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管理人









アスカのアスカによるアスカのための補完【完結済】 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:08



当作品は私の前作「シンジのシンジによるシンジのための補完」及び、その後日譚「~Next_Calyx」の外伝にあたります。
 
この作品だけでお読みくださっても大勢に影響はないと思いますが、よろしければ、そちらの2作にもお目通し戴けると幸いです。

なお、Arcadia様への投稿にあたり、当時一般公開しなかったエピソードなどを追加した増補版としてお送りいたします。

                   Dragonfly 2007年度作品



****


アスカのアスカによるアスカのための補完 プロローグ


いきなり目に飛び込んできたのは、見知らぬ街角と、そこに立つファーストの姿。
 
アンタ、そこで何してんのよ。と言ったつもりだったのに、言葉が出ない。
 
「えっ僕? だっ誰?」
 
代わりに紡がれたのは、喋るつもりなどなかった言葉。
 
問題は、それがなんだか聞き覚えのあるような声だったってコト。
 
何に驚いたのか、鳥の羽音。気をとられて振り仰いだらしく、視界が振り回された。自分の意志と連動してないから、なんだか酔いそうだわ。
 
飛び立ったのがハトだと判って向き直った視界の中に、ファーストの姿がなかった。
 
「まぼろし…? 幻聴だったのかな?」
 
実際に声を出している感覚はある。だけど、自分が喋ろうとしたワケじゃない。自分の体が勝手に喋り、勝手に動いてるみたいな…?
 
試しに手を上げようとしてみたけれど、ぴくりとも動かないし。
 
 
考えろ。考えるのよ、アスカ。
 
冷静に、自分の置かれた状況を分析するの。
 
さっき、この体が勝手に喋った時の声。あれってシンジの声に似ているような気がする。
 
骨伝導の関係で自分の声は低く聞こえるっていうから、たぶん、そう。
 
とすると、これはシンジの体なのかしら。今も勝手に歩いてるし、きっとシンジの意志で動いてんのよね。
 
 
…でもって、ワタシは?
 
憶えてんのは、シンジに首を絞められたことと、状況がわからずに反射的に言ってしまった「キモチワルイ」の一言。
 
ワタシ、あのまま死んじゃったのかしら?
 
それで幽霊になって、怨みを晴らすためにシンジに憑りついた?
 
…状況的にはそんな感じだけど、ぼそぼそ怨み言を言うのって卑屈でヤだな。趣味じゃない。
 
 
まっ、なんにせよ現状確認が第一だわ。ここがドコで、今が何時なのか確認しなきゃ始まんないもの。
 
さっきの感じからすると意志の疎通は出来そうだし、訊いてみるのが一番よね。
 
『ねぇ、シ…』
 
普通に喋るような感じで語りかけた途端、突風が体を振るわせた。ぶんぶんと電線が唸ってる。
 
シンジが振り返った先、山影から国連軍のらしい重VTOLが後退るように姿をあらわす。
 
それを追いかけるようにして現れた巨大な影は、
 
『第3使徒っ!』
 
「えっ? ダイサンシト? …て言うか、誰? どこにいるの?」
 
シンジの誰何が爆音に掻き消された。こんな街路を這うように飛ぶなんて、今の、巡航ミサイル?
 
『…効くワケないわ』
 
ワタシが喋ろうとした言葉は、やはり実際には発音されてない。でも、シンジには判るみたいね。今も、声の主を探そうとしてか、きょろきょろ。
 
『ちょっと!振り回すんじゃないわよ、酔うでしょ!』
 
「ごめん…」
 
『そうやってすぐ謝って!ホントに悪いと思ってんの?』
 
シンジに説教している場合じゃなかった。使徒に攻撃されたVTOLが落ちてきたのだ。
 
腰を抜かしたらしく、すとんと視界が低くなった。
 
幸い直撃コースじゃなくて、離れた位置に墜落。でも、途端に使徒に踏まれて火花が散る。
 
『こ~んの、バカシンジっ!!』
 
腕でかばったぐらいで防げるわけないでしょ!とっとと逃げんのよ!
 
と、思ったところでシンジの体が動くわけがない。
 
ワタシも一緒にご臨終か、と覚悟しかかったところにタイヤの軋む音。シンジは気付いてないっぽいけど、何か車輌が割り込んできて爆風を遮ってくれたらしい。
 
一拍遅れて、シンジが目を開ける。
 
「ごめーん、お待たせっ」
 
見えたのは青いクーペで、ミサトがドアを開けたところだった。
 
 
                                        はじまる 
アスカのアスカによるアスカのための補完 第壱話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:08



シンジとミサトのやりとりを聞いている限りでは、二人は今日が初対面みたい。
 
第3使徒が居たことを考えると、シンジが初めてエヴァに乗った日ってことかしら。
 
…過去…、よね?
 
殺された怨みを晴らすために、時間を遡って相手に憑りついた…ってトコロ?
 
…やっぱり趣味じゃないなぁ。
 
確かに首は絞められたけど、殺されたって実感はないし。首を絞められたことだって、なんだかどうでもよかった。ワタシのココロは、あの時点でもうほとんど死んでたんじゃないかって思うもの。
 
自分しかいないと思っていた世界にいきなりシンジが現れて、のしかかるや首を絞めたもんだから生理的嫌悪を覚えたってだけ。
 
それに、将来自分が殺す相手に憑りつかれるなんて、いくらバカシンジでも憐れだわ。法律だって不遡及が原則なんだもの、まだ殺してない相手に祟られるなんて理不尽よ。
 
…って、憑りついた本人が言ってもしょうがないか。
 
 
いずれにしても、現状確認が最優先ね。どうするかは、それからでも遅くはないわ。
 
 
それにしてもシンジ、アンタ落ち着きないわね。背後やら頭上やら、いったいナニ探してんのよ?
 
また酔いそうになったから文句のひとつでも言ってやろうとしたんだけど、ミサトがブレーキ踏んだ。
 
「ちょ~っち、失礼~♪」
 
運転席から身を乗り出して、グローブボックスから双眼鏡を取り出す。そのまま助手席側から使徒を観察し始めたみたい。
 
なんでシンジの首っ玉を抱えて胸元に引き寄せるのか、良く解かんないケド。
 
それに、…サングラス、外したら?
 
「ちょっと、まさかN2地雷を使うわけぇ~!?」
 
ええっ!? どこどこ?
 
『バカシンジ!ドコ見てんのよ!アンタが見ないとワタシにも見えないじゃない』
 
「伏せてっ!」
 
 
転がりに転がったミサトのクーペが、やっと止まった。クァドラプルにトリプルサルコゥを加えて4分の1足りないってトコ。シートベルトを締めるよう忠告しとくべきだったかしらね? あちこち体が痛いわ。
 
バランス感覚に優れたワタシにはどってことのない事態だったけど、シンジにはキツかったみたい。視界がなんだか渦、巻いてるわ。そっちのほうで酔いそうよ。
 
『シンジ、シンジ、ちょっと大丈夫? しっかりしなさい』
 
視界がしっかりしてきた。
 
『大丈夫?』
 
「…大丈夫ですけど、…あの、誰ですか?」
 
『ワタシ? ワタシはア…』
 
ちょっと待って。ここが過去だとして、ワタシはどうしているのかしら? つまり、ドイツに居るはずの、この時点のワタシは? って意味だけど。
 
「…あ?」
 
ここでワタシがアスカだって名乗っちゃったら、あとでワタシが来た時にややこしくなるような気がするわ。
 
それに、自分がワタシを殺したなんて知ったらバカシンジのことだもの、うじうじうじうじと悩むに違いない。
 
『ア~』
 
アスカって名乗るわけには行かないけど、かといってナンて名乗ったらいいのかしら?
 
ア、ア…、ア…ねぇ?
 
「あ…何?」
 
『ア~、アンジェ!』
 
「あんじぇ?」
 
なんとなく思い浮かんだ単語だったけど、これ、いいんじゃない? フランス語ってのはちょっと気に喰わないケド、天使なんてワタシにピッタリだもの。
 
『そう、アンジェ』
 
「…その、アンジェ…さん? は、どこに居るんですか? それに、どうして頭の中で声がするんですか?」
 
なによシンジったら、えらく畏まっちゃって。…って、ワタシだってコト知らないんだから当然。…なのかしら?
 
「さっき街に居た女の子…ですか?」
 
『ファーストなんかと一緒にすんじゃないわよっ!』
 
ひっ。とシンジがすくみあがった。さっきの口ぶりからするとワタシの声(?)はシンジの頭の中に直接聞こえるみたいだから、ちょっとキツかったかも。
 
エント…。と、ついドイツ語で謝りそうになって、慌てて口を塞ぐ。…もちろん気持ちの上で、だけれど。
 
『ごめんごめん、怒鳴りつけるつもりじゃなかったんだケド…』
 
「う…うん…」
 
シンジの歯切れが悪い。怖がらせちゃったのかしら?
 
まあ気を取り直して…。と思った途端、ミサトが覗き込んできた。妙に顔の距離が近いのは、横倒しになった車内で、シンジがミサトに抱きかかえられているから、みたい。
 
「…シンジ君、大丈夫? まさか今ので頭打ったんじゃ…?」
 
見てはいけないものでも見たかのような顔して、恐る恐る額に手を伸ばしてくる。
 
ワタシの声がシンジにしか聞こえてないんなら、アブナイ人に見えるわよね。
 
「だっ大丈夫です!」
 
「…そう?」
 
半信半疑。って顔に出てるわよ、ミサト。
 
 
なんとかシンジが体を起こして、いまやサンルーフと化した運転席側のサイドウインドウから頭を出す。一拍遅れて、ミサト。
 
見やる先に、終息間際らしいN2地雷の爆炎。
 
よっ!と体を持ち上げたミサトが、一旦窓枠に腰かける。その体勢から爪先を持ち上げて、反動をつけて地面に降り立った。
 
そのミサトの手助けを借りながら、シンジがちょっともたもたと。ホント、冴えないわねぇ。
 
シンジはやっぱり周囲を気にしてる。…もしかして、ワタシを探してんの?
 
話しかけたいトコだけど、また変な目で見られるのもねぇ…
 
 
横倒しになったミサトのクーペを、二人がかりで押し倒す。
 
 
「あらら?」
 
運転席に上半身を突っ込んでたミサトがすぐに出てきて、ボンネットを開けた。どっかイカレたみたい。
 
ちょ~っち、待っててねん♪と、どこへやら…
 
 
『…ねぇ、声に出さないで、話しかけれない?』
 
さっきの様子からして、やはりワタシの声はシンジにしか届いてないんだろう。身体を乗っ取ったりも無理っぽいし、何か具体的に祟れている実感もない。
 
それしか出来ないって云うんだから、せめてシンジとのコミュニケーションくらい確立しておいた方がいいわよね。
 
 
 ……
 
ワタシの方は、口に出して喋ろうと思ったことが伝わっているみたいだから労はないんだケド、なまじ肉体がある分、シンジの方は苦労しているみたい。シンジが悪戦苦闘しているさまが、喋らないように努力する唇の動きで解かった。
 
 ……
 
 
『こう…かな?』
 
『そうそう!やればできるじゃない♪これからワタシに話しかけるときはそうするのよ。ヘンな目で見られたくないでしょ?』
 
こくんと頷いたシンジの、視線が定まらない。どこ見たらいいか判んない、ってカンジ?
 
