この作品は、dragonfly様(Twitterアカウント@dragonfly_lynce
からご提供頂きました。
ありがとうございます。


元々の掲載サイト:http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=all&all=29756&n=0&count=1


自分が書いたLASssを本サイトに載せたいという方からのご応募お待ちしております。
その場合、twitterからご連絡ください。


アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾六話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:12



「なぜ、あのような戦い方をした」
 
ムダに広い司令室の、やたらに立派そうな席に着いて、シンジのパパは指を組んで口元を隠してた。
 
この部屋の広さを目一杯使おうとするかのように、2人の距離が遠い。まるで、そのココロの隔たりをそのまま表しているかのよう。
 
「最初の一撃を受けて、初号機はろくに戦える状態ではありませんでした。だから使徒の攻撃を封じることにしたんです」
 
立場が立場、状況が状況なんだから、口調が事務的なのは当然だと思う。だけど、親子の会話の声音とは、とても思えないわ。
 
皮肉にも、部屋の広さが声を響かせてくれてる。そうでなければ、この距離でこんなテンションの会話、成立しないでしょうね。
 
 
「そもそも弐号機を庇おうとしなければ、そんな状況に追い込まれなかったはずだ」
 
それにしても… 作戦課長を無視して、総司令が直々にパイロットを尋問?
 
「アスカが避けられなかった攻撃を、僕が避けられるはずがありません」
 
シンジが、こぶしを握り締めた。
 
「弐号機が攻撃されている間に、攻撃すればよい」
 
「っ!…」
 
シンジが絶句したのをよいことに、総司令のオコトバが続く。
 
「弐号機パイロットが躊躇ったために初号機の損傷は増した。ならば、庇わずに攻撃したほうが損害は少なかっただろう」
 
確かに、シンジのパパの言う通り。弐号機を見殺しにすれば、トータルでの損耗はもっと少なかったでしょうね。
 
だけど、そんな戦い方をシンジがするワケないじゃない。アンタ、自分の子供のこと、ナンにも解かってないわ。
 
「おまえには失望した。もう会うこともあるまい」
 
「…どういう、意味ですか?」
 
「おまえの登録は抹消する。もうエヴァに乗らなくてもいい」
 
どういうコト? ちょっと初号機の損害が酷かったからって、貴重なチルドレンを解任だなんて。
 
「かっ!勝手だよ!乗れと言ったり降りろと言ったり」
 
シンジのパパが目配せするや、黒服が2人がかりでシンジを引きずり始めた。
 
「父さん!また僕を捨てるのっ!?」
 
必死で手を伸ばすけど、届くはずもなく。
 
「父さん、僕はいらない子供なの?」
 
懸命に呼びかけるけど、ブ厚いドアに遮られて。
 
 
「放してっ!放してください!僕はまだ父さんに話すことが」
 
「仕事なんだ。悪く思わないでくれよ」
 
なんて言った黒服の顔を、飛んできたエナメルのハイヒールが襲った。駆け込んできたミサトが、勢いもそのままに回し蹴りでふっとばす。
 
もう一人のアゴに左腕のギプスを突きつけて、
 
「性分なの、悪く思わないでね」
 
と、急所に膝蹴りを叩き込んだ。
 
あ~イッタそ~!体育の時間とかにシンジも2回ほど打ってるけど、名状し難い痛みなのよねぇ。息が詰まるって言うか。腰が砕けるって言うか。
 
「…ミサトさん。やりすぎです」
 
同感。
 
「え? あっいや、その。だって、シンちゃん、なんか必死だったでしょ。…すわ、一大事と思って…」
 
シンジの嘆息に、なんだかミサトが傷ついたって顔してる。
 
気持ちは嬉しいですけど…。と屈みこんだシンジが、ハイヒールを拾って、履きやすいトコに置いてやった。
 
そもそもアタシはシンちゃんを叱りに来たのよ。なのに救けたげたってのに…。とかなんとか、ミサトがブチブチと呟いてる。…いいトシした大人が、人差し指を突き合わせながらグチ言わないでよ。うっとうしい。
 
 
「あの…大丈夫ですか?」
 
屈みこんだままでにじり寄ったシンジが、急所を蹴られた方の腰の辺りを叩いてやる。
 
「うちのミサトさんがすみません。分別つかなくて申し訳ありません」
 
「シンちゃん、そんなの放っときなさい」
 
たぶん照れ隠しなんだろうけど、ミサトがシンジを引きずりだした。
 
「そんなこと言ったって…」
 
本当にごめんなさ~い。よ~く言い聞かせておきますから~。と声を張り上げるシンジの口を、ミサトが塞ぐのも時間の問題だったわ。
 
『…そいえば、シンジ。パパになんか言いたいんじゃなかったの?』
 
え? 気が抜けた? …あら、そう。
 
 
****
 
 
シンジは明るく振舞ってたケド、思い悩んでいるのは確かだった。口数が極端に減っていたもの。
 
驚いたのは、押しかけるようにミサトのクーペに同乗してきたアスカが、そのままマンションの部屋まで上がってきたことだった。こんな時間まで居るくらいだから、今晩はヒカリんちに泊まるつもりはないんでしょうね。
 
きっと、チルドレンを馘になってしまったシンジが気になるんだと思う。アスカにとっても、思いがけないコトだったと思うもの。とはいえ、さっきの今で声のかけようがあるワケがない。ちらちらとシンジの様子を伺うばかりで、ずっと黙りこくってたわ。
 
レイはいつもの通りだし。
 
おかげで、ひとりでテンション上げようとするミサトの浮くこと浮くこと。憐れを通り越して、ぶざまね。
 
 
早々に自分の部屋に引き上げてきたシンジが、引き戸を閉めた。ほんのわずか隙間を開けてあるのが、痛ましいわ。
 
 
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
 
ベッドに寝転んで裸電球を見上げたシンジの耳に、携帯電話の呼び出し音。
 
♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪… ♪♪♪♪♪♪…
 
のろのろと手にとって、寝返りを打ちながら通話ボタンを押す。
 
≪シンジか? パイロットを辞めさせられたってホントか?≫
 
ってバカケンスケ!? こんの大バカ!このワタシでさえ声をかけづらいってのに!
 
「…相変わらず耳が早いね」
 
てっきり絶句すると思ってたのに、シンジは失笑すらしたようだった。
 
≪……ホントなんだな?≫
 
「そうゆうこと、喋っちゃダメなんだよ…」
 
≪なぁシンジ、お前からもミサトさんに頼んでくれよ。俺をパイロットにしてくれるようにさぁ≫
 
「前に言ったよね。家族に心配かけるから、やめた方がいいって」
 
≪なんでだよ!畜生…、トウジまでエヴァに乗れるって言うのに、俺は!…≫
 
ぶつっ。って音がして回線が途絶えたもんだから、てっきりシンジが切ったもんだと思ったわ。
 
 ≪ この電話は盗聴されています。機密保持のため回線を切らせていただきました。ご協力を感謝いたします ≫
 
つー。と不通音。
 
 
通話ボタンを切ったシンジが、取り落とすように携帯電話を放った。
 
 
 
 …
 
 
 ……
 
 
 
 …バカケンスケのせいで、声をかけづらいったらありゃしない …
 
 
 
 … …
 
 
「…ホントのところ、自分でもよく判らないんだ」
 
『シンジ?』
 
「エヴァに乗らなくてよくなって、嬉しいのか、悲しいのか」
 
 
「もう、あんな痛い目見なくて済む、あんな恐い思いしなくて済むっていうのに、…それが自分の選択の結果じゃないってだけで、なんだか納得がいかないんだ」
 
相槌を差し挟むことすら憚って、ただ聴くことに徹する。
 
シンジが口に出してるのは、自分で自分の考えを反芻するためだと思うから。ただ、誰かに聞いて欲しいだけだと思うから。
 
「それは多分、僕が何のためにエヴァに乗るか、はっきりさせてなかったからだと思う」
 
…えっ?
 
シンジは、パパに褒められることにその理由を見出してたんじゃ…?
 
「…乗らなくていいって言われて気付いたんだ。…僕が考えてたのは、乗せられたことへの言い訳に過ぎなかったってこと」
 
シンジが再び仰向けになる。見上げる裸電球が、なんだか侘しい。
 
「僕が求めるべきは、自ら乗るための動機だったんだと思う」
 
睨みつけるように、目元がしかめられた。いったい、あの裸電球にナニ見てんのかしら?
 
 …
 
 
「ほかの人間には無理だから。って父さんが言った」
 
 
「ミサトさんはそんな気持ちで乗られちゃ迷惑だって言った」
 
 
「アスカは自分の存在を知らしめるために乗るって言った」
 
 
「綾波は絆だから乗ると言った」
 
 
「ケンスケは憧れてるって言ってた」
 
 
「トウジは…、訊きそびれちゃったな…」
 
 
 
  …  「僕は、何のために乗ればいいんだろう?」
 
 
 
 
 ……
 
シンジの独白はとめどなく、けれど答えの出しようもなく続いた。
 
そうこうしてるうちに次第にまぶたが重くなって。って、こらシンジ!ちゃんと着替えてフトンに入んなさい。いくら常夏だからって風邪ひくわよ。
 
こら~!
 
 
 
って!!今のみしりって音、ナニ? 廊下? 誰か居るの!なんでワタシ気付かなかったの!?
 
そうか!バカケンスケからの電話、きっとあれに気を取られてた間だわ!…なんてこと考えてるうちに、忍び足が遠ざかっていった。
 
…間隔からしてミサトの体格じゃないわ。ううん、ミサトがその気になって、気配なんかさとらせるとは思えないわね。
 
レイは、そもそもそんなトコに気が回るワケがない。
 
とすれば、残るはもちろんアスカ。
 
いったいあのコはナニを考えてここまで来て、ナニを思って立ち去ったんだろう?
 
ただ一つ判るのは、厳然たる実績を持つシンジがあっさり馘になったと聞いて、あのコもきっと煩悶してたんだろうってコト。自分たちの立場がいかに危ういモノなのか、今度こそ実感したんじゃないかしら。
 
だからこそ、当事者と話をしてみたいと帰ってきたんだと思う。シンジの部屋の前まで来たんだと思う。
 
なのに、なぜ引き返していったんだろう。ここまで来ておいて臆するなんて、惣流・アスカ・ラングレィの名折れじゃない?
 
 
ううん、違うよね。
 
もし、引き戸の向こうでシンジの言葉を聞いてたんなら、あのコだって想うトコロがあったはず。その上で引き返したってんなら、それはきっと逃げたんじゃないわ。
 
…アスカ。アンタ、ちゃんと考えていたのね。エヴァとかチルドレンとかそう云うことを抜きに、自分と向き合ってきたのね。だからこそ、そこで引き返せる。
 
アンタがどんな答えを見出したのか、それとも、答えを急がないことを選択したのか、それは解かんない。
 
だけど、これでもう。たとえシンクロ率がゼロになったってアンタは壊れたりしないだろうって、それだけは判る。
 
 
…嬉しいわ。とても 
 
 
****
 
 
花束抱えて、ファンシーな柄の紙袋を提げて。
 
 …
 
トウジの後について病室に入ろうとして、シンジがつまづきそうになる。戸口に手をついて、軽く深呼吸。そんなことには気付かずとっとと歩いていったトウジの体の陰から女の子の姿が覗いて、シンジが固唾を呑んだ。
 
「ナツミぃ、加減はどないや」
 
「なんや、ニィやんか」
 
 
見出しようのない答えを求めたシンジは、参考例を求めて、トウジにエヴァに乗った理由を尋ねた。
 
「なんや。たぁ、ご挨拶ゃないかい」
 
「せやかて、みあきたわ」
 
妹の転院のため。って答えを聞いたシンジに、お見舞いに行ってみれば。って提案したのはワタシ。
 
『あれって仲悪いの?』
 
『そういうわけじゃないと思うよ』
 
「…あれ? おきゃくはん?」
 
「せや。わしのツレの、碇シンジや」
 
ベッドの横たわった女の子が、懸命に体を起こそうとする。それを無言で押し止めて、トウジがリクライニングを起こしてあげてた。
 
「碇って…まさか、ニィやんが どついたっちゅうてた、ロボットのパイロットの人?」
 
「せっ…せや」
 
似てない兄妹ねぇ。まぁ、このコにしてみれば似なくて幸いだったんだろうケド。…トウジの妹っていうんで、ちょっと想像が暴走してたわ。
 
なんとかベッドサイドまで歩いていったシンジが、精一杯の笑顔を。
 
「はじめまして、碇シンジです」
 
「はじめまして。鈴原ナツミです。ウチんくのニィやんがなんやヤタケてもうたそうで、ホンマにごめんなさい」
 
トウジの妹が、頭を下げる。口調の真摯さのワリに申し訳程度だったのは、そうしないと突っ伏しちゃうからでしょうね。…確か、半身不随だとか言ってた。
 
「もう済んだことだから、気にしないで」
 
校舎裏に呼び出して、殴ってくれだなんて。男ってホントにバカね。呼び出す方も呼び出す方だけど、受けて呼び出される方も呼び出される方だわ。そこまでしなきゃオシマイにできないってのが、なんとも…ねぇ?
 
「そうだ。これ、お見舞い。…気に入ってもらえると嬉しいけど」
 
シンジが、花束と紙袋を差し出した。紙袋の中には、ヒカリの指導のもとに手作りしたマフィンが入ってるわ。
 
「わあ!おおきに!」
 
受け取った花束に顔を埋めるようにして、香りを楽しんでる。本当に嬉しそうね。
 
「うれしいわぁ♪ウチんくのニィやん、ホンにネムたいお人やから、気ぃの利いたお見舞いなんて期待できひんくて」
 
「なんやてぇ」
 
「なんやのん」
 
にらめっこするみたいに睨み合っちゃって。っていうか、小学生と同レベルで張り合うんじゃないわよ…
 
『…やっぱり仲悪いんじゃない?』
 
『そういうわけじゃ…ないと思うよ』
 
「あっ、せっかくだから花束、活けてくるね」
 
手を差し伸べて花束を受け取ったシンジが、そそくさと病室を後にする。…なによ、シンジも居心地悪くなったんじゃないの?
 
 
 
ナースステーションで花瓶と花鋏を借りてきた。
 
流しに水を溜めて、浸しながら茎を切る。
 
花屋さんにオマカセで作ってもらった花束。いろんな花が取り混ぜてあるけど、この鮮やかな黄色はランタナの花かしら。
 
  一体化した花弁が、まるでジグソーパズルのピースみたいね…
 
 
 
冷たい水に手を漬けたまま、シンジの動きが止まってた。
 
 …
 
『…どうしたの?』
 
我に返ったらしいシンジが、花鋏の水気を切って棚に置く。
 
 
『…ナツミちゃんの足、ぴくりとも動かなかったね』
 
…居心地が悪くなったんじゃなくて、居たたまれなくなったのね。
 
『アンタが悪いわけじゃないでしょ。…それに、トウジだって謝るのはナシって言ってたじゃない』
 
『それは、…そうだけど』
 
水揚げした花束を花瓶に活ける。
 
『…僕がしっかりしてれば、防げたかもしれないかと思うと』
 
『ヤめなさい、碇シンジ』
 
バランスを整えるために差し入れられていた手が、止まった。
 
『あのコの笑顔、見たでしょ。一所懸命に受難と戦ってる。そこへアンタが被害者面して出て行って、どうなるって言うのよ』
 
「被害者って? 僕が!?」
 
こらこら、声に出てるわよ。
 
『アンタがここで出て行けば、相手を傷つけたことで傷ついた、被害者ってコトになんのよ。アンタは謝って気が晴れるかも知んないけど、そんなことされたってあのコのケガは治んないわ』
 
 
 ……
 
   …
 
『…そうだね』
 
シンジが花瓶を抱きかかえた。病室に戻る決心がついたんだろう。
 
 
『あっ、ちょっと待って。10円玉、あったわよね?』
 
『あったけど…なに?』
 
『せっかくのお花だもの、長保ちした方がいいでしょ?』
 
 
 
病室に戻ると、マフィンの入った紙袋を巡って攻防戦が展開されてた。
 
もう食べてしまおうって言うトウジと、シンジが帰ってきてからと主張する妹の間で、熾烈な争奪戦が繰り広げられて… だから、小学生と同レベルで張り合わないでよ。そもそもアンタ、マフィン作る時に同席してて、散々食べたじゃない。それも、ヒカリのお手本を…
 
シンジが花瓶を窓際に置く。
 
「わぁ♪すてきやわぁ。
 さすがに世界をまもるロボットのパイロットはんは、センスがええんやねぇ。
 ウチんくのニィやんとは天地の差ぁやわ」
 
あれ? と、シンジも思ったんだろう。視線がトウジを向いた。
 
向けられたトウジはというと、視線を逸らしてトボけてる。
 
…そっか。アンタ、妹に話してないのね。
 
心配かけさせたくないし、負担だと思わせたくないから。…アンタ、他はともかくお兄ちゃんとしては合格よ。
 
 
 
また来て欲しい。っていうトウジの妹に、今度はもっと大勢で来るね。って約束して、病室を後にしたわ。
 
 
シンジは、何か得るところがあったみたいね。なんだか足取りがしっかりしてるもの。
 
 
****
 
 
ミサトがパスコードをそのまんまにしておいてくれたから、ケィジまで来るのは簡単だったわ。
 
弐号機も零号機も搭乗が済んで、出撃を待つだけになってる。
 
弐号機のレンズが焦点変えたのは、キャットウォークを走るシンジに気付いたからでしょうね。
 
≪アンタ、なんで…≫
 
エヴァの外部スピーカーは、この距離では雷鳴のようだわ。思わず耳を塞いだシンジの、足が止まる。
 
   ≪ 零号機発進、超長距離射撃用意 ≫
 
その爆音が、ケィジのスピーカーによって遮られた。
 
   ≪ 弐号機、アスカは、バックアップとして発進準備! ≫
 
 ≪バックアップ? ワタシが? 零号機の?≫
 
外部スピーカーの音量、下げなさいよ。シンジの鼓膜が破けちゃうじゃない。
 
   ≪ そうよ、後方に廻って ≫
 
耳を押さえたシンジが、早くケィジから退散しようと再び走り出す。
 
≪こら!バカシンジ。逃げんじゃない!≫
 
なんて音波をシンジの背中にぶつけてる間に、零号機が発進してしまった。
 
 
 
≪アンタがそんなトコうろちょろしてるから、ワタシの出番が奪われちゃったじゃない!≫
 
結局ケィジから逃げ出すことは叶わず、こうしてアスカの怒りの捌け口にされてしまった。
 
「僕のせいじゃないと思うなぁ…」
 
≪ナンか言った!?≫
 
びしゃっ。と打ちつけるような音の暴力に、シンジの全身が総毛立つ。
 
「…なんでもありません」
 
≪…だいたい、なんでアンタこんなトコに居んのよ≫
 
腕組んで見下ろしてるアスカの姿が、目に見えるようだわ。
 
「だって、使徒が来てるんだよ?」
 
≪それで? 心配して来て下さったって言うの≫
 
うん。って頷いたシンジが、手すりに映りこんだ弐号機を見つめる。
 
≪はんっ。アンタなんかに心配されるだなんて、このワタシもヤキが回ったわね~≫
 
 
「だって…」
 
≪なに?≫
 
こんな小さな呟き、よく拾ったわね。エヴァの外部マイク。そこまで性能良かったかしら…?
 
「心配なんだから、仕方ないじゃないか」
 
きっ。と見上げた視線はまっすぐに弐号機を見据えて、ゆるぎない。赤い巨体が、心なしかたじろいだように見えたわ。
 
 …
 
アスカがどんな反応をするか、とっても興味があったけど、それどころじゃなくなった。
 
ワタシが良く知ってる光が、こともあろうにシンジに降り注いできたのだ。
 
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 
シンジを照らした光は体の表面で解けると、細い針金のようになって侵入してくる。
 
痛みはない。痛みはないケド、自分の殻をむりやり剥がされるような不快感は、心が直接感じているとでもいうの?
 
