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アスカのアスカによるアスカのための補完 第六話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:10



「ホンマ、センセの言ぅたとおりやなぁ」
 
風にさらわれないように野球帽を押さえたバカトウジが、バカケンスケの首根っこを掴んでいる。
 
「おぉー!すっごい、すっごい、すごい、スゴイ、凄い、凄ぉい、凄い、凄すぎるーっ!男だったら涙を流すべき状況なんだから、放してくれ~」
 
輸送ヘリの窓からUN艦隊が見えたときにシンジに言いつけたのが、バカトウジの帽子が飛ばされないようにすることと、バカケンスケを野放しにしないことだった。
 
 
「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
 
お気に入りのワンピースにチョーカーまで着けて、こうして見るとワタシって結構気合入れてたんじゃない?
 
「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
 
「そ。ほかのところもちゃんと女らしくなってるわよ」
 
女らしく…ね。その言葉をワタシが口にすることの寒々しさを、このワタシは知らない。
 
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレィよ」
 
『シンジ』
 
背後から吹き付けてきていた輸送ヘリのダウンウォッシュが弱まったので、シンジに合図する。
 
「なっなんや? センセぇ…」
 
「碇っ!メガネ、メガネが痛い!」
 
バカコンビの視界を塞いで、自らもまぶたを固く下ろした。
 
両手が塞がっているバカトウジは抵抗のしようがないし、バカケンスケはカメラが大事でロクな抵抗をしない。シンジはバカ正直に目をつぶって…って、シンジ。一緒に歯まで食い縛んのは癖なの?
 
まあともかく…これで、ちょっとはマシな出会いになるんじゃないかしら。
 
『もういいわよ』
 
シンジがまぶたを開くと、正面にワタシ。パンプスの分だけ、ちょっと見下ろして。
 
「碇って呼ばれてたケド、アンタがサードチルドレン?」
 
ふふん♪さすがにワタシね。その通りよ。
 
「う…うん。碇シンジ。よろしく」
 
シンジが差し出した右手を、条件反射で掴んでる。どう判断したものか、決めかねてるのね。
 
ワタシと同様に、初手でガツンと決めるつもりだったはずだ。先手必勝ってね。そういう意味であのアクシデントは渡りに船だったけれど、シンジがきれいに躱しちゃったもんだから、付け込めないで居るんだわ。…さ、シンジ。
 
「来てくれて嬉しいよ。優秀なパイロットが仲間になってくれるって、聞いてたんだ」
 
シンジの言葉には淀みがない。ヒカリとバカトウジの仲を取り持とうとした時とは、雲泥の差ね。…それはつまり、シンジの本心の近くにこの言葉があったからじゃないかと思う。
 
「…仲間。ですって?」
 
反撃の糸口を掴んだと思ったんだろう。ワタシの口の端に嘲りが乗った。
 
「アンタなんかと馴れ合う気はないわ」
 
「そんなこと言わないで、仲良くして欲しいな。…なるべく足を引っ張らないように努力するから」
 
教えといた台詞を言うので精一杯だったシンジは気付いてないだろうが、このワタシは目に見えて途惑っている。…ワタシにしか、判んないかもしんないけれど。
 
10年も訓練していたワタシには、エヴァパイロットとしての自負があった。だけど、厳然たる実績を持つシンジに対して、どうやって優位性を保とうか色々と考えていたわ。見縊られたくない一心で。そうでなきゃ、ワザワザこんなところまで出迎えに来たりしないし、めかしこんだりもしない。
 
つまり、この時点でワタシには、シンジに負けてるって気持ちがどっかにあったのね。でも、訓練無しのシンジが3体も使徒を斃してるってコトを自分の都合のいいように解釈して、虚勢を張ってた。…と思う。ちょっと自信がないのは、いくら自分のこととはいえ…ううん。自分のことだからこそ、はっきりとは解からないものだと思うから。
 
…それっくらい完璧に自分を騙してたんじゃないかと…、なんだか自分自身を疑っちゃうわね。
 
 
「はん!まっ、考えといてあげるわ」
 
シンジの態度を、実戦で3体もの使徒を斃した余裕と受け止めてか、苛立ちが見える。ワタシに足りないものは余裕だと、この時点のワタシは気付いてなかったんだと思うわ。
 
 
さっさと踵を返したワタシの後を、ミサトに促されてシンジが追った。
 
その背中を見てて思うのは、ワタシは、このワタシをどう…って、ややこしいわね。もう! 
 
ええい!アスカ。割り切るのよ、割り切るの。ワタシはワタシ、アレはワタシであってワタシじゃない。ワタシは…ワタシは…
 
ばしばしとほっぺた叩くような思いで唱えてたから、シンジの呼びかけに気付かなかったみたい。
 
『なに? シンジ』
 
『…ホントに、これで良かったのかな?』
 
見つめているのは、先に立ってエスカレーターに乗っているアスカ。その背中。
 
『ええ、充分よ』
 
シンジは知らないから不安そうだけど、ずいぶんとマシな出会い方になってるのよ。
 
『…それより、シンジは良かったの?』
 
『なにが?』
 
『…その、こんな風に下手に出て』
 
アスカをいなすために提案したケド、正直シンジの気持ちのことは度外視してた。10年も訓練しているとはいえ相手は実績ゼロなんだもの、ワタシだったらとても真似できない。
 
『人付き合いって苦手だし…、それで上手くいくって言うんなら、構わないよ。…それに、いつも逃げたがってる僕なんかより、よっぽど頼りになりそうだよね』
 
 
そんなことナイって言ってあげたのに、シンジは寂しそうに笑って取り合ってくれなかった。
 
ワタシなんかの言うことじゃぁ、説得力ないのかなぁ…
 
 
****
 
 
「今、付き合ってる奴、いるの?」
 
自分でも不思議だったのは、加持さんの姿を見ても特に心を動かされなかったってコト。
 
「そっそれが、ぁあなたに関係あるわけ?」
 
「あれ? つれないなぁ」
 
今でも、好きだとは思う。でも、あの時のような狂おしさを感じない。
 
「君は葛城と同居してるんだって?」
 
「えっ、ええ…」
 
今のワタシにはハートがないから、ってワケじゃないと思う。
 
「彼女の寝相の悪さ、直ってる?」
 
「「「 えぇ~っ!!! 」」」
 
目の前で、アスカが固まっている。
 
そういえば、加持さんにそういう相手が居てもおかしくないってコトを考えたことすらなかったんだわ。
 
「なっ? なっ!なっ★…何言ってるのよ!」
 
…そっか。
 
つまりワタシは、生身のオトコとして加持さんを見てなかったんじゃない。ふつう、好きな男ができれば、相手に付き合ってるヤツは居ないか、どんなオンナと付き合ってたのか、気になるもんでしょ?
 
そんなことを考えもしなかったのは、ワタシにとって加持さんが架空のオトコだったからじゃないかしら。だから、寝相の悪さを知ってるだなんて生々しさに引いたんだ。
 
「相変わらずか? 碇シンジ君」
 
そう考えると、目の前のアスカが昨晩しただろうコトが、―かつて自分がしたことが、急に恥ずかしくなってくる。…その大胆さにではなくて、あまりの厚顔無恥さ加減に…
 
本当に好きなら、軽々しく肉体関係なんか言い出せないもの。
 
心の底から好きなら、相手にも好きになって貰いたいと思う。大切にしてもらいたいと思う。…そうじゃない? 少なくとも、ワタシはそう。今のワタシは、そう。
 
「えっ? ええ…。…あれ? どうして僕の名前を?」
 
そもそもオンナとしてオトコに愛されたいだなんて、当時の自分が本気で思ってたなんて考えられない。…それが子供を産むことに繋がりかねないって、解かってた上でよ?
 
それはつまり、加持さんを利用しようとしてたんだと思う。オンナになるのではなく、オトナになるための手段として。コドモでなくなるための、近道だと。
 
「そりゃあ知ってるさ。この世界じゃ、君は有名だからね。何の訓練もなしに、エヴァを実戦で動かしたサードチルドレン」
 
1人で生きるためにそうして早く大人になろうとした反面、ワタシは誰かに見守られることを渇望してたわ。他人の評価なんか関係ないって解かってたつもりなのに、そうされないと自分の価値を実感できなかった。
 
だから気を惹きたかったんだと思う。…その時に、もっとも傍に居た人の。
 
…ワタシって、バカね。…ううん、コドモね。
 
 
「いや、そんな…偶然です…」
 
「偶然も運命の一部さ。才能なんだよ、君の」
 
…ゴメンネ、加持さん。迷惑…だったでしょ。今、シンジを睨みつけてるアスカの分も謝っとくね。
 
「じゃ、また後で」
 
はい。って応えるシンジの視界の隅で、なにやらミサトが呟いていた。
 
 
****
 
 
「赤いんだ、弐号機って。知らなかったな」
 
アスカが捲りあげたカバーシートの隙間から覗き込んで、シンジがぽつりと。
 
「違うのはカラーリングだけじゃないわ」
 
 
仮設の艀を渡ったアスカが、あっという間に弐号機に駆け上った。
 
「所詮、零号機と初号機は、開発過程のプロトタイプとテストタイプ」
 
弐号機のうなじから見下ろして、アスカ。 …って、まだちょっと慣れないわね、自分を客観視するの。
 
「訓練無しのアンタなんかにいきなりシンクロするのが、そのいい証拠よ」
 
それにしても…、さっきエスカレーターで待ち伏せしてた時といい、今といい。実に絶妙なアングルだわ。確か下ろしたての可愛いノを穿いてたはず…なんて心配しちゃうじゃない。朴念仁のシンジだから気付いてもないケド。
 
狙ってやってたつもりはないから、ワタシも意外と無防備なんだわ。気をつけ…ようもないか、今のワタシじゃあね。
 
「けどこの弐号機は違うわ。これこそ実戦用に作られた、世界初の本物のエヴァンゲリオンなのよ。正式タイプのね」
 
そんなことにどれほどの意味があったのか、今では疑問だらけだ。…特に、あの白いエヴァシリーズを見た後ともなれば。
 
 
輸送艦を襲う揺れ。来たわね。
 
「水中衝撃波!」
 
 
 
舷側に駆け寄ると、駆逐艦が沈んでくトコだった。
 
「あれは!まさか…使徒?」
 
「あれが? 本物の?」
 
ミサトの元に戻ろうとするシンジの横で、振り返ったアスカが弐号機のカバーシートを見やっただろうコトを思い出した。
 
「チャーンス!」
 
 
****
 
 
基本的に、あまり口答えしない方がいいってアドバイスしておいたから、シンジはアスカの言うなりになって弐号機のプラグに納まった。
 
前回は結構、ゴネたりしてたような気がするから、これはワタシへの信頼の賜物だと思うことにする。
 
「さ、ワタシの見事な操縦、目の前で見せてあげるわ。ただし、ジャマはしないでね」
 
だけど、シンジのことを知りもしないアスカにこう見下された言い方をされると、腹が立ってしょうがない。つい愚痴がこぼれる。
 
『…まあまあ』
 
もしかして、シンジがアスカに口答えしなかったのは、ワタシを宥める方に気を使ってたからなんてコトは…ないわよね? 
 
 
 
『…』
 
「あっ…ごめん。惣流さん」
 
アスカが起動手順を始めたので、シンジに耳打ちしたのだ。途端にアラート。
 
「ナニよ!ジャマしないでって言ったでしょう!?」
 
「ホントにごめん。だけど、僕ドイツ語なんて出来ないから」
 
バグが出るほど思考ノイズがあるってことは、シンジが弐号機にシンクロしてるってコトよね? バカコンビを初号機に乗せたときは、ここまで酷くなかったもの。
 
「…しょうがないわね。思考言語切り替え、日本語をベーシックに!」
 
それにしても、男の子の身体でワタシのプラグスーツって、着心地悪いったらありゃしない。いろいろとキツかったり、ユルかったり…。特に胸のカップに溜まったLCLが身じろぎするたびに揺れて、最っ低。…シンジのスーツ、持って来させたかったなぁ。
 
 
「エヴァンゲリオン弐号機、起動!」
 
 
 ≪ いかん、起動中止だ、元に戻せ! ≫
 
 ≪ かまわないわアスカ、発進して! ≫
 
上のほうの縄張り争いは無視するしかない。後付けとはいえミサトの許可が出たんだから、後はミサトの問題だ。
 
「海に落ちたら やばいんじゃない?」
 
「落ちなきゃいいのよ」
 
 ≪ シンジ君も乗ってるのね ≫
 
「はい」
 
 …
 
なに? …この間?
 
