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このchapterシリーズは
【明城学院】シンジとアスカの学生生活【LAS】No1~6,story1~3とは別の作者の方が書かれたssです

シリーズもの&完結していますので、編集の完了までお待ちいただけると幸いです。





【明城学院】シンジとアスカの学生生活【LAS】chapter1
404: 通りすがり 1 1/3 2015/03/31(火) 13:29:47.25 ID:???

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東京駅の新幹線改札口
大きな荷物を提げ、ポケットから乗車券を取り出しながら歩いてくるシンジ
顔を上げる
改札の向こうにカヲル
思わずバッグをどすんと取り落とすシンジ
「?! 何でいるんだよ」
「寮まで荷物持ち。君、今日帰ってくるって言ってたろ」
あっさり答えるカヲル

405: 通りすがり 1 2/3 2015/03/31(火) 13:30:34.28 ID:???
困惑顔になるシンジ
「言ったけど…だからって」
「いいじゃん。まだ他の人戻ってないし、その荷物じゃ大変だろ」
しぶしぶ改札を抜けるシンジ
さっさとボストンバッグを引き受けるカヲル
仕方なく後について歩き出すシンジ
「…いいの? まあ、正直ありがたいけど」
「いいってば。そっちは?」
大きな紙袋の束を持ち上げてみせるシンジ
「これは、おばさんが持たせてくれたお土産。いいって言ったのにな」
駅の番線標示を探しながら返事するカヲル
「いいことじゃないの。君が帰ってきて、嬉しかったんだろ」
「…そう、かな」
「うん。だって、僕も嬉しいからさ」
屈託なく振り返るカヲル
まごついてしまうシンジ
すぐにむっとして足早に追いつき、カヲルに並ぶ
見守る眼差のカヲルを見返す
「ったくもう、すぐそういう言い方するなよ。…ていうか、その手のことは綾波に言えよな」
「言ってるよ。毎日」
「え…」
さらっと言い放つカヲルに、逆に自分が照れてしまうシンジ
再びむっとした顔になって足を速める

406: 通りすがり 1 3/3 2015/03/31(火) 13:31:17.40 ID:???
「待ってよ。こっちの電車の方が早い」
シンジの腕を掴んで方向修正するカヲル
子供扱いされているようで、ますますむくれ顔になるシンジ
ホームへのエスカレータに乗る二人
「あのさ、…改めて言うのもなんだけど、一つ、訊いておきたいんだ。
 綾波のこともそうだけど…君たちのこと」
「ん? まあ、そうだよね」
振り返るカヲル
少しためらうシンジ
荷物を持ち直し、カヲルを追い越して先にホームに上がる
吹き抜ける春風
わずかに身体に残っていた故郷の空気感が離れ、急に独りの実感を覚えるシンジ
隣に来るカヲル
「いいよ。今日はそれを話したいのもあって迎えに来たんだ」
「え?」
大人びた顔で東京の空を眺めているカヲル
また自分だけが幼いような不安に襲われ、しばしその横顔を見つめるシンジ
こちらを見ないカヲル
「ちょっと込み入ってるから、それは電車降りた後で。構わない?」
「? うん…いいけど」
アナウンスがホームを渡り、電車が入線してくる

407: 通りすがり 2 1/3 2015/03/31(火) 13:32:15.56 ID:???
鏡の前で身なりを最終チェックするアスカ
前髪の乱れを直し、身体を反転させて背中側も完璧なのを確認
最後に二つの髪飾りを軽く弾く
試しに笑顔を作ってみるアスカ
すぐに本物の笑みがこぼれる
「…よし」
手早く薄手のスプリングコートを羽織り、ぱっと髪を出してしっかりボタンを留める
もう一度鏡の前で目元を確認してから、バッグを掴んで部屋を出る
「マリ? 朝言ったけど、私、出かけるから…って、何よ?!」
玄関で待ち構えていたマリ
平静を装うアスカを頭からつま先までじっくりチェック
「…ふぅーん」
「な、何よ。もう行くってば」
にやりとするマリ
「その気合の入れっぷり…さては、デート? 例のカレと」
「ちッ違うわよ! 友達よ友達、レイんとこ! 朝、ちゃんと断ったでしょ!」
「あ、そ。じゃ、そういうことにしとこっか。ただ…」
廊下へ立ち去りつつ、ちらっとアスカを振り返るマリ
「コートのベルト、後ろねじれちゃってるよん。ひーめ」
「え? …嘘!」
あわててその場で回転するアスカ
おかしそうに含み笑いするマリ
ベルトを直し、ついでに前で締めるのではなく後ろへ回してリボン風に結ぶ
「この方がオンナノコっぽくて可愛いよ。脱ぎ着しやすいし」

