<LAS>11-前編





884: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/23 22:38:34 ID:???
「希望…!?希望だってぇ!?笑わせる!そんなものどこに残っているというんだ!」
時田は悲しそうに笑う。
「刑事責任の追及も始まる!女房も子供を連れて出て行った!友人達も離れて行った!全てを失った!あの連中のせいで!その私に“希望”だと!」
「条件がある。J.A.のデータを渡してもらいたい」
「ははは♪面白い事を言う!あんた達の言うガラクタが欲しいのか!それなら全て提出したはずだ!」
「あれはただのガラクタだ」
「…何?」
時田の顔から笑みが消えた。
「あんな発表会に間に合わせるためにでっち上げたガラクタではない。我々が欲しているのは“真のジェットアローン”だ」
男は淡々と要求を口にする。
「…はは。はははは。そうかそうか…どこから伝え聞いたかは知らないが…ようやく気付いたのか、J.A.の本当の価値に。そして今度はそれまでも私から奪おうと…。
冗談じゃない!私から全てを奪っておいて今更結果だけは頂こうというのか!勝手にも程がある!遅すぎだ!こうなってしまった後で!」
「…そこか」
とっさに机の引き出しに手をかけたのを見逃さず、男達は近付いてくる。時田は慌ててファイルを取り出し、腕でしっかりと抱え込んだ。
「価値ある物だというならば何故それを世に出し評価を待たない」
「わ、渡さん!渡さんぞ!お前達の手助けなど誰がするものか!これはもはや私の全てだ!墓まで持っていくんだ!」
自信があった。これならばEVAと遜色ない働きが出来る。しかし一度下された評価は完全には覆らないだろう。人類が受ける恩恵と自分への見返りを考えると…もうこれを渡す気になれなかった。
これを世に出さないことが自分を否定した社会に対しての唯一の復讐だった。だが男は静かに続けた。
「見返りはある。“希望”を貴方に与えよう」「だからどこにそんな…!」
そう言いかけたが…その言葉が引っかかった。
「“希望”…“希望”だと?」
男は胸元に手を入れた。時田は身を強張らせたが取り出されたのは一枚の封書だった。
「これが貴方の“希望”そのものだ」「…これは…」
震える手でそれを受け取る。差出人の名はない。が。
「我々は共通の怒りを、憤りを抱えている。それを通してならば通じ合えるはずだ。貴方の力を借りたい」
読めばはっきりと分かった。差出人は間違いなく…時田が思い描いた人物だった。



16: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 01:23:22 ID:???
本当に余計なことを言ってくれた。
「…駄目だ…」
画面では濃い目の美人がよがり狂い、男が鬼みたく責め立ててる。二人が盛り上がるに連れ、僕のテンションは下がってく。
こういう…こういうことじゃなかったはずだ。
ケンスケの家で観たときは興奮して意味もなく布団を羽織らずにはいられなかったのに。
貸してくれるというのを断って帰ったときほど後悔したことはなかったし、翌日勇気を出して貸してくれるよう頼んだのに、既に他に渡ってたときほど自分の優柔不断さとトウジを呪ったことはない。
それが…昨日青葉さんに渡されたこれを見てる今の僕はどうだ。内容は前のと遜色ない。頭ではそう思う。なのに僕は完全に無表情、いや青ざめてるじゃないか。
これを…同じことを僕にしろっていうのか?…無理だ。
見てる分には『うらやましいな、僕もしてみたいな』って思ったし、綾波とそうなるときも頭に血が上ったもんだけど。
アスカは経験者だ。絶対に僕は比較される。上手く出来るわけない。下手とかじゃなく…初心者なんだから。
だからってリードだけはされたくない。アスカに他の男と培ったスキルなんか発揮された日には僕は二度と使い物にならなくなる。色んな意味で。
そう思って真剣に予習をしてみたけど…恐怖を助長する結果に終わりそうだ。こんなこと…僕には出来ない。
てゆーかAVを参考にっていうのがそもそもの間違いなんだ。モザイクも邪魔だ。
ハウトゥー本だってその店には置いてなかったんだ。お陰で普通のエロ本買って来ちゃったし…。
保健の時間にだって習わなかった。いや教えられても困るけど。この国は性の初心者に対してフォローが足りなさ過ぎる!別によその国の性教育事情なんか知らないけどさ。
どうやって皆…その…“やり方”を憶えるんだろ。だってこんな本やビデオなんて絶対参考にならないだろ!
経験して失敗して憶えてくのかな。だけど僕は緊急を要してる。3日で格好が付く程度には知識量を増やしておかないと…。
そうだ…周りに聞くんだ普通は。けど僕は友達少ないし…その数少ない友達が役に立つとも思わない。大体長いこと会ってない。
大人だ…。誰かもっと頼りになる人に…。

発令所。
「そういうことなんです…」
「何だよイキナリ!?」
青葉さんはカップ麺を噴き出した。

55: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 03:08:57 ID:???
「あ~…それで…俺のところに来てくれたわけか…」
床に盛大にぶちまけられた夜食を空しく拭き取りながら俺は応対する。
…困った。
「これも貸してくれたし…分からないことがあったら何でも聞いてくれって言ってたし…」
シンジ君は手の中のディスクを弄くりながらボソボソと呟く。
昨日は確かにそう言ったが…本気にされて、翌日にいきなりやってくるとは思ってなかった。しかし今更アレは社交辞令だとも言えない。
「何々?それ、何のディスク?動画?」
マヤちゃんは一連のやり取りからも空気を読みとることなく興味を示してくるし…実際問題、今はそれどころじゃない。
日向のバカの言うことになんか乗っかるんじゃなかった。不穏な動きがそこら中にある…。気付かなければ放置していたことだが、気付いた以上…俺も調べずにはいられない。
明日になって裏を取らなければはっきりしないことも多いが、あの与太話は…。
ただでさえ今夜は徹夜になるんだ。そこにこれだ。
適格者はいいだろうさ。誰も今更学校行けなんて言わないし、テストや訓練の他はすることないんだから、真夜中に発令所にふらりとやってきて寝不足で苛付いてる男に対して生臭い質問をぶつける余裕もあるんだろう。
面倒事がまた増えた。…まぁ…しかし。
「…つまり…ビデオなんかじゃ分からない、実践的なことを聞きたいと…」「…はい…」
これ以上に面白い面倒事もそうはないわけだ。いじり倒せるものならいじりたい。
「…実践的?…ビデオじゃ分からない…」
…マヤちゃん、頼むから向こう行っててくれ。君ではシンジ君の助けにはならないんだ。下手したら一生。
しかしシンジ君がこういう洒落としか思えないことを大マジに尋ねてくるということは…近い将来、それも“極めて近い将来”にその知識が役立つような機会があるということで…。
“どちら”となのかは知らないがどちらにしろ適格者相手だろう。ここであの二人以外の女は全員大人だ。大人相手にリードするされるを気にすることもない訳で。いやそれ以前に淫行か。
二人とも今とても不安定だ。行為が成功するにせよ、失敗に終わるにせよ、もう一方に対してそれは大きな出来事になる。それを承知で下手なこと言う訳にはいかない。というか…。
良識ある大人とNERV職員を代表して…俺は止めなければならない。

61: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 03:45:36 ID:???
「…と、とりあえず…。節度を守った交際から…」
「青葉さん…あの…そういう段階はもう…」
シンジ君がじれったそうに言うけど…。
目を見れば分かるよ。本気で悩んでることぐらい。俺だって教えてやりたいよ。だけど立場上、そう言うしかないんだよ。俺の指導の下にやらかして何かあったら…首が飛ぶんだよ。
「するにしてもだぜ?どこでするんだ?本部内の君の部屋か?盗聴だってされてるかもしれないんだ。衆人環視に等しいぞ?」「う…」
流石の保安部もそこまではしてないんだが、ひねり出したデタラメに気圧されたようだ。なるほど稚拙な行いを他人に聞かれたくはないだろうさ。
「ホテル?それもどうだろう。初めてが知らないところっていうのは落ち着かないぞ?」「……」
実体験だ。俺はホテルで一回しくじった。
「もっと情勢が落ち着いて本部内の間に合わせとかじゃない、ちゃんとした部屋を用意されてからっていう方が…」「…でも…」
これだけ言ってるのに珍しくシンジ君は退こうとしない。しかしそれでも…。
「そうかそうか、シンジ君♪君もようやくそういうことを経験することになったのか♪」「え…」
「こんなのじゃなくても俺達だって頼ってくれよ!」
唐突に。どこで話を聞いていたか知らないが、帰り際の男連中が急に湧いて出た。俺以上に睡眠が足りず、完全にハイになりきった奴らがシンジ君に絡む。
「お前らさっさと帰れ!」
「うるせぇよ、俺達は今、シンジ君と話してんだよ」
「お前が薄情だから俺らが代わりに…」
「ん?何だいこりゃ」
「あ…!」
一人がシンジ君のディスクを取り上げると止める間もなく、手早くキーボード横の差込口に挿入し…。
「あ…!」
投影式ディスプレイに…男と女が半透明でもつれ合う様子が映った。

67: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 03:59:30 ID:???
「不潔…」
マヤちゃんが俺から距離を取る。
「最低…」「職場に持ってくる?こういうもの…」「仕事しないで何やってんの?」
マヤちゃん以下女連中が侮蔑の眼差しで俺を見る。
待ってくれ!悪いのは俺か!?そりゃこれは俺のだがシンジ君のために持ってきたもんで…。
「なるほど…こういうの見たくらいでは実際の行為には臨めないと考えたか」「冷静な判断だなぁ…流石パイロット」「そっか…14でもう…」「俺なんか二年前にようやく…」「お前は遅すぎ」「シンジ君、俺達が教えてやるよ」
適格者の微妙な状況を弁えず、口々に勝手な事を言うバカども。
「お前ら変なこと教えるな!」
「変なことぉ?中学生がSEXの話する事のどこが変なんだよ」「う…」
言い返せない。しかし彼の場合は意味合いが…。
「本当なら友達とこういう話題で盛り上がってる年令なんだぞ?」「そうそう、それが叶わない以上俺らが代わりを務めないとな」「そう…仕方なくな」「クラスの一足早く経験した奴にどんな感じだったって聞くのは普通だろ?同じことじゃねーか」
どこかで聞いた理屈だ。
…そうだ…前にマヤちゃんが言ってたな。彼らの周りに同年代の友人を用意してやれない以上、自分達がその役目を果たすべきだって。
ある意味では正しいな、それは。
シンジ君も教えてもらえるならと身を任せてはいるが…。こいつらは君をネタに騒ぎたいだけだ。なら…。
「シンジ君…」「はい?」
「君は俺に尋ねてきたんだぞ?」「…青葉さん」
腹をくくった。
バカどもに冗談半分に偏ってたり誤ってたりする知識を刷り込まれるぐらいなら…俺が本気で正しいやり方を教えた方が、まだ君のためになる。
「分かった…伝えるよ。俺の…青葉シゲルのSEXを」
女達が一斉に席を立った。
「死ねばいいのに」「いい大人が子供に何教える気よ…」「溜めてんのは自分じゃねーの?」「キモーイ」
俺の心を踏みにじり…女達は発令所を出て行った。
別にこっちは好き好んでやってるわけじゃないんだが…通じないだろうな。
ふふ…これから裏で哀しいあだ名で呼ばれるんだろうな…。ロン毛とかタレ目とか子安とか…。学生時代を思い出すなぁ…。
「青葉さん…泣いてませんか?」
「うるさい!覚悟しろ!こうなった以上徹底的にやるからな!」
もうやけくそだ。せめて君の初体験だけは成功させてやる。

76: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 04:53:22 ID:???
「目標をセンターに入れてスイッチ…目標をセンターに入れてスイッチ…」
教わったことを呟きながら、僕は部屋へと帰る。顔見知りの職員の人が僕に声をかけようとして…思い留まって曲がり角に逃げ込むのが見えた。
『君に教えることはもう何もない…』
副指令に見つかって半泣きになりながら青葉さんはそう言ったけど…すみません。こちらこそ貴方に教わるようなことは何もありませんでした。
貴方の指導は生々しすぎます。『早かった場合の言い訳』とか『外に出すのしくじった場合の弁解』とか…役に立つかもしれないけど痛々しすぎて聞いてられませんでした。
そんなことにならないように質問に来たのに、失敗した場合のことばかり教えられても…。
他の職員の人は食い入るように講義に聞き入っていたけど…。多分、あの人たちは愛のあるSEXをしたことがないんだろうな。一度も。
ただ…モザイク無しの“あの部分”を事前に見ておいたことは収穫だった。あんな風になってたなんて…。
いきなりアレを目の当たりにしたら…僕は使徒と間違えて発令所に連絡を入れてたかもしれない。
部屋に帰り、ベッドに身体を投げ出して、さっきまでの時間を思い起こし、総括する。
…参考にならなかった。なる人にはなるんだろうけど…僕にはああいうノリでは出来ないと思う。
恐怖心は増大させられたし。逆効果だった。余計な知識だけが増えた。それどころかからかわれてたような気さえする。
相談する相手を間違えたんだな。僕は。
結局、僕は何も得ていない。ビデオディスクも返しちゃったし…。どうしよう…これじゃ3日後酷いことになる。もう一度誰かに…。
男で…茶化さないでちゃんと相談に乗ってくれる人…。誰かいないかな、そういう…。
「…いた」
今のところ…僕が一番頼りに出来る人。あの人なら真面目に話を聞いてくれるだろう。口も固いだろし。迷惑をたくさんかけた上に更に変な質問持って押しかけるのは気が引けるけど…。
こういうこと抜きにしてもずっと僕の方から行かなくちゃいけないとは思ってたんだ。
地下以来、ゆっくり話も出来てない。田宮のことでもお礼すらまだ言ってない。
アスカとHするって聞いたら…一体どんな顔するのかな?しっかりした人だから『まだ早い!』って怒られるかな?
今日はもう遅いから明日にしよう。日向さんのところに行くのは。




116: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/24 22:48:30 ID:???
私は彼女がいなくなることを望んでいる。
赤木博士にはそんな思いが見透かされていた。動揺した。恥ずかしかった。他人からも分かるらしい。
彼にも見透かされているのだろうか。…いや彼は私なんか見てない。今の彼は惣流さんのことだけ。私が彼でいっぱいな様に。
それが辛い。我慢できない。どこでこうなってしまったのか。始めは彼女の代わりで良かったはずなのに。どうして…。
分かってる。それは彼女が素直じゃなかったから。形の上では彼を拒んでいたから。
だから安心していた。彼が私の物でなくても構わなかった。だって彼女の物でもなかったから。側にいられるだけ私の方が上だと思っていた。
だけど今、彼女は必死になってここに残ろうとしている。自分の本心と向き合い、碇君と別れないために頑張っている。
なのに私は碇君を手放さないために何の努力もしていない。日々、思考の堂々巡りを繰り返し、ただ焦りを募らせるだけ。
自分の本心すら伝えていないのでは捨てられて当然だと思う。私も彼女のようになりふり構わず言うべきなのだろうか。都合のいい女のままは嫌だと。貴方を独占していたいと。
…駄目だ。そんなことをしたら彼はいよいよ本当に私から離れる。それを言わない女だから私のところにいたんだから。
地下で出来たことが…今はもう出来ない。けれどこのまま何もしなくても同じ結果になる。何か…しなければ。
可能性は二つある。
一つは…碇君に私を好きになってもらうこと。
それが一番手っ取り早く根本的で、誰にも…惣流さんにさえ後ろめたい思いをしなくて済む。恋愛は公平だと思うから。
けれど出来ない。好かれるための方法なんてわからない。分かれば苦労しない。
可能性はもう一つある。こっちは本当は何も解決にもなってない。つまり…。
向こうがいなくなればいい。
自分のものにならないならせめて彼女にも渡さないという…非常に後ろ向きな最低の発想。
今のシンクロ率の上昇は常識外の事態だ。今の彼女は…奇跡を起こしかねない。
祈るだけなら許される。卑しい自分を嫌悪するだけで済む。だけどそれだけでは何事も起こりはしない。
奇跡を防ぐには実際に…けれど“行動”してしまえば卑怯者だ。
汚れることを恐れる者につかめる物など高が知れている。それが分かっていてなお…この期に及んで私は踏ん切りがつかない。


202: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/25 00:49:00 ID:???
タバコが吸いたい。
この衝動だけはどうにも…これに意識が引かれると他の欲求までむくむく頭をもたげてくる。
喉が渇いた。お腹すいた。眠い。思い切り身体を動かしたい。大声で叫びたい。赤木リツコを殺したい。
ろくに栄養も水分も摂ってないから“あの欲求”だけはほとんどない。でなきゃ今頃大惨事。
それら全ての欲求を私はある一つの衝動の下にねじ伏せている。三大欲求の一つとはいえ私の中では他の二つに比べかなり大きい。
“我慢できなければシンジを失う”“我慢しきればシンジとSEXできる”この2つしか憶えてない。それだけしか。
もう少し我慢。もう少し耐えよう。そうすれば思いっきり…妄想したこと全部…。何か…何かもっと大局的な目的があった気がするけど…何だったか。
多分、目先のことしか残らないくらい視野を狭くする必要があったんだ。理由はわかんないけど。
だったらそれに集中しよう。余計なこと考えず。
迂闊にもシンジのことを考えてしまった。手が下の方へ伸びそうになる。
これだけ頑張れるのがシンジのお陰なら、この切ないうずきもシンジのせい。
今したら多分…凄くいい。だけど…堪えよう。歯を食いしばって。堪えたら後でもっとよくなる。
シンジを思えば何だって…そんなもろい思いのはずがない。この苦しみは…堪えなかった罰だ。
今を堪えなければこの後の人生は後悔一色に染まる。
『…――!』逆に…今を堪え切れば…。
『…きて……カ』…何ようっとうしい…。
『…さい…スカ…!』邪魔よ…集中しなきゃなんないのよ…。
『…アスカ…!』
 …あ~…もう…!

『うるさいわね!誰がアスカだってのよ!!』「えっ!?」
誰もが耳を疑う言葉が“アスカ”の口から飛び出した。
「だ…誰って…貴方…アスカ…よね?」『え?』
マヤが恐る恐る問いかけるとプラグ内のアスカはきょとんとして辺りを見渡した。
『…え…今…あれ?…EVA…?…いつ乗ったの?』「……」
流石に皆の顔色が変わる。さっきまでちゃんと会話も交わしていたのに…ドイツ語ではあったが。
常軌を逸しかけているようにしか見えない。そして…数字の方は完全に常軌を逸していた。
「アスカ…シンジ君を抜いたわ」『何の話?』
アスカはまだ首を傾げていた。

送還可否決定期日まで後2日。

361: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/25 06:13:22 ID:???
「…大げさなのよ」「少しは休まないと駄目だって」
点滴を繋がれてベッドに寝たまま、アスカは頬を膨らませた。大げさって言ってるけど僕はそうは思わない。実際かなりやつれてる。
試験が終わるなりアスカは強引に病室に放り込まれた。
過労に加え、睡眠や栄養の不足で貧血気味だからだって言ってるけど…なんか不自然な問診をえらく長く受けさせられたらしい。
適格者の健康管理が不充分だって保護者でもないのにマヤさん達が怒られてた。少し前までなら…こういうとき怒られてたのはマヤさん達じゃない。
「本当に何も憶えてないの?」「…何もってこともないけど…感覚だけは残ってる」
「感覚?」「…言葉にはしづらいけど…何か掴んだ気がする」
アスカはそう言うとたまに僕がするように手を開いては閉じてを繰り返した。
「難しいこと考えず、今の私を支えてるものを手がかりに精神集中してたら…」
「前後のこと分からなくなるくらい集中できるものなのそれ?」
僕が尋ねるとアスカはむっとしたように唇を尖らせた。
「…“予習”は?してないの?」「…そのことか」
『お前は楽しみじゃないのか』って言いたげだけど…胃が痛い。シンクロ率だって下がったんだよ。
「…自分が安い女だってことは知ってるわ。私の中心に置くとしたら愛とか思い出とかよりもドロドロした欲求なのよ。人間それが一番糧に、力になるもの」「アスカ…」
「あぁ…安いとかって言うとあんたにも失礼ね。ごめん」「いや…それは別に…」
「?」
図に乗った意訳をすると『シンジとのHを楽しみに頑張った』になる。いや、昨日このまんまの事を聞かされたか。
実は強烈なのろけだし、凄く嬉しいんだけど…どうもときめかない。
僕らはどこか壮絶なんだよなぁ、H一つするのにも。
「…落ち着いてるね」「ん?」
アスカからは昨日まで…いやさっきまでの尖った気配は抜けていた。
「こんなに大人しく寝てくれるとは思わなかったんだ」
「…記録まであと少しだったじゃない?」「…うん」
「焦る必要が無くなったからかな」
アスカは静かに天井を見つめて淡々と語り、宙に手を伸ばすと…ゆっくり確かめるように握り締めた。
「もう少し“あの感じ”を深くすれば…届く。多分…明日で」
アスカは掴みかけてるらしい。もう一段階上のシンクロのコツと…NERVへの残留を。

433: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/25 20:27:48 ID:???
「―だからそこまで踏み込んだら危ないって!下手したらこないだの僕みたくなるよ!?
自分とEVAの境が無くなるような感じを保てば―」
「天才様と違ってこちとら凡人は際の際まで行かないとその領域が見えてこないの!」
「いやだから―」
昼下がりの食堂。二人は箸を動かすことも忘れて熱く議論していた。
「…青葉君…言ってる事分かる?」「…頭では分かったような気にはなるが…」
声の大きさと人の少なさから離れた席にも会話は届いていたが、適格者ではないマヤ達にはその言葉を実感できない。
いや…それは一人で座っているレイもまた同様であった。
アスカは掴んだばかりの感覚について話したくてたまらず、シンジは初めて現れた感覚を共有できる相手に少し興奮していた。同類に対するシンパシーとでも言うのだろうか。
同じ適格者とはいえ天才であるシンジと、極限近くまで自分を追い込むことで天才の領域に踏み込みかけているアスカが見ている光景はレイには見えない。
その事実は今までとはまた別の疎外感と劣等感を彼女に与えた。
レイはほとんど食事に箸をつけず、静かに食器を片付け、とぼとぼと食堂から出て行く。マヤ達はいたたまれない思いでその後姿を見送るが…シンジ達はそれに気付きもしない。
「…その場その場でテンションを作るって理屈は分かるけど…その為には神経を研ぎ澄ましてないと…」
「ずっと食事も睡眠も取らない訳にはいかないだろ?普段から出来ないと意味ないよ」
「…あんたは出来てるのね?普段から」「…ただの慣れだよ。アスカだって一回味わったんなら…」
「…確かに気が緩んじゃったし、今からもう一回あの状態にってのはきついわ」
アスカは思い出したようにカレーを頬張る。しっかりと食事を摂ることを条件に午後からの訓練に出ることを許されたのだ。
「…っていうかあんた完全に私を下に見てるわよね?」「う…。…そんなこと…」
「一連のアドバイスは抜こうと思えばすぐ抜けるって余裕の表れ?」「ち、違…あ~悔しい。アスカに負けて悔しいな~」
「下に見てんじゃなく馬鹿にしてんのね!?」「先に行くから!」
「待てバカシンジ!」
シンジはラーメンのつゆをすすり上げると脱兎の如く逃げ出し、アスカも慌しく残りをかきこみ後を追った。
「あ!こら、器を…」
マヤが慌てて呼び止めたときには二人は既に姿を消していた。

542: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/26 19:12:39 ID:???
「…すっかり元に戻ったみたいね」
「そもそもシンクロの不調が全てのことの原因だからな。これだけ結果を出せたら元に戻りもするんだろうさ。急だったから驚いたけどな」
シンジ達の食器も一緒に片付けながら二人は感慨深げだった。
「もう彼女の視線は残留云々なんてとこじゃないとこに向いてるな」「“打倒シンジ”とか?」
「今は単純にもっと高みを目指したいんじゃないのかな」「確かにもう淀んだ対抗意識は感じないわね。でなければ資質の優劣なんて口には…」
アスカは天才ではない。努力でその座を維持し続けてきた。
シンジには向上心はない。ただ才能の上にあぐらをかいている。天才ゆえ。
だからこそ二人の立場は近い将来に逆転するかもしれない。ウサギとカメの如く。カメにしては速すぎるが。
才能の差を認められずに苦しむのではなく、厳しくとも現状を受け入れた上でいかにして越えるか。
様々なことがあったこの一月半あまりは、ギリギリで一つの実を結ぼうとしていた。
アスカは変わった。
「記録は楽勝…よね?」「赤木さんには気の毒だがな」
「そ、そういう意味じゃ…」
意図を察し、先回りしたその言葉にマヤは口ごもった。
「結局見に来なかったな。結果は伝えたんだろ?」「…うん」
「で?」「…この成績じゃどこにも因縁つけられないって…」
「因縁って…」
随分と捨て鉢だ。善意あるリアリストの芝居も限界らしい。
それ故、何をし始めるか分からない。アスカの唯一と言っていい不安要素はこれだ。NERVが一丸とならなければならないときにトップと最前線がこうでは…。漬け込まれもするわけだ。
「あぁ俺、午後から戦自の管理局に寄ってそのまま直帰するわ」「どしたの?」
通常ではないその動きにマヤが不思議そうな顔をした。
「向こうのシステム管理の担当者が代わって…これがまたうるさいんだわ。一回顔合わせしとかないとまずそうでさ」「パイプ役って大変ねぇ。私達なんかEVAと適格者だけ見てればいいのに」
「パイプ役が目詰まり起こしちゃ笑い話にもならないからな」
マヤに事後処理を託し青葉は更衣室へと向かった。
「…畜生…親には嘘つくような大人にゃなるなって言われてきたのによぉ…!」
管理局に行くのは本当だったが後はデタラメだった。“情報”の裏を取るのが目的だ。
出来れば…嘘であって欲しかった。

556: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/26 22:29:27 ID:???
「戦自が日本重化学共同体に接触したそうだ」
「…そうか」
冬月の報告にも碇はいつもの姿勢のまま、表情を崩すことはなかった。
「放っておいていいのか?」「捨てられたゴミを拾うのは自由だ。連中がどういう手段で足りない戦力の拡充を図ろうとも知ったことではない」
「理屈ではそうだ。しかし…」「介入する理由がない。法的にも違法性は認められない」
「理由などどうにでもなるだろう。連中の目的は“アレ”だ。以前のガラクタとは違うぞ?」「お前まであんなもので使徒に太刀打ち出来ると思っているのか?アレはただのガラクタの延長だ」
「そんなことは分かっている。あれだけならばそうだ。しかし戦自が運用するとなると話は別だろう。彼らとて無能の集まりではない」「……」
重ね重ねの反論に碇もわずかに黙り込む。
「…どちらにしても以前と同じ手は使えん。戦自のセキュリティは民間企業のそれとは比べ物にならん。
向こうもこちらのそうした動きに過敏になっているはずだ。うかつには手は出せん」
「結局静観するしかないか…」
結論は同じ。それを承知で持ち出した話だったが…冬月はため息をついた。
「アレが結局ガラクタの延長に過ぎなくともそうでなくても何の問題もない。使えなければこれまでと同じ。使えるなら我々の仕事が減るだけだ」
「こちらに向けられたときにはどうする?」
その、あってはならない、しかし近い将来に起こりうる仮定に碇は言葉を選び―…。
「…排除するまでだ。EVAには敵わん」
そう、慎重に答えた。
「アレはEVAに比べて遥かにコストが安い。数を揃えられたらそう悠長には…」
「冬月…」
なおも言葉を続けようとする冬月を碇はじろりとにらみつけ…断言した。
「EVAに敵はいない」
そう言われてしまうと返す言葉がない。その理屈に論理性は一切ない。単なる盲目的な主張だ。
実際には冬月とて最悪そうなったとして、自分達が皆殺しになろうともEVAが連中に遅れをとるとは思ってはいない。
しかし…それでも不安を拭いきれない。碇は話がことEVAの実力、信用性に及ぶとムキになり周りが見えなくなる。もはや頑として動かないだろう。
それはすなわち彼が唯一愛した女性の生涯の仕事を疑われることだからだ。
碇の根幹にある『EVAさえあればNERVは無敵』という信念。それが仇にならないか、冬月は心配だった。

653: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/27 00:26:35 ID:???
「1900よりのダミーの実験は中止よ。何故か分かるかしら?」「…私のシンクロ率が…起動数値を割り込んだからです」
「ご名答。分かってるんなら何とかしてくれない?」「…申し訳ありません」
レイは苦しそうに言葉を搾り出す。
家に帰ったところを再び本部まで呼びつけ、気遣いのない言葉を浴びせ、なおかつリツコは自分の机に座ったまま椅子すら出さずにタバコをふかしている。
30を過ぎ、人の上に立っている大人の態度ではない。また、幼少の時分より見てきた少女への言葉でもなかった。
「たかが気の持ちようじゃない。はっきり言うけど貴方達の仕事はただシートに腰掛けてボーっとするだけよ?ただリラックスしろって言ってるの。
およそ思いつく限り世界中で一番楽な仕事よ。代わって欲しいくらいだわ。それが何で出来ないの?私達に迷惑かけて楽しい?
まぁ、私に限っては5日ぶりに家に帰れることになって幸いとも言えるけど。ああ…もしかしてそういう気遣い?
ありがとうレイ。でも即刻やめてくれるともっとありがたいわ」
「……」
レイは他人の罵倒で生まれて初めて泣きそうになっていた。
元々他人の悪意と無縁な人生を歩んできただけに、その皮肉は残りわずかな気力を確実に削っていた。
簡単にシンクロ率が操作できないことをリツコはよく知っている。もしかしたらパイロット以上に。
この言葉はただの八つ当たりだった。レイがもっと積極的に動いていればこんなことには…。そういう思いから来る完全な逆恨みだ。
しかしそれでもこの局面でリツコに残された手は…レイしかなかった。
「…とまぁ厳しい話はここまでにして」「…え」
ストレス発散に嬲りすぎたことに気付き、慌てて言葉を和らげる。レイが潤みかけた目でリツコを見る。その唇は震えていた。
「考えてみましょうか、解決のための具体的な方策を二人で。ね?」「……」
「…一人でさんざん悩んだじゃない。それで解決しなかったのならそれは元々一人で解決できることではなかったのよ。レイのせいじゃない。
抱え込むだけでは辛いわ。少しは吐き出さないと。話してみて。ね?」
「……」
頬をとうとう雫がこぼれていった。今のレイにその上っ面な言葉の裏側の意図に気付けるだけの冷静さも、拒めるだけの強さも残っていなかった。
「…聞いてもらえますか…」「えぇ」
リツコは密かにほくそえんだ。

901: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/27 03:40:16 ID:???
「…お疲れ様」
私は冷蔵庫を開けミネラルウォーターをレイへと差し出した。
コーヒーもジュースもある。こういう場合に差し出すのに水というのは味気なかったが水でないとこの子は飲まない。
「…ありがとうございます」
レイは私のハンカチで目元を拭いつつボトルを受けとると早速喉へと流し込んだ。三分の一ほどを一気に飲み干すと…一息ついた。
「…少しは落ち着いた?」「…はい」
まだ鼻声。苦笑してティッシュを差し出すと大人しく受け取り鼻をかんだ。その様子は可愛らしかった。
『さて…困ったわね』
目的が変ったわけではない。ただ…動機が随分と変わった。
話を聞くべきではなかったかもしれない。利用するつもりでしかいなかったのに…完全に情が移った。
口下手なレイのしゃくりあげながらの独白は、終わるまで非常に時間がかかった。
気持ちの整理がなされぬまま語られるそれは断片的で、支離滅裂で、時に統合性に欠けていたりと聞くに堪えなかったけど…私はそれに根気強くそれなりの誠意をもって真剣に耳を傾けた。
結局それはどこにでもある話だった。しかし私には自分のことのように苦しかった。
似ている。同じようにままならぬ恋に身を焦がし、同じく代用品に、欲望の吐け口にされ、同様に恋敵が憎い。
『…この子を本当にシンジ君と…』
さっきまで自分の都合でそう考えていた。手段として。道具として。しかし今はこの恋を実らせてやりたいと素直に思う。
感傷だけでそう思うのではない。そんな善人ではない。レイの想いが叶えば自動的に…そういう打算もきちんとある。
ただ“レイをもう憎まずに済むかもしれない”という意識は…私の凍りかけていた部分に温かいものを宿した。
しかし逆もまた然り。私達は一蓮托生だ。
久しぶりに思い出す。遥か昔、レイにごく普通に抱いていた…今となっては自分のものとは思えない感情を。
いつ頃からだろう。この不器用だが愛らしい少女が憎しみの対象となったのは。そしてそれは誰のせいなのか。
今この瞬間だけは思う。悪いのはレイでも、私でもなく…私達を苦しめ、縛り続けるあの男だと。
傍から見ればその考えこそが正常だと思う。自分を汚した人間に想いを寄せる方がおかしい。けれど…
『…現に好きなんだから仕方ないわよね』
私はいつもとは違う思いで泣き腫らした少女を見つめた。

906: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/27 05:27:24 ID:???
「私は…どうしたらいいんですか…」「…貴方はどうしたいの?」
レイは困惑したように私を見た。
「だから…私は碇君と…」
「なら何故司令と暮らしているの?」「…!」
「何故“その夜”司令を選んだの?矛盾してるじゃない」「……」
「アスカは恋人と終わったの。だから今、彼の隣にいる。でも今、貴方の隣には別の人がいるじゃない」
レイは呆然と私を見つめている。ただ事実を並べただけなのに。よほど視野狭窄に陥り、アスカと自分のことだけに意識が行っていたのだろう。本当の問題はそこにはない。
言葉を選ばなければならない。ここは重要なところだ。レイにも私にも。どうにかして“誘導”しなければ。
「…碇君を欲しがるには…まず…司令を…?」
「そこで初めてアスカと同じスタートラインに立てるのよ」
そんな簡単な話ではないのは分かっている。ずっと見てきた。見せ付けられてきた。
アスカが昨日今日知り合った相手を見限ったのと、レイが司令と決別するのは重みが違う。
この子にとってあの人は厳格で優しい父であり、尊敬できる上官であり、誰より愛する恋人だった。たった一人心を許した存在だった。
その息子が現れるまでは。父でも上司でもなく、誰より愛して欲しい、恋人になりたいと思う存在が現れるまでは。
司令にとってレイは、娘で、部下で、恋人で…人形だ。レイが司令を見限る場合、“恋人”だけをやめるということは許されない。やめるときは…“全て”ということになるだろう。
けれどレイは普通の存在ではない。NERVの前線構想、司令の思惑、補完計画…全ての歯車が一斉に狂う。収集のつかない混乱に陥ることは必至だ。
「分かるわね。普通の女の子と立場が違うのは。貴方は誰かに恋をすることもままならない」
レイは本当に哀しそうに唇を噛んだ。けれど。
「けれど…どれだけの多くの人に迷惑をかけることもいとわないなら…」
「――!」
「それでも彼と生きたいなら―」
私が手を握るとどこにも焦点が合っていなかったレイの目が私へと向けられる。司令がレイのこれまでの人生の全て…過去だとするなら…シンジ君は未来だ。
レイを騙すために…私は一つの“嘘”以外は全て“真実”で固めている。
「私はどんな協力も惜しまない」
もうこの子を動かし、きっかけを作るしかないから。その言葉は本気だった。

945: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/27 19:33:05 ID:???
「どう…?司令とのこと…決着できるかしら?」「……」
答えは無い。私がこれだけ優しく…懇切丁寧に説明しているのに…。苛立つ。
「辛いでしょうけどそこをなんとかしない限り、具体的な話には移れないわ」「……」
やはり答えは返ってこない。これは…駄目だ。この子には無理だ。
大体、司令を捨ててもシンジ君がこっちを向くとは限らないのだから。二の足を踏んで当然だ。
…いや。この子にはそんな打算はないわね。ただ…躊躇しているだけね。そういう計算高さがあれば、アスカともっと上手く張り合えてるはずだもの。
純朴さがこの子の武器であり、またネックでもある。この場合は果たして――。
『仕方ない…』
ここでレイに心を決めさせれば私の目的は完了する。その後でレイを本気で応援してやるも良し、面倒になれば放り投げれば…まぁそれはないかしらね。司令に戻らせるわけにはいかないし。
アフターケアには万全を期する覚悟ではいる。しかしこれは少し性急に過ぎた。
「レイ…悪かったわね。いきなり過ぎたみたい。今持ちかけられてこの場で出来る決断ではなかったわね」
「……」
「貴方は…司令が嫌いなわけではないのよね。ただ…もっと好きな人が出来ただけ。あの人とのお別れは辛いわよね。
酷いことを言ったわ。ごめんね」
「…いえ…赤木博士は…何も…」
レイが弱弱しく私の手を握り締める。また…雫が落ちていく。弱い…脆いわね。この子は。
「…そうね。その話は後で少しずつ解決することにして…。まずは差し当たってのことを話し合いましょう。
こちらはすぐに動かなければならないわ。今夜中にね。緊急の課題よ」
「え?」
「とりあえずは…アスカにシンジ君を取られたくないんでしょ?」「…はい」
「だったらとるべき選択肢は一つよね。
シ ン ジ 君 を 渡 さ な い に は あ の 子 が い な く な れ ば い い 。
でしょ?」
「――!!!」
根本的な問題は解決していないけれど…対症療法に過ぎないが今は構わない。
「そうすればゆっくりと自分の気持ちにも整理が出来るし、時間をかけてシンジ君の心を手繰り寄ることも出来る。
アスカをドイツへ追い返しましょう。私と貴方で」

517: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/28 01:55:40 ID:???
「…どうやって…」
「シンジ君との仲を見せ付けてあげればいいのよ。さっき言ったのとは順番が矛盾するけれどね。今はそうも言ってられないから」
困惑した表情をされるけど…努めて自然に振舞う。
「私は彼とは何も…」
「あろうとなかろうと構わないの。“あるように”思わせさえすれば」
数字さえある程度顕著に下降すれば…不安要素と呼べなくもない兆候さえあれば何とか理由をつけて…。
「…でも…その材料が…」
「彼はアスカが好きなのに貴方と何度も関係する一歩手前まで行ってる。レイへの想いは決して弱くはないと思うの」「けれど結局は…」
「二人きりのときにもう一度迫られたら…彼は貴方を拒めるかしら?」「―!」
もしかしたら意外とこういう強引なやり方の方が話が早いかもしれない。
仮に彼が下心だけだったとしても…本心がどうあれ一度手を出した女の子を放り投げられる程強い子ではない。良くも悪くも。既成事実を楯にごねることも出来る。
「…身体で?」
レイは私の手を離した。明確な嫌悪が滲んでいる。彼との行為自体にではないのは分かる。しかし―。
「…抵抗があるのも、14の子に言う言葉ではないのも知ってる。けれど残り時間を考えるとこういう荒業しか残ってないの。
明日アスカが記録を出してしまえばそれで終わりなのよ?」
「そこまでする必要が…その…自分の都合で他人の足を…」
「貴方と彼の関係に傷ついたってそれはアスカの勝手じゃない」「けれど…それを承知で行ったとしたらやはりそれは…」
「…イライラするわね…その綺麗事と彼とどちらが大事なの?」「……!」
目をそらし続けていた部分をえぐられ、レイは硬直した。ここで畳み掛ければ…!
「誰だってこんなやり方は嫌よ。けれどそれが本当に欲しいものなら手を汚すのを恐れたり、誰かに遠慮したりしてどうするの?
貴方にとって彼は手に入らなくてもかまわない位のものなの?その程度の思いなの?」
「…違う」
揺れている。もう一押し。
「…誰かの物を奪うのは万人が認める悪事だわ。けれど誰かの心を奪うことは…それは人が盗むことを許されてるたった一つのものだと思うの。例えそれが“強奪”であってもね」「…本当に…?」
私は再びレイの手を握った。
「自分の力でもぎとってみせて…貴方の恋を」
そして私の恋を。レイは私の手を握った。

768: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/28 03:26:41 ID:???
「ん~…三ツ星評価っていうからどんなもんかと思ったけど…物足りないわね」
「…充分美味しかっただろ」
店を出る段になりアスカはありえない感想を吐いた。
レジで店員に『普段よほどおいしいものをお食べになってるんですね』とちくりとやられた。何で僕が責められるんだ…。
前も言ったけど僕らに渡されるようになった額は中学生が持つには結構なもので…それなのにこの食事だけで僕の財布は普通の中学生並になった。
…足りて良かった。
僕が払い終わると続けて後ろで待ってた保安部員が支払い始めた。もう“隠れて護衛”という体はどこに行ったのか、はっきり目を合わせ『なんちゅう店に入るのか…』って顔をする。流石に会話はしないけど。
…ここでの食事代も経費で落ちるんだろうなぁ…。いっそのこと『お金が足りません!』って泣きつけばよかったかな。そしたら払ってくれたかな。
『高い店に入りまくって“仕方なく”おいしいものたくさん食べさせますから共存共栄で…!』って…。
…無理か。無理だね。分かってるよ、そんなこと。
「…遅い」
店の外でアスカはパンプスをかつんかつんやりながら退屈そうに僕を待ってた。
「…せめて外で言えよ」「あ~こんな店二度と来ない」
…嫌がらせでしかない額を人におごらせといてごちそうさまの一言もなし。アスカは先先歩き出した。
「あれだけ食べといて何が不満だったの?」「量」
「僕の倍以上は食べてたのに!?」「何食か抜いた分を食べてるだけじゃない。人を大食いみたいに言わないでよ」
「人間の胃袋はいつから足し算方式に…いや何でもないです」
世の中には足し算方式の地域もあるんだ。きっとドイツはそうなんだ。世界は広いなぁ…。
「まぁ味はそこそこだったけどさぁ…雰囲気が良くないわよねぇ、仰々しくて」
「堅苦しいのは確かだけど分かってて行ったんじゃないか。大体中学生が行くような…行けるような店じゃないよあそこ」
「そうだけどさぁ~やっぱデートな訳だしぃ~」「…初耳だなぁ」
僕なんか店に入るためだけに行事のときしか着ない詰襟を着させられてる。正装じゃないといけないっていうんで学生の正装で。厚いからもう脱いでるけど。
アスカの方は流石にビシッと決めてる。女性はそういった縛りが緩いんだな。
けど今日のアスカはいつもとちょっと違う気がする。ん~…なんていうのか…。


91: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/28 19:58:14 ID:???
「化粧…してないんだね」
おもむろにシンジがそんなこと言い出した。
酔っ払った人みたく、くるくる回りながら歩いてたけどその言葉に回転を止める。シンジが横に流れ気味。
「ここ二三日はともかく、このところずっとしっかりしてたし」
目ざといとでも思ったのか若干得意げ。何を今更…もうため息つくしかない。
「…何日も前から薄くしてるけど?てゆーか一応今もしてるし」「…え?」
「ナチュラルメイクっていうの。分かんない?」「…あ。あ~あ~あ~…」
分かったような声上げてるけど…分かってないわね、コイツ。
「…女が気にしてるほどには気にしてないもんなのねぇ男って。それともアンタが特別鈍いだけ?」「いや…え?ホントにしてる?」
「…めかし込むの馬鹿らしくなるわ…次からジャージでいいわね?鈴原みたくジャージで」「アスカが構わないなら別に…」
「構うわよ!突っ込みなさいよ!放置しないでよ!ジャージ着なきゃいけなくなるじゃない!」「ご、ごめん!」
ハイだ。私今日、いい感じにハイになってる。心が軽いな。何か…何か出来そうな、やれそうな気がする。状況は切迫してるけど…プレッシャーはない。
力の源は私の後ろでしょぼくれて歩いてる奴と、奴との“行為”。
「シンジ」「何?」「“予習”は完璧?」「――!」
脇に抱えた詰襟を取り落とすシンジ。まるで昭和のリアクション。
「今から!?」「…それは先走りすぎ」
別にそれでもいいけどさ。でも後に心配事残したままじゃのめり込めないじゃん。特にあんたが。美味しいものは最初に食べる方だけど…こればっかりはね。
「今晩から一人でするの禁止よ」「え?」
「明後日って話だったけど…多分明日になる。少しは溜めとけば?」「…明日」
「準備できてるぅ?心の準備もそうだけどぉ…必要とあれば道具とかぁ、特定の服とかぁ…」「…準備…」
「…シンジ?」
シモネタ振ってんのに、にやけもしない。からかったつもりだったのに…シンジは青ざめ、いよいよ冷や汗とか流し始めた。
どうもこの話題について反応が薄いとは思ってたけど…。天才様がやけに数字落としてると思えばこんなことが原因なわけ?
普段はバカでスケベなくせに、何でこうバカもスケベもしていいってなったら…。
こいつ本当に大丈夫かしら?

