<管理人注>

LASイタモノというジャンルですのでご注意ください





277: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:15:19 ID:???
 アスカのシンクロ率が落ちてきている。それも普通じゃない下がり方で。
 こういう数字は本当に水物で、その日嫌なことがあったりしたら簡単に下がってしまう。それこそ僕なんかだったら数学の小テストの点が悪かったとかその程度の事で.。
 そんなだからテスト一回一回だけの信頼性は低い。だからこそ頻繁にテストが行われて、 本来の実力を確かめるんだけど…。
 今回は不調とかそんなぬるい表現では済まされないくらいに深刻らしい。下がり続けているという事実以上に。
 この下がっているというのは直接聞いたわけじゃない。けど分かる。リツコさんたちがテストの結果を教えなくなったから。
 調子がいいなら発表している。その方がこっちのモチベーションだって上がるんだ。リツコさん達が教えていたのだってそれを期待してのことだと思う。
 だけどそれは逆に言うと“発表しないときは数字が良くない”ってことだ。
 ちょっとした悩みを抱えてたりするせいならまだいい。それが解決すればまた復調するんだろう。けど最近のアスカには何一つ起こっていない。
 ずっと家にいるだけ。ただそれだけ。学校にも行っていない。僕もそうだけど。何かが起こる訳が無い。
 シンクロ率が下がるような要因が無いんだ。日常生活の中には。学校に行かないから気分転換してまた調子が良くなるなんてことも期待できそうに無い。
 “ちょっとした”悩みじゃない。使徒に負けたことが原因だ。
 アスカの根本にあるものが揺らいだんだ。それは学校に行くことでは取り戻せない。EVAで乗ることでしか…取り戻せない。
 だけど実際に乗ると落ちぶれた自分を思い知る。そしてまた自分を追い込む。この悪循環。
 何度もそのことには触れないようにして遠回しに励まそうとした。けれどその度にアスカは逆上し、自嘲し、拒絶した。
 だけど放っておけない。何でって言われても困るけど…。友達だから…だと思う。家族でもあるし。
 そのときは確かにそう思ってた。その程度の思いだった。アスカに対しては。

278: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:16:19 ID:???
 綾波に相談したこともあった。家にまで行って話を聞いてもらった。
『何か声をかけられないかな。アスカの悩みを共有できるのは同じパイロットの僕たちだけなんだから。』
 綾波は話を黙って聞いていた。そして
『…今、EVAのことで碇くんに口出しされたら彼女は二度と立ち直れなくなるわ。』
 そう言った。理由を尋ねられても綾波は
『…資質が違う…“私達”と貴方では…』
と目を伏せ、珍しくさびしそうに呟くだけで何一つ教えてくれなかった。
 …アスカとたくさん話をしてきたはずの僕よりも、綾波の方がアスカに近いところにいたのは確かだと思う。
 帰り際に僕は綾波とキスをした。これで3回目のキス。今までの時間を全部足したって2秒にもならない。そんな短いキス。
 多分、僕は遠くない将来に綾波とSEXすると思う。この部屋で。そんな確信めいた予感がある。
 玄関のドアが閉まるとき、後ろで
『残酷な人…』
 という小さな呟きが聞こえた。振り向いたときにはドアは閉まっていた。鍵が閉まってないのは分かっていたけどノブをひねる勇気は無かった。誰に対して残酷なのかも分からない。
 偉そうに人の心配してるけど…僕のシンクロ率だって決して芳しくはない。けれど極端に低いということも無い。そこそこの数字を保ってる。停滞している割に精神は安定している。
 綾波のお陰かとも思った。けどやっぱり違う。綾波は僕にとって…ただの逃げ場だ。
 僕の生活もアスカに負けず劣らず、アップダウンのないものだけど。人はそんな中でこそ心を腐敗させていくものだけど。
 テストのときだけ心理状態を平衡に保つ感覚を掴んだから多分数字だけは維持できてる。本当に数字だけなんだけど。
 外側からでもそのことが漠然と分かったのかもしれない。リツコさん達が僕のテスト結果について何か言っている様な様子はなかった。
『小器用な真似をするようになった』
 そのくらいには思われているかもしれないけど。
 本部の復旧はそれなりに進んでいるらしい。でも…。
 世界はゆるやかに破滅へと向かっている。根拠を挙げられるほどに賢くは無いけど漠然とそう思う。多分、そういう認識は僕に限ったことじゃない。
 そんな中。単調だったアスカの生活サイクルに変化が起こった。
 夜遅くに黙って外出するようになった。

279: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:17:08 ID:???
「アスカ…どこに行くの?」
 夜。10時過ぎ。普通女の子が出かける時間じゃない。不機嫌そうにアスカは僕の方をチラリと見た。
「…どこでもいいでしょ。あんたに何の関係があるの?」
 最初、そういってアスカは出て行った。ああいう言い方をされて何て言ったらいいのか分からない。そのときは特に気には留めなかった。
『散歩かもしれない。ずっと家にいて…流石に息が詰まるのかな?』
 学校に行きたくないのは分かるし、かといって日中に中学生が外をうろうろするのもまずい。夜なら知ってる人にも会わないかな。
 いい傾向かもしれない。そうとさえ思ってた。だけど。行動は段々異常さを増して行った。
 最初コンビニにでも出かけるような普通の服装だったのが、やがて滅多に来て行かないような気合の入った格好になり…そのうち化粧をするようになった。挙句に香水の匂いまで漂わせ始め…。
 ミサトさんは殆ど家に帰ってこない。本部に詰めっぱなしだ。伝えることも出来ない。僕は苛立つばかりだった。
「だから何なのよあんたは!あたしの親でもないくせにあたしの行動に干渉しないでよ!」
「だっておかしいだろ、毎日毎日こんな時間に出かけるって!」
 あるとき…僕は我慢しきれなくなって追及した。
「なんだよこれ!」
 僕が突き出したものを見てアスカは黙り込み…そして物凄い目付きで僕を睨んだ。
「…探ったのね…最低…!」
「洗濯の時にポケットから出てきたんだよ!」「…もう私の分はやらないでいいわ」
「何かって聞いてんだよ!」「タバコよ!見りゃ分かるでしょ!」
「そんな話じゃないだろ!一体何やってるんだよ!」
 そう言うとアスカはこの頃よく見せるようになった表情を浮かべた。自分を貶めるような…自嘲の表情を。

280: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:17:53 ID:???
「へぇ…無敵のシンジ様には私が何してるかっていうことまで逐一ご報告差し上げなきゃいけなかったんだ。それは悪ぅございました!」
「そんな話してないだろ!何かあったらどうするんだよ!」
「ガードがついてんのよ、私たちパイロットには!一人一人に黒服が!何人も!
 何かなんてあるわけないでしょ!死なれたら困るんだから!私達が戦わないとみんな死ぬしかないんだから!みんな!みんなよ!?私達のお陰でみんな生きてられんのよ!
 …そうよ…私は選ばれた…特別なんだから!」
「…アスカ?」
 アスカは呻くように呟き…顔を落とした。しかしすぐに顔を起こした。またあの表情だ…。
「…まーね!まだ私にそれだけの価値があるかどうかは知らないけど!?ほら、人類には無敵のシンジ様がいらっしゃることですしぃ!?」
「もういい加減その物言いやめろよ!使徒に一回二回負けたぐらいで何をそんな人生終わったみたいな…」
 カッとなって思わず口にしたその言葉。綾波の忠告が耳の中に戻ったときには…アスカは僕を殴りつけ、胸倉を掴み上げていた。
「…ぐ…あ…アス…」
「…つ、次…」
「…?」
「次にそのことを口にしたら…命はないものと思いなさい…!」
「……」
 声が出なかったのは喉を圧迫されていたからじゃないだろう。アスカは乱暴に僕を突き飛ばした。
 僕は情けなくも弾き飛ばされ、背中をしこたま床に打ちつけ、呼吸が出来ないくらい咳き込んでしまい、アスカが出て行くのを止められなかった。
 ペンペンが隅の方でその様子を心配そうに見ていた。
 次言ったら…僕は本当に殺される。そう思う。
 翌日、珍しく僕はシンクロ率が下がっていることと、目元の痣についてリツコさんに尋ねられた。数字のことを口にしたのはアスカがいなかったからだろう。
 アスカは…テストに来なかった。
 昨夜のあの言葉がアスカの“最後の糸”を断ち切っていたことを…僕はこのとき知らなかった。

281: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:18:48 ID:???
アスカはこれまで、どんなに大事な用事があったって、どれほど調子を落としたって、愚痴を垂れながらでもNERVを優先していた。
 サボるのは初めてのことだ。
 ミサトさん達は顔色を変えていた。リツコさんだけは何事も無かったように平静にしていたけど。
 言うべきだったかもしれない。あのことを。でも僕は言えなかった。
 ガードが付いてるんだから…。本当にまずいときには…保安部だか諜報部だか知らないけど…僕を連れ戻したときのように…。
 僕の家出のときのように“思春期特有の一過性のやんちゃ”、黒服の人たちがそう判断して放っておいたのは間違いないと思う。そして安全や居場所の把握が確実なのも間違いないだろう。
 そうだ…そこまで深刻な事態じゃない…。まだ…そんな…。
 僕は…そう思って…考えるのをやめた。
 また逃げた。
 アスカは帰って来なくなった。それから一度も。一度もだ。携帯にかけても繋がらない。音信不通。
 僕はずっと家でペンペンとテレビを見て過ごす。朝から晩まで。月曜から金曜まで『いい友』を見逃さない。ツルベが何曜日のレギュラーってことだって把握している。そのくらいテレビを見てる。それしかすることがない。できることがない。
 落ち着かなかった。とにかく。
 ここ最近会話が無かったんだから何も変わってないはずなのに。でもやっぱり、夜中にトイレに行くときに襖をそっと開けたり、脱衣所に入るときに誰かいないか確認する必要がなくなったりしたことは…落ち着かない。
 どうやって今、アスカは毎日を送ってるんだろう…。ちゃんと食べて…着替えて…風呂に入れてるのか…?
 そしてそれが出来ているとしたらどうやって…。誰の手を借りて…。
 想像はろくでもない方向へと転がり、僕の心はかき乱される。焦る。何でだ?分からない。どうしてもこの衝動を理由付けできない。だから余計に苦しい。
 …多分…僕の想像は正解だ。
 そうした数週間が過ぎる。僕はただテレビの前に座り続けた。
 僕とアスカがそうやって人生を浪費しているとき。それは唐突に起こった。
 

     ミサトさんが死んだ。



282: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:19:49 ID:???
「え?…それって…どういう…」
 夜中。僕は電話でそれを知らされた。電話の相手は日向さん。
『今言った通りだ!今自宅だね!』
「は、はい…。」
 重すぎるはずの言葉の意味を考えさせてくれないくらい日向さんの口ぶりは乱暴で…多分運転しながら電話してる。何かとても切羽詰っていたのが分かった。
『いいかい、すぐに玄関の鍵を全てかけるんだ。そしてカーテンを閉めて、電気を消して、窓の無い部屋に…。』
「え?」
 意味が…分からない…。
『アスカは!?そこにいないのか!?』
「え、あ、はい…。あの…電話も…。」
『…放っておいたのが幸いしたか…かけ続けてくれ…連絡をなんとか…』
「で、でも…」
『かけるんだ!』
「は、はい…!あ、あの…なんて…帰ってくるように…?」
『“絶対に帰ってくるな”、だ!!!』
「え?あ、はい…!』
 僕はただそう答えるしか出来なかった。本当に分かっていたかどうかも怪しい。けどそう言い続けるしか…。
『今そっちに向かってる…!
 いいかい…!僕か君の知っている誰かが行くまで絶対に扉を開けちゃいけない…!NERVからだと名乗ってもだ!特に赤木博士は…』
“ ぶ つ ん ”
「…日向さん?」
電話は唐突に切れた。あまりに不自然に。僕は呆然としながら受話器を置いた。
「…なんだ?」
 ミサトさんが…死んだ?
 意味が大きすぎてピンと来ない。だって…こういうのは唐突過ぎるだろう。だって…こんな…
 けれど…それを考える時間もないらしい。日向さんの言うことを信じるならば。
 “何か”がここにやってくる。

283: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:20:58 ID:???
「…。」
 電話をかける。ミサトさんに。
“RRRRRRRRRRRR…”
 10秒…30秒…1分…。
 …出ない。偶然?充分に考えられることだけど…。
「…。」
 辺りを見渡す。普通だ。外だっていつもの光景だ。でも…。
 どうやらこれから普通の光景ではなくなるらしい。
「…えと…まず…」
 考えるのは後回しだ。僕は玄関をロックし、窓の鍵も閉めた。そしてカーテンを閉め、電気を消して…。
「クァ!?」
 ペンペンが走り回る僕を見て驚いている。
「お風呂場に行くんだ!」
 叫んで僕はミサトさんの部屋に駆け込み…机の引き出しを開いて銃を取り出した。
 掃除のときに見つけて知ってる。ミサトさんが個人的に所有しているものだ。
「…。」
 EVAでは死ぬほど銃を撃たされた。サイズ比で言ったらこんな9mmなんかよりも凄いのを。
 けど現実の僕は一回だって撃った事は無い。発射の反動も、炸薬の臭いも知らないし、現実の僕が引き金を引けるのか、ちゃんと的に当たるのか、誰も分からない。
 …これから…知ることになるのか?
「…まさか…」
 銃を握り締め、僕は風呂場へと向かった。クローゼットも、ガラス戸も閉めて、ペンペンと湯船の中に入って蓋を閉めた。
「クェ~!!!」
 ペンペンが混乱して暴れる。
「…クェ…!」
「静かに…!静かにするんだ…!」
「…クェ…」
 抑えた声で僕はペンペンを叱り付ける。ペンペンは大人しく従ってくれた。
 こんなとこで少しぐらい喋ったところで外に音が漏れるわけが無い。それでも僕はそう言わずにはいられなかった。

284: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:21:47 ID:???
“RRRRRRRRRRR♪”
 携帯でアスカを呼ぶ。今までと同じで少ししたら伝言メモへと切り替わる。
「…くそ…」
 出ろよ…出てくれよ…。
 僕はすぐにもう一度かける。わずかな呼び出し音。そして伝言メモへ。その繰り返し。
「…ふぅ…!…うぅ…!」
 僕は震えていた。蒸し暑い中、風呂場に篭っているはずなのに、この震えは何だ?汗はかいてるけど、これは暑いからかいてるんじゃないはずだ。
 死んだ?ミサトさんが?リツコさんが…どうしたって?何を…何を言ってるんだよ?おかしい。おかしいよ、日向さん。
 随分と大げさな冗談だ…。嘘だろ?ねぇ…嘘なんだろ?そうだ。日向さんの言葉が嘘なんだ。そう考える方が自然だ。そうに決まってる。
 …そう思うんなら何で僕は何でここにいるんだ?何で泣いているんだ?
 これはミサトさんへの涙じゃない。自分のための涙だ。これは…恐怖だ。
 あぁ…どうしよう…僕は怖い…ミサトさんが死んだかもしれないことじゃなく…自分が今から死ぬかもしれないことが…。
「…アスカ…。」
 物言わぬ伝言メモの数がどんどん重ねられていく。何故だ?何故アスカは出ない?僕の携帯からだからか?
 ずっとかけ続けている。多分、着信拒否に設定する間もない。普通そういう場合、電源を切るか…電波の届かないところに行って着信拒否に設定するはずだ。そうされたらどうしようもないけど…。
 でも今も呼び出し音は鳴っている。アスカは僕の携帯の電波が届くところにいる。僕の声が届く位置にいる。後は…アスカが僕の話を聞く気になるかどうか。
 もう20回以上鳴らし続けている。以前にもしつこくかけたことはあったが…この回数は…。
 何かおかしいことは伝わっているはずだ。何か起こったんだと思ってもおかしくないはずだ。
 なのに…何故出ない?
 携帯を手元から離しているならアウトだ。そうじゃないなら…。

285: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:22:39 ID:???
「出てくれ…。出てくれアスカ…!」
 もはや何故これほど呼び出し続けているのかということは頭から消し飛びかけていた。とにかくアスカを望んだ。
 これほどアスカの声が聞きたいと思ったことはない。あの僕を馬鹿にする声を望んだことはない。これほど…これほどまでに…。
 それが僕を拒絶する言葉であってもいい…。とにかく…声を…。
 右手で携帯を。左手には銃を。腕がつりそうな位強く握り締めてる。
 腕の中ではペンペンを思い切り抱き締めて…。苦しいだろうにペンペンはじっと堪えてくれている。本当に賢い、優しいペンギンだ。僕が怯えてるのを分かってくれているんだ。
 この温もりがなかったら今頃、間違いなく僕は壊れてる。
 気付くと…携帯の電池の残り残量が少ない。ずっと誰にもかけず、誰からもかかってこなかったから充電を随分してない。
 僕には外のコードレスの受話器を取りに行くことは出来ない。この携帯こそが…唯一つの…。
 早く…早…。
 そのとき。
『伝言メッセ…“ぶつっ”』
「え?」
 いい加減聞き飽きた録音の声が途切れ…
『…何?』
 あれほど待ち望んだアスカは…やっぱり不機嫌だった。

286: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:23:31 ID:???
「え…あの…」
『…何!?用事があるなら早くしてくれない!?あんたが延々とかけ続けてるからあたしどこにも電話できないんだけど!?』
「あ、あ~…!」
 後ろではかなり大音量で音楽が鳴っている。けれどこの声の大きさはそれだけじゃないだろう。電話口の向こう…アスカは明らかに苛立っている。 
 言わないと…伝えないと…凄い…凄いことが起きたんだ。
 でも…僕の舌は緊張にすくみ上がってまともな言葉を喋ってくれない。頭も真っ白になって…。
『…人待たしてるから切るわよ?』
「ち、違…」
『じゃあね。ミサトにヨロシク』
「!!」
 その名前が出て…全部が動き出した。
「死んだ!!」
『…は?』
「ミサトさんが…!死んだ…!!!」
『………。
 …はぁ!?」
 電話口の向こうでアスカが大声をあげた。僕は続けた。
「アスカ!絶対に!絶対に戻っちゃいけない!ここに戻っちゃ駄目だ!それで…」
『戻るつもりも無…ちょ、ちょっと待ちなさい!あんた何言ってるの?』
「僕も詳しいことは分からないけど…何か…何か…」
『いい?頭から順序立てて説明しなさい。何が起こったのか。まず…』
“ ど ん !!!”
「……!!」
 突然…何か…音がした。“こっち側”で。僕の…すぐ近くで。多分…玄関だ。
『シンジ?』
 続けて…誰かが駆け込んできた。凄い勢いで。無遠慮に。
『…シンジ?』
 “足音”は家中を走り回ってる。まるで何者かを探してるかのように。
「あ…あ…」
 探しているのは…僕だ。

287: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:24:28 ID:???
 僕は銃を握り締めた。安全装置も外したし、装弾も確認してる。教わった通りに。それを教えてくれた人は死んだのかもしれないけど。
 でも…撃てるのか?僕は使徒の倒し方は教わったけど…人の殺し方なんて教わってない。そんなことするつもりもなかったし。そんなことさせられるんならここにはいない。
 けど…今…僕は…。
『…シンジ?聞こえてんの?まだ話は…』
「アスカ…」
“どすん…ガラッ!!”
 足音が遠くで…どこかの部屋の襖を開けた。…多分僕の部屋。最後の部屋。
 もう…来る…。ここに…。
「アスカ…き、君だけでも…」
『何…?何なの?』
“…す…とす…どす…どす!!”
 足音が猛烈な勢いで接近する。気付いた。ここだって。ここしか残ってないって。
「君だけでも生き…」
『…シンジ?』
“ ガ ラ ッ !!!”
 クローゼットが開かれた。風呂場の扉が乱暴に…。
「逃げて!!!」
『シンジ!!??』
 僕には撃てない。ここで死ぬんだ。
 蓋が勢いよく跳ね上げられた。

「…シンジくん!!」
「…え?」
「無事だな!?」
 この声…いつもと違って私服で…銃を構えてるけど…あぁ…この人は知ってる。
「日向…さん…。」

288: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:25:28 ID:???
「遅くなってすまない…!誰も…来なかったか!?」
「はい…多分…!あの…一体…」
 日向さんは靴も脱いでいない。何か荷物を背負って…そして服の下に何か着込んでいる。多分…防弾チョッキ。鍵は…どうやって…。
 僕の質問には答えずに日向さんは一方的に告げた。
「支度をしてくれ。すぐにここを離れる。…後…それを下ろすんだ。」「…え?」
 僕は安全装置の外れた銃を震える手で日向さんへと向けていた。助けに来てくれたらしい人に向かって。
「あ…すみませ…!」
『シンジ!?聞いてんのシンジ!?』
 携帯から喚く声が聞こえる。あ。あぁ…そういえば…
「アスカか!?繋がったのか!?」「あ、はい!」
「代わって…!」
 言うなり日向さんは僕から携帯をもぎ取った。そして僕に告げた。
「必要最低限のものだけだ!3分以内に!」
 3分。えらく長い。急ぐんならすぐに出ればいいのに。そう思いながらも僕は部屋へと駆けた。後ろで日向さんが「…そうだ。…通りに10分以内…」と何かアスカと話していた。
 何を…何を持っていく?僕にはそんな…大事なものなんて…。
 カバンにまずSDATを放り込む。そして少しの着替え。本当にこんなものくらいしかない。本当に自分の人生が薄っぺらいことが分かる。
「…あ」
 僕は部屋を出て、向かいの襖を勝手に開ける。確かに僕には大事な物は無い。けど…アスカには。
 宿主のいなくなった部屋。流石に埃が溜まるまではいかないけど。やっぱり空気が淀んでる。
 何を…何から…?
 とにかく張ってあるような写真だとか、机の上のものを目に付いた順に入れていく。大事なものかどうかの判別は付かないし、そんなことする時間は無い。
 いびつに歪んだカバンを背負って部屋を出る。日向さんはミサトさんの部屋にいた。

289: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:26:46 ID:???
 3分なんて時間をよこした訳が分かった。日向さんは自分の端末にミサトさんのパソコンのデータを移している。その時間か。
「終わったかい?」「はい!」
「よし、行こう」
 日向さんはコードを引っこ抜くと、ミサトさんのパソコンを…机に叩き付けた。
“ガッシャ…ン!!!!”
「うわぁあぁ!!?」
 叫ぶ僕に構わず、続けて日向さんは壊れずに残ってる部分を撃ちまくった。
“ドン!!ドン!!ドン!!ドン!!ドン!!ドン!!”
 パソコンは…もうゴミの塊でしかなかった。日向さんは当たり前みたいに僕を促す。
「…急ごう。」「…はい。」
 …どうやら…今は何一つ考えてはいけないようだ。とにかく流されるしかない…。今、自己主張してる暇は無い。
 日向さんが味方かどうかも分からないけど。大体…僕が得てる情報は全部日向さんからのもので…。
「クアァ!?」
 ペンペンが慌てたように僕に走り寄って来た。そうだ…君を忘れちゃいけない。僕はペンペンを抱える。日向さんは信じられないというように目を剥いた。
「連れて行く気か!?」「いけませんか?」「……」
 それ以上日向さんは何も言わなかった。こんなことで時間を食いたくないんだろう。分かる。言いたいことは分かるけど…。ペンペンだけはどうしても…。
 僕たちは階段を下まで駆け下りた。エレベーターを待つ時間も惜しい。
 地下駐車場。日向さんは一瞬、躊躇した。目の前にはエンジンかけっ放し、ドアも開けっ放しの四駆が置いてある。
「…日向さん?」「…行こう」
 日向さんは意を決したように飛び出した。僕も慌てて追いかける。10数メートルを全力で走り…そして…何事もなく車へとたどり着いた。
「…はぁ!!」「……」
 運転席に飛び込み、日向さんは大きく息をつく。額には脂汗をにじませて。僕は助手席に。
 よく…分からないけど…。今は危険だった一瞬だったのかもしれない。
 …つまり…いつ…今襲われても…

290: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:29:26 ID:???
「…行くよ!」
 呼吸を整える間もない。ドアを閉めるのももどかしく、四駆は一震いして走り出した。僕はペンペンを後ろの座席に放り投げる。
「…日向さん…。あの…」「途中でアスカを拾う…!連絡してくれ!」
 日向さんは僕の携帯をつき返してよこした。有無を言わさないその調子に僕は黙ってかけようとしたが。
「あっ…!」「…どうした…?」
 電池切れだ…。さっきからずっとかけ続けて…。
「充電器は…?あるならここで…」「…」
 …そうだ…。SDATなんかじゃなくそういうものを持ってこなければ…。馬鹿か僕は…。黙っている僕に日向さんはそれ以上何も言わなかった。
「…来てくれているのを祈るだけだな。」「…来るって言ったんですか?」
「黙って切られたよ。彼女…何があったんだ?急に…」「……」
 原因は…僕だ。全てじゃないと思うけど…。その比率は低くはない。
「まぁ…今はそれどころじゃないか。」
「あの…」
「色々聞きたいことは分かってる。けどもう少し待ってくれ。アスカを拾ったら…」
 僕は日向さんの表情を伺う。とりあえず運転に集中してるようにしか見えない。もの凄い速度で飛ばしてるから。
「どうやって…部屋に?」
「鍵を渡されてたんだ、葛城さんから。何かあったらあの子達を頼むって。」
 そして…何かは起こったらしい。ミサトさんの身に。だから日向さんはその約束を守って…そういうことで…いいのか?
 本当に?
「…警戒するのも分かるけどさ。何も説明してないしな。けど…今は従ってくれよ。盲目的に。」「はい…」
 いいえって言ったところでどうなるものでもない。
 車は大通りに入った。夜遅いとはいえ、ここは繁華街に面してるから車は多い。その中を車は爆走していく。
「この辺なんだが…。」「アスカ…」
 車を徐行させる。アスカは…見つからない。
「間に合わなかった?」「来る気が無いのかもしれないが…」「……。あ!」
 僕は扉を開けた。
 バイクが…ノーヘルの男が運転する大型バイクが接近してくる。後ろには女の子が乗ってる。女の子はバイクが止まるのも待たずに飛び降り…こっちに駆けてきた。
「アスカ…!!!!」

291: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:30:22 ID:???
 アスカだ…!出て行ったときと違う服装だし、髪型も少し変わってるからすぐには分からなかった!
「ミサトがどうしたって!?」
 アスカは車にたどり着くと開口一番そう言った。後ろの男は…知らない奴だ。
「話は後だ。乗ってくれ…!」
「…乗れって言われても…。」
 アスカは後ろの男の方をチラリと見た。男はかったるそうにこっちを見てる。僕と目線が合うと思いきりメンチきってきた。
「私…この後…」
「いいから乗れ!!」
「……。」
 日向さんに怒鳴られると、アスカは黙って後ろのドアを開けて車に乗り込んだ。男が慌てて声を上げる。
「おい!!話が違うだろが!おい…!アスカ!聞いてんのかこのボケ!」
 男がわめく。その声が癇に障る。アスカ?アスカだと?何を呼び捨てにしてるんだ、お前みたいなのが…!しかも…ボケだと…?
 アスカが窓を開けて叫ぶ。
「ごめん!埋め合わせするから!アイツには少ししたら戻るって言っといて!」
 その声は…未だかつて聞いたことのないトーンで…。
 何だ?埋め合わせ?戻る?アイツ?は?何だそれ?
 …まるで別人だ。
 凄く短いスカート履いて…。髪型も変わってるし、ちょっと色も違う。下手糞に化粧もして…。言っちゃ悪いけど…下品だ。
 とにかくこの数週間。アスカはどこかでちゃんと食事をして、着替えをして、風呂に入っていたらしい。
 僕の全く知らない場所で。誰かに頼って。
 頭がカッとなる。血が騒ぐ。理由は分からないが…焦る。
 そういう状況じゃないのは分かってる。でも…気に入らない。とにかく。何もかも。
「…シンジ…一体何なの?」
「ごめん…少し…黙ってて…。」
「……」
 アスカ…臭いんだ…。君が口を開くと…酒と…タバコの臭いがするんだよ。
 喋らないでくれ…。聞きたくない。 さっきの声は…男にこびる声だ。
 僕の知ってるアスカは…もっと…。

292: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/04 21:38:05 ID:???
「ここだ…」
 第三新東京市の外れで車は停まった。
「ここなら安心だ。優先度が低く、切り捨てられた区画。襲来直後で事務処理がかなりずさんになされてたから…うちの総務でも把握しきれてないはずだ」
 僕たちに話しているのか、自分に言い聞かせてるのか。とりあえずアスカは仏頂面であさっての方向を見てた。
 人手が本部周辺施設に回されて作業が中断。放置されたままの造りかけの地下施設。NERVの切れっ端。
 そこら中にコンクリートの破片なんかが散らばっていて、別の意味で安心とは思えないそこに僕たちは潜り込んだ。
 ハッチを開け狭いトンネルに。明かりは一切無い。日向さんが懐中電灯をつけた。
「電気は…?」「一部は生きているが使う訳にはいかない」
「どうして…」
「…誰もいないはずのとこで電気が使用されてたら、即ばれるでしょうが…」
 アスカがぼそりと呟いた。言われてみるとその通りだけど…。
 ばれる…。誰に?
 ペンペンが腕の中で不安そうにしてる。
 一つのハッチの前で立ち止まる。手元のメモとプレートの表示を何度も確認している。
「…ここだ。シンジくん。手伝ってくれるかな。」「は、はい」
 電気が使えないので日向さんと二人、棒でハッチを無理矢理こじ開ける。
“ギ・ギ・ギ…!!”
 何とか隙間が出来た。僕らの苦労を労うでもなくアスカはさっさと中に入る。
 中は…小さな避難所みたいだった。隅の方には段ボール箱が山積みにされてる。表示は…食料品や飲料水。
「ちょっと待ってて。どこかにディーゼルがあるはずなんだ。それを動かせば電気もつく」「え、ちょ…」
「ライトは置いて行くから。話はそれからしよう。」
 『聞いてたのとは随分…』日向さんはぶつぶつ呟きながら部屋を出て行った。
 …沈黙。暗闇の中、懐中電灯がわずかに闇を削っている。そしてその光の照り返しでわずかにアスカが見える。…組まれた足だけ。綺麗な足のラインが少ない光でもよく分かる。
 多すぎる露出。僕はいたたまれなくなって目を逸らした。と、そのとき。
“ボッ…”
 静かな部屋に突然に炎の音。
「…アスカ…」
「…何よ」
 暗闇にさっきまで無かった赤い点。
「…やめろよ」
「…私の勝手じゃない」
 そう言うとアスカは僕にタバコの煙を吹きかけた。

670: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/05 01:54:25 ID:???
 暗闇の中、アスカは携帯をしきりにいじっていたが、電波がどうしても入らないらしく仕方なくしまいこんだ。
「…どうしてたんだよ、今まで」
 間が持たないので…とりあえず喋る。
「…どうにかやってたわよ」
「泊まるとことか…食べるものとか…」
「あたしくらいになると何とでもなるのよ、そんなこと。おごらせて、面倒見させてって男前はいくらでも」
 アスカはこともなげに言っているが、声にどこか得意げな響きが混じる。多分実際そうだったんだろう。
『私はこんなにも人気だったのよ』『EVAと関係ないところでもあたしは…!』
 そう言ってる様に聞こえる。だけど…それが逆に痛々しい。
 アスカがどこにいたか知らないけど…。…そんなところで必要とされたからどうだっていうんだ。誰も凄いなんて思わない。そうでもしてプライドを維持したいのか。
 アスカのその姿が…哀れだった。そんな風に思ってることが知られたら…多分殺されるだろうけど。
「その服も、その靴も、そのバッグもかよ」「…」
 返事は無かった。ただ…煙を吐き出す息遣いだけが聞こえる。
「…安いものじゃないことくらい僕にだって分かるよ」
「へ~…無敵のシンジ様は女の着る物や持ち物にもお詳しい♪」
「質問に答えろよ」「…!」
 どうしても声に棘が混じる。アスカが怒鳴りかける気配がしたが…すぐにせせら笑う声に変わった。赤い光が小刻みに揺れる。
 闇の向こう…アスカはあの最低の表情をしてる。
「…いいわよぉ、私は答えても。
“どうやってこの服を、この靴を、このバッグを手に入れたか”。
 答 え て い い の ?」
「…」
 今度は…黙るのは僕の方だった。それを聞く勇気は…僕には無い。
 アスカはその様子を鼻で笑い、『根性無しが』と呟いた。

679: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/05 01:56:30 ID:???
「…そっちこそどうしてたのよ」
 今度は向こうから尋ねてきた。さりげない風を装ってるけど…。裏側にあるものは感じる。気になって気になって仕方ないんだ。
 …どう答える?
「…心配してたよ」
 色んなことに気を使ったらぼんやりした答えになった。実際ミサトさんは心配してる。…いや、してた。けど本当に必要なら無理にでも連れ帰ってたのかもしれない…。
 …上手く説明できない。
「ふ~ん…」
 アスカは努めて興味なさげな風を装って煙を吐く。求めている答えじゃなかったんだろう。だけどどんな答えなら満足するんだ?僕には分からないし…多分、本人も分かってない。
「…連絡は…無かったの?」
「…ミサトから最初の2、3日に2、3回。それに出なかったら…それっきり。んで次にこの着信音が鳴ったと思ったら…アンタだった」
 アスカは前に“嫌いだ”って言ってた曲を鳴らしてみせた。わざわざそれを僕やミサトさんの番号に設定してるらしい。
 2、3日。2、3回。それだけ。それだけですか、ミサトさん。
 もういないかもしれない人間に対して不快感がこみ上げてくる。
「あたしなんてその程度かなって思ってたんだけどね。いないならいないでいいのかって。シンジが家出したときはすぐ連れ戻されたんでしょ?」「…」
「やっぱ差があるわよね~これが重要度の違いって奴?私なんていなくても回るもんなのね~。
 ま、仕方ないか!役に立たない上にバックれたんじゃね。捨てられても当然!諦めもつくってもんよね!」
 そんなこと思ってないのは誰でも分かる。諦めた人間の声がこんなにも震えるもんか。
「それは違…」「それは違うな」
 ディーゼルの駆動音。ややあって電気が付いた。空調が低い音を立てて回り出すと共に日向さんが入ってくる。
「回るには回ったが…そのために葛城さんがどれだけ骨を折ったか分かるかい?」 
 その口ぶりは静かだが辛辣だ。アスカが慌てたように顔を隠す。…やっぱり泣いてたのか?
 日向さんはそんなアスカの様子と彼女の手の中のタバコを少し見つめ、ダンボールに腰を下ろした。
「さぁ…話そうか。」

860: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 06:38:42 ID:???
 部屋が明るくなるとペンペンがむずかりだしたので放した。ペンペンは物珍しそうに部屋を歩き回り始めた。
「もう…いいんですか?」
「とりあえず今出来ることはないな。しばらくは…待つだけだ。」「待つ?」
「…軽く食事でもするかい?何があるのかよく知らないんだけど…。」
僕は力なく首を振る。食欲は…ない。何もしたくない。強いて言うなら寝たい。疲れた。
「ねぇ…外で電話かけたら駄目?ここ電波悪くて…」
「…発信元がこの付近なら簡単にここは突き止められる。我慢してくれるかな」
「…約束があったんだけどなぁ…」
 アスカのバカな質問にも日向さんはとても静かに答えた。本当は携帯自体を壊したいところだろう。アスカは駄目といわれてもなお愚痴り続けた。
 。ただ日向さんを困らせてるだけだ。分かってて八つ当たりしてるんだ。そんなことしても何もならないのに。
「さて…葛城さんのことだが…」
「…」
「あの人は今日、山城の帰りに列車ごと吹き飛ばされて…死んだ。ニュースでもやってたが…見たかい?」
「え!?あの事故なんですか!?」
ドラマを見てたら画面上にテロップが出た。少ししたら臨時ニュースとして流れた。トンネル内で…凄い爆発だったらしい。そして日向さんが電話をかけてきた。
「“事故”じゃない。“事件”だ。意図的な」
「テロ…」
「列車はEVAの部品を運んでいたと聞いている。それを狙ってのことらしい。NERVの行動を快く思っていない一部勢力の犯行。葛城さんは“運悪く”その列車に乗り合わせ…。
 目下全力で犯人を割り出し中。少なくともNERVはそう説明したよ。俺達には」
「…それと僕らがここに連れてこられたのと何の関係が…。
 …第一、僕らが狙われてるっていうんなら本部に行けばもっと安全で…」
「本当に頭悪いわね、あんたは」
「え?」
「EVAに関することは部品の一つに至るまで重要機密だ。その移送の段取りがおいそれと外部に漏れるものか」
「え…だって…現に…」
「おそらくその情報はダミー…。後付けの理屈…。使用されたのは戦自の車両…うちの懐は痛まない…。その列車に乗るのを指定したのも上だ。…おそらく初めから葛城さんを…」
「…わからない…それは…密告者がいるってことですか…?」
「もっと根本的な問題なんだよシンジくん。葛城さんを殺したのは…NERVだ」

861: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 06:40:25 ID:???
「そんな…ミサトさんが何で…一生懸命働いてたじゃないですか!」
「そうだね。」
「ならなんで!誰がそんな…父さん…父さんなんですか…!?父さんが…」
「あの人も関わっているだろう。だが…おそらくはもっと上…」
「上…」
「…“ゼーレ”?」
 アスカの口から飛び出した聞きなれない単語に日向さんは驚いた。
「…よくその名前を…」
「…加持さんから少しだけ聞いたことがある。NERVの裏側にいる世界の本当の黒幕だって。
 絶対に口に出すなって言われた。そして間違っても近付くなって。知ろうともするなって。」
「…加持さんはゼーレの構成員だったらしい。日本政府とも繋がっていたらしい。多重スパイだった。
 しかし世界の深いところまで知りすぎて…。」
「消されたのね。」
「…」
「…加持さんにどんな仕事をしてるのか聞いたことがあったわ。そしたら
『俺はね、アスカ。ジェームス・ボンドさ。007。正義のスパイなんだよ』って。
 からかわれてると思って怒ったけど…。本当だったのね。」
「あの人は葛城さんに情報を流していた。」
「んで、ミサトはボンドガール気取りで加持さんの真似事をやってしくじったってわけね。バッカみたい!ボンドガールはジェームス・ボンドがいてこそなりたつのよ。助けに来るボンドがいなけりゃボンドガールは死ぬだけよ!
 当然の結末じゃない!」
「アスカ!」
「あぁ…ある意味ではその通りだ。あの人はそういうことに向いた人じゃなかった。自分でも分かってただろうに。だから僕を引き入れたんだ…。」
 日向さんは…どこまでも静かだった。
「なのに…なんでそんなことに首を…。間違いないことなんですか?NERVがミサトさんをなんて…」
「証拠はない。あるわけない。どれだけ怪しくても…。NERVの仕事を甘く見ちゃいけない。
 …寸での差だったらしい。もう君たちの家は…」
「…家は…?」
 日向さんは答えない。

862: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 06:47:27 ID:???
「…で?それが何で私達の身の危険に繋がるの?」
「葛城三佐は極めて得難い人材だった。加持さんと違ってそう簡単に替えが利かない。」
アスカは大声をあげようとしたが自制した。事実だし…話が途切れる。
「作戦部長だ。立場だってある。それを惜しげもなく消したNERVもしくはゼーレの思惑がどこまでのものなのか把握し切れてない。
 葛城さんで終わりなのか、それとも彼女と繋がりの深い、いずれ自分達に刃向かうかもしれない君たちをも手に掛けるつもりなのか…。
 君たちにどこかから別の情報が入って混乱する前に引きずり出したんだ。」
「…ありがとうござ…」
「どこまで馬鹿なのあんたは。今の話、鵜呑みにしてどうするのよ」
 大きすぎる事実に頭が回らなくなった僕が反射的にお礼を言いかけたとき、アスカの声が飛んだ。
「あたしたちは“この人からしか”話を聞いてないじゃない」
「…アスカ?」
「ミサトが死んだかどうかすら定かじゃないわ。この人が“たった一人”でそう言ってるだけだもの。他の情報を全く与えられずいきなり連れて来られて…。
 それこそ、この人がゼーレか、他のところと繋がっているスパイかもしれない。むしろ可能性の方が高いわ。外と連絡を取ることすら許されない…この人の話を裏付けようがないもの」
 こんな中でも…アスカは極めて冷静に物事を見ていた。僕と違って。
「…日向さん…。日向さんだけなんですか?その…」
「…君たちを助けるために動いてくれてるのは僕だけじゃない。けれどそう沢山でもない。信用が置け、なおかつ使い物になる人間は限られる…。それにこれは易々と巻き込んでいいような話じゃない。時間も無かった。
 あのとき直接動けたのは僕だけだった。」
「言い訳だけは申し分ないわね」
 アスカは敵意丸出しだ。
 わからない…。どっちの言葉ももっともらしく聞こえるし、どっちの言うことも完全には分からない。アスカの言う通り僕が馬鹿だから?
 誰を…何を信じればいいんだ?
「…確かに言い訳に聞こえるだろうな。証明する術が何も無い。だが…今、ここを出すわけにはいかない」
「銃持ってる相手に抵抗しようとか考えるほど子供でもないわ。」
 日向さんは“灰色”として見ておかないといけない。その意識が初めて芽生えた。
「もう少し…ここにいてくれ」
 是非も無かった。

918: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 19:21:53 ID:???
“しゅぼっ…”
 タバコに火をつけるぎこちない動作。そういう仕草が似合うにはアスカは幼すぎる。
 いい女気取り。堕ちてく自分に酔ってる様にしか見えない。
 と、日向さんがタバコを箱ごと取り上げた。
「…何するんですか」「未成年がタバコ吸おうとしといて何するんだはないだろう」
「私の勝手でしょ」
「前世紀から使われ続けてる頭の悪い常套句だよ、それは。ガキみたいな事言うのはやめたらどうだ」
「…ニコチン補充しないと駄目なんですけど。」「知ったことじゃない」
“ガタン!!”
「アスカ!?」「…空気悪いわ。外にさえ出なければうろついても構わないでしょ?」
 いいとも悪いとも言わない内にアスカは行ってしまった。僕は…頭を抱えた。
「…こんなの吸うようになってたなんて…」
「いや…本当には吸ってないよ」「え?」
「吸ってから煙を吐くまでが早すぎる。味わってない。口に含んでるだけだ。肺まで入れてない。“喫煙”という形をしてるだけだ。
 第一…これは喫煙歴一ヶ月の子が吸うにはキツ過ぎるよ」
「そういうのって…分かるもんなんですか?」
 日向さんは照れくさそうに笑った。
「…恥ずかしい話だけど…僕も中学や高校の時に背伸びしてちょっとだけ吸っててね。知ったかぶりして仲間とうんちく垂れてたもんだよ。
 だから…あんまりきついことも言えなくてね」
「…そうですか」
「大体こういうのは周りに大人であることをアピールするためのアイテムだ」
「…僕は吸いたいと思わない。周りに大人だと認められたいとも…思わない」
「…君の方が彼女より大人かもしれないな」「…」
「…葛城さんも家では吸ってたのかい?」「え?…吸ってませんけど。何でですか?」
「アスカが吸ってたのが…同じ銘柄だったからさ…」「いやだから吸ってませんって」
「…あぁ。そうだね」
 おかしなことを言う。ミサトさんはタバコなんて吸わない。
「…うん。そうだった」
 日向さんはもう一度そう言った。

920: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 19:29:21 ID:???
 日向がトンネルで誰かと話している。
「…そうか…彼の方は…。
 仕方が無い。確保できた子達だけでも…。…向かわせたのか!?こっちに…!?そ…。
 …それは分かってるが…。…あぁ…すまない…。
 後…マヤちゃんに…責任感じたり…無理はしないようにと…。動きを流してくれるのはいいが…。それで立場を悪くしたら…。あぁ。じゃあまた1時間後に頼む」
 “ぴ…”
「ふぅ…」
 通話を切ると、日向は壁にもたれてため息をついた。
「…段取り悪いのは分かってるよ…。俺だって…こんなの慣れてないんだ…」
 声にかなりの疲れと緊張が滲んでいる。先ほどまで見せていた凛とした様子はまるで伺えない。
 そこには人生を棒に振りかけている20代半ばの若者相応の姿があった。
“こつ…こつ…”
 それでも日向はトンネル内に響く音にまた“頼りになる大人”の顔へと戻った。子供達の前ではタフな男を演じ切る。その姿勢だけは一貫している。
 暗闇の中、携帯で前を照らし、おそるおそるといった感じでアスカがやってきた。
「…歩きづらい」「ヒールはまだ早いな」「…こんな場所だからよ」「探検はどうだった?」「…別に。そういうつもりで行ったわけじゃないし」
 アスカは日向の手元に目をやった。
「…軍用無線」「…ああ。これならここでも電波が通るんだよ」「貸してもらえます?電話したいから」
「…こんな時でもしなきゃいけないような話かい、それは」「私の私生活が日向さんに何の関係があるのよ!」
「ここから出たらまた戻るのかい?“そこ”に」「…!」

924: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 19:33:37 ID:???
 アスカの声が詰まる。一瞬返答に窮し、力を溜めてからアスカは再び激昂した。
「だから私の勝…!」
「ああ勝手だね。ただその前に“けじめはつける”べきだ。EVAに乗り続けるつもりがあるのか、降りる気なのか。そのけじめを」
 その言葉にアスカの体が大きく震えた。それは今の彼女の核心にあることだった。その答えを出せずに苦しんでいるのだから。
 結論を出さずに逃げ出しただけ。そうしている間に…自分の意思とは関係なく、否応無しに選択肢は一つに絞られていくことに気付きながらも。
 それでも決断の勇気は無い。
「勝手に逃げ出してそのままっていうのはない話だ。筋を通すのが大人のやり方ってもんだ。『知ったこっちゃない』はガキの理屈だ。筋を通せないなら…中途半端な意地は張るな…!」
 厳しい言葉だった。アスカの返答は…ない。ただ…歯の根が打ち震える音だけが聞こえる。
 トンネルの中は冷えるし、アスカは薄着だ。そういうことでいい。日向はそう思った。
「…彼らの発信履歴からここを突き止められるかもしれない。悪いが貸せないよ」
「わ、私は…」「…」
 アスカが震える声でずっと抱えていたらしい疑問を口にする。
「私は…まだ弐号機のパイロットなの?」「…今は“まだ”そうだ。しかし立場は…かなり悪いと思った方がいい」
 求めていた回答は厳しいものだった。けれど…それさえも“本当の事実”よりは遥かにマシだ。“嘘”と言ってもいいほどに。
 それ以上のことは言えず、それだけを告げると日向はシンジがいる部屋へと向きを変えた。