408: 通りすがり 2 2/3 2015/03/31(火) 13:33:01.26 ID:???
「…あ、ありがと」
「それと、ちょっと待ってて」
いったん自分の部屋へ消えるマリ
戻ってきたその手に、小さな外国の香水瓶
思わず目が行ってしまうアスカ
蓋を開けるマリ
優しい笑みで促す
「はい、後ろ向いて」
「…え? う、うん」
素直に背中を向けたアスカの髪を一房つまみ、シャンプーの香りを確かめる
頷き、後ろ髪をまとめて持ち上げ、襟足に香水を一噴き
「…つめたっ」
「ごめんごめん、はい、終わりー」
髪を放すマリ
振り返るアスカ
「何のオマジナイよ! …あ」
髪が動いた拍子にふわっとあるかなきかの繊細な香りが広がる
ちょっとうっとりしてしまうアスカ
自分も鼻をひこひこさせているマリ
「よしよし、シャンプーともかちあってないね。はい、じゃ、これ持っていって」
ぽんと香水瓶を手渡されてマリを見つめ返すアスカ
「…いいの? マリのでしょ」
大人の笑顔で首を振るマリ

409: 通りすがり 2 3/3 2015/03/31(火) 13:33:58.96 ID:???
「それは姫のだよ。
 キョウコママから預かってたの。アスカももうすぐ大人になるんだから、折を見て
 渡してあげてちょうだい、ってね」
「…ママが?」
きゃしゃな作りの香水瓶を見つめるアスカ
「こないだの手紙の時にね。ま、大学生になってから解禁のつもりだったけど、特別」
「…そっか」
少し複雑な表情で香水瓶を撫で、それから素の顔でマリを見上げるアスカ
いつくしむ目で受け止めるマリ
ふいに悪戯っぽい表情になる
「んじゃもう一個、大人のアドバイス」
「何?」
期待顔のアスカに、内緒話の姿勢で顔を近づける
にゃっと猫スマイルを浮かべるマリ
「そのコート脱いで、おろしたてのワンピース姿をお披露目する前にね…
 胸の谷間に、こっそりシュッて仕込んどくんだよん」
「?! えええ、何よそれ?! バカッ」
思いっきり後退し、ストラップを握ってバッグを振り回すアスカ
退散するマリ
「じゃーねー、いってらっしゃい。武運を祈る」
「祈んなくていい! 行ってきますっ!」
ばたばたと出て行くアスカ

410: 通りすがり 3 1/6 2015/03/31(火) 13:35:16.02 ID:???
寮の最寄り駅から外に出るシンジとカヲル
短い帰省の間に一気に春らしさを増した通りや家並
春休み真っ最中のせいか人影は少ない
見回すシンジ
先に歩き出しているカヲルをあわてて追いかける
他に通行人もいない路地に入って、ようやく足取りを緩めるカヲル
隣に並ぶシンジ
「シンジ君さ」
「え?」
急に振り向くカヲル
「僕らのこと、変だなって思ってるだろ。
 …いいよ、それで当たり前だから。いきなり君の傍に来た上に、レイと婚約した
 なんて言い出したんだからさ」
少し迷ってから頷くシンジ
「…うん。
 悪いことだなんて思わないけど、ちょっと急すぎるっていうか…何で、その二つを
 一緒みたいに言うのか。良ければ、ちゃんと聞かせてほしい」
「そのつもりだよ。ただ…」
ボストンバッグを反対側の肩に掛け直し、空いた腕を曲げ伸ばしするカヲル
「…どうやって切り出そうかなって、正直迷っててさ。
 電車に乗ってる間もずっと考えてたんだけど、上手くいかなくて」

411: 通りすがり 3 2/6 2015/03/31(火) 13:36:17.13 ID:???
「…なんだよ。別にいいよ」
本気で困っているらしいカヲルにちょっと笑うシンジ
「渚が話しやすいようにでいい。僕も今日は特に用事もないからさ、ゆっくり聞くよ」
微笑むカヲル
「ありがと。でも、あいにく時間制限がある」
「何の?」
「まだ内緒」
けげんな顔のシンジを振り切るように少し前に出るカヲル
不満げに追いつくシンジ
「何だよ? また何か変なこと考えてるんじゃないだろうな…
 もう、外国に行ってる間に、常識まで向こうに忘れてきたんじゃないの、渚は。昔は、
 それに文通してた時は、ほんとに頼りになるお兄ちゃんだったのに。ほんと、人間って
 変わるもんだね」
ちょっとうつむくカヲル
「…そうだね。変わるんだ」
「え?」
顔を上げ、シンジを見るカヲル
通り過ぎる庭先から咲きこぼれている満開のミモザの花
すぐ普段の表情に戻るカヲル
「ねえシンジ君、またちょっと、変なこと言うよ」
「今さら驚かないよ。どうしたんだよ、さっきから」
揃った二人の足音
唐突に、例のごとくあっさり言うカヲル

