いつも閲覧いただいてありがとうございます。
エヴァLAS小説サイトの管理人です。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| の公開に際して」を感想に切り替えさせて頂きます。
シンエヴァを劇場にて鑑賞しましたので、その感想を述べさせていただきます。
まだ未鑑賞の方は閲覧をお勧めしません。
シンエヴァンゲリオンを見てきたので取り敢えずの感想をここに記しておきたいと思います。あくまで個人的な感想であり、専門用語などについての考察は一切してません。思ったことをひたすら率直に述べていきます。ですが、批判ご意見はしっかり受けとめていきたいと思っています。
一応、LAS抜きのいちエヴァファンとしての感想とLAS好きとしての感想の2つに分けて感想を述べていきたいと思います。2つに分けた理由としては、エヴァファンとしては良い点もLAS好きからすると悪い点になってしまい、非常にこのままでは感想が書きにくいものとなってしまうので、このようにさせていただきました。
<いちエヴァファンとして>
しっかりとまとめてきたなというのが正直な感想でした。テレビ版、旧劇場版、新劇場版とある中で、庵野監督はこの複雑怪奇な作品の最後をどのようにして締めるのだろうかと非常に気になっていましたが、まとめてきましたね。
惜しむらくは、二次創作でこの終わり方なんか見たことあるな…?感が拭えなかった点ですね。旧劇場版を見た時からこの人は天才では?と思っていたので、シンエヴァでも誰も思いつかないようなストーリー展開を見せてくれると思っていました。流石にそれは望み過ぎかなとは思っていましたが、それでもエヴァシリーズを終わらせるには十分なストーリー展開だったかなと感じています。
また、作品前半部分を見ていてシンジ君がひたすら不憫過ぎるなと、ずっと思っていました。よくよく考えてみると、「Q」でカオル君が爆発四散してから間もないわけですからあんな感じでも仕方がないと思いますね。自殺しなかっただけシンジ君はよく頑張っていたと思います、ホントに。トウジとケンスケが本当に良い理解者なんだなと感じました。ただ意外とさらりとシンジ君復活しましたね。
あと碇ゲンドウが悩んでいたことが直に自分の心の芯にきました。他人とはなんなのか。自分はいったいなんなのか。そして、登場人物は皆大人になる、もしくはなっていてその答えを得ているように思えました。
すべて見終わった後、なぜか取り残されたというか何とも言えない気持ちになり、しばらく言葉が出てこなくなりました。「彼らも大人になったし、君たち(エヴァオタク)もいい加減大人になったら?」といわれたような気がしました。そういう意味で言うと特に旧劇とスタンスは変わらないのかもしれませんね。
最後に庵野監督の次回作(できればまたアニメがいいなぁ)に期待して、いちエヴァファンとしての感想を締めたいと思います。
<LAS好きとして>
見ていて、アスカがケンケンと呼んだ時点でもうだめだなと、ほぼ望みはなくなったと思いました。まあ、庵野監督のことですから、アスカかレイとくっついて終わりには絶対ならないだろうなとは予測していましたが、ここまでとは正直予測できなかったです。
監督からしてみれば、思春期の恋愛なのだからこんなもんだろうという気持ちが表れていたと思います。まあ現実でもそんなもんですし、劇中でも二人の態度は、大人となった昔の恋人同士といったものでした。(見ていてあ~あと思ってしまいました)
終盤でシンジ君が昔の感情をアスカに言ったことがアスカファンに対する庵野監督なりのやさしさなのかもしれません。正直、お互いに昔の想いを確認し合っただけまだましな気もします。
ただ新劇でも鳥葬されていたらこのサイトを閉鎖していたかもしれません。その点は良かったと思います。鳥葬されてないだけで扱いはアレでしたが…
アスカファンとしては、究極幸せに暮らしてくれれば良いのですがそれが確認できなかったのは残念でした。加えて、惣流アスカラングレーは式波アスカラングレーとは別に作られた人間?だったんでしょうか。その解釈はそれはそれで辻褄が合わないような気がしました。
私としては惣流アスカ好きなのでその部分は知りたかったです。
最後にLAS小説サイト管理人としてはいろいろ思うところはありますが、これからも変わらず運営を続けていきたいと思っております。
また、皆様からの感想ご意見もお待ちしております。LAS好きの方はここで思う存分想いをぶちまけていただいても結構です。長々と駄文を書きましたが、見ていただきありがとうございました。
