564: 明け方 04/09/30 08:38:26 ID:???
1
悲しい夢を見た。


傾いた日差しが長く差し込む窓辺を、アスカはぼんやりと眺める。
いつもなら夕飯の支度に立ち上がるシンジも、彼女の隣に同じように座っていた。
取り立てて話題もない。
二人の間に横たわるのは穏やかな沈黙だった。

同居人であり、名目上の保護者とも言える葛城ミサトからは、「今日もまた遅くなる」との連絡が短く留守電に入っていた。
それはすでに幾度も繰り返されたことであり、いまさら取り立てて騒ぐほどのことでもない。
二人きりであることにさして違和感を感じぬほどの日々が、そこにあっただけだ。

「閉じ込めてしまうって」
「なに?」
「難しいことなのかな…」
「は?」

要領を得ないシンジの会話は今に始まったことではないが、あまりにも唐突なそれに、アスカは暫し途惑った。
夕食のメニューを聞かれるのなら分からないでもない。
だが、「閉じ込める」とは何のことだろう。
夕方の少し温度の下がった空気を取り込もうと開けた窓は大きく開かれており、その向こうのわずかばかりの雲を浮かべた空も、閉塞とは無縁の広がりを見せている。

「アスカ、どうしたの?」
「どうしたって…。
 アンタが、変なこと言うからでしょ」
「え?
 あ、ごめん」

565: 明け方 04/09/30 08:41:07 ID:???
2
条件反射のように謝るシンジに、同じく癖のようにアスカの手が伸びる。
だが手が届く距離ではなかった。
そのため、代わりに足を伸ばし、シンジのそれをつつくことになる。

「痛いなー、もう。
 アスカ、行儀悪すぎ」
「なによ、触っただけでしょ。
 おおげさねぇ、軟弱者~」

事実、アスカの足はシンジに触れているだけであり、当たったという衝撃さえもありはしないのだ。
わざとらしく胸を押さえ、パタリと倒れこんだシンジを、アスカは胡乱気な眼差しで見やる。

「死んだ」

「バカじゃないの」

立ち上がることも面倒とばかりに、アスカは膝で這うようにして近づく。
シンジは目を瞑り、口を少しあけて仰向けに転がっている。
黒い髪は短かったが、淡い黄色のカーペットに散るそれはどこか艶めいていた。
無造作に掴めば、それはするりとアスカの指の合間から逃げた。

「アスカ、痛いよ。
 はげる」
「はげちゃえ」

するりするりと逃げるそれは柔らかく、アスカの指先を楽しませた。

566: 明け方 04/09/30 08:45:46 ID:???
3
「猫みたいね」
「猫?」
「あんたのこと。
 なんか、そんな感じ」
「いきなりだね」
「それは、あんたでしょ。
 トジコメル、とか。
 …なんのこと?」

薄く青白い瞼が震え、黒い瞳が現れるのをアスカはじっと見ていた。

夕日を逆光に受けたアスカの髪は赤銅の光を孕む。

シンジの濡れた目に映るそれは、まるで生きた焔のようだった。

「・・・夢。
 夢みたいなこと」

どこか彼岸を見る眼差しで、シンジは言った。
それは秘め事を告げるような、震えるかすれた声に、アスカは聞こえた。

「いいゆめ?」
「どうかな…。
 ただ、考えてたんだ。
 閉じ込めてしまえたら、怖くないのかなって」
「………………」

574: 明け方 04/09/30 16:36:49 ID:???
4
「ほかに誰も居なくなってしまえば、
 誰も見えなくしてしまえば、
 失っててしまう事を怖がらなくてもよくなるかもしれない。

 逃げ出さないように、手足をつないで。
 何も見なくていいように、目隠しをして。

 何も、考えないで。
 僕だけを、覚えていればいいから。

 そうすれば…」

「そんなの、無理よ」

「うん、そうだね。
 でも、これからも戦いは厳しくなっていくだろうし。
 そうしたら、何があるか分からないから。

 みんなエヴァに頼るよね。
 エヴァが居なければ、使徒には勝てないよ。
 
 勝って、勝って勝ち続けたら、
 ネルフは、僕の願いを叶えてくれるかもしれない」

シンジの目は再び閉ざされ、アスカから隠される。
そのままの姿勢で、謡うように紡がれる、シンジの夢。

575: 明け方 04/09/30 16:39:25 ID:???
5
「怖い?」

「なんで?
 あたしには、関係ないじゃない」

「どうして?」

「…だって。
 あたしは、エヴァのパイロットよ。
 ネルフに必要とされてるのは、あたしだって一緒でしょ?」



「でも、僕が       だよ」



ノイズが、シンジの声を掻き消す。
聞いてはいけないとでもいうかのように、それはアスカを内側からかき乱した。

577: 明け方 04/09/30 18:23:48 ID:???
6
「なに? 
 シンジ、なんて言ったの…?」

いつの間にか太陽は稜線を越え、滲む朱を残して姿を隠していた。
忍び寄る夕闇の足は速く、近くにあるはずの相手の顔さえ朧に紛れ判別は付かない。

「怖い?」

「怖くない!
 怖くなんてないわよ!
  