体中の毛穴という毛穴から侵入した針金は体内をまさぐりながら中心部を目指してる。あらゆる感覚が薄れつつある今、それは肉体的な意味合いじゃないわ。
 
 
   ≪ 敵の指向性兵器なの? ≫
 
    ≪ いえ。熱エネルギー反応無し ≫
 
周囲の音が遠い。
 
    ≪ 零号機に異常無し。攻撃手段ではない模様 ≫
 
   ≪ いったい使徒は何がしたいの? ≫
 
まずい。シンジが攻撃されてるってコト、発令所が認識してないわ。
 
 
…暗闇の中、差し込む光芒。圧迫と開放。まだ開かないまぶたの上から襲いかかる暴力的な光の渦。周囲から失われた温もり。…奪われた安寧。
 
いきなり見せ付けられたのは、この世に生まれたときの苦痛だわ。楽園から放逐されたことへの絶望…ってヤツ?
 
…なにこれ? 使徒は何でこんなものを…
 
 
 ≪ アンタたちナニやってんの!ここよ、ここ!ケィジでシンジが襲われてんの!! ≫
 
   ≪ なんですってぇ! ≫
 
    ≪ エヴァに乗ってない。無防備なパイロットを狙ったっていうの!? ≫
 
 
次に見せつけられたのは、ガラスシリンダーの中に消えてゆく女性の姿。見下ろす窓に押し付けられる手は幼いもので、…あーたん? あーたんって、もしかしてお母さん? あれ、シンジのママなの!?
 
置き去りにして去っていく背中。…あれってシンジのパパ?
 
妻殺しの子だと、なじる声。
 
 
…ワタシ、シンジの過去を見てるの?
 
 
    ≪ 使徒が心理攻撃? まさか使徒に人の心が理解できるの? ≫
 
   ≪ 光線の分析は!? ≫
 
    ≪ 可視波長のエネルギー波です。ATフィールドに近いものですが、詳細は不明です ≫
 
 
砂のピラミッドを蹴り崩す、足。
 
3年前の墓参り。逃げ出したあとの後ろめたさまで、ワタシの心に湧き上がらせて。
 
初めて第3新東京市に来た時の思い出が、飴玉をしゃぶるように丹念に再現されてる。
 
トウジに殴られた、痛み。
 
エントリープラグに2人を乗せた時の、不快感。
 
 
 ≪ 冗談じゃないわよ…エヴァ弐号機、発進します! ≫
 
    ≪ アスカ! ≫
 
   ≪ いいわ、ポジトロン・スナイパーライフルを出して ≫
 
 
レイと話してる、シンジのパパ。
 
 ミサトのカレーの、味。
 
  レイに叩かれた、驚き。
 
 荷電粒子砲の、熱。
 
溺れた時の、苦しみ。
 
 第12使徒に呑みこまれた時の、心細さ。
 
 
ガラクタを掘り分けるようにシンジの記憶を食い散らかした光の針が、奥底に沈んでいた獲物に手をつけた、その時だった。
 
 
    ≪ 第7ケィジにて エヴァ初号機起動!! ≫
 
   ≪ そんなバカな!シンジ君は!? ≫
 
急に襲ってきた揺れに、シンジのまぶたが緩む。
 
    ≪ 第7ケィジです。確認済みです ≫
  
   ≪ 初号機に乗ったの? ≫
 
眼前に…3本の柱? …むらさき、色の?
 
    ≪ 初号機は無人です、エントリープラグは挿入されていません! ≫
 
    ≪ 左腕の拘束具を引きちぎっています! ≫
 
いや、これって初号機の指ぃ!? 手のひらをキャットウォークに叩きつけるようにして、シンジに手を差し伸べたっていうの? あっぶないわねぇ、一歩間違えればシンジ潰れちゃってるわよ。
 
    ≪ まさか、ありえないわ!停止信号プラグが挿入されているのよ。動くはずないわ! ≫
 
    ≪ パルス消失!停止信号、拒絶されてます! ≫
 
 
…確かに、使徒の光の圧力は減ったけど…
 
 
 
白い闇の中から、子供の泣き声が聞こえてくる。
 
歩み進む先に、小さな人影。
 
泣いてるのは、幼い男の子。…それがシンジだって、すぐに判ったわ。
 
目前まで歩いていって、しゃがみこむ。
 
「こ~ら。男の子がそんなに泣くもんじゃないわよ」
 
頭を撫でてやると、泣き腫らしたまぶたを上げて、見つめてきた。
 
「…おねぇちゃん、だれ?」
 
「ワタシ? ワタシはアスカ。惣流・アスカ・ラングレィ」
 
視界の隅に見覚えある色の髪が流れていたから、ためらいなく言い切ったわ。
 
「あすか…おねぇちゃん?」
 
「そうよ。それで、アナタはだあれ?」
 
もちろん、知ってるケドね。
 
「いかり…いかりシンジ」
 
「そう。それで、そのシンジはどしたの?」
 
一度は止まってた涙が、またぽろぽろと…
 
「ぼく…いらないコなの…」
 
火がついたようにって言うのは、こういうことなのかしらね。なにものをも憚らずに、こんな風に泣けたら、ワタシももっと楽だったのかもしれないわ。
 
「こ~ら、そんなに泣かないの」
 
心まで埋まれ。とばかりに、力いっぱいに抱きしめてやる。ワタシが泣くのを我慢してた時、つまんない慰めなんかかけるより、こうしてむりやり抱きしめてくれる人が居れば、…すがりついてでも抱きしめて貰いたい人が居れば、ワタシはもっと素直になれただろうに。
 
とんとんと、背中を叩いてやる。こんなこと誰にもされたことないのに、なぜこうしてやるべきだとワタシは思ったのかしらね?
 
 ……
 
 
「シンジみたいに捨てられた女の子と逢ったことがあるケド、そのコは泣いてなかったわよ」
 
 
「…ホントに?」
 
「ええ。ワタシは、嘘はつかないわ」
 
他ならぬ、自分のことですもの。
 
「…」
 
ぐしゅぐしゅと、一所懸命にすすり上げてる。
 
「そのコ、つよいコなんだね」
 
「…そうかしら? 弱いから、泣くことも出来ないのかもしれないわ」
 
やさしくチビシンジを引き剥がすと、泣いてたことなど忘れたかのようにぽかんとしてる。
 
「…よわいのに、なかないの?」
 
「たぶんね」
 
 
その小さな頭の中で、なにをそう一所懸命に考えているのだろう。必死に眉根を寄せてた。
 
…いや、幼いからといって何を侮ることがあるだろうか。ワタシだって幼いなりに考えたし、悩んだわ。子供だから無憂だ。幼いから無邪気だ。なんてのは、子供だったコトを忘れてしまった大人の傲慢だもの。
 
 
「…そのコと、あいたい」
 
「そう? …そうね。シンジが泣かないようになれば、逢えるわよ」
 
自分でも眼差しがやさしいのが判る。弟って、こんな感じかしら?
 
「…なかないように、なれば?」
 
「ええ、きっとね」
 
ぐしぐしと目元を拭って、涙の跡を消そうとしてる。
 
「ぼく…がんばる」
 
「そう? じゃあ、いつかきっと逢えるわ」
 
 
あれ? 白い闇が薄れて…きた?
 
「…もう時間みたいね」
 
「あすかおねぇちゃん、もうおわかれなの…?」
 
立ち上がったワタシを見上げるチビシンジの目に、また涙。
 
「こ~ら、もう泣かないんじゃなかったの?」
 
涙は止めどようもないケド、懸命に拭ってる。
 
「よしよし。泣かないで前をしっかり見てれば、また会えるわ」
 
がしがしと頭を撫でてやって、にっかりと笑ってやる。
 
「またね、シンジ」
 
「うん、またね。あすかおねぇちゃん」
 
チビシンジが、むりやり笑顔を作った。
 
 
 
 
    ≪ 加速器、同調スタート ≫
 
戻ってきた視界は狭くて、ひどく霞んでる。シンジはまだ、意識を取り戻してないのね。
 
    ≪ 電圧上昇中、加圧域へ ≫
 
キャットウォークとは反対側、ケィジの奥のほうに丸く切り取ったような闇があった。
 
    ≪ 強制収束器、作動 ≫
  
    ≪ 地球自転および重力誤差修正0.03 ≫
 
LCLや空気、固定されてない軽い物が、その闇に吸い込まれていってる。
 
    ≪ 超伝導誘導システム稼動中 ≫
 
    ≪ 薬室内、圧力最大 ≫
 
シンジは何かに守られてるのか、髪の毛の一本すらそよいでないみたいだケド。
 
    ≪ 最終安全装置、解除 ≫
 
    ≪ 解除確認 ≫
  
闇に突っ込まれた初号機の腕が、なにか光り輝くモノを鷲掴みにしていた。
 
    ≪ すべて、発射位置 ≫
 
闇の中、光り輝くモノの向こうに見えるのは、…月? じゃあ、あの闇って宇宙空間で、光ってんのは使徒? エヴァって、こんな真似も出来るの!?
 
   ≪ 撃てぇい! ≫
 
 ≪ いっけーーーー!! ≫
 
聞こえるはずのない破砕音をシンジの耳に残して、使徒の中心部が潰れる。
 
不機嫌そうな唸り声を転がして、初号機が闇から右腕を引き抜いた。
 
抉りきるように捻った指先は、まだ引き絞られたカタチのまま。まるで力を振るい足りないとでも云うように震えていて、なんだか怖い。
 
 
蒸発する水溜りのように縮んでいく闇の中で、使徒の残骸が青白い光線に貫かれた。
 
 
                                         つづく
2007.08.15 PUBLISHED
2007.08.22 REVISED

 アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾七話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:13



「ヤだな、またこの天井だ」
 
「シンジ、気づいたの!?」
 
覗き込んできたアスカの顔を認識したらしいシンジが、くすりと笑った。
 
「なっなによ…」
 
「ごめん。なんだか最近、こんなんばっかりだなって思ったら、つい」
 
起き上がろうとしたシンジを押し止めて、アスカがリクライニングを起こす。
 
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたコトじゃないわよ。だって。…なんだかこのコ、ずいぶんと余裕があるわね。
 
「使徒は?」
 
「ワタシが出て、ちょちょいと斃してやったわよ」
 
胸を逸らして誇らしげに、アスカ。
 
零号機のポジトロン20Xライフルは届きもしなかっただろうし、傍目には弐号機が斃したように見えただろう。
 
司令部が、初号機の動向をどこまで把握しているか判んないケド、敢えて訂正する気はないみたいね。
 
「そっか、さすがだね」
 
「はんっ!あったりまえでしょう♪」
 
実に機嫌よさそうに、髪を梳き流してる。…まっ、水を注すこともないでしょ。
 
「それで、アンタはどうだったのよ。使徒の攻撃」
 
…うん。とシンジが視線を下げた。
 
「僕がいらない子供だってこと、思い知らされたかな…」
 
どういうことよ。と訝しげに、アスカが身を乗り出してくる。
 
「あの光の中で、どんどん昔のことを思い起こさせられたんだ。僕が憶えてないようなことや…、忘れたいと思ってることまで…」
 
どんどん小さくなっていっちゃう声を、意外なことにアスカがガマン強く拾ってた。
 
「3歳くらいの時だったかな。一度父さんに捨てられてるんだ。泣くことしか出来ない僕を、置き去りする背中…」
 
…思い出したくなかったな。と、シンジがシーツを握りしめた。
 
「手紙の一通で呼び出されたかと思ったら、用件はエヴァに乗れ。だけだった…。僕がたまたまエヴァに乗れたから、利用できるから呼んだだけなんだ…」
 
「…シンジ」
 
自ら親を捨てたと思ってるワタシに、シンジの気持ちは理解できないのかもしれない。…でも、想像することぐらいは出来るはず。同情してあげられるだけの余裕が、今のこのコにはあると思えるもの。
 
シンジの視界の隅に、椅子に座ったアスカの膝が見える。その上に載せられた両手が、しきりに握り直されてた。
 
 
これ以上何も言えなくなったシンジと、何を言っていいか判らないアスカの間にしじまが降りて、重い。
 
… 
 
 ……
 
   …
 
「ああもう、シンキくさいっ!」
 
手のひらを閃かせたアスカが、シーツを掴んだシンジの手をはたく。
 
ぺちっ、と間抜けな音。痛くない。
 
盗み食いを見つけた母親が子供を叱るとすれば、こんなたたき方かもしれないわね。
 
「いい歳して、親も子もないでしょ。今のアンタに、パパなんて存在がどんな意味があるってんのよ。捨てなさい捨てなさい、そ~んなモンこっちから捨てっちゃいなさい」
 
 …
 
目を見開いてアスカを見ていたシンジが、…そうだね。と微笑んだ。
 
そしてふと、眉根を寄せた。
 
「ねぇ、アスカ。…もしかして、僕の夢の中に出てきた?」
 
「はぁ!? ワタシが? なんでアンタの夢なんかに」
 
う~ん。と、シンジが首をひねる。
 
「使徒の攻撃の最後のほうで…、アスカに良く似た女のヒトが出てきて、僕を慰めて、励ましてくれたような気がするんだ…」
 
ワタシに良く似たオンナノヒト~? って、胡散臭げにアスカが見てる。
 
それにしても女のヒトって…。…もしかしてシンジが子供だったから、ワタシが大人に見えたのかしら? …ていうか、ワタシ名乗ったんだけど…、…忘れたのね。 むぅ…
 
「微妙に雰囲気が違っていたような気もするから、アスカじゃないのかも」
 
「あったり前でしょ。なんでワタシがシンジの夢の中まで…、…って、アンタそうやって今までもワタシを勝手に夢に出して、アンナコトやコンナコトさせてたんじゃないでしょね!?」
 
病衣の袷せを掴んで揺すぶって。
 
「してない!してないよっ!」
 
「エッチ!チカン!ヘンタイ!!信じらんない!!」
 
肖像権侵害で訴えてやるぅ!!って、なにも涙目で迫んなくても…
 
 …
 
際限なく揺すぶられて、シンジが目ぇ回しちゃった。薄情にもアスカが手を離すもんだから、くたくたとリクライニングに沈み込む。
 
 
ドアの開く音。
 
「シンジ君が目を覚ましたって連絡受けて来たんだけど…。誤報だったみたいね」
 
「リツコ…、なによ?」
 
アスカの声が硬い。訪問者がリツコじゃ、仕方ないか。
 
「問診を兼ねて、シンジ君から聞き取り調査を、と思ってね」
 
「あっそ!」
 
かつかつとヒールを鳴らして近寄ってきたらしいリツコが、シンジの手をとった。…のだと思う。視界がまだ、ちょっと不思議なまるでメリーゴーラウンドだもの。
 
「不整脈はなさそうね」
 
片目だけ眩しくなったのは、多分リツコがペンライトで照らしてるから。
 
瞳孔の散大もなし。とリツコが呟いたあたりで、シンジの視界が治ってくる。
 
「あ…、リツコさん」
 
「気分はどう? シンジ君」
 
ちらり。とアスカを見やったシンジが、睨まれてリツコに向き直った。
 
「…悪くないと思います」
 
「それは結構」
 
 
 
リツコの聴き取り調査ってヤツは、小一時間は続いたと思う。
 
わずか数分の出来事を、微にいり細をうがち、質問の仕方を変えて何度も聞き出そうとするのだ。それはもう、根掘り葉掘り。
 
今なら多分、シンジよりもリツコのほうが状況を把握してることだろう。
 
「ところで、シンジ君?」
 
「なんですか?」
 
いいかげん気疲れして、シンジの口調に力がない。
 
「その時のケィジの様子、憶えてて?」
 
「ケィジ…ですか?」
 
『憶えてる?』
 
さあね。ってトボけちゃった。シンジが知らないことを、リツコに教えてやる義理はないと思うもの。
 
「ケィジ…って、監視カメラあんじゃない。わざわざシンジに聞くようなコト!?」
 
アスカの機嫌が悪いのは、シンジに付き添って待ちくたびれたからでしょうね。もちろん誰も、そんなこと頼んでないわ。むしろリツコは追い出そうとしたんだけど。
 
それがねぇ…。と、リツコが溜息ついた。
 
「使徒の発した光でハレーション起こして記録画像は真っ白だし、初号機が張ったATフィールドは光波、電磁波、粒子まで遮断していて何もモニターできなかったのよ」
 
疲れたような苦笑は、シンジから有益な情報が得られるとは思っていなかった。ってコトだろう。藁をも掴むようなってヤツね。
 
「…あれぇ? リっちゃん、まだ居たのかい?」
 
ドアを開けると同時に、そんな頓狂な声を上げたのは、加持さん。小脇にスイカを抱えてる。
 
「加持さ~ん♪」
 
「病み上がりのシンジ君相手に、ちょっと長くないかい? とっくに終わってると思ってたんだが…」
 
黄色い声を上げるアスカにウィンクだけ返して、加持さんが腕時計を確かめてみせた。
 
「あら、そんな時間? …ホントに。シンジ君ごめんなさい、疲れたでしょ」
 
「…いえ、大丈夫です」
 
こちらも腕時計を確かめたリツコが、案外きちんと頭を下げてくる。思春期相手の扱い方はイマイチだけど、対等な個人同士の付き合い方、という点はきっちりしてるのね。これで失礼するから、ゆっくり養生してね。だって。
 
「アスカ。済まないがコレ、頼む」
 
「え~!? ワタシが~!加持さんは~?」
 
大股に病室を横切った加持さんが、アスカにスイカを手渡す。
 
「滅多に捕まらない赤木博士とご同道できる機会を、見逃す手はないんでね」
 
「あら、私?」
 
入れ替わるように出て行こうとしてたリツコが振り返った。
 
「ああ。最近なぜかアルバイトの方がさっぱりでね。本業に身を入れようと思うんだが…、その口添えをしてもらおうって思ってね」
 
「「あやしいわね」」
 
異口同音の言葉はしかし、同音異義でもあったっぽい。
 
「そんじゃ、アスカ、シンジ君。そうゆうことでスマン」
 
後ろ向きにリツコを追いかけていった加持さんが、片手で拝みながら病室をあとにした。
 
 
 
「シンジ、スイカ食べる?」
 
抱きかかえたスイカを持て余すように、アスカ。
 
意外なことに、シンジの視線は釘付けにはならなかった。かといって、あからさまに逸らすこともない。
 
…シンジの中で、何かが変わったんでしょうね。
 
「それ、冷えてないよね。食べきれないだろうし、ナースステーションで冷やしてもらっておいて、お裾分けしようよ」
 
「そうね。持ってってくるわ」
 
ありがと。って言うシンジから微妙に視線を逸らして、たいしたことじゃないわよ。だって。…やっぱりこのコ、余裕が出てきてるみたい。
 
 
****
 
 
「後15分でそっちに着くわ。弐号機を32番から地上に射出、零号機はバックアップに廻して」
 
ミサトのクーペに乗せてもらって、ジオフロントに急行中。
 
「…そう、初号機は碇司令の指示に。アタシの権限じゃ動かしようがないわよ。じゃ、…」
 
人間の都合でパイロットを馘にしても、使徒がそれを斟酌してくれるワケがない。ってのが、前回の使徒戦で作戦部が学んだ教訓らしい。
 
もしあれがケィジじゃなくて、たとえば第3新東京市のシェルターだったりしたら、シンジを救けに行くために初号機が本部棟を破壊したかもしれなかったわけだ。
 
なら、下手にシンジを初号機と引き離すべきじゃない。ってことで、本部棟で戦闘待機ってことになったんだって。
 
「使徒を肉眼で確認…か…」
 
ミサトの呟きはなんだか淡々として、いっそなげやりにすら聞こえる。でも、その心の裡は裏腹なんじゃないかって思うわ。だって、この道路に入って以来、その光のリングはずっと見えてたんだもの。 
 
