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自分が書いたLASssを本サイトに載せたいという方からのご応募お待ちしております。
その場合、twitterからご連絡ください。
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アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾壱話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/14 09:11
「えぇ~? また脱ぐのぉ?」
その気持ちはよっく解かるわ。たとえ、今はオトコノコの体の中に居るこの身としてもね。…いや、だからこそ、かしら?
≪ ここから先は超クリーンルームですからね。シャワーを浴びて下着を替えるだけでは済まないのよ ≫
リツコの声は淡々としてる。それが余計に神経を逆なでしてるって、気付いてナイんでしょうね。
「なんでオートパイロットの実験で、こんなことしなきゃいけないのよ~」
我ながら不思議なのは、不満なのはこの扱いについてであって、オートパイロットの存在そのものには無頓着だったってコト。
完成したら明らかにお役御免になるって、解かってたはずなのにね。修学旅行のときにも感じたけど、ワタシ、心のどっかではエヴァに乗りたくないって思ってるのかしら。
≪ 時間はただ流れているだけじゃないわ。エヴァのテクノロジーも進歩しているのよ。新しいデータは常に必要なの ≫
「「えぇ~!?」」
シンジとアスカが、お互いの姿を認めて更衣室に逃げ戻った。
更衣室のドアの向こうは、ミサトんちのリビングほどの広さの小部屋になってる。申し訳程度に衝立はあるけど、目隠しとしては役に立ってない。素っ裸になって踏み込んだのがこんなトコで、そこによく知る異性が同時に踏み込んできて驚かないワケがないわ。
「どういうことよ!」
「僕に訊かないでよ!」
ひとり。頓着しないレイが、平然と小部屋へ歩み入った。思わずそっちを見ちゃったシンジが、あわてて視線を逸らす。
≪ 2人とも早くして、時間が押してるわ ≫
「なんで3人一緒なのよ!」
≪ 施設を別々に造れるような余裕はないの。これが今のネルフの限界って訳 ≫
そのわりに、更衣室とドアはちゃんと3人分あるんだケドね。
となりから、肉食獣ばりの唸り声が聞こえてくる。当時ワタシがどれだけ機嫌が悪くなったか思い出して、シンジにささやく。
『…』
「アスカ。僕が先に出るから。それに、絶対そっち見ないから」
前回は、ワタシがそう命令したんだけどね。
「ト~ゼンよ!」
シンジが小部屋に進み出てしばらくすると、アスカも踏み入ってきた。左を向いたら殺されかねない。右のレイは何も言わないだろうが、それだけに罪悪感が増す。右も左も見るわけにいかないシンジが、ぎゅっと固くまぶたを閉じた。
…シンジを端にして、アスカを反対の端に、それでレイが真ん中ならちょっとはマシだったかしら? シンジの精神衛生上。
≪ シンジ君。 洗浄ができないから、前を隠さないで ≫
…
シンジ、ご愁傷様。
観念したシンジが手を離した途端、消毒液のシャワーが降り注いだ。
****
「ほら、お望みの姿になったわよ。17回も垢を落とされてね!」
超クリーンルームとやらに入室するために、6つの部屋で、17もの手続きを踏まされたんだもの。2度目のワタシでもうんざりする。
≪ では3人とも、この部屋を抜けてその姿のままエントリープラグに入ってちょうだい ≫
「えーっ!!」
やっぱりリツコは、思春期ってモノを解かってないと思うわ。14歳のオトコノコとオンナノコが、衆人環視の中へ裸で出て行けって言われて、はいそうですか。なんて言うワケないじゃないの。
大体、自分がそうしろって言われたらどう思うか、考えなかったのかしら? …まさか乳幼児と違わないなんて考えてんじゃないでしょうね? 14歳になれば充分に羞恥心てモンが発達… …してないコが居たんだっけ…
…まさかレイを基準に14歳の羞恥心を量ってたり、してないわよね…
≪ 大丈夫。映像モニターは切ってあるわ。プライバシーは保護してあるから ≫
「そーいう問題じゃないでしょう!気持ちの問題よ!」
「そうですよ、リツコさん。僕たちはエヴァの部品じゃないんですよ」
≪ シっ、シンジ君!? …この実験はね、成功すれば貴方達の為になるのよ ≫
シンジは普段、従順と言っていいホド協力的だから、まさかアスカの味方をするとは思ってなかったんでしょうね。
「それは聞きました。だからアスカだって、そのことそのものに文句は言ってないでしょう?」
そうよそうよ。とアスカがはやしたてる。
「僕たちは、僕たちの人格を無視したこの扱いに抗議してるんです」
シンジの発言は、延々とシンジに聞かせたワタシのグチを、シンジなりの言葉に変換したものだ。いや、この語調の強さからすると、シンジ自身もけっこう怒っているのかもしんない。
「ほんの少し配慮してくれて、例えば男女で時間差を作ってくれるとか、衝立をもうちょっと大きくしてくれるとかしてくれれば、それで充分だったんです」
問題は、コイツの本性は生意気で反抗的な皮肉屋だってコト。
「それとも、裸にした僕たちを一緒に放り込むところまで実験のうちなんですか?」
≪ シっシンジ君!!貴方ねぇ… ≫
さすがのリツコもこれには怒ったらしい。驚いたらしいアスカも、シンジの顔をまじまじと。…レイは? っていうと、何を思ったかぽつぽつと呟いてる。
≪ は~いはいはいは~い。リツコの負け~。シンちゃ~ん、そのくらいにね♪今度から気をつけさせるから、今回はチョ~ッチ、ね? ≫
「ミサトさんが、そう言うなら…」
溜息ついたシンジは、そのまま無雑作にブースを出てエントリープラグに向かった。
…
どうでもいいケド、ケンカすんならマイクのスイッチ切りなさいよ。三十路女同士の言い争いなんて、ほとんど公害なんだから。
****
若干リツコの機嫌は悪かったものの、実験そのものは順調だったと思うわ。
基本的にチルドレンってのは蚊帳の外だから、何が起きてるのか判らなかったのは今回も変わりないんだけどね。
判ってるのは、レイが悲鳴をあげて、プラグごと射出されたってコト。前回の経験からすると、放り出されたのは地底湖だと思う。
「何がどうなってるんだろう?」
『状況を確認する必要があるわね。ハッチ開けてみましょ』
そうだね。とシンジがプラグの内壁に埋め込まれたレバーに手をかける。伝わってきた軽い振動は、イジェクションカバーを弾き飛ばした爆発ボルト。
インテリアから立ち上がったシンジが、天面のハンドルを回し始めた。
幸いにも、と言うべきなんでしょうね。ジオフロントでも夜は暗いってことを。でなけりゃ、プラグの外に裸で出るようなことをシンジが承服するワケないもの。
脱出ハッチのフチに腰かけたシンジが、手慣れた感じでLCLを吐いた。
「…ジオフロントの、地底湖?」
『みたいね。何か緊急事態が発生してプラグを射出したのかも』
問題は、前回と同じなら3~4時間は放っとかれるってことなんだけど。
あの時の心細さを思い出して、ちょっと胸が痛い。
…ここはひとつ、
『ねぇシンジ。夜の地底湖って、泳いだら気持ちいいと思わない?』
『…何が言いたいの?』
大体のところは察しただろうに、シンジは儚い抵抗を試みた。
…
『レイとアスカのために、ひと泳ぎしてくれないかなぁって』
『ここで救助を待ってちゃ、ダメなの?』
ダメってワケじゃ、ないんだけどね。
『これってシミュレーションプラグでしょ。サバイバルキットも積んでないし、バッテリだって最低限。保って2時間ってトコロかしら?』
余分な機器が積まれてない分LCLの容量だけはあるから、実際にはもっと保ったケド。
『裸でこんなモノに乗っていて、纏う布切れの一枚とてない。もしこのまま何時間も救助がやってこなかったとしたら、レイやアスカがどうなると思う?』
…まさか窒息するまでってことはないよね。なんて訊いてくるもんだから、さあ? ってそっけなく返しちゃった。
『女の子が、こんなところで肌をさらしたいかどうか、シンジはどう思う?』
「…そうだよね」
さっきの顛末でも思い出したか、シンジの呟きはなんだか実感が篭ってるわね。っていうか、こういう時まで、逃げちゃダメだ。って唱えんのヤメてよ。
…
『わかった、行くよ。…行くけど、泳ぎきれるかなぁ…』
『大丈夫、ワタシが保証するわ』
幸い、シンジのプラグは最も岸まで近い。目測で20メートルってところだから、今のシンジなら何とかいける。これがもし岸から一番遠いプラグだったら、ほかのプラグを迂回するのに100メートルは泳がされたところだ。
あとは泳いでる最中に方向を見失わないよう気をつけるぐらいね。ま、今のワタシの感覚なら大丈夫だと思う。
息も絶え絶えに岸にたどり着いたシンジに、次にさせたのはその辺のボートとかを物色させることだった。こんなトコロで裸で居ることの恥ずかしさは、男の子だからって変わるもんじゃないと思うもの。
『救命胴衣があるじゃない。よかったわね、シンジ』
『裸でこんなの着てたら、余計恥ずかしいよっ!』
『バカねぇ、腰に捲くのよ。それとも、そっちに落ちてるシーアンカーのほうがイイ?』
…なんてやりとりしてから、本部棟に向かったんだけど。
…
そ~っとエントランスに入ったシンジが、すぐ傍のインターフォンを取った。
裸で救命胴衣を腰に捲いてる姿が、ヒトの体とはいえ気恥ずかしい。あっさり言い放っておいてナンだけど、ワタシ自身、意識としては女の子のままなんだから、シンジより恥ずかしかったかもしんないわ。救命胴衣、胸の辺りから捲いてもらうべきだったかしら…
発令所をコールしようとしたんだけど、うんともすんとも言わない。電力は供給されてるみたいなのに、奇妙にしんとして。こないだの停電騒ぎみたいな不気味さを感じるわね。
シンジと相談して、服とタオルを確保するために更衣室に向かうことにした。ありがたいことに本部機能のほとんどが死んでるらしく、IDなしでもナントカなったわ。
シンジの服とタオルはすんなり手に入った。また濡れるかもしんないからってことで、プラグスーツなんだケド。
問題は、レイやアスカの服を調達するために女子更衣室に入ることを、シンジが嫌がった。ってことね。
『緊急事態なんだから、仕方ないじゃない』
『ヤだよ。それに勝手に着替えとか物色したら、それだって嫌がるでしょ?』
女の子へのデリカシーってモンを理解してくれたからここまで来てくれたんだろうけど、それだけに頑ななのよねぇ。
『…そりゃまあ、ねぇ』
だからってタオルだけってワケにはいかないんだけど…
なにかいい案はないかと、シンジの視界をまさぐる。
男子更衣室のドアがあって、向こうに女子更衣室のドア。その間に…
『ランドリー!シンジ、あそこならいいでしょ』
ランドリーってのは、使い終わったプラグスーツを洗浄して保管するための作業室のコト。ここなら、洗い終わったプラグスーツがビニルパックになって置いてあるはずだ。
シンジも、なるほど。とばかりに手を打ってる。
…やれやれ、だわ。
****
さっき物色させた時に目星をつけといたゴムボートで、湖面に乗り出す。
『エンジンのついたボートなんて初めて動かすけど、ちょっと楽しいね』
世界に3機しかない決戦兵器を乗りこなしておいてその感想はどうかと思うけど、船外機での操作ってちょっと独特で面白いし、確かにけっこう爽快ね。
シミュレーションプラグにナンバリングなんてないから、手身近なのに横付けた。
半ば水没してるメインスライドカバースイッチを開き、シンジがイジェクションカバー排除レバーに手をかける。
『イジェクションカバーが落ちてくるかもしんないから、気をつけてね』
外から排除することも考慮されてるから、操作パネル側に落ちてくることはないはずだけど、用心するに越したことはない。
『そうだね、ありがとう』
睨むようにしてシンジが見守る中、イジェクションカバーはプラグの頭側に吹き飛んだ。
『いきなり開けちゃダメよ』
『わかってるよ』
念のために装備されてたオールを持ち出して、シンジが脱出ハッチを叩く。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
打ったオールを跳ねさせるのを短点、そのまま打ち付けたままにするのを長点に見立てて、モールス信号を打たせているのだ。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
モールス信号は前世紀には廃れたはずなんだけど、チルドレンはレクチャーを受ける。
日本の自衛隊が使ってたからという理由で、国連軍もモールス信号を使う。国連軍との共同作戦がありうるエヴァのパイロットも、一応知っとかなきゃならないってワケ。
・・ -・- ・- ・-・ ・・
もっとも、チルドレン歴の浅いシンジは習ってないから、今ワタシが教えたんだけどね。
『…出てこないね』
『シンジだと知って出てこないんだから、つまり、アスカのプラグね』
プラグの中には内壁を叩けるような物はないし、手で叩いたくらいで伝わるはずもないから返事のしようがないんだろう。
『出てきっこないから、レイの方に行きましょ』
『そうだね』
シンジがイジェクションカバーを排除すると、オールで叩くまでもなく内側からハンドルが回された。
せっかくIKARIってモールス信号、憶えたのに…。とかなんとか、シンジがぶつぶつと言ってるうちにハッチが開いて、レイが顔を出す。
「ぅわぁっ!!待って!綾波、そのまま!出てきちゃダメ!」
ハッチのフチに手をかけて身体を引き出そうとしたレイを、シンジが慌てて止める。レイは単にLCLを吐こうとしただけだろう。そこに他意はないんだろうけど、あまりにも無防備だと却って罪悪感が増すみたい。シンジの心臓が跳ね上がったもの。
「こここっこれ、これを中で着てから」
レイの方を見ないようにして差し出したプラグスーツが、不意に軽くなる。レイが受け取ったと判断したシンジが手を放すと、とぷん。と波打つ音がした。素直にプラグの中に戻ったのだろう。
何も言わなかったのは、LCLを肺に入れたままで空気中で喋ると苦しいから。…だと思ったんだけど…あのレイのことだし…ねぇ?