 ≪ アスカ、出して! ≫
 
こちらに向かってくる、航跡。
 
「来た」
 
「行きます」
 
あっ!と思い出したのは、初号機が崩したビルの下敷きになったっていうバカトウジの妹のコト。不可抗力だとか、止むを得ない犠牲だとか、そういう大義名分は、被害者やその家族…あるいは遺族に、通じるもんじゃない。
 
たまたまワタシにはUN海軍の関係者が身近に居なかっただけで、ああいうことはワタシにも起こり得たんだ。
 
 
弐号機にシンクロしてるシンジの感覚を経由して、硬いモノを易々と踏み潰すヤな感触…
 
跳び移ったのはイージス艦の艦橋だったはずだけど、確実に一層は踏み抜いたと思う。それが示す事実に、ナゼこん時のワタシは気付かなかったの?
 
「さあ、跳ぶわよ」
 
「跳ぶ?」
 
次へ跳び移るために体重をかけたその足が、軟らかいモノを踏みにじってるような気がして…
 
『…あっ、…あっ!』
 
跳び移った先で、またもや踏み潰す感触。
 
『…いや。イヤ… シンジ、止めさせて!お願い、今すぐコイツを止めて!』
 
だけどシンジは目を回していて、それどころじゃなかった。
 
『イヤぁ!!お願いシンジっ!ワタシっワタシ!』
 
弐号機の赤が、別の赤いモノで染め直されていくようで…怖い!
 
踏み潰したばかりの艦艇を蹴り捨てて、宙に跳び出す感覚。飛距離を延ばすための体捌きですら、猛禽の舌なめずりに思えて…、
 
『…イヤ、いや。嫌ぁぁぁ!』
 
…だから、だから。ワタシはシンジとの繋がりを捨てた。
 
 
****
 
 
…ほんのちょっと。
 
そう、オーバーザレインボゥに着くまでのつもりだったのに、気付いた時にはすべて終わっていた。いつの間にか、新横須賀から帰る、車中。
 
時間感覚すら混乱していたのかしら? …ううん、怖かったから、またあの感触を味わうのがイヤだったから、絶対に大丈夫だと確信するまで出てこれなかった。
 
人類を守るための使徒戦で人を殺してるかもしれないという矛盾が、どうしようもなく怖かった。そのことに気付きもしなかった自分が、どうしようもなく…赦せなかった。
 
 
聞いた限りでは、前の時とほぼおんなじ経過を辿ったみたい。…もうちょっとマシな結果に、できると思ってたのに…
 
『…大丈夫?』
 
さっきから何度も、シンジが心配してくれている。
 
でも、ワタシが閉じ篭った理由も、いま落ち込んでる理由も、シンジに話すわけにはいかない。
 
自分がしでかしてしまったことに、シンジを巻き込みたくなかった。それが今のワタシのことではなかったにしてもだ。
 
『大丈夫。心配しないで…』
 
…なんで、こんな陳腐な言い訳しか出来ないんだろう。こんな言葉じゃ、心配してくれって言ってるようなもんじゃない。あれだけ泣き喚いて、長時間引き篭もって、説得力なんかないわよ。
 
むしろ…、そっけない言葉が、シンジを拒絶しているように聞こえないかどうか、そっちの方が気にかかる。
 
…助けて欲しいと思ってる。この胸の裡を聞いて欲しいと思ってる。だけど、シンジにこれ以上なにかを背負わせるワケにいかないじゃない。シンジはシンジの苦悩で手一杯だもの。助けるって決めたワタシが重荷を増やしてどうするって云うのよ。
 
 …
 
…つらい。とっても、つらい。
 
『ホントに? なんか、無理してない?』
 
シンジの優しさが、ワタシを癒して…傷つける。やさしさって、意外に残酷なのね。
 
『…僕なんかじゃ、頼りになんないよね』
 
…ああ、もう。これだからバカシンジは!落ち込んでる暇もないじゃない。アンタ、本当にワタシが居ないとダメなんだから。
 
『この程度のことで、いちいち落ち込むんじゃないわよ!』
 
まったくもう!いくらワタシだからって、24時間365日フル稼働ってワケにはいかないのよ。
 
『だいたいね、アンタがワタシの心配するなんて100万年早いの』
 
次々と浴びせかける罵詈雑言を、シンジはうんうんと頷いて聞いている。
 
『もう!言われっぱなしで悔しくないの!? ちょっとは言い返しなさいよっ!』
 
うんうんと嬉しそうに口元をほころばせて、シンジは頷くばかり。
 
嘆息。…もちろん、気持ちの上でよ?
 
『いい? シンジ。ワタシは弐号機との相性が悪いみたいなの、 』
 
これは、たった今思いついた言い訳だ。テンションが高くなるとアイデアも出やすくなるのかしら?
 
『乗り物酔いみたいに気持ち悪かったから、安静にしてたのよ。わかった!?』
 
「…」
 
何か言いかかった。って風情のシンジが、でも口を閉じた。わかったよ。と頷いている。
 
 
ああ…なんかすっとした。シンジを思いっきり罵倒したからかしらね?
 
『今夜はなんか、さっぱりしたモノが食べたいわ』
 
『…冷奴とか、棒棒鶏とか?』
 
まだ少ないレパートリーの中から、一所懸命に挙げてくれてるのが解かる。
 
『いいわねぇ』
 
ザワークラウトが食べたいトコだけど、今は我慢。…そのうち、アスカとの絡みで食べられるでしょ。
 
 
                                         つづく


 アスカのアスカによるアスカのための補完 第七話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:10



『シンジ、空き缶』
 
『あっ、うん』
 
踏まないように気をつけてって意味だったんだけど、誤解したシンジは拾ってゴミ箱を探した。歩道橋の上にあるはずもないから、ちょっと持て余し気味。
 
一度、シンジが誤ってテープの空ケースを踏んづけたことがある。そのときにワタシが上げた声なき悲鳴を、シンジは聞いてないだろう。艦艇を…ううん、UN海軍の将兵を踏み潰した感触を、まざまざと思い出させられたのだ。
 
それ以来。シンジが何か踏んづけやしないか、そればかり気にしてるような気がする。
 
 
 
「ハローゥ、シンジ!グーテンモルゲーン!」
 
「おはよう」
 
卑屈になって迎合することはないと言ってあるから、シンジがドイツ語で返事することはない。
 
「朝っぱらからボランティア活動? …イイコちゃんねぇ」
 
シンジが手にしてた空き缶を、アスカが指先で弾いた。
 
「…で、ここに居るんでしょ、もう1人」
 
「誰が?」
 
「アンタ、バカぁ? ファーストチルドレンに決まってるじゃない」
 
言われてみて思ったケド、あの言い方から即座にレイのコトだと判るのは本人だけだ。世界に3人しか居ないチルドレンの1人だって意識が強いから、ああいう言い方になるのは解かる。だけど、だから他のチルドレンも同じように意識してると考えるのは間違いだわ。現にシンジはそこまで意識してないから、もう1人と言われてもピンとこなかったんだと思う。そこを理解せずに人をバカ呼ばわりするのは筋違いってものよね。相手が解かるように話せない自分が悪いんだもの。
 
「ああ、綾波なら…」
 
シンジが見下ろした先に、レイ。植え込みの陰で本を読んでるみたい。何もあんな人通りの激しそうなところで読まなくてもいいと思うんだけど、それがレイってコトなんだろう。あのコはああ見えて寂しがりやみたいだから、多そうな人通りのわりに詮索されることは少なそうなこの時間のあの場所は格好の書斎なのかも。
 
…それはそうと、こんなトコで立ち止まってたら通行の邪魔よね。2人の身体で堰き止められた生徒たちのざわめきが、なんだか重い。
 
 
 
「ハロゥ!アナタが綾波レイね。プロトタイプのパイロット」
 
シンジを促して、アスカの後について歩道橋を降りてきた。
 
こっちも、できれば少しは良い出会い方をさせたいじゃない。
 
「ワタシ、アスカ。惣流・アスカ・ラングレィ。エヴァ弐号機のパイロット、仲良くしましょ」
 
「…どうして?」
 
…ホント、アンタらって…
 
「その方が都合がいいからよ。いろいろとね」
 
「…命令があれば、そうするわ」
 
『…シンジ、』
 
って耳打ちするまでもなく、シンジはレイの前まで進み出る。
 
「綾波。そういうのって良くないよ」
 
「…どうして?」
 
じゃあさ。って小首をかしげたシンジが、右手を自分の胸に当てた。
 
「僕との絆は、命令されたから?」
 
…いいえ。と、レイ。…求められたことに応じたいと思った、私の心。なんて呟いてる。
 
「じゃあ、仲良くしようって言ってくれた惣流さんに、さっきのはないよね」
 
「…そうね。ごめんなさい」
 
「謝るのは、僕にじゃないよ」
 
シンジが目配せするように視線をやる先に、ちょっとブゼンとした様子のアスカ。
 
…ええ。と立ち上がって、レイが深々と頭を下げた。
 
「ごめんなさい、惣流さん。仲良くしてください」
 
「変わったコねぇ」
 
  「ほんま。エヴァのパイロットって、変わりモンが選ばれるんとちゃうか?」
 
ははは…。バカトウジ、聞こえてないと思ってんなら大間違いよ。今のワタシは、まさしく地獄耳なんだからね。
 
 
****
 
 
ウイングキャリアーから投下されて砂浜に降り立つと、電源装置トレーラーがケーブルを接続してくれる。
 
もうじき、あの分裂する使徒が現れるはずだ。
 
≪2人掛かりなんて、卑怯でヤだな。趣味じゃない≫
 
 ≪ アタシたちに選ぶ余裕なんてないのよ、生き残るための手段をね ≫
 
珍しく、ミサトの言うとおりね。戦力の逐次投入が愚の骨頂だってコト、今のワタシにだって解ってるはずなのに…ワタシのココロの中は、ワタシが、ワタシには、ワタシだけが!って…、そればっかりだったんだわ。
 
…ううん、それしか無かったのよね? アスカ。
 
なんだか哀しいわ。自分への同情ってナンて言うんだったっけ、えぇと…、憐憫?
 
 
盛大にあがった水しぶきに、シンジが息を呑んだ。
 
「来た!」
 
 ≪ 攻撃開始! ≫
 
≪じゃ、ワタシから行くわ!援護してね!≫
 
「わかった」
 
ヤジロベエみたいなカッコした使徒に、初号機のパレットライフル。
 
≪行けるっ!≫
 
「えぇっ!?」
 
半ば水没したビルを足場に、弐号機が使徒に接敵。残した間合いを一気にジャンプで詰めて、ソニックグレイブを振り上げる。
 
≪やぁあああああーっ!!≫
 
案の定、使徒はあっさり両断された。あのときの手応えは良く憶えてる。ううん、手応えの無さを、…かしらね。自分の実力を過大評価してたワタシは、その違和感が意味するトコロを都合のいいように解釈してたわ。
 
「お見事…」
 
≪どう? サードチルドレン!戦いは、常に無駄なく美しくよ≫
 
この使徒がこの程度で斃せないことはよく知っている。現に今、分裂を終えようとしてるもの。シンジにも、最後の最後まで油断しないよう、常々言い聞かせてあるわ。
 
『シンジっ、まだ!』
 
『…うん!』
 
弐号機に近いほうの使徒に向かってパレットライフルを斉射しながら、初号機が駆け寄った。使徒がひるんだ、その瞬間を奇貨として弐号機が下がる。
 
「大丈夫!?」
 
≪アンタなんかに心配されたくないわ!…≫
 
弐号機は問題ないと判断して、シンジが初号機に近いほうの使徒に攻撃を切り替えた。パレットライフルで牽制しながら左手にプログナイフを装備、すかさずコアを突き刺す。
 
…やるようになったじゃない。って!
 
『避けてっ!』
 
無造作に振るわれた使徒のツメを、初号機がかろうじて避ける。切り裂かれるパレットライフルの向こっ側で、弐号機が使徒の片腕を斬り落としてた。だけど、両断されたときと同様、まるで気にした様子がない。反撃を受けそうになって、あちらも一歩後退。
 
「ミサトさん!使徒の傷が!!」
 
 ≪ ぬゎんてインチキっ! ≫
 
プログナイフで傷つけたコアが、見る間に修復されてく。とどめを刺そうと腕の無い方から使徒に突撃してた弐号機が、唐突に生え治った腕に薙ぎ払われた。放物線を描いて跳ね飛ばされた赤い機体が、地面を穿って沈黙する。
 
アスカの悲鳴に気を取られたシンジを見過ごすほど、使徒も甘くないらしい。あっという間に目前まで詰め寄ってきて、今度こそ避けられそうもない間合いでツメを振るった。
 
 
****
 
 
「「はーい!」」
 
玄関のチャイムが鳴ったので、2人してリビングを出た。
 
ドアを開けると、ヒカリとバカコンビ。…まぁワタシは知ってたんだけどね。
 
「またしても今時ペアルック、イヤ~ンな感じ」
 
「「 こ、これは…、日本人は形から入るものだって、無理矢理ミサトさんが… 」」
 
このところのユニゾン訓練の成果ってワケでもないんだろけど、2人がきっちりハモる。
 
「ふ、不潔よっ!二人とも!」
 
「ごっ、誤解だよっ!」
「ごっ、誤解だわっ!」
 
誤解も六階もないわっ。って、ヒカリ…。アンタ、シンジの尽力でバカトウジと結構いい雰囲気になってきてるっていうのに、それはナイんじゃない?
 
