾波は死んだ。
僕は危機に陥った綾波を救うべく出撃したが、まったく役に立たなかった。
綾波は僕を助けるために自爆した。第三新東京市もろとも。その爆発は激しく、そして人一人の最期にふさわしく、儚かった。
そう、まともに考えれば町ひとつを吹き飛ばす程の爆発で、華奢な人間の少女が生き残れる筈はなかった。しかし三日後、彼女は僕の前に現れた。綾波レイはこの世に生きて、僕の名を呼び、物に触り、包帯を巻いていた。



コンフォート17はかの激しい爆発でも倒壊せずに生き残ったが、僕とミサトさんとアスカの送ってきた生温かった同居は、崩壊した。僕はミサトさんに本部の宿舎での待機を命令された。
僕はネルフの人に手伝ってもらい、コンフォート17からいくつかの荷物を運んで貰った。僕の引っ越したネルフ宿舎の部屋はそれほど広くは無かったが、炊事などに問題はさほど感じられなかった。
職員の人達に部屋へ荷物――と言ってもそれほど多いわけではない――を運んでもらうと、僕は運んでもらった荷物の中でも一番大きい荷物だった机を撫でた。
それはアスカの机だった。ネルフから荷運びに来た職員にどの荷物を本部の部屋へ運ぶか聞かれた時、本来の僕が使っていた机と掏り替えたのだ。
机に浮かぶ綺麗な木目を指でなぞりながら考える。アスカと綾波、二人の女の子が僕の周りにはいる。綾波は僕を 知 ら な い 。アスカは入院していて、憎んでいると伝えた僕を――恐らく――憎んでいる。
どうやら僕は、また独りきりになったようだった。
部屋には窓一つ無かった。月の光も、太陽の光もない。例えるなら月が綾波で、太陽がアスカか。なにかの皮肉だろうか? 僕は同時に四つの光を失ったのだ。
一人で嘲笑し、アスカの机に両手を突いて顔を伏せる。バカだ、僕は本当にバカだ。せっかく欲しかったものを手に入れられるところだったというのに。
バカシンジ……。
ぴったりだよ……。バカシンジ。



715: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/09(金) 18:35:41 ID:???



それから僕は一度だけアスカの姿を見た。
僕はその時、偶然に病院三階の廊下にいて、窓から庭にいる彼女を見ることが出来たのだ。その姿は幾分元気そうに見え、誰かに罵声を浴びせているようだった。
怒られている人――その人はアスカの罵声を軽く受け流しているようだった――は遠目で見る限り男で、中々の美形に見えた。敢えて言うならば銀髪だった。
その男は両手をズボンのポケットに突っ込み、病院着を着て庭を散歩しているアスカの周りをまるで衛星のように付き纏っていた。
どうやらアスカは、その男のお陰である程度の元気を取り戻したようだった。
僕はその光景を見たとき、どこか変な心持ちになった。黒く重いなにかが僕の中に沸き上がり、染めていく。
しばらくの間、僕は歩く二人を眺めていたが、どんな夜にも終わりがあるようにアスカと男の姿は病院建物の死角へ消えた。

僕はアスカの消えた角を一、二分ほど見ていたが、やがて目を離して病院を出てネルフの仮住まいへ帰った。

僕は味気無い食堂の定食を食べ、腹を満たすと部屋へ戻ってベッドに仰向けに寝転がった。
あの庭で見たアスカ。怒ってはいたものの、なんやかやで楽しそうに見えた。今思い出してみれば笑みも零していたかも知れない。
もしかして僕といたあの日々よりも楽しそうだったかも知れない。
僕は右腕で目を覆った。
沸き上がった、黒い何かの正体。少し考えて直ぐに分かった。嫉妬だ、それは嫉妬だ。最初は何も分からなかったが、今こうしてアスカと男の姿を思い起こし、自分の感情を改めて見てみると、それは多分嫉妬だ。
しかしそれは初めての感覚で、はっきりとそれだとは言い切れない。
だけど、これは嫉妬だ。
 僕 は 、 憎 い と 思 っ て い た ア ス カ に 嫉 妬 を 感 じ て い る 。




716: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/09(金) 18:37:35 ID:???