しばらくして出てきたレイが、ハッチのフチに腰かけた。上半身を折り曲げるようにしてLCLを吐く。空気より重いLCLを吐くには、肺を気管より高くしないとダメなのよね。
おおかた吐き終わって咳き込んだレイの背中を、シンジがさすってやる。…よしよし、気が利くじゃない。バックパックがあるから中途半端にしかさすれないケド、こんなのは気持ちの問題だわ。
「…どうして?」
慌ててシンジが手を引っ込めた。断りなしに触れたのは拙かったかと思ったんだろうケド、そんなに怯えんじゃないわよ。
「なぜ背中をさすったか、ってこと? そのほうが楽になるからだけど…、イヤだった?」
「…いいえ」
よかった。と胸をなでおろしたシンジが、タオルを差し出した。
「はい、タオル」
だけど、ネコみたいに目を細めたレイは、背中を丸めたまま起きようとしない。もっとさすって欲しいって催促してんのかしら?
もちろん、シンジがそんなコトに気付くワケがないわ。
「…」
のろのろと体を起こしたレイは、表面上はいつも通りに見える。けれど、ちょっと乱暴にタオルを引っ手繰った仕種からは、「ナニもない」と言い切った少女とは違うナニかが感じとれた。
それにしてもシンジ、アンタにはもっと女心ってモンを勉強して貰わなきゃあダメね…。
****
レイが脱出ハッチを開けた瞬間、LCLを突き破って拳が打ち出された。完全な不意打ちだったけど、ハッチの狭さとLCLの抵抗で鋭さはない。
のけぞったレイは、かろうじて避けられたみたいね。
「こんの、バカシ…」
顔を出して罵ろうとしたアスカは、肺と気管の中でLCLと空気をブレンドさせて咳き込んだ。出てきてLCLを吐くワケにはいかないから、慌ててプラグの中に戻ってる。
シンジが覗きに来たと思ったんでしょうね。インテリアの陰に隠れるとかじゃなくて、迎撃に出るところがワタシらしいって言えばワタシらしいんだけど…
何ごともなかったような顔して、レイがプラグスーツ持ってハッチの中に顔を突っ込んだ。
「それで、何が起ってんの?」
プラグの上で仁王立ちして、アスカ。ハッチの縁に跪いてるレイを従えるように、ゴムボートに座ってるシンジを見下ろすように。
「ごめん。そこまでは確認してないんだ」
「アンタ、バカ~!? 状況の確認もナシに行動してたって言うの?」
そっちを優先すればしたで、もっと文句言ったでしょうにね。
「アスカたちのほうが心配だったんだよ」
「はんっ!アンタなんかに心配されるなんて、ワタシもヤキがまわったもんね」
あの時の心細さを思えば、アスカとて嬉しくないはずはない。そっぽを向いたその顔の、微妙なゆがみは、ほころびたがる口元を叱りつけてるからだと思うわ。
なのに、こうも素直に喜べないのは、ナゼなんだろう?
結局、すべてが終わって保安部が来るまで放って置かれたワタシには、こうしてシンジに心配してもらえて救け出されたアスカの気持ちは解からない。
今のワタシなら素直に喜んだだろう。それもこれも、シンジの傍に寄り添ってきたからだと思う。
そういう意味でワタシたちは、とっくに赤の他人なのね。
「…行きましょ」
アスカの葛藤なんか興味ないって風情のレイが体勢を入れ替えて、ゴムボートに戻ってこようとする。シンジが差し出した手を一瞬不思議そうに眺めながらも、むしろ進んでエスコートされたように見えたんだケド…
「あ!こら、待ちなさいよ」
続いて降りてきたアスカにも手を差し出すが、こちらは睨みつけられた。
「ちょ~っと救けに来たからって、調子に乗らないでよ!」
「そんなつもりはないよ」
「はん!どうかしらね」
きれいにスルーされた手のひらを、シンジが所在なげに下ろす。
「とにかく発令所に行って、状況を確認するわよ!」
シンジから船外機のハンドルを奪い取ったアスカが、ゴムボートを岸に向けた。
****
発令所にはすんなりたどり着いたケド、結局ワタシたちにできることはないってことで本部棟内で待機ってことになった。
そういえば前回、どうやって使徒を斃したのかしら? 放っとかれたことに怒るばかりで、そういうことまで考えてなかったんだわ。
つづく
アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾弐話
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Date: 2011/09/14 09:11
≪ エントリー、スタートしました ≫
≪ LCL、電化 ≫
≪ 第一次接続開始 ≫
機体相互互換試験。このテストにどれだけの意義があるのか、ワタシは知らない。少なくともこの後、誰かが別の機体で出撃したってコトはないから、無意味だったと思うんだケドね。
≪どう、シンジ君。零号機のエントリープラグは?≫
「なんだか、変な気分です」
≪違和感があるのかしら?≫
「いえ、ただ、綾波の匂いがする…」
そう。確かにレイの匂いがする。浄化されてるはずのLCLが、そんなワケはないのにレイの呼気、体温を伝えてくるようなのだ。
まるで、口移しに呼吸を遣りあうような感覚。
零号機に刻み込まれた綾波レイと言う存在に、重ね合わさるよう。
≪どぅお、シンちゃん。ママのおっぱいは!それともお胎の中かなぁ?≫
≪アスカ、ノイズが混じるから邪魔しないで≫
≪はいはい!≫
この頃のワタシの心をひと言で表すなら、それは焦りだったと思う。
ぱっと見に冴えないシンジは、着実にシンクロ率を上げてきてる。対して自分は上げ止まってて差は縮む一方。
シンクロ率なんてのは、どれだけエヴァを動かし易いかを示す指標に過ぎないと解かってたはずだ。それでも拘らざるを得ないのは、肝心の実戦で明確な実力差を見せ付けられずにいるから。
10年に渡って訓練を積んできたワタシにとって、昨日今日エヴァに乗ったようなシンジが自分以上の才能を示すことは、とても容認できる事態ではなかった。シンジの苦しみを分かち合うことがなければ、今のワタシでも認められないだろう。
ワタシたち、立場か能力が逆だったら、どんなに幸せな出会いだったことでしょうね。
「…何だこれ? 頭に入ってくる…直接…何か…」
『なに? どうしたの』
「綾波? 綾波レイ? 綾波レイだよな、この感じ…綾波… 違うのか…?」
『シンジ、どうしたの? レイがどうしたっていうの!?』
っつ…
突然の頭痛が、シンジを襲った。
この感じは、プラグ深度を深くしたときのソレによく似ている。なにより、第15使徒に襲われた時そっくりだ。
比重の重い液体が、脳髄に直接沁み込んでくるような不快感。じわりと、気持ち悪い。エヴァからの侵蝕、精神汚染。
強大な圧力の前に、シンジが意識を手放したんだろう。瞳孔が散大して視界がぼやけた。
シンジの身体に加わる加速度、零号機が動いて…暴走!?
そういえば前の時も零号機は暴走したんだった。ワタシとしたことが、こんな大切なコト忘れてたなんて!
もちろんワタシが何か言ったところで、どうにかできるとは限んない。だけど、出来たかもしんないことを見過ごしてただなんて、何のためにワタシがここに居るっていうのよ!
…臍を噛むような思いで、ただただ零号機が止まるのを待った。
****
「ヤだな。またこの天井だ」
『シンジ、気がついた?』
実際はそれほど長い時間ではなかっただろうと思う。だけど、今のワタシにとっては永劫の独房に等しい。
それが自分の落ち度かもしれないかと思うと、なおさらだった。
『え…と、なんで僕は、ここに?』
『憶えてないの?』
うん。と頷いてる。
精神汚染のせいかしら?
『零号機が暴走したのよ』
『零号機が?』
暴走したことすら憶えてないとすれば、直前に口走ったことも憶えてないんでしょうね。
今後のために確認しておきたかったけど、シンジにあまり無理をさせたくない。
『身体の方は大丈夫? 起きられそう?』
『うん。大丈夫みたい』
体を起こしたシンジが、危なげなくベッドから降りる。どうやら大丈夫そうね。
それにしても、暴走直前にシンジはナニを視たっていうのかしら。
レイって言ってたケド、それが綾波レイそのものだとは思えない。精神汚染をかけてきたことといい、暴走したことといい、シンジに働きかけてきたのは零号機そのものだと思えるもの。
まさか、レイのママ? …そっか、ありえるわね。レイじゃないのが乗ったから怒ったのかしら? ワタシのママは、シンジを気に入ったみたいだったのに。
だからこそ、機体相互互換試験なのかしら? シンジなら、レイのママにも気に入られる目算があった? ううん、初号機とレイの方まで、それで説明付けるわけには行かないわ。
なんにしろ、エヴァもネルフも謎だらけなのよね。
****
荒涼とでも言えばいいのかしら?
没個性な墓標が建ち並ぶサマがこうも薄ら寒いものだなんて、はじめて知ったわ。
ここに来るかどうか。シンジはずっと迷ってた。
正しくは、自分のパパとどう向き合うべきか、それをずっと考えていた。
パパが苦手だという。怖いともいう。だけど、逃げてちゃいけないとも思う。とも言ってた。
散々悩んで、あろうことかレイにまで相談するんだもの。どれだけシンジが思い悩んでるか判るってモンだわ。
もちろんシンジは、ワタシにも訊いてくれた。だけど、ワタシはシンジのパパのことを、碇司令という人間のコトをほとんど知らない。
アンタは立派に役目を果たしてんだから、堂々としてればいい。だなんて一般論。ワタシじゃなくたって言えるわ。
ううん、もしかしたらそれは、ワタシの成長なのかもしれない。
かつてワタシは、会いたくないなら会いたくないって言えばいい。と斬り捨てた。言いたいことも言えないシンジがグズなんだと思ってた。
だけどそれは、ワタシが親子ってモノをよく解かってなかったからだ。精神的にはとっくに大人になってたつもりのワタシは、親なんて簡単に切り捨てられると錯覚してた。
それが2重の意味で間違ってるってことに気づいたのは、ずっとずっと、ず~っと後のこと。
ひとつは、大人だろうが子供だろうが、親を切り捨てることは容易じゃないってコト。ワタシだって、ホントは切り捨てられてなかった。
もひとつは、親を切り捨てるより、親とどう向き合うか悩むことのほうが、はるかに大人なんだってコト。逃げるより立ち向かうほうが困難だってことぐらい、判ってたはずなのに。
だから、ワタシなんかにシンジの苦悩が理解できるワケがなかった。親とどう向き合うか真剣に悩んでたシンジは、きっとワタシより大人だったんだと思う。
今は少し、シンジの苦悩が解かるつもり。だからこそ、無責任な言葉はかけらんない。
しゃがんだシンジが、ママのお墓にお花を供えた。
シンジのママは、実験の事故で亡くなったって云う。ワタシのママと違って一切、還ってこれなかったのね。
「3年ぶりだな。2人でここに来るのは」
近づいてきた足音にも、シンジは振り返らない。
「僕は、あの時逃げ出して、その後は来てない。ここに母さんが眠ってるって、ピンと来ないんだ。…顔も憶えてないのに」
「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが、決して忘れてはならない事もある。ユイはそのかけがえのないものを教えてくれた。私はその確認をするためにここへ来ている」
…
そのかけがえのないものがナンなのか、シンジのパパに話す気はないみたいね。
ひざに手をかけたシンジが、腕の力を借りるようにして立ち上がった。
「写真とかないの?」
「残ってはいない。この墓もただの飾りだ。遺体はない」
シンジは振り返らない。
「…先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」
「すべては心の中だ。今はそれでいい」
この爆音はジェットエンジンね。シンジのパパのお迎えかしら?