 
****
 
 
  ≪ エントリースタート ≫
 
  ≪ LCL電荷 ≫
 
  ≪ A10神経接続開始 ≫
 
バックアップに廻されるはずだったレイと零号機は、司令の鶴の一声で初号機の起動に廻されてた。
 
  ≪ パルス逆流 ≫
 
  ≪ 初号機、神経接続を拒絶しています ≫
 
  ≪ 起動中止。レイは零号機で出撃させろ。初号機はダミープラグで再起動 ≫
 
だからアスカは今、孤立無援で使徒と対峙している。
 
 
  ≪ アスカ!応戦して! ≫
 
  ≪ 駄目です!間に合いません ≫
 
ケィジから壁一枚隔てた更衣室。イザと言うときに初号機がシンジを守ろうとしても被害が少ないってことで、ここで待機するよう言い渡された。
 
 
  ≪ 目標、弐号機と物理的接触! ≫
 
  ≪ 弐号機の、ATフィールドは? ≫
 
  ≪ 展開中、しかし、使徒に侵蝕されています! ≫
 
  ≪ 使徒が積極的に一次的接触を試みているの? 弐号機と… ≫
 
ミサトの計らいで、現状は掴める。
 
だけど、皆の苦境を、ただ聴かせられるだけってことが、どれだけ苦痛か。
 
 
  ≪ 危険です!弐号機の生体部品が、侵されて行きます! ≫
 
  ≪ エヴァ零号機、発進。アスカの救出と援護をさせて! ≫
 
  ≪ 目標、さらに侵蝕! ≫
 
  ≪ 危険ね、すでに5%以上が生体融合されているわ ≫
 
特にそうしろ。って言われたわけじゃないケド、シンジはプラグスーツに着替えている。ベンチに腰かけ、見つめるのは床。
 
 
  ≪ レイ、後300接近したらATフィールド最大で、パレットライフルを目標後部に撃ち込んで!いいわね? ≫
 
   ≪ …了解 ≫
 
  ≪ エヴァ零号機、リフトオフっ! ≫
 
モニターには、一度も目をやっていない。だけど、力の限りに握り締められたこぶしが、逃げてるわけじゃないってコトをワタシに教えてくれる。
 
 
  ≪ 目標、零号機とも物理的接触! ≫
 
  ≪ 両方とも取り込もうっていうの! ≫
 
シンジは、使徒出現って聞いてから、ひと言も喋ってない。…相談もない。
 
こういう時のシンジが重大な決断をしようとしていることを、ワタシは知っている。
 
 
  ≪ 初号機の状況は? ≫
 
  ≪ ダミープラグ搭載完了 ≫
 
  ≪ 探査針打ち込み終了 ≫
 
  ≪ コンタクト、スタート ≫
 
  ≪ 了解 ≫
 
  ≪ パルス消失。ダミーを拒絶。ダメです、エヴァ初号機起動しません ≫
 
 
『…逃げちゃ、ダメだ』
 
とうとう、シンジが立ち上がった。
 
叩きつけるようにドアのスイッチを押して、ケィジに向かって走り出す。
 
 
『…逃げちゃダメだ』
 
…シンジ。
 
『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』
 
短い距離を全力疾走して、シンジの息がすぐさま上がる。
 
  ≪ ダミープラグ拒絶。ダメです、反応ありません ≫
 
 ≪ 続けろ、もう一度108からやり直せ ≫
 
アンビリカルブリッジの真ん中に辿り着いたとき、聞こえてきたのはシンジのパパの声だった。
 
「乗せてください!」
 
『逃げちゃダメだ、自分から… 自分の出来ることから』
  
膝に手をついて、はずむ息を押し込んでいく。
 
「僕を、 僕を… この… 初号機に乗せてください!」
 
声を限りに張り上げたシンジが、コントロールルームを見上げた。
 
「…父さん」
 
そこに居るのが自分のパパだと気付いて、少し、シンジが戸惑ったのが判る。眉尻が少し下がったもの。
 
『逃げちゃダメだ、父さんから …父さんの影から』
 
見下ろしてくるシンジのパパ。どんな顔してんのか、この距離ではさすがに判んないわね。
 
 ≪ …何故ここにいる ≫
 
『…逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!』
 
何かを掴みとろうと開かれた右手から、瞬く間に力が抜ける。それを何度も繰り返して、シンジは…
 
『逃げちゃダメだ。…じゃ、ダメだ!』
 
そのこぶしに何を掴み取ってか、力いっぱいに握りしめて。喰いこんだ爪の痛みすら総動員して、シンジは自分の存在ってモノを確認してるようだった。
 
『逃げないだけじゃ、流されてるだけなんだ。進まないなら、逃げてるのと変わんない。自分で進まなきゃ、自分から進まなきゃ、そのために…今は!』
 
そう。それがアンタの答えなのね。シンジ…
 
「僕は、僕は… エヴァンゲリオン初号機のパイロット、碇シンジです!」
 
 
****
 
 
『気をつけて。多分すぐに来るわよ』
 
『うん。判ってる』
 
初号機が地上に出た。
 
正面に零号機と弐号機。その背中からは茶色いオブジェが生えている。…あれは、いままでにやってきた使徒の姿!? 侵蝕がのっぴきならないところまで進行してるってコト?
 
≪ ATフィールド展開、2人の救出急いで! ≫
 
「はい!」
 
パレットライフルを構える間もなく、光る紐のような使徒が襲い掛かってきた。両端を弐号機と零号機に埋めたまま、伸び上がるようにしてその中間部分を延ばしてきたのだ。
 
もちろん、今のシンジに油断はない。横っ飛びに跳ねて一回転。距離をとってパレットライフルを撃ち込む。…だけど、効いてそうにない。
 
こちらの一斉射が終わるのを見計らったように、ねじ込むようにして使徒が突っ込んできた。予測し難い軌道を描いた一撃を、かろうじて初号機の左手が掴み取る。すかさず右手を添えるが、接触部分から即座に侵蝕を図ってきた。
 
初号機に浮かぶ葉脈が、シンジの腕をも遡ろうとする。
 
≪シンジ君、プログナイフで応戦して≫
 
ミサトの指示に反射的に応じて、シンジが右手に装備したナイフを振り下ろした。
 
≪≪きゃぁぁぁあああああぁぁぁぁ!≫≫
 
いったいドコに発声器官があるというのか、使徒のくせに赤い血を噴き出しながらのたうつ。
 
「「「 イタイ… イタイワ… イカリクン 」」」
 
シンジの左手に湧き出した小さなレイが何体も、その虚ろな眼窩で見上げてくる。
 
「「 イタイジャナイノヨ…バカシンジ 」」
 
初号機の掴んだ先が沸き立つようにアスカの姿をとったかと思うと、実に嬉しそうな顔して取り付いてきた。
 
うふふ、あはは…。って笑い声がドコからともなくさざめいてきて、恐い。…って、ワタシが恐がっててどうするってのよ!
 
『シンジ!誑かされちゃダメ。これは、使徒よ!』
 
唇を噛みしめたシンジが、プログナイフを握りなおした瞬間、魂消るような絶叫を残して使徒が引き摺られていった。
 
  ≪ ATフィールド反転、一気に侵蝕されます! ≫
 
その先は、零号機。使徒を呑み込むにつれて、その背中のオブジェが小さく、腹部が醜く肥大化していく。
 
  ≪ 使徒を押え込むつもり!? ≫
 
そういえばあの時、レイは…
 
『シンジ。レイは自爆する気よ!』
 
『ええっ!?』
 
引き抜かれていく使徒に引き摺られるようにして、弐号機がたたらを踏んでいる。
 
張り詰めた腹部を抱え込んだ零号機が、臨月の妊婦のように喘ぐ。だけど、抱えてるのは汚らしく肥大化した瘤にしか見えない。
 
  ≪ フィールド限界!これ以上は、コアが維持できません! ≫
 
  ≪ レイ、機体は棄てて、逃げて! ≫
 
≪ダメ。私がいなくなったらATフィールドが消えてしまう。だから、ダメ…≫
 
発令所経由のその言葉は、酷く小さかったのに、なぜかはっきりとシンジの耳を打つ。
 
『ほら!』
 
言ったときには、初号機は駆け出していた。
 
『…どうしよう』
 
ってアンタ。考えなしにツッコンでんの? …ほんとバカね。
 
『タイミング合わせてプラグを引っこ抜くわよ。参号機ん時の要領、思い出しなさい』
 
『解かった』
 
横たわった零号機の背後に廻りこんだ初号機が、駆けつけた勢いそのままに延髄の装甲板を剥がす。
 
『タイミングはワタシが合図する。アンタは零号機を押さえつけといて、引っこ抜く準備』
 
『うん』
 
齧り取られるように瘤が潰れていく零号機の向こうに、弐号機。よろけながらもこちらに向かってきている。
 
  ≪ コアが潰れます、臨界突破! ≫
 
何かに引かれるように立ち上がった零号機が、使徒を取り込んだせいか、白くなった。色を奪われてその本質を見失ったとでも云うように、その特殊装甲ごとカタチを変える。延髄に注視するシンジは気付いてないみたいだけど、それはまるで、人の姿。
 
…赤ん坊がナニかを求めるような声? どこから?
 
『シンジっ!!』
 
初号機が、両の貫き手をプラグの両サイドに突き入れた。おそらく、それでどっかのロックが外れたかしたんだろう。途端にプラグが排出される。
 
今の、天使の輪っかみたいなの、ナニ?
 
 …
 
引き抜いたプラグを抱え込むのと、零号機が爆発したのは、ほぼ同時だったと思う。間一髪だったわ。
 
 
****
 
 
「綾波っ!」
 
こじ開けるように救出ハッチを跳ね上げて、シンジがプラグ内を覗きこんだ。
 
「大丈夫か!」
 
シートの上にファースト。ぐったりとして…
 
「綾波!」
 
うっすらと目を開けたファーストが、頭を起こす。
 
「…私をプラグから連れ出してくれるのは、いつも碇く…」
 
レイの呟きは、最後まで言い切ることが出来なかった。
 
「…」
 
プラグ内に乗り込んだシンジが、その頬を信じらんないくらい力いっぱいはたいたから。
 
 
「…痛いわ」
 
「当然だよ!それが生きてるってことなんだから!!」
 
…生きてる? 頬を押さえながらそう呟くレイは、いま初めてそう知ったと言わんばかりに呆然としてる。
 
 
「…こんなに痛いのに、なぜヒトは生きていかなかればならないの? 」
 
「そんなこと僕に訊かないでよ!誰も知らないよ、そんなのっ!だからみんな生きる意味を探してんじゃないか!」
 
…探して? と小首を傾げるレイに、そうだよ!とシンジ。ずいぶんとヒートアップしてるわ。
 
「僕らがエヴァに乗る理由を求めてるように、誰もが生きる理由を求めてるんだよ!それをっ!!綾波はあんなにあっさり!…」
 
…私が死んでも…。と開いた口は、即座に黙らされた。思わずシンジが手を振り上げたのだ。
 
「死ぬ時は、きっとそんな痛みじゃ済まないよ」
 
振るうことのなかった平手を握りしめて、プラグの内壁を叩く。激しくはない。だけど、篭められ続ける力に、こぶしの震えが止まらなかった。
 
「その痛みを受け入れられるほどの理由を、綾波は持ってるの…?」
 
感極まったんだろう。シンジが目頭を押さえる。でも、熱いものは止めらんない。
 
…生きてる、理由…。レイの呟きは酷く小さかったけれど、シンジは応ずるように口を開いた。
 
「ミサトさんは復讐のために…」
 
「加持さんは、他人を知るためだって、教えてくれたような気がする」
 
思い出を掘り返すようにひとつひとつ…って、つい最近、掘り起こされたばっかしだったわね。
 
「父さんだって…、忘れてはならないコトを教えてくれたヒトの想いに応えるためにって、言おうとしたんだと思う」
 
ぽとぽたと、シンジの涙がLCLを叩く。それが心のドアをノックしてるとでも云うかのように、レイの口元がほころび始めたような気がするわ。
 
「みんな違うのは、誰も自分で探した結果だからだよ」
 
…自分で、探す。視界が滲んで、もうレイの表情は窺えない。だけど、アンタが何か決意したって、解かるような気がする。
 
 
「なにやってんのよ?」
 
救出ハッチの方から、アスカの声。
 
「ちょうどいいとこに。アスカもこのバカ、一発はたいてやってよ」
 
あっらー、こりゃシンジか~なり怒ってるわ。なんたってレイのことをこのバカよ、このバカ。カンシャク起こして声を荒げることはあっても、直截に相手を罵るなんてこと、ほとんどしないのに。
 
そうね。って乗り込んできたアスカに場所を譲るようにインテリアの向こっ側に移ったシンジが、途端に張り飛ばされた。
 
あ痛たた…内壁に後頭部、ぶつけちゃったみたい。
 
 …
 
「…なっなんで?」
 
痛みを堪えながら見上げると、フックを振りぬいた姿勢のままのアスカ。
 
「アンタも第14使徒の時に、似たようなマネやらかしたじゃない。まずはそんときのブンよ」
 
「それ、もう殴られたような気がするけど…?」
 
「あれは、アンタがトボけたブン」
 
え~!? って上げたシンジの抗議を無視して、アスカがこぶしの関節を鳴らした。
 
「さあ、次はアンタの番よ。ファ~スト~」
 
なんだか今、レイがたじろいだように見えたケド…?
 
あっ、気のせいじゃなかったみたい。だって、アスカが舌なめずりしながら詰め寄ってくもの。そりゃもう嬉しそうに、ふっふっふっふ…。とか笑っちゃって。
 
 
「張り飛ばす前に、アンタにも訊いといてあげる。なんであんなマネ、やらかしたの?」
 
「…」
 
レイが口篭もった。
 
喋りたくないんじゃなく、どう喋っていいか判らずに躊躇した。…そんな、気配。
 
 …
 
「…シトのヒトが言ったわ。サビシイのは…この私だと」
 
落とした視線のやりどころもなく、レイはただ自分の手を見つめた。
 
「…言われた途端に1人でいるのが嫌になった。…いいえ、自分が寂しかったことに気付かされた」
 
驚いたことに、レイの目尻が潤みだす。
 
「…同じ物がいっぱい。要らない者もいっぱい居るのに、私のココロを知ってくれるココロは、ひとつもない」
 
ぽとぽたと滴る涙を、自分の手の上で見止めて。
 
「…これが、涙。寂しさを知った私から溢れ出たモノ…」
 
己の涙滴を握り潰そうとしてか、レイがこぶしを握り締める。
 
「溢れたココロが、碇君を獲り込もうとした…私の寂しさを埋めようとした」
 
「それが、赦せなかった?」
 
見上げるレイに釣られてシンジが見やる先で、アスカもまた。実に静かに、…泣いていた。
 
「ファースト… ううん、…レイ。あれが、アンタのココロ?」
 
穏やかな青い瞳に見つめられて、赤い瞳にも理解の色が乗る。
 
「…ええ、あれが私のココロ。あれは、…貴女のココロでもあったのね? …サビシサを埋めたくて、求める物があった。…だから、同じモノを見た?」
 
そうね、きっとそう…。とアスカが涙を拭う。
 
 
「一歩間違えてりゃ、ワタシが自爆してたってコトか」
 
それじゃあ、張り飛ばすわけにはいかないわね。って微笑んでる。
 
釣られたレイの、口元がほころんだ。ぎこちなさなどカケラもない、ホントに自然な笑顔。
 
 
…皮肉ね。エヴァってピースを挟むがゆえに隣り合うことなどありえなかった2人のココロが、よりにもよって使徒の手で強引に触れ合わされてしまっただなんて。それも、隣り合わせるなんて生易しさではなく、重ね合わされたんだろう。でなきゃ、理屈抜きにこの2人が解かりあえるなんてこと、ありえないもの。
 
 
よく解からないとばかりに顔をしかめてたシンジが、…まあいいか。って感じに力を抜いた。視線を移した先に、救出ハッチ。その向こっ側にネルフの車輌が到着しだした。
 
 
                                         つづく


 
アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX2 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:13

 
 
「「「「「火のぉ用~心」」」」」
 
日本人って民族がよく解からなくなるのは、こういう時ね。
 
「…火の用心」
 
夜回りとかいうこの風習については、まあいいわ。
 
火事や盗難が多いって云う年末に、防犯や防災のために見回るのは悪いことじゃない。
 
「「「「「マッチ1本、火事の元」」」」」
 
問題は、それを常夏になってまで、MAGIの監視まで有る第3新東京市でもやろうとすること。
 
「…マッチ1本、火事の元」
 
ちょんちょん、とヒョーシギってヤツを打ち合わせる音。
 
いや、このヒョーシギっての、ちょっと面白いけどサ。なんて思ってたら、シンジが口の中でこっそり笑った。
 
『……笑うことないじゃない』って文句言おうとしたんだけど……
 
「サンマ焼いても、家焼くな」なんて、バカトウジが言うもんだから、シンジがヒョーシギ打ち損じちゃった。
 
「……」
 
「ちょっと!大丈夫!? 碇君」
 
左の親指を硬い樫材で打ち付けちゃったのを、ヒカリは見てたんだろう。うずくまったシンジに即座に声を掛けてくれる。
 
「なんだよトウジ、そりゃ」
 
「あ~いや、関西じゃ必ずそない言うんヤけど、まずかったかいな?」
 
バカトウジの声が、徐々に遠ざかっていく。
 
この体勢からでは見えないけれど、なにがバカトウジを追い詰めていっているのかは、明白だわね。
 
「堪忍してくれ~」
 
あれ? 逃げ出した足音を追いかける足音が一人分だけ? と思ったら、もう一人分は別方向へ。
 
挟み撃ちにするつもりだろう。バカトウジの命運も尽きたわね。
 
 
                                          終劇
2009.01.01 DISTRIBUTED


 アスカのアスカによるアスカのための補完 第拾八話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:13



初号機と弐号機のATフィールドに挟まれるようにして自爆した零号機は、第3新東京市の西南部をかすめるような溝を残した。定規を当てたようにきれいな一直線は、全長2㎞を越えるんだとか。
 
今では芦ノ湖の湖水が流れ込んできて、まるで運河みたいになってる。高熱に晒されたせいで岸辺は焼成されてて、さながらガラスの岸壁って感じ。
 
 
問題は、この運河がちょっとした市民の憩いの場になってるってコト。
 
どこぞのタウン誌が夕陽に染まった運河のパノラマ写真に【第3新東京市を彩るリボン・思い人と同じ色に染まりに行こう】なんてキャプションを付けたモンだから、夕暮れ時になるとカップルが岸辺にたむろするようになった。
 
水面があると糸を垂れたくなるのが釣り人の習性だそうで、釣れるかどうかも判んないのに朝まずめ夕まずめに夜釣りとひっきりなしにアングラーが陣取ってたりする。
 
水際で涼しいからって、朝夕のジョギングコースに組み込む人。
 
向こう岸まで届かせるのを目標に、水切り遊びに興じる子供たち。
 
果ては観光コースの一部になって、大型バスが停まってることもある。
 
最初のうちは立入禁止地域だったんだけど、押し寄せる市民に対応しきれなくなって諦めたらしい。今や、おざなりに【危険】って看板が立ててあるだけになってるわ。
 
 
さて、じゃあなんでワタシたちがこの運河のほとりを歩いてるかっていうと、普段使ってる第七環状線の一部がこの運河のせいで途切れてるからだ。
 
他の交通機関や代替運行してるバスを使ってもいいんだけど、ちょっと寄り道するくらいいいじゃないって言うアスカの意見で、こうして夕涼みを楽しみながらネルフへ行き来することが多くなった。
 
 
 
♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪~♪♪~
 
運河を望む云わば河原のような空き地に、誰が持ち込んだか知らないケド、ベンチがある。
 
そこに片膝立てて座ってる少年がハミングしてんのは…、ベィトホーフェンのズィンフォニー ヌンマー ノイン?
 
     ♪♪♪♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪~~♪♪~~
 
 苦悩を突き抜け、歓喜に至れ…か、…言うは…ううん、唄うは易し…ね。
 
 
「歌はいいねぇ」
 
気にかけず通り過ぎようとしていたシンジが、えっ? と振り返る。
 
「歌は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ。そう、感じないか? 碇シンジ君」
 
「僕の名を?」
 
夕陽に染まってて気付かなかったけど、その瞳は赤く、髪は白い。…なんだか、レイに似ているわね。
 
「知らないモノはないさ。失礼だが、君は自分の立場をもう少しは知ったほうがいいと思うよ」
 
まるでシンジを守ろうとするかのように、アスカが間に割り込んできた。
 
「アンタ誰よ」
 
シンジの後ろにレイが廻り込む。イザというときに引き倒せる位置っぽい。
 
「僕はカヲル。渚カヲル。君たちと同じ、仕組まれた子供。フィフスチルドレンさ」
 
「フィフスチルドレン? 君が? あの、渚君?」
 
「カヲルでいいよ、碇君」
 
「僕も、シンジでいいよ」
 
 …
 
…なんで頬っぺたが熱くなったのか、あすかおねぇちゃんに話してみなさい。シンジ君?
 