938: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 21:41:44 ID:???
「…結局のところ…。僕らは日向さんを信用するしかないんだよね」
 ここに来てからもう5時間が経つ。暇だ。することがない。ペンペンと遊ぶぐらいしか。
 日向さんはさっきまた出て行った。さっきから一時間置きに出て行ってる。
 ペンペンは車の中からずっとアスカに近寄ろうとしない。多分香水かタバコの臭いを嫌がってるんだ。ただそれだけだ。
 だけどそれ以外の理由があるような気がして…少し淋しい。アスカは僕らが遊ぶのをじっと見てる。アスカも淋しそうだ。
「…さっき外で話してるの聞いた」「え?」
「ヒールでよかった。どうしたって音立つものだから、逆に脱いで近付けば遠くにいるって思い込む。私が近くで側耳立ててるの分かった上でのポーズで無いなら…ある程度は信用していいと思う」
「…さっきと言ってる事が真逆だよ」「…何の比較情報もなしに誰の話でも頭っから信じるアンタの方がどうかしてるのよ…!」「…」
 アスカがかなり苛立った様子で吐き捨てる。その通りだから言い返しようが無い。
 廊下から帰ってきてからアスカはおかしい。斜に構えて何もかもをせせら笑い、“何にも気にしてない”って装ってたさっきまでの薄っぺらな余裕が見えない。
 まるで…家を出て行く前みたいに尖ってる。どっちの方がいい傾向とも言えないけど…。
「…戻ってこないの?」「何が?」「家にだよ」「戻るなって言われてんじゃない。あんたにも日向さんにも」
「言葉尻だけ捉えるの止めてよ。…普通に話そうよ。疲れるだろ、そういうの」「…」
 アスカは不機嫌そうに目線を逸らす。そりゃそうだろ。あんな風にいちいち突っかかってたら。ホントはきっと普通に会話したいはずだ。
「…僕は会いたかったよ」「…」「いや…変な意味じゃないんだけど…」
 抱えてた思いを素直に口にしてみたけど…途端に顔が赤くなった。変な意味ってなんだよ。誤解されるぞ。
 アスカは黙ったままだ。
「…ずっと…心配してたんだ」
「いいわよ、気ぃ使わなくて。私はそれほど淋しい思いしてたわけじゃないから。実際、楽しかったわよこの一月の生活は」
「僕らのところで暮らすよりも?」「…」
 アスカはかなりの間を置いてから『…当たり前じゃない…』と小声で呟いた。

941: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/06 21:45:07 ID:???
 僕は返答に迷った。綾波の顔が浮かぶ。唇の感触が蘇る。
 そして…さっきの言葉がリフレインする。
『私だって付き合ってる奴いるもの』
 そして…僕から冷静さが飛んだ。
「…付き合ってるよ」
「…」
 アスカは…何も言わなかった。
「僕は付き合ってるよ。綾波と」
 もう一度言った。アスカはやっぱり無言のままだった。

「…雨か…」
 本格的な降り方だ。日向は少し前から地上に上がり、じっと到着を待っている。
 と。携帯が鳴った。
「もしもし」
『指定された地点に到着しました。誘導をお願いします。』
「分かった。まず右に見える…」
 細かな指示を下し、電話を切って間もなく水素エンジン特有の静かな駆動音が聞こえ…一台の原付が水しぶきを上げながらやってきた。
 乗っているのは小柄な人物。原付は日向の目前に停止した。
「ご苦労さん!トラブルは無かったかい!?」
 運転者はぎこちない手付きでヘルメットのベルトを解こうとするが、雨の冷たさで手がかじかんだらしく、上手く取れない。
「指示された通り青葉二尉の自宅にてスクーターを借用しました。山を徒歩で抜け、出たところからは“これ”で」
 と、乗っている原付を指す。見ると…鍵がささっていない。その代わりにボードの辺りが叩き壊されている。かなり強引なやり方で“徴用”したらしい。
「青葉の原付は?」「途中で水量の多い川に落としました。すぐに見つかることは無いと思います。」
 高校以来愛用の青葉の相棒はどぶ川に消えたらしい。
「雨の中済まないな。」「いえ。レインコートを被っていましたから。私の容姿は目立つので。何か問題がありましたか?」
 いずれの行動も大雑把ではあるが、それなりに合理的だ。彼女なりに考えてやってきたらしい。
「いや。お疲れ。レイ」「いえ」
 綾波はレインコートのフードを脱ぐとわずらわしそうにくしゃくしゃになった髪をかきあげた。



119: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/07 01:12:35 ID:???
「綾波…!?」
 驚いた。綾波じゃないか。
 部屋に入ってくると僕の顔を見るとわずかに表情を緩め『よかった…』とかすかに呟いた。思わず駆け寄って肩を掴む…なんか知らないけど濡れてる。
「雨が…降ってたから…」「…」
 綾波は…震えてる。身体が冷えてるんだ。とりあえずタオルを渡す。綾波は受け取ると黙って頭を拭いた。アスカはそれを黙って見てる。
「日向さん…これは…」「…動ける人間が誰もいなかったんだ…。だから申し訳ないが一人で来てもらった。」
「一人で!?危ないんじゃなかったんですか!?」「…申し訳ない」
 日向さんは唇を噛み締めて俯いてる。それでも僕は収まらなくて更に追求しようとしたけど
「いいの。碇くん」「綾波…。」
 綾波自信に遮られた。
「大丈夫だったから。」「けど…それは結果論で…」
「おーおー、お優しいわねーシンジ様は!さっきとはまるで迫力が違~う!やっぱ大事な彼女のことになると黙ってられないと!」
 アスカが横から茶化したのでもう何も言えなくなった。綾波は何も言わない。アスカの方すら見ない。その様子にアスカが眉が引きつる。
 …少し頭が冷えた。
「…すみません…日向さん…。僕らは助けてもらった側なのに…こんなえらそうなこと…」
「いや…実際問題、一人でここまで来させるなんて…正気の沙汰じゃない…。
 この隠れ家に至る経緯にしたって完全にレイ自身の自主的な判断に任せっきりで…。何の方策も練らず、移動手段や追っ手を撒くような段取りも組んでやらずに…。結果論だっていうのは正しい。
 俺達もテンパっててさ…冷静な判断が出来なくなってるところがある。その中でよくここまで来てくれた。礼を言うよ。」
「いえ…」
「…済まない…。まだ言いたいことも山ほどあるだろうが…。すぐに上に上がらないといけないんだ。レイ、青葉の家から…」「はい…。」
 綾波は脇に抱えていたフォルダを日向さんに渡した。
「ありがとう。悪いが文句は帰ってからにしてくれ。それじゃ…!」
 協力してくれてる人との定時連絡の時間なんだろう。日向さんは廊下を急いで駆けて行った。

135: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/07 01:16:47 ID:???
「大丈夫だった?」「えぇ」「危ない目に…」「つけられてないでしょうね」
訪ねてる最中にアスカが割って入ってきた。思い切り棘のある声で。
「アスカ!」「これは極めて重要なことよ?ここまで辿り着いても追っ手を引き連れてってんじゃお話にならないわ」
「…綾波…どうなの?」
明らかに悪意のある口ぶりだけど…。その通りだ。ここが知られたらまずい。
「…経路を複雑にしたりして工夫はしたつもりだけど…。万全かどうかは保証できない」「ほ~ら見なさい!つけられてたらどうしてくれんのよ!」
得意げにアスカが綾波を責め立てる。綾波は黙ったままだ。
…なんだ…なんなんだよさっきから…。
「仮につけられてたとしてもそれは綾波の責任じゃないだろ!ここまで安全に連れて来る段取りを用意しなかった日向さんたちが…!」
「後でそれ日向さんに言いなさいよ」「…あぁ言うよ!かまわないさ!綾波は素人じゃないか!プロにつけられたからって責められる筋合いじゃない!」
わめき合い。怒鳴り合い。アスカの言うことは筋は通っているけど了見が狭すぎる。それを言ったって仕方がないようなことを追求してる。譲るわけにはいかない。
「へ~そ~!だったらあんたはこいつのせいで全員死んでも構わないって言うのね!?
 その女が来なければ死ななくても済んだかもしれないのに!」
もう無茶苦茶だ。言っていいことと悪いことがある。いくら僕でもいい加減…!
「自分が何言ってんのか分かってんのかよ!綾波だけここに来なければ良かったって…!
 …!」
手が出かけたとき…綾波がそっと手を重ねた。
「…それは駄目」「綾波…」
綾波はアスカの方に向き直った。そして
「…確かに私が迂闊だったわ。ごめんなさい」
素直に謝り、頭を下げた。アスカはまだ何か言いたそうだったけど…やりこめる言葉が出てこなかったらしく
「…謝るくらいなら…初めから来なければいいのよ…」
それだけ言って椅子代わりのダンボールを…これからは椅子と呼ぶ…を立った。
「今から出ても…」「もういい!聞きたくない!お邪魔でしょ!ちょっと出てるわね!ごゆっくり!」
さらに何か言おうとする綾波を遮る。
「…どうしたんだよ。綾波来てからおかしいよ…」
「おかしい…?おかしいのはあんた達の方よ!」
アスカは部屋を出て行った。

167: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/07 01:40:50 ID:???
綾波は俯いてる。当然だ。自分なりに必死でやって来たのにあんな言われ方したら誰でもへこむ。
「…何なんだ一体」
確かに不安定だったけどここまでは…。綾波が来てから急にだ。仲よくはなかったけどここまで言うのは…。
「…気にしないでよ…今ちょっと…」「…あの人は間違ってない」「え?」
「来るべきじゃなかった…私は」「…だから気にすること…」
「全員死んだら何にもならない。あの人の言葉は…どこまでも正しいわ」「…」
綾波は顔を上げた。当人にそう言われたらもう言う言葉がない。
「私も冷静じゃなかった…。青葉二尉に貴方の名前を出された途端…。状況がよく分からなくて、迂闊に行動してはいけなかったのに…碇くんに会わないとってことだけになって…。それで二尉に…」
喋るのが僕以上に得意じゃない綾波が…ポツリポツリと思いを吐露する。
そうか…僕に会いに来たのか。
「立場が逆なら私も…。だから…」「…分かったよ。あの言い方はないと思うけど…。もう言わない」
また突っかかられたらどうしようもないけど少なくとも綾波は僕らが揉めるのを望んでない。だったら抑える。
「でも…本当に大丈夫?つけられたり…」
口に出してから後悔した。これじゃ僕まで責めてるみたいだ。
けれど綾波は意外にもけろりと「大丈夫」と言い切った。
「変装してたから」「…いや、あのぐらいじゃ…」「二尉の部屋には服や帽子が沢山あったの」「どんな?」
「犬の着ぐるみとか外国の民族衣装とか。山道で邪魔で捨てたけど。
途中でNERVの車とすれ違っても…注目はしてたけど特に…だから大丈…」
「あははは♪」
僕は…状況もわきまえず思わず笑ってしまった。
“変装”というより“仮装”だ。変質者とは思われたかもしれないけど…それが適格者だとは考えないだろう。
「なんでさっきそう言わなかったの?」「…」
綾波は黙り込む。綾波なりに思ったのかな。『この人の前では言いたくない』って。笑われるって。
「うん分かった。安心したよ。…少し見たかったな。その格好」「…」
綾波は顔を背けた。怒ったのかな。恥ずかしいのかな。ペンペンが『クケェ♪』と楽しそうに鳴いた。

アスカは部屋の外にいる。会話の内容までは分からない。笑い声が聞こえたとき
「…随分楽しそうじゃない…」
アスカは拳を壁に叩き付けた。

306: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 00:00:21 ID:???
「…トランプでもする?」
四人揃ってから十数分。沈黙に耐えかねた日向さんが精一杯の明るい声で提案する。
「…いいですね」
本当は断りたい。けどこれ以上気を使わせるのも悪いので僕は乗り気な振りをした。
「…そういう気分じゃない」アスカはきっぱり断った。
「…したことない」綾波は出来ないらしい。
「…クェ?」ペンペンは鳥だ。鳥なんだ!
ペンペンはさっきからずっと綾波の膝の上だ。綾波も嫌そうじゃない。仲良さそうに見えなくもない。アスカがそれを何も言わずに見てる。
二人でやっても仕方ないので諦める。空気は更に悪くなった。日向さんが『何でこんな感じに?』と言わんばかりに僕を見る。…こっちが聞きたいよ。
「…この二人付き合ってるんですって」「…。…え?あ~…へぇ」
唐突にアスカが喋り出す。自分に向けられた言葉だとワンテンポ遅れて気付いた日向さんが見事な生返事を返す。
「へぇ…そう言えばさっきも…知らなかったな。いつからだい?」「聞かれてるわよ。いつからだってさ」
アスカがその言葉に乗っかる。日向さんはそれだけでどういう構図か察したらしい。『しくじった』という風にすまなさそうに僕らの方を見た。
日向さんのために僕は仕方なく答えた。
「…いつからっていうか…気が付いたら…みたいなことです」「…ふ~ん。そうか。そういうもんだよな」
ふわっとした答え。だが。
「で?どこまで行ってんの?」「おいおい、あんまり野暮なこと聞くなよ~」「え~。いいじゃないですかこのぐらい。キスはもうしたんでしょ」
アスカが更に質問をかぶせてくる。日向さんがどちらにも気を使った口ぶりでたしなめるが、アスカは意にも介していない。
事実、キスまではしてる。この間“それ以上”にもなりかけたけど…準備をしてなかったから流れた。その…コンドームを持ってなかった。
ちらりと綾波の方を見る。無言で目を伏せたままだけど…少し顔が赤い。
…頭に血が上る。
「あ~!顔赤い~!なんかしてるでしょ!?最低キスまではしてるわよね~?それともぉ…。
 どう思います、日向さん!?」
「ははは。節度を守った付き合いで頼むよ。まだ中学生だからな。…悪いが定時連絡の時間なんだ。それじゃ!」
日向さんはそう言うと逃げるように部屋から出て行った。帰ってきてわずか20分弱。
…随分小刻みな定時連絡だよ。

360: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 01:42:31 ID:???
「…で?どこまで行ってんの?」
日向さんが出て行くと、アスカのトーンが下がった。なおも質問は続く。
「…まだこの話続ける気かよ」「何か問題ある?」「…僕が嫌がってんの分かんないかな?」
段々イライラしてきた…。綾波が来る前からそうだ。どうでもよさそうなふりしながら…この話題に思いっきり執着してる。
「…ふ~ん。じゃアンタには聞かないわ。
 …で。嫌がってんの?アンタも?」「…」
矛先が僕から綾波に。綾波は黙ったままだ。
「アスカ!」「あんた何が楽しくてこんなのと付き合ってんの?何かの罰?」「…」
綾波は沈黙を守り続ける。
「あんた結構かわいいのにさ~。こんなのと付き合うなんて見る目ないわよ?なんだったらもっといい男紹介したげよっか?」「…いい」
「え~遠慮しないでもいいのに~♪そんなにこの馬鹿のこと好きなの~?」
「えぇ好きよ」「…何?」
その質問にだけは…綾波は即答だった。
「碇くんのこと好きよ。それがどうかしたの?」
あまりに堂々とした言いっぷりに…アスカは言葉を無くした。僕は何だか胸が締め付けられる。
「…恥ずかしげもなく言うじゃない…」
「人を好きになるのは恥ずかしいことなの?」
「…!!」
アスカがようやく搾り出した台詞が…ことごとくカウンターに合う。
綾波の静かな逆襲は続く。
「貴方の質問がよく分からない。意味も。意図も。
 ど う し て そ ん な こ と ば か り 知 り た が る の ?」
「……!!」
アスカは完全に…論破された。

365: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 01:46:49 ID:???
「別に…特に知りたい訳じゃ…。ただ…一つの話題として…」「そう…」
綾波はまた興味なさげに視線を落とした。それ以上の“口”撃は…なかった。
もはやアスカは矛先を再び綾波に向けることは叶わず、卑屈な笑顔で矛先を僕に戻すしかなかった。
「…シンジ~。今の聞いた?随分愛されてるみたいじゃない」「…」
「言ってあげないの?あんたは」「…」
…言うべきだ。ここは…綾波の思いに…応えるべきだ。
「僕も…好きだよ」「…」「綾波のこと…好きだ」
それから誰も何も言わなくなった。ペンペンまで固まって。数十秒くらい妙な沈黙が続いた後…
「…あ~熱い!お熱いことですこと!汗かきそうだからちょっと涼んでこよ~っと♪」
空元気にしか聞こえない声と共にアスカは再び出て行った。さっきからウロウロと…落ち着かない奴だ。
「…綾波…」「私…言い過ぎた?」
「あのくらいいい薬だよ。ちょっと調子に乗ってるよ、アスカは」
「ううん…あの人が何でああいうこと言ってるかは…分かってたのに…」「え?」
「…嬉しかった」「…」
「好きだって…言ってくれて…」「…あれは…」
“ホントのことだし”と続けようとした。けど
「 嘘 だ と 分 か っ て て も 」
「…」
続きは飲み込むしかなかった。
全部気付かれてる。綾波は全部分かって僕と…。
綾波が僕を好きって言ったとき…胸をよぎったのは喜びじゃなく…。綾波のことは大事だけど…かわいいとも思うけど…。僕は本当は…。

部屋の外。アスカは大きくため息をついた。
「ああいうの聞かされるのは辛いね」「!」
隣には日向が困ったような笑顔で立っていた。
「…別にあの二人が付き合ってたって…。私だって…付き合ってる人いるし」
「…付き合ってる?」「ええ。私にも好きな人いるから二人の言ってる事も分か…」「はははは♪」「!?」
日向は唐突に笑い出した。
「アスカ…“ああいう”のは“好き”とは言わない」「え?」
「“ああいう”相手は…“ああいう”関係は好きな人とか付き合ってるとは言わないよ」「…何の話?」
日向は笑いを消した。
「“あの子達”は君とヤリたかっただけだ」

426: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 03:18:23 ID:???
「“本当の君”ならばあの子たちも本当に君を好きになったかもしれない。君は本来とても魅力的だからね。
けれど“あんなの”じゃあ駄目だ。“あんな風に”男に媚びる女を男は本当に好きになったりしない。いや、媚び切れてもいなかった。
それでも“好き”といってくる奴らは君の人格には用は無い。大体男が“ああいう”格好してる女の子に近付く理由なんて一つだよ。
“目的”は君自身とは別にある。これは20年以上、雄をやっての率直な感想」
日向の言葉はほとんど届いていない。ただ一つの言葉だけがアスカを捉えていた。
「…あんな?あんな風?まるで見てたみたいに…」
「…あぁ見てたよ。
 葛 城 さ ん と 一 緒 に 見 て た 」
「!!!!」
アスカは…目を見開いた。
「いなくなって少しか。さっきの大通りのビルの脇で君が…」「卑怯者!!」
アスカは絶叫した。恥ずかしいという次元は超え顔は青ざめている。
「“あれ”を覗いてたなんて!」「卑怯?誰が?ちょっと物事が上手くいかないからって全部投げ出して逃げた奴のことか?」「…!」
「彼らにとって君に好かれてるかどうかは問題じゃない。興味は身体だけだよ。自分でも気付いてただろう?」
「あんたに何が分かんのよ!」
もはや敬語はどこかへ吹っ飛んでいる。
「…えぇ…。えぇそうでしょうよ!男は愛が無いって分かってたって抱けるものね!ううん女だって同じ!アンタがミサトを抱いたみたく!ミサトがアンタに抱かれたみたく!」「…」
突然始まった関係のない話に日向は一瞬、戸惑い、しかしすぐに平静を取り戻し…覚悟を決めた。
「分かんないと思ってんの!?こんな危ない橋渡らされて何の見返りも無いわけ無いわ!あんたミサトと寝たでしょ!たとえあんたが拒んでも、あの女は自分を差し出したはずよ!
あの偽善大好き女がそうしないはずないわ。あんたにばっかり危険な思いさせて平気でいるわけない。好きでもなんでもない相手に危ない真似させるんなら相応の代価を用意して、無理にでも受け取らせてるはず!負い目を持ちたくないから!
好きじゃないからこそ!」
「…」
話の飛躍どころではない。完全に別の話だ。焦って別の話を持ち出してきた。しかし。
「…君たちには知られたくなかったろうな」
「…抱いたのね?」
「…あぁ。抱いたよ」
事実には違いなかった。

441: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 03:31:51 ID:???
「彼女は僕に『愛してる』と言った。何度も何度も。
嘘なのは分かってたけど…好きな相手にそう言われて、それを否定して…身体を拒めるほど強くなかった。
ご褒美が欲しくて何度も危ない橋を渡ったよ。そしてご褒美をもらった。
けれどそれが今何の関係があるんだ?」
日向は律儀に全てを答えた。
憶測は正鵠を射ていた。にもかかわらずアスカの心には新たに重たいものが生まれた。
それでもアスカは無理に得意げな顔を浮かべ、話をすり替えたことには全く触れずに形だけは大喜びで追求を始めた。
「ほら見なさい!あんたミサトが自分を好きじゃないって分かってて抱いたのよ!
良かったわねぇ加持さんが死んで!運良くお鉢が回ってきたものねぇ!
ついてたわねぇ!加持さんのお下がり嬉しかったでしょ!?
ミサトに頼られて…!ようやく手に入ったって嬉しかったでしょ!」
「…あぁ嬉しかった」
「やりたかっただけなんじゃないの!?目先の性欲に目がくらんで!あんなババア目当てに命がけなんて馬鹿じゃないの!?」
「…そうかもしれないな」
「はっ…!そら見たことか!人の不幸を喜ぶような人間が何を偉そうに人の恋愛をしたり顔で…!」
「けれどもう死んだ」「…!」
「手に入って嬉しかったんだけどな。死なれてしまった」「…」
日向は不思議なくらい淡々とそう言う。そんなに薄っぺらい思いではなかったろうに。その異様に流石にアスカも黙るしかなかった。
「だからそんなことには意味が無い。欲情してただけか、そうじゃないのか。
僕が彼女への思いを証明するのはこれからなんだ。二度と抱けなくなったからこそ」
「…これから…何よ」
「君達を守り抜く」「…無駄よ。死んだ人間に義理立てしたところで何も…」
「…人間は弱いからすぐに見返りを欲しがる。愛したら愛されたい。自然なことだ。だけど見返り求めてばっかりだと…淋しいだろ」
「…何で…ミサトは声をかけなかったの?何であの時…」
「あのとき声かけられたらどうだった?“あれ”を見られてたって知って…今どんな気分だい?」「…」
「何度も声をかけようとした。連れて帰ろうとしたよあの人は。だけど出来なかったんだ。
君を見ながら…ずっと泣いてたから」
アスカはこう呟くのが精一杯だった。
「…私はコウジに愛されてる」

670: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 14:59:23 ID:???
「…じゃあトウジは…」
思わずサバ煮を刺したフォークが止まる。
「連絡は取れてない…青葉二尉はそう言ってた」「何で…あいつは怪我してもう…!」「足の一本くらい無くてもEVAには乗れるわ」「…」
部屋には僕と綾波だけ。そこを見計らっての話題だったんだけど…食事しながらする話じゃなかった。
言い方は乱暴だけど、確かに腕がもげようが足が取れようが頭さえまともに回ってればEVAを動かすだけなら可能だ。精密射撃みたいな一部の動作が難しいだけの話で。
アスカの不調の中“4th の復帰”って話題が噂以上の重みで交わされてたことだって本当は知ってる。
ただミサトさんがそれを許すわけがなくて。だから安心してた。
だけどそれは…トウジにはまだ価値が残ってたって事で…。
「…まだ何かあったって決まったわけじゃ…」「…」「…ごめんなさい。余計な事言ったみたい」
黙り出した僕を見て綾波は肩を落とした。僕は無理に笑った。
「…何で綾波が謝るんだよ。情報を教えてって言ったのは僕じゃないか」「…私は…気を遣うことが上手く出来なくて…」「…充分気を使ってくれてるよ」
羽織った毛布の端から出た手をそっと握る。その手は…冷たい。綾波もそっと僕を握り返した。
「…綾波はどう思う?」「何が?」「全部に対してだけど…差し当たって日向さん」
「…あの人の言葉にある程度の信用は置けると思う。ただ…“何か決定的な事実”を伝えてない気がする」
「…決定的な…」「それが必ずしも悪意によるとは限らないけど…」
食欲がなくなった。缶詰の残りをペンペンにあげると喜んでパクついた。
「じゃあ事件全体に対しては?」「…葛城三佐については…覚悟はしてた方がいい…」「…やっぱりNERVが?」
「あるいはゼーレ。二尉自体は味方でも…協力者まで本当に味方かは分からない。
ゼーレのシンパは…どこにでもいる」
「…日向さんの人を見る目を信じるしかないのか…」
思わず拳を握り締める。歯がゆい。
「試験して…訓練して…使徒が来たら戦って。僕なりにやるべきことはやってたつもりだったんだけどな」
「私達は自分の仕事はしてると思う。この流れは貴方や私とは関係が…」
「それってやるべきことやってない奴への嫌味?」
と、アスカが足音高らかに戻ってきた。
「…仲が良くて結構ね」「え…あ…」
僕は慌てて手を放した。

689: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 16:03:43 ID:???
「ああ、いいわよ。私のことは気にせずにイチャイチャしてて」
そういう言われ方して出来る訳もなく。僕は不機嫌に目を伏せ、綾波は知らん顔でコーンの缶詰の残りをモグモグやり始めた、
「…くそ!腹立つわね…!」
アスカはまだ携帯をいじってるが…
「やっぱり上じゃないと無理だわ…!」「…どっちにしろかける訳にはいかないんだよ」「知ったこっちゃないわよそんなこと!」「何をそんな大事な用が…」
アスカは何か焦っている。それに…化粧でよく分からないけどちょっと顔色が悪い…。
「あの馬鹿、通路の途中に居やがって上がらせないし…他の道行っても出口はないし…!唯一、一瞬でもアンテナが立つここにはあんたらがいるし…!」
「ねぇ…気分でも悪いの?」「えぇ悪いわよ!ご機嫌に見える!?」「…そうじゃなくて…体の」「…」
アスカは黙った。
「…いいってことはないわね」
やっぱり。ちょっと汗もかいてるし息も荒い。
薬とかを持ってくれば良かった。あのときは何も頭が回らなくて手当たり次第…。
…あ。
「アスカ…関係ない話なんだけどさ」「…?」「…日向さんに何か持って出ろって言われて…僕はそういうのなかったから…適当にアスカの物を詰めてきたんだ」「…」
完全に忘れてた。僕は放ったままだったカバンをアスカに差し出した。
勝手に部屋に入ったって怒鳴られるかと思ったけど…アスカは意外にも黙ってカバンを受け取った。
「机の周りの物がほとんどで…何が大事かとか分からなくて…」
僕の言うことを聞いているのかいないのか。アスカは一つ一つ取り出してじっと見ていた。
「…!」
と、アスカの手が止まった。
「…そうか…。あのとき貰ったまま…」「…?」
アスカは何かを手にしたままぶつぶつ呟いている。綾波がアスカを見た。
「アスカ…?」「―!?」
僕が声をかけるとアスカは驚いて縮み上がった。逆に僕の方が驚く。
とその手には…白い粉の入った小さな包みがあった。

690: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 16:04:31 ID:???
「…薬?」「…そうよ。あんたが持ってきた中に入ってたみたい」「何の薬?」「…」
アスカはまた黙り込んだ。…何だ?それって聞いちゃまずい事か?
「生理痛の…」「…あぁ…。」
…まずい事だった…。そりゃ口ごもるよ…。
「…へぇ…そういうのって錠剤じゃないんだ」「えぇ…」
アスカは返事もそこそこに自分のバッグに押し込んだ。…女の子っていうのは男と違って色々と体のメンテナンスが面倒なんだな…。
「…飲んでくる」「え…ここで飲めばいいのに」「…」
アスカは黙って部屋を出ようとしたが…
「飲み物は?」「…!」
綾波がアスカを呼び止めた。
「…粉薬なら飲み物は必要でしょ?」「…」
その通り。アスカは黙ってダンボールを漁り、ストロー付きのボトルを掴むと
「…その通りね。忘れてたわ」
そう言って部屋を出て行った。
「馬鹿だなぁ。忘れないだろ普通。…綾波?」
「…」
綾波は静かに立ち上がった。
「…どしたの?」「ちょっと…」「…どうしたの急に…」「…」
綾波が答えずに部屋を出ようとしたとき
「…あれ?どこ行くんだ?」
日向さんが戻ってきた。
「…またアスカはいないのか。今度は何だ?」「なんか薬を飲みに」「薬?そんなものここで飲めばいいじゃないか」「そう言ったんですけど」
僕がそう言ったとき
「彼女の薬は粉末だったのに飲み物を持って行こうとしませんでした」「…は?」「指摘すると“ストローのついた”ジュースのボトルを持っていきました」「…」
日向さんは一瞬その言葉を吟味し…次の瞬間水のボトルを引っ掴んで物凄い勢いで駆け出した。
「…何だ一体…。え?綾波何してるの?」
綾波はハッチを閉めようとしてる。重たいし、外に出たときどこが部屋か分からないから開けっ放していたのに。
「…」
綾波は答えずドアを閉めた。

706: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 16:21:32 ID:???
日向は暗闇を駆けた。やがて明かりが…そこには“手の甲に粉末を載せ、鼻からストローで吸おうとしている”アスカがいた。
猛烈な勢いで走ってくる日向のあまりの剣幕にアスカが硬直する。
「馬鹿野郎!!!!」「…ひ!」
直後。アスカは張り倒されコンクリートに叩きつけられた。ライトが転がる。
「げほっ…!!」
アスカは咳き込む。日向はバッグを取り上げ…中から小さな袋を取り出した。
「…あれだけしつこく電話って言ってたのはこれか…」「…もう…それしか…返し…」
「ここまで馬鹿とは思わなかった!」
日向は袋を破り捨てた。白い粉末がライトで照らされて舞う。
「…な、何てこ…!!」
「あの人が可愛そうだ!!!」「!?」
非難の声を上回る怒号が通路に響く。ハッチが閉まっていなければシンジ達にも聞こえている。
「あの人が何故死んだと思う!?」
「…身の程も弁えずスパイごっこして死んだ馬鹿の話なんて知らないわよ…。そんなことより…何てことして…」「馬鹿?」
「…殴るんなら殴れば!?この一月さんざん殴られたし…もっと酷いことだってされてきた!平気よ!
あんな女…何が保護者よ…電話2、3回よこしただけで…保護者面しやがって…!
何で保護者役買って出たか知ってんのよ!あの女には毎月、シンジと私の親とNERVからかなりの額が渡されてる!それが目当て!私達が知らないと思って全部…!」
「違う!」
「じゃあ何でああいう生活になんのよ!本当ならもっといい生活でき…」
“バシン!!”「!?」
日向は地面に何かを叩き付けた。暗くてよく分からないが…
「手帳…?」「通帳だ」
それは二冊の通帳だった。一つはアスカ名義。もう一つはシンジ名義。
中に記されていたのは凄い額だった。定期的に結構な金額が、そして時折わずかな額が振り込まれ続けている。
「…」
「君たちの養育費だ。一度も下ろされてない。それどころかあの人自身が毎月いくらかずつ振り込んでる」
「…!」
「君たちの将来のためにあの人はそのお金には手を付けなかった。言ってる意味分かるか?
あ の 人 は 自 分 の 金 で 他 人 の 君 達 を 養 っ て た !」「…」
アスカは呆然と数字を見つめ続けている。
「…教えてやるよ。
あの人が死んだ本当の理由を」

717: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 16:36:21 ID:???
「あの人は僕にさんざん危ない橋を渡らせた。
僕はおっかなびっくりながらも渡りきってきたけど。当の本人はしくじったんだ。僕が渡っても良かったのに…いや僕なら渡りきれたかもしれない。
けれど…その橋だけは自分で渡りたかったらしい」
「…比喩が多過ぎ。訳わかんない」
「…じゃあ事実だけを述べよう。
最初は話だけだったんだが、君の家出で一気に実現に向けて加速し始めた。
赤木博士はこの局面での君の勝手な行動にかなり苛ついてる。そして…
 君 を ド イ ツ に 戻 そ う と し て い る 。」
「!!!!!!???????」
「このことはもうほとんど決定している」
事態はアスカの想像の中でも最悪の方へと転がっていた。
「だが不自然だ。あまりにも。いくら調子を落としているとはいえ貴重なパイロットを…。
だから彼女は調べだした。不自然な流れを突き止め、それをネタにこの話を白紙に…とでも考えたんだろう。
子供の考えだほとんど。あの人は優秀だけどそういうところが抜けてる。
君も知っての通り、そういうそそっかしい人だからね。
有能なくせに他人を利用するのが下手で、ずぼらなくせに自分で全部やりたがって。加持さんのように上手く立ち回れもしないのに。
大きなヤバイネタは全部僕に調べさせたのにこんなことにだけしゃしゃり出てきて…いや…逆に個人的な動機過ぎて頼みづらかったのかな。
そして間抜けなことに橋からすってんころりと転がり落ちたのさ。」
「…ミサトが…私を…守るために…?」
アスカは震えるばかりだった。
「…言うべき話ではなかったのかもしれない。あの人もそんなこと望んでないだろう。怒られるだろうな。僕は。
けど…今の君に…そういう事を言う奴に知らせずにいられる程人間は出来てないし…彼女への思いはそんなに弱くない」
日向は怒りに打ち震えている。
「…正直僕はずっと君を見てむかついてたよ…!
君のような馬鹿を守るためにあの人が死んだっていうんじゃ…俺は納得できない!!!そんな安い価値の人じゃなかった!!!
そんなあの人が…命と引き換えにでも守ろうとしたからには!!!君にはこんなくだらない人間であってもらっては困るんだ!!!」
もはやタフな男の仮面はない。その暗がりにいたのは…泣き、喚き、吠えるだけの“25歳のガキ”だった。

785: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 17:24:45 ID:???
「…薬使うと…頭がすっきりするの…」
アスカがポツリと呟く。
「EVAとか…シンジとか…ファーストとか…ミサトとか…全部抜けてくの。それで“する”と…凄くいいの。あんなの初めてで…やめられなくなった…。…でも…」
「…」
「…薬が抜けたら…凄い後悔が襲ってくるの。どうしよう、どうしようって。何でこんなことにって…。それで…狂いそうになって…。…そしたらまた薬使うしかなくて…」「…」
日向はライトを消した。暗闇の中…しゃくりあげる声が聞こえる。
「家にも…NERVにも…学校にも…居場所がなくて…シンジも…私のこと全然分かってなくて…酷くて…。
逃げたら…電話も全然来なくて…待ってたのに…。
…私は…いらないんだって。…結局…シンジがいればいいんだって…そう思ったら…」
「…アスカ」「知らなかった…ミサト…そんな…私を…ちゃんと…」
「…悪かった…」「ミサトが命かけるような…そんな人間じゃ…」
「周りを良く見るんだ。君を大切に思ってるのは…君にとって大事なのは…葛城さんだけなのか?」
「…そんなの…いない…。そんなの…誰も…!」
アスカは泣きじゃくるだけで…。
「…禁断症状は?」「…これは弱い薬だからほとんどない…。もっと強くて“いい”のもあったけど…シンクロに影響が出るって思ったら…怖くて試せなかった。でも…今みたく凄く欲しくなる瞬間が…」
「…耐えるんだ。ミサトさんを思って」
日向は立ちあがる。アスカは慌てたように尋ねた。
「シンジに…!シンジに…教えるの…!?このこと…」
「…知られたくないのはどうしてだい?」「え?」「嫌われたくない、軽蔑されたくないっていうのは…大事だからじゃないのか?」「…」
「…そろそろ戻らないと心配するよ」
日向は再びライトをつけた。

「遅かったじゃないですか」
ようやく二人が帰ってきた。苦労してまた扉をこじ開ける。
「暗くて道に迷ってねぇ」「何しに行ったんですかあんなに慌てて」「そりゃ慌てるさ!薬飲むには水だろ!?」「はぁ…」
と、アスカの頬が赤い。
「どしたの…ほっぺ」「…暗くて転んだのよ」「ふ~ん…。ぶたれたみたい」「…転んだって言ってんでしょ」「みたいって言っただけだよ」
目も赤い。泣くくらい痛かったの?また怒るから言わないけどさ。
綾波は知らん顔してまだコーンを食べていた。

839: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 18:05:36 ID:???
3日が経った。
「…二時間経ったら起こしてもらえるかな」「はい」
日向さんは目を瞑っていくらも立たないうちに寝息を立て始めた。
この3日、日向さんは全く寝てない。体力もそうだけどずっと神経を張りっぱなしだから…いい加減休んでもらわないと困る。
定時連絡の頻度も減り、間隔も開くようになった。ようやく少しは休めるみたいだ。
「クケェ…!」「…向こう行ってよ」
ペンペンがかまってくれとまとわりつくが…そういう気分にはなれない。
日向さん程ではないにしろ僕らもそれなりに消耗してる。ずっと部屋の中だ。気分も滅入る。
換気フィルターも多分ちゃんと回りきってない。気のせいじゃなく空気が淀んでる。
「…クェ」「…」
ペンペンはアスカをじっと見つめ…素通りした。
アスカはずっと天井を見てる。僕と似たような感じだ。
もうお洒落も面倒なんだろう。ヒールを放り出し、ダンボールに入ってたスリッパでうろつき回ってる。
少し前までは化粧直しとかもしたけど、昨日メイクを落としてからはスッピンだ。
「…何よ」「…何でも」
ボーっとアスカを見てたら睨まれた。眉とかの形が少し変わってて若干違和感があるけど、僕の知ってるアスカに近付いた。
3日前に薬飲みに行ってからは大人しい。体調がよくないからかもしれない。時々凄く辛そうにしてるけど…概ね落ち着いてる。口喧嘩もほとんどない。…少しはあるけど。
「クケェ♪」「…何?」
本を読んでた綾波が律儀に相手をする。ペンペンは大喜びで膝に登った。
綾波は普通だ。辛そうですらない。今の僕にはウザイだけのペンペンの仕草を『愛らしい』と言う位の余裕がある。
唯一辛そうなのは…これは全員に共通してるけど…身体を洗えないことらしい。男だってそうだけど、女の子は特に気にするだろう。体臭とか。そういうことで少し距離があるところに綾波はいる。
フラストレーションが溜まっていく。思うことは一つ。
ここからいつ出れる?
危険な目に合ってないからそんなことを思うんだ。日向さんが抱えてるものを実感するようなときは“もう遅い”。
“何も起こらない”のが最上なのは分かってる。日向さんには感謝しないといけない。
それでも不謹慎に思ってしまう。ここから出たいと。日向さんにさえ筋違いな苛立ちを覚える。
そんな中…5日目がやってきた。

923: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 19:36:48 ID:???
「帰る準備だ」
始まりと同じく、終わりもまた唐突だった。
「一時間以内に迎えが来る」「迎…え?」「段取りは組んである。大丈夫。心配要らない」「でもNERVは…」
「来るのはNERVじゃない。戦自に保護してもらう」「???」
「ここ数日で大分流れが変わったらしい。もう君たちが直接狙われることはないだろうが念のために彼らにいてもらう。どうにも手出しできない状況で堂々と帰る」
「帰ったら…どうなるんですか?」「君たちの安全は保証するよ」
「日向さんは?」「…いいかい。ここで僕が喋った事は口にしない方がいい。“『とにかくここにいろ』の一点張りだった。出たくても出られなかった”それで通すんだ」「説明になってませんよ!」「…」
「…まだここに…」「…ここがばれた」「…!」「おかしなことになる前にこっちから出て行く。準備を済ませておくんだ。いいな」
そう言って日向さんは出て行った。
「…ようやく出られるんだねここから」
「…風呂に入れるならそれだけでいい。シンジに覗かれながら濡れタオルで体拭くのはもう嫌…」
「な、何言ってんだよ!ちゃんと外に出て…!」「優等生だって体拭いてる間扉の向こうで音がしてたって…」
「あ、綾波違うよ!僕覗いたりしてな…」「そんなこと言ってない」「アスカ!」「あはは~♪」
嬉しくてちょっとだけはしゃいでみたけど…すぐ3人共黙った。
「…日向さんどうなるのかな」「…ちゃんとした釈明が出来なければ身柄を拘束される。そこからは…」「…覚悟はしてたんだから本望でしょ」
「僕らのためにしたことだろ…!」「それをどう説明すんのよ」「う…」
「“NERVとゼーレが3人を抹消しかけてたからその前に拉致しました”?その場で射殺するわよ私なら」
「僕らが説明すれば…」「何て?」「…僕らの意思でついてったとか…」「何にしても未成年を保護者の同意も得ずに連れ回すことは“誘拐”って犯罪なのよ」
「…何でここばれたのかな」「…知らない」
「ミサトさん本当に…」「…上がれば分かるわよ。逆に言えばここで頭ひねって何の答えが出るっていうのよ」
考えることが多すぎる割に、考えて答えが出ることが殆どない。なら…。
「…もっと目先の話をしよう」「何よ」
「アスカこれからどうするんだよ」「…」
「帰ってきてよ」「…」
アスカは“うん”とも“嫌”とも言わなかった。

939: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 20:49:23 ID:???
「…シンジィ、口説くんだったら二人のときにしてくれるぅ~?恥ずかしいじゃな~い♪」「口説くって…」
アスカがおかしなテンションでおどけ出した。
「ファーストが怖い目で見てるもの~…」「い、いや、綾波…」
綾波は席を立った。
「席を外すわ…」「いや、そんな必要ないよ!そういう話じゃ…!」「いいわよ。いれば?ショック受ける話になるかもしれないけどさ」「…」
綾波は少しの間立ったままだったけど…そのまま腰を下ろした。アスカが小さく舌打ちするのが聞こえた。
「…しかしアンタも大胆ね。彼女の前で別の女に一緒に暮らそう、なんて」「いやそんな…」「分かってんの?ミサトはもういないのよ?二人で暮らすことになんのよ?」
「…」
そうだ…そうだった。
「ミサトって大人がいたからこそ私達は『家族』だったじゃない?けど二人でってなったら違うニュアンスが入り込むと思わない?」
違うニュアンス…。ちょっと心が沸き立つ。
「…けど…」「…何?」「戻ってこないとしたら…どうするの?」「…」「…付き合ってる奴とかのところに戻るの?」「…そうなるかな」
…嫌だ。それは…嫌なんだ。
「…シンジって優しいね」「え?」「落ちぶれた私に手を差し伸べてくれるんだ」「違…」「でもね、そういうのって誤解招くからやめといた方がいいわよ。今、自分が付き合ってるのは誰か考えないと」「…」
アスカのテンションが…明らかにおかしい。隣を見る。綾波は黙って下を見つめてる。
「私と一緒にいて楽しかった?喧嘩ばっかだったじゃん。そりゃじゃれあう様なのもあったけどさ。そんなのって随分前の話でしょ。今の喧嘩ってさ。ホントの罵り合いじゃない?」
 そうだ…そうだけど…。でも…。
「分からないのよねぇ、何でそういうこと言い出すのか。何でそうまでして私と暮らさなきゃいけないの?」
 だって…そうしないとアスカは別の男のところに行くんだろ?それが嫌だから…。
「ありがたい話ではあるけどさ。一番大事な相手を優先しようよ。お互いに好きな奴がいるんだしさ」
 一番大事な相手?…僕の…一番は…
      「…綾波は確かに大事だけど…」 
「…え?」              「……!」
   アスカが声をあげ。    綾波が僕の方を向いた。
     「一番なのはアスカだ」
  言ってしまった。

954: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/08 21:11:24 ID:???
頭に血が上って…追い詰められて…言ってしまった。もう…後には退けない。
「…ふ~ん初耳ね」「…ずっと…そうだったよ」
隣を見る勇気はない。僕は俯いたまま喋り続ける。
「…私が…好きってこと?」「…うん」「…告白のつもり?」「…………うん」「…最低のシチュエーションね」「……」
笑われたり、気持ち悪がられたりするかと思ったけど…アスカはとても静かだった。
「…じゃあこの女は何?」
…一番…一番喋りづらいところだ。何より…本人がここにいる。
一つはっきりしてるのは…もう綾波との関係は終わった。
「アスカのことは好きだ…。だけど…一緒にいるとお互いに傷つくし…辛いんだよ…。
綾波は…落ち着くんだ…。いつも…一緒に居てくれるし…話聞いてくれるし…優しいし。僕を分かってくれてる。側にいると楽なんだ。」
 最低の物言いだ。我ながら…こんな卑怯な奴…見たことない…。アスカは笑い始めた。
「ファースト~。ここ怒るところよ~?今、こいつに何言われてるか分かる~?分かってる~?
こいつあんたのこと“ 都 合 の い い 女 ”だって言ってるわよ?」
 アスカの言葉は綾波よりも僕に響いた。何て答えるだろうか。罵倒…なんだろうな。僕は最低の形で君を裏切ったんだから…。
 覚悟は決めた。その覚悟以上の言葉が来るのは分かってたけど。でも…。
「…都合のいい女でも…いい」「え?」
 綾波の口から出てきたのは…予想外の言葉だった。
「好きでも…好かれてても…側にいられないよりはマシだから…」「え…そ…」
アスカが絶句し…僕の目頭が…一気に熱くなる。味わったこともないような巨大な罪悪感が襲ってくる。
そんなに…僕を…僕は…!
「…へぇ~好きならそれでも平気なんだ、そんなに好きなんだ~。
 ねぇ、あんたって“プライド”って言葉聞いたことある?こいつに便利に扱われて平気なの?」
「あなたはどっちがいいの?」「…何?」
「嘘でも…好きって言ってくれて…ずっと側にいてくれるのと…本当に好きでも喧嘩ばかりで傷付けあうだけ…どちらがいいの?」
…綾波の声のトーンが…変わった。今まで…聞いたこともないような…。
「…何が言いたいのよ…」
「そんなに私がうらやましいの?」
アスカは綾波の笑顔を初めて見た。

182: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 16:21:15 ID:???
“ぱちん…!!”
「……」「アス…!!」
私は…反射的にファーストの頬を張った。
「お前、何やって…!」
ファーストは殴られても無反応だった。顔からは…さっきの表情は消えてる。シンジは…見てなかったらしい。
シンジが慌てて割り込んで私の腕をつかむ。当然。けど…私の顔を見て驚き…すぐに手を離した。私は多分…顔面蒼白だったから。
全部…全部見透かされてた。こいつは…。私のことを全部…!この女…私を笑った。馬鹿にするように。あざけるように。
ずっと…笑われ続けてたの私は…。こいつにだけ…?それとも…みんな?みんな…私を笑ってた?
羞恥心と恐怖で…体が芯から震え始める。駄目だ…私は…もう…。
「…私が碇君に優しくされるのが嫌なんでしょ?」「違う!」
何で…こいつなの?
「碇君が私に触れるのが許せないんでしょ?」「違う…!」
…この大嫌いな女の言葉で…私の一番深いところにある…絶対に浮かび上がらせちゃいけないその言葉が…
「本当は貴方が碇君に優しくされたいんでしょ?」「…違う!」
ずっと沈んでないといけない…一番一番大切なその思いが…浮かび上がってくる。
「…貴方は否定してばかりね。じゃあ…貴方は碇君のことをどう思ってるの?」
「…わ…私は…」
何してんのよ…シンジ…止めてよ。止めなさいよ。あんたに…あんたに気付いて欲しかったことなのに…
「貴方も碇君が好きなんでしょ?」
よりにもよって…何でこんな女に暴かれなきゃいけないのよ…!