「時間だ。先に帰るぞ」
ようやくシンジが振り返る。ここに来て初めて、そのパパの顔を見据えた。まっすぐ目を見て、逸らさない。
VTOLの後部座席にレイ。シンジの姿を見とめてか、少し目を細めてる。
「…」
時間を理由に、シンジのパパが先に目を逸らした。…このヒト、見かけほどには毅くないのかもしれないわ。
…そういえばリツコが言ってたっけ、生きることが不器用だって。
『シンジ、いいの? パパともっと話さなくて?』
『いいんだ。すべては心の中で、それでいいんだそうだから』
心の声では、感情までは伝わってこない。だけど、シンジの言葉が強がりなんかじゃないって、不思議と判る。
…
飛び去るVTOLを見送って、シンジが墓地を後にした。
****
シンジがそれなりに自分の心にケリをつけた後は、ワタシが悩む番だったわ。バトンタッチしたってワケでもないんだケド。
≪ …というワケで今夜は遅くなるから、待たずに寝ててね。じゃあねぇ♪ ≫
はい、はい。と相槌を打ってたシンジが、じゃ。と通話を切る。
「ミサト?」
おざなりに髪の湿り気をタオルに吸わせつつ、アスカがアコーディオンカーテンを引き開けた。誰からの電話だったかなんて、聞き耳を立てるまでもなかったと憶えてるわ。
「うん。遅くなるから先に寝ててって」
「ええっ!朝帰りってコトじゃあ、ないでしょうね?」
まさか。とシンジが子機を置く。
「加持さんも一緒なのに」
「アンタ、バカぁ? だからでしょ…」
ひどく剣呑な光を瞳に乗せたアスカの姿は、善くない方向へと思考が雪崩れ込んだ証拠だった。それがドコに辿り着くのか、ワタシはもちろん知っている。
………
かつてのこの日、ワタシはシンジにキスを迫った。アスカもきっと迫るだろう。それをどうすべきか、ワタシは考えてなかった。
自分に正直に言うと、ワタシは今のシンジならキスぐらい許してもいいと思ってる。好きかって訊かれると困るケド、シンジとのキスを思い出しても不快じゃなくなってた。だから、特にどうこうしようという気がなかったってわけ。
だけど、ワタシがシンジとキスをしたかったから迫ったワケじゃないことを考えると、シンジを汚すようでイヤだった。
何でワタシがそんなことをしたのか、今や自分でも想像するしかない。ただ、加持さんがミサトとデートしてるかもしれないと知って、いいしれない焦燥感が湧き上がってきたのを憶えてる。
当時はそれを、嫉妬だと思ってた。好きな男がほかの女とキスを、―下手するとそれ以上をしてるかもしれないと知って、ミサトに、なにより加持さんに腹を立ててたのだと。
だから、シンジにキスを迫ったのは、加持さんへのあてつけだと自分を納得させてた。単なる好奇心もあったし、してみることで大人を理解できる。することで加持さんに近づける、と思い込んでた。今日ヒカリに頼まれるままにデートしてみたのだって、そういうことだ。
それは、必ずしも間違いってワケじゃない。それもワタシの心の一部。
だけど、自分が加持さんを好きだったわけじゃないと気づいた今。そんな純粋な動機じゃなかったことだけは判る。
自分がオトナであることを証明する手段として加持さんを利用しようとしてたワタシは、アプローチを無視されるたびにコドモだってことを思い知らされてた。加持さんの全てを振り向かせられないことに、焦ってた。加持さんが見せる大人の余裕ってヤツが、酷く憎かった。
手が届かないと、判ってたんだと思う。とても認められなかったけれど。
誰かに見ていて欲しかった。誰からも注目されたかった。その気持ちは解かる。だからって…差し出せるものがその肉体だけだったなんて、憐れを通り越して…惨めね。
それまでは加持さんに付き合ってる相手が居なかったから、かろうじて自分を誤魔化せていたんだろう。だけど、ミサトとデートしてると知って、急に自分に自信が持てなくなったのだ。
だから身近なオトコノコが自分の誘いを断れないのを見て、自分の魅力を再確認しようとした。いや、加持さんに振り向いてもらえない惨めさを、唇を恵んでやることで慰めたのかもしれない。
………
そんなことを延々と思い悩んでいたもんだから、せっかくシンジがチェロを弾いてたっていうのにぜんぜん楽しめなった。ううん、それどころか無意味に自己分析なんかしている間に、問題の瞬間がやってきてしまったわ。
「ねぇシンジ、キスしようか?」
「…え? 何?」
SDATを聴いてたシンジが、ヘッドホンを外す。
「キスよ、キス。したコトないでしょ?」
「うん…」
ワタシはまだ、どうすべきか自分の心を決めかねてた。
「じゃあ、しよう」
テーブルに預けてた頭を引き上げて、アスカが見下ろしてくる。
「…どうして?」
あのあと、シンジのワタシへの態度は変わらなかった。つまり、ワタシとキスしても嬉しくなかったんだろう。暇潰しだと見下されても悲しくもなかったんだろう。シンジの心に、何ももたらさなかったんだろう。
自分が、一方的にシンジを利用したんだと思うと、なんだか卑怯でヤだった。自分がシンジになんとも思われてなかったかと思うと、なんだか寂しくてヤだった。
「退屈だからよ」
「退屈だからって、そんな…」
アンタなんか暇潰しだと見下して、
「お母さんの命日に、女の子とキスするのイヤ? 天国から見てるかもしれないからって」
こんなあからさまな挑発までして、
「…別に」
そんなことでシンジとキスしたって、オトナになんかなれっこない。
「それとも、恐い?」
!!! …え?
「恐かないよ!キスくらい!」
今のアスカの目は、勝利を確信した者が敗者を見下すときの、それ。
…
…ワタシ、考え違いをしてた。
シンジのコト、単なる捌け口としてたまたま利用してたんだと思ってた。だけど、あの勝ち誇った口元は、思い通りに獲物を追い込んだ猟師の舌なめずりそのもの。つまり、標的は最初っから決まってたんだわ。
…
はなからシンジを狙っていたというのなら、それはつまり…
実績で劣り、シンクロ率でも追い着かれようとしている今。どんなカタチででも、シンジを屈服させとくことをワタシは欲してたんだ。
…自分の嫌いな、オンナの武器を使ってでも。
「歯、磨いてるわよね」
「うん…」
立ち上がったアスカが、詰め寄ってくる。
『どっどっどうしよう…?』
『シンジの好きなようにすればいいと思うわ』
シンジの自由意志を尊重して言ったんじゃない。自分がどうすべきか、判らなかっただけ。
『僕の、好きな…?』
よろめくようにして、シンジが一歩下がる。舞い降りてきた羽毛が、掴み取ろうとした動作で掌中を逃れたような、そんな印象をアスカは受けたことだろう。
「…アスカは、僕のこと好きなの?」
「はぁ? ワタシが? アンタを? …そんなワケないでしょう」
いかにも心外だ。って顔して見せてるケド、それが追い詰めたはずの獲物が逃げ出した驚きだってコト、ワタシには判る。
そうだよね、僕なんか…。って呟きが口中に消えて、
「じゃあ、やめとく。よくないよ、そういうの」
「えっ? アンタ自分がナニ言ってるか解かってんの!? このアスカ様とキスできる機会なんて、この先一生巡って来ないわよ!!」
慌てて罠を張り直そうとしたってムダよ。そんな泥縄、いくらシンジが相手でも上手くいくもんですか。
「…うん。判ってる」
「解かってないわよ!」
「判ってるよ。僕なんかが、アスカとは吊り合わないってことくらい…」
…!
完全に裏目に出た。と知って、アスカが絶句した。
「…アスカが、本当にキスしたいのは誰かってことくらい」
徐々に落ちていく視線は、震える握りこぶしは、獲物を取り逃した屈辱に耐えてるに違いない。目尻に浮かんでんのは、きっと悔し涙。
…
『…逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ』
傍目には傷ついた女の子のように見えるアスカを見据えて、シンジはいったいナニを決意したというんだろう? ごくり。と固唾を呑んだ。
「僕は… アスカのこと … … 好きだよ」
弾かれたように面を上げるアスカに気圧されたか、シンジが視線を逸らす。ああもう!そんなコトはどうでもよくって…シンジが、ワタシを!? えーっ!えーっ!
『…って!アンタそんな素振り見せたことないクセに、この場を収めるために心にもナイこと言ってんなら、いくらナンでも赦さないわよ!!』
ワタシの怒鳴り声にちょっと眉をしかめたシンジは、だけどワタシに向かって弁解することはしない。
「…これが好きってことなのかよく判らないし、人を好きになるってことも…まだ、よく解からない」
2人の横を、ペンペンが通り過ぎてった。シンジが、思わず目で追ってる。
「だけど、少なくとも僕は、前向きで一所懸命なアスカを尊敬してる。アスカが僕を叱ってくれるのを、ありがたいと思ってる。傍に居て欲しいと感じてる。…好き、なんだろうって思う」
視線を戻したシンジが、アスカの目に、その瞳に映った自分に頷いてみせた。その顔は酷く真剣で、少なくともシンジが逃げてるわけじゃないってコトだけは解かった。
『僕は、人から好かれたいと思ってた。だけど、自分から人を好きになろうとしたことなんてなかった。卑怯で、臆病で、ずるくて、弱虫だったから…
だけど、今なら人を好きになれそうな気がする。それは…』
心の声だけでそう続けたのがシンジの、ワタシへの返答ってコトなんだろう。
「だからアスカには、アスカらしくあって欲しいんだ」
「…ワタシ…らしく?」
俯いたアスカが、ワタシ…らしく…。と、いま一度呟く。
それは、オトコノコに告白されたオンナノコの困惑なんかじゃない。
自分の中のあらゆるものがシェイクされてしまった混乱の果てに、自分とは何か。と突きつけられて、なのに見つからなくてフリーズしたんだ。
かつて、エヴァに乗れなくなったとき。ワタシは、自分とは何か、ってコトをさんざん考えた。エヴァに乗れなくなったくらいで挫けて何も出来なくなるようなワタシは、いったい何者なのか。ワタシが主体なのか、エヴァが主体なのか。エヴァが主体だから、乗れなくなった途端にワタシは壊れたんじゃないか。そんな答えの出ない問いかけを延々問い続けていた。
自分というものを理解せずに自我だけ肥大させていったから、どんどんエヴァに侵蝕されていったんだと思う。そうして気付いた時には、エヴァなしではアイデンティティーを保てなくなっていた。壊れるしかなかった。
そう。今のうち。今ならまだ間に合うかもしれない。エヴァとかチルドレンとかそう云うことを抜きに、自分と向き合うの。
…アスカ。考えなさい。
「…あの…?」
微動だにしないアスカに、シンジが手を伸ばそうとした。
『シンジ、…放っときなさい』
『…でも、』
『いいから。…放っといてあげなさい』
…
さんざん逡巡して、シンジの手が力なく落ちる。
「…アスカ、おやすみ」
シンジ、アンタのやさしさは弱さの裏返しだと、ワタシはずっと思ってた。それは間違いじゃないと思うわ。…今だって、きっとそうでしょ? アスカを傷つけるのが、それで自分が傷つくのが…恐かったのよね?