 あんたなんて…。

 …シンジ?
 シンジ、どこ?」

「僕は、怖いよ。
 いつだって、怖かった。
 手に入ったと思ったものだって、勘違いかもしれない。
 見せかけ、誤魔化し、…嘘ばかりじゃないか。
 アスカだってそうだろう?
 いつだって虚勢を張ってホントの心を隠してる」

部屋は暗く、アスカにはシンジの姿が見えない。

578: 明け方 04/09/30 18:25:38 ID:???
7
『加持先輩にだったらいつだってOKの三連呼よっ!』
『シンジ、キスしよっか』

『だから一人で生きるの!パパもママもいらない!誰もいらない!』

『全部あたしのものにならないなら、あたし、何もいらない』

「アスカの本心は、どれ?
 アスカは自分の心を隠してるくせに、分かってほしいと思ってる。
 それは、甘えだよ。

 閉じ込めたいと思っているのは、僕じゃない。
 手も足も奪って、声をつぶして、世界を殺して、

 自分だけ見てほしいと願っているのは、…アスカ、君だ」

「違う!そんなのわたしじゃない!」

目を閉じて耳を押さえ、聞くまいと声を振り絞るが、シンジの声は容赦なくアスカを責める。

579: 明け方 04/09/30 20:40:53 ID:???
8
「言わないで、そんな言葉聞きたくない。
 聞きたくないの。
 もういや。
 いやぁ」

何故こんな事になったのだろう。
混乱したアスカは、自衛本能に従って体を丸めた。
しかし、床に付く筈だった腕は空を切り、上下すら分からぬ空間に投げ出される。

「やめて。やめて。やめて。
 シンジ、たすけて」

「…アスカ。
 アスカが、閉じ込めたいのは誰?
 ママ?
 加持さん?
 それとも、…僕かな?

 僕がアスカに閉じ込められて、全部アスカのモノになったら。
 アスカは、嬉しい?
 それとも、僕が居なくなってしまったほうが安心するかな?
 
 そうしたら僕は、アスカ以外の誰のことも見ないから。
 誰も見ない。何も見ない」

580: 明け方 04/09/30 20:42:03 ID:???
9
アスカを包む闇は、シンジの目の色に似ていた。
濡れた黒はアスカを侵食し、離すまいと絡みつく。

シンジの言葉はアスカの心を引き裂いたが、何の標もないこの深い闇の中には、それ以外縋るものは何もなかった。
見えない目を凝らし、アスカはシンジを探した。

最も暗い場所、その深奥でシンジは半ばまで闇に飲まれながら、微かに笑みを浮かべているようだった。

「シンジっ!」

あわてて差し伸べられたアスカの指は、わずかにシンジに届かない。
くすぐるように流れた彼と同じ色の闇ばかりが、アスカの指をすり抜けていった。

「シンジ、手を伸ばして!」

叫びさえもむなしく、その場所に吸い込まれていく。
傾いた体が、共に闇に飲まれようとしたとき、アスカは思い出していた。

シンジを助けられなかった事を。

581: 明け方 04/09/30 20:43:26 ID:???
10
『ハ~イ、ゆーあーなんばーわ~んv』
『お手本、見せてやるよ。アスカ』
『………命令よ。さがりなさい』 
 
叫ぶ声は喉奥で涸れ、伸ばした腕は力を失う。
あの時、アスカは何も出来なかった。
…何も、しなかった。

力なく闇の腕に抱かれ、アスカは目を閉じる。
シンジを飲み込んだあの影が、アスカの創りだした檻ならば、永久に2人きりで閉じこもることも出来ただろう。
アスカの抱く闇はおそらく、あの影より深い。
アスカが見たものは望みの具現であり、絶望の象徴でもあった。

叶えられることのない夢

手放した意識が、その闇に解けていくことをアスカは遠く感じていた。

582: 明け方 04/09/30 20:45:13 ID:???
11
部屋を包む冷気が、アスカを浅い微睡みの淵から掬い上げる。
枕もとの仄かな明かりに目を凝らせば、デジタルの時計はAM4:00を告げていた。

目が覚めても独り

他者の気配のないその部屋で、アスカはいっそう強くブランケットを体に巻きつけ、温もりを探すように目を閉じる。
そうすれば、再びあの閉ざされた闇の中にかえれるから。
「…シンジ」
こぼれた声は、夢の名残。

彼女の待ち人は使徒の影に飲み込まれたまま、未だ帰らない。
聞く者の居ないその囁きは、明け方の雨の音に、溶けて消えた。

          fin





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