 
***
 
 
自爆した零号機の代わりに、伍号機が来ることになったらしい。そのためのフィフスチルドレン選抜だってさ。
 
かつてのこの頃、ワタシは壊れてさまよってたはず。
 
だから、伍号機もフィフスも知らない。
 
どう判断していいものか判らないまま、シンジの求めるままにこうしてフィフスの少年を待っているってワケ。
 
アスカはさっさとシャワー浴びて帰っちゃったし、レイはそのアスカに引き摺られていってしまったから、シンジは独りベンチでSDATを聞いていた。
 
  ≪ 現在、セントラルドグマは開放中。移動ルートは3番を使用してください ≫
 
 
テープの走行音だけになったSDATが、B面に切り替わる。でも、次の曲が始まる前にゲートが開いた。
 
「やぁ、僕を待っててくれたのかい?」
 
「うん。不案内だろうと思って」
 
それは助かるよ。と目を細めるような笑み。…だから、なんで頬っぺたが熱くなるのよ。
 
「それで?」
 
「うん。折角だからここの大浴場で一汗流して、今晩は僕のところに…って言っても僕も居候の身なんだけど…泊まったらどうかなって思って」
 
「そんな体裁は大事なコトじゃないよ。シンジ君がカエりたいと思う場所があることが大切なのさ。
 それがどこであれ、帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよ」
 
そうだね。って、シンジの微笑み。

そうね。今ならあの家は、家庭と呼べるような気がするわ。…シンジがお母さんで、ミサトがお父さんってのが、なんとも締まんないケドね。
 
 
***
 
 
シンジがお風呂の時とか、着替える時は、プライバシーを尊重して五感を断つ。
 
だけど、フィフスと一緒の今、そんな無防備なマネはできない。ワタシが復活した時、伍号機の存在もフィフスのコトも一切話しにでてこなかった。それはつまり、その短期間でコイツはここから居なくなったってコト。それがどういうことなのか、よく判んないケド、油断してイイってわけじゃないわ。
 
 
だから、フィフスの少年を監視するため、何かあったときのためって言い聞かせてるんだけど…
 
男湯を覗き見してるようなこの後ろめたさはどうしたものかしら… 
 
…いや、実際覗き見してるわけだけどさ…
 
 
へぇ~、渚カヲルって言ったっけ、フィフスの少年もなかなか…って、ちっが~う!!バカシンジ!そいつの方ばっかり見るんじゃないわよ!だからついワタシも、って、もうイヤ~
 
うぅ…どうしよう… 汚れちゃってるよぅ……
 
 
…覗いてんじゃない。…覗いてんじゃない。ワタシは決して覗いてんじゃないわ。必死にシンジの視界の隅、ネルフマークの湯桶に意識を集中して、自己暗示をかける。
 
God's in His heaven All's right with the world. God's in His heaven All's right with the world. God's in His heaven All's right with the world. God's in…
 
 
体を流し終えたフィフスが、シンジのすぐ傍に身を沈めた。パーソナルスペースがヒトより大きめのシンジは、それが気になるんだろう。窺うような視線を向けている。
 
「一時的接触を極端に避けるね、君は。 恐いのかい? 人と触れ合うのが」
 
これまでずっとシンジとともに過ごしてきたけれど、男の子は、友達同士でもこういうスキンシップをとらないんじゃないかしら。だから、シンジのこの反応は特別じゃないと思う。
 
だけど、シンジの沈黙を肯定と受け取ったか、フィフスが言葉を継いだ。
 
「他人を知らなければ、裏切られることも互いに傷つくこともない。でも、さびしさを忘れることもないよ…」
 
シンジが、わずかに頷いた。
 
他人をどう捉えるか? それは、シンジがずっと思い悩んできたことだ。加持さんが語ってくれた人生観は、きっとシンジの中で醸造されて、蒸留される時を待ってる。
 
「人間はさびしさを永久になくすことはできない。ヒトは独りだからね。ただ忘れることができるから、人は生きていけるのさ」
 
湯船の中で重なり合わされた手に驚いて、シンジが息を呑む。
 
もし、このフィフスの少年が、…ううん、渚カヲルが、シンジの友になってくれるというのなら。…シンジは、自分の問いに答えることができるかもしれない。
 
 
唐突に大浴場の照明が落ちた。
 
「時間だ…」
 
「もう、終わりなのかい?」
 
「うん、もう帰らなきゃ」
 
「君と、一緒に。…だね?」
 
うん。と、シンジが頷く。少し嬉しそうなのは、今夜はヒトの気配を感じながら眠れそうだからかしら。このところ、ちょっとマシになってきたとは思うけど、やはり拭い難いのだろう。
 
カヲルが立ち上がった。…この無頓着な所作…、なんだか振る舞い方までレイに似てるわね。
 
「常に人間は、心に痛みを感じている」
 
実にやさしげな視線で、シンジを見下ろす。
 
「心が痛がりだから、生きるのも辛いと感じる」
 
シンジの頬が熱いのは、湯あたりなんかじゃなさそうだわ。
 
「ガラスのように繊細だね。特に君の心は」
 
「僕が?」
 
「そう。好意に値するよ」
 
コウイ…? カヲルの言葉を理解し損ねて、シンジが呟いた。
 
「好きって事さ」
 
あ~? っと、その… やっぱり友情じゃなくて、そっちの方?
 
えー!えー? えー♪そうなの? そうなの?
 
だから誰も、カヲルのことをワタシに教えてくれなかったの? シンジをそっとしときたかったから?
 
ということは…、シンジがフラレた? …それともフッタのかしら?
 
…ええっと? これって表記は【カヲル×シンジ】でいいのかしら…? でもでもヒカリの話によるとサソイウケとかヘタレゼメとかいろいろ有って一概には言えないっていうし…、ああん、わかんない!だって、こんなの向こうの大学じゃ、教えてくんなかったんだもん~~
 
やだ、ワタシどうしたらいいの? こっこのまま温かく見守るべきかしら? それともいっそ積極的に応援すべき? …なんだか、あるはずのない心臓がドキドキしてきたような気がする。
 
 
こんなことならヒカリの蔵書、すべて読破しとくんだった…なんて、よく分かんない反省してるうちに2人ともお風呂から上がっちゃってた。
 
 
***
 
 
常夏の日本では、オープントップの車ってけっこう快適ね。ドイツだと、真冬でも幌を仕舞ったままで走ってたりするのを見かけるケド、正直そのスタイルはよく解かんない。
 
「助かりました。加持さん!」
 
シンジが、運転席に向けて声を張り上げる。屋根がないから、後部座席から呼びかけようと思ったら、風圧に負けてらんない。
 
「いやいや、偶然だよ」
 
ゲート前のロータリーでバスを待つか、環状線の駅まで歩くか。バスの運行表とニラメッコしてた2人を照らしたのは、加持さんのバルケッタのヘッドライトだった。
 
「偶然も運命の一部。…なんですよね。じゃあこれも、僕の才能なんですか?」
 
はっはっはっ…て、加持さんが心底愉快そうに笑う。
 
「こりゃまた一本とられたな。いやいや、案外笑い事じゃないかもしれないなぁ…」
 
「シンジ君のことが心配なんだよ。…誰もね」
 
加持さんのバルケッタは後部座席が狭いから、カヲルの顔が間近。カーブのたびに身体が密着しちゃう。
 
「心配しなくても、何もしませんよ」
 
「…そう願いたいよ」
 
カヲルは特に声を張り上げたわけじゃないのに、その言葉はちゃんと加持さんに届いたみたい。
 
「何の話し?」
  
「託言だよ」
 
カヲルの笑顔に、シンジがはにかむ。だからって、ワタシまでは誤魔化せないわよ。
 
こいつ、加持さんと何らかの繋がりがある? それにこの状況で今の言葉。…焦点はシンジよね?
 
いったい。コイツは何を企んでるの? 加持さんは何を知ってるの?
 
シンジの不興を買ってでも、引き離しとくべきだったのかしら?
 
疑念は尽きないのに、情報が少なすぎる。
 
答えの出しようもないまま、ミサトのマンションに着いてしまった。
 
 
***
 
 
例によってリビングに布団をひいて、常夜灯を見上げてる。
 
「君は何を話したいんだい?」
 
え? …と、シンジが顔を向ける。手枕を重ねたカヲルも、常夜灯を見上げてた。
 
「僕に聞いて欲しいことがあるんだろう?」
 
見上げなおす常夜灯は頼りなげで、なのに視線を放させない。
 
「いろいろあったんだ、ここに来て」
 
そうね。本当にいろいろあったわね。
 
「来る前は、先生のところにいたんだ。穏やかで何にもない日々だった。ただそこにいるだけの…」
 
少し懐かしむような口調。もう、そんな平凡な生活には戻れないでしょうね。
 
「でも、それでも良かったんだ。僕には何もすることがなかったから」
 
「人間が、嫌いなのかい?」
 
「別に、どうでも良かったんだと思う」
 
ただ、今は違うと思う。自分の言葉を上書きするように、付け足した言葉は早口だった。
 
『どうしてカヲル君にこんな事話すんだろう…』
 
顔を向けると、いつから見てたというのか、カヲルがシンジを見つめていた。やさしげに漏らされた吐息に、シンジが息を呑む。
 
「僕は、君に逢うために生まれてきたのかもしれない」
 
不思議と、その言葉に嘘はないように思える。だけど、ワタシが復活したときに、コイツは居なかった。そのことがシンジにとってよくない未来を暗示しているようで、恐い。
 
 
****
 
 
翌朝、シンジが起きた時にはカヲルの姿はなかった。
 
実に几帳面に畳まれた布団。書き置きのひとつもない。いつ出て行ったのか、ワタシも気付かなかった。
 
純粋に心配するシンジをヨソに、ワタシはなんだか湧きあがる不安を押さえきれないで居たわ。
 
 
 
「嘘だ嘘だ嘘だぁっ!カヲル君が、彼が使徒だったなんて、そんなの嘘だぁっ!」
 
ぎりぎりと握り締めたこぶしで、シンジがインダクションレバーを叩いた。
 
本部に着いた途端に初号機に放り込まれ、前置きもなしに告げられたのが、カヲルの消息だったなんてね。
 
 ≪ 事実よ。受け止めなさい ≫
 
シンジは、…シンジはぎりぎりのところでミサトの言葉を受け入れたんだろう。ううん、まずは自分の目で確認しようとしたのかもしれない。
 
 ≪ 出撃、いいわね ≫
 
 
シンジの応えはなく、ただゆっくりと持ち上がる視界が、徐々に開けていった。
 
 
 
  ≪ エヴァ初号機、ルート2を降下、目標を追撃中! ≫
 
「裏切ったな…僕の気持ちを裏切ったな…父さんと同じに裏切ったんだ!」
 
あのシンジが、あんな短時間で打ち解けたのだ。きっと、巡り会うべくして巡り会った相手だったんだろう。
 
だからこそ、シンジはこんなにも怒りを露わにしてる。だからこそ、こうして己を奮い立たせているんだと思う。そうしてないと、逃げ出したくなる気持ちを抑えられないに違いない。
 
 
 
  ≪ 初号機、第4層に到達、目標と接触します ≫
 
「いた!」
 
弐号機の腕の中、護られるようにしてカヲルの姿。
 
「 待っていたよ、シンジ君 」
 
外部マイク越し、水中スピーカー越しなのに、まるで目の前で話してるかのよう。
 
「カヲル君!」
 
初号機が伸ばした左手を、弐号機の右手が迎え撃つ。弐号機の左手は初号機の右手が迎え撃って、まずは力比べだ。
 
とにかく、弐号機を黙らせないことには始まらない。
 
「アスカ、ごめんよ!」
 
ほぼ同時に、両機のウェポンラックが開いた。
 
「 エヴァシリーズ。アダムより生まれし、人間にとって忌むべき存在。それを利用してまで生き延びようとするリリン。僕には解からないよ 」
 
小さな呟きなのに、不思議とよく聞こえてくる。
 
振り下ろされたプログナイフの刃を、初号機のナイフが横殴りに貫いた。
 
「カヲル君!やめてよ、どうしてだよ!」
 
「 エヴァは僕と同じ体でできている。僕もアダムより生まれしものだからね。魂さえなければ同化できるさ。この弐号機の魂は、今自ら閉じこもっているから 」
 
 
…誤魔化したわね? 今アンタ、話題をすりかえたわね? 理由を欲したシンジに、訊いてもない手段を語ったわね。
 
 
アンタ、後ろめたいんでしょ。こんなことしてるのが心苦しいんでしょ。
 
だから、ナゼこんなことをしてるのか、シンジに話せないのよ。
 
 …つまり、アンタ。ホントにシンジのことが好きだったのね。
 
 
滑ったナイフが、カヲルの目前で遮られる。ううん、今のは違う。なんだか急に弐号機の力が抜けたみたいだった。
 
「ATフィールド…!?」
 
肉眼で確認できるほど空気をゆがませた、ヒトならざる、使徒の証。
 
「 そう、君たちリリンはそう呼んでるね。なんぴとにも侵されざる聖なる領域、心の光。リリンも解かっているんだろ? ATフィールドは誰もが持っている心の壁だということを 」
 
カヲル、アンタわざとATフィールドをシンジに見せ付けたんじゃないの?
 
「そんなの解からないよ、カヲル君っ!」
 
初号機の胸部装甲にプログナイフが突き立った。
 
「くっ!」
 
いつの間にか刃を捨てて、替え刃で突き刺してきたのだ。
 
「…うわぁぁぁ!」
 
お返しとばかりに、シンジが弐号機の首元にプログナイフを突き立てた。
 
 
*** 
 
 
弐号機ごとゲートを蹴倒して、カヲルが入ってったターミナルドグマの奥へと踏み込む。
 
なにもかもが色褪せてくシンジの視界の中で、カヲルだけが色彩を持っていた。スポットライトみたいに、そこだけ光が当たっていた。
 
だから狙い過たず、その身体を掴み取ってしまったんだろう。
 
「 ありがとう、シンジ君。弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ。そうしなければ、彼女と生き続けたかも…しれないからね 」
 
「カヲル君…どうして…?」
 
「 僕が生き続けることが僕の運命だからだよ。…結果、ヒトが滅びてもね 」
 
ちょっと待って!カヲルの向こっ側で十字架にかけられてる巨人は、ナニ!?
 
 
「 だが、このまま死ぬこともできる。生と死は等価値なんだ、僕にとってはね 」
 
それに、カヲルと巨人の間で宙に浮いてるのは…、ロンギヌスの…槍!? こんなトコにあったの!?
 
 
「 自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ 」
 
「何を…、カヲル君。…君が何を言っているのか解かんないよ。カヲル君…」
 
「 遺言だよ 」
 
 
地球に重力が有ることを今知った。と言わんばかりの唐突さで、ロンギヌスの槍が落下した。
 
「 …さぁ、僕を消してくれ 」
 
赤い水面を蹴立てて、あっという間に水没する。
 
 
「 そうしなければ、君らが消えることになる。滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体は一つしか選ばれないんだ 」
 
もうカヲルを見ていられなくなって、シンジがうつむいた。
 
 
「 そして君は、死すべき存在ではない 」
 
使徒…? アンタ、ホントに使徒なの? ホントにワタシたちの敵なの?
 
 
「 君たちには、未来が必要だ 」
 
なぜ、待っていたの?
 
なぜ無抵抗なの? …ううん、なぜ自ら斃されようとするの?
 
なぜ、そんなに哀しそうで、そんなに嬉しそうなの?
 
 
 
なぜ、シンジに逢いに来たの?
 
なにを、シンジに見出したの?
 
 
解かんない。解かんないわ!
 
 
   …だけど、解かりたいと思う。解かってあげたいと、願う。
 
 
 
「 …ありがとう。君に逢えて、嬉しかったよ 」
 
 
見えないけど、アンタ、微笑んでんでしょうね。あのひどく優しいまなざしで、シンジを見やってんでしょうね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そしてシンジは、友達を自らの手にかけた。
 
 
 
 
****
 
 
 
カヲルと出会った。あのベンチの上で、シンジは膝を抱えてた。
 
赤い、…赫い、血の赤のような夕陽に染められて、誰も寄せ付けず。
 
 
『カヲル君が好きだって言ってくれたんだ…僕のこと』
 
今はただ、聞いてあげることしかできない。
 
 
『…初めて。…初めて人から好きだって言われたんだ…』
 
そっか…、それがアンタのココロに開いた穴ってワケね。エヴァに乗ることで寄せられる皆の関心で埋めてた、心の欠けたる部分。
 
だからこそ、あんなにも心を許したのね。
 
 
『僕に似てたんだ…、綾波にも…。好きだったんだ。生き残るならカヲル君のほうだったんだ…』
 
自分よりも相手のことを大切に思えるってコト。…大事なコトだと思うわ。
 
 
『僕なんかより、彼のほうがずっといい人だったのに…カヲル君が生き残るべきだったんだ』
 
『シンジ…』
 
 
シンジは応えない。
 
『…シンジ。カヲルも、そう思ったんだと、思うわ』
 
『カヲル君、…も?』
 
視界が、ようやく焦点を結んだ。夕陽に照らされて赤く染まった運河に、どこから流れ着いたのかプラスチックのフェンス。水面から覗かせた一角が長く影を伸ばして、十字架のよう。
 
『カヲルが使徒だってコト。これは…いい?』
 
こくん。と、シンジ。
 
ワタシたちにとって、カヲルがシトだろうがヒトだろうが、それはもうどうでもいいことだった。カヲルはカヲル。だから、アイツが使徒だってことを、シンジも受け入れられる。
 
『カヲルが言ってた。生き残るのは人類か、カヲル独りかってのは?』
 
なんとなく…。とシンジの呟きは力ない。
 
『カヲルはね。本当にシンジのことが好きになったんだと思う』
 
『本当に、…僕のことを?』
 
きっとね。ワタシはまだそんな思いを抱いたことはないから…、ううん、カヲルの選択を見た今なら、ワタシでも…
 
『本当に大切な人ができれば、何をなげうってでも護りたいと思うものだもの。それこそ、自分の命を投げ出してでもね』
 
「そんなっ!僕に、そんな価値なんかないよ!生き残るならカヲル君だったんだ!!」
 
開けた水面は、シンジの叫びを吸い取って返さない。
 
『…そうは思わないわ』
 
「そんなことあるもんかっ!カヲル君はっ!カヲル君は…僕なんかより、ずっと…」
 
声を詰まらせて、シンジが呻いた。
 
『…シンジ、アンタ。カヲルを侮辱するの?』
 
「僕が、なんで…!?」
 
胸に、叩きつけるように手のひら。
 
『シンジより、ずっといい人だったのよね? カヲルこそ、生き残るべきだったのよね?』
 
そうだよ!と頷いて、掻きむしるように胸元で握りしめられる。
 
『そのカヲルが生きていて欲しいと望んだアンタが、アンタ自身の価値を認めてないじゃない』
 
「そんな…!?」
 
『カヲルのことが好きだったんなら、カヲルの願いを叶えてあげなさい。アイツの想いを受け止めて、生きるの。精一杯!』
 
 
徐々に、…徐々に下がったシンジの視線に、もはや映るものなどなく。
 
抱えた膝に顔を埋めて、シンジの目頭が熱い。
 
今の今まで、シンジは泣かなかった。きっと、本当に悲しかったんだろう。悲しすぎたんだろう。あまりにも悲しいとヒトは泣くこともできないって、本当のことだったのね。
 
麻痺させてた心を、ようやく溶かして、シンジがすすり泣いた。
 
 …
 
 
うん、泣きなさい。思いっきり泣けばいいわ。
 
心が弱いと、泣くことすらできないもの。かつてのワタシが、そうだったように。
 
いつか泣き止んで、立ち直れるって自信がないと、泣くことに逃げ込むことすらできない。そこから帰ってこれなくなりそうで、恐いから。
 
だから、泣きなさい。
 
泣けるだけの毅さが、アンタの裡にあるんだから。
 
 
 
 
すっかり陽が落ちて、ようやくシンジが涙を拭った。
 
まるで、それが合図でもあったかのように、人の気配が近寄ってくる。
 
3人分の足音。
 
ひとつは大胆に、おびえながら。ひとつは気がなさそうに、まっしぐらで。ひとつは無雑作に、途惑いながら。
 
 
気付いたシンジが、振り向きながら笑顔。
 
むりやり作ってるのが判るけど、雨の後に雲間から覗く太陽のような、きっといい笑顔。
 
 
                                          つ
                                          づ
                                          く


 アスカのアスカによるアスカのための補完 最終話 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:13



本部棟内の四ツ辻で、アスカと鉢合わせる。
 
「居た?」
 
「ううん、コッチには居なかった」
 
 
今朝、朝食の時間にレイが食卓に現れなかった。アスカに様子を窺わせたが、自分の部屋にも居なかったのだ。
 
本部に来てることは記録から判ったケド、その後の行方が杳として知れない。MAGIですらトレースできてないっていうから驚きだわ。
 
戦自が攻めてきてる今、それは命にかかわる問題だった。
 
 
「じゃ、僕はこっちを」
 
「うん、ワタシはコッチ」
 
それぞれの針路をそのまままっすぐに、交差しようとした時だ。
 
  ≪ シンジ君、アスカ。ゴミンね、時間切れよ。そろそろテキが本部棟に取りつくわ。早くエヴァに乗って! ≫
 
問答無用の全館放送は、ミサトの声で。シンジの無理を聞いて、こうしてレイを探す時間を作ってくれてたのだ。
 
 
アスカと顔を見合わせ、ケィジに向かって走り出した。
 
 
****
 
 
弐号機はジオフロント内に、初号機は第3新東京市に出撃して、それぞれに侵攻してきた戦自部隊と対峙することになった。
 
ところが、第3新東京市にはまだ戦自部隊が入り込んでいない。本部棟では、もう発令所にまで取り付きだしてるってのに。
 
だから初号機は、第3新東京市周辺のゲートを潰して回ってた。敢えて戦自部隊を撃退しなくてもイイ。ってのがミサトの指示。後続を断ってくれればそれで充分、だと。
 
だから外輪山の麓に沿って、東南から反時計回りにゲートを潰してきた。
 
案外この配置は、こうなるコトを判ってたミサトの配剤かもしれない。ジオフロントでは、戦自部隊相手にアスカが容赦ないらしいもの。
 
 
だけど、何かがおかしい。って思いが拭いきれない。ジオフロントを陥とす気なら、もっと進出してこなくちゃ…。郊外のゲートが使えなくても、市街までくれば侵入ルートには事欠かないのに。
 
ヤツらが展開して来ない理由が、ナニか… 
 
第3新東京市の西南部まで来て芦ノ湖に突き当たる。ケーブルを付け替えたシンジがふと見下ろした先には、例の運河。…って、ナニ? 今、水面に映った光は?
 