「あら、いらっしゃい」
 
いやんいやんとかぶりを振るヒカリに声をかけたのはミサト。3人がやって来たエレベーターホールの方から現れなかったのは、レイを引き連れて隣の住戸の下見に行ってたから。
 
シンジに言われてレイの部屋を見に行ったミサトが、そのあまりの酷さに絶句してレイも引き取ると言い出したのだ。物理的に今のミサトんちじゃムリがあるから、隣りの住戸に住まわせることなったってワケ。予定では、それに合わせてアスカも隣りに引っ越すことになってる。
 
「こんわやぁ、どないなんか、教えてもぅて宜しぃでっしゃろか?」
 
 
***
 
 
「そないならそないやて、はよぅ言ぅてくださりゃぁええんですわ」
 
誤解が解けて、みんなが笑ってる。まぁ、レイはいつもの通りだし、こっちは特訓中でそんな余裕ないケドね。
 
「…で、ユニゾンは上手く行ってるんですか?」
 
「それは、見ての通りなのよ…」
 
ヒカリの質問に、ミサトが答えた途端にブザーが鳴った。
 
「「「「 はぁ~… 」」」」
 
苛立ち紛れに、アスカがヘッドホンを投げつける。
 
「当ったり前じゃない!このシンジに合わせてレベル下げるなんて、うまく行くわけないわ!どだい無理な話なのよ」
 
実は、アスカが言うほどシンジはひどくない。なんてったって、このワタシがアドバイスしてんだもの。これ以上のコーチなんて、ありえないでしょ?
 
それに、ワタシはユニゾンの結果を知っていた。だから自信を持って、シンジなら出来る。と言ってやれる。アンタのコトはワタシが一番知ってる…と励ますことができた。そのお陰かシンジは前向きで、そのぶん呑みこみも早い。
 
「じゃあ、やめとく?」
 
「他に人、いないんでしょ?」
 
だけどアスカは、シンジがそこそこついてきてると気付くと、勝手にゲームのレベルを上げてしまうのだ。
 
…自分がこんなに頑なだったなんて、ちょっと認めたくないものだわね。
 
「レイ」
 
「…はい」
 
…ミサト。アンタの意図はわかるケド、今ものすごくイジワルな目、してるわよ。
 
「やってみて」
 
…はい。とレイが立ち上がる。
 
依怙地なアスカが、…ワタシが悪いのはわかるケド、これはあんまりだと思う。
 
『…』
 
だから、お願いね。シンジ…
 
「僕はやりたくありません。ミサトさん」
 
「えっ? あの…シンちゃん?」
 
まさかシンジに反対されるとは思ってもいなかったんだろう、ミサトの目が点になった。
 
「…どうして? 碇くんは、私としたくないの?」
 
…レイ。アンタ口の利き方、勉強なさい。鈍感魔王のシンジでなきゃ、モノスゴイ誤解、しちゃうわよ。ほら、ヒカリなんか顔真っ赤だもの。
 
そういうわけじゃないけどね。と頭を掻いたシンジが、目つきも鋭くミサトを睨んだ。
 
「ミサトさん。零号機は出撃できるんですか?」
 
「えっ? …いやぁ、まぁだ、ちょっちねぇ…」
 
目を泳がせて誤魔化そうとするが、しかしシンジは追及の手を緩めない。
 
「それとも、綾波を弐号機に乗せようって云うんですか?」
 
「えぇと…、それもどうかなぁって、ミサトさん思うんだけど~」
 
…なははは~っ。なんて、笑って誤魔化せると思ったら大間違いよ。
 
確か、レイは初号機にもシンクロできたはずだ。そして、第6使徒戦でシンジが弐号機を動かせてた事実から考えると、レイが弐号機にシンクロできてもおかしくはない。
 
だけどまあ、ここでそれはどうでもいいことだわ。
 
「なら、綾波がやってみたところで、意味はありませんよね」
 
「いや、その? シンちゃん、あのね…」
 
言い募ろうとするミサトを、ヘッドホンを持った左手の一振りで一蹴。
 
「ミサトさんが何をしたいかは解かるつもりです。でも、こんなあてこするようなやり方、僕は嫌いです」
 
シンジが喋ったのは、ほとんどワタシが吹き込んだ言葉なんだけど…。ヤダ、なんかシンジ頼もしいじゃない。
 
なのに、アスカは…
 
「アンタなんかに同情されるなんて、ワタシもヤキが回ったわね」
 
振り返るシンジの視界の中に、それこそ親の仇でも睨んでいるかのような目つきで。
 
シンジの視線は困惑で縁取られてむしろ優しいだろうに…、ううん、だからこそ居たたまれなくなって目を逸らしたのね? アスカ。
 
「もう、イヤッ!やってらんないわ」
 
引き戸を叩きつけて、逃げ出した。
 
「アスカさん!」
 
 
「…鬼の目ぇにも涙や」
 
ちょっと待って。ワタシって、あんなにヒネくれてた? ヒトの好意をナニひとつ素直に受け取れないような、こんなヤなコだったの?
 
自分で自分が、ワカンナイ…
 
「い~か~り~く~ん!」
 
視界が、すっと前進した。
 
『…シンジ?』
 
『うん。追いかけなきゃ…』
 
追いかけて!っていうヒカリの叫びを背後の彼方に置き去りにして、シンジがリビングを後にする。
 
確かに、前回もシンジは追いかけてきてくれた。だけど、それがシンジの自発的な行動だったとは思えない。…だって、あのシンジだもの。
 
…なのに、このシンジは。ワタシが見てきたこのシンジは、自らの意思で追いかけようとしてくれてるのだ。
 
シンジ…、アンタ確実に変わってきてる。…それはワタシのおかげだって、しょってイイ? …いいよね?
 
 
***
 
 
…やっぱり、コンビニに逃げ込んでいた。
 
声をかけようとするシンジを押しとどめる。下手な慰めなんか聞きたい気分じゃなかったことを、憶えてるもの。
 
買い物カゴを持たせて、サンドイッチとかをテキトーに放り込ませる。おサイフ、持たせてきて正解だったわね。
 
しゃがみこんだアスカの、隣りのガラス戸を開けて、シンジがコークを取り出した。
 
「なんか飲む? おごるよ?」
 
「…何しにきたのよ」
 
休憩だよ。とシンジがコークを棚に戻す。…やっぱペプシかな。って、そんなのどうでもいいじゃない。
 
ぎろり。と睨み上げる気配を、シンジの視野のぎりぎりで確認。下手に目なんか合わせると気迫負けしちゃうだろうから、シンジにはアスカを見ないように言ってある。
 
 …
 
逃げちゃダメだ。と幾度も繰り返し、シンジが視線を上げた。ワタシがシンジに言わせようとしてることは、シンジの性格では口にしづらいだろう。
 
「…せっかくだから言っとくけど、謝らないよ」
 
「何をよ?」
 
シンジは、ずいぶんと緊張してるみたい。口ん中が急速に渇いてきたもの。それでも詰まったり調子を外すこともなかったのは、シンジもこういうことに慣れてきたのかもね。
 
「…僕が、惣流さんについていけないこと」
 
「何? 開き直り?」
 
そうかもしれないけど…。と、シンジがペプシを取り出す。
 
「…僕の反射神経が劣ってるってことは、謝るようなことじゃないと思うんだ」
 
冷えたアルミ缶が奪い去ってくれるのは熱だけじゃないとばかりに、シンジが右手に力を篭めた。
 
「…その差を縮めるために僕が努力してないって云うなら謝るべきかもしれないけど…僕は出来る限りのことをやっている」
 
そうよ、シンジ。アンタが頑張ってるってコト、他ならぬワタシが保証したげる。
 
「だから、惣流さんがすごいってことも判るんだ」
 
 
それは、ワタシが言わせた言葉じゃない。ためらいも緊張もなく、ごく自然に紡がれたのは、それがシンジの本心だからだと思う。ユニゾン特訓の間に感じてくれてたことだからだと思う。だからこそ、ミサトに逆らった時のシンジの言葉が力強かったのだと、解かる。
 
…シンジ。アンタ、見ていてくれてるのね。
 
 
「…買い物が済んだら、先に帰るから」
 
「何よ。連れ戻しに来たんじゃないの?」
 
だから、ただの休憩だよ。と、心なしか温くなったアルミ缶を買い物カゴに入れて、棚からもう1本ペプシを取り出す。
 
「惣流さんが休んでくれてる間に練習して、少しでも追い着けるようにしなくちゃならないからね」
 
「…」
 
突然立ち上がったアスカが、棚から瓶入りのジンジャーエールを取り出した。ウィルキンソンは日本で唯一の、本物のジンジャーエールだったわね。
 
「アンタがワタシに追い着くなんて、100万年かけてもムリよ。だ…」
 
続けようとした言葉を呑み込んで、アスカの視線が泳いだ。いったい何を言おうとしたのか、それはワタシでも想像するしかない。
 
辿り着いた買い物カゴを胡乱げに眺めて、シンジの手からペプシを奪い取る。…とうぶん、開けないほうがよさそうだわ。あれ…
 
「ワタシがおごるわ。他は戻してきなさい、…アンタの手料理で充分よ」
 
ぷいと踵を返したアスカが、そそくさとレジに向かった。
 
ワタシもそうだったけれど、ちゃんとおサイフを持ってきている辺り、衝動的な破滅型ではないのかもね。
 
「置いてくわよ!」
 
さっさとレジを済ませたアスカに急きたてられて、あたふたとシンジが品物を戻していく。あはは…、そんなに慌てなくても、アスカならちゃんと待ってるわよ。
 
 
****
 
 
弐号機と初号機の損傷は、前回と比べれば軽かったみたい。作戦決行は1日ほど早く、作戦地域も違う。
 
当然のようにミサトも、1日早く徹夜仕事に入ったってワケ。
 
 
この壁をちょっとでも越えたら死刑よ!子供は夜更かししないで寝なさい。なぁんて言い放ってさっさと寝たはずのアスカが、引き戸を開けた。
 
とっさに寝たフリするシンジを気にかけた様子もなく、向かったのはトイレかしらね? …っていうのも、ワタシには憶えがなかったから。寝惚けてたのかしら?
 
 …
 
どさっ、て音と振動にまぶたを開けたシンジの、目前にアスカの寝顔。驚いたシンジがSDATのリモコンを誤操作して、テープがきしみだす。ここんところリビングでミサトと3人して寝てたもんだから、アスカは寝床を勘違いしたんだろう。
 
美人は寝顔もキレイねぇ。…なんて思ってたら、シンジの視線がふと下を向いた。半ば押し潰されて強調された、釣鐘型の見事なバスト。いくらシンジが鈍感魔王でも、見ずには居られないみたいね。
 
「…ん」
 
身じろぎしたアスカに釣られて、シンジが視線を上げる。その焦点が、桜貝のように可憐な唇に注がれて…
 
…そういえば、キスしかかって止めた。って言ってたような…?
 
なんてコトを思い出してる間に、シンジが顔を近づけていってる!
 
きゃーっ!きゃーっ!そんなのダメよ!シンジ。オンナノコが寝てる間に奪っちゃうなんて、ケダモノの所業よ!世紀の美少女の唇が欲しいって気持ちはよっく解かるし、1週間近い特訓生活でナニかとモヤモヤしてんのも知ってるケド、イケナイわ!
 
…でも、今のシンジなら、キスくらい許してあげても、って… きゃーだ♪きゃーだ♪ワタシったらナンてことをっ!!
 
そんなこと考えてるうちに、ワタシの顔はもう焦点が合わないくらい間近で。…って、なんでワタシ、シンジを止めよぉってシテないの…?
 
もちろん、先に寝たことになってるワタシが声を出すわけには行かない事情はある。せっかく築いたシンジとの信頼関係をブチ壊しちゃうもの。
 
…だけど、だけどよ?
 
 …
 
ああもうダメ!って瞬間、アスカがママって…呟いた。
 
脂汗たらしながらにじり寄ってたシンジが、ぴたりと止まる。
 
見つめる先、アスカの目元から大粒の涙がこぼれた。
 
…ママの夢見て泣いてたなんて。ワタシ、自分がどれだけ強がっていたか、今ようやく解ったわ。
 
ワタシ、ホントに弱かったのね…
 
 
毒気を抜かれたらしいシンジが、タオルケットを引きずって部屋の端へと退避した。
 
  …
 
ふう…アヤマチは未然に防がれたわ。…なのに、なぜか損したようなキモチになるのは、どうして?
 