でも、弱さがすべての源になるのかもしれないって、ワタシは今、感じたの。
****
翌朝、 惣流・アスカ・ラングレィは失踪してた。
つづく
2007.07.18 PUBLISHED
2007.07.19 REVISED
アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾参話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/14 09:12
アスカの行方は、早々に知れたわ。
学校に行ったら、とっくに自分の席に座ってたんだもの。
遅刻ぎりぎりまで粘って、シンジがマンション周辺を探してくれたっていうのに。
そっと耳打ちされたところによると、朝早くにヒカリの家に転がり込んだらしい。アスカの代わりに謝ろうとするシンジを押しとどめて、アスカは大切な友達だから泊めてあげるくらいはなんでもないのよ。なんて言ってくれる。ワタシに体があったら、ヒカリに抱きついてたでしょうね。
でも、いったい何があったの? っていう問いに、ワタシもシンジも答える言葉がなかったのが申し訳なくってしょうがない。
担任が入ってきてうやむやになったのを、歓んでいいものかどうか。慌てて自分の席に戻るヒカリに、心の中で手を合わせた。
出席をとり始めた担任が、シンジの名前を呼んだ。いままで気にもかけてないって風情でそっぽ向いてたアスカが、シンジの返事に釣られてちらりとこちらを盗み見る。
着替えを入れてるデイパックを机に下げてるトコを見ると、アスカは今日のシンクロテストにもちゃんと参加する気みたいね。自分を見つめなおすために今の環境から離れてみたいってダケで、シンジが嫌いになったとか、チルドレンを辞めたくなったとかってワケじゃないと思う。
シンジはとても心配してるけど、大丈夫だってワタシには判るわ。
「えー、では、続いて女子。綾波…おお? 綾波は、今日も休みか?」
***
「起立!礼!」
号礼をかけ終えたヒカリが、3人分のおべんとが入った巾着袋を持って廊下へ出た。天気がいいから、いつもどおり屋上に行くのだ。
事情がよく解かってないヒカリはアスカの分のおべんとまで用意してくれてたけど、そのことはアスカに言わないようお願いしておいた。心遣いは嬉しいケド、シンジとの接点がなくなっては困る。
「さ~って、メシやメシぃ♪人生最大の楽しみやさかいなぁ!」
揉み手しながらバカトウジが教室を縦断してく。ヒカリの手作り弁当なら、そりゃあ楽しみでしょうね。
「なによ、これ?」
シンジが差し出したおべんと箱に、冷たい視線を落として。
「なに…って、お弁当」
「なんで、このワタシがアンタの作ったおべんと受け取んなきゃなんないのよ!」
「なんや、夫婦喧嘩かいな!?」
廊下から、顔だけ戻してバカトウジ。クラスメイトたちが大爆笑だ。
「…違うわよ!」
「…違うよ…」
笑いが退くのを待って、シンジがおべんと箱をアスカの机の上に置いた。
「クノーデルっていうの、作ってみたんだ。よかったら味見してくれると嬉しいんだけど…」
クノーデルっていうのは、ドイツ風の肉団子のコト。アスカに内緒で買ってたドイツ料理の本から、ワタシが選んであげたの。アスカが好きで、おべんとにもピッタリなメニューを。
もちろん、このワタシが監督してんだから、出来栄えもバッチリ。
懐かしい味を思い出してか、なまつば飲んだアスカのお腹のムシが可愛らしく鳴いた。…そんな窺うような上目遣いしなくても、シンジは気付いてないわよ。
「しっシカタないわね。アンタの作ったドイツ料理なんて食べられたモンじゃないに決まってるから、このワタシがきっちりダメ出ししてあげなきゃなんないものね!」
とりあえずシンジを遠ざけたいんだろうアスカは、ぶっきらぼうに言い放ってそっぽを向いた。照れ隠しにしたって、もうちょっと言い方ってモンがあるでしょうに。
「うん。おねがい」
ワタシはヒカリとお昼ご飯を食べるために来たのよ。と嘯いたアスカは、ちゃっかり屋上でみんなと一緒におべんとを食べた。
何気なく食べてるように装ってたけど、いつもより味わって食べてるってワタシには判る。もちろんシンジにもそう教えてあげたわ。
****
「あれぇ? シンちゃん、おダシ変わった?」
「ええ、カツオ出汁。リツコさんのお土産」
朝食のメニューが和風になって、ずいぶん経つ。シンジの料理の腕が上がってきたからとか、和食の方が健康にいいとか、色々理由はあるんだけど、要はみんなで一緒に朝ご飯を食べるようになって、トースターでパンを焼いてるヒマがなくなったのだ。
もっとも、今は食卓に一人足りないんだケドね。
「シンちゃん…これ…」
「あっ!」
今朝もまた4人のつもりで配膳しちゃったシンジが、慌ててアスカの分を下げる。おべんとはしっかり4人分作ってるから、つい勘違いしちゃうみたい。
シンジがミサトの分までおべんとを作り始めたのは最近のことで、精密検査だかでレイが居なかった時に作りすぎたおべんとを持たせてからだった。結局数日に渡って帰ってこなかったレイの代わりにおべんとを受け取ってたミサトが、これからは自分の分も作って欲しいっておねだりしたってワケ。ただし肉入りで。
「ねぇ、シンちゃん。アスカと何があったのか、いいかげん教えてくれてもいいんじゃない?」
「…そう言われても、僕にもよく判らないんですよ」
いただきます。と手を合わせ、シンジが箸を手にする。
「そ~んなこと言っちゃってぇ、ホントはアスカにイケナイ事でもしようとしたんじゃないのぉ?」
覗き根性丸出しの締まりのない口元を、揃えた指先でオバさん臭く隠したミサトが、右手の手首から先だけを振り下ろした。手招きしてんだか叩くフリをしてんのかよく判んない、これまたオバさん臭い仕種で。
「怒んないから、お姉さんだけにそ~っと教えたんさい」
なんだか妙に嬉しそうな顔して、身を乗り出してくる。
「そんな、ミサトさんじゃあるまいし」
「ちょっとシンちゃん!それどういう…」
電話のベルが鳴った。せっかちなミサトの性格を反映して、1コールだけで留守電に切り替わる。
≪ …よぉ、葛城。酒の旨い店見つけたんだ。今晩どう? じゃ ≫
…これ、アスカが聞かずに済んだのは幸いだったかもね。
「加持なんかとは何でもないわよ!」
ミサト。自分から言っちゃあオシマイだわ。
「…そうですか」
ご飯を頬張ったシンジの斜め向かいで、レイが手を合わせた。
「…ごちそうさま」
****
自分の存在意義ってモノを疑うのは、こういう時ね。
つまり、何が起るか知っていて、なんにもしてあげらんない時。
何もかも呑み込む第12使徒をどうしたらいいのか、ワタシには思いつかなかった。
…………
特にアスカが何も言わなかったので、フォワードは弐号機と決まった。このところアスカは考え事をすることが多くなってるみたいだから、また何か考え込んでいたんだろう。
いち早く配置についた弐号機が、勇み足か突出する。まるで、バックアップについた初号機と距離を置こうとするかのように。
痺れを切らして振るったスマッシュホークは空を切り、漆黒の底なし沼となった使徒が弐号機を呑み込もうとした。
…………
その弐号機を庇った初号機が代わりに呑み込まれて、もうずいぶん経つわ。
その間にできたことと云えば、とりとめのない会話を交わすことだけ。
最終的に、初号機が暴走して斃しただろうことは判ってる。だけど、じゃあどうすれば暴走させられるのか、それが判んない。シンジが危機に陥れば、シンジのママがなんとかするんだとは思う。でも、だからといって積極的にシンジを危険に晒したいとは思わない。
だからこうして、前回のなりゆきのまま待つしかなかった。
『ち? …ち…ち、…チンジャオロース』
『す? …すー…、スカッシュ!』
『しゅ? …しゅ? ゆ? …、…シュークリーム!』
『って、アンタ。さっきから食べ物ばっかりじゃない』
『…だって、おなか減ったよ』
『そうね。あのポテトサラダでもいいから食べたいわ』
シンジは気付いてないようだけど、サバイバルキットの中にはレーションもある。
もちろんイジワルして教えてないわけじゃないわ。LCLを呼吸中に食事を摂ると、LCLに溶けた異物のせいで窒息するから。
いったんLCLを抜くことも考えたケド、LCLポンプに使う電力、LCLの酸化に劣化、生命維持装置への負担増を考えるとリスクが大きすぎた。
有っても食べられないなら、存在そのものを知らないほうがいいと思う。
『眠る事がこんなに疲れるなんて、思わなかったな…』
『そうね』
眠ることなど叶わない身だけど、そんなこと言ってもしょうがない。
シンジが神経接続を行う。
『やっぱり真っ白か…レーダーやソナーが返ってこない。空間が広すぎるんだ』
バッテリーがもったいないから。すぐに、解除。
前の時にリツコは、ディラックの海とか虚数空間とか呼んでた。別の宇宙につながっているかも、とさえ言ってた。
こうなると知ってたら、もっと真剣に聞いといたのに。
『きっと今頃、リツコが救出作戦を練ってるわよ』
そうだね。と、シンジの返事は力ない。
見やったハンドモニターは経過時間を示して、12時間と少し。
『生命維持モードに切り替えてから12時間…僕の命も後4、5時間か…』
『こら、弱気になっちゃダメ。みんなを信じて、がんばらなきゃ』
自分でも信じてない言葉。白々しさがシンジに伝わってなければいいんだけど。
『お腹空いたな…』
前回、シンジが独りっきりだったことからすれば、ワタシなんかでも居ないよりはマシだとは思う。でも、2人で話せるような話題なんて、とっくに尽きてた。
『♪ …Es gibt zur Niedlichkeit unseres Kindes kein begrenztes… 』
幼い頃の、本当に幼い頃の記憶を手繰って、この子守歌を思い出した。
ママが唄ってくれてたこの子守歌は、日本の子守歌の、歌詞をドイツ語に訳したものらしい。
長時間待つなら、やはり眠るのが一番楽だ。だけど、人間はそう無闇に眠れるもんじゃないわ。なにか、シンジにして上げられることがないか。必死に考えて思いついたのが、こうして子守歌を唄ってあげることだった。
こんな子守歌を唄ってもらってたこと自体、ワタシは忘れ去っていた。ううん、忘れることにしてた。ワタシを殺したママの思い出だったから、涙と一緒に捨て去ってたの。
でも、今はママが弐号機の中に居ることを知っている。ママがワタシを殺したわけじゃないことを解かってあげられる。
…だから、この子守歌を、この子守歌のことを思い出せて、嬉しい。
いいかげん寝ることもできず、かといって起きてたって出来ることとてなく。
ぼんやりとしてたシンジが、目を見開いた。
「ん? …水が濁ってきてる!? 浄化能力が落ちてきてるんだ!」
慌てて上半身を起こしたシンジが、反射的に吸ったLCLは、
「うっ!…生臭い!」
こみ上げる吐き気に、口元を押さえる。
「血? 血の匂いだ!」
『シンジ!落ち着いて。あせっちゃダメ』
緊張すると、人間の酸素消費量は上昇する。血中に酸素を溜め込もうとするんだとか。当然、それだけLCLが保たなくなる。
インテリアの上に立ち上がったシンジが、イジェクションカバー排除レバーを引いた。
しかし、プラグが挿入されたままで爆発ボルトが作動するわけがない。
「嫌だ!ここは嫌だ!」
『シンジ!!お願い!落ち着いてっ』
天面のハンドルを回そうとするが、もちろんびくともしない。
「なんでロックが外れないんだよ!」
『シンジ!シンジ!シンジっ!!』
渾身の力を込めて脱出ハッチをたたく。
痛っ!痛い!こぶしの固め方も知らないシンジが闇雲に打ちつけて、手が痛い。ううん、痛いのは、その手を受け止めて上げられないワタシのココロ。
「開けて!ここから出して!ミサトさん。どうなってるんだよ、ミサトさん!アスカ!綾波!…リツコさん……父さん…」
『っ…』
救けを求める相手の中にワタシが居ないことが、塩を摺り込まれたようにココロの傷を疼かせる。無力感と申し訳なさで、この胸が張り裂けそう。
「…お願い、」
シンジの目頭に湧き出した涙は、頬を濡らさない。LCLに溶けて、ただ薄めるばかり。
「誰か、救けて…」
次第に大きくなる嗚咽と引き換えに、ハッチをたたく腕の力が抜けていく。
『…シンジ』
…
倒れるようにして、シンジの身体がシートに落ちた。
…
『…ごめん。取り乱しちゃって…』
『ううん、…シンジはよく耐えてるわ』
いきなり戦場に放り込まれたシンジは、パイロットとしての訓練を一切施されてない。そういう意味では普通の中学生だ。こんな長時間を、こんな状況で耐えられるはずがなかった。
そういえば、本部って感覚剥奪室がないような気がするわ。少なくとも日本に来てから、そういう訓練をした憶え、ないもの。
溜息をついたシンジが、むりやりまぶたを閉じた。搾り出された涙は、やはりLCLに溶けただろう。
…
「…父さん、僕はいらない子供なの? 父さん!」
『シンジっ!?』
「…違う!母さんは…笑ってた…」
いったいなにを… うわごと? …いけない、意識が混濁してきたんだわ!
「…ここは嫌だ…独りはもう、嫌だ…」
『やだっ!シンジ、しっかりして。ワタシが居る。ワタシが居るから、独りじゃないわ』
なんで!なんでシンジのママは応えないの!
居るんでしょ!ここに居るんでしょ!
シンジのこと、護ってんでしょ!
シンジのこと、見てんでしょ!
どうしてシンジを放っておくの!お願い早くっ、早くシンジを救けて!
こんなのっ!こんなの、…酷い。酷いじゃない!
シンジはただの中学生だったのよ!いきなり呼び出されて無理やり乗せられて!
自分の心を偽りながら必死に戦ってきたのよ!
なんで、…なんで応えてあげないの。救けてあげないの!
アンタ、シンジのママなんでしょう!自分の息子が、息子の叫びが聞こえないって言うの!
アンタの息子が、ここに居!……るのは… シンジ…だけじゃ、ない?
恐ろしい想像に、ないはずの身体が総毛だった。
ここには、シンジだけじゃない。今回は、ワタシも居る。
まさか、…まさかシンジのママは、…ワタシのせいでシンジを認識できないんじゃ…
ワタシのせいで、シンジは救からないんじゃ…
…
じゃあ…、
…ワタシが居なければ、シンジは救かる?
死ぬのはイヤ。
…自分が消えてしまうのも嫌。
だけど、シンジが死んでしまえば、ワタシだって生きていられるはずがない。
2人とも死ぬか、1人だけでも救かるか。カルネアデスの板ですらなかった。
なら、悩むことはないはずだ。
…でも、どうすればワタシは消え去ることができるの?