142: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/02/28 21:54:36 ID:???
「あんたバカの割にマジメねぇ…ほどほどにしとかないとホントのバカを見るわよ?」
アスカが神妙な顔で僕の顔を覗き込む。
「予習なんて冗談じゃん。あんなの予習するようなことじゃないし」
予習のしようもないんだ。青葉塾にはもう行きたくないんだよ…。
『いいか!初心者が竿で感じさせようなんて図に乗った考え持つんじゃねぇ!指と舌で奉仕するんだ!
特に舌での奉仕だが…初心者の場合、躊躇しがちだ。フォルムのみならず…匂いとか味とか…舌触りでな…。俺も…そうだった。
“アレ”を目の当たりにした男はただの一人の例外もなく誰もがそう思う!あんなところに挿れろだなんて何の罰ゲームだと!そうまでしなければ殖えられない人という種にどれ程の価値があるのかと悩むのは当然だ!
だがためらうな!やらなければやられる!脳と五感を切り離せ!食うか食われるかの世界だ!アレはそういうものだ!』
…あんな狂った講釈は二度とごめんだ。あの人に僕は恐怖を刷り込まれた。
「したいことをしたいようにすればいいだけじゃん。やり方なんてそれこそ千差万別で決まった方法なんて…」
でもさんざんっぱら経験した後に構築した独自のスタイルと、初心者がやらかすトンデモ行為は一見同じでも凄い開きがあると思うんだよ。気持ちいいか否かっていう…。
「お互い気持ちよければそれでいいじゃない。私ってそんなに“悪くない”らしいし…」
そりゃ僕は気持ちいいだろうさ。
悪くないどころか…アスカのその…“服の下”を目にするってだけで100%アレなのに…その上、一切の狼藉が許可されるってなったら…。
でもそれが問題なんだ。“お互い”じゃなく“僕だけ”だったら目も当てられないんだよ。アスカが物足りなかったら…そう考えたら素になっちゃうんだ。
「ねぇ…楽しむことなんだからさ。気楽にしようよ」
フォローありがとうアスカ。でも君の言葉はあまりにも含蓄が…説得力がありすぎて…。
…なんで女の子に励まされてるんだろ。いや…慰められてるのか?なんていうか…アスカは“成功”へのインフラ整備をしてくれてるんだ。けど僕には“失敗”の前フリをされてるようにしか思えないんだ。へこむよ…。
絶対…僕はアスカを満足させられない。そのことを受け入れることも出来ない。
ホントに…小さいな…僕は…。

179: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 00:26:35 ID:???
「…やっぱ気にしてるんだ」「…え?」
その言葉に顔を上げたとき、アスカはもう駅の方へと歩き出していた。僕は慌てて後を追う。
「アスカ…?」「私は…シンジ以外と…」
違う…。そうじゃない…いや…そうかもしれないけど…。
「…気にするか、そりゃ」「…何がだよ」
アスカは何も答えない。僕もそれ以上聞けない。もう…どうしようもないことだから。
心もち速度を速めてアスカは歩く。まただ。まただよ、堂々巡りじゃないかこれじゃ…。
アスカは一生“それ”を背負っていく。僕もそれは同じだけど…アスカは“僕にも重荷を背負わせた”ってもう一つの重荷を背負わなきゃいけない。
だったら僕はせめて重くないフリをするべきだ。そんなの気にしてない、大したことないって顔して…平気な顔してればアスカだって少しは楽なのに。無神経な女の子のフリをしてられるのに。
なのに何で悩んでみせるんだ。他の人ならともかくアスカの前で。気にするだけじゃないか。殆ど…あてつけじゃないか。
「ごめんアスカ」「アンタ何か謝るようなことしたの?」
「アスカを傷つけた」「黙ってただけじゃない」
「…傷つけたよ」「傷つけたのは私の方よ」
アスカは立ち止まった。
「私さ…もう…こんなんなっちゃったけど…それでも…シンジにさ…」「……」
通り過ぎていく通行人は僕じゃなくアスカを注視している。僕からは背中しか見えないけど…その肩と声の震えでどんな顔してるかは分かった。
「…もう裏切らないから」「…初めから裏切ってないよ」
「…優しいね、シンジは」「…アスカは裏切ってない。僕はそんな風に思ってない」
「…じゃあ…これからも裏切らないから」「うん」
「シンジをもう…傷つけたり…苦しめたりしないから…だから…」「…うん」
『…から』『…だから』とアスカは繰り返す。その後に続く言葉を…願いをどうしても言えないらしい。
このままアスカの震える肩を強引に抱き締めて、キスして、どこかのホテルに引きずり込んで、狂ったように愛し合えれば…そういう強さが僕にあれば話は早い。そもそもアスカが誰かの手に渡ることも無かった。
だけど僕にそんな強さはなくて。
道行く人の好奇の目にさらされる中、震えが止まるまでの数分間、僕はただアスカの後ろに立っていた。
僕は手を握ってあげることすら出来なかった

264: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 04:44:43 ID:???
「明日で…終わるんだよね」「え?」
改札をくぐろうとしたとき…シンジが唐突に口を開いた。
「明日アスカが当たり前に記録を出して…当たり前の生活がこれからも続くんだよね。
もう思い出作りとか…残りの日にちとか…そういうのを気にしないで…一日一日の重みが薄れて…」
「……」
そう言ってシンジは私の目を見た。
それはこの上なく幸せなことだ。多分、代わり映えのない時間の中で私達は幸せを幸せと感じなくなっていく。でもそれはやっぱり幸せなことだ。
「…ねぇシンジ。私達は明日Hするに決まってるじゃない?」
「…うん。しないわけがないよ」
「でも私達ってまだ付き合ってもない。これって順序が逆でしょ?」
「…そうだね」
今更こういう形にこだわることは無意味だ。けど…私の緩んだ精神を締め直すにはHよりも凄いご褒美がいる。もっといいニンジンをぶら下げる必要がある。それは―…。
「…もしここに残れたら…私をシンジの彼女にしてよ」
「――!」
“ガ―――!!!”
出来すぎたタイミングで電車が入ってきて…私の渾身の告白は騒音に紛れた。
緊張した。震えた。Hには簡単に誘えたのに…地下でさえ踏み切れなかったのに。
とりあえずこの電車には乗れない。でも…ちゃんとシンジには伝わったようで…。
「残ることになったら…で、いいから」「……」
シンジは今すぐにでも彼女にしてくれる。けれどそれじゃ駄目。
もし駄目だったら離れ離れで彼氏彼女をやることになる。それは私には無理だ。辛すぎる。淋しすぎる。もたない。間違いなくまた…シンジを裏切る。
それは嫌。絶対嫌。これ以上自分を嫌いになったら生きていくことが出来ない。
私の中でHは“大したことのないこと”でなくちゃいけない。だって…Hが特別な人とするものだったら…私には特別な人が多すぎる。そして本当に特別な人が…“偽りの特別”の中に埋もれてしまう。だから私はHを特別なことに出来ない。
恋人がいい。“シンジの彼女”って称号が欲しい。自分にシンジが特別で、シンジに自分が特別だって証が欲しい。私には…もう心しか残ってないから。
シンジは…じっと考えてる。
イエスと言うのは分かってる。だけど私はドキドキしてる。どんな言葉で言ってくれるのか…。それ次第で私はもう一度…。
けれどシンジの返事は…私の期待の斜め上を行った。

266: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 05:13:32 ID:???
「もしアスカが残れなかったら…僕は綾波と付き合う」
「――!」
…何を…何言ってんのコイツ。
「アスカ、何度も言ったじゃないか。綾波と付き合えって。捨てることはないって。
だからそうするよ。残れなかったら僕の彼女は綾波だ」
そう言ってシンジは挑戦的な目付きで私を見る。私の問いかけには…一切答えてない。
私の中でまたメラメラと熱い物がたぎり始めた。
「…質問に…答えなさいよ…」
「…電車の音で何も聞こえなかったな。もう一回頼むよ」
「…このバカシンジが…!」
…いつものフレーズぐらいしか出てこない。あまりに嬉しくて。
…分かってるじゃないのよ、私の焚き付け方を…。らしくない。全くらしくないわよね、こんな乙女チックなのは。
人が告ってる前で他の女と付き合うって宣言するなんてありえない!ホント馬鹿!…OK、分かったわよ。
「…戦えってのね?」
私の言葉にシンジはニヤッと笑った。ホントむかつく。やっぱコイツでなきゃ駄目だ。
戦えと。いっつも何かと戦ってないとアスカじゃないと。分かったわよ。上等だわ。やりゃあいいんでしょやりゃあ。
渡さないわよ。ファーストなんかにシンジを!
「んで何を言ったの?」「ん?ああ、あれね。記録は出すけどそれとは関係なくドイツには帰るって言ったの」
「えぇ!?は、話が違うじゃないか!それに前後の会話が…」「日本の食事って合わなくてさ。そろそろ帰りたくなって」
「ありえないよ!アスカ、ブーブー文句垂れる割に何だって食べるじゃないか!」「何がブーブーよ!その言い方じゃ私が豚みたいじゃない!」
「トンカツはアスカの大好物だろ!?」「誰がトンカツの話をしてんのよ!」
「嫌いなのかよ!」「好きよ!」「何が!?」「トンカツが!」
「僕のことは!?」「大好…!」
気持ちいいくらいに頭が悪い乗せられ方で告らされかけたけど…シンジの指が私の唇を制した。
「…告白は明日、僕にさせてよ」
「……」
顔が…真っ赤になる。…くそったれ…くそったれ…何でこんな…駄目だ…やっぱり…好きだ…。
周りの連中は呆気にとられてたけど知ったことじゃない。もうここは二人の世界。
それから私達は次の電車が来るまでガッチガチのシモネタで盛り上がったり、罵りあったりした。
そして私は電車を乗り継いで本部へ帰り、煎餅布団でぐっすり眠った。

314: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 18:10:09 ID:???
「…何だよこれ…」
渡した資料に日向が目を剥いた。
「戦自にそれが渡ったらしい。日重共を口説き落としてな」
「このスペック…デタラメじゃないのか?あのガラクタと雲泥の差じゃないか!何で今更…」
「逆に今の今まで隠してたからこそマジだと思うが」
「そうは言うがアレに搭載可能なN2リアクターなんて…うちでも確立されてない技術だぞ!?」
「戦自ならあの機体に実装可能なものを用意できる。N2兵器絡みの技術はやっこさんの方が一枚上手だ。両者が足りない技術を補い合えば…」
「…初めから戦自にアレを採用させる腹積もりで…決戦兵器として不完全なあのガラクタをあんなにも強気で売り込めたのは納入された後で戦自と共同で改良出来たから…。
成果のまだ上がっていないアレを採用するための材料が必要だった…。一部政治家と結託してあの公開試験を採用のための口実作りとして用意して…。なるほど…戦自が未介入だった理由は…」
「『J.A.改』。NERVが警戒してたのはこれだったんだよ。あ~疲れた…」
もうそろそろしんどい。スパイごっこは柄じゃない。
大の字に寝転がりたいが部屋の中は全然片付けられていないままで、手足を広げることすらままならない。ベッドに上がればマシなんだろうが…『ここでアスカと』ってことを思い出すと上がる気にはならない。
日向もそこは使ってないらしく、ただの物の置き場になっていた。
「…ここは禁煙だ」「灰皿あるじゃねぇか」
「ここで吸っていいのは限られた人だけだ」
…人をさんざん動かせといてえらそうに言いやがる。
「んで…具体的な動きを見せてるのは戦自だけか?」
「…後でいくらでも言い訳が効くような動機をつけて動いてる組織はかなりある。全部が全部、表立って動いてるのが不気味だ」
「やましいことは何もないってか…国家レベルでは?」
「強くて喧嘩っ早い“あの国”はやりあってもいいって声が大勢を占めつつあるらしい。2NDインパクトからこっち、仕切られっぱなしって状況に相当鬱憤がたまってるようだ」
「はは♪タカ派がまるごと吹っ飛ばされて変ったかと思ったが…まだ鼻っ柱は折れてなかったか」
「一番じゃなきゃ気がすまない国民性だからな。なめられ続けりゃハトもタカに変るさ」
流石“ケンカ”のときには頼りになる。世界の番長は。

317: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 18:23:28 ID:???
委員会の中でも温度差はあるらしい。
例えば6番目のにやられた太平洋艦隊はほとんどあの国の船だった。そのことも不満の一つ。
元々補完計画への貢献度、すなわち“費やした金の額”に大きく差があることにも不満は持ってたそうだ。そのことが問題視されないことにも。
『義務を果たしていないものが果たしたものと同じく補完される権利を得ることはフェアではない』と言った事もあるとか。
まぁ…一番高い金払ってるのは他ならぬ我らが母国なんだが。いつでもこの国は世界の財布だ。
「あの国の連中は補完なんていわれてもピンと来ないだろうからな。目に見える利益の方を欲しがるだろう」
結局、青葉はタバコに火をつけたが…むしりとって灰皿にねじ込んだ。青葉が俺を恨めしそうに見る。
「委員会を運営してるのも奴らが嫌うあさましい人間なんだ。どうしたって行動には欲目が絡むさ」
「…最悪、内部分裂もありうるのか?」
「…それが期待できる程には生温くはないと思うが。結局あの国次第だろ。一番、補完計画へのこだわりが薄いからな。
計画の旗色が怪しくなり、今動けばもう一度世界のトップに返り咲ける…ってなれば番長が重い腰を上げるかもしれない。そうすれば一波乱ぐらいは起こせるさ。
どちらにしろ最終的に起こる混乱を押さえ込むにはどうしたってあの国のバカ力が必要だしな」
「…なぁ。結局、何が起ころうとしてるんだ?」
青葉が座り直し、改めて神妙な顔で俺に尋ねる。何…か。簡単に聞くじゃないか。
「みんな…何かに向けて動いてる。けれど…誰一人としてそれが何かを口にしようとしないんだ。何だ?何が起きるんだ?」
「…お前だって本当は目星ぐらいついてるんだろ?」
青葉は…黙り込む。そうだ。その『まさか』が答えだ。馬鹿馬鹿しいのに…期待せずにはいられない。大人の抱く妄想じゃないから口には出せないが。
「…ゼーレの支配力が強いEUではそういう動きはほとんどない。形としては西対東ってことになるが…」
言わんとすることは分かる。世界が真っ二つに分かれて…ほとんど世界大戦の様相だ。けれど…それさえも本当の目的ではない。
「…少なくとも使徒が残ってる間はない」「…その後は?」
問題はそこからなんだ。
「誰だ?裏で糸を引いてるのは何者だ?
こんな大掛かりなこと仕掛けてる奴がいるのにゼーレは何で放っておくんだ?」

318: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 18:25:08 ID:???
「…初めに焚き付けた人間が存在するだけだ。この流れを操っている特定の人間も組織も存在しない。いや…あえて存在させてないんだ」「どうして…」
俺は…努めてこのきっかけを作った“二人”の思考を、意図を追従する。そして…。
「…それをしたらその人物なり組織なりが潰されたときに全部のことが終わってしまう。後が続かない。
これまで連中に反抗を試みた数多の組織はそうやって潰されてきた。故にそういう手段を取らなかったんだ。形を持たせなかったんだ。
もはや事態は煽った人間の手を離れて動き出している」
「形がないのなら…何故話が進む?」
「事態を動かしているのは…強いて言うなら…今の流れ…ごく最近になって流れ始めた微妙な匂い…ほんのわずかな期待感。元々存在していた大きな不満。怒り。憤り。
ゼーレだってそれには気付いている。しかしそれは本当にわずかな火種で…そのくせ数限りなく存在し、火の粉となってどんどんと増えていく。流石に手に負えない。
誰もが大きな炎にはなりっこないと思ってはいるのに…厄介なことになかなか消えてくれない。希望の灯は本当に儚く、か細く…しかししぶとい。
生理的に圧政を嫌う…人間が誰しも根源的に持っている、自由を望む心。仕掛けた人間は…それに賭けたんだ」
「期待…何の?」
俺も…それを口にするのには躊躇する。本当は…出来るなんて思っていない。けれど…焚き付けた人間の遺志を継ぐ以上、言葉にしなけれならない。
「ゼーレを滅ばせるかもしれないという期待…ゼーレの支配から世界を解放しようというその気運。
もっと青臭い言葉を使うなら…人の『正義』」
「バカな…」
青葉は俺の言葉を一言の元に切り捨てた。分かる。それが自然な反応だ。しかし。
「確かにゼーレは強大だ。しかし好きでゼーレに付き従っている連中がどれだけいると思う?皆怖いから言うことを聞き続けてるんだ。
所詮はこの世は数だ。不満に思ったって一人で立ち上がれば叩き潰されるだけだ。
けれど…立ち上がるのが自分だけではなければ?同じ思いで戦うものが現れたなら?」
「その…同調するものっていうのは何だ?UNか?アメリカか?」
「NERVとゼーレを除く全て。力を持たざる一切の弱者」
人が強大な力に怯え、理不尽なことにも目を伏せ、抑圧されたまま生きていくのが平気な犬畜生以下の生き物なら…補完は成る。

319: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 18:26:43 ID:???
「“赤信号 皆で渡れば 怖くない”
よく言ったもんだと思うよ。だけど誰だってその最初の一人にはなりたくない。勇み足になるのが怖いからな。誰も付いてこなかったらどうするんだ。人は臆病な生き物だ。
みんな…その歩き出す最初の一人を待ってたんだ。そして…それに続くものがいるかどうか。
ルールも。常識も。法も。言葉の用法も。間違っている人間の方が大多数ならばそれが正しかろうと間違っていようと捻じ曲げられていく。否応無しに」
「…ゼーレを押しつぶすのか…数に任せて…」
特別なことじゃない。女の子の仲良しグループだって、不良の集団だって、会社の派閥でだって起こりうる、当たり前のことがおころうとしてるだけだ。
下克上っていう。
「どんな強大な帝国も永遠には存在しはしない。
圧政はいつの時代も持たざるもの達が何かのきっかけに、なけなしの勇気と打算で立ち上がるときに…崩壊する」
今回はそういう歴史の下を生き残ってきた本当の黒幕が相手なんだが。
「きっかけは…何だ?“最初の一人”って…誰なんだよ」
「何かは分からない…おそらくまだやってきてはいない。しかし…間もなく現れるんだ。具体的な形を伴って」
青葉は目をつぶって考えていたが…大声であげてかぶりを振った。
「無理だ!無理だろそれは!ゼーレとNERVに対してこの世の全てが翻ったとしてもこっちには…」
「あぁ。NERVにもゼーレにもEVAがある」
そうだ。EVAには敵わない。しかし…。
「その対抗手段がJ.A.なのか?」「希望を託すには儚すぎないか?」
「例のトライデント型か?」「同じことだろ」
「人の手による本部の直接占拠」「俺達を皆殺しには出来てもEVAを倒すことは出来ない。それどころかゼーレには通用する手じゃない」
EVAを倒すことが出来るのはEVAだけだ。それだけは間違いないんだ。しかし連中にはEVAはない。
「だったら…結局そのクーデターはなりたたない。たとえ時間はかかっても…敵は一匹残らずすりつぶされる。」
「…あぁ…そんなこと仕掛けた人間もそれは分かってたはずだ…だが…」
多分あるんだ。そこを突破する方法が何か…この圧倒的優位を揺らがせるような切り札が。

322: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/01 18:39:21 ID:???
「あ~…!話が大きすぎる!安月給二人が頭突き合わせて解決できる話じゃねぇってこれ!」
青葉はやけくその声を上げて強引に寝っ転がった。下で何かがバキバキ音を立ててひび割れるのもおかまいなしだ。
「言っただろ。俺が知りたいだけだって」
「だったら俺を巻き込むな!どうにもならないんなら俺は知りたくなかったよこんなこと…!スパイまがいの真似までさせられてよぉ…!」
「悪かったって!」
他人に危ない橋渡らすのが卑怯なのは分かってるんだが。俺がそうだったからな。
「しかしお前もよく調べたな。よくそれだけゼーレの内情がポンポン…洞察にしたって…」
青葉は起き上がり、感心したように俺を見たが…俺は苦笑した。
「ほとんど俺の仕事じゃない。推察にしても俺がしてるのは補足くらいだ。全部又聞きだよ。
この仮説を組めるだけの材料も資料も既に渡されてたんだ。かなり早い段階で。自分の感情に飲み込まれてて目が曇ってただけさ。ゼーレのおっさんに言われてようやく目が醒めたんだ」
「つーか…なんで“火”はついたんだ?皆で一斉にかかれば倒せるぜって話なら他の奴らだってしてもおかしくないだろ。それが何で今回に限り…」
「……」
多分…きっかけを作ったのは俺だ。ゼーレをあれだけ慌てさせたのは…多分、歴史上俺しかいない。
「…まぁいいや。もう帰るわ」「あぁ…悪いな、色々」
「全くだ!なんか奢れよ!?」「安月給を減棒されたうえに10日も働いてない俺に奢れって言うのか!?」
青葉は皮のベストを羽織り…しばし天井を仰いだ。
「…ゼーレのいない世界か。想像もつかないな。仕掛け人は一体どんな青写真描いて…どんな奴か興味はあるな。
多分、一銭の得にもなりゃしないのに…何だってこんなことしたんだろうな?」
「…青葉。それは俺達凡人の価値観さ」「あぁ?」
「“正義の味方”には自由と平和こそが報酬なんだよ」
「はは…正義の味方…ね。俺には程遠いもんだな」「俺だってそうさ」
「…お前はまだ近いところにいるよ」「ははは…いやいや…」
いや…当の“本人”だってそうだな。そんなに崇高なもんじゃなかったよ、ありゃ。
だからあの人は惹かれたのかな。最後まで正義の味方をやりきったあの男に。
俺にはなれないな。この小汚い部屋も、無精ひげまみれの顔も、足りない頭も、浅ましい心も…その“高み”には遠すぎる。

416: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 03:14:26 ID:???
「明日は多分、色々在るんだろなぁ…アスカが記録出すかもしれないし」「…立ち直ったのか。あの子は」
アパートの下まで見送る。
青葉はレイに再起不能にされた相棒の代わりに買ったばかりの原付にまたがり、不器用そうにあごひもを結んだ。前と同じ型だからパッと見には代わり映えはしない。
「俺達の認識はひっくり返されたよ…。シンジ君が原動力なんだろうな。
マヤちゃんは愛の奇跡とかバカなこと言ってたけど…あながち的外れでもないかもな」「…シンジ君が」
嬉しい反面…申し訳ない思いが宿る。
彼の人懐っこい笑顔が浮かぶ。彼に対して抱えきれないほどの罪悪感がのしかかる。あれだけ慕ってくれてたのに…俺は君の大事な子と…。
「なんか二人でHな約束してるらしい。俺に相談しに来たよ。大丈夫。懇切丁寧に説明してやった。今頃、大船に乗ったつもりでいると思うぜ。
…ていうかそうでなきゃ上司に同僚に信用を失った俺の立場が…」
「…俺のところに来られたら困るな…」
的確に過ぎるアドバイスはしてやれるだろうが…。俺は自嘲の笑みを浮かべた。
「…何かの形で償うにしても残留が決まるまでは堪えてろよ。赤木さんがごねなきゃ多分明日で決まるはずだ」「…そう出来ればな」
明言出来ない俺をよそに青葉はキーを回した。
“ドゥルンン…!!!!”
「彼女はもはやお前なんて眼中にない!嫌いはしてても自分にも非はあることは分かってるはずだ!余計な横槍入れて乱すな!」「……」
返事を待たずに右手をひねり…原付は唸りを上げて走り出した。
「…アスカはよくても…シンジ君はどうなんだよ…」
角を曲がり視界から消え、唸り声が聞こえなくなるまで立ち尽くし…それから部屋に戻った。
と、玄関の脇に置かれているものに気付く。
「…あのバカ…」
携帯忘れて行きやがった。思わず電話に手を伸ばすが…意味ない。だから忘れ物は携帯なんだ。
あいつが気付かない限り…。
“…コンコン”
…気付いたらしい。よかった。
「…おいおい、来るならもう少し遅く来いよ。メールチェックも出来な…」
青葉だと思ってドアを開け…硬直した。そこに立っていたのは…。
「…す、すみません…。あの…今、まずかったですか?」
「シンジ君…」
顔を会わせたくない奴ランキング…堂々の一位がそこにいた。

422: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 04:40:59 ID:???
「ごめんなさい、夜中に連絡も入れずにいきなり来て…」
日向さんは僕が来たことに明らかに驚いていた。謹慎中だから家にはいるとは思って押しかけたけど…やっぱり電話くらいしておくべきだった。
分かってはいたけど相談の内容が内容だけにかけづらかったんだ。
「いや…そんな迷惑とかじゃ…」
完全に困ってる。しまったなぁ…。やっぱり…出直そう。
「あの…これ…良ければ食べてください」
そう言ってたこ焼きの包みを差し出す。お世話になった人への手土産にしてはあんまりだとは思ったけど、アスカが考えなしに食い散らかしたせいでこういうことになった。僕だって寿司折くらいは持って来たかったよ…。
「えと…お礼だけ言っとこうと思って…ありがとうございます」
「え、あ…」
「おやすみなさい!」
僕は居たたまれなくなって包みを押し付け、足早にその場から――…
「―話があるんじゃないのかい?」
「……」
慌てて日向さんが声をかけてきたので…足を止める。
「…いえ…でも…」
「…あぁ…おかしな反応した俺が悪かったな。いや、迷惑とかじゃないんだ。ただ…驚いただけさ。心の準備をしてなかったから…」
「…じゃあ…」
「…散らかったところだけど上がってってくれよ。俺も…話したい事もあるしな」
なんだか引っかかる言い方だったけど…日向さんは部屋の方へと手を差し出した。

「…誰か来てたんですか?」「ちょっとね。…コーヒーでいいかな」
「いえ、おかまいなく…」
僕はそろそろと上がりこみ…躊躇しながら紙の束の中に腰を下ろす。
「確かに…散らかってますね」
上がり込んどいてこういうこというのは失礼なんだろうけど…。触れない方が不自然なくらいの散らかりようだった。
無精とかの散らかり方じゃない。同じ目にあった家を知ってる。これは間違いなく―…。
「日向さんも…」
「ははは…アスカにも同じこと言われたよ。気にしないでくれよ。まだ住めてる分君達よりマシさ」
「え…アスカも来たんですか?」「……」
僕の言葉に…何故か日向さんは顔を曇らせた。

430: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 05:33:11 ID:???
「…うん。一度来たよ。こないだの…昇進祝いの日に来てくれた」
そう言って日向さんは一杯だけコーヒーを入れ、テーブルへとやって来た。
「あぁ…そういえば会ったとか言ってました」「―聞いたのかい!?」
「熱っ…!!」「あ!…ご、ごめん!」
カップを受け取ろうとしたら日向さんが突然、身体を強張らせたので、コーヒーがかなり零れ落ち僕にかかった。日向さんは慌てて拭く物を探したけれど見つからず、手近にあった洋服で僕の体を拭った。
「悪い…悪いな…」「いえ…」
濡れた部分が熱いので肌に触れないようにしながら、僕はシャツを脱いだ。日向さんはばつが悪そうに受け取ると、ハンガーに干した。
「で…どこまで聞いたんだ?」「…はい…?」
「だから…」「…あの?
…何の話をしてるのか分からない。僕が首を傾げていると日向さんは『いや…ならいいんだ』と自己完結した。
「…それで…えっと…ここに来た理由なんですけど…」「…アスカとHするって?」
「――!!!」
気合入れてドアを開けようとしたら向こうから開かれ…心臓が止まりかけた。
「え…!だ、誰から…!?」「青葉がさっきね。誰にでも言いふらして回ってるわけでもないようだから安心してくれよ」
「塾長が…!」「じゅ…塾長…?」
「い、いえ、何でも…」
“塾長”というフレーズに日向さんが食いつくけど…そこは流す。あの人がここに来て…役に立たないばかりか余計なことを…。
「青葉は完璧なレクチャーをしたようなことを言ってたけど…」「全くの嘘です…」
あんたが何の役にも立たないからこんなところまで来てるっていうのに…何をのぼせた勘違いしてるんだ。そんなことだからいつまで経ってもロン毛なままなんだ。
でも…これで話は早い。
「えと…まぁ…そういうことになりそうなんで…。あの…聞きづらいんですけど…その…どういう風に…」
「…シンジ君。その前に僕の方も君にしておく必要のある話が…謝らなければいけない話があるんだ」
「え?」
日向さんが…意味深な口ぶりで話を断ち切った。随分と…神妙な顔つきで…。
「…実は…実は僕は――…」
あのとき…僕はたこ焼きを渡して帰るべきだった。部屋に上がらなければ良かった。
僕はここに来るべきじゃなかった。

448: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 06:41:11 ID:???
「…遅い…!」
赤木博士は吸い終わったタバコを灰皿に放り込み、苛立たしげにタバコの箱を探るも…中は空になっていた。
さっき買いに行ったばかりだというのにもう全て吸いきったらしい。苛立ちを更に募らせ、荒々しく席を立つと再び部屋を出た。
私は部屋の隅の椅子に座って膝を抱えている。確かに…遅い。時間はもう…11時を回ろうとしているのに。
モニターを覗く。そこにはIDカードのゲートの通過状況が表示されている。本部内に帰ってきているかどうかは一目瞭然だ。
碇君と惣流さんは…まだ帰ってきていない。
「二人で…何を…」
嫌な…哀しい想像が膨らんでいく。そうだ。あの二人が…してないとは限らない。いや…しない理由が見つからない。碇君が…彼女と…。
今更…私が私自身を差し出したところで一体、どれほどの揺らぎをあの二人の間に与えることが出来るというのだろう。空しい結果に終わるだけじゃないのだろうか。
と、そのとき。画面の表示が切り替わった。
「…!!」
私はモニターに駆け寄る。惣流さんのIDが…ゲートをくぐった。
「…来たの!?」
赤木博士が部屋に戻ってくるも、私の様子に気付いて両手のタバコを放り出してモニターに組み付いた。
「…アスカ…!アスカだけ!?シンジ君は…シンジ君はどうしたの?」
続けて入ってくるかと思ったのに…来ない。モタモタしているだけかと思ってしばらくモニターを凝視していたけれど…やはり来ない。
「…別々に帰ってきた…?」
「…私…行きます…」
「レ、レイ…!」
「…帰って…来るかもしれないし…」
もうじっとしてはいられなかった。何の考えが会ったわけではないけれど…赤木博士の声を振り切って部屋を飛び出し…とにかく居住区へと向かう。
エレベーターを駆け抜け、動く歩道の上さえ走り――…
「…夜中に駆けっこ?」
「――!!」
上から突然声をかけられ…私はつんのめりながらも立ち止まった。
「……」
「…体育では手ぇ抜いてたの?足、速いじゃん」
「…惣流さん」
タラップから惣流さんが半ばあきれた表情で私を見下ろしていた。

466: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 07:48:37 ID:???
「炭酸とか飲めなかったりする?」
自販機のラインナップを眺めながら惣流さんは手の中で小銭を鳴らす。
「…私はいらない」「コーラでいいわね」
私の言葉に関係なく惣流さんは自販機に小銭を放り込んでボタンを押した。
「ほら…」
こっちに缶を放り投げてよこしたけど…。
“…ガン――!!”
私は受け取らなかった。身体に当たった後、缶は通路に落ちけたたましい音を立てて転がり、惣流さんの足元で止まった。
「…そういえばいらないって言ったっけ。ぶつけて悪かったわね」
「……」
子供じみた私の行為と対照的に惣流さんはこともなげにそう言って、へこんでしまった缶を拾い上げた。
自分のために買った紅茶を開け、壁にもたれながら口をつける。その様子を横目で見てみる。
全体に黒っぽい服装で小さなバッグを抱えてる。スカートの丈は短く、長い足がほとんど見え、脚線美が強調されている。そういうことも意識してやっているんだろうか。とにかく…絵になる。
お洒落のことは…まるで分からない。けれど…似合っている。似合っていると思う。私なんかよりもずっと洗練された…私には程遠い魅力だ。見ているだけで…気持ちが沈んでいく。
この人と…私は張り合わなければならないのか…。
「あんたと二人だけで話すのって“あの”エレベーター以来だっけ?」
「…そうね」
「悪かったわね。ぶったりして。エレベーターでも。あぁ、地下でもだっけ。
余裕無くてさ、あのとき。あぁ、今もそうだけど」
「……」
そう言いながらもそれは余裕のある人間の言葉にしか聞こえない。返事をしない私に小さく肩をすくめて、惣流さんはまた一口紅茶を飲んだ。
苛立つ…。何だろう…この態度は。後2日でここを去ることになるかもしれない人間の態度じゃない。碇君と別れることになるかもしれないのに…どうして。
「……。――!!」
気付くと向こうもこっちを見ている。私の顔を…じぃっと…食い入るように見てる。
私は…目を逸らした。何故か分からないけど…目を逸らした。
「…ふ♪」
惣流さんが小さく鼻で笑うのが目の端に映った。

503: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 13:30:07 ID:???
「…何で私を見るの?」「ん?“シンジの彼女”はどんな子かな~って」
そうだ…私はまだ彼の彼女なのに。
「あ~でもアイツ、アンタに振られたみたいに言ってたけど?」「―碇君が?」
初耳だ。そんなこと彼は…。
「引っ越したってマジ?あんたもここに住んでんの?」「…誰から…」
「それもシンジ。引越し先までは知らないしいけど。あ、後さ~」
次々と彼の言葉が吐き出される。彼がどこまで知っているか、どんな風に思っていたかが…よりにもよってこの人の口から。彼は…この人に全部話してるの?彼はこの人と―…
「…貴方は…」「ん?」
「碇君とどこまで―」「へ?」
気付いたときにはその台詞は口から出ていた。自分でも何を言っているか分からない。
惣流さんはポカンとしてから…笑った。
「いつぞやとは反対ね…何でそんなこと聞きたがるの?」「…何でもない。忘れて―」
「随分前に一回キスしたわ。私から誘って半ば強引に。それくらいかな。シンジからっていうのは一度もない」
「…それだけ?」「それだけだけど?」
それだけ…たった…。
「…私は…何度もしたわ」
少し自信が戻る。間違いなく私はこの人より上だ。なのに―…
「へぇ~凄いじゃん」
惣流さんはどうでも良さそうに缶を傾ける。…何。その反応は。
「身体を…求められたこともある」「ふ~ん。私は無いな、そういうの。うらやまし~」
缶を垂直に傾け、彼女は紅茶を飲み干した。何なの…どうして焦らないの…何でそんな…。
「私は…彼の恋人よ。振ってないし…振られてない」「そっかぁ、随分差ぁ開けられてんのねぇ」
空き缶入れに狙いを定め―
「そうよ…私は貴方よりずっと…なのに…それなのに…」
“カァァァン!!!”
缶は…凄まじい勢いで箱に叩き込まれた。
「―いつか言ったわよね?『好きじゃなくても一緒にいられる方が好きでもケンカばかりで一緒にいられないよりマシ』って。
ケンカばっかってのは事実として、今シンジは毎日私の側にいるんだけどさ。好かれてなくて側にもいられなくて…あんたには何があるの?」
「――!」
「私よりキスしてて私より求められて私と違ってシンジの彼女で…それなのに…
『 そ ん な に 私 が う ら や ま し い の ?』」
どこかの誰かの真似をして…その女は笑った。

562: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 20:39:48 ID:???
“ぱちん…!!”
「…よく“憶えて”んじゃない。そうよ、そんでいいの」「…あ…」
気付くと…私は目の前の女の頬を張っていた。張るというか…ただ…手を当てたような弱弱しいものだったけど…。これは…まるで…。
この…憎い女は殴られたにも関わらず面白そうに笑った。
「別に構わないわよ。こっちだって殴ってるし。二回殴ったから、後一回は殴られたげ―…」
“ぱっちん!!!!”
「…これでチャラっと…次はないから」
口元から血が垂れている。流石に今度は笑いは消えたけど…生意気な口は健在。
今度は本気で殴った。腰を入れて。凄まじい音と衝撃が響いた。
「あんたそっくりね。こないだの私と何から何まで。ただ今度はアンタのアドバンテージがシンジとの“過去の戯れ”の他に何一つないってことだけど―…」
私は三発目をその頬に見舞っ―…
“ガシッ…!”
「―!」「―その戯れが問題でさぁ」
私の掌は…頬に届く寸前で受け止められた。目の前の女は私の方をじっと睨…目を見開いて覗き込んでいる。
―怖い。
もう片方の腕で殴りかかるも…それも受け止められた。
「させないっつったじゃん」「く…!」
手が…外れない。強く握り締められて―…
「…さんざんっぱらシンジとのことのろけられて…まさか本当に平然としてるとでも思った?んなわけないじゃない。腹ん中、煮え繰り返ってるってのよ」
「……」
声も…目付きも変った。腕にも更なる力が込められ…。
「納得できないなぁ…アンタごときがシンジと何回もキスして求められて…挙句に彼女?いいなぁ…うらやましい。本当にうらやましい」
手首がきしんでいる。凄い力で…動けない。このままじゃ…折られ…。
「私は…本当についてる…。今夜アンタに会えて…アンタの顔を見れて…アンタの話を聞けて…本当に本当に幸運」
笑ってる…。正気ではない笑顔で…。
とうとう…むき出しにし始めた。この人の本性…攻撃的な…性が。
「私の原動力なのよね。愛憎ってのは。愛は間に合ってるけど…愛じゃない方を今夜アンタがくれたわ。
もう私は完璧よ?綾波レイ」
血の気が引いていく…。私は――この人の“最後の一押し”をしてしまった。

578: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/02 21:17:42 ID:???
「シンジは私が残れなかったらアンタと付き合うそうよ。なめたこと言うと思わない?」
「――!」
突然脈絡のないことを言い出す。…何…何でそんな…。
私と付き合う…この人がいなければ…。
「シンジのこと思うんならそれがいいと思う。けど私は、私がシンジと付き合いたい。だから頑張る。思いっきり頑張るわ。アンタなんかに渡したくないから。
知らないでいるのはフェアじゃないような気がしたから伝えとくわ。私が消えればシンジはアンタの物。私を消せればシンジは―…。
せいぜいあがいてみれば?もう時間はないけどさ」
不意に両手を離された。私はそのまま床に沈みこむ。…立てない。気圧されてしまって。
縮み上がる私を見下ろし鼻で笑うと、惣流さんは床に投げ出されたバッグを手に取って歩き出した。
駄目だ…このまま行かせては…。
「…何で…貴方なの…」
「……」
立ち去ろうとする背中に呼びかける。何か…何か私からも…。
「貴方はたくさんの人と関係して…碇君に怪我までさせて…作戦部長が命を奪う原因にもなって…」
「…誰から聞いたんだか。そうね。その通りよ」
「私は…誰にも迷惑かけてない…!碇君だけ見て…彼のためだけに…!少なくとも貴方よりは!貴方のような人は彼には…!
それなのに…どうして彼は貴方を…!」
「本人に聞いてよ、そういうの」
「――!」
煩わしそうなその声に二の句が告げなくなる。それが…それが出来れば私は―…。
「何で私に聞くのよ。本当に何も後ろめたくないなら何だって聞けるじゃない。あんたが全然動かないのって私と何か関係あんの?」
急所をどんどんえぐってくる。この人は…私の痛いところを…私の言葉が本当じゃないのを知るかのように…。
「…こっちが聞きたいわよ。そんなこと。こんなくっだらない女にこだわって。悪趣味もいいとこよ。
…だからこそ絶対…放すもんか。あんな物好き…これから先、現れる訳ない」
その声は本当に嬉しそうで…幸せそうで…。本当に…憎たらしくて…。
「伝えたからね。これでイーブンよ。あぁコーラの分だけ借りがあると思っときなさい」
顔を上げられないまま足音だけが立ち去っていき…私は取り残された。
どうしたらいいんだろう。この底無しの敗北感と…缶がへこんだコーラは。
炭酸は嫌いなのに。

723: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 00:19:00 ID:???
「…遅かったわね」
部屋にレイが戻ってきた。沈み込み、片手には何故か凹んだコーラの缶を持って。
シンジ君に会えたかどうかは聞くまでもない。彼のIDはまだゲートを通過してはいない。
「…遅すぎるわね。これは」
とうに日付は変っている。終電ももはやない。本部への直通列車は24時間走っているが、そこに至るまでの交通手段、交通費のことを考えると…。最悪のことも起こりかねない。
「…仕方がないわね」
もう強引に連れ帰るしかない。痺れを切らして受話器を取り、ボタンを押して待つこと数秒。
『――こちらサード監視班…』
事務的な男の声がした。
「赤木よ?彼の状況は?」『…問題はありません』
私の知るや、声のトーンがよそよそしくなるが…そんなことに構っていられない。
「問題なし?こんな時間に中学生が外にいることが問題ないというの?大有りよ!職務怠慢よ!無能にも程があるわ!」
『……』
「何か起こる前に即刻連れ戻しなさい。手段は問わないわ。一秒でも早く」
今夜中に全てを終わらせるしかないのよ…早く…早く!
『…今のところ、“何かが起こるような場所”にサードはいませんが』「…一体どこにいるの、彼は?」
『……』
返答がない。時間が惜しいというのに…!何なのか、この釈然としない対応は…!
「さっさと答えなさ…!』
『…赤木博士。もううんざりだ。我々保安諜報部は技術部の貴方に指図される筋合いにない』「―何ですって?」
「どうしてもというなら司令を通して圧力をかけるなり、書簡で正式に抗議するなりして下さい。そうすれば我々は何も言えない』「な―」
『失礼します』
“ブツン…”
何か言い返す間も与えずに…通話は一方的に切られた。
バカに…されている。なめられている。私の指示が聞けないと…。うんざり…うんざりですって…!?
私とあの人の関係を知った上で…あの人の威光をかさに調子に乗っているとでも?
「…更迭ね。今の男は更迭だわ…!」
そう思うことぐらいでしか今は溜飲を下げられない。
レイがそんな私の様子をぼんやりと眺めていた。

749: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 02:35:27 ID:???
「…こうなったら…」
私は再び受話器を取るが…ボタンを押すことが出来ない。かけられない。かける相手が見つからない。
誰にかける?本当に司令に頼むの?
『何の必要がある?』
そう聞かれたら…どう答えればいい?アスカを放置しておいて今更…。
放っておけと言われるに決まっている。いや、それ以上に追求される可能性も…。
だからと言って誰になら頼める?こういうときに思わず押したくなる番号が短縮ダイヤルの1に入っている。けれど…その番号の主に繋がることは二度とない。
誰もいない。私には誰も…誰も…。


「…レイ。段取りは分かっているわね?まず、なんとしても彼の部屋に押し入って、なんとしても抱いてもらうの。抱かせるの。
可能ならば映像なり写真なりを確保して。少なくとも音声は。そうすればそれをアスカに―…」
「……」
博士が何か言っているが…私にでも分かる。
それは前世紀からこっち、嫌になるほど使い古されたあまりにも幼稚で頭の悪い低レベルなやり口。
大体、そういうものを前の日の晩に慌てて用意して、何の前フリもなく翌日にいきなり使うなんてことはバカでもない限りしないのに。
「…彼が帰って来なければ?」
「貴方の意見なんて聞いていないのよ!分かったの分からないの!?」
「…分かりました」
ヒステリックに叫ばれ、私は仕方なくそう答えた。
“勉強が出来ない”ことと“頭が悪い”ことと“バカ”だということは少しずつ異なっていると…いつか副指令が言っていた。
赤木博士は仕事では誰よりも優れているだろうけど…ロジックだけで片付かないことが極めて苦手で…やっていいことと悪いことの区別もつかない。
この人は勉強だけの人だ。そして私はそれにも劣る。
「…手間を取らせないで…」
博士は椅子にどすんと腰を下ろすとタバコに火を付けた。もう何も言う気力はない。
そして…無為な時間が流れ始めた。

750: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 02:36:33 ID:???
「…なんで今日に限って帰ってこないのよ…!」
「……」
赤木博士が金切り声を上げる。
1時…2時…。モニターの表示は変らない。換気フィルターが回っているにもかかわらず、煙たいものが私の方にまで漂ってくる。吸殻は灰皿からあふれんばかりだ。
私もそう思う。何故今日なんだろう。けれど偶然じゃないような気もする。
見られているんだ。“何か大きなもの”が博士の口車に乗り、卑怯な手段に手を染めることにした私を見て…嘲り笑ってる。あの女のように。そんな気がする。
それは神様とかいう存在かもしれない。そして私達はその使いと戦う者だけど。
…これはどうにも分のない勝負だ。
3時…4時…。苛立たしげに博士は部屋を歩き回り始め、モニターに向かって喚き、私をなじる。
「貴方がもっと早くに動いていれば…!」「…すみません」
何を言っても無駄だろう。この人にだって…もう結末は分っているだろうに。
…何故この人はこんなに焦っているのだろう。まるで自分のことのようだ。その狼狽ぶりは…醜い。これが今の自分の姿なんだと思うと…死にたくなった。
私達は今、世界で最も惨めな二人だ。
5時…6時…。赤木博士は机に頬杖をついたままとうとう喋らなくなった。くわえたタバコが殆ど灰になっていることにも気付かない。買ってきたタバコは吸いきったが…補充に行こうともしない。
灰が…空しく机へと落ちた。
そして―…
“…ポン”
「……」「……」
淀みきったこの部屋に場違いなほど小気味いい音がした。私達は緩慢な動きでモニターに目を移す。
碇君のIDカードが…ゲートを通った。
待ち望んでいたことなのに…私も赤木博士も何も言わない。時計が全ての理由を物語っている。
時刻は7時25分。試験は10時から。私達は開始30分前までには準備を完了し、待機する。準備に要する時間も合わせて考えると…。
いや…そんな計算をするまでもなく結論は出ている。もうどうにもならない。
最悪の朝が来た。

送還可否決定期日まで後1日。

762: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 03:45:30 ID:???
「…レイ。行くの?」
ひどくおっくうだったけど…私は立ち上がった。これだけ待ったのだから…行くだけは行かないと収まらない。
「…試験の開始時刻を遅らせることは可能よ。もし今からでも―…」
“RRRRRRRR…”
そのとき博士の携帯が鳴った。
「…はい…あぁ日向君。どうしたのこんな朝早くに…」
話はまだ終わってないけれど私は部屋を出た。どうにもならないと知りながら。


居住区画の入り口近くで待っていると…彼は来た。視線を落とし、とぼとぼと言ってもいいくらいの頼りない足取りで。
「…碇君…」「え…」
意を決して声をかけるも…ずっと喋ってなかったから変な声が出た。
「…綾波」「…おはよう…ん…んっ!」
「…風邪?」
まともな声が出ない。口の中がカラカラだ。喉の具合もおかしい。副流煙を吸い過ぎたせいだろうか。
話をするのは久しぶりなのにこんな…顔を赤らめて喉を鳴らす私を碇君は不思議そうに見ている。
「…今帰ったの?」「…うん」
「…こんな時間までどこに…」「…どこでもいいじゃないか」
煩わしそうに碇君は詮索を拒んだ。拒絶され、反射的に胸が痛んだけど…それだけ?
こんな時間に私がここにいる不自然さも、抱いているはずの疑念も思い浮かばないような…そんな余裕がないような。
「…試験は10時からだったよね?」「ええ…」
「…少しは寝れるかな」「……」
ぼんやりと宙に視線を漂わせるその様子には精気が感じられない。まるで寝てないせいか…疲れ切っている。でもそれだけの消耗じゃ…。
「…起こそうか?」「え?」
「…寝過ごすといけないし」
鼓動が…少しだけ高鳴る。別に特別なことじゃない。だけど…。
「…じゃあお願いするよ」
当たり前のことを拒否されない。それだけで少しは救われる。彼は私の横を通り過ぎ―…。
「…何かあった?」「……」
再度の質問に彼は立ち止まる。しつこい。嫌がられたばかりなのに。また拒まれるかと思ったけど…。
「…また一つ自分が嫌になったんだよ。無神経さと…人を見る目の無さに…」
自分だけに分かる説明をして、碇君はよろめくように通路を歩いて行った。

820: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 13:40:11 ID:???
「…4…3…2…」
“RRRRR…”
残り二秒というところで目覚ましが鳴った。脇を探り、音を止める。アイマスクを取り、時刻を確認するとちょうど8時を回ったところだった。
朝が来た。いつもの朝じゃない。特別な朝が。特別になるはずの朝が。
12時から28800秒。ぶっ通しのカウントダウン。
誤差は2秒弱。まずまずといったところか。絶好調とは言わないが集中力は切れてない。シンジへの思いも、あの女や金毛ババアへの思いも。
シャワーを浴びるくらいの時間は充分ある。勝負駆けの日だからって女をサボる気は毛頭ない。私はあの女とは違う。
昨夜じっくり観察した。確かに肌とか指の形とか一つ一つのパーツは凄く綺麗だけど、髪なんかはまるでケアしてないようでボサボサ。ツヤなんか一切無し。女をサボり過ぎ。
かといってこっちはこっちで女を頑張りすぎのきらいはあるけれど、ここまできた以上、最後まで頑張りきってやる。 
あんな女のことで心が埋め尽くされること自体不愉快。シンジ。シンジのこと。熱めのシャワーで意識を入れ替大事なのはえ。お湯になるまで時間がかかるヘタレボイラーだけど、自室に備え付けられてるだけいい。
各部を念入りに洗っておく。もちろん試験の後、シャワーは浴びるのだけれど、それでも。晩に向けて、ね。
別の意味では汚れたまんまだけど、とりあえず身体は綺麗になった。今のところここが限界。
“rrrrrrrrrrrrr…!!”
「…んぁ?」
ドライヤーで髪を乾かしていると部屋の電話が鳴った。…何?こんな時間に。やな予感。
「はい?」『アスカ?』
「…何ですか?」
予感的中。ババァ…朝っぱらからうっとうしい声を聞かせないで。
『悪いんだけれど試験の開始時刻が遅れそうなのよ』
「――!」
クソッタレ…こっちは完全に10時に合わせてコンディション作ってたのに…!
『正午からということになったから。ああ、それから試験前に一度、私のところに来てくれるかしら?研究室にいると思うから』
「…着替えてからでいいですか?」
『それは任せるわ。正午よ。お願いね』
そう言って電話は切れた。
「…またぞろおかしなネタでも仕入れたかしら?」
さてさて今度はどんな風に揺さぶってくることやら♪