412: 通りすがり 3 3/6 2015/03/31(火) 13:38:13.85 ID:???
「…シンジ君、僕は君が大好きだ。そのことはもうずっと変えられないと思う。
 たぶん一生、君のこと、大事に思っていくだろう」
硬直するシンジ
紙袋がまとめて落ちる
自分も足を止めて振り返るカヲル
「…何だよ、そこまで引かれると傷つくんだけど」
うまく口が回らないシンジ
「え、や、だって、それってその、つまり」
くすくす笑って首を振るカヲル
「違う違う。友達って意味だよ。普通の。当たり前だろ。…ていうか、別に君なんかと
 恋愛関係になりたいとは断じて思わないし」
「…なんかさりげなくけなされてる気がするんだけど」
カヲルに手伝ってもらって荷物を拾い上げるシンジ
再び歩き出す二人
また切り出し方に迷っているらしいカヲル
ふっと笑い、自分から助け舟を出すシンジ
「いきなり、何だよ。あ…でも、もしかして、綾波のこととも関係あるの」
「…うん」
顔を上げるカヲル
少しかすんだ春の青空
「…実は、さ。
 君とはこっちに来るまで会えなかったけど、僕とレイは、去年くらいから何度か
 会ってたんだ。君んとこに比べればお互い近場だったしね。レイは昔の僕をちゃんと
 覚えててくれてて、僕は嬉しくて、何度も会いに行った。…でもね」

413: 通りすがり 3 4/6 2015/03/31(火) 13:39:03.61 ID:???
言葉を挟めず見守るシンジ
「二人で会ってたときにさ、何を話してたかわかる?
 結局、君のことなんだよ。昔、三人でいた頃が懐かしいねっていう話。それから、
 今、君はどうしてるだろうなって話。嫌じゃなかったけど、僕らの間にはいつも君が
 いたんだ。こんな時君がいたらどうするだろうねとか、一緒に来たかったなぁとか。
 …僕はそれが、だんだん苦しくなってさ」
優しい目でシンジを見るカヲル
「もちろん君は何も知らない上でのことだし、何の責任もない。ただ、僕らはどうしても
 君抜きの僕らを考えられなかったってだけなんだ。二人で会ってるつもりでも、
 気持ちの上ではいつも三人でいたし、そうしていたかった。君が懐かしかったからね」
何も言えないシンジ
気づいて小さくかぶりを振るカヲル
「…それでも僕らは構わなかった。だけどお互いの気持ちを伝え合ったとき、やっぱり
 『三人』のままじゃいけないって気づいたんだ。もう変わらなきゃ、ってね。
 いつまでも君にこだわってちゃいけない。たとえ僕らが良くても、閉じた関係に君を
 巻き込んじゃいけないんだ。それは僕が嫌だ。
 君を縛るのも、逆に君に縛られるのも、それは僕らみんなにとって酷いことだと思うから」
珍しく真剣な語調で言い切るカヲル
シンジを見る
懐かしむような、いとおしむような、どこまでも共感に満ちた優しい眼差
見つめ返すしかできないシンジ
「そんな顔しないでよ。これは僕ら自身の問題なんだからさ」
「…わかってるけど」
笑ってみせるカヲル

415: 通りすがり 3 5/6 2015/03/31(火) 15:03:01.26 ID:???


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「とにかく、さ。そんな時に、レイが家族の都合で東京に引っ越すことになった。
 しかも君の通う学校の近くにね。
 …僕は運命とか必然なんてものは信じないけど、これは僕らへのチャンスだと思った。
 だから、レイに言ったんだ。レイのことが他の誰よりも好きだ、だから、僕と一緒に
 シンジ君のところに行ってほしい、一緒に、僕らの『これから』に向き合ってほしい、って。
 けっこう必死だったな。あはは」
黙って受け止め、目顔で続きを促すシンジ
感謝の視線を投げるカヲル
「…レイは頷いてくれたよ。僕の言いたいこと、全部わかった上で、僕のプロポーズを
 受けてくれた。
 だから、ここに来たのは、本当は僕らの都合でもあったんだ。
 僕らの覚悟。賭け。君への感謝と、好意。…何よりも、こんな僕らの身勝手を
 許してほしいということ」
「…そんな」
遮るシンジ
思わずカヲルに詰め寄り、それから急に自信を失ってうつむく
「許すだなんて、…そんな資格も権利も、僕なんかにはないよ。
 せいぜい、祝福することができるだけだ。…僕だって君たち二人が好きだ、昔からの
 友達だからってだけじゃなくて、今の君たちが好きだし、また会えて良かったと思う。
 だから…渚こそ、そんな顔するなよ」
「…え」
自分の頬を指で押してみるカヲル