「…………」
アスカはその簡単な質問になかなか答えない。
何でだ?いつも似たようなことをトウジたちに言われ続けてきたじゃないか。その度に即答で『こんな奴大嫌い!!』って…。何故…答えない?
そのとき。
アスカが…僕の方を見た。その目から…涙がこぼれた。まるで…助けを求めるみたいに…。
「…あ…」
その瞬間…理屈じゃなく分かった。感覚的に。

           アスカは僕が好きだ。    僕と同じで好きだったんだ。

たったそれだけのことに…ようやく僕は気付いた。

193: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 17:48:47 ID:???
色んなことが一気に開けた。
僕を好きだなんて…普段なら言えない。プライドが邪魔して。
だってもし告白して僕がアスカを好きじゃなかったら…屈辱で自分を保てない。僕なんかを一方的に好きなんていうのは。僕にふられたなんていうのは。
少なくとも両思い。それが僕を好きでいるための絶対条件。
“ 僕 な ん か を 好 き に な っ て し ま っ た 自 分 を 許 せ る ”…ギリギリのライン。
相手を明らかに卑下したそれは、人を好きになる姿勢としてはとてもとても失礼で身勝手なものだけど…アスカはそういう風にしかできない子だ。
「………」
アスカは…迷ってる。僕は好きだと言ったから。
いつもの、思考を排除した脊髄反射での返答じゃなく…本心を言おうか迷ってる。言えば…両思いになれる。今なら楽になれる。
勇気を出せば。ほんの少しプライドを削れば。
でも…踏ん切りがつかないんだ。綾波がいるから。
アスカにとって決して軽くない重みのはずのその言葉は、よりにもよって綾波によって引きずり出されることになる。言えば綾波がうらやましいことに、綾波に屈することになる。
この状態でさえなければ…一体どうなっていたんだろう…。二人だけのときに伝えていれば…。
だけどもう遅い。僕らは…綾波をどこかで舐めてたんだ。流されるだけの子だって。
けれど…その綾波が状況を高速で進展させてしまった。
意図が読めない。どういう意味がある?仮にアスカが僕を…きだって認めたら…綾波の居場所は…。
本心とプライドとの狭間でアスカは苦しみ…そして。
「…私は…」
噛み締めていた唇を開き…大きく息を吸い込み…強い決意と共に口を開いた。
「私も…本当は…」
「碇君は貴女を好きだって…」
「…!」
綾波が事実を改めて告げる。たった…たったそれだけで…アスカはまた言葉を失った。
かりそめの覚悟で平穏を保った心の水面は、ほんのわずかな言葉の波紋で再び揺らぎ始めた。
『…そうか…。そういうことか…』
…綾波の考えがようやく分かった。
賭けに出たんだ。アスカの思いを封じ込めるために。アスカのプライドを刺激して。あおることで逆に、決して“その言葉”を口にさせないように。顔はいつもの無表情なままだけど…。
綾波も必死なんだ。僕を繋ぎとめるために。

207: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 18:31:23 ID:???
「…シンジのことが好き…」
アスカはポツリと呟いた。
「!」「――――!!!」
綾波が目を見開き…僕の全身に鳥肌が走る。これは…。
隣にいる綾波のことが心の隅をかすめるけど…それ以上のものが僕を埋め尽くしていく。…そうだ…これで…僕とアスカは…!
思わず立ち上がった。
「あ、アス…!!」
「…っとでも言えば気が済むわけぇ!?バッカみたい!!あはははは♪」
「…え?」
「あはははは♪洒落じゃんこんなの!マジでする話じゃないでしょ~!何マジになってんのあんた達!おっかし~!!」
アスカは…呆然とする僕を置き去りにしてげらげら笑い続けた。僕は立ちつくすしかなく…逆に綾波は力尽きたように腰を下ろし、大きく息を吐き出す。汗も一気に噴き出してる。一瞬…冷や汗をかいたんだろう。
やっぱり…余裕なんか無かったんだ。
アスカは冗談に逃げた。綾波は…賭けに勝った。
綾波はもう平静を取り戻している。一連の流れとは無関係に部屋の隅で遊んでいたペンペンが、ようやくかといった風にこっちへやってきて、綾波の膝に座る。
「…そろそろ支度しようか」「…ええ」
綾波の“口”撃は…大成功と言えた。この場合、綾波にとっては“現状維持”こそが至上命題だっただろうから。もちろんそれ以上のことも望んではいるとは思うけど…。
数秒前の身勝手極まるぬか喜びを思い出し…自己嫌悪に陥る。君には…さんざん自分の醜さを思い知らされたよ。
僕らは立ち上がろうとしたけど…アスカがそれを呼び止めた。
「まぁ、待ちなさいよ。大して荷物もないんだし焦らなくても」「でも…」
「洒落ついでに聞くんだけどさ。あんたが私のこと好きだっていうのは…本気な訳?」
「…本気だよ」
「…へ~そうなんだ。じゃあさぁ…。
“ こ い つ と 別 れ て 私 と 付 き 合 っ て ” っ て 言 っ た ら ど う す ん の ? 」
攻守交替。先制の綾波の“口”撃が終了し、試合は裏へ。
アスカの“口”撃が始まった。

209: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 18:34:02 ID:???
「…それは」
綾波は黙っている。黙るしかない。もう出来ることはない。
僕はついさっき綾波を裏切ったばかりなのに…いやずっとそうだけど…決定的に裏切ったところだったのに…。
その言葉にまた鼓動が高鳴った。でも…。
「…洒落にしたってそういう質問するってことはさ。
綾波と別れたら僕と付き合ってくれるってこと?」
「……。」
今度はアスカが黙った。
僕もアスカも限界まで譲歩し…口に出せるギリギリの言葉で相手の本心を探ってる。先に弱みを見せた方が…本気になった方が負けだ。
僕は好きって言ってしまっているけど、綾波と付き合ってるって言うのが強みだ。
これ以上は譲るわけにいかない。アスカが確約しない限り。洒落だって前置きしてるんだ。“別れたら付き合う”って確約無しに別れて、アスカに本当は付き合う意思がなくて引かれたら…僕は両方とも失う。
アスカは…付き合う気があるって答えたら僕への思いを認めることになる。あるって言ってなお、僕が綾波と別れなかったら…プライドは粉々になる。
鞘当て。意地の張り合い。腹の探り合い。
意地を張るだけでは欲しいものは手に入らない。だけど全部を明かす勇気はない。だから洒落の体を取って、もしもに備えてる。
こんなのを望んでたんじゃないのに…何で…好き合ってるってほとんど分かってるのに…どうしてこんなふうになるんだ。
誰も喋らない。どこに地雷が埋まってるか分からないから。そして時間だけが過ぎ…。
「…迎えが来た。上がってくれ」
日向さんが呼びに来た。

「…やれやれ」「アスカ…!」
バッグを引っ掴み、アスカが真っ先に立ち上がった。さっさと部屋を出ようとするアスカを立ち上がって呼び止める。綾波は…微動だにしない。
「結局…アスカはどうするの?」「……。」
「どっちへ帰るつもりなの?僕らの家か…その…付き合ってる人のところか…」
「…そのどっちでもないかもね」
「え?」
それ以上は答えず、アスカは部屋を出て行った。

「多分…ドイツよ」
薄暗いトンネルを歩きながらアスカは呟いた

259: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 21:20:12 ID:???
迎えにきたのは大編隊だった。使徒相手でもないのに凄い数のVTOLが飛び回り、戦車が走る。
みんな完全武装で僕らの周りに壁を作り、一瞬たりとも離れなかった。人間と戦うことを想定していることは明らかだった。
正直言うと、日向さんの言葉を信じ切れてなかったんだけど…そういう温い気分は吹っ飛んだ。
…思ってた以上の大事だ。
「両手を頭の後ろで組み、ゆっくりと膝をつけ――!!」「……」
沢山の銃口を向けられ、日向さんは黙って指示に従った。まるで重大事件の容疑者のような扱いだった。いや、後で聞いた話では戦自側の認識はそれと大差なかったらしい。
「日向さん!」
腹ばいにされ、後ろ手に手錠をかけられ、強引に拘束されて、なお日向さんは
「大丈夫!心配いらないよ!」
そう言って笑い、別のヘリで運ばれていった。
戦自の人達は僕らの扱いにかなり苦慮していたようだった。軍人だから子供と触れ合う機会もない。
ペンペンなんてそれどころじゃない。温泉ペンギンなんて聞いたこともない人が殆どだから、生態や食べ物などについて質問されることもしばしばで、最終的には同じ部屋で寝泊りさせられた。
子供だけどVIPには違いない。その辺どう折り合いをつけたらいいか分からないようで、かなりの時間放っておかれた。
でもそれが幸いしたんだろう。取調べもさほど徹底したものじゃなかった。
どうやら僕らは“被害者”らしかった。そうなると“加害者”も存在するわけで…日向さんが心配だった。
地下を出てからアスカや綾波とは話してない。
別々に連れて行かれ個別の取り扱いを受けたからだけど…一緒にいたって多分同じだ。逆にありがたかった。
何も起こらなかった。大山は鳴動したけど鼠一匹出てこない。それでいい。出て来られてたら…終わりだった。
その後、戦自で4日を過ごしてからNERVに帰った。
発令所に入るとマヤさんは大泣きしながら僕らを抱き締め、青葉さんもうるんだ目で労ってくれた。
他にも大勢の人が無事帰ってきたのを喜んでくれたけど、リツコさんはその様子をじっと見てるだけで、父さんや副指令はそもそも来なかった。
そして最後にミサトさんに『一体どこをほっつき歩いてたの!?』とアスカや綾波共々叱られたのならめでたしめでたしだったけど、その喜びの輪の中に日向さんの姿はなく…。
ミサトさんはやっぱり死んでいた。

289: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/09 23:40:54 ID:???
葛城“一佐”は出張の帰りに“運悪く”EVAの部品を狙った列車テロに巻き込まれて死んだ。NERVの公式見解はそういうことらしい。
NERVの行動に敵対する勢力によるものって言われたけど…誰も本当には信じなかった。
処分されたのは移送計画の担当責任者だけ。車両の管理をきちんと行っていればテロは防げたという理屈だったらしいけど…。その担当者がNERVのやり方に極めて批判的だったことは結構知られていた話らしい。
たくさんのものを失った様に見えてる。でも失くしたのはNERVに都合のよくないものだけだ。
父さんにだけ都合のよい成り行き。出来すぎた悲劇。いくら僕でもそのくらい分かる。
僕達が地下にいた間に何があったかは誰も教えてくれない。
“ゼーレのシンパはどこにでもいる”
綾波の言葉を思い出すと誰に聞いたらいいのかも分からなくなる。多分、青葉さんやマヤさんなら大丈夫なんだろうけど…。今はどんな行動も慎んだ方がいいと思う。
日向さんは…まだ帰ってこない。
ミサトさんには会わせてもらえなかった。お葬式もとっくに済まされていた。こういう情勢なので本当に質素だったらしく、『さみしい式だった』と、マヤさんはポツリと呟いた。
後になってお墓の位置だけが教えられたけど…そこにはプレートしかなかった。骨すら渡されなかった。ミサトさんの最期がどんな状況だったのか…それすらも聞いていない。
理由は分からない。死体が回収されなかったのか、見せられないような有様だったのか、それとも本当はその列車にミサトさんは…。
とにかくはっきりしない終わり方で泣くことも出来なかった。
ただ一つ分かることは…ミサトさんはもう帰ってこない。


「…いつものように…平常心で…」
息をわずかに吐き出す。僕の緊張の欠片が、LCLの中をあぶくとなって浮かんでいく。
【“三人”とも準備はいいわね。テストを開始するわよ】
「了解」
目を閉じ、レバーを一度握りなおす。スピーカーからは弐号機からの応答は聞こえなかった。
僕と綾波にとっては一週間ぶりの。アスカにとっては一ヶ月以上ぶりのEVA。
【テスト開始】
リツコさんの声と共にEVAと感覚を共有する“あの感覚”が走った。

304: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 01:14:37 ID:???
『…調子が出ないな…』
そう言われた訳じゃないけど…分かる。全然だ。緊張して。
たった一週間でこれだ。一ヶ月も開いたアスカなんてどれだけ…。いや僕の緊張は単に小心者なだけなんだけど、無断で失踪というプラスアルファがあるから…やっぱり緊張はしてるだろう。
アスカが僕“ら”のところに帰るか、街に戻るか。今はまだ本部から出してもらえないからそういう段階じゃない。
リツコさんは昨日、試験を行うことを僕らに告げたとき、アスカに対して何も言わなかった。不自然なまでに何も。まるで…頭数に数えていないみたいに。アスカも無反応だった。
来るかどうかも分からなかった。けど。
「…遅れました」
指定された時刻に少し遅れてアスカはやってきた。無表情だけどどこか恐る恐る。一応弐号機も準備はされていた。リツコさんは遅刻には何も言わずにEVAに乗せた。
リツコさんの態度はあまりにもあからさまだけど…残念なことにそれはリツコさん一人に限ったことじゃない。
みんな…全てにおいて諦めている。アスカについては。
マヤさんも青葉さんも、帰ってきたときには喜んでくれたけど…アスカについては二つの意味で喜ばなきゃいけなかったし…どこかぎこちなさがあった。
アスカにあまり好意的でない雰囲気がある。特にリツコさんだ。帰ってきてからアスカに話しかけるのを見たことがない。真面目な人だからああいう行動を嫌うのは分かる。一言も謝ろうとしないアスカだって悪い。
でも…だからって何でそんなに…。せっかく…またEVAに乗ってるのに…。
実際、発令所の空気自体がおかしいんだ。何かこう…全てがリツコさんに主導で動いてるような…。元々、NERVを支えている人ではあるけど、もっと極端に…。
……。
『…やめよう…。今は…』
余計な思考を強引に頭から締め出す。意識を感覚に委ねて…。
『…ん!』
そうだ…。この感じ…。戻ってきた…この感覚だ…。

308: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 01:24:44 ID:???
「…上がり出したわね」「最初はかなり緊張してたみたいでしたけど。ようやく勘を取り戻したみたいですね!」
リツコの呟きにマヤが嬉しそうに声をあげた。
低い数値でウロウロしていたシンジの数値が少し前から上昇し始めた。他の二人に比べグラフも明らかに突出している。
「テストでいい点取るだけならいつでも出来る、か。物が違うわね。
それとも何かコツみたいなものがあるのかしらね。こういうのにも。教えてあげて欲しいものだわ。他の子にも」
「感覚的なものですから…伝えにくいんじゃないんでしょうか。
適格者の絶対数も少ないですから教えるにしてもどの程度の個人差があるのか、何かコツがあったとして、それが他の適格者にも通ずるものかどうかも」
半ば以上冗談のその言葉にマヤが大真面目に答える。リツコは少し笑い、各データをチェックし始めた。
「その数少ない適格者ですら、一度も戦わずにリタイヤした挙句“行方不明”だったり、“行方不明”から戻ってきた子にしても…この数字ではね」「…」
優しさのない言葉にマヤが顔を曇らせる。と。
「…マヤ。どうしてアスカのデータを全て出していないの?」「え…」
その指摘にマヤが身体を強張らせる。画面では確かにデータの一部が伏せられている。
「いえ…これは…」「どうしたの?」「と、特に重要な情報では…」「……」
悲しいことに…マヤは嘘がつけない人間だった。
「…出しなさい」「…はい」
逆らうことが出来ず、マヤは渋々、伏せられた部分を表示する。
「……」「…シンクロを行うのは一ヶ月ぶりですし…この結果が信頼に値するかどうかも定かでなかったので…データ誤差の可能性も…」
マヤがアスカのために苦しい弁明をする。けれどもリツコにはそんなものはまるで通用しなかった。
「…救いようがないわね。自分から転げ落ちて行っている」「…先輩…」
「素行やこの数値だけでも充分だったけど…これは駄目押しね」「やっぱり…“あの話”は…」
「“まだ”決定ではないけれど。ここから覆ることが果たしてあるのかしらね?貴方はこの子に、“こういうことする子”に命を預けられる?」
「……」
マヤは黙ってディスプレイを見つめることしか出来なかった。
「…試験終了。着替えが済み次第、アスカを研究室に。少し話をするわ。」
ブザーが鳴る中、アスカが静かに目を開いた。

388: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 02:29:19 ID:???
“…こんこん”
「どうぞ」
弱弱しいノックに続いてアスカが部屋へと入ってくる。リツコはその方を向きもしない。
「この椅子に座ってくれる?それと…悪いけどコーヒー入れてくれるかしら?貴女の分と私の分」「……」
机に向かってキーボードを叩きながら、リツコはいい加減に椅子を差し出す。アスカは黙って隅に置いてあるコーヒーメーカーへと向かった。リツコは部屋に入ってきてからまだ一度もアスカの顔を見ていない。
「かなり遅かったじゃない。“着替えが済み次第”と言ったはずだけど。何してたの?」
カップにコーヒーを注ぎながらアスカが答える。
「シャワー浴びてから髪を乾かして化粧し直してたので」
キーボードを打つ手が止まる。アスカは“一つだけ”コーヒーを入れるとリツコの前に置く。リツコは初めて顔を上げた。なるほど…時間をかけただけあってメイクは上手に仕上がっている。あくまでも14歳にしてはだが。
「…ブラックでよかったですか?」「…ええ。ありがとう」
悪びれる様子は…全く見られなかった。
礼を言ったものの、リツコはコーヒーをすすろうとしない。アスカもまた椅子に座ろうとしなかった。
「で?何か御用ですか?」
二人は本題にすら入らずしてもう喧嘩腰になっていた。しかし。
「…そうね。聞きたいことがあるのよ。本当、ちょっとしたことなんだけど。差し支えなければ教えてもらえないかしら?」
「何ですか?」
「医学は民草のものになったとはいえ…ああいうものを簡単に作れるようになられるというのは困りものだと思わない?」
「…?」
リツコの持って回った言い回しにアスカが苛立たしげに目を細める。リツコは構わずに続ける。
「最初はマリファナかと思ったけど…少し違うみたいね。ケミカル系の…何かかしら?」
「!!!!!!!!!!!」
「…正解☆」
アスカが一気に顔色を失い、リツコが小馬鹿にしたように笑う。
互いに喧嘩腰ではあったものの…喧嘩の勝敗は一瞬でついていた。

421: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 03:03:03 ID:???
「…なんで…ちゃんと…シンクロに影響しないようなのを選んで…それにもう…」
ばれるはずがない…。しかし。
「流石に大学出の秀才。シンクロに影響するものかどうかの判断も出来たのね。確かにシンクロ自体には影響はないわ。その気配りはありがたいわね。
けれど次からは“ 人 と し て 手 を 出 し て い い も の か ど う か ”の判断もお願いするわね。大学出てるんだからそのくらいはね」
「…!」
「答えはね。勘よ。勘。女の勘じゃないわよ。医学者の端くれとしての勘。これでも脳医学の権威なんて仰々しい呼ばれ方もしてるのよ、私は。
その私が特に目をかけている子くらいになるとね。脳波のわずかな乱れや神経伝達物質の分泌量、交感神経の緊張、呼吸、脈拍…スーツが伝えてくるそういうものからピンと来るの。
一週間やそこらやめたくらいではね。分かるのよ」
「……」
リツコは事も無げに言ってのける。
器が違った。『大学でものを教わった人間』と『大学でものを教える人間に“対して”ものを教える人間』では比較にならなかった。
所詮…14のガキの浅知恵だった。
「あ…あの…」
「これでようやくすっきりしたわ。ありがとう。もう帰っていいわよ」「え…」
リツコは再びアスカから視線を外し、キーボードを叩き始めた。アスカは呆気に取られた。
「…話は…それだけですか?」「それだけよ」「……」
もはやリツコはアスカの方を見ようともしない。何も…何も責められなかった。アスカは…混乱した。
「お、怒らないんですか?」「どうして怒る必要があるの?」
「だって…」「貴方の人生じゃない。好きにしたらいいわ。人に指図されるの嫌いでしょ?私は貴方の保護者じゃないんだし」
「……」
ミサトの怒鳴り声が蘇る。
『アスカ!箸の持ち方は、こうよ!こう!何度言ったら分かるのよ!』『うるさいわねぇ…食べれてるんだから何だっていいでしょ!』
『あんたねぇ…あたしはアンタのためを思って言ってんのよ!?そういう形が染み付くと将来…』『ミサトにあたしの将来心配してもらう必要ないも~ん』
怒られない。叱ってもらえない。止めてもらえない。ドラッグに手を出しているのに。人生に…干渉してもらえない。
涙がこぼれる。
その自由は…あまりに孤独だった。

459: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 03:44:40 ID:???
リツコは露骨に顔をしかめた。
「…泣かれると困るんだけど…」「…めんなさい…」
「……」「ごえん…なさい…」
アスカは顔を伏せ…喉がつまっているのだろう…搾り出すように詫び始めた。
「…別に私に謝る必要は…」「ごめんなさい…ごめんなさい…」「…はぁ!」
駄目だ。子供が一旦こうなってしまったらそう簡単にはおさまらない。
リツコは苛立たしげにアスカを見つめていたが…少し考え、机の電話に手を伸ばし―…。
「…赤木です。例の件の報告をお願いできるかしら。…えぇ。出来れば今。…ええ。ではすぐ」
短く用件を伝え、受話器を置く。リツコはアスカへと再び顔を向けた。
「アスカ…要するに 貴 方 は 誰 か に 叱 ら れ た い の ね ?」「……」
「残念だけどそれは私には出来ないことよ。私はミサトとは違うから。私は貴方を愛してない」「……!!」
アスカは一瞬目を見開き…顔をくしゃくしゃにしていく。
「けれどね…似たようなことならしてあげられなくもないのよ」「え?」
“こんこん”
ノックの音。リツコはそれに対し応えた。
「追求させてもらうわ。あなたの軽はずみな行動と…無責任さを…!」
ドアが開く。いくつかの足音が入ってくる。
“叱ること”と“責任の追求”。それは似て…まるで非なること。
明らかな悪意を持ってそれを曲解したリツコによってアスカの断罪が始まろうとしていた。

“ゴンゴン…”
金属の軽い音。来るたびにこれだ。いい加減呼び鈴を直して欲しい。
“ゴンゴン…!”
もう少し強めに叩き…
「碇だけど!」
大声で名乗る。ややあって。
“ギィ…”
「…ごめん。夜遅く。今…いい?」「…ええ」
綾波がドアを開けた。

541: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 20:21:39 ID:???
「家に帰る前にちょっと寄らせてもらったんだ…寝てた?」「…いえ」
綾波は扉を開けるなりさっさと奥に引っ込んでいく。もう夜遅いのに部屋の灯りは付けられていない。
「…電気つけていいかな」「…好きにして」
「……」
暗がりで綾波はベッドに座った。隣を空けて。この一月、僕はそこに座ってた。
けれど…僕は結局灯りをつけず、黙って椅子に座った。
暗闇と。静寂と。僕も綾波も喋らない。綾波とは地下で喋ったっきりまともに会話はしてない。話しづらい。けど…。
「…ようやく家に帰れたね」
「……」
「五日も本部に缶詰だったもんな。地下に戦自にNERV。場所は変わったけど結局、外には出られなくて。きつくなかった?」
「……」
「…僕は辛かったなぁ。そりゃ、場所を移る度に自由にはなっていったんだけどさ…」
「……」
「……」
綾波は…一言も喋らない。今までだってそうだった。僕がほとんど一方的に喋って、綾波はそれに時折頷いたり、首を振る。それが僕らのスタイルだった。
暗くて仕草が見えないだけ。今の僕は…そういう風に単純に捉えられない。後ろめたくて。
違う…。こんなこと話に来たんじゃない。
「…何しにきたの?」
「……」
…とても淋しい言われ方だ。これまでだって…特に用事があってきてたわけじゃない。ただ…会いたいから来てただけだ。
用事がないと会っちゃいけない段階は…もう通り過ぎたと思ってた。なのに今更そういうことを言われるのは…。
いや…そういう段階にまで逆戻りさせたのは僕だ。いつもと違う感じがするのは…後ろめたいのが原因の気のせいだけじゃなさそうだ。
…今日に限ってはちゃんとした用事があってきたんだけど…。
「…ちょっと話がしたくてさ」
謝りに来たんだ。地下でのことを。
けれどその言葉は出てこなかった。
「…お茶を入れるわ」
そう言って綾波がベッドを立ち、僕の横を通り過ぎる。それだけの行為にすら僕はプレッシャーを感じる。
背後でガスが“ゴッ”と場違いな音を立てた。

554: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 21:47:12 ID:???
“シュンシュンシュン…”
ポットが小刻みにリズムを刻む。暗闇に炎が力強く揺れる。横で綾波はそれをじっと見ている。僕は床に座ってそんな綾波を見てる。
「…」
炎が綾波を照らす。わずかに見える口元が…やけに綺麗だ。
テーブルを出し、お茶の支度は完了。茶菓子はないけど。
二人で買った安物のテーブル。一人用なので二人で座ると足が当たる。でも気に入ってる。綾波と触れてるのは…嫌なことじゃない。
「……」
ポケットを確かめる。そこには確かに“それ”がある。
来る途中“前にここに来たとき持ってなくて困った物”を買った。
そういうことしに来たんじゃない。けど何があるか分からないし…。
…期待してないって言ったら嘘だ。“そっち”の処理が出来てなくて頭がそっちに傾いてるのは事実だ。けどこれは本題じゃない。あくまでも今日は…。
「惣流さんとは話したの?」「え…」
唐突にアスカの話題を振られた。いきなりで慌てた。
「…いや…まだ…」「ならそっちを優先した方がいいわ。私は後でいい」「え…」
「私は碇君の都合に合わせるから。“そういうことにする”にせよ“フリ”にせよ。
…本当に“そうする”にせよ」「…」
別れたフリをして関係を続けてもいい…そう言ってるのか?どこまでも都合のいい女に…徹するつもりか?
「なんなら私から彼女に伝えても―」
「何で?」「…何が?」
「何でそんなに物分りがいいの?」「碇君を困らせたくないから」
「そういうことじゃないよ!だって…その…僕を…きなんだったら…もっと…執着するとか…」
「惣流さんのように?」「……」
綾波はコンロの火を止め、カップに湯を注ぎ出す。
「私には…彼女の様には出来ない」「…え…」
「一緒にいたいとは思う。いてくれるならそうして欲しい。けど。
もし私から離れるって決めたとき。それを拒んだら貴方は困るでしょ?」「……」
「…彼女と喧嘩したこと…後悔してる」「…え」
「嫌われたんじゃないかって…」「…そんな…」
「もう…手に入らなくてもいいの。今は…貴方に嫌われることが一番怖い。けど…」
テーブルから立ち、後ろから抱き締める。
「…やめて」「…綾波」
手元が狂い、湯は床へと流れ落ちていった。

576: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/10 23:47:30 ID:???
部屋に入ってきたのは保安部員だった。皆…知った顔だ。
「彼らが貴方のガードを特に担当してくれてる3人。この一月、最も貴方に振り回された人よ」
「赤木博士…」「はい、ありがと」
手渡されたファイルをリツコはパラパラめくる。アスカは男達の方を向かない。向くことが出来ない。
「さて。あえて避けてた話題だけど貴方が触れて欲しいようなので。何故いなくなったの?」「…」
見事なド直球だった。
「“何故か?”と聞いてるんだけど」「か、彼氏が出来て…」
説明になってない。しかしリツコは続ける。
「へぇ。何ていう人?」「コウジ…」
「苗字は?」「…知らない」
「彼氏の苗字を知らないの?」「…」
「まぁいいわ。人それぞれよね。些細なことなんでしょ好きなら。好きだったのよね?」「……はい」
そこだけは…アスカは大きくうなづいた。
おかしさな空気に黒服が目線を交し合う。
一向に報告を求められない。それ以前に観測対象の前で報告が行えるわけがない。
保安部の彼らにはまず冷徹であることが求められる。仕事に私情を挟むような事は御法度だ。それでも来日からずっと見ていればそれなりに思うところはあるし、考え方だって掴める。
“知られていた”と知ったらこの少女がどれだけ傷つくか。
「貴方のEVAへの情熱は分かってたつもりよ。そこに“だけ”は一目置いてたの。
その貴方がEVAを放り出してまで選んだんだからさぞかし真剣なのね。けど…」
リツコは笑みを浮かべた。
「彼や彼の周りの子達は単に貴方の外見、身体が目当て。下世話な言い方をすれば…ヤリたいだけ♪」
地下で日向が同じことを言った。打ちのめされていたアスカが…一気に再び激昂する。
「何を分かったようなこと!!!」
もはやすがる場所はそこだけだ。
彼だけが自分を必要としてくれてる。彼がいなくなれば…他と付き合ってるくせに告白してくる馬鹿しかいなくなってしまう。
「会ったこともないくせに!コウジがどんな奴か知らな…」
「コウイチよ」「え?」
「彼の本名はコウイチって言うの」「……え?」
呆気に取られるアスカ。コウジが…コウイチ?
「貴方は彼の苗字だけじゃなく、彼の下の名前すら知らなかったのね。
さて。今から話すことのどれだけを貴方がご存知かしら」
そして…怒涛の私刑が幕を開けた。

604: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 01:10:51 ID:???
「『田宮コウイチ。18歳。
本籍・第三新東京。身長178cm。痩せ型でがっしりした体格。髪型はドレッドヘアー。
喫煙、暴行、暴走行為などでの補導歴4回。高校中退。指定暴力団楢崎組の準構成員で少年グループ・チームアックスの中核的存在。薬の売人として当局の監視対象にもされており当人も重度の薬物依存症。
異性に対しては優しく振舞うもののその実極めて粗暴』
優しいのは付き合いだすまでか。添付されてる写真の貴方、目元のファンデーション濃すぎない?
まだ化粧に慣れてないの?それとも何か隠してるの?シミとかソバカスとか“殴られた痣”とか。
貴方、他にも何人もと“関係”したのね。いいわねモテて。確認出来ただけで…8人?活発ね。間違いなくまだいるみたいに書かれてるけど。
彼が好きっていうのは何だったの?
あらあら外でも。頑張るわね。人に見られたらどうする気?現に見られてる訳だけど。
それとも“そのスリルが”…とか?私には分からない世界ね。若いって凄いわ。
さて。ここまでで何かある?」
リツコはファイルの内容を自分の感想なども随所に交えつつ克明に語りのけ、悠然とアスカに向き直った。
「……………………」
アスカは反応しない。全身に汗を浮かべ、目はどこにも焦点は合っていない。
「…聞くまでもないようね」
満足げなリツコの横で保安部員が青ざめている。
まさかの事態だ。極めてプライベートな事については監視しない事になっている。
当然それは建前で、ありとあらゆることが見られ聞かれているのだけれど、それを当人には伝えないというのがルールだ。規則とかいう前に人間なら誰でもそうする。
それを得意げに当人にばらすなどと…正気じゃない。
「…薬物使用については何も書かれてないわね。それとも…あえて記さなかったのかしら。そんな気遣い頼んだ覚えはないけれど」
リツコが脇をチラリと見やる。黒服がわずかに身じろぐ。どうやらそういうことらしい。
「どうせ気を使うならそんな中途半端じゃなく、止めてあげるのが優しさじゃないかしら。行動には干渉しないでと言ったのは私だから別に構わ…」
「何で?」「…」
アスカは俯き…長い髪で顔は隠れてしまっている。
「何でそんな…どこにも…」
「…知ってるわ。全部知ってる。私達は貴方より彼を」

614: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 01:24:49 ID:???
「固そうに見えてもNERVっていう組織はこれで、各部署でかなり“独自の行動”が許される風潮があるのよ。作戦部ほどの無茶は利かないにせよ…ね。
トップがああいう結果主義の人だから経緯や手段はどうだっていいのね。目的さえ果たせれば。そういうところだから“おかしなこと”に首を突っ込む人間も出てくるのだけれど…」
「ゴホン!」
黒服が一つ咳払いをする。
「…大声では言えない話だったわね。で、これも大声で言えないことなんだけど、今回彼らはツテを使ったようよ。NERVとは関係のない、彼ら個人の。
当人達を前にして口にするのも気が引けるけど、保安部や諜報部なんかには貴方ぐらいの歳の頃にまともに太陽の下を歩いて来れなかった人も多いの。そういう時代だったから。
そうするとどうしても“そういう世界”に通ずる。“そういう世界”の住人と親しくなる。確かに彼ら自身は貴方達の中では目立つけれど…。
…言ってる意味分かる?」
具体的にはリツコは口にしなかった。けれど察しはつく。
常に自分の周りには“誰か”がいたのだ。黒服か、もしくは彼らの息のかかった誰かが。本気で守るつもりならまた違ったやり方もあったのだろうが…おそらく最低限の護衛と監視として。
黒服たちはもはや諦めたように目線を落としている。
『…誰が…一体…誰…?』
…知ってるはずだ…私はそいつを見てるはず。多分…会話も交わしてる。一体…誰が…。
「彼らは夜の深いところまで知り尽くしているし、貴方達の抱える“闇”にも理解がある。そしてその上で“大人の判断”をするの。
そういう人材でないと次に何しだすか分からない貴方のような“子供”の行動にはついていけない。
NERVのスタッフはみな優秀よ。例外なくね」
そうなのだろう。優秀なのだろうが…アスカにはもう話の全体など理解し切れていない。ただ直前に喋られたことに対し反応するのみだった。
「私は…子供じゃない」
「そう?ならこの事実も受け入れられるわね。
 知ってる?“貴方のコウジ”君は貴方以外に3人の女の子を囲ってたこと」
“事実”は…どこまでもアスカを襲い続ける。

617: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 01:52:28 ID:???
「…嘘よ」
「本当よ。報告には『私見だが観測対象は田宮の“三号”』。貴方彼の“初号機”ですらないのね。“弐号機”ぐらいだったらピッタリだったのにね。ふふ♪
でもまだ下に“四号機”がいるわよ。貴方以上の馬鹿が。そのうち欠番になったりして…」
「赤木博士…!」
その言葉は流石に度が過ぎていた。黒服が思わずたしなめるとリツコは肩をすくめて見せた。
「だって…コウジは…私だけって…。こんなに人を好きになったのは初めてだって…!だから…だから私はコウジに…!!」
アスカの足元に雨のように雫が落ちていく。
「“コウイチ”ね。“コウジ”なんて人間はどこにもいない。貴方に優しい貴方だけの“コウジ”君は貴方の中にしか存在しない。
みんなそう言うのよ男は。そういうものなのよ。
…若いうちはまだ、そんな風にも言ってもらえるわ。だから今、思い切り弾けた貴方は賢かったのかもしれない。
貴方くらい可愛い子が人肌恋しくて夜毎ウロウロして、声さえかければついてくる。男の子達にしてみても幸運…」
「…赤木博士。我々はもう失礼します…」
もはやこれは仕事でも何でもない。保安部員達はそう判断し逃げるように部屋を出て行った。アスカに憐憫の目を向けながら。
これは責任の追求ですらなく…何かのタガが外れた女のリンチでしかない。おそらくそのタガの名は…“葛城ミサト”とか言った。
“観客”がいなくなるとリツコは少しつまらなそうな顔になった。
「…何でそんなに…」「……」
「何でそんなに私を目の敵にするんですか?」
どうしても分からないのだろう。もはや顔を上げることは出来ないが…アスカは搾り出すようにその疑問を口にした。
「…子供がね。嫌いなのよ。というより自分より若い子が嫌いなのかしらね。
特に貴方みたいに可愛くてそれを自覚してるような子は大嫌い。無知で浅はかで何も出来ないくせに口ばかり達者で、一日中男のことしか考えてない、口にしないような貴方のような子は生理的に受け付けないの。
どんな理屈より分かり易いでしょ?
 嫌 い な も の は 嫌 い な ん だ か ら 。
余裕があるときはそれもいいわ。貴方の良さを見つけることも出来た。
けれどね。今みたいな状況でこういうことされるのは我慢ならないの」
最低のことを言っているにも関わらず…その顔は穏やかだった。

621: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 02:03:24 ID:???
「何で…何でか…。それはこっちの台詞なんだけど。
…ねぇ。どうして貴方のせいで私が“あの人”に怒られるの?パイロットの管理ぐらいちゃんと行えって。どうして私が管理能力を疑われることになるのかしら。ミサトの仕事なのに。
レイは仕方ないの。最後まで必要だから。“アレ”はあの人の弱さの具現。慰み物。所詮道具よ。私は“物”に負けたりしない。…負けるわけがない。
シンジ君も大目に見るわ。入ってきた当初は確かに面倒かけてくれたけどこの頃はちゃんと…あぁ、ついこの間もそうだったかしら。でもまだ分かるわ。友達のために怒る。彼の動機はまだ可愛げがあるもの。こちらとしてはたまったものじゃないけど。
でもあれだけの才能だもの。大目に見ようという気にもなる。かけられた面倒を差し引いても実力の方が勝るもの。
けれど貴方はどうなのかしら。どこかに同情の余地があるのかしら。
使徒に負けた。残念ね。また頑張って。
シンクロ率が落ちてる。水物だから。また上がるときもあるわ。
深夜に徘徊。中学生なんだからほどほどになさいね。
帰ってこない。辛いのは分かるけど少しはこちらの都合も考えて欲しいわ。
帰ってきても数値は起動数値に届くか届かないか。
…ねぇ見つけてみせて?同情の余地を。どう論理を展開させれば貴方に対して好意的になれるのか。その要素がどこにあるのか。
必要?必要なの?
実力もない。態度も悪い。挙句に麻薬に手を出して。必要かしら。こんなパイロットが。こんな人間が」
そこには筋道だった理屈など存在しない。あるのはただ…黒い…どす黒い悪意だけ。
おそらく本当はアスカ一人に対してここまで怒ってはいない。“物事が思うようにいかない苛立ち”の全てが、都合、彼女に集約されているだけだ。分かりやすい悪者を見つけ、それこそが諸悪の根源であるかのような扱いをすることで…。
「あいつも馬鹿よ…。ドン臭いくせにこんな馬鹿のために余計な事に首突っ込んで…。あそこまであからさまではかばい切れないじゃない…。処理するしかないじゃない…」
「…あ…」
リツコの声に悔しさが滲む。
アスカには断片的にしか話が理解できない。シンジの才能…レイは道具…必要かしら。こんなパイロット。
刺激的な単語が耳に残るだけ。だが…それだけは聞き逃さなかった。そのことだけは…。
「ミサトを殺したのは…あんた?」

664: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 02:54:20 ID:???
「…いいえ。いいえ違うわ。
アスカ。貴方よ。貴方のせいでミサトは死んだの。私の最後の友人は貴方に殺されたの。間違っても私のせいではないわ。貴方のせい。
私は自分の務めを果たしただけ。悪いのは立場を忘れて知らないでもいい事を知ろうとしたミサトと貴方。あんな馬鹿…死んだって自業自得よ…!」
『この女…頭おかしい…』
アスカは自分のことでショックは受けていたが…冷静沈着と思っていた人物が抱えていた“闇”を目の当たりにし愕然としていた。
今更だが―…今のリツコは歪んでいる。
“お前のせいでミサトは死んだ”と怒りながら、数秒後には“自業自得”と吐き捨て、自分の行動からは目を逸らし、正当化する。
支離滅裂。しかし今の当人の中では問題なく成立するのだろう。
“自分はどこまでも正しい。決して誤りはしない”。
外から見てもそれだけは一貫している。それを成立させるためには周囲の状況の解釈をいくらでもねじ曲げる。
ミサトが居れば違ったのだろう。彼女が居ればあり方もまた。
しかし居ない。ミサトという存在を断ち切ったのもまた彼女自身。
「ようやく分かったわ…あんたが何をしたいか。理由は何でもいいからとにかく私を追い出したいわけね?」
「そう。気に入らないのよ。だから排除するの。要らないから。役にも立たないし」
精神的にも立場的にも自分に並ぶ者がいなくなり、唯一上司といえる人間は『やり方は任せる』という放任主義。
ただでさえ厳しい状況でどうしようもなく親友を手にかけ、罪悪感と更なる仕事という新たな重荷と共にその手に転がり込んできた力。
権力など特に望む人間ではない。ただ…あれば使う。また、使う事を求められる。例え正常な判断が出来る状態にはなくとも。
「…もう夜も遅いわね。今日より帰宅を許可します。“好きな所”に帰りなさい
それとこれは老婆心からの忠告だけど…“検査”…受けた方がいいわよ。随分と派手に遊んだようだし」
「……」
忠告ではない。皮肉だ。
とにかく…この部屋から出たい。アスカにはそれしかなかった。そうして話は終わった。
実質的に思い通りにNERVが回るようになったことで抱えていた何かが蠢き出したのだろう。止める者は…もういない。彼女だけが悪い訳ではないが現実問題として…。
赤木リツコは暴走している。

683: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 04:07:29 ID:???
腕の中に綾波がいる。
「…お茶を入れさせて…」
綾波は腕を解こうして身をよじる。でも…その動きは弱弱しい。
せっかくお湯を沸かせてくれたのに悪いけど…もうお茶を飲んでる気分じゃないんだ。
「…綾波…!」「あ…」
僕は更に強く綾波を抱き締める。
腕の中には僕の事が好きでたまらない女の子がいる。僕に好きな子がいるの分かってて…それでもなお好きで…便利に使われる事さえいとわない子が…。嫌われるのを何より怖がる女の子が…。
順番が変わりかけている…。綾波と…アスカの順番が…僕の中で。
「お願い…放して…」嫌だ。放したくない。
「碇君…手を…」もっと触れていたい。
「碇…君…」綾波…。
「……」――…そして。
綾波はもがくのを止め、僕の手に触れた。これは…。
「……僕に抱かれるの…嫌?」…最後の確認をする。
「……嫌じゃない……。……嬉しい。けど…」
そう言って僕の手を握る綾波。
…了承は取れた。

「綾波…!」「え…」
台所から…ベッドまでは随分距離がある。どう連れて行ったらいいのか分からないので…手を繋いで引っ張っていく。
「碇くん…?」綾波が困惑した声を浮かべる。慌ててポットをコンロに置こうとし、ちゃんと乗っからずに落っこちた。
“ガンガラガン!!”“バシャッ!!”
けたたましい音を背に、綾波の手を引っ張りベッドに引き倒す。
「きゃあ…!」駄目だ。乱暴すぎた。ケアのつもりで僕は綾波の耳元にキスをした。
「…い、碇くん…!?」
「…綾波…好きだよ…」「え…?」
戸惑うような声。…当然だ。僕はあれだけはっきりとアスカが好きだっていったんだから。でも…。
「好きだ綾波…!」「きゃあ!?」
僕は綾波に覆い被さった。綾波は何故だか抵抗する。大丈夫…準備は出来てる。
「この間の続きをしよう…」「……!!」
今は綾波が一番なんだ。

690: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 04:24:43 ID:???
「碇くん駄目…!!」
何故だか綾波は抵抗した。どうして…。好きだっていったし。確認だってしたのに…。
女の子的な恥じらいの現れなのか…?綾波もやっぱり…。
僕のが固くなっていく。どこで…どんなタイミングで“あれ”は着ければいいんだ?…いや…着け方がよく…すぐに着けれるものなのか?
とりあえず僕の下の綾波をまさぐる。柔らかい。服の上からでも。この下の肌は一体どれだけ…。
「やめて…!!」「!?」
綾波が僕の顔を強引に押しのける。これは…恥じらいとかそう言うアレじゃないんじゃないのか?本当に…嫌がって…。
そんなことない…。綾波は僕を好きっていったし…。ちゃんと…。
「碇くん…!」好きだ綾波…。
「やめて…」…手が邪魔だよ…。もう…。
「碇くん…」…ちょっと…しつこいよ。そろそろ…。
「……」……綾波…!
抵抗が無くなった…。さっきのように…!
ようやくだ。僕は服を脱ぐ。上を…そして下を…。ゴムは…ゴムはまだなのか…。
いや…まず綾波を脱がせないと…女子の制服…どう…どこから脱がせばいいんだろう…。
暗闇の中、手探りで肩の部分を下ろし、それから腰のところのボタンをファスナーを下げる…。ブラウスのボタンを外し、スカートの中にも手を…。
“…すん…”
「…え?」
“ぐすん…ぐす…”
「……え」
抵抗が止んで…そしたら…綾波が…。
「…あ、綾波…?」「………」
暗闇で顔は見えないけど…泣いてる。
「あの…さっき…“抱かれる”の嫌かって…聞いたとき…」
「…碇君が…“抱き締めて”くれてたから…そのことだと…」
あぁ…そういう…。…いや…でも…。
「…この間…『次にこういう雰囲気になったときには続きをしよう』って…その…」
「…今…“そういう雰囲気”だった?」「……」
「私が…したいように…見えた?」「……」
「碇くんは何をしに来たの?」「……」
「私に…謝りに来てくれたんじゃなかったの…?」
綾波の泣き声を…初めて聞いた。やっぱり全部…見抜かれてた。

701: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 04:59:22 ID:???
「…どうしても今じゃなきゃ嫌なら…続けて…」「…え?」
「断って嫌われるなら…」「……」
僕は黙ってどいた。綾波はゆっくり身体を起こした。
「綾波…」「触らないで」「…」
あまりに痛い拒絶。
「…“自分を分かってくれてる”って言ったけど…碇君は私を分かってくれてない…」「……」
「…いい。…今の事は忘れる」「…綾波」
「……」「ごめん…でも…傷つけたのは分かってるけど…。地下でとかさっきとか…ああいう風に言ってくれて僕は泣きそうになった」「……」
そうだ…僕は謝りに来たんだ。
「綾波…僕は…本当は…」
「…別に構わない。私は…初めから分かってて碇君と…」「…初めから…」
「惣流さんを好きなのは謝ることじゃない。…いつも覚悟はしてた。
でも…碇君の口から言われるのは違う…。はっきりと言葉にして欲しくはなかった…!」
そのかすれた叫びは耳よりも心に響く。
「綾波…!」「あれは私にも惣流さんにも酷すぎる…!」「ごめん!本当にごめん!」「帰って…!」
「綾波…僕は…」「私は貴方の母親じゃないから何もかも全部を包んであげることは出来ない」
「……」「…私は…彼女の代わり?」
「…違う。綾波とアスカに求めてるものはまるで別物で…だから代わりとかそういう…」
「私には…碇君は“代わり”なのかもしれない」「え?」
「やっぱり私を代用品にしている…あの人の」「!!」
ショックだった。綾波は…ずっと僕を見てると思ってた。だけど…代わり?僕も…あいつの代わりだったのか?
怒る筋合いじゃない…でも…。
「…誰かの代わりをするのは慣れてるから」「違う…あの…あの…!」
「これで終わりとか…そういうことは言わない。私からは…決して…。
私は…碇君が好きだから…好きだと思うから…。碇君が望む限り関係は続ける。けど…今は一緒にいたくない…」
「綾波!君が大事なのは本当なんだ!確かに…一番じゃないけど…!大切に思ってるのは本当だよ!」「……」
暗闇で…肩が震えてる。
「綾…」
僕が肩に手を伸ばすと彼女は唐突にキスをした。綾波の唇は少ししょっぱくて…濡れていた。
「…今日は…“これ”で帰って」
それ以上居座る気力は残ってなかった。
ドアが閉まると鍵がかかる音が聞こえた。ポケットのコンドームは封さえ開かなかった。