849: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 14:49:04 ID:???
時間が出来た。どうしようか。
ぼんやりと部屋を眺める。そうだ。片付けないでいいんだろうか。この部屋でする可能性は低そうだけど。
試験の後、どういう流れになるかわからない。終わるなり真っ昼間っからというわけにも。いや、そうしたいのは山々だけどやっぱりこういうことは夜でないと。
だけどお祝いなんてことになったら流石に断れないな。二人きりになるにはちょっと時間がかかるだろう。
いや…お酒飲んで潰れたふりして部屋まで運んでもらって…なんてのも面白そう。マヤさん達にもそういう風に誘導してもらう様に頼んでおいたりして…。
とりあえず全部の可能性を考慮しておくべき。試験の後では舞い上がってしまってるだろうから、今、簡単にでも片付けておこう。狭い部屋で少ない物を片付けたって高が知れてるけど。
そうだ。ノートなんか作っとこうか。シンジとのHのノート。一発毎に1ページ使ってそのHについて事細かに記したり。30枚つづりだけど多分、二冊目に突入するまでに10日とかからない。目指すは一週間!
…シンジ、死んじゃうかな?
あれこれ考えるだけで楽しい。こういう準備はいくら無駄になったって笑い話になる。
邪魔だ。もう憎しみは邪魔。思いを一つに絞ろう。気持ちいい方へ思考を持っていこう。
目を瞑り、あいつを思う。
「…シンジ」
あいつのことを思うとき、胸をよぎるのは心地良さだけじゃない。苛立ちやもどかしさ…そしてそれより遥かに大きな申し訳なさと罪悪感。
シンジの手はまだぎこちなさが残ってる。私のせいだ。
「…もう傷つけない」
アバズレぶりをネタにする度に悲しそうな顔をするのも私のせいだ。
「…もうを苦しめない」
私のやらかしたバカで…私以上にシンジが辛い思いをした。
やってしまったことは…もうどうしようもない。ここからどれだけ信用を取り戻せるか。想いを示せるか。そこに尽きる。どれだけ一途でいられるか。
迷うな。盲目的になれ。周りを見るな。この思いだけが真理。答えは私の中にしかない。
「もう二度とシンジを…シンジ以外を…」
目を開く。時計はまだ9時も回ってないけど…やっぱりじっとしてられない。早すぎるけどまぁいい。行こう。今夜のことを妄想してれば3時間くらいすぐ経つ。
「…アスカ…行くわよ」
記録を出しに。シンジのものになりに。

923: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/04 21:31:29 ID:???
「え…12時から?」「そうみたい」
着替えが終わって待機部屋に入ってきた碇君にそう告げると、思い切り嫌そうな顔をされた。
「…それならそうと早く言ってくれればいいのに…」
「…ごめんなさい。電話かけたときには私も知らなくて…」
「いや、綾波に言ってるんじゃないけどさ…」
白々しい嘘。いつから…いつからこうなった。こんなに平気でこの人に嘘をつくような…。
碇君は『あと二時間は寝れたのに…』などと呟きながら、椅子に腰を下ろす。今更、着替えて部屋に戻って寝るのも面倒くさいんだろう。
本当に眠そう。かなりの疲れが見てとれる。
心が痛む。時間が変更されたと知らせてあげればよかった。これからわずかなりとも寝かせてあげたいけれど…そうするわけにはいかない。
「碇君…」「…ぅん?」
腕組みして眠るのに最適な姿勢を模索していた碇君が、とぼけた声と共に身体を震わせ目を開ける。
赤木博士がひねり出した二時間という空白の時間。あの女が来ないこの時間が最後のチャンス。
関係して…もしくはそれに準ずる状況を作り上げて…。途中でも構わない。途中で彼女が入ってきたならばそれはそれでいい。というかそれがベスト。
だけど…具体的にどうすればいいのか…。
「…さっき言ってたのって…誰のこと…?」「…えぇ?」
ようやく搾り出した私の言葉に碇君は眉をひそめて記憶をたどり…
「……!」
思い出したことで眉間のしわは更に濃くなった。
「…綾波のことじゃないよ」
話の切り口としては最悪だったようで…それだけ言ってまた目を閉じられる。
先回りのフォローのつもりだったのかもしれないけど…私は一言も私のことかなんて尋ねてない。
やっぱりそう思われてる。他に男がいるような…そんな女だったとは思わなかったって…。
「あの…」
「…今度は何?」
勇気を出して話しかけてももはや目も開けてくれず、そろそろ声も苛立ち始めて…会話の糸口さえつかめない。
「…何?少しでも寝ときたいんだけど」
どうすればいいの?…ここから“迫る”ってどうすれば…。

5: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/05 18:56:18 ID:???
「…今夜なら…いるから」
「…?」
悩んだ末に口から出たのは訳の分からない言葉だった。
「私…今夜は…部屋にいる」
流石に碇君が眠そうな目を見開いた。無意味だ。古ぼけた約束だし、試験後じゃ意味ない。だけど他に糸口がなかった。
「…呼ばれることはないと思ってたよ」
碇君はもう一度目を閉じ、静かに答えた。
「…そんなこと…ない…」
「…アイツはいいの?」「……」
「…“帰らない”と心配するんじゃないの?」「……」
碇君は私の都合を盾に断ろうとするけど…そのくせ追求はして来ない。してくれない。だから答えられない。
そうだ。私は何一つ解決しないままここに来ている。けれど…
「…今夜は駄目だよ」「…いつならいいの?」
「試験が終わってからは…ずっと駄目だと思う。
…わからないけど」
そうだ…試験が終わったら彼はもうあの女のものになるんだ。
わかってる。この策は穴だらけ。見せ付けるって言ったってあの女が来そうな時刻になればやめるに決まってる。かと言って、たった今身体を重ねて、その事実を後で言い張れる程に厚かましくも強くもなれない。
大体…万一、ここであの女に身体だけ繋がってるのを見せつけても、本質的には何も変わらない。瞬間的に揺らいだって結局、…一晩あればいくらでも元に戻せてしまう。後一日あるんだから。
抱かれたって自己満足で終わる。
だったら…。
「…今夜からは違っても…今はまだ…私が“彼女”なのよね」「…え?」
私に残された時間はあと3時間。権利を振りかざせる時間はあと3時間。それでおしまい。けれど…。
「…時間はあるわ。“一回”くらいなら…」
「一回って…綾波…?」
「 惣 流 さ ん が 来 る 前 に 」
“プシュ……”
戸惑う彼をよそに手首のボタンを押す。エアーが抜け、密着していたプラグスーツが体から離れていく。
自己満足の何が悪い。今夜から駄目なら…もう今しかない。

22: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/05 20:58:52 ID:???
「ちょ…え…綾波?」
ゆっくりと近付くと半ば以上寝ぼけ気味だった彼が慌てて身をひいた。
「本気なの!?冗談だろ!?」
「…冗談でいい。その程度のことでいい」
「その程度って…そういうわけには…!」
彼の声にはあからさまな嫌悪が宿っている。やっぱり…彼はこういうやり方は嫌いだった。あの女に重ねてるところもあるんだと思う。だから今まで躊躇した。こういうのは悪い方にしか働かない。
だから…悔しいけれどこういう言い方をするしかない。
「…“練習台”にしてくれればいい」
「―!」
「…彼女には…何も言わないから…」
「……」
「…いいの。私は別にいい。…もったいぶるような女じゃないから」
拒もうとしていた彼の動きが止まり、俯き、手を下ろした。後ろ向きだけれど…同意だ。彼女とのことを引き合いに出した途端に。それが彼の本心。
私は彼女との“事”のための…踏み台。彼女とのときに上手くやるための。彼女によく思われるための。
つまりは…まず彼女ありき。でも…それでも…。
スーツから上半身を抜き取る。碇君が息を飲むのが分った。椅子に半分ずり下がって座っている彼に覆いかぶさり、彼の手首に手を伸ばし、スーツの密着状態を解く。
下腹部に触れる。少し…盛り上がってる。
「……」「…う…」
そっとこすり上げると…小さく呻いた。碇君はされるがまま。こんなつもりじゃなかった。もっとちゃんと…だけど。
もうどうでもいい。身体だけでいい。一度だけでもいい。思い出にしたい。
…もしかしたら…本当に上手く行けばこの先身体だけでも求めてもらえるかもしれない。それは一番最初に望んだ最低条件。悲しい形だけど…碇君と繋がっていられる。
なのに。
“パシュ…”
「…!」「あ…!」
ドアが開いた。
とっさに碇君から離れ。上半身を隠す。早すぎる。計算に入れてなかった。ここまでせっかちとは…。
「…お邪魔だったかしら」
試験開始まで3時間もあるのに…。何事をも起こせない内に…セカンドチルドレンがやってきた。

184: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 01:52:50 ID:???
「…そんなんじゃない」
ちょっと…びっくりした。
どこかぶっきらぼうにシンジはスーツを締めた。バツの悪そうな顔はしてたけど未遂ならそういう強気な物言いも出来るか。
「……」
ファーストも遅れてスーツに腕を通す。
部屋には既に二人がいた。開始時刻まで相当あるのに。
両方とも私の力の源だけど一緒くただと話は別。まして密室で二人きりとなると。今、実際跳ねるように離れてたし。シンジの方は何もしてなかったようだけど。
「お二人とも随分と早いけど…時間変更知らないの?」
「…着替えてから聞かされたよ」
「私には連絡来たのに――…あ」
あぁ、なるほど。なるほどね。あの話に刺激されて仕掛けてきたわけ?
ファーストを見ると後ろめたそうに目を逸らした。上半身裸で頑張るじゃないの。
時刻の変更…つまり、ババアと結託したのね?二人ともやるもんだこと。なりふり構わないのね。こっちもそうだけどさ。
怒る気にもならない。あまりに哀れで。あてつけにしてもこれはお粗末。これは後で顔を出したとき、どんな痴態が拝めることか。
その流れに易々と乗っかりかけてたっていうのが引っかかるけど…未遂だったからまぁ良し。手遅れだったとしても『お前どうなんだ』って話だし。
付き合いだしたら遠慮なく、泣いて喚いて引っかくけどね。いつまでもひきずってちゃ二人とも前に進めないから。
「…前が張ってるけどスーツの中になんか入ってない?」
心の中のあれやこれやを隠してからかうと、シンジはうっとうしそうに前を隠した。別に本当に張ってるように見えたわけじゃないが。
「…寝不足だったり、疲れてたり…ついでに溜まってたりしたらこうなるんだよ。それで今実際、寝不足で疲れてて溜まってるんだ」
「疲れマラって奴ね、体が死に近付いてどうとかって」
「…そういう日本語だけはよく…分ってんならそっと…」
「んで思わず子孫を残そうとした、と」
「…だから…」
からかっただけだった。本気で追求したわけじゃない。
だけどシンジは途中で言葉を切り、しばし俯いて思案し…覚悟を決めると…決定的な言葉を口にした。
「綾波から勝手に乗っかってきたんだ」
「え…?」「…碇君?」
「僕は何もしてない。迷惑だったぐらいだ」
何故このタイミングだったのか。けれどそれは決別以外の何物でもなかった。

220: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 02:25:08 ID:???
「アスカが入ってこなかったら…突き飛ばしてたとこだよ…!」
シンジは吐き捨てるように呟く。私もファーストも呆然。
言葉が過ぎる。限度を超えてる。そこまでの言葉は望んでない。だって…これは卑怯だし男らしくないもの、どう考えても。
…私のモチベーションを上げるためにあえて、必要以上に棘のある、自己中な言葉を選んだんだ。
ファーストを切り捨てて、私を選んだっていうことを分りやすく示すために。ふられる側としても相手に対して幻滅した方が切り替えやすいのは分かる。あえて分りやすい外道を演ってるっていうのは分ってる。
「…僕には…全然そんなつもりは…無かった。…こんなことで誤解受けること自体が…不愉快だ…」
言葉は詰まり詰まりだし…必死に声を絞り出してるのが丸分り。本意じゃないんだ。精一杯なんだ。
それにしても…何かおかしい。
ファーストは当然、青ざめてる。こういうこと言われて細かな違和感に気付けというのも無理な話だ。
「シンジ…怒ってんの?」「怒ってなんかない!」
「怒ってんじゃない。落ち着きなさいよ」
普段ならキレ返してる。けど今だけはガチで揉めるのは嫌だから。
おかしい。やっぱ唐突だ、これ。なんかこれとは関係なく溜まってた鬱憤が一気に破裂したような…。
「アスカがそういう…!…あぁ…いや、綾波には怒ってるけど。だから別に―」
「…ごめんなさい」
消え入るような声に怒鳴り声が止む。ファーストが床にしゃがみこんで…肩を震わせていた。
「…めん…さい…」
「…謝るくらいなら…初めからするなよ…」
「…め…さ…」
「…頼むよ…お互い嫌だろ…」
語尾にわずかに弱気と本音を覗かせて…シンジは待機部屋を逃げるように出て行った。しゃくり声だけになった部屋で私は負け犬を見下ろす。
「……」
二人のことが片付けばいいとは思ってたけど、ここまでの形を望んでたわけじゃない。いや、してたかもしれないけど…。
自分に『ザマァミロ♪』という暗い喜びが沸かないことも予想外。もう少し腐った性根かと思ってたのに。
「…ま、試験次第だから」
“ごめん”って言葉がギリギリまで出かけるけど…それを口にする権利があるわけがなく。
フォローなのか皮肉なのか分かんないこと言って、勝ち犬はシンジの後を追った。

239: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 03:39:29 ID:???
「…あれだけ言えば満足だろ」
「…そりゃ決着してくれたのは嬉しいけどさ…」
どこに向かって進んでいるのか、本気で走らないと追いつけないくらいの距離までシンジは進んでいた。んでようやく追いついての第一声がこれ。
本当は嬉しくもなんともない。待ちかねた展開にもかかわらず…後味悪すぎ。
付き合ってた二人が別れる現場に居合わせるっていうのはどうにも…。…っていうか、シンジもそうだった。
「…だけどああいう言い方は…まるで八つ当たりしてるみたい…」
「何だよ、あれでまだ文句あるのかよ!」
シンジは足を止めて喚く。今度は私か…一体何なの?
「別れたのに文句言われるとは思わなかったよ!過程なんかどうでもいいんだろ!試験前に万難を排そうっていうのが――」
「何をいらついてんのよ!私が何かしたわけ!?」
「……」
とうとう限界に来て喚き返すとシンジは黙った。
「別れるんなら事前に私のいないとこで静かに問題なく別れてきなさいよ!えらそうに言うけど今日まで引き伸ばして来たアンタが悪いんじゃない!こっちはとっくに別れてんのよ!態度決めかねてたのはそっちでしょ!」
「……」
コイツ本当にバカだ…何で…何でこうなる。
「何なのよ!今日がどういう日か分ってんの!?どれだけ大事な日か…!」
「…分ってるよ」
「分ってる人間が私の前でああいう…!」
泣きそうになったのでやめる。っていうかもう泣いてるかも。
「何なのよ…何でこういう風になんのよ…今日は…駄目なのに…。
ここんとここういうケンカは無かったのに…何でギリギリになってこうなんのよぉ…」
「…アスカのせいじゃない」
「当たり前よ…今日は…直前ぐらい優しく…」
急に腕を引き寄せられたと思ったら…抱き締められた。
「…ごめん…」「…馬鹿…」
シンジが抱き締めてくれた。一度もしてくれなかったのにいきなり。お互いにスーツ越しで体温すら感じられず、伝わってくるのは固い抵抗ばかりだったけど…落ち着いた。
荒れてたものが収まってく。うっとうしい思いを出来るだけ押し込めてちょっとだけ涙を零してみる。
嬉しかったけど…やっぱり私の中には釈然としないものが残った。

266: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 04:57:00 ID:???
「帰ってくるの遅かったの?」「…朝帰りだよ」
随分と消耗してると思ったらろくに寝てないらしい。
何としても乱されたモチベーションを戻したくて、シンジと目的もなく歩いてる。
こういう場合は一人になるのが一番なのは分かってるけど何分時間がない。強引にでもテンションを上げるしかない。この荒れた心で短時間で朝のような、メロメロ状態にまで戻すのは一人では無理。
だけど私らはいちゃつくのが上手く出来ない二人なので苦労する。接吻や甘ったるいピロートークの一つもブチかませれば話は早いんだけど。
常々したいとは思ってる。だからこそ今、頑張って出来る様な関係になろうとしてる。
「…代わり映えしない景色よね」「…そうだね」
所詮、本部内をうろつくことしか出来ないので気分転換にも一苦労。まぁ、ここは遊ぶ場所じゃないから。
「ジオフロントにでも上がる?」「いや…」
「眠い?動きたくない?」「…そうだよ」
「食事まだだったりする?私もまだなんだけど一緒に…」「…食欲ないし…これからLCLたらふく飲むって時に食事なんかしたくないよ」
「…そんなになるまでどこで何してたのよ?」「……」
努めて明るく尋ねるけど…シンジはまともに答えようとしない。人が気分を切り替えようとしてるのになんて非協力的な…。
「…何かあったの?」「…アスカとは…何の関係もないことだよ」
私とは何の関係もない何かがあったらしい。
気付くと発令所の入り口にまでやってきていた。朝も早いというのに皆忙しそう。
と。
「シンジ君…!」
青葉さんがこっちへと小走りでやってくる。シンジが何故か身を固くした。
私が隣にいることに青葉さんは驚いたように表情を強張らせ、言い辛そうに話を切り出した。
「あ~……昨夜のことなんだが…」「…アスカ…」
困ったように青葉さんが私を見る。シンジも暗に促す。席を外せと。
「…込み入った話ですか?」
「あ、あぁ…ちょっと…男だけでないと…しづらい話でさ」
青葉さんは引きつった愛想笑いを浮かべた。
それで分った。私に関係のない話じゃない。

269: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 05:14:32 ID:???
「シンジ君…昨夜は…大変だったな…」「いえ…」
聞こえるか聞こえないかの距離で私は耳をそばだてる。
青葉さんのとこに行ったの?けど…それだったら何で答えられないの?
「パニックを起こしていたようだったから心配したけど…少しは落ち着いたかい?」「はい…」
パニック…パニックって何よ…。
「…ショックだとは思うが…事実は事実として受け止めないとな」「…僕には受け止められそうにありません…大きすぎます…」
「…裏切られた気になるのは仕方ない。けど…気にするな。悪いのはあいつだ。他の誰の責任でもない。男としてあいつには問題があったんだ…」
「あの人にも非はありますけど…女が頭悪いっていうのも事実じゃないですか…!」
裏切り…穏やかじゃない言葉が飛び出した。あいつ…女…誰のこと?
「後は…僕の責任です…。僕が尋ねたりしなければ…あの人も傷を曝け出すことはなかった…」
「…シンジ君…」
「…失礼します…」
まだ何か言いたげな青葉さんを残して、シンジは私の方へとやってきた。
「…行こう」
「…うん…」
重たい物が胃の底に生まれた。多分、記憶をさらえば思い当たるものがすぐに出てくる。けれど潜在意識がそれを拒んでる。
「シンジ…今の話は…」「アスカには何の関係もない話だよ」
取り付く島も無くシンジは答える。
「少しも…話せないの?」「少しも話せない。…きっと聞かない方がいい」
優しさかもしれないその言葉で…胃にかかる重さが更に増した。


「やっぱりショックは…大きいか…」
去っていく二人の背中を見ながら青葉はぽつりと呟く。
自分が携帯を取りに戻らなければどうなっていたか分らない。青葉がいたからこそ、この程度で済んだのだ。
それでも…ダメージは深刻なようだ。
「…そんな男だとは思わなかったんだよな」
やむをえなかったとはいえ…もう、あの二人が笑って会える日は来ないかもしれない。そう思うと青葉は淋しかった。

317: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/06 16:20:53 ID:???
“パシン…!”
乾いた音が研究室に響いた。
リツコに思い切り頬を叩かれ、レイは床へと倒れこむ。音の割にさしたる衝撃ではなかったのだが、今のレイに身体を支える力は残っていなかった。
「何で…何で部屋に押しかけなかったの!!!」
「…碇君が…以前部屋に来るなって…」
「相手の要求を飲むばかりじゃ前に進まないじゃない!上手くいってたかもしれないのに…どうして…!!」
ヒステリックにリツコは叫ぶが、その罵倒も頬のひりつく熱さもレイの心に何の痛痒も与えてはいなかった。
シンジの言葉は決定的過ぎた。その前後の会話との違和感や唐突さを感じられるだけの冷静さはもうレイにはない。
「…もう…もう手はないっていうの…」
一縷の望みを託していたレイがしくじり、いよいよ手詰まりになる。リツコの方も先ほど最終手段の行使に失敗していた。
切り札中の切り札。最終手段として取っておいた反則技。シンクロ率の観測システムへの干渉。
本当はどれだけ高い数値を示していたとしても画面上ではシンクログラフは一定値より上に上がることはない。これならばアスカのコンディションに関係なく叩き落せる。連日、繰り返せば不審にも思われるだろうが、あと一日となり勝負がかかったこの場面でなら…。
しかしプログラムの変更作業中にマヤに見つかってしまった。
「先輩…それはあんまりです」
マヤは悲しそうにリツコに訴えた。
数値をより正確に弾き出すためにプログラムをいじっていただけだと苦しい弁解をしたが、マヤは『そうですか』と一言だけ呟いて追求すらしてこようとはしなかった。
尊敬してくれていたはずのマヤにまでリツコは見限られかけていた。
気付かれた以上、テスト中にも観測機器が正常に機能しているか何度も確認するだろう。もうその手は使えない。
万事休すだ。
直にアスカがやってくる。最大のネタは既に切ってしまってある。手持ちの武器でどれだけ揺さぶれるか。
暗澹な思いで二人が沈み込んでいる中―…
“コンコン”
ノックの音が響く。そして大いなる“勘違い”の幕が開いた。

373: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 01:06:38 ID:???
「…悪いわね。試験の前に」「…何か御用ですか?」
2ndは私がいることにわずかに眉をひそめるも、平然とした様子で赤木博士に向き直る。
「…何ってことないけど。緊張してるだろうからちょっとハッパかけてあげようと思って。勝負の日でしょ?ほら、どうしたって最後のチャンスって緊張するものだから。
“絶対に今日”決めないとね」
「……」
今更何がハッパなものか。白々しいにも程がある。
赤木博士は絶対というところを殊更強調した。掛けたいのはハッパじゃない。プレッシャーだ。
けれど彼女を揺らせるだけの力がその言葉にあるとは思えない。当の本人にその自信があるとも。
2ndは表情一つ変えず、じっと赤木博士を見ている。落ち着かなくなりだしたのは博士の方だった。
「…お気遣いはありがたいんですけど、そういう類の話でしたら―…」「あぁごめんなさい!こういう言い方したら緊張が増すばかりよね」
「……」
2ndが身を翻そうとすると、赤木博士は必死に会話を続けようとした。今しかない。かなり強引に試験時間も延ばしたらしい。もう今しか仕掛ける時間はない。
「…コウジ君のことなんだけど―…その後のこと聞きたくない?」「誰ですかコウジって。そんな人間はいないって博士が仰りませんでしたっけ。痴呆ですか。歳をとると大変ですね。頭いいだけが取り柄なのに」
「えっと…知ってるかしら?今、青葉君が女の子達の間ですこぶる評判が悪いの。何でも―…」「ご自分こそご存知ですか?死ぬほど評判悪いの」
「…じゃあ…あの…」「…さっさとハッパなり圧力なりかけてくれませんか?早くこの部屋出たいんで」
「何なの貴方は!?人がせっかくリラックスさせてあげようと―…」
もうネタがないらしい。もはやただの雑談でしかないが…それでさえもばっさりと切り捨てられていく。
「それにはその厚化粧を見ないのが一番だったんですけどね」
「あ、ちょ…」
2ndは今度こそ出口へと歩き始めた。博士は裏返りかけた声で…試合終了間際、決定的な差をつけられてしまったボクサーが我武者羅に両手を振り回すが如く…すがりつくかのように―…
「あ―…日向君から今朝電話があってシンジ君を―…」
「――!!」
“パシュ…”
ドアは開いたが…彼女は外へ出ようとしない。
そのパンチは…彼女の足を止めた。

414: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 02:27:56 ID:???
「…日向が…何?」「―え?」
静かにドアが閉まる。彼女は外へは出なかった。
ずっと顔を伏せていたが…異様な気配に思わず顔を上げる。彼女には…明らかな狼狽が浮かんでいた。
ただそれは赤木博士も同様のようで―…。
「…シンジは…日向のところにいたの…?」
「え…えぇ…そうらしいけど…それがどうしたの?」
「聞いてるのはこっちです!あの人が…一体どうしたんですか!?」
「…アスカ…日向君がどうか…」
「…何なのよ…嬲ってるつもり!?はっきり言いなさいよ!一体、アイツはシンジに何を吹き込んだのよ…!!」
突如、痺れを切らしたように叫び、ヒステリックに机を蹴りつける。たくさんの書類が、フォルダが、コーヒーが入ったカップが床にぶちまけられた。
「お、落ち着きなさいアスカ!」「答えろって言ってんのよぉ!!!!」
そう言ってなおも暴れるその姿には昨日のような余裕はまるで見られない。訳が分らない。激昂しているというよりは…恐慌状態に見える。
あの人のところにいたことは私も初耳だ。だけど…それがどうしたというのだろう。
私や他の女のところにいたのならばその動揺も分かるけど…あの人は今現在、もっとも信用にたる人のはずだ。私のみならず、碇君にも彼女自身にも。それが何故…。
赤木博士も事態を掴みきれないようで、しばし呆然とした様子で喚き散らす彼女を見つめていた。
この反応に博士もまた動揺していた。駄目元と知りつつもやけくそで放った話題に対する予想外の反応に。
それに気付けば良かった。明らかな兆候があったんだから。けれど…混乱状態にあった彼女が結局、気付くことは無かった。
博士は自分の発言と、この極端な反応、そして彼女が要求していることをじっくりと冷静に吟味し…悠然と微笑んだ。
「―ここで言ってかまわないの?」
「な…」
「レイだっているじゃない。言ってしまって構わないの?」
「――!!!」
いつの頃からか彼女の手に渡っていたイニシアチブが再び赤木博士のところへと戻った瞬間だった。
博士が…全てを察した。

431: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 03:40:14 ID:???
「出てって!ここから出て行って!!」「え…」
2ndは出口を指差し、喚く。突然、話に巻き込まれ私は当惑した。
思わず腰を浮かせるも赤木博士が目線で制す。『そのままでいい』と。私はよく分からないながらも腰を下ろす。
「アスカ…それはあんまりじゃないの。レイは貴方より先に来てたのよ?それをそういう物言いで…」
「『込み入った話をするから席外して』ってことの何があんまりだってのよ!」
「何にしてもその“込み入った話”…本当に今していいの?勝負の前のこのタイミングで」「――!!」
その言葉に一気に2ndは青ざめた。
「そのことは…“貴方が一番よく分かってる”でしょう?」
意味ありげに…博士は意味深な笑顔を浮かべた。
後で聞いた話ではそれはただの…そして生涯最高のハッタリだったらしい。もしかしたら的外れかもしれず…それ以上追求されたら間違いなくボロが出た、と。そして彼女は本来そうする人間で…けれど…。
「私は出来れば今、貴方を乱したくないのよ。数字に影響が出かねないし。こんなことで記録が出せないのはバカらしいじゃない」
「確かに…そうだけど…でも…」
追求はなかった。何度も何か言おうとして取りやめ、拳を握り締めては弱弱しく開く。誰に心配されているかということすら頭によぎらないらしい。
『知りたい』という意識と『今、知ったらまずい』という意識が葛藤しているようだった。
このまま帰れば釈然としないものが残るんだろう。だけど“その事実”は明らかになれば、やはり大きなダメージを伴うようで。
今のタイミングでは避けたいようだったが…こうなったらどちらにせよ…。
「もう行きなさい。今日は少し余裕を持った心積もりをしておいた方がいいわ」「で、でも!!」
「記録出したら教えてあげるわよ。だから…とりあえず記録を出してらっしゃい。
余計な事ばかり言って悪かったわね。さ、気持ちを切り替えて!」
そう言って博士は彼女の背中をポンと叩いた。
言葉の方も背中を叩いているように聞こえるけれど、実際にはいくつも邪悪な思いが込められていて…。
「…く……!」
それに気付いてか気付かずか2ndは後ずさり…逃げるようによろめくように部屋を出て行った。
後には何かを確信した笑みを浮かべた博士と…床にへたりこんだまま何一つ把握できなかった私が残された。

434: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 03:43:36 ID:???
「…人の部屋を散らかしてくれたものね」
赤木博士は大きくため息をついて床の惨状を見下ろした。
「レイ、ロッカーから雑巾を取ってくれる?」「……」
「…レーイ」「あ…え…あ、はい…えっと…何ですか?」
「…やれやれ」
ボーっとしたままの私に苦笑いして博士は自分でロッカーを開け、コーヒーを拭き取り始めた。その様子には皮肉みたいなものは感じられない。
私も散らばった書類を集めようとしたけれど…。
「あぁ、構わないから。
レイ。貴方もそろそろ行きなさい。貴方にこそ落ち付く時間が必要よ。気持ちを切り替えて試験に挑みなさい。
…多分…もう余計なこと考える必要はないから」「……」
えらく自然に…優しく気遣ってくれるけど…そう言われてもそんなに簡単に切り替えられるものじゃない。私だって収まりが悪い。
「…あの…」「何?」
「…何が…起こったんですか?」
頭の悪い質問だとは思ったけど…多分、一番的を得た質問だったと思う。博士は雑巾を動かす手を止め、しばし宙を見つめて思案し―…。
「…正直言うとね。私にも何が起こったのかよくわからないのよ。
けれど強いて例えるならば…ラッキーパンチ…ってところかしら。試合終了間際の。もしかしたら逆転になるかもしれない…ね」
「…ラッキーパンチ…逆転…」「あんまりボクシングとか分からないんだけれど」
博士は恥ずかしそうに言うけれど。
分からない。何故あんな話題で痛がったのか。大体パンチを振るった当の本人が分からないっていうのは…。
「私の言葉がよほどの急所に入ったのかしら…。
ううん…あの子が勝手に痛がっただけね。一人で勝手に傷だらけになって…一人で勝手に体中に泣き所を作って…人の言葉を先回りして考えて…」
「…博士は…何かしたんですか?」
「何か…何かしたのかしら私は…。確かに止めを刺した気はするけれど…もしかしたら私がそうしなくても…」「…?」
意味を図りかねる私に、博士はおかしそうに笑った。
「レイ。何も気にしなくていいわ。
あの子は私にでも、レイにでもなく…過去の自分に負けたのよ」

446: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 06:35:50 ID:???
知られた。シンジにもきっと…いや間違いなく。
通路を早足にしても異常な速度で突き進む。どこかへ走り去れるものならそうしたいけど、そんな場所はどこにもなく。
今回ばかりはあの女に部分的に感謝しないと。でなければ気付かなかった。いや…気付こうとしなかった。
よそよそしかったのはこのせいだ。あいつっていうのは日向で…頭が悪い女っていうのは私だ。そうに決まってる。私はバカだと思われてたんだ…。
パニックになったらしい。当たり前だ。信じていた人が淫行野郎で…それに私も…。
『どう思われた?』
裏切らないと誓ったすぐ後にまだ黙ってることがあるって知って…。考えるまでもない。態度で示されてる。
『何で言わなかった?』
シンジは日向のことを信じてるし…ショック受けるのは目に見えてた。だから…。
…違う。人のせいにするな。私だ。私がシンジに嫌われたくなかったんだ。ここまで落ちぶれて、何もかも知られてもまだ。
隠しておく方が危険なのに。後になってばれたときに『どうしてあのとき言わなかった』ってなるのに。
…いやそれ以前に誠意の問題だ。吐き出しておけば良かった。中途半端なことせず。
『私が何かした!?』
してる。しまくってる。その上での台詞じゃない。とても受け止められないって言ってた。大きすぎるって。
それなのに1stをふって…抱き締めてくれて…。分からない。意味が分からないよ。それでもまだ好きでいてくれるって事?
一言も追求して来ないから弁解もできないし…。ばれた後じゃこちらから謝ることも…。
まただ。二度と傷つけない。苦しめないってシンジにも、自分にも誓ったのに。信用を取り戻さなきゃいけないときに…また傷つけて、苦しめて。
何で?何でこのタイミングなの?今からじゃ気持ちの切り替えも出来ない。明日じゃなく今日に照準を定めたのはあの女が言った通り、明日じゃ駄目だから。
『これをしくじったら』って意識がよぎったら絶対に集中できなくなる。だからこその今日なのに…それなのに何故…。
罰なの?手が届く寸前でかっさらわれていかれるのはシンジを裏切った罰?
神様っていうのは間違いなくいる。でなきゃこうまでタイミングよく足元はすくえない。
知らん顔して生活してたけど。無かったことみたいに笑ってたけど。
まだだったんだ。まだ…何一つ許されてなかったんだ。

447: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 06:40:48 ID:???
「…アスカ?」「……!!」
猛烈な勢いで戻って来たアスカがシンジを見て全身を硬直させた。そのただ事ではない様子に寝ぼけかけていたシンジも流石に顔色を変える。
「…どうしたの一体?」「……」
「…またリツコさんに何か言われたの?」「…言われたのは…あの女にじゃない…」
「え…?」
アスカは顔を伏せ答えようとはしなかった。シンジは困惑したようにおろおろと周りとアスカを見渡すが…
「…シンジ…本当に私に残って欲しいと思ってる?」「…何?」
「あのことを聞いてもまだ――…」「……」
シンジはアスカの言葉に少し…黙った。やがて―…。
「…何の話だか分からないけど…。思ってるよ。間違いなく。これからも…一緒にいたいよ」
アスカはその言葉を噛み締めるように立っていた。
「…分かった。その言葉だけを信じて…やってみる」
「“だけ”って…」
それ以上説明せず、『先に行ってる』と離れようとしたアスカの背中に、シンジが声をかけた。
「…あ…アスカ!もし…僕のさっきまでの態度で不安や不愉快になったんなら謝るよ!でも…それは…それは単に疲れてただけでさ!それ以外の理由があったわけじゃないんだ!もちろんアスカに何か非があったりしたわけじゃない!」
アスカはその言葉を立ち止まり、振り返らずに聞いている。
「青葉さんとの話だって…本当にアスカとは何の関係も無くて…!」
「…ホント…シンジは優しいね…。まだ…そう言ってくれるなんて…。
…やっぱりさ。恋愛には嘘は…必要だよね」
「いや…嘘とかそういう…」
「…確かに知らない方が…良かったな」
「…アスカ?」
「…その優しさが、私を好きって思いから来るもんだって信じて…最善だけは尽くしてくるから」
勝負へと赴くアスカの背中は昨日よりは随分と儚く、当てにならないものにシンジには見えた。

481: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 18:18:04 ID:???
『誤解を招いたかな…』
満腹でもまずいけど、空きっ腹にLCLっていうのも体中に染み渡る気がしてまた吐き気を催すもんだ。
今日は一段と集中できてない。眠いし空腹だしへこんでるし。…まだ“違和感”があるし。
『本当に何の関係も無かったんだけど…変に強調しすぎたかな。ムキになって見えたかな』
やっぱりエントリープラグの中は落ち着く。お陰で少し冷静に一連の行動を見ることが出来る。
僕の対応は…確かに酷かった。仕方なかったんだ。混乱していて…余裕がまるで無かったから。けどそれは二人にはまるで関係ない。
アスカにキレられて少し正気に戻ったけど…八つ当たりって言われても仕方がない。
『綾波には…悪いことをしたな。アスカに対する当てつけついでみたいなことだったし…。
ついででする話じゃなかったよな』
それなりに心を通わせたから…こういう風には終わらせたくなかった。出来たら別れた後でもそれなりにいい関係を築いていたかった。完全に男の勝手な理屈なんだけど。
けれどこういう終わり方だと…後が辛い。これからも顔を突き合わせ、命を預けあうことは続く訳だから。
そういうことにすら一切考えが及ばなかった。
アスカがしくじれば綾波と付き合うと言ったけど…ここまで言ってしまった以上、そんなこと許されない。そこまで厚かましい人間にはなれない。
そうだ…綾波も大事だけど肝心なのはアスカだ。僕が動揺させたせいかもしれないけど…随分と落ち込んでた。直前にあの言い方は…ない。
“あのこと”…“あのこと”って何だろう。
…まさか昨日、僕が聞かされた話じゃないよな?確かにあの話で僕はこんなことになってるわけだけどアスカには関係ないし。いや…大きな意味では関係あるかもしれないけど。
大丈夫なんだろうか。集中が切れてた様だったけど…またモチベーションは取り戻せたのかな。
いや…多分、大丈夫だ。“あの感じ”を引き出すだけでいいんだ。そうすれば勝手に数字は上がる。
偉そうにそう言う僕は出来てないわけだけど…まぁ今はやる気があんまりないし。
問題は今夜のことなんだ。昨夜は結局、実のある話は何一つ出来なかったわけで…いや、女って生き物に幻滅したことを考えるとむしろ逆行した。
『どうしようかなぁ…』
シンクロ率と共に僕はまたぐいぐい沈み込んでいった。

509: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/08 22:05:12 ID:???
「…本当に計測器は正常に作動してるのか」「え…えぇ…」
青葉の焦りを隠せない声にマヤが恐る恐る脇に目をやる。数日ぶりにそこにはリツコがいたが…これまでのような渋面ではなく穏やかな表情だった。
リツコの手前、あからさまではないがマヤは先ほどから何度となくシステムを確認している。何か…何か異常があるのではないかと。しかし見つからない。あったとしてもそれはマヤのスキルでは発見できないものなのだろう。
仮にそんな仕掛けがあったとして、そんなものを用意できる人間など一人しかいないわけだが…。
「…異常は…認められません…」
マヤはそう繰り返すほか無かった。
「じゃあ…」
異常が見つからない以上…信じるしかない。この数字を。アスカのシンクロ率の…信じられない急落を。


「…何があればこれだけ落ち込むんだ」
誰かの呟きにリツコは内心ほくそえむ。自信はあった。自信はあったが実際にこの結果を見るまではやはり不安だったのだ。
自身が何かをしたわけではないから。自分と係わり合いのないところで起こったことというのは当てにならないものではあったが…。
『…杞憂だったようね』
結局、アスカは数字を落とした。極端に。
どの職員も混乱し、当惑し、驚愕している。実験場には普段よりも職員の数が多い。何のかんのと理屈をつけて集まってきたのだ。
皆、口には出さずとも今日のアスカの記録更新を期待し、確信していた。予想に反してリツコが実験場にやってきたことに驚き、女の子が花束を慌てて隠したのも知っている。当人やリツコが思っていたよりはアスカは愛されていたらしい。
因縁をつけるまでもない。誰が見てもこの数値の急落には引く。労せずして風はリツコの方へと吹いた。
理屈をこねて誘導するまでもなく皆が思っている。アスカに一定の理解と同情を示し、資質があるのを認めた上で『おっかない』と。
『こんなにムラのある子にはおっかなくて命を預けられない』と。
モニターのアスカは苦悶に堪えているといった感じだ。辛そうに眉をひそめ、時折こめかみをピクピクと引きつらせている。ままならない、こんなはずじゃない。そういう思いが見て取れる。
本人も分かっているだろう。今日のところは記録更新がないことは。
そしておそらく、今後もないことは。
引き出しに押し込まれた赤い花束の出番は来そうになかった。

593: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/09 14:31:34 ID:???
「三人ともご苦労様」
管制室に入ると真っ先にリツコが声を掛けた。非常に穏やかで、だけどどこか残念そうな表情。それだけでどういう結果かシンジには分かった。それ以前にアスカの様子でおおよその察しはついていたが。
アスカは返事はおろか、顔を上げようとさえしない。レイはそんなアスカを横目で伺っていた。
「さて今日の試験の成績なんだけれど―…」
応答がないことを気にするでもなくリツコは端末を引き寄せ、無造作に本題を切り出した。
「シンジ君…貴方、よそ事を考えてなかった?」「え?」
矛先が自分に向くとは思っていなかったシンジが間抜けな声を上げる。リツコがじろりと睨んだ。
「駄目よ。集中しなければ。
どんな悩みがあるかは知らないけれど試験中くらいは。それが貴方の仕事よ?」
「…すみません」
確かに集中できていなかったシンジは素直に詫びる。明日からは集中するように少々お説教を受け、シンジの評価は終わった。
「次にレイ。うーん…若干持ち直して起動数値を越えはしたけれど―…」
シンジ、レイと特にこれと言った暴言もなく、リツコは評価を続ける。マヤ達はその様子をはらはらして見守るしかななかった。
最後にアスカを残しているのもまた、何らかの意図を感じた。
「さてアスカ…」「……」
メインイベント。一堂に…誰よりアスカに緊張が走った。しかし―…。
「結構下がったわね…まぁ、こういうこと日だってあるわよ」「…え」
拍子抜けするくらい呆気なく。リツコは端末を閉じた。
アスカは微動だにしなかったが…周りからちょっとした声が上がった。リツコがそちらをちらりと睨むとそれらは消える。
「…こういうものは水物だもの、ちょっと上がったり下がったりするたびに一喜一憂していたんじゃキリはないわ。
気持ちを切り替えてまた明日頑張って」
話は…終わったらしい。残留云々に関する話題は…見事までに触れられもしなかった。
余裕の表れなのだろうか。リツコの言葉は極めて“大人”だったが…シンジは歯噛みする。
『…もっと早くにそう言ってくれていれば…!』
アスカがその言葉を本当に必要としていたのは随分前の話だ。待ち望んでいたときには一言も言わなかったくせに今頃…。
リツコはシンジの視線に気付くも、思いに気付いてか気付かずか、困ったように笑い涼やかにそれを受け流した。

594: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/09 14:33:45 ID:???
本当に話は終わりらしく、リツコは別の作業に取り掛かりだした。皆もまた胸にひっかかるものを残しつつも各々の作業、または持ち場に戻っていく。
アスカは立ち尽くしたまま動こうとはしない。シンジもレイもそれを見ながら動けずにいた。
そんな様子を見るに見かねたのだろう。マヤが精一杯明るい声でアスカを励ます。
「…ア、アスカ。まだ…終わったわけじゃないわ。あと一日あるじゃない。明日記録を出せば…」
「他人事だと思って無責任なこと言わないで!!!!」
「!!」
試験終了以来、一言も発しなかったアスカが突如として大声を上げた。その声に管制室内の全員の視線が再びアスカへと注がれる。端末に向かい出していたリツコがゆっくりとメガネを外した。
「シンクログラフを1メモリ上げるのがどれほど大変かも知らないくせに!
出来ると思ってんの!?ここから…この状態からもう一度昨日の状態にだなんて…!下降状態から再び上昇に転じるまでだって何日もかかることぐらい分かってるでしょ!適当な励ましをしないでよ!」
「ごめん…!アスカごめん…!」
アスカは顔を伏せたまま叫びまくる。やけになりかけている。マヤはほとんど半泣きでアスカへと詫びるが…届かない。
決して悪意から来た言葉ではなかった。しかし少しばかり思慮が足りなかった。
だが他にどう声のかけようがあったというのか。誰が何を言ったとしても反応は同じだっただろう。
が。
「…記録って…マヤ。貴方…まだあの“賭け”が生きていたつもりでいたの?」「…え」
リツコがきょとんとしたようにマヤに尋ねるが…きょとんとするのはマヤの方だ。いや、シンジもレイも…他の職員達も皆そうだ。
アスカが呆けた表情で顔を上げる。リツコは驚いたように辺りを見渡した。
「…まさか…他の皆もそうなの?」「え…だって…先輩だって…」
「…はぁ。全く…みんなマジメなのね」
少しばかり大げさにかぶりを振ってみせ、リツコは呆れたように笑った。
「あんなもの洒落に決まってるでしょ?あれは冗談!私とアスカの間で交わされた“冗談”じゃないの」
この数日の苦労の一切をひっくり返すその言葉。
舞台の幕が上がる。踊り手はリツコ。リツコのみ。かくして再び、赤木劇場が開幕した。

602: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/09 14:49:38 ID:???
「残りたければ記録を出せなんて無茶よ。大事なのは今後も安定した戦力として計算できるかどうかで記録じゃない。
そりゃ数字が高いに越したことはないけど残留云々は明日までの数値を総合的に判断して決めるに決まってるじゃないの。
本気でする話かどうか常識で考えなさいな」
“常識”
誰が口にしたとしても、リツコからは出てきてはいけない単語であり、一気に誰もが真面目にやっているのが馬鹿馬鹿しくなった。
全ての台詞はマヤに向けられているが本当の対象は室内にいるアスカ以外の全員だ。リツコは今、寛容な大人を演っていた。その芝居はあまりにいやらしかったが。
「やれやれ…冗談を本気にされたんじゃたまらないわね」
嘆息交じりにアスカへと振り返る。
「あぁ、だけど記録を出せば無条件で残留よ?でないと流石に無粋だものね」「……」
アスカは唐突な展開に目を見開くばかりだ。
『記録が出せない=送還』ではないが『記録達成=無条件で残留』
得するのはアスカばかり。排斥の急先鋒が何故今更こんなことを言い出すのか。
「…哀れみ?」「…?」
ほとんど聞き取れないその呟き。その声が届いたわけではないだろうが、リツコは妙に可愛らしく小首を傾げてみせた。
もはや結果は出た。記録達成は…ない。これは自己満足だ。叩き出すより、大人の対応でハードルを下げてやり、それでも…という方が気持ちがいい。『どうせ記録なんか出せやしない』という舐めきった意識が見え見えだ。
シンジはアスカがその言葉をはねのけると思った。なめるな、と。絶対記録を出してやると。
大勢が決定した後、勝ち方にこだわる。あらゆる勝負事で見られるあまり美しくない光景だ。おおよその場合そのまま決着はつくが、慢心の隙を突いて大逆転…というのも決して聞かない話ではない。
実に胸のすく爽快な筋書きだ。アスカにはそういう劇的な勝利が似合うとシンジは思った。
だがそれには一つ絶対条件がある。
「…頷いておきなさい。そうすれば可能性は残る。感情的に交わした口約束で左右されていいほど薄っぺらな思いじゃないんでしょ。
記録の話は冗談。それでいいわね?」
メークドラマに必要なもの。それは確固たる闘志。諦めない意志。それこそが時に奇跡を呼び込むのだが―
「…はい」
ありもしない希望にすがったとき…アスカはドラマの主役になる資格を失った。