416: 通りすがり 3 6/6 2015/03/31(火) 15:04:25.40 ID:???
「そんなに変な顔してた?」
「うん。なんか…迷子みたいな顔」
「えー?」
「…何だよ、その思いっきり馬鹿にした顔は」
「だってさぁ。なんか適当なこと言ってない?」
「ほんとだってば! たくもう、真面目に答えて損した」
学院の男子寮に着く二人
自室の鍵を開けて荷物を運び込み、閉めきっていた窓を開いて風を入れるシンジ
戸口で待っているカヲルを振り返る
「良かったら、少し上がってく? お茶くらい淹れるよ」
「ううん。それよりさ」
片手で外を指すカヲル
「着いたばっかりで悪いんだけどさ、少し散歩しない? せっかくいい天気なんだし。
 どうせお昼も新幹線の中で済ませたんだろうしさ」
「ええ?」
さすがに迷惑顔になるシンジ
それでもすぐに思い直す
立ってきて靴を履くシンジを、痛みに似た微笑で見守るカヲル
「…全く。少しは休ませろよな、長旅だったんだから」
「ごめんってば。あとで飲み物くらいおごる」
ちらっと時間を確かめ、シンジを振り返りながら外に出るカヲル

417: 通りすがり 4 1/3 2015/03/31(火) 15:07:02.06 ID:???
「ごめん、遅くなっちゃった!」
手元も見ずに定期券を改札に通し、走って出てくるアスカ
振り返るレイ
その姿を見るなり、思わず立ち止まってしまうアスカ
「? どうしたの」
「え、ううん…」
レイのまとった白いブラウスドレスを横目で眺める
身体の線を出さないふんわりした仕立てで、いかにも清楚で少女らしい
洗いざらしたリネンのような飾り気のない生地には、ところどころカットワークが施されて
さりげなくレースがはめ込まれている
「…別に、何ってわけじゃないんだけど」
自分の淡いイエローのトレンチを見下ろすアスカ
胸元から少しだけ覗いた、今日おろしたての白いハイネックのクロシェ編みワンピース
(…白・ハンドワーク風、で完全にかぶってるじゃない)
レイの足元は、気取らない素足に軽快な白とライトグレーのショートブーツ
対して自分は、黒のタイツを履いた上に重めの黒とネイビーの、同じくショートブーツ
(かぶってる上に…負けてる、かも)
密かに落ち込んでいるアスカを覗き込むレイ
「…綺麗。そのコート。靴も、似合ってて」
顔を上げるアスカ
「え?」
ふふっとはにかむように笑うレイ
「大人っぽくて、素敵。…私も頑張ったけど、やっぱり、子供」
「そんなことないわよ」
急にレイへの親しみを強く感じるアスカ

418: 通りすがり 4 2/3 2015/03/31(火) 15:08:20.51 ID:???
「あんたらしさが出てて、すごくいいじゃん。…それにしても、レイもお洒落してきたんだ。
 私だけ変に意識しすぎてて浮いちゃうかなって、実は心配してた」
さらにはにかむレイ
「…私も。彼が戻ってから一度も、会ってないもの」
「…彼? あ、そっか」
一瞬きょとんとし、ちょっと赤くなるアスカ
レイが『彼』と呼ぶのはこの世でカヲルしかいないということの理解
少しの羨望と、小さな光る星のような決意
(…私も、いつかそんなふうになるんだ。絶対。シンジのこと以外、アナタとか彼とか、
 私の好きな人って、呼びたくない)
「行こっか」
上気したままの顔で先に立つアスカ
「うん」
素直についてくるレイ
途中で気づいて、ほんの少しアスカの方に顔を寄せる
「…髪、いい匂い」
「わかる?」
今度はアスカが恥じらう
「香水。ちょっとだけどね。…ママが贈ってくれたの」
「お母さん?」
「そ」
バッグを振り子のように振って、薄雲にほんのりかすむ春の空を仰ぐアスカ
「私をマリに預けて、ドイツに戻ってるの。一応それなりの役職にいるから現場を長くは
 離れられないし、それに、彼氏がいるから」
「…他の人」
「そ。ママの、今の恋人。…たぶん、パートナーになると思う」
「そう」

419: 通りすがり 4 3/3 2015/03/31(火) 15:10:13.99 ID:???
柔らかく声を継ぐレイ
短い言葉なのになぜかそっけなくは聞こえない
他人に打ち明けるのが嫌でない自分を、少し不思議がるアスカ
「…ちょっと前までは、私も反発してた。
 でもこっちに来て、マリからいろいろ聞いてくうちに、少しずつママのことわかるように
 なってきたの。これまで、ママが一人でどんなに頑張ってきたのか。小さかった私を抱えて
 どれだけ心細かったのか。だから今は、ママのこと、許せる気になってる。
 要するに、私もいつまでも子供じゃいられないんだってことだもの」
黙って耳を傾けているレイ
急に恥ずかしくなるアスカ
「ごめん、いきなり家族の話なんかして。気にしないで」
「ううん。あなたのこと、聞けて嬉しいもの」
「そ…う?」
無心に言うレイにますます赤くなるアスカ
小さく微笑むレイ
ふっとその笑みが弱まる
「…そうね。いつまでも、同じではいられない。
 私も、あなたに聞いてほしいことがあるの。向こうに着くまでに。私たちと、…それから、
 碇君のこと」
じっとアスカを見つめるレイ
一つ間違えれば近寄りがたさにもなる透明な距離感
その向こうに、レイの抱えているひたむきな何かを見て取るアスカ
理屈でなく、これが現実が自分へ用意した挑戦だと密かに悟る
きっと顎を引いて鮮やかに微笑むアスカ
強く頷く
「…聞くわ」
壊れそうに儚い微笑を浮かべるレイ
「…ありがとう」

