399: 逆行1 2008/06/14(土) 02:32:09 ID:???

「楽しいことばかりを数珠みたいにつないで、生きていけるはずない、か…」
そんなことを言っていたのは、誰だったろうか。
(……綾波? それとも、僕だったかな?)
けれど、シンジにとってはもうどうでもよかった。
(だって、戻って来たんだ、ここに)
ここには、ミサトさんがいて、綾波がいて、父さんがいて、トウジやケンスケがいる。
ここには、僕の居場所があるんだ。
そう考えて、シンジはグッと拳を作った。
その代わり、何か大事な物をなくしたような気がしたが、そんな思いは心の外に追いやった。
――視線を、窓の外に向ける。
サードインパクトの後では見られなかった、人の温もりのある街。
第3新東京市のビルばかりの町並みが、今のシンジにはとても温かく見えた。
そして、ちらりと目を向ければ、そこにはヤシマ作戦で撃退した第伍使徒の残骸が残っている。
それを見て、どうして自分が他の時点ではなく、まさに『この時』に戻って来たのか、
シンジにはなんとなく分かる気がした。
ヤシマ作戦終了直後と言えば、ミサトやNERVの人と馴染んできた所で、
トウジやケンスケとも友達になれている。
そして何より、ヤシマ作戦の過程の中で、レイとも少しだけ歩み寄れた。
そんな、シンジにとって順風満帆な、居心地のいい時代。
それに、もう少し時間が進んでしまうと……。
(――進んでしまうと、なんだろう?)
シンジは自分が何を考えようとしたのか分からなくなって、思考を閉ざした。

400: 逆行2 2008/06/14(土) 02:33:05 ID:???

それでも、胸の中に残るもやもやを取り去ることが出来ない。
(……なん、だろ。何かすごく、思い出したくないことを、思い出してしまいそうな)
怖くなる。頭を振って、シンジは必死にその考えを追い出した。
思い出したくないことがある、そのこと自体は別に、不自然なことではないとシンジは思う。
『前の世界』では嫌なことや辛いことばかりがあった。
(でも、もう関係ないんだ。だってそれは昔の世界の話で、この世界のことじゃない。
だから思い出さなくても、いいんだ。ここには、なくなった物が全部、そろってるんだから)
とにかく気を散らせる物でも探そうと教室を見回すと、レイがちょうどこちらの方に歩いて来るのが見えた。
自然と、シンジの顔がほころぶ。
どこか人を拒絶する雰囲気に、無感動なその表情。しかし、それすら今のシンジには懐かしいものだ。
――話をしたい、と素直にそう思った。
もしこの場にトウジやケンスケがいれば冷やかされたかもしれないが、
二人とも「ミサトさんを迎えに行く」と言って、廊下に飛び出していったきりだ。
「綾波っ!」
シンジは何の気兼ねもなくレイに近寄っていって、しかし彼女は、
そんなシンジの様子にほとんど視線も動かさないまま、通り過ぎていく。
ただ、

「…、…、…」

すれ違い様に、その唇が三回、動いた。

401: 逆行3 2008/06/14(土) 02:33:42 ID:???

「――ぇ?」
たった三つの音の連なり。
なのにそれを、シンジはなぜか認識出来ない。
でも、絶対に聞くはずのない言葉を聞いたような、強烈な違和感が、
「あ、れ…?」
脳が、ぐるぐると揺れる。ついでに教室も回って、足元が歪んで、
シンジは二、三歩、後ろによろめいた。
同時に襲ってきた頭痛を抑えようと、皮膚に爪が食い込むほど強く、頭を押さえる。
それでもシンジを襲う違和感は消えなくて、揺れる世界に合わせるみたいに、
シンジは自分の体を左右に揺すって…。
「だ、大丈夫? 何かあったの、碇君」
異変に気づいて学級委員長の少女がやってくる。
彼女も教室や机や椅子と同じように、やっぱりぐるぐると回っていた。
「顔色、悪いよ? 大丈夫なの、碇君?」
ねじれて回りながら、もう一度尋ねてくる彼女に、
「え? 何が?」
とシンジは笑顔を浮かべて、
――そのままゆっくり、前のめりに倒れた。
衝撃が体を伝って脳を打つのを、どこか他人事のように感じ取る。
「い、碇君っ!? ……だ、誰かっ! 先生! 先生を呼んできて!!」
悲鳴のようなヒカリの叫びにも状況を認識出来ないまま、床に頬をつけたシンジは、
全く別のことを考えていた。
(   。僕は、僕は……)
やがてシンジの意識に闇が落ちかかり、それも、消えた。

402: 逆行4 2008/06/14(土) 02:34:53 ID:???


『――特に問題はないみたいね。きっかけはどうあれ、症状自体は疲労から来る単なる体調不良よ。
あるいは疲労というのは精神的な物が大きいのかもしれないけど』
『……そう。でも無理ないわ。シンちゃんもここ最近、色々あったから』
『実に、ね。ここ数日の彼の体験は、もはや数奇と言ってもいいレベルだわ。
でも、だからこそここでしばらく骨休めすれば問題ないわよ』
『ここは、彼にとって居心地のいい場所だから?』
『あら、それは自慢? あたしが彼の居場所を作ってあげたのよ、って?』
『まさか! ……それに、もし仮にシンちゃんの居場所が出来ていたとして、
それをやったのはあたしじゃないわ』
『そう? どちらにせよ大差ないと思うけど。……まあいいわ。
とにかく、この環境が彼が休息するには最良だというのは確かよ。
彼を気疲れさせるような要因がほとんどないもの。少なくとも…』
『前にいた場所を考えれば、でしょ。それじゃ、このままこうしているだけで治るのね?』
『ええ。まず間違いなくね』
『だと、いいけど。……心配なのよ、あたしは。この子を取り巻く環境には不確定要素が多すぎるわ。
普通ではありえない何かがシンジ君の心や体を冒していても、気づけないかもしれない』
『やけに引っかかる物言いね。ミサト、あなたは何を心配しているの?』
『…………』
『ミサト?』
『……リツコ。あなたは、考えたりしないの?
シンちゃんがこんなに疲れているのって、あたしたちのせいじゃないか、って』
『…そんな事はない、とは、言い切れないわね、実際。はっきり言って、
私達の存在が彼の精神や脳に過大なストレスをかけている可能性は充分に考えられるわ。
でも、慣れてもらうしかないわね。こればっかりは』

403: 逆行5 2008/06/14(土) 02:35:45 ID:???

『で、気になっているのは、それだけ?』
『もちろん、レイのこともよ。あの子、シンちゃんに何をしたの?』
『さぁ。でも、そんな大した事をするような時間はなかったわ。同じクラスの生徒も、
何人か見ていたようだしね。せいぜい一言二言、何か話をしただけ。…そうじゃないの?
そもそも、彼の監視は引き続きあなたが行うという話じゃなかったかしら?』
『分かってるわよ! もう、あたしが少し、目を離していた間に…!』
『あら、責任を感じているの? ふふ。私達にとっても彼の生死は死活問題だものね』
『……さっきから、意地の悪い言い方をするのね。あたしは純粋にシンちゃんの体のことを心配して…!』
『待って。……彼、起きようとしているわ。ミサトが大声を出したから、って訳じゃないでしょうけど』
『知らないわよ。リツコの性格がひん曲がってるせいじゃないの?』
『はいはい。……さて、今日はこの辺でいいわね。あまり話すとそれこそ彼の身体に障るかもしれないし。
それじゃ、私はもう行くわ』
『ちょ、ちょっとリツコ…!』
『じゃあね、ミサト。……シンジ君』
『まったく、いつもながら勝手なヤツ。
――シンちゃん。早く元気になるのよ。あたしがずっと、見守ってるから…』

404: 逆行5 2008/06/14(土) 02:36:39 ID:???


――シンジは、ゆっくりと目を開ける。
目を覚まして数秒も経っていないはずなのに、頭はきっちりと覚醒していた。
「おはよう、シンジ君。気分はどう?」
だから、傍らに座っていたミサトに声をかけられても、全く驚きはない。
自然と頭を動かして、あいさつを返す。
「おはようございます、ミサトさん。……僕、倒れたんですよね?」
「ええ。教室で、突然ね」
「……進路相談、どうなりましたか?」
「もちろん延期よ。はあぁ、また仕事のスケジュール調整しなきゃ…」
ミサトはそう愚痴るように言うが、それは遠まわしに『次の進路相談にも出る』、
と伝えてくれているのだとシンジにも分かった。
「それより、記憶の混乱はない? 自分の名前とか、思い出せる?」
「ええ。心配ないです」
倒れる前の記憶は、大体はっきりしていた。
シンジはこっちに歩いてきたレイに近寄っていって、――それから、急に気分が悪くなって、
そのまま倒れてしまったのだ。
(情けないなぁ。戻って来た途端に、これだなんて。もしかして、
あっちにいた時の疲れが残ってたのかな? そういうことって、あるんだろうか)
シンジはそんなことを思うが、それを口に出せるはずもない。

405: 逆行7 2008/06/14(土) 02:37:34 ID:???

「今、何時ですか?」
場をつなぐ意味も込めて、シンジはミサトに尋ねた。
「もう、十時近いわ。シンジ君はあれから何時間も眠っていたのよ」
「そう、なんですか…」
そう言われて、顔を伏せる。
そこで、ミサトの服が昼間と全然変わっていないのに気づいた。
「ミサトさん。もしかして、僕が起きるまでずっと付いててくれたんですか?」
「ええ。……と言いたいところだけど、実際は仕事帰りにちょっと寄っただけなのよ。
そうしたら、その時に偶然シンジ君が目覚めて。ちょうど、間が良かったのね」
「……偶然、ですか?」
シンジは視線をちらりと横にすべらせた。
ベッドの脇に置かれた小さな机の上には、コーヒーの空き缶が三つ、置かれている。
飲み口には、うっすらと同じ色の口紅がついていた。
「……ぅ」
それを見られたのに気がついたミサトは、ばつの悪そうな顔をした。
「ま、まあ仕事帰りっていうのは喉が渇くもんなのよ」
「そうなんですか」
どこか笑いを含んだシンジの言葉に、ミサトはもう一度「…う」とうめく。
「あの、他にお見舞いに来てくれた人とかは…」
助け舟を出す意味もあって、シンジはそう切り出した。
「あぁ。朝来てたクラスメイトの子が二人、来てくれてたわよ。
鈴原トウジ君に相田ケンスケ君だっけ? いい友達持ったじゃない」
「……あはは」
シンジの笑いに、ちょっと乾いた物が混じる。
ミサトがいると分かっている以上、彼らの見舞いが純粋な気持ちから来ているのかどうか、
シンジにはイマイチ断言出来なかった。

406: 逆行8 2008/06/14(土) 02:38:30 ID:???

「ま、面会時間とかあるからすぐに帰らせちゃったけど。会いたかった?」
「いえ。学校に行けば、いつでも会えますから」
自分で口にした言葉に込められた意味に、シンジは少し動揺した。
――いつでも学校に行けば彼らに会えるということがいかに貴重なことなのか、
あらためて実感する。
同時に、そんな風に感動する自分を、少し安っぽいなとも思った。
「どうかしたの? まだ、具合が悪い?」
「……いえ。それより、ミサトさんはいいんですか? 面会時間…」
シンジの言葉に、ミサトは片目をつぶってみせる。
「ま、NERV特権ってヤツでね。
……本当は、こういう時に特権振りかざすってのは規定違反なんだけど」
ミサトの悪びれない態度に、シンジの口からも思わず呆れた声が出る。
「…いいんですか、それ」
「いいのよ。むしろこんな時に使わないでいつ使えって言うのよ」
「あはは…」
また、乾いた笑い。
でも、少しだけ嬉しかった。

407: 逆行9 2008/06/14(土) 02:39:14 ID:???

「あの、トウジとケンスケの他には…」
どうしても気になって、シンジはもう一度尋ねた。
その言葉に、何を感じ取ったのか、ミサトは、
「あの、シンジ君。残念だけど、碇司令は今日も…」
「分かってます。期待してないですから」
父のことを吹っ切ったとか、諦めたとか、そういうレベルではなくて、
どんなに大怪我で入院したとしても、一度も見舞いに来なかった父だ。
だから、予定があるとかないとかと無関係に、今回が特別だろうなんて、全く思わなかった。
そしてむしろ、今気になっているのは、そういうことではなくて、
「そうじゃなくて、その、……リツコさんは?」
「リツコ? さあ? あたしが帰った時も、まだ仕事してたと思うけど、どうして?」
「なら、いいんです。たださっき、眠っている時に声を聞いたような気がして…」
「ふうん」
ミサトは一度腕組みをして、すぐににんまりと笑った。
その笑みに、シンジの背中がぞくっと震える。
「なるほどー。シンちゃんってもしかして年上狙い? だけどあれだけはやめといた方がいいわよー。
澄ました顔して性格ひん曲がってるから」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
場の雰囲気を軽くしようとして言った言葉だろうとさすがのシンジにも見当はついたが、
それでも思わず動揺してしまう。
シンジは慌てて次の話題を探した。
「そ、それより、あの、いつになったら退院出来ますか? ただの体調不良なんですよね?」
「え、ええ。今のところ検査結果に特別異常はないみたいだけど。
でもどうして? シンジ君にはまだ病状の説明はしていないはずだけど」
「それは、さっきミサトさんが…」
「あたしが…?」
ミサトの怪訝そうな顔に、シンジは口をつぐんだ。

408: 逆行10 2008/06/14(土) 02:40:46 ID:???

「…何でもないです。でも、自分の体のことは、自分が一番よく分かりますから」
一瞬、ミサトはシンジに探るような目を向けてから、ふぅ、とため息をついて、
「……気持ちは分かるけどね。そういう風に油断している時が一番危ないのよ。
いいから少し、ここで寝ていなさい。疲れが取れないようなら、
明日は学校も仕事も休んでいいわ。学校には、あたしの方から連絡しておくから」
「……はい」
シンジは唇を噛んで、うつむく。
「そんな顔しないの。休むのも、立派な仕事よ」
「……それは、分かってますけど」
せっかく自分の居場所を取り戻したのに、そこに戻っていけないことが、少し悔しかった。
困ったように視線をさまよわせると、ミサトは「さーてと」なんて言いながら立ち上がった。
「それじゃ、あたしはそろそろ帰るわ。ペンペンが寂しがってるといけないし。
必要な物は明日の朝一で届けるから、それまで何も要らないわよね」
言いながら、ドアの方へ歩いていく。
「……はい。大丈夫です」
うつむいたまま、シンジは答える。
「だから、そんな顔しない。美人のナースをつけるように、きちんと言っておくから」
そう言って、ドアに手をかけるミサトを見送ろうとして、
「み、ミサトさんっ!」
その瞬間に襲った恐ろしいまでの嫌悪感に、シンジは思わず大声でミサトを呼び止めていた。
――つい、想像してしまったのだ。自分が、ここに一人取り残され、一人で眠ることを。
ここに置き去りにされるのは、ここで一人で寝ているのはどうしても嫌だった。
なぜなら、こうやって、ただ黙って病室のベッドに横たわる姿は、まるで……。
……まるで、何なのか。シンジにもよく分からない。だが、それはひどく不安を呼ぶ物で、
「その、こんなこと言うのは、わがままだって、分かってますけど。でも、」
だから、少しだけ、勇気を出して、
「でも僕は……家に、帰りたいです」
そう呟いたシンジを、ミサトは最後に目を細めて見つめて、それからバン、と扉が閉まった。

409: 逆行11 2008/06/14(土) 02:41:23 ID:???


深夜。暗くなった病室で、シンジはずっと天井を眺めていた。
眠ることは出来なかったが、先ほど襲った正体不明の嫌悪感は、だいぶ落ち着いていた。
「でも、おかしいな。こんなものまで、何だか懐かしく見えるなんて…」
(最初の頃は、あんなによそよそしく見えたのに。……見慣れた天井、か)
そんなことを思って、なんとなく、出来の悪い冗談を思いついたような気分になる。
そんな時、

ガチャガチャガチャガチャー!

と何かが迫ってくる音がして、シンジは体を起こした。
ガン、と扉が鋭い音を立てて開くと、
「おまたせー! シンちゃん!」
そこから、一人の女性が顔を出した。
無遠慮に病室の中に入ってくる。
「み、ミサトさんっ!? それって、車椅子…」
「あはははー。ちょっちねぇ」
言うなり、シンジの横に車椅子を止め、
「さ、乗った乗った」
と満面の笑みで促した。
「お、大げさですよミサトさん。自分で歩けますから…」
「病人がワガママ言わない! ほらほらほらほら」
押しの強さに負けて、シンジはそこに座らされてしまう。
「ちゃんと座ったわね。それじゃ、楽しい我が家に帰りましょうか!」
なぜか満足そうなミサトに、シンジはついていけない。
「で、でも、入院するって予定だったはずじゃ…」
「あっはっはー。そこはそれ、強権発動の特権ごり押しでねじこんで何とかねー。
退院許可取りつけて検査結果引っつかんで車椅子かっぱらってやってきたのよ」
どこか舞い上がってるような態度で、豪快に笑う。

410: 逆行12 2008/06/14(土) 02:46:21 ID:???

そこで、シンジがまた何か言おうとした所に、
「ほい。行くわよー」
やけに軽い掛け声と共に、舌を噛みそうな勢いで車椅子が動き出した。
本当に舌を噛まないように注意しながら、
シンジは上を見上げて一番聞きたかったことを尋ねる。
「で、でもどうしたんですか? 急に、こんな…」
ミサトは車椅子の向かう先だけを見て、決して下を見ないまま、
「さっきシンジ君、家に帰りたい、って言ったでしょ」
「え? は、はい」
シンジの言葉に、ミサトの手に力が込められ、車椅子がさらにスピードを上げる。
そして、ミサトはやっぱり、シンジを見ずに、
「それって、あたしのマンションのことを、自分の家だと思ってくれてるってことよね?」
「そう、ですけど…」
シンジはおずおずと、答える。
もしかすると、『この時点でのシンジ』としては不自然だったか、と考えながら。
すると、
「そうゆうの、何というかすこーし、嬉しいかなー、なんて思ったのよ。
あんなとこでも一応、家、って思ってくれてるのはね」
「え?」
シンジは顔を上げる。病院の暗さも手伝って前を向くミサトの表情は見えない。
でも何だか、照れているような…。
「……ま、そんだけよ。さ、飛ばすわよぅ! しっかり掴まっときなさい!」
しんみりとした空気を吹き飛ばすように、ミサトはぐっと強く車椅子を加速させた。
その、進路の先にあるのは……。
「え、あ、ちょ、ちょっとミサトさん!? 止めて! ストップ! 無理です! 
車椅子で階段は無理ですってば! ミサトさ…うわあああああああ!!」

シンジの絶叫が、ドップラー効果で病院内を遠ざかっていく。
けれどもその声には、少しだけ、心なしか嬉しそうな響きが混じっていた。

429: 逆行13 2008/06/16(月) 19:56:34 ID:???

「おはよう、シンジ君」
ミサトの声で、シンジは目を覚ました。
「…あ、おはようございます、ミサトさん」
声はいくらか弱々しい。
あの日倒れてから、シンジの体調はあまり芳しくない。
「あ、無理に起きなくていいわよ。まだ本調子じゃないんでしょ」
「いえ。もう、大丈夫ですから」
そう言ったシンジに、ミサトはこれみよがしにため息をつく。
「はぁぁ。そんな顔で大丈夫なんて言われても全然説得力ないわよ。
教室で倒れた日なんて、帰ってくるなり自分の部屋を間違えたりするし…」
シンジは軽くうつむいた。
――その時のことは、シンジの一番新しい心の傷だ。

車椅子で病室から連れ出されたあの日。ミサトのマンションに着いて、
本人のたっての希望でふらつきながらも自分の足で歩いていたシンジは、
自分の部屋を素通りして、隣の誰も使っていない部屋に向かおうとしていた。
慌ててミサトに引き止められて、部屋の中に押し込められてからも、
その部屋が自分の部屋であるという実感がなかった。
(当たり前だ、だって、ここは……)
考えるとズキズキと頭が痛んで、急に気持ちが悪くなって、でもなぜか、
それすらもどうでもよくなって、シンジはベッドに倒れ込んだ。
「だって、ここは……」
もがき、もだえながらも必死にその続きを紡ごうとして、その瞬間、
ズキズキ、ゴチャゴチャと混線していた脳の回路が、カシャリとつながった。
まるで動かなかった機械に突然スイッチが入ったように、
「アスカ…」
今まで決して口にされなかった言葉が、唇からぽつりと漏れた。

430: 逆行14 2008/06/16(月) 19:57:08 ID:???