617: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/09 15:28:11 ID:???
色々とお祝いの言葉は考えてたんだ。口下手の僕なりに。だけどそれなりに繰ったその言葉は披露出来そうにない。
「アスカ…あの…」「……」
異様な速さで歩くアスカの後をどもりながら付いて行く。掛ける言葉が見つからない。いよいよ尻に火がついた人間にかけられる言葉を僕は持ち合わせていない。浮かぶのは上っ面な無責任な言葉ばかりで。
「…悪いわね。今晩…流れちゃった」「…それは別にいいんだけどさ…」
「…別にいいんだ」「いやそういう意味じゃない!別に明日に延びたからって困るわけじゃ…」
「明日できるかどうかも分からなくなってきたけどさ」「……」
そんな弱気な言葉は聞きたくない。聞きたいのはそんな言葉じゃない。
「…明日…明日頑張って…少しでもいい成績出して…。少しは評価にプラスの材料を作らないと…」「アスカ…」
それは敗けに至る思考だ。
そんなはっきりしないことじゃどんな風に拡大解釈されたって…。活路は一つしかないのに。
こんなときでもお腹は空く。着替えてから食事にしようと誘ったけど予想通り食欲がないと断られ、僕は一人で食堂に向かった。
結局、アスカからは記録を出してやるという言葉は出てこなかった。


もうアスカの目標は記録の達成でも、打倒シンジでもなくなっていた。視点は随分と低いところへ下がり、飛び越えるバーの高さも随分と低く設定し直されている。
故に気付かない。『明日までの結果を総合して判断』という言葉の本当の意味に。明日、それなりに数字を持ち直したにせよ、更に下げたにせよ、残留の目がもうほとんどないことに。
リツコは一番初めに言っている。『今後6日間、アスカのシンクロ率がこのペースを維持し―…』と。
ここに来ての数値急落は充分過ぎる武器だった。排斥に足るだけの口実は既に獲得しているのだ。明日、シンクロ率が若干の上昇を示したとしても抹消の理由付けはさほど難しいことではない。
『再度検討したけれど…やはりアスカに弐号機は任せられないわ。残念ね』
残留の可能性はリツコが取り下げなかった『記録達成=残留』という、それこそ当てになるかどうか定かではない口約束にかかっているのだが…。
目標値の高くない高飛びの選手が自分が目指す以上のバーを跳び、記録を出したという話はあまり聞かない。
アスカにもう一度記録達成を目指すの気力は残っていない。

656: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/09 19:07:03 ID:???
「…やっぱありえないか」
昼休みを返上しての青葉のスパイごっこは徒労に終わった。アスカのことも心配だったがこっちはこっちで心配なのだ。
日向に習い、上海ルートを通してどこかで密かにEVAが造られている可能性を当たってみたがどれだけ調べてもそういう動きはない。
EVAを建造できる国は限られており、またそれが可能な施設も限られる。そしてそれらは今、量産型の建造のためフル稼働中だ。
建造には莫大な資金、資材、人材、その他諸々が必要で、行動を起こせば必ず知れる。それは一国がちょっとやそっと都合したところで済む規模ではない。
唯一『あの国』が勝手に第一支部でセコセコ二体ほど造っているが…ばれてないと思っているのは彼らだけで全て筒抜けだ。放置しているのは造るだけは造ってもらって、完成間際になったら横からかっさらおうという魂胆からだ。
とはいえ過去に第二支部と二体のEVAを失ってなお、自前で二体ものEVAを建造するだけの余力と気力を残していることは素直に驚嘆する。
過去に同形機を二体造った経験とノウハウから工程も極めて順調らしい。大国の底力はいまだ健在だった。
しかしながらこれはあらゆる意味で『あの国』だからこそ出来る芸当であって、他が真似できることではない。それ以外では間違いなくEVAの建造は行われていない。
『あの国』にしたところでパイロットの問題は解決出来ていない。あちらはあちらで必死になっているようだが、こちら以上に芳しくないようだ。
「…やっぱあのバカの寝言じゃないのか」
いつまで経ってもクーデターの話は現実味を帯びてこない。EVAを倒さないことには話は進まない訳だが、唯一の対抗手段であるEVAは全てNERVかゼーレの管理下にある。
毒は毒をもって制すしかない。毒を使わずして毒を制す方策についてもさんざん検討されてはいるようだが、まだ現実的な案は出ていないらしい。
NERVはともかくゼーレは安泰。
そう思えるにもかかわらず、各所においてきな臭い匂いは消えてはいない。司令、副指令の留守もずっと続いている。
「“笛吹き”…か」
誰からともなく、この事態の発端となった人間のことをこう呼ぶようになっている。ハーメルンの話になぞらえているのだろう。
彼のものが笛の音と共に引き連れてくるものは一体何なのだろう。すきっ腹を抱え、青葉は答えの出ない謎に頭を悩ませた。

722: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/10 22:04:23 ID:???
実験場。リツコは先ほどよりよほど真剣にモニターを見つめていた。
「…パルスの受信を確認。―シンクロ、完了しました」
その声にあちこちから安堵のため息が漏れる。リツコがマイクのスイッチを入れる。
『…少し休憩を入れましょう。30分後よりEの14から同じ手順でもう一度』
各作業場の職員達がそれぞれ立ち上がったり、伸びをしたりし始める。指示した当人もメガネを外し、眉間を強く押さえた。
と、そこへコーヒーが差し出された。
「―ありがとう」「いえ…」
マヤはリツコと目を合わせず席に着いた。リツコは困ったように笑うが何も言わなかった。
「…ようやく成功ですね」
「本当…ようやくね。ギリギリで…滑り込みセーフと言ったところかしらね」
「…そういう意味で言ったんじゃありません」
ギリギリ。それの意味するところにマヤが顔をしかめる。しかしかまわずリツコは続けた。
「パイロット削っておいて、その代替手段は用意できてないんじゃお話にならないもの。今後、シンジ君にも間違いなく影響が出るでしょう。初号機は凍結中とはいえ、それは問題だから。
だからこれは本当に意味があることだわ。“初号機が”ダミーとシンクロしたことは」
「……」
嫌な話題を振った。マヤは後悔した。
先だっての戦闘で初号機はレイとダミーを…シンジ以外を拒絶している。
しかしそれを攻略するための強引な手段。それにマヤは嫌悪を隠すことは出来なかった。
「レイだけじゃなく…自分の子供にまで―…」「司令の判断は賢明よ。そしてそれを実際に行ったのは私。軽蔑するなら私にしなさい」
コーヒーをすすり終えるとリツコは立ち上がった。
「少しレイの様子を見てくるわ。貴方も今のうち軽く食事なり済ませておきなさい」「…先輩を軽蔑したくはないんです」
「…私もされたくはないわね」
「総合的な判断というのに…期待していいんでしょうか」「……」
リツコは慎重に言葉を選び、どうにも文句の出しようのない言い方で答えた。
「…どんな期待をしているかは知らないけれど、私は全ての事象を踏まえた上で極めて客観的で合理的で妥当な結論を下すつもりよ。
あのおそらく今後も破られることはないであろう数値の急上昇と…こちらも破られそうにない急降下も踏まえてね」
何も期待するな。
それと同義の言葉を残してリツコは実験場を出た。

761: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/11 04:38:24 ID:???
「……ん。」
身をよじったことでバランスを崩した身体はそのまま横へと倒れていく。
“ズル…ズルズル…トス…”
「…ふぁ…?」
ずれるのが…止まった。
「こうも本気で疲れてると『お疲れ』なんて言葉をかけるのをためらうものね」
その声に慌ててレイは身体を立て直す。横ではリツコが苦笑いしていた。
「お疲れ様」
ケイジの小さなベンチで眠りこけ、転げ落ちかけていたところを支えてもらったらしい。レイは真っ赤になって口元のよだれを拭う。
「…すみません」
「仕方ないわ。昨夜は私が寝かせなかったものね」
通り過ぎようとした職員がその言葉に何を勘違いしたのか身を凍りつかせ、そして何事もなかったかのように足早に立ち去っていった。
「数値も試験のときより戻ってるじゃない。いい傾向よ」
レイは苦しそうな顔をした。上昇に転じるようなことは何も起きていない。
今日起こったことといえばこれ以上ない形で振られたことと…戦友が送還される際までとうとう追い込まれたことぐらいだ。なのに数字は上がっている。
「…私は最低の人間です。自分が否定されたことよりも…彼女が堕ちていくことの方が…」
頭でどれだけ否定してもなお…数字は上がる。数字は残酷に突きつける。
自分の性根を。歪んだ本性を。
嬉しいのだ。アスカが脱落しようとしていることが。自分が否定された悲しみを塗り替えるほどに。
辛そうなレイの横顔を見て、リツコは思わず柄にもない後ろめたさを感じた。
「…今日はもう上がる?」
「いえ…」
それでもなおレイは首を振って立ち上がり、『顔を洗ってきます』と言ってトイレへとおぼつかない足取りで歩いて行った。
連日の公私に渡る心労、寝不足に加えて、合間に同居人に対する夜の奉仕も入る訳だ。挙句に神経を張り詰めたまま徹夜。そして今日起こったあれやこれや。14歳の女の子にはどうにも辛い。
それでも文句一つ言わず、実験の合間のわずかな時間に大人達の脇で一人眠りこけ、迷惑がかかるからとまだ実験に付き合うという。健気という他無い姿だった。
そんなことに気が回ることこそが今のリツコの余裕ある精神状態を表していた。

768: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/11 06:10:41 ID:???
「今日はもう上がりなさい」
ケイジへ戻ると別段嫌味という風でもなく、リツコは柔らかにそう言った。傍らの職員が少し困った顔をしているが既にプラグのハッチは閉められている。
「でも…」「でもって言われても、もう片付け始めちゃってるし。その状態で続けても得られるものは多くはないわ」
「…私は体調の管理さえ…」
「責めてるわけじゃないの。貴方に睡眠を取らせなかったのは私の責任なんだし」
後ろで女の職員達がひそひそ耳打ちしあっているが、その声は幸い届かなかった。
「本当ならレイが実験に付き合う必要はないのよ。零号機はダミーをすんなりと受け入れてくれてるんだから。本当なら当のシンジ君に付き合ってもらいたいとこだけど…そうもいかないから。
どうせ思考パターンのデータ取りに過ぎないんだから、心身共に疲労が溜まっている子に強いてまで今日しなければならないことでもないし」
形こそレイへの言葉だがその実、若干不満げな職員達に向けられた言葉だ。とはいえレイの体調を引き合いに出されては言い返す言葉もなかった。
「…明日までよ。明日までの辛抱だから」
エレベーターの中、リツコが静かに口を開く。
「明日でその苦しみは―…」「けれど…碇君は私をもう―…」
「それはアスカが側にいたからでしょ?これからは違う」
「…あの二人の絆は…そんなに脆いでしょうか」
「脆い、脆くないじゃないわ。
レイ、人はね、。一人では生きていけないの。例えそれが本当に欲しいものではなかったとしても、優しくしてくれる人の方へ、楽な方へと進み、縋ってしまう弱い生き物なの。
…思いが強ければ尚のことよ」
それはまるで自分へと言い聞かせるような口ぶりだった。
「だからシンジ君は必ず貴方のところに帰ってくるわ。すぐじゃないかもしれないけれど…貴方にはアスカと違って焦る理由なんかないでしょ?時間はたっぷりある。
その間にゆっくりと、貴方も心と周りを整理すればいいじゃない」
暗に碇との決別を揶揄しているのだが、それもまた急ぐ話ではない。リツコもまた、時間をかける覚悟はあるのだから。
「でも…彼女が記録を出せば…」
「…心配は要らないわ。貴方の前に道は開けている」
目的の階に止まり、静かに扉が開いた。

817: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/11 18:07:58 ID:???
「“笛吹き”はもう国内にはいないな」「そうか…」
冬月の声に疲れが滲む。歳の割には丈夫な方だったがこの所の西へ東へ飛び回る生活は流石に堪えたようだ。
「可能性が高いのは…あの国か」
「EVAの運用ノウハウを知り尽くした人材だ。喉から手が出るほど欲しいだろう。一応、調査には協力姿勢を見せているが…」
空しい捜査だった。もはや煽動した当人を抑えたところで事態は収まりはしない。“笛吹き”はもはや笛を吹いていない。にもかかわらずこの有様なのだ。
事態はもう“笛吹き”の手を離れ、一人歩きしている。かといって―…
「…放置しておく訳にもいかん。流出する情報が大きすぎる」「しかしあの国に対しては強い行動には出られんぞ」
「国連を通して圧力をかけるか。しかしそれがどれほどの効き目になるか」「委員会経由で話をつけたいところだが…こういう状況ではな」
3、4号機の強引な建造を押し切られ、第二支部消滅の折には危ないところだけを押し付けられる。前世紀よりの立場というのは2015年現在でもあまり変っていない。
使徒だけにではなく、このところNERVは人間相手にも後手に回りつつあった。
「やれやれ…内憂外患とはこのことだな。
…2ndの残留問題。彼女に任せきりでいいのか?」
問題はいくらでも湧いて出る。碇は煩わしそうに吐き捨てた。
「子守くらいこなせないでどうする。今はそんなことにまで手は回らん」
「…その分だとやはり彼女は報告を上げていないようだな。私も外にばかり意識が行っていたが…2ndのみならず、適格者全員の数値が極端な落ち込みを見せている。このままでは使徒が出現した場合の対応に支障が出かねんぞ」
流石に碇の眉がピクリと動く。
「…レイもか」
「昨夜は起動数値さえ割り込んだそうだ。一時的なもので今日の試験には問題なく臨んだそうだが…今晩のダミーの実験も途中で中断されている」「……」
内憂の方も相当な憂いっぷりのようだ。碇は深いため息をついた。
「…多くを任せすぎたか」「碇…彼女は全てをこなせるほど器用ではないぞ。その器ではない」
“ピ――…!”
机の緊急用ではない直接回線が鳴った。
「私だ」
『お忙しいところすみません…今…お時間よろしいでしょうか』
通話ボタンを押すと話題の人物の緊張した声がスピーカーから流れた。

822: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/11 18:45:23 ID:???
『あの…2ndの件で折り入ってご相談が…宜しければ明日の夜にでも…』
リツコは碇一人と思っているらしく、切なそうに用件を切り出す。冬月が居心地悪そうに身を揺すった。
「…席を外すか?」「…頼む」
冬月が気を回し、静かに机から離れた。司令室を出る際に『50になろうかというのによくやる…』と聞きようによってはひがみにも取れる言葉を吐いてドアを閉めた。
「…好きでしているわけでもない」
碇は回線の向こうに聞こえないよう悪態をつく。
『…司令?どなたか―…』
「…何でもない。それは今日するわけにはいかない話なのか?今時間をとることも可能だが…」
出来るならこの場で済ませたい。そういう思いでそう言い返したのだが、リツコは慌てた。
『いえ…そういう訳では…ただ…今後の戦略的構想から鑑みても非常にデリケートな要素を含んでいますので実際にお会いした方がよろしいかと…』
分かったような分からないようなことをもごもごと口ごもる。
もっともらしい口実だったが、今相談しない理由がない。会ったところでどうせ相談などしない。するのは違うことだ。
確かにデリケートには違いなかったが、それはまた別のデリケートさだ。
要するにひたすら逢いたいのだ。アスカの話が解決に至りかけ、ようやく心に余裕が出来たらしい。
今晩と言わないのは全てが解決した後で、という意識の他に迎えるための準備の時間が欲しいということなのだろう。ここ数日リツコはろくに帰宅しておらず、帰ったとしてもそれは寝るためだけでしかなかった。
明日の夜は空いている。逢瀬自体に問題はない。しかしレイと過ごす時間がこの所取れていない。余計な用件は入れずに帰宅したいというのが本音であった。
『あの…ご都合が悪いようでしたら無理にとは…』
だが、その声はか細く消え入りそうで…。
乗り気はしなかったがこの所、ずっと誘いを断り続けている。そのせいで不安定になっていることもあるだろう。これもまた仕事だった。
「―君の部屋でいいのか」『あ…かまいません!』
スピーカーの向こうで声がうわずる。その様子はまるで少女だ。
『あの…この間お話していた78年物が手に入りましたので…いらした際には是非…』「その前に」
『はい?』「私からも言っておくことがある」
ただでアメをやるわけにはいかない。碇はムチを振り上げた。

909: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/12 17:31:32 ID:???
「―!」
上へ上がる列車への通路。私の前に最も会いたくもあり、最も会いたくない人物が立っていた。向こうも私に気付き、表情を曇らせる。
「……」「……」
私も彼も何も言わない。女子トイレの前。誰を待っているかは明らか。彼女にも会いたくない。だけど彼がそこに立っている限り私はそこを通れない。
「…何か…用?」
碇君がかすれかけた声で呟く。その言葉には棘があるけれど…酷く脆そうに感じる。
「…通りがかっただけよ。別に貴方に何か用事があるわけじゃない」
私も聞き取り辛いくらいの声で出来る限りの棘を生やした言葉を返す。こんな会話したくはない。だけど振られたばかりではこのぐらいが関の山。
「じゃあ…通りなよ」「…通るわ」
そう言いながらも足が動かない。彼もそれ以上催促はしない。私は俯き気味に、彼は居心地悪そうに視線を泳がせ、時間が過ぎる。
言いたいことが、吐き出しておかないと苦しいことがいくつもある。今、吐き出さなければ手遅れになるようなことも。
碇君も何度も何か言おうとするけれど…そのまま言葉を飲み込んでしまう。
彼も気付いている。トイレの出入り口付近の気配に。彼女だ。もう…行こう。
「…彼女に頑張るように伝えて」「…うん」
私は足を無理矢理、床から引き剥がし彼の前を通り過ぎ―…
「…殴り倒しといて薬塗るような訳の分かんない真似やめてくれる?」「……」
背中から浴びせられる声。2ndだ。碇君は何も言わない。
「…趣味のいいやり方ね、アンタ達。この局面でこういうカード切ってくるって…」「カードって…?」
2ndの言葉に碇君が訝しがるけれど、2ndは答えない。表情は見えないけれど声には昨日のような力がない。まるで怯える犬が歯をむき出しにしているような…怯えるだけの理由があるのだろう。
たった一日で立場が完全に…。
「嬉しいでしょ。期待通りの結果で」「アスカ…何かされたの?綾波!?」
碇君が血相を変えて私に詰め寄るけれど…身の潔白を主張したりする気分でもなかった。
「…そうね。嬉しいわ」「…!」
「試験…頑張って…」
『貴方の痛みも分かる』。喉元まで出かかる言葉を飲み下して…私は再び歩を進めた。

948: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 01:03:07 ID:???
「…何も喋ってない」
1stが見えなくなってからシンジは言い訳がましく呟く。分かってる。全部聞いてた。息を潜めて裏で。
「カードって何だよ…またおかしなことされたんなら…」「…上に上がるのパスね」
「え…」
唐突で理不尽なキャンセルにシンジが慌てた。怒ったわけでもないだろうけど。
一気に食事って気分じゃなくなった。元々食欲なんて無かったけど更に。無理矢理にでも気分を切り替えなきゃという意識さえも削がれた。
シンジ。あんたの態度も大概だわ。私を気遣ってるにしても白々しい。
「でも…アスカ…」「また明日ね」
「アスカ!」
後ろでシンジが怒鳴るのに構わず、自分の部屋へと歩き出した。シンジはそれ以上引き止めなかった。


戻るとまず、妙に片付いた室内が癇に障る。何を浮かれて…部屋を出たときはこんな風になるとは思わなかった。
何より考えるってことを放棄したい。無造作にベッドへと倒れこむ。
体の下に何かある。薄っぺらいそれが何かということを思い出すと…一気に頭に血が上った。
『こういう準備は無駄になったって笑い話になる』?
確かに笑える。あまりに滑稽で。
部屋の隅の隅に押しやっていたライターを引きずり出してきて火をつけた。思いの他、すぐには引火しなかったけれど、やがてメラメラとそれは炎にえぐられていく。私はその様子をぼんやりと見つめていた。
そして…炎を前に唐突に欲求が湧き上がる。
「タバコ…」
ライターを隠していた…そのまた奥に手を入れる。
あった。封の開けられていないそれには何か書いてあるけれど、無視して苛立たしげに破く。
『Hの後までお預け!』と書かれたパッケージと誓いを引き裂き、せわしなく一本を咥えると、火をつけ煙を吸い込んだ。
「…ふぅ…」
待ち望んだもので体が満たされる。これだ。これを待ってた。旨すぎる…。
落ち着く。そして…涙がこぼれる。とうとう…私は目先の欲求に負けた。シンジへの思いはタバコを我慢する動機にさえならなかった。
分かってる。一番悪いのは日向でもババァでも1stでも…ましてやシンジでもない。私だ。やらかしたバカのつけがこの段になって一気に押し寄せたんだ。
そして支払能力はなかった。それだけの話だ。
ノートが焦げる臭いと、タバコの香ばしい匂いの中、私は一晩中泣き、吸い続けた。

951: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 01:13:11 ID:???
「昨夜はどうした」
碇は服を脱ぎ、几帳面に畳みながら尋ねる。レイは既に何もまとわずにベッドに座っている。
「…赤木博士のところにいました」「実験等の報告は受けていないが」
「……」「…まぁいい」
碇もまた服を脱ぎ終え、ベッドへとやってくる。
「司令…」「何だ」
「2NDの送還は…もう覆らないことなのでしょうか」
レイのレイらしからぬ物言いに碇はわずかに眉をひそめるが、すぐに答える。
「…赤木博士が積極的に動いている。決定ではないが限りなくそれに近い。
急に力を持って舞い上がったな。こちらも忙しさにかまけて多くを任せすぎた。
…まぁ構わん。すぐに取り返しがつく。何か不都合でもあったか?」
「いえ…。そうですか…彼女は…」「…どうした?」
レイが他人の動向をこれほど意識することは碇の記憶に無かった。
「心配はいらん。送還になったとしても、お前に負担がかかるようなことにはしない」
「…何でもありません」
碇の言葉にひっかかるものはあったが、レイは言葉を濁して話を終えようとした。しかし碇は更に問いかける。気にしているのが男ならばまた反応も違ったのだろうが…純粋に気になった。
「…友人との別れが淋しいのか」「…私と彼女は友達ではありません。戦友かどうかも…分かりません。ただ…」
「……」
レイは目を閉じ、適切な言葉を探し―…。
「私も…彼女と同じ相手を好きになったので」
「…そうか」
答えとしては不充分であり、そしてそれ以上に聞き捨てならない要素を含んだ返事だったが碇はそれ以上は何も聞かなかった。
「…明日の夜は赤木博士に会う。帰れない」「……」
まるで対抗するようにわざわざそう告げると、レイは俯く。
「…心はいつもお前を思っている。不安に思う必要は無い」
碇は優しく首筋に触れる。レイの白い体が小さく震えた。
少し前までレイのことで知らないことはなかった。しかし今、レイは碇の知らないところで、自分の世界を持とうとしている。
そしてその中心にいるのは自分の―…。
「…ぁ…ん…はぁ…!」
碇の中に子供じみた対抗意識が生まれた。自分がレイの中の男よりも上にいることを示すかのように…その夜、碇はいつもよりも激しくレイをむさぼった。



15: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 04:11:27 ID:???
「アスカが!?」
真夜中にもかかわらず俺は大声を張り上げた。途端に隣の部屋から“ドスン”と壁を叩く音。慌てて声のトーンを下げ、電話の向こうの青葉に囁く。
「…アスカが?」『急落だよ』
昨夜は騒ぎすぎた。いや、昨夜に関わらず一連の騒ぎで隣近所で相当に肩身が狭い。大家も警察の手入れを受けるような人には出て行ってもらうと本気で追い出しにかかっている。まぁそれは余談だ。
『普通の落ち込み方じゃない。日向…心当たりないか?』
「…ずっと会ってない俺に聞くなよ」『そりゃそうか』
もちろんあるにはある。しかし昨日まで少なくとも数字には影響しなかったであろうから、俺のことが原因とは考えにくい。
「赤木さんが何かしたんじゃ…」『考えられるのはそれだが…何かアスカのことで聞いてるか?前の男のことの他に―…』
「…分からん」
言っちゃ悪いがこの一月あまり、あの子はそこかしこに恥を撒き散らしてた。どこにどんなデカイ地雷が埋まってるか俺には分からない。おそらくあの子自身にも。
踏んだのかもしれない。地雷が弾けたかどうかは知らないが…踏んだ気にはなってるのかもしれない。それだけで充分に負担にはなるだろう。
こんなものだろうか。一度、緊張の糸が切れると人はこれほど易々と…。
「…悪い。やっぱり分からない」『そうか…そりゃそうだよな』
本気で期待していたわけでもないだろうが、青葉は落胆していた。
『くそったれ…自分の無力さが嫌になる』「…出来ることをするしかないさ。いや…してもらうしかないんだが…」
謹慎期間は明後日まで。結論が出るのは明日だ。間に合わない。誰かにすがるしかないのだが…。
『最善は尽くす…と言いたいとこだが…もう出来ることはなさそうなんだよ』
笛吹きの話から何から背負わされ…青葉も苦しそうだ。『悪い、邪魔したな』そう言って電話は切れた。
「…ふぅ」
薄情なようだが…今の話を全て忘れて再び机に向かう。
明後日までに前任者のレベルにまでおっつけなければならない。少なくとも知識量ぐらいは。でなければお話にならない。今まで放り出していた分の資料をひたすらに読み漁り、頭に叩き込む。寝る暇も…悩む間もない。
一番無力なのは俺だ。
今、出来る“最善”は勉強することだ。アスカには何も助けにならないが…俺に出来ることはこのぐらいしかない。

25: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 11:45:36 ID:???
彼は私の前だと楽だと言ったけど…今の私は常に彼を意識させている。
彼は私が好きな表情を私の前ではしてくれたことはない。するのは…あの女の前でだけ。
彼はもうあの細い指で彼女に触れたのだろうか。もうあの柔らかな唇を彼女に重ねたのだろうか。あの優しい声で彼女に囁いたのだろうか。
愛の言葉を。私にくれたような偽りではない。本物を。
言葉通りなのだろうか。彼が私を欲しがることはもうないのだろうか。彼の指が、唇が、囁きが私に触れることはもう…。
そう思うと焼ききれそうになる。2ndへ抱いていたはずの同情や憐憫、シンパシーが消え失せていく。
何故だ。何故拒んだ。あの夜…彼がドアを叩いたとき、私は彼を想いながら指を動かしていたのに。
彼を思うとどうしようもなく体がうずく。あの部屋でならば彼を思って狂ったように自分を慰めることも出来た。でも…今はそれさえも叶わない。
本当に来るのだろうか。彼が私のところへ帰る日は。


「…レイ…どうした…」「……」
深夜。私は…夢を見ていたらしい。司令が暗闇で…多分心配そうな顔をしている。
内容は覚えていないけど…多分哀しい夢。
「…体の具合でも悪いのか」「…何でもありません…」
「……」
頬を拭う私を、あの人は抱き締める。
「…本当に…何でも…」
「…何でもないときに…人は泣きはしない」
手が下に下りていく。私を知り尽くしたその指が、無条件に身体が跳ねる部分をなぞり、私は否応無しに反応する。
「…心配はいらない…お前の思いは分かっている…」
押し付けがましい言葉と愛。
この雫は貴方のために流したものじゃない。それなのに体の疼きは別の人に解消されていく。
「レイ…愛している…」
「私もです…司令…」
それ以外に返す言葉を与えられていない。
どうして私じゃないのだろう。彼女だって彼以外のたくさんの男に抱かれたのに…何故彼に愛されるのだろう。
どうして彼女は愛されて私は愛されないのだろう。
私がまだ抱かれ続けているからなのだろうか。私が人形のままだからなのだろうか。そんなに私だけが悪いのだろうか。
早く彼女がいなくなればいい。心からそう思った。

29: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 12:17:12 ID:???
明日アスカは記録を出せない。
夜景を見てるとそう思った。酷い話だ。『彼女を信じていないのか』と聞かれれば『そうだ』と答えるしかない。
僕は家に戻った。本部の部屋じゃない。僕らの“家”に。
何故か足がここに向いた。無性にこの景色が見たかった。あそこはやっぱり僕の部屋じゃない。
電車とバスを乗り継ぎ、もはや終電もないのに帰らずに。疲れ切って眠いはずなんだけど、神経がささくれ立って眠れない。
アスカを引き止めなかった。薄情だけど…無駄だと思った。今は何を言っても届かない。
昨日までも普通じゃなかったけど、今はその比じゃない。ともかく今のアスカは好きじゃない。僕は昨日のギラついたアスカが好きだ。
今の状態でEVAに乗るなら、僕は一緒に出撃したくない。背中を預けられない。それならいっそドイツに戻って欲しい。死ぬよりはいい。
ただ、それは“今のまま”ならの話だ。
正常じゃない今だけを取り上げ、10年近くに渡る貢献と成果を無視して話をするのは酷い。愛が無さ過ぎる。
『遊びじゃない』とよく連中は言うけど、それは命がけで戦って傷ついた人間に敬意を払わない理由にはならない。
アスカの行動も酷かったけどそれなら何らかのペナルティーを課した上で時間を置いて、再度チャンスを与えるべきだ。
記録や数値がどうだって話はチャンスでも何でもない。フェアなふりしてるだけだ。このゲームはルールや根底に流れる意識自体がおかしい。こんなくだらない賭けで人の人生を狂わせていい訳がない。
優勢な時に言うべきだった。もっと早く正当性や問題点を叫ぶべきだったんだ。勝ちがほぼ消えた今じゃ、言い逃れにしか聞こえないかもしれない。
『このまま記録出せるんだったら―』
こっちが乗ったのもまた事実だ。でも向こうが勝手なのも事実だ。今更と言われたって…事実だ。
リツコさんは何でこうもアスカにこだわる?父さんは容認してるのか?
「僕にも…何か出来ないか?」
記録更新はもう無理だ。だったら―…。
何で人間ってギリギリにならないと動き出せないんだろう。手遅れかもしれない。だけど手をこまねいたまま送還っていうのだけはない話だ。
具体的な手は何も浮かばないけど。
『やれることやっとかないと後味悪いでしょ?』
僕にも貴方ぐらいの頭や力があればね。
尻に火がついてようやく…僕は頭を使い始めた。

54: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 14:12:24 ID:???

それは遠い遠い異国の話。

街をしじまが支配していた。古いが趣のある西洋建築が立ち並ぶ住宅街。およそほとんどの人々が眠りの中にいる音のない世界。
“キキィィィ!!!!”
唐突に静寂は切り裂かれた。ゴミ箱を漁っていた野良犬が驚いて振り返ると、一台のトラックが石畳に悲鳴を上げさせ、猛スピードで突っ込んできた。
身を強張らせる間抜けな老犬を律儀に避け、車は走り去っていく。ややあって先とは比べ物にならない地響きが地面を伝わる。
十数台にも及ぼうかという車が後を追っていく。老犬は慌てて路地に逃げ込み、事なきを得た。
追跡者は車に留まらない。空にはヘリやVTOLが飛び回り、その轟音に住民達は驚いて窓を開ける。さながらそれは戦争のよう。
運転者の腕は相当なもので、アクセルはベタ踏み、ほとんどノーブレーキで込み入った路地を駆け抜けていく。慣れない左ハンドルも苦にする様子はまるでない。
車はその町の住人かの如く道を選び、性能では遥かに勝るはずの追っ手を少しずつ引き離していく。いや、実際に知り尽くしている可能性が高い。でなければ説明がつかない手際だった。
だが順調に見えた逃避行に終わりが来た。
「―!」
ステアリングに動揺が走る。石畳が唐突に舗装道路へ。予想外の広く長い直線に入ったのだ。
少し前まで住宅が立ち並んでいたそこは巨大な権力によって押しつぶされ、工場とそこへと続く真っ平らな道へと姿を変えていた。それは運転者には全くもって計算外のことだった。
単なる直線では腕の良し悪しは意味がない。車の性能で全てが決まってしまう。
「……!」「―!?」
運転者の言葉に助手席の同乗者が顔を引きつらせる。
まだ追っ手は路地を抜けていない。車をどこかにぶつけて炎上させ、注意をそちらに引き付け、路地裏に駆け込んで逃げる。
そんなことで逃げ切れれば奇跡だったが、この人物に限っては可能性があった。
この街には詳しかったし、ツテも多い。何より運には相当な自信があったので。運転者はそれに賭けた。
車が速度を落とす。同乗者は覚悟を決め、一足先に飛び降り、言われた通り後頭部を抱えて転がる。衝撃は相当なもので手も傷だらけにはなったが…何とか立てた。
再びスピードを上げ、壁へと突進したとき
“――ドン!!!”
トラックへと一筋の光が吸い込まれ…炎上した。

58: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 14:17:04 ID:???
「―…!」
路地へ駆け込みかけた同乗者の足が止まる。
空からの攻撃。ほとんど音を立てずに接近していた最新鋭のヘリが砲弾を撃ち込んだのだ。
車が次々と現場へと到着し、男達が必要以上に大きい火器を手に降り立ち、同乗者が絶叫する中、それをトラックへと向け撃ち始めた。
“ドドドドドドドドドドド!!!!!!!!”
“ドゴン!!!ドゴン!!!ドゴン!!!”
もうここは形容ではなく…戦場だった。
オーバーキルなどと呼ぶのが生温い暴挙。トラックはあっという間に四散し、原型を失う。それでも攻撃は続き、燃えるものがなくなる程に砕け散り、ようやく爆音が止む。
指揮官らしい男がどこかへ連絡を取り始める。男達は呆然と立ち尽くす同乗者を拘束しようとするが…暴れられた。しかし“それ”はやがて彼らには分からない言葉で喚き散らしながらも後ろ手に縛り上げられた。
目的達成の旨を伝え、一部だけを残して撤収の準備を始めたときだった。
同乗者を連行していた男が吹き飛ぶ。銃を抜こうとしたもう一人も。彼らが慌てて銃を向けたときには、標的は縛られたまま、ありえない速さで石畳を蹴り、彼らの視界から消えていた。
体重を片足にかけるような奇妙な動きだったが、問題はその速度だ。車の向きを立て直す頃には“それ”は路地に逃げ込みかけ…しかしそこで止まった。
苦しそうに足を押さえ、うめき、叫んでいる。男達が銃口を向け、警告をしても聞こえている様子はなく、悶絶し続ける。それ以前に言葉が分からないのだが。
仕方無しに射殺しようとしたとき、上司にお伺いを立てていた指揮官の顔色が変る。彼は慌てて指示を取り消し、“それ”の首筋に薬を打って失神させ、厳重に拘束して車に載せた。指揮官はバツが悪そうに再度、通信機に告げる。
「…午前0時08分。今度こそ、目的を達成した」
もはや窓を開けている住人はいない。残骸がパチパチと燃える中、昏倒した二人を回収し、車の多くが現場から去る。
彼らがその一部始終を遠いところから見ていた人物の存在に気付くことは無かった。

この国での午前0時は“それ”の国での午前8時にあたる。すなわちどこかの誰かにとっての審判の日。

送還可否決定期日まで後0日。

末端の適格者から世界の黒幕まで。
全ての者の算段をひっくり返す要素が今、この局面で現れたことを彼らはまだ知らない。

102: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/13 19:15:24 ID:???
“RRRRR…”
…目覚ましがうるさい。
いつの間にか眠ってた。空が白むまでは記憶にあるが…。
来るなと思い続けたけど、容赦無く朝は来た。当たり前。私がどうなろうと地球は回る。私がいなくなっても…この街には日は昇る。
一昨日も寝なかったし身体はキツイ。中途半端に眠って余計に疲れた感がある。このまま試験を寝過ごしてしまいたいが…目を瞑っても眠れない。どこかで根拠のない期待をしているんだろう。
枕元を探る。タバコの空箱が二つ…三つ…。買い置きしておいた分は全て吸い尽くした。仕方なく、比較的長い吸いがらに火をつける。見苦しい絵面。
一晩中、考えていたのは『どうやって記録を出すか』じゃなく『どうやってドイツに帰ってからも関係を続けるか』。
とっぴな想像ばかりじゃなく、それなりに現実的な案は出たし、胸が高鳴る瞬間もありはしたが…考え自体が後ろ向きだ。送還が前提の仮定。敗北主義に基づく思考。
きっとそれらは一つとして実現しない。私は多分、その辺の適当な男とくっつき…さして好きでも楽しくもないのに無理矢理自分を盛り上げ、相手を好きだと思い込むために必要以上に媚び、奉仕し…。
どっかで聞いたことのある話だ。笑えるくらい身近で聞いた気がする。昨夜考えたどの仮定よりもリアルで、一番可能性が高い選択肢。というか、まず間違いなくこうなる。
好きでもない男の子供を産んで、愛することを放棄して、やがてその子は…。
そんな人生送らない方がマシなのに…多分私は死ぬことすら出来ずに生きてく。“あの人”のように吊り下がる勇気はない。
はは。笑える。もう子供まで産むつもり。もう…意識はドイツにある。
“コンコン…”
ノックの音。ここに誰かが訪れたことは一度もない。こんな狭くて汚い部屋、人も呼べないし来る人もいない。
『…アスカ…起きてる?』「―シンジ!?」
慌てて飛び起き、鏡を見る。酷い。駄目。こんな顔見せれない。
部屋も焼け焦げたノートや癇癪起こして叩き割った食器とかが散乱して…。
『…入っていい?』「だ、駄目!」
まずはシャワーだ。その後、部屋を片付けて…。
「ちょ…ちょっと待ってなさい!」
返事も待たずに風呂場へ飛び込む。どれだけ斜に構えても不意を突かれてのこの反応が哀しいくらいに本音だった。
一緒にいたい。
でも…この部屋はただそれだけのことにあまりに遠い。

169: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/14 19:29:34 ID:???
「ごめん、遅くなった…!」
決して納得いく仕上がりではない。それでも精一杯急ぎ、『どうにか見せれる』最低レベルで妥協したつもりだったが…それでもドアを開けることが出来たのは50分以上過ぎてからだった。
「…随分かかったね…」
催促する声も無かったのでもう怒って帰っただろうと、半ば諦め気味だったけど…シンジは廊下に身体をもたれさせ待っててくれてた。
「…食堂で包んでもらったけどもう冷めたよ。
突然来たし、女の子だから色々支度もあるんだろうけど…これだけかかるなら言って欲しかったな。嫌がらせかと思ったよ」
「…ごめん」
けれど流石にキレ気味。不愉快そうに差し出した包みをおそるおそる受け取る。
「…入っていいんだよね」「…うん」
出来れば外が望ましかったが、これだけ待たせた以上、拒絶の権利などない。
「…何だ、この臭い…」
部屋に入るなり、シンジは顔をしかめた。私は顔を赤らめて俯く他に無かった。
顔と部屋のメンテにとにかく時間がかかった。長いこと待たせてるのは勿論、後ろめたかったけど、どうしても不細工な面は見せられない。それで嫌われては元も子もないのは分かってたけど。
化粧というよりただ塗りたくるようにメイクを済ませ、吸殻や食器の破片を一緒くたにポリ袋に詰め、備え付けのクローゼットに押し込む。
だが部屋に漂うタバコの残り香だけはどうしようもなかった。窓はないし、部屋の換気扇はろくに働きやしない。普通にしてても若干息苦しいくらいだ。それでなくてもタバコの匂いは残るのに。
仕方無しに香水を何種類もばら撒いた。複数の匂いが混じり、異様な臭気を漂わせたが…とりあえずタバコの匂いを選別することは出来なくなった。
その代わり…嫌な匂いだ。
「…外にする?」
部屋から追い出す動機にはなる。そう思って提案したけどシンジは『…それじゃお互いこの一時間が無駄じゃないか』とベッドに腰を下ろした。意地になってる。わかるけど…。
「…何か飲む?」
精一杯シナを作って顔を近づけたが―
「…また吸ったの?」「え?」
「…口から匂いがする」「―!」
10分以上歯を磨き、コーヒーで匂いの上塗りをしたけれど…拭い切れなかったんだ。
「……」「…別にいいけどさ」
私は何も言えなかった。いっそ責めてくれた方が楽なのに…シンジは一言の非難もしなかった。

202: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/15 04:53:15 ID:???
人によっては“悪臭”とさえ呼ぶであろう臭いの中、私達は朝食を始めた。
あらゆる意味で物を食べる空気ではない。大して評判の良くない食堂の料理が今日は一段と不味く感じるのは、調理のおばさんの手抜きや冷めたせいではないだろう。
息苦しい。ただでさえ空調が不充分な部屋に二人いるのだから当然といえば当然なのだが…理由はそれだけでもなさそう。
それでもおかまいなしにシンジは黙々と箸を動かし続ける。普段はスローフードの見本みたいな男のくせに、人より食べるのが早い私を上回る猛烈な速度で。
会話は一切無し。そりゃ私だってこんな雰囲気良くないブレックファストはさっさと済ませたいけど…。
本気で怒るといつもこうだ。こっちを一言も責めず、全部自分の中に押し込めて押し黙る。『うっとうしいから言いたいことがあるなら言え』といつもは言うけど、今日のところはその言葉さえ出てこない。
聞かなくたって分かる。日向のこと、待たされたこと、タバコのこと…。そりゃ怒る。
急に喉が締まりだす。食欲がないのに加えてこの空気。料理がろくに喉を通らない。けど残せない。吐くなんてもっての外。もはや味など分からないがどうにか飲み下し―…
「おはよう」「…え」
気付くとシンジの器は空だった。シンジは袋に添えられて来た紙ナプキンで口元を拭っている。
「まだ言ってなかったから…おはよう」「…おはよう」
口の中のものをお茶で流し込み、どうにか答える。
「怒ってたわけじゃない。ちょっと…考え事をしてたんだ。無理して全部、食べる必要はないよ」
「…うん」
それでも私はトロトロと箸を動かす。シンジはベッドにもたれかかった。
怒ってるとしか思えない口ぶりだったけど…『こんな空気じゃいけない』と判断してくれたらしい。こういう場合、概ね迷惑かけられた方がそう思わない限り好転しない。
シンジはじっとテーブルを睨み、時折視線を横に滑らせて何事か呟いている。考え事というのも本当のようだけど…一体何を?
「…ごちそうさま」「うん…」
ようやく私も食事を終える。それを待ちかねていたかのようにシンジが座り直し、私もそれに習う。
「…いよいよ今日で決まるね」
したくない話題だけど…しないわけにはいかない。
身を削る思いだったが…少しでもタバコの臭いがしないよう、口をなるたけ開けずに私は切り出した。

212: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/15 10:58:46 ID:???
「…記録って訳にはいかないと思うけど…出来る限りのことはするから…」
昨日の朝までの強い私はどこに行ってしまったのか。もう私は負ける準備に入ってる。けどシンジの前でそれを言うわけにはいかない。一番心配してくれてたのはシンジだ。
せめて…言葉の上でぐらいは安心させたいと思うけど…それでも出てくるのはこれが限界。シンジは私の力ない言葉を何も言わずに聞いている。
「はは…Hなんて話は夢のまた夢になっちゃった…。でも…残れる可能性はまだ0じゃないし…あの女の言葉を信じて少しでもいい数字を―…」
「あの言葉、本気にしてるの?」「――!!」
心にもない言葉を積み重ねていたら、ずっと黙っていたシンジがいきなり痛いところを突いた。
「リツコさんが本気で公正に検討すると思ってるの?全部、あの人の胸先三寸なのに。それを信じてどうするんだよ」
それは…必死で考えないようにしていたことだ。
「…じゃあどうしろって…。意地でも記録を出せっていうの?」
「そうできればいいだろうけど…出来るの?今から」
はっきりとシンジはそう言った。何なのよ…それは…言っちゃいけないことじゃない…。
「大体、その条件自体完全じゃない。あんな口約束いくらでも破れるよ。
そりゃ思い切り発令所のみんなの不評は買うと思うけど…本気になれば反故に出来るじゃないか」
足元が…揺らいだ。
そこまで…そこまでは考えてなかった。私のここ数日の粘りは『記録を出せば残れる』っていうのが礎になっているわけで…その前提条件自体が…足場が揺らいでしまってはもう…。立ってられない。
「何で…何でそういうこと言うのよ!」
私はヒステリックにシンジに噛み付いた。
「結局…初めから駄目だったんじゃない!どこにも可能性なんて無かったんじゃない!
無くなっちゃったじゃない!すがるものがどこにも無くなっちゃったじゃない!」
泣き喚く私をシンジは黙って見ている。そうだ…ルールブックは向こうだ。いくらでも捻じ曲げられるんだ。初めからこのゲームに勝ちは用意されてなかったんだ。もう…駄目だ。
私は泣き崩れかけた。が。
「…リツコさんのところに行こう」「―!」
「僕も付いていくから…」
シンジは不思議なくらい静かだった。
「行って…どうするっていうのよ…」
「この賭け自体を破棄してもらう」

241: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/15 16:13:40 ID:???
「絶対、無理だって!」「やってみなくちゃ分からないだろ!」
食事の後片付けもそこそこに、シンジは嫌がるアスカの腕を掴んで無理矢理に廊下を引きずっていく。
二人の異様な剣幕に職員達が驚いて道を開ける。
「痛い!腕放してよ!逃げないから!」
「…悪かったよ」
その声にシンジがようやく手を離す。
アスカは真剣に抵抗しているがシンジもまた本気で力を入れており、結果、アスカは力負けしていた。
同年代に比べ幾分貧弱とはいえ、洒落を抜いたときの素の腕力ではやはり男のシンジの方が上だった。
「無理!絶対無理!あの女がそんな話に乗っかるわけないじゃない!」
「なんでそうネガティブな方向に前向きなんだよ!それを別の方向に向けて、駄目元で当たってみればいいじゃないか!」
「無駄なことしたくないって言ってんのよ!」「何をびびってるんだよ!」
「……」
会いたくないのもそうだが…シンジの前で日向の話を持ち出されたくない。それがアスカの本音である。
リツコはまた、嬉しそうに日向とのことを喋るだろう。シンジは全てを知っていながら白を切り、『そんな話は信じない』と言うだろうが…アスカはもう、そういう痛々しいシンジを見るのも、傷つくのも嫌だった。
「…分かったわよ。行って…頼んで来るから部屋で待ってなさいよ」「…僕も行く」
「何でよ!行くって言ってんじゃない!」「何しに行くか分かってないだろ!頼む頼まないの話じゃない!どうあってもチャラにしなきゃいけないんだよ!」
「あんた一人いたからどうだっていうのよ!そんなに喋りに自信あるんなら一人で行って来なさいよ!」「自分の話するのに来ないつもりなのかよ!」
「頼んでない!」「そういう子供みたいなこと言うなって!」
場も弁えず、二人の不毛な言い争いは白熱の一途を辿った。