420: 通りすがり 5 1/5 2015/03/31(火) 15:12:44.82 ID:???
「…碇君はね、私たちの絆で、傷口なの」
あまり話し慣れていないぎこちなさを見せて、不器用に語るレイ
静かな声音の底に痛々しさを感じてしまうアスカ
さっきレイがしてくれたように、じっと耳を傾ける
「彼は…本当はずっと寂しかった私を気遣って、会いに来てくれた。…二人で、碇君の
 思い出話をして。それから、ただ、黙って一緒にいただけ。
 …自分の気持ちに気づいてからも、私は、それだけでいいと思ってた。それ以上の何かを
 望むことが、この私に許されてるとは、どうしても…思えなくて」
うつむくレイ
細い髪の毛が頬にかかる
見つめるアスカ
思わず声が出る
「大丈夫。私が、ちゃんと聞いてるから」
ちょっと振り向くレイ
微笑む
「…ありがとう」
明るい黄色のシャワーのようなミモザの枝の下を通り過ぎる二人
「…そう。だから、…私たちはいつまでも、碇君との思い出でつながっていた。
 彼が、自分も同じ気持ちだって伝えてくれてからも。私たちは、二人きりでいるより、
 碇君を思い続けながら『三人』でいる方が、自然だったの。…それはたぶん、この先も
 ずっと変わらないかもしれない」
気づいたようにアスカを見るレイ
大きな目に浮かぶアスカへのいたわりと、自身の痛み

421: 通りすがり 5 2/5 2015/03/31(火) 15:13:57.48 ID:???
「ごめんなさい。
 だけど、…異性として、好き、なのとは、違うの。それを望んでるわけでもない。
 ただ…碇君のことは、私たちはどうしてかずっと心配で、気にかけていなければならない、
 そう思えるの。もう、いつからそうなのか、わからないくらい、当たり前に」
ちくりと胸の痛みを感じるアスカ
レイの話していることは本当だとわかるのに、それでも寂しさと悔しさは消えない
彼らの共有する時間への、かすかな憎しみ
(…子供みたい、ね。私。
 でもこれも、きっとずっと抱えていかなきゃいけないんだ。
 だけど…私は、それでいい。いいってことにする。私が自分でそう決めるの。
 だって、シンジのことだもの)
小さな鋭い痛みを胸に抱きしめるアスカ
再び青空を振り仰ぐ
通り過ぎる家並の庭は、どれも花盛りの春
「別に、私は構わないわ。
 あんたたちがシンジを横取りしたりするわけないってのは、もう呑み込めたし」
アスカの気負いのない微笑みに、とまどうレイ
表情を改めて訊くアスカ
「…だけど、ならどうしてシンジが傷になるの? 絆って方は、よくわかったけど。
 それでいいじゃない、あんたたちがいいなら」
寂しげな目になるレイ
「いいえ。絆だから、傷口なの」
どこからか、風に乗って淡く花の香りが漂ってくる

422: 通りすがり 5 3/5 2015/03/31(火) 15:15:31.00 ID:???
「私たちの再会は、碇君がそこにいないことから始まったもの。
 欠けたもう一人という不在が繋ぎとめている、閉じたいたわり。だから絆でない絆。
 …ずっと怖かったの。もし碇君のことを考えるのをやめてしまったら、私たちはもう一緒に
 いられないかもしれない。…碇君のせいじゃない。だけど碇君から離れられない。
 お互い、そのことにも気づいていたのに」
静かな声が抑えられた熱をはらむ
レイの中に秘められた激しさに気づくアスカ
「…私たちはお互いを助けたいのに、自分が自分でいる、そのことがかえって欠落を
 思い出させてしまう。だから、碇君のことはずっと、私たちの間にある、開いたまま
 血を流し続ける傷口だった。碇君の、せいじゃないの。悪いのはみんな私たち。
 お互い怖がって遠回しにしか触れようとしないから、いつまでもふさがらない、傷」
無意識にレイに触れようとして、ためらうアスカ
他人が簡単に慰めることではないと知る
ここまで自分の心をさらけ出すレイへの驚きと、気後れ
(私は…ここまで、シンジのこと、思ってあげられるのかな。自分の嫌なところに、
 ごまかさず向き合えるの…?)
めまぐるしく移ろう思いが胸を騒がせる
でも今は、最後までレイの話を聞くと決める
目を逸らさずにレイを見るアスカ