僕はその日、ミサトさんに呼ばれて綾波の正体を知った。確かに数日前ならば、その真実は僕の精神にとって酷く重要な物だったに違いない。
しかし今の僕にとっては、そのおぞましい真実はそれほど重要な事項ではなくなっていた。それよりも重要なのは、僕がアスカに感じたあの感覚、嫉妬だ。
それは確かに僕自身の精神をコントロールする上で、多大な影響を及ぼした。
おかしくなりそうだった。
なぜ僕は憎んでいる筈のアスカに嫉妬を感じているのか、なぜ僕はアスカが僕ではない他の男といるだけで、その他の男に憎しみ――それもアスカに向けていた憎しみとは違う――を感じているのだろう。
認めたくなかった。もうそんな人間との関わりで傷付きたくなかった。
他人を傷付けるくらいなら、自分を傷付けたほうがいい。
そんな、僕の根底にあって容易に浮かばないまでも僕の精神に深く根を張る言葉が、何度も僕の心に浮かんでは苛む。
まるでもう一人の僕が槍を持って『何でお前はアスカにあんな酷いことをしたんだ?
あぁ、そうだな、お前みたいにナヨナヨしてて、意気地が無くて、根暗なヤツならアスカだけじゃなくミサトさんだって、父さんだって嫌いになるよなぁ?』と叫びながら、その槍で僕の全身を突き立てているように思えてならなかった。
僕はアスカの姿を見た日――それは綾波の正体を知った日と同じ日だった――から三日、一度も部屋を出ずに風呂にも入らなかった。
なんだか体中に汚れがフライパンの焦げのようにこびり付いて、いくら洗おうともその汚れが取れないような気がしたからだ。取れないなら洗う意味なんてない。

警報が鳴っている。随分久し振りのような気がしてくる。動きたくなんかない。戦いたくなんてない。ずっと寝ていたい。でもそんな事は出来ない事など分かっている。
僕が自発的に行かなければ、黒服がやってきて僕を無理矢理エヴァに乗せるだろう。
仕方ないので、僕は三日着替えていない制服のワイシャツ姿のまま、エヴァの待つケイジへ向かった。



722: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/13(火) 17:31:10 ID:???

     6
     最後のシ者


僕は更衣室で制服を脱ぎ捨て、シャワーで頭から水を被るとプラグスーツに着替えてケイジに向かった。エントリープラグが引き出され、扉を開けて僕を待つエヴァ。僕はその中に、なんの躊躇いもなく乗り込んだ。
そして僕がエヴァに乗って先ずしたことは、肺一杯に血の臭いがする液体を吸い込んむ事だった。
そしてミサトさんが先ずしたことは、僕に真実を伝える事だった。
淡々とした、軍人で大人だと感じさせる、乾いた口調でミサトさんは僕にそれを告げた。
「敵はフィフスチルドレン、渚カヲル。弐号機及びセカンドチルドレン、惣流アスカラングレー。」
確かにミサトさんはそう言った。 ア ス カ が 敵 ?
アスカは味方じゃないのか。なぜ敵なのか?
「なぜアスカが?」
と僕が聞くと、ミサトさんは舌打ちを一つ打ち、苛立たしげに口を開いた。
「アスカは裏切ったのよ。私達……人類をね……。」
ミサトさんが衝撃である筈の事実を、感情をわざと圧し殺したように感じられる淡々した口調で告げる。
「アスカが……裏切った?」
と僕は呆然として呟くが、ミサトさんはそんな僕の急激に憔悴していく心など少しも酌量せずに冷たく言った。
「頑張って、シンジ君。」
通信が切れ、いつも聞こえる発進シークエンスや整備員の声が聞こえるが、しかしそれはいつもと違い、どこかにもの悲しさを含んだ喧騒だった。

僕はセントラルドグマへ続くシャフトを、ゆっくり降下していく。
なにも解らない。アスカがなぜこんな事をしているのか、なぜその渚カヲルとか言う男と居るのか。それを考えると、僕は会った事もないその渚カヲルという人間に激しく燃え盛る火焔のような殺意に似る衝動をひしひしと感じた。
そう、認めるよ。僕は嫉妬をしている。




723: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/13(火) 17:34:40 ID:???