767: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 13:32:36 ID:???
「あ…この道…」
気付くと足は家へ向かっていた。ミサト達と住んでた…あの家へ。
「…そっか。ボーっとして…」
無意識に帰ろうとしてたみたい。そうなんだ。私の中で“家”っていったら…。ドイツでも、コウ…田宮コウイチのところでもなく。
バッグは…バスに忘れた。持ち慣れても大事でもないから…常に確認しておくような意識や習慣がないんだ。
…あいつに貰ったもんだったんだけどな。
意外に簡単に答えが出るものだ。あんなにシンジにも自分にも勿体つけてたくせに。
今は…その答えに対して抗うだけの気力が無い。無理が効かない。とにかく一度、自分をニュートラルへ戻したい。
今夜だけは私と男達の汁で汚れた、全然洗濯されないシーツと固いベッドじゃなく、シンジが小まめに洗っていつも綺麗なあのシーツと眠りなれたあの柔らかいベッドで…何も考えず眠りたい。
マンションが見えた。一月前と何も変わらない。そりゃそうだ。変わったのは…私だけだ。
入り口の前に来ると…向こうからも歩いてくる奴がいた。
「……あ」「シンジ…」
腕にペンペンを抱えたシンジがとぼとぼと歩いてくる。シンジは私に気付くと少し驚いた。
「…帰ってきたんだ」「…帰って来いって言ったのはあんたじゃない…」
「…そうだけどさ…」「…迷惑なら他をあたるわよ…」
一応そう言い返すけど…今日だけは勘弁して欲しい。頼むから余計なこと言い返さないで…。
「…時間も遅いよ。今日は…」「…えぇ」
助かった。今日はもう…。
エレベーターに二人。『アンタと二人で密室状態なんて』っていうフレーズが浮かぶものの、やめておく。もう疲れた。
そう言えば私らって何かくっつく一歩手前にまで行ってなかったっけ?
…もういいか。そういうことが今はどうでもいい。疲れているときは自分のことで精一杯。色恋なんて…。
「…僕もずっと戻ってないから散らかったままと思うけど…今日は風呂入って寝よう」
反対する理由は何もない。面倒なことは明日。明日考えよう。
部屋の前。キーを差込み…。
「……」「…何?」
反応…しない。
「…電気が…通ってない?」「……!」
扉の一部が…破壊されてる…。そこから扉をこじ開け…中へ…!
「…な…」「…何よこれ…」
そこはもう…私の知ってる“家”じゃなくなってた。

800: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 19:35:00 ID:???
「すみません毎日毎日」「いいのよこのくらい」
この頃はお互い遅いことが多く、帰りの足が無いマヤをリツコが車で送っていくのが日課になっていた。
「…あの…先輩」「何?」「…アスカと…何を?」
マヤは思い切ってその疑問を口にした。
「ただのお説教よ、私なりの。どうして?」「いえ…さっき…彼女のメイクが随分崩れて…」
「私は…ほら、優しい言い方が出来ない人間だから」「…そんな」
そのときマヤの携帯が鳴った。
「あ…。すみません」「別に出てもいいわよ」「先輩の前でそういう訳にも…あ…」
着信相手に声を上げる。
…多分出た方がいい。…しかしリツコがいる前では…。
「…」「…大事な人?」「いえ…あの…」「マヤにも遂にそういう人が出来たのね♪」
「か、からかわないで下…」「流石に私がいると出れないかしら」
そう言ってリツコが車を止める。
「もう、すぐそこだし、ここでいいかしら」「もちろんです!ありがとうございました!」
「早く出ないと彼氏に悪いわよ」「そ、そんなんじゃ…」「ふふふ♪また明日ね」
排気を一つ吐き出し、車が出る。マヤはその後ろ姿を見送るとため息を一つつき、急いで携帯に出た。
「伊吹です…」『…マヤさん…』「シンジ君…」
さっきペンペンを引き取りに来たときは普通だったのに…。声の様子がただ事ではない。
「どうしたの一体…」『家が…』「え?」『家が無茶苦茶に…』
マヤは驚いた。何故自宅に?ショックを受けるから戻さないという話ではなかったのか。
「聞いてないの?」『え?』
「部屋を用意したって…」『…誰からですか?』「誰…」
車が去って行った方を見る。まだ呼び戻せるだろうが…。
「…まだ家?」『はい…アスカも…。…一体これは…』
「…青葉君にそっちに向かってもらうから。私も行くから少し待ってて」『…はい…』
携帯を切ると、マヤはタクシーを探しながら青葉へとかける。
『今理由を追求したって…きっと先輩にも考えが…』
そう自分に言い聞かせながらもリツコへの不信感を打ち消すことは出来なかった。
『…はい青葉…』「伊吹です。今から――…」

「…来てくれるって」「…来たからどうなるってのよ」「…」
…その通りだ。僕はどうにもならなくなった室内を見渡した。

812: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 20:53:32 ID:???
実際、僕らは危険な目になんて会わなかった。それなりに怯えも緊張もしたけどそれは日向さんの話に対してで、具体的な危険には直面してない。
戦自の大編隊を見て頭では納得したけど、正直『本当に大事件だったのか?』とも感じた。実感が湧かなかった。今日、家に戻るまでは。
僕が電話をかけてる間、各部屋を見て回ったアスカに尋ねる。
「…どうだった…?」
「どうもこうも…アンタの部屋も私の部屋もボロボロよ。壁まで削られて、床まで穴開けられて…。徹底的にやられてる」
返事をするのも億劫なんだろう。倒された冷蔵庫に腰掛け、顔を伏せたままアスカは答えた。
かなり消耗してたらしいところにこれだ。分かる。僕だってへこんで帰ってきたんだ。…すぐに寝たかった。そこにこれは…正直狂いそうだ。
ペンペンも混乱して部屋中を駆け回っている。
家の中は…もうぐちゃぐちゃだった。全ての部屋で棚は倒され、壁紙ははがされ…何もかもが引っ掻き回され、大地震でも起こったかのよう…。
何かを探しに来たのか、それとも漠然と何かを探したのか。
ご丁寧に各部屋に火まで放たれてる。スプリンクラーが作動したのか全焼はしてないけど…僕らの物は殆ど灰になった。
床には複数の足跡。土足で上がりこんだらしい。
「本当に…」
壊れた時計は…ここを出て5分も経たない時間で止まってる。僕はそれを見て全身に鳥肌が立った。
ギリギリだったんだ。あと少し日向さんが遅かったら本当に殺されるところだったんだ。
「……」
居間へ入る。叩き割られたテレビや窓が見え、そこでもうそれ以上進む気が無くなった。
ここを出るとき、大事なものを僕は探した。全然思いつかなかった。けど…今見渡すと沢山見つかる。全部…何もかもが大切だったんだ。
ここにあるものに…ここで作った思い出に…大切でないものなんて何一つなかったんだ。壊されて…初めて気付いた。
アスカも同じ思いなんだろう。時折「…ここまでする必要が…」と誰に向けてかも分からない恨み言を呟いてる。
同じ家具や電化製品を揃えても…それはまるで違う。それ自体には思い出が無いし、もう一度思い出を作り直すのに必要な人が…一人いないから。
僕らの家はもう返って来ない。いや…そういう感傷的な理由を抜きにしてもこれでは…。
もうここには住めない。

823: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/11 21:34:42 ID:???
「なんていうか…思い出を壊すのが目的みたいな仕事振りよね。ハハハ…♪」
唐突に。アスカが乾いた笑い声を立てて顔を上げた。
「アンタここに戻ろうって言ったけど…。無理ね。私はおろかアンタすら戻れないわよ」
皮肉…のつもりなのかもしれない。けれど僕にはそう聞こえない。
「…また…他のところで一緒に…」
「…あんたってホント馬鹿ね…」
得意の“バカ”って言葉に…棘とキレがない。
「保護者いなくなって、家もなくなって…。これ以上一緒に住む理由が何かあんの?。今までここに住んでたっていう惰性で、そのまま二人暮らしてくんなら分かるけど…。
これから新しい住処で二人でっていうのは話が違うでしょ」
毒を吐く訳でもなく、淡々と。もう疲れ果てて“強い自分”を維持する気力もないんだろう。多分これは気を張ってない“素のアスカ”だ。僕も…こんなアスカは初めてだ。
「あ~あ…選択肢の一つは消えちゃったなぁ…」
伸びをしながらのその台詞に…心臓が締め付けられる。そうか…ここが駄目なんだから…。
「…戻るの?」「ん…?」「その…付き合ってる奴のとこへ」「……」
アスカは淋しそうに目を逸らした。
「…今はそういう気分でもない」「え?」
「…“あの女”の言うこと丸呑みするほど馬鹿じゃないけど…少し周りが見えた。
確かにおかしい。アレだけスムーズに受け入れられて…」
「…ケンカでもしたの?」「ケンカですらない。…問いただしたい事もあるけど…今は…」
何だか分からないけど…何かこじれてるらしい。少し安心したし…正直嬉しかった。
僕は何もしてないけど…しばらくアスカはその男のところには戻らなさそう。
「…部屋が用意されてるって言ってた」「そりゃそうでしょ」
「そこに住めばいいよ」「…あの話の後で用意されたってんならどうせ本部の個室でしょ」
「…だと思う」「…それもどうなのかなぁ…私NERVにも居場所ないから…」「……」
じゃあ…アスカの居場所はどこにあるんだよ…。ここが駄目で街が駄目で、本部が駄目なら…。
「…本当はね。選択肢はそれだけじゃないの」「え?」
「てゆーかさ…私には“選ぶ権利”なんかないのよ」「…何の話だよ」
アスカは…笑った。
「私さ…多分ドイツに戻される」
僕にはその笑顔の意味が全く分からなかった。

866: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 02:44:43 ID:???
「どうして…!?」「どうしてってこともないでしょ。元々調子悪かった上にいきなりバックれたんじゃさ。結果も残せず素行も悪い。こんなバカ要らないって話になっただけの話よ」
何で笑ってられるんだ…何なんだ一体…。
「誰が言ったんだよそんな事!」「……」
「…父さん…父さんが言ったのか!?」「…別の人よ」
「そんな勝手な…いらないから追い返すって…!」
「最初から勝手だったじゃない。必要だからっていきなり呼び付けられたんでしょアンタだって。その勝手を受け入れたからサードチルドレンやってんでしょ」「!!」
静かだ。こんな静かなアスカは知らない。
「そういう“物”だから送り返すのよ。そういうとこなのよ、ここは。遊びでやってんじゃないんだから」
何でこんな悟ったような言い方を…。こんな…こんなのって…。
「嫌だ…。嫌だよそんなの…」「……」
「僕はアスカが…」「…前も聞いたわよ」
「答えを聞いてないよ!僕が綾波と別れたら…」
「…答えたらどうなるの?ドイツに帰らなくて済むの?」「…!」
「無駄よ。例え答えがアンタの望むものにせよ、そうでないにせよ、もうすぐ離れ離れになるんだから。もうそういうこと言っても仕方ないじゃない。
お互い好き合ってりゃ否応なくくっつける…そんなに甘ったるいもんでもないでしょ、世の中」
「…アス…」「…答えは今の言葉から勝手に想像しなさい」
それは…ほとんど返答だったけど…また別の悲しさを含んでいた。
「…シンジ。死にたくなきゃ適当にやってなさい。自分が単なる部品だってことを忘れないで。1stや私みたく命まで懸けてやることじゃないわ“こんなの”。
でないと…そのうち鈴原みたくなるわよ。
出来の悪かった先輩が、10年からの部品生活の最後にして悟ったことを老婆心ながら忠告」
「そんな香ばしい悟りなんて聞きたくないよ!残るための方法を考えようよ!」
「無理よもう」「そんな割り切り方アスカらしくないよ!僕も…僕も考えるから!」
「やめて…」「何か…方法があるはずだよ!それを探して…」
「もう…それ以上…」「こんなやり方認めちゃ…」
「それ以上優しくしないで!!!」「…!」
それまで静かだったアスカが…耳を塞いで絶叫した。
「 こ れ 以 上 あ た し を 惨 め に し な い で!!!!」

872: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 02:55:53 ID:???
限界だ。とうとう最後のプライドが砕ける。
「…最後ぐらいカッコつけさせて…少しは顔立てて逝かせなさいよ…。こっちは…ギリギリの状態で大人のフリして喋ってんのよ…。
割り切ってる…?割り切れてる訳ないじゃない…。私にはこれしかなかったんだから!こないだまで普通のガキやれてたあんたと違って…ずっとこれに賭けてきたんだから!
私にはEVAしかないんだから!これまでも!これからも!それが…!」
立ち上がり、シンジの胸倉を掴む。
「私はアンタがうらやましい…。アンタの才能が…。大勢の候補の中から選抜されたエリートのはずの私が…ポッと出のアンタにあっという間に追い抜かれて…それで挙句の果てにぃ…!
アンタみたいになんとなくEVAに乗ってるような奴に…何でそんな力が…!
これだけ…これだけEVAに全部捧げてきた私じゃなく…どうしてアンタに…アンタなんかにぃ…!!」
悔しい。涙が止められない。泣いてばかりだこの頃。
絶対に言わないと決めてた事だ。質問の答え以上に私の深い場所に沈めてた言葉だ。
これを口にしたら負けだから。でも…もう…。
「……」「……」
視線で人が殺せればいい。シンジは怯えた目で私を見る。怯えてはいるけど…小生意気に視線を逸らさずにじっと私の目を…思いを受け止めている。
「…やっぱり嫌いだわ、あんたの事。そういう風に人を見るとこ…大っ嫌い…」
先に目線を外したのは…私だった。乱暴に手を放す。シンジは少し咳き込んだ。
ペンペンが心配そうにシンジへと近付いてくる。私を…避けるようにして。
「……」「…シンジ君―…アスカ―…!」
そのとき玄関から声がした。
「…せいぜい最後まで部品やって磨耗しきって私みたく使い捨てられなさいよ。その前に死なないようにね」
そう吐き捨て玄関へ向かう。と。
「もう…決定なの?」
背後から…すがるような声。
「…かろうじて“まだ”決定ではない。けど…決定したも同じよ」
「違う…」「…」
「僕が…物扱いされても戻ってきたのは…“物じゃない扱い”をしてくれる人がいたから…」
「そうしてくれた人はもういないじゃない」「…!」
「ミサトは死んだのよ。私をドイツへと帰させまいと、くつがえせもしない流れにたった一人で抗って。
私が殺したのよ」
振り返る勇気などないから。私はそのまま玄関を出た。

877: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 03:46:07 ID:???
その晩僕達はマヤさんと青葉さんの家に泊めてもらった。
総務課の手違いで連絡がどうのとマヤさんはしどろもどろに説明したけど…多分本当の理由は別にある。
家は僕らが出たすぐ後に襲撃されたらしい。使用された爆薬とかブーツの足跡とかがどっか近くの独裁国家の特殊部隊で使われてる物だったから、そこの犯行じゃないかって話らしいけど。
総統様のバッチはやりすぎた。偽装工作としては行き過ぎ。NERVにも馬鹿はいるらしい。
あの国のせいにしとけばややこしくて追及しづらくなる。そういうことなんだろう。
謝られたけど…別に青葉さん達は悪くない。
次の日から本部の部屋に移った。持ってく物はほとんど無かった。
私物といえば逃げる時に持って出た物ぐらい。確かに不便だ。けどその事とは別に、何でもいいから持ってくれば良かったと悔やんでる。
アスカも大人しく移った。テストもちゃんと受ける。けど何も話してない。綾波とも。
綾波のことも放っといていいことじゃない。どちらかというとこっちの方が身近な問題だ。ポケットには…まだアレが入ったままだ。
やっぱりリツコさんはアスカに一言も話しかけない。逆に僕や綾波にはよく話しかけ、誉める。まるで当てつけてるみたいに。
誰もそのことに何も言わない。発令所の空気は明らかにおかしい。ミサトさんがいた頃と比べて。

あの二人は間違いなくNERVの双輪だった。
ミサトさんが“緩”ならリツコさんは“急”。片や緩く、片や締めて。あくまで雰囲気の話。仕事に関しては二人とも完璧だった。
作戦部と技術部は緊密な関係を築いてた。作戦立てるにしてもまずEVAありきだから。だけど二人の個性は随分と違うから車輪の向く方向は常に同じじゃなかった。
お互い行きたい方ばかり向いてては前に進まないからそれなりに妥協しあって回ってた。その方向性の違いがプラスに働いたことだって少なくはないんだろう。
けれど車輪は一つになった。これからはリツコさんがハンドルを切った方向に進む。父さんは使徒さえ倒せればその手段についてはどうだっていいから。
これは僕一人の感想だけど…NERVはリツコさんの私物になりつつある。

そんな中。一つの出来事が起こる。嬉しい事なんだけど…必ずしも喜びきれない事が。


日向さんが帰ってきた。査問委員会にかけられるために。


903: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 10:47:13 ID:???
暗闇に日向は立っていた。
痛めつけられてはいたが何とか五体満足で。それが満足なままかどうかがこれから決まる。
『君には未成年者誘拐、及び政府管理施設への不法侵入、銃刀法違反、各種交通法違反等、28件もの疑いがかけられている。
適格者全員とNERV、戦略自衛隊までも巻き込んでの今回のこの騒動。
事情を聞かせてもらおう』
暗闇からの声。思わず生唾を飲み込む。
『これが…ゼーレ』
初めて直接対面する、委員会に名を借りた世界の黒幕。背に汗が滲む。
「…作戦部長より“自分にもしものことが起こった場合には適格者の安全確保をまず優先せよ”との指示が出ておりましたのでそれを実行いたしました」
『何故“安全が保障されている”本部へ連れてこなかった?』
あんた達に渡したら何されてたか分かったもんじゃない。そう思いながらも準備しておいた台詞を口にする。
「途中、自分の個人回線が切断されました。本部への直通回線、移送手段までもが漏洩し“未知の敵対勢力”に把握されている可能性も捨てきれないと判断し、やむなく一切の交信を途絶した次第です。
しかし今思えば何らかの手段で本部との連絡を取り、適格者の安否だけなりとも伝えた上で指示を仰ぐ等、別の対処も出来たように思います。
冷静になることが出来ずに誤った判断を下し、結果的に使徒が襲来しなかったにせよ数日もの間戦力の空白期間を生み、本部と人類を危険にさらしてしまったことについては…弁解の余地はありません」
詭弁だ。日向はミサトを殺したのはNERVかゼーレだと確信している。
粛清の範囲がどこまでなのかはっきりするまで隠れていたのだ。
『なるほど。しかし“偶然”葛城一佐がテロに巻き込まれたことで“適格者が危険だ”と判断した君の論理はいささか繋がりに欠ける。
君の行動は何か…NERVに対してどこか“誤った偏見”に満ちているように感じるのだが。
そこのところを聞かせてもらおう。何をもってそのような判断を下すに至ったのだね?』
「……」
声は静かに、しかし核心をついて追及する。日向は…答えない。
全て見抜かれている。加持の事もミサトの事も全て。一枚も二枚も上手だ。やはり自分では…。
『なるほど…沈黙もまた答えだ。審議を終了する。処分の発表は後ほど行う。下がりたまえ』
「…失礼します」
短い審議を終え、日向の姿が暗闇から消えた。

907: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 11:18:10 ID:???
「変わってないなぁ…そりゃそうか」
発令所に入ってきた日向さんが感慨深げに呟く。
「日向さん!」「…やぁ。久しぶり」
駆け寄った僕にニカッと笑う。メガネかけてないし…前歯が一本欠けてる。
「日向…!」「大丈夫だったの!?全然消息がつかめなくて…!」
僕だけじゃなく発令所の皆が駆け寄ってくる。
「ごめんなさい…僕らのために」「いや…アスカやレイは元気かい?」
「元気です。日向さんのことは伝えたんですけど…二人とも…『ありがとう』って…それだけ伝えてくれって」「…そうか」
日向さんは満足そうに頷いた。と、そこに。
「元気そうじゃない」
リツコさんがやってきた。口々に話しかけていた皆が一斉に黙る。
日向さんは無表情にリツコさんを見返す。
「…えぇ、おかげさまで。色々おっかない思いもしましたけどね」「自業自得よ。一人で勘違いして大騒ぎして」
「リツコさ…!」「シンジ君」
言い返そうとする僕を日向さんが押しとどめた。リツコさんは知らん顔だ。
「…で、処分は?」「これからだ」
「どうなるの?」「こっちが聞きたいよ。でもまぁ…多分これだろ?」
日向さんはこめかみに人差し指を突き付け、発砲の仕草をして見せた。冗談めかしてるけど…冗談になってない。だって…十中八九そうなるんだから。
「…くそったれ」「…そんな」
リツコさんに気を使いながらも皆が非難の声をあげる。僕にはそんな気を回すゆとりは無い。
「何とか…何とかならないんですか!?僕達のためにしてくれたことなのに!」「NERVは裁判を執り行う権限も持ってる。こればっかりは何ともならないよ」
日向さんは静かに笑った。
“パシュッ…”
扉が開いた。副司令が入ってくる。皆がそちらに対して向き直った。
『おはようございます』「うむ。…日向君」
「ご無沙汰しています、副指令」「あぁ。…人払いはいいのかな?」
「かまいません」
処分の発表だ。ここでする気だ。
「では…日向二尉。
委員会は今回の件を状況報告の義務を怠り、NERV本部を多大な危険にさらした重大な過ちであると判断する」
雲行きはのっけから怪しかった。

911: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 11:56:45 ID:???
厳しい言葉が続く。声をあげようとするシンジを青葉が遮る。
最低限の仕事はした。子供達は守り抜いた。胸を張ってあの人に会える。それでいい。
「よって処分を申し伝える」「はい…」
日向は次の瞬間に下される自分の運命に堂々と身をさらした。
だが。
「日向二尉を謹慎10日と減棒18ヶ月に処す。並びに謹慎明けより三尉へと降格。
なお、曲がりなりにも適格者の安全の確保を図った点を考慮し、以後の追及は行わない。立件も見送らせる。以上」
「………は?」
冬月の発表に、周りのみならず…当の日向が首をかしげる。
…軽すぎる…。
「以上…ですか?」「以上だが…何かね?」「…いえ」
物足りないならもう少しきつくしてやろうかとでも言いたげな様子に日向は口ごもる。
ただ…次の言葉は更なる衝撃だった。
「作戦部長がああいうことになった後だ。彼女の補佐を務めていた君の重要性は増している。
謹慎明けからは“ 臨 時 作 戦 部 長 代 理 ”だ。自分の置かれた立場を自覚し、今後の仕事により一層勤めることだな」
「……はぁ!!!???」
発令所の全員が声をあげた。ろくな処分が下されないばかりか…出世!一体何が起こったというのか。
一際大きい日向の声に、流石に冬月がじろりとにらむ。
「…あくまで“臨時”で“代理”だ。肩書きが変わっただけで給料は変わらん。発令所での職務もこれまでと同様に行いたまえ。
…何か不満でもあるのかね」
「い、いえ!寛大なご処置、ありがとうございます!」
日向が腰を深々と下げる。冬月はその様子にため息を一つつき、発令所を後にした。
扉が閉まると共に…。
「うおぉい!やったなぁ!」「あんだけのことやっといて出世かよ!」「日向さん…僕は…僕はもう駄目かと…!」「良かったわね、日向君!」
発令所の皆が日向へ殺到する。沸き立つ皆を見ながら…リツコは無表情のまま姿を消した。
皆に揉みくちゃにされながら日向は悟った。ゼーレに対する認識の大きな間違いを。ただ、今それはどうでもいいことだ。
「出世して仕事は増えたくせに安い給料、更に削られちゃったよ。NERVは本当に上手く人を使うよなぁ!」
そう言って日向は笑った。



63: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 19:16:47 ID:???
「え~…では俺達に多大な迷惑と心配をかけたくせに帰ってくるなり出世しやがったぁ…日向作戦部長代理に乾杯!!」
『乾杯!!』
もう何度目か分からない乾杯の音頭をもう相当に出来上がった青葉がとると、皆がそれに唱和し、あちこちでグラスが響きあった。
『“臨時”が抜けてるって』と日向が喚くと『臨時のかんぱ~い♪』ともう一度コールが起こった。
第三新東京駅近くの大衆居酒屋の二階の座敷はほぼNERV職員で埋め尽くされ、貸切状態だった。一応『日向の生還&出世&降格を祝う』という名目だったが。
皆が同じ時間に抜けてこられるわけではない。誰かしらが新たにやってくる度に乾杯は行われ、その度に青葉はジョッキの中身を飲み干すのでもう潰れかけている。
相当に嬉しかったらしい。それは彼に限ったことでもないが。
一連の騒動で皆ストレスが溜まって、発散のしどころを求めていたのだろう。ここぞとばかりにはしゃいでいる。
店の隅ではシンジとレイが女性職員らのおもちゃにされていた。マヤが二人は付き合っていると口にすると黄色い声が一段とトーンを増した。
皆に囃し立てられ、シンジが真っ赤になりつつもそれを認めると騒ぎはさらに酷さを増していく。わずかながら残っていた他の客が眉をひそめて階下の席へと移った。
内閣から、一般大衆まで。こうしてNERVは評判を落としていくのだ。
「もう俺の出世祝いとかいう空気でもないなぁ」
苦笑いしながら日向はグラスを傾ける。怪我に響くのであまり飲んでいない。外からでは分かりづらいが…実は何本か骨もやられている。この宴会は痛み止めを使っての参加だった。それでも楽しそうだ。
男の職員達がそんな日向に絡み始めた。
「なんだぁ祝って欲しいのかぁ?」「このクソ忙しい中いなかったくせに、ようやく帰ってきたらまた10日も休みもらいやがって…」
「謹慎だ!その間収入が無いんだ!ただでさえ減らされた給料が!」「知るか」「何するんだこの10日」
「メガネを買う」「それだけかよ」
「あのなぁ、その10日は作戦部長の仕事を覚えろってことで与えられた猶予期間だろ?このまま明日からって言われてたら使い物にならなかったよ」
「10日で使い物になんのか」「うるさいな!」
「つーことは…アレか。お前、赤木さんと同列ってことになんのか」
誰かがポツリと呟いた。その言葉にみんな黙り込んだ。

65: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/12 19:17:34 ID:???
嬌声の中から戻り、楽しそうに席についたばかりのマヤの顔色が途端に曇ったことを日向は見逃さなかった。
「…肩書き上はな。あの人と対等に口聞こうとは思わないよ」
「作戦部長の力でなんとかしてくれよあの人…。おかしぃんだよこの頃…」
「だから“臨時”で“代理”だって!」
何とか冗談に持って行こうとしながらマヤを伺う。マヤはグラスを握り締めじっとテーブルを見つめたままだ。そのときまた店の隅が騒がしくなった。
「まだ早いじゃない!」「もうちょっといなさいよ♪」「いえ、もうそろそろ…」
シンジ達が帰るところだった。日向は二人に声をかける。
「遅くまで悪かったね!気をつけて帰れよ!!」「はい、ありがとうございました日向さん!!」「…ありがとうございます」
日向の声に答え、もう少しいろと言う職員らに頭を下げ、二人は階下へ降りていった。
「…子供だけで帰らせていいものかなぁ…」「あ、じゃあ私送ってきますね!」
“誰に向けるわけでもなく”日向が呟く。するとマヤが立ち上がり、二人を追っていった。
…どうやらこの居心地の悪い空気から脱出できたようだ。
「…気ぃ使えよ」「…悪ぃ」
他の職員に小突かれ、リツコを批判した男が神妙な顔で頭を下げた。そうして彼らはそれぞれの話題に戻っていった。
「……」「…実際今、おかしいんだよなウチ」
マヤがいなくなるのを待っていたかのように日向の隣でテーブルに伏せっていた青葉が顔を上げた。
「赤木さんの独裁っていうかさ…やたら雰囲気が悪い」「…そんな感じはしたな。この場にもいないし」
日向がグラスに焼酎を並々と注ぐ。青葉はあごをテーブルに乗せたままだが真面目な顔で日向を見た。
「お前の処遇にしても…変だろ。あんな冗談みたいな扱いで終わりなのか?大体何で出世するんだよ。
気をつけた方がいいんじゃないのか?まだ何か続きがあるんじゃ…」
「無いな。これで終わりだね」
日向はきっぱりと言い切り、グラスを飲み干した。
「ゼーレの思惑がようやく読めた。俺は完全に考え違いをしてたんだ」

156: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 00:49:18 ID:???
…もうそろそろうっとうしくなってきた。
「…これからマヤさんはどうするんですか?」
本部直行列車の駅の前で、僕はついに言葉に出した。マヤさんは…きょとんと僕を見た。
「え?この後、レイを駅まで…」「……」
…やっぱりだ。分かってない。この人はどこまでもついてくる気だ…。
「伊吹二尉。私のことは結構ですからお店に…」「そういう訳にもいかないわよ。年長者としてここはちゃんと…」
「あの…マヤさん。もう戻ってください。綾波は…僕が送っていくんで」「……!」
綾波が顔を上げ、僕を見た。僕も綾波に目線を返す。
「…いいよね?マヤさんにそこまでさせるのって悪いだろ?」「…ええ」
釘を刺す。そういう風に言われて嫌とも言えない。
僕はマヤさんを出汁に使って断らせなかった。綾波も…僕の言わんとすることを了承した。しかしまだ僕の意図に気付かない人が若干一名。
「シンジ君、そんなことしなくていいのよ、このまま部屋に戻ってくれれば…」
まだ気付かないのか…。
「…そういうことじゃなくて…」
「え…?」
マヤさんはしばし、僕らの顔を見比べ、そして「…あーあーあー!」と思い切り納得した。
「ごめんなさい!私全然気が利かなくて…。ずっと二人っきりになりたかったのね…!?」
「……」「……」
どこまでも気が回らない人だ…。そうはっきり言わなくても…。
「え、えっとぉ…。ちゃ、ちゃんとレイを送ってあげてね…。それじゃ…お休み…」
顔を真っ赤にし、マヤさんは慌てて駆けていった。…お酒のせいだったんだ。そうに違いない。
マヤさんがすぐ後で『…って送らせちゃって良かったの!?レイ一人暮らしなのに!?』と慌てていたことは僕らは知らない。
「…駅まで送るよ…」「…ええ」
僕らは…駅へと向かった。
少しだけお酒を飲まされた。おいしいとは思わなかったけど…。少しふらふらして…気が大きくなってる気がする。だから…みんなの前でああいうことも言えたし、綾波を送るなんてこともやれてる。
けれど…綾波と手を繋ぐ…そこまでの勇気は無かった。
それでも僕は苦労して…久しぶりに綾波と二人っきりになった。

160: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 00:56:36 ID:???
二人で繁華街を歩く。人は…週末なのにそう多くない。こういう所は良くも悪くも人の思いののるつぼだから…これこそが本当の情勢をなのかもしれない。
綾波は僕の前を黙々と進んでく。沈黙が怖い。だから…とにかく喋る。
「日向さん…変なことにならなくて良かったね」「うん…」
「ごめんね…急に呼び出したりして…」「いい。私も…気になってた」
「楽しかったな…。久しぶりに思い切り笑えた気がするよ」「そう…良かったわね」
「綾波は…ああいう騒がしいの嫌いだった?」「…得意じゃない」
「そう…」「でも…嫌いじゃない…私はああいう風には自分を出せないけど…。皆が…誰かの無事を心から喜び…祝福している場にいることは…不愉快なことじゃない」
綾波と…久しぶりにちゃんと喋れてる。それなのに…もう…もう途切れた。喋る内容が…。
…本当に人と話すのが苦手だ…。後は…こんなことぐらいしか出てこない。
「付き合ってるとか言っちゃって…余計なことだったかな…」「別に…」
「まだ…付き合ってるのかな…」「…碇君がそう思ってるなら…そうだと思う」
駅に着いた。綾波も僕も止まる。今日は…お別れだ。
「…綾波…ごめん」「……」
「ごめん。…それしか言えない」「……」
主語はない。けど何のことか言うまでもない。
「嬉しかった…来てくれて…僕のためじゃないだろうけど…。ずっと…喋りたいと思ってたんだ。謝りたいと思ってたんだ」
「……。二…三尉のこともそうだけど…理由はそれだけじゃない…」「え…」
「私も…話したかった」「…そう…」
自分の…ままならない言葉に腹が立つ。何か…今の思いを伝えたいのに。許してくれた訳じゃないのかも知れない。けど…つかえてるものが少し楽になった。
「…それじゃ…また明日…」「送って…くれない?」「え?」
「…駅までじゃなくて…家まで…送って行って…欲しい…」
「……綾波……?」
「…今度は……泣いたりしないから……」
“ゴォォォォォォ…!!!”
列車が駅に入っていく。この電車だけど…乗れそうにない。
「…とりあえず…次の電車だね…」「…うん」
「…切符買ってくるよ」「…180円」「…分かった」
券売機へと走った。急ぐ必要ないのに。財布を取り出すついでに尻のポケットを探る。まだ…“それ”は入ったままだった。

178: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 07:07:35 ID:???
「認識にかなりの温度差があったんだ。俺らが思ってたほど連中はマジじゃなかった」
日向が話し始めると職員達がスッと周りからいなくなった。
「連中は少しくらい嗅ぎ回られたって気にしない。視界に入れば潰すだけだ。常日頃から周りに特に気を払ってるわけでもない」
「加持さんは?あの人はそうそう尻尾を…」
「あの人は碇司令とも日本政府とも繋がってたし、立ち回り方が極めて上手かった。
たった一人でも充分に脅威に値した恐るべき“一個人”だ。例外中の例外。今持ち出す話じゃない。
ゼーレを探る者はいくらでもいる。それを一々消して回ったのではキリがない。だから彼らは気にしない。
寛容…?違う。
そ ん な こ と 気 に す る 必 要 も な い く ら い に 強 大 だ か ら だ 」
遠くでまた乾杯が始まったが…今度は青葉は参加せず黙ってジョッキを握り締めている。
「だからといって見逃すわけじゃない。探しはしないが気付けば潰す。葛城さんはドン臭いから気付かれ、粛清された。
やると決めたら半端はしない。葛城さんはおろか、彼女と繋がりの深い適格者にまで手を伸ばした。将来的に敵に回る可能性も捨てきれないからな。殺すつもりだったかどうかは分からないが。
にもかかわらずゼーレは方針を変え、適格者を狙うのをやめた」
「何故?」
ここで日向は楽しそうに…痛快そうにニヤけた。
「俺達が鈴原君以外を“一人残らず”かっさらったからさ。
葛城家は徹底的に荒らされた…しかしレイの家はどうだ?何事も起こってない。分かるか?
“レイは初めから対象ではなかった”んだ。最初から全員を処分する気は無かった。1人は残しておく気だったんだ。
当たり前だ。適格者を全て粛清してしまっては使徒に対抗できない」
「…しかし残すはずのレイまでもが姿を消し…流石に慌てた」
「そんな事情なんて知らなかったからな。ざまぁみろ!出し抜いてやった!
居場所が分からない。この状態で使徒が来たら…!適格者の粛清は何も無理してまで行うことじゃなかった。だから方針を変えたんだ。安全を確認し、俺達が自分から出てくるように対応を変え…。
…安全を確信できたのはギリギリだったけどな。すぐにあそこがNERVにばれた。あのままだと俺達は…」
今思い出しても震えが来るのか、日向はやけくその様に焼酎をあおった。

179: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 07:08:47 ID:???
「なら…今もまだ危険は残ってるってことか?」
青葉がその可能性に気付く。その通りだった。出てきた以上、もうその方針を維持する必要は無い。しかし日向は特に心配するでもなく更に焼酎を注ぐ。
少し…ペースが早すぎる。
「そうだけど気にしたところで仕方がない。連中がその気になれば防ぐ方法なんて無い。開き直るしかない。
それでもしばらくは大丈夫だろ?連中、特に切羽詰ってるわけでもないし、誰かがもう一度危険な真似をしない限りこのままさ。
あの子達が狙われたのは葛城さんのついでに過ぎないし…パイロットは貴重だ。残せるものなら残した方がいいに決まってる」
考えても解決しないことは考えない。ミサトのような大雑把な割り切り方だった。しかし青葉はそうまで割り切れず、色々と悩む。
「ならなおのこと1人いればいいという考えは…」
「それはアスカをドイツに帰そうという動きにも通じる話だ。何か奥の手を持ってるんだろうな。それを補えるだけの。しかし今ここで考えたって分からないよ」
「レイを残すことにした理由は何だ?純粋に戦力として計算するなら今はシンジ君だろう」
「葛城さんとの繋がりは浅いと判断したのか…はたまた個人的な感情移入か…もしくは何か想像もつかないような重要性を持っているのか。どの道俺の知ったこっちゃない。
あぁ…酒、おねぇさんお酒…!」
日向が階下の店員を呼ぶベルをリンリン鳴らしまくる。酔っているにしても…雑。あまりに雑すぎる。
「何にせよ…うちの人間でないと判断できない部分があるな」
「あぁ…判断の指針となる情報はうちの人間が出してるのは間違いない」
「司令か?そう考えるとレイにこだわる理由が分かるんだが」
「…自分の息子の粛清を容認したとは考えたくないけどな」
「リツコさんは?」
「はっ!あの人はゼーレの決定を左右するような立場にはいないよ。ただ尋ねられたことには全て答えただろう。葛城さんのこともな。薄情な女だよ全く!
そういった情報を合わせて、ゼーレが総合的に判断したんだろ」
酒がやってきた。日向が飲む。飲む。飲みまくる。

180: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 07:10:42 ID:???
「お前の軽過ぎる処分や出世は?」
話が自分のことに及ぶと途端に日向は首を傾げた。
「俺に関しては…多分どうでもよかったんだろう。脅威じゃないから殺しても殺さなくても。その場合“念のため”ってことになってたんだろうが…。正直分からない。不思議だ」
「…副指令辺りが口添えしてくれたんじゃないのかな」
「え?」
青葉はふと頭に浮かんだ仮説を照れくさいながらも口にした。
「『純粋に人手が足りない』とか上手いこと言ってさ。あの人は…善人ぶるのを嫌うけど本来正義感の強い人だからな。死ななくてもいい人間が死ぬのを見過ごせなかったんじゃないのか?自分の一言で助かるものならってさ。
臨時作戦部長代理への抜擢は…まぁこういう状況だから余計な責任背負わされるのをみんな嫌がった結果だろうけど…期待の表れじゃないのか?見込みのある若者への」
「見込み…ね…」
少し前向きすぎる説のような気はする。しかし処分の発表のときの冬月の様子を思い出すと…それが正しいような気がした。
「…先走り故の幸運と、悪党のきまぐれと、ほんの少しの善意で…俺は今こうしてられるんだなぁ」
奇跡以外の何物でもない“今”。日向は今自分を包んでいる全てが特別なものに感じられた。
「どうする…?まだ続けるのか…?」
青葉が神妙な顔で尋ねる。日向もまた、その質問に真顔に戻った。
「…。いや。連中の判断は正しい。『こいつは一人じゃ何も出来ない』って…その判断は。
子供達を隠した施設にしたって戦自とのコネにしたって俺の用意したもんじゃない。加持さんやミサトさんが残してくれた物だ。俺一人じゃとても…。
ミサトさんの指示の下ってんならともかく…俺一人でおっかけるにはこの相手はきついよ。タフ過ぎる。能力的にも精神的にもな。
正直今、ホッとしてる。後悔もした。俺にヒーローは荷が重い。
こんな奇跡は二度はない。…ここでやめにするよ」
「いいのかよ…」
「…中途半端には違いない。悔いも残るが…ミサトさんがゼーレにちょっかいかけたお陰であの子達は危険にさらされた。俺がここで安い復讐心や正義感で連中を追い続けてまたあの子達に危険が及ぶんじゃ本末転倒だ。次は無い。
あの子達を守る。俺に出来るのは…せいぜいそのくらいの事だよ」
酔っ払いの戯言にしては重たい言葉を日向は堂々と言ってのけ、更に更に焼酎を飲み進めた。

181: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 07:17:25 ID:???
「あー…どうしよどうしよ…!」
マヤが戻ってきた。二階に上がるなり両手をバタつかせて挙動不審。チューハイを渡され、それを飲み干しマヤはようやく一息ついた。
「どうしたの?」「今、送っていったら…『僕が綾波を送る!二人っきりにしてくれ!』って怒られて…」
その証言に女達が金切り声を上げる。若干、ニュアンスが捻じ曲がっているが…まぁ概ねその通りではあった。
「あの子一人暮らしなんじゃないの!?」「何かあったらどうするの!?」「な、何かって何!?」
未知なる“何か”に思いを馳せるとマヤの頭に更にアルコールが回る。
「そうかぁ怒ってたかぁ」「まぁ確かにねぇ…」「なんか仕方なく付き合ってるって認めたみたいだし」
「あぁぁ!そう言えばばらしたのも私だった…!」
マヤは頭を抱えて身をよじり、またも不審な動作に興じる。傍から見ているの何かの新興宗教のようだ。
「いい大人がはやしたてたりするからだろー」
青葉が野次ると途端にマヤが睨み返してきた。
「いいじゃない、あの子達の周りに子供の友人を用意してあげられないのは私たち大人の責任よ。だったらその分を私達が補なってあげないと!」
「そうそう子供のレベルに合わせてやらないとね」「仕方無しによねー」
自分達が子供であることの言い訳にしか聞こえなかったが、女複数に口論を仕掛けるほど若くも酔狂でもない青葉は憮然として座り込んだ。
「…マヤちゃんには話さない方がいいな」
「ああ…巻き込んどいて悪いが彼女を引き込んだのは失敗だった。彼女を通してリツコさんにこっちの動きが筒抜けになった。
本人には言わないけどさ。また気にするからな。私のせいで、私が先輩を止められてればって」
「向いてないんだよ。仕方が無い」「それは俺もお前も同じだよ」
その通り。青葉は笑って温くなったビールを飲み干し、次を注文した。
「しかしあの二人付き合ってたのか。分からないもんだなぁ」
「俺も地下で聞かされてさ。驚いた。けど空気が悪くてなぁ…。三人でド修羅場作ってる中に放り込まれて…俺、逃げ出したよ」
「なんだアスカも“そう”なのか?彼氏がいるとかって話じゃないのか?」
「…色々あるんだよ」
自分の恋愛に照らし合わせてみる。
「本命いるのに男作るってどういう心境なのかね…」
消えない恋心の残滓と共に、日向は焼酎を飲み干した。

350: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 17:02:41 ID:???
マンションの前…。そこには黒い車が停まっている。
「…あ」
「……」
NERVの車。車外でタバコをふかしていた男が、私達を見ると慌てて車へと戻った。
「……」「……」
嫌な感じ。水を差されたような。碇くんも同じらしい。顔をしかめている。
「…嫌だな…ああいうの」
「……」
…変だ。ガードがあんな風に私達の前に無防備に姿をさらすわけが無い。私達のガードではない…?それとは別の…?
二人で階段を上る。鼓動が…高鳴っていく…。これから…。私は…碇君と…。
部屋の前。とうとう…私は…私達は…。
「…綾波…?」「…うん」
私は鍵を差し込んだ。が。
「…?」
開かない。鍵は…逆に閉まった。
「綾波いつも鍵かけてないじゃないか」
碇君はそう言って笑ったけど…あの事件以来外出時くらいは施錠している。…鍵をかけるのを忘れたの…?
再度鍵を開け、私は…おそるおそるドアを少し開いた。
「…あれ?」「…!」
…心臓が止まりかけた。ドアの間から…明かりが漏れている。
「…電気…消し忘れたの?」「……」
そんなわけない…私は碇君が来たときぐらいしか明かりをつけない。電気をつけたのは私じゃない。
誰か…中にいる。
まさか…まさか…。どうして…ずっと来なかったのに…何の連絡も無かったのに…。
私は…静かにドアを開ける。
玄関には…靴が置かれていた。几帳面につま先は玄関に向けて揃えられている。これは…。
「…して…」「え…?」
「どうして…」
どうして今日なの?
その大きな靴は…あの人のものだった。

393: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 17:34:22 ID:???
「帰って…」「…え?」
ドアを閉めると、綾波は振り向きもせずにそう言った。
「今日は…帰って…」
呆気に取られる。そのあんまりな言葉に僕は流石にむっとした。
「…何でだよ」「…今日は…駄目になった」
「そんな…綾波の方から…」
もう…収まりが効かない…。僕は強引に扉を開けようとしたけど、その前に綾波が立ちふさがって…。
「…あ…」
玄関に…靴が置かれてる。綾波のじゃない…男物の革靴。綾波が体ごと押し込んで扉を閉めた。
「…誰か来てるの…?」「……」
「…おかしいじゃないか。それを知らなかっ…――!!…こないだの続き…!」
僕は綾波の手を掴んで走り出そうとした。けど…。
「違う…!」「え…?」
「…そうじゃないの」
「…そうじゃないなら…一体…。…―!」
喋ってて分かった。部屋に勝手に上がりこんで…綾波がこんなに慌ててて…。そんな奴一人しかいない。
「…アイツなんだね」「……」「アイツが今…中に…」「……」
返事がない。そういうことだ。
「…帰ってもらってよ」「……」
「…そうだろ。帰るんなら僕じゃない。こんな…いきなりやってきて勝手に上がるような奴…僕らは…僕は…これから…。君を…」
正論のはずだ。僕の言ってる事は間違ってないはずだ。帰るなら…あいつの方だったんだ。
なのに綾波が選んだのは…。
「…お願い…帰って…」
僕じゃなかった。