“コンコン”
『…どうぞ』
ノックに対し、妙に破棄のない返事がした。
「…失礼します」
ドアを開き中へ。部屋の主はこちらを見てわずかに眉をひそめた。
「…なぁに、二人揃って?」
どこか物憂げに。リツコさんは椅子に座ったまま、僕“達”の方に向き直った。

283: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 01:10:49 ID:???
「で…用件は?」
僕らは椅子とコーヒーを差し出されたけど、無言で立ち尽くし拒絶した。
カップを両の手に持ち、リツコさんはちょっと途方にくれてたけど、あてつけの様にシンクにコーヒーをぶちまけた。
どうも昨日ほどの余裕はなさそうだ。何があったか知らないけど。
「…試験についてです」
どう言おうか考えたけど…結局、直球を放った。配球考えられるほど喋りは上手くない。
向こうも用件は分かってただろうけど、こうまでド真ん中とは思わなかったのかわずかに目を丸くした。
アスカは僕の隣で身を固くしてる。何をそんなに怯えるのか知らないけど。
「…14時から予定道理行うわ。それが何か―」「賭けの話なんですけど…」
「賭け?あぁ、あの“ジョーク”のこと?それが―」「無かったことにしてください」
ピクリと眉が動く。僕の意図は伝わったはずだ。が。
「…あれは既に無かった話になってるわよ?」
まだこういうこと言うのか。こうやってアスカもすかされてきたのか。
「…そういう上っ面なやり取りはもういいです」「…何?」
喧嘩腰の僕にリツコさんの声に棘が混じる。鼓動が早まる。足が震える。声まで震え出さないのを祈るばかり。
大人相手にここまで突っかかるのは初めてだ。田宮のときぐらいハイかもしれない。
でもそれじゃ駄目だ。ハイじゃ駄目なんだ。今度は切れて銃ぶっ放して片付く話じゃない。言葉を選ばないといけない。クールにならないといけない。
「…公平な判断をお願いしに来たんです」「もちろんそうす―」
「“100歩譲って”そうにせよ、残留の可否を決めるのがリツコさん一人っていうのは納得出来ません。
せめて他の人との合議の場ぐらいは持たれてもいいはずじゃないですか」
「……」
自分でも笑える。合議と来た。寝不足の中、寝ずに考えた台詞だ。よく舌噛まないな。
「皆の同意の上ならともかくリツコさん一人に決められたんじゃ…」
敵意丸出しの僕に気圧されたようにリツコさんは流石に押し黙る。アスカが『…シンジ?』と僕の異様に驚くが…構ってられない。その余裕はない。
「…あらあら…随分と信用をなくしちゃったみた―」
「はい。全く信用できないです」「…最後まで喋らせなさい」
明らかにリツコさんは苛立った表情を見せた。
今のところ用意して来た台詞だけで話は進んでるけど…。さて。

296: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 03:05:09 ID:???
「…分からないわね。私が一人で決めて何の不都合があるの?」
そう言ってリツコさんは歪んだ笑みを浮かべる。開き直りとも取れる言葉に、また血が上りかけるけど…。
「…末端のパイロットに人事に口出しをされる言われはないわ。さっさと出て行きなさい」
「それは合議を拒否するっていうことですか?」
「出て行きなさいと言っ…」
「拒否するってことですか!?」
「…えぇ、そうよ。その必要がないもの」
繰り返し尋ねると、リツ…赤木博士は苛立ちを隠そうとせずにそう言った。
「何でですか?誰だって自分だけで考えてたら、一人よがりになって判断を誤ることはあるでしょ?人の意見を聞く気はないんですか?貴方は間違ったことがないんですか?
何でそうまで独断にこだわるんですか?」
半分茶化すように僕は言葉を重ねた。後の半分は…感情に任せて出た言葉だ。
ここは…肝だ。この人はまだはっきりとは口にしてない。感情を逆撫でして…ムキになってもらう必要がある。僕達を打ちのめそうとしてもらわないと。
赤木博士は唇をわなわなと震わせ…一度顔を伏せ…圧倒的優位を誇るものが時に見せる、腐りきった表情で見下すようにせせら笑った。
「…そうね。確かに道理だわ。
でもね。私は司令から全権を委任されてるの。どういう判断、行動を取ったところで文句を言われる筋合いにはないわ。それこそ司令にさえね。任せたのはあの人の方なんだから。
独断?結構じゃない。それの何が悪いっていうの?」
「…っ…!」
『何としてでも落とす』って宣言したに等しい。
隣でアスカが倒れかけたけど…僕がその手を握ると体と自分を支える力がわずかに戻ったようだ。
アスカには悪いけど…来た。とうとうこの言葉を引き出せた。
結局、この人の暴挙を支えてるのはそこだ。アイツの後ろ盾があるからそ調子に乗って…だったら…。
「父さんは…全部知ってるんですか?」
「…どういう意味かしら」
…やっぱりだ。赤木博士の口調に緊張が滲む。
「…納得行かないんです。あいつは確かに最低の人間だけど…その判断は常にNERVのためで…NERVの利になってた。けど…。
 貴 重 な パ イ ロ ッ ト を こ う ま で 強 引 に 切 り 捨 て て N E R V が 得 る メ リ ッ ト が ど う し て も 見 つ か ら な い ん で す 」

304: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 04:33:45 ID:???
「…全く意味不明だわ」
そうだろう。分かるわけにいかないはずだ。そんな要素なんてどこにもないんだから。
「そうですか。貴方にも分かりませんか。アスカを首にして何の得があるか」「シンジ君…何が言いたいの?」
前後の会話に関係なく言葉尻を取ったり、最後まで喋らせないで言葉を受けたり…癇に障るだろうな、こういうの。多分、これだけ口が回るのは最初で最後だ。
「僕は尋ねるつもりです。
『赤木博士は故意にアスカの数値を下げて追い出そうとしてるけど、父さんはそれを承知した上で容認してるのか』って」
「――!」
一気に顔色が変った。
「…報告なら私がしているわ。貴方達の主観で歪んだ話でお耳汚しをするのはやめなさい」「その報告だって歪んでるんでしょ?“被害者”側の話も聞いてもらいます」
「無駄よ、馬鹿馬鹿しい。子供の話に耳を傾けるようなお暇な方じゃないわ」「もちろん子供以外の話も聞いてもらいます」
「…!」
「他の人の話も合わせて聞いてもらいます。それなら問題ないでしょ」
この人が合議を拒む理由は正にそれだ。自分以外の意見を入れたら必ず、話は慎重論に傾く。アスカの資質を危ぶむ声は上がるだろうけど即、送還とはならないはずだ。
だからリツコさんは強引に『アスカの排斥は職員の総意である』というような空気を作ったんだ。反論をさせない、出来ない雰囲気を蔓延させて…。
だけどあいつが絡めば話は別だ。この人から力をもぎ取れば…。
「パイロット風情が口を挟むことじゃないわ!貴方達はただ命令に従って戦えばいいの!身の程を弁えなさい!甘やかしていれば調子に乗って…これだから子供は!」
“カチ…”
赤木博士の激昂の中…僕は“スイッチを切った”。
「…何?」
赤木博士が“ 僕 の ポ ケ ッ ト か ら 聞 こ え る わ ず か な 電 子 音 ”に気付く。
「…もう充分です。必要な台詞は大体頂きました」「何の音って聞いてるの!」
ポケットから“それ”を取り出す。やってることはまるっきり一端の悪役なのに僕の根性はまるで座ってない。もっとこういう立ち回りに向いた人がいるだろうに…誰もやってくれないから自分でするしかない。
「昨日家に帰ってさ。ミサトさんの部屋からちょっとね」
「ミサトのICレコーダー…」
アスカが呆然と呟き…赤木博士は青ざめた。

317: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 11:09:39 ID:???
「…要求は何?」
「…聞くまでもないでしょ。切り捨てることが出来るなら逆も…」
赤木博士は悔しそうに押し黙る。けどそれはアスカが味わってきた思いだ。噛み締めてもらいたい。
急転直下の展開にアスカが僕と赤木博士の顔を見比べる。無理もない。一気に立場がひっくり返ろうとしてるんだ。
話が早くて助かった。正直、この部屋で話が終わるのは幸運だ。本当はアイツと会いたくも話したくもない。
実際、門前払いされる可能性は高い。運良く会えて話が出来ても…聞き入れられるかどうか…。
もしもこれでまだごねられてたら…本当に“最後のカード”を切るしかなかった。
挑発して…ゆすって…頭の悪いやり方だ。ポケットの中の手は汗でベットリだ。この辺が14のガキの限界だ。この人が思ってた以上にアイツを恐れてたのが幸いした。
「…シンジ君…冷静に考えて。今のアスカと出撃できる?今までのように命を預けられるの?」
「……」
赤木博士の反撃は…僕の痛いところを突いてくる的確なものだった。
「今のアスカに貴重な戦力である弐号機を預けられないという判断がそれほど我慢ならない、納得できないことかしら?
今の状況で戦闘に放り込めると思うの?それはアスカのためにならないわ。それならばいっそ…」
「や、やれる…!やれます!これから頑張って…!」
ここで踏ん張らないとまずいと思ったのか、アスカも必死で訴えるけど…そこだけは僕もこの人と同じ意見だ。
無論、ここまで引きずり下げたのはこの人だけど…それ以前から思ってたことだ。気合で乗り越えられないからこその、この状況なんだ。
次は間違いなく…帰って来れない。
「今のアスカには…確かに不安があります…」「シンジ!?」
アスカが信じられないというように僕を見るけど…この線だけは譲れない。反対に赤木博士は嬉しそうな表情を浮かべた。
「…思ったほどには頭に血は上ってないようね。当然といえば当然かしら。実際にこの子と組まされて使徒との戦いの矢面に立たされるのは他ならぬ貴方達ですもの。冷静にもなるわよね。なら…」
「でもそれは“今のアスカ”ならの話です。それに―…」
「―え?」「シン…ジ?」
これはずっと…僕が抱えてた思いだ。
「パイロットの継続と“残留”が別の話でもいいじゃないですか」
“残留”の意味するところ。僕は…ついに本音を口にする。

337: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 13:28:51 ID:???
「今は確かに不調だけど…将来、復調するかもしれない。今すぐ切り捨てる必要ないじゃないですか。
予備でも何でも…最悪、民間人としてでもいい」
「あんた何言ってるの!?」
アスカが血相を変えて僕に詰め寄る。そりゃそうだ。アスカにとっては本末転倒かもしれない。だけど…これが僕の本音なんだ。
僕はアスカと一緒にいたいだけで…必ずしもパイロットでなくてもいい。僕と綾波の負担が重くなるけど、そのぐらいの覚悟はある。
使徒は…僕達で倒す。
「…シンジ君。パイロットでなくなったら、NERVにはアスカの生活の面倒を見る理由がなくなるわ。慈善事業をやってるんじゃないの。
未成年なんだもの。用事が済んだら速やかに親御さんの元に返すのが筋ってもんだわ」
絶対に言うと思った言葉だ。常套句。決まり文句。色々と言い返してやりたかったけど…僕の思いは押し殺す。
「…二十歳になったら僕に支払われる報酬やその後の生活保障の一切を放棄します。アスカ100人を養ったって釣りが出るはずです。足りないことはないでしょ?
その上で…今すぐには無理だけど…かかった費用は将来的に全て僕が支払います。だから…。
パイロットとしてでなくてもいい…アスカをここに置いて下さい!」
「それじゃ意味ないのよ!」
深々と頭を下げる僕の横でアスカが真っ青になって叫ぶ。とうとう僕達の温度差が浮き彫りになった。
アスカにとってEVAは人生そのものだろうけど…悪いけど僕にはそれはどうでもいい。
プライドっていうのはいつだって当人以外には紙切れほどの価値もない。君の誇りは僕にとっては何の重みもないんだ。
僕もEVAにしか自分の価値を見出すことが出来ないからその痛みは分かる。それでも…。
「大事なのは日本に残ることだろ?」「そうだけど…でも…!」
「僕とEVAとどっちが大事なんだよ…!贅沢言うなって!」「…そりゃ…シンジよ。最優先はシンジだわ!…だけど…!」
「…意思統一してからやってくるべきだったわね」
冷たい声で赤木博士が茶々を入れる。その通りだけど…こっちにも事情がある。説明してたらその場で紛糾して、ここに連れてくることも出来なかった。
「…で…どうなんですか?」
「…まずはそのおもちゃを渡しなさい。話はそれからよ」
この期に及んでまだ強気に、赤木博士は手を差し出した。

367: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 16:29:46 ID:???
「…確約されない限り…渡せません」「脅しながら物を頼む気?渡すのが先よ」
「……」
シンジはかなり躊躇したものの…渋々とそれを渡した。
「…いいの?」「…渡す、渡さないで程度の低い押し問答はしたくない…」
そうは言うもののやっぱり不本意そうだ。
赤木博士は最も新しい録音を消去し、小さく安堵のため息をつくと私の方に向き直った。
「アスカ…私に謝罪なさいな」「は?」
両の手をポケットに突っ込んでのその態度は非情に傲慢不遜だった。
「一連の失礼な言動を撤回し、謝罪なさい。厚化粧だ、痴呆だと…およそ目上の人間に対しての言葉じゃないわね。
言葉遣いにしてもそう。日本語には敬語というのが存在するの。私は貴方の友人でも何でもない。ミサトと同じ感覚で喋ってもらっては困るわ。
私は一回り以上も歳が離れた子にタメ口を使われて笑ってられるようなフランクさは持ち合わせていないの。
人に物を頼むのならそういったことを全て清算した上で行うべきだわ」
「…どうすれば謝罪したことになるんですか」「アス…」
シンジが慌てるけど…これはもう私達二人の意地の張り合いだ。
「…そうね。土下座よ。床に手をついて謝るの。そうすれば全部水に流していいわ」「リツコさん!!」
私が何か言う前にシンジがキレた。
「アスカ、そんなことする必要ない!僕が父さんに全部…!」
そう言ってシンジは悔しそうに赤木博士を睨みつける。切り札はもう…失われた後だ。赤木博士は無表情に私の方を見ている。
どうする…?時代劇で見たことあるけどあんな惨めな行為はないと思った。この国のおかしな時代に生まれなくてよかったと本気で思った。少なくとも西洋人の私の感性からすればそうだ。ありえない。私のプライドに抵触する。
それをよりにもよってこの女に対して…!
断りたい。それが本音だ。でも…シンジは頭を下げた。自分のことでもないのに…私のために…。
私がそうさせた。
「出来るの?出来ないの?」
「…出来ます…そのくらい」「アスカ!!」
シンジが喚くのを手で制す。
「あんたさっき言ったじゃない。…これは…私のことよ」
私にだって意地がある。好きな男のためにプライドを捨てるくらいの意地は。
これで残れるのなら…これで…シンジといられるのなら…。

383: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 17:05:23 ID:???
「…作法は…これでいいの?」
「やめろよアスカ!」
私が床に両膝をつくとシンジは悲鳴に近い声をあげた。膝が冷たい。視点が低い。これから…もっと低くしないといけない。
「しなくていい…!しなくていいから…!僕が…僕が何とか…!」
「アンタにばっかに喋らせて…動かせて…守られるだけっていうのは違うでしょ?少なくとも…私はアンタと対等以上でないと気が済まないのよ」
「…アスカ…」
こう言われてしまって、もう何も言えなくなったんだろう。シンジは…私の腕から手を離した。
自分でも厄介な性分だと思う。全く、私の人生には『楽』って言葉はないのかしら。
見上げると遥か頭上に大嫌いな女の顔がある。見下されてる。けれど私は堂々とその視線を受け止め―
「…言葉が過ぎました。申し訳ありませんでした」
床に両手を付き、頭を下げた。シンジが息を飲むのが分かる。赤木博士は…無言だった。
覚悟していたほどの抵抗感は無かった。多分…悔しさが一周して麻痺してるんだと思う。何にせよ心の中は荒れはしなかった。
どれだけ時間が経ったか。いつまで頭を下げていればいいのか分からない。そろそろ頭を上げようかと思ったとき―…。
「…まだ頭の位置が高いわ」
「あっ…!」
シンジの声が終わるか終わらないかのうちに後頭部に固い物が当たり、顔が凄い力で地面に押し付けられた。
「……!」
「リツコさん!!!!!!!」
シンジが絶叫する。あぁ…大体分かる。これは…踏まれてる。ヒールでない分、“あの時”よりかマシか。
殴りかかりたいだろうに。でもシンジは堪えてる。何故なら…私が堪えてるから。
私だったら…堪えられないな。シンジが踏まれてたら踏んでる相手を殺してる。誰が止めようと殺してる。それで何もかも台無しになるのを承知でも…絶対に我慢できないと思う。
『やっぱり…シンジは凄いな』
埃っぽい床と口付けを交わしながら、私は場違いな桃色思考にふけっていた。

394: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 17:24:26 ID:???
「…いいわよ」
私が声一つ上げなかったのがご不満だったのか知らないが…あまり満足げではない声でお許しが下り、頭に加わえられていた圧力が消え
た。
タイルとの濃厚なキスは10秒余りで終え、私はよろよろと身体を起こす。特に名残惜しいこともない、えらく長い10秒少しだった。
「アスカ…!」
シンジは目に悔し涙を滲ませながら私に寄り添う。やれやれ…私よりも辛い思いしたのはアンタみたいね。
「…アンタとのキスの方がまだ良かったわ」
「アスカ…ごめん…僕は…」
「謝ることじゃないわよ…。…ありがと…我慢してくれて」
私は苦笑いするしかなかった。男に泣かれちゃ…笑うしかない。
と。ひらりとハンカチが舞い降りてきた。赤木博士のだ。
見上げると不思議なくらい無表情のままだけど…どうやら使えということらしい。踏み付けておいて随分だけど…私はそれで誇りまみれになった口元を拭った。
「…お見事だったわ」
「…何であれ誉められるのは好きな方なんだけど…全然嬉しくないのはどうしたことかしら」
「貴方の暴言の数々は水に流すわ。約束どおりにね。」
「…それはどうも」
別に嬉しくもなんともない。また一つ汚点が増えたけど…とにかくこれで…。
「これで…残してもらえるんですね」
シンジが殺意さえ滲ませながら尋ねたけれど…赤木博士は首を振った。
「いいえ。これでようやく貴方達の頼みに耳を傾ける段階に入ったというだけよ」
「……」
まだこんなこと言いやがる。この上、頼みを聞くためには何を要求するつもりだ。ここまできたら何だってやってやる。その覚悟はある。
が。
「でも…これ以上うっとうしい会話をしてても仕方ないし…その覚悟に免じて結論を教えてあげるわね」
少し間を置き…どこか疲れきったように―…

「 残 留 云 々 を 私 に 頼 ん で も 無 駄 よ 。 も う 何 の 力 も な い ん だ も の 」

最終日のこの局面で…話は無責任な方へと転がり出した。

414: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 17:55:10 ID:???
「昨夜、司令に怒られたのよ。貴方達のシンクロ率が軒並み下がってることを。
もう少し仕事が出来ると思っていたとか何とか…。アスカの家出前にも言われた話ではあったんだけど…あのときは私は関係ないって思ったんだけどね。
今度はそれなりに思い当たる節もあったりしたものだから…落ち込んだわ」
完全に自分の話だ…。ま…待て…。
「じゃ…じゃあ…送還云々は取り消し?」
「いいえ。司令がお決めになるそうよ。…本当に申し訳ないわ。ただでさえお忙しい方なのに…私が至らないばっかりに余計な仕事を…」
ちょっと…ちょっと待ってくれ…。
「それでも優しい方だわ。今日決めることになってるって言ったら私の顔を立てて今日中には判断を下してくださるって。
今日の試験の結果も踏まえた上で総合的に判断するって…そう仰ってたわ」
結局…今日決まるんじゃないか…。
「…アイツは…どこに…」
「ここにはいらっしゃらないわ。お帰りは夜になるし、本部には戻られない。その後も予定があるんですって。何でも“とても大事な人”と会うとか」
じゃあ…じゃあ…。
「そういうことで私に頼みに来られてもどうしようもないの。
いいんじゃない。あの人は公平に判断をするでしょうから。私よりもよほど貴方達の納得する理屈に基づいてね。そういうのがお望みなんでしょ?」
「…アイツに会うのは」
「無理ね。出張先に結果をお伝えして電話で結論を伺うことになってるの。一連の作業には私は加われないことになっていて…蚊帳の外ね。ここまで来て。
そういうことで貴方達がおかしなことを吹き込む頃には結論は出ているのよ」
「あいつは…なんて…」
「スタンスとしては私と大差無し。『この結果ではやむなしか』とね」
まずい…これは…まずい…。
「これだけ…これだけアスカを荒らしておいて…一番責任が重たい部分だけは他人任せですか」
「…何とでも言いなさい。私にはもう何も出来ないもの」
「…アスカの土下座は…何だったんですか?」
「…何もクソも謝るべきことを謝らせただけの話でしょ?何が悪いって言う―…」
僕が拳を振り上げるよりも早く動いた者がいた。
「クソババァァァァァ!!!!」
止める間もなく…アスカの拳がリツコさんに炸裂した。

425: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 18:22:49 ID:???
“ ゴッ!!!”
「…ぐぅぅぅ!」
鈍い音と共に猛烈な勢いで拳は目元へめり込み、リツコさんは苦痛にしゃがみこんだ。アスカは机の上のペンを掴み、うずくまるリツコさんの首筋にそれを―…
「駄目だアスカ!!!」「殺してやる――!!!!!」
僕は慌ててアスカを羽交い絞めにする。アスカは本気で切れていて…僕のみぞおちに肘を何発も叩き込んで逃れようとする。
鈍痛に息が止まりそうになるけど放す訳にはいかない。アスカは本気で殺す気だ。
身をよじって肘打ちを受けないようにして必死でアスカを押さえ込む。
「落ち着けよ!そんなことしたら残留どころの話じゃなくなるよ!!」
「人を…人をどこまでも舐めて…!何が『何も出来ない』よ!あんたのせいで私は…私はぁぁぁぁぁ!!!」
リツコさんが目元を押さえたまま立ち上がる。机から鏡を取り出して顔を覗き込み…。
「…腫れてるじゃないの…」
一発しか食らってないのにリツコさんの目元には青い痣が出来、まぶたは大きく腫れて―…。
「腫れてるじゃないの!!!」
“バシッッッ!!!!”
絶叫し、リツコさんはアスカを思い切り打ち付けた。そしてそれを何度も…何度も…。アスカは打たれながらも暴れ、リツコさんを睨み続ける。
止めようにも僕はアスカを押さえるのに精一杯でどうにもならない。
「今夜は久しぶりにあの人に会うっていうのに…!よくも…。よくも…!」
人を殴った経験がろくにないのだろう。リツコさんは感情的になっていてもなお、平手でアスカを打っている。グーならともかく平手なら…それも女の平手じゃそうそう人は死なないし、大怪我もしない。
アスカの口元から血が垂れている。また口の中が切れたんだ。それでも僕は殴られっぱしになってもらうことを選んだ。本意じゃない。僕だって殴り倒したい。でも…。
「この…!」「ぐ…!」
アスカの目付きが変らないことに業を煮やしたのか腹へと膝を見舞った。まずい所に入ったのか、アスカの体が九の字に折れる。
「アス…!」
リツコさんはなおもアスカを蹴り続ける。僕はアスカに覆いかぶさった。蹴りの威力がどうのとかじゃなく、固い靴のつま先が治りきってないアバラにめり込むから…相当にきつい。けど僕はかぶさり続けた。
もう…何もかもぐちゃぐちゃだった。

441: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/16 18:55:17 ID:???
「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」
猛攻が…止んだ。荒い息を吐きながらクソババアが私たちから離れる。
まだ苦しいけどシンジの下から這い出す。シンジは激痛で…意識が飛びかけてた。
「シンジ…!?」
血相を変えて揺すると『やめて…それこそ…苦痛だから…』と呻くような声。
「…痛む?」「…痛い」
骨は折れてなさそうだけど…相変わらず中途に丈夫。ババアの方は何事か吐き捨てながら鏡とにらみ合っている。
「一体…どうしてくれるのよ…!」
その目はまだ憎悪に満ち満ちていた。こっちも同じだけど…まだ…立てない。子宮に思い切り入れやがった…。
「私のせいですって…?
何が私のせいなの!?多少のお膳立てをしたにせよ、勝手に一人で堕ちていったんじゃないの!田宮のときも!日向君の話だって勝手に勘違いして!」
「…勘違い…?」
恐れていた話題が飛び出したけど…それは意外な形で…。
「まさか…日向とのこと…え…勘違い?…だって…あのとき凄く意味ありげに…!」
「日向とのこと?」
シンジがその言葉に反応する。私は…血の気が引いた。墓穴を…掘った?
「知るわけないじゃない!彼は一晩シンジ君を家に泊めたのに何の連絡もよこさなかったことを詫びただけよ!それを貴方が話の途中で早合点しただけじゃない!」「私が…」
「どうせ後ろめたいことがあったんでしょ!?だから何の裏もない話題でも勝手に気にして、一人でシンクロ率を下げて…!」
「じゃあ…シンジが関係ないって言ったのは…」
「…だって実際関係なかったし…それより日向さんが…何?」
シンジが混乱したように呟く。じゃあ…じゃあ私は…。
「哀れね。恐怖が柳の枝さえ幽霊に見せるのと同じ。後ろめたいことがあるから勝手に人の言葉に裏の意図を読み取ってしまう。
誰のせいでもないわ、それは貴方のせいよ!」
そう言ってババァは目元を押さえながら部屋を出て行く。
「貴方の望むとおり公平にさせてもらうわ。このことも司令にはお伝えして、加味して判断していただくから!覚悟してなさい!」
後には…ボロボロになった二人が残った。

759: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/17 20:33:43 ID:???
「…シンジ…私は…日向さんと…」
呻きに似た声で沈黙は破られた。
「……」
痛みを我慢し身体を起こす。田宮達にやられた経験で分かる。骨はどこも折れてはいない。きしみはするけれど大丈夫。
問題はそんなことじゃない。問題なのはアスカが僕の方を向こうとしないことだ。
「…いいよ、言いたくなければ言わなくて」
「だって…言わないと…。今言っておかないと…私…まだシンジに黙ってることがあって…そのことがシンジにばれたと思って…それで昨日…」
「……」
十中八九…相当なことがあったんだな。あれだけの集中がぶった切られるほどのことだから。
田宮の事件に前後して、この二人はお互いの話題が出てくるたびに表情を曇らせ、緊張した。それを合わせて考えると…察したくもないけれど大体の予想はついてしまう。でも―…。
「…過ぎたことだろ?都合の悪いことは黙ってればいいよ。僕の知らないことは存在しないことだ。わざわざほじくりだしてお互い雰囲気悪くなる必要はないよ」
「…う…」
アスカの声が震える。
「どうせ田宮と別れる前の話だろ。それをいつまでも責め続けるのは違うよ。あれからは僕だけの方を向いてくれてるのは知ってる。
この他に何か抱えてたとしても同じだよ。無理に吐き出す必要もない。
僕はアスカの言葉だけを盲目的に信じる。これからもね」
「…シンジィ!」
アスカは目を潤ませて僕に抱き突いてきた。
「ごめん…ごめん…!私、もう…もう…!」
「うん…」
僕も優しく抱き返すけど…本当はまるで割り切れてはない。心の中は穏やかじゃない。だけどそう言うしかなかった。
昨日、あの人が言おうとしたことはこれだ。塾長が乱入してうやむやにしていったけど…あの人は言うつもりだったんだ。けど…結局僕に告げはしなくて…。
けど…とにかく今はまずいんだ。ろくでもない話でこれ以上落ち着きを無くすわけにはいかない。どうするにせよ、その話は後だ。
「アスカ…今考えなければいけないのはそんな“些細なこと”じゃないだろ?」
「シンジ…」
肩を引き離し、目を見つめて“些細なこと”と強調するとアスカの瞳が一層潤む。問題なのはこの瞳をこれからも見つめていけるかどうか。
「考え方を変えよう。評価をするのはリツコさんじゃない。可能性は完全な0ではなくなったんだ」
大丈夫。僕はまだ冷静だ。

832: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 00:41:16 ID:???
「でも…碇司令だよ?こういう風に言いたくないけど…ある意味あのババアより…」
「それでもまだマシだよ」
涙目のままのアスカの言葉をシンジは遮る。
「あいつは冷たい奴だけど、リツコさんみたく色眼鏡で物を見ない。初めから落とすつもりじゃなく、必ず『本当に使えるかどうか』で数字を見て、使えると思えば残すよ。
逆を言えばアイツが無理だって判断したら…そのときは…本当に降りるべきかもしれない」
シンジが直接『降りることを覚悟しろ』という主旨のことを言うのは初めてだった。アスカは少なからずショックを受けたが、シンジが努めて現実に則して物を考えていることは分かったので深く考えないようにした。
「…でもさ…これだけ数字が落ち込んでたら…」
「実際に数字にムラがある以上“安定した戦力”と思われるのは厳しいだろうけど…アスカは一昨日までは凄い数字を出してる。
『手放すには惜しい駒だ』って思わせればいいんだ。『何かに使える』ってね。
民間人でもなんて話は通じないだろうけど、非常用の予備戦力としてならキープするかもしれない。
屈辱だろうけどきっかけはそれでもいいじゃないか。後で取り戻せば済む話だろ?」
シンジは淡々と語る。失礼な表現を申し訳なく思う素振りさえ見せず、傍若無人に。常日頃の、さっきまであったはずの気遣いさえ欠落していたが…的を得ていた。
そう…可能性はまだあるのだ。非情ではあるけれど碇は良くも悪くも結果主義者だ。必要以上に無闇に物を捨てはしない。利用価値があり、利用される覚悟を持つものならば。
碇ゲンドウという男が我を失い、感情的になるのは自分の愛するものが傷つけられ、侵されんとしたときだけである。数値に関わらず100%落とされたであろうリツコの査定に比べれば随分と分がいい。
だからといって楽な相手でもないが。リツコの『自分と同じスタンス』という発言は怪しいが…そう考えていてもおかしくはない。
ただ、今日の数値までが評価の対象であるならば…。
「少しでも高い数値を出すんだ。昨日のが一時的なムラだってことを少しでも示すために」
「…それが出来るかどうか…」
「“出せるかどうか”じゃないよ。何としても“出す”んだ」
その有無を言わさぬ物言いにアスカは二の句が告げなかった。
シンジは父の思考を追随する中で、父に似た傲慢さと冷静さを発揮していた。

847: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 01:11:51 ID:???
「…予備…駒…キープ…何かに使える…。
やれやれ…レギュラーからベンチウォーマーね…」
「言いたいことは分かるけど、もうそういう甘ったれたこと言ってられないだろ。ベンチに入れるかどうかの瀬戸際なんだからさ」
数々のキツイ表現をアスカがポツリポツリと並べ立てるが、シンジは一向に引く様子は見せなかった。
「『試合に出れなきゃやめる』っていうならともかく、今はそうじゃな…何?」
アスカが自分を不思議そうに見ているのを見て、シンジは喋るのをやめる。
「…嫌ってる割にお父さんの考え方をよくそれだけはっきりと、自信満々口に出来るわね」
「……」
途端にシンジは不愉快そうになる。
それを見てアスカは『…やっぱ親子ね』と呟いた。確かにその仏頂面は父親によく似てはいたが。
「…そうね。正しいかも…」
柄にもない無理をしているシンジに答えるべく、アスカはもう一度、精一杯自分を奮い立たせた。
「…凄いムカつく物言いだけど確かにその通りだわ。別に司令は私に何の恨みがあるわけでもないんだろうし。まぁ、心証はよろしくはないだろうけど。
それでも一応客観的に数字は見てくれるでしょうよ」
「そうだよ。記録でなくていいんだ。数字さえいくらか取り戻せばまだ可能性はあるんだ」
「“まだ”…だけどね」
0ではないとはいえ…厳しい状況には変わりなかった。それでもアスカはあえて前向きな言葉を口にした。
「…ここに残れるんだ」「…そうだよ。そしたらまた…学校に行こう」
「…学校帰りにクレープがかじれるわけね、アンタのおごりで」「僕は大判焼きがいいな、アスカのおごりで」
「服も見て回りたいなぁ」「ゲーセンにも寄ろうよ」
二人はあまりにも遠くなってしまった日常の断片を必死に思い起こし、思う様、並べ立てた。
「んで帰ればあんたの中途半端な料理が出てくる、と」「言ったね。僕はかなり自信がある新作を考えてるのに」
「どんなのよ」「それは帰ってからのお楽しみだよ。だから…帰ろうよ」
「…うん…」
アスカは小さく頷く。いつか在った当たり前の光景。もしかしたらその一部なりとも取り戻せるのかもしれない。
『私が全部壊した…だから私が…』
アスカの磨り減りきる寸前の心に最後の火が灯る。
だが、その光景を当たり前にするためには…どうしてももう一段の“詰め”が必要だった。

878: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 18:12:52 ID:???
「少し…一人になりたい」
通路を二人、手を握ったまま歩きながらアスカがポツリと呟いた。
「“あの感じ”を…少しでも取り戻したい。シンジと一緒だったら…気が散るの。やな意味じゃなくて」
「…そうだね。その方がいいと思う」
アスカはシンジの言葉で若干だが安定しつつある。数日前までの極限の集中とまではいかないが危ういながらも平静を保ちかけていた。シンジはそれに同意した。
「シンジ…一緒に…一緒にいてくれる?」「うん」
「これから…ずっと…?」「うん」
いずれの問いも即答だった。しかし。
「…だったら試験中…シンジのこと考えて頑張ってみる。だから…シンジも…試験中、私のこと考えてて」
「……」
そこだけ…シンジは返事をしなかった。
「隣でシンジが私のことを思ってるって思ったら…そうしたら頑張れるし…少しはマシな数字が出せると思うから…」
「…それでアスカが頑張れるなら…いくらでも考えるよ」
「本当に…?」「…うん…」
シンジがどこか強張った声でそう約束すると、アスカは安心したように表情をほころばせた。
「じゃあ…実験場でね」
「…うん」
名残惜しそうに手を離し、アスカは通路を歩いていく。シンジはそれを見送った。
アスカはシンジの返事が煮え切らないものだったことには気がつかなかった。

「…さて」
時計を見ると…10時ってところだった。あまり…時間はない。
僕は今…少しだけ適当に受け答えをした。約束自体は本気だ。この後の人生を全部アスカに差し出すのは全然構わない…けど。
『ごめん…ちょっとだけ大目に見てよ』
心でアスカに詫び、僕はソックスの中から“もう一本のICレコーダー”を取り出した。

888: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 18:47:34 ID:???
「…今日は早退させてもらうわ」
試験の準備をしているマヤのところにリツコがやってきた。
「…どうしたんですか?その…早退もそうですけど…」
リツコの左目には眼帯が巻かれている。痛々しげではあったが、苦虫を噛み潰したような表情は痛みによるものだけとも思えなかった。
他の職員も通常業務を続けながらも密かに耳をそばだてたため、朝の忙しい時間帯にも関わらず、発令所には異様な静けさがあった。
「…自制の聞かないパイロットに八つ当たりされたのよ。自分の不調が私のせいだって訳の分からない理屈をこねられて。全部自分の責任でしょうに…!」
「…それは…災難でしたね」
「全くだわ…!」
リツコは苦々しげに吐き捨てるが、誰もが『いつかこうなるのでは』、もしくは『いつかこうなってしまえ』と思っていたことだ。
刺されてもおかしくないと思っていたから、このくらいで済んだのは幸運だと、マヤは密かに思った。失礼ではあったが、他の職員が『ざまぁみろ』と思っていることを考えると、まだ好意的だったかもしれない。
「跡が残るといけないから病院で診てもらってくるわ。申し訳ないけど後はお願い。報告書は机の上に置いてくれればいいから。詳細は明日聞くわ」
おかしかった。あれだけこだわっていたアスカに引導が渡せる日だというのに、その当人がそれを見届けないというのは…不自然であり、また無責任だった。
「あの…うちのメディカルルームでは…?」「ここの設備とスタッフは救命に関しては世界一だけれど、美容外科としては不充分でしょ?」
「…まぁ、そうかもしれませんけど…」「もう予約も入れてしまってるの。悪いけど」
予定を変えるつもりはないらしい。
こうまで自分の都合を露骨に振りかざすことは流石に一度もなかった。それだけに今度ばかりは皆もはっきりと不快感を示すことが出来たのだが…動じる様子はまるでなかった。今、リツコは管理職としては完全に終わった。
しかし彼女には何より今日の夜に少しでも備えることこそが急務であり、職員達の不評などは二の次である。
「あの…アスカの件はどうなるんでしょう」
「司令に試験結果をご報告して差し上げて。ご自身で判断なさるそうよ」
それだけ言い残し、リツコはさっさと発令所を出て行く。
「最後の最後に丸投げかよ…」
誰かのその呟きが皆の思いを代弁していた。

896: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 19:19:07 ID:???
「…遅いな…」
待機室で一人で2時間以上を過ごし、私は苛ついている。待たされたのは私の勝手だけど、もうすぐ試験開始なのに…シンジがまだ来ない。
1stは私からかなり離れたところで目を閉じて座っている。
どうしたんだろう。時刻には正確な奴なのに。これじゃ遅刻する。
大体、これは普段の試験とは違う。少し前に来て私の相手をしてくれていてもおかしくないはずなのに。気が回らない奴だ。
“…カタ…カタ…”
「……」
その小刻みな音に1stが目を開け、こちらを見た。私は…震えてる。これがラストチャンス。しくじれない。そう考えると…歯の根が合わない。
あの日常を取り戻せるか否かはこの試験にかかってて…。結果が良くても残れるかは分からないけど…悪かったら間違いなく終わりだ。
シンジ…まだ…まだなの?私だけじゃ駄目だ。隣にいてくれないと。手を握ってくれないと。
一緒にいてくれるって言ったから、来てくれるのは分かってる。だけど…早くして。お願い。でないと自分を保てない。
“…ガー…”
重たい音と共に実験プラグへの通路への扉が開く。
【パイロットは全員、プラグへと搭乗してください】
電子音が状況もわきまえず、お決まりの台詞でせかす。全員いるかどうか確認して喋れ。まだ来てない奴がいるだろうに。
シンジも私がいない一ヶ月、そう思いながらこの通路を歩いて行ったのだろうか。
1stが椅子を立ち、私も仕方なく後に続いた。

【シンジ君は?】
「…知らない」「…知りません」
シートに腰掛けるとマヤさんが私達に尋ねる。それはこっちが聞きたいくらい。結局…手を握ってはもらえなかった。本当に遅い。
【彼が遅れるなんて珍しい…まだ寝てるのかしら】
【いや起きてるはずだぜ。さっき金貸してくれって頼まれたし】【お金?】
青葉さんの声。そういえば昨日でアイツの財布はすっからかんのはずだ。
【かなりの額貰ってるはずなのにね】
【いやいや、急に大金持たされると加減が分からなくなるもんさ。えらく必死で頼まれたよ。
それとおかしなこと尋ねられたなぁ…】
【どんな?】
【司令の―…あ、そろそろ時間だぜ】
【あ…えーと…ハッチ閉鎖】
プラグが閉まっていく。閉まり切る前に見たけど、隣のシートは空のままだった。
変だ。まだ私、シンジに会ってない。

901: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 19:50:38 ID:???
【彼が試験をすっぽかすなんて…】
試験五分前。まだシンジは来ない。流石にみんな少し慌て出した。
【駄目です。放送で呼びかけても…】【伊吹二尉…今、彼の警備から―…】
【警備?一体何が―…】【それが―…】
【――…。…え!?ちょ…声を…】
突然、管制室との通話が切れた。
緊張した感じだった。時々『シンジ』って名前が聞こえたけど…内容までは分からない。
【…えー…まだ来ていない子もいるけど…試験を始めます】
少ししてからマヤさんのどこか落ち着かない声がした。…来てない子って…私、1stに会ったのに。
シンジは隣にいるの?シンジはいるって言ったからいるはず。だったら全員…。
「誰がいないの?」【……】
返事は返って来ない。おかしい。
「シンジは?来たの?だったら声を―…」【…アスカ…あのね…彼は今―…】
分かんない。言ってる意味が全く。シンジは一緒だって言ったのに。
マヤさん。聞きたいのは貴方の声じゃないの。シンジの声じゃないと私、理解できないし、理解しない。
「…シンジ?どこ?シンジは?隣にいるんでしょ?ねぇ返事しなさいよ」
おかしいな。シンジの声がしない。

 どこ? シンジはどこ?