『それで…、貴方はいったい何者なんですか?』
 
何者…ねぇ? ワタシが訊きたいくらいよ。
 
まあ、それはそれとして。
 
シンジとしか会話が成立しないこの状況で、シンジを敵に廻してもしょうがないとは思うワケ。だから、とりあえず…ね?
 
『強いて言えば、アンタの味方。…かしらね?』
 
『味方? …僕の?』
 
それはどういう…? というシンジの疑問は、ヒールが踏みつけた砂利の音に邪魔された。
 
おっ待ったせ~♪ってミサト、アンタなによソのバッテリーの山は?
 
 
****
 
 
「父さん…なぜ呼んだの?」
 
シンジが見上げるのはケィジのコントロールルーム。そこに映る人影。
 
こうして総司令の姿を見ていて気付いたのは、かつてワタシは、この人とロクに顔を合わせたことがなかった。って事実。言葉を交わしたことに至っては、1度もない。
 
だから、この人がネルフの総司令だっていう実感が湧かない。
 
 
≪おまえの考えている通りだ≫
 
あまりに畳みかけるようなコトのなりゆきに口を差し挟む暇もなかったけど、シンジってこんな唐突にエヴァに乗せられたの?
 
「じゃあ僕がこれに乗ってさっきのと戦えって言うの?」
 
≪そうだ≫
 
さっき見た手紙だってそう。なによあれ【来い】って一言だけ。しかも便箋じゃなくて、何かプリントアウトしたヤツの余白によ。肝心の印字内容だって、検閲でもあるのか真っ黒に塗りつぶされてたし。
 
「ヤだよそんなの、何を今更なんだよ、父さんは僕がいらないんじゃなかったの?」
 
≪必要だから呼んだまでだ≫
 
訓練もなしにいきなり実戦だったって、聞いてはいたケド…
 
「なぜ、僕なの?」
 
≪ほかの人間には無理だからな≫
 
ちょっと!ファーストはどうしたのよ? 動かせないって、どういう意味?
 
「無理だよそんなの…見たことも聞いたこともないのに、できるわけないよ!」
 
≪説明を受けろ≫
 
訓練どころか事情も知らない中学生捕まえて、今から受けれるようなレクチャーだけで使徒の前に放っぽりだそっての!
 
「そんな、できっこないよ…こんなの乗れるわけないよ!」
 
≪乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!≫
 
途端、ケィジが揺れた。使徒が間近みたいね。
 
≪奴め、ここに気付いたか≫
 
「シンジ君、時間がないわ!」
 
「乗りなさい」
 
リツコはともかく、ミサトまで…。ううん、当然よね。ネルフの人間だもの。
 
「いやだよ、せっかく来たのに…こんなのないよ!」
 
「シンジ君、何のためにここに来たの? だめよ、逃げちゃ。お父さんから、何よりも自分から!」
 
少なくともこんなモノに乗せられて、バケモノと戦うためじゃナイでしょ。逃げちゃダメ、ですって? 自分から? 事情も知らない中学生にかける言葉がそれ? アンタがナニ言ってるか解かんないわよ!
 
「分かってるよ…でも、できるわけないよ!」
 
シンジの悲痛な叫びを呑み込んで、なにやらケィジに動きが生まれる。
 
 
「初号機のシステムをレイに書き直して、再起動!」
 
 ≪ 了解。現作業中断。再起動に入ります ≫
 
『やっぱり僕は、いらない人間なんだ…』
 
シンジ…
 
10年も前からエヴァに乗るために訓練してきたワタシには、アンタの気持ちは解からないわ。
 
でも、こんな扱いは酷いと思う。
 
ワタシ、アンタのこと誤解してた。
 
…ううん、理解しようと、してなかった。
 
アンタがこんな目にあってたなんて知っていたら、あんなにバカにしたりしなかったわ。チルドレンとしての自覚が足りないなんて、思ったりしなかったわ。そのくせシンクロ率だけぐんぐん伸びて生意気だなんて、妬んだりしなかったわ。
 
ホントよ、それだけは信じて欲しい…
 
 
ストレッチャーに載せられて運ばれてきたのは、ファースト?
 
なに? すごく重傷っぽいケド…。そう云えば、零号機の実験で事故があったって聞いたことがあるような…
 
この身体で出撃させようって云うの? シンジがアレで、ファーストはコレ? ネルフってナニ考えてんのよ。
 
なにか言ってやろうとした途端、立ってらんないほどの揺れがケィジを襲う。案の定シンジはこけて、ファーストもストレッチャーから投げ出されてる。
 
「危ない!」
 
ミサトの言葉に見上げた視界には、落下してくる照明器具が大写しで…!
 
「うわぁっ!」
 
反射的に閉ざされたまぶたの裏で、ワタシはシンジとともに最期の瞬間を待ち構えてた。あんなモノが当たったら確実に死ぬ。せまいブリッジの上では逃げ場もなくて、避けろと言う気にもなんない。
 
なにより、不思議と死ぬのが怖くなかった。…やっぱり、幽霊だからかしらね?
 
 
 …?
 
いつまで経っても襲って来ない衝撃に不審を覚えたか、シンジの視界が恐る恐る開かれる。
 
覆いかぶさるように、そそり立つのは… 
 
 ≪ エヴァが動いた!どういうことだ!? ≫
 
…初号機の、手?
 
 ≪ 右腕の拘束具を、引きちぎっています! ≫
 
「まさか、ありえないわ!エントリープラグも挿入していないのよ。動くはずないわ!」
 
…そう、初号機に居るのね。シンジの、ママが…
 
 
ファーストに駆け寄ったシンジが、その身体を抱き起こした。…ってダメじゃない、傷病人をそんなに手荒に扱っちゃ。ほら、ファーストがヒキツケ起こしちゃったじゃないのよ。
 
何を思ったか振り返ったシンジの視界の中で、その輝きを失ってたはずの初号機のメインカメラが明度を上げていった。
 
腕の中で震えてる存在に視線を引き戻されると、痛みに苛まされたファーストが苦しげに喘ぐ。手のひらの違和感を確かめようとしたシンジが、べっとりと付いた血に息を呑んだ。
 
 
『…逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!』
 
シンジ…、アンタ…こんなに震えてるじゃない。鼓動でいまにも心臓が破裂しそうじゃない。
 
『逃げたってイイわよ、誰も非難できないわ。逃げなさいよ。だってアンタ、こんなに…こんなにっ!』
 
なのに、シンジの視界は決然と上げられて、
 
「やります、僕が乗ります!」
 
 
****
 
 
 
いいわ、シンジ。アンタが戦うことを選択したってんなら、ワタシはそれを手伝ったげる。
 
 ≪ エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ! ≫
 
って、ナンでこんなに近いのよ。素人が乗ってるって解かってんの!?
 
≪シンジ君、今は歩くことだけ、考えて≫
 
『ダメっ!シンジ、歩いちゃダメ』
 
こんな距離で一歩踏み出しちゃったら、確実に使徒の目を惹く。リツコはそのコトを解かってない。まずは武装の確認を、っと思ったんだけど、遅かった。
 
それどころか、ワタシの声に驚いたらしいシンジが初号機をつまづかせちゃって…
 
 …
 
あ痛たた…
 
≪シンジ君、しっかりして!早く…早く起き上がるのよ!≫
 
むりやり体を持ち上げられる感覚。初号機の頭部装甲越しだから判りづらいけど、頭を鷲掴みにされてるみたい。
 
視界いっぱいに、使徒の掌?
 
左の手首を掴まれた感触。マズいっ!
 
『シンジ、ワタシの言うとおりに腕を…』
 
万力のような握力で掴まれ捻り上げられる痛みに、シンジがうめいた。もちろんワタシだって痛い。だけど、そんなことはどうでもいい、このままじゃ…
 
≪シンジ君、落ち着いて!あなたの腕じゃないのよ!≫
 
何を潰せばこんな音になんだろ。って云うような嫌な音がして手首が握り潰される。…そっか、手首を握り潰せばこんな音になんのね。って、冷静に分析しているようでワタシも充分混乱してるわね。…つまり、痛いのよ!
 
『…シンジ、大丈夫? しっかりして』
 
ああ、ダメ。痛みのせいで考えがまとまらないから、ロクな助言も出来やしない。なにか言ってやんなきゃなんないのにっ!
 
握り潰された装甲板が、いつまでも傷口を苛んでる。中途半端な痛みがなまじ続いてるもんだから、意識を失うことも許されないんだわ。
 
≪シンジ君、よけて!≫
 
ミサトの声は、きっとシンジに届いてない。
 
シンジの視界の隅に意識を集中すると、使徒の掌のレンズみたいなのが光り輝いてた。
 
…!
 
何度も、何度も光の奔流が打ちつけられる。シンジは痛みを堪えるのに精一杯で、逃げることすら出来そうにない。
 
  ≪ 頭蓋前部に、亀裂発生! ≫
 
  ≪ 装甲が、もう保たない! ≫
 
ついに装甲を貫いて、光の奔流が眼窩から後頭部へと突き抜けた。
 
…ワタシは、この痛みを知っている。
 
エヴァシリーズのロンギヌスの槍に、同じように貫かれたから…
 
そう、アンタ…。初っ端からこんな苦しみの中で戦っていたのね。
 
アンタに斃せるような使徒だから、弱っちいヤツだと決め付けていたけど、攻撃力だけなら充分じゃない。訓練されたワタシと弐号機なら、楽に斃せる相手だと判る。だけど、単なる中学生がいきなり戦わされる相手としては、強すぎるわ。
 
…シンジは?
 
目の焦点が合ってない。今ので気絶したみたいね。そのほうがシアワセかも。
 
 
シンジの意識のない今なら、シンジの身体を使えるかも。と思ったんだけど、どうやらそれも叶わないみたい。
 
そうこうしてるうちに、シンジの体に過重。…初号機が、動いてるの?
 
これが、…暴走?
 
 
瞳孔が散大しきって焦点の合わない視界では、何が起こってるか判然としない。
 
なにもできないまま、ただ待つだけ。
 
 
あれ? 左腕の痛みが…
 
 …
 
 ……
 
  ≪ …グラフ正常位置 ≫
 
システムが復旧しだしたらしく、水中スピーカーから発令所の音声。
 
 ≪ パイロットの生存を確認 ≫
 
被っていたヘルメットが、ずり落ちるような感覚。頭部装甲も限界だったみたい。
 
視界がクリアになってく、シンジ、アンタ気がついたの?
 
 ≪ 機体回収班、急いで。パイロット保護を最優先に! ≫
 
右に振られた視線の先に、ビルの外壁。鏡のように初号機を映してる。剥き出しになった素体の頭部には、右目に大きな傷痕。
 
 
あっという間に修復して、ぎょろりとこっちを見た。そんなわけはないのに、プラグを透かしてジカに見つめられてるような…キモチワルサがある。
 
途端にあがった絶叫は、ワタシの意識を直撃した。物理的な音声としてではなく、ナマの恐怖の塊としてワタシの心を震わせてるんじゃないかってぐらいに…
 
しまった。ワタシが一緒になって驚いててどうするってのよ。見るなとひと言、言ってやってれば…
 
『シンジっ!シンジ』
 
耐え切れずに、シンジがまた気絶したのが判った。
 
 
ただ、うるさく口出しするだけで、結局、シンジのために何もしてやれないままか…
 
 
ワタシは…っ!
 