396: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 17:35:44 ID:???
「…結局…そうなの…?」「……」
「僕のこと…大事だって言って…結局…アイツが来たら…僕じゃなくて…」
「碇君…私を…私のことを少しでも好きだと思うなら…帰って…!」
僕は綾波の胸倉を掴んだ。拳を振り上げた。綾波は…目を瞑ったけど防ごうとも避けようともしない。
「何を…」「…殴ってくれていい…」「何を勝手な…」「殴ってもいいから…今日は…」
そう言って…綾波は涙をこぼした。僕は…手を…離した。
「…今日は泣かない…そう言った…よね」「……」
「…そうだよね。…それしか綾波は約束してない…。それさえも…守ってはくれなかったけど」「……」
「…確かに…家まで送ったから」
「碇く…」
僕はその場から走った。綾波がまだ何か言っていたけど…階段を駆け下り、マンションを出て…黒服たちが驚いてたけど…振り向かずにとにかく走った。蒸し暑い夜だったけど…走って走って…走り抜いた。
苦しい…心臓が…肺が…。けれど…この胸の痛みは…。その区別がつかなくなるくらいまで…僕は走った。
足が動かなくなって…ようやく止まった。
「はぁ…はぁ…はぁ…!!!」
汗が滝のように流れていく。シャツが身体に張り付いて…気持ち悪い。
僕は…ポケットからコンドームを取り出し…投げ捨てた。

「遅かったな」
中にいたのは…予想通りの人だった。
「玄関先で何をしていた」「…何故いるんですか?」
「…一緒にいたのは…シンジか」「……」
ベッドに腰掛けたまま…司令が私を見上げた。

418: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 17:47:08 ID:???
「何故シンジだ」
司令が私に答えを迫る。
「私の代わりか…」「…違います」
「私が長く構わなかったことに対するあてつけか」「……」
「もう抱かせたのか」「…まだです」
「今夜抱かせるつもりだったのか」
「やめてください…何をしに…いらしたんですか…」
「…日向二尉が戻ったことは知っているな」「…三尉になると…聞きました…」
「これから情勢は更に複雑さを増す。先のような行動を許すわけにはいかん
レイ。これからは私と住むんだ」
「……!!」
…そんな…そんなことになったら…もう…碇君とは…。
「そうすれば私がお前を守ってやれる。もうお前にさびしい思いをさせずに済む。シンジでそれを紛らわす必要も無くなる」
「違います…!碇君はそんなんじゃ…!」「違う…?ならばなんだ…?」「……」
「私と住むのが嫌なのか…?シンジのことは…本気だとでもいうのか…?」「……」
…答えられない。本気ならば答えられるはずなのに…。
「…人生において…本当に欲しいものが手に入ることは稀だ。だから人はそれによく似た何かで我慢し、自分を誤魔化す。
シンジは私に似ている。私の弱さをそのまま受け継いでいる。受け継ぐ必要の無いところだけを。
だがレイ…。お前の欲しいものはここにある。…まがい物で自分を慰めることは…ない」
「……」
涙があふれる。けど…この涙は…何?喜び…悲しみ…?
『あんた人形じゃない!』
惣流さん…。
『あんた司令が死ねといったら死ぬんでしょう!』
私は頷いた。けれど…それは嘘。
前はそうだった。そう言い切れた…。けれど今はそう出来るかどうか分からない。私の中に…もう一人…もう一人の人がいるから。
その人は…私自身を好きだと言ってくれている。手に入らない他の何かの代わりかもしれない。けれど…本当の私を見て…好きだと言ってくれた…。
だけど…この人は…私など見ていない…。それなのに…。

421: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/13 17:48:10 ID:???
「…さみしい思いをさせたこれからは私にお前を守らせてくれ…。
愛している…レイ」
駄目だ…この言葉を言われてしまったら…。この人の偽りの“愛”が…私を縛る。
手が私の頬に伸びる。その手が首筋へ。肩口へ。制服を慣れた様子で下ろし、片手でブラウスのボタンを外す。
「レイ…弱い私を…支えてくれ…」
この人は…優しい。碇君よりも。私が知る誰よりも優しいし、今からはいつもよりも更に優しくなる。
そして…今からどんな時よりも残酷になる。
私の名を…呼ばなくなる。
私じゃない人の名を呼び、私に違う呼び方で自分のことを呼ばせる。
司令は露になった私の乳房に顔を埋め、幼子が母を呼ぶかのようにその名を呼んだ…。
「…ユイ…」
「…あなた…」
そして私は“ユイ”になる。私はどこにもいなくなる。司令が私を抱え、ベッドへと押し倒す。何度も繰り返された慣れたその手付きで…私はほどかれていく…。
「…ん…ぁ…」「ユイ…!」
もっと早くに…碇君に抱かれていれば良かった。もっと早く…彼の物になっていればよかった。もうそれはかなわない。これからは…この人がそれを許さない。
これは…ままごとだ…。自分のお気に入りの名前をつけた人形で遊ぶ…。人形遊びだ。この人は…自分のおもちゃが誰かの手に渡るのを許しはしない。
私には彼を愛する資格は無かった。
私には彼に愛される資格は無かった。
惣流さん…貴方の言う通りだった。私は貴方よりなお卑しい…。
私は…人形。この人にもてあそばれるだけの…ただの人形。

639: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 01:58:34 ID:???
「ほらしっかりしろ!」「うぅ…優しく…アバラが…」
日向が引きずられていく。青葉は自力で歩いているが…目は焦点が合っていない。いつ“ぶっかけられる”か分からないため彼の前には誰もいない。
マヤが笑いながら先頭を行く。
「NERVが何だ~♪先輩が何だ~♪パイロットが何だ~♪」
放っておいたらどんな機密でも喚き散らしてそうだ。
発令所の原動力たる三人が揃いも揃ってこれだ。今、使徒が来ると人類はちょっぴりまずい。神様お願い。今夜のところは勘弁して。皆そう思った。
まぁ“使徒”な訳で“神頼み”はそう注文の持って行き所が違うわけでもない。
通りでタクシーを拾い、住所だけ告げて運転手に後の面倒ごと押し付ける。
「こ、この人吐かないだろうね!?」「こいつ財布…あ、お金先渡しときます」
「補完計画が何だ~!…補完計画って何なのかしら?」「この子マンションの前に放り出しといてかまいませんから」
「き、気持ち悪い…」「は、吐くな!?中に吐くなよ!?そ、外に…ぎゃぁぁあぁ!!!!」
大騒ぎしながら車は出て行く。残る“荷物”は日向のみ。
「…悪いな…面倒かけて」「まさか今夜の事だけ言ってんじゃないだろうな」
「へへへ♪」
「俺らに出来ることも限られるだろうが…まぁ何かあれば頼れや。どうせお前みたいな凡人一人であの天才の開けた大穴なんか埋まりやしないんだから」
「ははは…それじゃ遠慮なく」
日向は自分の足で車に乗り込んだ。
「じゃあな」「おう」「日向君…お帰りなさい」「お疲れ様」
所員らに見送られ、タクシーは発車した。
「…いい奴らだなぁ」
座席からずり下がりながら日向は呟く。
「一人で…抱え込まなくてもいいんですかね…」
もういない人に尋ねてみる。答えなど返りはしないが。
この感慨は次のカード代金の請求書が届くまで続いた。
日向は知らない。皆が何故優しかったかを。
日向は知らない。飲み食いした一切の代金が自分のカードで支払われていたことを。

アパートの前でタクシーは停まる。料金を払い、千鳥足で階段を上る。
「…?」
部屋の前に誰か座っている。アレは…。
「…随分とご機嫌じゃないですか」「…や。元気だったかい?」
勝手に来て、勝手に待たされたくせに…アスカは理不尽にも日向を恨みがましく睨んだ。

648: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 02:55:12 ID:???
「散らかったとこだが…」
日向は頼りない手付きで鍵を探る。
「いえ、顔見に来ただけで…」「そう言うなよ。このまま帰したら気の利かない奴みたいじゃないかぁ」
ろれつの回りはかなり悪い。
「さ。どぞ」「……。う…!」
言うだけあり確かに床も机もこれ以上なく散らかっていた。そう、アスカ達の家と同じく…。
「日向さんも…」
「漁られる前と変わってないっちゃ変わってないんだけどね。正規の手順踏んで令状持ってやってきた分、君らの家ほど酷くはないだろ」
さして気にしてないような口ぶり。確かに火を放たれたり壁や床を破られたりしていない分、マシといえばマシと言えるのかもしれないが…。
「コーヒーぐらい出すから…」
足の踏み場もない中に、日向はフラフラと踏み込んでいく。アスカは相当に躊躇したが…むしろ今の日向をこの中に放置していくことの方が心配だった。
履くにも脱ぐにも手間のかかるブーツを無理矢理取り去り、中へ上がると台所から日向を押し出す。
「コーヒーなら私が入れますから座ってて下さい」「いや僕の手並みっていうのはなかなか…」
「酔っ払いは座ってろっつってんのよ!」「はい」
怒鳴り散らされ、日向は大人しく書類を散らされた床に座る。
「…ったく…コーヒーったって…」
まずそのコーヒーを探すところから始めなければならない。勝手の違う台所でなおかつガサ入れを受けているとなれば尋ねても仕方がない。事実、フライパンの上に醤油差しが置かれている有様だからだ。
とにかく湯を沸かす。その間に見つかることを祈りつつ。
「くそ…何で私がこんな…」
愚痴りながら流しの下をかき回す。後ろでは日向が機嫌よく鼻歌を歌っている。
『ぺぇがさすふぁんたじぃ…♪』
何故今星矢なのか?その選曲と下手さが更にアスカをイラつかせる。
“ピィ~~…”
やかんがアスカを急かす頃…ようやく発見。が。うんちくを垂れた割に…。
「こんなもん手並みもクソも…!」
苦労した末に見つけたそれはインスタントだった。挙句に後ろからは
「コーヒーいい…やっぱ水…」「コーヒーよ!!」
水ならバケツでぶっ掛けてやりたいところだったがもはや飲ませなければ終われない。これ以上なくコーヒーな濃さのそれを入れ、振り向くと…。
「出来―…な…!?」
日向は紙の束の上に寝ていた。

667: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 03:42:39 ID:???
「起きろ…起きろ~!!」「う~ん…」「あんたが言うからコーヒー入れたんだから!!飲め~!!」
喚こうがゆすろうが日向は唸るばかり。蹴りの一つも入れてやろうかと思ったが…。
「…!」
シャツの端から痣と包帯が覗く。よく見れば顔も…腕も…全身青あざだらけだ。戦自で…相当な目に合わされたのだろう。
「……」
カップをテーブルに置き、自分もまた座り込む。メイクにも服装にも気合の入ったアスカの成りはその散らかった部屋には随分と場違いだった。
シンジから日向が帰ってくると聞かされた時、アスカは会いに行くことが出来なかった。その後の成り行きが怖くて。愛する者を私に殺され、そして自分もまた命を落とそうとしている者に会う勇気はなかった。
日向が助かったという連絡で行かなかった理由は別だ。嬉しかったが、皆が集まり、喜んでいる場に浮いている自分が入ると場の空気が悪くなると思ったから。
だからこっそり会いにきた。随分待たされ、身勝手に腹を立てもしたが…。この様子を見るとそんな思いは吹き飛んだ。この人は自分達が戻った後も…一人で戦っていた。自分達を守るために。
「…本当…きったない部屋ね…」
もはや起こすことも飲ませることも諦めた。日向のために入れたコーヒーをすすりながら部屋の様子を見渡す。どうでもいいが…安い味だ。
この一月回った男達の部屋も似たようなものだったが、中でもこの部屋は一際だった。まぁ彼だけの責任でもないのかもしれないが。
彼の部屋にはそれなりに知性の破片が感じられる。一人暮らしの男の部屋にあるにしては大きい本棚にはややこしい漢字の本が並ぶ。かなりの部分が抜かれ歯抜け状態なのはガサ入れの際に押収されたからだろう。
机の上にも最新型の投影式ディスプレイが置かれているがハードディスクそのものはない。これも没収されたらしい。
後はそこかしこに何やらタレントやグラビアアイドルのポスターが貼られている。いい大人のはずなのに少年漫画の単行本もそこかしこに転がっていて…。
あまり格好のいい男の部屋ではない。しかしハッパと精液とタバコの臭いしかしないあそこに比べたら随分とマシだ。
…いや…タバコの臭いだけはかすかにしている。これは…知っている匂いだ。

668: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 03:44:15 ID:???
漂うタバコの匂いにアスカも吸いたくなる。しかし今は持っていない。
「…この人吸わないわよね…?」
臭いの元を探す。どこ…どこだ?
「あった…」
灰皿が書類の下でひっくり返っていた。吸殻も一緒にこぼれている。これらしい。
「…この銘柄…」
横に置かれた箱にはまだ何本か残っている。それは自分が吸っているのと同じものだ。
「…あぁ…多分これって…」
多分…ミサトだ。その発想はかなりの飛躍と言えたが、アスカは直感的にそう確信した。
たまにタバコを吸う人間の方をうらやましそうに見ていたことがあった。その度にこの女は昔吸っていたんだろうな、と思ったことを思い出した。
そうか…ここでミサトと…。
「……」
アスカはミサトの残したそのタバコを一本取ると火をつけた。ミサトの味わった感覚をわずかながら共有する。
ミサトはどんな思いでこの煙を味わっていたのだろうか。やはりあの…“終わった”後のけだるい空気の中で吸ったのだろうか。あのときのタバコの堪らない心地良さをここでミサトも…。
「…うん…」「え?」
と。日向が寝返りを打った。
「ミサト…さ…?」「……」
…どうやら寝ぼけているようだ。そうか…タバコの匂いで…。
からかってやろう。アスカの悪戯心に火がついた。
「…どうしたの、“日向君?”」
声色を似せたその声…。シラフならば引っかかるわけもないだろうが、酔っ払ってる今ならば…?
「…ここにいるんですか」「そうよ。ここに…」
もういない人間を騙ってのその行為に少し心が痛む。もうやめようと思ったそのとき…。
「…ミサトさん!!」「え…きゃ…!」
眠っていた日向が突然アスカの腕を掴み…引き倒す。続けてアスカの上に乗っかった。
「え?え…?」「ミサ…ミサトさん…」
日向が押し殺すような声でアスカの身体をまさぐる。
『こ、これは…』
よほど物真似が秀逸だったのか、日向がよほど酔っているのか、頭が悪いのかは知らないが…。
日向は自分をミサトだと勘違いしている。

682: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 04:47:29 ID:???
悪い夢でも見ていたのだろう。
貴女が死んだなんて縁起でもない話だ。貴女はこうして今、確かに俺の腕の中にいるのに。
唇を重ねる。馴染んだあの…貴女のタバコの匂いが伝わる…。俺はタバコを吸わないが…この匂いだけは大好きだ。
少し震えている。そうだ。貴女はいつも…あの人を忘れられないんだな。そしてこうしている自分が…。
いつものように貴方を抱き締める。震えは…止まった。
柔らかい…。だが…いつもと肌触りが違う。彼女は…普段こういう素材の服を着なかったのに。
まぁ…脱がせば同じだ。この下にはあの柔らかな肌が待っている。それは変わらないはずだ。
身体に手を這わせる。どこだボタンやらファスナーは…この服はどうやって脱がせるんだ?
彼女自身が協力してくれる。チョーカーに繋がったややこしい紐やベルトをほどき…。
上半身を脱がせる。今日は一段と肌にツヤがある。その代わり…少し痩せたんですか?貴女は毎日頑張っているから。
胸に顔を埋める。あぁ…この感触があれば…俺はまた…どんなものにでも立ち向かえる…。
“むにゅ…”
………。……?
…再挑戦。もう一度…顔を…。
“むにゅ…”
……いつもと感触が違う。いつもは…“むにぃゅうん…”という…どこまでも沈み込む感じなのに今日は…。
「…流石に…胸のサイズまでは真似られないけどさ…」
……何?真似…?
「…迷惑かけたし…嫌いじゃないし…もったいぶるような女の子でもなくなったし…こっちも“その気”にもなっちゃったし…」
……この声は…随分と幼いこの声は…。
おっかないが…。俺は…おそるおそる顔を上げる。メガネをかけてないのでよく分からないが…。これは…。
「…気にしないでいいからさ。
…続けてよ。最後までしちゃって…」
わずかに上気した顔で…どう見ても“貴女ではない”少女が待ち遠しそうに呟いた。

733: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 05:34:20 ID:???
私がシャワーから上がると…日向さんが沈痛な面持ちでベッドの上でうなだれていた。
「…何をしたんだ俺は…」「……」
何をしたか。それはシーツの染みが全てを語ってる。
冷蔵庫を開けるとビールがあったので一本頂く。やっぱり『EBICHU』。
怒られるかと思ったけど何も言わなかった。そんな余裕は無いらしい。そらそうでしょ。こういうことやらかした後じゃね。
「…シャワー浴びたらどうですか?」「…俺は…俺は一体何を…」
ぶつぶつと呟いて。そりゃショックなのは分かるけどさ。人のこと抱いといてそれはないでしょ。
「…客観的に見て、日向さんかなり酔ってたましたよ。どう考えてもシラフではああはならなかった。
ミサトだって勘違いしてたし。そうさせた私も悪かったし」
「それでも俺は途中で君だと気付いた…!!それなのに…そのまま…!」
日向さんはとうとう泣き出した。…大人に泣かれると…こっちが困る。
「…お酒のせい。それでいいじゃないですか」
「いいわけがない…俺は…君達を守るってミサトさんと約束を…」
「じゃあ守ってくださいよ。未成年なのに飲酒してますよ?」
「え?」
「タバコや薬のときは怒ったじゃない。叱らないんですか?」
日向さんは何を言ってるのか分からないらしく、しばし私を見つめたが…。酒を見て…そしてまたうなだれた。
「俺は…もう君に説教するような人間じゃ…」「私は嬉しかったですよ。日向さんに怒られて」「…え?」
…随分止まっていた…もう殆ど残ってない私の“純”な部分に血が通う。
これは加持さんのときには感じなかったもの…。シンジにだけは…たまに感じてたもの…それが…。
「赤木博士に痛い目に会わされて分かりました。私は誰かに叱られたかった。強引でもいいから導いて欲しかったんだなって」「……」
「シンジにそれを求めてたんですけどね。一番近くにいたし。でもあいつは私と向き合うのが怖いみたいで。
でも…日向さんはちゃんと叱ってくれたでしょ?導こうとしてくれたでしょ?嬉しかった…」
熱い…。耳が…熱いな…。こういうの…。
「好きですよ。日向さんのお説教も。日向さんのことも」
「…からかうのはやめてくれ…」
私の精一杯の言葉を…日向さんは頭を一つ振って否定した。

762: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 05:46:59 ID:???
「からかう?まぁそぅ思われても仕方ないですけど…。
ねぇ…私 ど う で し た ?」
「……」
「ミサトの代わりっていうには色々物足りないかもしれないけどそれなりにいいところも…何よりミサトなんかより若い!」
「責めたいのは分かる…。俺には言い返すことは出来…」
「責めてるんじゃなくて!ねぇ…ミサトの代わりに私でどう?」
「…は?」
日向さんが眉をひそめて私を見る。うん。分かる。分かるわよ。その反応。
でもね。私は本気!
「今!今喋っててそれもいいなって思い出したの。日向さんと私っていうのもどうかなって。ね!?どう!?」「どうって…」
「私ドイツに帰されるかもしれないけど、日向さんが必要っていうなら戻ってくるし。日向さんのために!」
喋ってるうちに盛り上がってきた…。私…今だけは前の私に戻ってる。加持さんなんかにじゃれてたときの…3バカたちとケンカしてた頃の…あの頃の私に。
残ってたんだこんな私が…。楽しい…今…とっても楽しい…!
「…有り得ない話だ」「え~日向さんから聞いた話なのにぃ…」
「俺が君を必要とするって話がだ…」「え~!そんなこと言わないで!」
私の精一杯の言葉を日向さんは言下に切って捨てた。ちょっと不満。
「ね!?酔っ払っててもさ。私のこと…少しはいいなって思ったでしょ?可愛い子だなって思ったでしょ!
さっき私媚びたりしてなかったよ!今もそう!日向さんが言ってた“本当の私”で話してる!
ね?身体に釣られたのは本当かもしれないけどさ!それだけでもなかったんじゃない?だったらさ!
最初はミサトのスペアでいいよ。そのうち私で塗り替えてみせるし!ね!私を囲ってみない!?」
楽しい。楽しくて堪らない。こんなに本当の笑顔で喋るのはいつ以来だろう。いや初めてかもしれない。こんな…こんなときめきは…。
「…君の言わんとする“冗談”が少しだけ飲み込めた」
「“冗談”じゃなくて~…」
「そういう聞かれ方をするならば答えは“NO”だ」
「…え?」
「“身体にしか興味がなかった”。そう答えればこの“悪い冗談”は終わるんだろ?」
日向さんは…私の顔を見ようともしない。

828: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 06:31:29 ID:???
「終わらせないで!」
「君は今誰でもいいんだ。自分の居場所が欲しいだけだ」
「違う!日向さんの言葉は本当に…」
「それはそれで本当でもだ。今はそれを強引に恋愛感情に置き換えてるだけだ」
何よそれ…私がこんなに…こんなに言ってるのに…。何でそんなに否定するのよ…。
「…付き合ってくれなかったらNERVに言うわ!助かったのにまた捕まる!それでもいいの!?」
「一度死んだ身だ。どうなったって構わない。君がそうしたいならそうすればいい」
「…そんなに…私が嫌なの…?捕まっても私と付き合うのは…」
「嫌とかそういう問題じゃないんだよアスカ…。君みたいな子を汚してしまった…傷つけた自分自身が許せないんだ…」
「私はそんな風に思ってない!傷つけられたなんて…!私は…私は…」
「それでも自分が許せない…。あの人への思いはやっぱり…。
期待させてすまない…俺では君の期待に応えられない…」
「そんな…そんな…」
この人も違うの?優しくしてくれたから…心から心配してくれたこの人ならと思ったのに…この人も私が必要じゃ…。
本気だったのに…ようやく本当の私に戻れて本当のこと喋ったのに…。
「アスカ…俺が言うべき台詞じゃないが…本当に相手が好きなら…好きだからこそ身体は簡単に許すべきじゃない。
でないと…区別がつかなくなる。君も相手も…本当の気持ちがどうなのか…」
「…うるさい…あんたの知ったこっちゃない…」
「男に…他人に絶望しないでくれ。全ての男が俺や田宮のような人間じゃ…」
「知ったこっちゃないって言ってんのよ、この淫行野郎!!」
もうこのしょぼくれた男には何も感じない。
服を着る。すぐに着れない造りがうっとうしい。ようやく身に着けても次はブーツ。もうこれ以上この部屋にいたくない。
ブーツを掴んで裸足で外へ。メガネなしのメガネ野郎は何も言わなかった。扉を叩きつけるように閉める。
何だか知らないが涙が出てる。あんな奴のために泣くこと自体不愉快。一体何の涙だ、くそったれ…!大恥かかされた!あれだけの告白させられて…!
やっぱり私にはコウジしか残ってない。バカシンジに何かが期待できるわけないんだから。
あんな女の言うこと信じるもんか。自分で…自分で確かめる。
それで…それで本当だったら…私は…。
卑怯者はずっと…ベッドから下りて来なかった。

873: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 07:31:58 ID:???
アスカの部屋から街を見てる。部屋を移るまではよくこうして夜中に街を見てた。来てすぐで周りに馴染めなくてもこの景色だけは好きだった。
ボロボロになった家に僕は戻った。本部に戻ろうにもバスも電車もない。タクシーに乗れるだけのお金もない。歩いていく気力もない。
何にも…何にもない。少し前まではあんなに…。
足元には逃げるときに荷物を詰めたリュック。アスカは部屋に持っていかなかったらしい。
“ガシャン…”
玄関で大きな音。音はダイニングをリビングを通り…部屋に入って来た。
「…アスカ」「…シンジ!?」
僕にアスカは驚き、すぐに『…嫌な奴に会った』と呟いた。随分と機嫌が悪そうだ。
「びっくりしたよ」「…何してんのよこんな時間にこんなとこで…」
「ごめん勝手に…」「いいわよ、もう私の部屋じゃないし」
「…日向さんのお祝いしてたんだ」「らしいわね。べろんべろんに酔ってたわ」
「え…会ったの?」「……。…んで何でこんなとこに?わざわざ夜景見に来たんでもないんでしょ」
「……」「…お互い言いたくないことがあったようね。いいわよ。聞かないから」
僕はもう一度外に目を移した。アスカは部屋中を漁って何かを探してる。
「何か見えんの?」「街がね」「そりゃそうでしょ」「アスカも見なよ」
「そんなことより…リュック知らない?」「……」
足元にある…これのことだ。
「…見たら教えるよ」「うっとうしい男ねぇ」
アスカは僕の方を向く。そして。
「…あった」
僕の足元でそれを見つけた。
「…見つかっちゃったか」「そんな大層な話?」
そう言ってアスカはそれを担ぐ。
「…それを取りに?」「…中身…いじってないわよね?」「一度も開けてない」「それならいい」
お洒落なカッコしてるのにリュック背負ってるから凄く不恰好だ。立ち上がるとアスカは夜景を少し眺めた。
「…きれいね」「…そうでもないだろ」
夜遅くて大して明かりも灯ってもいない。
「…そうね…やっぱり辛気臭いだけだわ。…それでも…守んなさいよ。この辛気臭い街を」「え?」
「悪いことばっかでもなかった気もするわよ、ここでの生活は。もう思い出せないけど。
ファーストと…仲良くね」
アスカは無理矢理に笑顔を作ってそう言うと…部屋を出ていった。
まるでこれがお別れみたいに。

901: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 08:30:11 ID:???
シンジがバカでよかった。方向性の全くないごった煮状態のかばんの中身を見れば、詰め込んでいるとき相当混乱していたのが分かる。何を入れたか完全に忘れているらしい。
一番奥に手を入れる。それは…ちゃんとあった。
タクシーで街の端へ。土曜の夜。あいつは必ずここにいる。
この街で一番柄の悪い区画。歓楽街。第三新東京市に入るか入らないかのライン。正確には入っているけれど、そんなところにしか住めない人間は本当の意味ではここの住人とは言えない。
NERVの恩恵にあずかる事が出来ず、それでも要塞都市から離れることが出来ない中途半端な連中の吹き溜まりに…そのクラブはある。
地下に作られたその店はとにかく広く、大きく、深い。若者達がとにかく集まってきて、ついでにおおっぴらにできないもののやり取りが行われるところでもある。
入り口に近付くと知った顔を次々声をかけてくる。中には触ってくるものもいる。
「うぉアスカ!」「しばらく来てなかったじゃん!」「おい、俺に付き合うって話どうなったんだよ?」
前だったらシナ作って相手してたとこだけど…バカ臭い。そういうテンションじゃない。とりあえず今は…
「…あいつ来てるわよね?」
「あぁ来てるよ?“土曜”に来ないわけないじゃん、“あの人”が」
「俺らも“土曜だしアスカ来るんじゃねーの?”って話はしてたんだよ、したら」「アスカは“土曜”好きだもんなー。なー♪」
「……」
うっとうしいのがまとわりついてくる。けどこっちに返事をする余裕なし。
「無視すんなよ。返事しろよバカ」「やめとけって」「気ぃつけろよぉ…“あの人”なんかしんないけどにマジでキレてたから」
「…え?」
「すぐ帰るって約束ブチッたろ。んでその後も連絡しなかったろ?けどそれだけじゃねぇよ、あのキレ方」
「あぁ、“シンヤ”もキレてるよ。お前送ってった後、前歯全部持ってかれたし」「来ない方がよかったんじゃねぇの?」
「……」
返事をせずに私は階段を下りていく。身体に…震えが走る。
覚えているんだ。“あいつ”を怒らせたときに何をされたかを、体が。その痛みを。その恐怖を。その屈辱を。
何を…何でこんな覚悟がいるの?自分の彼氏に会うだけなのに。
嬉しさよりも恐怖の方が勝ってる。こんなのって…。

918: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 08:58:43 ID:???
地下のホールではいい曲か悪い曲かも分からないくらいの大音量の中、若い連中が踊り狂っていた。
これがここの表の顔。私も最初はここにいた。けれど一月前からは…この“下”だ。
隅にある見つけづらい階段を下りると、突き当りに扉がある。その前では男達がたむろっていた。ここは一見さんはお断り。
「…久しぶり」
「…おぉ…」「アスカじゃん…」
全員例外なくデカイ。門番代わり。脇の方にはバットだ、木刀だって物が転がってる。もちろんこの中に高校球児も剣道部員もいない。
「…入れる?」「おぅ今日はまだそんな人数来てないし」
一人が中に合図をすると小窓が開く。一言二言交わし、ややあって鍵が開き…
「…気ぃつけろ?今日はかなり“キマってる”…」
「……」
リュックの中のそれを確かめると…意を決し、私は扉を開いた。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
いきなり女の絶叫が聞こえた。
むせ返るような体臭とハッパの匂い。ただでさえ暗い室内はタバコや香の煙でさらに視界が悪い。
床にはマットレスが引かれ、そこに全裸の、もしくは革や縄やらを身に着けた女の子達が大声をあげながら男達ともつれている。
「んぁあぁ!!!んあぁぁぁ!!!」「ひひひひ!!!ひひひひひひひ!!!!!!」
「もっと…もっとぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
男も女もみんなトンでる。
チームアックスが主催するこれは知ってる奴らには“イベント”って呼ばれてて…要は皆で薬やってラリって無茶しようっていう…早い話がただの乱交。
土曜の夜はいつもこう。この間まで私はこのマットレスの上にいた。この間まで…私はずっと土曜を待ってた。
そして奥の…他に比べて明らかに上等なマットレスに“あいつ”はいた。
「おら…どした…鳴け…鳴けよコラ…」
明らかに薬を使われすぎて…何も反応できなくなった私と歳の変わらないような少女を責め続け…
「…違う種類一度に使ったでしょ…」「あ?」
「そういうことしたら死ぬって言わなかった?」
「…何度もよぉ…かわいぃく喋れって言ったろぉ…アスカァ♪」
コウジは…“田宮コウイチ”はそう言ってキレた笑顔で振り向いた。

80: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 16:47:28 ID:???
「脱いで待ってろ。かなりの覚悟で」
言うほどには荒れてなかった。殴られる覚悟はしてたので拍子抜け。ただ…何かを押し殺してるのは感じた。
「コウジ…」「待ってろっつったよ俺は」
「……」
私は脱がなかった。コウジは舌打ちして女の子をまた責め始めた。
「何してたんだよ」「…色々」
「連絡ぐらいしろよ」「…携帯没収されて…不必要なメモリー全部消された…」
「誰に?」「……」「心配したんだぞ、こっちは」「…心配?」
その言葉に鼓動が早まる。少しの嬉しさと…それを遥かに上回る怒りで。
「…心配してたんだ」「そりゃするだろ、大事な彼女いなくなったら」
大事…彼女…。
「じゃ何で一回もかけてこないわけ?」「……」
没収された以後…ほとんど携帯は鳴らなくなった。たまに鳴っても誰から番号を聞いたかも分からないヤリたいだけの連中。
これが私の現状。哀しくなって私は携帯を捨てた。
「…最初の二三日はかけたよ。けど繋がんなくて『あーフラれたかなー』って悲しくてかけれなかった」「…地下にいたから」
「じゃ仕方ないじゃん。俺のせいってかどっちかって言えばお前のせい?」
それなりに…それなりに期待してここに来た。しかしこいつの言葉は全て言い訳で…包み隠そうとする必死さも伝わってこない。
「それにしたって一度ぐらいかけて来ても良さそうな…」「…ウザイ…ウザイよ今日?何なの?何が言いたいの?」
コウジは腰を使うのをやめこっちに来た。久しぶりに向かい合う。顔の右側が…凄く腫れてる。
「酷い…」
思わず手を伸ばす。
「…どしたの?」「触んじゃねー!!質問だけ答えろ!!」
怒号。ホールの連中が行為を止めこっちを見る。止めない奴も中には。怯える心を…無理矢理押し進める。
「あんた…私のこと大事でも何でもないでしょ…だから電話も」「はぁ?」
「女も私だけって言ったくせに…」「本当だよ。前、それですっげ怒られてからはお前しか…」
「今も他に3人と付き合ってる!」「……」
コウジは黙った。…正解…正解だ…残念ながら。
「…いや二人になったし。大体アレは遊びで…本命はお前…」
「簡単に認めたわね」「あ?」
「もうその出来の悪い嘘にはうんざりなのよコウジ…ううん。田宮コウイチ」
“田宮”の顔つきが変わった。

103: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 17:12:51 ID:???
「…誰から聞いた?」
「誰でもいいのよ!弁解しろっつってんの!」
田宮はめんどくさそうに肩をコキコキ鳴らした。
「…あぁ、そうだよ。確かに俺は田宮だし。んでどうしたよそれが」「あんた名前まで騙って…どこまで人を裏切れば…!」
「裏切る…裏切るねぇ…何か話聞いてたら俺ばっか悪者だけど。お前、自分のことはどうなの?」「私が何を…!」
「やりまくってんじゃんお前、誰彼構わず」「…!!」
言葉に詰まる。田宮はタバコを持ってこさせ、火をつけながら続けた。
「知らないと思ってんの?全部耳に入るよ。むしろ報告、義務付けてるし。どんな反応だったかって。
アレだよ、自分のテクが一人よがりになってないかってのはいつも念頭にあるから」
…ちょっと…ちょっと待って…
「あんた…本命じゃなかったにせよ…独占欲だけは…。私に近寄ってくる奴は片っ端から…」
「お前がいる前ではな。その後のフォローが面倒でなぁ…。みんなに嫌われるの嫌だからお前がいるときくらいしかしてないよ、そんなの。つーか根本的な話…。
何 で お 前 な ん か に マ ジ に な ん な き ゃ い け ね ー の ? 」
「……………え?」
「お前薬のことチクっただろ、誰かに」
話が…イキナリ変わった…。
「誰か知らないけどチクっただろ…」「…言ってない」
そういった瞬間…田宮は激昂した。
「だったらなんで殴られんだよ!俺は殴られたんだよ!余計なことすんなって!やり過ぎだって!
 お 前 の こ と 頼 ま れ た 人 か ら ! 」
「……え?」
頼まれ…た…?
「何…それ…?」
「こっちが聞きてーんだよ!なんかイキナリやってこられてアスカってガキがいるから落とせって。頭がちゃんと回ってれば遊んでもいいから他の馬鹿に無茶させずにちゃんと見てろって!
なんで俺がお前みたいなのマジで口説かなきゃなんねんだよ、タイプじゃねんだよ!」
つまり…つまり…。
「あんたなの?」「あ!?」
「保安部が用意した…最低限の護衛って…あんただったの?初めからそのためだけに…近付いたの…?」
「色々よく知ってんなぁ…そうだよ。その通り♪」
その笑顔には…悪びれる素振りさえなかった。

148: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 18:04:11 ID:???
「嘘…」
「“ほあんぶ”は知らねーけど頼まれたのは本当。見返りも魅力だったし最初は可愛く見えたしいいかなって」
「絡まれてるとこを…」「常套手段じゃん」
「最初は全然そんなじゃ…」「やりたきゃ我慢。コレ当然。でなきゃ初めから拉致る」
「ずっと一緒にいようって…」「勘弁しろよ。人生丸ごと罰ゲームかよ」
「お前の痛みが分かるって…」「分かんねーよ、超能力者じゃねんだから」
“君の痛みが分かるとたやすく誓える男に何故女はついていくのだろう。そして泣くのだろう”
前世紀に流行ったドラマの曲のフレーズが蘇る。ドラマのタイトルは…『家なき子』。見事に今の私を象徴してる。
これで全部…全部なくなった。
「さ。すっきりしたとこで気持ちよくなろー♪お前は嫌いだけど顔と身体は好きよ!?も、大好きよ!?」
田宮がいそいそと準備をする。もうリュックの中身を使おうって気にすらならない。事実だったら使うつもりだったのに。
もう何もする気がない。
あぁ…今思うとシンジだけだったなぁ。
下心も打算もある割に全然積極的じゃなくて臆病で、女もいた卑怯者だったけど…。私のこと心配してくれて…欲しがってくれて。何もしてくれなかったけど。
両思いだったのになぁ…何でくっつけなかったのかなぁ。私が悪かったのかなぁ…もう少しおせっかい焼いてくれたらなぁ。待ってたのになぁ。
「薬は?」「いいよ。ドンドンやっちゃって。もう要らないらしいから。終わったら売ろう。組の方で引き取ってもらったらそこそこの額には…」
どうでもいい。薬でトンで楽になるっていうんならその方が。もうシンクロの影響も考えないんでいいんだし。一番きついのを。戻って来れないようなのを。
もういいよ。楽にしてよ。
あぁ…シンジに会いたいなぁ。もう一回会えたらなぁ。もっと素直になって…好きだってちゃんと言うのになぁ。
会いたいなぁ…会いたいなぁ…。

“RRRR…”
誰かの携帯が鳴った。出た奴が眉をひそめ耳打ちする。
「…表に変なのが」「何それ?」「『アスカを返せ』とかなんとか…」「あぁ?」
…誰?
「…とりあえず連れて来て」
まさか…そんなはずない…あんな…あんな根性無しがこんなとこに…。
扉が開く。中に蹴りこまれてきたしょぼいガキは…。
「…アスカ…!」
「…シン…ジ…?」
また…会えた。

334: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 20:35:29 ID:???
腹を殴られ、床に無様に転がるその姿は囚われた女の子を助けに来たヒーローの姿としては絵にならないものだとは思う。でもこの辺が僕の限界。
「…アスカ…!」
「…シン…ジ…?」
鈍痛に耐えて顔を上げると…アスカが半裸にされてた。恐怖も痛みも忘れてキレそうだったけど…体の方は思うように動かない。
「なんなんすかね、コイツ」
更なる攻撃が腹に。僕は声もなくのたうち回る。
「シンジ…!」
絶望しかけて大喜びして、舞い上がって、また奈落へ叩き落されて挙句に…。
『なんて…一日なんだよ…』
悲鳴を上げる腹を両腕で抱え、声が出せないので心で僕はどこかの誰かへ毒づいた。

わざわざ取りに来たリュックの中身について思い当たったのはアスカが出て行ってからすぐだ。
あの中に入っているものでおかしなものと言えば…アレくらいしか思い当たらない。でも…。
勘違いしている可能性は高い。
アスカの様子は明らかにおかしかった。アレを使って何かおかしなことをしようとしてるんじゃないのか?
不安になり、直前に会ったらしい日向さんに電話をかける。
日向さんは『僕は彼女を傷つけてしまった…』と沈んだ声で話した。具体的な内容は話さなかったし、聞かなかったけど。
でも僕がリュックのことを話したら日向さんは血相を変えた。
『今のアスカは何するか分からない…!』「でも…最悪の場合はガードの人が何とかしてくれるんでしょ!?」
『ついてない…』「え?」
『もうアスカにはガードなんか付けられていないんだよ』
それがNERVのアスカに対する姿勢を表していた。つまり…今、見失ったら終わりだ。僕は最低限の準備を済ませてアスカを追いかけた。
夜だ。足もない。タクシーを使うだろうという仮定の元、通りに走ると…本当にいた。ちょうど乗り込むところだった。そのすぐ後からもう一台タクシーが来てくれたのは極めてツイてた。
お金もないのに車を止め、『あの車を追ってください』なんて恥ずかしい言葉を使うことになり…そしてここに来た。
『何を…何をしに来たんだよ僕は…』
蹴られ、殴られ、唾を吐かれ…少なくとも今の僕の絵面はヒーローには程遠いものだった。

355: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 21:02:37 ID:???
「やめ…もうやめて…シンジ!!」
「…『シンジ』ィ?」
理由もなく加えられる暴行に対して私が上げた悲鳴に田宮が反応する。
「やめ―。蹴り方やめ――」
田宮が号令をかけると蹴りの嵐は止んだ。シンジが息も絶え絶えになりながらもこちらに目を向ける。
もう…ボロボロだ。
「あんた…何しに来たのよ…」
「…何って聞かれると…困るけど…こういう有様だから…助けに来たとも…言いづらい…」
…馬鹿なのは分かってたけど…ここまでとは…。
「あ…あんたバカァ!?出来ることがどうか考えなさいよ!」
「…久しぶりだね…そのフレーズ…」
何の余裕か知らないが…シンジは軽口を叩く。見栄なのは分かる。声が恐怖で震えてるもの…。
「…何しに…何しに来たのよ。今更…私がこんなんなってから!こんなんなるまで何もしなかったくせに!
私にちょっと怒鳴り返されたら黙って…それ以上干渉しようとしなかったくせに、何をのぼせ上がってこんなところにまで押しかけて…。
一言だって私がそうしてって頼んだ!?」
矛盾してることを言ってるのは分かる。だけど…。
「…確かに…おせっかいなこと言う割には…口ばっかりで…何もしてこなかったけど…。だから今こうして…そのつじつま合わせに四苦八…げほっ…!!」
「シンジ!?」
咳き込むと共に、床に赤い点が広がった。体の中をかどこかを傷つけたらしい。もう…見てられない。
「あんたに何かあったら私がファーストに殺されるのよ!」
「綾波とは終わった…!」
「え?」
「多分…フラれた。捨てられた。愛想つかされた…。だからって“あの質問”の答えを迫るわけじゃないけど…今の僕には…告白の権利くらいはあるはずだ…。いや…無いかな…」
シンジを小突き回してた連中が困惑したように田宮の方を伺う。田宮はあごをさすりながら黙ってシンジを見てる。
「…帰ろう…アスカ…」
「…え…」
「帰ろうよ…僕らの家に…それでまた…当たり前の生活を…当たり前に送るんだ…」
一気に…目頭が熱くなった。

387: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 21:36:40 ID:???
「はい、その辺で終了ー。二人の世界作られても僕らついていけないからね」
田宮が手を叩きながら割って入る。
「…男と女が込み入った話してんのよ…。“痴話喧嘩”に入ってくんな…」
「そうもいかねー。俺、お前の彼氏だし」
シンジが身体をピクリと動かし、視線を精一杯上にあげる。
「そうか君が『シンジ』君。『バカシンジ』か♪なるほどバカ面だね」
「…?」「何で…」
シンジも私も眉をひそめる。こいつにその名前出したことなんて…。
変な空気が漂ってる。そこかしこで『あぁこいつが…』『どんな奴かと思えば…』とかいう声が。何…何なの?
「不思議そうな顔すんなよ。ほら…お前のシンジ君なら一杯いるぞ。そいつも…ほらそいつも」
そう言って田宮はその辺の奴らを片っ端から指差す。ふざけて手をあげる奴もいるが…どう見てもシンジは這いつくばってる奴一人しか見当たらない。
「分かんねぇ?まぁラリってるときのことだからなぁ。
薬で全部抜けて空っぽになってよがってるとき、お前いっつも相手が誰であれ“シンジ”って呼んでたんだぜ?
“シンジ、シンジぃ!!もっともっとぉ!!”って。寝言でもよく聞いたな」
これほど体が熱くなったことはない。
シンジに聞かれた。薬のことも、たくさんにやられてることも、私の一番深い部分のことも。
私も知らない話だった。嘘だと思いたい一方で…その状態でもシンジの名前を呼んだ自分に満足する。
けれど一番大変なことは…シンジに知られてしまったことだ。
シンジは黙って田宮を睨み続ける。
「じゃあ、ファーストキスの相手っていうのも?」
「やめて!」「ファースト…キス?」
シンジが状況に不釣合いなきょとんとした目で私を見る
「やっぱそうか。保護者の留守中にルームシェアの男の子とっていう話は…こいつかぁ…」
「アスカ…」「…何も言うな…」
シンジとが初めてだったって…シンジに知られた。
「最初はコイツのこと可愛いと思ったからさ。そういう話聞いてやっぱり嫉妬するわけだよ。こいつの初めてのキスってどんな奴だぁって。
やっぱ男ってどっか女に一番乗りしたいとこ持ってるだろ?だからさ。
それからこいつの“初めて”片っ端から奪ってやったんだよ。思いつく限り」
「やめてぇぇぇぇぇ!!!!!」
シンジはやはり黙って田宮を睨みつけてる。

468: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 23:31:36 ID:???
「何かエロいこと言ってみ?得意だろ?多分、君が思いつくことはこの女全部経験済みだよ?」
「やめてやめてやめて!!!!!」
「断っとくけど一度だって強要してない。全部合意の上。大事に扱えって言われてたから。
『好きだから』って言ったら何でも言うこと聞いたし。まぁそれも途中からかなり雑になって、無理矢理だったり暴力振るったりしたけど基本は一緒」
「やめて…やめて…!!!」
「大喜びしてたよ。すんげいい声で欲しがんのコイツ!お前がコイツでシコってるとき、俺コイツにシコられてたの?分かる?」
「やめて…お願いだからもうやめてぇぇ!!!!」
田宮は私の泣き声に興奮したのか大喜びで続ける。しかし。あまりに反応がないためにつまらなくなったのか…シンジを覗き込んだ。
「…感想は?」「…何が?」
「この女の実態について」「今言ったことが?」「そう」「信じない」
「信じたくないのは分かるけどさ。でも事実ってのはいつも厳し…」
「アスカの口から出たんならともかく…お前みたいな馬鹿の言葉を信じる理由がない」
「そういうのって盲信って言うんだぜ?」
「だから何だよ。人にはそういう風に頭から信用してくれる馬鹿が一人くらいいたっていいじゃないか」
何がシンジにこうまで言わせてるのか…想像も付かない。多分…シンジは自分のことを、自分の望みを口にしてる。
「へーそーふーん。じゃー趣向を変えて。
“目の前の辛い現実”を見せてやるよ。こいつとしたことない奴…手ぇ上げて!」
部屋には元からいた連中に加え、外から入ってきて見物をしている奴らが男だけで…20人は下らない。にもかかわらず…。
「え!マジ!?すっげびっくりした!出て来いよ!」
…手を上げたのはたった一人。この結果が…私のここでの全てを物語ってる。
その一人は前に出ると…憎憎しげに私をにらんだ。
あぁ…こいつか。
「『少ししたら帰る』って言わなかったか、お前…?」
「…忘れた」
顔も見ずに答えるとそいつは歯茎をむき、怒りを現した。前歯が…ほとんどない。シンナーとかじゃなく…へし折られたんだ。
「そういえば送ってったらさせてもらうっていう話だったんだよなぁ“シンヤ”は。じゃあする権利あるわけだ」
シンジが小さく『あのときの…』と呟く。
そうだ…こいつがバイクで私を送った。