「…時間かかったな」
タクシーに長いこと揺られて…少し酔った。
それでもまだ新幹線と電車と車を乗り継げば着ける場所だったことはついてた。海外だったら流石に…。
「…凄い人だな…」
周囲は殺気立った警備と、それと同じぐらい殺気だった報道関係者と野次馬で物々しい雰囲気に包まれている。
当然だ。沖縄以来の国内での国際サミット、それも緊急の。G7だかG8だかの首脳に加え、普段表舞台になかなか出てこない、悪名高き謎の特務機関のトップがカメラの前に姿を現すかもしれないっていうんだから。
「さて…どうしたもんだろう」
思ったよりも駅から遠かったのは誤算だった。タクシー代で胸算用が大きく狂った。残金じゃ…帰れない。もう少し借りてくれば良かったけど…NERVの安月給じゃこれ以上はね。
「…交通費くらいくれてもいいはずだよな」
そのくらいは当然だろう。親なんだから。一度だって直接よこしたことはないけど。だからこそだ。
けれどこの警備は尋常じゃない。息子が親父に小遣いせびりに行くにも少し苦労しそうだった。

908: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 20:18:14 ID:???
「これは…無理か…!?」
あまりにも考え無しで来過ぎた。
市街地からやけに離れたところにある、やたら立派な建物の周りは混乱のるつぼってやつにあった。
人気俳優上がりの某国の総理が来てるせいか、こういう場所に不釣合いな女連中とかも多い。何でもこの後、記念植樹だとか市民との触れ合いとか、余計なイベントが予定されてるらしく…。
このご時世にのんきな事だ。
「…14時か」
もうすぐ試験時刻。アスカには悪いことをしたけど…頑張ってくれてることを祈るだけだ。
携帯の電源を一瞬だけ入れて時刻を確認し、すぐに切る。どうせ鳴らされまくるに決まってる。ガードもこの人ごみで僕を見失っているのか、姿は見えない。
どうしよう。どうやって会おう。車はここを通るらしい。沿道に面したところに出て見つけてもらうとか…。
…確率が低いにも程がある。あいつがここを通るかどうかも分からないし、沿道を見てるとは思えない。何かの間違いで見つけたとしても車を止めるとはとても…。
自分がただのガキだってことを忘れかけてた。中学生が世界レベルのVIPにいきなり会おうとしたって…。
僕には…何の力もない。
それでも何とか会うしかない。決定が下された後じゃ遅い。こういう組織で一度下された決定はよほどのことがない限りひっくり返らないことは思い知ってる。
試験が終わる前になんとか…。
「ちょ…すみません…」
可能性は低いけど…何が面白いのか知らないけど炎天下に沿道に立ち並び、待ち続ける人達を掻き分け、僕は前に進む。ようやく最前列にたどり着いたときには汗だくになっていた。
「一体いつ来るんだよ…」
張られたロープが体にめり込み、僕は呻く。アバラが痛い。くそ…。
「…ロープを握らないで下さい」
体格のいい警備に注意される。大変なのは分かるけど痛いものは痛いんだ。
「握らないでと―…」
荒げかけたその声が急に止む。
「…碇…シンジ?」「え?」
名前を呼ばれ、僕は声の主の大きな身体を見上げる。
「…あ!」
誰って言ったらいいか分からない。名前を知らないんだ。前のしか…。
「田宮さん…?」
「…その名前は捨てた」
相変わらずの格好で大汗をかきながら、“あの”『黒服』は野次馬を抑えていた。

932: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/18 21:07:14 ID:???
「ほら…」「ありがとうございます…」
『黒服』がコーラを放ってよこした。250円とかいうぼったくりの値段の割にあんまり冷えてないけど…水分だっていうだけで御の字だ。遠慮なく、一気に飲み干す。温い炭酸に喉を焼かれて呻くけど…美味い!
沿道から少し離れた木陰に僕らはいた。『黒服』もまた…っていうか今は背広脱いでるけど…コーラを飲み干す。
続けてサングラスを外し、袖口をまくると一気に人間臭くなった。
「…何してるんですか、こんなとこで」「こっちの台詞だろう。俺は仕事だ」
「…これが…仕事ですか」「…そうだ」
この野次馬の整理が…こないだまで適格者の安全を任されてた人間の…。
「持ち場離れていいんですか?」「知るか」
やる気のなくそう言って『黒服』は自分だけ買っていた2本目のコーラに口をつけた。前よりは随分と人間味を感じる喋り口だった。


「…親父さんに会いに来たのか」「はい…」
騒がしい沿道を眺めながら、ポツリと黒服が呟く。
「アポイントメントは?」「……」
「…それで会うつもりなのか?」「……」
返す言葉もない。無策にも程があるのは分かってるけど…。
「あの…筋違いなのは分かってますけど…貴方から上の人に口を聞いてもらうわけには…」
「本当に筋違いだな」「……」
…厳しいな。
「…無理だ。口を聞く相手があまりに“上”だ。ここは階級を飛び越えて仕事や会話が出来る風潮があるおかしな組織だが、それにしても上過ぎる。
それ以前に俺は今、干されてる。上司も俺の話なんか聞きはしない」
やっぱり…そうなんだ。
「…適格者のガードって…拘束時間の長いキツイ仕事だけどそれなりに実力と立場のある人にしか任されないって聞きました。それを仕切ってたのに…」「……」
「…僕達のせいですか」「部内の仕事の割り振りについて話す理由はない」
「…すみません」「…謝るな。そういうことを期待しての行動じゃない。俺の行動はどこまでも俺の責任だ。だから謝るな」
「…はい」「責めたように聞こえたなら言葉足らずだった。だが君達に責任は微塵もない」
それは間違いなく僕には一生縁のない、自分の力だけで生きてきた人の孤高の論理だった。



22: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/19 21:17:30 ID:???
やけに…抜けるような青さだ。僕は暑さにうだりながら空を見ている。それくらいしかすることがない。
日中、外に出ることが少なくなった僕にこの猛暑はキツイ。
「…会議が長引いているらしい。まだかかるぞ」
「…そうですか」
耳につけたシーバーからの話を黒服が教えてくれた。
時間はもうすぐ14時半になる。普段ならそろそろ終わる頃だけど、多分、開始時刻も遅れたはずだし…こっちも少し長引いていると思う。
今もアスカは頑張っているはずなのに…僕は今、木陰でただ、おそらくは来ないであろう機会を待ち、沿道に並ぶ人達を眺め続けるしかない。
「…それで君はこんなところまで何をしに来たんだ。そうまで急ぎの話っていうのは…」
「…アスカが…いよいよ送還されそうなんです」
黒服の表情が一気に曇る。これは…。
「今日の成績次第で…あの…知らないんですか?」
「…あれ以来、俺に回される情報は限られてる。特に君らの動向にはとんと疎い」
…もう、そういう仕事しかさせられていないんだ。この人は。
「リツ…赤木博士の影響がなくなって…父さ…アイツが直接決定することになったってさっき聞かされて…。
電話もかけたんですけど…秘書の人が取り次いでくれなくて…それで直接…」
「…まさか…それを頼むだけにここまで?」
「…帰りの電車賃もないし…交通費ぐらいは貰わないと帰れないし…」
黒服は呆れたように口をポカンと開けた。いよいよ完全にバカだと思われただろう。
「…彼女はどうしてる?」
「…頑張ってます。少しずつ以前の彼女に戻りつつありますけど…それでも…」
言い辛い。…この人の前では…。でも…。
「田宮…『コウジ』とのこととか…以前のことがどうしても追っかけてきて…苦しんで…」
「……」
弟の名前が出ても不思議なくらいこの人は反応しない。
あれからアイツらがどうなったのかも聞きたいけれど…怖くて聞けない。
「…あの子が苦しんでいるのは…全部俺の弟のせいだな」
黒服がポツリと呟く。
「そして…止めなかった俺達のせいだ」
陽炎で…人の波が揺れた。

26: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/19 21:26:24 ID:???
「…そういうつもりで言ったんじゃありません」
「君の言葉はずっと腹の中にあった」
「…あれは…」
『こいつら田宮と変わりない!』『ガードだろ!?守るのが仕事だろ!?』
僕は確か…そんな風に言った。
「…あのときは感情的になりすぎてて…。
今だって貴方の行動が正しかったなんて、とてもじゃないけど言えませんけど…僕だって何一つアスカにはしてあげられなかったんだ。貴方を一方的に責める権利は…」
「赤木博士にも言われた。中途半端な処置だったよ、実際。
あの子を心配するなら強引に連れ戻せばよかった。それが自分が処断されるのを恐れてそこまで踏み切れず…。かといって放っても置けず。間を取ってコウジに任せて…。
仕事だと割り切ることも、偽善を押し通すことも叶わず…。
その結果、彼女も君も…コウジも傷つき、自分も時間いくらの警備のバイトに混じっての群衆整理だ。
…無能通り越して害悪だな、俺は」
全部のことを自分のせいにして…黒服は自嘲気味に笑った。
「…貴方は助けに来てくれたじゃないですか。貴方達がいなければ今頃僕らは…」
「あんな状況を発生させた時点で論外だ。
止めようと思えば止められた。俺はあの子のガードだ。守るのが仕事だった。
俺は…仕事を果たさなかったんだ」
「そしてあんたの今の仕事は野次馬の整理だ」
「――!」
唐突な冷たい声。
気がつくと木陰の周りを5、6人の男女が囲んでいた。
「―!」「…よぉ」
僕は顔色を変えて立ち上がる。黒服は地面に座り込んだまま、ダルそうに彼らを見上げた。
「バイトの学生ですら給料分の仕事ぐらいはこなしていますがね」
「…このクソ暑い中、ガキに付き合ってご苦労なことだな」
「仕事ですから。使命を果たせなかったことを後悔なさってるならば沿道に戻られたらどうです。
また職務放棄する気ですか?」
炎天下の中、僕を探し回っていたんだろう。全員汗だくになってる。別段、殺気立った様子でもないけど、不快感を隠さずに僕を見てる。
「碇シンジ君。許可なく本部からこれだけ離れることは許されない。
我々と第三新東京へ…帰ろう。今すぐ」
それこそがスマートなやり方とでも思ったのだろうか。僕のガードが意思のない笑顔を浮かべて、僕へと手を差し出した。

102: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 05:36:14 ID:???
「…良かったな、碇シンジ。これで電車賃の心配はせずに済む」
ガードが電話でどこかに連絡を入れる横で、黒服がこちらを向きもせずに冷たくそう言うけど…そうはいかないんだ。
「だ、駄目だ…!僕は…!」
「無駄だ。ここにいてもどうせ会えない。それでも自己満足にはなるかと付き合ってたが…迎えが来たなら帰れ」
「この人もそう言っている。帰ろう」
「嫌だ!」
「…困らせないでくれ。碇シンジ君」
駄目だ…。駄目だ…!あいつに会うまでは…アイツにあって…アスカをここに残してもらうまでは…!何をしてでも…誰を傷つけても…!
「うっ…!」
ガードが身を引いた。けれど腕の先がかすめて…わずかに切れた。
「…碇シンジ…!?」「く…来るな、さ、刺すぞ!」
僕の手には…小さなナイフがあった。アイツが受け入れなかった最悪の場合、これで脅して…なんてことが出来るわけもないのだけど…一応持ってきた。
銃を撃ったときよりもよほど緊張する。皮の切れるほんの少しの手応えがナイフから伝わった。
ガード達の表情が変ったけれど…緊張した様子は全くなかった。
「…問題児とは聞いてたが全く…」
無表情に前に踏み出してくる。反射的に僕は腕を突き出したけど、ナイフは叩き落とされ、みぞおちを突かれ、僕はあっさり芝生に沈んだ。思い切り加減されたんだろうけど…身動き一つ…。
「我々相手に本気でやれるとも思ってないだろう。観測対象相手に手荒な真似をしたくはないんだよ、碇シンジ君」
そりゃ…思ってない。けど…けど…。
「帰れ…ない…」「……」
「僕は何もしなかった…田宮のときも…結局…何の役にも立たなかったから…。
今、やらないと…この先…アスカに何かしてあげることさえ出来なくなる…このままじゃ終われないんだ!」
「それは君の都合だ。我々には関係ない」
型通りの台詞だ。黒服が…僕を見てる。
「放せよ…今度こそ辻褄を合わせなきゃ、本当にアスカを失う…!
ここで僕を放さなくてアスカがドイツに帰ることになったら…それはお前達のせいだ…!!」
支離滅裂なことを喚く僕の目を、黒服がじっと見つめていた。

103: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 05:39:16 ID:???
「何を訳の分からない…」
車が回されてきた。駄目だ…このままじゃ…連れ戻されて…。
「…素人の中学生相手に情けない…」
黒服が立ち上がって僕の側に来た。ガードの切られた袖口を見てうんざりしたように呟く。ガードが不愉快そうに顔をしかめて言い訳した。
「…油断しただけです。観測対象に襲われるなんて誰が予想しますか」
「確かにな。ならお前は同僚に襲われるなんてことも予想しないんだろう」
「え―?」
次の瞬間、ガードが物も言わずに僕の上にどすりと崩れ落ちた。
「―?」
「やれやれ…こいつも鍛え直しか。やっぱセカンドインパクト後、関東でぬるい思いしかしてない新人は…」
そう言って…黒服はガードを蹴り飛ばした。僕はようやく体を起こせる。
「タミヤ!!」「お前…!!」
「田宮さん!?」
ガード達がにわかに気色ばむ。よく聞く話だけど旧都心のあの惨状でぬるいって…。いや、それより…。
「バカなガキの行動に神経すり減らすより、野次馬を怒鳴り散らしてる方が随分と気は楽だが…暑いのは苦手なんだよ。ここの安月給じゃ割が合わん。
弟を養う必要もなくなったし…この商売はもうやめだな。ただその前に…」
耳をほじりながら田宮さんは悠然と僕の前に立ち塞がった。
「テメェの尻だけは拭かせてもらう。ケツの収まりが悪いからな」
ガード達が上着を放り、荷物を下ろす。特殊警棒を出す人もいた。
「あんた本当、頭悪いな。何か意味あるのか?この行動に」
「体中ボロボロでよく…所詮、中学もろくに出てないチンピラか…」
どの人も凄く締まった身体をしてる…それなのに田宮さんは一人で…しかも…怪我を?
「碇シンジ…俺も辻褄を合わせるなら今、ここしかないようだ」
「田宮さん…」
「これで俺やお前の何が許されるわけでもないが…とりあえず親父には会わせてやる。そこからはお前がやれ。
親父を説得して…あの子を残せ」
ガードが一斉にかかってきた。

104: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 05:42:11 ID:???
「ボケが…!!!この部署に学歴がいるか!!!」
「動かないで下さい!包帯がずれる!」
車に積まれていた包帯を僕は田宮さんに巻き付ける。
警察関係者が目を光らせてる脇でよくやったと思う。ピクリとも動かないガード達が横たわる横で、完全に顔の形が変り、誰だか分からなくなった田宮さんが別人のように毒づく。
いや…強かった。地下で見たときも思ったけど…あれは攻撃された側が勝手に動かなくなっただけ。この人たちは同じ保安部員で…なのに6人からでかなわないって…。
おそらくはあの事件の後、かなりの目に合わされたんだろうに…。
「…本当に質が落ちてるな。同期相手ならこうは…まともな人材が回ってこないって噂はいよいよ…」
「そんなことより怪我は大丈夫だったんですか!?」
「怪我なんか初めからない。今もしてない」
「だって今の連中だって…ほら、血も!指だっておかしな方向に曲がって…!」
「骨折までは怪我には入らん」
「……………」
じゃあどうなったら怪我なんだよ…。
「…会議は終わったらしい」「え…」
田宮さんは少し落ち着きを取り戻し、シーバーを耳にはめた。
「もうすぐここを通るぞ」「ど、どうするんですか…」
「交渉してみる」
田宮さんはそう言って携帯を取り出したが…。
「出来るわけがない…」
僕が切りつけたガードが苦しげに口を開いた。身体は起こせそうにないが。
「部長がそんな話に取り合う訳…」「誰が部長にかけるって言った」
「え…?」
田宮さんは携帯のアドレスでその人の番号を呼び出し…。
「…お疲れ様です。…はい。ご無沙汰しています。“先生”…。
それで…ちょっとお話が…」
不釣合いにバカ丁寧な言葉遣いで田宮さんは話し始める。
“先生”…?一体…誰にかけてるんだ?

105: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 05:58:49 ID:???
「えぇ…えぇ…。…無理は承知しています。しかし3rdが既に…。
…そうです。今、私の隣に…出来れば先生の方から…。…はい。…はい。すみません!ありがとうございます!」
“ピ…”
電話だというのに田宮さんは頭を下げた。通話が切れると、途端に二つ前の表情、仏頂面に戻った。
「…話はついた。途中、君を拾ってくれるそうだ」「え…」
さっきは無理だって言ってたのに…電話一つでこうもあっさり。
「…恩人だ。手間をかけたくなかった。
この程度で迷惑と感じる人ではないが…。とりあえず会わせてもらえる」
「ありがとうございます!」
感謝はしてるけど…僕にしてみれば親に会うだけだ。そりゃ覚悟もいるけど信じられないことでもない。
なのにガードは信じられないという風に目をむいてる。
先に行ってるよう言われ、僕は沿道へと向かった。


「…今から時間作るっていうのか?後にも予定があるのに…一体どんなコネを…」
「コネなんて強力なものじゃないし、時間を作るわけでもない。ついでらしい。“車内会談”の。
大体、俺じゃなく3rdのためだ」
こともなげにそう告げ、田宮は車載された通信機を取る。
「…こちら3rd監視班。回収に失敗。至急応援を請う」
それだけ告げて、通信機を握り潰す。そして背広を拾い、サングラスをかけ、腕章をはめる。
「…何する気だ」
「“仕事”だ。連中が来るまで時間潰しに一汗かいてくる」
“連中”。もうNERVをやめた気でいる。
まだ動く体力が残っていることにガードは絶句する。
「あんた…バカか?こんなことで問題起こしてどうする?助けたつもりでいるのか?我々は彼の敵でも何でもないのに…!」
こうまでして彼の肩を持つ理由が全く理解出来なかった。しかし田宮は呆れたように男に向き直る。
「ふざけんな。俺は“お前らを”助けてやったんだ。お前らには敵じゃなくても、ここで連れ帰ったらアイツにとってお前らは敵だ。俺にも理解できないが、あの子の中ではそうなるんだ」
「…はぁ?」
「あの腐り果てた目を見なかったのか。女が絡むと連中は理屈が吹っ飛ぶ。話が通じん。全てを正当化して無茶苦茶しやがる。
“六分儀”の人間を敵に回して無事で済む訳ないだろうが」
呆気にとられる後輩を残して、田宮は仕事を果たしに仕事場へと向かった。

107: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 06:02:48 ID:???
『ワァァァァァァ!!』
白バイやらパトカーに守られ、何台もの車が沿道をゆっくりと走っていく。待ちかねたものの到来に、野次馬の中から歓声が上がる。
腕章をつけた田宮さんがロープの内側で野次馬を抑えてる。と、一際厳重な警備の為された横幅の広い高級車がやってくると、田宮さんは手を上げた。その車はゆっくりと止まる。何事かと歓声のトーンが変る。
…あれらしい。
「驚くなよ」「え?」
ドアが開き、降り立った外国人を前にした途端―…
『キャァァァァァァァァァァ!!!!!!』
絶叫が響いた。驚くなって言われてたけど…驚いた。
誰もが知ってるその男は沿道の両側に手を振った。群衆の圧力が増す。警備がいよいよ本気で押さえにかかる。
「行け…!」
田宮さんも必死の形相。僕はおそるおそるロープをくぐり『何だあのガキ?』という視線の中、車へとそそくさと駆け寄る。
警官が血相を変えて立ち塞がるけど車内からの指示におかしな顔をしながらも通す。そして躊躇しながら車内に…。
「…何の用だ」
開口一番、不機嫌そうな声。僕も一気に気分が沈む。
「…僕だって来たくて来たわけじゃ…」
目的も忘れ反射的に言い返そうとしたけど…車内の顔ぶれに言葉を失う。
後部座席に…父さんがいた。その横に副司令と秘書の人。問題はその対面座席に座っている人だ。僕はその人の隣に座ることになった。
「こんにちは」「…こん…にちは…」
ろくに挨拶も出来ない。
…見たことある。現実味がない。続いて僕が乗り込んだのを見届け、さっきの人が車内に戻って僕の隣に座った。この人に至っては更に…。
ドアが閉まり、名残惜しそうな野次馬を置いて車が出る。ろくに揺れもしない高級車の中で僕は真っ白になっていた。
「His son.」
「ほう、彼が…!」
「Oh!Nice to meet you Shinji Ikari!My name is …」
副司令の紹介に右隣が感嘆の声をあげ、左隣が日本人にはオーバーに見える動作で驚いて見せ、僕に握手を求めた。
何とか分かるくらいの英語だったけど…聞くまでもない。知ってる。…貴方は世界で一番有名な人だ。
この国のトップと、最強の国のトップが会ったこともないのに僕のことを…僕の名前を一方的に知ってる。
その事実にまず頭がくらくらした。

126: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 14:03:36 ID:???
「お二人をお送りする。話はそれまで待て」
日本語はそこまでだった。うちの国の総理だけは若干、秘書の力を借りてたけど…そこからは流暢な英語だけが車内に満ちた。
分からない…多分、日本語で話されてても理解できないんだろう。部外者の僕の存在にもおかまいなしだ。
雰囲気としては二人の話や提案を父さんが相手にせず、切って捨てる感じ。重要な話をする車に息子を途中で乗せるって行為が既に、二人と、二人の背負ってるものに失礼だ。…そうさせたのは僕だけど。
仕事柄必要な技能なのは分かる。でもやっぱり父さんが英語をこれだけ見事に扱うのにも驚いたし、国家元首と対等以上に渡り合ってることに何より驚く。
認めたくないけど…凄い。
「…この後のイベントって…」
「…会議が物別れに終わってそれどころじゃなくなった。EU側には記念撮影すら拒否される有様だ」
小声で尋ねると副司令がため息混じりにそう答えた。何があったか知らないけど…ここにいるってことはこの二人はNERV側なのか?それにしては雰囲気良くないけど。
そんな単純な構図でもないのかも。何にせよ僕には分からない次元の話だ。
車列はホテルのターミナルへと入った。降り際に大統領は僕の手を再び強く握り、何やら熱く語りかけた。
「『君に会えて光栄だった。今度私もEVAに乗せてくれ』」「お、おぉけぇ…」
秘書さんが若干照れた感じで通訳し…思わず了承しちゃったし。
『約束だぜ?』
そう言って親指をグッと突き出し、大統領はホテルへと入って行った。とにかく全ての仕草が絵になった。
…乗せるのかよ初号機に…。
「碇シンジ君。大人として君ら子供に頼らざるをえないのは情けない限りだが、私も出来る限りのことをするつもりだ。君も頑張ってくれ」
「は、はい!」
今度は総理様。僕は会話の内容も把握せずに声だけは大きい返事を返した。
「ははは♪元気がいい」
総理が笑い声を上げると父さんは渋面になった。
「…場もわきまえずおしかけてくるような出来の悪い息子です」
「いやいや…こうして大きくなってくれているだけで親孝行ですよ」
セカンドインパクトで子供を失った総理はそう言って、車を降りた。
「…途中、駅までは送る。そこまでで話を終えろ」
父さんがいつもより不機嫌そうに見えたのは気のせいじゃないはずだ。

141: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 18:30:26 ID:???
「どうした。話があるなら早くしろ」
「…分かってるよ」
予想外の人達の出現に思わず呆けてしまった。僕は必死にテンションを取り戻す。
えらい物を見せられた。僕が交渉しようとしている相手は国レベルの要求さえ突っぱねられるような存在だったんだ。よく考えれば当たり前のことかもしれないけど…目の前で見せつけられると流石に衝撃的だ。
僕なんかで…どうにかなるのか?ただでさえコイツには気後れしてしまうのに…。
『いや…弱気になってる場合じゃない…今…今だけは…』
「まず…僕の話を少しはまともに聞いてもらうために…聞いてもらいたいものがあるんです…」
一応、物を頼みに来たわけだから敬語だろう。僕はICレコーダーを取り出した。
【「賭けの話なんですけど…」「賭け?あぁ、あの“ジョーク”のこと?」】
「賭け…?」
唐突に始まったその話題に副司令が眉をひそめた。

【…分からないわね。私が一人で決めて何の不都合が―…】
「不都合はないが…好ましくはないな」「あぁ…」
この辺までは父さん達は普通に聞いていた。けれど…

【―司令から全権を委任されてるの。どういう判断、行動を取ったところで文句を言われる筋合いにはないわ。それこそ司令にさえ―】
「碇…これは…」
「…完全に勘違いしているな」
流石に副司令が渋い顔になり、父さんも苦々しげに吐き捨てた。
『…これは…いけるか?」
そう思ったけど…。

【貴重なパイロットをこうまで強引に切り捨ててNERVが得るメリットがどうしても―】
【赤木博士は故意にアスカの数値を下げて追い出そうとしてるけど、父さんはそれを承知した上で―】
「……」
この辺の下りは自信があったのに…父さんの表情は変らなかった。直前に最低呼ばわりはしているけれど…それだけが理由とも思えない。
意図が…読めない。

143: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 05/03/20 19:09:22 ID:???
【今すぐ切り捨てる必要ないじゃないですか。予備でも何でも…最悪、民間人としてでも―】
「消せ」「え…」
まだ再生は終わっていないのに…父さんは終了を告げた。
「もはや茶番だ。大人が真面目に聞く話ではない」「…え…でも…」
僕は狼狽したけど…副司令が静かに『続けなさい』と言ってくれた。
「冬月…」
「現場の素の実状を聞くにはいい機会だ。肩書きを付けていると見えない部分がどうしても―…」
【僕とEVAとどっちが―】【…そりゃ…シンジよ。最優先はシン―】…
せっかくフォローしてくれる最中に話はえらく具合の良くない下りへと突入していた。
「…こういう部分が見えたところでどうなる…」
副司令が苦笑いする。僕は顔を赤らめて俯く他なかった。
「…くだらん…」
父さんは車外へと目をやった。聞いているのかいないのか。何にしても真剣味は感じない。僕は内心歯噛みする。
そして、土下座、開き直り、リンチと続き…
【シンジ…私は…日向さ…】
“カチ…”
そこで再生を終了した。ここから先を聞かせることには何の意味もない。
「…これは今日録音されたものかな?」
まず、副司令がそう切り出した。
「…はい。ついさっき…」
「だろうな。君達に都合のよくない話もかなり含まれていたようだ。作為的な編集はされていないのだろう」「……」
削ればいい部分もたくさんあったけれど…そんな時間は無かったんだ。
「我々の目の行き届かないところで随分と理不尽な目にもあったようだな。体の方は大丈夫なのかね」
「はい…。あ、いや、痛みますけど…!アス…彼女の方もかなり…」
「そうか…」
思わず素直に答えてしまい、慌てて少しでもこちらの被害を大きくすべく返答を修正する。『とりあえず預からせてくれ』と言われて、僕はレコーダーを渡した。
副司令は一応、まともに相手をしてくれる。けど…。
「…で」
父さんが無表情に僕に向き直る。
「結局、お前は何をしに来たんだ」
話を全て聞いてなお…コイツはまだそう問いかけた。

203: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/21(月) 20:46:23 ID:???
「何をって…聞いてて分からないのかよ!」
のしかかる重圧を振り払うために僕は声を振り絞った。
「アスカがここまで成績を落としたのはリツコさんが変な揺さぶりをかけたからなんだ!」
「責任の一端が彼女にあることは了解した。確かにNERVに多大な不利益をもたらしかねない不適切な行動と言動だ。お前達に対して加えた暴行に至っては論外の域だ。
だが…それがどうした?」
「…どうしたって…」
副司令が父さんの顔をチラリと伺った。
どうしたってことはないだろう。これは…大問題じゃないのか?もしかして…違うのか?まさか…。
「リツコさんを…擁護する気?」
「これは看過出来ない重大な問題だ。相応の処分は下す」
「処分ってどういう…」
「報告については有意義な部分もある。ご苦労だった。
で、お前は何だ。試験はどうした」
「…っ!」
玉虫色の決着をされたんじゃたまらないので追求したけど、父さんはそれには答えず、逆に矛を奪い取ってこちらへと向けた。
「人を非難するならばまず、自分の責務を果たしてからにしたらどうだ」
「ア、アスカが送還された後じゃ遅いから今、来たんだろ!」
「今日までにいくらでも伝える機会はあったはずだ」
「そうだけど…でも今日になっちゃったものは仕方ないじゃないか!今するしか…!」
「随分と都合のいい物言いだな」
「二人とも冷静になれ…」
本題と離れたところで程度の低い口論をする僕らを副司令が呆れたようにたしなめる。
「何を苛付いている?」
副司令の言葉に父さんは『苛ついてなどいない…』と小さく呟く。確かにどこか怒ってるようにも見える。そりゃ、バカ息子を両首脳に披露することになったのは腹立たしいだろうけど。
そうだ…したいのはこんな話じゃない。まだ父さんは肝心なことを一言も口にしてない。
「父さんは…アスカをどうするつもりなんだよ」
回り道したけど話がとうとう核心に及んだ。僕はここまでこの人の考えを聞きに来たんだ。もしくは考え直してもらいに。
「使えないのならば弐号機からは降ろす」
返事はあっさりと返された。
「降板…したら…?」
「ドイツへと送り返す。ここに置いておく理由は何もない」
その言葉は僕の思っていた最悪のケースと寸分の違いもなかった。

278: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/22(火) 21:25:03 ID:???
「…降板は仕方ないにしても…予備くらいには…」
「赤木博士にも問題があったとはいえ、感情を抑えられず激情のままに上司に殴りかかるようでは、予備にも後進の指導役にも不適当だ」
「え…?」
血の気が引いた。
「素行についても一ヶ月の失踪に加えて、飲酒、喫煙、不純異性交遊…未確認だが薬物使用の話まで上がっている。
これらは全て数値以前の話で、シンクロ云々とは別に資質を疑う。
一言で言うなら姿勢の問題だ。彼女には人類の命運を背負っているという自覚が足りなさ過ぎる」
…ちょっと待て。頼みの綱の…パイロット以外での残留の目が…。
『そうか…報告書でしか現状を…』
ちゃんと試験を受けるのは当たり前で、取り立てて誉めることじゃない。それが過ちを打ち消したりはしない。
どれだけ心を入れ替えたかってことはまるで伝わってない。印象は…最悪のままなんだ。
だったら寸前での数値の良し悪しはほとんど…。
「数値が安定しているならば酌量の余地もあるが、この有様では―…」
「数値が安定してないから情緒不安定なだけだろ!?いつもいつもああじゃ…何だよ!リツコさんに揺らされた分を差し引いて考えるとか…!」
「それで使えるようになるのか」
まずい…これは…。
「過去のデータから鑑みるに“今”が彼女の全てでもないのだろう。
しかしそれを差し引いたところで“今”『使えない』のは事実だ」
もう…決 定 し て る ん じ ゃ な い の か ?
「か、可哀想とか思わないのかよ!」「同情が欲しいのならばいくらでもしてやる。しかし“決定”に影響はない。大体、彼女の処遇がお前に何の関係がある」
「あるだろ!一緒に出撃する人間が減るんだから!」「単独戦闘の経験も一度や二度ではないはずだ。今になって怖気づいたのか」
「怖いのは最初からだ!何にしたって戦力が多いに越したことは―!」「あの数値で“戦力”か。支離滅裂だな」
「…!」
「EVAに乗ることに誇りを持つことは自由であり、また必要だ。しかし同時に責任も持ち合わせるべきだ。誇りだけにしがみつき、度々現場を振り回すようでは迷惑以外の何物でもない。
はっきり言おう。彼女はもう戦力と呼べるようなものではない」
車が…止まった。
「降りろ」「え…」
外を見ると…駅だ。ついてしまった。
「話は終わった」

329: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/23(水) 07:53:10 ID:???
「…電車賃がない」
弱すぎる口実だけど…これは事実だ。副司令が少し苦笑いした。
父さんは僕のガードを呼ばせようとしたけど、少し前から控えめな声で電話をかけていた秘書の人がおかしな表情で首を振る。
「…少し混乱しているようです。本部には確保失敗の旨の通達がいったらしいですが…」
「……」
父さんは不審そうな表情で僕を見る。副司令が意味深な口ぶりで父さんに耳打ちする。
「…碇。電話をかけてきたのは“彼”なんだぞ」
「…安全は確保されていると伝えろ…」
連れ戻されているはずの僕がどうしてこの場にやってこれたのか。どうしてガードがやってこないのか。
“彼”という一言でようやく合点がいったらしく父さんは不機嫌そうに呟いた。それだけで一切の事情が飲み込めたらしい。
副司令は人を呼びつけて何やら頼んでいる。
「回せる車は…そうか。仕方ない。すまんが何人かつけてやってくれるか…」
秘書の人がカバンから封筒を取り出し、何枚かの紙幣と電子マネーカードを僕に渡した。
「万一、お渡しした金額で不足だった場合にはこちらをお使いください。利用金額に上限はありません」
「晩には使用を停止する。それまでには帰れ。当然だが無駄なことには使うな。お前の金ではない。
釣りとカードについては後で経理の者が―…」
「たまには小遣いぐらいやったらどうだ」
「…カード以外は取っておけ。ただし無駄には使うな」
副司令に茶化され、父さんはわずかに命令を修正した。
これで…帰ることが出来てしまう。あくまで僕が自分で帰るように取り計らっているけど…これ以上駄々をこねたら力づくで引きずり戻される。
悪あがきにもならなかった。
「まだ…まだ話は…」
「言いたいことは分かった。お前も私の意図を理解したはずだ。もう話すことはない」
「何も…分かってないよ…!アスカの残留を決めてもらうまでは僕は…!」
「…一つ聞かせてもらおうか…何故、彼女にそうまでこだわる?」
「…何故って…別に…」
「その拘り様は明らかに普通ではない。何か理由があるのか?」
「それは…」
そうストレートに聞かれて…僕は返答に詰まった。

345: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/23(水) 17:13:47 ID:???
「だって…戦力が…。
それに…こんな筋の通らないやり方…いつ僕や綾波だって同じ目に合わされるか。こんな中で命を張った仕事なんて…」
必死で言い訳を探す。理屈をこねる。本当のことを言ったら鼻で笑われるに決まってるから。
けれどそんな薄っぺらな口実が通用する相手な訳もなく…。
「お前などに気を回されるまでもなく、戦力の維持については何より心を砕いている。NERVはEVAを効果的に運用することこそが肝だ。
送還するにせよ、残留するにせよ、2ndの処分はそれを踏まえた上のことだ。
赤木博士の行動は今後、厳重に管理する。必要とあらば私か冬月がそれを行う。二度とお前達に理不尽な負担をかけるようなことにはしない。私が責任を持つ。
他に何かあるか」
ある意味では安心出来る力強い言葉だった。でも…それは『2NDが送還されても何も心配はいらない』と言われてる訳で…それじゃ何の意味もない。なのに…。
「あの…あの…」
口実が…浮かばない…。
「話をすり替え、聞こえのいい後付けの理屈で利己的な欲求を正当化するな。先の市街でのトラブルを見れば今の録音を聞くまでもない。
お前が彼女の送還をこうまで拒むのは、それとは別の理由のはずだ」
止めだった。こいつには分かってるんだ、全部。その上で聞いているんだ。
「…降りろ」「……」
再び促されるけど僕は腰を上げなかった。すると父さん自身が扉を開けて、外に出て…。
「いい加減にしろ…!」
「い、嫌だ…まだ!まだ僕は…」
「これ以上手間をかけさせるな…!」
腕を掴んで無理矢理に引き摺り下ろされ、車の端を掴んで堪える。だけど凄い力ではがされそうになる。
こいつに前に触れられたのはいつのことだろう。少なくとも…すぐには出てこない。実際はどうか知らないけど…初めてかもしれない。それが…こんな形っていうのは…。
警備がその様子に驚き、車から次々と降りてくる。副司令が渋い顔をする。
「…碇。乱暴だぞ。子供相手にみっともない真似はやめろ」
「他人の家の“しつけ”にまで口を出すな…!」
今更、何を父親面をするのか。苛立った表情で父親は息子の腕を引っ張り続けた。

401: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/24(木) 10:44:19 ID:???
「ぐぁ…!」
父さんがいよいよ本気で力を込め、僕は抗えずに投げ出された。
「サードだ。扱いには気を使え」
副司令の言葉に、困惑していた警備がわずかに緊張しながら、おっかなびっくりと僕の腕を取った。
田舎の駅とはいえそれなりに客はいて、その異様な光景に驚く。明らかにカタギじゃないのがいる一方で、どうみても本物な警察車両も並んでる。
その中で取り押さえられる少年。映画の撮影とでも思ったのか辺りを見回した。
「父さん…!」
「身勝手を押し通すにはやり方が大味すぎたな。
彼女の評価が数値以前の問題なことは明らかだ。これ以上、茶番に付き合う暇はない」
上着の襟を正し、父さんは車へと乗り込もうと身をかがめ―…。
「茶番…茶番だって…?何が茶番なんだ…!
好きな子と離れ離れにさせられることの何が茶番なんだよ!」
とうとう…その言葉が出た。父さんがかがめた腰を起こして僕の方を再び向いた。
「…それが本音か…」
まさか堂々と口にするとは思わなかったのか、その声にはわずかに―…
「そうだよ…僕はアスカが好きなだけだ。他は全部こじつけだ。
戦力的な話とか筋がどうっていうのは単なる口実で…好きな子と…アスカと一緒にいたい…僕にはそういう不純な動機しかない。
けど悪いのかよ…。好きな子と一緒にいたいっていうのが!そんなに悪いことなのかよ!おかしいのかよ!」
分かってる。これは…確かに茶番だ。
周りから苦笑が、失笑が、嘲笑が…ありとあらゆる笑いが漏れる。僕はそれに『何がおかしいんだ!』と怒鳴り返す。それでも笑いは止まない。
「人を好きになったことないのかよ…!もし父さんが…母さんと離れ離れにされようとしてたら!抵抗しないのかよ!連れ戻されないようにしないのかよ!」
一笑に付され、『馬鹿馬鹿しい』と切り捨てられる。そう思いながら吠えた。
だけど父さんも副司令も笑いも切り捨てもしなかった。
「アスカは頑張ってるよ。心を入れ替えて…パイロットを続けるために…。
そんな評価する前に弾くようなのはやめろよ!
僕はアスカと一緒にいたいんだよ!!!」
ここは世界の中心じゃない。アスカだっていない。
愛を叫んだところでどこにも届かないことは知ってる。
けれどその…普通の人でさえ相手にしない青臭い叫びを…僕が知る限り最も冷徹な男はじっと聞いていた。

430: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/24(木) 15:21:30 ID:???
「…悪いか悪くないかならば当然“悪くはない”。
問題はそれを客観的な判断にまで持ち込むかどうかだ。彼女が自分勝手な行動に走ったのは何年も前の話ではない。わずか数週間前だ。資質を危惧されることがそうまで理解できない話なのか?」
「それはそうだけど!でも頑張ってる“今”も計算に入れて―…」
「話を最後まで聞け」「え…」
「結論は今日の結果が来てからだ。それも含め、彼女の現在の姿勢についても踏まえた上で“残留を前提に”再検討する。
それでも同じ結論が出た場合には文句は言うな」
それから父さんは周りへと向き直り―…
「…何がおかしい。うちの息子が一言でもおかしなことを言ったのか」
低く、凄みのある声でそう言い切った。
一般客はヤクザの親玉以上にしか見えない大男に睨まれ、『自分は笑ってない』という風にそ知らぬ顔で足早に立ち去る。
“それ以外”はただ、直立不動の姿勢で『失礼致しました』『不適切な対応でした』などと恐縮する他になかった。
手を放すよう指示され、僕は自由になる。
「譲歩できるのはこれが限度だ」「……」
再検討では物足りないけど、ここで余計なことを言って撤回されると困るので堪えた。これで少なくとも可能性は皆無じゃない。
沙汰も、言葉も…正直、衝撃だった。父さんにしては相当の大判振る舞いだ。全てじゃないけど…僕の思いをすくってくれた。
「…父さん」
喉下まで出かけた『ありがとう』を飲み下す。まだ早い。それは残留を決めてくれたら言う台詞だ。
「…私も“抵抗”できればよかったがな」「…あ…」
「お前は恵まれている。引き離されたところで今生の別れではない。大人になれば会いにいける」
「…離れたくないんだ。一緒にいられなきゃ意味ないんだよ。
…分かるだろ?」
「……」
小さく『…確かにそうだな』と呟いて父さんは車のドアを閉めた。


「随分と“父親”だったじゃないか」「…うるさい」
冬月にからかわれ、碇は不機嫌な顔になった。
「若いというのはいい。恐れを知らん。それとも恋心がそうさせるのか。
どっちだ碇?」
「…“俺”はうるさいと言ったぞ」「分かった分かった」
冬月は含み笑いをもらしながら『やはり親子だな…』と胸の中で呟く。
秘書が困ったように『…お疲れ様です』と、声をかけた。

450: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/24(木) 21:43:37 ID:???
「…遅い」
隣の父さんがちらりと僕の方を見る。
車は政府専用列車が出る駅へと向かってる。どっちみち帰らないといけないし、さっきの駅ではかなり待たされるし、鈍行しか出てないから。
秘書の人と副司令は別の車に移った。特にありがたくもない気遣いだけど。
二人、何を喋るわけでもなくただ座る。不思議な時間。
トウジのことも許したわけじゃない。EVAの中で見たこと、綾波のこと…。色々と追求もしたいし…怒りたい。けど今はこじれてはいけないとも思う。
だけど…それとは別に話もしたいんだ。これは一つの機会だと思うから。
「…予定はいいの?」「何のだ」
「…僕が知るわけないだろ」「ないな。あったがサミット後に一方的にキャンセルされた」
淡々と言うけどそれは大事じゃないのかな?
「…茶番に付き合う暇はないって…」
「お前の話が茶番ならば他に時間の使い様もあった。暇ではないのは事実だ。することも多い。だが…茶番ではないのだろう?」
「…うん」「ならばいい。この時間が無駄にならずに済む。2ndの現状を正確に把握しておく必要があるのも確かだ」
「……」
することはあったんだろう。それが一刻を争うことではなかったせよ…僕の“茶番”がそれらに優先されたことはありがたいし…それに…。
「交際しているのか」「え…」
「彼女とだ」「…どうかな」
僕のことを聞いてくるなんて珍しい。いや、間接的に綾波とのことを聞きたいのかな?僕の立ち位置をはっきり伝えたから折れてくれたのかもしれない。そう考えると下手なことも言えない。
「…言いたくなければ構わん」
「…付き合ってはないと思う。僕は間違いなく好きだし…向こうも…らしいけど…」
「…それでも交際に至らないのか」「色んな理由でさ…前のこととか…状況が許さないし…。何より…僕が臆病だから」
Hを怯えるようじゃ話にならないよな。
「…全く似なくてもいい部分だけが…」「え?」
「…何でもない。ただ…恋愛に臆病で得をすることはないそうだ」「…そうなんだ」
「…人から聞いた台詞だ」「でも…そうだと思うよ」
父さん自身の言葉ではないし、その意味も薄っぺらい。だけど…この会話で何か通うものはあったと思う。
そしてその時間はすぐに終わった。
“RRRRRR…”
連絡が来た。

501: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/25(金) 08:20:51 ID:???
「…冬月か。何だ…」
連絡はワンクッション置かれて副司令か秘書の方へと回されたらしい。じれったい。それで結果は…。
「…何?」
声色が変った。何だ?
「え…どうし…」
「…そうか…。赤木博士は…。…呼び戻せ…私の名前を使って構わん…」
そう言って電話を切ると『少し飛ばせ』と運転手に指示をした。車が…速度を上げる。
「…急ぐぞ」
「使徒…!?」
こんなときに…!?そう思ったけど…。
「……」
…違う。それだったら『少し飛ばせ』とか悠長な話じゃなく、全面交通止めにするなりヘリをよこすなり、もっと切羽詰った対応をするはずだ。“そこまでではない異常事態”が起きたんだ。
「…彼女の話じゃなかったの?」「…2ndの話だ」
…妙に…言葉を濁す。
「…で…結果はどうなの?」
「…確かに起動数値を割り込んだそうだが今の問題はそこではない。詳しい話は聞いていないが―…
 そ れ ど こ ろ で は な い ら し い 」
…………え?
『隣でシンジが私のことを思ってるって思ったら頑張れる』
『それでアスカが頑張れるならいくらでも考えるよ』
僕の交わしたいい加減な約束が…唐突にリフレインし始めた。


NERV本部に絶叫が響いていた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「汚染レベルYに突入!」「プラグ深度を戻して!早く!」「シンクロを中断!LCL、緊急排水!」「赤木博士は!?まだ連絡は取れないの!?」「脳波が異常値を記録しています…!」「パルス微弱!…あ…痙攣が始まり…!」「心音停止!停止です!」「心臓マッサージだ!」
「マヤちゃん!行ってくれ!」「お願いします!」
「そっと載せろ!そっとだ!」「横にしろ!吐しゃ物で窒息する!」「痙攣が激しい!舌を噛むぞ!」「アスカ!もう大丈夫よアスカ!」「離れてください二尉!」「汚染症例Kに該当すると思われる!ICUの準備を!」
『…ジ…』
「アスカ…!」
『シン…ジ…』
言葉にならない呻きを上げながら、セカンドチルドレンは緊急通路を猛烈な勢いで運ばれていった。

520: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/25(金) 11:15:21 ID:???
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
本部の中。走っても走っても…着かない。ここまで広いと構造上の欠陥だ。緊急時には必ず仇になる。今の様に。
『Dー6…第一脳神経…あった!』
ここからどう行けばいいのか。マヤさんの話をろくに聞かなかったのを後悔しながら早足で進む。すると前方に誰かが立っていた。
「…綾波!」「碇君…」
綾波の肩を掴み、揺さぶる。
「アスカは…アスカは!?」「…第四処置室」
僕がいつも運び込まれる…殆ど一般病室だ。なら…。
綾波の頬は真っ赤だ。多分アスカに…。
「面会も出来るわ…行ってあげて…」「…ごめん」
何に対してのごめんだ。詫びなきゃいけないことはあるけど、詫びて許されるようなことは何もない。上っ面な謝罪だ。
病室へと走る。綾波がその様子を淋しそうに見送ってくれた。


寝巻きをまとった彼女は身を起こし、明り取り用の、外の見えない窓の方を見ていた。
「…アスカ」
僕の声にも反応はない。躊躇したけど…努めて明るい声で話しかける。
「…良かった。大したことなくて…。連絡を受けたときにはどうなることかと…。無茶しすぎだよ、アスカは」「……」
何の反応もない。声のトーンが自然と落ちる。
「…“結果”聞いたよ。…ごめん」「…ごめん?」
初めて反応があった。
「…アス…」「今頃帰ってきて…何がごめんよ!遅すぎるのよ!」
アスカがさんざん泣いた後、特有のかすれ声で叫ぶ。
「ごめん…!ヘリも飛ばしてもらったんだけど…どうしてもこの時間にしか…!」
「約束したじゃない!側にいるって!試験中だって側にって!」「ごめん!アスカごめん!でも傷つけようと思ったわけじゃないんだ!父さんを説得しに…そうしないと―…」
「そんな話してない!司令にお願いしてなんて私は一言も…!ただ一緒にいてって…!それしか…それだけしか…なのにぃ!!」
何も届かない…。医者が入ってきて鎮静剤を注とうとするけど暴れられて…。
僕はアスカを強引に抱き締めた。暴れ、ひっかき、もがき、逃れようとするのを無理矢理に。やがて…アスカは力なく僕のシャツを掴んで泣きじゃくり始めた。
「…バカ…バカァァァ…!もう…もう…遅いのよぉぉ…」
僕も涙がこぼれるのを止められなかった。医者が注射器を脇に置いた。
終わりか?もう…こんなことで終わりなのか?