 『ワタシはいったい、なんのためにココに居るのよぉーっ!!』
 
 
                                         つづく 
アスカのアスカによるアスカのための補完 第弐話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:09



まぶたが作るのは赤い闇だってコト、初めて実感した。
 
血液を透かして見るからそう見えるのだとは解かる。ううん、だからこそ、受け付け難いんだと思う。なんだか、キモチワルイ。
 
 
その闇の中で、ワタシは独りぼっちだった。
 
シンジが昏睡している今、何も見えず、話し相手もいない。
 
孤独には、慣れてると思ってた。ドイツ時代には感覚剥奪訓練ってのがあって、真っ暗闇の個室に何時間も閉じ込められたものだ。救助を待つ間の孤独に、耐えられるようにって。
 
つらいのは、どうやら今のワタシには睡眠が要らないらしいってコト。シンジが気絶しても昏睡してても意識を失わないし、眠気も襲って来ない。
 
幽霊なら、あたりまえなのかも知れないケド。
 
なによりつらいのは、間近にシンジの鼓動や息遣いを感じるってコト。まるで、自分のモノのように…
 
こんなに近くに居るのに、シンジは応えてくれないし、話しかけてもくれない。
 
独りで居るより、ずっと孤独だった。
 
 
「…知らない天井だ」
 
だから、シンジが目覚めたと判った瞬間、すごく嬉しかった。
 
『気がついた?』
 
『…えっと、アンジェさん…?』
 
なにソレ。って言い返しそうになって、思い出す。そう名乗ったんだっけ、ワタシ。
 
『アンジェ。でいいわよ、シンジ』
 
シンジが溜息をついた。
 
『そっか…夢じゃなかったんですね…』
 
…そうだったら、よかったのにね。
 
 
それはそうと、
 
『畏まる必要はないわ。普通に喋んなさいよ』
 
訝しげに首をかしげたシンジが、こくんと頷いた。…だから酔うってば。
 
 
『それで…、アンジェはいったい何者なの?』
 
何者…ねぇ? ワタシが訊きたいくらいよ。
 
『言ったじゃない。アンタの味方だって』
 
実際にそう言った時には、それは何気ない言葉だった。とりあえずの方便だったわけね。
 
でも、シンジが昏睡している間に、ワタシはずっと考えてた。
 
結局ナンの役にも立てなかったことを、後悔してた。
 
 …なにより、シンジに同情してた。
 
だから、今更だけどその言葉は、ワタシの望むところだった。
 
『そう言われたって…』
 
『ワタシが何者か、なんて。たいして意味のあることじゃないわ。大事なのはシンジの味方だってことだけ』
 
そうかなぁ。と口から洩らして、シンジが不服そう。細かいこと気にしないでよ。ワタシだって解かんないんだから。
 
『それで…アンジェは何が出来るの?』
 
うっ…
 
 
『アンジェ?』
 
 
 
『…助言。かしらね…』
 
『それだけ…?』
 
 …
 
ああ…、天使が部屋を横切るのが見えるようだわ。
 
 
せめてシンジの身体を動かすことができれば、代わりに戦うことだってできるのに…
 
 
『…そう』
 
沈黙を肯定と受け取ったらしく、シンジが大息をついた。
 
助言なんか出来たって緊急時には間に合わないし、そうじゃなくたって役に立つか怪しいもの。
 
シンジが落胆してるかと思ったら、ナンだか悲しくなってきた。涙の一粒だって持ち合わせてないってのに。
 
 
『聞こえては、いたんだよ』
 
 
『アンジェが、僕を励ます声。気遣う声』
 
シンジの右手が、胸の上に置かれた。そんなはずはないだろうに、それはとても温かく感じられて…
 
『だから僕はこうして、無事にここにいられるんだと思う』
 
シンジ…
 
『ありがとう』
 
アンタ…あんな目に遭っておきながら、ワタシなんかにありがとうだなんて… …ほんと、ばかね。
 
『これからもよろしく』
 
そうね。こんな状態じゃ、たいしたことは出来ないかもしれないけど…
 
『よろしくね』
 
 
 
それから、今後のことについて相談してみた。
 
この時期の事をワタシは知らないし、シンジだって知るわきゃないから、たいしたことを話せるわけじゃない。
 
ワタシの関心は専らシンジの過去のことで、シンジは案外素直にそのことを話してくれた。
 
…ところでシンジ、ドコ行こっての? 外傷がないからってアンタ、一応ケガ人なのよ。
 
 
思えば、きちんと意識に乗せてシンジに問い掛けとくべきだったのよ。ついつい自分の意識の中だけで完結しちゃうのよね。
 
 
****
 
 
 
…!
 
『!☆&%◇¢♂℃∋¥←♀=∞▼*±〒?~!!』
 
ワタシの絶叫は、シンジの脳髄を貫いたことだろう。だって、宿酔いのミサトもかくやってくらい眉を顰めてるもの。
 
『…な、なに?』
 
『このバカシンジ!うら若き乙女の前で、ナニしよってんのよ!』
 
こともあろうにシンジは、トイレに入って縦に高い便器の前に立ったのだ。
 
『…だって、漏れちゃうよ』
 
『だってじゃないわよ!』
 
あとで落ち着いて考えりゃあ、自分が無理難題言ってることに気付くんだけど、さすがにこの時はそこまで気が回らなかったわよ。
 
だって、その…ねぇ? オトコノコのコレって、アレがソレで、ナンなんでしょ?
 
なんて煩悶してたら、シンジが間抜けなことを訊いてきた。
 
『あれ? 乙女って、…アンジェって女の子なの?』
 
 
『あったり前でしょっ!!この天上を流れる楽の音のような美声を聞いてて、判んなかったの!』
 
今度は何か予感でもあったのか、シンジが耳を塞いだ。無駄なんだけど、まあ気持ちってヤツ?
 
『そんなこと言われたって、男の人とも女の人とも区別のしようのない声。としか聞こえないよ』
 
ゑ?
 
『そうなの…?』
 
『そうだよ』
 
さんざん頭の中で騒ぎ立てられてか、シンジの機嫌が悪そう。
 
『…ホントに?』
 
『嘘ついてどうすんのさ』
 
落ち着いて聴いてみると、確かにシンジの心の声もそんな風に聞こえる。ワタシが自分のイメージで、勝手にシンジの声に置き換えてたみたい。
 
考えてみれば肉声じゃないんだから、性別に左右されないのは当然なのかも。
 
『…その、ごめん。そんな風に聞こえてるなんて気付かなくて』
 
なんだか、自分でも気持ち悪いくらいに素直なのが判る。ワタシって、こんな素直な女の子じゃなかったと思うんだけど…
 
『あっ、ううん。僕の方こそごめん』
 
なにやら不機嫌そうにぶつぶつ呟いてたシンジが、慌てて謝ってきた。
 
…そっか。シンジはともかく、ワタシの方は言葉でしか気持ちを伝えられないんだ。態度とかで示すってワケに行かないもんね。だから、知らず知らずのうちに素直なんだわ。
 
…でも、なんだか不快じゃない。
 
 
『…アンジェって、女の子だったんだ』
 
途端にシンジの頬が火照った。自分がナニをしようとしていたか、思い至ったんだろう。
 
なにやら意識しだして、視線がめちゃくちゃだ。
 
ワタシがソレを見せられたら恥ずかしいように、シンジだってソレを女の子に見られるとなったら恥ずかしいだろう。
 
そう思うと、急にシンジが憐れに思えてきた。
 
ワタシさえ我慢してれば、シンジは何の気兼ねもなく過ごせていたはずなのに…
 
このままじゃ手助けどころか、お荷物じゃない。
 
 
 ……
 
   …
 
アスカ、行くわよ。
 
『シンジ。目をつぶって、できる?』
 
『えっ? 目をつぶってって、なにを?』
 
『ナニをって、ここですべきことをよ』
 
言葉に釣られて、シンジがトイレの中を見渡す。予測できたから、酔いはしない。
 
『でも、…』
    『そこまで』
 
ぴしゃりと、撥ね退けるように言い切る。こういうときこそ割り切らなくちゃ。
 
『アンタも恥ずかしいだろうケド、ワタシだって恥ずかしいわ。お互い様よ』
 
第一、シンジの五感はワタシも感じている。シンジが限界だろうってことは、よっく判ってるのだ。というか、よくここまで我慢できるわね。って、感心するぐらいよ。
 
『しないワケにはいかないんだから、お互いに我慢しましょ』
 
 
 ……
 
『うっうん』
 
生理的欲求に負けて、ついにシンジが頷いた。
 
 ……
 
 
 
知らなかった。と云えば、オトコノコってアレの時にソレを手で支えるのね…
 
さすがに触覚まではどうしようもなく、暗闇の中で却って生々しく感じられる手触りに必死で耐えた。
 
 
 
 …どうしよう… 汚されちゃったよぅ……
 
 
****
 
 
そのあとは、迎えに来たミサトと色々な手続きをしに回ることになった。
 
シンジのパパとエレベーターで鉢合わせしたり、一人暮らししろって告げる職員に反発したミサトが引き取ると言い出したり、第3新東京市を見渡せる高台に連れてかれて生えるビルを見せられたり、レトルト食品で歓迎されたり、バスルームでペンペンに驚いたりした。
 
最後の最後に本人の了解もとらずにフスマを開けたミサトが、「一つ言い忘れてたけど、あなたは人にほめられる立派なことをしたのよ。胸を張っていいわ」なんて言うもんだから、昨日から溜まりに溜まっていたネルフへの鬱憤を悪口雑言の限りに言い立ててやった。
 
 
『アンジェが言っちゃうから、僕がつける文句がないよ』
 
『あ…ごめん。迷惑だった?』
 
やっぱり、ワタシずいぶんと素直になってる。
 
ううん。とシンジがかぶりを振った。…これ、早くなんとかしなきゃ。ホントに…酔うわ。
 
『僕は言いたいことも言えずに裡に秘めちゃうから、アンジェが僕の身になって代わりに言ってくれると…その、気が晴れるんだ』
 
 
『…』
 
つい、押し黙っちゃった。
 
だって、そこまで考えて文句をつけてたワケじゃないもの。
 
でも、そんなんでもシンジの役に立ってるかと思うと、なんだか嬉しい。
 
…やっぱりワタシ、なんだか変だわ。
 
『…ありがとう。おやすみ』
 
シンジが掛け布団を引き上げた。
 
『うん。おやすみ、シンジ』
 
 
****
 
 
目だけは絶対閉じるな。と忠告しといたんだけど、ちょっと難しかったみたい。
 
鈴原のストレートは基本も何もなってないけど、そのバカ力だけでシンジの身体を吹っ飛ばした。
 
校舎裏に呼び出し。って時点でキナ臭いものを感じたから、一応の注意だったんだけどね。
 
さすがのワタシも、目を閉じた状態じゃあ的確な指示は出せない。出せても、シンジじゃついてこれないんだろうケド。
 
「すまんの、転校生。わしは貴サンをどつかんなならん。どついとかんと気ぃがすまんのや」
 
「…」
 
訳知り顔で近づいてきた相田が、おざなりに掌を立てて、上っ面だけすまなさそうな顔をしてくる。
 
「悪いね…こないだの騒ぎであいつの妹さん、怪我しちゃってさ…ま、そういうことだから…」
 
ワタシはコイツらの仲良さそうな姿しか知らないから、こんな出会い方してるなんてちょっと意外だった。
 
 
「…僕だって、乗りたくて乗っているわけじゃないのに」
 
小さな呟きを聞き逃さなかったらしい。去りかかっていた鈴原が、踵を返して詰め寄ってくる。
 
シンジの襟首を掴んで持ち上げ、睨みつけてきた。
 
『ダメっ、シンジ。アンタは悪くない。だから目を逸らしちゃダメ』
 
ワタシの叱咤に、シンジの視線が鈴原に戻される。かすかに震えているけれど、しっかりと相手の目を見据えて…
 
振りかぶった鈴原を、懸命にシンジが睨みつけた。目頭に込めた力が、目を閉じまいとしているシンジの努力を教えてくれる。…って、目を閉じるなって忠告、今頃実行してんの?
 