492: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/14 23:46:34 ID:???
「酷い目に合わされましたよこのボケには」
シンヤはそう言って私をにらむ。違う。へし折ったのは田宮だ。殴られた分を八つ当たりされたんだ。
「おっし!じゃあ一発目!リベンジかませ!」「うす♪」
田宮にあおられ、シンヤは嬉しそうに私の方へとやってくる。シンジの前で…輪姦す気だ。
へし折った当人ではなく、怒りの矛先を女に向ける。最低の男だ。こんな奴とやらなくてよかった。こんな奴にやられると思ったら吐きそう。
何より…シンジの前で…。どうせこうなるんなら…見られたくはなかった。助けられないんなら…シンジにも…来て欲しくはなかった。
が。
「…あの…気付いてたら悪いんですけど…」「…あ?」
シンジが急にシンヤに声をかけた。じっとシンヤの顔を見ながら。シンヤも睨み返す。そう言えばシンヤはこないだもシンジにメンチ切ってたけど…。
「何か俺の顔に付いてんのかコラ!?」「…あのね…足りてないよ?歯が」
よせばいいのに憎まれ口を叩いたシンジの脇腹に靴がめり込む。
「…!!!」「シンジ!!!」
いよいよのたうち回る体力もなくなったのかもぞもぞと身体を折り曲げ、小刻みに痙攣する。シンヤは続けてシンジを蹴りまくる。周りがあーあというように苦笑する。
バカだ…関心を自分に向けるためにわざと。私は田宮に哀願する。
「やめさせて…!」「無理」
「お願い…何でもするから…」「それはこれに関係なくするから意味ない条件だね」
「死んじゃうわよ!!」「女守ろうとして死ぬって格好いいよね。守れずに死ぬってのはダサいけど」
「そいつ決戦兵器のパイロットなんだから!自分達の首絞めることになんのよ!」「なんか前もそういう“冗談”言ってたけどさ。面白くねーよ?」
駄目だ…止められない…。シンジは蹴られながらも『余計なことするな』とでも言わんばかりにこっちを見てる。
蹴られて死ぬ気だ。そんな死に方…意味がない。…誰も私を見てない。使うなら…今だ。
リュックに手を入れ、一番奥のそれを掴み引きずり出す。
“ジャコン…”
「……何?」
“何か”が“どこか”に装填される重い音。田宮が…静かに振り向いた。
「…シンジから…離れて…」
銃口は田宮の眉間に定められていた。

540: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 00:26:06 ID:???
「ついてたわ…荷物全部持ってかれたのにこんな物が没収されずに戻ってくるなんて。
NERVに気を使ったにしても…いくらなんでも甘すぎるわねぇ…戦略自衛隊…!!」
アスカはわずかに余裕を取り戻したのか、口元を吊り上げ、笑って見せた。
僕が…逃げ出すときに慌てて一緒に詰めた奴…やっぱり…それを…。
ほとんどの人間がおもちゃだと思って笑っている。ただ…田宮だけが…。
「…OK。アスカ、まずはそれを下ろそうぜ?」
「やめさせろって言ってんの!!」
「や、やめろシンヤ!!」
田宮が怒鳴ると、シンヤは不満そうにだが足を止めた。
アスカが周囲に気を配りながら、僕から人を遠ざけさせる。田宮の態度に半信半疑だった連中の顔色が変わる。
「いい?許可なく動いたり、上と連絡を取ろうとしたり、私達に近付いたりしたら、容赦なく撃つから」
そう言ってアスカは僕にゆっくりと近付いた。
「…立てる?」「……」
僕は返事も出来ない。アスカはまだ駄目と踏んだのか、少し待つことにしたようだ。バカだ…さっさと逃げればいいのに。
状況は逆転した。しかしそれはかりそめの物だ。拳銃があるとはいえこの人数だ。今は皆、自分が死ぬのを怖がってひいてるけど…本当はそれ以前の問題なんだ。
そのことを伝えなきゃいけないのに体にそれを伝える力が残ってない。痛めつけられ、弱りきった内臓に酸素を供給するのに精一杯でそんな余裕は…。
アスカは勘違いしてる…完全に。
絶対に引き金だけは引いちゃいけない。“偽りの戦力比”に気付かせちゃいけない。抑止効果だけでなんとか…。
「コウジ君あれ…本物?」「…黙ってろ」
「いや…いくら何でも中坊がチャカ出すって…モデルガンかなんかじゃ…」「黙ってろ!!」
田宮は囁いて来る連中に喚き返す。そうだ…精巧な今のモデルガンを見て、本物かどうかの真偽が素人につくわけがない。ケンスケが言ってた。
アスカの様子から判断してるんだ。“これはマジだ”って。
…それなりに…付き合ってたから分かるんだろう。この態度が本気かどうか。
多分…人を見る目はあるんだ。アスカのさみしさをこいつの言葉や体が埋めたのも本当なんだ。たとえそれが上っ面の態度でも。
僕が…何もしなかったからこいつがそれをしたんだ。
だからって…こいつを許しはしないけど。
くそ…何しに来たんだ僕は…。

625: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 01:22:28 ID:???
「…一人か二人撃っといた方が良さそうね」
その提案にシンジがわずかに呻く。
「…ぁ…」「…言いたいことも分かるけどさ。死角から襲いかかろうとしてる奴らが何人かいるわ」
まだ声が出せないみたいだけど大体言わんとすることは分かる。
人間は全て扉と逆側に追いやり私らを中心に弧を描くように集めてある。男も女も服も着せないまんま。女の子達は恐怖で震えてる。
とはいえそう広い部屋でもないから。距離はそう開いてない。ちょっと隙があれば…。
「女を前に!男は後ろに!」
そう言っても従う人間は減っている。本当は怯えているだろうにポケットに両手突っ込んでメンチ切るようなのもいる。あのシンヤもそう。
ただ…田宮だけはきっちり後ろに隠れている。
「ほら…室内だから跳弾考えて威嚇も控えてたけど…。抑止効果薄くなってる。ここで撃たない方が不自然じゃない?そのうち一度にかかってくるわよ…そしたらこれ一丁じゃ…」
「…だ…めだ…」
「分かってるわよ。殺さない。あたしはアンタと違って生身での射撃の経験も豊富なんだから。急所以外に当てる」
「…がう…撃つ…な…」「……」
ある程度喋れてはいるようだけど…シンジは徹底的に発砲を拒絶している。人を撃つことというより…発砲そのものに…?
「…何で来たのよ…」「……」
「この…役立たず…」「…ごめん」
「そりゃ…来てくれて…一緒に帰ろうって…嬉しかったけどさ…」「なら…」
「でも…やっぱ駄目ね。あんたとは。分かってるんでしょ。さっき言われたこと…全部本当だって」「アスカ…」
「知られちゃったからさ…もう」「僕は気にしないよ…」
「私がするの。私の気持ちも考えてよ。汚れきった女だって知って…あんた平気じゃなかったでしょ?それとも…平気なくらいの思いでしかなかった?」
「…違うよ。…確かにそうだけど…」
「そう思われて一緒にっていうのは辛いのよ。
私、あんたとSEXする度に罪悪感にさらされることになんのよ?そういうの…耐えられない」「……」
もう限界だろう。シンジを担いでここから出よう。

632: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 01:24:54 ID:???
まだ苦しいようだけど…そろそろ…。
シンジの肩を担ぐ。膝が笑ってたけど…なんとかシンジは立ち上がった。
「知られなかったら違う形もあったんだろうけどね。でも知られたから。アンタとはもう無理」
「…じゃあ何しに来たんだよ僕は…」
「私はさ。常にあんたの上にいたいのよ。ここだけはどうしても譲れないことなの。落ちぶれた私でアンタの側にはいたくないのよ」
「……」
「ごめんね。身勝手で」
扉の向こうに合図をしてドアの前からどかせる。そして鍵を開けて…
「アスカ!!」
「!!!!」
注意が逸れた隙にシンヤが一気に突っ込んできた。猛烈な勢い。
が。
“ジャキッ…”
「うっ…!」
私の方がまだ早い。余裕を持って眉間に銃口を突きつける。シンヤは恐怖に凍りついた。
後に続こうとしていた奴らもその姿勢のまま固まった。
「動くなと言ったわよ、私は」
「あ、アスカ…お、俺は…俺はな。お前のことが好きで…それで…」
「私はアンタが嫌い」
薬室に弾丸は装填済み。安全装置は外れてる。
「駄目だアスカ!!」
「…あんたよくもまぁシンジをこんなにしてくれたじゃない…臆病者が私のためになけなしの勇気振り絞ってこんなとこまでやってきたのに役立たずにしてくれちゃってさぁ…。
ヒーローに助け出されるヒロインっていう乙女の夢見る図式が崩れちゃったわよ。なんでヒロイン自らこんな真似しなきゃなんないの?
あんたのせいよ」
自分のことなら絶望して自暴自棄になることで済ませられるけど…こと害がシンジにまで及ぶとなったら話は別。
虫を見るようにシンヤを見る。シンヤは…失禁した。
「撃つな!撃っちゃ駄目だ!撃ったら…撃ったら…!」
シンジの声はもう絶叫だった。それはまるで…撃ったら私自身が死んでしまうかのような悲壮な声で…。
「…死んで償え」
女達が悲鳴をあげ…私は引き金を引き…。
“ パ ン ”
乾いた音が密室に響いた。

725: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 02:47:56 ID:???
「…はずれ…残念…?」
シンヤとかいうのが呟く。弾がとかじゃなく…“読んだ”だけ。
銃の先からは…旗が出て『はずれ!残念!』って小汚い字で書いてある。…やっぱり。
「な…?」
アスカが呆気に取られ銃をあれこれ弄くる。そして出た結論は。
「…おもちゃ?」
次の瞬間アスカは床に叩きつけられてた。物凄い勢いで飛び出してきた田宮に。
「アス…!!」
最後まで叫ばせても貰えず…僕もシンヤに殴り飛ばされた。
「…なめ…なめた真似してくれたなぁ…淫売がぁ…」「……ぃ…!」
アスカが常軌を逸した田宮の目に小さく声を上げる。キレるのも当然だ。真っ先にびびり、誰よりも安全なところに隠れ…思い切り恥をかかされたんだ。おもちゃ相手に。
「あれだけの芝居打てるとは思わなかったなぁ…えぇ!?」
そういって田宮は馬乗りになり、横っ面を張り飛ばす。一発で口の中が切れたらしく、血が飛んだ。
芝居じゃない。アスカも知らなかったんだ。本物じゃないことは。
いくら戦自でも実銃だったら子供に返す訳ない。おもちゃだって分かってたから返してくれたんだ。
だからあれほど言ったのに。はっきりと言うわけにはいかなかったのに。
日向さんから電話が来たとき、僕はとっさにミサトさんの机から銃を取り出した。けれどあのとき…一つ忘れてたことがある。
前にケンスケ達が銃を見つけたことがあった。二人は撃ちたがったけど僕は止めた。ミサトさんに管理をもっとしっかりするべきだって言うとしばらく考えてから…。
『ふ~ん…いいわよ、次は撃たしちゃっても♪』
と楽しそうに言った。
しばらくして二人が来た時、僕が目を離した隙に乾いた音がした。慌てて部屋に走ったけど…。
『あかん…見破られとる…』『この頃のはよく出来てんだよなぁ…』
二人はへこんでて、それからミサトさんの部屋には入らなくなった。ミサトさんはその話に笑ってた。
そのときは意味が分からなかったけど、この間ふと脈絡もなくこのことを思い出し…意味が分かった。
銃はすり替えられていたんだ。ミサトさんによって。
ひとしきりアスカを殴った後。田宮は一言「輪姦せ」と呟いた。
狂宴が始まった。

726: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 02:49:52 ID:???
男達がアスカに群がり、服を剥ぎ取っていく。
「くっそ…乗り遅れた…」
シンヤは失禁させられたんだ。田宮に負けず劣らず腹を立ててるはずだけど、田宮が先に切れだしたためタイミングを逃したらしい。ドン臭い奴だ。
「シンジ…シンジィィィィ!!!!!」
「おいヒーロー?ヒロインが呼んでるぞ?」
シンヤは僕をなじり、蹴り飛ばしてうっぷんを晴らそうとするが…収まらないらしい。
アスカの絶叫が耳の中に響き、血が逆流しそうになるけど耐える。抑える。今暴れて、挑発しても…結果はさっきと同じだ。
悪いけど少し待って欲しい。今、整理するから。今…覚悟を決めるから。
……。ただ舞い上がってたんだな、僕は。
色んなことが一度に起こった日だったし…ろくな考えも覚悟もなしにやってきて。この期に及んでまだアスカに一番きつい部分を任せた。初めからこうしていれば…。
…分かった。分かったよ。
アスカが汚れたことを気にするんなら。アスカが僕の上にいたいなら。アスカがもう上ってこれないのなら。
僕も汚れる。僕が下がる。僕も堕ちる。奈落まで。
泣き叫ぶアスカを見てシンヤが笑う。
「はは♪いいザマだよ、ボケが」
“…ドクン…”
その言葉で心臓からデカイものが押し出されて行った。シンヤが…僕の引き金を引いた。
「あのとき、さっき、今…三回もアスカをボケと言ったね?」「あ?」
「ケンスケ達をからかうためにミサトさんは“はずれ”を置いた。僕は最初、始めから“はずれ”だったのかと思ったけど…。
家を荒らした連中に感謝だよ…ああしてくれなきゃ見つけられなかった。
“当たり”は引き出しを出し切った裏の天板に貼り付けてあったんだ」
「…意味がわかんねぇ。日本語で喋れ」
“はずれ”でないことはさっきタクシー代踏み倒したときに確かめてある。
僕は腰の後ろからそれを抜いた。
「そうだね…うちの家族以外には分かりづらいな。ならもっと分かりやすく。
こ っ ち は “当 た り” だ 。」
“人殺し”なら淫売とでもつりあうだろ?
俺は“本物”をシンヤへとつきつけ、引き金を引いた。

799: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 03:40:14 ID:???
“パァァァァン!!!”
さっきとは比べ物にならないくらい大きな音が室内に響き、続いて
「ぎゃああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
絶叫。私に群がり、犯し、突っ込んでいた連中も流石に動きを止める。
そこではシンヤが腹を押さえて叫びながらのたうち回っていた。血まみれになって。
その隣で横たわっていたシンジがゆっくりと、よろよろと立ち上がる。
「…外した…」
その手は血みどろで…それでもシンジは平然を装って私の方を向いた。
「アスカ…もう気にしなくていい。何人の男と何をしたかはしらないけど…大したことじゃない」
そう言いながらシンジは近寄ってきた奴を無造作に撃ち抜き、次に私を犯していた連中に一発ずつ叩き込む。左腕をだらんと下げての
片手撃ち。カッコつけてるんじゃない…多分筋かどこか痛めたんだ。
「俺なんか人殺しだから」
一発撃つごとに右手が跳ね上がる。正しい撃ち方じゃない。だからかもしれないけど…一発も急所に当たってない。かろうじてまだ誰も死んでない。
室内はパニック状態に陥った。シンジと私を避け、誰もが我先にと出入り口へ走る。シンヤが踏み付けられ、絶叫のトーンをもう一オクターブ上げる。
「あいつ頭おかしいよ!!」
誰かがそう言って出口へと駆け込んで行ったが…。シンジはおかしくもなんともなってない。
唇が震えてるもの。涙目だもの。顔面蒼白だもの。本人は急所を狙ってるつもりでも手が震えて、照準が定まってないもの。
ただ…もう引き金を引いてしまったから…終われなくなっちゃったんだ…。
シンジは逃げる連中には目もくれず、ただ田宮にのみ視線を注いでいた。人波に紛れて出口へと向かう田宮の方向に向かっていい加減に撃ちまくる。巻き添えを食って男達が何人か吹き飛び、一気に田宮の周りから人が離れた。
撃たれて動けない奴ら以外はみんな出て行って…私と、シンジと田宮が残った。
「……」
「……」
シンジと田宮が睨み合う。いや…田宮の方はにらむって感じじゃない。
残弾をずっと数えてた。シンジは15発撃ったから…。
「取っておいたんだ…お前のために…最後の1発」
ミサトの教え。残弾は常に意識せよ。
シンジは忘れていなかった。

841: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 04:38:05 ID:???
シンジは心臓を狙ってる。最後の弾だから。外すわけにいかないから。
「シンジ…!やめて…!」
私の声にシンジは身を強張らせる。
「…何で止めるの?」「…何でって…何言ってんのアンタ…?」
「こいつは…アスカを…」「そうだけど…なんで殺すことに…」
「…まだ…こいつのこと…」「…何でそう言う話になるのよぉ!」
イライラする。シンジも体力が残ってないんだろう…構えたままは辛いようでフラフラしてる。田宮はそれをじっと見てる。
「…そういうことじゃないでしょ…アンタが人殺しに…なるかならないかって…」
「僕は人殺しでいい!こいつを殺してそうなるんなら!」「落ち着きなさいよ!」
「僕は落ち着いてる!アスカの方こそ冷静じゃない!アスカを酷い目にあわせた張本人なんだろ!」
「もういい!私がいいって言ってんだから…!」
「それでも…俺が許せないんだよ!!!」
シンジが引き金に力を込めた瞬間…田宮が動いた。身体を低くしてシンジへと飛び掛ってくる。
虚を突かれたシンジだが、照準をギリギリで田宮に合わせ―…
「駄目ぇ!!」「――!」
私の叫びでシンジが強張る。そして田宮の低空のタックルは決まり――…
「げほぉ…!!」
シンジは地面に叩きつけられた。
「…はぁ…」
田宮は素早く銃をもぎ取り、シンジに馬乗りになると大きく息をつき、どっと汗を流した。そして上に向かって叫ぶ。
「おぉい!!下りて来い!!もう済んだ!!もう終わったぁ!!」
上でざわめきが聞こえる。人が…下りてくる気配がする。
…最悪だ…失敗だ…。私が…シンジに…余計なこと言ったたから…。
「…俺のための取って置き…か」
田宮はそう言うと手の中で銃を回した。

861: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/15 05:21:13 ID:???
「コウジ…お願い…」
もう命乞いしかない。どれほど効き目があるかは分からないが。コウジは手の中で銃を弄んでいる。
「…嫌いなんだよ。お前みたいな女。キャラ作ってる女」
「え?」
「明らかに“シンジ”に心あんの見え見えのくせに俺のこと『愛してる』って言ったりするし…俺もむかついてマジにならないことにして。
けどさっきのお前は良かったな。無理して強がったり、涙こらえたり。ああいうのはいいよな。ちょっと…可愛いとか守りたいとか思ったよ」
「……」
「でもさっきみたいな表情は俺の前では一度もしなかったよなぁ。こいつだけか?こいつのためのとっておきかよ、ああいうのは」
コウジはつまらなそうに喋っている。それは…嫉妬だったのかもしれない。さっき口にした身勝手な嫉妬じゃなく…本当の…素直な…。
けれどコウジは人が続々と駆け込んでくるとすぐに元の凶悪な表情に戻った。駆け込んでくる奴らも…そんなに人が死ぬ瞬間に立ち会いたいのだろうか。
「後一発。さぁ…どっちが死ぬ?」
シンジも…私も…互いに自分を指差す。
「う~ん、むかつく。むかつくなぁ…。よ~し…こっち!」
コウジは銃口を目標に向けると同時に引き金を――…
“…どどどどどど…!!”
「…何だ?」
突如として、上から続々ととんでもない人数が下りてきた。明らかに慌て…いや、逃げ込んでくると言った方が正しいような形相で。
後ろに…“何か”がいるらしい。
「…どうした!?手入れか!?」「そ、それが…」
言葉を交わす田宮と男の間を何かが通り過ぎる。
人。人だ。人が空中を水平に凄い勢いで…。
「き、来たぁぁ!!」
絶叫に迎えられ…黒い背広にサングラス、揃って大柄な体格の男達が数人、扉をくぐって悠然と入って来る。その姿を見て田宮の顔色が変わった。
「え…ちょ…」
「お前らに言って分かるとは思わないが…規則なので一応名乗らせてもらう」
「…遅すぎる」
シンジがポツリと呟いた。
「日本政府直属の特務機関…NERVだ。決戦兵器のパイロット二名…速やかに引き渡してもらおう」


362: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 09:18:02 ID:???
人の強さじゃなかった。
黒服が一回動く度に人間が一人“終わる”。背広が一度裏返るごとに、人間が飛び、潰れ、変形する。
後ろから頭や背中をバットや木刀で殴られもした。けれどそれは折れ曲がり、へし折れるだけ。
拳銃で撃たれもした。上にいた誰かが持ってたんだろう。それでも彼らは頭を覆いながら向かって行った。防弾チョッキは着ていただろうけど…。
そいつらのやられ様は有様は特に酷かった。
アスカはずっと僕に覆いかぶさっていた。僕をかばうように。
やってきたのはたった三人。一人はずっと僕らの前に立ち塞がってたから…実質二人。
連中が何故逃げなかったのは分からないけど(後で出入り口が封鎖されてたって聞いた)奴等は必死になってかかってきた。
震えるばかりの女の子達は除かれたけど…今日初めてこの店に来たばかりかもしれないようなのも含めて100人を超える男達が…それが全員、一人残らずしらみ潰し。
NERVは…とんでもない連中を飼っている。


「怪我は…?」
右に左に。失禁したり、失神したりしてる女の子達以外に動くものがないと確認するや、黒服が僕らの方を向いた。さっきまでの鬼の形相が嘘のように平然と。息も切らさずいつもの無表情で。
「…私もきついけど…シンジがもっとまずい…。
てゆーか…もっとスマートな制圧の仕方はなかった訳?スタングレネードだとか、催涙ガスだとか…」
アスカがようやく身体を起こし、仏頂面で不満を垂れる。助けてもらっておいて。
「無理を言うな。我々の仕事は屋外への突入など想定していない。君たちがこんなバカな真似に及ぶようなこともだ。
そんな準備などしてあるものか。無茶苦茶するのもいい加減にしてくれ。付き合いきれない」
「へぇへぇ…悪ぅござんした…」
そう言いながらも黒服は無表情のままアスカの手を掴み、引っ張り起こす。これだけこの人達が喋るのを見るのも…人間染みた事を口にするのも初めてだ。

376: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 09:47:38 ID:???
「…知り合い?」「私の担当」
「“元”だ。君にもうガードはついていない」「…あっそ」
訳が分からない。ガードが来るのを期待してはいたけど…あまりに遅かった。かと思えばやってきたのは僕のじゃなくもう外されたアスカのガード。
「君の唐突な行動にうちの者の対応が遅れた。挙句に君は運転手に無茶苦茶な運転をさせたろう。そのせいで交通は混乱をきたし、事故が起こり…君を見失った。
…言い訳にもならないが。どんな行動をされようと引き離されないのが我々の役目だ。恥さらしが…。教育し直しだ」
…悪いのは僕なのでくれぐれも殺さないようお願いしたい。
「そして我々に日向二尉から連絡があった。心当たりはないかと」
日向さんの名前に何故か急にアスカの表情が強張った。けれど構わず黒服は続ける。
「サードの行き先は分からないが、これまでの行動からセカンドの考えや居場所なら予想がついた。
読みは当たっていたが…到着が遅れた。申し訳ない」
…悪いのは僕達だ。
凄い。アスカをよく理解してる。ずっとアスカを見てたんだな。
…ずっと?ずっとって…。
「…アスカがここにいたこと知ってたの?」「そうだ」
「知ってて…助けなかったの?ここでされてることも知ってて?」「…そうだ」
“がばっ…”
「シンジ!やめてシンジ!」
起き上がり掴みかかろうとする僕をアスカが必死に押し留める。
「どけよアスカ!同じだ。こいつら田宮と何の変わりもない!」
「…命令だった」「ガードだろ!?守るのが仕事だろ!?それが…!」
「…その命令自体があやふやだった。出された指示はただ一つ。“決して手を出すな”」「…ガードなのに?」
「守らなければならないのか…それとも暗に見捨てろと言われていたのか…」「…ガード…なのに…」
力が抜ける。けど…アスカもショックらしい。
「…我々だけの判断で最低限の安全だけは確保しようということになった。
ここは掃き溜めだ。クズしかいない。田宮に関わらずとも…いや、限度を知らない連中によってもっと酷いことになっていただろう。
田宮はそれなりに顔が利き、まるで頭が悪いわけでもない。無法状態よりは管理できる状態の方がまだマシだ。そう判断して任せた。
しかし薬とは…しかもこの有様は…これほどバカとは思わなかった。
我々の…ミスだ」
黒服が苦しそうに呟く。

503: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 20:48:49 ID:???
慌しく怪我人が運ばれていく。僕は憂鬱な思いでそれを見送る、。さっきから周りを見渡しているが…田宮がいない。
どさくさに紛れて…逃げた?黒服が上から帰ってきた。
「上の安全も確保された。行こう」
黒服がアスカを促し、まだろくに動けない僕を丁寧に担ぎ上げ…。
「なんなんだてめぇら…!俺らチームアックスだぞ!?」
怒声が響く。見ると…足がおかしな方向に曲がっている奴が、痛みと恐怖で顔面を引きつらせながら精一杯の虚勢を張る。黒服が静かにそちらへと向き直る。
「後ろに楢崎組がついてんだ!!もうとっくに連絡は行ってる!てめぇらこんなことしてどうなるか…!」
「連絡はいつした?」「あ!?」
「連中の事務所は車でここから五分とかからない。なのに随分と時間が経つが…何故誰も来ない?」「…あ…」
「楢崎組はもう存在しない。組長以下、幹部の逮捕も直だ」
チンピラは呆然としている。もはやそちらには構わず、黒服の二人を残して僕らは上へと上がった。
「…どういう流れよ?」
アスカが頼りない足取りで階段を踏み締めながら小声で尋ねる。
「楢崎組が慌しくなったと張り込み中の警官から我々に直接連絡があった。ここに入る寸前に」「張り込み?」
「どちらにせよ数日中に楢崎組には手入れが入ることになっていたらしい。
けれどここで君たちが暴れ、向こうに連絡が行き、兵隊連れてこっち向かおうとしたので…。
君がいうところのスマートなやり方かどうかは知らないが…やむなくうちの者がこちらに寄るついでに“最も手っ取り早い方法”で無力化した」「…あんたら何した?」
「“ガス爆発”で建物ごと…」「市街地に何叩き込んでくれちゃってんの!?」
アスカが血相を変えて詰め寄るも…黒服は涼しい顔だ。
「人聞きの悪いことを言うな。“ ガ ス 爆 発 ”だ。我々が現場検証を行うのだから間違いない」「……」
恐ろしい話だった。権力の間違った使い方の教科書のような…。
「…詳しい容疑は?」
「これから考える。ヤクザなんだから何かしら後ろ暗いことぐらいあるだろう。
地道に捜査を重ねていた彼らにしてみればやる気をなくす展開だとは思うが。NERVが嫌われるのも当然だな」「……」
殴ってから殴った理由を考えるという。色んなことの順番が間違ってた。

523: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 21:36:05 ID:???
上のホールにも何人かの黒服がいた。下ほどにはないにせよかなりの若者がいたけど…やはり叩きのめされている。
こちらは田宮達に関係が無い、背伸びしてはしゃぎに来た子も多かったようで地面に伏せされられて震えていた。
NERVの腕章をつけた救急隊員が駆け込んでくる出入り口の方から、口論のような声が聞こえる。
「迎えがまだ来ない。しばらくここで待機していてくれ」「トラブル?」
「警察だ。入れる訳にはいかない」
徹底してNERVだけで話を完結させる気らしい。
僕を床に寝かせ、黒服は離れた。他の黒服が近くに寄って周囲に目を光らせてくれる。
田宮は…まだ…。
アスカも座り、僕を膝に乗せた。アスカの膝枕。感慨深いはずなのに大して心は震えない。考えることが…多過ぎた。
「…痛い?」「かなり…。骨は折れてないみたいだけど…」
「中途半端に丈夫ねぇ」「アスカは?」
「可愛い顔が真っ赤に腫れて、口の中がズタズタだけどさ…それ以外は概ね良し」「…そう」
とりあえずお互いの無事という一番の肝を確認しあった僕らは…それから喋らなかった。
怪我人の搬送が続く。僕に撃たれた連中、優先で。全員まだうめき声ぐらいあげてたけど…助かるとは思えない奴らも少なくなかった。
けど黒服にのされた連中の9割方がピクリとも動かないのを見ると…僕にやられてた方がマシだった気はする。
「…シンヤ」「痛ぇ…!!痛ぇよぉぉ!!」
見ると最初に撃たれた奴がのたうち回りながら運ばれていく。一番出血も多いし踏まれてたりもしてたのにまだ元気だ。
僕らに気付く様子も無く横を通り過ぎたときタンカの上から携帯が滑り落ちた。
「……」
僕はとっさにそれを足で手繰り…密かにポケットにねじ込んだ。
「…おい…こっち…」「おとなしく…」
と、ホールの隅が騒がしくなった。さっきの黒服がこっちに戻ってくる。
「どうした!?」「ようやくです…こいつ…」
バーカウンターの奥から黒服の一人が出てきた。サングラスは割られ、額から血を流して。
「下水道伝いに逃げようとしてました…」「下水道?」
「見取り図にはなかったんですが緊急用の避難路を作ってたようで。といっても床に穴あけてるだけですけど」
苦々しげな口ぶりだった。手間を取らされたのだろう。
後ろ手にねじりあげられ…田宮がこっちにやってきた。

548: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 22:22:54 ID:???
「…なんなんすかコレ?話違うじゃないスか」「こっちの台詞だ。大事に扱えと言ったはずだ」
田宮は開口一番黒服に…それもさっきから僕らと喋ってたのに噛み付いた。
「扱ってましたよ!そりゃ、二三発殴って色々仕込んだりもしましたけど…ハナから死ななきゃいいって話だったじゃないすか!それが…」
「薬を使っておいてか…誰がここまで許すと言ったぁ!!!」
黒服が激昂する。おかしい。感情的になり過ぎてる。何でだ?
「関係ねぇぞ俺は!大体その話終わったろぉが!あんたさんざん俺殴ったろぉが!!
そのバカが自分からしたいっつったんだ!俺はちゃんと『こんなもんに手ぇ出したら洒落じゃすまねぇぞ?』って…!そこをこいつが…!」
「そういう行動を制限しろと言ったんだ。お前は役目を果たしていない。話はチャラだ。お前を連行する」
「見逃すって話はどうなったんだ!」
その叫びには…自分の運命云々よりも裏切られた怒りの方が多く込められていた。
「俺のこと見逃すようポリに取り計らうからその代わりって…!こないだも『これ以上の恋人ごっこは必要ない』って言ったじゃねぇか!!それで何で今更しゃしゃり出て俺の行動にいちゃもんつけんだよ!!」
「…彼女一人ならば理屈をこじつけるのに苦労したところだが…お前達はサードにまで手を出した。動機としては充分だ」
「あんたも…あんたもそういうやり方すんのか…!クソったれた他の大人と一緒で!!やっぱあの時切り捨てたのかよ俺を!」
「……」
黒服は黙ったままだ。田宮はアスカへと向き直った。
「アスカァァ!!何黙ってんだコラァ!!!何とか言えよ!!!
薬はお前が自分で選んだんだろ!?止めたのに自分で手ぇ出したんだろが!!これならばれないくらいのだからって!
勝手に調合までしやがって…!勝手にラリって…!勝手にばれやがって…!何でそのケツを俺が拭かなきゃなんねんだ!?都合の悪いときは黙んのかよ!答えろこのアマァァ!!!」
「……」
アスカは耳を塞いだ。…何も答えない。
「てめぇ…てめぇぇぇぇえぇえ!!!!」
盗人にも三分の理。田宮の理屈にもわずかながら筋がある。
裏切られ…田宮の声は狂わんばかりの悔しさで涙交じりになりつつあった。

550: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 22:23:55 ID:???
「お前には元々麻薬密売等の様々な容疑がかけられている。我々NERVには警察権の行使も認められている。
麻薬絡みの犯罪への対応などというのは完全に管轄外だが…こうまで話がおおっぴらになった以上、本職に引き渡すわけにはいかない。彼らには悪いが…例外的な事例として我々が対応する。
とはいえ専門外のことだ。勝手も違うし、何よりも早く終わらせたい。そのために手段は選ばない。
人間的な扱いは期待するな。二度と社会に復帰することもだ」
「くそったれ…くそったれぇぇぇ!!
何でこうなるんだ!!アスカ!!てめぇのせいだ!俺がこれからおかしな目に合うようならそれは間違いなくお前のせいだ!!
お前が来なけりゃ…俺はパクられてたにしろ、ここまで酷いことにはなってなかったんだ!!疫病神!!てめぇ来たって何のいいこともなかった!!」
「……」
「てめぇ普通の生活できると思うなよ!!お前がやりまくってるとこ撮ったディスク、楢崎組が死ぬほど売りさばいてんだよ!!絶対そのうち…!!」
「連れて行け…」
黒服が…哀しそうに指示を下すと、両脇を抱えられ田宮は連れて行かれた。それでも田宮は叫ぶことをやめない。
「おぼえとけ!!俺はお前のことなんか一瞬たりとも好きじゃなかった。そいつがディスク見て、それでもお前のこと好きでいられると思ってんのか!?お前は薬あろうがなかろうが一緒だったじゃねぇか!ただの色狂いだ!
そんな奴のこと好きになる奴なんてこの世にはいねぇ!!一人としてなぁ!!
忘れんな!お前は一人だ!これから先も…ずっと一人ぼっちだ!!!!俺と一緒でなぁぁぁ!!!!」
最後の最後までアスカを傷つけようとしながら…田宮は僕らの前から姿を消した。そして僕ともアスカとも二度と会うことはなかった。
僕は田宮の話を全部聞いてた。アスカは僕の上でずっと耳を塞いで…震えてた。
あいつは一度の命乞いもせず…助けてくれとも言わなかった。だから何だって話だけど。

557: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 22:36:10 ID:???
「…映像ディスクの話は?」
ホールに静けさが戻ると黒服がアスカに尋ねた。アスカは…首を振った。
「…分からない。ただ…撮られててもおかしくないとは思う。ラリってるときなら…気付かなかったかも」
「…一応、手配はしておくが…現実問題として我々にはそんなことに手を回す余裕もなければ義理もない。
仮に手を回せたとしても…不特定多数に売りさばかれていたり、複製されたり、ネットで配信されていたりした場合には、事実上根絶することは…」
「分かってるわ。初めから頼んでもないでしょ。私が巻いた種だもの。どんだけ芽が出て後ろ指指されたって甘んじて受けるわよ。
…ドイツに帰れば少しはマシでしょ」
アスカは淡々と言ってるけど…顔色が悪いのは暗い照明のせいでもないと思う。
「…とにかく…あいつはもう君の前には現れない。それだけは保証する」
「…あいつと…どういう関係なの?」
一番気になっていたことをアスカが尋ねた。黒服は少し黙って…。
「…“俺”は昔…アレと大差ないクズだった。しかしセカンドインパクトが起こり…その混乱の中であいつに出会った」
常に“我々”と全体に準じていた黒服が…初めてたった一人の人間に戻って会話していた。
「俺はアレのために人を傷つけ、物を奪ったが…アレのために人を傷つけ、物を奪うのをやめた。
六分儀に拾われたとき俺は戸籍を捨てた。それなりの金を渡し、あいつにも好きな名前を選ぶよう言って…俺たちは赤の他人になった。
あいつは俺に捨てられたと思ったらしい。それなのに…再開したときにあいつが持ってた名前は…俺が捨てた名前だった。
“コウジ”という名は…昔、俺がアイツにやった」
黒服の携帯が鳴った。
「…日向二尉が碇君のガードと一緒に来られたそうだ」
「教えて…どうして…私を守ってくれたの?あいつを切り捨ててまで…。…あいつは…貴方の…」
「…俺そっくりのクズになってたからだよ。…所詮…クズに人を育てるなんて…無理だったらしいな」
「貴方の今の名前は?」
僕は思わずそう口にした。黒服は少し考えて…笑った。
「…『黒服』だよ。“我々”に“個”はない。いくらでも替えが効き、誰も気にもしない存在…ただの『黒服』だ」
かつて『田宮コウイチ』と呼ばれた名前も知らない『黒服』は…静かに僕たちから離れて行った。

661: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/16 23:48:35 ID:???
「…救急車がいるかい?」
「そこまでのことじゃないですよ…」「私もいい」
「…そうか」
日向さんはそれ以上は何も言わずに後ろのドアを開けた。私と目があってもお互い何も言わなかった。
私に支えられてたシンジはよろめきながらも何とか座席に乗り込んだ。
「…まずは本部に向かう。精密検査を受けてくれ」
日向さんは運転席に座るとミラーをいじって…私の顔が見えない角度に調節した。
「大丈夫ですよ…頭はそんなに殴られては…」「受けてくれ…。万が一が起こればみんなが困るんだ」
「……」「自覚してくれ…自分達の重要性を…。そしてこんな無茶苦茶な真似は金輪際…!」
「…シンジ。よく聞いてなさい。アンタが怒られてんのよ」
「茶化すのはやめろアスカ!君にも話してるんだ!」
「重要性がわずかでもあるならこんなに放置されないでしょ。ガードまで外されて」
「……」
私にそれが伝わっているとは思わなかったのか、日向さんは黙った。
「…シンジ君もそうだが…アスカ…何でこんな無茶を…」「それを日向さんが聞くの?」
「責めるんなら僕を責めればいい!何もこういう…!」
「日向さん…頼むから今はやめて」「……」
「もう私もシンジも…器の許容量はとっくに超えてんの。これ以上何か放り込まれると壊れちゃう」
特にシンジがまずい。
シンジは何の話か分からず、訝しげにこっちを見てる。今のテンションで私達の関係がばれたら…それこそ日向さんを殺しかねない。
日向さんは苦しそうに目を伏せた。別に心が痛むわけじゃないけど…。さっき日向さんの部屋を飛び出したときのような猛り狂うような憎しみというのも…無い。
私は…傷ついたというより恥をかいたんだ、あのとき。そして今、シンジに何もかも知られて…恥ずかしいなんて感情は振り切れてる。それでだと思う。後で蘇っては来ると思うけど。
ミサトに始まり、日向さん、シンジ、行方のまだ分からない鈴原、心配かけた発令所の皆…もしかしたらリツコさんやコウジ、そしてあの『黒服』…他にもいっぱいいる。
私の何も考えていなかった行動がとんでもない余波を生み…凄い数の人たちを巻き込み、傷つけ、人生を台無しにしたりしてる。
そのくせ私の手の中には何も残らなかった。…ただ傷つき、汚れただけだ。

680: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 00:26:29 ID:???
「血…」「…え?」
「服に…血が…」「…あぁ」
見ると私の服にはそこかしこに血が付いてる。シンジを抱えたときに付いたんだ。
「…ごめん。綺麗な服なのに」「いいのよ。ほら…チョーカーに繋がってるベルトとか鎖とか…全部千切られちゃったからどうせもう捨てるし」
「…もったいないよ」「…いいよ。自分で買ったもんじゃないし」
シンジの手や服には…もっと血が付いてる。手を揉むようにして擦り取ろうとしてるけど…。そんなことで取れるわけもなく。
その血まみれの手を…シンジはじっと見てる。
「…びっくりしたでしょ」「…うん」
「…笑いどころだと思うわよ今は。言ってた話とまるで違うよって。遊ばれてただけだろって。いや遊ばれてたっていうか…ねぇ?」「……」
自嘲するより他にない。
「あ~ぁ…これで全部…全部なくなっちゃったなぁ…」
状況をあえて口に出してみると…本当にそうだと実感してしまう。私にはもう本当に何もない。
今から新しい居場所を探すなんてこともう出来ない。絶対コウジと同じ結末になる。そうじゃないかもしれないけど…そうとしか思えない。
さっきも思ったけど…本当に『家なき子』だ。
“…カチ…カチ…カチ…”
固い何かが…小刻みに震える音。
「…シンジ?」「…ぼ…僕が…僕が…」
「…どっか…どっか痛いの?」「僕がずっと…アスカに…」
その様子に日向さんが振り向いた。
「シンジ君…?」「ア、アスカを…き、傷つける奴は…僕が…僕が全部…全部…」
直後。隣を救急車がサイレンを鳴らして通り過ぎた途端…シンジは口元を押さえ…もどした。
「まずい…救護!サードが緊急の…!」
「日向さん、違う!」「え…?」
苦しいのは身体じゃない…心だ…。
「お、おかしいな…覚悟は…決めたはずなのに…あ、あれ…?何でだ…手が…ふ、震えて…あのときは…まだ…。
あれ…おかしいよ…はは…。どうして…」
「シンジ…」
「大丈…夫。アスカに比べたら…あんな奴ら何人死んだって…何人…殺…」「シンジ…!!」
限界だった。身体を折り曲げ、血まみれの両手で顔を覆い…日向さんが駆け寄ってきた救護に対して…戻るように謝った。
「僕は…僕は…人を殺したんだ…!!」
震える背中を私は抱き締めた。

704: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 00:56:41 ID:???
「死んでない…誰も死んでなかったじゃない…」
私も泣いてた。
「あのときは死んでなくても…あの中の何人が…。…だって…僕は殺す気で撃ったんだ…。それなのに…肝心な奴には一発も当たらないで…それで…」
「……」
文章としてはおかしいけど…言いたいことは伝わる。
「僕は…駄目だ…落ちるとこまで落ちるって決めたのに…。アスカが…全然気兼ねすることないくらいに…。助かって…ここに座って…ようやく帰れるって思ったら…急に…」
「私のためじゃない…!私のために撃ったんじゃない!!」
シンジは顔を上げ、叫んだ。
「だから嫌なんだ!僕は今…後悔してるんだ…!撃ったことを…後悔してるんだ…!アスカのことを助けるためにしたことなのに…ああしなければ助けられなかった…。それは分かってるのに…!
殺すつもりだった。アスカのためならそんなことって…なのに…その決意はもう揺らいで…。僕は後悔してるんだ!後悔する自分が嫌なんだ!」
「おかしなことじゃない!人を撃って苦しむのは…当然のことじゃない!」
「でも…アスカが大事ならそのぐらい平気だって思ったのに…。全然平気じゃなかったんだ。結局…僕の思いはその程度で…」
そう言ってシンジはまた泣く。
何か思い違いをしている。そういうのは…その程度とは言わない。もし『アスカを守るためだったんだから仕方ない』とか割り切れるような人間だったら…私も好きになってない。
私が…シンジに銃を撃たせた。シンジの撃った弾で誰かが死んでいたら…それはやっぱり私のせいだ。
自分で人を殺したみたいに胸が締め付けられる。何も…かける言葉が見つからない…。私はシンジの手を握った。
「…汚れるよ…」「…いい」
「血で汚れる…」「私はもう汚れてる。どうせ汚れるんなら…シンジと同じ汚れがいい」
「……」
シンジも私の手を強く握った。
日向さんがボードのスイッチを入れる。運転席と後部座席の間についたてが出て…私達は二人きりになった。
慰めの言葉なんてない。この苦しみは…決して消えることはない。
私に出来ることは何もないから…せめてシンジと一緒に泣いた。本部に着くまで…私達は二人で泣き続けた。

866: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:26:03 ID:???
「化粧するのやめよっかなぁー」
あぶくをポコポコやりながら思う。
毎回毎回いちいち落として、それからもう一回し直すっていうのはぶっちゃけかったるい。それでなくても女は色々面倒な支度が多いのに。
「どうせそのうちミサトみたいに化粧しなきゃ人前に出られないような生き物になるんだし、手抜きできる今の時期くらいは楽した方が賢いのかなぁ」
あの夜以来…はっきり言って胸は軽くなった。多分、色んなことに答えが出たからだ。
自分の中にある重たい物の大半が引きずり下ろされた気がする。コウジのことは私の中では随分と大きな比重を占めていたらしい。
正確には『コウジの事をシンジが知らないこと』が大きな事だったんだろうけど。シンジに知られることを恐れてたけど…いざばれてしまったらそうでも…。
…いや、流石にそれは違う。『シンジに知られた』という事実を改めて思い出すと心の中はかき乱される。本人は『気にしない』『信じてない』って口では言うけど…そんな訳がない。
私はその事実を平静を保つために頭から締め出し…考えないようにしてるだけだ。
重たいものを一つ下ろしても、また新たに重たいものを一つ抱えることになった。でも『期待』っていうのも一緒に下ろしたから…いくらか軽なったのかな。
こういうのを別の言葉で“諦め”って言うのかもしれないが。
「…後ろめたいことを黙ってるっていうのは…辛いことなんだな」
苦しそうに私の方を見てた日向さんを思い出す。責められることで少しは楽になるっていうのも…今なら分かる。
あの人のことも私の重たいことの一つだ。だけど…。
「めんどくさいなぁ…」
思いつめて妙なことしなければいいけど。
とにかく上がったら今日もシンジと喋ろう。喋るっていってもお互い殆ど黙ってるけど…とりあえず喋ろう。
“ブー―――!!”
ブザーが鳴った。そのとき初めて私は自分がエントリープラグの中にいることを思い出した。

867: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:27:53 ID:???
「…調子出ないな…」
それは身体に伝わってくる感じで分かる。病み上がりってことを差し引いても今日の調子は…。
レバーを強く握ると…まだ腕がかなり痛む。
「検査では問題ないって話だったんだけどなぁ…」
体の問題じゃないんだろうな、やっぱり…心の。
数字取るだけならって思ってたのに…。やっぱり本当に悩んでるときにはこんなものらしい。
エントリープラグの外。隣にはアスカがいて、逆隣には綾波がいる。それだけで僕の集中は途切れる。
どっちとも話をしなきゃいけないけど、どちらとも話は出来てない。話さなきゃと思いながらも何を話したらいいかも自分で分かってないんだけど。
アスカとは毎日話す。お互いほとんど無言で、時折ちっさな因縁を付け合うだけだけど。嫌な時間ではない。
綾波とは話すら出来てない。顔すら見てない。彼女に対して怒ってるのか、哀しいのか…それすら自分の中ではっきりしてない。
ただ…父さんには苛付いてる。けれど一番大きいことはもっと別のことだ。
「…本当に…誰も死んでないのか?」
おそらく死んでいたとしても僕には『助かった』と伝えてると思う。そうでないと僕が潰れるのは誰の目にも明らかだろうし。
信用できる話じゃない。だからって僕は見舞いに行かせてくれなんてことを訴えもしないんだ。だって…撃ったのは僕なんだから。謝る筋合いでもないし…撃ったこと自体は…間違ってない…。そう…僕は言い続ける。そうするしかない…。
でも助かる訳が無いと思う一方で、その嘘にすがっていれば自分を保てるという考えが浮かぶのも本当で…。
…やっぱり僕は卑怯者だ。でも…
“ブー―――!!”
「…ずっと卑怯だったからこそ…答えを出さないとな…アスカと…綾波と…」
今日の結果はひどいだろうな。リツコさんの渋い顔を思い浮かべて僕は投げやりにシートに身を投げ出した。