※この記事のコメント欄では、エヴァに関する感想など、何を投稿していただいても構いません。
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 公開後の考察・感想の投稿も、もちろん歓迎します。
ネット掲示板やTwitterには書き込みにくいことでも結構です。
(*公序良俗に反する場合のみ削除することがあります)
コメント
コメント一覧 (104)
エヴァを見届けられて本当に良かった
あのエンディングも無数にあるエンディングの1つだとすれば納得もできる
でも、自分の中のアスキストである自分が庵野てめえええええ何やってくれてんだこの野郎おおおお!と叫んでます
とりあえず閉鎖はしないでください
色々書いては消して自分でも納得のいく回答が出せないのもエヴァっぽいですね
ちなみに、一週目は同じくレイカヲルに目が行ってしまいましたが、
2週目でアスカを確認したところ、左端の椅子に座ってゲームorスマホをいじってました。
その傍らにいたのはモブチックな女性でケンスケではなかったですね
LAS派としてはクるものがありましたが、旧劇でも救われることのなかったアスカが、
旧劇シンジと同じようにここにいて良いんだという幸せをやっと手にする事が出来そうで気分は「でも幸せならOKです!」の人になっていますw
昔楽しんだvipのハチャメチャSSをしばらくは楽しもうと思います
Las推しの俺は本当に見てて胸が痛かったです、、、
式波シリーズの件はショックと言ったら変かもしれませんがかなり驚きました。そりゃキョウコの話が出ない訳だと思いましたね。式波シリーズのオリジナルが惣流だという考察もありますが皆さんはどうでしょうか。
マリエンドには驚きましたが正直アスカが幸せならなんでもいいと最後のあたりでは思っていたので結果的に良かったのかなと思います。
ケンスケへの想いが単なる親子愛だと自覚したアスカを「ケンスケにヨロシク!」と送り出すシンジ、本当に空気読めてなくて普段通りのシンジだなー、と
今までの展開見るに2人がくっつくことはないと思って諦めてはいたんですが、せめてその後をハッキリ描いて欲しかった…エヴァってこういうもんだろ!と言われたらそうなんですが、正直モヤモヤしますね
・幼少期から自分はクローン人間であると自覚していながら、
第9使徒戦でバックアップが用意されているのに自爆せず使徒と融合してしまう
・Q冒頭の肝心な時にシンジに頼る
・14年間同じゲームをやり続ける
・彼氏と同居している事をシンジを見せようと家で預かる(ケンスケも鬼畜)
・シンジに「私が他の奴に取られたら」と聞いてしまう
・彼氏が居るのに「シンジの事昔好きだった」と言ってしまう
・出撃して彼氏に会えないのをシンジに八つ当たりしてバカだのガキだの罵倒する
・自分の判断ミスで使徒と融合した第9使徒戦で助けてもらえなかった事を未だに根に持ってる
こうなると破のレイに対してもセリフが変わって来てしまい
「私が天才(クローンの中から選ばれたクローン)だったから、
自分の力でパイロットに選ばれたのよ!」
「(アタシもクローン)人形よ!少しは自分を知りなさいよ!」
いやそれなら自分もクローンだってレイに教えれば良いじゃないかとか・・・
私は選ばれたクローンの中のクローン!とか言っても、もう「あんたバカぁ?」としか返せないですよ・・・
惣流じゃなく式波だからみたいな意見もあるけど、嫁のクローンが別の男とくっついて納得できるかと言われたらできない。
正直庵野に失望したな…
そんな身からすると、やっぱケンスケとくっついてる感の描写にはイラッときました。まぁQの感じからしてアスカの扱いは察するものがありましたからLASエンドは無理だなって思ってはいましたけど。
それでも、旧劇ラストの浜辺でシンジがアスカに想いを伝え、アスカが恥ずかしそうにする場面は、一LASファンとして救われた気持ちになりました。それと同時に、まるで自分が思春期の初恋相手に大人になってから話しかけている様な、そんな小っ恥ずかしさを感じました。
これで無事初恋相手にお別れを言えた気がします。ありがとう。
まぁ未練タラタラなんでしばらくはLASを読み漁りますけどw
改変後の世界でアスカのとなりに誰もいなかったこと、碇親子を見て頭を撫でて欲しいと思い親を求めた後にケンスケに撫でられていること、必要なのはママという言葉からマリもケンスケも保護者なのかな、と解釈しました。
まだあの世界でもLASに希望はあると信じています。だって2人はあの頃は両思いだったんですからまたこの世界でも好きになったっておかしくないです!