たぶん、きっかけなんて何でもよかったんだとシンジは思う。
それはどこかに隠れていたのではなくて、ただシンジが奥にしまっていただけだから。
そして、それを思い出した、その時に、
「そうか。そういうこと、だったんだ…」
シンジは、ようやく分かった気がした。
赤い海の中で、自分の望みを問われたあの時、自分が望んだものが。
(いや、本当は最初から分かってたんだ。ただ、目をつぶっていた。
目を逸らしてたんだ。今、この瞬間まで、ずっと)
あの瞬間、あの時の、シンジの望み。
初号機からの声に望みを誘導されたとか、意識が朦朧としていて判断力が落ちてたとか、
そういうことは言い訳にはならない。
なぜならシンジの最大の望みは、しっかりと叶えられたのだから…。
そう、あの時のシンジを支配していた、一番大きな想い。それは、
「……逃げ出したんだ、また、僕は」
それは『逃げたい』という想い。
今までシンジは、居場所が欲しいとか、やり直したいとか、
そういう動機で自分がここにやってきたのだと、そう思っていた。
思いたがっていた。だけど、違う。
「僕は、アスカが怖かったんだ。でも、失いたくなかった」
だから判断を保留した。
向き合わなくちゃいけなくて、向き合いたくなくて、でもあきらめることも出来なくて、
だから何も考えなくていいように逃げ出した。……この世界に。
ここなら周りにはまだ楽しいことが残っていて、つらいことを忘れていられる。
そして何より、アスカがやってくるまでのほんの少しの時間、彼女のことを忘れていられる。
それでいて、アスカがやってきてからは、どうとでも彼女と関係を構築出来る可能性が残っている。
……どこまでも、シンジにとって都合のいい世界。だけど、その代償に、
「アスカ、僕は、君を……」

431: 逆行15 2008/06/16(月) 19:57:52 ID:???

アスカとは、また会うことが出来る。
たぶん、そう日を置かずに、すぐに。
だけどそのアスカはきっと……、
「僕と出会ってもいない、僕のことを何も知らない、アスカ」
一緒にエヴァに乗って使徒と戦って、サードインパクトを経験して、
あの廃墟で共に生き抜いたアスカは、消えてしまった。
いや、そうじゃない。
「アスカ、僕は、君を、……殺してしまった」
はっきりと、そう望んだワケじゃなかった。
もし彼女を消したいか、消したくないかと訊かれたら、
きっと消したくないと答えただろう。
でも、シンジの『逃げたい』という想いが、
結果的には彼女を殺してしまった。
「アスカ、アスカ、僕は…」
アスカとの思い出が、突然奔流のように押し寄せる。
「う、うぁ…。うあああ、ぁ…!」
シンジは枕に顔を押しつけ、漏れ出る嗚咽を抑えた。
(……ダメだ。僕は泣いちゃダメだ!)
シーツをぎゅっと握り締めながら、シンジは涙を堪える。
(泣いたら、僕は自分を許してしまう気がする。それじゃダメだ。
彼女を殺した僕が、彼女の死を哀しむなんて、そんなのはダメだ)
血がにじむほど唇を噛み締めて、声を噛み殺した。
(この罪と痛みを、僕は一生抱えて生きていくんだ。
僕が、僕だけが彼女を覚えていられるんだから)
シンジは、暗闇の中、そう誓って……

432: 逆行16 2008/06/16(月) 19:58:36 ID:???


「お、おーい、シンちゃん? ほんとに大丈夫?」
うつむいて黙り込んでしまったシンジに、ミサトの声がかけられる。
シンジは慌ててうなずいた。
「あ、はい、大丈夫です。ただ、ちょっとぼうっとしちゃっただけで…」
「はあぁ。少し顔も赤いみたいだし、こりゃ、今日も学校は休みね」
ミサトの言葉に、シンジも内心ため息をつく。
サードインパクトの誰もいない町で生活して、それからもずっと家にこもっていたせいか、
シンジにしてはめずらしく、人恋しさが募ってきていた。
また、NERVに顔を出していないことは、仕事をさぼっているような後ろめたさを感じさせた。
「でも、いいのかな。学校もだけど、こんなに訓練さぼって…」
つい、それをぽつりと口に出してしまう。
しかし実際シンジの記憶では、使徒にやられて入院していた時以外に、
こんなに長くエヴァのテストや訓練をしなかった時はない。
ミサトは鼻の頭をかいて、
「まあ、ほんとはちょーっち甘やかしすぎかな、と自分でも思ったりするんだけどねぇ。
なんか、あたしの脳のシンジ派がシンジ君を休ませてやれーって騒いでるっていうか」
「あははっ。変なたとえですね」
「むむむ…」
シンジに笑われて、居心地の悪そうな顔でミサトはムリヤリに話を軌道修正する。
「とにかく、まだ本調子じゃないんだから、おとなしくしてなさい。
いくら訓練をやったって、本番で体壊してたら使い物にならないんだからね」
お小言のようにそう言った後、少しだけ表情を緩めて、
「あー、それでね。昨日伝えそびれたんだけど、
今日は仕事で旧東京の方に行かなくちゃならなくて、帰りは遅くなるの。
レトルトの食品がまだ冷蔵庫にいくつか残ってるし、
何だったら何か頼んじゃってもいいから」
「……そう、ですか」
ミサトの言葉に、シンジの表情が固くなった。

433: 逆行17 2008/06/16(月) 19:59:22 ID:???

その態度の変化を、ミサトはシンジが自分に甘えているのだと解釈した。
「……もう。出来る限り早く帰ってくるから、そんなにすねないでよ」
シンジの頭をなでようと、ミサトが少し、体を寄せる。
「……ぁ」
ミサトに近づかれて、シンジは思わず体を引いた。
「なによ、もう。あたしなんかに触られたくないっていうの?」
ミサトはおどけてそう言ったが、一瞬浮かべた傷ついたような表情は隠せなかった。
それを、シンジは申し訳なく思いながら、
「すみません。そういうことじゃ、ないんです。ただ、その匂いが…」
言われて、ミサトはハッとした。
「あ、ああ。今のシンちゃんにはちょっときつい香りだったかしら。
これから一応パーティーだからね。お気に入りのラベンダーの香水、つけてるんだけど」
「ラベンダーの匂い、僕にはちょっと、きついみたいで…」
「いいのよ。具合が悪い時って急に感覚が鋭くなって、いつも気にならない匂いとか、
すごく気になったりするのよね。あたしにも経験あるわ」
なぜシンジがラベンダーの香りを気にするのか、ミサトに想像出来るはずもない。
「……ごめんなさい」
シンジはもう一度謝った。それを、複雑そうな表情で見守りながら、
「それじゃ、くれぐれも安静にね。あたしがいないからって、あんまり弾けちゃダメよ」
ミサトが部屋を出て行く。
シンジはその背中を追いかけるように、言葉をかける。
「その、僕は大丈夫ですから。学校だって、エヴァの…訓練だって、必要ならやりますから」
ミサトは振り返らずに手を振って応えた。
そして、遠くで玄関の扉が開いて、また閉じる音を聞きながら、
「ジェットアローンの完成披露パーティーと、暴走事故。今日、だったんだ」
緩慢な動作でベッドから起き上がる。
「起きて、せめて呼び出されたらすぐ動けるようにだけ、しておかなくちゃ…」

そして数時間後。シンジは機上の人となった。

434: 逆行18 2008/06/16(月) 20:02:48 ID:???

遠隔操作によって動く鉄の巨人ジェットアローン。
それはシンジの記憶の通り、暴走した。
そして、その暴走を止めるためエヴァ初号機と共に空輸中のシンジは、
その機内でミサトに今回の作戦を説明されていた。
「シンジ君? シンちゃん? 大丈夫? 話、聞こえてる?」
シンジにとってジェットアローンの暴走は二度目だ。
ついぼーっとしたまま話を聞いてしまっていた。
「え? あ、はい。大丈夫です。エヴァ初号機で目標に接近、併走して、
ミサトさんを目標背部のハッチまで運べばいいんですよね。
それから、目標の足止めをして、ミサトさんが動力炉を止めるのを待つ」
シンジがそう淀みなく答えると、ようやくミサトは安心した顔をした。
「ごめんなさいね、シンジ君。病み上がりなのは分かっているけど、緊急事態なの」
「分かってます。それに、一番危険なのはミサトさんなんだし」
「ありがとう。……あぁ、帰ったらまず一番にビール飲みたいわ、ビール!
パーティーじゃ結局あんまり飲み食い出来なかったし」
ミサトがおどけたように笑うと、シンジも愉快そうに応じた。
「あはは。大丈夫ですよ。きっとうまくいきます。そんな気がするんです」
「へえぇ。シンちゃんがそういうこと言うの、珍しいわね」
「…ですね。やっぱりまだ体が治りきってないのかも」
そう言ってはにかんだシンジに、ミサトは「ふふ」ともう一度笑いを返して、
「そろそろあたしも準備しなきゃ。……頼りにしてるわよ、シンちゃん」
ぽん、とその肩をたたく。
「……はい」
シンジがうなずいたのを確認して、ミサトは席を立った。
歩きながら、思う。
(きっとうまくいく、か。気楽に言ってくれる、と思わなくもないけど。
まさか、シンジ君に励まされるとはね。これじゃ、普段とは立場が逆だわ)
ミサトがもう一度振り返ると、シンジは笑顔で応えてみせた。
「……そう。成長しているのね、あの子も」

435: 逆行19 2008/06/16(月) 20:03:54 ID:???


(また、エヴァに乗ることになるなんて、思わなかったな…)
エントリープラグの中で、シンジは声に出さずにそう呟いた。
ずっと体調不良でテストや訓練を休んでいたシンジにとって、
この世界にやってきて初めてのエヴァだ。
(何だか前よりずっと、体がエヴァに馴染んでいるような、そんな気がする)
それはエヴァのパイロットとしては喜ばしいことのはずなのに、
シンジは自分の境界が薄れてしまっているようで、嫌だった。
(一瞬でも気を許したら、すぐに体ごと、心が飲み込まれてしまいそうだ)
シートにもたれるように、上を見上げる。
(どうせなら、エヴァのない世界に行ければよかったのに。……いや、ダメか。
そんな選択が出来るなら、ここに戻ってない。結局、僕はエヴァなしじゃ不安なんだ。
エヴァンゲリオンのパイロットじゃなくなった僕が、本当に人に受け入れられるかどうか)
物思いにふけるシンジを、マコトの声が現実に引き戻した。
「エヴァ、投下位置!」
シンジは姿勢を正す。
「ドッキングアウト!」
そうして、作戦が始まった。

436: 逆行20 2008/06/16(月) 20:04:25 ID:???

(なんだ、これ。初号機の動きが、キレすぎてて……)
シンジの想像よりも一瞬早く、初号機は反応し、
シンジが考えるより少し速く、初号機は動く。
(これが、ブランク? 長い間乗ってなかったから、操作勘が戻ってないってこと?)
その微妙なズレが重なって、走りのフォームは崩れ、結果的に不恰好な機動になる。
いつ転んでもおかしくないほどの、不安定な走り。
なのにシンジは、今の方がいつもより速い、と感じていた。
(ミサトさんを乗せているから、無茶なことは出来ないのに…)
初号機の鋭敏すぎる操作感覚と、想像以上の機動性に、シンジは戸惑いを隠せない。
それでもシンジはJAの動きを止め、後部のハッチにミサトが入るのを見届けた。
(とにかく、これで後はもう、見守るだけだ)
JAの前方に回り込んでその進行を阻止しながら、シンジはそうひとりごちる。
前回の暴走事故の時は、時間ギリギリだったという記憶がシンジにはある。
それなのに、全く危機感が湧いてこない。
もしかすると、誰かの記憶が教えてくれているのだろうか。
今度も大丈夫だという確信だけが、シンジにはあった。

……そして、シンジの予想通り。
臨界の直前で、JAの動力炉は動きを止めた。

437: 逆行21 2008/06/16(月) 20:06:31 ID:???

全てが終わって。
どこか気を許していない雰囲気でリツコを見つめるミサトに、
リツコは一枚の出力されたデータを見せた。
一瞬で不機嫌顔がなりをひそめて、ミサトは身を乗り出す。
「これ、もしかしてさっきの?」
「ええ。ここを見て。彼のシンクロ率の最高値が、コレよ」
その数字に、ミサトは目を見張った。
「すごい数値じゃない。シンクロ値の最高記録、更新ね」
「いいえ。シンクロ値の自己記録、更新よ」
一瞬、ミサトは怪訝な表情を浮かべるが、
「そうか。ドイツのセカンド、アスカね。上には上が、ってワケか」
「そうね、でも……」
「でも…?」
リツコは軽く首を振った。
「いえ。でも、一瞬とはいえすごい記録よ。帰ったら、彼をたっぷり誉めてあげるといいわ。
……きっと、愛しのミサトさんのために限界以上に頑張ったのよ、彼」
リツコがそう言うと、ミサトの顔がわずかにしかめられた。
「あー。まぁ、あたし関係はともかくとして、
今日は調子の悪いシンジ君に無理させちゃったからなぁ。
帰ったらその分ねぎらってあげないと……。うぅ、でも、今月は色々と出費がなぁ…」
楽しそうに百面相するミサトに、リツコはふっと表情を緩めた。
「だいぶ馴染んで来たんじゃないの? 保護者役。顔が優しくなってるわよ」
「……あんたが言うと、何だか素直に喜べないのよねぇ」
そう言いながら、ミサトは満更でもなさそうだ。
尚もぶつぶつと何かを呟くミサトを、リツコは細い目で見つめ続けていた。

438: 逆行22 2008/06/16(月) 20:07:04 ID:???


「……なんか、疲れたな」
バタン、とシンジはベッドに倒れ込んだ。
何かシンクロ率の記録を更新したとかで、作戦成功の祝いと合わせて、
ミサトがほめてくれるのを、シンジは居心地の悪い思いで聞いていた。
加えて、エヴァに乗って戦うことだけではなく、今日初めて感じた、
エヴァに乗ること自体に湧き上がった嫌悪感が、シンジの心を重くしていた。
――ただ、シンジにとっての朗報もあった。
一体何が原因だったのか。
久し振りに外に出て、エヴァの操縦をしたことで体の不調はむしろ好転した。
また検査を受ける必要はあるかもしれないが、この調子なら明日からはもう、
以前と同じ生活が送れるだろうとシンジは予想していた。
「これでようやく、学校に行ける」
長い間、学校にもNERVにも行っていない。しばらく会っていない人も、
たくさんいる。でも、特に、
「……綾波。会いたいな」
結局、シンジが体調を崩している間、レイは一度も見舞いには来てくれなかった。
トウジやケンスケが半ばミサト目当てで通ってきたのはありがたかったが、
やはりそれだけでは満たされない物がある。
そして、目的は会うことだけではないのだ。
「会ったら、レイに、訊かなきゃ。あのとき、どう、して……」
そう呟いたきり、シンジはベッドに突っ伏したまま、安らかに寝息を立て始めた。

……夜は更けていく。

439: 逆行23 2008/06/16(月) 20:07:56 ID:???

『で、リツコ。あの暴走騒ぎ。結局アレは、あんたの仕業だったワケ?』
『別に、私が一人でやった事ではないわよ。
命令を下されたのは司令や副司令だもの』
『……どっちにしろ、あんたが一枚噛んでるってことには変わりないじゃないの』
『もしかして、怒っているの? それは心外ね。
私は善意で彼らの無駄を省いてあげただけよ。
使えない兵器にお金を使っても、誰も幸せにはなれないわ』
『じゃあ百歩譲ってそれは認めるとして、
あの時のあたしの決死の突撃はなんだっていうのよ!
あれじゃああたし、まるっきりのバカじゃないの!』
『あら、それこそ心外よ。あれは尊敬に値する英雄的行為だと思うわ。
実際に、感謝もしてる。あなたのおかげで彼らに恩を売る事も出来たし、
何より『何もしていないのに勝手に止まりました』では、あまりに露骨すぎるもの。
向こうに送った報告書では、あなたを褒めちぎっておいたわよ』
『どこまで性格ねじ曲がってんのよ、あんたは…』
『誉め言葉かしら、それ。
お互い、手段を選んでいる余裕なんてなかったはずだけど』
『……いいわ。ピエロを演じるのは慣れてるもの。
だからって、怒りが収まるワケでもないけど』
『へぇ。大人ね』
『くっ! ……でも、今のあたしたちにとってもっと大事なことは、
他にあるでしょ、って言いたいの!』
『そう。彼の事ね』

440: 逆行24 2008/06/16(月) 20:09:11 ID:???

『ねぇ。実際のところ、シンちゃんのシンクロ率、どう思う?』
『そうね。あの数値が本当なら、いくらなんでも少し、高過ぎるわね』
『原因は?』
『今はまだなんとも。理由が想像出来ないのではなくて、多過ぎて絞り込めないのよ』
『そうか。じゃあそれについて、原因の究明と調査を…』
『最優先で、って言うんでしょ。どうせ、私には他に出来る事もないもの。
でも、私の力じゃ限界があるわよ。能動的に行動出来ない以上、どうやっても、ね』
『あたしだってそれは同じよ。
いえ、むしろリツコみたいに優秀な頭脳を与えられなかった分、
出来ることはもっと少ないわ』
『あら、嫉妬? でも、私の方が頭が良さそうに見えるのはしょうがないわ。
イメージの問題だもの』
『だから、そこが気に食わないって言ってるんでしょうが!
……はぁ。知的さの源は、やっぱり白衣かしらね』
『普段のあなたを見る限り、そういう記号だけで決まった評価とは思えないけど』
『何言ってんのよ! 男って奴は誰だってねぇ…』
『そういう台詞、あなたが言うと、実に含蓄がないわね。
……どうでもいいけど、彼、明日は学校行くんでしょ。
そろそろ解放してあげないと』
『あ、ああ、それもそうね。シンちゃんには毎日がんばってもらわないと。
それに、昔から言うものね。『早起きは三文の得』って』
『今更になって徳を積もうとも思わないけど。
でもそうね、『死人に口なし』とは言うわね』
『あ、あはは。あ、あんたって……』
『何かしら?』
『な、何でもないわ。それじゃ、おやすみ、シンちゃん』
『おやすみなさい、シンジ君』

464: 逆行25 2008/06/17(火) 22:40:17 ID:???

「ちょ、ちょっと待ってよ、綾波!」
シンジがレイに追いついたのは、学校を出てしばらく経ってからのことだった。
本当は、学校の中ですぐに話しかけたいと思っていたのだが、
久し振りに学校に出てきたシンジにケンスケやトウジが寄ってきていて、
ついそのタイミングを逃してしまっていた。
「碇くん。……なに?」
しばらく振りに話をしたというのに、あいさつの言葉も何もない。
それは分かっていたはずなのに、シンジはつい動揺して口ごもってしまう。
「あ、その、僕、体調が良くなって、学校とか、行けるようになったから…」
「知っているわ。見たもの」
レイの返事は冷ややかだった。そして実際、その通りではある。
トウジたちに囲まれてにぎやかに快復の報告をしている時も、
シンジはちらちらとレイの様子を見ていた。
幾度か目が合ったりもしたのだが、レイはその目に何の表情も映してはいなかった。
(ようやく学校に出て来たんだから、「元気になってよかったね」、
くらい言ってくれてもいいのに)
無論、レイがそんなことを口にするような性格ではないことはシンジも承知している。
だからそれはシンジの身勝手な押しつけだと理解しているのだが、
それでもこうしてはっきり冷たい態度を取られると、何だかへこんでしまう。
「それだけ?」
「え? あ、あの…」
彫像のように表情を動かさずに、淡々とレイは言った。
「それを伝えるためだけに、わざわざ追いかけてきたの?」
どこか責められているような気がして、シンジは鼻白む。
でも、そこで引き下がりはしなかった。
「……実は、綾波に訊きたいことがあるんだ」

465: 逆行26 2008/06/17(火) 22:40:56 ID:???