 
****
 
 
作戦決行が1日早い分、使徒迎撃はこちらからも出向くことになった。
 
再び進攻を始めた使徒に、ウイングキャリアーで接近。ドッキングアウトして、上空から電磁柵形成器を投げ下ろして分断すると、落下の勢いそのままに蹴りつける。
 
おもいっっっきり!地面にメリ込んだ第7使徒は、エヴァ2機を吹き上げるように爆発した。おかげで、最後に2人がケンカすることもなかったわ。だからキス未遂事件も闇の中よ…
 
まずはメデタシ、…かしらね?
 
 
                                         つづく

アスカのアスカによるアスカのための補完 第八話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2020/05/20 21:28

「えーっ!修学旅行に行っちゃダメぇ!?」
 
「そういう可能性がある。ってだけだよ」
 
シンジが、ヒカリ直伝のトマトジュース入りポテトサラダを頬張った。とても美味しい。
 
問題は、それが各々のおべんと箱とは別のタッパウェアに詰め込まれてる。ってコト。レイのリクエストでほぼ毎日おべんとに入ることになったんだけど、ポテトサラダってのはある程度の量がないと作りづらいし美味しくない。そんでもって日保ちしない。…結果、こうして別容器に詰めてきて、みんなで突付くことになったってワケ。
 
シンジは今や師匠のヒカリよりも美味しく作れるようになってるけど、毎日はさすがに飽きる。…レイのこのパラノ的食欲、なんとかしてよ。
 
「どうしてっ!」
 
「…戦闘待機、だもの」
 
黙々とポテトサラダを口に運んでた箸を止めて、レイが応えた。
 
「アンタには聞いてないわよ!」
 
屋上での昼食は、アスカを加えて6人になっている。ユニゾン特訓からこっち、シンジはアスカにもおべんとを作ってくれるんだ。
 
特訓中にシンジの作る食事に馴れさせられちゃったアスカは、案外素直におべんとを受け取った。レイと面つき合わせて食事することには抵抗があったみたいだけど、それもおべんとに込みだと割り切ったっぽい。
 
ワタシと違って、シンジとの見事なユニゾンを見せ付けられたってワケじゃないんだから、そんなに毛嫌いすることもナイと思うんだけどね。
 
「せっかく新しい水着、買ったのにな…」
 
訓練ではなく、レジャーとしてスクーバできるのは初めてだったから、確かに楽しみだったわね。
 
「アスカ、お土産買ってくるからね!」
 
「あぁーっ、3人とも残念だったなぁ!」
 
「貴サンらの分まで、楽しんできたるわ、ナハハハハー!」
 
…アンタらって、ホンっトに友達甲斐ないわね。
 
 
****
 
 
「やっぱり、修学旅行に行っちゃダメなんだ…」
 
「ええ」
 
あらかじめ示唆させといたのに、アスカは随分と落胆してるように見える。
 
「戦闘待機だから?」
 
そうね。とミサトの返答はそっけない。
 
「そうならそうと、前もって言っといてくれればいいじゃない」
 
「ゴミンね」
 
ミサトにナニ言っても、のれんに腕押しだと思ったんでしょうね。アスカの視線がこちらを向いた。
 
「アンタ!お茶なんかすすってないで、ちょっとナンか言ってやったらどうなの!男でしょう!」
 
「いや、僕は多分こういうことになるんじゃないか、と思って…」
 
「諦めてた、ってわけ?」
 
「うん」
 
 
ワタシの時は多分に、荷造りまで終わった頃合になって不参加を申し渡したミサトへの反発があったんだと思う。修学旅行に行けないコト自体は、しょうがないもの。
 
 
「はんっ、情けない。飼い慣らされた男なんて、サイテー」
 
「そういう言い方はやめてよ」
 
…なのに、こうも絡むのは何故だろう?
 
確かにワタシも楽しみにしてたし、かなり残念だった。だけど、エヴァパイロットとしての責務には換えられないから、我慢したわ。
 
このアスカもそうだろうと思ったから、あらかじめ伝えておいたってのに…
 
 
気持ちは分かるけど。と、ミサトがビール缶を置いた。
 
「こればっかりは仕方ないわ。あなたたちが修学旅行に行っている間に、使徒の攻撃があるかもしれないでしょ?」
 
風呂から上がってきたペンペンが、ダイニングを横切っていく。
 
「いつもいつも、待機、待機、待機、待機っ!いつ来るか判んない敵を相手に、守る事ばっかし!」
 
そんなコト言ったら、シンジやレイはどうなんのよ。ワタシなんかよりずっと前からここで待機しっぱなしなのよ。後から来たアンタにグチられたら、立つ瀬ないじゃない。って、…ワタシもそうグチったんだったわ。自分がナニ言ってるかもロクに解かってなかったなんてね…
 
「たまには敵の居場所を突き止めて、攻めに行ったらどうなの?」
 
「それができれば、やってるわよ」
 
攻めるとなれば攻めるとなったで、ヒドイ目に遭うんだけどね…って、このコ、もしかして待ち構えてんのに耐えられなくなったってワケじゃないでしょうね?
 
…ううん、さすがにそれはないか。腐っても惣流・アスカ・ラングレィだもの。ひたすら訓練に明け暮れたドイツ時代に比べれば遥かにマシだって、このコだって解かってるはずよ。
 
 
「ま、2人とも、これをいい機会だと思わなきゃ。クラスのみんなが修学旅行に行っている間、少しは勉強ができるでしょ?」
 
…ミサト。鬼の首でも獲ったかのような顔してディスクを取り出すのは、どうかと思うわ。
 
「アタシが知らないとでも、思ってるの?」
 
「う…」
 
呻いたのは、シンジ。
 
勉強の相談にも乗ってあげとくべきだったわね。このワタシが家庭教師してあげてれば、シンジの成績が鰻登りになること間違いなかったってのに。
 
「見せなきゃバレないと思ったら、大間違いよ。あなたたちが学校のテストで何点取ったかなんて情報くらい、筒抜けなんだから」
 
「はんっ、バ~ッカみたい。学校の成績が何よ。旧態依然とした減点式のテストなんか、ナンの興味もないわ」
 
「郷に行っては郷に従え。日本の学校にも、慣れてちょうだい」
 
イーーーーっだ!と力いっぱい顔をしかめて見せたアスカが、そっぽを向いた。
 
 
 
それにしても、本人であったワタシですら、このコの反応は読み難くなってきてる。それだけワタシが変わったってコトで、このコの置かれてる環境も変わってきてるってコトだと、思うんだけど…
 
…ううん、ヒトのココロなんて、自分でも解からないモノだもの。本人だからと云って理解できるなんて考えるのは傲慢よね。
 
 
****
 
 
盛大に水の跳ねる音がした。レイが跳び込んだに違いない。
 
おべんとを作ってもらってるから、レイはシンジに大体のスケジュールを伝えることがある。主に、必要ないときとか、一緒に食べられない時とかにね。今日はシンクロテストの後に本部棟のプールに寄るつもりだってコトを聞きつけたアスカが、なかば引きずるようにシンジを連れてきたのだ。レイがプールの使用許可を取ってると知って、便乗したってワケ。
 
修学旅行の間、当然学校は休みだから、ヒマを持て余してたんだろう。その気持ちはよく解かる。ワタシも、買ったばかりの水着が着たくてプールの使用申請した憶えがあるもの。そん時もレイが先に許可貰ってて、これ幸いと押しかけたっけ。
 
『シンジも泳ごうよ』
 
『…これが終わったらね』
 
シンジは、ミサトの差し金で担任から渡された問題集ソフトとニラメッコしてる。その様子じゃ、いつになるか判んないじゃない。
 
…先に泳がせてくれたら、後でいくらでも手伝ったげるって言ってんのに…
 
 
「何してんの?」
 
「理科の勉強」
 
アスカの問いに、顔も上げずにシンジが応えた。
 
「…ったく、オリコウさんなんだからぁ」
 
「そんな事言ったって、やらなきゃいけないんだから…あっ!」
 
ジャーン!と仁王立ちしたアスカは、おろしたてのビキニ姿を惜しげもなくさらしている。
 
「オキナワでスクーバできないから、ここで潜るの」
 
胸を張ってみせるものだから、シンジが視線を外せなくなっちゃったじゃない。
 
「そ、そう!?」
 
どれどれ、何やってんの? ちょっと見せて…。と、アスカが身を乗り出してくる。
 
シンジの視界いっぱいに、紅白ボーダーの水着に包まれたアスカの双丘。横縞ってのはボリュームを強調するから、実寸以上の迫力でシンジの目に映ってることだろう。
 
目のやり場に困ったシンジが、かといって逸らすワケでもなく…
 
からかうなり叱るなりしてやろうかとも思ったんだけど…、ま、武士のナサケよ。感謝なさい。
 
 …
 
「…この程度の数式が解けないの? …はい、できた。 簡単じゃん」
 
「どうしてこんな難しいのができて、学校のテストがダメなの?」
 
シンジは、ようやく双丘の呪縛を振りほどいたらしい。トップスだけボーダーになってんのが、この水着のあざといトコロよね。
 
「問題にナニが書いてあるのか、わかんなかったのよ」
 
「それって、日本語の設問が読めなかった、って事?」
 
「そ。まだ漢字全部憶えてないのよねぇ。向こうの大学じゃあ、習ってなかったし」
 
「大学?」
 
「あ、去年卒業したの」
 
正しくは卒業させられたってのがタダシイかもね。そういう訓練カリキュラムだったんだもの。まあ、早く大人になりたいと思ってたワタシには渡りに船だったし、そもそもそれに応え得る才能があったんだからしょうがない。
 
「…で、こっちの…コレはなんて書いてあるの?」
 
「あ、熱膨張に関する問題だよ」
 
「熱膨張? 幼稚な事やってんのねぇ。トドのつまり、モノってのは温めれば膨らんで大きくなるし冷やせば縮んで小さくなる、って事じゃない」
 
「そりゃそうだけど…」
 
「ワタシの場合、胸だけ温めれば、少しはオッパイが大きくなるのかなぁ?」
 
これ見よがしに、胸に手を宛がったりしてる。
 
一般的な男子中学生にそんな話を振ったって、面白い切り返しなんかできるワケがない。こうしてシンジに密着して暮らさなきゃ、気づきもしなかったでしょうケドね。
 
一方的な基準でツマンナイ男だと思わせるのもシャクだったので、シンジに耳打ちする。
 
『…』
「あんまり温めて、蒸発しても知らないよ」
 
 
 …////
 
…効果は覿面みたいね。顔が真っ赤だもの。
 
 
そもそも、この時期のワタシってのは、自分でもよく解からない。オンナであることを忌避してるはずのに、よりオンナらしくありたいと願ったりする。
 
それが何に根差すのか、ずっと考えて来たんだけど…って、アスカがシンジの二ノ腕を両方とも掴んできた。
 
「…アンタのオツムもソートー温まってるみたいじゃない」
 
ぐぃっと引っ張られると、当然の帰結としてシンジの手がアスカの腋の下に挟まれることになるんだけど、そのことに照れたりするヒマもなかっただろう。
 
「ちょっと冷やして、来・な・さ~い!」
 
瞬時に重心を落としたアスカが、引き摺られて前のめりになったシンジのオナカを蹴り上げる。床の硬いトコで仕掛けるには不向きな巴投げが、見事に決まった。
 
放り投げられたシンジが、きれいに1回転してプールに落水。
 
 
ちょっと、怒らせすぎたのかしら? いくらなんでも、服を着てる相手を問答無用でプールに叩き込むなんて思わなかったもの。…って、シンジ。ちょっと落ち着きなさい。
 
『闇雲に手足をバタつかせんじゃないわよ!それに無闇に息しようとしちゃダメ!』
 
だけど、シンジは言うことを聞かない。
 
…まさか、アンタ泳げないの?
 
いや、泳げる人間だって、急に足の届かない水中に叩き込まれればパニックを起こす。
 
本部棟のプールは、単なる保養施設じゃない。防火用水でもあるし、あやしげな実験に使われることもある。なにより、エヴァの整備のためにスクーバの免許が不可欠な技術部や整備部の人間のための、実技講習に使われるのだ。
 
つまり、とてつもなく深い。 
 
普段は事故防止のために可動式のスクリーンネットが張られてるんだけど、スクーバをするつもりのアスカが下げてしまってた。
 
『シンジ!落ち着いて。いったん息を止めなさいっ!』
 
ああ、もう!このバカシンジ!ヒトの言うこと聞きなさいよ!
 