869: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:29:50 ID:???
「…全然、駄目…」
今日の調子は問題外。集中などという話ではない。これほどのことは記憶にない。
シンクロしようとしても頭の中は…碇くんのことで一杯で…。ここ数日ずっとそうだ
「こんなことでは…」
そう思ったところで…どうにもならない。
あの夜が明けると…碇君も惣流さんも怪我をしていた。あの後、二人に何かあったらしいけど…詳しい話は知らない。誰も教えてくれない。司令も『お前が気にするような話ではない』と言うだけで…。
碇君に話しかける勇気は無い。彼も私に話しかけようとはせず…こちらを見向きもしない。そうされることは…とても淋しく…哀しい。
私は部屋を引き払った。とは言っても持っていくような物自体が元からほとんど無く、わずかな衣服と…それよりも更にわずかな思い出の品だけを持って司令のところに移った。
碇君は知っているのだろうか。もう私の家には行ったのだろうか。帰るもののなくなったあの部屋で私を待ったのだろうか。その上で…私を避けているのだろうか。
彼が惣流さんと話をしているのを見ると…私の心に漣が立つ。そんな権利は無いことは知りつつも。
私よりも惣流さんだということは知っていたことだ。覚悟はしていたはずだ。私は彼よりも司令を選んだ。その結果捨てられたとしても…それは当然の道理で…。
もしかしたら彼は…自分こそが捨てられたと思っているのかもしれないけれど…。
それなのに私の心はあるべき思考をなしてくれない。彼の決断なんだからと割り切るはずが…どうしてもそうすることが出来ない。
都合のいい女でいい…そう思っていたはずなのに…。
…苦しい。こんな思いは…。
“ブー―――!!”
何事も解決せず、答えも見つからず、EVAとのシンクロにも集中できないまま…試験は終了した。

884: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:40:25 ID:???
「…上がってますね」
「…そうね」
画面上、アスカのシンクログラフは起動数値を割り込んだ前回よりも改善していた。
「不思議ですよね、あんなことの後なのに。シンジ君やレイだって下がってるのに」
トラブル開けのテストは天才のはずのシンジが不調、優等生のレイがガタ落ちし、スランプのアスカが復調という波乱の展開だった。
「調子落としてもこの数字のシンジ君は流石ですけど…不思議なのはレイとアスカです。特にアスカ。何で上がるのかしら…」
「…どっかおかしいんじゃない、あの子」
リツコのむき出しの毒にマヤが顔をしかめた。

あれから3日。それなりにNERVは平静を取り戻していた。
深夜から未明にかけてのトラブル。発令所の人間の多くが酒に酔っていたので当初こそ対応が遅れた部分があったものの、それなりに事態はハイペースで収束した。
謹慎中の日向は事態の収拾に奔走した。警察にNERVに責任は指示を出した自分にあると説明し釈明に回った。
クラブでの死者は0という発表だったが、それがどこまで信用の置けることかは甚だ疑問であった。連行された人間は一人として帰ってこない。連絡すら取りようも無く入院している病院さえ明かされない。
ひょっとしたら“遺族”かもしれない“容疑者”の身内はNERVの誠意の無い発表に対し、憤りの吐け口を見出せずに苦しんでいた。
楢崎組は“ガス爆発”で本部と主要構成員の多くを失い、なおかつ組長以下、幹部連中がまともな説明もなされれぬままに一斉に検挙されたことで組織をまとめきれず、空中分解しかけていたがこれは特に重要な話ではない。
セカンドを撮影したというディスクの存在については、本部と共に違法ポルノの販売に携わっていた人間が吹き飛んでしまっていたために不明、ということにされた。
泣きを見たのは何よりも警察だった。長期に渡り積み上げた段取りが“ガス爆発”というありえない形で無駄になった挙句に、その後の現場検証も取り調べも何一つさせてもらえない。また一つNERVは敵を作った。
日向への責任追及は無かった。今回の事態を招いた原動力が適格者二人であることは明確だったが、彼らをつるし上げたところでしようが無いため、これだけの出来事にもかかわらず“責任”という言葉だけが行き場をなくし宙に浮く形となった。
保安部内では一部に厳しい処分が下された者もいたようだが。

893: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:45:46 ID:???
全てから取り残された者もいた。リツコである。
彼女は自分の指示で放置していた火種がこういった形で燃え広がり、セカンドはおろかサードまでをも失いかけた事態に発展したことに焦りを隠せずにいた。
アスカは直にいなくなる。そうなると次は事態を看過し続け、セカンド復調の機を逸した彼女にも追及の手が伸びかねない。
それを差し引いても…碇の不評を買うことは彼女にとって何よりも耐え難いことだった。

「これだけはっきりとした上昇に転じるっていうのは二月ぶりぐらいじゃないんでしょうか。復活の兆候なのかしら?」
「どうかしら?かろうじて起動数値を上回っているに過ぎない、不満が残る数字だわ」
「……」
青葉がその言葉に手を止める。他の職員達も同じだった。
今日のリツコの一連の言動はここ最近の嘲り、卑下するような物の言い方ではなく…随分と直接的な非難だった。何か…余裕の無さを表しているような。
「…先輩の言うことは正論ですけど…。どこか悲観的に物を見すぎているような気がします」
予想外のところから反論が上がり、リツコが目を見開いた。マヤである。
「…悲観的?私は現実を極めて正しく捉えた言葉を使っているつもりだけど?この状況で何か楽観的になれる要素があるのかしら?最悪に備えることこそが私達の務めで…」
「理屈としては正しいと思います。けれどその悲観主義で好調に転じようとしている可能性の芽までも摘んでしまうのならば…それは逆に危険だと思います」
「…マヤ。言葉を慎みなさい」
「…すみません。…けれど訂正はしません」
マヤの態度は…頑なだった。自分に常に従順であったマヤが批判に回った。これは少なからずリツコに動揺を与えた。
発令所の空気が変わりつつある。
日向の劇的な復帰がそれまで漂っていた厭戦気分にも似た気運を吹き飛ばし、技術部長と並ぶ二枚看板の片割れとしての復活が少々冷静さに欠けるほどの期待を抱かせている。
結果として彼らはまだ存在してもいない日向臨時作戦部長代理という旗の下に団結しつつある。それは…一度力を手に入れたリツコにとっては不愉快かつ恐るべき事態といえた。
しかし…それゆえにリツコは打って出た。逆風だったからこそ。

895: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:47:52 ID:???
「そうね…。確かにそうかもしれないわ。そういえばアスカの降板という“一つの可能性”を提起したのは私だったわね。そういうことで私が積極的にアスカを下ろしにかかっている。そういう風に“見えた”きらいもあったかもしれない。
貴女が言いたいのはそういうことよね、“伊吹二尉”?」
「…いえ…そこまでは言っていませんが…」
唐突に取られ始めたリツコの責任者としての立場に、それまで我を張っていたマヤが若干揺らぐ。
しかしまだだ。まだ弱い。
「誤解を招くような態度を取り続けていた私も悪かったのかもしれない。けれどね、私だってあの子を大事に思ってはいるのよ、私なりにね。
今まで私達を守ってくれたんだもの、感謝の意思をなくしたことは片時だって無い。今回の成り行きは個人的にはとても残念だわ。
けれどね、人類からEVAを任され、預かる身としては時にどうしても厳しい意見や姿勢を取らざるを得ないのよ。例え憎まれることになったとしても。
“マヤ”…分かってもらえる?」
「…分かります」
公から私への緩急つけられた変化。マヤが…いや、リツコの言葉を聞く全ての者が揺れていた。
「私もこの後のアスカの復調に期待したいわ。…けれど…いつまでも結論を先延ばしにすることも出来ない。そうね…それじゃあ少し期間を取って様子を見ましょうか。
今後6日間、アスカのシンクロ率がこのペースを維持し、起動数値を上回り続けたらこの話は無し、ということにするのはどうかしら?妥当なところではないかと思うのだけれど。どう思う?」
「…特に依存はありません」「それじゃ決まりね」
マヤは気付いていない。今、自分が恐ろしい理屈に納得させられたことに。
リツコの言葉は裏を返せば『今後6日の間に一度でも起動数値を割り込めばこの話はアリ』ということを意味する。
しかも数値が割り込まなかったにしても『このペースを維持すれば』という文言が拡大解釈の余地を残している。
6日という半端な期限にしてもそれは日向の復帰の前を意味している。彼が何事かを成す前に全てを終わらせてやろうという意図がそこにはあった。
アスカの運命はいよいよ厳しくなった。

910: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/17 20:59:48 ID:???
「いい?結果がどうあれ、それはそういう結論、決定を下した者の責任で、貴方達が気に病む必要はまるで無いわ。まるでね。
子供達は悲しむでしょうけど…その批判や罵倒の矢面に立たされるのは私や司令の役よ。責められ、憎まれるのは上に立つ者の仕事であり義務なんだから」
「いえ…責任はみんなにあります。先輩一人に押し付けようとかそういうことを考えたことは一度だってありません」
「ありがとうマヤ。でもね…」
「先輩は悪くありません!先輩は自分の務めを果たそうと必死なだけで、そういう中で成績の悪い人間に貴重な機体を任せるのがリスキーだと判断したってそれは誰の責めを負うこともありません!」
やはりマヤは気付かない。自分がいつの間にかリツコを許しているばかりか、アスカを批判する側へと回りかけていることに。
「…そうね。少し一人で抱えすぎていたのかもしれない。けれどその言い方ではアスカが可愛そうよ。彼女は彼女なりに頑張っているのだから」
「あ…す、すみません」
その言葉はマヤだけに向けられているものではない。実験室にいる全員に対するポーズであることは明らかだった。
しかしそのことに気付く者はいない。
皆が巧みな言葉に乗せられ、彼女がいくつもの心無い言葉を口にしていたのと同一人物であることを見失っている。
「さぁ、私達は自分達の仕事を果たしましょう。彼らに恥じないように!」
「はい!」
所員の多くが元気良く答える。
中には一部…青葉のようにその非の打ち所の無い…というよりどれだけ筋が通った非を打とうともこちらの立場の方が悪くなるような偽善極まるロジックに対して胡散臭さを感じるものもいたが…それは本当に一部だった。
日向の安否に一喜一憂するような善人がほとんどのここで、彼のような存在はある種異端でさえあり…殆どの人間はリツコの言葉に対し『この人はやっぱりいい人だった』と、単純に思っていた。
『ふぅ…おかしなことにならなくて良かった』
内心リツコは胸をなでおろし、ほくそえむ。
窮地において逆にその立場を磐石とし、なおかつ皆の前でアスカの降板を納得させてみせたその立ち回り方は役者といえた。
問題はアスカである。数字さえ残せば残留する芽も現れた訳だが…リツコにはアスカを揺らす自信があった。

505: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 02:05:01 ID:???
送還可否決定期日まで後6日。

“プシュー…”
ベッドに寝転んでると、何の前触れもなくエアーの音と共にドアが開いた。
「…邪魔するわよ―」「…ノックぐらいしろよ」
「あんたこそ鍵くらい掛けときなさい。いくらNERVの中だからってね。見られちゃまずいようなことだってしてるんでしょ、青少年?」
「…そういうことするときは掛けてるよ」「はは♪いい見分け方教わっちゃった」
アスカは当たり前のように無断で部屋に入ってくると、椅子に座り部屋をきょろきょろ見渡した。
「いい部屋ね」「そうでもないだろ」
一応士官部屋らしいけど…正直狭いくらいだ。なのに…。
「私の部屋に比べたら随分とマシよ」「これでマシって…アスカの部屋どんなんだよ」
何気なく尋ねてからまずいことを聞いたかと後悔した。総務から割り振られた部屋は…多分、ろくでもないようなとこだったんだ。
アスカは…徹底して冷や飯を食わされてるから。ここ数日で急にそういうことが見えてきた。それを先導しているのが誰かってことも大体…。
でもアスカは気にする様子でもなくニヤーっと笑った。
「気になるの?私の部屋が?」「そういう言われ方したらそりゃ…」
「やらしー。なんとか口実作って私の部屋に上がるつもりなんでしょ」「ば、ばか!そんなんじゃ…!」
「でもダメー!私そーゆー軽い女じゃないもーん♪」「…分かってるよそんなこと!!」
「…!」
思わず…声を荒げてしまった。アスカも…黙り込んだ。
「…ごめん」「…別にいい」
アスカは…不機嫌そうな表情に戻ってしまった。僕は仕方なく起き上がり、腰掛ける。
妙にはしゃいだ態度も、あえて自分の傷口に塩を塗るような発言も…完全に自虐だ。けど…こないだとは少し違う気がする。なんていうか…これは僕に対する敵意や対抗心から来るものじゃない。
アスカは僕と話したがってる。僕もアスカと話したい。
けど“あのこと”は話をするなら触れずにいられる話題じゃない。けれど正面から向き合うには少々タフだから…笑いのネタにするしかない。
でも僕にはそれを受け流せるだけの話術もキャパもない。バカだから。
それなりに喋れてたのに…また沈黙だけになってしまった。

506: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 02:07:46 ID:???
椅子の上でもぞもぞやってたアスカが不満を漏らす。
「…座り心地悪い」「…まぁ良くはないけどさ。椅子それだけだから我慢…」
「そっち移るわ」「え…」
いいとも悪いとも言わないうちにアスカは僕の隣へと移った。二人分の体重でマットが更に沈み込む。
「…椅子に移るよ」「アンタの部屋でしょ。堂々と座ってなさい」
「でも…」「いいから…何か話してよ」
アスカがそう言うので浮かせかけた腰を下ろす。
「…何もないよ。アスカこそあるんじゃないの?昨日カフェで話してたら『人がいたら出来る話も出来ない』ってブツブツ言うから僕が部屋を…」
アスカは吊ったままの僕の左腕を見る。
「まだ痛いんだ?」「…別にそれ二人だからする話じゃ…あぁ痛いよ。これはかなり大げさだけどさ」
「ふ~ん…。右手じゃなくて良かったね」「何が?」
「男の子って右手使うのがポピュラーなんでしょ?」「…何が?」
大体…何が言いたいのかは分かるけど…。あえて悟らない。
「それでも片手だと手間だよね。“オカズ”めくったりするの」「アスカ…オカズは“めくる”ものじゃなく“食べる”もんだ。箸で摘んだり、フォークで刺して…」
「食べるの!?箸で摘んだり、フォークで刺したりって…あんた道具まで使ってんの!?」「ああ、食事には箸使ったり、フォーク使ったり色々やってるよ!!食事にはね!!」
何でこういうシモネタを真顔でガンガンえぐってこれるのか分からない。僕なんか…顔真っ赤なのに。
「で?どんなオカズなわけ?」「まだ続けるのかよこの話題…」
アスカは水を得た魚のように生き生きとしてる。一方の僕は不機嫌な顔を作ってるしかない。
「やっぱ本?見たとこ隠し場所もなさそうだけど…想像?」「…好きなように思っててよ」
想像だよ。青葉さんが何か持ってきてくれるっていうのを本当は楽しみにしてるんだよ。
「苦労するわねぇ…やっぱ“私で”したりもするの?」「…もう答えない」
…してるよ…。昨夜もしたよ。ゴミ箱の中に証拠があるよ。
「私はしてるよ。シンジで」「へーそー…。……。」
……え?
「シンジにされるとこ想像して…昨日もしたよ」「…そう…なんだ…」
『ありがとう。光栄だよ』とも『やめろよ気持ち悪い』とも言えず…僕は曖昧に答えた。
その一言で…部屋の空気が変わった。

682: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 19:14:08 ID:???
「どんなこと考えてしたか…聞く?」「…いいよ」
聞きたかったけど…我慢した。この時の見栄を…僕は後々まで後悔し続けた。
「そう。で…シンジはどうなの?」「…答えろっていうの?」
「私答えたじゃん」「別に僕が尋ねたわけじゃ…」「あんたそういうこと言うわけ?」「…したことあるよ」
渋々答えさせられた…。もはや顔は上げられない…。
「…私で?」「…アスカで」「どんな風に?」「どんな風って…普通に…」
「…手付きとかじゃなく…ちょっとその小刻みな上下運動やめて…。
想像の中の私…どんなだった?私にどんなことさせたの?」「……」
これは…何かのイジメだろうか…。
「…流石に…口に出せない」
「そ。じゃ…言わなくていいからさ―」「え?」
“ぼすっ…”
アスカが後ろへと倒れこむ。
「実演して見せてよ」「え?」
…綾波に部屋に誘われたときと同じくらい…思考が凍る。
「気になるから。どんなことされてるのか」
…無理だ。
想像の中で…殆どの場合アスカは僕に組み伏せられて泣き叫んでて…それを無理矢理…。出来る訳が無い。
「…どうしたの急に?」
「…シンジ私を助けに来てくれたじゃん」
「…大して役にも立たなかっただろ」
「だから“粗品”で返すって言ってんの」「…アスカ…だからそういう…」
「…分かったわよ。訂正する。
…まだ私、あんたに対して上から喋ろうとしてるわね。オカズだとかお礼とかだっていうのは忘れてよ。ただの口実だから。
単に…私がシンジとしたいだけ」
信じられない言葉が出た。冗談かと思って顔を見ると…アスカは思いつめた表情で僕を見返した。
「だから…遠慮はいらないんだけどさ…私とは…嫌?」
嫌じゃない…嫌な訳ないけど…でも…。

683: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 19:14:55 ID:???
「…私とはしたく…ない?」
いつまでも僕が黙っていたらアスカが不安そうに尋ねてきた。
「そうじゃない…そうじゃないけど…」「だったら…」
そう言ってアスカは目を閉じるけど…。
アスカは…単に申し訳なくて身体を差し出してるだけだ。田宮達には許して僕には許してないってことが…。
『あんたとSEXする度に罪悪感にさらされることになんのよ』
…そんな風に思ってる相手に興奮できない…。
だからと言って断ったら恥をかかせるし…傷つけることになる。八方塞がりだ。
抱きたいとは思う。だからアスカを思って一人でするんだ。
そのことに対して罪悪感もある。けれど現実に実行してる訳じゃないんだから責められる謂れまでは無いと思う。男は多かれ少なかれそういう妄想を抱いてると思うし。
だけど中には現実に行動してしまうバカがいる。田宮達のような。
アスカは想像の中と似たような目に本当にあったのかもしれない。だからこそ僕がすること全て受け入れるかもしれないけど…それじゃあいつらと同じだ。
だから…手を出せない。
「…やめよっか」「…え?」「唐突過ぎたよね。またチャンスがあったらにしよう」「…うん」
そう言ってアスカはベッドから起き上がった。嬉しくもあり…哀しくもある。
「ごめん…また、一番安易な方法に逃げるとこだった」「…え」
「身体で繋がればいくらか楽だと思ったから。思考を放棄できるから…」
「アスカ…気持ちは嬉しいんだ。だけど今はまだ…」
ううん…やっぱシンジは身体だけ見てるんじゃないんだなって…それが分かって…良かった」
「…僕はアスカに対して…しっかりやらしいこと考えてるよ。したいとも思ってる。…今度は…僕が誘うよ」
その覚悟が決まる日は来るのか分からないけど。
「うん。いつでも誘ってよ。…でも…早めにね。でないと…私いなくなっちゃうよ?」
そう言って…アスカは部屋から出て行った。
その夜はもちろん…僕を思って一人でしているアスカを思って…一人でした。

684: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 19:16:16 ID:???
「…これは?」
ベッドの脇に置かれた雑誌を司令が拾った。通信販売の…カタログだ。
「…私のです」「何か欲しいものでもあるのか?用意させるが?」
「…服を…」
司令のページをめくる手が止まる。よほど意外だったのだろう。私が着る物のことなんか気にすることが。
私も…そう思う。こんな風な考えを持つようになった自分が不思議。
そういうことに悲しいぐらい疎いので…実際に店に行く勇気はない。だから通信販売。
「…スカートか」「……」
司令は折り目のついたページを開いた。
「…どんな色だ?」
青いスカートだ。いつか碇君が言ってくれた。私にはきっと似合うって。今度一緒に見に行こうと。
その『今度』は…多分やってこない。だから私も青いスカートを買うことはない。
なのに…私はカタログで青いスカートを探している。
「青だろうな」「え…」
「レイには…青のスカートが似合うだろう」「……」
司令は…碇君と同じことを言った。けど
「だがレイ。こんなことに気を使わずとも良い。心配しなくとも私は飾らないお前を愛している」
そう言って司令はカタログを破り捨てた。
「あっ…」
「大事なのはお前の本質だ。殊更に飾り立てる必要は…何もない」
それは…悪意から破ったのではないことは分かっている。『そんなこと気にしなくても魅力的だ』そう言っていることは分かっている。
けれど…。
私も女だから。好きである人に自分を良く見せようとするのは…性だと思う。ずっと眠っていた部分。碇君に出会って…初めて動き出した部分。
けれど…私にはそれは許されないことらしい。
服を買うことも。カタログを見ることも。夢を見ることも。
私が青いスカートを履くことはない。それが本当に私に似合うかどうかなんて…知るわけもない。

790: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 22:44:38 ID:???
送還可否決定期日まで後5日。

「碇君…」
テスト後、自販機でジュースを買ってるとまだ着替えも済ませてない綾波が話しかけてきた。…こっちは何の心の準備も出来ていない。
「…やぁ…」「…あの…」
今日も調子は良くなかった。そういうのもあって勘弁して欲しかったけど…向こうから来た以上逃げるわけにもいかない。ていうか…このままだと逃げる口実を僕はいつまでも探し続けると思う。
本当はあの夜のことを追求したい。けれど…もっと大事な話をしないといけない。
だけど…話さなくちゃいけないからと言って、そう簡単に人間割り切れるものじゃない。
僕も喋らないし綾波も何も言わずに立っている。向こうも何の覚悟もなしに話しかけたらしい。
―と。
「…く…!」
買ったペットボトルを開けるのに悪戦苦闘。左腕がまだ力を入れると痛むんだ。すると…綾波がボトルを取り、開けてくれた。
「…ありがとう」「……」
スーツ越しに指が触れ合った。それだけで綾波が緊張するのが分かった。
…とりあえずベンチに腰掛けてジュースを飲む。
「…まだ痛むの?」「…少しね」
「…大きな怪我?」「そうでもないみたいだけど…今は痛いんだ」
ボトルのことは…話のきっかけになった。
「どうして…怪我なんか…」「…色々あってさ」
「…あの“すぐ後”でしょ?原因は…私?」「……。違うよ。綾波は…関係ない」
拳銃持ってアスカの後をつけるような不安定な精神状態にされたのは確かにあのことが原因だ。だけど…それとあの事件の顛末とはまた違う話だろう。
それでも…違うと言っても綾波は珍しく食い下がった。
「じゃあ…何が原因?」「……」
他人のことに…これだけ食いついてくるのは見たことない。

791: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 22:45:56 ID:???
「…アスカが彼氏に…“前の”彼氏に会いに行くのに黙って勝手に付いて行ったんだよ。それで見当違いなこと言って首突っ込んだら回りの連中に叩きのめされた」
話を自分とアスカのために色々端折るとこういう言い方になった。まるきりの間違いでもないと思うけど。
綾波は少しショックを受けていたみたいだ。
「そう…惣流さんに…。…それでどうなったの?」
「…完全に終わった。アスカとその相手は」
この僕がそう、はっきりと断言できるくらいにその事実だけは間違いない。
「…じゃあ…碇君と惣流さんが付き合うことに何の支障もなくなったのね。じゃあ…」「……」
綾波は…触れるのが怖いはずのこの話題の一番の根っこに、あえて自分から立ち入った。だけど…その先にまでは踏み込めないらしい。すなわち…『もう付き合い始めたの?』と、『私達はどうなるの?』には。
ここで僕が言ってしまえば話は早い。ここではっきり言ってしまえば…。だけど…。
「…シンジィ?まだ着替えて――…」
そのとき。アスカが着替えてやってきた。僕に話しかけようとして――綾波を見つけて口をつぐむ。
「…ごめんね。シンジ。ファースト。私、先行ってるから終わったら―…」
「いや、アスカその…」「…別に…何を話していたわけでもないから」
アスカが怖いくらいすっと身を引いたので僕が慌てると、綾波もまたすぐに身を引いた。
「…ごめん。綾波…ちょっと二人で上に上がる約束してて…僕…行かないと」「…えぇ。行ってあげて」
綾波は…目線を合わせようとしない。これは…このまま立ち話の続きなんかで全部終わらせるっていうのは…あんまりだ。
「…今日の夜。部屋に行くから」「…え?」
「おかしなことはしないから…待っててよ」「あの…碇君…!」
そう言って僕はアスカの方へと走った。
「私は…もう…あそこには…」
その声は僕には届かなかった。

793: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 22:46:53 ID:???
ゲート前でアスカは待っていた。
「…そんな先に行かなくてもよかったのに」「随分早かったじゃない。もういいわけ?こっちは退屈する気満々だったから構わなかったのよ?」
独特の言い回しだ。腹に生まれた認めたくない感情を押し殺してるのがありありと分かる。
「…もう来ちゃったからね」「……」
それ以上は僕もアスカも言わなかった。
ゲートを通り、外に出る。上にあがって別に何をするわけでもないけど…家に行って…まだ使えるものとか…少しは掃除とか…そういうことをしようかと思う。
「…あんたさ。ファーストに本当に振られたの?」
電車を待つホームで…アスカがそんなことを聞いてきた。
「…多分そうだよ」
振られたと、“多分”振られたは随分と違う。あれだけ大勢の前でえらそうに言って、告白の権利を主張しておきながら…全く当てにならない話だ。
「あの様子は振った女の態度じゃないように見えたけど?」「…ごめん」
「…何に対しての『ごめん』か分からないけどさ。もし続いてるんなら終わらせないで置いときなさいよ」「いや…いやそれは…」
「私に義理立て先走ったりしたら手元に何にも残らないで泣きを見るわよ。私は時間の問題でいなくなるんだから」「……」
「卑怯だろうとなんだろうとね…幸せになったもんの勝ちなのよ」
電車が来たから…それ以上アスカは続けなかった。
確かにどちらかが終わりにしようと口にしたわけじゃない。終わっていないならば付き合っているのかもしれない。
けれど付き合ってる相手に対してこうまで身構えないといけないものか。アスカと田宮と変わらないじゃないか。これで付き合ってるも何もあったもんじゃない。
だけど…いざ別れようとして覚悟をまとめようとすると浮かんでくる…綾波の笑顔はなんなんだろうか。
とりあえず今夜…綾波と話をしよう。
夕暮れ。人も増え始めた列車内に僕らは二人乗り込んだ。

795: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/18 22:48:03 ID:???
「上がる人は上がり、下がる人は下がる…か」
何ともいえない声のトーンでマヤが呟く。そこに昨日ほどのはしゃぎようは無い。
「確かにな…これじゃ手放しで喜ぶわけにはいかないか」
青葉もまたそのデータを見ながら呟く。
幸い、アスカの数字はまた上がっている。しかし一方で、シンジやレイの数字は改善されておらず…特にレイは今日も数字を大きく下げていた。
「やっぱり…シンジ君のことが…」
「そうなんだろうが…ここまで影響する物だとはな」
どれほど真剣に思っていたかを数字が如実に示している。生半可な思いではなかったのだろう。しかし…これは決していい傾向ではない。結果は…もう殆ど出ているのだから。
「…パイロット同士の交際、それも三角関係ってまずいわよね?どうしたって連携なんかに齟齬が…」
「そうは言っても年頃だからなぁ…近くにいる同年代の異性を意識するのは仕方ないだろう。
周りは大人ばっかり。同じ14歳はたった3人。男は1人。
選択肢はハナからないんだ。好きになるならシンジ君しかいない。それを無理に外に選択肢を求めようとすると…」
そこから先は言わずもがな。マヤは大きくため息をついた。
「あー…日向君早く帰ってきてよぉ…空気がまた変な風になりそう…」「赤木さんもこの結果見ても何にも言わなかったしなぁ…あんなキツイ条件設定しておいて…」
「先輩は先輩なりに考えを持ってやってるの!」「…まぁそれはそうなんだろうけどさ」
その考えが問題なんだよ。マヤの手前、口には出さないが青葉はそう思う。
「とりあえず今晩そういうことも含めて話してくるよ」「彼に会うの?」
「呼ばれてるんだ。何か深刻ぶってたけど…どうせ憶えることの多さにテンパってるんだろ?」
「お願いね。多分、一番あの子達のケアに向いてるの日向君なんだから。何でか知らないけど、やたらこないだの事件のことでも責任感じてたし」
数時間後、日向が責任を感じていたろくでもない理由を青葉は知ることになる。


6: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/19 10:08:26 ID:???
「…来た意味無かったわね。まぁ…ここの料理はアリだったけどさ」
レストランを出るとアスカは一つ伸びをした。
「お金だけは…いっぱい渡されるようになったからね。…ミサトさんがいた頃よりかは…贅沢できるけどさ」
「…外で食べるホントに美味しい料理もいいんだけどさ。たまにあんたが作る、美味いのかどうかよくわかんない料理が食べたくなるわ」
僕の前を歩きながらアスカはふと呟いた。どんな顔して言ってるのかは…分からない。
「…そう?」
「たまによ。たま~…にね」「…作るよ。今度」
「そんとき“たまたま”食べたかったら食べてあげてもいいわよ」「期待せずに作るよ」
軽口を叩き合ってるけど…僕らはその“今度”が多分来ないことを知ってる。作る場所なんかどこにあるっていうんだ。
家ではほとんど何も出来なかった。それどころか何かしようとしたことでどうにもならないことを思い知ることになった。
でも…。
「アスカ…」「ん…?」
「明日も…“帰ろう”」「……」
立ち止まり、アスカが振り返る。
「…何しに?何か出来るの?私らがあの廃墟で」
「…何も出来ないよ。だけど…僕らがあそこで何も出来ずに途方にくれることっていうのも…意味がないわけじゃないと思うんだ」
「……」
自己満足には違いないんだ。だけど…。
「…明日もモタモタしてたら置いて“帰る”からね」「うん…」
アスカはアスカらしい言葉で、また歩き出した。
駅。僕は改札をくぐるアスカを見送る。ついて来ない僕にアスカは怪訝な顔をした。
「…シンジ?」「…これから…綾波に会ってくるよ」
アスカは表情を変えまいとしたけど…明らかに強張るのが分かった。
「…ふーん…。何を…話すの?」「……」
ベルが鳴った。列車が入ってくる。通勤帰りのサラリーマン達が慌しく動き出した。あんまり邪魔になるといけないので僕はこれだけ言って、どいた。
「…ちゃんと話をしてくるよ。もう…付き合えないって」「…分かった」
「…おやすみ」「…おやすみ」
アスカはホームへ、僕は綾波の家へと早足で歩き出した。

39: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/19 19:31:18 ID:???
どんな話をされるかは分かりきっている。行かなければ結論は先送りできる。けれど…それでも…。
「…会いに行こう」
私はさんざん迷った末に…部屋に行くことに決めた。
今日は司令は本部にはいない。今夜は帰っては来ないと言っていた。だから…今夜なら。ううん…今夜しか。
碇君は来ると言った。ならば私はそこで待つ。
どんな内容であれ私は受け止める。それが私の望まない言葉でも。そう決めた。それが唯一、私の誇りであり、意地。
出かける準備をする。タンスを開き、わずかな、本当にわずかな中から服を選ぶ。これでも…碇君と出会ってからは随分増えたのだけれど。
髪のいじり方さえろくに知らない。憶えようとも知ろうともしてこなかった。今では…そのことを後悔している。
自分を良く見せる術をまるで知らない。惨めになる。それでも…鏡の前で悩まずにいられない。
苦しみながらも…ときめいている自分に気付く。…わずかに…わずかな期待を捨てきれない自分がいる。
用件が…もし…もしも私の思ってることじゃなくて…あの夜のやり直しだったら…。
その後で結論を言われたとしても構わない。思い出に出来る。思い出だけでも生きていける。きっとそれは…とてもとても辛いことだけど。それでも…。
…なんて浅ましく諦めの悪い女なんだろう。
“プシュ…!”
「え…?」
ドアが…開く音。
「…レイ…今帰った」
そんな…今日は…帰らないと…。
司令は部屋に入ってくると両手に服を下げた私に、怪訝そうに眉をしかめた。
「…何をしている?」「…整理です」
散らかしているようにしか見えなかっただろう。けれど司令は
「…整理の過程とはこういうものだな…」
と小さく呟いた。
「…今日は…帰られないのではなかったのですか?」「思ったよりも早く用件が済んだ。すぐにまた出なければならないが、二人で夕食を取るくらいの時間はある。
食事にしよう。この間の店のものを包ませてきた。温めてくれ」
「…はい」
出かける…もう一度…。食事を…食事さえ済ませば…私も出掛けることが出来る…。
私は…あんな長く感じる夕食を経験したことが無い。

79: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/19 22:26:22 ID:???
鍵がかかってないのはいつものことだったけど…ノックに返事が無いのはここのところ珍しい。
「…綾波…入るよ?」
恐る恐る扉を開ける。部屋は暗いままだった。
…以前のことがあるので、念のため風呂場も伺う。音無~し。明かり無~し。
…いない。留守だ…。
電気をつける。“何も変わった様子はない”。ただ綾波がいないだけだ。
時間も、もうそろそろ遅いのに。心配…はする必要ないな。ガードのおそろしさ、執念深さはさんざん思い知った。
電車の中でもレストランでも連中は近くにいた。あの事件以来、もはや目立たないよう気を使うのをやめたらしく、僕らが渋い顔をしようとどこに移動しようと、外に出たら場の空気を無視して絶対付いてくる。
今だって来てた。車に何人かと徒歩で二名、男と女が一人ずつず~っとここまで。あの部署、女の人もいたんだ。初めて知った。
流石にあの半ば以上人間やめきった怪物的な気配の連中じゃなく、普通の体格だし服にしても黒服一辺倒じゃないからまだマシだけど…。
…いや、この人たちだってどうだか分かったもんじゃないな。謎の殺人拳とか、いっそのこと腕の二三本もロボ化してたって僕は驚かない。
…訂正。流石に驚く。
綾波だって同じなはずだ。だからそういう直接的な心配は無い。もっと…違うニュアンスで…どうしたんだろうなって思う。
…出直すかな…。…いや…この機会を逃したら僕は多分また先延ばしにする。もうしばらく…待とう。
ベッドに倒れこむ。女の子のベッドにこういう真似するのはホントはよくないんだろうけど、時々僕はこうする。
…いつもと何か違和感があるけど。
…僕以外の奴もここにこうしたことがあるのかな。あのとき…中にいた奴も…。
もし…“綾波じゃない奴”が入ってきたらどうしたらいいんだろう。
“あいつ”は僕に気なんか使わないで残るだろう。僕だって柱にしがみついたって出て行くもんか。
…あいつとの意地の張り合いだけで綾波のことを考えてるわけじゃないけど。その場合…僕か、あいつか。目の前に二人並べたら…どっちを選ぶんだろうか。どっちを出て行かせるんだろうか。両方ここに…なんてことになったら流石に僕は出て行く。
やっぱりこの間と同じなのかな。それとも…。
別れ話をするためにここにいるはずなのに…僕はそんなことばかり考えながら綾波を待った。

110: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/19 23:19:11 ID:???
携帯に手が伸びかけ…やっぱりやめる。話の最中に鳴られたら嫌だろうし、電源切られたりしてた日には逆にこっちの方が勘ぐる。
もう告げたのだろうか。すんなり別れられたのだろうか。
別れるかもしれない。あの女なら。そんな気もする。生半可な覚悟では都合のいい女はやれないだろう。
けど…そんな女だからこそ泣いてすがられたりしたら…。
涙はやっぱり女の最後の武器だ。多用するもんじゃない。私が今更少しくらい泣いたって屁のつっぱりにもならない。
…苛付く。
タバコに火をつける。外に出た目的の一つはこれ。NERVの自販機では身分証の提示か、指紋データによる年令確認が行われて私には購入できないから。
化粧はずいぶん薄くしてる。いきなりしなくなるっていうことも出来ないけど…やっぱ楽。シンジは鈍くて気付かないのか何にも言わないけど、女の職員にはちょくちょく言われる。
薬が欲しくなることももうない。身体はあの快感を忘れてないけど、諸々の面倒を考えたらもうどうでもいい。そのうち忘れると思う。
けれど…タバコはもうやめれなくなってきてる。最初無理してたけど…今は本当に吸ってる。苛付くと今みたく吸って落ち着きたくなる。
「こんな女じゃなくて…やっぱファーストみたいな子が好きなんじゃないのかなぁ」
やぼったい程に清純。人付き合いは下手だけど素朴で。怖いくらいに一途で。真面目で。限りなく優しい。
全部私に無い要素。
シンジは私が好きだって言うけど…私にはどこがいいのか分からない。前は胸張って自分の長所を一日中だって話せた気がするけど。
今は精々『ルックス…』と控えめに言う程度だ。でもそれだったらファーストも負けてない。
赤木博士やマヤさんのこと考えたら、頭がいいなんて恥ずかしくて言えないし。最大の誇りだったEVAはもう…。
多分…というか確信をもって言えてしまうけど…シンジは私がいなくなったらファーストと付き合っていくと思う。今日どんな話になるかに関わらず。…信用してないんだな私。
その方がいいと思う一方で、やっぱり納得できない私の方が大きい。シンジには偉そうな口聞くけど…大人のフリはしきれない。
本当は私がいなくなってもずっと一人で私を思っていて欲しい。
タバコの煙が狭くて低い天井に溜まる。私の心みたいな広さと高さ。側にいないくせに縛り続ける女なんて…最悪だとは思うけどさ。

135: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/19 23:46:21 ID:???
綾波は帰ってこない。
「…もう時間が…」
終電とまでなると慌しいから…余裕もって行動するとなるとそろそろ帰りたいところなんだけど。
待ってる間にすっかり僕の覚悟はへこたれてる。ちょっとうつらうつらしたのがまずかったかもしれない。一回、気分がリセットされて…。
携帯は…圏外なんだよな。凄いなココ。いつもこの部屋にいるときでも普通に綾波には繋がるけど…どんな携帯使ってるんだ?これから先、使徒来ても圏外で繋がらないとかいうのは無いんだろうか。
外に出れば普通に綾波にかけれるけど…そういうテンションじゃなくなった。
「…今日は帰ろう」
また今度だ。いないなら仕方ない。完璧な言い訳だ。
置き手紙でもして…。紙は…紙はないのかな…。そうやって周りを見渡して…初めて気付いた。
「…あれ?」
おかしい。冷蔵庫の上に薬の袋がない。その脇に立てかけてあるはずの、僕と買いに行ったテーブルがない。
「……!」
ベッドを見る。違和感あるはずだ。枕が無い。
寝てばっかりの綾波は『自分の物にはあんまり執着しないけど…この枕には愛着がある』ってボソボソ言ってたんだ。
クローゼットを開ける。…服は…一枚もない。そんな…。
家具は…置きっぱなしだけど…。別にこんなものどこでだって揃えられる。必要なものと大事なもの以外は置き去りに…。
綾波は…もう…ここには住んでない。
そんな…何も言ってなかったのに…どこに行ったんだ?
…あいつの…あいつのところに?あいつと…暮らすのか?なんで…そんな…。
身勝手な喪失感に…足元がぐらりと揺れた。

“ガチャ…”
「……はぁ…はぁ…はぁ…!!」
レイが息を荒げて駆け込んできたとき…部屋には誰もいなかった。
「…………」
来なかった…?…いや…。
失望と…安堵が身体を包む。疲れ果て…レイはベッドへと倒れこむ。
「…やっぱり…来たのね」
まだ温もりの残るベッドとつけられたままになっている電灯が、少し前までそこに誰かがいたことと、その誰かの動揺を示している。
チェストの上に置きっぱなしにされた壊れたメガネが明かりの照り返しに鈍く光っていた。

142: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/20 00:32:45 ID:???
“ガッ!!!”
拳を頬骨でまともに受け、日向は本棚に激突した。本が一斉に降りかかり、更なる衝撃を与える。
「…もう少し建設的な話するつもりだったんだがな…。そういう感じじゃなくなったなぁ…」
もう一発食らわせたいのを堪え、青葉は呻くように呟く。本の中から日向がよろよろと身を起こした。
無精ひげは生えっぱなし。頬もこけかけている。目がうつろなのは鉄拳制裁のせいだけでもなさそうだ。
「…済まない」「謝るなら俺じゃないだろう!」
「謝る機会すら…与えてもらえなくてさ。電話も…」「知ったことかよ!」
テーブルには本部から送られてきた資料が山と積まれている。作戦部長の真似事をする以上最低限目を通しておかないものばかりだ。
時間はいくらあっても足りないはずだが――ほとんどは手付かずのままだ。
「…取り返しなんかつかないから…せめて社会的に裁きを…」
その言葉に青葉が胸倉を掴み上げる。抵抗すらない。
「…いいか…あの子はただでさえ立場が悪い。それが今…初めてわずかながら光明が見えかけてる。そこに水を差すような真似はやめろ!!」
「…何も…するなっていうのか…?」
「そうは言ってない…ただ…!」
「…何もしないで…それでどうなるんだ…残ることになればそれこそ…あの子は俺の顔すら見たくないはずだ!」
「だからってやめてどうなる!臨時作戦部長代理がいなくなって俺らは!無責任なこと言わないで後のこと考えろ!」
「俺はまだただのオペレーターだ!責任なんて無い!」「その発言が無責任だっつってんだよぉ!」
再度、青葉の拳が日向を襲う。今度は腹。まともに胃に突き刺さり、日向はもどす。しかし胃液ぐらいしか出てこない。ろくに食事も取っていないらしい。
「…NERVに背中向けたときのお前はどこ行ったんだよ…」「……」
「…守るんだろうがあの子達を…。やっちまったことよりも…これから何をしてやれるか考えるのが先だろう!」
「それじゃあ…俺の罪はどうなる…」
鈍痛に喘ぎながら日向が尋ねる。
「…知るか」
「俺は…どうしたら償える…」
「知るかって言ってんだ!!」
友人であり同僚である男に対し、不本意な叫びを続ける。色んな思いを含んだ複雑な激情が青葉を包んでいた。
許せないが何かしてやりたい。しかし何をしたらいいか分からない。
日向は追い込まれていた。

194: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/20 18:26:05 ID:???
送還可否決定期日まで後4日。

「碇君…」「……」
プラグスーツに着替えて更衣室から出てくると…綾波が昨日と同じように声をかけてくる。
「…あの…昨夜…」「……」
当然の話題だ。僕は精一杯申し訳なさそうな顔を作った。
「…あぁ…僕の方こそ謝りに行こうと思ってたんだよ」「え?」
「ごめんね。 結 局 行 か な く て 」「………!」
「色々してたら遅い時間になっちゃってさ。連絡すればよかったんだけど。ごめんね」「……」
綾波は黙り込んだ。とても複雑な表情で…何か考えてる。
「…ずっと待ってたのに…」「……」
信じられない言葉だ。違う。君はいなかった。だけど僕はそれを知らない。“行ってない”んだから。本当はまるで非は無いけれど謝るしかない。
「…ごめん」「冗談よ」「…え?」
冗談だったにしてはえらく思いつめた顔だったけど…綾波は続けた。
「…私 も 昨 夜 は 帰 ら な か っ た か ら 」「……。…そうなんだ」
「本部に遅くまで残ってて…それで…待たせちゃったかと思って…。私こそ連絡すればよかったのに」
「…いや結果オーライだよ。どちらも困らなかったんだし。お互い気にする必要ないよ」「…そうね」
「ははは…綾波も人が悪いな。謝っちゃったよ…」「……」
笑い話になっても良さそうなオチだ。だけど僕も綾波も笑えない。
「…今夜は?」「…ごめんなさい。今夜は…」
「明日は?」「明日も…」「いつならいいの?」「……」
綾波は…答えない。
「…あの…碇君。話なら…別のところでも…碇君の部屋とかでも私は…」
「いいよ。わざわざ足運ばせるの悪いよ」「でも…碇君の部屋は本部内だからその方が…」
「時間が出来たら教えてよ。僕 の 方 か ら ま た 部 屋 に 行 く 」「…ええ…」
綾波は苦しそうに了承した。そうだね。そうするしかない。…来ないな。そんな日は。 
「…それじゃ…試験始まるから…」「…ええ」
そう言いながらも僕は歩き出さない。綾波はその様子に…哀しそうに一人で実験場に向かった。
間違いなく気付かれてたな。僕の嘘は。だけど別に悪いとも思えないんだ。
綾波。昨夜はじゃないだろ。君にとってあそこはもう帰る場所じゃない。
綾波。初めてだね。君が僕に嘘をついたのは。

198: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/20 19:06:03 ID:???
「んでちゃんと別れたんでしょうね」「…それでこっちは直球なんだよなぁ」
実験場の前で仁王立ちで待っていた私に、シンジがよく分からないけれど多分、失礼であろうことを言う。
突っ込みたいけれど、とりあえずそこはスルー。
「今、入ってったファーストの様子からはそういうことがあったのかなっていうのも伺えるんだけど?」
「…結局、行かなかったんだよ。綾波の家には。怖気づいちゃってさ」
…また始まった…。バカシンジの十八番。一事が万事これだ。
「…そうなるんじゃないかなとは思ってたわよ。けどまさか本当に…」
「ごめん。あれだけ見栄切っといて…」
「いいわよ。もう。その代わりもう出来もしないこと約束しないでね。こっちが要求しもしてないのに。
例えちょっとでも期待させられて、それを裏切られるのってむかつくから」
「うん…だけどさ…」「…?」
「終わった気がするよ。昨日」「何が…?」
「…お互いに…誠実じゃない関係がさ」「…だから結局別れてこなかったんでしょ?」
不審げに睨みつけても気にせずに…シンジはぼんやりと淡々と呟く。
「僕が綾波を弄んでるって構図だとずっと思ってたんだ。だから心も痛んだ。けど…本当は逆だったのかなぁって…」
「……」「白黒はっきりした終わり方じゃないけど…お互いに色んなことを置き去りにしたままで釈然としないままだけど…こういう冷めていく感じっていうのが本当の…」
「何を訳分からないことを…自分が複数の女手玉に取れる人間だと思ってんの!?鏡を見なさい、鏡を!!たずねなくったって答えを教えてくれるわよ!」
「分かった!分かったよ!もう言わないよ!」
私の追及にシンジが慌てて手を振る。なんか…なんか久しぶりだなぁ…自然にこういうのをシンジとやるの。
ふ~ん…唐突に冷めたんだ。自然消滅の予感とでも?何があったか知らないけど…なんかリアルね。まぁこいつの言うことはコロコロ変わるから話半分に聞いてたって損は無いけどさ。
「さて…試験に行きますか。後、何日乗れるか分からないんだから、思い出作りしとかないとね」「またそういう言い方を…」
「事実でしょ?いい?終わったらさっさと出るわよ!あんた男のくせに支度遅いんだから」
こういうことで機嫌がよくなる自分っていうのも好きじゃないけど…嬉しいものは嬉しい。
少しは憂いなくドイツへと帰れそう。