でも最後のシーンあれアスカでも良かったんじゃないかな…と見終わってからずっと思ってました。
と言う訳で、自分の中でQ以降を消しつつ、ここのLAS小説に癒されて来ます
いや、アスカに限らずレイやカヲルも含めて、アレは無いわ……
あの二人が補完を拒否してヤマアラシのジレンマを乗り越えていく物語を見たかったんですけど、新劇の二人は旧劇と比べて関係性が非常に希薄でしたね。加えて破Q間の14年はシンジとアスカを離すためだけの設定だったんじゃないかと思うくらいのダメ押し。アスカ側はともかくシンジとしてはそれほど時間が経っていないのに「好きだった」と過去形なのはどうかなのか。
あの照れたアスカは最っ高にかわいかったですけど。
補完についても一人だけ14年ズレて他者との関係が薄れ、旧劇シンジにとっての惣流アスカのような、希望を裏切られるかもしれないけどそれでももう一度会いたい人というのは、新劇において誰も描かれなかったような気がします。補完拒否の負の面を考えるとキーパーソンは親のような無条件で愛してくれる人やマリのように一方的に好意を与えてくれる人じゃダメだと思うんですよね。
映画を思い返すにつれ、やっぱりあの世界の二人とは別のシンジとアスカなんだなと思ってしまいました。
エヴァは完結しましたが、自分はあの赤い海のほとりのシンジとアスカのその先を求めて彷徨い続けると思います。
エヴァがなければ出会うはずのない二人ですから。
そもそもLASは惣流×シンジのもので、クローンの式波は排除するべき。
だからLASは皆んなの心で生き続ける。
それにしてもアスカ×マリのエンドは存在しないのかなぁ.....
それ以外は全て二次三次創作と考えるべきてす。
(鋼鉄のガールフレンド無印は劇場版と繋がる要素があるので例外)
式波というキャラは庵野監督自身の自己満足の為だけに
創られたアスカに似た「別の何か」です。
ゲームの鋼鉄2や特別編でもこういった本編を無視した
ふざけたENDがありましたが、それと同等のモノに過ぎないと捉えるのが妥当だと思います。
本編に於けるシンジとアスカはお互いの愛憎を含めて全てを受け入れあった関係性であり、新世紀のアダムとイヴです。この二人の結び付きと絆は永続的に途切れるものではありません。二人で手を取り合いお互いの欠点や弱さを補完し合いながら今日もまた共に生きていると思います。
しかし、一LASファンとしては、アスカとシンジの2人"で"幸せになって欲しい。
それを…それを…こうも簡単に失っていくのは…
それは…それは酷いことなんだよ!
めちゃくちゃ笑いました。そこまで心配してたのか。
アスカもケンケンを父親のように見ているのではないかと。。。
もしこの二人が恋人ならシンジが家に来た時にどちらかが言うのかなと
(ケンケンがアスカがしばらくここにいることになったとしか言ってない)
ケンケンが式波と呼んでいますし。
アスカはこれからも私は一人と言ってますし。。
あと最後の方の裏宇宙?でのアスカの精神世界で子供のアスカの頭を撫でているのは父親としてかなと。。。
もちろん第三村に戻ったあと二人が恋人にはなる可能性はあると思います。
同感です、本当に
ただ一晩寝て、それを見て、あ
アスカ(旧劇のシンジとユニゾンして、料理のできないシンジの作った料理でシンジにあーんをして食べさせない悪役ヒロインみたいな方)の、
妹(ユニゾンしない、好きな人の為に料理を始める健気な方)が
ケンスケとくっついた、昔どっかで見た展開なだけなのでは?と思うようになりました
で、私が好きなのは悪役ヒロインとシンジのカップリングなので、別に…?