着衣のまま落水すると、衣服が水を吸ってまとわりついて、手足を縛られてるような恐怖を覚えるっていう。今のシンジは、まさにその状態なんだわ。
 
水面でかろうじてジタバタもがいてるシンジの背後に、何者かが寄り添った。シンジの顎を支えようと肩口から廻された白い腕に、藁をも掴む勢いでシンジがしがみつく。
 
『こらっ!放しなさい。レイまで沈んじゃうでしょ!』
 
そうこうするうちに、正面からアスカが近づいて来るのが見えた。教本どおりにシンジの方へ脚を向けた防御泳法だ。…と思ったら、片足を上げてそのまま踵落とし。
 
酷いのはアスカだけかと思ったら、レイはレイで自ら沈んでシンジを振りほどいてる。…アンタら、容赦ないわね。それが悪いってワケじゃないけど…
 
もがいて疲れてきたところに脳天を蹴られ、水中に引き摺り込まれそうになったシンジはすっかり大人しくなった。暴れちゃイケナイってコトが解かったんじゃなく、単にそんな元気がなくなったってトコね。
 
シンジの頭髪を掴んで引っ張り始めたのは、おそらくアスカだと思う。方法としては正しいけど、痛いってば。
 
 
 …
 
プール隅のラダーハンドルにしがみついて、シンジがえずいてる。
 
「…ひどいよ」
 
「悪かったわよ」
 
さすがに責任を感じたらしく、アスカが背中をさすってくれてた。拭いきれない気まずさが動作に表れてか、その手元がぎこちないけれど。
 
「…泳げないなんて、思わなかったんだもの」
 
それはワタシも同感だわ。
 
ようやく落ち着いたシンジが、プールサイドに身体を引き上げる。水を含んだ制服が、疲れきった手足に重い。
 
『こら!こんなトコでへばってんじゃないわよ、風邪ひくでしょ。さっさと着替える』
 
うめいたシンジが、渋々立ち上がった。
 
脚を引き摺るようにして更衣室へ向かうシンジを、アスカがどんな顔して見ているのか、ちょっと知りたかったんだけど…
 
 
***
 
 
水着とバスタオルは一応持ってきてあったけど、服の替えまで用意してるワケがない。水着に着替えたシンジが、羽織ったタオルをきつく体に巻きつけた。絞った制服はハンガーに吊るして、エアコンの吹き出し口の前に。パイロット控え室になら着替えがあるから、乾くのを待ってるのだ。
 
それにしても、無理やりハンガーにかけたブリーフって、ちょっとマヌケね。…なんてことを考えてんのは、自分の気を逸らしたいからだと、…解かってる。
 
 …
 
シンジは、さっきからずっと身体を震わせていた。それが寒さのせいでないのは言うまでもない。
 
その震えを感じてると、溺れてた時のシンジの苦しみを思い出してしまう。恐怖に縮こまる心臓の感触を、押し寄せる水を拒もうと咳き込む喉の引き攣りを、消毒液の刺激で搾り取られる涙の熱さを。
 
…まだ、鼻の奥の痛みが消えない。
 
 
『水…恐いの?』
 
思い出してみれば、シンジは水泳の授業をサボってたような気がする。ネルフの訓練との兼ね合いで、ほとんど参加できなかったから、見学してたのも1、2度のことで見過ごしていた。
 
 
『…そんなことは… … ないこともないのかな?』
 
『?』
 
膝の上で指を組んでたシンジは、自分で自分を抱きしめた。
 
『子供の頃、たまに見たんだ。 …誰かが、溺れてる夢。 …その夢の中で、その人は還ってこなかったような…気がする』
 
夢…か。なにかトラウマになるようなことでも、あったのかしらね? ワタシが、ママがぶら下がってる光景をよく夢に見たように。
 
普段はそれほど意識してるわけじゃないんだろう。例えば初めてエントリープラグに乗った時、シンジは湧きあがるLCLにそれほどの拒絶を示さなかった。でも、だからこそ深層心理ってヤツは厄介なのよ。いざって言う時に鎌首をもたげる悪夢は、伏兵のような唐突さで、自分自身に裏切られたかのような喪失感を突きつけてくるもの。
 
 
『シンジ…、泳げるようになる気、…ない?』
 
『どうして…?』
 
ワタシだって、明確な理由があって奨めたわけじゃないから、どうして。なんて訊かれると困るんだけど…
 
ただ、シンジが泳げないことがトラウマに起因するのだとしたら、それは早めに克服しといたほうがいいと思う。もし、この先シンジがトラウマと対峙することになったとき、それが分水嶺になりそうな気がするんだもの。もちろんそんな事態に陥らないに越したことはないけど、でも…ね?
 
『…だって、さっきみたいなこと…あると困るでしょ?』
 
 
『…ほら、水泳の授業が通年になるって話し、あるじゃない。今のうちよ?』
 
 …
 
『…修学旅行に行けてたら、泳がないわけに行かなかったのよ?』
 
  …
 
 …
 
ヤだよ…。ぽつりとした呟きは口中に消えたケド、思わず口にしたのは、つまり…
 
『シンジ…』
 
「あんな苦しい目に遭って、なんで泳ぎなんか憶えなきゃなんないんだよ!」
 
シンジがこぶしを振り下ろしたのは、自分の膝。苛立ち紛れの自傷行為にすぎないって頭で判ってても、なんだか面と向かって叩かれたような気がして、切ない。
 
『…だけどね』
 
「ヤだよ!なんでっ!…アンジェは僕の味方じゃなかったの!」
 
 
…ワタシに生身のハートがあったら、今のひと言で砕け散っただろう。
 
 
『…もちろん、シンジの味方よ』
 
ココロの声が感情を伝えてないってことが、これほどありがたかったことはないわ。でないと、ワタシ…
 
「じゃぁ…!」
 
『シンジの味方だけど、…声だけなの…』
 
ちょっと待って!ワタシ、ナニ言ってんの。ナニ言おうとしてるの?
 
『シンジを助けてあげたいのに、何もして上げられないの』
 
待って!ワタシ、そんなことをシンジに言いたいんじゃ…
 
『さっきだって、そう。溺れてるシンジに何ひとつしてあげらんなくて、結局シンジを救けたのはレイに、アスカだもの』
 
ワタシの悩みを、苦しみを、シンジにぶつけてどうなるっていうの。
 
『ううん、さっきだけじゃない。今までだって、そう。ただ見てるだけ。戦いに苦しむシンジに、ワタシ何ひとつしてあげれてない!』
 
やめなさい!やめるのよ、ワタシ!
 
『ワタシなんか…ワタシなんか!居なくてもっ』
 
 
…ワタシ、すべてを吹っ切ったつもりになって、シンジの味方だなんて言ってたんだわ。なんてことない、自分の抱えた不安をそうやって誤魔化してきてたのね。
 
  「…アンジェ?」
 
自分で選び取ったんじゃない。そうするしかないと決め付けて、逃げ込んでただけ。そうでもしないと、自分の存在意義が揺らぎそうで恐かったのよ。
 
シンジと一緒だわ。ううん、以前のシンジと…ね。臆病だったの。賢しげにシンジに何か言う資格なんてない!
 
     「アンジェ!大丈夫?」
 
結局、シンジを利用してるだけなのよ。
 
いろんなものを乗り越えた気になって、高みから見下ろしてただなんて。
 
        「アンジェ!!返事してよ」
 
 
 …自分に、絶望するわ!
 
 
……
 
 
「アンジェ!?」
 
 
『…シンジ?』
 
ワタシったら、シンジが呼びかけてくれてたのも気付かなかった。やっぱり、自分、自分、自分、自分!自分ばっかり!
 
「…」
 
シンジの嘆息はやさしくて、安堵に満ちていた。
 
 …
 
『『…あのっ…!』』
 
 
あまりのタイミングの良さに、つい沈黙。
 
 
『…その、ごめん』
 
…やだ。謝らないでよ。
 
『…僕、アンジェの気持ちなんか考えたこともなかった』
 
アンタに謝られたら、ワタシ…
 
『…アンジェはいつだって出来る限りのことをしてくれてたのに、そんなことも解かってなかったなんて…』
 
僕って最低だ…。だなんて、口に出してまで。
 
『本当に、ごめん』
 
 
謝られれば謝られるほどワタシの立つ瀬がなくなって惨めになるってのに、…なんでワタシ、嬉しいの?
 
…ううん、ホントは解かってる。
 
シンジが謝るのは、ワタシの苦悩を慮ってくれたから。ワタシを理解しようとしてくれた結果だから。
 
そんなことがこんなにも嬉しいのは、今のワタシにとって、シンジは世界のすべてとイコールだってコト。全世界から己の存在を肯定されて、どうして自尊心のささいな綻びなんか気にしてられるだろう。
 
『…こんな僕だけど、見捨てないで助けてくれる?』
 
そう。アンタがワタシに存在意義をくれるっていうのね。なんにもしてあげらんないワタシを、必要だって言ってくれるのね。
 
なら、ワタシは…
 
         …ワタシの存在意義を全うするのみ、よ。
 
 
『当ったり前じゃない。ワタシがアンタを見捨てるワケないでしょ!』
 
よかった。と胸をなでおろすシンジを、バカねぇ。と笑い飛ばしてあげる。その懸け合いが、なんだか心地いい。
 
 
****
 
 
どうせ捕獲なんて出来っこないんだから即時殲滅を提案させたんだけど、受け入れてもらえなかった。せめてもの備えにと、電磁柵の中にも液体窒素を吹き込めるように細工してもらうのが精一杯だったわ。 
 
結局、初号機が熔岩に飛び込んで救けてくれたことに変わりはなかったけど、前より弐号機の損傷は少なかったからヨシとしなけりゃね。
 
 
                                         つづく

special thanks to シン・サメマンさま(@shark_las)
シン・サメマン氏(@shark_las)さんが、この話のイラストを描いてくださりました。ありがとうございました。
(シンジに耳打ちするアンジェが最高に可愛いです。d(>_<))
Twitterで、シン・サメマンさま(@shark_las)かdragonfly(@dragonfly_lynce)を検索してみてくださいませ。

2007.06.20 PUBLISHED
2007.09.05 REVISED
2020.05.13 ILLUSTRATED

 アスカのアスカによるアスカのための補完 第九話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:10



…まずは水に慣れることが大切だから。っていうレイの提案で、シンジはスクーバ装備一式を身に付けてプールに潜ってる。バディにはアスカ。子離れできない母親みたいに、シンジの一挙手一投足を見守ってた。
 
スクリーンネットは斜めに設置され、深いところでも2メートル。浅いところでは1メートルもないだろう。プールに何か落としても取りこぼさないように、視線も通さないくらい目の細かい網だから、シンジでも大丈夫みたいね。
 
意外だったのは、アスカがあまりレイを毛嫌いしなくなってきたらしいってコト。こうしてレイの提案を採用しているのことからも、そのことが伺える。
 
その兆候は、シンジが溺れた直後。浅間山への出撃準備の時には顕れていたように思うわ。
 
 
…………
 
 
「アナタには、ワタシの弐号機に触ってほしくないの」
 
かつてワタシはその言葉とともに、レイが挙げた手を叩き弾いた。なのに、アスカはやんわりとレイの手を下げさせたのだ。
 
「悪いけど」
 
レイから視線を逸らす直前に、一瞬だけ瞳が揺れた。本人だったことのあるワタシでも、それが示すものを知らない。
 
「ファーストが出るくらいならワタシが行くわ」
 
 
****
 
 
 ≪ アスカ、準備はどう? ≫
 
   ≪ いつでもどうぞ ≫
 
アスカの声が、指揮車を経由して届く。いつもなら起動と同時に開いてくるはずの直通の通信ウィンドウが、まだ繋がれてないのだ。初号機からの接続要求も、弐号機側でシャットアウトしているらしく応答がない。
 
当然、シンジがUN空軍機を見つけたときの遣り取りにも加わってなかった。
 
 
 ≪ 発進! ≫
 
架橋自走車のブームから吊り下げられた弐号機が、熔岩煮えたぎる火口底に向けて降ろされる。
 
   ≪ うっわぁ~、あっつそぉ~… ≫
 
軽々しく茶化してるけど、その口調を震わす怯みを、ワタシは憶えてるわ。
 
…そう、アンタも恐いのね。
 
その恐怖を、ワタシはシンジと喋ることで、おどけて見せることで紛らわせた。
 
アンタは、どう紛らわせようっての?
 
 
 ≪ 弐号機、溶岩内に入ります ≫
 
マヤの報告が終わる前に【FROM EVA-02】の通信ウインドウが開く。
 
≪…≫
 
通信を開いておいて、アスカはこっちを見ようとしない。その視線を、眼下の熔岩から離せないんじゃないかしら。
 
 
≪シンジ…さっきはゴメンね≫
 
ぽつり、と。
 
「…さっきって?」
 
『きっとプールでのことよ』
 
…そう、アンタ。謝るべきかどうか、いつ謝るべきか、今まで悩んでたのね?
 