「…」
 
気をそがれたって顔した鈴原が唐突に襟首を放すもんだから、尻餅ついちゃった。…あいたた。キュートなヒップに痣がついたらどうしてくれんのよ。…って、ワタシのお尻じゃなかったっけ。
 
シンジも結構痛かったらしく、お尻をさすっている。…オトコノコのお尻って、不思議な感触なのね。硬いのに、軟らかいわ。
 
 
五感の全てを余すところなく共有してるっていうことを、シンジには教えてない。ただでさえ生活の全てを女の子に見張られてるっていうのに、このうえ触覚やら痛覚まで筒抜けだと知ったら心の休まる暇がなさそうだもの。 
 
 
人影に気付いて振り仰いだ視界の中に、ファースト。
 
女の子の前でお尻をさすっていたのが恥ずかしかったのか、シンジが慌てて手をホールドアップした。
 
そんな気遣い、この女には無意味よ。
 
「…非常召集…先、行くから」
 
ほらね。
 
 
****
 
 
 
指の間に違和感を覚えて、シンジの視線が下を向く。
 
『こんの、バカども!』
 
そいつらを視認した途端、全身の血液が沸騰したかと思った。もちろん、気持ちの上でってコトだけど。
 
 ≪ シンジ君のクラスメイト? ≫
 
 ≪ 何故こんな所に? ≫
 
妹が被害に遭ったって言った、その舌の根も乾かないうちにノコノコと…!
 
シンジが、今どんな思いで戦ってると思ってんのよ。
 
 
ファーストに促されてネルフに向かい始めてから、こうして使徒に相対するまで。シンジは恐ろしいくらいに静かだった。
 
搭乗手続きに必要な最低限の遣り取りにだけ応じ、そのほかには一切口を開かなかった。慰めようとして話しかけるワタシの言葉にも、生返事を返してくれればいいほうだったもの。
 
きっと、一所懸命にモチベーションを保とうとしていたんだわ。
 
ワタシみたいに、自分のために戦うって割り切れるようなヤツじゃないのよ。自分を殴るような連中を守るために命がけで戦わされているシンジの気持ち、アンタたちなんかに…!
 
 
滑るように接近してきた使徒が、宙に浮いたままに光の鞭を振るう。
 
驚いたことに、音速を遥かに超えるだろう鞭の先端を、初号機が掴み取った。
 
シンジ。アンタ、やるじゃない。自分の体があったら、口笛のひとつも吹いたかも。
 
≪シンジ君、そこの2人を操縦席へ!2人を回収したのち一時退却、出直すわよ≫
 
本気!? ミサト。
 
 ≪ 許可のない民間人を、エントリープラグに乗せられると思っているの!? ≫
 
 ≪ 私が許可します ≫
 
 ≪ 越権行為よ!葛城一尉! ≫
 
発令所でケンカしてんじゃないわよ!
 
 ≪エヴァは現行命令でホールド、その間にエントリープラグ排出、急いで≫
 
 
 
 
「 なんや、水やないか! 」
 
「 カメラ、カメラが… 」
 
バカコンビがプラグ内に確保されたのを確認して、神経接続が再開される。
 
延髄に蟻走感と…、頭の中が霞がかったようにぼんやりとしてくる。
 
 ≪ 神経系統に異常発生! ≫
 
 ≪ 異物を2つもプラグに挿入したからよ!神経パルスにノイズが混じっているんだわ ≫
 
シンジと一緒に弐号機に乗った時は、こんなことなかったのに。こいつらが特別バカだからかしら?
 
≪今よ、後退して!回収ルートは34番、山の東側へ後退して!≫
 
「転校生、逃げろっちゅうとんで!転校生っ!」
 
『 …逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ 』
 
って、アンタ。まさか…
 
『ダメっっ!!』
 
あらん限りの思いを込めて、シンジに叩きつける。
 
きっと、その言葉を呪文のように繰り返して、萎えそうになる気持ちを引き止めてきてたんだわ。そうやって、かろうじて戦場にとどまってたシンジには、逃げろって言葉が反対の意味を持って聞こえたに違いない。
 
『ダメよ、シンジ。ここは下がるの』
 
『…アンジェ』
 
我に返ったって調子で、シンジ。
 
『まずは要救助者の救出で作戦成功よ。使徒殲滅は次に持ち越し。判った?』
 
『うん』
 
 
****
 
 
一旦回収された初号機は、バカ二人を放り出したあと即座に第4使徒と再戦した。
 
あの鞭を見切れるシンジにとって、この使徒はたいした敵じゃなかったみたい。
 
第3使徒戦なんかと較べると、遥かに軽微な損害で殲滅できたもの。
 
 
                                         つづく 
アスカのアスカによるアスカのための補完 第参話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:09



ひとりはイヤ…
 
 
眠ることが出来ないワタシは、なんとかシンジの五感を遮断する方法を会得した。
 
そうしておいて、何も考えないようにして過ごすの。
 
 
シンジが寝ている間、ワタシは独りぼっちになる。
 
孤独には慣れてるはずなのに、間近にシンジの鼓動や息遣いを感じていると寂しくってしょうがない。
 
だから、引き篭もる。何も感じなければ、孤独も感じない。
 
 
強ければ、独りでも生きていられると思ってた。でも、実際には強ければ強いほど…ううん、強がれば強がるほど、独りぼっちになっていったような気がする。
 
ほとんど一心同体と言っていいほどにシンジを身近に感じられる今では、だからこそ独りで居るのがつらい。
 
これは、ワタシが弱くなったんじゃないと思う。
 
ワタシが、孤独ってモノをよく解かってなかったから。自分から周囲を拒絶して他人を遠ざけておく程度のことを、孤独だなどと思い込んでたのね。
 
孤独でないことを味わってなお、放り込まれる孤独とは、比べ物にならないもの。
 
 
何も考えないようにしているはずなのに、ついつい思索が脳裏を満たす。
 
独りぼっちで考えるのは嫌。時間が経つのが、遅くなるもの…
 
 
 
 
『こんな夜中に、何してんの?』
 
シンジが起きてるらしいことに気付いたワタシは、後先なしに声をかけてしまった。…きっと、嬉しかったんだと思う。
 
『…アンジェ?』
 
途端に、シンジの心臓がきゅっと縮こまったような気がした。
 
えっ? ワタシ、なんかイケナイこと、した?
 
 
こんなに真っ暗なのに、シンジは明かりもつけずになにやら水に手を浸している。かすかに見える周囲の輪郭から、バスルームだと判った。
 
シンジは、洗面器で白い布を洗ってたらしい。この肌触りは… ブリーフ?
 
 
『シンジ、アンタまさか…おね』
              「違っ!…」
 
ワタシの声を遮るように上げられた否定は、だけど言い切られることはなく…
 
止まってたんじゃないかと思わせてた心臓が、遅れを取り戻そうと早鐘を打ち鳴らす。シンジの頬が、急速に熱をおびる。額から流れ落ちるのは、ねっとりとした脂汗だった。
 
心外だと言わんばかりの口調から、おねしょではないのだろうと思う。だけど最後まで言い切れなかったのは、夜中に大声を張り上げることへの遠慮じゃあなさそうな…?
 
シンジの視点は安定せず、酔いそうになる。ちらり、ちらりと視線が左に振られるのは、なにかの葛藤の表れかしら?
 
 
オンナノコじゃあるまいし、オトコノコが夜中に下着を汚すなんて…と考えてて、一つだけ思い当たった。保健体育の時間にそう云うことを習ったような気がするし、ワタシだって14歳のオンナノコなんだから、歳相応に耳年増だった。
 
 
『 …キモチワルイ』
 
反射的に漏らした言葉ほどには、本気で嫌悪を覚えたってワケじゃない。ただ、シンジの男の部分を見せつけられて、相対的にワタシが女だってコトを突きつけられたことに対する拒絶だった。
 
シンジが嫌なんじゃなく、男と女というモノ、自分が女だって事実に嫌悪を覚えた。自分という存在に、外しようのないオンナって云う枷がついてるのに耐え切れなかったの。
 
なにより、肉体を失くしてシンジに憑りついてるっていうのに、未だに女であることへの嫌悪を捨てきれてない愚かな自分が嫌だった。
 
 
 
しばらく、自分への憎悪で固まってたんだと思う。気付くと、常夜灯だけのシンジの部屋。
 
シンジの手からぽとりと落とされたのは、たぶん、固く絞ったブリーフ。
 
なげしに掛けてあったハンガーから制服を引っ攫ったシンジが、無言で着替えてく。
 
『…シンジ?』
 
滅多に使わないグリップバッグを取り出して、黙々と財布やSDATを詰め込み始めた。
 
『…何してるの?』
 
静かに部屋を後にしたシンジが、足音を殺して玄関へ…
 
『ねぇ、ドコ行こっての…?』
 
靴を履いて、一瞬だけ廊下の奥。きっとミサトの部屋のほうを、見やった。
 
『ちょっと待って!さっきのは違うのっ!』
 
だけど、伸ばされた手はためらいなく開閉スイッチを押す。
 
『シンジ!お願い、ワタシの話しを聴いてっ』
 
夜明け間近の夜気は冷たかったけれど、シンジの手足の冷たさを強調するばかりで…
 
『違うの!さっきのは違うの!お願い、ワタシの話しを聴いてっ』
 
踏み出したシンジの足音が、全ての終わりを告げる鐘の音に、聞こえた。
 
 
****
 
 
始発の環状線に飛び乗ったシンジは、大音量でSDATをかけっぱなしだった。夜になってぶらついたのは、喧騒うずまく繁華街。そうして辿り着いたのは安っぽい映画館で、効果音ばかりが盛大なB級スペクタクルをオールナイト上映していた。
 
その選択のどれもが、語りかけようとするワタシへの拒絶の表れかと思うと、無性に悲しくなった。
 
 
  ≪ だめです、津波がきます!秒速230mで接近中! ≫
 
ぼんやりとしていたシンジの視界が、急に焦点を取り戻す。視線の先に、いちゃつくカップル。
 
  ≪ 先生!脱出しましょう! ≫
 
やにわに立ち上がったシンジが、ロビーに避難した。
 
…やっぱり、気にしてんだ。
 
 
長椅子を見つけて横になったシンジは、ほどなくして寝息をたて始める。
 
いつもなら孤独を苛むだけのシンジの寝息が、なぜか嬉しかった。
 
呼びかけても応えてくれないことは変わりがないのに、寝ている今は不可抗力だからと己を誤魔化すことができる。
 
偽りの安息だと判っていても、縋りつかずには居られない。噛みしめるようにシンジの鼓動を数えて、夜を明かした。
 
 
****
 
 
前日とは打って変わって、シンジは静かな、人影のないトコロをさまよった。山、田んぼ、ひまわり畑…
 
『…』
 
ワタシは、シンジに呼びかけることすら出来なくなってたわ。
 
静かな場所で話しかける言葉は、砂地に水を撒くような虚しさでワタシを打ち据える。シンジが、ワタシを拒絶してるんじゃなくて、ワタシを無視してるんだと思い知らされて…、哀しい。
 