274: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 02:52:40 ID:???
「とうとう逆転した…」
複雑ながらも喜びを隠し切れないマヤの呟きにリツコが固い表情になる。画面では一番下にある棒グラフが一番上の棒の長さを抜き去っている。
前日に増しての急激な伸びだ。とはいえレイの不調がここに来て加速しているからこそなのだが。
「そろそろ低下するかと思ったところでこれだからな。本当の復調といえるかもしれない」
青葉もまた感想を述べる。レイを慮ってか露骨ではないが、やはりその声にも嬉しさが滲み出ている。
「シンジ君もやや持ち直してるし…けれどレイだけ…」「レイの数字がそのままアスカに持って行かれてる感じだな」
「なんかこの子達の恋愛模様がそのまま縮図となって現れてるみたい」「今に限ってはそうなんじゃないのか」
「っていうことは…そういうことなのよね」「出歯亀してるみたいで気が引けるな」
二人の口数が増える。およそ実験中に交わすべきではない事にまで話は及んだ。
「…二人とももう少し…」「あ…」
見かねた別の職員が誰かに気を使いながらたしなめる。二人は慌てて黙り込む。
少し私語が過ぎた。こういうのを嫌う人が後ろに控えている。
しかし叱責は飛んでこない。それどころか…この結果にリツコはさっきから一言の感想も述べていない。
「あと4日か…長いわね」「本当に水物だからな。ちょっとしたことで…」
「3人に何事も起こらないのを祈るくらいしか…」
「…テストを終了しましょう」「え?」
唐突にリツコが試験の中断を指示した。普段と違うその対応に皆が戸惑い顔を見合わせる。
「し、しかしまだ時間は随分…」
「連日の試験よ?明日もテストはあるのだし、長時間のシンクロは神経にも良好とは言えないわ。
データはもう充分。もう一度言うわよ。試験終了」
その様子はまるでこれ以上この試験を見ていたくないようだった。
「…了解しました。…試験を終了します。ハッチが開くのでシートに腰掛けたまま…」
有無を言わさぬその様子に、マヤがアナウンスを開始した。他の面々も黙って各々の作業手順に移る。
リツコは両腕を白衣に突っ込んだまま、実験プラグで怪訝そうな表情を浮かべるアスカを睨みつけていた。
「…叱るときは叱り…誉めるときは誉める。それが正しい子供の育て方。そうよね?ミサト」
リツコがついに動く。

278: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 03:07:45 ID:???
「お疲れ様。良かったわよ、アスカ」「…え?」
実験場に入ってきた3人の中、リツコはまずアスカに声をかけた。自分と距離を置いているはずのリツコのその言葉に、アスカが不審そうに身構える。
「シンクロ率、ハーモニクス、共に昨日に比べて随分と上昇しているわ」
「先ぱ…!」「赤木さん…!?」
リツコの突如としたギリギリの言動に一堂は目をむいた。いや…もっと目をむいているものがいる。当の…アスカだ。
「………」
「この3日での伸び率は信じられない数字よ?かつての貴女を髣髴とさせるわね。そろそろ調子を取り戻してきたのかしら?」
「………」「………」
アスカのみならず、シンジやレイもまた意思を図りきれずに困惑した様子でリツコを見つめる。
マヤ達は止めるに止められずにやきもきしていが。当然だ。ただ、アスカを誉めているだけだ。極めて自然に。少なくとも表面上は。
アスカのまるで…まるで変化しない表情を見れば、本当はやめさせた方がいいのは分かっている。
しかし止められなかった。
「これは以前伝えた件も考え直すことになりそうね。理由が無くなっちゃうもの。とりあえずこの調子を後4日維持してくれるかしら?」
「…4日?」
「先輩!!流石にそれは…!」
突然飛び出した具体的な期日にアスカが眉をひそめる。マヤ達の血相に、さらにさらに眉間のしわは深まる。
誉めること自体は…それ自体はおかしなことではない。いい成績を出したもの、調子を取り戻しつつあるものを誉め、労い、更なる奮起を促す。当然のことだ。
ただ…それは時と場合によるはずだ。今、この状況で、はっきりした期限や条件を明言するべきではない。
プレッシャーになるだけだ。希望が残されていることを告げてやれないのはもどかしくも辛くもあるが…アスカのためを思うのならば黙っているのが上策のはずだ。
それが全てを明かすなどと…。
アスカはしばし黙っていたが…。
「…あぁ…なるほど…なるほどね。そういうことか」
ようやく全てを察した。
「あと4日踏ん張れば私はドイツに帰らなくても済む…と。そういうことね?」
その声はとてもとても静かだった。

304: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 03:48:44 ID:???
「の、残れるんですか!?」
予想外の展開に僕の声も裏返る。リツコさんは困ったような笑顔を浮かべた。
「…シンジ君。そう露骨に聞かれると答えられないわ。普通、こういうのは当の本人には内緒にしておくものなんだから。
私は一言だってそんなこと言ってないわよ?どう想像を膨らますかは貴方達次第だけど」
「…え…でも…」
そういうことに決まってる。けど…だったら何で教えるんだよ。それじゃ余計に気負って…。
アスカはじっとリツコさんを睨んでいたけど…マヤさんに近付いて行った。
「マヤさん。私のシンクロデータ」「え…あ…ちょ、ちょっと待ってね」
マヤが慌ててデータを呼び出す。アスカはそれに静かに目を通す。
自分のテスト結果をはっきりした形で目にするのはいつ以来なのだろうか。
「これが前日でこっちが一昨日。これ以降はそれ以前で…」「…ふ~ん…いずれにしても問題外ね。酷すぎる」
「…そんなことないわ。この上昇比率は本当に…」「出発点が低すぎるんだから当然じゃない」
アスカはそう言ってリツコさんの方へ向き直る。
「赤木博士。その4日後っていうのはかったるくないかしら」「…どういうこと?」
「大体こういうのってちょっとのことで変動するじゃない。その言い方だとずっと上がり続けても4日目に落っこちたらアウトってことよね?それって随分とシビアな気がするんだけれど」「そうかしら」
無茶苦茶な条件突きつけておいて、リツコさんは涼しい顔だ。でも…アスカの次の言葉はそれを上回る無茶…いや“無理”だった。
「だからね。こういうのはどう?
“4日以内にシンクロ率の自己記録を塗り替えれば即残留。出来なければアウト”…ってのは?」
「アスカ!?」
僕もそうだけど…リツコさんの顔色が変わる。
「…不可能よ。貴女…エヴァを…エヴァを舐めてるの?」
「出来るとか出来ないかとかは私次第でしょ?あんたが決めることじゃない」
「あんた…自分にどれだけの資質があると…」
「御託が多い女ね。私は乗るか降りるかって聞いてんのよ」
リツコさんの言葉をバカ扱いして切って捨てる。目には強靭な意志が宿ってる。
これは…僕の知ってるアスカだ。殴られたら倍にして殴り返す。売られたケンカは更に高値で売り返す。
そうだ…まるっきしこれはケンカだ。

372: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 04:42:26 ID:???
「…いいわよ。貴方がそれで構わないわ」
「先輩!」「リツコさん!!」
煮えたぎる何かで震える声を必死に抑えながらリツコさんが…条件を呑んだ。マヤさんや僕の非難にも全く動じることは無い。
アスカがニヤリと笑った。
「…シンジ君についてはさして深刻に考えてないわ。そのうち取り戻してくれるでしょうから」「え…ああ、はい」
「レイ。スランプかしらね。心を平静に保つよう心がけて。リラックスよ」「…はい」
「…それじゃ」「せ、先輩…!」
僕達に対しては手短に声をかけただけで、リツコさんはさっさときびすを返して実験場を出て行った。マヤさんが慌てて後を追った。
「く…くくく…」
誰もが動けずにいる中…押し殺すような声が漏れる。
「だからさ…期待させるなって言ってんじゃない…。どうせ叶いやしないのに…。
わずかな希望ってのは完全な絶望よりも人の心を弄ぶってのにさぁ…」
言葉とは裏腹に…アスカは笑っていた。それは笑顔とは呼びづらいものだったけど…笑ってた。

「先輩…!何であんなこと!」
廊下を異常な早足で歩くリツコにマヤが必死に追いすがる。通り過ぎる職員が驚いて道を開ける。
「私だって鬼じゃないんだもの。闇の中、何も見えずに途方にくれていた子に明かりを示してあげたのよ。残留という希望をね」
「そういうこと言ってるんじゃ…いや、それもそうですけど!なんであんな条件を呑むんですか!」
「本人の希望じゃ仕方ないじゃない」
「アスカは感情的になってああいう言い方をしただけです!それなのにどうして先輩まで子供の癇癪にまともに付き合ってしまうんですか!」「……」
リツコは静かに足を止める。
「おかしいです…今の先輩はおかしい。昔はそんなんじゃなかった。もっと…冷静で…理知的で…大局的に物を見れて…だけど人のことだって考えられる人でした!
なのにNERVに来たら先輩は…特にここ最近は酷すぎます!どうしてそうなんですか!」
「…そういうのを私の中から根こそぎ奪って行った人がいるのよ」「…誰ですかそれは…」
「…マヤ。私は初めからこうよ。感情の起伏は激しく、直情的で視野は狭く…自分のことしか考えてない。
初めからそういう人間だったのよ」
リツコは再び歩き出した。マヤはもう後を追わなかった。

418: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 06:24:48 ID:???
「どうしてあんなこと…」「…冷めるぞ」
夕食時。本部の食堂は混雑していた。マヤはテーブルにはやってきたものの持ってきたきつねうどんに手を付けようとせず、割り箸すら割ろうとしない。
「プレッシャー与えたって仕方ないのに…アスカのことを思うのなら…」
「…あれじゃないのか。もう一踏ん張りだぞってエールとか」
説得力の欠片もないのを知りつつ青葉はそう口にし、次にトンカツを口にした。トンカツは…美味いが衣が少々厚すぎた。
「いいから食っとけよ。この頃食うぐらいしか楽しみねぇんだから」
「…こないだの大騒ぎは楽しかったね」「……」
日向の話題を出された途端、青葉のごはんをかきこむペースが落ちる。
「昨日…どうだったの?」「…あんな馬鹿知るかよ」「どうしたのよ。家に行ったんでしょ?」「……」
事情を説明できるわけもなく、青葉は黙って箸を動かした。
「…食わないんなら食っちまうぞ?」「…いいよ。食べても」
マヤは本当に丼を差し出した。青葉は一瞬躊躇したものの受け取り、太るかもなと思いつつぬるく伸びかけたうどんを一気にすすりあげた。
会話が止まったので青葉は無理矢理話題をひねり出す。
「…そう言えば始まったらしいな。ようやく落ち着いたってことで」
「らしいわね。戦自と警察の事情聴取」

「ご存知の通り、貴方に対してこれ以上法的な裁きが下されることはありません。ですから気負わずに寛いで捜査にご協力ください」
『調別だ…下手なことを言う訳にはいかないな…』
ついさっき長く執拗な聴取をようやく終わらせてくれた公安も最初はそう前置きした。そうかと思えば今度は陸幕調査部だ。こんな連中につるし上げられるような身になってしまったことが田舎の両親に申し訳なかった。
一日中暗く狭い部屋に押し込められるのは、ただでさえ参っている心と体にはきつかったが、それでも誠意を持って返答した。
「…私が知る限りの情報を提供させて頂きます。ただNERVの機密に抵触することについては申し上げられない部分があることをご了承ください」
「ええ、その編は重々承知しています」
戦自の担当士官は悠然と言い放った。さんざんNERVの諜報部にこけにされているだろうにそういう素振りは微塵も見せない。
「それでは聴取を始めさせて頂きます」
戦自の男は手元のファイルを開いた。

435: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 07:57:08 ID:???
「…おや、もうこんな時間だ。どうもお忙しい中長い時間お付き合いくださいまして」
結局聴取は長く執拗で、寛ぐ間など無かった。憔悴しきった日向だったがそれでも一応微笑む。
「いえ…謹慎中でしたので。ウチの者の多くが聴取に応じる時間が無いものですから、暇を持て余している自分くらいはと」
「ははは!それはお気遣い痛み入りますな!皆さんそうでしたら我々の仕事ももう少しやりやすいんですがな!」
諜報関係の人間に不似合いな快活な笑い声。しかし今の日向には癇に障った。
本当は暇なんかなかったが…どうせ帰っても勉強に身など入りはしない。
「送らせましょう。いや申し訳なかった。任意でいらしてくださった方にお食事も取らせず容疑者のような扱いを…」
男の指示で発言を記録していた士官が部屋を出ていく。部屋には二人きりとなった。
「今、車を呼びに行かせました。もうしばらくお待ちください」
ようやく帰れる…。しかし男は日向に更に話しかける。
「大変でしょうNERVのお仕事というのは」「下っ端はどこも同じだと思いますよ。通信、伝令、情報分析…そんなところです」
「でも子供達の相手などもしないといけないのでしょう?」「…申し訳ありませんが適格者に関することは…」
「あぁそういうことを聞いてるんではないんです。2ndが抹消されかけていることや、ダミーの改良が進んでいることなど何の興味もありません」
「……え」
戦自が知るはずの情報。男は獰猛な笑顔を浮かべた。
「不思議ですか?戦自には漏れていませんよ。戦自には。
お断りしておくと私は今、戦自の人間として喋ってはいません。もっと別のものに属する人間として話しているのです」
「ゼー…!」
その名を口にしようとし…日向はギリギリでやめた。
「…録音は停止しています。私の方も困ることになりますから。けれど記録に残らないにしてもその名はあまり口にしない方がいい」「これは…追加審問ですか?」
「そうなりますね。未だ解決していないことがありますから。
…貴方は葛城一佐が事故に遭遇されると同時に適格者を全員連れ去った。これは全く予想だにしない出来事だった。けれど…まだ一人返してくれていませんね」「…は?」
「日向さん。
フ ォ ー ス チ ル ド レ ン は ど こ で す ?」

465: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 19:19:24 ID:???
「…なんで…嘘を…」
呟いたところで誰も答えてはくれない。私は湯船から上がった。
私には何もない。碇君に好かれているのはこの点だ、と胸を張れるものが一つもない。
だからせめて碇君に誠実であった。碇君への思いには混じりっけがない。それだけが私を支えていたのに。
それなのに私は碇君に嘘をついた。
なくなった。なくなってしまった。自分で無くした。
追求したかった。貴方は家に来たと。何故嘘をついたのかと。どうして待っていてくれなかったのかと。
けれどそうしたら彼にも追及されただろう。何故、部屋を出たのかと。今、どこに住んでいるのかと。
尋ねられていたら白々しい嘘を付いただろう。そして私の下手な嘘は喋った端から暴かれていただろう。碇君を更に幻滅させていただろう。
多分、私はこれからたくさんの嘘を碇君につき続けると思う。一度そうしてしまったから。私は…きっとそうする。そして気付かれ、嫌われ続けるのだ。
彼も私の言葉が嘘だと気付いた。私に部屋に来られることを拒んだ。自分の方から行くというのは…あの部屋で出迎えれるものなら出迎えてみろと…そういう意味だと思う。
はっきりと言葉にはされなかったけど…捨てられた?
「しかも…セカンドが」
数字を見た。凄い伸び。一緒に自分の数字も見ることになった。青葉二尉が慌てて隠したけど…少し見ただけでも酷い下がり方だった。あれが私の現状だ。私の荒れた心を…そのまま現している。
記録更新は不可能だとは思う。けれど…彼女の目付きは普通じゃなかった。
彼女をああまでさせるものが何か分からない。搭乗者としての誇り?それとも碇君?
あの凶暴なまでの情熱は私には無い。それが私と彼女の差なのかもしれない。
万が一…万が一彼女が残ることになれば…私は碇君と楽しそうに喋る彼女をこれから先も見続けなければいけない。
耐えられると思わない。けれど…どうしたらいいか分からない。
十中八九彼女はドイツに帰ることになる。誰も何もしなくても。否が応にも。
それなのに私は彼女の記録更新が為されないことばかり祈っている。祈る必要すらないのに。
私はいつからこんな人間になったのだろう。共に戦った戦友の不幸を祈る…醜い人間に。
風呂から出ると洗面所の鏡に卑しい生き物が映った。

469: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 20:13:02 ID:???
「一尉。用意が…」
先ほどの部下がドアをわずかに開いて準備が出来たことを伝えに来た。一尉らしいその男が頷くと、部下はまた扉を閉めた。
「車の準備が出来たようです。正面玄関へどうぞ」
「…私は…何も答えていない…」
青ざめた日向に男は余裕綽々で言ってのける。
「その顔を見れば分かります。彼を連れ去ったのは貴方ではない。まぁ初めからそうだろうとは思っていましたが。
私が偶然貴方の聴取を取ることになったので“ついで”に尋ねたまでのことにすぎません。念のためです」
「…何故“念のため”に抹消しない…」
「NERVさんが困るでしょう。大事な作戦部長がいなくなったのでは。
貴方“ごとき”が指揮を執るということはそちらの人材不足は深刻なようですからね。これ以上人を削って貴方以上に酷いのが据えられるとなるとゾッとします」
「…NERVにいなくとも他から連れてくれば済む話だ…あの人ほどではないにしろ、俺より優秀な人間はいくらでもいる」
「ならば何故そうしなかったのです?」
「……!」
日向がずっと釈然としなかった部分に男は土足で踏み込んできた。
「その通り。貴方以上の人材などいくらでもいる。ウチで…ああ、これは本職の戦自という意味ですよ?ウチで戦術研究をやってるのなんかもその最有力候補だ。元NERVですしね。
元々作戦部長は故葛城一佐か彼のどちらかという話だったんだから問題などある訳ない。結果的に彼女が選ばれ、彼はNERVを去ったわけですが――今、戻ったとしても貴方よりは働けるでしょう。
目線を海外にまで向ければ逸材には限りがない。欲しければ引っこ抜いてくればいい。
にもかかわらず何故、実力が物足りないにも関わらず自分達の中から作戦部長を選ぶことに?」
「…NERVに…優秀な人材が回ってこない?回されない?」
呻くような日向の言葉に男はにんまりと笑った。
「今日はお疲れ様でした。下までお送りしましょう」
そう言って男は席を立った。

車のドアを閉じるとき、男は悪意たっぷりにこう告げた。
「何故こんなことを話したと思いますか?私がおしゃべりな人間というのもそうですが…流石に相手は選ぶ。
貴方が警戒に価しない人間だからですよ。おやすみなさい。日向臨時作戦部長代理」
慇懃に。丁寧に。車のドアは閉められた。

475: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 22:07:49 ID:???
送還可否決定期日まで後3日。

「…△〒☆▼…」
試験前。アスカは待機室で座り込むと目を閉じ、ひたすら何かを呟いていた。ドイツ語らしく何を言っているのかは分からない。あれがアスカのコンセントレーション法なんだろう。
綾波は黙って座っている。時折アスカや僕に目を向けるけど気付かない振りをする。
『試験を開始します。パイロットはプラグへと搭乗して下さい』
スピーカーからの声。僕らはそれぞれの搭乗口へと向かった。

「…まさか本当に上がるなんて…」
マヤの声には喜びよりも驚きの色の方が濃い。リツコもまた呆然と画面を見つめている。
大変なことになっていた。前日までの上がり方にも凄まじいものがあったが今日はそれに輪をかけて凄い。
一瞬一瞬の数値の揺らぎが多く見られるがそれはすぐに持ち直す。要するに…強靭な意志と集中力で数字を維持しているのだ。シンジの数字にも追いつきつつある。彼の数字が前日よりも落ちているにしてもだ。
プラグ内で目を閉じているアスカの表情には鬼気迫るものがあった。
皆が眼前の猛チャージに驚きを隠せない。しかし…アスカの陰に隠れて見落としかけていたが大変なことになっているパイロットがもう一名いた。
「…この落ち込み方は…」
二つの棒グラフの長さが拮抗しつつある中、一つがそれらに大きく取り残されている。
レイである。その数値は起動数値付近まで低下しつつある。
彼女は特に優れた資質の持ち主というわけではない。EVAとのシンクロにも7ヶ月もの期間を要した。しかし反面、シンクロ率の極端なぶれが少ないことが長所だった。
常に安定した戦力として計算できることが彼女の強み。にもかかわらずのこのテスト結果は由々しき事態と言えた。
「これってアスカより…」
レイが抹消されないかの方が心配だ。誰もがそう思う。けれど同時にそれはないだろうなとも思った。
彼女の扱いはまた別物だということは皆が承知していた。贔屓などとはまた別の意味で。
「…アスカ凄いわね」
リツコが小さく呟く。皆がその声に小さく身体をすくませ、おそるおそる表情を伺う。
「この調子なら記録更新して残留するのも夢じゃないわね。喜ばしいことだわ」
そう言いながらもその顔には何の表情も浮かんでいない。声にも何の感情もこもっていない。
マヤは怖くなり、リツコから目をそらした。

526: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/21 23:50:12 ID:???
「結果見せて」
実験場に入るなりアスカはそう要求した。リツコさんは…いない。マヤさんがあらかじめ用意していたらしいグラフを示した。
「…くそ!全然足りてない…!」
その数字は決して悪いものじゃない。なのにアスカは画面を見るなりそう吐き捨てた。
「アスカ…あのね?昨日の賭けなんて忘れた方がいいと思うの。これは胸を張れる数字よ?極端に高くなくても、ある程度を維持してくれればこちらは…」
「そうだよアスカ!だからそんなに思いつめないで…」
アスカは僕らの声には一切反応しない。
「…後二日で…すれば…いや…もっと…」「…アスカ?あの…だから…」
「もっと集中しないと…」「アスカ…!」
呟きながらアスカは実験場を出る。僕はそれを追いかけた。綾波が僕に話しかけようとしたけど…無視した。

「ちょ…大丈夫…?」
廊下を早足で歩いていくアスカの足取りはフラフラと心もとない。
「顔色も悪いし…」「…寝てないからよ。昨日から食事もしてないし」
「だ、駄目だよそんなんじゃ!」「だから今食事取ろうとしてんじゃない」
アスカは自販機の前で止まると固形栄養食品を買ったけど…そんなんじゃまともな食事とは言えない。
「あぁ…化粧してくんのも忘れた。どう?変じゃない?」
パッケージを剥きながらアスカが僕の方に顔を向ける。ようやく僕の方を向いてくれた。けど…振られた内容が内容だけに僕はどもった。少し青ざめたその顔は…いつもよりも更に…。
「全然…変じゃないよ…。…かわいいよ」「ありがと」
精一杯で搾り出した誉め言葉もさらりと流し、アスカは黙々と“食事”を取り続ける。あまりにも味気ないその食事は1分少々で終わった。
「よっし…さて…」「さてって…何するの?」
「何も。ボーっとするのよ。ただし本気でね。
昨日は気付いたら真夜中になってたわ。今度は…朝になるまで。薬が使えればもっと楽に集中できるんだけど…。ああ、変な意味のじゃなくね。
無い以上思いっきりエンドルフィンやらアドレナリンやら出しまくって、自前でどうにか…」「だからそういうのやばいって!寝ないと絶対…!」
「ほっといて。どうせこんな無茶、後3日だけよ」「そうは言っても…!」
「頑張ってるようね」「……」
僕らの話を断ち切り…廊下の向こうからリツコさんが歩いてきた。

539: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/22 00:05:53 ID:???
「凄い数字じゃない」
「喜んでくれるんですか?ありがとうございます。賭けに負けるかもしれないのに」
二人とも笑ってるつもりだろうけど…殺気立ったそれは普通、笑顔とは言わない。
「賭け?負ける?何の話?貴方がここに残ることになったって私が何かを失うわけじゃないわ。むしろ嬉しいくらいよ」
「ああ、そういえばそうですね。失敗したわ。どちらかがやめるとかいう話にしておけばよかった」
空気が…重いっていうより痛い。この場から逃げ出したい。
「実際不思議なのよね。ここに来ての復調って誰のお陰?貴方の原動力ってなんなのかしら。
やっぱりあれなの?付き合ってる男の子のおかげ?確か…コウジ君だったかしら」
「リツコさん!」「……」
唐突に話がおかしな方向へ転がった。強引過ぎる持って行き方で。
何で今、田宮の話題を持ち出すんだ。終わった話じゃないか。それもああいう終わり方で。
なのにどうして蒸し返すんだ。どうしてわざわざアスカを乱すようなことを…!
「シンジ君はレイと付き合ってるのよね?やっぱり大事な人の存在っていうのは励みになるものなのかしら」
リツコさんは更に僕の方にまで話を広げる。完全に…僕をネタにする気だ。流石の僕も不愉快だ。
「…別れました」「…え?」
「別れたんです、綾波とは」「…初耳ね」
その表現は随分と正確さに欠けてたけど…。この際、売り言葉に買い言葉だ。
アスカがちらりと僕を見た。けどリツコさんまで僕の言葉に妙に反応した。僕が綾波と別れた事がどうだって言うんだ?
「僕のことはどうだっていいんです!でも…誰が誰と付き合ってるとかそういうのって軽々しく口にするもんじゃ…!」
「そう熱くならないでよ。私は単に話題の一つとしてアスカの彼氏の話題をしただけじゃない。知ってる?カッコいい子らしいわよ?
ねぇアスカ。聞かせてくれないかしら、彼氏の話。一体どんな子で、二人でどんなことしてたの?」
…この人がアスカに何を言わせたいかようやく分かった。
報告を受けてないわけない。僕が田宮ともめた事も知ってるはずだ。その上で知らん顔してこういうことを…。
もはやなりふり構ってない。言わなきゃ私が言ってやる。そう言わんばかり。浮ついた言葉とは裏腹にその口ぶりは真剣そのものだった。
アスカは黙ってリツコさんを睨みつけていた。

613: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/22 00:38:16 ID:???
「…帰ります」「いいじゃない、ココにいれば…」
シンジが不快感を露にして帰ろうとする。赤木博士が切羽詰った様子で前に立ち塞がろうとさえした。が。
「…アスカ」
私が腕を掴んで止めた。逃げるなシンジ。それが私のためだとしても。私はもう逃げない。
シンジが力を抜いた。それでよし。私は“ババア”に向き直る。
「…私ももう別れました」
「そうだったの!それは残念ね。原因は何?何か酷いことされたの?」
白々しい。全部知ってるだろうにこの女は不憫そうな顔を作って、さらに追求しやがる。どうあっても私に記憶を思い起こさせたいらしい。
「ほら遠慮しないで相談してみて?これでも口は固いつもりよ?長く生きてる人間なんてこういうときに利用しないと…」
「シンジは全部知ってます」「…何?」
声色が変わった。厚化粧でも変わった顔色は隠しきれてないわよ。だけど化粧の上塗りには行かせない。
「シンジは私がコウジや他の連中としたこと、されたこと。全部知ってます。薬のことから何から何まで。その上で私とこうしてるんです」
「…そうなの?」
この場を逃れるための嘘とでも思ったのか、ババアは私にではなくシンジに尋ねる。シンジは無言で小さく頷いた。
…まずい。私よりシンジの方がショック受けてる。
「動揺すると思いましたか?シンジの前でその話題を持ち出せば。
切り札のつもりでしたか?随分と強引な流れでしたけど」
「…どういう意味か分からないわね」
どうしたのよ。目が泳いでるわよ。意外みたいね。やっぱり知らなかったのね、そこまでは。でなきゃこんなお粗末な恫喝に出るわけない。
こんなことまで報告書には記されてなかったでしょ?その報告書にしたって書いたのはあの『田宮コウイチ』のオリジナルだろうし。
そういえばアイツ降格されたらしい。ホント…悪いことしたわ。
「かなり直接的な実力行使でしたね。でも今の成績はそういうの全部知られた上での結果です。残念でしたか?」
「………」
「他には何かありませんか?私をゆするネタは」
「…明日もせいぜいいい数字を出すことね」
「ありがとうございます」
それだけ言って赤木博士は踵を返した。礼儀正しい私はちゃんとお礼を言う。
「…アスカ…」「…圧勝…!」
いつぞやの借りは少し返した。だけどこんなもんじゃ済まさない。

674: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/22 01:24:24 ID:???
「流石は高名な赤木女史…色々考えてくるもんねぇ。あの手この手で揺さぶってくるじゃない」
アスカはそう言って口元を吊り上げて笑うけど…額には青筋が浮かんでる。
…完全にキレてる。ここまでキレてるのは見たことない。
僕もショックだ。嫌なこと…人を撃ったことを他人に思い出さされたこともそうだけど…リツコさんが露骨にアスカに対して圧力をかけたことが何よりも。
「私だけならともかく…助けに来てくれたシンジまで巻き込むわけね…。私のシンクロ率下げるためなら見境無しに…」
そう言ってアスカは歯を食いしばる。固い物が擦れ合う耳障りな音がした。
「アスカ…あの…僕は…」
「シンジ…まだ私とHしたいと思ってる?」「え?」
えらく唐突だ。思わずしどろもどろになって周りを伺う。誰もいない。いないけど…。
「私はあんたとHしたい。あんたはどう?」「し、したいよ」
「じゃあ…私が記録出したらHしよう」「えぇっ!?」
「私があの女に勝ったら思いっきり。後先考えないで。バカみたいに」「……」
途方も無く魅力的なプランだけど…この間僕はああいう風にヘタレたわけで…。
「だから…それまではほっといて。私はシンジとHするのが何より楽しみ。だからその一番のご褒美を糧にこの3日頑張る。
3日間だけ…倒れようが血を吐こうが私とHするの楽しみにほっといて」
「…アスカ…」
「これはどれだけ…どれだけ私がここにしがみつけるかってことなのよ。どれだけシンジといる時間が大事か…。
あの女がこういうやり方するなら半端はしてられない。何してくるかわかんないもの。これは今日までのバカの辻褄合わせなのよ…。
それで…いい?」
「…いいよ」
その言葉は断片的過ぎたけど…たくさんの思いが伝わった。それで嫌だと言えるはずもない。
頷いた僕にアスカは…普通の笑顔を向けてくれた。
「…ありがと。
それじゃ…本やビデオで予習しとくようにね!だからってファーストその他との実技による予習は不可!」
「バ、バカ!」
「ははは♪んじゃね」
アスカは通路を駆けて行った。僕はその背中を見送るだけ。
…僕に出来ることは何もない。だって…僕もアスカと離れたくない。だから今は何も出来ない。無力であるしかない。
それでも強いてあげるなら…上に上がってHOW TO本を買ってくることぐらいだ。

767: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/22 21:37:24 ID:???
「…赤木博士」「…レイ」
リツコの部屋の前にはレイがいた。味合わされた屈辱を処理しきれてはいなかったリツコではあるが、強引に笑顔を浮かべて見せた。
「どうしたのかしら?」「…その…」
律儀なレイのことだからこのところの不調を詫びに来た。リツコはそう感じ、黙って部屋に通した。
この機会に少し話をしておいた方がいいかもしれない。リツコはそう思った。どの道、大人であり、部外者である自分が外側から出来ることには限度がある。
いくら自分の欲求に対しての自発的な行動が苦手とはいえ、自分の恋愛に関わることなのだからもう少し当事者のレイ本人が動いてもらわなくては困る。
「シンクロ率のことね」「え…」
レイは目を丸くした。リツコは笑い、コーヒーもいれずに椅子だけを勧める。
長年の付き合いで大して口にしないことは知っている。失礼のない程度に一口二口、口をつけるだけで飲み干したことは一度だってない。
それなりにレイのことは理解している。心の動きについてもそれは同様だ。
もしかするとレイの最大の理解者はリツコかもしれなかった。ただそれがレイに利として働くかどうかは分からなかったが。
「そういう時期だってあるわ。レイだって人間で女の子ですもの。機械みたいにいつもいつも同じ気分や体調ではいられないものね。
気にしていないわよ。その分は別の形で取り返して頂戴」
「…はい」「…心配になった?」
「え?」「アスカのように切り捨てられると」
「……」
図星だ。リツコは笑った。。
「それは杞憂よ。そんなことがありえないことは貴方がよく分かってるじゃない。大体…捨てられたところでやっぱり貴方が帰るところはここじゃない」「……」
レイは顔を伏せてしまった。そろそろ本題へと誘導する。
「けれどこれだけ急激に下がるというからには何かはっきりとした原因があるんでしょ?そうね…貴方達の年令で言ったら…恋愛問題なんかかしら」「…いえ…」
いい加減じれったくなって来た。リツコは強引に本題を持ち出した。
「隠しても分かるわ。シンジ君をアスカに取られないか、アスカが残らないか心配なんでしょ」
心の内をものの見事に言い当てられ、レイは驚嘆したように目を見開いたが…それは別段難しい推理でもない。
誰の目にもばればれだった。

774: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/22 21:40:01 ID:???
「分かってるわよ、貴方がシンジ君のことを本当に好きなのは。これだけ心を乱すんですものね。よっぽど真剣なのね」「……」
リツコのその優しい口ぶりは不気味ですらあった。
「ここだけの話…私はアスカよりもレイの方がシンジ君とはお似合いだと思うの」「え?」
「応援してるからね。何か悩みがあったら遠慮しないで相談してみて?これでも口は固いの?長い人生経験はこういうときぐらいしか利用価値が…」
リツコの言葉は先ほどアスカにかけた言葉と大して変わりない。しかし…先ほどまでの悪意に満ち満ちた物言いとは異なり…本当に親身になっているような口ぶりだった。だが。
「何故ですか?」「え?」
「…分からないんです。赤木博士が…その…セカンドの抹消に積極的になる理由や…私と碇君のことを推し進めようとする理由が…」「……」
それでもレイはリツコの言葉の裏側に、言い知れない別の意図を感じ取っていた。
純粋な善意ではない。さりとてただアスカが嫌いなだけということでもない。
きっと自分の恋愛を応援することは本意ではないのだ。けれどもあえてそれを行う何かもっと別の…。
「…さびしいわね。アスカよりも長い付き合いの女の子に対して肩入れしてる…っていう風には考えてもらえないのかしら」
「…すみません」
そういう言われ方をしたら返す言葉がない。けれど間違いではないと思う。
確証はないがレイはそう思った。ただ…それを具体的な仮定へと結びつけられるだけの人生経験がレイには足らなかった。
もし人並みに他人の悪意にさらされ、傷ついてきた人間ならばリツコの意図に気付くこともそう難しくなかっただろう。その上でその意図に自分の意思で乗り、利用することも、また拒絶することも出来ただろうが。良くも悪くもレイの心は無垢すぎた。
「…心配していただいてありがとうございます。けれど…EVAのことも…碇君のことも…私のことですから。自分で何とかします」
「そう…でも何かあったら気軽に…」
「ありがとうございました」
レイは強引に会話を終わらせ、そそくさとリツコの前から立ち去った。

肝心な話は何も出来なかった。扉が閉まるとリツコは歯噛みした。
「…誰が好き好んで貴方のことなんか応援するもんですか…!」
レイの勘は…当たっていた。


873: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:21:16 ID:???
「記録の更新…本当に出来るのかしら…」「普通に考えたら無理だろう。下がるときは一気に下がるが、上昇には時間がかかるもんだ。だが…」
青葉とマヤは食券を買う列に並んでいた。行列は長い。二つある販売機のうち、片方の切符が切れたらしく、人はなかなかはけていかない。
これに加えて次は料理を受け取る列にも加わらなければならない。貴重な休憩時間を立ったまま過ごすというのは不本意ではあったが、お腹はすいていた。
「この上がり方を見ていたら期待してしまうわよね」「既に俺達の定説は覆されてるからな。ここから何が起こるかは分からないよ」
「アスカも逸材の部類には入るはずよね?」「あれだけの数の中から選ばれたんだ。精鋭には違いないさ。精神状態をコントロールするだけであれだけの結果を出せるんだからな。
だったらこうなる前にって言いたくなるところだが…そう単純なものでもないんだろうな。ここまで追い込まれてようやくという…」
「それだけに一度緊張の糸が切れたら怖いわね」
「プレッシャーは凄いだろう…。何にしても…赤木さんは面白くないだろうな」
リツコの話題が出た途端、マヤの顔色が曇った。しかしあえて青葉は続ける。そろそろマヤもリツコの実状をちゃんと受け止めるべきだった。
「俺には分からないよ。どうしてああまでアスカにこだわるのかが…」
ようやく順番が回ってくる。お目当てのトンカツ定食は売り切れだった。青葉は第二候補のハンバーグ定食を購入し、食券を調理の人間に渡した。
「先輩は…いい加減な子が嫌いなだけよ…」
「しかし同情の余地がまるでない子でもないだろう。今だってこれだけの数字を出してるんだぜ?本当ならとっくにクビなんていう話題は吹っ飛んでるはずなのに」
マヤがいよいよ沈み込む。これ以上は可愛そうかと青葉は口をつぐむ。
面白くないこと、面倒ごとだらけだった。リツコのこともそうだし、今日の事情聴取にしてもそうだ。それに…。
“RRRRRRRRRR♪”
ようやく料理を受け取ったとき、青葉の携帯が鳴る。急いで空いたテーブルに料理を置き、食堂の隅で慌てて電話を受けた。
「もしもし…?」
『今…いいか?』「…お前かよ」
電話の相手は面白くないことの最たる物だった。
「…今、飯食うとこだよ」『悪いな。ちょっと聞いてくれよ』
日向だった。

875: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:23:25 ID:???
『…そっちはどうだ』「どうって…あぁ今日は聴取を受けたよ」
早く飯が食いたい。しかし日向は電話を切らせてくれない。
『…何か言われなかったか?』
「別に…時間も限られてたし最低限の質問しか…」『俺も昨日されたよ。公安と調別に」
電話の向こう側でサイレンの音が聞こえた。
「…お前今どこにいるんだ?」

日向の目の前を救急車が走り込んで来て、入り口の前で止まる。白衣の人間達が飛び出してきて場は騒然となった。
「病院の前だ」『病院?』
「鈴原君がいた例の…。話を聞きに来た」『何でそんなところに…』
「いきなり押しかけたので押し問答になったけど…何とか担当看護士から話を聞けたよ。
鈴原君はあの日、午後6時過ぎには既に姿が見えなくなってたそうだ。院内のどこかにいるだろうと心配はしてなかったそうだが結局…」
『6時…6時か?おかしいじゃないか…」』
「 葛 城 さ ん の 乗 っ た 列 車 が 吹 き 飛 ば さ れ る 前 に 彼 は 姿 を 消 し て る 」
『ちょ…ちょっと待て…何でそんな話をまた調べ出し…』
「昨日ゼーレの末端が接触してきた」『ゼ…!』
電話口の向こうで青葉が絶句する。
「聞かれたよ。フォースをどこにやったかって」『…どこもくそも自分らが…』
「バカだ。俺はバカだった。葛城さんの意図に気付いていなかった。俺は言われた通り子供たちを全員隠したけれど…あのとき使徒が来ていたらどうなっていたんだ?」『…はぁ?』
青葉がすっとんきょうな声を上げる。今更する話ではなかった。確かに今考えてもあのときの状況はゾッとしないがその話はさんざん為されたはずで…。
「パイロット全員の保護と、安全確保がなされるまでの秘匿は葛城さんの指示だ。でもそれだとNERVが空になる。使徒が来たら…。そんな危険な状況をあの人がわざわざ作ると思うか?
使徒を倒すのがあの人の役目だ。そのあの人が…。
最低限の策は用意されてたんじゃないのか?何が抜けた人だからだ…もっと…深く考えるべきだった」
『…日向。言いたいことがまるで分からん。唐突過ぎるし…。
しかしそういう状況が出来てしまったことは確かじゃないか。事実あの期間、NERVは無力で…』
「調べて欲しいことがあるんだ」
青葉のハンバーグが冷めることもいとわずに、日向は用件を話し出した。

877: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:27:27 ID:???
「…おい!これは通常回線でする話じゃない!するなら秘匿回線で…!」
日向の要求に青葉は声を荒げた。皆が青葉へ視線を注ぐ。
『秘匿回線ならNERVにも聞かれる。…大体聞かれたからどうだっていうんだ。俺達に何も出来ないことぐらい連中はよく知ってる。どこで喋ったって同じだ。
これは…ただ俺が気になるだけだ』
「……」
ため息を一つ。どうにも今の熱くなったコイツには通じないらしい。青葉はハンバーグを美味しく頂くのは諦めた。
「…人材が回されないっていうのは知ってる。だがそれは嫌がらせの範疇で収まる話じゃないのか?
事実…まぁ、今から作戦部長やろうってお前にする話じゃないが…。後任についてはどうにか目処が付くとか付かないとか…。副指令が苦労して段取りを組んだらしい。逆を言えば苦労すればどうにかなるんだよ。
考えすぎじゃ…」
『そうならいいがな』「どういうことだ?」
『槍の一件以来、NERVと委員会の歩調がずれ過ぎている気がしないか?
委員会はNERVに過度な期待をするのをやめている。もはやただの使徒殲滅の遂行機関としてしか見ていない。自分達の理想を託すに値しないと踏んでいる。
残りわずかな使徒と戦えるだけの最低限の人材、戦力だけを残して…』
「…使徒を倒した後のことを考え始めていると?人材を回されないのはゼーレの意向だと?」
「そう考えればすんなり話は運ぶんだ。その話に限っては。
…だけど…じゃあ鈴原君を連れ去ったのは誰なんだ?」
「……」
『少なくともゼーレじゃない。俺はそう思う。
NERVかとも考えたが…それならばパイロットが三名ともいなくなった一刻の猶予もない状況で彼を出し惜しみした理由がない。さっさと弐号機のコアを乗せ替えて使徒の進攻に備えたはずじゃないのか?
多分…じっと“見ていた”んだ。EVAが動かないとなったときのNERVとゼーレの慌てぶりを』
「…“見ていた”?誰が…?」
『ゼーレはNERV、NERVはゼーレがさらったと考えた。互いに腹を探り合い、互いにシロであることを確信するのに今までかかった。
彼の失踪にはゼーレともNERVとも別の意思がそこには感じられないか?』
確かにおかしい。
だがそれは日向が聞いた男の話が本当ならばの話だ。いやそれ以前に――日向の話ではNERVにもゼーレにも属さない“第三勢力”が存在することになる。

878: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:29:10 ID:???
「NERVも…ゼーレさえも出し抜けるだけの組織があるというのか?…いくらなんでも…」
そんなものがあろうはずがなかった。だが。
『そうだ。そんなものはない。おそらく彼の失踪自体は一個人レベルの独断専行なんだ。だから誰も予測できず、止められなかった。
だが…それに同調し何事かをなそうとする動きがあるとしたら…』
「…とりあえず落ち着け。お前の理屈はまず、そのゼーレの手先を名乗る男の話が事実じゃなきゃ成り立たない。
そんなどこの馬の骨とも分からない奴の話が信用するに価するのか?
第一…鈴原君の失踪と、人材を回されないということをまとめて考える理由がない。各々の件について不自然な点があるのは認めるがそれらは別個の話じゃないのか?」
話が飛躍しすぎている。誰かが冷静な意見を聞かせてやらなければならない。しかし少々の冷水を浴びせられたぐらいでは冷め切らないほどに日向の頭はのぼせきっている様だった。
『鵜呑みにするのが危険だから今日、ここに来たんだ。そしてようやく確信を…』
「…明日お前の家に寄る。話はそこでしよう」『…ああ』
自分の組み上げた架空の陰謀話に酔いしれている。青葉はとりあえず話を区切ることにした。
『携帯の電池がヤバイ。もう切れる。悪いが…さっき言ったこと調べておいてくれないか?』
「…約束は出来ないぞ。こっちは暇じゃない。謹慎期間に旅行してるようなお前と違ってな」
『分かってる…それじゃ…』
皮肉にもろくに反応もせず、電話は切れた。
「…正義の味方は懲りたんじゃなかったのかよ…」
「どうしたの?」
席に戻るとマヤが既に空になりかけた器を手に尋ねる。
「下らない与太話につき合わされたんだよ…!」
青葉は喚くともう冷め、固くなったハンバーグを青葉は不機嫌にほおばった。
アスカのことでまいっているからわずかな揺さぶりで訳の分からない仮説にのめり込んでいくのだろう。全て憶測ではないか。
NERVとゼーレに叶うわけがないことは誰もが知っていることだ。
『こりゃ客観的な事実突き出して、目を覚まさせてやらないとな…』
青葉も最初は本当にそのつもりだった。

879: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:31:36 ID:???
「ここまで上ってくるのに…どれだけの苦労を…」
時田シロウはビルの最上階に位置する社長室から眼前に広がる光景をぼんやりと見渡していた。
名残惜しそうに椅子を撫でる。革張りの豪奢な座椅子。しかしその椅子こそが彼の人生を今、無意味なものへと変えようとしていた。
「NERVめ…!」
どれほど憎んでも憎みきれない。やはりアレは自分達の落ち度ではなかった。何者かに書き換えられたプログラムによる人為的な暴走。ジェットアローンに、自分の技術に問題があったわけではない。
しかしそれが分かったときには後の祭りだった。
顔を潰された政治家達の執拗な責任追及にあれほど出資を申し出ていた多くの企業は一斉に手を引き、株価はゴミ同然な価にまで下がり、今ではやってくるのは債権の取り立てのみ。
時田の弁明に耳を傾けるものなどいない。それどころか戦自や警察の聴取でも時田の言葉は意図的に無視された節さえ感じられた。
証拠などない。それでも、いやだからこそ時田はこの件の後ろにいるのがNERVだと確信していた。
「NERVは私の…私のジェットアローンを恐れたがために…」
そう自分に言い聞かせるしか時田に自分を維持する術は残っていなかった。
時田はまだ日本重化学共同体の責任者の立場にいる。責任を取らされるためだけにまだこの席に座らされている。
生きているだけで地獄だった。死んでしまってもいいと思う。けれどこの憎しみが消えない限り死ぬことすらままならない。
「奴らに…NERVに復讐出来るのならば私は何でも…」
しかしそれは叶いはしない。もう自分には何の力も残っていない。
“プーー!”
「…なんだ」『ご面会を希望されている方がいらしています』
力なく電話機のボタンを押すと派遣会社からやってきた秘書の無機質な声がした。あの事件以来、4度秘書は変わり、皆やめていった。
「…アポのない相手は追い返せ。どうせ借金取りだ」『いえ、その…もうそちらに…』
「…何?」『債権の取立てではなく…その…」
秘書の言葉が終わらぬうちにノックもなしに社長室の扉が開く。
身をすくみあがらせた時田だったが…。
「…なんだ。あんたたちか」
制服を来た男達は無遠慮に部屋に入ってくると居丈高に名乗って見せた。
「夜分遅くに恐れ入る。戦略自衛隊のものだ。貴方に“希望”を持ってきた」




*続きます

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