『シンジ、上!!』
 
「なに?」
 
見上げる初号機の視界の中。プラグのスクリーンのド真ん中に、空から落ちてくる光点。たった一つなのは、きっと…
 
『N2!?』
 
「えぇっ!!」
 
そうか、そういえばあの時ジオフロントの天井がなくなってた。てっきり零号機の自爆の時だと思ってたケド、N2兵器だったのね。
 
『シンジっ!!』
 
「フィールドっ!全っ開!!」
 
空が歪んで見えるほどのATフィールドを展開しながら、ケーブルをパージさせて初号機が駆け出した。
 
第10使徒戦をはるかに超えるスピードで、その落下地点に廻り込む。
 
 
N2だろうがナンだろうが、爆発物ってノは基本的に上に向かって爆炎を上げるモノだ。完全に密封しろってんならともかく、爆圧の底を支えるぐらいエヴァなら、そのATフィールドなら朝飯前だった。
 
 
『シンジ、まだ来るかも知んない。パレットライフル』
 
頷きだけ返したシンジが、構えようとして初号機が手ぶらなのに気付く。
 
あれ? と振り返る初号機の視線の先、パレットライフルが例の運河に半ば沈んでた。さっき駆け出したとき、思わず投げ捨ててたんだわ。
 
『あれはダメね。新しいノ、出してもらいなさい』
 
うん。と頷いたシンジが、発令所への回線を開いた。
 
「ミサトさん。ライフルをお願いします」
 
 
映像が繋がんない。
 
≪ …解かったわ、シンちゃん。悪いけど、こっちはこれから… ≫
 
発砲音
 
≪ 言い寄る男どもをあしらわなきゃなんないから、手が離せなくなりそうなの… ≫
 
今度は爆発音
 
レイを探す時間を作ってくれた分、戦自のジオフロント進攻は容易くなったんだろう。そのツケを、ミサトはきっと今、支払ってる。
 
≪ …兵装は適当に武器庫ビルに上げとくから、そっちはお願いね ≫
 
この間も、シンジはぼうっとしてない。手近の電源ビルからケーブルを繋いだ。
 
「…解かりました。気をつけて」
 
≪ シンちゃんもね… ≫
 
回線が向こう側から切られた。…ううん、切れたんだわ。
 
 
間近、9番の武器庫ビルが開く。収められてたライフルをシンジが取り出した。
 
『シンジ、来たわ』
 
今度はものすごい数。もしあれが全部N2なら、芦ノ湖が芦ノ湾になっちゃうわね。
 
さっきより落下速度が速い。ICBMだとしたらマッハ30を超えるんだろうから当然だケド。
 
シンジがライフルを斉射し始めた。…だけど、効果があるようには見受けらんない。ターミナル・フェイズのICBMを迎撃するのは至難だって、レクチャー受けたことあったっけ。1万発の弾体をバラ撒くスウォーム・ロケットを何基も投入してやっとだとか。
 
ぎりぎりまで粘って、シンジがライフルを捨てる。
 
「フィールド!全開!!」
 
幸い、N2弾頭じゃなかったみたい。だけど、小さな爆発でもこう連続して、立て続けに爆発されると堪えるみたいね。
 
シンジが呻いてるもの。
 
 …
 
N2、ICBMと来て、次は… もしかして、そろそろエヴァシリーズ?
 
『シンジ、15番のスナイパーライフル。弾倉も持って外輪山に登ってみましょ』
 
「うん」
 
スナイパーライフルを担いで、初号機が郊外に向かう。東の尾根なら、ぎりぎりケーブルが届いたハズだ。
 
威力の点でホントはポジトロンライフルを使いたいトコだけど、陽電子はデリケートすぎてMAGIの支援がない状態では命中率に不安がある。
 
…ポジトロンスナイパーライフルに至っては、そもそも専用ケーブルが届きっこないだろうし。
 
 
N2やICBMでの攻撃は、もうないと思う。だけど、遠巻きに展開してる戦自部隊は進攻を始める様子がない。それこそが、エヴァシリーズが出てくる証拠なんじゃないかと思うんだけど…
 
落ち着かなげにシンジが見やってる。
 
『どうせ大したことは出来ないわ。念のためフィールドだけ展開しておいて、無視しなさい』
 
今は、それドコじゃないのだ。
 
頷きつつも不安を拭いきれないらしい。シンジがしきりに振り返りながら外輪山を登った。
 
 
外輪山の稜線から顔を出した初号機の視界に、九つの輝点が映る。シンジも気付いたんだろう、拡大画像に切り替えた。陽光を反射して鈍く輝く黒い機体は、ウイングキャリアー?
 
『…思った通りだわ。シンジ、撃ち落とすわよ』
 
解かった。との返答もおざなりに、スナイパーライフルを下ろした初号機が二脚を設える。
 
バイザーを下ろし、先頭のウイングキャリアーがレチクルの中に納まるのを待った。MAGIの支援がないから、遅々として進まない。
 
 …
 
いらいらするけど、ここはガマン。なんたってこの距離だと、射撃というより砲撃になる。素人照準では当たりっこないから、コンピュータにお任せするしかないのだ。
 
 
ようやくレチクルがウイングキャリアーを捉えた。すかさず放たれた砲弾は、先頭をそれて2番手の翼端を削る。…どうやら風に流されたみたい。
 
だけど、エヴァと云う重量物を抱えて力技で飛んでるウイングキャリアーには、それで充分だったようね。途端に隊列を離れて、高度を落としてく。密集して飛んでてくれたから、ラッキーストライクだったわ。
 
慌ててウイングキャリアー達が散開し始めたケド、そういう機動が出来るような機体じゃない。のろのろと拡がっていくさまは、せいぜい微速度撮影したツボミの開花ってトコ。…なんでエスコートが付いてないんだか、理解に苦しむわね。
 
初弾の結果を元に、コンピュータの計算も早い。2発目は見事に先頭の機体を撃ち抜いた。
 
このままターキーショットで大半を撃ち落せるか。と思った途端に、アラート。
 
「内部電源に切り替わった?」
 
ケーブルが切られたらしい。きっと戦自部隊の仕業ね。ちょっと侮りすぎたか。
 
『次の照準に向けてありったけ撃っちゃって。それからケーブル繋げ直しにいくわよ』
 
解かった。と言い終わるころには弾倉が空になった。ソケットをパージしながら、山肌を駆け下りる。
 
 
…エヴァシリーズ。
 
あん時、一度は斃したと思ってたヤツらは、そのあと平気で飛んでいた。よほどの回復力があるのか、そもそも些細な損傷など気にしないのか。
 
…と、すれば、起動前に潰しとくのが一番。
 
今ので数を減らせたなら、…いいんだけど。
 
 
 
市街に戻ろうとする初号機を、砲撃が出迎える。1万2千枚の特殊装甲にモノをいわせて強行突入した初号機が、器用に戦自部隊を跳び越えた。
 
電源ビルに取りついて、ATフィールドを張りながらケーブルを繋ぐ。
 
振り返って見上げる先、外輪山の上空にエヴァシリーズ。…墜とせたのは2体だけ、か。
 
「なに…、あれ?」
 
『さっきノが運んできた、エヴァシリーズよ』
 
「エヴァ!? どうして?」
 
『戦自が…、つまり日本政府が襲ってきてんのよ。他の、エヴァ建造国が敵に回ったっておかしかないわ』
 
やはり戦自部隊は進攻してきてない。遠巻きに包囲したままだ。…エヴァシリーズはここを戦場にするつもりなのね。
 
「…なんで?」
 
『シンジ、そういうのは後。今は、ここを護ることだけ考えて』
 
「でも、エヴァってことは、あれにもやっぱり、人が…子供が乗ってるのかな? 同い年の…」
 
 
第3新東京市上空に到達したエヴァシリーズが、ぐるり。と輪を描き始めた。
  
『…多分、あれはダミープラグよ』
 
「ホント!?」
 
嘘だ。そんなコト、判りっこない。
 
『ええ。カヲルを別格とすれば、10年で4人しか見つからなかったチルドレン。今さら9人も、集めよったって集まるもんじゃないわ』
 
口から出任せってヤツ。もちろん、まるっきり根拠がないわけじゃないわ。もしパイロットが乗ってるなら、あれほどの損傷を受けて意識を保っていられるはずがないもの。
 
「そっか…、そうだよね」
 
『それより、7体も初号機だけで相手してらんないわ。アスカと連絡つけてみて』
 
開いた通信ウィンドウは砂嵐で、かろうじて音声のみ。アンビリカルケーブルに仕込まれた有線通信がこの有様だとすると、かなりインフラを潰されたんだろう。どれだけバイパスされてんだか…
 
 
 ≪ …なによ。こっちは手一杯よ ≫
 
「エヴァが7体も出てきたんだ。僕だけじゃ手におえないよ」
 
 ≪ エヴァ…シリーズ!? 完成していたの? ≫
 
みたい。とシンジが頷く。
 
 ≪ ミサト!エヴァシリーズが7体も出て来たってシンジが言ってるわよ ≫
 
発令所との通信が復活してたらしいと見て、シンジも繋ごうとする。
 
   ≪ …ごみ~ん。こっからじゃあ、地上の様子が確認できないわ… ≫
 
弐号機越しのミサトの声は、案外元気そう。いや、ミサトのことだもの…
 
   ≪ …いいわ、アスカは地上に出て。21番が確保できそうだから、そっちに… ≫
 
 ≪ 大丈夫なの!? ≫
 
発令所と繋ごうとした通信ウィンドウは砂嵐で、音声は土砂降りだった。
 
どうやら、地上から直接の通信は無理みたいね。案外、ジオフロントはまだレーザー回線が生き残ってんのかも知んない。
 
   ≪ …やつら、MAGIが欲しいみたいだから、あんまり手荒なことして来ないわ。大丈夫よん♪… ≫
 
 ≪ 解かった、気をつけなさいよ。…シンジ、今上がるから、無理すんじゃないわよ! ≫
 
うん。とシンジが頷いた途端、初号機を囲むようにしてエヴァシリーズが降り立った。
 
 
アンビリカルケーブルを電源ビルから引き出せるだけ引き出して、武器庫ビルからパレットライフルとスマッシュホークを取り出す。
 
翼をしまいこんだエヴァシリーズがにやりと嗤って、一歩踏み出した。
 
 
21番からだと、選べる出現位置は5ヶ所になる。ミサトのことだから…、
 
『シンジ、南側に強行突破!』
 
「? …そうか!」
 
パレットライフルを乱射しながら、初号機が駆け出す。
 
ワタシの意図を、シンジは理解したらしい。囲みを抜けるや身を翻して、牽制の銃弾をバラ撒きながら後退さっていく。
 
まんまとエヴァシリーズどもがこっちに惹きつけられた瞬間、21番の射出口から弐号機が躍り出る。
 
案の定ロックをかけてなかった弐号機が、上空でソニックグレイブを振りかぶった。
 
≪ ちゃ~んす♪ ≫
 
映像は繋がんないけれど、どんな顔してるか見るまでもないわね。
 
 
初号機から見て最後尾に居た1体の正中線に、光が走る。きれいな一直線。
 
左右に泣き別れる白い体躯の向こっ側で、ゆらりと弐号機が立ち上がった。
 
≪ エーステ! ≫
 
異変に気付いたエヴァシリーズどもが、無防備に振り返る。それを見過ごすほど、シンジももうアマチャンじゃあないわ。
 
すかさず先頭の1体に駆け寄って、スマッシュホークをその頭に叩き付けた。
 
『まだっ!』
 
「えっ?」
 
『あのダミープラグよ。きっと、この程度じゃ止まんないわ』
 
そっか…。と呟いたシンジが、スマッシュホークを引き寄せる動作でエヴァシリーズを引き倒す。
 
『首を刎ねるか、プラグを潰すか』
 
一瞬躊躇したシンジが、スマッシュホークを白い首に振り下ろした。位置的にプラグにはかすってもないだろう。ヒトが乗ってないと思ってても、やっぱりできないか。
 
切断しきれなかった頸椎を絶つために、スマッシュホークの峰にかかとを落とす。
 
『下がって!』
 
跳ねるように退いた初号機をかすめて振り下ろされた刃が、横たわったヤツに止めを刺した。
 
≪ ツヴァ~イト! ≫
 
頭部を半ば斬り飛ばしたエヴァシリーズを蹴倒して、弐号機が次に襲いかかる。
 
…やはり、あれで斃したと思ってるわよね…
 
『…シンジ、アスカにっ』
 
「アスカ、もっと徹底的にやったほうがいいと思う」
 
≪なによ、ワタシに指図しよっての!?≫
 
そういうわけ…じゃないけど…。と刃をかいくぐったシンジが、スマッシュホークの天面でアゴをカチ上げた。横手から斬りかかってきたヤツから隠れるように、のけぞったヤツの横手に。
 
「こいつら、…ダミープラグってヤツだと思うから」
 
同士討ちしそうになって戸惑ったヤツに、のけぞったヤツを蹴りつける。
 
 
≪ …そう? ≫
 
その声音に、不快感を滲ませて。
 
≪ そうかもね ≫
 
今しがた顔を握りつぶしたヤツをそのまま引き寄せて、延髄にソニックグレイブを突き立てた。柄を短めに持って、捻るようにエントリープラグを抉り出す。
 
真っ赤な…、あれがダミープラグ?
 
≪ こんなモンにっ! ≫
 
掴み取ったプラグを、弐号機が躊躇なく握りつぶした。
 
≪ ドリ~ット! ≫
 
…さっきの不機嫌さは、ダミープラグに対してか。自分の存在意義を奪いかねないモノが、今まさに目の前に具現化されてるってワケね。
 
振るわれた刃をバク転で躱した弐号機が、そのままの勢いで蹴り倒してたヤツを踏み潰す。
 
≪ あらためて、ツヴァイト ≫
 
牽制に片手でソニックグレイブを大振りして、エヴァシリーズが怯んだ隙にケーブルを繋いでる。ソツがないわね。
 
 
『シンジっ!』
 
ワタシが弐号機の様子を見てるってコトは、シンジがそれを目で追ってるってコト。
 
…エヴァシリーズから目を離して。
 
 
起き上がった2体が、挟み込むように刃を振るってきた。
 
「ぅわっ…!!」
 
片方をスマッシュホークで受け止め、片方には弾丸を撃ち込む。
 
右側はいい。スマッシュホークがかろうじて受け止めた。
 
だけど左側は、ストッピングパワーなんかないパレットライフルじゃ、多少蜂の巣にしたって刃の勢いは止めらんない!
 
ライフルを真っ二つにした刃が、初号機の左腕に喰いこんだ。
 
「ぐっ…がぁああ!」
 
シンジが左手に力を篭めて、初号機の、半ば絶たれた筋肉で刃を押さえ込む。
 
スマッシュホークを半回転させて右側の刃を巻き込み、左側のエヴァシリーズに向けて押し込んだ。
 
引き摺られて体を泳がせた右側のヤツの方へと踏み込むと、避けようとした左側のヤツの動きとあいまって、左腕の刃が抜ける。
 
痛みと血の噴き出す感触に、シンジが顔をしかめた。だけど怯むことなく、スマッシュホークを右側のやつの首元に叩き込む。
 
≪ そいつらでっ!ラストぉ~!! ≫
 
シンジの目の前に、真っ赤な手のひらが突き出された。
 
弐号機が、2体まとめて貫き手でブチ抜いたらしい。ぐっ、と握り締められる。
 
 
引き抜いたその手を、勢いもそのままに背後にかざす。
 
空気をゆがませるほどのATフィールドで受け止めたのは、飛来してきた刃!? あれって!!
 
『シンジ!あれっ!!』
 
刃が、たちまちロンギヌスの槍に変形した。
 
≪ なに!? ≫
 
弐号機のATフィールドを貫いた槍を、スマッシュホークと添えられた初号機の左腕がかろうじて受け止める。
 
「ぐっくぅうう!」
 
≪ シ…ンジ… ≫
 
それにしても、コイツ…どこからやってきたっての?
 
痛みにしかめられた眉の下の、狭い視界で、槍の飛来してきた方向を見据えた。
 
 
投擲体勢から身を起こしたエヴァシリーズが1体。いやらしい嗤いを浮かべる。
 
無傷? …こんなに見事に回復するっていうの? この短時間で?
 
…いや、違う。あんな位置で斃したヤツ、居ないもの…
 
 
そうか!ウイングキャリアーごと墜としたヤツ!起動できたヤツが居たんだ!!
 
≪ どっから涌いて出たの! ≫
 
初号機の陰から出て駆け出した弐号機が、≪ きゃっ! ≫ たちまちコケる。
 
「アスカっ!?」
 
倒れた弐号機の、その足首を、エヴァシリーズが掴んでた。
 
首なしのソイツは、きっとシンジが最初に斃したヤツ。
 
「!っつぅ…」
 
駆け寄ろうとしたシンジは、鋭い痛みで引き留められた。見やる右の二ノ腕に、噛み付いてるのはエヴァシリーズ。左のふくらはぎも噛み付かれてんだろう、痛みが同じだから見るまでもない。
 
≪ ぐぅっ!こんのっ…放せってのよ!! ≫
 
慌てて見やった先で、弐号機が組み伏せられていた。足首を掴んで倒したヤツ以外に2体。蹴り潰したヤツとプラグを握りつぶしたはずのヤツ。その向こうで、アスカが4体目として斃したであろうヤツが、顔をヤマアラシにしたまんまで起き上がった。
 
 
…あそこまでやって、回復すんの。こいつら…
 
 
そうか…、完全に胴体を分断したヤツだって居たのに回復してたことを思えば、この程度の損傷、問題じゃないってコトなんだ。
 
弐号機を押さえ込んでるエヴァシリーズどもがそろって、ぐひぃ。と嗤う。首のないヤツまで嗤ったように、見えた。
 
「アスカっ!!」
 
不穏な空気を感じ取って、シンジが駆け出そうとする。だけど、2体のエヴァシリーズを振りほどけるほどのパワーが出ない。
 
「やめろぉぉぉおおおお!!!」
 
 
今まさに、弐号機に喰いつこうとしてたエヴァシリーズどもが、不意に動きを止めた。
 
のろのろと、西のほうへと顔を向けていく。初号機に噛み付いてるヤツもそうしようとしたので、初号機も一緒になって西を向かされる。
 
 
例の運河に、なだらかな白い丘が2つ現れた。その向こっ側、外輪山のふもとにモひとつ、少し鋭峻なのが。
 
三つの丘は盛り上がって、たちまち地続きになる。これって…? このラインって…?
 