拒絶なら、少なくとも招かれざる存在として認識されてんだもの。存在の認識すらしてもらえないことを思えば、それですら…
 
 
「ああ、一度でいいから、思いのままにエヴァンゲリオンを操ってみたい!」
 
焚き火の炎の向こうに、バカケンスケ。
 
「やめた方がいいよ。お母さんが心配するから」
 
「ああ、それなら大丈夫、俺、そういうの居ないから。…碇と一緒だよ」
 
バカケンスケなんかと普通に会話を交わすシンジの姿に、シンジの心の中には、ワタシが居ない。ということを痛感させられた。
 
『お願いシンジ!』
 
狂おしさに突き動かされて、再び口を開いた。
 
『ワタシの話しを聴いて!ワタシを無視しないで!謝るから、謝るからっ!』
 
何度も繰り返した言葉を、今また。
 
『だからワタシを見て!ワタシを無視しないで!』
 
ワタシの声は届いているはずなのに、
 
『死ぬのは嫌。自分が消えてしまうのも嫌』
 
遮りようのない心のコトバなのに、
 
『お願いシンジ!ワタシを殺さないでっ!』
 
シンジは眉一つ顰めなかった。
 
 
『…いや』
 
 イヤなのに。
 
 『嫌…』
 
  嫌いなのに。
 
  『…イヤ…』
 
   …シンジの傍に居たいのに。
 
   『独りはイヤぁ…』
 
…居場所がなくて、閉じ篭るしかなかった。
 
 
 
****
 
 
…ひとりはイヤ
 
 
何も感じない状態のはずなのに、違和感がなかった。
 
それはつまり、感覚を遮断しようがしまいが、今のワタシにとっては違いがないってコト。
 
 
失ったモノの大きさに、今さら気付く。この茫漠な虚無が、ワタシの全てだなんて…
 
なにもかも取りこぼしたかのような喪失感は、もしかしたら死 そのものなのかもしんない。
 
 
死をイメージすると、必ず思い出すのが、天井からぶら下がってたママのこと。
 
嬉しそうなその顔が、とてもイヤだった。だから死ぬのは嫌。自分が消えてしまうのもイヤ。私を消したからママは嫌。ママのこと見捨てたパパも嫌!パパみたいなのばっかりかと思うと男の子も嫌!みんなイヤなの!
 
誰もワタシのコトを護ってくんない。一緒に居てくんない。
 
だから、一人で生きると決めた。ワタシは一人で生きる、と。パパもママも要らない!一人で生きるの。ワタシはもう泣かないの!
 
でも、嫌なの!辛いの!
 
 
 ひとりはイヤ…
 
 
   1人はいや、 ひとりは嫌、 独りはイヤぁ!
 
 
****
 
 
 
そこに戻れば孤独を突きつけられると知っていて、でも、この虚無にも耐えられなくて…、遮断していたシンジの五感を受け入れた。
 
だけど、それは、ワタシが弱くなったワケじゃない。
 
ワタシは、もともと弱かったんだ。それに気付かない…ううん、気付きたくなかっただけで。
 
自ら孤高を保っていると嘯いて、寂しいのは、自分が選び取ったからだと己を誤魔化していた。寂しいのは、選ばれた者ゆえの苦悩だと虚勢を張っていた。
 
 
だけど、今は… 自分が弱いと自覚した今は…
 
だから、拒絶されてもいい、無視されてもいい。ただ、他人の存在を感じられるだけで、それだけでよかった。
 
 
「この2日間ほっつき歩いて、気が晴れたかしら?」
 
「…ええ」
 
狭くて、暗い空間だった。視線は何を求めるでもなく、下方に。
 
「エヴァのスタンバイできてるわ。乗る? 乗らないの?」
 
「叱らないんですね、家出のこと。当然ですよね、ミサトさんは他人なんだから」
 
目の前には、切り取られたように照らされた床。コントラストが質感を削いで、硬度を増している。
 
「もし僕が乗らない、って言ったら、初号機はどうするんですか?」
 
伸びた影は、きっとミサトの。
 
「レイ、が乗るでしょうね。乗らないの?」
 
「そんなことできるわけ無いじゃないですか。彼女に全部押し付けるなんて。大丈夫ですよ、乗りますよ」
 
「乗りたく無いの?」
 
「そりゃそうでしょ。第一僕には向いてませんよ、そういうの。だけど、綾波やミサトさんやリツコさ…」
「いい加減にしなさいよ!」
 
ミサトの怒声に、シンジが思わず面を上げた。向けた視線の先に、肩を怒らせたシルエット。
 
「人のことなんか関係ないでしょう!嫌ならこっから出て行きなさい!エヴァやアタシたちのことは全部忘れて、元の生活に戻りなさい!アンタみたいな気持ちで乗られるのは、迷惑よ!」
 
ミサトの言い草はあまりにも自分勝手で、思わず…
 
『むりやり乗せておいて、このうえ心まで思い通りにしよっての!』
 
声に出してしまった。
 
『アンタに、シンジの何が解かるって言うのよ!』
 
あらん限りの思いを、
 
『向いてないって解かってんのに、人のために戦えるなんて立派じゃない!充分に、立派じゃない!』
 
ぶちまけてしまった。 
 
『後ろ向きだろうが消極的だろうが、シンジはエヴァに乗って、戦ってるじゃない』
 
シンジの心の傍に、ワタシは居た。戦うさまを、ずっと見てきた。
 
『自分の心を押し殺して、人のために戦ってるじゃない』
 
そうして解かったことは、ワタシたちがよく似てるってコトだった。
 
双子のようにそっくりって意味じゃない。ワタシたちは二人とも心の中に欠けたモノ、満たされずに餓えてるトコロがある。その欠けたモノのカタチや意味は違っていても、そこにエヴァが嵌り込んでいるって点で、ワタシたちは同じだった。
 
『なんで、このうえ。心までアンタの望みどおりに変えなきゃなんないのよ…』
 
生きて一緒に生活している時は、そんなことに気付かなかった。ううん、むしろシンジを蔑んでたわ。なまじ同じところがあるだけに、却って他の部分の違いに耐えられなかったのだろうと思う。 
 
同族嫌悪って、ああいうのを言うのかしら?
 
『…アンタの罪悪感を、シンジのせいにすんじゃないわよ』
 
ワタシに、ワタシに身体があれば…
 
こんな心を土足で踏みにじるようなマネ、させないのに。
 
 
 ……
 
ぽつり。とシンジが呟いた。
 
誰にも聞き取れないほどに、小さく。
 
でも、ワタシには判る。五感を共有してなくても判っただろうと、思う。
 
名前を、呼んでくれたのだ。
 
 
『 … シンジ ? 』
 
ミサトへの罵詈雑言とは打って変わって、おそるおそる。
 
「アンジェ、…ごめん」
 
 …
 
『…わっ、ワタシこそ…』
 
さっきとは違う理由で、無性に自分の身体が欲しかった。そうしてシンジと向き合いたかった。ワタシの言葉に篭った万感の想いを、ココロの言葉は却って伝えてくれないだろう。
 
「1度考え出したら…、ここに来てからのこと全てが嫌になって」
 
決してアンジェのことが嫌いになったとか、そういうわけじゃないんだ。と、思い出したようにココロの声に切り替えて。
 
『こんなに心強い味方がいて、僕はなにを迷ってたんだろうね…』
 
自分で自分が嫌になるよ。って、つぶやきは、ココロの声と口中で同時に。
 
そうね。アンタのその内罰的なところ、嫌いだったけど… 嫌いだと思ってたけど…
 
 
いきなり両肩を掴まれて、乱暴に揺すぶられた。
 
「シンジ君、大丈夫?」
 
…酔うどころかバーティゴに陥りそう…。これ、早めにナントカしとかないと…
 
「…まさか精神汚染じゃ!?」
 
独りごと言ったり、ミサトを無視して黙り込んだり。傍目から見れば不気味だったのだろう。容赦なくシンジを揺さぶるミサトの目が真剣だった。
 
「 …ミサ トさん」
 
声までシェイクされて、なんだか滑稽ね。くすくす笑っていると、笑い事じゃないよ。とシンジの抗議。まっ、ミサトのバカ力で揺すぶられりゃあねぇ。
 
「なっ何? 医療部行く?」
 
揺さぶるのをようやく止めたミサトの、目をまっすぐと見上げて。
 
「人のために、エヴァに乗っちゃダメですか?」
 
ゑ? っと、ミサトのまぬけ面。
 
「僕には向いてませんよ、そういうの。恐いですし、やりたいとは思いません。でも僕にしか出来ないというなら、やるしかないじゃないですか」
 
「それでいいの? シンジ君」
 
ぎゅっと握りしめられた両肩の痛みに、シンジが顔をしかめた。そのことに抗議しないのは、シンジも見たからだろう。ミサトの、あまりに悲痛なその表情を。
 
いったい、シンジに何を見てるって云うの? ミサト…
 
「僕にだって、守りたいと思うモノは有るんですよ」
 
「守りたい者?」
 
「ええ、たとえば家族とか」
 
見上げた視線はまっすぐで、ミサトはあろうことかほんのり頬を染める。
 
たとえば…。と呟いたシンジが、右の掌を胸に当てた。
 
ちょっとシンジ、それどういう意味なの? ちゃんと言いなさいよ!
 
アンタのそういうはっきりしないトコ、大っ嫌い!!
 
 
****
 
 
 
 
 
 ……
 
  
2日ぶりに帰宅したシンジを待っていたのは、ブリーフに生えたカビだった。
 
 
                                         つづく
2007.05.16 PUBLISHED
.2009.01.01 REVISED

 アスカのアスカによるアスカのための補完 第四話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:09



『それじゃあ、お先に。おやすみ、シンジ』
 
「おやすみ」
 
このところの習慣として、ワタシはシンジより1時間ほど早く寝ている。もちろん、単に感覚を遮断するだけなんだけど。
 
何のために。なんて野暮は言わない。シンジも問い質したりしない。暗黙の了解の上でワタシの気遣いを素直に受け止めて、短いプライベートタイムを満喫しているようだ。
 
 
Auf Regen folgt Sonnenschein
 
こっちだと、雨降って地固まる。だったかしらね?
 
あれ以来、シンジとの絆が強くなってきているのを実感する。
 
嬉しいのは、ワタシの話し相手になってくれることを、シンジが厭わなくなってきたコト。場合によってはシンジの方から話しかけてくれたり、相談してくれるようになった。
 
意外だったのは、ほとんどが家事とかについての相談だってコト。シンジの家事能力がワタシより高いことは判っていたので、それらについて協力できるとは思ってなかったもの。だから、ワタシから持ちかけるのは使徒戦の反省とかが多い。でも、味付けの感想を言ったり、献立の希望を言ったりするくらいのことがとても助かるって、シンジは言ってくれた。毎日のことだから、相談に乗ってくれるのが嬉しいって。
 
こないだも、結局押し付けられることになった洗濯当番で、ミサトの下着を手洗いしていいものかどうか。二人で延々と討論した。とりあえず洗濯ネットで洗っておいて本人の意向を聞くことになったんだけど、その時のミサトの顔は結構な見ものだったわ。
 
…思えば、一緒に暮らしてた頃には文句を言うばかりで、こんな些細な協力すらしてなかった。どれだけシンジに甘えていたのか、今頃になって解かるなんてね。
 
 
話し相手がシンジしか居ない今の状態で、シンジとの会話はワタシにとって大切なものになりつつある。一方的に喋ってもいいんだけど、やっぱり相手してくれるのとくれないのじゃ張り合いがずいぶんと違う。
 
 
…そろそろ、いいかな?
 