軽く息を吸ってから、切り出した。
「学校に、ミサトさんが来た日のことなんだけど…」
「……」
沈黙。だが、その沈黙を、シンジは話の続きを待っているためだと解釈した。
言葉を続ける。
「その時、綾波、僕に何か言わなかった?」
「なにか、って?」
シンジはきちんと返答があったことに内心ほっとしながら、
「その、たぶん、三文字くらいの言葉で、人の名前みたいな…」
「知らないわ」
レイの言葉は迷いがなく、そして、そっけなかった。
「そ、そっか…」
シンジとしては、そう言うしかない。
同時に、アスカへと続く道が途絶えたことに、心の底ではほっとしていた。
考えてみれば、レイがアスカの名前を知っているはずなんてないし、
それ以上に、それをシンジに伝える必然性などどこにもない。
(たぶん、レイが何か全然違うことを言ったのを、
アスカのことを気にしていた僕が、聞き間違えたんだ)
あの言葉は、無意識の罪悪感に責められていたシンジの幻聴。
シンジの中で、そういう方向に決着が付きそうになった頃、
「……おぼえてないの、本当に」
レイが、重ねて言った。
シンジが今まで黙っていたのを、レイの言葉の真偽を量りかねていたせい、
と考えたのかもしれない。
「あ、うん。綾波を疑ってるワケじゃないから。ただ…」
シンジはそこで、言葉に詰まる。

466: 逆行27 2008/06/17(火) 22:41:28 ID:???

「……ただ?」
めずらしく、レイが先を促してきた。
「え? あ、その、ただ……。ただ……、なんだろうね?」
自分でも分からなくなって首を傾げ、
それでシンジは話を終わりにしたつもりだった。
しかし、
「……大切なの? そんなに、その人が」
レイが、今度はシンジに質問をする。
「わ、分からないよ。だって、綾波が何て言ったのかも、よく分からないのに…」
そう言って言葉をにごしても、レイの追及は止まらない。
「なら、なぜそんなに気にしているの?」
振り返ったレイに正面から視線を合わせられて、シンジは思わずたじろいだ。
「…………」
レイの無言が、雄弁にレイの要求を伝えていた。
いつもの無感動な赤い瞳に、シンジはなぜか射るような圧力を感じた。
「あ、あの…」
何か言わなくては、と思って口を開いて、
「その、だから、その…」
結局何も言えず、押し黙ってしまった。
レイに質問をしているはずが、いつのまにか、
シンジが責められているような雰囲気になっていた。
「…ごめんなさい」
しかし、先に視線を逸らしたのはレイの方だった。
レイは何もなかったかのように前に向き直って、
「……わすれて」
小さく発せられたその言葉に、シンジはうなずくしかなかった。

467: 逆行28 2008/06/17(火) 22:42:00 ID:???

長く続く沈黙に間が持たなくなったシンジは、
もう一度勇気を振り絞ってレイに話しかけた。
「あ、あのさ。もう一つ、変なこと訊くけど、いい?」
「………」
また、無言。シンジはひるんだが、
「綾波は、その、タイムトラベルとか、信じる?
未来にいた人が、突然過去に帰ってくる、とか」
「……信じないわ。時計の針は、元にはもどせないもの」
「そ、そっか。それは、そうだよね…」
それだけで会話は途切れて、それきり、
シンジは言葉をかける機会を失ってしまった。
そして、NERVの本部に入る直前で、
「……覆水、盆に帰らず」
「え?」
あいかわらず表情の読めない顔で、レイはシンジに向き直り、
「でも、器に水を入れなおすことなら、できるかもしれないわね」
それだけ言うと、すぐに先に進んでいく。
「ここからは別々ね。それじゃ、また明日。碇くん」
「あ、うん。さよなら、綾波…」
レイは振り返らずに歩き去り……。
残された形になったシンジは、首を傾げた。
「……一体、何が言いたかったんだろ」

468: 逆行29 2008/06/17(火) 22:42:33 ID:???


「それで、センセはあのあと、綾波とちゃんと話できたんか?」
「え? な、何の話だよ…」
レイと話をした次の日。
そんな風にトウジにからまれて、シンジは思わず動揺した。
「なにって、あんなぁ。ワイらが気づかんとでも思っとったんか?」
「授業中も休み時間中も、ずっとチラチラ見てたじゃないか」
そんなにバレバレだったのか、とシンジは真っ赤になった。
「そ、そんな、僕、そんなに綾波のことばっかり…」
しかし、
「いや、ちゃうちゃう。そっちやのうて、」
「綾波だよ。シンジのこと、ときどき見てただろ?」
「え?」
シンジは首を傾げた。
「でも、そんな素振りは少しも…。
昨日だって、何度も目は合ったのに、別に、何も…」
シンジの言葉に、トウジとケンスケが顔を見合わせて、
「はぁー」とため息をついた。
「これだからセンセはなぁ」
「碇、お前ってほんと女心がわかってないなぁ…」
女っ気のないトウジとケンスケにそんなことを言われ、
「お、女心って…!」
さすがのシンジも少しイラッときた。

469: 逆行30 2008/06/17(火) 22:43:16 ID:???

だが、そんなシンジを軽くあしらうように、
「目が合うたってことは、向こうもこっちを見てた、っちゅうことやろ?」
「あの綾波が他人を気にするなんて、前代未聞だぜ?」
そんなことを言われて、シンジも少し、その気になる。
「そ、そうなのかな…? でも、だったら何であんな、冷たかったんだろ」
そこで、トウジとケンスケはまた顔を見合わせ、
「そりゃ、センセがとんちんかんなこと言うたからやろ」
「碇は女心がわからないからなぁー」
「だから、女心とか…!」
いきり立つシンジを見てケンスケはひとしきり笑った後、
「…でも、綾波としては一番に自分に声をかけてほしかったんじゃないかな?」
「え?」
「せやな。綾波がずっとセンセのこと見とったんは、そういうことかもしれんなぁ」
「トウジまで……。でも、そんなワケないよ。
もし話があるんなら、こっちに来て言うだろうし…」
そんなシンジの言葉に、二人はやれやれとばかりに首を振り、
「だって、相手はあの綾波だぜ? あの綾波がわざわざこっちに来て、
『元気になって良かったわね』なんて言いに来ると思うか?」
「そりゃ、思わないけど…」
「だから、ずっと待ってたんだよ。シンジが気づいてくれるのを」
「そうかなぁ…?」
シンジはいまだ半信半疑で首を傾げる。しかし、
(でも、それが本当だとしたら悪いことしちゃったなぁ…)
根がお人好しなシンジは、ついそんなことを思う程度には説得されていた。

470: 逆行31 2008/06/17(火) 22:51:59 ID:???

「ほら、わかったなら後は実践あるのみ、だぞ」
それを見て取ったケンスケは、シンジの背中を押す。
「な、何をしろって言うんだよ」
「これからせっかくの昼休みやぞ。もちろん屋上に連れ出して告白や!」
「こ、告白ぅ!? な、なんでいきなり…」
「綾波に謝るんだろ? なら、とにかく二人きりにならなきゃな」
「ちょ、ちょっと待って。それ、何かおかしい…」
無責任なことを言う二人に押し出され、あれよあれよという間に、
シンジはレイの前までやって来てしまった。
「あ、綾波、その……」
「なに?」
見上げる絶対零度の視線。それだけでシンジは腰が引けてしまうが、
『ほら、行け! そのままゴーや!』
『早く言え!』
背後からの無言のプレッシャーを受け、
「あ、あの、今から用事があるならいいんだけど…」
「ないわ」
「そ、そうなんだ。だったら、その、なんていうか…」
「………」
ごくり、と唾を飲み下し、
「今日は、いい天気だね?」
そうシンジが言った途端、
ガラガラガシャーン!
と背後で椅子や机のひっくり返る古典的な音がした。
(やっぱりダメだ。いきなり屋上に誘うなんて、僕には無理だよ)
絶望したシンジがどうやって話を終わらせようかと考え始めた時、
「そうね。いっしょに屋上へ行きましょう、碇くん」
そう言って、レイが立ち上がった。

471: 逆行32 2008/06/17(火) 22:52:39 ID:???

狐につままれたような思いで、シンジはレイと屋上に登る。
屋上へ着くと、レイは迷わず人のいない方へ歩き出し、
手すりの近く、屋上の端までやってきた。
シンジはまだ状況がよく分からない。
とりあえず綾波の意図を聞こうと思い、
「あの、綾波? どうして、ここに…」
「…用件は、なに?」
さえぎられて、逆にそう訊かれた。
どうやら、シンジが何か教室では言いにくい用事を伝えようとしていたのだと、
レイは考えたようだった。
(別に、誤解じゃ、ないけど…)
何を話せばいいんだろうか。シンジは色々と考えるが、名案が浮かばない。
結局ストレートにいこうと心を決めて、
「綾波。その、昨日はゴメン」
深く、頭を下げた。
「……どうして、あやまるの?」
「よく分からないけど、昨日、綾波を怒らせちゃったみたいだから。
自分では、よく分からないんだけど、僕はそういうの、全然ダメらしくて、
だから知らない内に綾波を傷つけてたのかもって思って、だから…」
シンジは必死に言葉を紡いでいくが、
「なにが悪いのかわからないのなら、あやまらないほうがいいわ」
それは不機嫌そうなレイの言葉でさえぎられた。
「……ゴメン」
今度こそ完璧に、そう言うしかなかった。
二人の間に、沈黙が落ちる。

472: 逆行33 2008/06/17(火) 22:53:29 ID:???

次の言葉が浮かばない。
沈黙が無慈悲に時間を削っていく。
レイは今にも「もう用がないなら」などと言って、
立ち去りそうな雰囲気だった。
その徴候を示すように、レイの髪がかすかに揺れて、その口が、

「あの! ……隣、いいかな?」

それを阻止するためだけに、シンジは声を張り上げた。
返事を待たず、レイの顔を見れないまま、その横に並ぶ。
そのまま手すりに腕を預けて、街を見下ろした。
まだ活気の見える第3新東京市は、シンジの心の拠り所の一つだった。
(……呆れて、帰っちゃったかな?)
シンジは気になってちらりと横を見た。
レイは、シンジと同じように手すりに身を乗り出して、街を見ていた。
「…あ」
「なに?」
振り返ったレイの言葉に、慌てて首を振る。
「…そう」
戻るレイの視線。シンジはほっと息をつく。
何も話をしていないのに、当面、レイがここを立ち去る気配はなかった。
――何だか、自分の存在を少しだけ肯定された気がして、嬉しくなる。

473: 逆行34 2008/06/18(水) 00:42:54 ID:???

街を見ている振りをしながら、シンジはこっそり、
レイと自分の距離を測る。
……たったの五十センチ。
それは、勇気を出して一歩を踏み出せば、
すぐに届く距離に見えた。
(……綾波)
おずおずと、手を伸ばす。
何をしたいワケでもない。
ただ、気づいてくれれば。
「――?」
だが、伸ばしかけた手の向こう。
レイの横顔に、いくつかの面影が、重なる。
それは、血にまみれながらシンジを送り出したミサトの姿であり、
それは、初号機をかばって自爆をするレイの姿でもあり、
それは、この世界に来る時にシンジの消した、アスカの姿でもあった。
――伸ばしかけた手を、下ろす。
シンジはもう一度レイに目をやった。
レイとシンジの間の五十センチは、果てしなく遠くなっていた。

474: 逆行35 2008/06/18(水) 00:43:46 ID:???

こんなに近くにいるはずなのに、レイはシンジと別の場所を見て、
違う物を感じている。
未来から戻ってきて、何でも分かっているような気になっていたのに、
不意にレイのことが分からなくなる。
いや、分かっているなんて思っていたことが、とんでもない誤解だったのだと、
ようやく気づいた。
「碇くんといると、わからなくなる」
だから、そう声をかけられて、シンジは自分の心が読まれたような気がして、
飛び上がりそうになった。
「わ、分からなくなるって、何が?」
必死で動揺を鎮めて、訊く。
「自分が…」
答えは、シンジの想像していたどんな物とも違っていて、
でもなぜか、シンジは自分の心が落ち着いていくのを感じた。
自然と、話し始める。
「僕も、分からないよ。自分のことも、それに、他人のことも…」
「……そう」
「知りたいと思って近づいても、分かったと思った瞬間に間違ってるって気づくんだ」
「…そう」
言葉からは、感情は読み取れない。だからシンジは、レイに尋ねた。
「綾波は? 綾波は、どう?」
「…わたしは、知りたいとは思わない」
「なぜ?」
「だって、そこにあるのが空っぽだとわかったら、もう、動けなくなってしまうもの」
レイの言葉の本当の意味は、シンジには分からない。
だが、とても悲しい言葉だと、そう感じた。

475: 逆行36 2008/06/18(水) 00:44:20 ID:???

それがレイの本心であるならば、それにシンジが口を挟めることなんてない。
そう分かっていて、それでも尚抑えきれない何かが、シンジに口を開かせた。
「でも、それでもやっぱり、知りたいって、そう思ったりはしないの?」
長い、沈黙。そして、
「わからないわ」
その声は、風に消えるほど、小さかった。
「碇くんといると、わからなくなる」
気がつくと、二人の視線が合っていた。
「ほんとうは、知りたいのかもしれない」
逃げたがる体を懸命に押さえつけて、シンジはレイと目を合わせ続けた。
「おしえて、くれる?」
片手で手すりをぎゅっと握り締めたまま、レイが手を伸ばしてくる。
「綾、波…」
その優しい赤い瞳の奥に、シンジは初めて揺らぎを見た気がした。
それは、たぶんずっと前からそこにあったもので、でも、
この瞬間になるまで、シンジがずっと見つけられなかったものだった。
「…うん。僕もよく、分かってないけど、でも……」
シンジの手も、レイを迎え入れるようにそっと伸ばされる。
五十センチの距離は……お互いから手を伸ばせば、半分になる。
そんな簡単で当たり前のことを、シンジは初めて理解した。
「「……ぁ」」
二人の声と、呼吸が重なる。
シンジの手と、レイの手が出会って、指先が触れ合っていた。

476: 逆行37 2008/06/18(水) 00:48:27 ID:???

奇妙な光景。
二人は息を詰め、真剣な表情で、指先を合わせる。

そして、一度、二度、三度、と。
かすかに、指の先が触れ、また離れ、触れる。
指先に感じるわずかな熱と、こそばゆさ。
それが、お互いに、お互いの存在を強く感じさせる。

二人は指先で会話して、まるで計ったような、
ぴったりのタイミングで、指を、絡ませる。
指と指が交差して、しっかりと合わさり、
やがて、手の平が触れ合う。

密着する、手と手。
手の平を通して互いの脈動が伝わる。
再び、シンジとレイの、視線が絡む。
二人は、じっと見つめ合い……

――だが、そこまでだった。
ゆっくりと息を吐き、どちらからともなく、指を外した。

477: 逆行38 2008/06/18(水) 00:49:04 ID:???

漂う、どこか余所余所しい空気。
もう目を合わせることすら出来ない。
そんな雰囲気を打ち払うように、シンジはもう一度、
手を差し出した。
そして、
「……約束、しようよ」
そっと、小指を突き出す。
「…なにを?」
やはり、シンジとは微妙に視線を逸らしたままで、
レイがシンジを見る。
「今はまだ、ダメでも、その次か、そのまた次か、いつかは……。
その、自分でも何を言ってるかよく分からないけど、だから、あの、
とにかく、次があるようにって、それで、きっと…」
言葉をさえぎるように、レイが小指を差し出した。
「いつか、きっと…」
小さく、本当に小さく微笑んだレイの口から、そんな言葉が漏れる。
そして、シンジもそれに応えるように、
「うん。いつか…」
――シンジの小指とレイの小指が、結ばれる。
それもまた、触れ合い。
拙く、臆病な、だけど二人の精一杯の重なりだった。

478: 逆行39 2008/06/18(水) 00:50:22 ID:???


ちなみに、その陰で。

「全然動かへんなぁ。あの二人…」
「ここからじゃ、何をしゃべってるかも分からないしね」
「もう、だからのぞきなんてやめようって言ったのに」

「そんなこと言って、イインチョ一番乗り気やったやんか」
「わ、私は、あんたたちが余計なことしないように…」
「お、動きがあったぞ!」

「なんや、何しとるんや?」
「指を、からめて…?」
「指きりしてるんじゃないか、あれ」

「なんやセンセも綾波も、初々しいなぁ」
「正に青春! まっさかり!」
「いいなぁ…」

「………」
「………」
「………」

「私たち、何やってるんだろ」
「そやなぁ。何やっとるんかなぁ…」
「なんかオレたち、バカみたいだよな」

新たな三バカトリオの誕生だった。

484: 逆行40 2008/06/22(日) 00:57:44 ID:???

国連軍の空母『オーバー・ザ・レインボウ』に向かうヘリの中。
騒ぐケンスケやトウジを他所に、シンジは自分の荷物を抱え、
ずっと一人で黙り込んでいた。
シンジが抱えた荷物。その中には、シンジのプラグスーツが入っている。
出掛けにミサトが渡してくれたものだ。
――その時の会話を思い出す。

「はいこれ、シンちゃんのプラグスーツ。ちゃんと自分で持っててね」
「プラグスーツですか? でも、初号機は本部に置いていくんじゃ…」
「うーん。ま、そうなんだけどね。備えあれば、って言うじゃない?
……向こうにも、エヴァがないワケじゃないしね」

それ以上食い下がるのも不自然だと思い、何も言わなかったが、
シンジは内心、納得出来ない物を感じていた。
(弐号機を受け取りに行くだけなのに、
僕のプラグスーツが必要になるはずがない。
ミサトさんは、これから起こることを知ってる?)
ご機嫌で話をするミサトを盗み見る。
その姿を見る限り、まるでいつも通りで何の気負いも感じさせない。
(僕の考えすぎかな? でも……)
前の世界ではシンジもアスカのプラグスーツを着て、
一緒に弐号機に乗り込んだ。
でも、それはイレギュラーな事態だったはずで、
普通に考えればアスカが弐号機で出ることまでは想像しても、
シンジが一緒に乗ることなんて考えもしないだろう。
(それとも、僕が弐号機に乗ることを期待されてる?
それこそまさかだ。そんなことをするメリットが何もない)

485: 逆行41 2008/06/22(日) 00:58:23 ID:???

そこまで考えて、シンジは口元を荷物の陰に隠しながら、
ふっと自嘲気味に笑った。
(ウソだ。そんなこと、本当はどうでもいいんだ)
全てが欺瞞だった。
シンジがめずらしくそんなことに思考をめぐらせているのは、
深刻ぶって何かを考えている振りでもしていないと、
途端に押し寄せる不安に潰されてしまうと分かっているからだった。
漠然と、ヘリの向かう先を見る。
――この向こうに、アスカがいる。
それを考えてしまえば、他の心配ごとなど途端に重みをなくす。
その代わり、押し潰されそうなほど大きな想いに、胸が苦しくなる。
(逃げ出したい、今すぐ。ここから飛び降りてでも…)
そんな物騒なことを思うが、今更シンジにそんなことが許されるはずもない。
逃げずにアスカに、自分の罪に向き合うこと。
それはシンジが自分に定めた罰だ。
そして、その瞬間は刻一刻と迫ってきている。
(一体僕は、どんな顔をしてアスカに会えばいい?)
考えるだけで、シンジの胸は悲鳴をあげる。
だが、それを忌避する一方で、
ひたすらその瞬間を待ち望んでいる自分がいるのも、
また事実だった。

486: 逆行42 2008/06/22(日) 00:59:02 ID:???


――再会は、あっけなく果たされた。
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、
セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーよ」
ミサトの紹介を、上の空で聞く。
何日か振りに見たアスカは、シンジの記憶にある彼女の姿そのものだった。
豪奢な髪に、気の強さのにじみ出る瞳。
すらっと伸びた長い足に、その上で風にあおられて持ち上げるスカート…。
「っと。あっぶないわねぇ。これだから船の上は…」
しかし今回のアスカは、抜け目なく片手でスカートを押さえた。
(ああっ! ちょっと残念!)
などと、シンジに考える余裕があるはずはない。
ただ、理由も分からず湧き上がりそうになる涙を抑えるので、精一杯だった。
(やっぱり、アスカは僕にとって特別なんだ…)
それが、シンジのよく知る『あの』アスカではなかったとしても。
かつてシンジが初めて会った時と変わらない、自信にあふれ、
エネルギーの塊といった彼女の仕種一つ一つが、シンジの目を釘づけにする。
(――?)
不意に、ミサトと話しているはずのアスカの目が、
こちらを向いたような気がして、びくっとする。
(ちょっと、じっと見すぎてたかな。とにかく今は、不自然じゃないように、
最初の時と変わらないように、振る舞わないと…)
そう思って、自然な動作を試みるのだが、それでもやはり、
アスカはミサトと話しながらも、時々シンジを意識しているように感じた。
「それにしてもあなたが来てくれるのは助かるわ。弐号機の戦力、期待してるわよ」
そのミサトの台詞は、おそらくアスカの自尊心を満足させる心地良い言葉。
しかし、アスカは獰猛な笑みを浮かべ、
「でも、アタシが来たらイヤだと思ってる奴もいるんじゃないの?
……ね? サードチルドレン?」
その指が、ピシリ、とシンジを指し示した。

487: 逆行43 2008/06/22(日) 01:01:17 ID:???