 …
 
地面も水面も無視して起き上がってきたのは… …巨大な、エヴァより巨大な女の肉体。その上半身だった。
 
起き上がった勢いで俯いたソレが、耳障りな呼吸音を響かせる。
 
 
シンジの両手が顔を覆った。…だけど、大きく開いた指の隙間はロクに視界を遮んない。きっと、見ないほうが恐いんだろう…ううん、ワタシも恐い。…恐いわ。
 
 
ゆっくりと面を上げた、その顔は…
 
「あやなみ… 」
 
真っ暗な洞窟そのものの眼窩に申し訳程度の瞳を赤く灯してるけど、それはレイだった。
 
「     …レイ!」
 
ぐっと下ろしたまぶたが見開かれたとき、レイのあの赤い瞳がシンジを見詰めてた。髪も眉も、何もかもが作り物めいて白い中で、そこだけが赤い。そのなかに初号機が、なぜかシンジが映っていて…
 
「うわぁぁぁぁああああああああああ!わぁあああああああああ!!ぁああああああああああっ!!!」
 
≪ なっなに? なにが起きてんのっ!? シンジ? どうしたの!? ≫
 
組み敷かれてる弐号機からでは、状況が判んないんだろう。今のインフラ状況では、初号機視点の映像にリンクすることも出来ないだろうし。
 
シンジの悲鳴からただならぬ事態だと推測はしたんだろうけど、ちょっと緊張感が足りないみたい。
 
ま、おかげでワタシも冷静になれたんだけどさ。
 
「ああああああああああ!」
『シンジっ!落ち着いて!』
≪バカシンジ、なにが起きてるか訊いてんでしょ!≫
 
シンジの目は、レイの赤い瞳に吸い寄せられて、微動だにしない。
 
「わぁあああああああああ!!」
『シンジ!話を聞きなさい!!』
≪こらっ!いつまでも悲鳴あげてんじゃないわよ!!≫
 
こんなとき、声をかけることしか出来ない自分が歯がゆくなる。…だけど、だけど…
 
「ああああああああ!くわぁっ!ぁああああああああああっ!!」
『シンジっっ!!アンタには、ワタシが居るでしょっ!!!』
≪シンジっっ!!いい加減にしないとぶつわよ!グーよグー!≫
 
 
 …
 
詰まらせた悲鳴を、ゆっくり呑み下して、シンジの視界が閉ざされた。
 
 
『…シンジ?』
≪…シンジ?≫
 
「…ごめん。もう…大丈夫」
 
暴れまくる心臓を押さえながらじゃ、説得力ないわよ。…だけどまあ、よく踏みとどまったわね。
 
呼吸を整えたシンジが、ゆっくりとまぶたを上げる。
 
初号機が見上げる目前に、巨大なレイの顔。落ち着いて見れば、ひどく優しいまなざしで見下ろしていた。
 
 
『…これって、綾波なのかな?』
 
『それは判んないわ。使徒の擬態かもしんないしね』
 
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? いったいナニが起きてんのよ!≫
 
訊かれたシンジが困ったように周囲を見渡すんだケド、そんなトコに答えが落ちてるワケがない。結局また、妙にほほえましげなレイの顔を見上げる。
 
 
「…ごめん。どう説明していいか、よく判んないよ」
 
≪アンタ、バカ~!? 見たままを言えばいいのよ見たままを!≫
 
って…言われても、ねぇ?
 
 
「ねぇ…綾波? …綾波なの?」
 
おずおずとシンジが語りかけると、おっきなレイが2度3度とまばたきした。そういえば、さっきまでしてなかったような…?
 
「…碇…君」
 
呟いたレイは、その大きさとウソ臭い白さを別にすれば、いつものレイだった。
 
それにしても、浮世離れしてるとは思ってたけど…。レイ、アンタ。人間離れまでしよっての?
 
「綾波? …どうしちゃったの? …使徒に乗っ取られた…とか?」
 
≪えっ!? レイ? 見つかったの? って、使徒に乗っ取られたとかってナニよ!≫
 
ひとり事情が呑みこめないアスカが声を荒げるケド、目の当たりにしてるワタシたちだってなにが判ってるってワケじゃない。
 
 
「…私は、このときのために作られた道具だったわ」
 
「道…具? 綾波が? …なんの?」
 
…これを…。と右手で押さえたのは自分の胸元。
 
「…思いのままにするための」
 
そっ…。って声を張り上げかけたシンジが、ぐっ。と、呑み込んだ。
 
「何を…、綾波。…君が何を言っているのか解かんないよ。綾波…」
 
僕はこんなのばっかりだ…。って、シンジが口ん中で言葉を殺した。通信越しに喚くアスカの声も、聞こえてないみたい。
 
シンジの視線が右手に落とされた。ゆっくりと握りしめたのは、カヲルのときのコトを思い出してるからだと思う。
 
なにもできずに、殺めることしか出来なかった友達のことを…
 
『もういいの?』
 
応えることに抗ったのか、シンジの視線がこぶしから逸らされる。
 
 
『諦めても、いいの? …カヲルのときと同じで、いいの?』
 
力を篭めてしまった右手を、慌てて開いて、
 
「カヲル君…」
 
なにを拭おうとしてか、左手で懸命に擦ってる。
 
 …
 
「僕は、君のことを…」
 
 
そうしてシンジは、確かめるようにゆっくりと、こぶしを握り締めた。
 
「それを思いのままに出来るっていうんなら…」
 
見上げたレイの顔を、まるで睨みつけるように。
 
「綾波、帰ろう!一緒にミサトさん家に、帰ろう!」
 
 
「…それが、碇君の願い?」
 
こくん。と、レイから目を逸らさずに頷いた。
 
 
「…ヒトの姿をとることは出来る」
 
じゃあ!と意気込むシンジを拒むように、わずかにかぶりを振って。
 
「…この力を宿したままでは、諍いを呼ぶもの」
 
ソレがなんなのか判んないけど、こんなのがあると判れば、こんなものを使えるとなれば、それは確かに争いの種になるでしょうね。
 
使徒との生存競争じゃなくて、ヒト同士の欲塗れの戦いが始まるってコトか…
 
 
そんな戦いにシンジを巻き込みたくない。そう、考えてんのね?
 
 
「綾波が道具だとか、諍いが起こるとか、そんなことは僕には解かんないよ!」
 
固く握りしめたこぶしを突き出して、…開く。
 
「だけど、綾波。君が簡単に諦めようってんなら、僕はまた、ぶつよ」
 
レイが、その左頬を押さえた。第16使徒戦後に、シンジにはたかれた時みたいに。
 
「僕だけじゃない、アスカもぶつよ。きっとグーで」
 
おっきなレイが、そうと判るくらいたじろいだ。
 
 
≪ちょっとシンジ!ホントに大丈夫なの? なに独り言喚いてんのよ!≫
 
…レイの言葉、アスカには届いてないみたいね。まあ説明のしようもないし、いっか。
 
 
でも、アスカの言葉はレイにも届いてるみたい。ちょっとしかめてた口元を、徐々に綻ばせているもの。
 
 
 
口を開きかけたレイが、なぜか閉じた。
 
『…ひとつだけ、手があるわ』
 
『『えっ??』』
 
あれ…? 今の…
 
『今の、レイ?』
 
『ええっ?? …さっきのが、綾波?』
 
ココロの声は肉体的特徴を伝えないみたいだから、性別すら判然としないケド。
 
『…ええ。直接、語りかけてるわ。貴女と話さなければならないから…』
 
『つまり、ワタシに関わるのね?』
 
『どういうこと?』
 
おっきなレイは頷くと、視線を少し、初号機の周囲に巡らせた。
 
急に戒めから開放されて、初号機がつんのめる。
 
見れば、エヴァシリーズが倒れてた。どうやらレイの仕業みたいね。
 
 
『…貴女は、この宇宙で生まれたココロじゃない』
 
差し出されたレイの右手。誘われるままにシンジが初号機を載せた。
 
そうなの? ってシンジが訊いてくるけど、ワタシに答えようがあるはずがない。
 
『…貴女は、他の宇宙からやってきたココロ』
 
そうなんだ。そっか、幽霊じゃなかったのね。
 
ん? …だからって、幽霊じゃないってコトにはなんないか。
 
『…その貴女にこの力を託せば、貴女は元の宇宙に戻れる。この力を持ち去ってくれる』
 
なるほどね。
 
『レイは力を失って、普通の人間として暮らせる?』
 
初号機を載せた右手をそっと引き寄せながら、『…たぶん』と頷いた。
 
 
『ちょっと待って。それって、アンジェが居なくなっちゃうってこと?』
 
『そう…なるんでしょうね』
 
『ヤだよ!ずっと一緒に居てくれるんじゃなかったの!?』
 
憤りをどこにぶつけていいのか、判んなかったんでしょうね。握り締めたこぶしを、レバーに叩きつけた。
 
『シンジが望むなら、それでもいいわ。…でも、レイの話しを聞いてたでしょ。レイかワタシか、二者択一なのよ』
 
『そんな…』
 
できるものなら、このままシンジの心を見守って居たい。…だけど、ここではワタシは異物なんだ。本来、居るはずのないココロなんだ。
 
 
…だから、シンジにはレイを選んで欲しい。この世界で、独力で生きていくことを決意して欲しい。
 
 
鼻の奥が、熱い。
 
固く閉じたまぶたから、涙が溢れて溶けていく。
 
お願い、シンジ。泣かないで…。アンタが泣くと、ワタシまで悲しくなっちゃう。決意が揺らいじゃうじゃない。
 
 
『アンジェには、帰るべき場所があるんだね…』
 
『…そうみたいね』
 
 
シンジが、目頭を強く擦る。
 
『カヲル君が言ってたよ。帰る家があるのは良いことだって。幸せなんだって』
 
 …
 
必死で涙を押し止めようと、強く強く擦ってる。
 
 
 ……
 
 
結局止めようがないまま、シンジがむりやり微笑んだ。
 
『だから、アンジェ。…今まで、ありがとう』
 
『…シンジ』
 
 …
 
決然とシンジが見上げると、レイが頷いた。
 
 
 
ゆっくりとまぶたを閉じたレイは、祈るように面を上げる。
 
 
 
その身体が、小さくなっているような? …ううん、見間違いじゃない。みるみるうちに小さくなっていったレイが、初号機の真ん前で宙に浮いてた。
 
おずおずと差し出された初号機の手のひらに、ふんわりと着地。身体はまだ白いままだけど、普通の人間サイズに戻ったみたいね。
 
巡らせた視線は、初号機の背後に。
 
 
≪あれ…? どうしちゃったの? こいつら?≫
 
弐号機を組み伏せてたエヴァシリーズも擱座したのね。
 
 
しゃがみこんだレイが、初号機の手のひらに両手をついてる。その身体が、徐々に色付いてきた。いや、あの作り物めいた白さが抜けて、本来のレイの色を取り戻していってるのね。
 
 
今頃になって、レイがあられもない格好してるって気付いたらしいシンジが顔をそむけた。…まぁ、さっきまでの真っ白い身体じゃ、石膏像みたいでそうとは思わないわよね。
 
 
視線をそむけた先に、弐号機。エヴァシリーズを振り落とそうとしてる。
 
 
その姿が、ダブって見えた。
 
 
あれ? っと差し伸べたシンジの手が、残像を残す。…いや、残像じゃない。染み出すようにして白い手が浮き上がってきてんだわ。シンジの手から。
 
視界がダブってんのは、同じモノを違う距離から見てるから…みたい。
 
驚いて視線を戻す先で、左手からも脚からも、白い肉体が浮き上がろうとしていた。
 
ぅわっ。と口を開いたみたいだけど、声にならない。その時には顔からも浮かび上がってきてたんだろう。
 
 …
 
ダブってた視界から、距離が遠い方の映像が消えていく。
 
 
さっきより、プラグの内壁が近い。
 
視界の端をたなびく、伸ばした髪。不自然なまでに真っ白だけど、見覚えのある長さで。
 
そして、背中に感じるぬくもり。
 
 
「…アンジェ?」
 
久しぶりに、シンジの声を聞いた。
 
ココロの、無機質な声ではなく、伝導の関係で聞こえる低い声でもない。…あの、頼んない声。LCL越しの声を直接聴くのは、弐号機に一緒に乗ったとき以来ね。それでもシンジの肉声には違いなかった。
 
とっても懐かしくて、目頭が熱くなる。
 
 
…視界の端に、歩いてくる弐号機の姿。シンジには見えないように通信のボリュームを絞った。今は、邪魔されたくない。
 
 
「…アンジェ、だよね?」 
 
返事はせずに、ただ頷いた。
 
 
「…その、…今までありがとう」
 
かぶりを振る。
 
今なら万感の思いを篭めていろんなコトを言ってやれるはずなのに、喉が詰まって言葉が出ない。
 
ううん。なにを言ったって、言葉はしょせん言葉。伝えられるものには限りがある。
 
だから…、
 
振り返るなり、ぎゅっとシンジを抱きしめてやった。
 
長い髪が邪魔して、顔は見えなかっただろう。…それでいい。
 
 
かき乱されたLCLに誘われて、涙が溶け流れた。
 
シンジの温もりのせいで、きっと涙腺が緩んだんだと思う。でなきゃ、このワタシがこんなことくらいで…
 
 …
 
あれ?
 
なんでワタシ、こんな意地っ張りに戻ってるの? ワタシのココロなのに、自分の気持ちに素直じゃない。せっかく自由になる肉体を手に入れたってのに、こんな意地っ張りなココロじゃ意味がないじゃない。
 
…もしかして、この身体のせい? それとも、肉体を手に入れたから?
 
ううん、そうじゃないわ。ワタシのココロがシンジから離れたから。きっと、シンジの弱さや優しさや内向性ってモノに、…シンジのココロに、少なからず影響されてたんだと思う。
 
だから、こうして肉体を得た今。ワタシのココロは、昔の意地っ張りなワタシに戻りつつある。
 
 
ダメ!アスカ。素直にならなくっちゃ。
 
今の自分を肯定できなきゃ、次の一歩は踏み出せないもの。
 
なによりワタシは、今のワタシが弱いってコトを知ってるじゃない。泣くぐらい当然だって、判ってるじゃない。…ううん。泣けるぐらいに毅くなってるって、自分のことを信じられるじゃない。
 
 
だからこの涙は、別れを惜しんで寂しいワタシの気持ち。認めなさい、ワタシのココロ。
 
 …
 
頬を寄せていると、お互いの涙が溶け合うようだわ。
 
こういう距離を、オトコノコと共有する。それもまた幸せかもしれないって実感させてくれる。オンナだってことを厭わずに居られるかもしれない。
 
 
今なら、いろんなコトを受け入れられる気がする。
 
 
 
 
このまま、ここに残りたい。って気持ちを振り払って、さらに強くシンジを抱きしめた。
 
ようやく、ようやくシンジが、おずおずと背中に手を廻してくれたから、その感触を充分に味わって、…そしてシンジを突き抜けた。
 
インテリアを抜け、プラグを抜け。初号機をすり抜ける頃にはもう、この身体は物質的なものじゃなくなってたんでしょうね。
 
 
地球がみえる。
 
 
 
太陽系が見える。
 
 
 
 
銀河系が、この宇宙が視える。
 
 
 
 
 
そして、この宇宙の外。世界のカタチが観えた。
 
 
 
 
そっか、宇宙ってたくさんあるのね。
 
 
 
寄り集まって花開こうとしてる…まるで花束だわ。
 
 
 
 
その中に、いわば枯れた花がある。…それがワタシの世界だってコトが、なんとなく判った。
 
 
 
 
きっとそこには、あの真っ黒な空が待ち構えてんだろう。
 
だけど、帰らざるを得ない。
 
そこが、ワタシの世界なんだから。
 
 
 
 
        「シンジのシンジによるシンジのための補完 Next_Calyx 最終話」に つづく
 

 アスカのアスカによるアスカのための補完 最終話+ 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:14

シンジのシンジによるシンジのための補完 NC 最終話 SIDE-A


「いいねぇ。言葉はリリンの力。なのに、その力に頼らずともお互いを理解できる。絆はリリンの本質だね」
 
そんな言葉に意識を呼び覚まされると、赤い海を背にして初号機がうずくまってた。
 
その差し出した掌に腰かけてんのは、カヲル?
 
 
「え? え? ええっ?」
 
間抜けな声を上げてんのは、ミサト。
 
その隣りの頼んない背中は、きっとシンジ。
 
寄り添ってんのはレイと、あれは…もしかしてシンジのママ?
 
誰も居なくなった世界だと思ってたケド、ずいぶんと賑やかそうじゃない。
 
 
砂浜に降り立ったカヲルが、ミサトが手にしたアジサイを指さした。途端、花弁が一つほころぶ。
 
「及ばずながら、ひとつ、宇宙を看てきたよ」
 
サキエルが木星のアンモニアの海を気に入ったようでね。…なんて指折り数えてる。よく解かんないケド、使徒の落ち着き先…みたいね。
 
気ままに太陽系内を飛び回ってんのとか、太陽の中でお昼寝してんのとか、MAGIん中からリツコ相手にチューリングゲームしてんのとか、孫衛星気取りで月の衛星軌道を巡ってるとかって、…ハタ迷惑な話ねぇ。まっ、襲ってくるより100万倍マシか。
 
 
 
「…つぎは、だれ?」
 
小首を傾げるようにレイが、シンジに。
 
つまりシンジも、他の宇宙で誰かの心を見てきたんだろう。そしてまた、見に行くんだろう。
 
それはワタシの心かも知んない。と思った途端、心臓が跳ねた。急激に熱を帯びた頬を冷まそうと掌をあてて…って、これ白くないし、ワタシのホントの身体!?
 
久しぶりに自分の意志で体を動かせる歓びも、一向に収まんない動悸に追い立てられちゃう。
 
落ち着け落ち着け。…自分の身体なのに、なんでワタシの思い通りになんないのよ。理不尽だわ!
 
 
なんだか考え込んでたシンジが、応えようと口を開いたのが気配でわかる。
 
「ワタシは外しなさい」
 
つい口に出しちゃった。もうちょっと気の利いた再会の仕方ってモンがあったでしょうに。
 
でも、慌てて振り返ったシンジの、すっごく驚いてるって顔を見たら、なんだか落ち着いてきちゃった。
 
「ハロゥ、シンジ。元気してた?」
 
精一杯、表情を取り繕って胸を張る。
 
「アスカ!?」
 
「そうよ? まさか、このワタシを見忘れた?」
 
なにやら反駁しようとシンジが口を開いた瞬間、風が捲いた。
 
視界の隅に映ったのは、お気に入りのワンピースの色。…ってコトは、きっとショーツは下ろしたての可愛いノを穿いてんのよね?
 
シンジがどんな顔するか、ちょっと愉しみだったんだケド、とっさに固くまぶたを閉じちゃってた。
 
…もちろん、下着を見られたいってワケじゃない。ただ、シンジのリアクションを見たかったの。
 
ワタシは、ずっとシンジの傍に居た。けれど、あまりに近すぎたから却ってシンジの表情を見ることができなかった。…シンジがどんな眼差しでワタシを見てくれるのか、知ることができなかった。
 
だから、どんなカタチででもシンジに見て欲しかったの。ワタシを。
 
それでシンジがまじまじと見るようなら叱ってやればいいし、恥ずかしがるようならからかってやればいい。それがどっちでも、シンジがワタシを意識してるってコトだもの。すべてはそれから、じゃない?
 
 
…というわけで、ちょっと残念だったケド、まあ、シンジがデリカシーを成長させてるってコトが確認できただけでも良しとするか。
 
しゃりしゃりと砂を踏んで、シンジに歩み寄る。おそるおそるって云ったカンジにまぶたを開いたシンジが、驚いてのけぞった。
 
「アンタも成長してるみたいじゃない」
 
その肩をぽんぽんと叩いてやる。そのまま横をすり抜けて、ミサトの手からアジサイを奪う。
 
つぼみばかりで咲ききってない株の中に、枯れたノがひとつ、きれいに咲いたノが五つ。察するトコロ、枯れてるノが元のこの宇宙。咲いてるノは…?
 
 ワタシの手の中で、またひとつ花弁がほころんだ。
 
  …この宇宙と違って、枯らさずに済んだ宇宙ってコト?
 
ワタシが行ってた宇宙は、枯れずにすんだってコト?
 