そして、謝るなら今しか、今のうちじゃないと謝れないかもって、思ったのね?
 
ワタシなら…、昔のワタシだったなら、たとえシンジを溺れさせたとしても、泳げないシンジが悪いって責任転嫁してたと思う。そうしておいて万が一の時には、たくさんたくさん後悔してたでしょうね。
 
…アンタも、変わってきてる。それは、きっとイイコトだと思うわ。
 
 
「…そんなの、もう気にしてないよ。…それに、救けてくれたのも惣流じゃないか」
 
弐号機は、とっくに熔岩の中。
 
≪…それだけ≫
 
「待って!」
 
ウィンドウを閉じようとしたアスカを押しとどめて、シンジ。
 
≪なに?≫
 
「惣流っ!帰ってきたら、僕に泳ぎを教えて!」
 
初めて。ウィンドウを開いてから初めて、アスカがこちらを向いた。
 
≪…≫
 
強張ってた口元が、次第にほどけて、にやりと。
 
≪ワタシ、スパルタよ。覚悟はイイ?≫
 
 
「……お手柔らかに」
 
あはははっ。なんて、とうとう笑い出しちゃった。シンジ、アンタいったいどんな顔したってのよ?
 
≪そうと決まればさっさと片付けて、とっとと帰るわよっ!≫
 
正面に向き直ったアスカは、初号機との通信を切ろうとしてたことを忘れちゃったみたいね。そのまま指揮車への報告、始めちゃったもの。
 
 
****
 
 
「…おはよう、碇君」
 
「えっ!? あっ、おはよう、綾波…」
 
シンジが顔だけで振り向くと、ダイニングの戸口にレイが立ってた。制服姿にカバンまで提げて、学校に行く準備も万端みたいね。
 
レイが、このミサトんちの隣に引っ越してきたのは昨日のこと。浅間山から帰ってきてすぐだったわ。
 
夕ご飯をここで食べさせたときの、これからは朝ご飯もここで食べるようにってミサトの言いつけを素直に聞いてたみたいなんだけど…
 
レイ。アンタ、来んのが早すぎ。シンジ、まだおべんとを作り始めたばっかなんだから。
 
「朝ご飯まで、まだ時間あるけど?」
 
「…問題ないわ」
 
今日からここがレイの席ね~♪と家主が宣言したイスに座って、じっと宙を見つめだしちゃった。…アンタ、そんなんだから人形みたいだって言われんのよ。あんな姿、アスカに見せないほうがいいんだケド…
 
もうしばらくすれば、シャワーを浴びにアスカが起きだしてくるだろう。メンドクサイの一言で隣りへの引っ越しを断ったアスカは、そのまま今の部屋に居着いちゃってるのだ。
 
『どうしたもんかしらね?』
 
う~んと唸ったシンジが、ダイニングのサイドボードに歩み寄って電気ポットの中身を確認した。
 
 …
 
「はい、綾波。コーヒーだけど、砂糖とミルク要る?」
 
シンジが、レイの前にマグカップを置く。差し出したスティックシュガーとポーションは無視されたっぽい。
 
「…どうして?」
 
「待ってる間、手持ち無沙汰でしょ」
 
「…そんなこと、ないわ」
 
ぽりぽりと頬を掻いたシンジが、所在無げにレイを見下ろした。
 
「綾波がここに来たのは、もしかしてそれが任務だと思ったから?」
 
「…ええ、そうよ。葛城一尉はそう言ったわ」
 
やっぱりね。って嘆息したシンジが、自分のマグカップを取り出す。…ああ、そういうことか。
 
「それは、ミサトさんの照れ隠しだと思うよ」
 
頭の上に? を浮かべたレイに微笑みかけてやりながら、自分にもコーヒーを淹れてる。
 
「僕も経験あるけど、ミサトさんも素直じゃないから、なかなか本音を言ってくれないんだよ」
 
ミサトさんは…。と言葉を継ぎながら、レイの向かい。普段のアスカの席に腰掛けた。
 
「きっと綾波に、普通の女の子としての暮らしをさせたいんだと思うよ?」
 
「…ふつうの?」
 
うん。と頷いたシンジがコーヒーをひとすすり。
 
「…なぜ?」
 
「それはミサトさんにしか解からないよ。綾波が自分で訊くべきじゃないかな?」
 
…そう。ってマグカップに口をつけたレイが、顔をしかめた。…熱いわ。だって…。
 
さ、お弁当作んなきゃ。って立ち上がったシンジが、そうだ!って、どうしたのよ?
 
「こないだのお礼、綾波に言ってなかったよね。ありがとう。救かったよ」
 
「…なに?」
 
ああ、そういえば。使徒が来ちゃったし、このコは留守番だったから、うやむやになってたんだっけ。
 
「溺れたとき、救けに来てくれたでしょ」
 
「…ええ」
 
「だから、ありがとう」
 
…ありがとう。感謝の言葉。二度目の言葉…。なんて呟いちゃって…って二度目? え?
 
「綾波。二度目ってどういうこと?」
 
「…昨晩、惣流さんに言われたわ。「アンタが居なかったら、ワタシは体が動かなかったかもしれない。シンジを救けにいってくれてありがとう」…と」
 
そう、あのコ、そんなことを。レイへの態度が軟化してるのは、そういうことなのかしら?
 
「アスカがそんなことを…」
 
そうね。もしワタシがシンジを水に叩き落して溺れさせたとしたら、やっぱり体が動かなかったかもしんないわ。軽くじゃれたつもりだったから。溺れさせようなんて、そんな気はなかったから。どうしていいか判んなかったんでしょうね。
 
レイが落ち着いて行動してくんなかったら、シンジを見殺しにしたかもしれない。それが恐くて、だから今のアンタがあるのね。アスカ。
 
 
キッチンから聞こえてきた電子音に、シンジが我に返った。タイマーセットされてた炊飯器が、たった今ご飯を炊き上げたみたい。
 
「とにかく、待機命令って訳じゃないんだから、リビングでテレビでも見ててよ」
 
「…そう? そうしたほうがいい?」
 
「命令したわけじゃないよ。綾波が、自分のしたいようにして時間を使えばいいんだよ」
 
…私の、したいように。なんて、ぽつぽつと呟き始めたレイを複雑な視線で見やったらしいシンジが、溜息一つ残してキッチンに戻った。
 
 …
 
しばらくして聞こえてきた音からすると、レイはとりあえずリビングでテレビを見ることにしたようね。
 
…シンジの、口元がほころんだわ。
 
 
****
 
 
≪なんだ?≫
 
電話口の声は不機嫌そうで、とても実の息子への態度とは思えない。いくら仕事で忙しかったにしてもよ?
 
「あ、あの…父さん…」
 
ほら。シンジが萎縮しちゃったじゃない。
 
≪どうした!早く言え!≫
 
「あぁ…あの…実は今日、学校で進路相談の面接があることを父兄に報告しとけって、言われたんだけど…」
 
≪そういう事はすべて葛城君に一任してある。下らんことで電話をするな。 …こんな電話をいちいち取り次ぐんじゃない!… ≫
 
「ん?」
 
ぶつっと回線の切れた音。あれ? そういえばシンジがパパに電話した時って…
 
『シンジ。周囲の様子、おかしくない?』
 
受話器を握りしめたまま、シンジが周りを見渡した。
 
「そう言われれば、…なんとなく …?」
 
「なに、きょろきょろしてんのよ。電話、終わったの?」
 
「なんだか急に切れちゃって…というか、なんか変じゃない?」
 
シンジに釣られて、アスカとレイも周囲を見回しだす。これから本部棟でシンジの水泳特訓のつもりだったから、一緒だったのだ。
 
「…信号。点いてないわ」
 
「停電!?」
 
第3新東京市が停電したってことは、あの使徒が来るってことよね。
 
『本部、連絡つくかしら?』
 
言われて携帯電話を取り出したシンジが、発令所にコール。
 
 …
 
「本部もつながらないよ。…どうしよう?」
 
レイが、鞄からプラスチックシーリングされたマニュアルを取り出す。それを見たアスカも真似をするんだけど、…考えてみれば二つも要らないわよね。
 
『緊急時のマニュアルね』
 
三つ出しても無駄なので耳打ちする。無用にバカにされることもないしね。それに…と思い当たって、続けてシンジに耳打ちしとく。
 
「…とにかく、本部へ行きましょう」
 
「じゃあ、行動を開始する前にグループのリーダーを決めといた方がいいと思う。…アスカ、頼める?」
 
浅間山から帰ってきて以来、シンジはこのコをアスカって呼ぶようになった。アスカもまんざらじゃなさそうだし、ワタシもなんだか嬉しい。
 
「えっ!? ワタシ? …いや、その…どして?」
 
立候補するつもりだっただろうに戸惑ったのは、誰かが推薦してくれるなんて思ってなかったからでしょうね。
 
それが示す意味を考えると、ちょっと哀しいわ。
 
「そういうのは、決断力のある人間の方がいいから。…それで提案なんだけど、ここでの生活が一番長い綾波に先導役をお願いすべきだと思うんだけど、どう?」
 
これは前回の経験で、ワタシが学んだことの一つ。
 
「そっそうね。シンジにしては悪くないアイデアだわ。ファースト、頼める?」
 
「…ええ」
 
こくりと頷いたレイが、…じゃ、こっちに。と歩き出した。
 
 
***
 
 
≪もぉ~お、かっこわるーい≫
 
増設バッテリをウェポンラックに装着して、エヴァにはいささか狭い通路を這って進む。
 
≪…縦孔に出るわ≫
 
「ちょっと待って」
 
相互の通信に使う電力すら惜しんで、各機は通信ケーブルで結ばれてる。抜けたり切れたりしないよう慎重に行動しないといけないから、ちょっとウットウしいわね。
 
≪なに、シンジ≫
 
「使徒が直上に居るって言ってたでしょ。それって待ち伏せしてるってことじゃないかな?」
 
≪…そうね。ありえるわ≫
 
なるほどね。って頷いたアスカが弐号機の顔だけ縦孔に出して上を見る。カメラアイが4つある弐号機は、測距儀としての機能は一番優れてると思う。もっとも、実験機としていろんな機能が盛り込まれてるっぽい初号機が決して劣ってるわけじゃないってことを、今のワタシはよく知ってんだけど。
 
≪きゃあっ!≫
 
弐号機が頭を引っ込めた向こう、縦孔を落ちていったのは使徒の溶解液ね。レイが、使い終わったバッテリを差し出した。じゅっ…と嫌な煙を上げて、溶ける。
 
≪…目標は、強力な溶解液で本部に直接侵入を図るつもりね≫
 
「どうする?」
 
向けられた視線は、弐号機への通信ウィンドウ。
 
≪試しに、ライフルだけ突き出して撃ってみて。ファーストは着弾観測≫
 
「わかった」
≪…わかったわ≫
 
零号機の準備が出来たのを見計らって、初号機がライフルを一斉射。
 
 …
 
≪…ダメ、目標が遠すぎる。ほとんど内壁で弾かれたわ≫
 
そっか、パレットライフルって命中精度よくないんだったっけ。たしか電圧や磁気の影響で初速が安定しないし、構造上ライフリングも刻めないとか聞いたことがあるわ。前回より低い位置から、しかも内壁に沿ってじゃ難しいってワケね。
 
≪中てるには、もっと近づかなくちゃダメか≫
 
「あと、3分もないよ?」
 
この縦孔をよじ登るわけには行かないし、他のルートを上がってるヒマはないってコト。
 
…通信ウィンドウの中で唸ってたアスカが、ついになにか決心したって顔してこっちを向いた。微妙に視線がそれてるのは、零号機への通信ウィンドウも並べて表示させてるからでしょうね。
 
≪なにか、提案はある?≫
 
…はい。って…レイ。手は挙げなくていいと思うわよ?
 
≪…ここから撃つなら、出来るだけ縦孔の中心でライフルを固定して撃つ必要があるわ≫
 
≪そうね。…で?≫
 
≪…エヴァ2体がディフェンス、ATフィールドを中和しつつ目標の溶解液からオフェンスをガード。オフェンスはガードの機体の隙間を二脚代わりにライフルを固定。エヴァ3機のカメラアイをすべてリンクして照準を修正…≫
 
一斉射して目標を殲滅ってワケね。と言葉尻をさらって、アスカが頷いた。
 
≪いいわ、それで行きましょ。ワタシとファーストがディフェンス…≫
 
「そんな、危ないよ」
 
≪だからなのよ。アンタにこの前の借りを返しとかないと、気持ち悪いからね…≫
 
何かまだ言いかけて、アスカが口を閉ざす。一瞬動いた視線は、きっと零号機への通信ウィンドウね。…アンタ、レイにも何か言いたかったんじゃない?
 