身震いしたシンジが、自分の身体を掻き抱いた。
「保温も、酸素の循環も切れてる…寒い…だめだ、スーツも限界だ…ここまでか…もう、疲れた…何もかも… 『…ごめん』
『やだっ!シンジ、なに謝ってんのよ!諦めちゃダメ!アンタこんなところで死んだりするはずがないのよ!』
膝を引き寄せて、丸くなる。
『やだっ!シンジ。シンジ、返事して。お願い、返事して!』
なのに、シンジの眉根から力が抜けていく。
『…死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、死んじゃイヤ、…死んじゃイヤぁ!』
「 ぉ…母さん?」
えっ!?
…今? お母さんって…
シンジのママが、応えてるの!?
途端、プラグの中に初号機の咆哮が響いた。
つづく
アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾四話
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Date: 2011/09/14 09:12
リツコに言われてロビーまでミサトを呼びに行ったら、加持さんが一緒だった。
どうやらヒマを持て余してるらしい加持さんにナンパされて、こうしてジオフロントのベンチでお茶してんだけど。
この、つぶつぶオレンジって、のど越しが面白いわね。自分の体があるときに巡り合いたかったわ。
「加持さんって、もっとまじめな人だと思ってました」
「安心してる相手だと、遠慮がないな。碇シンジ君」
「あ、すみません!」
あのね、加持さん。コイツの本性は生意気で反抗的な皮肉屋なのよ。…案外、父親にそっくりだったりしてね。
「いや、こっちこそすまない。嫌味のつもりはないんだ」
立ち上がった加持さんが、イタズラっ子みたいな笑顔を見せた。
「そうだ。一つ、いいものを君に見せよう」
****
「スイカ、ですか?」
しゃがみこんだシンジが、スイカを覗き込んだ。小さな黄色い花がキュートね。
「ああ、可愛いだろう。俺の趣味さ。みんなには内緒だけどな」
ふ~ん。ワタシには教えてくんなかったクセに、シンジには見せてたんだ。男同士でや~らし~の。
「何かを作る、何かを育てるのはいいぞ。いろんな事が見えるし解かってくる」
加持さんが、ジョウロで水を撒いてる。う~んと…、こんな夕方にお水なんかあげて、いいのかしら?
…楽しい事とかな。と、こちらを窺う気配が、ちょっと優しい。
「…つらいこともでしょ」
唐突にそんなことを言い返したシンジの気持ちが、なんだかとてもよく解かった。…だって、ワタシもシンジと同様に、スイカから目を離せなくなってしまったもの。そのカタチが、つらい記憶をひきだすんだもの。…シンジには、きっと16時間の圧迫感を。ワタシには、16時間の無力感を。
「つらいのは、嫌いか?」
「…好きじゃないです」
「楽しい事、見つけたかい?」
シンジが押し黙った。やっぱり加持さんも、ミサトたちと同じ世代なのね。思春期ってモノを解かってないと思うわ。
「…それもいいさ。けど、辛い事を知っている人間のほうがそれだけヒトに優しくできる。それは弱さとは違うからな」
加持さんの言いたいことは解かる。でも、つらいことの渦中に居る人間に、そんなアドバイスがナンの役に立つだろう。シンジが欲しいのは未来の希望じゃなくて、今の救済なのに。
一般論に過ぎない言葉は、距離を置いてればこそ掛けられるモノだと思う。やっぱり加持さんもミサトたちと同じ世代なのね、ワタシたちを壊れ物みたいに扱って、触れることすらしてくれない。
…ワタシたちは決してガラス細工なんかじゃないわ。確かに傷つきやすいけど、だからこそ強くなろうとするんだと思う。
ケータイの呼び出し音。
「はい、もしもし?」
…
「葛城から。今からシンクロテストをやるそうだ」
その日のシンクロテストで、シンジのシンクロ率が低かったのは当然だったと思う。
****
「昨日の新横須賀、どうだったの?」
屋上の柵に身を預けたシンジが、柵の向こっ側に座ってるバカケンスケの方を向いた。
「バッチシ!ところで、ちょいと気になる情報を仕入れたんだけど…」
みんながお昼ご飯を食べ終えても、バカトウジはまだ屋上に上がってこない。さっきの呼び出しの放送、あれはきっと…
「エヴァ参号機?」
「そ。アメリカで建造中だった奴さ。完成したんだろ?」
「知らないなぁ」
っていうか、こんな機密事項、なんでバカケンスケが知ってんのよ。
「隠さなきゃならない事情も解かるけど、なぁ、教えてくれよ!」
「ほんとに聞いてないよ!」
「松代の第2実験場で起動試験をやるって噂、知らないのか?」
「知らないよ」
…ダダ漏れじゃない。
「パイロットはまだ、決まってないんだろ?」
「判らないよ、そんなの…」
今頃、校長室で通知されてるころなんでしょうけどね。
「俺にやらしてくんないかなぁ、ミサトさん。なぁ、シンジからも頼んでくれよ!乗りたいんだよ、エヴァに!」
「ほんとに知らないんだよ…」
バカケンスケは、シンジがとぼけてると思ってるらしい。眉間にシワが寄ってるもの。
「じゃあ、四号機が欠番になったって言う話は?」
「何それ?」
「ホントにこれも知らないの? 第2支部ごと吹っ飛んだって、パパのところは大騒ぎだったみたいだぜ」
パパ? ネルフの関係者なのかしら? 家族に話したんだとすれば、セキュリティ意識が低すぎだわ。
「ほんとに?」
「おそらく…は、」
「 ミサトさんからは何も聞いてない… 」
シンジの呟きを耳にして、バカケンスケが眉尻を下げたのが見えた。ここに至ってようやく、シンジが本当に何も知らされてないって判ったんでしょうね。
「やっぱ、末端のパイロットには関係ないからな。言わないって事は、知らなくてもいいことなんだろ? シンジにはさ」
バカケンスケのフォローも、今のシンジには届いてないんだろう。目の焦点が遠いもの。
『…どうして…ミサトさんは、』
ミサトに限らず、そもそもネルフってのは秘密主義が酷いところナンだけどね。
でもね、シンジ。ミサトはアンタを蔑ろにして隠してるワケじゃ、ないと思うわ。なんたってあの世代の連中は、思春期ってモンを解かってないのよ。
ううん、少なくともミサトはそのことを自覚してる。だからこそ、必要以上に神経質になってんだと思うもの。
「すまなかったな、変な事聞いて。…しかし、トウジの奴、遅いなぁ」
****
シンジが登校する頃合に、ミサトの仕度が出来てるのは珍しい。ベレー帽まで被ってるとなれば、珍しいを通り越して稀有ってヤツ? いつぞやの礼装以来のコトだわね。
今日から松代にいくからって、それなりに身なりを気にしてんだわ。
「アスカ、帰ってきそう?」
今まさに玄関を出ようとしてたシンジを呼び止めといて、よりによって切り出した話題がソレ? …本っ当にアンタって…
「…まだ、みたいです」
気まずさに、2人とも顔を伏せる。アンタたち、そういうところ兄弟みたいよ。
「あの」
「ところで」
ほらね。仲のおヨロシイこと。
「あはっ、…どうぞ」
「四号機が欠番っていう噂、本当ですか? なんか事故があって爆発したって…」
「ええ、本当よ。四号機はネルフ第2支部と共に消滅したわ。S2機関の実験中にね」
シンジの視線が落ちる。
「ここは大丈夫よ。3体ともちゃんと動いてるじゃない。パイロットもスタッフも優秀だし」
違うわよミサト。シンジはね、否定して欲しかったの。バカケンスケの情報は間違ってるって、バカケンスケでも知ってるような情報をミサトが教えてくれてないなんてことはないんだってね。
「でも、アメリカから参号機が来るって。松代でするんでしょ、起動実験」
「うーん、ちょっち4日ほど留守にするけど、加持が面倒見てくれるから心配ないわよ」
「でも実験は…」
ほら。シンジにしては、しつこいでしょ。バカケンスケの情報が間違ってて欲しいから、訊けるだけ訊こうとしてんの。
「リツコも立ち会うんだし、問題ないわよ」
「でもパイロットは…?」
「その、パイロットなんだけど…」
やっぱり、言い出せないままに松代に行っちゃう気だったのね。
…♪~♪♪~
「ん? はーい!」
チャイムの音に気をとられて、シンジが視線を逸らす。ミサトの肩から力が抜けたのが見えた。
それにしても、こんな朝っぱらに誰が来たっての?
開いたドアの向こうに、背中が見えるほど腰を折った人の姿。
「おはようございます!」
上げた面にメガネが光って…って、バカケンスケ!!
「今日は、葛城三佐にお願いにあがりました!」
ずいっと玄関の中に踏み込んでくる。
「自分を、自分をエヴァンゲリオン参号機のパイロットにしてくださいっ!」
「…へ?」
****
「ミサトさんも冷たいよ、まったく」
バカケンスケのおかげで、フォースチルドレンの件はうやむやになってしまったわ。そのうえ、教室に着いてまでアンタのグチを聞かされなきゃなんないなんてね。
ワタシに自由に使える手があったら、アンタとっくに地獄行きよ?
「やる気なら俺が一番なんだし、予備でもいいから使ってくれりゃあいいのに。なぁ、トウジ?」
「あ? ああ…」
バカトウジは上の空だ。コイツはシンジの戦う姿を見てるから、ただならぬ立場に追い込まれたってことに気づいてんのね。
通行の邪魔だった椅子をつま先でどかして、アスカが入ってきた。
シンジが見てないのに何でそんなことが判るかっていうと、かつてワタシもそうしたからよ。
「どうしたの? 洞木さんはもう来てるのに、ずいぶん遅かったじゃない」
アスカは、シンジを無視しようとする。
「なんや、今日は夫婦喧嘩はないんかい…」
バカトウジの呟きに過敏に反応したアスカが、カバンを机に叩きつけてバカトウジを睨みつけた。…そう。この時にはもう、ワタシはバカトウジがフォースチルドレンだってことを知ってたわ。
「アンタ達の顔、見たくなかっただけよ!この3バカトリオが!」
このときのワタシは、矛盾に満ちた存在だっただろう。自分より優れた人間がチルドレンに選ばれたりすれば立つ瀬がなくなるのに、バカトウジみたいなのが選ばれたことも許容できないんだもの。
…ううん、違うわね。今さら自分を偽ってもしょうがない。
正直に言えば、ワタシは新しく登録されてくるチルドレンを怖れてた。それが、取るに足らないバカトウジだったことが、むしろ恐怖に拍車をかけたわ。
ぱっと見に冴えないシンジは、しかし厳然たる戦績を誇ってる。なにより初号機しかなかった時期に、たった一機で第3新東京市を護りぬいた実績は大きい。少なくともワタシはそう感じてたわ。
このうえシンジ以上にぱっとしないバカトウジが、もし弐号機を凌ぐ働きを見せたりしたら…。エヴァのパイロットはエリートだと信じて拠りどころにしてたワタシの、アイデンティティーが揺らぐのだ。
最後の砦だったシンクロ率でも追い上げてくるシンジの気配を背後に感じて、まだ聞こえないバカトウジの足音にびくついて。ワタシの心は疑心暗鬼で凝り固まってた。
****
「さーて、飯メシ…あれ? トウジは?」
理科室から購買部経由で戻ってきたバカケンスケが、ビニール袋の中身を物色してた手を止める。
「いないんだよ」
おべんとを取り出したシンジが、かぶりを振って見せた。
「メシも食わずに? あいつが? ありえない話だぞ」
教室を見渡すバカケンスケの視線に釣られて、シンジも視線を巡らせる。
いつもならいそいそと教室を後にするヒカリが、なんだか表情を曇らせて窓から外を見上げてた。ここからじゃあ見えないケド、前にヒカリが言ってた話からすると、その視線の先にはバカトウジとレイが居るんじゃないかしら?