423: 通りすがり 5 4/5 2015/03/31(火) 15:17:20.75 ID:???
春風が渡り、景色がしだいに開ける
今日約束した場所である、小さな公園が坂の下に見えてくる
「…そんなときに、私はこの東京に、碇君の近くに来ることになった。
 …違う学校を選ぶこともできた。でも、私は同じ明城学院を選んだの。彼にも伝えた。
 もう、碇君を巻き込み続けて…碇君に頼り続けるのは、嫌だったから。
 それで壊れてしまう繋がりなら、…その方が、いいもの。…寂しさなら耐えられるもの」
そっと顔を上げるレイ
「彼も…同じ気持ちだとわかった。だから、頼んだの。
 一緒に来て、って。私と一緒に、碇君と向き合ってほしい、って。…このままじゃ、碇君も
 私たちも、みんなに悪いだけだもの。
 …彼は、頷いてくれた」
横顔が淡く染まる
ほんのちょっと笑みをこぼすレイ
深いいたわりに満ちた目でアスカを見る
「だから…もう一度、あなたには謝らなければいけないの。
 私たちがここに来たのは、碇君と、碇君の傍にいるあなたを見たかったからでもあるけど、
 何よりも自分たちのため。…ごめんなさい。あなたには、責める資格がある」
まっすぐアスカを見ているレイ
苦しさに目を伏せそうになるのをこらえているのがわかる
「…そして、もし許してもらえるのなら、少しの間、あなたたちの傍で過ごさせて欲しい」
一瞬目を見開き、ぱっと笑みを浮かべるアスカ
息を呑むレイ

424: 通りすがり 5 5/5 2015/03/31(火) 15:18:57.40 ID:???
「責めないわ。
 …だってあんたたちは、もう充分悩んだんだもの。
 私、初めてあんたたちを見たとき…正直、理由はわかんないけど、すごく嫌だったの。
 何でか、あんたたちがシンジの傍に寄るのを許しちゃいけない気がして…本能的って
 いうか、思い出せもしない、嫌な思い出みたいに。だけど、そんなことに縛られるのは変よ。
 今のシンジは、今いる通りのシンジ。私も、今こうしている私。それ以外の何でもない。
 あんたたちもよ。そう、…今のあんたたちは、全然、嫌じゃない。嫌いじゃない。
 だから、もういいのよ」
はっきり声に出して言い切る
強くてしなやかで優しくて、どこまでも鮮烈なアスカの笑顔
自分にはないそれらをそっと見つめるレイ
微笑む
「…ありがとう」
少し考えて、付け足す
「碇君と、ここで巡り会ってくれて。…ありがとう」
「…何よ」
大いに照れてしまうアスカ
「当たり前のことなんだから、そんなに礼を言わなくてもいいの。
 …えっと、約束の公園ってあすこよね? 時間、大丈夫だっけ…あ!」
ぱっとアスカの顔が明るくなる
「いた!」
光が泡立つような嬉しさが身体の底から突き抜ける
駆け出すアスカ
桜に囲まれた公園へ走っていく

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426: 通りすがり 6 1/7 2015/03/31(火) 17:30:21.88 ID:???

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「はい」
自販機で買ったペットボトルを無造作に投げてくるカヲル
慌てて受け止めるシンジ
「何で投げるんだよ! 普通に渡せばいいだろ。ほんと、渚ってこうだよな」
ぶつぶつ言いながら、『今』のカヲルを自分がもう受け入れていることに気づくシンジ
(…そうだよな。いつまでも昔のままじゃない。
 綾波のことも。それで当たり前なんだ。…何だよ、自分じゃアスカに、出会ったときの
 ままじゃ駄目なんだ、なんて、一人前みたいなこと言っておいて。
 もしかしたら、本当に『変わらない』ことにこだわってたのは、僕だったのかもしれない)
ペットボトルを開ける
シュッと鋭く空気が抜ける音
小さな公園をぐるりと囲む桜並木に目を移すシンジ
そろそろ満開に近い一面の花々
軽く汗ばむくらいの春の午後の陽気
「…寮の近くに、こんなところがあったんだ。知らなかったな」
春休みで遊び回っているらしい小学生たちの自転車が桜の向こうを通り過ぎる
「渚、ここに連れてきたかったの? でも、男同士で花見ってのはちょっと…」
路地の向こうを見やり、振り向いて首を振るカヲル
「男だけじゃないよ。…時間ぴったりだ。さすがレイ」
「え?」
きょとんとしたシンジに、桜の枝の向こうから声
「…いた! シンジ!」
目を見開くシンジ
細い坂をどんどん駆け下りてくるアスカ
軽やかに宙に踊る長い髪
「…アスカ?!」