≪だからシンジがオフェンス、言い出しっぺのファーストはワタシと一緒にディフェンス。いいわね?≫
 
≪…分かったわ≫
 
「……うん」
 
2人の頷きを見て取って、アスカが身構えた。
 
≪じゃ、行くわよ。…ゲーヘン!≫
 
 
 
零号機と弐号機が手足を突っ張って壁を作る。互い違いになって、頭と脚の方向は逆だけど。なにより前回との最大の違いは、カメラアイを有効に使うために仰向けだってコト。
 
その下で射撃体勢を整えたシンジが、ライフルを2機の隙間、脇腹あたりから突き出す。すかさず零号機が片手を使って銃口を庇った。
 
≪うっ…っく≫
≪…くぅぅ≫
 
狙いすましたように、溶解液が降ってくる。装甲を溶かす音が、…やけに耳につくじゃない。
 
「早く…、早く!」
 
バイザーの中で、なかなか合わないレチクルをシンジが罵る。
 
 …
 
「綾波っ!!」
 
零号機が手をどけるのと、トリガーが引かれたのは、ほぼ同時だったと思うわ。
 
 
弾切れまで撃ち尽くしたライフルはなんとか命中弾をたたき出し、かろうじて使徒を撃退できた。
 
 
****
 
 
気持ちの問題だとは思うけど、おハダがぴりぴりして水着が着れない。っていう理由で、本日の水泳特訓はお流れになったわ。
 
こら、シンジ。そんなことで喜ばないでよ。ホント、なさけないんだから…
 
 
                                         つづく

アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:11



「3人ともお疲れさま。シンジ君、よくやったわ」
 
ハーモニクスのテストが終わって、技術部長サマ直々のお言葉。…なんだけどね。
 
「何がですか?」
 
「ハーモニクスが前回より8も伸びているわ。たいした数字よ」
 
この話の流れは憶えてる。シンジに追い着かれるかもって危機感を最初に抱いたのが、このときだったもの。
 
「でも、ワタシより50も少ないじゃん?」
 
「あら、10日で8よ。たいした物だわ」
 
リツコもああ見えて、けっこう迂闊なのよね。…というか、セカンドインパクトからの復興期に思春期をおくった人間って、こうした世代の扱い方をよく解かってないんじゃないかと思うわ。 
ほら、ミサトとかもそうでしょ。生きるのに必死で、そういうコトを学んでるヒマがなかったのかしら。
 
「たいしたことありませんよ。元が低いからそう見えるだけでしょ?」
 
耳打ちした内容を口にしながら、シンジがリツコに目配せ。…アンタ、けっこう堂に入ってきたんじゃない?
 
「そうね、そのとおりだわ。自分ってモノをよっく解かってるじゃない」
 
なんて言い捨てて、アスカは踵を返してさっさと出てく。前の時ほどには焦燥感を感じてないってことが、ワタシには判る。でもシンジにあてこすれなかった分だけ、ちょっと不機嫌かな?
 
我ながら、難しいコねぇ…
 
 
***
 
 
「あ、あの、昇進おめでとうございます」
 
アスカはさっさと帰ってしまったので、ミサトのクーペに便乗したのはシンジとレイだけだった。
 
「ありがと。でも正直、あまり嬉しくないのよね」
 
「あ、それ解かります。僕もさっきみたいに誉められてもあまり嬉しくないし、逆にアスカを怒らせるだけだし…。どうして怒ったんだろう…何が悪かったんだろう?」
 
アンタは悪くない。って、何度も言ってあげてんだけどね。
 
さっきのはリツコが悪いし、そもそも状況が悪いのよ。たとえば2人の立場か能力が違えば、簡単に仲良くなれたんじゃないかって思えるもの。そういう意味じゃ、この世界が悪いってコトかも。
 
まあ、それがシンジなんだと思えば、そういうトコも減点材料とばかりはいえないケドね。
 
 
「さっきの、気になる?」
 
「はい…」
 
「そうして、人の顔色ばかり気にしているからよ」
 
リツコがリツコなら、アンタはアンタで!生きるのに必死だったのかもしんないケド、やっぱりアンタたち復興世代はナンか欠けてるわよ! 
 
ああもう!なんか言ってやりたい。コイツらに思いっきり言ってやりたい。シンジはとても言えないだろうから、このワタシが直接言ってやりたいわ!!
 
『…まあまあ、落ち着いて』
 
…って、ヤダ。
 
『ワタシ、声に出してた?』
 
『これ以上はないってくらいにね』
 
シンジの口調が苦笑を含んでるような気がして、なんだか急に恥ずかしくなっちゃった。
 
『あっあのね…』
   『アンジェは流石だよね』
 
…って、えっ?
 
『僕なんかさ、ミサトさんたちの世代が大変だっただろうなんてこと、気が付きもしなかったもの』
 
また、アンタはそうやって。自分ばかりが悪くて、相手は善いみたい解釈するんだから。それもアンタのいいところだと思わないでもないわよ? でも、そんなコト繰り返してたら、アンタが潰れちゃうんだから…
 
なんて言ってやろうか考えてるうちに、クーペがマンションに着いちゃった。
 
アンタも、難しいわね。
 
 
****
 
 
「「「「「 おめでとうございまーす! 」」」」」
 
…おめでとうございます。一拍遅れて、ぼそりと。レイは相変わらずねぇ…
 
「ありがとう。ありがとう、…鈴原君」
 
「ちゃいますねん、言い出しっぺはコイツですねん」
 
「そう!企画立案はこの相田ケンスケ、相田ケンスケです!」
 
びしっと立ち上がったバカケンスケが、誇らしげに。まあアンタの観察力ってば、なかなかのもんだと思うケドね。
 
「ありがとう、相田君」
 
「いえ、礼を言われるほどのことは何も。トーゼンのことですよ」
 
 
シンジの視線が、ちらちらとミサトに向けられてる。
 
「まだ駄目なのかしら? こういうの」
 
シンジの視線に気づいたか、ちらり。と返されるミサトの視線。
 
「いえ、最近はなんだか慣れてきちゃって」
 
お昼ごはんと、顔触れが変わんないんですよ。と苦笑い。
 
 
「加持さん遅いわねぇ」
 
「そんなに格好いいの、加持さんって?」
 
「そりゃあもう!ここにいるイモの塊とは月とスッポン、比べるだけ加持さんに申し訳ないわ」
 
「なんやてぇ? もう一遍ゆうてみぃや!」
 
立ち上がったアスカにトウジ、口論を始めた皆を手慣れたカンジで治めていく。シンジはずいぶん変わったわ。…本人はぜ~んぜん、評価してないけどね。
 
 …
 
「昇進ですか…それってミサトさんが人に認められたって事ですよね」
 
「ま、そうなるわね」
 
「…だから、みんなこうして喜んでいるわけですよね。でも、嬉しくないんですか?」
 
こんなこと訊いていいのかな。って、シンジはあらかじめワタシに相談した。昨夜のクーペでのコト、気にしてたんでしょうね。
 
そんなコトは訊かなきゃ判んないし、そもそも訊いてみることそのものが大切なんじゃないかと思う。もちろんシンジにもそう言ったわ。
 
「ぜんぜん嬉しくないって事はないのよ。少しはあるわ。でもそれが、ここにいる目的じゃないから」
 
「じゃあ、なんでここに…ネルフに、入ったんですか?」
 
「さぁって、昔のことなんて忘れちゃった」
 
やっぱり訊くべきじゃなかったのかな。と落ち込むシンジの向こう側で、このやりとりを聴いてたらしいレイが立ち上がった。
 
「…葛城三佐。お訊きしたいことがあります」
 
「なっなに、レイ…」
 
口にしたビールを吹きそうになって、ミサトが目を白黒してる。
 
「…葛城三佐は、任務のためにここに住めと言いました。しかし碇君は、それは葛城三佐の本音ではないと言います。
 …だから、聞かせてください」
 
「にゃ、にゃにお…」
 
アンタ、急にナニ言い出すかと思ったら。…ずっとそれを引き摺ってたのね。
 
「…葛城三佐の、本音」
 
えっ? いや…その、あのね。だからあれは…。と、ミサトはしどろもどろ。
 
「使徒を斃すために、そのほうが都合いいから。そう額面通りに受け取っていいのかってコトよ」
 
唐突なアスカの助勢に、さすがのレイも少し驚いたらしい。しばし、アスカの横顔を見つめていた。
 
やがてミサトに向き直り、そうだ。と言わんばかりに頷く。
 
「…いや、だからね? その…そんな」
 
睨みつけてる。と言っても過言でない目つきで、レイの視線がミサトを掴んでる。
 
…レイ。アンタ、まさか怒ってない?
 
「いや、その…ね。こんな席じゃなんだし、また今度ってことで…」
 
「…」
 
無言の圧力で、なんだかミサトが縮んでいきそうだわ。…ワタシ、アンタだけは怒らせないようにしなきゃ。
 
それにしても、アンタがこんなに怒るなんて…ううん、ちょっと待って。あのレイが、ちょっと相手が言い淀んだからって、こんなに怒るなんて思えないわ。そもそも、レイがこんなことを訊いてくること自体、ありえないと言えばありえない。…シンジに、そう言われてたにしろ。よ?
 
…あれ!?
 
もしかして、シンジなの? レイが怒ってるのはシンジのため?
 
レイは、昨夜の経緯をクーペの後部座席で聞いてたんだろう。そして今、シンジが意を決して訊いて、すげなくあしらわれたのを見てた。
 
もちろん、レイ自身も訊きたかったに違いない。
 
だけど、ナゼこのタイミングなのか? いままでに訊く機会がなかったワケはないだろうに、ナゼ今決意したのか?
 
それが答えのような気がするわ。
 
 
「…」
 
「そっそんなこと、言う必要はないわ」 
 
レイはレイであの通りだし、ミサトもなんだか意固地になってきたらしくって、なんだか険悪になってきちゃったじゃない。
 
…ここはひとつ、
 
『シンジ、お願いがあるんだけど?』
 
耳打ちした内容に躊躇したシンジを、なんとか説き伏せる。ここでこのまま物別れになったら、折角のレイの決意が無駄になっちゃうもの。
 
せめて表情を見せないように、シンジが顔を伏せた。
 
「結局、僕らは使徒を斃すために飼われてるってこ…」
 
弧を描いて飛んできたミサトの平手が、シンジの頬を思いっきりはたく。吹っ飛びそうになったシンジの襟首を掴んで引き戻し、親の仇でも追い詰めたような顔して睨みつけてくる。
 
「アンタ、アンタってコは!アタシが、アタシたちがどんな思いでアンタらをエヴァに乗せてると…」
 
切れた唇の端が持ち上がるのを見て、今度、最後まで言えなかったのはミサトのほう。
 
「それがミサトさんの本音。…ですよね?」
 
シンジが滲ませる涙と血と、だけどほころぶ口元を見て、ミサトはようやく自分がハメられたって気付いたみたい。
 
「シンちゃん、アンタ…」
 
ちらり。と逸らしたシンジの視線は、レイに。
 
「綾波。これがミサトさんの本音。…痛いぐらいだよ」
 
ホントに痛いけどね。ミサト、容赦ないんだもの。
 
綾波も、解かった? との問いかけに、レイが頷く。その仕種とは裏腹に、とても理解できたようには見えない。でも、それでも頷いたのは、解かりたいと思ったから…じゃないかしら。
 
…アンタも、難しいわね。
 
 
「ああもう、そうよ!そのとおりよ!」
 
シンジを放り出したミサトが、レイに向き直った。
 
「シンちゃんに言われて、レイの部屋を見にいって。アンタたちがどれだけエヴァの犠牲になってるか…アタシたちがどれだけ酷いことを強いてんのかっ!」
 
ミサトの肩が震えてる。
 
「せめて、せめてエヴァに乗ってない時ぐらい…」
 
その声まで、震わせて。
 
「そんなの偽善に過ぎないって解かってるけど、それでも…」
 
シンジが、ミサトの肩に手をかけた。レイも歩み寄ってくる。
 
嗚咽でナニ言ってるか判んなくなったミサトが、背中を丸めるようにして顔を伏せた。
 
テーブルの向こっ側では、口元に人差し指をやったケンスケが、トウジとヒカリを連れて、そ~っと退散しようとしてる。…こう、なんか。サムズアップしてやりたい気分ね。
 
シンジが向けた視線を受けて、アスカもにじり寄ってきた。しょうがないわね。と、ばかりに顔をそむけたケド、まんざらじゃないってコト、ワタシには解かるわよ。
 
 
***
 
 
自室に下がってからのひと時、シンジはベッドに横になってSDATを聴いてることが多い。気兼ねなくシンジとお喋りできる時間でもあるから、ワタシにとっても大切なひと時なんだけど。
 
 
くぐもったノックの音。引き戸ってノックに向かないわね。
 
≪シンちゃん、ちょっといい?≫
 
「…ミサトさん? どうぞ」
 
体を起こしてシンジがイヤフォンを抜くのと、引き戸が開くのがほぼ同時。
 
「夜中にごめんね」
 
「いえ。…どうしたんですか?」
 
ん…そのね…。と、シンジの目の前で座り込んどいて、ミサトは歯切れが悪い。人差し指同士を突付きあわせてモジモジしちゃったりして、気色悪いわよ?
 