『あれ? …綾波?』
普段レイは、シンジが弁当を手渡すまで自分の席で待ってる。そのレイが居ないことに、ようやく気付いたらしい。
「うん…変だよね、このごろ」
…みんな。と言い切れずに呑み込んだ言葉は、不機嫌そうに教室に入ってきたアスカの姿を見止めて、物理的な硬度をもってシンジの胸につかえた。
日直で理科室の後片付けをさせられてたアスカは、教科書を自分の机に放って、そのままこちらへと歩いてくる。ヒカリには、アスカの分のおべんとを作らないように頼んであるから、アスカはシンジが作ったおべんとを取りに来ざるを得ない。
アスカのほうから話し掛けてくれる唯一の機会を、シンジは朝から心待ちにしていた。
「早く寄越しなさいよ」
反射的に差し出そうとしたおべんと箱を寸前で押しとどめて、こじ開けるように口を開く。
「あの、アスカ…」
「なによ」
不機嫌さが最高潮に達して、アスカの瞳孔が絞り込まれる。青い瞳の圧力に屈したシンジが視線を逸らすが、そこで逃げ出すほど今のシンジは弱くない。
「…今晩から、加持さんが泊まりに来るんだ」
「加持さんが?」
途端に声を弾ませたアスカが、しかし一転して訝しげに。
「どうして?」
促すような身じろぎに、シンジが視線を戻す。高圧的だったアスカの瞳は、純粋な疑問に縁取られて今は柔らかい。
「…今日から、ミサトさんが出張だから」
それって、もしかして松代? と口を挟もうとしたバカケンスケを、アスカが一睨みで沈黙させた。その鋭さを、思考のそれに切り替えたアスカが黙り込む。
かつて加持さんが泊りに来た4日間。ワタシはそれを楽しめなかった。フォースチルドレンの存在を受け入れがたかったワタシはむしろ、そんな姿を見られることに苦痛すら感じてたわ。
その時は逃げ出しようもなく受け入れるしかなかったけど、このコは…
「そう。じゃ、加持さんによろしく言っといて」
すげなくそう言い放って、呆気に取られたシンジの手からおべんと箱を掠め取る。
そうね。ワタシでも、アンタと同じ状況なら同じように決断したと思うわ。誰が好きこのんで好意を寄せてる相手に、自分の嫌な面を見せたがるもんですか。
「ヒっカリー!おべんと食べよ♪」
踵を返したアスカが、窓際にたたずむヒカリに駆け寄った。楽しげな口調は、ちょっと無理してテンションを上げてんのだと、ワタシには解かる。
まさか加持さんを引き合いに出して、無下にあしらわれるとは思ってなかったんだろう。楽しげに振舞うアスカを、シンジが呆然と見やってた。
****
リビングに布団を敷いた加持さんと一緒に寝ようと、シンジが布団を持ち出してきた。今日アスカを連れ戻そうとしたことといい、最近シンジはヒトと積極的に会話を持とうとしているみたい。
それは、いい傾向なんだと思う。こんな身の上になってようやく解かったことだけど、ヒトは話し合わなければお互いを理解できないものだもの。
床の上で寝るのは抵抗あるけど、こういうとき布団って便利ね。
「もう寝ました? 加持さん?」
「いや、まだ」
加持さんもきっと、シンジがなにか話したがっていると感づいてたんでしょうね。寝ようっていう素振りが、感じられなかったもの。
「僕の父さんって、どんな人ですか…?」
「こりゃまた唐突だな。葛城の話かと思ってたよ」
もしかして加持さんは、身構えてたのかも知んない。肩の力が抜けたような、そんな気配がする。
「加持さん、ずっと一緒にいるみたいだし」
「一緒にいるのは副司令さ。君は、自分の父親のことを訊いて回っているのかい?」
自分の親のことが気になるのは、子供なら当然だと思う。最も身近な、自分のルーツなんだもの。そんなことナイって、存在ごと否定してたワタシだって、結局…
「ずっと、一緒にいなかったから…」
「知らないのか」
「でも、このごろ解かったんです、父さんのこといろいろと。仕事のこととか。母さんのこととか。だから…」
「それは違うなぁ。解かった気がするだけさ。人は他人を完全には理解できない。自分自身だって怪しいもんさ。100%理解し合うのは、不可能なんだよ」
…なんだ、加持さん。シンジにはこんなコト話してくれるんだ。前の時もこうして、こんな話をしてたのかしら?
加持さんの人生観、今のワタシなら解かるような気がする。ううん、今のアスカだって、加持さんの言葉なら必死に理解しようとするわ。
「ま、だからこそ人は、自分を、他人を知ろうと努力する。だから面白いんだなぁ、人生は」
こんなふうにワタシにも接してくれてれば、ワタシもモ少し、素直になれてたかもしれないのに。
…ずるいなぁ、シンジばっかり。ワタシ、ここに来て初めてアンタに嫉妬しちゃった。前の時に、みんなしてシンジばっかり甘やかしちゃってる。なんて思ったりしたケド、あながち被害妄想じゃなかったのね。
だからと云って、それでシンジが救われてるっていうワケでもなさそうなのが悲しいんだケド。
「ミサトさんとも、ですか?」
「彼女というのは遥か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ、われわれにとってはね」
そう思ってわざわざオンナを遠ざけてんのは、オトコのほうじゃないかしら…
今、こうして寄り添ってみて、ワタシはシンジのことがよく解かるような気がする。そこに思い込みがあったにしても、それはオトコとかオンナとかに関係のない、ヒトとして普遍の不理解だと思うもの。
「男と女の間には、海よりも広くて深い河があるって事さ」
そう認識することで溝を拡げてるっていう意味では、間違ってないケドね。
「…僕には、大人のヒトは解かりません」
****
≪ 目標接近! ≫
≪ 全機、地上戦用意! ≫
送られてきた映像は、先鋒に立ってる弐号機に随伴してる部隊からのモノ。
日没の早い山際の、夕陽を背負って歩いてくるのは、
「えっ? まさか、使徒…? これが使徒ですか?」
エヴァ…、参号機。
≪そうだ。目標だ≫
実に淡々と。 シンジのパパの声音には、感情ってモンが一切感じられない。
「目標って、これは、…エヴァじゃないか」
≪ そんな、使徒に乗っ取られるなんて… ≫
発令所越しのアスカの呟き、シンジには聞こえてないでしょうね。言った憶えがあるワタシだから、見当がついた。
「やっぱり、人が…子供が乗ってるのかな…同い年の…」
≪アンタまだ知らないの!? 参号機にはね…≫
開かれた通信ウィンドウはあっという間に砂嵐になって、
「アスカ?」
≪きゃあぁぁあぁぁぁっ!≫
…途絶えた。
「アスカっ!?」
≪ エヴァ弐号機、完全に沈黙! ≫
…ごめんね、シンジ。ワタシもアンタにバカトウジのことを教えるべきか、ずっと迷ってた。
≪ パイロットは脱出、回収班向かいます ≫
ミサトのこと、とやかく言えた義理じゃないわね。
≪ 目標移動、零号機へ ≫
アンタが何も知らないままに、すべてが終わってくれればって思っちゃったもの。
≪ レイ、近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今、初号機を廻す ≫
でもね、シンジ。たとえミサトでも、こうなることが判ってたらきっと教えたと思う。だからね…
…
『…シンジ。フォースチルドレンはきっと、トウジだわ』
「えっ!『ええっ!? …どういうこと?』
『トウジが校長室に呼び出されたあの時、学校にネルフの車が来てたわ…』
『…嘘!』
もちろん、嘘よ。
『授業に遅れてきても咎められなかったし、それに、今日なんでトウジが学校を休んだんだと思う?』
『…まさか!』
『もちろんその可能性が高いってだけ、ワタシの推測だもの』
≪ 零号機、中破。パイロットは負傷 ≫
「そんな…」
ワタシとの会話に気を取られていたシンジは、零号機がどんな目に遭ったか気付いてないだろう。…それでいいわ。
≪目標は接近中だ。あと20で接触する。おまえが斃せ≫
「でも、目標って言ったって…」
背負った夕陽を厭うように背中を丸めて、参号機が歩いてくる。
「…トウジが乗ってるかもしれないのに?」
唸りを上げるや膝を落として、参号機が身を投げ出すように跳ねた。そのまま回転して、足の裏からぶつかってくる。
田畑を削りに削って吹っ飛んだ初号機が、山肌に当たってようやく止まった。
シンジが、すかさず参号機の行方を追う。四肢のすべてを折り曲げるようにして地に伏せた参号機の、その延髄に焦点。
「エントリープラグ…やっぱり、人が乗ってるんだ!」
立ち上がった途端に、首を絞められてた。
あんな場所から!こんなに手が延びるだなんて!!
倍加する力。左手も延ばしてきたらしい。
「…ぐっ、ぐあっ!」
『シンジ!戦いなさい!』
『…だって、トウジが乗ってるかもしれないんだよ!』
初号機が山に叩きつけられた。山肌に押し付けるようにして、参号機が喉を潰しにくる。握力だけで絞めていた先ほどまでとは、比べ物にならない力で。
『バカシンジ!よく考えなさい。アンタがここで死んだらっ、どうなるかを!!』
『…僕が、ここで…?』
≪ 生命維持に支障発生! ≫
『そうよ。第7使徒を思い出しなさい』
『第7? 分裂したヤツ…?』
≪ パイロットが危険です! ≫
『…N2爆雷!?』
≪シンジ、なぜ戦わない!?≫
『シンジ、戦いなさい。トウジを救けるために戦えるのは、アンタだけなのよ』
…
『救ける…ために…』
…
締め上げる両手に抗って、シンジが参号機を睨みつける。
…
「…わかった。戦うよ。僕が戦う!」
≪ よし、シンクロ率を60%にカットだ ≫
副司令!? ナイス!シンジに伝わる苦しみが軽くなった。
『シンジ!膝、膝で参号機の肘を蹴り上げて!』
跳ね上がった右膝が、参号機の左肘を挫く。そのまま振り上げたつま先が顎を捉える。
…やるじゃない。
参号機が怯んだ隙に、回り込むように背後へ。
『狙いはエントリープラグ』
『…判ってる』
延髄に向けて伸ばした手が、体を翻した参号機の右手に弾かれた。その手がまたも喉元めがけて延びてくるけど、同じ手喰うほどシンジはバカじゃないわよ。
『それ、掴んで倒す!』
首を傾げて躱したシンジが、その手に左手を絡めて引き倒す。
『踏んで!』
つんのめった参号機の肩に右手をかけて地面に押し付けると、背中を踏みつけて固定。すかさず延髄に絡みついた菌糸みたいなのを引き千切る。…だけど、プラグは排出されない。
『引っこ抜くわよ。プラグ周辺ごと抉り取るつもりで!』
初号機が、両の貫き手をプラグの両サイドに突き入れた。おそらく、それでどっかのロックが外れたかしたんだろう。途端にプラグが排出される。
「やった!」
『いったん下がるわよ』
鳥の雛でも庇うようにプラグを抱えて、初号機が駆け出す。目指すは、山陰に控えた指揮車。
…
「よし!」
それはそれは丁寧にプラグを降ろした瞬間、視界が吹っ飛んだ。もちろん吹っ飛んだのは初号機のほうで、吹っ飛ばしたのは参号機。…なんだろうケド、ちょっと見えなかった。
…
さんざん転げ回って、ようやく初号機が止まる。ケーブルに引き摺られて跳ねた電源車が、初号機の足元に落ちた。視界の隅で状況表示を確認。やっぱり電圧が不安定になってる。切れなかっただけマシだけど…
『シンジ、立って!』
立ち上がった途端、参号機が視界から消える。最初のときと同じ、前方宙返りで跳んできたんだ。…シンジが半歩下がって打撃点を逸らした。…と思ったのに、打ち下ろすような一撃を喰らう。そこからさらに回転して頭突き…だなんて!
「…ぐっ」
つんのめった初号機が、間髪入れずに叩きふせられた。
!!…延髄に衝撃。参号機が…ストンピング!?
起き上がろうとするシンジの努力をことごとく踏み潰して、蹴り下ろされる参号機の足の裏が容赦ない。
…トウジって人質が無ければ、コイツなんか問題ないと思ってた。
なのに、なに? この強さ!?
≪ …構わん。パイロットと初号機のシンクロ率を全面カットだ! ≫
…えっ?
≪ そうだ。回路をダミープラグに切り替えろ! ≫
…ダミープラグ?
≪ 今のパイロットよりは役に立つ!やれ ≫
オートパイロットのこと?
途端にシンクロが切れた。…ううん、切られたのね。いったん途絶えたモニターが、非常灯への切り替えとともに復帰する。視界すべてが赤く染まってて、気持ち悪い。
「なんだ…?」
背後で唸りをあげたディスクドライブに、シンジが振り向いた。
「何をしたんだ!? 父さん!」
…
いま機体を震わしたのは、初号機の咆哮!?