「…え?」
思わず固まってしまうシンジ。
しかしアスカはそんなことは斟酌せず、不躾にシンジを指差しながら、
「ねぇミサト。コイツがサードチルドレンの碇シンジ、でしょ?」
「あらぁ、よく分かったわね、アスカ。そうよ。この子がサードチルドレン、
エヴァ初号機のパイロットの碇シンジ君よ」
ミサトの紹介にアスカは、ふん、と鼻を鳴らして、
「そりゃ知ってるわよ。コイツ、この世界じゃ有名なんだって?
初陣でたまったま使徒を倒して調子に乗ってるへなちょこパイロット。
この前、加持さんから聞いたわ」
「加持ぃ?」
加持と聞いて、途端に顔をしかめるミサト。
だが、アスカは当然ながら全く気にも留めず、シンジの前まで歩み寄る。
「いーい、サードチルドレン!
アタシがいない場所でちょーっとばかし使徒を倒したからって、
いい気になってるんじゃないわよ!
本当はアタシの方が、エヴァの操縦も、シンクロ率もずっと上なんだから!」
「……ぇ、と」
久し振りのアスカの勢いに圧倒され、シンジは何も言葉を返せない。
その代わりのように、ミサトが出てきて含み笑いをする。
「ふふ。シンクロ率だったらこっちのシンジ君だって負けてないわよー。
一瞬だけど、今のアスカの記録にあと五ポイントくらいの所まで迫ってたんだから。
一ヶ月前のアスカの記録だったら抜かされていたわねぇ」
その言葉に、初めてアスカの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「ウソッ! そんなの聞いてないわよ!?」
「そりゃ、最新のデータだからね。まだそっちに届いてなくても無理ないわ」
「そ、そういうことじゃなくて! でもなくて、やっぱりそういうことなんだけど」
ずいぶん混乱した様子を見せて、なぜかシンジをギリッとにらむ。
「アンタ、ちょっと顔貸しなさい!」

488: 逆行44 2008/06/22(日) 01:02:01 ID:???

「なんや、まるで不良の呼び出しやなぁ…」
今までアスカたちのやりとりについていけていなかったトウジが、
初めて発言し、
「うっさい! そこのアホ面二人!」
それを聞きとがめたアスカから手ひどい罵倒を浴びる。
「あ、アホづらやてぇ!」
「俺、何にも言ってないのに…」
いきりたつトウジや思わぬとばっちりに涙目になるケンスケを無視し、
アスカはシンジの前に立つとその手首をがっちりとつかんだ。
「ミサト! コイツ借りてくわよ!」
そのまま、ドスドスとシンジを引き連れて船内に入ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。あんまり勝手な行動は…」
「心配しなくても、アタシの弐号機の様子を見てくるだけよ。
ミサトはこれから艦長にあいさつしたり、
色々やんなきゃいけないことあるんでしょ。
その間、アタシたちはなぁんにもすることないじゃない」
「そりゃ、そうだけど…」
「大丈夫よ。その時間をせいっぜい有効に使って、
エヴァのパイロット同士、親睦を深めることにするわ」
アスカの見た者の心を寒くするような笑顔に、
ミサトは困ったような顔をしていたが、やがて折れた。
「分かったわ。くれぐれも変な所には迷い込まないようにね。
……それと、シンジ君は繊細だからちょっとは手加減してあげて」
ミサトから色よい返事を引き出したアスカは満面に肉食獣の笑みを浮かべると、
「もちろん、善処するわ」
とご機嫌に言い放つと、シンジを連れてドアの向こうに消えていった。
「変わってないわねぇ、あの子」「すっげえ、強烈な女…」「碇、大丈夫かいなぁ」
後にはのん気な感想を漏らすミサトと、呆然とするケンスケとトウジが残された。

489: 逆行45 2008/06/22(日) 01:03:17 ID:???

「あ、あの、良かったのかな。ミサトさんたち、置いてきちゃって…」
二人きりになると、シンジはおずおずとアスカにそう切り出した。
「アンタ、バカァ? きちんと許可取ってきたじゃないの」
「そ、それはそうだけど、でも、もうちょっと一緒にいた方が…」
シンジとしては、前回と微妙に違うこの展開に違和感を隠せない。
出来る限り前回と同じ行動を取れるよう、
人の動きを調整していきたいという気持ちがあるのだが、
「いーのよ。どうせミサトはすぐ、アタシたちどころじゃなくなるんだから」
「それって、どういうこと?」
首を傾げるシンジに、アスカはめんどうくさそうに説明する。
「んー。アタシとドイツから一緒に来た加持って人が、ミサトの古い知り合いでね。
だから、……って、何でアタシがそんなことわざわざ説明しなくちゃいけないのよ!」
「ごめん…」
怒鳴られて思わず謝るが、にも関わらずアスカの眉が急角度で上がる。
「アンタそれ、本気で悪いと思ってるの?」
「う、ごめん」
「だからっ! このっ! 条件反射で謝るんじゃないわよ!」
「ごめ……、何でもない。気をつけるよ」
アスカの厳しい視線に、シンジは何とか三度目のゴメンを踏み止まった。
ようやくアスカは「よろしい」という顔をして、前に進み始める。

490: 逆行46 2008/06/22(日) 01:05:31 ID:???

「……ねぇ、アンタ」
「な、なに?」
先ほどのやりとりが云々、というより、
アスカに対する負い目からやはりおずおずと返事をするシンジ。
そんなシンジの態度を、アスカは軽蔑のこもった目で一瞥しながら、
「アンタ、碇シンジとか言ったっけ? アンタじゃ人が多い時呼びにくいから、
これからはシンジ、って呼ぶことにするわ」
「う、うん…」
前を歩くアスカに分からないくらいに、シンジの顔が喜びに紅潮する。
「それじゃ、僕は…」
「ああ。アタシの名前ね。……そうね。これから一緒に戦う仲間になるんだし、
アタシのことは気軽に『惣流さん』って呼んでくれればいいわ」
「そ、惣流さん…?」
一転、狐につままれたような顔になるシンジ。
「何よ! 不満なワケ? アンタがどうしてもっていうなら、
ラングレーさんでもいいけど、それってやっぱり何か…」
「わ、分かったよ。惣流さんって呼ぶから」
怪しい雲行きの会話に、シンジは慌てて追従した。
「最初から素直にそう言ってればいいのよ…」
という小声の呟きは聞こえなかった振りをする。
やがて、
「そうね。この辺りまで来れば、もういいかしらね」
そう言って、アスカは立ち止まった。

491: 逆行47 2008/06/22(日) 01:06:27 ID:???

「もういい、って。どういう意味?
僕たち、弐号機のところに行こうとしてるんじゃ…」
目をきょとんとさせるシンジに、
アスカはあからさまな侮蔑の表情を浮かべた。
「…シンジって、やっぱりバカね」
「へ?」
「弐号機は別の艦に積んでるんだから、
この中いくら歩き回ったって着けるはずないじゃない」
「………そ、そっか。言われてみれば、その通りだ」
自分はそこまで舞い上がっていたのか、と密かに反省する。
「ここに来たのはね。アンタにちょっと訊きたいことがあったからよ」
「……それはいいけど。でも、あんまり機密に関わるようなことは」
「別に、そんな難しい質問はしないわ。
どうしても答えられない質問には答えなくてもいいし」
「それなら、構わないけど…」
前回の世界になかった展開に、シンジは困惑する。
アスカに前回とは違う何かがあることは確かだった。
(素直に考えれば、この世界にやってきてからの僕の行動が、
アスカに特別な影響を与えたってことだけど…)
内心、首をひねる。
そんな他人に大きな影響を与えるようなことは、した覚えがない。
(……だけど、風が吹けば桶屋が儲かるって言うし、
僕の何気ない変化が回りまわってアスカに届いた、
って可能性はあるかな?)
そんなことをシンジが考えていると、思い惑うシンジを正面に見据えて、
アスカが探るような目でシンジをのぞき込む。
「その前に、アンタが後生大事に抱えてるその荷物は何?
ずっと気になってたんだけど」

492: 逆行48 2008/06/22(日) 01:07:39 ID:???

よくよく見れば、アスカの視線はシンジではなく、
シンジが抱えたバッグに注がれていた。
「え? あ、これは、僕のプラグスーツだよ」
「プラグスーツぅ? アンタの初号機は海の向こう、
日本のNERVの本部にあるんでしょ?
どーしてスーツだけ持ってきてんのよ!?」
詰問されて、シンジは頭をかく。
「ぼ、僕にもよく分からないよ。ただ、出発前にミサトさんが、
何があるか分からないから、念のために持っていけって」
「ふぅーん。ミサトがねぇ…」
アスカの両目が一瞬だけ光って、すぐ元に戻る。
そして、逆にあからさまなほどに何気ない風に、
「アタシ、しばらくミサトとも会ってなかったのよね。
ねぇ。ミサト、最近何か、変わったことあった?」
「え? か、変わったこと、って?」
繰り出された質問に、シンジは口ごもった。
「別に、何でもいいわよ。急に髪型を変えたとか、性格が変わったとか、
行き先も告げずに外出するようになったとか。とにかく、何かないワケ?」
「う、うぅーん。そんなこと言われても…」
シンジはアスカの意図を読めずに頭を悩ますばかりだ。
それでも素直に考えて、
「あ、でも…」
「でも?」
「何だか、前より僕に優しくなったかもしれない」
口に出してしまってから、下らないことを言ってしまったと後悔した。
たぶんアスカが欲しい情報は、こういうことではないだろう。
そう、思ったのだが。
「……それって、いつから?」
アスカは意外に真剣な表情で、そう訊いてきた。

493: 逆行49 2008/06/22(日) 01:09:14 ID:???

もしかして、この答えで当たりだったのかな、なんて思いつつ、
シンジは記憶のひだを探る。
「えっと、ヤシマ作戦のすぐ後だから、確か…」
「待って。そのヤシマ作戦ってのは、第伍使徒との戦闘のことでしょ」
「そうだけど…?」
「だったらいいわ。それについては資料を見たから。日付も覚えてる」
「資料を見た、って?」
予想外の言葉に、シンジは思わず訊き返すが、
「ドイツにいる内に調べたって言ってんのよ。あったま悪いわねぇ」
辛辣な言葉のおまけつきで答えを返される。
「どうせ僕は、アスカに比べたらバカだよ…」
その言い種に少しいじけながらも、シンジはようやく、
数々の疑問の解答を見つけた気がしていた。
それが正確に、一体何によって引き起こされたのかは分からないが、
アスカは前回のアスカと違って、日本での使徒の戦いに興味を持ち、
独自に資料に当たっていたのだ。
(……そっか。だから、僕の顔や名前を知ってたんだ)
それを納得すると同時に、なぜか少しだけ、寂しいとも感じてしまう。
しかし、その感情の正体を突き詰める前に、
「まあその話はとりあえずいいわ。
……アタシが訊きたいのは、もっと違うことよ」
アスカが真剣な目をして、今度こそシンジ本人をじっと見つめてくる。

494: 逆行50 2008/06/22(日) 01:11:38 ID:???

「シンジ。アンタ、アタシに迫るくらいのシンクロ率を出したって、
本当なの? それって絶対間違いないワケ?」
「う、うん。だと、思うけど…」
勢いに押されるように、シンジはうなずかされた。
だがそんなシンジの消極的な態度が、逆にアスカの逆鱗に触れた。
「だと思うぅ? なぁんでそこではっきり言わないのよ!
自分のことでしょ!」
激昂するアスカから、シンジは顔を逸らした。
「……でも、僕だって自分の記録を直接見たワケじゃないし。
ミサトさんは僕が今までの記録を更新したって教えてくれたけど、
それがアスカと比べてどうかなんて、僕は知らないよ」
吐き捨てるようにシンジの口から吐き出される言葉。
そこにシンジの鬱屈した思いを嗅ぎ取ったのか、
アスカは一度だけ、かすかに怯えたように肩をすくませた。
だが、そんな様子を見せたのも一瞬、
「ま、理屈は分かんなくもないわ。アタシも同じようなもんだしね。
……ただし!」
アスカは自分の手をシンジに伸ばして、その頬を思い切りつかみ上げた。
「いは! いひゃひゃひゃ! ……い、いきなり何するんだよ!」
突然頬に走った痛みに、シンジは一時、アスカに対する負い目も遠慮も忘れ、
必死でその手を振り払った。
だが、そんなことをされてさえ、アスカの態度は不遜なままで、
「さっきアンタ、どさくさまぎれにアタシのこと『アスカ』って呼んだでしょ。
もー! 見てよここ、アンタのせいで鳥肌立っちゃったじゃない!」
「し、知らないよ、そんなの…」
傍若無人の見本みたいなアスカの態度に、
シンジはボソボソと文句を言うくらいしか出来ない。
『アスカ』という呼び方が体の芯にまで染みついていることに気づき、
内心ビクビクしている、というのもあった。

495: 逆行51 2008/06/22(日) 01:17:47 ID:???

「それじゃ、もう一つ質問ね。アンタのシンクロ率の記録更新したのは、
ミサトの態度が変わった後? それとも前?」
「え? 何でそんな…」
「大事なことなのよ。答えて!」
アスカの剣幕に、シンジは多少の反発を覚えつつ、素直に答えてしまう。
「後、だけど、それが一体…」
だが、アスカはシンジの疑問になど興味を持っていないようで、
「やっぱり後、か。……なら、分岐はアタシが来た後に起こってるはず。
これで並行宇宙って線は薄くなったかもしれないわね」
後半の問いかけは完全に無視、前半だけをオウム返しに呟いて、
おまけにシンジにはワケの分からないことを、ぼそっと口にした。
そして、それだけではあきたらず、
「シンジ。やっぱりミサト、他に何か変わったことないの?
アンタに何かおかしなことさせたり、隠しごとをしてるみたいだったりとかさぁ」
妙に作ったような声で、さらにシンジから何かを聞き出そうとする。
だが、そろそろシンジも限界だった。
アスカの言葉をさえぎって、逆に質問する。
「僕も気になるんだけど、さっきから、どうしてミサトさんのことばっかり、
これじゃまるで、ミサトさんを…」
口にしている途中で、シンジの頭に閃くものがあった。
「もしかして、ミサトさんが何かズルしてるんじゃないかって、
そう疑ってるの?」
その指摘に、アスカは少しだけ目を見開いて、
「へーぇ。とぼけた顔してる割にはなかなか勘が鋭いじゃない。
言い方はともかく、そういうことよ。だってそうでもなかったら、
アンタみたいに冴えないヤツがいきなりそんなシンクロ率出せるはずないでしょ」
そう、あっさりと言ってのける。
その言葉が耳に入った途端、
「じょ、冗談じゃないよ!」
アスカ相手だというのに、シンジは堪え切れずに叫び声をあげていた。

539: 逆行52 2008/06/25(水) 21:07:55 ID:???

今まで考えてはいなかったが、この前のシンジのシンクロ率は、
この段階では不自然なほど高かったのかもしれない。
だがそれは、シンジが未来から戻って来た人間であるせいで、
ミサトとは無関係だとシンジは知っていた。
かといって、真実を打ち明けることは出来ない。
あまりに荒唐無稽な話で信じられはしないだろうし、
それに、シンジ自身意識していない所で、
『自分のしたことをアスカに知られるくらいなら、死んだ方がマシだ』、
というほどの強い想いを抱いていた。
しかし、
「そんな理由で、ミサトさんを疑うなんて、おかしいよ!」
だからといってミサトに罪をなすりつけるようなことも出来なかった。
「ミサトさんは、そりゃずぼらでいい加減なところもあるけど、
信用出来る人だよ。第一、ミサトさんが僕に隠しごと、なん、て…」
シンジの言葉が止まる。それを見て、アスカは逆に身を乗り出した。
「あるのね、心当たり! それを話して! 絶対、誰にも言わないから!」
「だ、だけど…」
躊躇する。それは、ミサトを売るのと同じ行為に思えた。
「もー! いいから、はやく言っちゃいなさいよ!
……アタシは別にミサトをどうこうしようなんて思ってないわよ。
ただ、本当のことを知りたいだけなんだから」
そう訴えかけるアスカの目は、シンジの想像よりずっと真摯だった。
そして、シンジの知るアスカという少女は、身勝手で驕慢で短気ではあっても、
こういう時に人を騙すような人間ではなかった。
「……わ、分かった。話すよ。話せばいいんだろ」
アスカの瞳の圧力に屈するように、とうとうシンジは折れた。

541: 逆行53 2008/06/25(水) 21:09:09 ID:???
「その、ヤシマ作戦のすぐ後、僕は倒れて入院することになったんだけど…」
一度心を決めてしまうと、シンジの口はなめらかに動いた。
シンジだって、内心ではこのことを誰かに相談したいと思っていたのだ。
「気がつくと、寝ている僕の傍でリツコさんとミサトさんが話をしてたんだ。
でも、僕が起きてからミサトさんに尋ねたらそんな話はしてないって……」
アスカはめずらしく殊勝な態度でじっとシンジの話を聞いていたが、
「ふぅん。だけどそれ、アンタがただ寝ぼけてただけって可能性はないの?」
そう指摘される。それは、シンジがずっと考えていたことでもあった。
「そこが、分からないんだ。でも、その時のミサトさんたちの会話で、
『僕の症状はただの体調不良だ』って言ってたけど、それは間違ってなかったよ」
しかし、アスカはそれでも眉をひそめた。
「具体的な症状を当てたっていうなら分かるけど、体調不良じゃ弱いわよ。
他に、同じようなことはなかったの?」
その質問に、シンジは首をひねる。
「……どうだろう。考えたこと、なかったな。
でも、何だか最近、ミサトさんとリツコさんの夢をよく見るんだ」
「…へえー」
アスカの気のない合いの手。しかし、シンジは気づかずに、
「起きてもだいたい覚えてないんだけど、いつも二人で僕の話をしてるみたいでさ。
リツコさんはいつも通りちょっと冷たいんだけど、ミサトさんはいつもより優しくて、
なんていうか、お母さん、みたいな感じで……あ、あれ?」
シンジはそこでようやく、アスカが自分を、
まるで犯罪者を見るような冷め切った目つきで見ているのに気づいた。
「……ヘンタイ。マザコン。年増好き」
「ち、違うよ! そんなんじゃなくて…!」
「あーあぁ! ホンット、マジメに聞いてて損したわ!
噂に聞いてたサードチルドレンがこんなヘンタイだったなんて、幻滅ぅ!」
「…ん、な! よ、よく言うよ! 僕をジャマだと思ってたのは、そっちだろ!
最初っから、期待なんてしてなかったくせに!」
売り言葉に買い言葉。それはよりにもよってアスカにそういう誤解をされてしまったシンジの、
苦し紛れのごまかしだった。
しかし、その言葉を聞いて、アスカの瞳の熱が目に見えて変化する。

542: 逆行54 2008/06/25(水) 21:10:46 ID:???

「な、なんだよ…。僕は、本当のことを言っただけだろ。
何か、言いたいことがあるんなら…」
それに気圧されて、シンジはわざとつっかかるような口調でそう尋ねる。
しかし、アスカは言い返すこともなく、ただふいっと視線を逸らした。
「何でもないわよ」
どこかあきらめのにじんだ、思わせぶりな仕種。
シンジはどうしてもそれが気になって、
「そ、それで、何でもないってことはないだろ。
もう、だからこっち向けったら…!」
アスカを振り向かせようとその腕に手をかけて……。

「触らないで!」

脳を叩く、悲鳴のようなアスカの声。
気づいたら、シンジはいつのまにかアスカから二メートルほど、
吹き飛ばされて壁に頭をぶつけていた。
何をされたのか全く分からなかったが、それは不思議には思わない。
一体何を習っているのか、肉弾戦において、
アスカがシンジよりもずっと強いのは身にしみて分かっていることだった。
それよりも、突然の過剰な拒絶にシンジの頭に血が昇った。
「いきなり何す…ん……」
しかし、とっさに放った怒声は、尻つぼみに小さくなる。
その声の、向かう先。そこにいる、傲岸に、
胸を反らして立っていなければいけないはずの少女は、
「……あ、アス、カ?」
両腕で自分の体を守るようにして、小さく震えていた。

543: 逆行55 2008/06/25(水) 21:11:27 ID:???