と言うのが今の評価なんですが
心を落ち着けるために過去作を漁ろうと思います。
エヴァの終わりとしては素晴らしかったですね
過去の物に出来そうです
ただあのシンジへの愛憎入り混じった惣流は素晴らしかったなと
自分もケンケン初出で思考停止したけど、2回目見に行ったらアスカとケンケンはそういう関係というより家族的(これまでのアスカのテーマだった父性の拠り所)であるってことがはっきりわかって安心しました。
ケンケンもアスカのことを先客とか式波って言ってる。
あと、このサイト見つけて自分がlas厨と言われる人間であることを知りました笑
あと、あくまで旧劇まで論は確かにと思いました。
新劇はエヴァを古典作品化したいというメタ的目的で庵野さんが作ったもので、世界観的には旧劇で終わっている、は納得します
確かその直前は砂浜にいるシンジくんをマリがエヴァに乗って迎えにきてましたがそこでのシンジくんの精神世界を描いていたのかなと。。
成長したシンジくんをマリが迎えにきて駅の外に出る(第三村にもどる)ということなのかなあと思いました。
その前にアスカ救済の際も成長したアスカが「私寝てた?」と言って目を覚ましてました。
宇部新川駅でもシンジくんが「は!」という感じで目を覚ましていましたのでアスカのところと似たような感じなのかなぁと、、、、
やけに陽キャになっていたのは成長したことを表したいのかな?と思いました。
シンジxマリではないと思うのですがね、、、
扱われてるんだろうけど
それでも私は式波は幸せになったけど
母親の愛に飢えてボロボロになった惣流は救われたとは言い切れないと思うのです
私がシン劇で得た感想では、アスカがシン劇でのマリ役を担うループ世界もあるかと思います。ただそれを表現出来ると思うアニメ監督がいるかは別問題としてあるかと。また、式波というクローンの存在は、皆さまのような惣流アスカが好きな方々からの非難を回避する為の設定のように思います。それでも非難の声が出るくらいに惣流アスカが好きな皆さんの存在は庵野監督にとっても嬉しい事なのではないでしょうか。色々と言われても、自分が産み出したキャラクターなのですから、好かれて嬉しいに決まっています。エヴァコンテンツが続く上では、火を絶やさない皆さんの存在は貴重かと思います。長文失礼しました。
個人的にはあの後シンジとアスカがまた巡り合うと信じてる
ケンスケはあくまで保護者的な感覚で恋愛感情はないものと思いたい
ケンスケはあくまで父親の代わりで
みたいなのを見て自分の中でこれで納得しようとしてます
正直LASで行って欲しかったからただただそこだけキツい…
お門違いかもしれないけどNTRに近い何かを感じてしまって…
面白かったし、そうだよなとは感じるけどやっぱりアスカはシンジに救って欲しかった、、、
しかし自分がまだアスカを好きだった事に驚いたな
そしてこれからの時間は駅EDによってすっ飛ばされ、駅で一人なのでケンケンはいない
サヨナラはまた会うためのおまじない
次回作でアスカ民は救済されるQ.E.D.と思うことで精神の平静を保った
むしろシンジに脈は・・・
式波の方のアスカは加持との関係性が無いので精神的な保護者役としてケンスケが充てがわれているというのは納得が出来ます。鋼鉄2ndの漫画でもアスカがケンスケに「ホントにあんたが友達で良かった」という台詞を言っていますし(その言葉でもってケンスケは振られている)、お互いの関係性が変わっていく事を恐がりながらもアスカはシンジを求めシンジは自身が最後に還る場所としてアスカを選び漫画版のラストで二人は結ばれたわけですから、もしシンの続きがあるならば一人駅で佇むアスカを迎えに行くシンジ君が描かれたのかも知れません。
またエヴァの世界がループして、違う結末になるのを期待している所もあります。
浜辺の惣流にマリがにこやかな笑顔で言った「お達者で」のセリフで別れの挨拶だけじゃなく再開も表している意味にもなるし、[達者]という意味には上手とかいう意味もあり上手くシンジをマリに押し付け大人にしてもらおうとしたのではないかと思った。
駅のシーンでレイカヲルが歩いたらているのにシンジとアスカは椅子に座っていてマリと再開するまで下を向いている。マリを(大人の)階段を昇るまでは手を繋いでいたけど駅を出たあとは繋いでいなかったと思う。
アスカは一人の時は人形やゲームをしたりして孤独と闘っているから誰かに会いに行くというよりも待っているのかなっと思った。