落ちるようにしてシャフトの底に足が着くと、僕は先ず注意深く周りを見回した。
その空間は暗く、不気味で淀むような雰囲気が漂い、背筋が凍るようだった。水の溜ったそこには、幾本かの白い棘のような柱がそそりたち、まるでホラー映画のような不気味感を、余計に強く煽り立てていた。
そのホールのような空間の先、壁が破れたその先に彼等はいた。
「アスカ!」
と僕は叫び、近寄っていった。
そこには弐号機と中に浮かぶ人影があり、それらは僕が叫ぶとほぼ同時に振り返った。
アスカの操る弐号機の側に浮く、恐らく渚カヲルであろう人影、彼の顔と特徴的な頭髪を見て僕は既視感を覚える。そう、彼は間違いなく病院の庭を連れだって歩いていた男だった。
丸く光る弐号機の双眼と、冷めた渚カヲルの瞳が、君はこの場にふさわしくない邪魔者なんだと言わんばかりに、僕を見つめた。
「遅かったね、碇シンジ君。」
ホールの壁に反響した渚カヲルの声が、僕の耳に入る。僕は、嫌味ったらしいニュアンスを含んだ彼の発言には反応しない。僕は歩を進め、アスカの名を呼ぶ。
「アスカ!」
「君はアスカ君を憎んでいるんじゃ……。」
「アスカ!」
と僕は渚カヲルの言葉を遮る。彼はやれやれと肩を竦める仕草をしたが、僕にはそんな彼の事など気に留める余裕はなく、わめくように孔へ進み、手を伸ばした。
僕はそれがまだ届かないと知っている。しかし本能的にその腕を懸命にアスカへ伸ばした。
「来るんじゃないわよ!」
広い空間にその声は幾度も反響した。僕はその声に動きを止め、伸ばした手を胸から腰の高さまで下ろした。
一瞬、それが誰の声か分からなかった。しかしそれは、弐号機のスピーカーを通して多少劣化しているようではあったけれども、明らかにアスカの声だった。
「アンタ……アタシの事嫌いなのよね?」
スピーカー越しにアスカの声が聞え、弐号機はプログナイフを抜いた。なぜスピーカー越しか気になったが、直ぐに発令所との通信が不通になっている事に気付いた。電波が届かないのか?
「なんでこんな事を……。」
アスカはプログナイフの切っ先を脅すように僕へ向ける。虚空を隔てても伝わるアスカの剣幕に、僕は思わず後退った。

724: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/13(火) 17:36:44 ID:???

「『なんで?』」
とアスカが僕の台詞を繰り返す。
「『なんでこんな事を……』?」
もう一度繰り返し、溜め息をひとつ吐いた。
「アンタバカ……?」
覇気のまったく感じられない、静かな湖の底を思い出させる語調だった。
「アンタがアタシを憎んでるからでしょ?」
「それは……。」
僕が口籠り、俯くとエヴァも同じ様に俯いた。
「相変わらずね……。」
弐号機は手首を回し、挑発するようにナイフの切っ先を捻った。
「だけどね、アタシはアンタを責めたりしないわよ?」
俯いた顔を戻し、アスカを見る。
「もしアタシのシンクロ率が下がって、アンタみたいに 落 ち ぶ れ た ら、同じ様になってただろうしね。」
僕はもう一度俯き、瞼を下ろした。そう、僕は落ちぶれて、アスカにあの陰湿な置き手紙や、家事をしなかったアスカに対する嫌味のような家事のメモを残す、女々しくも意地の悪い上に面と向かってアスカに何も言えないようなドブネズミのみたいにこそこそする男なんだ。
だけどきっとアスカはそうはしない。僕に敵慨心を燃やした事だろう。
沈黙が流れ、ホールの天井から滴る水滴の音がいくつか聞こえた。
僕は決心しなければならない。そう感じていた。僕の心の内にはアスカに伝えるべき言葉がひとつあった。
恐らくアスカはそんな下らない事を覚えてはいないだろうし、僕がそれに気付いているとも思ってはいないだろう。しかし確信はないが、僕はそれをしたのがアスカだと思っている。
僕は目を瞑り、必死に自らの決心を固めていた。もし外れていたら、多分アスカは激昂し、サードインパクトを起こすだろう。なんとしても、僕はそれを阻止したかった。
「イヤなのよ……もう……。」
声が震えている? はっとする。泣いている? あのアスカが泣いている?
「こんな世界……もう……。」
そうだ、アスカだって僕と同じじゃないのか? 愛したくて、だけど愛して貰えなくて、みんなが遠巻きに観察し、理解もせずに触れ、遠ざけたり気を引こうとする。
直感でなにか、理性や論理からは説明できず、掛け離れたなにかが心の底から沸き上がり、僕をつき動かす。

725: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/13(火) 17:40:42 ID:???