 
なんだか嬉しくて、つい口元が緩んじゃう。
 
 
「…なによ」
 
なんだか気恥ずかしくて、ついつっけんどんになっちゃった。だって、シンジったらずっとワタシのこと見つめてたみたいなんだもの。
 
 
シンジは、なにを言おうとしてか、何度も口を開いては閉じてる。
 
待たされても、それが気になんないのは、シンジが言いたいことを言い出せなくてぐじぐじしてるワケじゃないって判ったから。
 
 
求めてた言葉を見つけたらしいシンジが、にっこりと微笑んだ。
 
「おかえりなさい」
 
その笑顔に、何よりその言葉にハートを一撃されて、ワタシは一瞬固まってたに違いない。そのことに気付いて、つい反射的に顔を逸らしちゃった。
 
ダメダメ!素直になんなくちゃ!強がったって何にも伴わないってコト、ワタシは学んできたじゃない。
 
「…ただいま」
 
なのに、なんとかそれだけ応えるので精一杯だった。いま、あの笑顔を見ちゃったら、ワタシ…自分を抑えらんない気がする。いろんな意味で。
 
なんとか心構えを整えようとしてたら、ミサトが身体を折り曲げるようにして覗き込んできた。
 
「あれ~? アスカったら、もしかして…」
 
にやりと、いやらし~く笑ってる。
 
「…なによ」
 
「ぶぇっつに~」
 
憎たらしい口ね。こうしてやるっ!あっクロスカウンター!? こらっ!アンタと違ってワタシのおハダはデリケートなのよ。そんなバカ力で抓ったら腫れちゃうでしょ!!えいっ、こっち側もって、ガードの肘、こんな掻い潜りかたってアリ!?
 
う~…
 
なら、アンタの頬っぺたを引っ張りながらの跳び膝蹴り!これでどう!!って腿を上げたダケで防いじゃうの!? じゃあ着地際に残った足の甲を踏みつけて…って、上げてた腿でワタシの体勢崩すなんて!? 崩されたノを利用してそのまま巴投げって行きたかったケド、さすがにこの体格差じゃ無理か。頭突き!って見せかけて、脚を刈る。うそっっ!? あんな風に足首ひねっただけで耐えちゃうの!?
 
む~…
 
悔しいケド、格闘術じゃあとても敵わない。
 
それなら精神攻撃に切り替えるまで。と口を開こうとしたら、いつの間にやらレイが、傍に。
 
まさかレイがケンカの仲裁!? なんて思ってたら、無言でアジサイを拾ってシンジんトコに戻って行っちゃった。
 
ミサトの頬っぺたをつねりに行った時に落としちゃってたのね。って云うか、今、レイってば怒ってなかった? ただのアジサイじゃないってコトかしら? …あとで謝っといたほうがいいかも。
 
 
 
「…つぎは、だれ?」
 
レイが、シンジに再び問いかけてる。
 
眉根を寄せたシンジは、いったい何を考えてんだろう。伏し目がちの眼差しは酷く真剣で、怖いくらい。
 
あんな眼差しで見詰められちゃったら、堕ちないオンナノコは居ないんじゃないかしら。
 
 
やがて、決意を乗せてシンジが視線を上げた。あの視界を、きっとワタシは知ってる。
 
「キール議長の心を知ることのできる世界、ある?」
 
…キール議長って、誰?
 
だけど、このシンジが悩みぬいて選んだ相手なら、きっと重要人物なんだろう。
 
シンジは、きっとたくさん苦労したのね。ワタシが知らないようなコトを、随分と知ってるらしいもの。
 
ふとレイから外されたシンジの視線が、ミサト、ワタシと巡った。人の顔見て何を思ったのか、その目元がなんだか優しい。
 
 
「…あるわ。地軸がゆがんだ時の事故で、脳死寸前のキール・ローレンツが居る宇宙」
 
レイに戻された視線は、さっきの真剣さを取り戻して、シンジの決意を教えてくれる。
 
…それにしても、あんな眼差しを向けられて、レイってば平気なのかしら? どんな顔してんのか見てみたいケド、ワタシはミサトじゃないんだからガマンガマン。っと赤いジャケットの裾を掴む。アンタも一々見に行くんじゃないわよ!
 
 
「…いくの?」
 
「うん」
 
レイが伸ばした手を、シンジが掴み取った。
 
「綾波。…ありがとう」
 
「…なに?」
 
レイの手を、包むように握りしめて。
 
「綾波がここで待っていてくれるから、安心して行ってこれるんだ。…だから、ありがとう」
 
これで他意はナイんだろうから、シンジって案外女ったらしの素質、あるんじゃないの?
 
「…なにを言うのよ」
 
うわ~、あの声音。…レイが動揺してるわ。
 
「帰る家…ホームがあるという事実は、幸せにつながる。良いことだよ」
 
カヲルの言葉に後押しされるように、シンジが頷いた。
 
シンジの眼差しは目前のレイだけじゃなく、ワタシやミサト…ううん、きっと目に映るもの全てに向けられて、優しい。
 
そんな風に微笑むようになれるまでに、シンジはどんな苦労を重ねてきたって云うんだろう。
 
 
「…いってらっしゃい」
 
レイが、シンジの額に触れた。
 
「 いってきます 」
 
肉体はおろかその着衣までLCLに変えて、シンジの姿が雪崩落ちた。…そういえば、初号機に溶けたシンジが、プラグスーツを実体化させてたとか聞いたことがある。それと同じことなんだろう。
 
…ってコトは、きっとこのワンピースもLCLで出来てんのよね。…それとも、あの赤い海の水…かしら?
 
う~ん…? 摘んで見てみたケド、よく判んないわ。
 
 
 
…なに? なんて言うぶっきらぼうな声に顔を上げたら、初号機がそのおっきな顔をレイに突きつけてた。あのでっかい体を精一杯折り曲げて。…あれが汎用人型決戦兵器の姿だっての?
 
「初号機君は、シンジ君に着いて行きたいみたいだねぇ」
 
今、レイが溜息ついたみたいに見えたケド…
 
「…あなたの気持ちは解かるけれど、碇君を手助けしたいなら奨めないわ」
 
独り言みたいなレイのつぶやきを、初号機は神妙に聴いているように見える。シンジのママはそこに居るし、この初号機ってばどうなってんのかしら?
 
「…あなたが行かなくても、あの宇宙は碇君だけで大丈夫だもの」
 
なんだか今、レイがとっても寂しそうだった。
 
「…碇君は、必要に応じて初号機を殲滅することすらして見せるわ。このタイミングであなたが行けば、碇君の思惑を邪魔することになるかもしれない」
 
まるで、自分に言い聞かせてるみたい。
 
「…それで、いいの?」
 
 
レイの言葉が潮騒に消えてしばらく、上半身を起こして初号機が吼えた。力の限りに開け放たれた口腔は洞窟のようで、レイくらいなら軽々と丸呑みにしそうだ。
 
 
 ……
 
「…そう、寂しいのね」
 
寂しいって…。じゃあ、もしかしてこの咆哮は泣き声だって言うの? てっきりワタシ、怒ったか脅してんだとばかり…
 
 
「…ごめんなさい。こういう時、どうしてあげればいいのか、まだわからないの…」
 
 
そこはかとなく肩を落としたように見えるレイの向こっかわで、カヲルが初号機に歩み寄った。その巨大な手の甲を、よしよしとばかりに撫でてやってる。
 
「さあさあ、レイ君を困らせるんじゃないよ」
 
 
まさしく子供が泣き止むような感じで、その咆哮が治まっていった。
 
初号機が自分の手元を、手の甲を撫でるカヲルを見下ろす。
 
「いいかい? よく聴いておくれ」 
 
初号機と視線が合ったのを確認するように、カヲルが微笑んだ。
 
「ヒトの身であるシンジ君は、サードインパクトを止めるのに時間がかかることが多い。現に、どちらも10年以上かけているからね。
 その点キミなら、最悪サードインパクト直前でもそれを止められる。今まさに手遅れになりつつある宇宙でも、キミならそれを守れるかもしれない。ってことさ」
 
 …
 
地面に撒いた水が、染み込むのを待つような、…間。
 
「今度シンジ君が帰ってくるまでに、君ならそうした宇宙を3つは救えるだろう。最低でもね? シンジ君は驚くだろうし喜ぶだろうね。驚喜ってコトさ」
 
ウインクと、イタズラっ子のような笑顔。まるで、一緒に誰かを驚かしに行こうと友達を誘う悪ガキみたい。
 
 
しばらくカヲルの顔を見つめてた初号機が、レイめがけて視線を上げた。シンジがよくそうするように、きっと決意を乗せて。
 
 …
 
「…そう。よかったわね」
 
レイの言い草はぶっきらぼうだったケド、なんだか安堵してるみたい。声に惑いがなくなってたもの。
 
再び顔を突きつけてきた初号機の顎に、レイが手を伸ばす。
 
「…いってらっしゃい」
 
途端に全てをLCLに変えて、初号機の姿が雪崩落ちた。シンジの時とは比べ物にならない、とんでもない量だ。大量のLCLが押し寄せてくると思ってとっさに身構えたのに、レイの目前で跳ね返されてる。
 
波頭みたいに砕け散ったそれを、あっという間に白い砂が吸い取ってしまった。
 
 
 
 
「…あなたは、どうしたい?」
 
初号機の顎に触れた姿勢のまま、顔だけ振り向いて。レイ。
 
「そうねぇ…」
 
…っと、その前に。
 
「レイ。…その、ゴメン」
 
「…なに?」
 
「アジサイ、大事なものなんでしょ?」
 
…ええ。と頷いて、レイが身体もこっちに向ける。
 
「落としちゃって、ゴメンね」
 
じっ…。とアジサイに視線を落として、ぽつりと。
 
「…そのことに気付いてくれたから…、」
 
赦してくれるって言うんだろう。…口数が足んないのは、相変わらずねぇ。
 
 
「…それで、あなたはどうしたい?」
 
自分がどうすべきか? と訊かれたなら迷っただろう。こうしろ。って言われたなら反発しちゃっただろう。…今のワタシは、素直とは言いがたいし。
 
だけどレイは、どうしたいか? と訊いてくれた。だから、素直になれる。
 
「自分をやり直して見たいんだケド、お奨めのトコって有る?」
 
 
眠りに落ちるかのようにすとんとまぶたを下ろしたレイは、代わりに少し、面を上げる。
 
 …
 
やがて開かれたまぶたは、月の出のように静かに、赤い瞳を昇らせた。
 
「…母親の無理心中で、遷延性意識障害になった惣流・アスカ・ラングレィの居る宇宙が、あるわ」
 
「ヤなトコねぇ…。でも、ま。そんなところだからこそ、かしらね」
 
しゃりしゃりと白い砂を踏んで、レイの前に。
 
「じゃ、お願い」
 
…ええ。と伸びてきたレイの手を、シンジがしたみたいに掴み取った。
 
「レイ。…ダンケ」
 
「…あなたまで、なに?」
 
やっぱりシンジの真似をして、レイの手を包むように握りしめる。
 
「どうしたいか。って訊いてくれたでしょ。ワタシの気持ち、察してくれたのよね? …おかげでワタシ、素直になれたわ。
 だから、ダンケシェーン」
 
「…そう。どういたしまして」
 
さすがにワタシ相手じゃ動揺しないか。…でも、ちょっぴり頬が染まってるわよ。アンタもちゃんと成長してんのね。なんだか嬉しいわ。
 
 
ワタシの微笑みをどう受け取ったのか、レイの口がへの字になった。
 
「からかったワケじゃないわよ。だからそんな顔しない」
 
「…そう? よく解からない」
 
そう言いつつ、レイの表情がほどけていく。
 
「見送ってくれるんでしょ。どうせなら笑顔のほうが嬉しいわ」
 
「…そう? そうかもしれない」
 
 
満面の笑顔ってワケじゃない。だけど、見てるだけで優しくなれるような柔らかな微笑み。月の光が降り積もるような静けさで。
 
 
「…いってらっしゃい」
 
レイが、額に触れてくる。
 
「うん。いってくる」
 
 
ワタシは、素直な心でワタシをやり直したかった。素直になるためにやり直したかった。
 
もう一度シンジと出会って、レイと仲良くなって。ワタシであるコトを精一杯、…チルドレンであることすら…、楽しむつもり。
 
まずは、自分のために。…ワガママかもしんないケド、大事なコトだと思う。
 
いろんなコトを受け入れるために、必要だと思うから。
 
 
 
 
… 光が見える。
 
あれが目的地なのね。
 
さあ、覚悟なさい。ワタシがアンタを楽しんであげる。…ううん、楽しめる世界に作り変えたげるんだから!
 
 
     さあ、いくわよ。アスカ!
 
 
 
                     「アスカのアスカによるアスカのための補完」 終劇


 アスカのアスカによるアスカのための補完 カーテンコール 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:14



潮風にさらわれて足元まで転がってきた野球帽に、つま先で上向きのベクトルを加えてやる。転がってきた勢いそのままにワタシの脚を駆け登ってきたソレを、膝の辺りで捕まえた。
 
輸送ヘリに向かって歩き出す。3歩目で、野球帽を追いかけて来てたトウジが射程圏内。4歩目で、押し付けるように返してやる。
 
「はい」
 
「おっ…おおきに」
 
おざなりに指先だけひらめかせてそれに応えるけど、歩みは止めない。前にも思ったケド、パンプスって飛行甲板を歩くには向かないわねぇ。
 
「ハロゥ、ミサト。元気してた?」
 
「まぁねー。あなたも、背、伸びたんじゃない?」
 
そぉ? って答える頃には、シンジの目の前だ。
 
今日のこの日を一日千秋の思いで待っていたから、感情の昂ぶりを抑えるのが大変。ちょっと気を抜くと涙腺が緩みそうになる。ダメよ、アスカ。今はガマン。
 
「紹介するわ。エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレィよ」
 
輸送ヘリのダウンウォッシュが弱まった瞬間にワタシがしたのは、バカケンスケのカメラを逸らすことだった。この距離で写せるとも思えないケド、まっ念のタメね。
 
シンジは? と確認すると、ほんのり頬を染めて視線を逸らしていた。ミサトが洗わせてる煽情的なヤツとは比較しようもない可愛らしいノなんだけど、刺激が強かったかしら?
 
「アンタが、碇シンジ?」
 
「う…っ、うん」
 
こちらに向けた視線をあっという間に戻して、シンジがワタシを見てくれない。それどころか、うつむいてワタシの視線から逃れようとする。…それがシンジだから、しょうがないか。
 
でも、いつまでもそんな性格で居られると思ったら大間違いよ。
 
「そう。 大変だったわね」
 
えっ? と、シンジが顔を上げた。揺れる視線を、やさしく受け止めてやる。
 
「アンタの記録は全て見せて貰ったわ。 ひどい目に遭ったのね」
 
ワタシの言葉が沁み込みやすいように、ゆっくりと間を取りながら話す。
 
「ロクな説明も受けずにいきなり乗せられて、 それでもアンタは良くやったわ」
 
シンジの目尻ににじみ出てきた涙は、ワタシの言葉が届いた証。
 
「褒めたげる。 今まで、よく頑張ったわね。 つらかったでしょ」
 
感極まったらしいシンジが、顔を伏せた。左の手の甲で、懸命に目元を押さえてる。くぐもった嗚咽は、喰いしばった歯の間から漏れ出てきてんだろう。
 
今シンジにかけてやった言葉は、どれもワタシがシンジの中に居た頃にかけてやったモノだ。そのときは、寂しそうに笑うばかりで取り合ってくんなかった。
 
同じ言葉なのに、こうして目の前に立って想いのかぎりを込めて口にするだけで、シンジの心に届くなんてね。
 
一歩詰め寄って、シンジを抱きしめてやる。驚いて泣き止んだシンジが離れようとするケド、それは許してやんない。シンジはこういうスキンシップを怖れるけれど、それはただそう云うことに慣れてないってだけ。自分にそんな価値はないって、思い込んでるだけ。
 
ぽんぽんとその頭をやさしく叩いてやると、あきらめたらしいシンジが体の力を抜いた。
 
「ワタシが来たからには、もうアンタをつらい目に遭わせやしないわ」
  
ぽたり。と左肩に落ちてきた涙が、熱い。
 
「…なっ なん^で?」
 
さかんにしゃくりあげるシンジが、なんとかそれだけ搾り出した。
 
「一目で判ったわ。アンタ、あんなことに向いてるタイプじゃないでしょ。でも、自分以外に乗れるヒトが居なかったから、仕方なく戦ってきた。…違う?」
 
静かにかぶりを振ったシンジに置き去られて、ぽとぽたと涙が落ちる。
 
「それがどれだけつらいことなのか、ワタシには解かんないわ。…だけど、想像はできる」
 
やさしくシンジを引き剥がして、その涙を拭ってやった。もちろんハンカチなんか使わない。その顔を包むようにして、親指の腹で、やさしく。
 
「向いてないって解かってんのに、ダレかのために戦えるなんて立派なことよ。ワタシは尊敬してる。アンタも自信を持ちなさい」
 
視界の隅に、あんぐりと口を開けたミサトの間抜け面。ミサトがドイツ勤務の時、それなりにやさしく接してあげてたケド、まさかここまでシンジに好意的に接するとは思ってなかったんだろう。
 
…だけど。と口答えしようとするシンジの唇を、人差し指で塞いだ。
 
「結果は出してるんだもの、それで充分よ。だって、ココロん中は想像するしかないじゃない」
 
想像しようとすることすら、最初の時にはできなったケドね…
 
…でも。なんて、まだ口答えしかかったので、シンジの唇をつねり上げそうになるトコだった。どうどうと荒ぶるココロを抑えつけ、人差し指を少し押し込むだけで黙らせる。 
 
…ワタシも、ずいぶんと丸くなったもんだわ。
 
「じゃあ、アンタは。10年間、使徒を斃すための訓練と、エヴァ開発のための実験に明け暮れた女の子の気持ち。…解かる?」
 
えっ!? と、漏れでたシンジの吐息が、指先に熱い。
 
少し呆けていたシンジは、それが誰のコトを指すのか判ったんだろう。ワタシから、目を逸らそうとした。…でも、逸らしきれてない。
 
そのココロの動きが、手に取るように判る。
 
正式な訓練を積んだ人間が居て、なぜ自分が…。とか、エヴァに乗るために10年も訓練してきた人だって居るのに、その間自分は…。とか、これで自分もお払い箱になるんだろうか。とか…。なにより、なんでこの人は、自分なんかのコトをこんなに気にかけてくれるのだろうか。…などとまで思ってんじゃないかしら。
 
もちろん想像に過ぎないケド、そう外れてないって自信があるわ。
 
その唇から人差し指をノけてやると、つられたシンジがワタシを見た。眉尻下げて、口を弓なりにして、答えを待ってるって顔をしてやる。
 
 
ぎゅっと閉じたまぶたが、涙の残りを搾り出す。きっと、ワタシの視線に耐えられなくなったのね。
 
「解かるわけ、ないよ…」
 
それは当然のコト。だけど、傷ついた女の子の代わりに戦えるヤツだって、ワタシは知ってるもの。
 
「…けど、解かってあげられたらいい…って思う」
 
おずおずと上げられた視線に、頷いてやる。
 
「それでいいのよ。でも、大事なコト」
 
あの…。と上げたシンジの戸惑いを、ワタシだから解かってあげられる。
 
「アスカって呼んで」
 
それでもシンジは途惑ってるみたいだから、後押ししてあげるわ。
 
「ワタシも、アンタのことシンジって呼ぶわ。いいでしょ?」
 
うん。って頷いたシンジが、おずおずとワタシの名を口にしてくれた。
 
「アスカ…は、僕のことを解かろうとしてくれてるんだよね」
 
いったん甲板に落とした視線が、上目遣いに見上げてくる。ほんのり、頬なんか染めたりして。
 
「その…、ありがとう」
 
あっ…ダメ。鼻の奥が熱くなるのを止めらんない。
 
前回の経験のお陰で、ワタシは自分の身体を完全に支配下に置ける。不随意筋だって自由自在で、心臓の鼓動すら思いのまま。
 
なのに、溢れ出る涙をとどめらんなかった。
 
だって、ワタシのコトバがシンジに届いたから。シンジのコトバが、ワタシに届いたから。カラダを完璧にコントロールできても、ココロから溢れ出るものは止めらんない。
 
 
誤解したシンジが慌ててるけど、…ゴメン。今は泣かせて。素直になるためにやり直してて、泣くことも笑うことも思いのままにやってきたけど、嬉し泣きできる機会はなかったんだもの。
 
…もうちょっと泣いてても、いいよね?
 