浜辺でのシーンもシンジは体育座りをして待っていて、シンジが体育座りしている時は自分の殻に閉じ籠っているのが多い事からアスカに告白シーンが感情を出さない様にしているのではないのかと・・・
長文失礼しました。
マリ「姫上手く行ったね(笑)私がシンジくんを大人の男にするから元気で待っててね」
って意味に思った。
連投すみません。気持ちが押さえられない
理由はアスカは旧劇場にて母親の愛情をしったが父親の愛情は知らない。シンにおいては母親の愛情ではなく父親の愛情だった事とシンジへの恋心が思ったよりも早くに芽生えた。
シンエヴァにて心身共に大人になりケンスケが父親の愛情と居場所をくれた。
シンジへ告白をしシンジからの告白を聞いたが結ばれなかった。
シンジはあまり変わってなかったように思えるけど今回ので父親の思いをしり、周りの大人や友人の優しさ、アスカへの気持ちを理解したと思う。アスカからの言動や人の死を経験して大人になった。
ミサト達等のシンジの周りの大人や友人等も旧劇場までと比べると新劇場版では成長しているのではなかろうかと思う。故に次の世界には前世界の足りなかった気持ち等も引き継ぐのではなかろと推測すると後は、シンジの母親の愛情が足りずそこをマリに補完されればその後、もしくは次の世界でアスカルートが待ってると思う。
LASファンとしては残念だと思うと同時にあれは仕方がないと思う所があります。それだけいい男だしね。LAS があの物語のあとに展開されるかどうかはわかりませんが、全くないことはないでしょう。シンジとアスカはこれから本当に対等に付き合える友人として付き合えるでしょうから。シンジの告白でグッときてるようですし。お互いが大事に思えば死ぬまで付き合える二人かなと思います。
監督お疲れ様でした。
アスカは一度でも笑いましたか?
エヴァといえば「笑えばいいと思うよ」
そのエヴァにおいて一度も笑わせていないキャラがいるということに強烈な違和感を覚えています
特にシンジとアスカに関してシンジが一方的にアスカに別れを告げ、何か言いたげなアスカを遮ってお達者でシャッターガシャンってあれはどういった意図の演出だったのでしょう?
もう1つの違和感は最後のシンジのキャラ変です
およそシンジらしからぬセリフを吐き最後には声も変わり、惣流アスカのように自分を拒絶なんてしてくれそうもないただ包み込んでくれるような、まるで母親のような女性と駅を出て行く
これは母親と別れを告げシンジがシンジのまま現実世界へと帰った「まごころを、君に」と、自分には真逆の着地点に見えました
誰かを求める事はすなわち傷つくこと
真っ向それと向き合い補完を拒否し、浜辺でアスカの首を絞めるシンジに対して気持ち悪いと返したアスカ
あの気高いラストシーンを見せたEOEと対比してシンエヴァはどうでしょう?
シンジもアスカも、自分のありのままを受け入れてくれる親代わりの相手を手にしてよかったねおめでとうありがとう
違和感というよりも、もはや拒否反応に近いものを抱えています
式波アスカはエヴァパイロットとして作られた試験管ベイビーのような存在で両親無し。胎児から14歳まで通常の人間として育ち、「シン」の記憶のシーンから施設で閉鎖的に過ごしていたと思われる。
式波シリーズは14歳になった第1号をオリジナルとして14歳のクローン体を量産したもので
第1号は人間だから定期的なメンテナンスが不要。一方、綾波シリーズは綾波ユイをベースに14歳の肉体として作られているため、胎児から成長する過程が無く不安定なクローンのため定期的なメンテナンスが必要。
参号機事故から回復したアスカは式波シリーズの存在を知る。
恐らくニアサー後にネルフの進めていた計画が露見し、この頃式波本人が知ったと推測。(「破」ではリツコの言うバックアップの存在を式波アスカは知らなかった。)
「シン」で13号機と対峙し、第9使徒を解放するシーンから参号機事故後にバックアップと入れ替わっていないと思われる。ヴィレにとって眼帯アスカは希少なエヴァパイロットであるが使徒でもあるという諸刃の剣。バックアップがありながら入れ替えていないのは合理的ではない。おそらくバックアップを入手できなかったのだろう。つまり眼帯アスカは式波第1号のままなのだ。