「アスカ! 大丈夫?!」
頭の中が空っぽになり、シンジはアスカに駆け寄るが、
「やめて…」
か細い声に縫い止められ、あと一歩の所で動きを止めた。
「アスカ、一体、どうしたんだよ? 急に、こんな…」
その代わり、言葉で歩み寄る。そう、試みる。
しばらく、返答はなかった。
だがやがて、蚊の鳴くような小さな声で、
「……こわいの」
震える唇から、思いもかけない、言葉が漏れた。
「昔、アンタみたいなヤツに、すごく、ひどいこと言われて……。
それ以来、ダメなのよ。名前呼ばれたり、体に、触られたりするの」
アスカの弱々しい態度も、放たれた言葉も、とても信じられない。
だが、アスカのその表情が、それが真実だと語っていた。
「ほ、本当にごめん。僕、まさか、そんなの…」
かける言葉が見つからなかった。
しかし、アスカは緩慢に首を振る。
「いいわよ。アンタは、何も知らないんだから…」
「でも……」
「アタシが気にしてないって言うんだから、それでいいのよ。
……ほら、いいからこっち、来なさい」
近寄ってもいいのか、それを不安がる足取りで、
シンジはおそるおそる、アスカに近づいていく。
「あのね、シンジ…」
手を伸ばせば触れられるほど近くに来たシンジに、
アスカははかなげで弱々しい顔を見せると、
「――ッ?!」
完全に油断していたシンジの頬をつかんで右手で思い切り吊り上げた。

544: 逆行56 2008/06/25(水) 21:12:17 ID:???

「い、いはっ!! いひゃひゃひゃい!」
途端に、アスカの顔に笑みが戻る。
とびっきりの、殺気さえこもった笑みが。
「バッッッッッッッカじゃないの!?
アンタに似たヤツにひどいことされた?
……ハッ! そんなことあるワケないでしょ!
アンタみたいなのに何か言われたら、
三秒もかけずにノックアウトしてやるわよ!」
その間もアスカの手はすごい力でシンジの頬を引っ張っており、
「ひふ! ひふ! ひふあっふ!」
シンジは必死で近くの壁をタップしてギブアップを宣言するのだが、
アスカは全く気づいた様子もない。
いや、気づいていてあえて無視しているのか。
「それよりアンタ、またアタシのこと、
名前で呼んだでしょ。それも、三回も!」
アスカはシンジがもがく様を楽しそうに見ながらそんなことを言うが、
シンジにはアスカの言葉に答える余裕はない。
ただ必死に爪先立ちになって、
頬の痛みを軽減させるべく健気な努力を続けている。
「アンタがアタシを名前で呼ぶなんて、百万年は早いのよ!
分かった? 分かったら、返事!」
「ひゃ、ひゃい…」
シンジのくぐもった声に、一応は満足して、
「よろしい」
ようやく、シンジは解放された。

545: 逆行57 2008/06/25(水) 21:13:03 ID:???

「うげぇ。きたなーい! もうヤダ、サイアクぅ!」
そんなことを言いながら、シンジの唾液のついた右手をハンカチでぬぐうアスカを、
シンジは左頬を押さえて、すっかり涙目になった両眼でじっと見ていた。
「なによ? その目は何か言いたい目ね」
それを見咎めて、アスカがシンジをじろっとにらむ。
「え? あ、いや、……何でもないよ」
シンジはすぐに目を逸らすが、遅かった。
「なによ! アンタ男でしょ。
言いたいことがあるなら、はっきり言ってみなさいよ」
シンジの目が何度か泳ぎ、それでもアスカが視線を外さないのを見て取ると、
ついに観念して口を開いた。
「その、もう大丈夫みたいだから、良かったな、って…」
「大丈夫って何が…、!!」
わずかに遅れて言葉の意味に気づいたアスカの頬が、
怒りと羞恥に彩られて瞬間的に朱に染まる。
激情に駆られて何か言おうと口を開いたようだったが、
そこからは何も言葉は出てこない。
おそらく、シンジに自分の虚勢を見破られ、
あまつさえ気を遣われたことが許せないのだろう。
ただやり場のない思いにアスカの口はパクパクと動き、
屈辱に拳がギュッと握られた。
その気配を察したシンジは、ついいたたまれなくなって、
とにかくアスカの弁護に回る。
「い、いや、そのっ…。人それぞれ、苦手なものってあるだろうし、
僕だってほら、怖いものとかたくさんあるし…」
シンジはアスカの機嫌を直すべく、精一杯のフォローをしたつもりだったが、
「ムカツク! 気に入らない!」
アスカはすっかりへそを曲げていた。
「なんでさっ!?」
理不尽なその状況に、シンジはもう叫ぶしかなかった。

546: 逆行58 2008/06/25(水) 21:13:52 ID:???

騒ぐシンジから、顔半分だけ目線をずらして、
「シンジは、さっきアタシに気を遣ったからアタシの手を振り解いたり、
触ったりしなかったんでしょ。
それって、アンタに同情されたってことじゃない」
「それは……」
シンジは一瞬言葉に詰まるが、これは今、
自分が口にしておかなければならないことだと、すぐに思い直した。
「君はプライドが高いから、そういうの嫌かもしれないけど。
でも、同情されるのって、当たり前のことだと思う。
誰にも弱みを見せないように生きようとしても、疲れるだけだよ」
そんなシンジの言葉に、しかしアスカは顔の角度をさらに逸らす。
「……そんなの、アタシだって分かってるわよ。
ただ、アンタに弱みを見せた自分が許せないだけ」
それきり、唇を噛んでうつむいてしまった。
(これは、処置なしだよ…)
シンジは心の中だけでこっそり、ため息をついた。
なんとなく、アスカと二人、廃墟で暮らしていた時のことを思い出す。
あの時も、アスカが起こす数々の理不尽に、シンジは翻弄されていた。
場所も環境もまるで違うが、状況だけは今とそっくりだった。
(……でも、このアスカは、僕とあの日々を過ごしたアスカとは、違う)
それを思い出して、シンジは気を締め直す。
『あの』アスカと同じように目の前の少女と付き合うのは、
どこか後ろめたい気がした。
(今目の前にいるのは、あの『アスカ』じゃなくて、『惣流』なんだ。
そういう切り替えをしよう…)
そう心に決め、シンジはアスカから物理的にも距離を取ろうと足を動かしかけて、
(……え?)
そんなシンジの葛藤を突き破って粉砕してさらにせせら笑うみたいに、
至近距離、まさにシンジの目の前に、アスカの腕が伸ばされた。

565: 逆行59 2008/06/29(日) 01:59:26 ID:???

「…………」
一秒ごとに存在感を増す、目の前に伸ばされたアスカの腕。
それなのに、張本人のアスカからは何の説明もない。
困惑したシンジが、「何、これ?」という意味を込めて視線を送っても、
アスカは他所を向いて知らない振りを決め込んだ。
仕方なく、口を開く。
「これ、一体どういう…」
「さわって」
アスカはシンジを見ないまま、簡潔な言葉で、シンジの疑問を塗り替えた。
「え? さわ…、え?」
「だから、アタシの腕、触ってもいいわよ、って言ってるのよ!」
「……なんで?」
そこでようやくアスカはシンジを見た。
「アンタの誤解を解くために決まってるでしょ! ほら、早く!」
アスカの怒りに燃えた熱いまなざしに、ようやく事情を悟る。
触られるのが怖い、という弱みをウソにするために、
わざわざシンジに腕を触らせようと言うのだ。
(僕に弱みを見られたのが、そんなに悔しいのかなぁ…)
そう考えながら、シンジは途方に暮れていた。
(触れ、って言われても……)
ちら、と上目遣いにアスカの様子を確認する。
シンジには興味ありません、と言いたげに明後日の方向に目を向けているが、
意識しまいとしていることで逆に意識しているのがまる分かりだった。
だが、その頑なな態度を見る限りでも、シンジが説得したところで、
とても退くようには思えない。
それどころかさらに意固地になる可能性の方が高そうだった。

566: 逆行60 2008/06/29(日) 01:59:56 ID:???

(こうなったら仕方ないや。適当にやって、すぐに終わらそう。
最初にアスカの腕を解いた時は大丈夫だったんだから、
同じように一瞬だけ触って離せば…)
シンジはそんな風に打算するが、
「……言っとくけど、一瞬だけ触って終わりとか、
服の上から触って終わり、なんて中途半端は許さないわよ」
その前にアスカに釘を刺された。
(わざわざ自分の首を締めるようなこと、言わなきゃいいのに)
シンジはそう思うのだが、それこそプライドの問題なのだろう。
(……やるしか、ないのかな)
日常の中で偶然、というのならともかく、一度意識してしまうと、
ただ腕に触れるだけの行為でもシンジはずいぶんと気後れしてしまう。
触れ合う、という意味ではレイの時と似ているように思えるが、
その実、その内容は天と地ほどの開きがある。
レイの時とは違い、シンジが一方的にアスカに触れなければならない。
これは気の弱いシンジにとってはかなりのプレッシャーになる。
また、状況の複雑さ。アスカが何を望んでいるのか分からないこと。
相手がシンジと複雑な縁のあるアスカだというのも大きい。
そして、シンジをためらわせるレイとの一番の違い。
(……なんだよ。無理、しちゃってさ)
本人が気づいているかどうか知らないが、
差し出された腕はわずかに震えているのだ。
「早くしなさいよ! こうやってるのも腕が疲れるんだからね!」
「…分かったよ」
アスカの手が震えているのは、ずっと伸ばしていて腕が疲れているから。
そういうことにして、シンジは覚悟を決めた。

567: 逆行61 2008/06/29(日) 02:01:59 ID:???

そうっと、手をアスカの腕に近づける。
直前で、一度だけためらって、
「じゃあ、触るよ」
そう宣言してから、ちょん、と腕を指でつつく。
「……っ!」
一瞬だけの接触だったが、アスカの動揺はその刹那の表情から透けて見えた。
シンジはつい手を止めて、その顔を心配そうに眺めていると、
視線に気づいたアスカに思いっきりにらまれる。
「何やってんのよ! こんなの触った内に入らないって言ってるでしょ!」
「わ、分かってるよ」
まさにやむを得ず、シンジは再びその手をアスカに伸ばしていく。
確かめるように指先でトン、と白い腕に触れ、その面積を少しずつ増やしていく。
やがて、アスカの細い腕を包むように、シンジは手の平を完全に密着させた。
最初は冷たいだけに感じたアスカの腕から、じんわりと体温が伝わってくる。
アスカの表情を盗み見る。どこか顔色が悪く、青ざめている気がした。
その顔を見て、アスカには悪いとは思いつつも、
「こ、これでいいかな。確かにもう、触っても大丈夫みたいだし。
僕の勘違いだったよ、うん」
さすがに気が済んだだろう、と思い、シンジは手を放そうとするが、
「…ダ、メよ。全然平気だって言ってるでしょ。
ここでやめたんじゃ、まるでアタシが怖がってるみたいじゃない」
悲愴感すら漂う声に、続行を余儀なくされる。
(と、とにかく、アスカに負担をかけないように、出来るだけ、優しく…)
手の平を半ば浮かせて、触れるか触れないかくらいのタッチで、
シンジは手をすうっとすべらせる。途端、
「や、ちょっ…!」
アスカが慌てたような声を出し、
「な、何…?」
やはり慌ててシンジが手を止める。

568: 逆行62 2008/06/29(日) 02:02:56 ID:???

アスカはハッとなってすぐに平静を取り繕って、
「な、何でもないわよ!」
「…??」
ごまかすように怒鳴ってくるが、
シンジにはアスカの態度がどうにも飲み込めない。
さっきより、顔には赤みが差してきたようには見えるのだが。
「つ、続けるよ?」
無言でうなずきを返すアスカの許可を取ってから、
もう一度、同じように手を動かす。
「――っ」
フルル、と今度はアスカの体が震えた気がした。
気にはなるがもう目を合わせるのは怖いので、
目線を下に落とし、シンジは無言で手の動きを続ける。
腕をなでる度、アスカの腕から微妙な振動が伝わって、
それがシンジをどこか落ち着かない気分にさせる。
(……あれ?)
違和感を覚えてアスカの足元を見ると、シンジの手が動くのに合わせ、
アスカの踵が浮いたり戻ったりを繰り返しているのが分かった。
(なんか、やっぱりマズイんじゃ……)
おそるおそる、シンジは顔を上げる。
――ギュッ、と唇を噛み締めたアスカが、涙目でシンジをにらんでいた。
(も、もしかして、潮時を読み間違えた…?)
そんな予感にシンジは、
「だ、大丈夫? もうこのくらいで…」
と、焦って中止を進言するが、
「だ、だからこんなの何でもないって言ってるでしょ!
いいから続けなさいよ!」
しかし、意固地になっているのか、アスカはまだ折れない。
「う、うん…」
シンジは完全に引き際を見失い、ただうなずくしかなかった。

569: 逆行63 2008/06/29(日) 02:04:30 ID:???

シンジにとって、拷問のような時間が続く。
(――どうしよう。どうしたらいいんだ?)
目が合うとたぶん怒鳴られるので、こっそりと、アスカの表情を確かめる。
……アスカは見るからに限界だった。
血の気の失せていた顔は、今度は危ないくらいに赤みがかっている。
「ね、ねぇ。やっぱり…」
「な、なんにも感じてないわよ! だから、黙って、…んっ」
リクエストに応え、シンジが手を動かし始めると、
アスカは何かをこらえるようにきゅっと眉根を寄せた。
言いようのない危機感は募っていく。だが、
(こうなったらもう、アスカにとことん付き合うしかないか。
もしアスカが倒れたりしたら、誰か人を呼んでくればいいや)
もはやどうにもならない状況に後押しされて、
シンジはいささか後ろ向きな覚悟を決めた。
不思議な物で、開き直ったことでシンジもこの状況に慣れてきて、
少しだけ、アスカの吸いつくような肌の感触を楽しむ余裕が出来ていた。
「アスカって肌、綺麗だね」
なんて言葉が自然と口から漏れる。
「…ぇ?」
相当驚いたのか、無防備な声で息を飲むアスカの腕の内側を、
さっきよりもほんの少し大胆になぞった時、
「……ひぅ!」
はっきり分かるほど、アスカの腕がぴくっと跳ねて、
アスカは弾かれたように腕を引いた。
「アスカッ?」
そして、アスカの異変に、思わず声をかけたシンジの頭に、
ゴン!
鈍い音と一緒に、火花が散った。

570: 逆行64 2008/06/29(日) 02:06:25 ID:???

「な、何すんだよ!」
殴られた頭を押さえながら、シンジが抗議するが、
顔を真っ赤にしたアスカの剣幕はそれ以上だった。
今日一番の大声で反駁してくる。
「さ、触り方がスケベなのよ! このエロシンジ!
それに、アタシの呼び方も直ってない!」
「え、えぇっ…?」
言われた通りにしただけなのに、殴られた上に怒鳴られて、
シンジはもはや怒るより先に驚いてアスカをマジマジと見つめた。
「……もしかして本当に、つらかった?
ご、ごめん。もしそうなんだったら、僕がもっと早くに…」
「ち、違うわよ! ……いや、あ、でも、シンジがいけないのよ!
手、変なとこにばっかり動かすし、肌がどうとか、
いきなりキモチワルイこと言ったりするから…」
何だか色々と言っているが、表情などを見る限り、
どうやら腕を触られる気恥ずかしさに耐え切れなくなっただけらしい。
ようやく合点したシンジは、安堵感から脱力すると共に、憤慨した。
「照れ隠しにいちいち暴力振るうのやめてよ!
ただでさえアス…惣流は馬鹿力なのに…!」
『アスカ』と口にしようとした途中でにらまれて、シンジは慌てて言い直す。
名前に『さん』をつけなかったのは、シンジのせめてもの抵抗だった。
「アンタの物覚えが悪いのがいけないんでしょ。アタシのせいじゃないわよ」
そう言って、アスカはツン、という擬音が聞こえてきそうな態度で横を向くが、
「な、なんだよ、人のせいにしてさ!
腕触られるのが恥ずかしくなって逃げたのは、そっちの方じゃないか!」
シンジの言葉に、すさまじい勢いで顔を戻す。
「恥ずかし…! は、恥ずかしい真似したのは、シンジでしょ!」

571: 逆行65 2008/06/29(日) 02:10:21 ID:???

身に覚えのない弾劾に、シンジは当然反論した。
「惣流の言う通りにしただけだろ! どこが恥ずかしいって言うのさ!」
「どこって、そりゃ、アタシの腕を、いやらしく、その……」
めずらしくアスカは口ごもり、その言葉はゴニョゴニョと縮こまって、
だんだんに小さくなっていき、
「ど、どうでもいいでしょ、そんなこと!」
最後には大声を出すことでごまかした。
しかし、そんな言葉で今のシンジが納得するはずもない。
すぐに大声でアスカにつっかかっていく。
「ズルイよ! 人のことは責めるくせに、自分が都合悪くなると逃げるなんて!」
「そ、そんなことないわよ!」
シンジに合わせてアスカも怒鳴り返すのだが、
いつもと違いどうにも形勢不利は否めない。
「だったら、腕を触るのがどうして恥ずかしいのか、言ってみてよ!」
そう言われ、瞬間的にアスカの顔がきゅぅっと真っ赤に染まり、
「ば、バカ! そ、その話はもう蒸し返すなって言ってるの!
それくらい察しなさいよ! さっきちょっとだけ見直したのに、
やっぱりシンジって気が利かないのね!」
「そ…! そんなのはっきり言われないと、分かるワケないだろ!」
「日本人の身上は察しと思いやりなんでしょ! ……というか、
アンタは鈍感なのか気が利くのか、そのくらいはっきりしてよね!
優柔不断な性格だけじゃなくて、性格まで優柔不断だなんて、サイテー!!」
「せ、性格が優柔不断って、なんだよそれ!」
「どっちつかずなのかどうかもどっちつかずな性格ってことよ!」
もはや子供の口ゲンカと化した二人の言い争いは、だんだんと白熱していく。
それに従い、それまでは一応抑えていた声の音量も、際限なく大きくなって、
「バカシンジのくせに!!」「大体アスカはっ!!」
そのボルテージが最高潮に達した時、上からシンジの物でもアスカの物でも、
いや、既知の誰の物でもない怒鳴り声が聞こえ、
「「―――!!」」
シンジとアスカは同時に硬直した。

572: 逆行66 2008/06/29(日) 02:14:28 ID:???

(この船の人? きっと僕らがあんまり騒ぎすぎたから怒ってるんだ…)
状況を理解したシンジが背筋を凍らせる。
(一応乗船許可はもらってるんだし、出て行って謝った方がいい?
でも、ここが通行の許可されてるブロックか分からないし、
下手なことをしたら…)
シンジの頭を色々な想像が巡って考えがまとまらない。一方で、
「マズッ! 逃げるわよ!」
さすが、と言うべきか、アスカの決断は早かった。
いまだ硬直しているシンジの手を取ると、すぐに小走りで通路を駆け出す。
「に、逃げるって、どこに…」
「どこだっていいわよ! とにかくココじゃない所!」
小声でそう叫び返しながら、既にアスカの目は忙しなく逃げ場を探っている。
途中、一度だけ横道に入り、後はずっと同じ方向へ。
ほとんど振り向きもせず、ひたすらに進む。
「いい? このまま反対側の通路まで行って階段を見つけたら、
アタシたちは何も悪いことしてません、って顔して上に戻るのよ」
「で、でも、あんなに騒いだのに……」
「顔まで見られたワケじゃないし、あそこにいた奴らはこっちまで来ないわよ。
もしそんなのがいたとしても、開き直って堂々としてればいいわ!
シラを切り通せばこっちの勝ちよ!」
「そんな、無茶な……」
「無理を通せば道理が引っ込むのよ。要は気合よ、気合。
とにかく、日本でのデビュー戦の前に国連軍につかまってお説教、
なんて、冗談じゃないわよ」
最後にちらりと顔をのぞかせた本音に、シンジがこっそりため息をつく。
それを聞き咎めたアスカが振り向いて、また険悪な雰囲気になりかけるが、
その前に、シンジが「ふふ」と吹き出した。

573: 逆行67 2008/06/29(日) 02:23:52 ID:???