427: 通りすがり 6 2/7 2015/03/31(火) 17:32:16.59 ID:???
あっという間に公園にたどり着き、その勢いでシンジの胸に飛び込むアスカ
受け止めざるを得ないシンジ
全身にアスカの柔らかな重み
懐かしいアスカの感触
思わずぎゅっと抱きしめるシンジ
腕の中で、溶けてしまいそうな声で囁くアスカ
「…お帰り。馬鹿シンジ」
「…うん」
もう他のことは全部忘れて、ただ心から微笑むシンジ
「ただいま。…会いたかった。アスカ」
光そのもののように風に揺れて輝く桜の枝
じっとしている二人
地面に放り出されて弾んだペットボトルを拾い上げるカヲル
上体を起こし、ふとそのまま顔を上げる
遅れて公園に現れるレイ
くっついている二人を見て、黙ってカヲルと笑みを交わす
ようやく我に返るシンジ
「アスカ、でも、なんで…あっ」
気づいてカヲルを睨む
ついでに隣に来たレイの姿も見て、確信に至る
「…二人で仕組んだの? もしかして」
「そう、サプライズ。大成功だね」
屈託なく笑ってみせるカヲル
「ね」
レイとくすくす笑い合う
恥ずかしさと決まり悪さがふっと抜けていくのを感じるシンジ

428: 通りすがり 6 3/7 2015/03/31(火) 17:35:14.77 ID:???
もう一度ペットボトルを投げて寄越すカヲル
受け止めて、急に真顔になるシンジ
「…ん? ていうか、もしかして知らなかったの僕だけ…?」
「そうよ。ばーか」
一歩離れてくるっと回るアスカ
明るい黄色のコートの裾がふわっと翻る
「あんた、こんなに心配してくれる親友二人がいるのに、気づかなかったわけ?
 あーあ、友達甲斐のないやつね。ね、レイ?」
穏やかに笑っているレイ
身を翻すアスカの髪が顔の前をかすめ、ふと目をみはるシンジ
(…何だろう。すごくいい匂い)
スプリングコートをきちんと着込み、脚は黒タイツで固めたアスカが、ひどく大人びて見える
シンジの視線に気づいてポーズを決めてみせるアスカ
「…どう?」
いきなり振られて焦るシンジ
待っているアスカ
さらにうろたえるシンジ
どんどん顔がほてってくるのがわかる
「どうって、…その、綺麗、だよ。似合ってて。すごく。…でも」
語尾が小さくなる
聞き逃さないアスカ
「何? なんか堅苦しいって?」
「べ、別にそんなこと言ってないだろ。大人っぽいって言いたかったんだよ。なんか…
 すごくいい香りもするし、…僕にはちょっと、手が届かないくらい、素敵だ」

429: 通りすがり 6 4/7 2015/03/31(火) 17:39:36.30 ID:???
嬉しさに弾けそうになりながらも、ちょっと唇を噛むアスカ
(こういうときはどんどん押してきなさいよ。
 …ま、それができないのも、シンジらしいか。…だけど、このままもつまんない)
ふとマリの猫スマイルを思い出すアスカ
急ににやりとする
「なーに遠慮しちゃってるんだか。
 …あーあ、今日ってばいい天気。コート着てちゃ暑いくらいね。
 私も、レイみたいにワンピースだけでも良かったかな、っと」
さりげなく背を向けてコートのボタンを外し、えいっと振り返るアスカ
シンジの目が無防備に見開かれる
明るいイエローのコートをはねのけた下から現れた、白いクロシェニットのミニワンピース
縦のラインに沿って、肩から裾までシンプルな模様編みが幾本も走る繊細な作り
ハイネックの首元に編みこまれた青のリボンが明るく揺れる
そしてコートの裾で隠してタイツと見せていた黒のニーソックスの上から、射るように覗く
健康的な太ももの肌の色
素直に釘付けになっているシンジ
「どう? こっちなら、堅くないでしょ」
上気した顔で腰に両手を当てるアスカ
正直眩しすぎてくらくらなシンジ
「…うん。…降参、だ」
「ふふん」
誇らしげに歩み寄り、顔を近づけるアスカ
かすかな肌の温みと混ざり合った香水の、甘く上品な匂い
「…完敗?」
頷くしかないシンジ
もう傍の二人の目も構わず、夢中で額にキスする