ところが、第9使徒解放後にプラグ内にカヲルとアスカのシルエットが侵入した時「式波シリーズのオリジナルか?」と発言。あのシルエットが本当に式波オリジナルとすると眼帯アスカは何者なのか。
ゲンドウの発言によれば式波と綾波シリーズは13号機のために作られた。
だとすると、あのシーンで13号機には「Q」で爆散したカヲルの魂と、式波シリーズの魂のコピーでダブルエントリーしていたのではないか。そして式波第1号本人は自身がオリジナルとは知らず、数あるクローンの内の一人と誤認していたのではないか。
こんなふうに私は思います。長駄文失礼しました。
初恋と青春を思い出して鬱気味です。
今はLASだけが生き甲斐です。
独身のおっさんには辛い映画だった。二次元位夢見てもええやん(涙)
そんなもんはとっくに終わってるよ。
24年も前にね。
シンで自分の気持ちを完結することが出来なかった。
それくらいショックが大きい。
劇中でシンジとくっつく描写が描かれなくてもチルドレンがそれぞれの道を歩む終わり方でもよかったんじゃないかと。(LASに限らず色んなカップリングが想像出来た)
無理やりカップリングにした上に、戦闘シーンやしょぼいCG等のどこをとっても出来もひどくとても最後にふさわしい映画ではなかった。
シン・エヴァではこういうルートなんだな、で済んだと思うのですが(ショックは受けますけど)、
シンジと絡みが多かったのはアスカだし、マリとの絡みが多かったのもアスカなのに、
なんでほとんど接点のないシンジとマリなんだ、というのがLAS派であることを抜きにしても腑に落ちずモヤっとしました。
葛城がシンジを庇うシーン、戦艦ミサイル、安野モヨコの絵本、特撮オマージュの壊れずに動く建造物等々、終始それいる?と突っ込みながら見ていて入り込めていなかったせいもあるかもしれませんが。
そもそも庵野はアスカを幸せにする気なんて毛頭無い。
だから彼が製作に関わる限りシンジとアスカとの間にどれだけフラグが立とうと何回ループしようとLASエンドなんて存在しない。結局のところ旧劇同様に自分を拒否するような高嶺の花(現実)を踏み台にして自分だけは報われる話を書きたかっただけですよ。シンではより明確な形で。もう庵野抜きの新規スタッフで完結編を作り直した方が良い。でないとファンも製作に関わってきたスタッフも声優さん方も紡いできた物語を終劇出来ませんよ。
アニメ版の時は綺麗に纏めることが出来なかった庵野監督が20年以上の時を経て、結婚を経験したりする中で人として成長し、エヴァという作品という名の呪縛に終止符を打った。
ファンの人々を現実に戻し、新たな一歩を踏み出させる。
庵野監督が既に歩き始めたように、自分達も前を向いて歩き始めねばならない。
そう言われたような作品でした。
実際、自分はまだエヴァから卒業仕切れていなく何度も映画館に足を運び、その度に号泣している雑魚ではありますが、この映画のエンディングを受け止め、いつか前を向くことが出来たらいいなと思い、シンエヴァの感想とさせていただきます。
LASが好きだからといってエヴァが嫌いになることは僕は有り得ません。
アスカの優しさと思いやりが…Qの頃のフラグぽいのもどこかでなくなってた気がする。
シンジへの言動のアスカの思いを教えて欲しい
さて序盤のシンジへの言動、きびしいですよね。でも、あれって身内に対する態度なのでは?好きで大事な人なのに、精神的に折れてダメダメなので、ついイラッとする。どうでしょう。
惣流は加持さんが好きというより憧れみたいな状況で、式波は加持さんにはあまり興味がない。その代わりがケンスケという状況なのではないでしょうか。
パンフレットにもケンスケは1年後にリテイクがあり「子供を優しく癒やす」ような演技に変わったと書かれています。ですからやはり皆さんの考えているように恋愛というより父親代わりの憧れ、みたいな心境なのかな、と思っています。
ちなみに自分のは救われませんでしたので、アスカエンドの二次創作してます。もう、切なすぎて吐きそうです。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14841332
数時間前に見たばかりなので、全然まとまってないですがどうしても色々書きたくなったてしまったのでここに書かせてください。
以下、個人の妄想を長々と垂れ流します。