思わず気勢をそがれ、きょとんとするアスカに、シンジはまた笑った。
それを見て、アスカはむっと口をとがらせる。
「何で笑ってんのよ」
シンジは何とか込み上げる笑いを抑えて、告げた。
「何だか僕、誰かとこんなに素直に怒鳴り合ったの、
久し振りなような気がするんだ。……ちょっと、楽しかった」
意外なシンジの告白にアスカはしばらく目をぱちくりとさせていたが、
「ケンカすんのが楽しいなんて、アンタってほんとおかしなヤツね」
そう捨て台詞みたいなことを言って、すぐに目をそらしてしまった。
「なんだよ、それ」
(アスカだって、さっきは結構、楽しそうだったくせに)
そう思うが、シンジは口には出さない。
そんな態度も含めて、アスカを受け入れられるような気分に、
今はなっていたからだった。
いや、それどころか、今はどう抑えようとしても、
つい口から笑みがこぼれてしまう。
シンジが楽しいと感じているのは、誰かと怒鳴り合ったのが久し振り、
というだけではない。
アスカと他愛ない口ゲンカをしていると、
一番楽しかった時に戻ったような気分になってしまうからだった。
(あんな風に子供みたいに騒いだのも、こうやって逃げてるのも、
結果的にはよかったのかな。
……人に触られるのが怖いっていうのも、少しは治ったみたいだし)
そこまで考えて、でも気づいたらまた大騒ぎするんだろうなぁ、
とシンジは想像して含み笑いをする。
結局のところ、シンジの一番のご機嫌の元は、シンジの目線の先にある。
――その、視線の行方。
伸ばされたシンジの左手は、アスカの右手にしっかりと握られていた。

576: 逆行68 2008/06/29(日) 02:47:28 ID:???

「……ここまで来れば、大丈夫かしらね」
シンジとアスカは誰にも見咎められることなく、
口論をしていた場所から離れることが出来た。
今度こそ、予定通りに弐号機の元へ向かうことにする。
「アンタのせいで、余計な手間を取っちゃったじゃない」
というアスカの愚痴は聞き流し、シンジは歩きながら、
ずっと頭にひっかかっていたことを訊いた。
「あそこに行ったのは、僕に質問したかったからなんだよね?
結局、惣流は僕から何が聞きたかったの?」
「……エヴァパイロット周辺の状況よ。アタシも行くことになるんだから、
気になるのは当然でしょ」
「…そっか」
答えるまでの間の長さから、シンジはそれがウソだと分かったが、
それを指摘はしなかった。
アスカとしても、そのことにどこか罪悪感を持っているのか、
シンジが訊いてもいないのに、先を続ける。
「途中で色々あって、充分に話を聞けたとは言えないけどね。
でもまぁ、なんとなく分かったわよ、そっちの状況。
ネコも杓子もミサトミサト、ってね」
(そういうのとは、何か違うような…)
こっそりと、シンジはそんなことを思うが、
「……つまり異変の中心は、ミサトにあるってことか」
「え?」
小声でそう呟いたアスカの声が急に真面目になった気がして、
思わず声を漏らした。

577: 逆行69 2008/06/29(日) 02:49:14 ID:???

しかし、アスカは気づかない。
めずらしく自分の思考に没頭したように、一人で言葉を続ける。
「でもおかしいわ。変化の起点がアタシだとしたら、
ドイツのアタシとミサトをつなぐ線が見えない。
それとも、波紋のように波及した変化がミサトにも届いただけ?」
それからも、アスカはシンジをまるでいないもののように、独り言を続ける。
「カオス的な変化の波に、人の意志がどれくらい…」などと言い始めたところで、
シンジはとうとう口を挟んだ。
「あの、アス…惣流?」
「なによ?」
不機嫌そうな声にシンジは少し鼻白みながら、言葉を選んで話を続けた。
「い、いや、何か悩んでるみたいだから。その、何を考えてるのかな、って」
アスカは一瞬、あからさまにめんどくさそうな顔をシンジに向けて、
「ドイツで蝶が羽ばたくと、日本のミサトの勘が鋭くなるか、って話よ」
おざなりなことを言うと、またブツブツと何かを呟き続けた。
「あるいは、そもそも不確定性原理の発見された現代において、
単純な因果関係だけで世界の変化を説明しようとすること自体、
既にナンセンスってこと?」
アスカの独り言を聞きながら、シンジはなんとなく、
(そういえば、アスカって大学出てるんだよな…)
と考える。
逆に言えば、それくらいしか思いつくことがなかった。
「確定された未来のサンプルがあったって、
それもせいぜいただのテストケース止まり。
ラプラスの魔物だってさじを投げるような世界を、
アタシ一人が少し考えたくらいで見通せるはずない、か」
独り言の内容は、既にシンジにはさっぱりだった。
ただ、分かるのは、
(考えごとするんだったら、自分一人の時にすればいいのに)
ということだけだ。

578: 逆行70 2008/06/29(日) 02:50:25 ID:???

そんなシンジの考えを知って知らずか、
アスカはシンジのことを全く見もしないで、
そのくせギリギリ聞こえるくらいに小さく声に出して、
「あーぁ。確かに大学では『理論は実践してこそ価値がある』、
なんて言われてはいたけど。
まさかこんな理論を実地で検証することになるなんて…」
あいかわらずの意味不明な呟きを続ける。
ついに堪え切れずに、シンジは再びアスカに声をかけた。
「ねぇ! さっきから、惣流は何を言ってるんだよ。
自分一人で納得してないで、ちゃんと僕にも説明してよ!」
その言葉に、ようやくアスカはシンジの方を向く。そして、
「何だか知らない内に、世界がSFじみてきたわね、って言ってるのよ。
……エヴァとか使徒だけで、こっちは手一杯だってのに…」
てっきりまた無視されるかと思っていたシンジには意外ではあったが、
一応説明するつもりはあるようだった。
(そっか。僕に聞こえるところで話してたってことは、
僕に相談したいって気持ちがあるからなのかも。
……アスカ、素直じゃないからなぁ)
そう思い至ると、自然と口元も緩んでくる。
「何よ、その悟っちゃいました、みたいな目。感じ悪ぅ」
アスカはそんなシンジの様子を不気味そうに見ていたが、
不意にふっと表情を消すと、
「……ねぇシンジ。アンタはタイムマシンとか信じる?」
いきなり突拍子もない話を始めた。

580: 逆行71 2008/06/29(日) 03:02:45 ID:???

「…え?」
まさか、自分のことに勘づいているはずなどないとシンジは思うのだが、
驚きにのどがひりついて、何かひっかかったような声しか出ない。
その態度を、どう受け止めたのか、
「タイムマシンよタイムマシン。不幸な結末を迎えた未来を変えるため、
未来の科学者が誰かを過去に送り込む。SFの定番でしょ」
その言葉に、今度こそ息が止まった。偶然なのか、それとも故意なのか。
アスカの言った状況は、今のシンジの状況とだいぶ似通っているように思った。
「な、何よ、その顔は! タイムマシンなんてバカらしいって思ってんの?
だったら口に出してはっきり言えばいいじゃない! それをそうやって……」
アスカにそんなことを言われ、シンジはようやく自分の不審な態度に気づいた。
慌てて弁解する。
「ち、違うんだ! なんていうか、その……。こっ、この前、
ちょうど綾波に同じようなことを訊いたばっかりだったから…」
声が裏返った上に、墓穴を掘った。
わざわざ時間移動に関心を持っていたことを自分から明かしてしまった。
『何でアンタ、そんなこと人に訊こうと思ったの?
まさか、アンタ本当に未来から……』
などという最悪の展開が、シンジの脳裏に浮かぶ。
しかし、
「ファーストに!? アンタ、何でそんな大事なこと早く言わないのよ!」
アスカの言葉は、全く予想外だった。
「だ、大事って、一体どうし…」
「それで!? ファーストは何て言ってたの?」
興奮した様子で、シンジの襟元をつかんで、ぐいぐいと揺する。
「わ、わわ、ちょっと…」
シンジは耐え切れず、アスカの手首をつかんで押し留めようとする。
その指がアスカの肌をするっとなでて、それから何とか手首をつかまえた。
「……ぁ」
あまり力を込めてもいないのに、それだけでアスカの動きが止まった。

581: 逆行72 2008/06/29(日) 03:04:26 ID:???

アスカは口を驚きの形に開けたまま、硬直している。
「ご、ごめん…!」
シンジは慌てて手を放す。
またトラウマがよみがえったのかと、そう思ったのだが。
「そういうんじゃ、ないわよ…」
唇をとがらせ、あからさまに視線を逸らしながら、
アスカはまるでシンジの心を読んだかのように答える。
それを契機に、ちょうど以前腕に触れていた時に似た、
居心地の悪い空気がその場を急速に支配していく。
「そ、そういえば、綾波の話だったよね…っ!
あ、綾波っていうのは、零号機のパイロットの名前で…」
「知ってるわ。……綾波レイ。ファーストチルドレンね」
「そ、そういえば色々調べたって言ってたよね。
だったら、知ってても当然か。あはははは…はは…」
必死でつないだ言葉も上滑りして、シンジはあきらめて顔を伏せた。
だが、その状況を作ったのがアスカなら、
「アンタさ。ファーストとは…、零号機のパイロットとは、親しいの?」
助け舟を出したのもアスカだった。
いや、それが助け舟と言えるかどうか。
その言葉には、どこかふてくされたような、すねた響きがあった。
「あ、うん! 同じエヴァに乗る仲間だし、仲良くしたいと思ってるんだ」
だがシンジは食いついた。会話をつなごうと、いつもより早口で言葉を紡ぐ。
しかし、アスカはそんなことを訊いているんじゃない、とばかりに首を振って、
「アンタたちってさ。付き合ったりしてるワケ?」
「え、付き合っ……えぇっ!?」
大声を出すシンジを、アスカは冷たい目で見た。
「静かにしてよ。また逃げ出すなんて冗談じゃないわよ」
アスカは周りを見回しながら、冷淡な口調で注意をする。
「う、うん。ごめん…」
その静かな態度にかすかな違和感を覚えながら、シンジは素直に謝った。

582: 逆行73 2008/06/29(日) 03:05:30 ID:???

「だけど、僕と綾波はそういう関係じゃないよ。
そもそも、どうしてそんなこと…」
シンジは当然の疑問をぶつけてくるが、
「別に。ただ、ファーストが自分から話をするのは司令とアンタだけだとか、
そういう感じの噂が色々入ってきてたから気になっただけ」
「そ、そうなんだ…」
その情報の出どころが気になるところだが、尋ねるのも怖いのでやめた。
その代わり、
「あ、あのさ。アスカは僕と綾波のことが気になってるんだよね。
それは、やっぱり僕らがパイロットだから? それとも…」
勇気を振り絞って、そう訊いてみたのだが、
「特に興味なんてないわ。言ったでしょ。そういう噂があったから、聞いてみただけ。
お互い優等生同士、せいぜい仲良くやったらいいんじゃない?」
あっさりとかわされる。
だが、シンジはその態度にやはり不自然な感じを覚えた。
つい『アスカ』と名前を呼んでしまったのに、気づいている様子もない。
よく見ると、表情豊かなはずのアスカの顔は、今は能面のように無表情。
おまけに少し顔を青ざめさせているようにも見えた。
「もしかして、まだ何か悩んでるの?」
シンジの問いかけに、アスカは数秒ほど、答えるのをためらい、
「悩み、ね。まぁ、そう言えなくもないわね」
結局そんな風に、意味深な言葉を返した。
「もし、僕で力になれることだったら…」
続く言葉に、アスカはまた少し考えて、うなずいた。
「分かったわ。本当はアタシだってこんなこと言いたかないんだけど、
隠してもいつかは分かることだもの。今、はっきりと伝えておく」
「…うん」
シンジはごくりとつばを飲み込んだ。

583: 逆行74 2008/06/29(日) 03:06:25 ID:???

アスカはシンジの視線に耐えかねたように視線を逸らし、
そのまま居心地悪そうに、唇を動かす。
「…ったの」
しかし、その声はか細すぎてシンジの耳には届かなかった。
「な、何? 聞こえないよ?」
アスカはシンジをちらりと見て、
「だから、…ったのよ」
もう一度口にするのだが、やはり肝心なところが聞き取れない。
「ご、ごめん。もうちょっと大きな声で…」
シンジが言うと、アスカはとうとうしっかり顔を上げて、叫ぶ。
「だから、道に迷ったの!」
その言葉が、シンジの脳に染み渡るまで、一秒、二秒、三秒…

「ええええええぇえぇぇぇえ!」

空母の通路に、シンジの情けない絶叫が響き渡った。

584: 逆行75 2008/06/29(日) 03:07:52 ID:???


「もう、完っ全に予定が狂っちゃったじゃない! こんなことなら、
加持さんたちとゆっくりお茶してた方がずっと有意義だったわよ!」
「それは、自業自得だと思うけど…」
憤懣やる方ない、といった様子のアスカの後ろで、シンジがぼそっと呟くと、
「今何か言った? シンジ?!」
アスカが耳ざとく振り向いた。
「な、何でもないよ。それより、もう少しなんだから、急ごうよ」
シンジの言葉に渋々アスカは前に向き直り、心なしか走りの速度を上げる。
シンジも置いていかれないように足に力を込め、顔を見なくても分かる、
アスカの不満そうな赤い背中を追いかけた。

――あれから。
道に迷ったと言っても、ここは人跡未踏の秘境でも迷いの森でも何でもない。
そして、アスカは歳の割に話術が巧みで語学に堪能で、おまけに美少女だ。
道を聞けば大体の人が快く教えてくれたし、
実際にそれで弐号機のある船まではすぐに辿り着けた。
なのに船に着いた途端、アスカは弐号機の所へまっすぐは向かわず、
どこからか小さな荷物を持ってきて、
「シンジ! アタシちょっと着替えるから、そこで見張っといて!」
一方的に言い捨てると、階段の陰でごそごそとやり始め、
次に姿を現わした時にはなぜかプラグスーツを着込んでいた。
「アンタも! ほら、早く着替えなさいよ! 置いてくわよ!」
そう言って、シンジもムリヤリにプラグスーツに着替えさせ、
「な、何でプラグスーツなんか…」
着替えたシンジがようやく息をついて質問をすると、
「この服を着てれば、誰だってアタシたちが特別な人間だって分かるでしょ!」
と、なにやら頭に血が昇った様子で答えてくれた。
どうやら二人目に道を尋ねた男に、
『お前達は誰だ。どうして子供がこの船に乗っているんだ』
などとしつこく訊かれたことが、相当頭に来ているようだった。

585: 逆行76 2008/06/29(日) 03:09:12 ID:???

シンジの着替えが終わると、
アスカは今までの遅れを取り戻そうとするかのように、
弐号機の元へと急いだ。
それは時間を無駄にしたことに苛立っているせいなのか、
それとも考えごとをしていたからとはいえ、
自分が道に迷ったのが許せないからなのか。
どちらにせよ、シンジは何も言わずにアスカに従った。
それはアスカの強引さに負けただけではなく、
(使徒が来る前に、弐号機のところに辿り着いておかなくちゃ…)
という思いからだ。シンジの体感でも、
以前より弐号機のところに着くのが遅れているのを感じていた。
――だが、プラスの材料もある。
(プラグスーツを着ているから、すぐにエヴァに乗れる)
使徒を発見してからプラグスーツに着替え、それから出撃では、
どうしても時間をロスしてしまう。
そういう意味ではアスカのワガママも、
結果的には使徒殲滅を有利にしてくれたと言える。
(僕もアスカも、前よりシンクロ率は高い。
今度の使徒のコアがどこにあるかも知ってる。
負ける要素はない。……ない、はずだ。
だから少しでも早くエヴァに乗って、
使徒が攻撃を本格化させる前に、叩く!)
今まで過去を変えたいなんて思ったことはなかった。しかし、
(被害が少なくなるんなら、その方がいいに決まってるよ)
そんな単純な真理が、シンジの足に力を与えてくれていた。
そして、
「着いたわ、ここよ!」
アスカの言葉に、シンジは足を止めた。

586: 逆行77 2008/06/29(日) 03:10:22 ID:???

弐号機のところにやってきてからは、
シンジにとってなじみのある展開と光景が広がる。
弐号機の頭部に仁王立ちしたアスカが、
シンジに弐号機がいかに優れているか、その説明をしていた。
当然それは二度目なので、適当に聞き流す。
(アスカってほんとこういうの好きだよな。
そんなとこに立ったらパンツ見えるんじゃないかとか、
そういうことは気にしないのかなぁ…)
ぼんやりと考えるのは、その程度のことだ。
――だがそれも、シンジたちを襲った激しい揺れで終わりを迎える。
「……水中衝撃波! 爆発が近いわ!」
待ち構えていたように、アスカが叫んだ。
揺れが収まるとすぐ、二人同時に弾かれたように外に向かう。
「なんなのよもう! まだ、全然説明してないのにぃ…!」
「アスカのは、説明っていうより自慢じゃないかな…?」
「何か言った?!」
「何でもないよ!!」
叫び、叫び返しながらも、シンジたちは外に出る。
そこには、攻撃を受け、沈んでいく船が見えた。
「やっぱり……使徒の攻撃?」
シンジの呟きに、アスカが答える。
「へぇ。弐号機での実戦のチャンス、ってワケね」
シンジは驚いた振りをして、
「そんなぁ! ミサトさんの許可もないのに…?」
「そんな物、勝った後にもらえばいいのよ!」
まるで与えられた役をこなすように、遅延なく二人の会話が続く。
そして、
「さあ、行くわよ」
「へ?」
「アンタも、来るのよ!」
という運びに相成ったのだった。

587: 逆行78 2008/06/29(日) 03:13:02 ID:???

(……エヴァンゲリオン弐号機。
そういえば前の世界でも、この時くらいしか入ったことなかったっけ)
そんなことを考えながら、前回と同じように、
シンジも弐号機に乗り込んだ。
そうして、シンジがアスカの後ろに陣取ったのを確認すると、
「アンタはなんっにもしなくていいわ。
ジャマはもちろん、余計な手出しも無用だから」
アスカがそう釘を刺してくる。
それも、概ね前回と同じだ。
しかし、今のシンジはやってくる使徒の手ごわさを知っている。
今の弐号機に、水中戦が不可能なことも。
「で、でも、あんな使徒を一人で倒すなんて」
それは、シンジの経験に基づく言葉だったが、
「一人じゃ、ないわよ…」
答えるのは、小さな呟き。
そしてシンジに、疑問を抱かせるヒマさえ与えずに、
「思考言語、日本語をベーシックに。
それじゃ、行くわよ!」
剣呑な輝きを、その目に宿して、
「エヴァ弐号機、起動!!」
アスカは迷いない声でそう叫ぶ。

赤い巨人の目に、光が灯った。

589: 逆行79 2008/06/29(日) 03:16:08 ID:???


起動した弐号機は戦艦を踏み台に跳躍し、オーバー・ザ・レインボウへと移動。
同艦甲板上にて使徒を迎撃、目標に対しプログナイフで応戦し、コアを露出させることに成功。
その後、生き残った戦艦二隻による零距離射撃にてこれを殲滅。
――太平洋艦隊の力を借りたとはいえ、内部電源が切れるまでの三十六秒で片をつけた。

「す、すごい…」
出撃を終え、静止した弐号機のエントリープラグの中。
一番の特等席で弐号機の機動を見たシンジはそう呟くしかなかった。
以前の世界でたくさんの戦闘を経験したシンジから見ても、
今回の弐号機の動きは神がかっていた。
昔の絶好調だった時のシンジでも、これほどうまくエヴァを乗りこなし、
これほど的確に使徒を倒すことは不可能だっただろう。
「すごいよアス…惣流! 惣流がエヴァの操縦がうまいって聞いてたけど、
これほどだとは思わなかったよ! ねえ惣流! どうやったらこんな風に…」
シンジの大声に、操縦席のアスカが不敵な笑みで振り向く。
「うっさいわねぇ。これくらい当然でしょ、当然。
この程度で騒がれたらこれから先、アタシの鼓膜が持たないわよ」
「う、うん、ごめん。でも、ほんとにすごいよ、惣流」
一応謝ったが、シンジに見せたアスカの顔は、見るからに誇らしそうだった。
それを見て、自然とシンジの顔もほころぶ。
――しかし、顔を前に戻し、シンジから表情を隠した途端、
アスカの笑顔は萎れ、険しい顔つきに取って代わった。
「アタシは、こんなことを望んでたワケじゃ……」
シンジにも聞こえない声で、アスカは呟く。
それから弐号機の外に出るまで、アスカは操縦席に座ったまま、
何かにじっと耐えるように顔をうつむかせていた。

605: 逆行80 2008/07/06(日) 00:54:04 ID:???