もう、自分を信じるしかない。間違っているかも知れない。でも伝えるんだ。僕はアスカに。
「コロッケ……。」
と僕は呟くように言い、その虫のようなか細い声はスピーカーに増幅されて、アスカに辛うじて通じたようだった。
「え?」
レバーを強く握り締めると、プラグスーツの中に汗がジワリと噴き出すのを感じた。
「アスカのコロッケ……おいしかった……。あの……ありがとう……もう一度……食べさせてよ……。」
返ってくる声はなく、もしかして違ったのか、あのコロッケはアスカが作った物ではなかったのだろうかと不安がよぎる。
しかし、僕に向けられた弐号機のプログナイフの切っ先が、静かに下へ向いていった。
「卑怯者。気付いて……たなんて……お礼なんて……もう一度作って……なんて……。」
プログナイフがアスカの手から離れる。大きい水音と共に、飛沫が上がりプログナイフが沈む。
スピーカーで拡張されたアスカの溜め息が、暗く丸い空間に木霊した。渚カヲルはズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、微笑んでいた。
「渚ぁ~……アタシ……もう駄目だわ……。」
弐号機が天を仰ぎ、アスカがどこか投遣り気味に呟くと、両手が力なく垂れた。
渚カヲルは息を短く吐き、微笑みの刻みを深くしてアスカを見上げた。
「良いさ……これも自由意思……。」
言い終わるか終わらないかのうちに、渚カヲルの体がアスカの手中に収まり、銀髪を乗せた顔だけが覗いた。アスカは、渚カヲルを握った。
「さあ、殺してくれ……あの猫のように……。そして、僕の事を覚えていてくれ……。」
と渚カヲルは言い、瞳に瞼を被せた。
僕は背筋に冷たい何かが走るのをはっきりと感じる。考えなくてもわかる。アスカはあの渚カヲルを今から殺すのだ。
そう考えると、僕の体は脳の意思に反して動き、アスカとの距離を詰めていた。本能的に、或いは衝動的に。
弐号機の双眼は驚いたように僕を見ていた。
僕はそんな視線を半ば無視し、渚カヲルを握ったアスカの右手の上に自分の右手を重ね、渚カヲルの頭を隠して左手を下、足の方へ添えた。

727: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/13(火) 17:42:38 ID:???

例えプラグスーツ越しだろうとなんだろうと、アスカの暖かみと渚カヲルの命の鼓動を自分の掌ではっきり感じた。
「アンタ……。」
アスカが何か言いたげだけど、今だけは、今だけは無視する。多分これからもずっと無視なんて出来そうもないから。
「僕も……やるよ……。」
「アンタ……。」
「あの……ごめん……。」
僕が謝ると、アスカの溜め息がスピーカーから聞こえた。
「バカ……。」

僕ら二人はその掌に、渚カヲルの潰れる頭蓋や内臓の漏れ出す生暖かい感触を感じながら、最後のシ者を殺した。



第7章へ続く



741: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/21(水) 21:55:19 ID:???