旧作も新劇場版も、結局のところエヴァというのはシンジとゲンドウ・ユイ(レイ)、ミサトと葛城博士、アスカとキョウコ、リツコとナオコなど徹頭徹尾「親子」の物語だったと私は思います。また、旧作ではシンジやアスカの母親の欠落に対しそれを埋める役割を果たそうとしたのはミサトでしたが、彼女自身の問題もあってそれは失敗に終わりました。それに対して新劇場版で失敗したミサトに代わって「母」の役割を与えられたのがマリであり、それが彼女のシンジやアスカに対する無償の愛に表れていたのではないでしょうか。
これによって式波アスカは母の欠落を補うことができましたが、彼女には惣流の時には存在した実の父や父親代わりを求めた加持のような存在が欠落していた。それもあって今回のアスカは肉体だけでなく精神も14歳からほとんど成長していないように見えました。実際、劇中でアスカは自分のことを大人でシンジはガキだと強調していましたが、むしろその態度や必要以上に他人と壁を作る所など反って彼女がまだ大人になれていないことを露呈していたと私は思います。惣流もそうでしたが、どう見ても大人ぶってるようにしか見えなかったのです。
それを踏まえた上でのアスカのセリフ、「ガキに必要なのは恋人じゃない、母親よ」はそのままアスカに今必要なのが恋人ではなく父親なのだということを強く示唆しています。
その後シンジはゲンドウ・ユイとの邂逅を通して親を乗り越え大人へと成長し、アスカも大人になるためケンスケ(父)の元へ送られます。
すみません、下に続きます
ここでマリと結ばれるようではシンジ君の親からの自立が台無しですし、さすがにそんなことはしないだろうと思いたいです。
最後に、旧作では庵野監督はシンジ50%ゲンドウ50%くらいだったと思いますが、今回は100%ゲンドウだったと思います。では今作のシンジは何なのか、それはおそらくエヴァという作品自体なのではないでしょうか。庵野監督そのものだったゲンドウは、自分の生み出した子であるシンジ(エヴァ)と正面から向き合い、満足して消えていきます。これを見て私は庵野監督はエヴァから卒業できたんだなと感じました。庵野監督はエヴァの呪縛を乗り越え、シンジ(エヴァ)は親の手を離れて自立した。庵野監督による「親子」の物語としてのエヴァンゲリオンは綺麗に終わりを告げたと私は思います。
ただ、色々と決着がつかなかったりモヤモヤした部分が残ったのも事実です。実際私も高校時代以来にエヴァの呪縛にまた取りつかれてしまいました・・・。ただ、庵野監督はエヴァから手を放しましたが、エヴァはまだ終わらないと思ってます。だって、「さようならはまた会うためのお呪い」なんですから・・・。
以下、愚痴
やっぱりハッキリとアスカとシンジが結ばれる決着が見たかった!!
それに、これで式波は救われるだろうけど、惣流が救われるとは思えないよ・・・。
とりあえず、今度は冷静な状態でもっかい見てきます、長々とごめんなさい・・・。
・マリは、アスカがシンジに未だに思いを寄せてることを知ってる
なのにもしマリがシンジをNTRしたりしたらそれはもうただのゲス女や。
こういったことを見逃してるのか、アスカ派からマリ派に勝ち馬乗り換えのようなことしたライト層が多く、誤解が絶えない。
また、
・アスカの精神世界のシーンでの着ぐるみケンスケは「式波」呼びではなく「アスカ」呼び、であることから、ケンスケの皮を被ったシンジ(そもそもマイナス宇宙にケンスケが居るはずがない)
・もしケンスケとアスカが恋人同士なら、アスカが「ずっと一人が当たり前」だなんて事を言うはずがない
以上のことからケンスケもアスカと恋人のような関係はない。散々LAS好きを「現実見ろ」だのバカにしてた煽り厨は相当な侮辱をしてくれたと思う。
アスカはシンジと別れる際に驚いた顔してるし、シンジは別れ際に「さよなら」を使ってる。
マリはシンジを迎えにいってくれたのだから、シンジは間違いなくアスカたちに再会できた。
現実見れないだの、ハイカイ呼ばわりだのいい加減にしてほしい、カップル厨の方がよっぽど正確な考察ができてる。
浜辺のシーンが旧劇を思わせる描写であることも頷けます。浜辺は式波オリジナル、記憶の回想シーンは式波クローンのものでしょう。アスカのシーンだけ2分割されていたのは、オリジナルとクローン両方とシンジが対話したことを示しています。
LASものを読んで癒そうと思います。
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