船から伸びたタラップを降りてすぐ、シンジは辺りを見回した。
「アスカ、どこ行ったんだろ」
鮮やかな手並みで使徒を撃破してから、弐号機の再収容作業やミサトへの報告、
着替えなどを済ませた後、アスカは「絶対ついてこないでよ!」、
と言い残して一人で甲板に出て行ってしまった。
そのせいで、シンジは弐号機を降りてからまだ一度もアスカと話をしていない。
新横須賀港に着いた今がアスカと話すチャンスだと思ったのだが……。
「アスカだって行く当てがあるはずないし、ここに知り合いもいないと思うんだけど」
それでもなかなか見つからない。
色々な場所を見て回って、視線をもう一度ミサトたちの方に戻した時、
(あ、あれは、もしかして…)
何のことはない。アスカはミサトの近くに戻ってきていた。
二人を、というかアスカを警戒して遠巻きに見守るトウジとケンスケを一顧だにせず、
あくまでマイペースにミサトと話をしているようだ。
「そういえばミサト。加持さんは?」
「加持? あいつはどっか行っちゃったわよ。さっきの戦闘のどさくさでね。
大方逃げる算段でもしてたんでしょうけど……。全く、あれから顔も出しゃしないわ」
「やだ、それって大丈夫なの? もしかして戦闘に巻き込まれてたり……」
しかし、アスカの心配をミサトは鼻で笑い、
「残念だけど、あのバカはこの程度でくたばるようなタマじゃないわよ。
今ごろ一人だけ別ルートで本部にでも行ってんじゃないの?」
「そう? ならいいけど……」
あいかわらず、アスカも加持さんのこととなると普通の女の子みたいになるんだな、と、
シンジは失礼なことを考えながら、話が一段落したのを見計らって近づいていく。
先にシンジに気づいたのはミサトだった。
シンジの雰囲気から何かを感じたのか、あるいはただのお節介か、
「二人ともー! クルージングデートは楽しかったー?」
能天気な声をあげて、トウジとケンスケの方へ寄っていく。
「最っっっ高です!」「わ、ワイも、ミサトさんといっしょならどこでも…」
こちらも能天気な二人の声を背に、シンジはミサトと入れ替わるようにアスカの前に立った。

606: 逆行81 2008/07/06(日) 00:54:31 ID:???

アスカはシンジと目が合うと、さりげなく、でも確実に目を逸らした。
それを悲しく思いながら、シンジは努めて明るい声でアスカに声をかける。
「そ、惣流…」
だが、呼びかける声はどうしようもなくぎこちない。
まだアスカのことを『惣流』と呼ぶのに慣れていないからだ。
(でも、これから少しずつ、慣れていかなきゃ…)
それこそが、『この』アスカの存在をシンジが認め、
『あの』アスカとは違う、新しい関係を築き上げるのに必要なことだと、
シンジは直感的に考えていた。
だから、そんな思いを込めて、
「あの、惣流」
もう一度、そうアスカに呼びかける。
それでも、アスカは無言のまま。
「あれから、すぐにいなくなっちゃうから、惣流のこと、結構探したんだ」
やはりアスカは何も言わない。
「だから、その、惣流……」
言葉が途切れた。
本当に、アスカの不機嫌の理由がシンジには見当もつかない。
エヴァに乗っていた時は使徒を見事に倒してみせて、
その時はむしろ機嫌がよさそうだった。
その後、一人で甲板に出たのは、何か嫌なことがあったからかもしれないが、
さっきミサトと話をしていた時は、少なくとも普通に見えた。
(……僕のせい、なのかもしれない)
それ以外に、思い当たることが何もなかった。
そんな思いがシンジの言葉をすくませ、唇を縫い止める。
絶対にシンジと目を合わせようとしない、アスカを見ているのがつらい。
どうしても口を開こうとしない、アスカの前に立っているのがつらい。
なのに、シンジの足はなぜか動かず、唇はまだ、未練がましく言葉を紡ぐ。
「黙ってたら、何も分からないよ。頼むから、何か答えてよ、惣流……」

607: 逆行82 2008/07/06(日) 00:55:04 ID:???

その訴えるようなシンジの言葉に、アスカの肩がぴくりと動く。
そして、
「…もう、やめて」
シンジと向き合って、初めて口を開いたアスカの言葉は、それだった。
まるで、傷つけられているのは自分だというように、痛みを湛えた眼差しで、
「アンタが、何も悪くないのは分かってる。
何も知らないシンジには、何の罪もない。
悪いのは、全部アタシだわ。それは分かってるの」
放たれるのは、むしろ沈鬱と言えるような言葉。
だがその陰に、あふれ出しそうな激情を押し込めているのは、
シンジにもはっきりと分かった。
「そ、惣流…?」
そのシンジの言葉は、アスカへの気遣いから出た物だ。
「――っ!!」
しかしアスカは、まるで手酷い罵倒の言葉を投げかけられたように、
体をすくませ、胸の前に置いた拳を握り締め、
渦巻く万感の想いを込めるように、悲痛な叫びを放つ。
「だけど、ダメなのよ! 耐えられないの! どうしても、無理なの!
――だから、お願い。
その声で、その顔で、アタシのこと、そんな風に呼ばないで…!」
そこまで言い切った後、アスカはもう一秒たりともここにいたくはない、
というほど勢いで、シンジの前から走り去る。
「あ、アスカッ? ちょっと、どこ行くのよ!?」
というミサトの動揺した声を聞きながら、シンジは一歩も動けない。
名前を呼ぶことも、手を差し伸べることも、出来なかった。

608: 逆行83 2008/07/06(日) 00:55:31 ID:???

(……なんで)
何でいつも、うまくいかないんだろう、とシンジは思う。
アスカとだって、普通に付き合っていければ、
それで満足だったのに。
今も、昔も、ワケの分からないすれ違いばかりで……。
(アスカ、泣いてたな…)
あのアスカが人前で涙を見せるのだから、
きっと相当なことがあったんだろう。
事情は全く分からない。
けれど、その原因が、シンジにあるというのなら、
(僕はもう、アスカに会わない方がいい…?)
自分で出した結論に、思わず膝から崩れそうになる。
込み上げる何かに、シンジが潰れそうになった時、
「……?」
背後に、人の気配。
そして、聞き覚えのある声が、

「女の子を泣かしたまま、というのは感心しないな、碇シンジ君」

シンジをまるで弾かれたように振り向かせる。
そこには、当然、
「加持さん!」
かつて、ずいぶん昔に死に別れたはずの男が、
おどけた仕種で立っていた。

609: 逆行84 2008/07/06(日) 00:56:05 ID:???

我に返り、シンジは自分がいきなり大声をあげたことを恥じ入って、
声のトーンを戻して尋ねる。
「あの、でも、どうしてここに?
先にNERVに、父さんのところに行ったんだとばかり…」
「いや、ほんの気まぐれでね。強いて理由をあげるなら、
噂のサードチルドレンに軽く挨拶でも、と思ったのさ」
「僕に…?」
目を丸くするシンジ。
「しかし驚いたな。俺の名前もいつの間にか有名になったもんだ。
……俺の事は、葛城から?」
「あ、いえ、その、……アスカから、聞きました」
内心しまったと思いながら、シンジは何とかごまかした。
他に気を取られていた時にいきなり声をかけられたため、
シンジは加持と初対面だということをすっかり忘れ、
つい加持の名前を呼んでしまったのだ。
しかし、その弁解の言葉も新しい波紋を生み出した。
「なるほど、アスカ、ね。会って半日も経たない内に、
彼女をもう名前で呼ぶなんて、君もなかなか隅に置けないな」
「そ、それは……。本当は、惣流って呼ぶように言われてるんですけど」
シンジの困った顔を見て、加持は破顔した。
「いや、すまない。困らせてしまったかい? ただの冗談さ。
アスカも、ドイツにいた頃から君の事をとても気にかけていたようだからね。
そういう事になっていても意外でも何でもない」
そういうことというのが何なのか、シンジには多少ひっかかる物があったが、
それ以上にその前の一言が気にかかった。
「アスカ…、惣流が、僕のこと、気にしていたんですか?」

610: 逆行85 2008/07/06(日) 00:56:31 ID:???

「何だ。アスカからは何も聞いてないのか?」
加持はそう前置きした後、
「結構最近になってからだったな。
アスカがしきりに日本の情報を欲しがるようになったんだよ。
中でもどうやら一番気になっているのが、
君と、ファーストチルドレン、綾波レイの事でね」
「綾波の…?」
そういえば、とシンジは、以前に綾波の話をした時、
アスカが異様な食いつきを見せていたのを思い出す。
「気になるのは同じエヴァのパイロットだからかとも思ったんだが、
どうもそうとも言い切れないようだったよ」
「どういうことですか?」
加持は大げさな仕種で両手を広げて見せた。
「情報の範囲が広かったからさ。つまりはエヴァや使徒との戦いの事だけじゃなく、
過去の生活環境や、私生活についても何でも知りたがった。
いつ君の隠し撮り写真を要求されるか、俺は気が気じゃなかったくらいさ」
「そんなの…」
シンジは混乱する。
一体何がアスカにそうさせたのか、シンジには分からない。
「何で、何でアスカは、そんなこと…」
「そこまでは知らないな。俺は訊かなかった。
それ以上は、興味本位で踏み込んでいい領域だとは思わなかったからね。
気になるのなら、それは君が直接尋ねるべきだ」
肝心なところで突き放され、呆然とするシンジに、
「……悪いが、質問はここまでにしよう。
それより、君には他にやるべき事があるんじゃないか?」
加持は大げさな身振りの陰に、鋭い光を隠して、言った。

611: 逆行86 2008/07/06(日) 00:57:46 ID:???

「それは、僕にアスカをなぐさめてこいって、そういうことですか…?」
「………」
無言の肯定。
確かに、シンジだって出来るならそうしたいとは思う。だが、
「む、無理ですよ、僕じゃ。
大体、アスカがああなったのだって、僕が原因かもしれないのに……。
…そうだ、加持さん! 加持さんが行ってきてください。
加持さんだったら、アスカだって…!」
そう、シンジは言うのだが、
「俺は行かない。行く理由がないからな」
加持は躊躇なく拒否した。
「そんな……」
立ち尽くすシンジの前で、加持はシンジが焦れるほどゆっくりとタバコに火をつけて、
「ただ泣かせた事に罪悪感を感じているだけなら、放っておけばいい。
一時間もすれば、内面はともかく、上辺はつくろって現われるさ。
それで、とりあえずは元通りだ」
「だけど、そんなの…」
「慰める事は、誰にでも出来る」
加持は、シンジの言葉をさえぎって、
「だが、もし仮に、原因が君にあるのなら……。
慰める事は誰にでも出来ても、解決する事が出来るのは君だけだ。
……俺の言っている事は、間違っているかい?」
火のついたタバコを一度も口に運ばないまま、真摯な瞳をシンジに向けた。
そこから逃げるようにうつむいてみても、その目と言葉から、
シンジは逃れられなかった。
気を収めるように、深呼吸。
それから顔をあげて、告げる。
「…いえ。行ってきます」
そのまま、シンジは加持の脇を通り抜けた。
「あぁ、頑張ってこい」
加持は片手をあげ、今度こそタバコを口に運んだ。

612: 逆行87 2008/07/06(日) 00:59:37 ID:???

加持の見守る中、シンジはアスカの走り去った方に走って消えていく。
「……しっかりな、シンジ君」
そう加持が呟いた時、背後から誰かが近づいてくる気配に、
加持は振り返らずに声をかけた。
「あれが碇シンジ君か。素直そうな、いい子じゃないか」
その言葉に、加持の後ろまでやってきていたミサトの仏頂面が、
さらに不機嫌に歪む。
「そう? あー見えて結構屈折してるとこもあんのよ。
ま、昨日今日会ったばっかのあんたには分かんないでしょーけどね」
「いや、それこそが素直さの証だよ。自分の弱さを人にさらけ出せるなんてね。
……羨ましい生き方ではあるが、腹芸は出来ないタイプだろうな」
そこで、タバコを口に運ぶと同時に、
「だからこそ、最初のあの態度は気になるが……、さて」
小声でそうひとりごちる。
だがそれを聞きつけたのか、
「何が気になるってぇ? あんた、シンちゃんに下手に手ぇ出したらどうなるか…」
とおどろおどろしく迫るミサトに、
「おいおい、地獄耳だなぁ」
ぽろり、とつい本音が漏れた。
もちろんそれは加持らしくない失言で、
「地獄耳で悪かったわねぇ! 大体あんたは昔からそうやって人のことひっかき回して…」
加持の耳元でエキサイトしたミサトがわめくが、加持は途中から聞いていなかった。
どこまでもケンカ腰のミサトに、まともに相手をするのは難しいと既にあきらめて、
「やれやれ。……とにかく俺は、彼の健闘を祈るよ」
くれぐれも君はこうならないようにな、と思いを込めたのかどうなのか、
加持は怒れるミサトから巧妙に視線を逸らし、
シンジが走り去った方をまぶしそうに見つめるのだった。

613: 逆行88 2008/07/06(日) 01:00:05 ID:???

「待てよ、碇!」
後ろから呼び止める声に、シンジは振り向く。
そこに息を切らせて立っていたのは、ケンスケだった。
「なぁ、碇。あいつを、あの惣流とかいう女を追いかけていくつもりなのか?」
息を切らせながら、シンジに追いついたケンスケが最初にした口にした言葉はそれだった。
「……そう、だけど?」
予想もしないケンスケの行動に、シンジは戸惑いを隠せない。
大好きなはずの戦艦や、ミサトの傍を離れてまで、シンジを追いかけてきたのだ。
けれど、ケンスケがそれだけのことをする理由がシンジには思いつかない。
「なぁ、何でお前が行かなくちゃいけないんだ?」
次の言葉を聞いても、それは同じだった。
むしろ、その気持ちは大きくなるばかりだ。
だが、ケンスケの表情は真剣かつ険しく、
ミサトたちと話していたさっきまでの能天気なはしゃぎっぷりは、
半分くらい演技だったのではないかと思わせるほどだった。
戸惑うシンジの態度を煮え切らなく感じたのだろう、ケンスケが声を荒げる。
「惣流なんて、今日会ったばかりの人間じゃないか!
それなのに、碇が必死になって探すほどの価値があるのかよ!」
「それは……」
そうではない。彼女と会ったのは、初めてであっても、初めてではない。
だが、シンジはそれを説明する言葉を持たなかった。
「……ごめん。でも、やっぱり僕が行かなくちゃいけないんだ」
結局、それだけを言うに留める。
そして、相手に言葉を継ぐ時間を与えないため、
「それよりも、ケンスケこそどうしたんだよ? いきなりこんなことを言い出して…」
そう反問した。
狙い通り、と言えるのか。ケンスケは黙り込む。
だがそれはシンジにとって居心地の悪い沈黙で、やがてケンスケが決然とシンジを見た時、
なぜかシンジはその問いを投げかけたことを後悔した。

614: 逆行89 2008/07/06(日) 01:06:20 ID:???

「なぁ、碇。エヴァのパイロットって、やっぱりオレたちとはちがうのか?」
沈黙をはさんでケンスケが放った言葉は、そんな物だった。
「…え?」
意味の取れない質問に、シンジは身構えていたのに間抜けな声をあげてしまった。
さすがに説明不足を感じたのか、ケンスケは言葉を足す。
「だから、エヴァのパイロットはNERVの研究所で改造手術を受けてるとか、
何も持ってないように見えて、実は極秘で開発された軍の秘密兵器を持ってるとか…」
「…へ?」
シンジの口から、さっき以上に間の抜けた声が出た。
今度こそ、掛け値なしに意味が分からなかった。
ただ、ケンスケが苛立った表情をしてるのを見て、ようやく気を取り直して答える。
「何を言ってるのかよく分からないけど、僕らはエヴァに乗っていない時はただの民間人と同じだよ」
実際、ケンスケだってエヴァのパイロット候補だと、あの『海』からの知識で知っている。
「僕がトウジに殴られたの、見てたろ。拳銃とかだって持たされてないし、
生身のままだったら、高校生にだって勝てないよ。
……まあ、アスカなら何とかなるかもしれないけど」
そんな当然のことを、告げた。
しかし、ケンスケはその言葉に表情を緩めるでもなく、
「それ、信じていいんだよな?
機密だから、ウソついてるわけじゃないよな?」
不可解な言動を続ける。その態度に、シンジも少し焦れてきた。
「当たり前だろ。ケンスケは一体何を疑ってるんだよ」
少し声を荒げてしまうが、そんなシンジの様子に、
ケンスケもようやく納得したらしい。
緊張を緩めて、照れ隠しみたいな笑顔を見せながら、
「いや、悪かったよ碇。お前を疑ってるわけじゃないんだ。
……だけど、気をつけた方がいいぜ」
心持ちうつむかせた顔に、鈍く光を跳ね返すメガネを神経質に持ち上げて、
「あの惣流って女、たぶん普通の人間じゃない」
シンジの背中をざらつかせるようなことを、はっきりと告げた。

615: 逆行90 2008/07/06(日) 01:12:13 ID:???

(ケンスケは、何であんなことを言ったんだろう…)
シンジはアスカを求めて港をさまよいながら、ケンスケの言葉を思い出す。
結局ケンスケはあれ以上詳しいことは話してはくれなかったし、
シンジも訊かなかった。
というより、訊いてもたぶん教えてはくれなかっただろう。
そういう雰囲気だった。
(でもやっぱり、気にならないって言ったら嘘になる。あの情報の出どころはどこだろう。
まず考えられる理由は、ミサトさんか加持さん辺りから話を聞いたってことだけど)
ありそうにない話ではあるが、ない、とは言い切れない。
二人とも仕事には真面目だとシンジは思っているが、
ミサトにはあれで迂闊なところはあるし、考えたくはないが、
加持が何かの意図を持って情報をリークした可能性だってある。
(だけど、何かしっくりこない。それに、それが正しかったとして、
そもそも、ケンスケが疑ってることって何?
――アスカには、一体どんな秘密があるんだろう?)
その疑問に行き着く。
……そうなると、シンジは考えずにはいられないのだ。
初陣のはずのアスカが見せた、前の世界でのシンジやアスカ以上の鮮やかな操縦技術。
そして、アスカはシンジのシンクロ率の上昇を知って、
ミサトがシンジに何か特別なことをしたのではないかと疑っていた。
(それは、もしかするとアスカが同じようなことをされたから、っていうのは考えすぎかな?
エヴァの適性を上げるために、人体改造だとか、特別な催眠処理だとかを受けた、なんて)
しかし、シンジはそこで考えるのをやめた。
答えの出ないことを考える無益さを知ったワケではなく、
それ以上考えるのが、怖くなったのだ。
(今のアスカは、僕の知っているアスカとは、違うのかもしれない)
そんな考えが、頭をよぎる。しかし、
(だから、なんだっていうんだ。僕は、アスカから逃げないって決めたんだ。
アスカがどんな人間であろうと、僕はアスカを探す)
そう決めて、また走り出す。

616: 逆行91 2008/07/06(日) 01:13:51 ID:???