 
                                          終劇
2007.10.1 DISTRIBUTED
2008.02.18 PUBLISHED

【第九回 エヴァ小説2007年作品人気投票】にて、過分なご支持と評価をいただきました。
 投票してくださった方々への感謝の気持ちを、この一篇に添えて、御礼申し上げます。ありがとうございました。


 アスカのアスカによるアスカのための 保管 ライナーノーツ  

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/14 09:14



*1 エヴァFFに託したもの
 
私はエヴァFFを書き始めるにあたって、主軸とすべき要素を3つに絞りました。「チルドレンたちの心」「私なりのエヴァの解釈・考察」「使徒戦」です。
それらは、私がエヴァFFに求めるモノとイコールでした。
(おや?っと思われた方も居られるかもしれませんが、「性転換」という要素はアイデアの発端と云うだけで、物語を紡ぐための舞台装置に過ぎません)
さて前作「シンジのシンジによるシンジのための補完(ミサト篇)」は1作目ということもあり、これらの要素をほぼ、まんべんなく詰め込むことが出来たように思います。
問題はミサト篇への心残りから書き始めた「~Next_Calyx(ユイ篇)」でした。この作品は、成立過程が成立過程だけに、要素が偏ってしまうのです。
特に、当シリーズのシンジはユイ篇開始時で精神年齢が30歳前、使徒襲来時では40手前です。(貰い物の記憶も含めればさらに…)精神的に、それなりに強くなっていて然るべき年齢でしょう。ミサト篇では事情を知らないこともあって、本来の彼の弱さを押し出してみましたが、さすがに同じ手を使うワケには行きません。
 
 
*2 アスカ篇に至るまで
 
ユイ篇を書き始めた動機からすると、主人公ユイ(シンジ)は外せません。しかし、もっとも描きたい「チルドレンたちの心」をシンジの側からでは描けないとなって、何度ユイ篇をお蔵入りにしたことでしょうか。
なにより、Next_Calyxのプロットを何度も書き直しても、どうしてもしっくり来ないのがアスカでした。チビシンジのようにあっさり幸せになるのも違うような気がしますし、とことん不幸にするのもなんだか可愛そうです。そうして延々悩んだ果てに「他人から与えられた幸福では、どんなカタチだろうとアスカには似合わない」のだと思い至りました。その辺りをなんとかするための方策も色々と考えたのですが、Next_Calyxの中に組み込んでは、それもまた中途半端になるでしょう。だから、また別の話としてアスカ自身に頑張ってもらうことにしました。
 
 
*3 コンセプト
 
エヴァという世界を知るためには、主人公碇シンジの立場が重要です。それに客観的に自分を見て欲しいという願いもあります。なので、アスカがシンジに憑依することはすんなりと決まりました。
では、どのような立ち位置がアスカにとってベストだろうか?私の作品は常に、思考実験から始まります。
 
 
*4 初期プロット~
 
まずはオーソドックスに、意識を失ったシンジになり代わって活躍させてみることにしました。しかし、いかにシンジの立場に置かれたとしても、あのアスカが己を変えるとは思えません。途中からはWアスカ状態になって張り合い、相手を精神崩壊に追い込むことに変わりがないように思えます。
では一歩下がって、シンジと二重人格状態で必要に応じて表に出る。というのも考えてみましたが、シンジの性格ではアスカに譲りっぱなしになって前案と変わらなくなりそうです。
ならばいっそ、見てるだけで何もできないのはどうか?と考えました。何もできない状態なら、アスカには考える時間をたっぷりと与えることができます。とはいえ、原作をそのままなぞるというのは芸がないし、あんまりでした。
と云うわけで、かろうじて助言のできる「アンジェ」の誕生となりました。
 
 
*5 同時連載
 
アスカ篇を書き始めた段階では、単純に3作目としてNext_Calyxの後に連載を始めるつもりでした。ユイ篇の最終回でいきなりアスカを出しておいて、翌週からアスカ篇の開始を目論んでいたわけです。
それを同時連載というカタチに変えたのは、ユイ篇の前半ではほとんど言及されないアスカを、別のカタチででもフォローしておきたいと考えたからです。
それに、個々の宇宙で時間の流れすら違い得る【紫陽花ユニバース】の平行世界的な感覚を擬似的に表現できるかもしれません。単に混乱を招いただけかもしれませんが…。
そうと決まれば、ユイ篇の最終回掲載から逆算してアスカ篇の連載開始を決定します。連載周期の違いを考慮しても一ヶ月ほどの差が出ますが、そのために話数を調整するのは私のスタイルに反しますから、その辺は目をつぶります。
 
 
*6 最後に
 
エヴァ原作において、ある意味一番の被害者はアスカではないでしょうか?反面、彼女を主人公に据えるにはあまりにも種々の謎から遠ざけられていて、原作の流れを尊重したままでは難しいように思えます。Next_Calyxで、アスカへの主人公バトンタッチやダブル主人公化を考えたときに、そのことを痛感しました。
そう考えると、怪我の功名とはいえ、こういう形でアスカを主人公に据えることが出来たのは我ながら僥倖でした(逆行憑依という出オチのようなこの設定がここまで膨らむとは、1作目を書き始めた時点では想像もつきませんでしたが)。
おかげで私なりのアスカというものを表現できたように思いますが、これこそがFFの醍醐味かもしれません。FFで「逆行」や「再構成」という概念を教えていただいたこそ、辿り着いたのかもしれない作品だったように考えるわけです。
エヴァそのものよりも、エヴァFFの方が好きだということを再認識させて貰うような執筆過程でした。
 
全てのエヴァFFとその作者の方々、拙作を読んでいただいた全ての方に、「ありがとう。感謝の言葉」を。
 
多くの方々に支えられてこのシリーズを全うさせることが出来ました。重ねて御礼申し上げます。
                                    Dragonfly 拝
                                    2007年 9月吉日


 アスカのアスカによるアスカのための補間 Next_Calyx #EX3 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/28 10:08


 
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
再び第3新東京市に来て気付いたのは、このリニアモノレールという乗り物のことをワタシは結構気に入っている。というコトだった。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
ドイツ時代にはネルフ差し回しの乗用車ばかりだったから、その他の交通機関にはほとんど乗ったコトがない。
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
前の宇宙のバカケンスケなんかは、リニアモーターは車輌が軽すぎて走行音の味わいに欠けるって言ってたケド、この軽快さが好き。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
「ジオフロント外周の急勾配をものともしない意外な力強さがイイ」んだとシンジに言わせたら、確かに粘着式推進より登攀能力と車輌のコンパクトさで向いてるだろうけど。とか、だからって乗り入れのない路線までリニアにすることはないとか、ぶつぶつボヤいてたっけ。
 
 ……かたん、 ……ことん。
 
そのくせ、「ジオフロント引き込み線に乗ってみたい」って羨ましがってた。なんでもセカンドインパクトで多くの地下鉄が廃線になった関係で、ジオフロント線は世界で最も急勾配を登るリニアモーター路線なんだそうだ。第2新東京みたいな新しい都市は整備計画がきっちりしてるから必要なさそうだけど セカンドインパクト前の大都市・大深度地下鉄には、ジオフロント並みの急勾配を登るリニアモーター路線も少なくなかったんだとか。
 
  ……かたん、 ……ことん。
 
有名どころのナガホリツルミリョクチ線なんか、車輌アプローチのメロディがキョーバシだかツルミリョクチだかって駅名のイントネーションから作曲されてたとか、どうでもいいコトを熱く語ってたっけ。
 
知ったこっちゃないケド。
 
 ……かたん、   ……ことん。
 
「…弐号機パイロット」
 
        ……かたん、      ……こ とん。
 
「…弐号機パイロット」
 
ん?
 
「…着いたわ」
 
あら、ワタシ寝ちゃってたのか。どおりで前の宇宙のことなんか夢に見てたってワケね。
 
それにしても……
 
「レイ。ワタシのこと、なんて呼べって言った?」
 
急かすようなメロディに、慌ててレイの手を牽きながら車輌を後にする。
 
ホームに人影はない。利用者がほとんど居ない上に、駅員も階下の改札に1人居るかどうかって程度だったはず。車輌が行っちゃうと、吹きっさらしのホームがホントに物寂しいわね。
 
「…アスカ、と」
 
そうよ。と、レイの手を放して向き直る。
 
「…」
 
「弐号機のパイロットであることは、ワタシの一部に過ぎないわ。だからその呼び方は正しくないし、好きじゃないの」
 
「…わかったわ」
 
解かってくれたならいいわ。アリガトって笑顔を向けたら、あの、良く解からないって顔されちゃった。
 
ま、これからよね。
 
それで、どっち?って促すと、「…こっち」って進行方向とは逆にホームを歩き始めた。もちろん、知ってるケドね。
 
今からレイの部屋に行くのだ。「ワタシはまだ住居が定まってないから今晩泊めて」って頼みこんでついてきたってワケ。
 
そうしてまずは、あの惨憺たる部屋を目撃したって既成事実を作る。
 
そうすればあとはドウとでもなるわ。世界に三人しかいないチルドレンの扱いじゃないとか何とか言って、改装させるなり引っ越させるなりできるでしょ。いっそ同居したっていい。前の宇宙でシンジと共に過ごしたおかげで今のワタシは家事も嫌いじゃないし、レイの1人くらいなら面倒見れると思う。
 
先行して階段を下りる背中。レイのことを知らないヤツが見たら、拒絶されているように感じるだろう。
 
ワタシは、アンタがホントはすごい寂しがりやだって知ってる。だからこそアノ生活にも文句を言わないのだと解かってる。
 
だからまず、そのことをアンタに自覚してもらうわ。それは辛いかも知んないケド、必要なことだもの。謝んないわよ。
 
だけど、そのうえで。
 
アンタにはヒトの絆ってモノを教えてあげる。
 
ワタシは、ワタシがアンタと仲良くできるコトを知ってる。ううん、アンタと仲良くなりたいと思ってる。
 
ワタシがそうしたいから、この宇宙にやってきた。ワガママだって解かってるし、アンタには迷惑かもしんない。
 
でも、ワタシはアンタの笑顔が好き。
 
 ――満面の笑顔ってワケじゃないけど、見てるだけで優しくなれるような柔らかな微笑み。月の光が降り積もるような静けさの、元の宇宙のレイが見せてくれた笑顔――
 
あんなふうに、アンタにも笑って欲しいと思ってる。
 
前の宇宙では、ぎこちなく微笑ませるくらいしか出来なかったケドね……
 
 
先に改札を抜けたレイが、一瞬だけ歩みを止めた。ワタシが改札を抜けるのを待って「…こっち」と右の通りへ出る。
 
やり方を学べば、ちゃんとヒトを気遣うことができるじゃない。
 
……そうね。慌てることなんてない。急ぐ必要もない。一歩一歩進んでいけばいいんだわ。今こうして、並んで歩いているように。
 
レイ、アンタの笑顔もこの世界を照らせるわ。照らせるようにして見せるわ。
 
まずはアンタのアノ部屋、なんとかしないとね。
 
篭る気合の仕向けるままにコブシを掌に打ちつけちゃったけど、レイは怪訝な顔ひとつしない。
 
前途多難だわ。ってつきかけた溜息を、そっと呑み込む。そういうトコロをひとつひとつやってかなくちゃね。
 
「あのね、レイ」
 
レイの肩に手をかけて、なんて言ってやろうかと考えをまとめながら足を止めた。
 
                                         終劇

 
[IF]アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX1(ないしょのカーテンコール) 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:7b9a7441 前を表示する / 次を表示する 
Date: 2011/09/28 10:08



弔いの鐘の音が寒々しいわね。
 
「偉いのね、アスカちゃん。いいのよ、我慢しなくても」
 
おばさんが1人、芝居がかった仕種で泣き伏している。たしか類縁だったと思うケド、ワタシとどういう繋がりのある人なのか、いまいち思い出せない。
 
「いいの、ワタシは泣かない。ワタシは自分で考えるの」
 
悲しくないワケじゃない。素直になれないワケでもない。ただ、死んだのが単なるママの抜け殻に過ぎないって知ってるワタシには、茶番劇に見えて仕方ないってだけ。
 
だから、泣く演技もできずに言い憶えのある言葉を繰り返した。…やっぱり、まだ素直じゃないのかしらね?
 
 
芝生を踏みしだく音に、振り返る。
 
車椅子に乗った老人がワタシの前まで来て、止まった。目が不自由なのか、いかついバイザーが半ば埋め込まれた顔。車椅子もなんだか巨大で、いろんな装置がゴテゴテと取り付けられている。
 
無機質なカバーグラスなのに、なぜか優しそうにワタシを見てるような気がするわ。
 
「惣流・アスカ・ラングレィだね」
 
誰かに話しかけられたらしいおばさんが、ワタシの後ろから離れていく。
 
「アナタは誰?」
 
「儂はキール・ローレンツという。キールと呼んでくれ給え。…アスカ、と呼んでも?」
 
キール?それって、シンジが言ってたキール議長?ワタシはその名前を知らなかったし、こうして会った憶えもない。
 
いったい、この宇宙はどう違うと云うんだろう。
 
 
 
辛抱強くワタシの許諾を待ってた老人に、頷いてやった。
 
「それで、ワタシに何の用?」
 
うむ。と応えた老人がホイールをロックする。
 
そのまま車椅子を降りようとしたもんだから、慌てて押しとどめた。だって、どうみても車椅子から離れて生きていけるようには思えなかったんだもの。きっと、生命維持装置の援けなしには1分たりとも生きていけないと思う。
 
「無理すんじゃないわよ」
 
虚を突かれた。って顔した老人が、車椅子に座りなおして、笑顔。
 
「優しいのだな。アスカ」
 
 
 
ワタシのちっちゃな心臓が跳ねた。
 
だって、この笑顔って、この笑い方って…
 
  シンジにそっくりだったんだもの。…それも、再会したときの…ホントにやさしい笑顔。
 
 
ううん、待って。
 
  もしかして、もしかして…だけど…
 
    まさか…って、思うケド… でも
 
 
「…シンジ?」
 
周囲を憚った小さな声に、老人の笑顔が凍りつく。
 
  …
 
「…アスカ?」
 
それは、知る辺の存在を確認するニュアンスじゃなく、初めて会った相手がナゼ知ってるか、って問いだった。
 
それはまあ仕方ないだろうから、つい最近言ってやった言葉を、その時のニュアンスで。
 
「そうよ?まさか、このワタシを見忘れた?」
 
それでもシンジったら、まだ信じらんないって顔するもんだから、
 
「風が吹かなくて、残念?」
 
と、スカートの裾をつまんでみせてやった。…ちょっとイジワルだったかしら。
 
「…勘弁してよ」
 
どうやら納得したらしいシンジが、疲れたように嘆息した。
 
「それにしても、どうしてワタシたち同じ宇宙に来たのかしら?」
 
「綾波は、どうもこの世界が僕1人では荷が重いと判断したみたいだね」
 
ふむ。と考え込んだシンジは、1度外した視線をすぐさま戻す。バイザーだからよく判んなくて、そうじゃないかってコトだけどね。
 
「どこか落ち着けるところで話し合わない?」
 
「あら?幼女誘拐?」
 
心底疲れたって顔したシンジが、こめかみを押さえようとしてバイザーを叩いちゃった。ぅわ~!?痛そうな顔~。
 
「ごめんごめん。もちろん冗談よ」
 
と、頭をなでてやる。
 
「…勘弁してよ」
 
あんまり哀れげに呻くもんだから、居たたまれなくなっちゃうじゃない。
 
「話し合うのは賛成だから、パパに一言断ってくるわね」
 
うん。って頷いたシンジが、ああ…。と懐をまさぐった。
 
「これ持って行って」
 
取り出したのはビジティングカード。国連の諮問委員としてキール・ローレンツの名前が書かれてる。
 
…出世したのね。ってウインクしてやったら、僕の手柄じゃないよ。って溜息つかれちゃった。相変わらず朴念仁ねぇ。それが必ずしも悪いってワケじゃないケド。
 
ちょっと待っててね。と駆け出す。
 
 
ちっちゃい手足はもどかしくてちょっと不満だったのに、今はものすごく軽い。
 
やはり黒服に遮られてたパパのところまで、あっという間だったわ。
 
 
それにしても…、ワタシが居て、シンジが居た。…まさかレイまで来てる。なんてコトないわよね?
 
 
                チルドレンのチルドレンによるチルドレンのための補完 終劇

2007.10.9 DISTRIBUTED

アスカ篇・ユイ篇がそのまま再合流してしまったら……と云う想定の元のプロローグ。出オチの終着点(苦笑)パラレルというより一種の冗談、ファンサービスとしてテクスト化


  [IF]アスカのアスカによるアスカのための 補間 #EX4 

Name: dragonfly◆23bee39b ID:838af4c9 前を表示する 
Date: 2020/06/27 04:39


(本来なら、本日がシン・エヴァの公開日でしたね。(つд;*))



「ちょっと面白い所があるんだ。行ってみないか?」


いきなり加持さんがそう言い出したのは、浅間山火口に居た第八使徒を斃した直後のことだった。


そうして重VTOLまで使って連れてこられたのが、香川県にあるシン・ヤシマ水族館だったのにはビックリ。


「面白いだろう? ここは山の上にあるお陰でセカンド・インパクトの被害から逃れた数少ない水族館なんだ」


君たちの世代だと珍しいだろうと思ってさ。って言った加持さんは「ちょっと野暮用があるんで、後は二人で楽しんで居てくれ」って、あっという間に何処かに。


残された2人(とワタシ)は暫く顔を見合わせてたんだけど、「せっかく加持先輩もああ言ってることだし、回って見よっか」の一言で入館することになった。


セカンド・インパクトで失われたモノは多い。


こうした水族館なんて設備もそうだけど、色んな動植物もそうだと聞かされていた。


だから、シンジもアスカもワタシも、展示された魚類やマナティやイルカに夢中になる。


なかでもアスカは、サメとか云う軟骨魚類の水槽に釘付けだった。


「なんだか、キバがずらりで恐いね」


「バッカねぇ。捕食者のあるべき姿を体現してんじゃない。この洗練された進化が解からないの?」


アスカの声は低く抑えられてる。いつもなら盛大な罵声が飛んで来るところだけど、そうじゃない。


それだけ集中してんだろう。


床に根でも生えたかのようなアスカの様子に、シンジはタメ息をひとつ。

 踵をかえして、売店コーナーに。

 『ナニ見てんの?』

 『いや、綾波が第三新東京市でお留守番だから、お土産でも。と思ってさ』

ふーん。

 見てたらペンギンとサメとクリオネのキーホルダーを手にとって会計へ。

 『ペンギンはレイに。って判るケド、サメとクリオネはなんで?』

シンジが財布を取り落としそうになった。

 『……その……アスカがサメを気に入ってたみたいだし、せっかくだから記念にと思って……』

あら、シンジにしては気が利くじゃない。ワタシの教育の賜物かしら?

 『じゃあクリオネは?』

 会計を無事に終えたシンジが、今度は受け取った紙袋を落としそうになる。

 『……一応、僕が使うんだけど、……』

なんだか歯切れが悪い。

 『……アンジェのイメージにぴったりだと思って……』

……/////

思わず、存在しない両手を頬に宛がおうとした。

だって、頬っぺたが熱い……って、シンジの頬っぺたが赫くなってるらしかった。

 『そう、当然ね』って、普段のワタシなら応えただろうけど、なぜか言葉が出てこない。

シンジがワタシのことをこんな可憐な生き物のように思ってくれてると知って、無いはずの心臓がドキドキ言ってる。

 『……迷惑だったかな?』

 窺うような視線は、手元の紙袋たちに。

 『ううん、そんなことない。ありがとうシンジ』

よかった。と胸を撫で下ろすシンジに、ココロの中でワタシも同調してた。

 素直に感謝を伝えられて、ホッとしてたから……

ホントにありがとう。シンジ……




でも、バッカルコーンのことは教えない方がいいわよね?

おわり


新屋島水族館には行ったことがあります。山の頂上にある、こじんまりとした水族館でした。
シン・ヤシマとしたのは、シン・エヴァンゲリオンとヤシマ作戦と、もうひとつ理由が……

あと、Twitter始めました。(@dragonfly_lynce)短編などもUPしてるのでよかったら覗いて下さい。