このところのもう一つの習慣が、シンジが寝入ったあとで、シンジの五感を受け入れることだった。
 
シンジの寝息と、鼓動。
 
孤独を際立たせるとばかり思っていたシンジの寝息が、今やワタシの揺りかごだった。
 
もちろん、ホントに眠れるわけじゃない。ただ、何ごとにも思い煩わされずに、心穏やかに過ごせるってだけ。
 
シンジのリズムに心を委ねていれば、余計なことを考えなくて済む。
 
独りっきりで考え事をしてると、なぜだかどんどん悪いほうへと思考が加速してしまう。比類なき頭脳ってのも考え物よね。
 
シンジのリズムはゆっくりとしていて、ワタシのココロにブレーキを掛けてくれてるんじゃないかって思う。
 
なにより、すぐ傍に誰かが居てくれる。という安心感がこの上ない。
 
…もしかして、ママのお胎の中って、こんな感じなのかも。
 
 
****
 
 
… 
 
開いた口が塞がらないって、こういうのを言うんじゃないかしら。
 
ファーストの部屋のことよ。
 
コンクリート打ちっぱなしの壁。土足で上がってるらしい足跡だらけの床。血のこびりついた枕と無雑作に脱ぎ捨てられた制服。使用済みの包帯が詰まったダンボール箱はゴミ箱のつもりで、あのビーカーはグラス代わり?
 
…ファーストって、どんな育ち方したってのよ。
 
 
好奇心に負けてか、シンジがチェストの上のメガネをかけた。ヒビいってるし度が合うはずもないから、ちょっと視界が怪しい。
 
背後でした音は、アコーディオンカーテンでも開いたのかしら?
 
振り向いた視界の中に、ぼやけてるけどファーストの姿。あの髪の色は見紛いようがない。
 
ファースト。アンタ居たってんなら返事くらい…って、何で裸なのよ!ううん、自分の部屋だもの百歩譲ってそれはいいとするわ。
 
問題は、シンジのことを認識したんだろうに、逃げも隠しも、悲鳴をあげることすらしなかったこと。
 
「いや、あの……僕、別に…」
 
それどころか、まなじりを吊り上げてシンジに迫ってくる。…アンタ、そんな表情も出来たんだ…って、感心してる場合じゃない。
 
ちょっとは恥じらいってモノを憶えなさいよ!見てるこっちが恥ずかしいって…
 
『いつまでも見てんじゃないっ!』
 
ワタシが怒鳴るのと、ファーストがシンジの顔に手を伸ばすのがほぼ同時だった。
 
慌てて顔をそむけ、逃げようとしたシンジが、足を滑らせてファーストを押し倒す。
 
 …
 
ぱらぱらと周囲に降りかかるのは…下着? そう云えば、チェストの抽斗に詰め込まれてたっけ。今の拍子にぶちまけちゃったみたいね。
 
 
それでも悲鳴の一つとして上げるでもない。ファースト…アンタって…
 
 
「…どいてくれる」
 
ようやく喋ったかと思えば…
 
手の下の柔らかい感触がファーストの胸だと気付いて、シンジが慌てて飛び退いた。
 
おおよそ恥じらいとは無縁といった起き上がり方をしたファーストが、シンジをまるっきり無視してベッドの枕元のほうに。
 
シンジの左手が、何かを確かめるかのように指のカタチを求めた。何度も宙をまさぐっている。目で追った先でファーストは、置いてあったショーツを、これまた頓着せずに穿く。
 
「…なに?」
 
ようやく見るべきではないと気付いたらしいシンジが、視線を逸らす。
 
「え、いや、僕は…その…」
 
ファースト、アンタ。ブラの着け方、間違ってるわよ。っていうか、ワタシが見てるって事は、つまり…
 
『シンジ…』
 
向けてた視線を、慌てて逸らしてる。
 
「僕は、た、頼まれて…つまり…何だっけ…」
 
シンジがやたらと左手を気にしてるのが、なんだか腹立たしい。なんだろ? 何かを盗られたような、この焦燥感みたいなの…
 
「カード、カード新しくなったから、届けてくれって」
 
聞こえてくる衣擦れの音は、制服を着ているのだろう。シンジの喉がゴクリと鳴った。なんでオトコノコって、こうバカでスケベなのかしら!
 
「だから、だから別にそんなつもりは…」
 
見苦しいわよ。
 
「リツコさんが渡すの忘れたからって…ほ、ほんとなんだ。それにチャイム鳴らしても誰もでないし、鍵が…開いてたんで…その…」
 
慌ててるシンジは気付かなかっただろうが、足音が去っていった。 
 
続いて聞こえてきたのは、無雑作にドアが閉まる音。
 
 
『僕、相手にされてないのかな?』
 
シンジの肩がかくんと落ちた。無理もない。女の子の裸をあんな風に見ることですら大事件だっただろうに、そのことへのリアクションがないんだもの。
 
騒がれて問い詰められたいってワケじゃないんだろうけど、ちゃんと非難されて謝れなければ、シンジも罪悪感の持って行き処がナイんだと思う。
 
『代わりに、ワタシが怒ったげよっか?』
 
自分でも意外なことに、口調に刺が無かった。
 
シンジのデリカシーの無さに、ワタシ自身腹を立ててないわけじゃない。それに、胸元に凝ったような熱い塊を吐き出したい思いもある。だけど、さすがにファーストのあのリアクションを見たあとでは、そんな気になれなかった。
 
道端に裸の人形が落ちてたのを見つけたようなモンで、それだけじゃあ叱りようなんかないもの。
 
『それ…、意味がないよ』
 
などと言いつつ、シンジの嘆息は安堵の成分を多分に含んでそう。ファーストの態度に関して、ワタシが同じモノを共有しているらしいと感じたんじゃないかしら?
  
気を取り直して、シンジがファーストの後を追った。
 
 
****
 
 
「さっきは、ごめん…」
 
「…何が?」
 
むやみに長いエスカレーターの上。ここまできてようやく切り出せたシンジの謝罪なのに、ファーストの対応はすげない。
 
 
「あの、今日、これから再起動の実験だよね。…っ、今度はうまく行くといいね」
 
シンジは誤解したんだろう。やはりファーストが怒ってるんだと。むりやり見つけた話題を話す声が、上ずってる。 
 
それは、やはりオトコノコだからなんだろう。それに、シンジだからなんだろう。罪悪感の裏返しで、相手のコトをいい方向に解釈してしまうのは。
 
だけど、オンナノコには判る。ワタシには判る。ファーストには羞恥心が欠けてるってことに、なぜ謝られるのか本気で解かってないってことに。
 
「ねえ、綾波は恐くないの? また、あの零号機に乗るのが」
 
「…どうして?」
 
ファーストは振り返りもしない。それをちょっと寂しいと、シンジの視線が言ってるような気がする。
 
「前の実験で、大怪我したんだって聞いたから…平気なのかな、って思って」
 
「…あなた、碇司令の子供でしょ?」
 
うん。とシンジ。言葉に力がない。父子だなんて実感、ないんでしょうね。
 
「…信じられないの? お父さんの仕事が」
 
「当たり前だよ!あんな父親なんて」
 
半身を引いてシンジの顔を振り仰いだファーストが、向き直りながら一段ステップを上がる。かんこん、と鳴った足音がなんだか寒々しい。
 
「うっ!」
 
間近から見上げられて、シンジがうろたえた。
 
行動の唐突さの割に、ファーストの表情はいつもどおり。ずかずかとシンジのパーソナルスペースに踏み込んでおきながら、感情ってものを覗かせもしない。
 
 
「あの…?」
 
戸惑うシンジに、きっつ~い平手打ち。乾いた音がこだまして、まるで追い討つよう。
 
アンタ、そんな顔できんじゃないのよ。まるっきりのお人形さんってワケじゃあ、ないみたいじゃない。シンジの頬を叩く、その一瞬だけ感情を閃かせるトコがアンタらしいのかもしんないケド。
 
 
…それにしても、解からないのがシンジのパパの態度だわ。あきらかに実の息子よりファーストの方を気にかけてるように見える。暴走時に救出したって話しにしても、昨日語りかけてた様子にしても。
 
それに較べてシンジの扱いは…、って思い出したくもない。
 
 
ファーストの方も、今の平手打ちはシンジがパパを侮辱したからでしょ?
 
シンジが誰かにパパの悪口を言われたとしても、とても殴りかかるとは思えないから、実の親子より強い絆を持ってるように見える。
 
その割に、ファーストの部屋はあの有様で、ファースト自身も不満に思ってるわけじゃなさそうだからワケが解からない。
 
 
シンジは、頬を押さえたまま呆然としてた。…ううん、憮然としていた。かしらね? ただでさえパパのことを快く思ってなかったのに、今また言いがかりも同然に叩かれちゃあ ねえ…
 
テイクバックも充分だったし、ファーストは容赦なくひっぱたいたみたいね。まだ頬が痛いわ。
 
『ま、見物料だと思いなさい。安いモンでしょ』
 
って声をかけてあげたのに、返事もない。むっ、ワタシを無視したわね。そんなツレない真似すると、エスカレーターが終わるってコト教えたげないわよ。
 
 
 
ほら、いわんこっちゃない。
 
 
****
 
 
最近、シンジの視界の中の、焦点のあってないところに注目できるようになった。
 
つまり、シンジが見ていながら意識してないものを 見分けられるようになってきた。ってコト。
 
視線が定まらない時とかに酔わないよう、シンジの目の焦点と、ワタシの意識の焦点を合わせないようにしていたのが、そもそもの始まりなんだけどね。
 
 
そうして今、発進準備が進められている初号機の中からファーストの姿を見つけた。ケィジの、最上段のキャットウォークに。
 
もちろん、シンジは気付いてない。
 
ファーストは、なんだか寂しそうに初号機を見下ろしてる。それがシンジに向けられたものとは思えないから、対象は初号機…かしら?
 
でも、今までにそんな顔して見てたことはないと思う。
 
  ≪ 了解。第2拘束具、外せ ≫
 
着々と進む発進準備。水中スピーカーから聞こえてくる作業内容の声に、閃くモノがあった。
 
ファースト。アンタ、出撃する初号機を羨んでない? 出撃できない自分を蔑んでない?
 
再起動実験を成功させたのに出撃を許されないことを、自分に何かが足りないからだと、己を責めてんじゃない?
 
 …
 
…そっか。 そういうことか…
 
ワタシがそうで、シンジもそうなんだから、ファーストだけが別ってことはなかったんだわ。
 
アンタも、心の欠けたトコロにエヴァが嵌り込んでいるのね。あの部屋を見れば、アンタがどれだけエヴァに囚われているか、解かるような気がする。
 
…ワタシたち、まるでジグソーパズルのピースみたい。隣り合うこともなく、エヴァってピースを咥え込んで、それでかろうじて繋がっている。
 
お互いは酷くそっくりなのに、それゆえに触れ合えない。補い合えない。
 
ワタシ、アンタのこと嫌いだと思ってた。…でもそれは、ワタシがワタシを嫌いだったからなんだわ。
 
 
 ≪ 発進! ≫
 
きちんと確認したくてシンジを促そうとしたんだけど、無情にもミサトが命令を下してしまった。
 
 
 
  ≪ 目標内部に高エネルギー反応! ≫
 
 ≪ 『なんですってぇ!?』 ≫
 
あ!この表示…
 
  ≪ 円周部を加速、収束していきます! ≫
 
『シンジ、使徒の攻撃が来るわ。地上に出ると同時にATフィールド!』
 
『えっ? あっ、うん。判った』
 
きちんとした訓練を受けてないシンジは、発令所の様子を窺うってコトができないし、プラグ内に映し出されている情報の意味も読み取れない。
 
 ≪ だめっ!よけて! ≫
 
そんなあいまいな指示で、素人が動けるワケないでしょっ!
 