     7
     そして終わり、鰻を殲滅したあと。


水面が揺れた。ゆら、ゆら。僕の前で、水面が揺れていた。
水面の揺れる湖には、白い鰻によく似た不気味なエヴァが、頭を潰されたり腕や足をもぎ取られた、それこそ様々な姿で突き刺さり、細やかな波の圧力だけで無様にボロボロと崩れていた。
僕と彼女の乗機は瓦礫の向こうに並んで跪き、背中からエントリープラグを剥き出しにしている。体の各所には様々な傷があり、真っ赤な血液を止め処なく迸らせていた。

僕は静かに、尚且つ慎重に瓦礫に囲まれた周りを見回し、最後にその瓦礫の中でも一番高く、大きい瓦礫の上に立つアスカを見た。
膝を抱えていた僕はアスカを一見し、もう一度ゆっくり揺れる水面を見つめた後に、また左を向いてアスカの横顔に目をやった。
「アタシの事、好き?」
そう言って、アスカは僕を見た。
不意に彼女と目が合う。
「解らない。」
と僕は言った。
「『解らない』?」
とアスカが繰り返す。
そうだ、僕は何故、好きなのか解らないのにアスカの人殺しの罪を半分背負い、あまつさえ共闘したのだろう。
アスカはしばらく僕の顔を、感情の乾いたような沈んだ瞳で、ジッと見つめていたが、やがて再び水面を見つめた。
「バ~カ……。」
「ごめん……。」
アスカは貶し、僕は謝った。それは一緒に暮らした数ヵ月の間にあった、僕らの関係そのものだったが、やはりどこかが決定的に違い、異質の物に思えた。
「ねぇシンジ……?」
僕はまだアスカの横顔を見ていた。
「アタシは好きよ……少し……。アンタ、気付いてた?」
僕はかぶりを振り、視線を落とした。

742: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/21(水) 21:58:36 ID:???

「とてもそうは見えなかった……。」
と僕は言った。アスカは「そうよねぇ……。」と言い、短く息を吐いた。
「じゃあさ、落ち着いたら、デートしよ……。」
それは紛れもなく、デートの誘いだった。前のような傍若無人な命令ではなく、誘いだった。
「召し使いじゃないなら、いいよ……。」
「意地悪いわね、アンタ……。」
「ごめん……。」
僕がいつものように謝ると、アスカは溜め息を吐き、腰に手をやって目を据えて僕を見た。
アスカは前のようにとはいかないまでも、幾分元気に見える。だけど、アスカは多分、今ここで僕を誘う事で自分の誇りを削ったのだろう。
僕は思う。仕方ない。義理や、責任からでは(少なくとも)なく、僕はその削れたプライドのあった場所を“何か”で埋めなくてはいけないような気がした。
埋めることは僕にしか出来ないとも思う、はっきりと。そして、最低でもアスカが一人で再び立てるまで、そして最高でも……。
「……いいよ……。デート、しよう。」
アスカは僕を見た。僕が再びアスカの顔を見ると、すぐに僕とアスカの目線が合致した。アスカはまるで弾けた胡桃のような、尚且つひまわりのような笑顔を僕に向けた。
それは何ヵ月も同居し、同じ学校の同じ教室に学び、同じ戦場を戦った中で見たどの笑顔よりも、一番輝いた笑顔だった。
僕はゆっくりと立ち上がり、両掌でプラグスーツに付いた砂を払った。
遠くから車の轟音と、ミサトさんの僕らを呼ぶ心地良い声が聞こえた。
高い所にいるアスカには、車のヘッドライトや運転手や台数や、ミサトさんの姿が見えているのだろうか? 僕とアスカの差は余りにも大きく、溝は深い。
手が伸ばされる。僕の前には白く細い、柔らかそうなアスカの右手が差し出されていた。




743: ◆8CG3/fgH3E 2007/11/21(水) 22:01:55 ID:???

そうだ。簡単なんだ。近付こうとすれば近付ける。近付く事が出来るんだ。
僕がこれまで臆病過ぎただけなんだ。
アスカの長い髪が風でふわりと揺れ、その心地いい香りが僕の鼻孔に潜り込み、記憶を刺激した。
そうだ、あの初号機の中で感じたあの綺麗な香りだ。いなかった筈のアスカの香りを感じるほど、僕はアスカを必要としてたんだろうか?
生きていけるかも知れない。
紆余曲折や、喧嘩もあるかも知れないけれど、どうにかしてアスカと触れ合えるかも知れないと僕は思う。あの最後にチェロを弾いた夜の気持ちが、まるで嘘のように、素直に思える。
僕は差し出されたアスカの手をとり、ぎこちなく微笑んだ。



     終



元スレ:https://anime2.5ch.net/test/read.cgi/eva/1179413945/