617: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/25(金) 19:47:45 ID:???
「…時間延長、複数回実施までは容認する。だが予定にない模擬体との接続にまで踏み切った理由は何だ?」
司令室。実験を取り仕切っていた『伊吹二尉』は『総司令』に説明を求められていた。
「アス…2ndが…弐号機への直接の搭乗を希望し…流石にそれは私の一存では…それで…模擬体でということに…」
うわずりながらの聞き取り辛い説明に碇の眉が引きつる。
仕事人としては困った話だったが…泣いている女に泣くなと言っても仕方がないことくらい碇も分かっていた。泣いているのが責任を追及されているからではないことも。
隣には更に大げさな処置を施されたリツコが色を失って立っていた。一言の責めも受けてはいないが、“次”が彼女であることは明白だった。
奪ったはずのICレコーダーが机にあることもまたプレッシャーだった。泣き出したいのはリツコも同じだった。
「何故、数値設定までも任せた。これは防げた事故だ」「…申し訳ありません…」
「謝罪を求めているわけではない。理由を―」「…し訳ありま…」
「…ちっ」
とうとう顔を伏せてしまった。もはやまともな話は聞けそうにない。リツコがハンカチを差し出すが、マヤは受け取らずに自分のものを取り出し、目に当てた。
「…すみません」
「…まぁいい。直接的な被害はほとんどない。神経素子の破損については元々来週、交換する予定だった部分だ。大目に見よう。
処分は後だ。下がりたまえ」
「……」
冬月が話をまとめると、無言で頭を下げマヤは足早に部屋を出た。
「…プラグ深度を自ら汚染区域の遥か下にまで…。…自殺か?」「あえて神経に極端な過負荷をかけ…賭けのつもりだろう」
「命懸けのか…」「……」
こうまで全てを委ねた理由は追求するまでもない。
『もう無理だ』ということはアスカを含め、実験に臨んだ誰もがわかっていただろう。それをあえて付き合い続けたのは『少しでも納得がいくのなら』ということに他ならない。最後だからやりたいようにやらせたのだ。少しやらせ過ぎたが。
『くだらん感傷だ』と断じたい碇だったが、今回ばかりはそれも出来ない。同じ穴のムジナだった。
「…汚染区域にさらされたのはわずかな時間です。影響はほとんど…」
「赤木博士」
リツコの釈明を遮り、碇の冷たい声が響いた。
「君には聞きたいことが山ほどある」

632: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/25(金) 21:11:18 ID:???
「…概ね分かった。下がりたまえ」「はい…」
リツコは喉を鳴らしながらそう答えた。
すぐ泣く女が嫌いなことは知っている。あらん限りの自制心でどうにか嗚咽だけは堪えた。
追求は熾烈を極めた。用意していた言い訳は片っ端から蹴散らされ、最終的に話はこの状況を招いた根底の根底。『何故そうまで2nd排斥にこだわるか』に至った。
あらゆる欺瞞が暴かれる中、リツコはその事実だけはどうにか隠し通した。
とはいえあまりに事態は深刻だった。自業自得とはいえ、信用を完全に失った。
ただ碇が欲しかった。望んだのはそれだけだった。それなのに―…。
発令所へと上がる長い長いエレベーターでの二分弱。リツコはうずくまり、声をあげて泣いた。

「…酷いな」「……」
冬月が呻く。
画面にはアスカが映し出されていた。試験結果を認めようとせず、職員達の言葉にも耳を貸さず、プラグ内で絶叫し、半狂乱に陥るアスカが。
その様子は明らかに常軌を逸していた。そして映像は汚染区域に突入した場面へ―…
『いや…置いていかないで…シンジ…シンジィィィィ…!!!!!!』
その形相はあの快活だった少女のものとは思えず…冬月は映像を消した。碇も文句は言わなかった。
続けて2人はアスカの全データを前に話をし始めた。第14使徒襲来以前の数字と、それ以降の急落。加えてここ一週間での過去に例がない程の急上昇と、それらを全て打ち消す程の急落。
更には彼女の生い立ちについても含めて考えを及ばせる。
EVAに対する依存が高すぎる帰来があることは以前から言われていたが、こうまでとは…」
「私生活をプラグの中にまで持ち込みすぎる。良い傾向ではない」
2人は客観的に話し合っているつもりだったが、シンジの話もリツコの話も当事者の言葉だ。第三者から話を聞く必要があった。
秘書にその人物を呼ばせると、冬月が眉をひそめる。
「…適当だろうか?」
「職員達よりは近くで2人を見ていたはずだ。嘘や誇張、自己弁護を交えた報告の心配もない。被害を受けている可能性もある」
「……」
信用が置けるということでは誰よりもそうだろう。確かに一つの理屈ではあったが、あえてこの話題を問うのがその人物であることに冬月は何やら歪んだ意図を感じた。
ややあって…。
「…失礼します」「入れ」
若干、俯きがちにレイが扉を開けた。

733: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/27(日) 04:47:58 ID:???
『―冬月…終わった』
「…あぁ」
別室へと連絡が入り、冬月は腰を浮かせた。
司令室へと戻る途中、レイとすれ違う。憔悴した様子でブラウスの襟を直し、わずかに頭を下げて足早に通り過ぎるのを憂鬱な思いで見送る。
『レイには…辛い時間になったな』
部屋を出たことを後ろめたく思ったが…あの場にいるわけにもいかず。
「赤木博士が2ndに対し極めて悪質な態度を取っていたらしい。それを聞き及んだり、直接目撃したことはあるか?」
「―!」
質問内容に反して碇の口調は責めるようなものではなかったが、レイの返答は終始苦渋に満ちていた。答えの多くは曖昧で、また沈黙も多い。概ね、シンジとアスカが2人のときのことを問われるとそうだった。
正直に答えなければ、という葛藤の中でのその反応はある意味正直で、言わずとも冬月はレイとシンジの間にあったことについて漠然と察した。そしてまた碇を嫌いになった。
やがて少しずつ話の焦点がずれ始め、冬月は席を外した。気を利かせてではなく…呆れて。
2人きりで何を話したかは知らない。しかし結局のところ、レイを呼んだのは極めて個人的な意地に他ならず、単にシンジとアスカの関係を示し、そして―…。
碇はシンジにはレイとのことを一言として尋ねなかった。彼の口から一言としてレイの名が出なかったからだろう、と冬月は思う。
2人は…というか碇は時にシンジと、子供のように意地を張り合う。碇としては相手の眼中にない女の話を持ち出し、一方的に対抗意識を持っていることをさらすわけにはいかない。しかし実際には気にしており―…
「息子と女の取り合いとは…」
そこに加わるわけにもいかない己もまた嫌悪の対象ではあった。

「…具体的な話に移る」
司令室に戻ると前置きなく碇が切り出す。冬月も頭を切り替える。
「…碇。そろそろ打算に入った方がいい。ろくに使えないパイロットに配慮するよりは―…」
「分かっている。だが誰にも文句を出させない形で決着させる。何より当人から文句が出ないように」
「…彼についてはいいのか?」
「あれからはどういう形であろうと文句が出る。当人が納得できればそれでいい」
それはアスカの心の逃げ場を無くすことでもあるのだが。碇は秘書へと連絡を入れた。
「赤木博士を呼べ。2ndを弐号機に乗せる」

758: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/27(日) 17:42:14 ID:???
病室でアスカは延々と呟き続ける。
「まだ…まだよ…。模擬体なんかじゃ本当の数字は…。
ねぇ…そうでしょ…そう思うでしょ…?」
「…うん。そうだと思うよ」
僕は頷く他になかった。
「ほら…分かんないのよ…EVAに乗らない奴にはその辺のことが…。弐号機なら…弐号機でなら…きっと…」
決して顔を上げようとはせずに。そうだ…そう言い続けるしかない。実際にEVAに乗れば違うのだ、と。
ただ、現実には実験プラグでもEVAの中でも、数字にほとんど差はない。いや…もっと顕著な、残酷な数字が出ると思う。それが分からないはずない。
にもかかわらずこう言い続けるのは…もう全部終わったからだ。ワガママは通り過ぎるくらいに通った。
試験時間を延ばしてもらった上に泣いて喚いて再試験。更に泣きの1回。しかもその後に模擬体まで用意させ、挙句に勝手にプラグ深度を下げ…これ以上がある訳ない。
それでもなお、叫び続けるのは『自分は最後まで抵抗した』という自己満足、言い訳作り。“きっと”なんて言い出したら終わりだ。
どうしよう…最悪だ。父さん達には“公平な判断”までしか望めない。“数値以前の資質”を一番、問題視していたのにこれでは…。
僕の行動は裏目だったのか?でも僕が行かなければ試験結果なんかろくに見ずに送還は決定されてた。
今日まで父さんに会うのを躊躇したのが一番の問題だ。もっと早くに動いていれば…。『たられば』を言い始めたらこの話にキリはないけど。
「…とにかくもう一度、再試験を頼んでくるよ」
『駄目元で』と続けるのを堪えて立ち上がろうとするけれど…アスカが袖を離そうとしない。
「…無理よ。あれだけ頼んで駄目だったんだから…それより…」
それより僕と一緒にいたいらしい。あれだけ直接の搭乗に拘ってたのに矛盾してる。分かってる。万が一にも要求が通ろうものなら“言い訳”を失う。だけど…。
“プシュ…”
「邪魔するわよ」「―!?」
唐突に…ノックも無しにドアが開いた。
「…リツコさ…」「準備をしなさい」
無遠慮にリツコさんは部屋に踏み込むと、無表情に新品のプラグスーツをアスカへ放ってよこした。
「え…」
「貴方の要求が通ったの。
臨時の機体連動試験を行うわ。碇司令の立会いの下で」
確かに望み続けたことだ。だけど決して実現しては困る要求が今…通った。

784: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/27(日) 21:14:00 ID:???
「何でも喚いてみるものね。弐号機に乗れるわよ。良かったわね。試験後すぐに結論が出されるらしいわ。貴方の処遇と…私の処分が」
「すぐ…!?」
これだけのことを告げるのに技術部長がよこされる理由がない。リツコさんの厳しい状況も伺える。だけどそんなことは二の次だ。
「だってアスカはついさっき…明日とか…せめてもう少し時間を置いてとか…!」
「試験開始は1900。それ以降は行わないから」
駄目だ。取り付く島もない。それに…もうこの人に言っても仕方がない。決めたのは多分…。
「これは強制じゃないわ。体調を理由に拒否するのも自由よ。どうするの?」
「どうするって…」
…断る理由は何もない。これ以上抵抗のしようもないところに思いがけずやってきたチャンス、それもこちらの要求通りの形なんだから。
だけどアスカの顔には喜びはなかった。それどころかむしろ…。
「何にせよアピールする最後の機会よ。乗る気になれたらいらっしゃい。来なくても誰も責めないし」
投げやりにリツコさんはそれだけ言ってさっさと部屋を出て行った。
「…アスカ…」
かける言葉がない。行けば最後の言い訳がもぎ取られる。
拠り所を…この後の人生で『あのときEVAに乗れていれば…』と呟き、呪い、NERVを悪者に、自分を被害者に生きていく権利を奪われてしまう。
『たられば』と口にすることさえ出来なくなる。だけど…行くなとも言えない。
チャンスを与えたつもりなのか?それとも…。
「…最後に思い出を作れって…粋な計らいのつもりかしらね」
…自嘲にもなってない。
「…駄目だ、アスカ。そういう風に捉えちゃ…チャンスだって思わなきゃ…」
「うん…分かってる。分かってるわ。
乗るわ。乗ってくる。司令に見てもらうのが一番手っ取り早いわよね。最後の最後にようやく…望むところって感じだわ」
その声の震えが武者震いであることを祈るけど…多分違う。
「見てなさい。私の本当の実力を示して…そして…」
「…うん」
それに続く言葉は飽きるぐらい聞いた。
アスカは僕の手を強く握った。僕もアスカの手を強く握った。この手が離れないことを強く強く願った。
アスカの着替えを待ち、僕らはケイジへ向かった。そこに至るまでの一歩一歩の意味を噛み締めながら。

789: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/27(日) 21:36:11 ID:???
19時前。ケイジに人が集まり始めた。皆、昨日とは違う厳しい表情で。冬月は渋い顔をしたが、碇は珍しくそれらを容認した。
と、秘書が碇に送られてきたばかりの報告を渡す。途端に二人の表情は険しいものになった。
「碇…」
「…予測されていた範囲のことだ」
送還云々に直接、関する話ではなかった。ただ…シンジの怒りに油を注ぐことになるのは明らかだった。
碇は不愉快そうにリツコの方を見る。観測所の端でリツコは悲壮な表情で宙を見つめていた。今のリツコにはアスカの処遇よりも自分のことで精一杯だった。
モニターの中、マヤが、青葉が、多くの職員がアスカに声をかける。どれほどの効き目も期待できない励まし。だが彼らに出来ることはそのくらいしかなかった。アスカは上の空でそれらに応じていた。手はずっとシンジの手を握りながら。
レイは遠巻きにアスカを見つめていた。が、たまたま二人の目が合う。二人はしばし視線を交し合っていたが、やがてアスカの方から目を逸らした。何かしら通い合うものがあったようだが、それは当人達にしか分からない。
声をかけるべき一番の人物であるシンジは何も言おうともしない。アスカもまた何も話しかけない。
プラグが閉められる段になり、シンジは一言だけ声をかけた。アスカも一言だけ応じ、2人は手を離した。
そして19時―。エントリープラグが勢いよく挿入される。
「―これより機体連動試験を開始する」
碇の声と共に試験が開始され、計器が数値を測定し始めた。

“RRRRR…”
「……」
アパートにいた日向の携帯にメールが着信する。わずかに躊躇してから日向はメールを開いた。
メールに記されていたのはたった一行だけ。だが、それで充分だった。携帯は壁に思い切り投げつけられ、真っ二つにへし折れた。
「…くそったれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
日向は隣人の迷惑も顧みず、声にならない叫びをあげた。

西暦2015年11月27日。日本時間で20時14分。
彼女のために力を尽くした全ての人間の思いを無視し、エヴァンゲリオン弐号機専属操縦者で『セカンドチルドレン』たる惣流・アスカ・ラングレーの登録抹消とドイツへの送還が決定した。


126: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/29(火) 01:48:14 ID:???
『望んだのは…こういうことじゃ…』
確かに身体は昇り詰めたが…満たされない。
息を整えると汗の滲んだシーツを手繰り寄せ、気だるさの残る身体を起こす。先ほどまで身体を重ねていた男はソファーに座っていた。ベッドからは背中しか見えない。
リツコが達すると碇はさっさと体を離した。自分はまだだというのに。義務は果たしたといわんばかりに。
碇はじっと窓の外、第三新東京の暗い夜景を眺めている。一等地と言って差し支えない場所に聳え立つ高級マンションの最上階に、リツコの自宅はある。2人の逢瀬は概ねここで行われていた。
NERVの給料もそれなりのものだったが、充実しきった各種セキュリティなどを含めるとそれだけではまかなえない。在学中に取得したバイオ系のいくつかの特許による副収入が当てられていた。
少し前までは家賃に見合った夜景が望めたものだったが…使徒進攻に伴い、景色は決して高い金を払うに値するものではなくなりつつあった。
それでも碇はこの風景を眺めるのが好きだという。だからリツコは引っ越すことが出来ずにいる。それはさておき―…。
「…それ以上飲まれては…」
「……」
碇は無言でグラスをあおる。ペースは随分と早い。瓶を無造作に傾け、グラスを満たすと即座に飲み干す。それの繰り返し。そういう風に味わう酒でもなく、またそういう飲み方が許される値段でもない。
機嫌は良くない。当然だ。
「お気に召したのならば…」
リツコはそう呟くが―…入手に費やしたそれなりの苦労を考えると、不本意には違いなかった。
碇のために用意したのだ。飲まれることに文句はない。ただ…それでも二人で飲みたかった。二人で飲むことに意味があった。
しかしテーブルのもう一つのグラスにはワインは注がれてはいない。
注ぐかどうか尋ねも、ろくに味わうこともせずに碇は金を積んだだけでは手に入らないその希少な酒を消費し続ける。
いつもならば逢瀬は至福のときとなる。交わされる愛の言葉や行為が全て上っ面のものに過ぎなくとも、それはやはりリツコを支えるほとんど全てのものだった。
だが…それなのに。
御の字だ。ここにいてくれるだけで…これからも関係が続くだけで御の字なのだ。しかしそれでも人は多くを求めてしまう。
思い出したいわけではないが、リツコの脳裏にケイジでのやり取りが浮かび上がってきた。

177: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/29(火) 12:26:38 ID:???
シンクロ率が二桁を切った状態で始まった連動試験は、開始と同時に少しずつ数値を落とし、ゼロとなった時点で碇が試験時間をかなり残しての終了を命じた。
【まだ…まだ…出来ます…】
「そうだよ…まだ時間はあるじゃないか…!」
「…試験終了」
プラグ内のアスカが俯いたまま訴え、ケイジでシンジも必死にすがったが、マヤが静かに試験終了の指示を出す。
「マヤさん!?」
「…EVAとシンクロできない人間がプラグ内に長時間に続けることは危険なの。弐号機は…アスカをもう“異物”としてしか認識していないから…」
「異物…」
その…あまりに残酷な弐号機の反応にシンジは絶句する。
マヤは努めてドライに事実だけを告げようとするが、その声に滲む震えは隠しようがない。小気味良い音と共にエントリープラグがEVAから排出されると同時にマヤはケイジへと駆け出した。
最後に辛い役回りを押し付けることになった後輩に頭では申し訳なく思いながらも、リツコは自分のことで一杯だった。。


数時間前のように駄々をこねることはなかった。だが、シートごとケイジへと移されてもなお、アスカはインダクションレバーを固く握り、放そうとはしない。
「アスカ…」
職員達が声のかけようもなくただ見つめる中、マヤがアスカへと駆け寄る。アスカは弱弱しくかぶりを振った。
「まだ…まだ私は…」「…アスカ…!」
もはや堪えきれずマヤは涙を零し、アスカを抱き締めた。アスカも…静かにレバーから手を離し、マヤへとしがみついて泣き始めた。
そうしてアスカの最後のシンクロは終了した。


「何でだよ!こんなのおかしいじゃないか!」「おちつけ…!取りあえず、落ち着けシンジ君!」
シンジはアスカのところではなく碇の下へと走っていた。
事務的に処分を伝え、さっさと発令所から去ろうとする碇につかみかかろうとするシンジを青葉が止める。
「何でだよ!何でリツコさんにはお咎めがないんだよ!」
「…何の文句も言わないという話ではなかったか?」
碇が面倒そうに喚き散らすシンジの方へと向き直った。

195: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/29(火) 20:57:29 ID:???
ドアを開けている職員を手で制し、父親は激昂する息子と向かい合う。この反応は承知の上…そういう態度だった。
こういう決断を下した以上、説明する義務があるのは当然だったが、自分さえ分かっていれば構わないという態度を取る事の多いワンマンな碇からすると、この対応はある程度の誠意があった。
大柄な碇に青葉は気圧されたが、目を合わせている当のシンジは全くひるむ様子はなかった。そこに弱気な普段の姿はない。完全に怒りで我を失っていた。
処分に驚いたのはシンジだけではない。発令所の誰もが、当のリツコでさえ碇の意図を理解できずに唖然としていた。レイだけが険しい表情で目を逸らしていたが。
「アスカを切るんならリツコさんだって処分するのが―…」
「処分は下した。明日にも委員会から赤木博士と彼女に全権を委任した私の監督不行き届きに対し、戒告、及び減棒四分の一を24ヶ月が―…」
「お金の話じゃないだろ!?」
社会人にとって収入の25%が減るというのはシンジが思う以上の一大事だったが、碇の対処もまた的外れには違いない。
金や説教で済む話ではなかった。
「こんな人に何で技術部長を続けさせるんだよ!クビにして―」
「他に適任者がいない」
「いないって…代わりがいないからってだけで加害者は元のままで…被害者は去るなんて…。
そんなバカな話…!!大体この人のどこか適任…!」
「…一つ誤解しているようだが…」
冬月が間に静かに割って入り、客観的な事実を挟んだ。
「赤木博士の才能は君が思っているよりも遥かに稀有だ。世界中を探してもEVAとMAGIシステムの全てを任せるに足る人物というのは…彼女しかいないのだよ」
「弐号機を任せられるのだってアスカしかいないでしょ!?何でどっちかを取るみたいな…アスカとリツコさんとどっちが大切なんだよ!!」
「赤木博士だ」
「…は?」
問い掛けということでもなかったのだろうが、碇は即答した。あまりに意外すぎる、そして悪びれる様子もない堂々とした返答にシンジは呆気に取られた。
リツコの表情に…複雑な表情が浮かぶ。
「どちらがより大切かなどという話は一度もしていないが、どちらかを選べと言うのなら赤木博士を選ぶ。
安定していた以前の2ndならばともかく、動くか動かないか博打同然の適格者よりは遥かに価値がある」
シンジは言葉を失った。

197: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/29(火) 21:14:49 ID:???
「責任を追及したところで以前の2ndは戻らん。吊るし上げるためだけに唯一無二の人材を失うのは無駄でしかない。その余裕は今はない」
「…そんな…不安定とはいえ…たった3人しかいないパイロットじゃないか…。それを…」
「代わりがいるなら違う対処もあった。だが―…」
口調に不愉快さが滲む。冬月がそのあまりに正直な言葉にため息をつく。頬を緩めかけていたリツコはそれを聞いて勘違いを悟った。
元々、玉虫色の決着にするつもりはなかった。これだけの騒ぎになった以上、誰かに何らかの形で責任を取らせる。それは当初からの意識だった。
シンジの訴えを軽んじるつもりはなかったが、公平に検討した結果、数値も出せず、この期に及んで勝手な行動を取るアスカの残留は早々に消えた。
数少ない適格者を切ることは苦渋の決断だったが…代替手段は実はある。次にリツコの処分だったが―。
「碇。どうせ下すのならば、その決断にいくらかでも価値を持たせた方がいい」
冬月の言う“打算”とは…雑な言い方をするならば『我慢して使え』ということだ。
単に技術だけを見れば、多少見劣りするにせよ代わりはいる。だが計画を理解し、思い通りに動く人間となると…。
彼女の母親の場合は娘という代替手段があったが今はない。今、リツコを失うと取り返しがつかない。
思惑通りにアスカを切って見せ、当人に対しては現状維持。『選ばれた』という事実で不安定なリツコを再び“縛る”。
その提案に碇は同意したが…ポーズを取ればいいものを、露骨に本心を表したことで効果が半減したのは間違いない。
だがシンジはそういった事情は知らない。
「自分達の価値は何にも勝るとでも思っていたか」「―!」
二の句が告げないでいるシンジに追い討ちをかける。
「…何にせよそれぞれの処分は別の話だ。
明日、正式な形で処分を発表する。送還は一週間後を予定している。それまでに―…」
「…初めからそのつもりだったんだろ」「…何?」
「最初から残すつもりなんかなくて…再検討なんて口だけで!」
もうそれはただの言いがかりだった。
「…結果が出た以上、どう言葉を並べても納得しないだろう。どうとでも思え」
論ずることを放棄し、碇はシンジに背を向けたが―…。
「綾波のことの報復のつもりかよ!?」
シンジの叫びにケイジは一気に静まり返った。

366: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/30(水) 19:03:26 ID:???
「…レイがどうかしたのか」
碇が再びシンジへ向き直る。レイは凍りついていた。いや、リツコも…他の職員達もそうだ。冬月だけが一人、“始まってしまった”この場をどう収めるかを思案していた。
禁句だった。誰もが何かしら感じながらもずっと踏み込めないでいた部分だ。息子だからこそ踏み込めた。
だが言った本人も後悔していた。開き直られ、どうしようもなくなり、何か泣き所をと探した結果、とっさに口から出てきたのが『綾波のこと』だった。
しかしそれは部外者が耳にしていい話ではなかった。しなければならない話ではあったが、ここですべきことではなかった。焦りで口が滑った。
迂闊で、唐突で、前後の会話との脈絡もない。だがもう後には引けない。シンジはこのまま押し切ることを決めた。
「どうした?答えられないのか?お前はレイに何かをしたのか?私に報復をされるような“何か”を」
「……」
「…悪いが席を外してもらえるか」
碇がシンジを責め立てる中、冬月がポツリと呟く。
職員達が我に帰り、そそくさと立ち去ろうとする。副司令は離れたところにいる職員にも目を向けた。どうやら全員に向けた言葉らしい。
随分と大きな人払いだった。作業中の職員達が他でやれよ、と迷惑そうな顔をしたが、場の雰囲気に飲まれ、作業を中断して出て行く。冬月がすまんなと、一言詫びを入れた。
「えと…自分は…」
青葉がどうしたものかと狼狽するが冬月が構わんというようにあごで出入り口を指した。
わずかに躊躇した後、シンジを放す。すぐに飛びかかるような素振りはなかった。わずかにその場に佇み『…落ち着けよ?手を出したら負けだぞ』と囁き、青葉は仕方なく発令所を出た。
周囲を一通り見渡し、所内の音声の記録を停止してから冬月はリツコに『我々も席を外そう』と促した。
「…私は…」
恐らくのっぴきならない会話が交わされる。聞いておきたかった。だが冬月の口ぶりは静かだが異論を許さないもので…リツコは観念した。
冬月はレイには何も言わずにリツコに続く。後ろでシンジが口を開きかけたところで扉は閉まった。
「…次はないぞ」
「…承知しています」
冬月の呟きに小さく答える。首の皮一枚で繋がった命運ではあるが、この後には間違いなく相当の艱難辛苦が待ち受けている。
それを思うとリツコを天井が下がってくるような強迫観念が襲った。

371: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/30(水) 22:56:11 ID:???
「―結局、修復は不可能か…」
「中枢が完全に破壊されていますので…。幸いコアの引き上げには成功しましたが…」
「一からの建造か…第一支部を見逃しておいて正解だったな。
…何もかも足りん。『乗る物』も『乗る者』も」
不満げに碇はグラスに酒を注ぐ。ビンはもはや空になりつつある。一方で料理には手付かずだ。自信作の帆立ときのこのリゾット・レモン風味は完全に冷めてしまった。
『せっかくの夜なのに…』
さっきからこんな話ばかりだ。仕事が第一の碇ではあったが、流石に普段はこうではない。この時間はいわば利用している女へのアメ、ニンジン、餌付け…そういう時間だからだ。酔わせなければ意味がない。
リツコもそのぐらいは承知している。それでもその中に何かしら通い合うものがあると信じていた。いや、信じたかったのだが。
発令所から本部の部屋に戻ったリツコは、秘書からの連絡を受けて一足早く帰宅し、大急ぎでもてなしの準備をし…。
そして碇が来た。とてつもなく不機嫌な様子で。そして今に至る。
何があったかは知らない。聞けるような空気ではない。ただ…
「ダミーについてはどの程度の信頼が置ける?先のような事態になるようなことはないのか?」
碇は先ほどからしきりにEVAやダミーに関した話題を口にする。どこか苛立たしげに。
パイロットが一人失われたのだ。それも溝に捨てるような無駄な失い方なのだから苛立って当然ではある。
だが少々予定が狂ったとはいえ、深刻な問題ではないことは承知のはずだ。
当初から…それこそ失踪の前からこのくらいの事態は想定されていた。そのための備えもある。だからこそリツコはあれだけの暴挙に出ることが出来たのだから。
直に連絡が来る。明日には皆の不安も消えるだろう。にもかかわらず―…。
「問題があるのならば早急に改善しろ。自分の不始末の責任くらいは取って見せろ」
「…はい」
碇は苛立っている。焦りと言ってもいいかもしれない。
リツコは酒の追加を取りに台所へ立った。結局、ワインの味は分からずじまいに終わりそうだった。


「…ごめん」
…もう何度聞いたかわからない。
「…謝らないで」
この台詞も何度言ったか。それでも―。
「…ごめんよ。アスカ…」
焼け焦げた“家”の中。顔を膝に埋めたまま、しつこくシンジは同じ台詞を繰り返した。

439: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 00:58:21 ID:???
「…まぁいいわ。片づけを手伝おうともしないことは100歩譲って良しとするわよ。でもね」
ゴミ袋を手に苛立ちを抑えて語る。
「部屋のど真ん中に座り込んで動かないってのは邪魔以外の何物でもないわけ。分かる?」
するとシンジは座ったままでテレビの残骸の辺りへ、のそのそ移動した。そういうこと言ってんじゃない。
嫌味のつもりで移動した辺りのゴミや燃えくずを拾う。そしたらまた、もぞもぞと横へどく。
「…あ~も~…!」
いい加減うっとうしくなってきて蹴たぐる。怪我してない部分を慎重に。シンジはごろんと転がるけど、緩慢な動作で起き上がり、やっぱり同じ姿勢で座り込む。起き上がりコボシ?
実験後に会ったシンジは相当に参っていた。私も参ってたけどそれ以上に。しばらく2人で呆然としてたけど、私は何とか自分を奮い立たせてた。
…残り少ない時間を無駄に使いたくない。やり残したことは山ほどあるし。
「…ごめん、アスカ。僕は…」「だからアンタのせいじゃないってば」
「…何の役にも立てなかった」「…いい加減怒るわよ」
声に本気の険が混じり出したことに気付いたのかシンジは黙った。
「…どうしてそんなに元気でいられるの」「…元気なわけじゃない」
昨夜から心の支度が出来ていただけだ。負けるべくして負けたのかもしれない。けど、そのせいか空元気ででも動いていられる。だけどシンジは心の準備が全く出来ていなかったらしく…。
「僕は動く気力もない」「私もそうよ。でもしゃがみ込んだまま残りの時間を過ごすのはあまりにバカらしいじゃない」
「…凄いな。そんな風に切り替えられるなんて」「…またバカにしてる?」
「本気で言ってるんだよ。僕には出来ない。僕は嫌なことがあったらずっと引きずるから…」
シンジがようやく顔を上げた。本気で感心したような口ぶりなのがおかしい。
「その代わりアンタはEVAに乗ったら完全に切り替えれるじゃない。普段どんだけ引きずったってかまやしないのよ。エントリープラグにさえ引っ張り込まなきゃね。
私はそれが出来なかった。だからアンタの方が凄い。今の私は…ただ、無理してるだけ」
「……」
思いを込めると泣いちゃうから淡々と言う。シンジは話をじっと聞いていた。そして―…
「…手伝うよ」「ん…」
手を差し出してきたのでゴミ袋を渡す。やり残した事の第一は…家の掃除だ。

463: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 01:41:19 ID:???
「…アスカ。その袋は使えないよ」
「…何でよ?60㍑入りの優れものよ?」
「うちの区域ではこの半透明のでないと持って行ってもらえないんだよ」
「…はぁ?ゴミ袋はゴミ袋でしょ?何でそんなことまで指図されんのよ」
「…なんか危ない物が入ったらいけないとかそんな話じゃなかったかな」
「さっきわざわざコンビニで買ってきたのよ?それが使えないなんてバカな話…」
「本部の近くで買うからだろ。この辺で買ってたらちゃんと区域指定のを置いてるよ」
「…うるさい。とにかくこれで出す…!」
「だから持ってってもらえないんだって…!勝手なことするなよ…!マナー違反だろ!」
「じゃあどうするのよ、この袋!お徳用100枚入り買ってきちゃったじゃない!」
「知らないよそんなの!いくらなんでも6000㍑分のゴミなんて出るわけないじゃないか!」
「おかしいじゃない、そんな理屈!一つの業者の物しか使っちゃいけないなんて企業と国との癒着に他ならないわ!利権を独占しようという一部企業と政治家の思惑が見え隠れするわね!」
「別に誰も大して儲けてないと思うけど…何にしたってアスカが悪いよ!いっつも僕に任せてたからそんなことすら知らないんだろ!一度でもゴミ出ししたことあったのかよ!」
「何をゴミ出しぐらいでえらそうに…!
…待ちなさいよ。あんた…まさかその袋に入れて私のゴミも出してたの?」
「…そりゃそうだよ」
“ばっちーん!!!”
「あいたぁぁ!!」
「な、何してくれてんのよアンタは!ぷ、プライバシーってものを考えなさいよ!丸見えじゃない!あんなものやらこんなものまで!」
「スーパーの袋に入れて小分けしてたから見えやしないよ!大体、そんな気にするようなら僕に任せずに自分で処理すれば良かったんだ!大したゴミだってなかったじゃないか!」
「漁ったの!?漁ってたの!?私のゴミを!」
「漁ってない!」
「だったら何でそんなこと知ってんのよ!」
「ゴミが溜まってないか尋ねたらゴミ箱ごと渡すからだよ!袋に移すときにどうしたって見えるんだよ!アスカは何回言ってもゴミ箱に袋かぶせてくれなかったからね!」
「ダサいのよ!部屋の景観を損ねるの!」
「箱が汚れるから言ってるんだ!移すときにもこぼれるし!」
「問題はそんなことじゃ―!」
不毛な怒鳴り合いはしばらく続いた。

482: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 05:19:15 ID:???
「…ゴミ捨ても、食事の支度も、トイレ掃除も…何でいっつも僕の仕事なんだよ…何のための当番制なんだ…」
ぶつぶつと不平を漏らしながらもシンジはゴミを拾っては袋に…指定ではないゴミ袋に入れる。後で入れ替えるつもりではいたが。結局、片づけもシンジだけの仕事となった。
顔は手形や引っかき傷でボロボロだった。ちょっとばかりやりすぎの感は否めず…久しぶりのことで加減が効かなかったらしい。
加害者は被害者を哀れむでもなく、潰れかけたテーブルに腰を下ろし、コンビニで買ったおにぎりをかじっている。当たり前のようにシンジの分にも手をつけて。
「アンタそう言うけどね。こっちがやろうと思ったときには勝手にやられてんだもの。迷惑だけどそんなにしたいならって気を使ってたっていうのに、そういう筋違いな恨み持たれたんじゃたまったもんじゃないわね」
「へー!?僕が勝手にしてたんだ!迷惑だったんだ!?」
あまりに身勝手な理屈に、一度は暴力に屈したシンジも再び闘志を取り戻す。
「私がやってくれって頼んだりした?」
「8時半だからゴミを出してって言ったらなんて言った!?
『うぅん…眠いから出しといて…』…完全に放り投げてるじゃないか!僕が行かなきゃゴミは溜まってく一方…って何で僕の鶏塩マヨネーズ食べてるんだよ!?」
「賞味期限が後、数時間だったから気を利かせたの。
いつまでもそういう細かいことばっか根に持ってるから、そうして根暗になっていくのね」
「細かい!?細かいって言うなら自分で…」
さらに反論しようとしたシンジだったがアスカが拳骨を振り上げたので、結局また、口を閉ざした。痛いのは嫌いだった。
アスカが指についた海苔の欠片を丁寧に舐め取るのを、シンジは恨めしそうに、羨ましそうに見つめた。
「大体ねぇ、私ばっか責めるのはお門違いなのよ。義務を果たしてないのが私だけみたいに言わないで」
「人は人、アスカはアスカ。他の人を非難したって自分を正当化することは出来ないよ」
2人とも“もう一人”のことが話題に上り、流石に緊張した。アスカは自分の迂闊さを悔いた。
ただ自然と湧いて出たことだったので、シンジはさらりと流すことが出来た。まるでたまたまこの場にいない人間のことかの如く。
「……」
「……」
上手く流せたつもりだったが…流石に会話がしばし止まった。

483: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 05:21:47 ID:???
「…あの人もゴミ捨てには行かなかった」「そう…」
シンジがポツリと口を開いた。
「僕が来るまではそこら中にゴミ袋が置かれてた。アスカと同じで指定も何も関係ない、黒い奴でさ。
分別も何もなく、生ゴミも空き缶も一緒くたに、とにかくぶち込んでたよ。やっぱりアスカと同じようにね」
「へー、そー、ふーん、そー」
ちくりと皮肉を交えてもアスカはそ知らぬ顔をしている。
「家事にしても最初はそれなりにまともに分担してたけど…アスカが来るまでにはほとんど全部が僕の仕事になってたよ」
「じゃあ私はその流れに乗っただけじゃん」
「…そうだね」
アスカが茶化すつもりで言った言葉に、シンジはおかしそうに笑った。跳ね返されることを期待していただけに、アスカはその反応に少し戸惑った。
「…今は楽でしょ。朝も、晩も。何もしなくても食事は出るし、洗濯もクリーニング任せ。
まぁ結局、掃除、ゴミ出しからは逃れられないけどさ。一人分だったらきついってこともないだろし」
「…暇なだけだよ。朝も…夜も…何したらいいかわからない」
自分達の世話から解放されてさぞや嬉しいだろうと言葉を向けてみたが…シンジの表情には喜びは全く見て取れない。どこかつまらなそうにさえ見える。
「…勉強でもしてなさいよ」
「宿題があったり、誰かにやれと言われたりしないで机に向かうような、そんな真面目な人間じゃないよ。
…前はこういうとき何してたかな、ってよく思い出そうとする。だけど…何も出てこないんだ。
よく考えたら家事でクタクタになって…すぐ寝てたんだな。ホント…辛い日々だったよ」
そう言いながらもシンジは笑っている。きつい思いをした原因の片割れのアスカもまた笑う。
「確かに楽だよ、今は。ホント楽だね。前に『あー、誰かやってくれないかなー』って思ってた作業はほとんど誰かがやってくれるようになった。
…ただ…あんまり充実感はないな」
シンジは話し出したときと同じく、ポツリと締めくくった。
ほんの二月ほど前まで、ここに当たり前のようにあった光景だというのに…その記憶は既に遥か昔のことのような匂いを漂わせ始めていた。

518: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 20:13:06 ID:???
リビングは概ね終了。何だかんだでアスカも手伝ってくれて。
「…次は?」
アスカが額の汗を拭いながら尋ねる。
「…僕はミサトさんの部屋をやるよ。ここの拭き掃除頼んでいいかな?まだ水は来てるから」
あそこは触らない方がいい物もいっぱいある。多分、僕がした方がいい。
「それは誰も住んでないのに光熱費が引き落とされてるってことじゃないの?」
「もったいない話だね」
アスカは雑巾を取りに洗面所に向かった。水仕事は僕がするつもりだったけど…しゃがんで力を込めると痛むから。
終わったって言っても目立つゴミを拾って、手では拾いきれない燃え屑やススを掃き取るくらいのことしかしてない。それでもアスカ持参の60㍑袋は5枚が満タンになった。
電気がもう通ってないのか掃除機も動かず、灯りもミサトさんの部屋に焼けないで残ってたキャンプ用ランタン頼み。それでもまぁ、屋外を照らし出す物だから割と明るい。
「それにしても…」
僕はどこから手を付けたらいいか途方にくれた。大型のゴミだらけ。机には日向さんが叩き込んだ銃弾の跡が残ってる。ハードディスクはない。襲撃者だ。
机周りはそれなりに片付いてるけど、その実態は襖や引き出しを開けたところにこそある。無造作に色々突っ込んではいるけど、多分当人以外にはガラクタにしか見えないもの一つ一つにも思い出がある。
使ったものを何一つ捨てずに残してるような。押入れでそのまま生活してるような。思い出の中で寝起きしてるなんて言ったら美辞麗句が過ぎるかな?
ほとんどは当人にとっても、もうガラクタだと思うけど、その持ち主ももういない。
この人の人生は一体どんなだったんだろう。僕と同い年でセカンドインパクトがあって…思い出作りをする時間なんて、そうなかっただろうによくこれだけ…。
なくしたものを取り戻すために必死で遊んだのかな。そしてその中で必死で勉強して…NERVに入って…。
知りたいことは一杯ある。けど加持さんはもういないし、リツコさんとは、もう仕事以外の話をすることは金輪際ない。あの人のことを聞ける相手はもういない。
あの人と話すべきことはたくさんあった。それが出来る時間もたくさん。でも…。
せめて事前に“終わる”っていう予告が欲しかった。そんなに世の中は便利にはできてないけど。
僕は容赦なく過ぎてった時間を呪うけど…今回は一応予告はされてる。

537: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 21:20:11 ID:???
シンジから離れて、懐に忍ばせてたタバコを取り出すけど…どうしても吸えない。ここでは。“家”では。
吸い出した頃もそう。あの頃はただ、無理してただけだけど…『普段からタバコを吸ってる』っていう状況を楽しむために何度か吸おうとした。
だけど出来なかった。家の連中にばれるのが怖くて。特にミサトにばれることにびびってた。怒られる事と失望させる事の両方に。学校でちょっと悪めの子も隙を見せたときにそんな感じのことを言ってた。
あのときばれてた方が楽だったかもしれない。結局、ミサトには失望どころか…絶望させることになった。
今ここで吸ったって誰にもばれないだろう。だけど駄目だ。ここでは。もういないのは分かってるのに…ミサトに見られてるような気がして怖い。
ここにいた頃の私はそんなことはしない。そんな子じゃない。
ここは聖地。焼け焦げ、踏み荒らされた、もう住むことの出来ないところだけど、多分、この先私の原風景になりうる場所。ここだけはタバコの灰では汚せない。
私はタバコを懐にねじ込んでリビングに戻り、端の焦げたカーペットを引っぺがしにかかった。
聖地に一つだけケチをつけさせてもらうと…このカーペットの色だけは変えて欲しかった。何度もミサトには言ったはずなんだけどな。


「…あんた、ちゃんと仕事してた?」
一番、こっぴどく荒らされたところに入ってったくせに、シンジの持って出てきた袋には大した量のゴミは詰まっていなかった。
「してたよ…でも変なものとか、ありえないようなものも転がってる割に…」「でも何よ?」
「いや…大きいのも…」「……」
訳の分からない台詞を口ごもるけど…要するにミサトのものは捨てるのに躊躇するらしい。流石にきついことも言えない。私でも絶対そうだ。
「…ったくこっちがスカートで奮闘してるっていうのに」「ごめん…」
謝ることでもないけど。多分、ミサトの物を片付けてて色々と思い出すこともあったんだろう。またブルー入ってる。
「別に掃除はどうしても今夜中にってことでもないからいいけどね。あと一週間の間に済ませればいいんだし」
「一週間で…どうするつもりなの?」
「発つ鳥後を何とやら…元通りにならないことは分かってるけど…出来るとこまではね」
生半可な濁りではない住処を私は見渡した。

539: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/03/31(木) 21:22:48 ID:???
「…一週間か。長いとみるか、短いとみるか…」
アスカが伸びをしながら立ち上がる。僕は眉をしかめた。
「…短いだろ」
「そう捉えるよりは『一週間もある』って思った方がお得感は増すわよ。気の持ちようで変るんならこんな安上がりなことはないでしょ」
「……」
やっぱりそこまで割り切ることは出来ない。僕は唇を噛み締めた。
アスカだって本気でそう思えているわけじゃないだろう。でも…残りの時間を有意義なものにするには、自分に言い聞かせる意味でも今のような言葉は必要なんだと思う。
「悪いけどさ。この一週間…」
「どこでも付き合うよ。試験なんて知ったことじゃない」
「サンキュ。それじゃ早速この後なんだけどさ、カラオケにでも―」
“RRRRR…”
僕の携帯が鳴る。メールの着信。内容は…うっとうしいものだった。
「…何?」
「…ガードからだよ。時間が遅いからいい加減戻れって。車で送ってやるからって」
「…今までそんなこと一度だってしなかったのに」
無論、送迎のことを言っているのではない。行動への干渉についてだ。
「…保安部に指示を出す人間が代わったからだろ」
僕は仕方なく立ち上がる。アスカは…不満げに座ったまま立ち上がろうとしない。
「…シカトこいてればいいじゃん」
「そんなことしたら実力行使されるよ。多分、担当も洒落の通じない、アイツの息が直接かかってるのに代わってると思う。
もし外出規制なんか食らったら大変だからさ。僕は戻るよ。アスカはここにいて…」
「…私も戻るわ」
「…別にいいのに」
アスカがため息をついて立ち上がる。
「掃除しかすることないし。一人で一晩中掃除ってわびしいし。そしたら絶対に街に行きたくなるし。これ以上裏切るのも、誤解されるのも、隠し事増やすのも嫌だし。送ってくれるんなら楽だし…帰る」
何やら複雑な打算の末の結論らしい。それ以上止める理由もなく。
僕達は結局、掃除を途中で投げ出して“家”から“出かけた”。



614: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 02:11:41 ID:???
マンションの下に下りると馴染みじゃない保安部の男が車のドアを開けた。が、私に対して制止した。
「我々は『碇シンジ君を本部へと送り届ける』のが仕事で、それ以外のことは命じられていない」
「…!」
乗り込みかけていたシンジが血相を変えて車から降りた。
不必要なまでに事務的で、まるで幅のない命令の解釈だった。紛れもなくこれまでの連中とは物腰からして違う。
「…行き先は同じなんだからアスカも乗せてくれてもいいでしょ」
「…シンジ、いいから」
「タクシー代わりにされる言われはない。乗せる義理はない」「じゃあ僕も帰らない」
「君は連れて帰る。君の意向は関係ない。ここにはタミヤはいない」「そのぐらいのことが何で出来ない…!」
「シンジ!」
激昂してガードに掴みかかるシンジを必死に止める。ガードは顔色一つ変えないし、微動だにしない。
「シンジやめて!自分で帰るから!」「アスカも乗せろよ!それか僕も置いていくかだ!」
ガードがどういう意図なのか片手をすっと上げた。そのとき―
「…乗せろ」「は…」
車の中から声がした。
「今の段階ではまだ彼女は『セカンドチルドレン』だ。大きな意味では仕事の範囲だ。乗せろ」「……」
男は静かに右手を下ろした。私はまだ納得がいかないらしいシンジを強引に車に押し込む。運転席にいたのは…何回かは見たことがある職員だった。
「…あえてああいう人が割り振られたんですか」「上の意図までは知らない。ただ司令が選ばれたとは聞いた」
シンジが喧嘩腰で尋ねる。この人はまだ会話になる感じ。シンジが悔しさに唇を噛む。
「極めて優秀な保安部員だ。命令以外のことについて考えを及ぼすこともない。どこかのチンピラ上がりとは違う」
「…融通が利かなくて回る仕事なんですか」「それは君らが考えることではない」
そう言って運的席の間にシールドが閉まった。配慮のつもりか、そういうマニュアルなのか。
「…シンジ。気にしないでね」
「…あんまりじゃないか」
「…もうすぐ無関係な人間になるわけだしさ。当然って言えば当…」
「アスカは一生懸命戦ってきたじゃないか…!その人間に対して…!」
シンジの怒りは収まらなかった。

619: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 03:42:17 ID:???
「…やはり理想は複数のEVAの同時運用です」
「…それは“理想”ではなく“最低限”だ。初号機が凍結中な今、零号機と弐号機を常時、稼動可能な状態で確保しておく必要がある」
碇が苛立たしげに吐き捨てる。
「…ですが今後、14番目と同等以上の使徒が襲来した場合、先のような偶発的な要因に頼るのではなく、“制御可能な範囲の事象”で確実に処理するとなると…」
「三体以上でなければ確実な勝利は見込めんか…」
「MAGIは67.8%の勝算を算出しています。初号機とシンジ君の力は…必須です」
「無論その場合、凍結は解除する」
碇はシンジについては触れなかった。いずれも別段、改めてする話ではない。にもかかわらず碇は繰り返した。
3度戦えば1度はしくじる。決して高い勝率ではない。これまでに繰り広げてきた数々の大博打を思えば今更、もしくはまだマシという話だが。
だが、その数字にしても『三人の連携が緊密』で『EVAとのシンクロが良好』、かつ『周辺施設の稼動状況も申し分なし』という状況…早い話が“ベストコンディション”を想定してはじきだされたものだ。
現在、第三新東京市の防衛能力は殆ど期待できない。ダミーや不調のレイ、意思疎通、命令伝達に問題を抱えたシンジなどで、とにかく何でもいいから3体全てを動かして3度に2度も勝ちを拾えるという訳ではない。
MAGIに尋ねれば勝算を数字として提示してはくれる。だが…それ以上に『勝てる気がしない』。
今まで奇跡同然の勝利をもぎとってこれたのは、作戦部長や適格者の強烈な個性、才能、信頼関係…それらが遺憾なく発揮されたからこそだ。
無論、他の部署や戦自、その他関係各所の多大な犠牲、尽力があってこそであるのは言うまでもないが、わずか数人の資質が戦闘にあまりに大きく影響を及ぼしてきたことは誰もが承知している。
それらはNERVの“強み”だった。そして今はどれもない。
勝てる気がしないまま挑んだ試合の勝敗はゲームを見るまでもない。次に来るのが強力な使徒でないことを祈る他ないのが実情だった。
全てがリツコの責任ではない。だが“強み”のいくつかの喪失に割多く関わっていることは否めない。ここまでの事態になったことは正直予想外だった。だが―…
「…満足か?」
「え…」
「私を困らせて…満足か?」
碇は…滅多にしない悪い酔い方をしていた。

620: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 03:46:56 ID:???
「…こうまでの状況を生み出して…楽しいか?」
「…司令…もう…」
明らかに酒量が過ぎていた。ワインを開け、更にブランデーのボトルを一本二本。さらに焼酎に手をつけて。リツコは碇が酒に強いかどうかよく知らない。普段はそうは飲まない男だからだ。その男のこの有様は…異常としか言いようがない。
「…2ndを蹴落とし、何か得る物はあったのか…」
「…申し訳ありません…」
そこを突かれては謝る他にない。しかしリツコを選んだのならば、それは繰り返し責めるべきではなかった。
むしろ期待を寄せていることを示し、奮起を狙うことこそが上手い女の操り方のはずだったのだが…今の碇にはそれが出来るだけの余裕がないらしい。
しかし…リツコは碇がこうまで過敏になる理由がどうしても分からない。
「ですが司令…NERVが問題を抱えているのは事実ですが…いずれも解決への道筋は出来上がりつつあります。お心を配るのがお仕事なのは承知していますが…」
大丈夫。回るはずだ。足りないものは補填されつつあるのに。もうレイは復調の兆しが見えた。どうのこうのでシンジは天才だ。そして―…。
リツコは控えめながら思いを訴えた。しかし。
「…初号機のダミーは…動くのか…動作は保証されているのか…」「…それについては先ほど申し上げた通り…」
「どうなんだ…!」
訴えには耳を貸さず、碇はわずかに声を荒げた。
ようやくリツコは気付く。先ほどから碇が拘っているのはEVAでもダミーでも適格者でもなく…『初号機を使えるかどうか』の一点に尽きることに。
何故だ。何故そうまで繰り返し、ダミーの信頼性を尋ねるのか。改良されたダミーでの初号機の運用はまず可能だろう。だが最悪、ダミーが使用できなかったとしてもシンジがいる。いやむしろ、ダミーこそがシンジの予備なはずだ。
碇の言っていることは…何かがおかしかった。それではまるでシンジが―…。
「……。子供に頼らざるをえないからこそのこの事態だ。彼らにとっても…EVAに乗せられることが良いことな訳もない。
早く…彼ら、パイロットに代わるEVAの運用手段を…」
わずかに落ち着いたらしく、態度を取り繕う様子が見えたが…その言葉には苛立ちや焦りを超えた…“怯え”が見え隠れしていた。
おそらくその原因は――ケイジでの出来事にあった。

637: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 12:56:39 ID:???
「綾波と……なんだろ。だから僕が綾波と付き合ってた報復にアスカを…」
冬月が発令所を出るなり、シンジが碇に食って掛かるが―先ほどまでの勢いはなかった。自分が筋違いなことを言っているという意識があるからだ。
レイは時折、碇に視線を移しながらシンジを呆然と見つめている。
自分を見下ろす視線から逃れようと、勝手に逸れようとする眼球を必死に修正し、シンジは父親を睨み続けた。
「…2ndが大事という話はどうなった?」
「そ…!それとは別に…綾波とは…付き合ってたんだ…」
文字通り『大声では言えないこと』に、自然、声のトーンが下がる。碇は無表情なまま、追求を続ける。
「大事な人間がいながらレイとも交際していたのか。両方に対して失礼な話だな」
「な…」
「状況が許さないと言ったな。それがお前の言う“状況”か。前の女との関係が清算できないことが付き合えない理由か。それは全てお前の責任だ」
「ぼ、僕と綾波のことが“お前”に何の関係があるんだよ!」
自分でも分かっていたことではある。しかし、傍からこうまではっきり言われるのは堪えた。シンジはやけくそになって喚き返すが…その台詞を言ってしまえば返ってくる言葉は一つしかない。
「無論ない。同時にお前と2NDのこともまた私には関係も関心もないことだ。ましてやそれが送還に関係するわけもない。
私とレイとの関係もお前には何の関係もない。そして…関わってくるな。
…レイ、行くぞ」
バカの相手は終わったとばかりに碇はレイを呼ぶ。レイがシンジの前を何も言わず通り過ぎていく。
口論が…“交渉”が終わってしまう。シンジの焦りは最高潮に達した。
「ま、待てよ!話はまだ…関係なくなんかない!少なくとも…そっちにはあるはずだ…!」「どう関係ある?」
「 僕 を 好 き だ と 言 っ た ! 」
「……」
「碇君…?」
その言葉に大きく反応したのは碇よりもレイの方だった。
「 綾 波 は 僕 が 好 き だ と 言 っ た よ ! 」
「……」
レイの前でその事実を告げることは両刃の剣には違いなかった。だが碇を動揺させ、逆上させ、焦らせる切り札のはずだった。だが…
「…それが何だ?」
その言葉にも碇は表情一つ変えない。振り下ろした『両刃』は立つことなく弾き返され、シンジのみに食い込んだ。