『テキは正面!場合によってはロックボルト、力づくで壊すわよ』
 
シンジの返事は、初号機が地上に到達するのと同時。
 
目前のビルの中ほどが赤熱化して、そこから光の奔流が襲いかかってきた。 
 
ロックボルトが思ったより固い。零号機の暴走、初号機のノンエントリー稼動への反省から強化されたと漏れ聞いた憶えが、…余計なコトを!
 
ATフィールドが、一瞬。本当に一瞬だけ保ち堪える。
 
ようやく拘束具を引き千切った右腕で、せめて庇おうと、しかし間に合わない。
 
易々とATフィールドを貫いた光が、胸部装甲板を熔融し始めた。
 
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
 
痛覚を遮断する。これも最近になってできるようになった芸当だ。もちろん、シンジと同じ痛みを感じるコトがイヤってワケじゃない。冷静に状況を判断するための、止むを得ない選択。
 
 ≪ 戻して!早く! ≫
 
マズい!内壁近くのLCLが沸騰してきてる。熱対策の一環でLCLの沸点は低いらしいケド、このままじゃ…
 
人間は、100℃くらいまでは耐えられる。サウナだって平気でそんくらい有るもの。だけど、それは乾燥しているからだ。
 
『シンジ、息止めて!肺が火傷しちゃう!』
 
思い出したのは、熔岩滾る火口へ潜ったときのこと。あの時は「熱い」で済んだけど、この勢いだとシャレになんないくらい加熱しちゃうっ!今はLCLが盛大に気化することで熱伝導を抑えてるケド、そんなに保つワケじゃないはず。
 
 
ようやく初号機が引き戻されたんだろう。LCLの過熱が鈍った。シンジの絶叫が止まったのは、ワタシの忠告を聞き入れたからじゃない。瞳孔の散大で視界が霞がかって、…ダメ!
 
『シンジっ!シンジしっかりして』
 
シンジの状態を確認するために、痛覚を受け入れた。途端に襲ってくる痛みは、文字通り胸を抉るよう。早くっシンクロ切りなさいよっ!
 
自分の身体じゃないって解かっていても、息が詰まりそうだ。って違う!シンジの心臓が止まりかかってんだわ!
 
『シンジっ、シンジ!』
 
こんなトコロでシンジが死ぬわけない。と、漠然と思ってた。でも、でも…
 
っ痛!
 
ようやくスーツのAEDが動き始めたらしい。除細動の衝撃で、シンジの身体が反りかえる。…意識のある状態で電気ショックなんて、味わうモンじゃないわね。痛いったらありゃしない。
 
でも、それでシンジの心臓が動き出すなら易いモノだ。
 
―√ …シンジの鼓動が、再び。
 
『シンジっ!?』
 
だけど、シンジは返事をしてくれなかった。
 
 
****
 
 
「綾波っ」
 
シンジが全速力で目指すのは、零号機のエントリープラグ。過熱されてるだろうそれは、夜気に触れて盛大に湯気を立ててる。
 
【00】と書かれたプラグの中は、緒戦での初号機のそれと同じ状況だろう。あの時のシンジの絶叫が、ファーストの姿に被さって聞こえてきそうだわ。
 
 
 
…………
 
 
シンジが、スーツのフィットスイッチを入れた。
 
スクリーンカーテンの向こうに、ファーストのシルエット。無造作に下着を放り落としてるのが、視界の隅に見える。
 
「これで死ぬかもしれないね…」
 
「…どうしてそう云うこと言うの?」
 
それはね。シンジが少し弱気になっているから。今までと違って、目に見えるカタチでアンタの命まで預かるハメになったから。なにより、それが自分の不甲斐なさのせいだと思っているから。
 
それを、こんな言い方でしか表現できないのよ。コイツは。
 
意識を回復したあとで、いろんな想いを話してくれてなかったら、今のワタシでも誤解したでしょうケドね。
 
でもね。そういう言い方をするのも、シンジなりにアンタに打ち解けてきてんのよ。
 
…もっとも、実はシンジが生意気で反抗的な皮肉屋だってことに、ワタシも最近気付いたばかりなんだけど。気弱で裡に篭るから判りにくいけど、ミサトとのやりとりなんか見てると結構実感するわ。
 
もっと素直になれれば、いいのにね。
 
 
「…あなたは死なないわ」
 
向き直ったシンジの視界の中で、ファーストのシルエットが面を上げた。
 
「…私が守るもの」
 
そうね。アンタはシンジを守るでしょう。それが任務だもの。
 
でも、シンジが気にしてるのは自分の命ばかりじゃないわ。シンジはいつでも自分の心を押し殺して、人のために戦ってきたんだもの。
 
そのことを、アンタにも解かって欲しいと思っちゃ、ダメ?
 
 
***
 
 
「綾波は、何故これに乗るの?」
 
搭乗用に用意されたリフトのデッキの上で、シンジの呟きが夜風に乗った。
 
「…絆だから」
 
「絆?」
 
…そう、絆。と呟くファーストは、言葉の意味とは裏腹に、とっても孤独に見える。
 
「父さんとの?」
 
「…みんなとの」
 
みんな、ね…。それが誰を、どこまでを指すのかワタシには判んない。でも、アンタが実は寂しがり屋なんだって解かっちゃった。だって、特定の誰かではなくて、みんな。なんでしょ?
 
存在しない絆を、エヴァに乗ることで勝手に見出してるのよ。アンタは。…そうして寂しさを誤魔化してる。
 
ううん、誤魔化してるってコトすら、判ってないんじゃない?
 
 
「強いんだな、綾波は」
 
「…私には、ほかに何もないもの」
 
そう。やっぱりアンタも、エヴァに乗ることでしかアイデンティティーを確立できないのね。
 
「ほかに何も無いって…」
 
「…時間よ。行きましょ」
 
シンジの当惑を振り払うように、ファーストが立ち上がった。
 
「…じゃ、さよなら」
 
 
…………
 
 
 
「綾波っ!」
 
過熱した救出ハッチをむりやり開けて、シンジがプラグ内を覗きこんだ。
 
「大丈夫か!」
 
シートの上にファースト。ぐったりとして…
 
「綾波!」
 
うっすらと目を開けたファーストが、頭を起こす。
 
「自分には…自分にはほかに何も無いなんて、そんなこと言うなよ…」
 
シンジの鼻の奥を襲った熱が、急速に目頭を沸き立たせる。
 
「別れ際にさよならなんて、哀しいこと言うなよ…」
 
シンジと同じ痛みに耐えて、宣言どおりにシンジを守りきって、今こうしてシンジに心配されてる。…何故かしらね? なんだか、アンタが羨ましいわ。
 
泣くまいとして、シンジが何度もすすり上げた。
 
「…なに泣いてるの?」
 
身を起こしたファーストが、本当に解からないって口調で。…ううん、違うわね。アンタ、解からないんじゃなくて、知らないんじゃないの? そうでなきゃ、あんな生活に疑問を覚えないはず、ないもの。アンタがどれほど割り切ってたとしたって、あんな、…まるで実験動物のケィジみたいな部屋で!
 
 …
 
…ワタシが同情したからって、アンタが喜ぶとは思えないケドさ…。それでも…ね?
 
「…ごめんなさい。こういう時、どんな顔すればいいのか、わからないの…」
 
目尻に涙を溜めたシンジが、無理やり笑うのが判る。
 
「笑えばいいと思うよ…」
 
シンジの言葉を呑み込んで、ファーストがそれはそれは不器用に、実にぎこちなく微笑んだ。
 
不思議ね。アンタの笑顔、ワタシでもなんだか嬉しいわ。
 
 
                                         つづく  
アスカのアスカによるアスカのための補完 第伍話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:09



『ねぇ、シンジ。おべんと、もう一個余分に作れない?』
 
『…できるけど、なんで?』
 
卵焼きを巻く手を休めずに、シンジの応え。
 
シンジは最近、こんな風に結論を先に、疑念などは後に訊いてくることが多い。ワタシへの信頼の賜物。っと勝手に思ってるケド、ホントのところはどうなのかしら?
 
 
『ファ…。レイって、まともな食事、してなさそうでしょ?』
 
ワタシの方はというと、最近レイの事をファーストって呼べなくなった。
 
ワタシたちが実はそっくりなんだと気付くと、チルドレンに振られたナンバーが、ジグソーパズルのピースを見分けるために書き殴られた数字のような気がして、不快になる。
 
大量生産品にシリアルナンバーのシールを貼るさまを想像して、本当に気持ち悪い。
 
 
『…そうだね。それに、独りぼっちで食べてるみたいだよね』
 
安っぽい同情だと、自分でも思わないワケじゃないわ。
 
でも、「ナニもない」なんて言い切られると、ワタシ自身が居たたまれなくなる。自覚してなかっただけで、ワタシにもやっぱりナニもなかったんじゃないかと、思ってしまう。
 
だから、これはレイのためなんかじゃない。…ワタシの、自己満足なの。
 
 
『…でも、受け取ってくれるかなぁ』
 
『…作戦はあるわ』
 
 
 
ミサトが起きだしてきたのは、シンジが2口目のトーストを頬張った時のコト。
 
「…おはようございます」
 
トーストを飲み下したシンジの足元で、ペンペンが2匹目の焼き魚を丸呑みした。
 
ふぁ~~~あ…おはよ…。って、オナカを掻くのは止めなさい。こんな姿を見せ付けられて、シンジが女嫌いにならないとイイケド…って遅いか。
 
 
「くぅ~~~~~~っ!朝一番は、やっぱこれよね~♪」
 
缶ビールを一気に飲み干して、ミサトが唸った。
 
「コーヒーじゃないんですか?」
 
「日本人はねぇ、昔から朝はご飯と味噌汁、そしてお酒、って相場が決まってんのよ」
 
「ミサトさんが、でしょ?」
 
シンジのテンションの低さに、ミサトの眉が下がる。
 
「…、あによぉ…」
 
「大体、今朝の食事当番は、誰でしたっけ?」
 
飲み下したコーヒーほどには、シンジの口調は甘くない。
 
「…だって、シンちゃん。おべんと作るのに早起きしてんでしょ?」
 
「それはそれ、これはこれです」
 
シンジにおべんとを作るよう奨めたのは、ワタシ。一緒に住んでたときにワタシの分まで作ってくれてたから、お昼にパンを買いに行ってたのはちょっと意外だった。
 
お昼ご飯にパンだけってのは体に悪いし、お小遣いの節約にもなる。なにより、積極的に自身をマネージメントすることは、シンジの精神衛生にいいと思う。
 
  
「ミサトさんがその歳でいまだに独りなの、解かったような気がします」
 
悪かったわねぇ、がさつで。と、目尻を引き攣らせて。大人気ないわよ、ミサト。
 
「ずぼらも、でしょ?」
 
「っうっさいわねぇ~」
 
ミサトのリアクションに一瞥もくれず、シンジが両手を合わせた。
 
「ご馳走さま」
 
 
使い終わった食器をシンクで洗ってると、ペンペンが自分の食器を持ってくる。
 
ありがとう。クワワっ。って遣り取りが微笑ましいわね。
 
「ホントに今日、学校くるんですか?」
 
「当ったり前でしょ? 進路相談なんだから」
 
流してた水を、お湯に切り替えてる。サカナの脂を落とすにはそのほうがいいんだってさ。
 
「でも、仕事で忙しいのに…」
 
「いいのいいの、これも仕事だからね」
 
途端に、シンジの手元がお留守になった。
 
「仕事…ですか?」
 
 …
 
…あれ?
 