だが、シンジは心の底では気づいていた。
(いつのまにか、僕は自分の誓いを盾にしてる。
そうやって、アスカに向き合うことに理由を作ろうとしているんだ)
昔、アスカを消してしまったという罪、そしてそれを償うという罰は、
シンジにとって、アスカと向き合うための免罪符に代わっていた。
(……僕は、どこまでも卑怯だ)
それでも、今のシンジはそれにすがって行動するしかない。
無言でアスカの姿を求めて港を走る。
――これだけ広い場所で、お互いに土地鑑があるワケでもない。
アスカが本気で逃げたいとか隠れたいと思えば、
見つけることは不可能に近い。
それどころか、アスカが途中で一度横に曲がってしまうだけで、
捜索範囲は限りなく広がる。
だからシンジは、それはもうあきらめていた。
探すのは、アスカが走り去った方向だけ。
その上、必死で探さないと見つからないような奥まった場所も避ける。
それよりも、パッと見ただけでは見つからず、
でも探しに来た人は見つけられるくらいの場所だけを調べた。
(これで見つからなかったら、僕に出来ることはもうない)
そう割り切っているはずなのに、シンジの中で不安がどんどんと満ちていく。
(アスカ……。本当に、どこにいるんだよ…)
捜索の距離が伸びれば伸びるほど、アスカを見つけられる確率は下がっていく。
もしアスカが誰かに追いかけてきて欲しいと思っているなら、
そんなに遠くにいくはずがないからだ。
そして、シンジがふくらむ不安に押し潰されそうになった頃、
ある倉庫の陰を覗き込んで、
「……あ」
シンジは、思わず声を漏らした。
驚きと、それ以上の安堵の声。
そこにはアスカが、倉庫の壁に背中を預けるようにして立っていた。

617: 逆行92 2008/07/06(日) 01:15:14 ID:???

「その…」
声をかけようとして、自分が彼女を呼ぶ名を持たないことに気づく。
前のように『アスカ』と呼べばいいのか、それとも今は『惣流』と呼ぶべきなのか。
(僕は、そこから始めなきゃいけないのか。
……いや、たぶん、これが一番大切なことなんだ)
意を決して、シンジはアスカに歩み寄っていく。
あと二、三歩のところまで近寄っても、
アスカはシンジの方に顔を向けようとしなかった。
それは小さくシンジの胸を傷つけ、わずかに足をすくませたが、
それでもシンジは逃げはしなかった。
「……き、訊きたいことがあるんだ」
そう、何とか震える声を絞り出す。
「…なによ」
アスカはシンジを見ないままで、そう言葉を返す。
ひるみそうになる口に、力を込めて、
「僕は、君のことを何て呼べばいい?」
アスカに、尋ねる。
「なに、それ…?」
不機嫌が形を取ったみたいな、アスカの声。
だが、シンジはもう止まらなかった。
「事情は、全然分からないけど。でも、僕が君を傷つけてることくらいは、
僕にだって分かるよ。だから……」
「だから、僕は君の名前を呼ばない方がいいのかな、とでも言うつもり?」
先回りした答えは、しかし不正解だ。
「ち、違うよ! ……ただ、
ただ、僕がどっちの呼び方で君を呼んでも、君を傷つけるなら、
僕は君が選んだ方で名前を呼びたいって、そう思って…」
「アンタ……」
アスカの顔に、静かな驚きが広がった。

618: 逆行93 2008/07/06(日) 01:17:29 ID:???

しかし、その表情の変化はすぐにつくろわれる。
アスカは、シンジから逃げるように顔を逸らした。
「……アンタは、卑怯よ。
どうせ自分じゃ選べないからって、アタシにそんなの押しつけて……。
決められないわよ。そんなの、アタシだって…」
「……惣流」
しかし、シンジはアスカを遮って、小さくその名を口にした。
「っ!!」
その言葉に、アスカは今度こそハッとして、顔をあげる。
「君が、本当に選べないって言うなら、僕は君のことを惣流って呼ぶよ」
「……そう、りゅう」
オウム返しに、アスカが呆然とそう呟く。
――たとえ伝わらなくても、それはシンジの決意の表れだった。
『あのアスカ』とは違う、『惣流』という新しい人格として、今のアスカを受け入れる。
そんなシンジの選択の結果が、その一言には込められている。
「べ、別にいいわよ。アンタがそう決めたなら、アタシは、それで…」
そうやって、アスカは選択を拒もうとするが、
「でも、僕は君に選んで欲しいんだ」
シンジはそれを許さなかった。
「頼むよ、アスカ…」
ほとんど祈るように懇願する。
シンジには、アスカにとってこれがどんな意味を持つのか分からない。
取るに足らないことなのかもしれないし、辛い選択を強いているのかもしれない。
だが、退くという選択肢だけは今のシンジにはなかった。
……沈黙。
そして、ふっと、アスカの顔から強張りが消えた。
「分かったわよ」
そこで初めて、アスカはシンジに振り向いて、
「アスカ、でいいわ。……アンタから惣流なんて呼ばれたら、うっとうしいもの」
驚くほど穏やかに、微笑んだのだった。

619: 逆行94 2008/07/06(日) 01:19:42 ID:???

「そ、そっか。じゃ、じゃあ、アスカ…」
その笑顔に顔が赤くなるのを必死でごまかそうとしながら、
シンジはそうアスカの名を呼んだ。
ますます照れくさくなって、最後の方は声が小さくなる。
「なんで顔赤くしてんのよ、……やらしいわねぇ」
「や、やらしくはないだろっ!」
アスカの不審な目つきにシンジは必死で抗弁するが、
「…ほら」
どもるシンジに、アスカの手が差し伸べられた。
「え…?」
「え、じゃないわよ。……ほら」
もう一度、アスカがシンジを促す。
そこでようやく、アスカがシンジに握手を求めているのだと気づいた。
「……う、うん」
そっと、差し出されたアスカの手を握る。
するとアスカのやわらかな手に、確かな力が込められて、
どんどん込められて、さらに込められて……。
「あ、あれ? ね、ねぇアスカ?
こ、これ、痛い。すごく、痛いんだけど…」
つながれた手の向こう、しおらしかったアスカの顔が、
その時を境に獰猛に歪む。
それを目にして、シンジはなぜか、
とてつもない既視感と、ひどく嫌な予感を覚えた。

620: 逆行95 2008/07/06(日) 01:21:17 ID:???

再び見たアスカの顔は、まるで地獄の獄吏か、
もしくはストレートに、悪魔のそれだった。
「アタシがちょーっと調子悪かったからって、
ずいぶん生意気な口利いてたじゃないの?」
シンジの動揺が心底楽しくて仕方ないという顔で、
アスカは手にどんどんと力を込めていく。
情けないことに、握力ではシンジは完全にアスカに負けていた。
「うわ! アスカ、いた、いたいって!」
シンジはそんな悲鳴をあげながら、
(でも、これでこそアスカだよな)
と、本人が聞いたら怒り狂いそうなことを思う。
そして、そうやって少しだけ表情を緩めようものなら、
「なぁに気持ち悪い顔してんのよ、ボケシンジ!」
今度は整った口から言葉の暴力が飛び出してシンジを襲う。
しかしそれで、ひとまず気が晴れたのか、
「ほら、さっさと行くわよ! 潮風って髪に悪いんだから!」
アスカは握ったままのシンジの手を引いて、元いた方へ走っていく。
「わ、ちょっ、待ってよ! 待ってってば! アスカ、走るの速すぎ…!」
「もう、なんだってアンタはそんなにとろいのよ! ノロマシンジ!」
「ノロマ…!? ぼ、僕はそんなにのろくはないよ!
アスカが無駄に急ぎすぎてるんだよ!」
そうして、シンジとアスカはにぎやかにその場を後にする。
しっかりと、その手をつないだままで……。

――こうして、シンジとアスカの邂逅は、ようやくひとまずの幕切れを迎えたのだった。

621: 逆行96 2008/07/06(日) 02:01:47 ID:???

『……セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー、ね』
『あら、あなたもやっぱり気になるの?』
『ひゃわっ! ……リツコ! いるならいるって言いなさいよ!』
『……はぁ。あなたは相変わらずね、ミサト。
そもそも私がここにいないなんて事、あるはずないでしょう?』
『そりゃそうだけどねぇ。人に話しかけるならそれなりの作法ってもんが…』
『分かったわよ。次は精々丁寧に話しかける事にするわ。……それで?』
『それで、って、あんたが話を振ってきたんでしょうが……。
アスカのことよ。さっきの口振りじゃ、あんたも気になってるんでしょ?』
『そうね、気になっているというか……。
正直あそこまであからさまに秘密を抱えているのも珍しいわよ。
気にするな、というのが無理ね』
『あー。あの子、シンちゃんしかいないと思って無警戒にベラベラしゃべってたものねぇ』
『壁に耳あり障子に目あり、とはよく言った物だわ。
……それでも、私達の存在に気づけ、というのは少し酷かしら』
『だけど案の定というか、シンちゃんは何も気づいてないって所がどうもやるせないわよね』
『あら、その為に私達がいる、とも言えるのよ。名誉な事じゃない』
『そーかしら。あたしにはシンジ君がそんなことを考えていたとはとても思えないけどね』
『でも、レーゾンデートル、存在理由は必要よ。特に、私達みたいな存在にとっては。
……例え、それが後付けだったとしてもね』
『はいはい。口じゃあリツコ先生には勝てませんよ。
それより、今はアスカのことを話しましょう。
あの子がシンちゃんと同じだっていうのは間違いないんでしょ?』
『……それは、どうかしらね』
『リツコ?』
『初めは、私もそう考えていたのよ。でも、それだけでは色々と説明がつかない』
『どういうことよ?』

622: 逆行97 2008/07/06(日) 02:02:19 ID:???

『あの子には、不自然な所が多過ぎるという事よ。
その内の幾つかは、シンジ君と同じだからという理由だけでは説明が出来ないわ』
『…そう。アスカのシンクロ率と操縦技術ね』
『それだけ、という訳でもないけれどね。
でも、あのシンクロ率と操縦テクニックは確かに異常だわ。
人の限界を超えている』
『まるで、エヴァと完全に同化した時のよう?』
『……あるいは、同化ではなく、同調か。
動きにエヴァの意志を感じなかったから、感覚としては後者に近いと思うけれど。
とにかく、通常の訓練の結果ではないのは確かだと思うわ』
『アスカには、わたしたちの知らない何かがある、か。
シンジ君の読みはどうなの? 人体実験とか、そういうヤツは』
『そういう動きがあれば、『私』には感知出来ると思うけど。
でもシンジ君を跳ね飛ばした時の顛末を見ると、あながち否定も出来ないわね』
『ん、と? 跳ね飛ばした、って何だったかしら?』
『あなた、最初にシンジ君が彼女に触ろうとした時どうなったか、見ていなかったの?』
『あー! そういや派手にやられてたわねぇ、シンちゃん。男として、あれはどうなのかしら…』
『……呆れた。あれは、どちらかというとあなたの担当だと思っていたのだけれど』
『んなこと言われても、実際何されたのか見えなかったんだからしょうがないでしょぉ!
シンちゃん自体が目で追えなかった物を、あたしに見てろって言う方が筋違いなのよ!
それとも、シンちゃんがやられるのを黙って見てたのを怒ってるワケ?
いくら監視と護衛があたしの役目ったって、あの状況を対処するなんて出来っこないわよ!』
『そういう意味じゃないのだけれど。……まあ、いいわ』
『……あたしがよくないわよ。煮え切らないわね』
『とりあえず、シンジ君を目にして情報を集めていけば、アスカの秘密はいずれ分かるでしょう』
『結局、いつものように、見るだけが仕事、ってワケね』
『その見る仕事を放棄したナマケモノさんもいるようだけれどね』
『うっさい! もう行くわよ! おやすみ、リツコ、シンジ君』
『ええ。おやすみなさい、ミサト、シンジ君』

623: 逆行98 2008/07/06(日) 02:03:23 ID:???


「それじゃ、ミサトさん。行ってきます」
前日の疲れを感じさせない口調で、いつものようにシンジは家を出ようとする。
――なぜか、今朝の目覚めはいつにないほど快適だったのだ。
まるで寝ている間に一番の懸案が解決したような、
そんな清々しい気分でシンジは目を覚まし、爽やかな気分を引きずったまま、
鼻歌交じりで学校へ行こうとしたのだが、
「あ、シンちゃん学校? ちょっと待って」
そう言って、今日に限ってはめずらしく、ミサトが玄関までやってきた。
「あのね、シンちゃん。昨日会ったセカンドチルドレンのことだけど…」
「セカンド…? アスカがどうかしたんですか?」
外に出ようとしてたシンジだが、アスカのことともなればやはり反応が違う。
すぐにミサトの方を振り返った。
「ん? そう、その、アスカだけどね…」
その機敏な反応に少し驚きながら、ミサトは何かを言いかけ、
「……今日、何かびっくりするようなことが起きるかもねぇー」
結局そんな風にお茶を濁して、愉快そうに含み笑いをした。
「…? じゃ、行ってきます」
そうして、シンジは狐につままれたような表情で、
学校に向かうことになったのだが……。

「ミサトさんには悪いけど、今日何が起こるかなんて、考えるまでもないんだよな」
机に頬杖をつきながら、シンジはそう呟いた。
「ん? なんやセンセ? 何か言うたか?」
「ううん。何でもないよ」
呟きを聞きつけたトウジにそう返しながら、シンジはひとりごちる。
(あれはあれで、衝撃的な登場だったからなぁ…)

624: 逆行99 2008/07/06(日) 02:05:04 ID:???

ドイツからの帰国子女、という触れ込みで、シンジたちと同じクラスにやってきたアスカ。
『惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく!』
――非の打ちどころのない完璧な笑顔、ひるがえる長い髪。
あの光景は、忘れようと思ってもなかなか忘れられない。
「にしてもほーんま、いけ好かん女やったなぁ」
アスカのことを思い出して、能天気に話すトウジに、
「ああ。オレはもう二度と、関わりたくないよ」
どこか歯切れ悪く、そう返すケンスケ。
やはりケンスケはアスカに対して何か含むところがあるようだが、
その件について、トウジは無関係らしいことも分かった。
(でも、これからアスカがクラスメイトになるって知ったら、
どうするんだろう。あんまり険悪にならないといいけど…)
心配性のシンジは、ついそんなことまで考えてしまう。
そんなシンジの様子には気づいた様子もなく、
「のう碇。碇はこれからもあの女と会ったりせないかんのやろ?
こればっかりはセンセに同情せな…」
トウジがしきりに話しかけてくるが、
「あ、来たみたいだ」
扉の前に誰かが立つ気配を察してシンジがそう言うと、トウジも慌てて席に戻る。
それを横目に、シンジも騒動に備え心の準備を整える。
――しかし。
「……え?」
その扉を開けてやってきたのは、いつもの教師だけだった。
「ど、どうして…?!」
呆然としたシンジは、状況も忘れて思わず立ち上がっていた。
「…碇?」「どうしたんや、センセぇ?」
ケンスケやトウジの心配そうな声を聞いても、
シンジはすぐに返事が出来なかった。

――その日。結局最後まで、アスカは学校に現われなかった。

625: 逆行100 2008/07/06(日) 02:06:50 ID:???

「ね、ねぇ綾波! アスカが、セカンドチルドレンがここに来るって話、聞いてない?」
放課後、ついに耐え切れず、シンジはレイにそう尋ねてみたが、
「本部に、セカンドチルドレンが来るという話は聞いているわ。
でも、それだけ。それ以上のことは知らないし、聞きたいとも思わない」
その答えは、シンジの期待に添うような物ではなかった。シンジはあからさまに落胆し、
そのせいかレイの言葉に潜んでいた自己主張の欠片を見逃した。
だがレイは自分でそれを自覚していたのか、
「本部に行けば、きっと会えるわ。……いっしょに来る?」
めずらしくぶっきらぼうながらフォローを入れるが、
「いや、いいよ。今日はリツコさんも来なくていいって言ってたし、
そんなことであそこに行くのはよくない気がするから」
シンジは首を横に振った。それを見届けて、
「そう。……なら、わたしは行くわ」
「あ、うん。ごめん、引き止めちゃって…」
シンジのその謝罪には何もコメントしないまま、
「さよなら、碇くん」
レイはきびすを返すと歩き去っていく。
その背中を追いかけるように、
「さ、さよなら、綾波。また明日」
シンジはそう言葉をかける。
レイは一瞬、戸惑ったように足を止め、結局一度振り返って、
「…そうね。また、明日」
そう軽くあいさつをしてから再び歩き始めた。
「うん。また、明日…」
遠ざかる背中を見つめながら、シンジは口の中で、もう一度そう呟いた。
ただ、レイが振り返ってあいさつを返してくれたというだけのことなのに、
なぜかシンジの心には暖かい物が灯った気がした。

「なんや、いい感じやな、あの二人」「あぁ、くそう! オレも青春したいなぁ…!」
そんなシンジを心持ち暖かめの視線で見守る二人がいたことを、シンジはもちろん知らない。

626: 逆行101 2008/07/06(日) 02:07:50 ID:???

なぜか少し他所他所しい態度のトウジとケンスケと別れ、シンジは一人帰路についた。
(アスカ、何で学校に来なかったんだろう)
うつむいて歩きながら、シンジはずっと考え続ける。
(朝のミサトさんの思わせぶりな態度からすると、
あの時点でアスカが学校に来ることになっていたのは間違いないんだ。
……だけど来なかった。
それって、学校よりも大事な用がアスカに出来たから?)
しかし、シンジは首を振る。
(この時期に、きっとそれはない。
前回の時は、アスカは普通に学校に来れたんだから…。
だったら、やっぱり……)
自分が原因か、と思ってしまう。
(やっぱり昨日の今日で気まずくて……。
いや、アスカに限ってそんなことないか。
だけどアスカなら学校とかクラスを変えてくれって言ったかもしれなくて……。
ああ、でも、エヴァのパイロット候補者はあそこに集められるはずだし…)
悶々と悩みながら、シンジはいつのまにか家の前まで着いていた。
「……はぁ」
とため息をつきながら扉を開ける。
「ただいまぁ。…って、誰もいないか」
そう言いながら、靴を脱ぎ、
「……あ、…え?」
目の前に広がるダンボールの森に、足が止まる。
そして、その混乱に拍車をかけるように、

「おっそーい! アンタ、学校からここまで帰って来んのにいつまでかかってんのよ!」

あまりに聞き慣れた怒声が、シンジの耳を打った。

627: 逆行102 2008/07/06(日) 02:09:44 ID:???

シンジの前に腕を組んで仁王立ちしているのは、当然ながら彼女、
惣流・アスカ・ラングレーだった。
「な、なん、で…」
驚きでろくに言葉も出ないシンジを見つめ、
アスカの目が、すうっと細くなる。
「ははぁ。さては、優等生とやましいことして遊んでたんでしょ。
ぼーっとした顔して、やることはやってんだから…」
その言葉に、シンジの呪縛が解けた。
「し、してないよ! 綾波とはちょっと、話をしてただけで…!」
そう必死に反駁するのだが、
「うっわ! 本当にファーストといたの?!
信じられない! 不っ潔ぅ!」
どこかノリノリで、アスカはシンジを罵倒する。
思わず頭がクラクラとしかけるシンジだが、何とか持ち直し、
「そ、それよりアスカ、なんでここに…」
とりあえず、それだけは口に出来た。
「はぁ? アンタ、この部屋の様子見てもまだ分かんないワケぇ?」
すると、シンジの前でふんぞり返ったアスカは、ポン、と胸をたたいて、
「アタシ、ミサトに頼んで今日からここに住まわせてもらうことになったから」
シンジの想像通りの、そして全く想定外の言葉を告げる。

628: 逆行103 2008/07/06(日) 02:11:31 ID:???

(まさか、出掛けにミサトさんが言ってた『びっくりするようなこと』って、
アスカが転校してくることじゃなくて、引っ越してくることの方?
今日、転校してこなかったのも、学校より引っ越しを優先したからって考えれば…)
つじつまは、不思議と合ってしまうような気がするのだが、
(だ、だけど、この時点でいきなりアスカがここに来るなんて……。
あんな風に、色々ごたごたがあった後だし、
まだ、一緒にユニゾン訓練もやってないのに…)
突然の急展開に、全く動くことも出来ないでいるシンジに、
「まあ、本当はアンタを追ん出してミサトと二人で住もうと思ってたんだけど、
パイロットはまとまって住んでた方が都合がいいってミサトが言うから、
しかたなぁーく、アンタとも一緒に住んであげるわ」
一方的にそう宣言。
それでも棒立ちのシンジに、さらにアスカが厳しい現実を知らせる。
「ああ、そうそう。アンタの荷物、隣の物置…じゃなかった、
アンタの『新しい部屋』に運んどいてやったわよ。感謝しなさいよね」
「あぁっ!」
シンジは思わず悲痛な声をあげた。
もはや、直接見るまでもない。
脳裏に、ダンボールにごちゃっと詰め込まれたシンジの私物の光景が広がる。
それを「ふふーん」と満足そうに眺めながら、
アスカは最後に、天使のような、悪魔のような笑顔でにこやかに、

「これからよろしくね、……シ、ン、ジ♪」

波乱の幕開けを、高らかに宣言したのだった。



逆行-後編