「…なっなに?」
腕立てふせの要領で、初号機が唐突に体を持ち上げる。踏みつけられてることなど気にかけもせず、実に無雑作に。蹴り下ろしてた足をとられて、参号機が体勢を崩してた。
『…暴走、してるみたいね』
すかさず立ち上がって、さっきのお返しとばかりに首を絞める。
「暴走?」
そっか、初号機が暴走してるときって、シンジは大抵…
『ダミープラグとか言ってたわ。初号機を暴れさせてるのよ。発令所の命令でね』
「そんな…」
首を絞められても、参号機が怯んでる様子はない。即座に絞め返してくる。だけど、暴走状態じゃなかった初号機すら絞め殺せなかった参号機に、勝ち目などあるわけなかった。
…
ごきり。とイヤな音をたてて、参号機の頚椎が折れる。驚いたことに、それでも参号機の抵抗が止まんない。
不機嫌そうに唸った初号機が、参号機を投げ飛ばす。
山肌にたたきつけられた参号機に向かって前方宙返り。胸部装甲に両膝を叩きつける。そのままマウントポジションをとると、戦闘は、あっという間に一方的な殺戮へと変わったわ。
かつて、回収班と合流したワタシは、号泣しながら懇願するシンジの絶叫を聞いていた。初号機を止めようと、懸命に動かすレバーの音まで鮮明に憶えてる。
誰かを傷つける恐れがないから、今回シンジは泣き叫ばないんだろう。それでも、必死に吐き気を堪えてた。下手に吐いたら窒息するから…。ううん、吐いてしまえば歯止めが効かなくなるって解かってるんでしょうね。…いろんなコトの。
ようやく初号機が止まった時、辺りはバラバラ殺人事件の現場さながらだったわ。
こんな状態で、前回フォースチルドレンはよくあの程度の負傷ですんだわね。
つづく
2007.08.01 PUBLISHED
2007.08.24 REVISED
アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾伍話
Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/21 10:37
「…なんや、こかぁ?」
昏睡してたバカトウジが、目を覚ましたらしい。ホントは一度、夜中に目を覚ましてたみたいだけど、それはまあどうでもいいコト。
「ネルフの医療部だよ」
読みかけの雑誌から顔を上げて、シンジがバカトウジの疑問に答えてやる。こうしてベッドの横に椅子を置いて、付き添ってやってたのだ。
「…なんや、センセやないかい」
活字をただ目で追ってただけのゴシップ誌を畳んで、サイドテーブルの上に。ナースステーションに置いてあったノはこの手の類いか、業界誌、あるいはナース向けの通販カタログぐらいで面白みに欠ける。ヒマ潰しじゃなきゃ、手に取りもしなかっただろう。
「どこか、痛むとこ、ある?」
ん~? と唸ったバカトウジは手を上げたり首をひねったり胸を叩いたりしたケド、特に気なるトコはないみたいね。
「…特にあらへんわ。わし、いったいどないなってん?」
「乗ってたエヴァが敵に乗っ取られたんだよ。憶えてない?」
さっぱりや。と、かぶりを振ってる。まあ、あんな目に遭ったコトを憶えてないってんなら、そのほうが幸せだわ。
「とにかく先生を呼ぶよ。いろいろ検査しないといけないだろうから」
「…あんじょう頼ムわ」
…
……
「しっかし、ひっとが腹ぁ空かしとるっちゅうんに引き摺り回しくさってからに、ネルフっちゅうんはひっどいトコやのぅ」
「空腹じゃないと出来ない検査もあるからね」
バカトウジが目覚めてから2時間、参号機が起動してからだと3日間ナニも食べてないんだろうから、そりゃあオナカも空くでしょうね。
ま、そのへん手抜かりはないわ。
「シンジ。ヒカリを連れてきてあげたわよ」
「ありがとう。アスカ」
病室のドアを開け放って、アスカがヒカリを押し込んだ。
「なんや、委員チョやないか…」
「鈴原、大丈夫?」
「ああ、なんとか五体満足で生きとるみたいや」
どん。って胸を叩いて、むせてる。ホントにバカね。
「…それで、ホントにいいの? 碇くん」
手に提げた巾着袋を隠すようにして、ヒカリがベッドのこっち側に回ってきた。
「いま看護士から、差し入れ厳禁だって釘さされたわよ?」
そう言っておいて、アスカは閉めたドアの前で仁王立ち。なんだかんだ言って、バカトウジにヒカリのおべんとを食べさせる気満々みたいね。陣取ってんのは、いつでもドアをロックできる位置なんだもの。
「トウジが洞木さんの手料理でオナカ壊すわけないから、大丈夫だよ」
差し入れしちゃあイケナイってのはそういう意味じゃないケド、それでシンジが納得するならそれでいいのよ。嘘も方便ってヤツね。
「いっ碇くん!? わたしがここに来たのは委員長として、公務で来たのよ!それ以外の何でもないのよ…」
ああ、判っとるわ…。って、一番解かってナイのが応えんじゃないわよ。
「…解かってないわよ」
ほら、ヒカリが落ち込んじゃったじゃない。…シンジ、頼んだわよ。
『…』
「トウジ。洞木さん、心配してこんなところまでお見舞いに来てくれたのに、そういう言い方はないと思うな。
トウジがそういう了見なら、この洞木さん特製の手作り弁当、僕が食べちゃうよ」
ヒカリから引っ手繰った巾着袋を、これ見よがしに振ってみせる。って、これ重いわね。2人前どころの量じゃないんじゃない?
「なんやて!おおっ!食いモンかぁ♪」
『…いままでナニ聞いてたの、このバカ』
『おなか減ってて、そんなところにまで気が回らなかったんだと思うよ』
「いやぁ♪さっすが委員チョやのう。ホンによう気ィの回る。ありがたやありがたや♪
わしは、委員チョが作ってくれる弁当が人生最大の楽しみナンや」
なんだか頬をほのかに染めたヒカリに巾着袋を返してやって、
「…だってさ?」
と、立ち上がる。さらに顔の赤味を増したヒカリに、さりげなく椅子を勧めたりなんかして…。…シンジ。アンタ、こういうの慣れてきたわねぇ。それがイイコトなのか、判断つかないケドさ。…だってほら、アスカが胡散臭げに見てるもの。
『しばらく、2人っきりにしてあげましょ』
『そうだね』
飲み物でも買ってくるね。とシンジがドアに向かうと、察したらしいアスカが先に廊下に出た。
「ちょうど喉が渇いてたんだ。アスカも何か飲む?」
『は~いはいはいは~い!ワタシ、つぶつぶオレンジ♪』
『…アンジェには訊いてないよ』
むぅ。
「…アンタもしかして、今晩も付き添うつもり?」
そのつもりだけど、どうして? と答えると、アスカが顔だけで振り向いた。
「アンタもミサトも居ないんじゃ、ワタシがペンペンの世話しなきゃなんないじゃない!」
使徒の覚醒時にケガしたっていうミサトは、初日は経過観察入院だったそうだ。2日目の朝に顔だして、これから現場の後始末だと苦笑いしてた。作業の目処はたたないし苦情も山積みだから、あと2~3日は帰れないかも、なんてこぼしてたっけ。
「なによあのペンギン。ワタシが焼いた魚、焦げてるからって食べないのよ!」
腕組んでそっぽ向いて、それで結構な速度で歩くんだからこのコも器用よね。
「…ペンペンは、魚の焼き加減だけはうるさいからね」
お陰で、焼き魚だけは洞木さんに教えられるよ。なんて苦笑してる。そもそもペンペンが魚の焼き加減にこだわるようになったのは、シンジが甘やかした結果なんだけどね。いちいち焼け具合の感想を訊いて、反省材料にしてんだもの。ドーブツだって、贅沢に慣れちゃうわよ。…もっとも、丸呑みするクセにどうして焼き加減にこだわんのかは謎なんだけど。
そうこうしてる間に自販機コーナーに到着。小銭を出したシンジが、迷うことなくつぶつぶオレンジを購入した。…あら? ジオフロントのとはベンダーが違うのかしら。こっちのは細長いガラスコップみたいなのに金属のフタがついてて、まるでカップ酒ってヤツみたいね? …て、つぶつぶグレープなんてあるわよ!?
『シンジ、シンジ!ブドウ葡萄ぶどう!つぶつぶグレープっての飲んでみたい!』
あっ、なんか今こっそりため息つかなかった? シンジ。
「アスカは何にする?」
「…なに、ソレ?」
つぶつぶオレンジ、みかんの粒が入ってるんだよ。と、シンジがガラス瓶を振ってみせる。透明感のあるオレンジジュースの中でみかんの粒が舞って、まるでスノーグロゥブみたいにきれいね。缶入りより気が利いてるわ。
「ソレ、飲んでみたい」
これでいい? と手にしたガラス瓶を差し出すと、うん。とアスカが受け取った。きっとアンタも気に入るわよ。
シンジが小銭をもう一枚取り出して、今度はつぶつぶグレープを買った。つぶつぶオレンジと同様のガラス瓶に、こちらも透き通ったグレープジュース。底に沈んだブドウの粒は、きちんと皮がむいてあって…10粒くらいかしら。
「…ナンで、違うの買ったの?」
「買おうと思ったら、こっちに気付いたんだ。試してみようと思って」
あっそ。とそっぽを向いたアスカが、長椅子に座り込んでフタを開けた。口をつけて、ひと啜りしたと思ったらガラス瓶を覗き込んでる。その気持ち、解かるわ。そして、もう一口。のど越しが面白いでしょ。
グレープの方は噛んだ粒から溢れる果汁が美味しいけど、のど越しはつまんない。
オレンジジュースを飲み干したアスカが、眉根を寄せた。視線から察するに、みかん粒が瓶底に残ってしまったのだろう。…あれ、上手く飲み干すのにコツが要るらしいのよねぇ。
まさかすくい取るわけにもいかず、微妙に不機嫌になったアスカが、ガラス瓶をゴミ箱へ。
「…それで、帰ってくんでしょうね? あのわがままペンギンに魚を焼いてやるなんて、金輪際ゴメンよ!」
「帰ってもいいけど、アスカは?」
「ワっタシはもちろんヒカリんちに泊まるわよ。そもそも昨日だって、たまたま着替えを取りに帰っただけなんだから」
…そう。と、シンジが長椅子に座り込んだ。
「なによ…。言いたいコトがあんなら、はっきり言いなさいよ」
じとり。と視線だけで見下ろしてくる、気配。
シンジが見下ろしたガラス瓶の中で、ブドウの粒が沈んでいった。
…
「…夜とか、あまり1人で居たくないんだ…」
「…はぁ?」
それは、エヴァ参号機と戦った、その夜のことだったわ。
検査入院で個室に入れられたシンジは、夜中に何度も目を覚ましたの。ほんの3時間ほどで4度も目を覚ましたシンジは、とうとう寝ることそのものを諦めた。
きっと、第12使徒に呑みこまれた後遺症だろうと思う。寝ていると、血の匂いがするって言うんだから。もちろんそれは気のせいで、シンジのココロの問題なんでしょうね。
第12使徒から救出された夜の入院は、シンジは昏睡してた。
家にはミサトか、加持さんが居た。
あれから、初めて独りで過ごした夜。それが一昨日の晩だった。
だから昨夜、シンジはバカトウジの病室に泊り込むことにしたんだろう。
思えば、加持さんが泊まった夜に一緒に寝ようとしたのだって…
前の時はどうだったんだろう? と考えてみると、思ってた以上に情報が少ないことに気付いて、愕然とした。あれほどシンジをライバル視していながら、その相手のことはロクに知らなかった。知ろうとしてなかった。ってことだもの。
まがりなりにも一つ屋根の下で暮らす同居人が、こんなトラウマ抱えてた。なんてことに、気付かないでいたのよ。信じられる?