「あのね。ほっぺた…、まだ痛む?」
 
言われたシンジが、思わず頬っぺたを押さえた。
 
「やっぱり、痛むのね」
 
すっとしゃがんだミサトが、シンジの手のひらの下に自分の手を滑り込ませてくる。三十路女は中学2年のぴちぴちの男の子より体温が低いらしく、冷たい手のひらが少し心地いい。
 
「…ごめんね」
 
「いえ」
 
できたばかりの口中の傷が歯に触れて、シンジが顔をしかめる。
 
「ほんとにごめんね」
 
うつむいたミサトは、ほっとけばまた、そのまま泣き崩れてしまいそうだった。
 
 
「シンちゃん、さっき聞いてたわね。アタシがどうしてネルフへ入ったのか…」
 
搾り出すような、そんな声音が。シンジが差し出そうとした手を、…縫い止める。
 
「アタシの父はね、自分の研究、夢の中に生きる人だったわ。
 
 そんな父を赦せなかった。憎んでさえいたわ。母やアタシ、家族のことなど構ってくれなかった。
 周りの人たちは繊細な人だと言っていたわ。
 でも本当は心の弱い、現実から、アタシたち家族という現実から逃げてばかりいた人だったのよ。
 子供みたいな人だったわ。
 母が父と別れた時もすぐに賛成した、母はいつも泣いてばかりいたもの。
 父はショックだったみたいだけど、その時は自業自得だと嗤ったわ。
 
 けど、最後はアタシの身代わりになって、死んだの。セカンドインパクトの時にね。
 アタシには判らなくなったわ、父を憎んでいたのか好きだったのか。
 ただ一つはっきりとしているのは、セカンドインパクトを起こした使徒を斃す。そのためにネルフへ入ったわ。
 
 結局、アタシはただ…父への復讐を果たしたいだけなのかもしれない。父の呪縛から逃れるために…」
 
面を上げたミサトの目に涙はなく。まるで、そのために流せる涙なんかもう残ってないとばかりに、…力なく微笑んだ。
 
「シンちゃん、アタシ…ね? シンちゃんが初めてエヴァに乗ったあの時、シンちゃんを自分の道具として見ていたわ」
 
だからね…。と続けようとしたミサトは、一瞬のどを詰まらせ、必死に目頭に力を込めてる。
 
「さっきシンちゃんをぶったのは、見透かされてたんじゃないかって怖くなったの、図星だったからカッとなったの」
 
シンジの頬から引き戻した手のひらを胸元で握り締めると、堪えきれなかった涙が降りかかった。
 
「今の自分が絶対じゃないように、あの時のアタシもたくさん欠けてた。後で間違いに気づいて、後悔することしかできない。思えばアタシは、その繰り返しだったわ。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でも、その度に前に進めた気がする」
 
そっか、ミサト。アンタもまたココロの欠けた場所にエヴァが入り込んでんのね。エヴァにしか使徒が斃せないというのなら、使徒にこだわる心はエヴァと不可分だもの。
 
「だから、まずシンちゃんに謝りたかったの。ぶったことと、それが不当な理由だったってことを」
 
おずおずと伸ばされたミサトの両手が、シンジの両手を包んだ。
 
「でもね。今は違うって、信じて欲しいの。だからこそぶったんだって、知って欲しいの」
 
 
「それでも…僕がエヴァに乗らざるを得ないことに、変わりはないですよ」
 
…ええ、そうね。とミサトが目を伏せると、目尻に残ってた涙が流れきる。
 
「使徒を斃すことがアタシの宿願だから、シンちゃんにはエヴァに乗って欲しい。あなたにはその力があるんだもの。
 それが身勝手だってことはよっく解かってる。だから、シンちゃんにはエヴァに乗ってとお願いするしかないわ。
 …シンちゃん。アタシのためにエヴァに乗ってくれる?」
 
捨てられた子犬みたいな目をして見つめてくるミサトに、シンジの溜息。
 
「ミサトさんって、けっこう酷い人だったんですね…」
 
「えっ? あの…シンちゃん? そのね、確かに…アタシ身勝手だと思う。だからね…」
 
ミサト…。三十路女が、中学2年の男の子の前でそんなに取り乱すもんじゃないと思うわ。
 
ほら、シンジもくすっとか笑っちゃったじゃない。
 
ゑっ? と、ミサトのまぬけ面。
 
「僕、ずいぶん前に、守りたいモノのために乗るって、ミサトさんに言いましたよ」
 
そういえばって顔したミサトが、酸欠気味のサカナみたいに口を開け閉めした。
 
「…乗ってくれるの?」
 
「そういうこと、何度も言わせないで下さい」
 
シンちゃんには…。再び込み上げてきた涙を袖元に吸わして、まだ女心は解からないか。なんて溜息ついてる。…まあ、同感ね。
 
「…シンちゃん」
 
伸び上がってきた手のひらが、シンジの両頬を捉えた。ってミサト、アンタ嬉しそうに目を細めちゃったりして…まさか!
 
…ミサトの顔が近づいてくる!!
 
こらっ!ミサト!アンタ自分の立場ってモンを考えなさいよ!暴走すんな~!!
 
きゃーっ!シンジ逃げるのよ!!こんな生活能力皆無の三十路女に捕まったら、アンタの人生お先マックラよ!…って、固まってんじゃないわよ!人生の危機なのよ!!
 
あっ、でも。シンジとミサトがくっつけば、フリーになった加持さんを…って、そんな安易な逃げ道。とっくに否定したつもりだったのにーっ!!
 
なんてこと考えてるうちに、ミサトの顔はもう焦点が合わないくらい間近で、とても逃げられそうにない。
 
「ありがと…ね」
 
吐息が唇にかかってる~!
 
ああもうダメ!シンジの純潔、さようなら~。と心ん中でハンカチ振ってたら、柔らかい感触が、シンジの左頬で。
 
…あれ?
 
小鳥がついばむようなセツナのふれあいを残して、ゆっくりと身を引いたミサトが、
 
「ちゅ~がくせいは、ここまで。ね♪」
 
なんてウインクしながら、人差し指をシンジの唇に押し付けてくる。
 
あっこら、シンジ。こんなんにトキメイちゃダメよ。これが年増女の手練手管ナンだから。
 
「…それじゃ、おやすみ」
 
満面の笑顔をシンジの網膜に残して、立ち上がったミサトが部屋を後にする。
 
「あっ!そうそう♪シンちゃ~ん?」
 
機嫌よさそうな声音で振り返ったミサトは、今しがたの笑顔のままだったのに、
 
「今度、あんなヒトを試すような真似したら、容赦しないわよん♪」
 
…なんだか怖かった。
 
「肝に銘じます」
『肝に銘じます』
 
 
****
 
 
安っぽいフェンスで仕切られた資材用のリフトに乗るのは、昔から好きだった。武骨でブアイソなデッキは、荷客用のエレベーターのような過保護さがなくて、開放感がある。
 
それに、一歩間違えればケガしかねない危うさが、却って自分が保護者の付き添いが必要なオコサマじゃないってことを認識させてくれるの。
 
だから、少しココロが自由になる。それがたとえ、今から死地に赴くためだとしても。
 
 
「…ねぇ」
 
「なに?」
 
この頃のワタシは、もっと苛立ってたと思う。アンタも、ちょっとずつ変わってきてるわ。
 
「アスカは、なぜエヴァに乗ってるの?」
 
「決まってるじゃない、自分の才能を世の中に示すためよ」
 
何のために、そうしたいのか。そのことを忘れてるのは、一緒ね。
 
「自分の存在を?」
 
「まぁ、似たようなモノね」
 
涼しげにまぶたを閉じてたアスカが、ちらりとした流し目を、シンジ越しにレイに送った。
 
「あのコには訊かないの?」
 
アスカの視線に促されて、シンジがレイを、レイの横顔を見やる。話の矛先が自分に向いたと気づかないのだろう。レイはただ、前を見つめるのみ。
 
「綾波には、前 訊いたんだ」
 
「ふーん。仲のおヨロシイこと」
 
「そんなんじゃないよ」
 
「シンジはどうなのよ」
 
いったん視線を落としたシンジが、アスカを見る。
 
「守りたいモノのため、…かな」
 
かつてシンジは、判らないって答えた。判らないから、誰もに訊いて回ってたんだろう。
 
今またシンジが訊いて回ってるのは、判らないからではなくて、解かりたいから。だと言う。その中にアスカが含まれてるってコトが、こんなにもワタシのココロを暖めるなんてね。
 
「守りたい物って?」
 
「それは、よく解からない」
 
なんて言いながら、シンジが右の掌を胸に当てた。シンジは口にしてくんないけれど、この仕種の意味をワタシは解るつもりだ。…このぬくもりをそのままこのコに感じさせてあげられたら、どんなにいいか。
 
「判らないって…アンタ、バカぁ?」
 
『守りたいとは思う。だけど、なぜ守りたいと思うのか、それが解からない。だから僕は…』
 
「…そうかもしれない」
 
「…ほんとにバカね」
 
ごぉっと吹き込む風がLCLの匂いをはらんで、ケィジに着いたことを教えてくれた。
 
 
****
 
 
衛星軌道から落っこちてきた第10使徒は、前回と同様に手で受け止めることになったわ。
 
初号機の加速は凄まじくって、ヴェイパー曳くんじゃないかって思っちゃうホド。前回も初号機が一番乗りだったケド、あれが実験機の底力なのかしら?
 
あらかじめシンジに落下地点をほのめかせられた分、ちょっと余裕が出来たらしくって、初号機の損傷も軽くなったみたい。
 
 
 
ガード下の屋台は、アスカが選んだだけあってフカヒレラーメンなんて外道がメニューのトップを飾るイロモノラーメン屋だった。
 
グルメ雑誌で見て、気になってたんでしょうね。
 
前回も同じようにしてワタシが選んだってコトは、ヒ・ミ・ツ♪
 
 
フカヒレラーメンは以前食べたことがあるケド、たいして美味しいモンじゃなかった。今シンジが食べてる普通のとんこつラーメンを味わってて感じたんだケド、とんこつスープにフカヒレって基本的に合わないんじゃないかしら?
 
とんこつラーメンの美味しさからすると、お店のマスターがそのことに気付いてないとは思えない。もしかして、なんかの冗談の類なのかしら?
 
 
「ねぇ…、ミサトさん…」
 
「なぁに?」
 
「さっき、父さんの言葉を聞いて、褒められることが嬉しいって、初めて解かったような気がする」
 
その言葉を、ワタシは複雑な気持ちで聞いてた。
 
「ミサトさん、言ってくれましたよね? 人に褒められることをしたんだって…」
 
シンジがヒトに褒められるコトを欲してたとして、その手段としてエヴァに傾倒することがナニを意味するか、その結末を想像して…
 
「それで解かったんだ。僕は、父さんのさっきの言葉を聞きたくて、エヴァに乗ってるのかもしれないって」
 
「アンタ、そんなコトで乗ってんの?」
 
ミサトの向こっ側から顔出してきたアスカが、口ン中にモノ詰め込んだままで。
 
「ホントにバカね」
 
そうね。アンタにはそう見えるでしょうね。
 
割り切ったつもりになっているアンタには、いまだに足掻いてるシンジの気持ちは解かんないわ。きっちり…、きっちりと悩んで考えておくってコトを、このときのワタシは蔑ろにしてたもの。ヒトはロジックじゃないってコトを軽んじて、自分の頭の良さってモノを誤解してた。
 
 
シンジの口元は、嬉しそうに緩められてる。
 
だけど…、悲しいことにシンジが見出した答えは、きっと間違いだと思う。ううん、見せかけだけの救済とでも言えばいいのかしら?
 
だって、それはエヴァに乗る理由じゃなくて、自らの存在理由こそを求めてるように見えるんだもの。
 
アイデンティティーってモノを、エヴァに投げ出してるようにしか見えないんだもの。
 
 
…だけど、エヴァに乗るためのモチベーションを保つために、シンジにとっての理由が必要だってコトも解かる。
 
それを、ワタシじゃあ 与えてあげらんないってコトも…、自分で見つけなきゃ意味がナイってコトも…
 
 
だから、何も言ってやれなかった。なんて言ってやればいいのか、判んなかった。
 
 
 … ワタシ…  …
 
 
                                         つづく