いつもなら、シンジをからかうのにミサトの追い討ちがかかるはずなんだけど?
 
『シンジ、ミサトの顔』
 
耳元でささやくような気持ちで言うと、シンジがちらりと盗み見る。
 
バツが悪そうに視線を逸らしてたミサトが、シンジの様子に気付いて慌てて笑顔を取り繕った。…やっぱりね。
 
『さっきの、ミサトの照れ隠しよ』
 
『…照れ隠し?』
 
『そうよ。素直にシンジの世話を焼けるのが嬉しいなんて言えないから、仕事だって正当化してるの』
 
そうなんだ。との呟きは、チャイムの音と同時。
 
「はい~、あら~~、わざわざアリガト~~~。え? ちょ~っち待っててね♪」
 
…三十路女の作り声って、気持ち悪いわね。
 
「ミサトさん、そんな格好で出て行かないでよ。恥ずかしいから…」
 
言ってる内容ほどには口調がきつくないと感じるのは、ワタシの思い過ごしじゃないと思う。
 
「はいはい…」
 
 
****
 
 
「…なぜ?」
 
案の定、レイは素直に受け取ろうとしない。自分の席に座ったまま、その赤い瞳をただ、向けてくる。
 
「綾波、お昼ごはん食べなかったり、カロリーマイトだったりするでしょ。良くないよ、そういうの」
 
「…必要な栄養は摂ってるわ」
 
「数値上のことだけじゃないよ」
 
「そうよ、綾波さん。同じ栄養を摂るのでも、出来るだけいろいろな食べ物から摂った方が体にいいんだから」
 
これはヒカリ。前の休憩時間に、協力を取り付けさせたのだ。
 
ヒカリがいつからバカトウジのことを好きだったのかは知らないケド、二つ返事で応えたところを見ると、もう惚れてるんじゃないかしら。一緒に食事をしたいってコトを匂わせたら、一も二もなく飛びついたもの。
 
「それに、みんなで一緒に食事した方が吸収効率がよくなるって聞いたよ。だから、一緒に食べて欲しいんだ」
 
「…みんなで、一緒に…?」
 
そう。とシンジが頷いた。
 
「これも、みんなとの絆だよ」
 
…絆。と、レイが呟く。
 
 …任務じゃない、人との繋がり。…自由意志で結ぶ、絆。…あのときの、私の気持ち。
 
続く言葉は俯いた口中に消えて、シンジには聞こえなかっただろう。
 
 
シンジの視界の、焦点のあってないところに注目できるようになって暫く。シンジが認識してないだろう音声を聴き取れることに気付いた。
 
機能的には聞こえているであろう音声も、脳が認識してないんだろう。例えば耳元の血管を流れる血液の音を、人は普段、意識しない。
 
シンジが寝ている時なんか、聴覚だけが情報源だから、次第に研ぎ澄まされてきたのかもしれないわね。
 
 
「…なぜ?」
 
再び面を上げて、てらいなく赤い瞳を向けてくる。
 
「上手く言えないけど、絆って一方的なものじゃないんだ」
 
そうそう。と、ヒカリが相槌を打った。
 
「お互いに歩み寄って、はじめて結べるのよ」
 
「だからこうして、僕はお弁当を作ってきた。綾波が応えてくれると、嬉しいな」
 
 …
 
レイ。アンタは何のために戦ってるか、解かってる?
 
こういう日常を、こういう人たちを、守るためよ。
 
ワタシはそのコトを、戦いとは無縁で居られたはずの男の子から、学んだわ。ソイツは自分のことを、逃げ出す勇気もないんだ。なんて嗤ったケド、ヒトの真価は、その人の行動で評価されるべきよ。どんなに泣きゴトを言っても、ちゃんとエヴァに乗って戦ってんだもの。
 
…アンタも、教えてもらいなさい。いろんなコトを、シンジに。
 
 
****
 
 
「さ~って、メシやメシぃ♪学校最大の楽しみやさかいなぁ!」
 
なんて言うわりに購買部のパンって、アンタちょっと侘しくない?
 
なりゆきを見守ってただけのバカコンビを加えて、屋上でのランチは総勢5人。
 
「碇と委員長はいつも通りのお手製弁当で、綾波は愛妻…愛夫弁当か」
 
あいおっとべんとう。って、なんか間抜けな響きねぇ…バカケンスケらしいけどさ。
 
そんなんじゃないよ。と苦笑いするシンジの向かい側で、レイが? を浮かべてる。
 
「そういえば、綾波は食べられないものとかって、ある?」
 
「…肉、きらい」
 
開けたおべんと箱の、豚の角煮を無表情に睨みつけて、レイがぽつりと。
 
「あっ、そうなんだ。ごめん、あらかじめ訊いとくべきだったね」
 
「…いい」
 
もちろんワタシは、レイが肉嫌いだってことを知ってる。だけど、それをシンジに教えとくわけにはいかなかった。だって、不自然じゃない?
 
ぽりぽりと頭を掻いてたシンジが、ふとヒカリのほうを向いた。
 
「洞木さん。よかったら、おかずを交換してくれないかな?」
 
好き嫌いは善くないと思うけど…。とレイを見やったヒカリが、…でもまあ。と、眉尻下げて微笑んだ。いったい、なにを一人で結論付けたのやら。
 
「綾波さん。どれか食べたいもの、ある?」
 
差し出されたおべんと箱を、意外に真剣な眼差しで値踏みして、
 
…これ。と指さしたのは、なにやらピンク色の物質だった。
 
「綾波さん、なかなかの目利きね」
 
「ポテトサラダ? ピンク色って、珍しいね」
 
ファンシーな耐油紙の器ごと取り出したヒカリが、レイのおべんと箱の角煮と取り替えている。
 
「近くの喫茶店のマスターに教えてもらったの。トマトジュースが隠し味なのよ」
 
へぇ~!と上がる感嘆に、ヒカリの頬がほんのりと赤く。一人、頓着しないレイがポテトサラダを頬張って、口元をほころばせていた。
 
「そうだ、洞木さん」
 
「なあに? 碇くん」
 
「よかったら、僕に料理を教えてくれないかな」
 
碇くんに? と首をかしげたヒカリが、シンジのおべんと箱に視線を落とす。冷凍食品が多いのは仕方ないけれど、パイロットとして自己管理を勉強したことのあるワタシがうるさいので、栄養バランスだけは完璧だ。
 
「わたしが教えるまでもないと思うけれど…?」
 
「付け焼刃だから我流だし、野菜料理のレパートリーが少ないんだ」
 
トレードしてきた角煮を箸先でつついて味見したヒカリが、納得顔で頷いた。確かアレも冷凍食品だったっけ。
 
冷凍食品は、やっぱりメインディッシュになりそうな肉や魚の料理が多いみたい。野菜料理のレパートリーが多くないと、レイのためにおべんと作るのは難しいでしょうね。
 
「そういうことなら、歓んで」
 
ありがとう、お願いします。と頭を下げるシンジに、ヒカリが却って恐縮していた。
 
 
…ん? これって、使えるんじゃない?
 
『シンジ、シンジ』
 
そんな必要はないっていうのに、こういうとき声を潜めてしまうのは何でかしらね?
 
まあ、その方が雰囲気出るじゃない? 悪巧みの、ね?
 
耳打ちした内容に驚きながらも、シンジは快諾した。反対する理由はないね。だって。
 
 
「…とっ というわけで、付き合ってくれるよね。トウジ」
 
はぁっ!? と、本人は言ったつもりなんだろう。口の中のモノを飛び散らしたそれは、ぶわぁっ!? って聞こえた。…キッタナイわねぇ、こんのバカトウジ!
 
「 なむで、… わひが … ふき合わな … ならんえん 」
 
喋るか食うか、どっちかにしなさいよ…
 
「だって、失敗したときに ざっ 残飯処理係が要るじゃない」
 
「あんなぁ、センセ…」
 
「それに、ほっ 洞木さんのお手本、食べられるかもしれないよ?」
 
シンジが指差す先に、ヒカリのおべんと。釣られて見つめたバカトウジが、ごくり。と生唾を飲んだ。
 
「ねぇ? 洞木さん」
 
「え? …えぇ、そっそうね。碇くんが失敗したらこっ困るわよね」
 
いきなり振られたヒカリが、声を上擦らせながらも、しっかり肯定する。よしよし、なかなか素直じゃない。こんなキラーパス、めったに出せないんだから、きっちり決めなさい。
 
「せやかてなぁ…」
 
あら? クロスバーに弾き返されちゃったってカンジ? それなら…
 
『…』
 
「…協力してもらうんだから、とっトウジの分の弁当も作ろうかとも思ったんだけど、…残飯処理の上に、同じメニューで弁当ってのも、ね、ねぇ?」
 
ちらり。とシンジがヒカリに視線を投げる。台詞は棒読みだし、仕種はワザとらしいし…シンジ、アンタ役者には向かないわね。
 
視線を受けたヒカリの方はといえば、シンジの言わんとしていることを察して…すなわち、トウジへの想いを見透かされてることに気付いて、頬を赤く染めている。
 
 …
 
さんざん目を泳がせたヒカリが、固唾を呑んだ。…最後に視線をやったのは、バカトウジが手にしてるパン、かしらね?
 
「そっそれじゃあ、わたしが鈴原にお弁当を作ってあげる」
 
なけなしの勇気を総動員してか、耳まで真っ赤にして。
 
「えぇっ!洞木さん、そっそこまでしてもらったら、なんだか悪いよ」
 
…ワタシが悪かったわ、シンジ。今後一切アンタに演技なんか求めないから、せめてモ少し、落ち着いてちょうだい。
 
「ううん、わたし姉妹が二人いてね、名前はコダマとノゾミ。いつもお弁当わたしが作ってるんだけど…」
 
そら難儀やなぁ。と、コトのなりゆきを理解してなさそうなバカトウジが、ひとり能天気に。
 
「3人分って、結構難しくて。だからわたし、いつもおべんとうの材料、余っちゃうの…」
 
「美味そうやのに、そらぁもったいあらへんなぁ」
 
えっ? と、ヒカリ。いっぱいいっぱいで、バカトウジの言葉、聞き逃したみたいね。
  
「センセぇのんの失敗作はなんやけど、残飯処理ならいくらでも手伝うで」
 
「え…うん、手伝って!」
 
 
 
それじゃあ。と具体的に話しを進めだした3人の横で、レイが手を合わせた。
 
「…ごちそうさま」
 
…そういう礼儀作法、アンタ知ってたんだ。
 
 
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使徒戦以外でエヴァが出撃したことがあるとは聞いてたけれど、あんなヘンテコなロボット相手だったなんてね。
 
なんだかウサン臭い奇蹟だったけど、ミサトもご苦労様よね。
 
 
                                         つづく