639: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 12:58:04 ID:???
シンジはもう完全に舞い上がってしまっていた。
「い、言っただろ!綾波!」
レイに助けを求めるように訴えかけるが…当然、レイは答えない。ありえない発言にただ、呆然とするだけだ。
どうしろというのか。『ええ、そうよ』と、裏付けろとでもいうのか。男女の関係に決まった形はないだろうが、この暴露は何らかのルールに違反していた。やってはいけないことだった。
「…この口論に意義が見えん。いや、『口論』ではないな。一方的にお前が熱くなっているだけだ。
お前はレイをどうしたい?レイが好きなのか?レイが欲しいのか?」
「…だから…僕はアスカが…」
「好きではない女のことで何を熱くなる必要がある。『自分のことを好きだ』と主張して何の得がある」
「そっちには害があるだろ!アスカを…アスカを帰したら…僕は綾波を盗るぞ!?それでも…それでもいいのか!?」
レイが更なる驚愕に目を見開く。碇は口元に冷たい笑みを浮かべた。
「脅迫か…ならば私が2ndを残せばお前はレイを“どうしてくれる”?」
「それはお前に…。…!」
シンジは自分の取り返しのつかない言葉にようやく気がつき…青ざめた。
「レイ…“彼”は2ndが送還されればお前と交際するが、送還されなければ2ndと関係を続けていくらしい」
「違…」
何も違わなかった。今、言っていることはそういうことだ。
「お前はただの出汁に過ぎない。2ndの残留を引き出すための。それでもなお、この男が好きなのか?」
「……」
「随分と自惚れているようだな。そして愚かだ。
そうまで宣言してなお、2nd送還後にレイがお前になびくと思うのか。自分がそうまで愛されているとでも」
「…それは僕じゃなく綾波に聞いたらどうだよ。返事が…怖いのかよ」
「……」
悔し紛れの一言だったが、その言葉は意外にも碇の神経を逆撫でした。
確かに不毛な会話だ。この脅迫が成り立つか、成り立たないかはこの2人が決めることではなかった。
「レイ…どうなんだ?」
「……」
「こうまでお前を虚仮にする男を…これ以上思い続けることが出来るのか」
怖いわけなどない。それを示すかのように碇はレイの中へと踏み込んだ。

649: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 時に、西暦2015-10/04/02(土) 13:47:07 ID:???
「2ndの送還が事実上決定した。お前はどうする?」
実験前、碇は司令室でレイに尋ねた。いよいよの事態にレイが固まる。冬月が何も言わずに部屋を出て行く。ドアが閉まるのを待ってレイが震える唇を開く。
「…どうするとは…どういう意味か分かりません」
「…アイツが思いを寄せる女はいなくなる。お前が奴と交際するに至る障害は何もない。あるとすれば…一つだけだ」
『障害自身』がそう、レイへと尋ねた。
「何も強制はしない。今までも…したつもりはない。いつか私が言ったように…シンジが私の代わりでないのなら。唯一無二だというのなら。
ただ…レイ。私にとってはお前こそが唯一無二だ。シンジは違う。アイツが見ているのは別の女だ。
それらを踏まえた上で選べ。どうするかを」
ズルイ言い方だった。これでは真に正直な決断は―…
「…私が…司令の唯一無二ですか…かけがえのない…」
「…そうだ」
若干の間を置き、碇は答えた。レイはかなりの間を置いてから―
「私の居場所は…いつでも司令の隣です」
そう答えた。


『しかし本当はあれはフェアではなかった…』
碇自身がそれを一番承知していた。
確かに強制はしていなかった。これまでもしてはこなかった。
だが…あれが本当に自由な決断が下せる状況だっただろうか。レイのこれまでの人生で本当に自由な判断が下せたことがあっただろうか。彼女の行動や選択には常に、大なり小なり碇の思惑が波及を及ぼしていたことは事実だ。
しかしああせざるを得なかった。自分の支配から逃れかけているレイから言質を取るには、プレッシャーをかけたああいうやり方しか。
アスカを残せば話は早い。何も問題はない。個人的には。
だが全ての私情を抜いた『司令としての碇』は『アスカの送還』がベターだと判断した。“公”を“私”に優先することは男としての意地だった。
けれど、今ここにはシンジがいる。プレッシャーは一つではない。どちらの圧力に押し切られるか。
それはどちらがより大事かと同義だった。あの言葉は…覆る可能性がある。
出来れば避けたかったこの場面。碇はこれまでの時間を信じ、臆病な心を渋面で覆い、司令室と同じ返答を待った。


708: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/02(土) 21:38:56 ID:???
「そんなことはどうだっていい…」
レイの口から答えが出る前に―シンジが口を開いた。
「もう…いいよ。その話は…」
「…もう、いいそうだ。レイ」
疲れてしまったのか、シンジは床に座り込む。答えを出さずに済み、レイがわずかに安堵の表情を浮かべる。そして碇も。それで…その瞬間にレイについての話題は終わった。
レイがはっきりと自分を選ばなかったことは不満ではあるが、もし軍配が自分ではなく…。何にしても現状維持ならば勝ちだ。レイは碇の下にあり続ける。
けれどまだ本題が終わっていない。碇は気を取り直し、眼鏡を位置を直した。
「…どうしても決定を翻す気は…」
「…くどい。繰り返すが判断に私情を挟んだ覚えはない。客観的な見地から状況を見て、彼女が実行部隊の一翼を担うには不適当な存在だと判断した。
“報復”とは見当違いも甚だしい」
シンジは…しばらく黙っていた。そして―
「…そうかもね。確かにそうかもしれない。…使えない。役に立たないんだよな。“あいつ”は。テストでの数字すら取れないくせにワガママ言うは、僕以外の男にフラフラするは…確かにクビになって当然だよ…」
「…何?」
異様だった。疲れ切った様にシンジがアスカを批判…いや、こき下ろす。
「けど…仕方ないんだ。むかつくけど…好きだから。
意味がないんだ。どんな理屈を積み重ねられてもアスカがいなくなったんじゃ意味が…」
シンジがゆらりと立ち上がる。碇がその目にはっきりと表情を強張らせる。
同じ目を何度か見てきた。それらの多くはもういないが…全てが彼らのせいではないにせよ、自分が“こういう人間”である責任の多くは彼らにあると今でも思う。
だが碇はこういう目をする人間をまだ一人知っている。これとそっくりの目を毎日見ている。それは洗面所で。それは手洗い場で。見かける度に不愉快な気分になる。
碇が知る限り、目の前の少年はこういう目をする人間ではなかった。彼は臆病で、姑息で、ずるく、弱虫ではあったが、他人の痛みが分かる優しい―…だが。
「例え俺の言ってることが間違ってても…アスカは残してもらうから」
大嫌いな自分と同じく、自分の欲求のためならどこの誰が苦しもうと気にかけもしないクズの…間違っても親に向けるべきではない目付きで息子は父をぼんやりと眺めた。
碇は心の中で少年の母親に…心の底から詫びた。

730: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/02(土) 22:33:26 ID:???
「…碇君?」
レイが見たこともないシンジの様子に顔面蒼白になっている。
いや…本当は見たことがある。知っている。これとそっくりの…絶対に退かない男を一人。それは今、ここにいて―…。
「…私は残さないと言っている」「俺は残すって言ってる」
「司令…やめてください…」
すがるレイを碇は腕でゆっくりとどけた。
「ならばどうする?」「どうすると思う?」
「碇君も…」
シンジはレイを少し乱暴に払いのけた。碇の表情がその態度に更に険しさを増した。
「これ以上NERVに迷惑をかける気か」「NERVじゃないだろ。アンタだろ、困るのは」
「2人とも…やめて…」
お互いに何が言いたいかは分かっている。レイもそうだ。故に必死で訴えるも、2人とももはやレイは眼中になかった。
「…何だろうとかまわん。お前に出来ることが何かあるなら言ってみろ」
「…いいの?ここが火の車なのは知ってるし、本当はこういうことはしたくないんだけど。ここの人達のことを大事に思っていないわけじゃないし」
レイが切り札にはなり得ないと見たシンジが、感情に任せて最後の札を切ろうとしている。
簡単に切っていい札ではなかった。通らなかった場合、シンジの失うものはあまりに大きい。これまで躊躇してきたのはそれが理由だ。誰のためにも出来れば出したくないのが本音である。
普通ならば大人の碇が折れるか流すかすべきだっただろう。だが―…
「怖いのか。その都合が大事ならばそうしろ」
その挑発でシンジは腹をくくった。
それを受ける側の碇もまた、それが出来るほど器用ではなく、更に感情的になっていた。
この状況下で“それ”は相当な痛みを伴うだろうが、絶対に要求を飲まない。そう腹をくくっている。
間違いなく誰のためにならない事態が起こる。両者ともそれを分かっていたが、もはや引くに引けないところまで来てしまっていた。
シンジが一度息を吸い込み―…。

「もうやめて…!!!!!」

レイが悲鳴に近い声を上げた。ややあって…シンジが開きかけた口を閉じた。

789: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 00:26:13 ID:???
「…話の途中だ」「司令…」
碇がレイを押しのける。
「まだ言いたいことがあるそうだ。最後まで言わせ…」「司令…!」
碇の腕に手を絡め、レイが必死で懇願する。
「落ち着いて下さい…!何をそんな…」「……」
その目は潤み始めている。女の前であることに今更ながら気付いた碇が、ようやく冷静さを取り戻す。もはや格好はつきはしないが。
「…碇君…“それ”は軽々しく口にしていいことじゃない」「……」
レイは今度はシンジに向き直る。涙交じりのその訴えに流石にシンジの熱も冷めていく。
「貴方は…あのとき、どんな思いで…」「……」
シンジは目を閉じ…加持の最後の言葉とあの日の自分を思い出す。
「同じ事を繰り返さないで。一時の感情で…見失わないで…」「…分かったよ。…僕が悪かった」
びびったわけじゃない。加持さんと綾波と皆のためだ。そう自分に言い聞かせ、シンジは言葉を収めて座り込んだ。
その様子に何を言うでもなく、碇はシンジに背を向け歩き出す。だが後ろに続くはずの足音が聞こえないことに気付き、振り返る。
「…どうした?」「…先に行ってください」
レイはシンジの側に立ったまま、後に続こうとしない。碇は困惑したように2人を見る。
「…それ以上そいつに関わって何になる」
「私と碇君のことは司令には関係がありません」
「…レ…」
碇は言葉を失うが、残念なことにそれを許さない理屈が見つからない。数分前、自分の口から出た言葉だ。
「…あまり遅くなるな」
それくらいしか言えずに碇は発令所を出た。
数時間前、彼らの数少ない触れ合いの中で最も近付いたであろう父子は、またも決定的な決別をした。何度も繰り返した別離ではあるが、痴情のもつれという程度の低い原因なだけに、逆にこれまでよりも根が深い。
碇は自分が歳を重ねたことを呪った。自分がシンジと同じ歳ならばもっと形振り構わず思いを叫ぶことが出来るのに。力はないだろうが、もっと正面からシンジと張り合えるのに。
“大人”を強いられる48という年齢と、総司令という立場を呪った。


「ダミーを…初号機を…確実に…」
ソファで酔い潰れた碇にリツコが布団をかける。
レイの介入で収まっただけだ。必ずまた同じ話を切り出される。そのとき自分はそれを跳ね飛ばすことが―…
眠りの中でも碇はまだシンジを気にしていた。

811: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 01:18:04 ID:???
「私は…勝ったの?」
秒針が時を刻む音だけが響く、誰もいない暗闇で、ベッドにうつ伏せになり、レイは一人呟く。
「これが…勝利…?」
ほとんど自分と関わりのないところで話は進み続けた。自分以外の人達がもたらしてくれた、この望んだ展開。
2ndは帰る。自分とシンジは残る。自分にはこれでいい。けれどさっきシンジは―…。


「…流石に愛想尽かした?」
「…いいえ…貴方が彼女だけを見ていることは初めから承知していたもの」
発令所の床に座り込んだまま、力ない姿勢でシンジが呟き、レイが静かに少しの嘘が含まれた返答を返す。
「…形だけは謝っておくよ…ごめん。まだ…本心からはそう思えないけど」
「思わなくていい。彼女のためならどんなこともする…。貴方は初めからそう…何も変っていない」
変ったのは…とレイは続けるのをやめる。シンジは少しの間、黙っていたが、次にありえない言葉を吐いた。
「…綾波からも頼んでくれない?アイツ、君の言うことなら聞くだろ?アスカを…残すようにって…」
流石にレイも耳を疑ったが…何度その言葉を反芻したところで意味は変らない。シンジが顔を上げないのでレイの方がしゃがんで顔を下ろした。
「…それを…私に言わせるの?」
「……」
シンジの頼みはあまりに身勝手で…あまりにレイを惨めにするもので。目線も合わさずに要求することがまた姑息だった。
「彼女が残れば…貴方は彼女と付き合うのに?」
「…アスカに隠れて…綾波とも付き合ってもいい」
「……」
「…前に言ってただろ。別れたフリをしてもいいって。その形で…」
“ぱちん…!”
力ない音が響く。シンジが横にかくんと崩れた頭をよろよろと起こし、首をさすった。
「…痛かった?」
「頬よりは…首にきたね」
「ごめんなさい。でも…あまり馬鹿にしないで…」
「…悪かった…でも…僕が好きじゃなかったの?」
「…好きよ…。悔しいけれど。
でも前ほどではないわ。どんな言葉も無条件で許せるほどではなくなった。
それでもまだ一番は…貴方だわ」
その…前と少し違うレイのスタンスにシンジは何も言えなかった。

817: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 01:38:42 ID:???
「貴方は約束を破る。彼女が残れば彼女以外見なくなる。私との口約束なんてなかったことに出来る」
「…しないよ。しないから…」
その言葉を信じられる要素が欠片も見つけられず、レイは淋しそうな笑顔を浮かべた。
「…本当にどんな手でも使うのね。あの人と同じで…“貴方達”には好きな女以外は全て道具なのね」
「アイツと一緒にするな…!」
「じゃあどこが違うの?」
「……」
父親と同一視され、シンジは声を荒げるが、レイに静かに切り返されて返す言葉を失う。
「…貴方は何も変ってない。変ったのは私。“代用品”で満足できなくなった欲張りな私。
もう…二番は嫌なの」
「……」
当たり前に思えるレイの自己主張は、実は二人の関係の根幹に関わるもので…シンジが流石に顔を上げた。
「…地下での言葉をもう一度聞かせて。何故、私と付き合ったの?」
答えづらいことだったが…シンジはその自分の心の奥底の…埋もれさせておきたかった汚い所業をさらい、動機を思い出す。
「…アスカが…僕のものにならなかったから。ならないと思って…淋しかったとき、近くに綾波がいて…優しくて…可愛くて…僕を受け入れてくれて…本当にやすらいで…だから…」
「…そう」
「…元々…好きだったのは本当だよ。好きなタイプはアスカよりも綾波みたいな子なんだ。実際に好きになったのは違ったけど…。
誰でも良かったじゃない…。綾波を過ごした時間が楽しかったのは…本当だよ」
伝えたところでレイを切なくさせるだけの余計な言葉をシンジは付け加えた。
レイはその…鵜呑みにすれば少しだけ気持ち良くなれる言葉を冷めた意識で眺め、静かに口を開いた。
「…多分…私が頼めば…あの人は決定を覆す。すがれば…多分」
「なら…」
「…でも…貴方は多分、彼女を失った淋しさに耐えることは出来ない。彼女が帰れば…将来必ず、私のところに帰ってくる。私に…慰めてもらいに」
「…綾波?」
「私は…受け入れるわ。あの人の…目の届かないところで貴方を…」
レイはシンジの手を握り、じっとシンジの目を見つめる。アスカとは完全に異質なその…女としての業の深さの一端を垣間見、シンジは言い知れぬ寒気を感じた。

836: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 03:20:06 ID:???
「私は想いとは別にEVAやNERVや…あの人から離れて生きられない。そういう存在なの。貴方を選んだらあの人が私をどうするか…だから堂々と貴方のものになることは難しい。
けれど碇君が望むならばそれも捨てられる。過去も未来も宿命も…あの人も…全部を捨ててもいい。限られた時間でも貴方だけのものになる」
「…そんなこと頼んでないよ…。僕は…ただアスカを…」
「いつまでも自分の方が上にいると思わないで」
「…!」
静かだが辛らつなその言葉にシンジは打ちのめされる。開き直られた今、確かに優位に立てる要素はない。
「他の女を忘れられないでいる男を受け入れられる愚かな女は貴方の周りには私しかいない。貴方が逃げ込む場所は私しか…それとも…他にいるの?」
綾波が初めて上からモノを喋っている。シンジは反論できない。完全に萎縮させられて。
「…ずるいことは分かってる。たくさんの矛盾があることも。貴方に恨まれることも。けれどそれでも貴方を私のものにしたい。私も碇君だけのものになりたい。
…嫌いになった?」
「…嫌いとか…ただ…」
「話が違う?こんな女だと思わなかった?」
「そうじゃない…そうじゃ…ただ…」
透明だと思っていた少女の暗く淀んだ部分にシンジはただ圧倒されていた。その言葉には意味不明な部分も多く…。
ただ、分かったことも少なからずある。女という生き物の難解さ、愛には喜び以外も付随すること…自分が想像以上に想われていたことなどはどうにか理解できた。後は14歳のシンジには上手く言葉には出来ない。
『女性は向こう岸の存在だよ―…』
唐突に加持の言葉が蘇る。
「私は貴方を待つ。この身体でいられる限り…いつまでも待つ」
「綾な…。…!」
レイは了解も得ずにシンジに唇を重ね…しばらく重ね続けた後、ゆっくりと離した。
「碇君。愛しています。だから…」
“プシュ…”
ドアが開く。職員達が入ってくる。碇のせめてもの抵抗だろう。レイはシンジの頬から手を離し、すっと立ち上がった。
「恨まれるだろうけれど。私は彼女を救わない。救えるけれど。救わない。謝りもしない」
そう言ってレイは緊張した様子で道を開ける職員達の間を静かに通って行った。シンジは床に座り込んだまま、その後姿を見送る他なかった。
全てはあまりに唐突で。それでも久しぶりのキスは…やはり甘美だった。

919: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 19:09:08 ID:???
「どうしてあんな…」
慣れない事はするものではないとつくづく思う。冷静になった今、レイは口にしたあらゆる言葉を後悔していた。
本心を言えずにいた後悔とはまるで異質の…焼ききれそうな熱さを伴う羞恥心、もう取り返しがつかないことへの焦燥。どれも初めての感じだった。
思いを明かすにしてもまだやりようがあった。あれではレイの醜い部分だけが前に出ている。事実、シンジは拒否反応を通り越し、完全に怯えていた。
あれならば伝えない方がマシだったかもしれない。伝えてしまったことで、逆にシンジはレイを避けるかもしれない。
けれど―…苦しかった。どうしても吐き出したかった。建前だけを示し続けることに耐えられなかった。いい加減、自分のことも理解して欲しかった。偽り続けたまま関係を続けても、いつか必ず無理が来る。そう思ったのだが…。
その結果、嫌われてもいいとまでは思ってはいなかった。だがあのときは他に―…
「…駄目…今、考えても…」
まとまらないまま一つの思考を投げ出すことは、あまり得意ではないのだが、レイはあえて別のことに考えを巡らせる。もっと…めでたい出来事について。
アスカは帰る事になった。形だけ見れば勝ったことになる。まだシンジの心はアスカの隣にあるが、日本とドイツの間の隔たりは、海や距離以上のものがあると思う。いずれはシンジも…そう思いたい。
だが…これですんなり収まるのだろうか。シンジはまだ一枚、札を持っている。強力な切り札を一枚。
さっき碇は感情に任せてそれを破り捨てようとした。しかし冷静になった明日以降、もう一度それを出されたならばどうだろうか。多分、同じ行動には出られない。黙って要求を飲むしかない。それでは困るのだ。
おそらくシンジはまだ本当には冷静になっていない。送還を潔く受け入れている訳がない。もう一度、札を持ち出す可能性は極めて高い。そうなればワガママが通るにせよ通らないにせよ、結果は恐ろしいことになる。
結局…考えは不愉快な方へと向かった。
自分のためにとは言わない。どうか皆のためにその札は切らないで欲しい。自分の将来について打算し、無理をしないで欲しい。そんなに頑張らないでもらいたい。
たとえ彼女を失い傷ついても…癒すから。慰めるから。自分の全部で尽くすから。だから…。
もう諦めて欲しい。レイは布団の中で震えながらそう祈った。

4: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 21:15:55 ID:???
「もう…どうにもならないのか…」
その呻きにも似た呟きにも青葉は答えようとはしない。それが返答だった。
日向の部屋にオペレーターの三人が集まっていた。久しぶりに三人揃ったというのにどの顔も沈痛で―…マヤに至ってはすすり泣き続けている。発令所からずっとだ。女性職員たちの慰めにも答える余裕はなかった。
部屋は散らかっていた。ずっとそうではあったが、少なくとも青葉が訪れた一昨日にはテーブルが二つに折れていることはなかった。日向の腫れ上がった拳を見れば何が起こったか概ねの想像はつく。
流石に大人三人が座って話をするには酷い空間だったので、さっき青葉が一人で、ある程度は片付けたが2人は座り込んだまま、手伝おうともしなかった。
「…正式な決定は明日以降らしいが…事実上の決定だ…」
「…俺の復帰は明後日だ。作戦部長として差し戻したり、異議を申し立てるにしても…間に合わない…」
「…お前の立場がどれほど役に立つかも分かったものじゃないんだ。司令の判断は確かに妥当かもしれないが、裏に何か普通じゃない意図がある。理屈が通じないような。
人がいない今、ちょっとやそっとじゃ切り捨てはしないかもしれないが…。頑張り過ぎれば解任されて終わるよ。だから―」
「アスカのようにか…」
青葉がフォローのつもりで繰り出した言葉に日向が絡む。
「確かに貴重な適格者さえ、こうも簡単に切り捨てたんだ!俺みたいなのの代わりなんていくらでもいるだろうからな!」
「誰がそんな話をした!俺はどうにもならなかったって話をしてるんだ!」
「何でそんなに冷静なんだ!どうしてそんなに簡単に納得できる!悲しくないのか!」
「じゃあどうしろって言うんだ!お前みたく熱くなれっていうのか!感情的になって何かがいい方向に転がったことがあるのか!考えなきゃいけないことが山ほどあるだろ!それでも頭抱えて泣いてろってのか!」
「この状況でよくそういうことが言えるな!前から思ってたがそういうところがあるよな!他人の不幸に鈍感というか!冷たい男だよ、お前は!」
「てめぇ…!!」
「もうやめて!!!」
その甲高い叫びに、つかみ合いになりかけていた男達が止まる。マヤが…両耳をふさいで泣き叫んでいた。
「…もう…誰かが争うのなんか見たくない…聞きたくない…」

5: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/03(日) 21:35:39 ID:???
「お願いだから…そういうのはやめて…。今日くらいは…。今日だけは…」
「…マヤちゃん…」
「悲しいなら争うんじゃなく…アスカの…アスカのために泣いてあげて…別れを…惜しんであげて…。
もうそれしか…無力だった私たちにはそれくらいしか…」
そう言ってまたマヤは涙を零す。それを見て日向は青葉の胸倉から手を離し、力なくドスリと腰を下ろす。そして頭を抱え、やがて声もなく肩を振るわせ始めた。
最愛の女を亡くしたと思ったときも戦い続けた男の、その様子を青葉は暗澹たる思いで見下ろす。分かる。あのときは唐突で、なおかつ一刻を争っていた。悲しむ間はなかった。
しかし今回は悲しみの前振りがあり、自分にも責任の一端がある。タフな男のフリも出来ない。
青葉は2人のようには泣けない。悲しい訳じゃない。残念だとは思うが…涙は出ない。実際、考えなければいけないことは山ほどある。泣いていては始まらない。
情が薄いのは確かかもしれない。どこか冷めている奴だとは言われ続けてきた。けれど感情とは別に頭を働かせることは必要だと思う。それが不幸に鈍感とか冷たいとか呼ばれるのならばどうしたらいいのか。
ついさっき笛吹きの話で重要な話が分かった。だが今、この場はそれを口にするのにふさわしい空気ではなかった。
こういう場は泣けない人間の負けだ。しゃくり上げる大人2人の間で青葉は一人途方にくれていた。


「…令…司令…」
「…ん…」
女の声と共にわずかに揺り動かされ、碇は目を覚ました。頭が…重い。喉が…喉が渇いた。
「…ここは…」
「司令…お休みのところすみません…その…お電話が…」
目の前でリツコが申し訳なさそうにしている。ソファで眠っていたらしい。
ここがリツコの家であることと、ここに来るときはちょっとした連絡程度なら取り継がないようにしていることを思い出し―…これがちょっとした連絡ではないことに気付く。
「使徒か…!?」「いえ…副司令です。かけ直してくれと…急ぎのお話でもないようですが早い方が望ましいらしく…」
逢瀬を邪魔されリツコはどこか不満そうだった。
「…何の話だと言っていた?」
「ドイツからの連絡で…何でも『笛の音が止んだ』とか」
状況が再び動き始めた。

105: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/05(火) 04:25:21 ID:???
「『笛の音』…」
碇はまだ、巡りの良くない頭を働かせる。笛の音…笛といえば…。
「そう言えば分かるとだけ…あの…」
自分に知らされていない何かの符丁かと、リツコが不安そうな表情になる。冬月が言っているのはまず間違いなく『笛吹き』についての話だろう。
随分と気の利いた表現だ。笛吹きの件に今のところ、関わりのないリツコには確かに意味不明だろう。そして説明をするつもりもない。気遣いとは別の理由で。
「…水をもらえるか…」
「あ…はい…」
酒にやられた声。リツコが慌てて台所へと駆ける。一秒を争うのでないなら、まずはこのひりつくような渇きを潤すのが先決だ。氷の浮かべられたグラスから冷水を喉に流し込むとようやく脳が仕事をし始める。
時刻は…1時半。ソファから体を起こし、肩をコキリ、コキリと鳴らす。笛吹きに関する情報を思い起こし、受話器を手に一瞬思案する。そして『あ~あ~』と軽く喉の調子を整え、番号をコールする。
『―起きたか』
「状況は?」
『酷い声だな』
互いにぶしつけな物言いで話は始まった。


「―で明日―…しぶりに…に行こうと―…」
「…うん」
生返事をしつつ、僕は俯き加減に本部の廊下を歩く。駄目だ。やっぱり許容出来ない。この終わり方は認めない。
だけど僕が最後の一歩を踏み出そうとすると加持さんの…綾波の言葉がちらつく。
『俺はここで水を撒くことしか―…』『一時の感情で―…』
てこの街で初めて出来た、『どうでもよくはない人達』の顔が浮かぶ。それはまるで僕の馬鹿を押しとどめる安全弁のよう。だけど…いい子のままじゃ、このまま…。
「…ねぇシンジ…こっち向いてよ」
「え…?」
アスカが急に立ち止まった。僕も少し行ってから立ち止まる。
「…向いてるよ」「向いてないよ」
アスカは酷く淋しそうに笑う。その笑顔の意味が分からない。体が半身なのが気に入らないのかとちゃんと正面を向くけれど…アスカはやっぱり首を振った。
「…勝手な話なのは分かってるけどさ…お願いだから…この一週間だけは私の方だけを向いてて…1stや…お父さんの方じゃなく」
「――!」
憎しみに満ち満ちた僕の心は完全に見透かされていた。

128: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/05(火) 18:36:55 ID:???
「そこから先は強制しないし…したくても出来ないけど。だからこそさ。
憎むのは後でも出来るけど…ほら、今しか出来ないこともあるじゃん?」
『愛することとか』とでも続けたかったのか。でも流石に口に出来なかったらしく、アスカは恥ずかしそうに俯いた。
「…私の要求ってのはどうしてこう―…」
「…悪いのは僕だ」
僕が神妙にそう言うと、アスカが顔を上げた。
「…悪くはないよ」
「正しくもない。確かに…今大事なのはアスカを大切にすることで…」
「シンジ…」
その言葉にようやく安心したらしく、アスカは表情を綻ばせた。
「…変なこと考えないで欲しいだけなの。私はそれだけで…」
「…うん」
本当は納得はしてないけど、分かったようなフリをした。今は…揉めちゃいけない。
抵抗をやめちゃ意味ない。この一週間は満たされたとして…だからどうなる?その先は?まだ…わずかでも可能性はあるのに。
アスカはもう、運命って言ってもいいかもしれないこの流れを完全に受け入れてる。足掻くのに…足掻く度に傷つくのに疲れたんだろう。失望することに。絶望することに。
分のない賭けに出るより、確実に思い出を作る事の方が大事。だからアイツに会いに行ったことに意味が見出せず、責めたんだ。一秒でも長く一緒にいることの方が大切だったんだ。
その先に…何もなくても。
わずか数時間の間に2人の女の子に、それも完全に立場が逆の…ことによれば敵対しているとさえ言える2人に同じことで注意されてる僕は何なのか。
つまり“これ”は、どこの誰が見ても考え直すべきことなのか。でも…。
自分の中にこんな粘り強さがあった事に驚く。“強さ”なんていいものじゃないか。しぶとい、諦めが悪い、引き際を知らない。そんなところかも。けど言い方を変えたところでそれは確かに僕の中にあるもので。
明日の予定をどうするかを表向き真剣に話し、それから僕らは別れた。アスカが行きたがったのは意外な所で…。
久しぶりに朝が早いので部屋に帰るなり、布団にもぐりこんで目を瞑る。けど…頭に浮かぶのはやっぱり『変なこと』。
緊張も手伝って眠れず、僕は朝方近くまで布団の中でもがき苦しんだ。

137: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/05(火) 20:26:53 ID:???
「…あぁ。このまま頼む」
冬月にそう告げ、碇は受話器から耳を離す。特に取り乱した様子はなかったが不審げな表情で首を傾げて。
「…司令?」
「…情報が錯綜しているらしく要領を得ないので、ドイツ支部に直接繋がせた」
総司令からの通信だというのに回線はなかなか繋がらないようだった。碇は自分の中で整理する意味合いでもあるのか、独り言のように呟く。リツコがグラスに水を注いで差し出すと、それを一気に飲み干し、大きく息をつく。
「…報告はいくつかあった。駐留していたUNの部隊が―」
“ブツッ…”
話の途中で回線が繋がった。相手は…ドイツ支部の司令らしい。
碇はドイツ語で話し始めたが―向こうは随分と混乱しているようで、受話器から漏れる声は相当な早口だった。聞き取り辛くなったらしい碇はやがて英語で話すように要求した。
母国語でない言葉で意図的に文章を組み立て出したことで少し落ち着いたらしく、相手はいくらか理性的に喋り始めた。それでも感情的な物腰は変らない。
碇はほとんど聞き役だったため、リツコが彼の言葉から内容を推察することは難しかったが
『管理能力を疑う』『壊滅状態』『厄介払い』『どうせだからついでに―』
などという、あまり穏やかでも、総司令に向けるべきでもない単語が断片的に聞こえた。時折、わずかに目付きが険しくなる場面が何度かあったが、概ね碇は平静だった。
とはいえ支部が一つ吹っ飛んだ程度では動じない男だ。表情からの推察は無意味ともいえた。今、為されている報告が大事件についてである可能性は全くもって否定できなかった。
『―大体の事情は分かった。その対応で問題ない。何時頃に…午後…了解した―…ん?』
碇が話を終えようとしたとき―相手が本題とは少し離れた情報を付け加えたらしい。興味深くはあるが、特に重要な情報ではなかったようで相手はそのまま通信を切ろうとした。が。
『待て…その結果は確かか?』
会話の終了は許されなかった。第一支部が消滅したときも眉一つひそめなかった男の顔色が変っていた。

152: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/05(火) 21:26:56 ID:???
『…もう確かめようがないのは分かる。しかし詳細を取りまとめ―…分かっている…!
そちらの状況は承知しているが、出来る限り―…あぁ…午後―構わん。すまない―』
ラスト数十秒で一気に取り乱し、碇は通話を終えた。会話が終わってなお、受話器を握り締めたまま呆然と立ち尽くす。
「…どうかなさいましたか?」「…一つ尋ねたい」
碇が上の空という感じで質問した。その内容は分かりきったことで、馬鹿にされているのかとリツコは顔をしかめたが―碇の顔からはあらゆる表情が消え去っていた。
「…あり得ません。システム上、そういったことは…」「…そうか。そうだな。聞くまでもなかった。ならばドイツ支部の能力の信頼性については?」
「…本部と遜色ないだけの結果が得られるかと。使用機材に若干、古い部分がありますが、この間まで2ndがいたことを考えるとノウハウもありますし、スタッフについても申し分―司令?」
碇がぼんやりとリツコを眺めていた。その視線が大きく開いたガウンの胸元にあることに気付いたリツコが、恥ずかしそうに襟をより合わせるが―…
「…きゃ…?」
唐突に。碇が…強引にリツコを抱き寄せた。
「…し、司令!?」「……」
碇は答えず、困惑するリツコをソファーに押し倒す。
「…まだ…お酒が…?」「…ここに来た目的を果たしているだけだ…」
そう言って碇はガウンを剥ぎ取りにかかる。
あれだけ飲んだのだ。酔いが醒めていないのは間違いない。しかしそれにしても急だった。
よく言えば野性的だが、その実、凶暴で身勝手。いつものように気遣う様子はなく、ただ自己の欲求に任せて身体をまさぐる。だがリツコはまともに抵抗しなかった。
『…あぁ…これは…』
素に戻ったところで半裸の女を前にし、酔いも手伝いムラッときたらしいが、いつものように義務や仕事、他の女を思われながらよりは、純粋に目の前の自分に欲情される方が、よほど女としては抱かれ甲斐がある。
「…いけません…司令…」
心にもない言葉で身をよじる。女の恥じらい、マナーと言ったところか。普段ならば何ら反応を示さないその言葉に衝動を更に煽られ、碇は更にリツコにのめり込む。
電話の内容は気になったが、リツコは思考を放棄し、意識を身を襲う快楽へと投げ出す。
「ん…ぁぁ…!あぁあぁ…!!」
明け方近くまでリツコの至福の時間は続いた。

234: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/07(木) 04:23:26 ID:???
んで結局、寝坊した。
「…何でこんな時間まで起こしに来ないのよ…」
「…ごめん」
時刻は七時半。通勤ラッシュ直撃。
吊り革にぶら下がり。アスカは押し殺し切れない怒りを正面の僕にぶつける。一つだけ空いた席にアバラを痛めてる僕を座らせたのはアスカだけど、多分それも怒りを助長してる。理不尽だけど多分、真理。
身体も本調子じゃないしラッシュ時を避けて早い時間に…って話だったけど、数日前からの寝不足も手伝って、起きるのが遅くなったのは事実だ。でも、それは僕だけの責任ではないはずだけど…毎度のことだ。
満員の車両内一つ二つ出っ張った所が。ガードの恵まれた体格もこの場では邪魔以外の何物でもなかった。かなり窮屈そうで…軽い憂さ晴らしにはなった。
外出の許可はあっさり下りた。というか流石に下ろさないわけには行かない。14歳の本分って言ったら基本的には“これ”になるわけで。
「……」
「…何よ…」
目の前に立つアスカを上から下まで眺める。居心地悪そうに僕の視線から逃れようとするけど、この状況では身をよじることさえ出来ない。
「…あんた、そういう嗜好があったわけ?なるほど全然、手を出そうとしないわけね。ストライクゾーン狭すぎよ。ある意味ド真ん中?」
「いや…久しぶりだし新鮮だなって」
「あんたは全く代わり映えしないわね。年がら年中、どこに行くにも同じ格好で。どっかの公園前の派出所巡査か、碇シンジかって話だわ」
「……」
僕だってどうなのかなって思いながらこの服を着てた。色々と複雑な思いも絡むけど…結局、服装を考えるのが面倒で毎朝この服に手が伸びた。この服装が…久しぶりにようやく本来の意味を成す。
電車を降り、今度はバスに揺られる。目的地が近付くにつれ、そろそろ僕達の口数が少なくなっていく。憂鬱に、重たい気分になっていく。
お互い緊張してる。これだけ間が空いてしまうと流石に。アスカと僕の緊張の理由は…多分、別だと思う。
少なくとも僕が引きこもり始めた原因は何も解決していない。それどころか…悪化している。ろくに詫びることも…説明さえ出来ないレベルの事態になってしまっていて…。
「…あの熱血バカの話題は…避けられないわよね」
小刻みに揺れるバスの中、手すりにつかまったアスカが僕が向き合うことを必死に避け続けたことをポツリと口にした。

239: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/07(木) 05:26:29 ID:???
“それ”はミサトさんのことと同じく、ずっと話題にしてこなかったことだけど…いい加減逃げ切れない。
向き合うにはあまりにも痛さを伴うから放置してたけど、今から嫌でも向き合うことになる。僕の葛藤を察知したのか、アスカは“その話”を持ち出してきた。
いやアスカにとっても葛藤には違いないだろう。間違いなくアスカも直面することになるんだ。僕は…この期に及んでまだ覚悟を決められずにいるけど。
はっきりしないことも多い。けど、一つはっきりしてるのは…アイツの怪我の責任は―…
「…アイツの怪我はアンタのせいじゃないわ」
アスカが敏感に釘を刺してくる。けど…
「“馬鹿な考え”持ってるなら捨てなさい。アレは事故。みんなのためにそれが一番いいの。妙なこと言っていらぬ波風は―」
「…それは卑怯だろ。…アレは僕の―」
「アレはダミーと、必要以上の攻撃を加え続けた司令の責任。“私達”の誰かがアイツに攻撃した?何でアンタが責任感じないといけないの?」
NERVの外なのに攻撃だ司令だと平気で口にしてる。まぁ世間的には中学生がこういう話してたら何かの部活の話だと思うだろうな。僕らと僕らの環境が狂ってるだけだ。
アスカは僕の重石を取り除くために言い切る。身勝手にも聞こえる理屈は…全て僕のためだ。
けどアイツの左足を奪ったのが僕の機体なのは事実で…こればっかりはそんな簡単には割り切れない。
「…僕があの時、戦ってたら違う形もあったかもしれないのに…」
「今更それを蒸し返してどうなるの?それを言うなら何もしなかった私達も同罪ね。責任は3等分よ。アンタ私達も責めるわけ?
大体…今は怪我がどうって次元じゃないでしょうが」
アスカがまたも僕の思いを先回りして口にする。
これは…説明さえ出来ない。無事だとも無事じゃないとも僕らの一存では。無事だって考えるのが甘すぎるのは分かってる。だけど覚悟してくれなんて言えるわけが…。
窓の外の光景が見知ったものに変っていく。結論はすぐにも出さなきゃいけなくなる。
「その話…した方がいいのかな。それとも…」
「して欲しいと思う?」
「え…」
アスカは僕の方を見ないで、どこか他人事のように問いかけた。
「怪我の話にも言えるけど…アイツはそんな話して欲しいって願ってると思うの?」

240: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/07(木) 06:17:01 ID:???
「それは…」
聞くまでもないことだ。だけどアスカは首を振った。
「私は知らない。あんたはどう思うの?あんたの親友は自分のことで泣いたり悩んだりして欲しいなんて思う奴なの?」
「アイツは…」
アスカは全て僕に委ねた。わざとだ。僕は少し考え、悩み…そして…
「…違う。そんな…余計な心配されることを望むような奴じゃない」
「あんたがそう思うんならそうなんじゃないの?私は知らないけどさ」
「……」
どんな理屈を並べられるよりも、僕の中から導き出されたその結論は強かった。
『アイツはそんなこと望んでない』
本当は事実を明かして責められたくない僕は…明かさないための強力な言い訳を獲得した。
「…辛かろうが何だろうが嘘をつきまくりなさい。アイツのために卑怯者をやんなさい。私らに責任があるとしたら…それくらいでしょ」
その言葉は自分に言い聞かせるようで。責任って言葉は『してやれること』と置き換えられるはずで。
わずかに辻褄合わせのやり取りをして…話は終わった。悲しいことに本当のことを言わないことに決めて…僕は少し楽になった。『誰かのため』ってお題目は自分を正当化するのには、あまりに便利で。
アスカの悩みは…解決してないみたいだけど。
バスが“家”の近くを通った。そろそろ降りる支度を始める。8時20分。本当ギリギリ。もしバスじゃなく、この辺りを徒歩で向かってたら、思い切り急いでも間に合うかどうかっていう―…。
「…あ」
一生懸命走ってる女の子がいる。バスが横を通り過ぎ、その子の顔が見えた途端、反射的にアスカが降車ボタンを押した。バスは少し行った停留所で停まった。
「…普通にね」
「…うん」
覚悟し切れてないのは同じらしい。アスカは軽く深呼吸してバスを降りると、ちょうどやって来た女の子にからかうように声をかけた。
「委員長が遅刻しちゃぁ、示しつかないわよぉ♪」
「え…。
――――!!!!!!!」
走るのにくたびれかけた女の子はアスカを見ると、目を見開いて絶句した。
「急ご!もうちょい頑張れば間に合うわ」
「え…あ………う、うん…」
アスカは駆け出し、僕も続く。
頭は真っ白なままなんだろうけど、前触れなく現れたアスカに促されるまま、委員長―洞木ヒカリは再び学校に走り始めた。




417: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/10(日) 18:51:11 ID:???
「家にも行ったんだ。プリント届けにさ。そしたら…」
昇降口から話し声。なのに振り向いたら隠れる。そしてまた話し始める。話題は僕らで持ちきりか。人気者だな。
「…驚いただろね」「…本当…大丈夫だったのか?お前らは顔見れたけど…ミサトさんとか随分、顔を見てないし」
「………ミサトさんはあのとき家にいなかった」「そっか…久しぶりに会いたいなぁ」
ギリギリ…嘘じゃない。『大丈夫か』って問いへの返答としてはあまりに不誠実なのは分かってるけど。
「…予備知識が全然無くてさ。パパのデータを覗けなくなって。
…なんかあったんだろ…?家の端末までセキュリティが異様に厳重になってて…そこにだったから余計にな。お前らはそれどころじゃなかっただろうけど。
パパに尋ねても何も…家族に対しても仕事内容を口外しないよう徹底しろとか、罰則とかも厳しくなって。家にも殆ど帰ってこない。無茶苦茶忙しいらしくて」
「……」
綱紀粛正…下に対してだけ。吐き気がする。責任は全て下にあるかのような顔して、本当に責任があるはずの上は反省しようともしない。
「『特務機関も企業も学校の部活も終わりかけの組織は皆、同じだ』…パパはそんな…あっ…」「…いいよ。その通りだし」
僕がそこのトップの息子だってようやく思い出したらしく、ケンスケは慌てて口をつぐむけど怒る気はさらさらなかった。アスカを切り捨て、あの女を残し…それで何の非もない歯車の一つ一つに負担をかける。
やっぱり…最低だ。
「ガードがついてるのは伊達でも何でもなくて…その必要があるからなんだよな。つまり…使徒以外にも…」
その失望、やるせなさは分かる。さんざん僕も味わった。
「…今更…急にびびっちゃってさ。正直…ヒーローだとばっか思ってた。世界を救ってる英雄で、違う世界の存在で。
お前らはまだいいんだ。初めから違う存在として現れたから。けど…今まで同じだったはずのトウジまでそうなっちゃって…一人、置いてかれたような気がして…でも。
まるっきり浮かれたガキの勘違いでしかなかったんだな」
ケンスケが変ったところ、欠落したものがようやく分かった。
漠然と抱いていた僕らへのプラスのイメージや憧れ、ことによれば嫉妬や劣等感。それが夢、幻しだって悟ったんだ。全部、薙ぎ倒されたんだ。
パイロットなんてそんないいもんじゃない。

480: N3爆弾 ◆WwZ76piHps 2005/04/10(日) 21:21:32 ID:???
「…そうでもないよ。さっき言ったみたく高いレストランにも平気で入れるくらい小遣い貰えるし、付き合いの幅も広くなったよ。こないだは総理や大統領なんかにも会ったしね。役得が多くて参るよ」
僕はあえて調子に乗ってみる。
「…嘘臭ぇ!昼飯がコンビニのチョコロールで、人の弁当をうらやましがるような奴に自慢されてもなぁ!」
「あっ、酷いな!これでも業界じゃ天才で通ってるのに!写真かサインでも貰って来たら良かったよ…」
ケンスケがそれをこき下ろし、僕らは笑った。小さくケンスケが『そうなんだよ…何にも俺らと変わりゃしないのに』と呟いた。そして…急に表情をまともに戻した。
「…なぁ…話は変るんだけどさ…。面倒かもしれないけど…なんとかトウジと繋ぎ取ってくれないか?」
「え…?」
唐突に切り出され、僕は思わずギョッとした。
「話をしたいんだ」
ケンスケは神妙な顔で僕の目を覗き込む。話題が急に一番話しづらいところへ及び、僕は緊張した。
「何でまた…」
「……」
ケンスケは少し言い淀んだ。
「理由は…言い辛い…。いや…頼み事する以上、言っておかないとな。
…俺…トウジと軽い絶交状態なんだよ。…色々あって」
「…絶交…」
苦しそうにケンスケは打ち明ける。僕はまるで自分がそうなったかのような重さを胃に感じた。
「お互い感情的になって…今考えたら俺の方が悪いんだけどさ。その状態でずっとだから…キツイんだ。
でも…もう俺なんかじゃ取り次いでもくれなくて…しつこく繰り返したら、パパに軽く圧力がかかって…。あいつ、家の人も本部の中に移っちゃったから。
虫のいい話なんだけど…できたら間に入ってくれたらありがたいんだよ。…会ったり話したりってしてないのか?」
ケンスケは連絡が取れないだけで、トウジは今もNERVの管理下でそれなりに生活してると思ってる。やっぱり…学校のみんなには何も知らされてないんだ。
…どうする?確かに今までの無茶な頼みよりは随分とハードルは低い。いくら僕らが末端だって言っても、そのぐらいのこと出来たっておかしくない。
でも僕らも会ってない。どこにいるかすら分からない。まだ…生きてるかどうかも。
説明するなら今だ。アスカには嘘をつけって言われたけど…ここで誤魔化したとしてもいつまでも続くもんじゃない。いつかばれるんだ。
けど…だけど…。




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