「成績優秀、勇猛果敢、シンクロ率ナンバーワンの殿方が、独り寝がさびしい。ですって!?」
心底見下げ果てたって視線が、ジュースの水面から睨みつけてくる。きっと、シンジが第3新東京市を去ろうとした時のワタシと、同じような気持ちでいるんでしょうね。
自らチルドレンを辞めた。と聞いて初めて、ワタシはシンジを憎んだんだと思う。戦績はおろかシンクロ率まで抜き去っておいて、あっさりその地位を放棄したんだもの。ワタシが希求してるモノは、なにもかも無価値なんだと蔑まれてるような気がして、敵意すら覚えた気がする。
だからこそ、シンジの居なかった第14使徒戦では、あんなに躍起になった。無謀な特攻までやらかした。ワタシが転落し始めたのがシンジにシンクロ率で抜かれた時だとすれば、止めようのない下り坂に踏み込んだのは、シンジがチルドレンを辞めた時だろう。
もちろん、当時はそこまで解かってたわけじゃない。様々な思いと衝撃を、逃げたシンジにあきれたんだと受け止めてた。燃え尽きる寸前のロウソクがひときわ明るく輝くように、逃げ出す前の火事場のバカ力でシンクロ率が上がっただけだと自分を誤魔化した。
自分の状態を冷静に推し量ることができれば、少なくともシンクロ率がゼロになるほど壊れたりしなかったでしょうにね…
「それで、このワタシに添い寝でもして欲しいっての?」
「…そういうわけじゃ」
「そう言ってんじゃないっ!」
ひるがえった手の甲が、シンジの手からガラス瓶を弾き飛ばした。自販機に当たって、割れる。
「テストでちょっといい結果が出て、1人で使徒を斃したもんだからって、チョーシに乗ってんじゃないわよ!」
「違うよ、そんなんじゃ」
ない。と立ち上がろうとしたシンジの頬を、アスカの右手が捉えた。膝から力の抜けたシンジが、長椅子に頽れる。
「アンタみたいなのが、…アンタみたいに弱っちいのが、なんでチルドレンなのよ!」
行きがけの駄賃にもう一発平手を喰らわしといて、アスカが逃げ出した。
シンジをなさけないと感じれば感じるほど、逆説的に自分の立つ瀬がなくなる。間違ってるモノにしがみついてると気付かないアスカは、そのことの屈辱に耐えられなかったんでしょうね。
その気持ちは、よく解かるわ。でも、今のワタシにはシンジの気持ちもよく解かるの。望まぬ力を与えられ、そのことでヒトから拒絶される心の痛みをね。
…
シンジが、熱を持った頬を押さえた。
「…僕は」
まぶたを堅く閉じて、熱くなる目頭を必死で抑えてる。
シンジ。アンタが悪いんじゃないわ。アスカがまだ、自分ってモノを見つけられてないだけなの。だから、アンタが強かろうが弱かろうが、前向きだろうが後ろ向きだろうが突っかかってくるわ。
そのことは、ちゃんと話してあげる。…アンタが、落ち着いたらね。
****
無事バカトウジを救い出せたから、今回シンジはハイジャックなんか起こしてない。結果、更迭されることもなかったので、こうして出撃している。
弐号機と並んで、ジオフロントの天井を見上げてた。使徒の進攻は、もうまもなく。
横目に見える弐号機は、兵装を山のように持ち出してきていて、まるでヤマアラシのよう。この頃の自分が、どれだけ焦っていたか目の当たりにするようで、ちょっとつらいわね。
零号機とレイは待機。エヴァ参号機戦で受けた損傷が、まだ修復できてないのだ。
初号機のプラグ内には、今まさに進攻中の使徒の姿を表示させてる。
『どう思う?』
『…よく解かんないけど、あの光線みたいなの気をつけなくちゃ』
確かにあの光線は厄介だわ。だけど、それほど多用はしてなかったように思う。
あの使徒の恐さは、とても攻撃力なんかあるように見えないあのメジャーみたいな腕での不意打ちにある。あれをいきなり至近距離で喰らったら、とても避けらんない。
『そうね。
でも、この時点で使って見せてるってコトは、あれが切り札ってワケじゃないんだと思うわ。
となると、第3使徒や第4使徒みたいに武器を隠し持ってるかもしれないわね。油断しちゃダメよ』
『あっうん。そうだね』
見上げる先、天井部が爆発して装甲板が崩落してきた。
『来たわね』
≪アンタなんか居なくったって、あんなのワタシ一人でお茶の子サイサイよ。夜に1人で寝られないようなオコチャマは、そこでおとなしく見てなさい!≫
アスカは一方的に通信を開いてきて、あっという間に切ってしまった。
ゆっくりと降下してくる使徒に対して、弐号機がパレットライフルを斉射する。アスカだからこの距離でも当てられるんだと思う。シンジが出遅れたのは、まだ遠くて当てらんないと自覚してるからでしょうね。
『シンジ、ライフルを2丁、手渡す用意しといて』
『一緒に攻撃したほうがよくない?』
『今の聞いたでしょ? 下手にアスカの前に出ようとしたら、背中から撃たれるわよ』
…想像したらしい。シンジが身震いしたもの。
使徒の着地とほぼ同時に弾切れ、弾倉交換はせずにライフルごと使い捨てた。
初号機が差し出したライフルに、… 一瞬の躊躇。
奪い取るように引っ掴むなり、腰だめに構えて乱射。距離が詰まったので、あんな撃ち方でも結構な集弾率だ。
『次、ロケットランチャー2丁ね』
今度はためらいなく、ランチャーを受け取った。
『ソニックグレイブ、構えて』
初号機がソニックグレイブを抜いて、身構える。
『アスカは周りが良く見えてないわ。使徒の動向に注意して、イザというとき弐号機を護れるのはシンジ。アンタだけよ』
『うん』
弐号機がロケット弾を撃ちつくし、使徒を覆っていた爆炎が晴れた。やっぱり、傷ひとつついてないみたいね。
ぱらぱらと、使徒の両腕がほどけた。長く延びたとはいえ、こちらに届くほどじゃない。…だから油断したんだけど。…あれが、あそこからさらに伸びるなんて、誰が想像できるだろう。
『シンジ、あれ!』
「!っ…」
新体操のリボンみたいにうねった両腕が、弐号機を突き飛ばした初号機を捉える。
…!
「ぐぅっ!!」
左腕と右足を持ってかれた。
シンジの苦鳴は、控えめだっただろう。四肢の半分を一度に失ったにしては。…あまりの痛みに、このワタシですら一瞬気が遠くなったわ。即座に痛覚を切り離す。
≪ シンジ君!! ≫
『バカ!ナンのためにソニックグレイブ持たせてたと思ってんの!』
身を挺してまで護ることはなかったのだ。片腕だけでも無事なら ―最初の奇襲さえ凌いでしまえば、アスカはナントカして見せただろう。
≪ シンジ君、いったん退いて! ≫
「こいつ…、強すぎる!」
シンジの声は、驚愕と苦痛に打ち震えてる。だけど、何かの決意を滲ませて言い切られた。
「くっ!」
足首から先を失った右足を地面に打ちつけ、初号機が踏みとどまる。
≪シンジ!≫
再び開かれた【FROM EVA-02】の通信ウインドウのなかから、アスカ。だけど、シンジに応える余裕がない。
「うわぁぁぁああああああっ!!」
シンジの叫びに呼応してか、初号機が顎部装甲を引き千切る。放った雄叫びごとぶつけるように、己が左腕を奪った凶器に喰らいついた。
『シンジっ!アンタいったい何する気なの!』
≪ シンジ君、命令を聞きなさい!退却よ!シンジ君! ≫
ミサトの声を、無視してるワケじゃないんだろう。あの痛みの中で、そこまで気が回るワケないもの。
もう片っぽのリボンに右腕を絡ませた初号機が、それを手繰るように左脚一本で跳ねた。
その距離を一気に詰めて、ショルダーチャージ。すかさず使徒の腕を絡ませたままの右腕で、使徒の顔を掴み、捩じ上げる。
「…アスカ、早く止めを!」
≪トドメったって、初号機がジャマでコアが…≫
初号機が噛み付いてたリボンが、初号機の頭に捲きついた。右腕に絡みつけたリボンも、逆に絞め返してくる。
「僕ごとで構わないっ!早くっ、あんまり保たない!」
≪…だって、そんな≫
思わず弐号機を見ようとしたんだろう。背後を振り返ったシンジにあわせて、初号機が振り返ろうとしてた。
「早く!このままじゃ無駄死にになる!」
≪死って、…そんなこと≫
メインカメラを塞がれて、プラグ内の映像は解像度が落ちてる。背部監視カメラの粗い画像の中に、尻餅ついたままの弐号機の姿。
『ごめん。生きて帰れたら、いくらでも謝るから…』
「惣流・アスカ・ラングレィ!…君はチルドレンだろ!」
ワタシに、誰かを犠牲にしてでも勝ち抜くなんて覚悟はなかったと思う。自分独りで全てを護れると、無根拠に思ってた。
「君の使命はっ!!…」
通信ウィンドウの中で、アスカがいやいやとかぶりを振ってる。
…!
「がぁっ!!」
とうとう初号機の右腕が絞め潰された。すかさず放たれた光線が、右の手首から先を消し去る。
第3使徒戦をはるかに超える痛みを受け止めてるだろうに、シンジは気絶しない。だから初号機も暴走しないのだろうか?
「ぐぅぅうっ!…アスカ!!!」
≪いっいっ…いやぁ…!≫
シンジの叫びに弾かれるように、アスカがぴくりと跳ねる。視界のぎりぎり端っこで、弐号機が初号機の落としたソニックグレイブを掴んだ。
操り人形のようにぎこちなく立ち上がり、 …弾かれたように駆け出す。
≪いやぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああっ!!≫
初号機の背後、使徒からは死角になった位置から駆け込んできた弐号機が、初号機を刺し貫いた。そのまま初号機の腹を突き抜けた穂先は、その感触からしてあっさりと使徒のコアに滑り込んだのだろう。
…
……
押し寄せる光の奔流に、プラグが真っ白に塗りつぶされた。伴う爆圧で、初号機が吹き飛ばされる。
あっ、いや。なにかが受け止めて、支えきったみたい。…きっと弐号機ね。
≪シンジ、シンジ!≫
『…シンジ?』
≪ シンジ君っ!! ≫
歯を食いしばったままのシンジが、たどたどしく神経接続を切ったのが判った。
****
「ヤだな、またこの天井だ」
『シンジ、気がついたの!?』
「シンジ、気がついたの!?」
初号機を大破寸前まで追い込んだシンジは、シンクロを切った途端に気絶した。すぐさま医療部に担ぎ込まれたシンジに、アスカが付き添ったのは我ながら驚いたわ。
「アスカ…?」
「勘違いすんじゃないわよ。ワタシは、アンタをひっぱたくために待ってたんだからね」
シンジが思わず頬に手をやった。医療部でアスカにひっぱたかれたのは、ほんの昨日のコトだもの。当然かもしんないわね。
「ナンで、あんな真似したの? 返答しだいじゃ、ひっぱたく程度じゃ済まないわよ」
シンジが体を起こす。痛みもないし、特に後遺症とかは出てなさそうだわ。
「…」
しばし正面を眺めていたシンジが、アスカに視線を移した。
「アスカは…、あの使徒に1人で勝てたと思う?」
「あったり前でしょ。あんなの、ワタシにかかればお茶の子サイサ…」
最後まで軽口を叩ききることが出来ずに、アスカが口篭る。シンジの真剣なまなざしが、痛かったのね。
「…そりゃあ少しは苦戦したかも知んないケ…」
自分で自分を誤魔化すようになったら、人間オシマイなのよ。
「…かなり苦戦するかも知…」
自分の観察眼や分析力を否定して、それで護れるプライドなんて…
…
ううん、護るどころか、自分で自分の首絞めてるだけじゃない。
「…斃せなかったわ」
乾いた雑巾を搾って、水を求めるかのように。アスカの声は酷くかすれて、か細かったわ。
「…でも、もう二度と負けらんないのよ、このワタシは」
…
「…何に?」
何より先に、まず拳が飛んできた。
「アンタにっ!決まってんでしょう!!」
あ痛~
シンジが、判っててトボけてると思ったのね。むしろバカにされたと思ったのかも。だから手が出たし、自分の言葉の矛先がシンジだったと思い込んだ。
ううん、あながち勘違いでもないか。1人で使徒を斃すことに拘ったのは、やはりシンジへの対抗心だったからだもの。
「僕!? …僕、アスカに勝ったことなんかないよ」
「アンタたいがいに」
しなさいよ!と襟首掴んで、アスカがシンジを引き寄せた。
「参号機の時だって、その前だって!」
ほとんど頭突きという勢いで顔を突きつけてくる。上目遣いに睨め上げる青い瞳には、殺気すら篭ってただろう。
「参号機の時はダミープラグとかいうヤツで司令部が斃したし、その前のは初号機の暴走だよ!」
え…?って固まったアスカを、やんわりと引き剥がして、シンジが頬を押さえた。
「アスカが来てから、僕1人で使徒を斃したことなんか無いよ」
「…そうなの?」
「そうだよ」
視線を落としたシンジが、…と言うか。って言葉を継ぐ。
「…なんだか、使徒が強くなってきてるような気がするんだ。1人では斃せないくらいに」
「だからって、あんな戦い方!」
微妙に逸らした視線を、アスカに向けた。
「じゃあ…アスカは。一緒に、戦ってくれた?」
「それは…」
シンジのやさしさ。…解かる?
シンジが視線を合わさずにいてくれたから、アンタは今、縛られることなく俯けるの。
それは弱さかも知んないけれど、それが相手のためになるって云うなら、弱かろうが強かろうがどっちでもいいじゃない。
「…参号機と戦った時、ダミープラグってのが動き出して、初号機が勝手に戦いだした」
何を思い出したのか、シンジが握りこぶしを固めた。爪が喰い込んで、ちょっと痛い。
「僕はエヴァを恐いと思ってた。エヴァが嫌いだった。…だけど、リモコンみたいに操られる初号機を感じたとき、何か違うって、これは何か間違ってるって、思ったんだ」
そう細かく発令所からコントロール出来るようには思えないけど、それはまあ、どうでもいいコト。
「もし僕たちが使徒を斃せなかったら、司令部はまたダミープラグを使うと思う」
理解の光を瞳に乗せて、唐突にアスカが面を上げた。
そう。誰に勝つとか負けるとか言う以前に、パイロットそのものがお払い箱になるかもしんないのよ。シンジとは違う理由だろうけど、ダミープラグを使わせるわけには行かないのはアンタも同じことなの。
「…それが嫌だったんだ」
…
シンジの眼差しを正面から受け止めて、アスカの表情は硬い。…だけどもう、やたらとシンジを敵視してた、いままでのアスカじゃなかったわ。
なのに、
「シ…」
…ンジ。と最後まで呼びかけることは出来なかった。
「来たまえ、碇シンジ君。総司令がお会いになる」
唐突にドアを開けた黒服が2人、問答無用でシンジを連れ去ってしまったのだ。
つづく
2008.08.08 PUBLISHED
2008.08.10 REVISED
アスカのアスカによるアスカのための補完 16~最終話
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