430: 通りすがり 6 5/7 2015/03/31(火) 17:41:58.61 ID:???
くすぐったそうに笑うアスカ
何だか泣きそうな自分に狼狽しつつ、真正面からアスカに向き合うシンジ
「うん。負けだ。
 …ずっと、僕の負けでいい。アスカにだったら何度負けたって構わない」
ゆっくり赤面するアスカ
潤った目をちょっと伏せる
「…もう。ばか」
緩く囲み合ったお互いの腕の中から顔を上げ、揃って目を向ける二人
佇んでいるカヲルとレイ
どこかよく似通った眼差で二人を見ている
一瞬彼らが遠い神様のようにすら見えて、かすかに不安になるシンジ
逆に彼らの存在が実感をもって胸に落ち、嬉しくなるアスカ
(…みんな悩みながら、それでも、近づきたいんだ。好きなんだ。みんなのことが。
 そう、当たり前のことじゃない)
自分もその輪の中にいることの確かな幸福感
嬉しさをこらえきれずにシンジを見る
同じようにアスカを見ているシンジ
アスカが今を信じている、そのことに救われる
見つめ合い、二人で言葉もなく笑い合う
満足そうな、ほんのちょっとだけ反発したいような顔のカヲル
「…それじゃ、僕らは行くから。後はお互い自由行動ってことで」
「ええ? ここまで用意しといて、何だよ」
梯子を外された恰好であわてるシンジ

431: 通りすがり 6 6/7 2015/03/31(火) 17:43:56.08 ID:???
気にも留めないカヲル
「だから、セッティングまでが僕らの役目なんだってば。僕だって久しぶりにレイといたいし」
うっと詰まるシンジ
それを言われると言い返せない
「じゃあね、シンジ君」
あっさり手を振ってきびすを返すカヲル
「また学校で。あ、寮でも顔は合わせるか。まあいいや」
待っていたレイの手を取る
「…またね。碇君」
微笑んで、後はカヲルだけを見上げるレイ
シンジからは見えないようこっそり応援の手を振るアスカ
「あ、うん…」
少々頼りなく答えるシンジ
が、すぐに表情を改め、歩いていく二人へ声を張る
「うん、また。…ありがとう、二人とも」
振り返って軽く片手を上げるカヲル
咲き交わす桜の向こうに見えなくなる二人の後ろ姿
見送ってから、アスカに向き直るシンジ
ちょっと意地悪顔で笑ってみせるアスカ
「さてと、これで今日は二人っきりね。…どうする? これから」
「え…っ」

432: 通りすがり 6 7/7(ラスト) 2015/03/31(火) 17:48:50.37 ID:???
何度でもとまどうシンジ
こんなに光り輝くような眩しい女の子が、自分の好きなアスカだということ
そして今、他の誰でもない自分の腕の中にいること
それらへの醒めない驚き
次々溢れてくる新鮮な感情と、絶え間なく翻弄される心、その揺らぎ
少し迷い、今はただ自分の心に正直になるシンジ
「そんなにすぐには決められないけど…
 とにかくさ、一緒にいよう。二人でずっと。今日、会えて嬉しかった。アスカ」
素直に頷くアスカ
初めて開いた花のように笑う
「…うん」
どちらからともなく額と額をくっつけて寄り添う二人
桜の下をきらめく春風が渡る
光の満ちる午後の空

--------


561: 1/20 2015/06/07(日) 01:14:42.27 ID:???

-------

放課後の教室
帰り支度をするアスカにそーっと近づいてくるヒカリ

 .ヒカリ「アスカ、もう帰り?」

何やら秘密めかしたようなヒカリの表情に、きょとんとするアスカ

 アスカ「そうだけど…何? どうかした?」
 .ヒカリ「ね! 今日、碇君と一緒に帰るのよね?」
 アスカ「う、うん。…まあね」
 .ヒカリ「やっぱり、そうよね」

何だか嬉しそうに笑顔になるヒカリ
ちょっと周りを窺い、いきなり身を寄せて小声で訊ねる

 .ヒカリ「…プレゼント、何あげるの?」
 アスカ「プレゼント?」
 .ヒカリ「そう! 今日、碇君の誕生日なんでしょ?
     ごめんね、鈴原君や相田君たちが喋ってるときに聞いちゃったんだ。でも、
     知ったらつい気になって…ね、お願い! ちょっとでいいから、教えて」
 アスカ「…誕生日」
 .ヒカリ「うん。それで鈴原君たちがからかってて…、アスカ?」 
 アスカ「……ウソ」

562: 2/20 2015/06/07(日) 01:15:40.83 ID:???
新緑の道を歩くシンジとアスカ
午後から曇ってきた空がさらに暗くなり、厚い雲底が頭上を覆っている
言葉少ななアスカを気にするシンジ
当たり障りのない会話もすぐとぎれてしまう
アスカを傷つけたり、怒らせた覚えはないか、必死で記憶をたぐるシンジ
何か強く思いつめているようなアスカの横顔
懸命に話しかけようとするシンジ
が、アスカが先に口を開く

 .アスカ「…ねえ、シンジ」
 シンジ「! 何?」
 .アスカ「私…あんたに」

そこまで言うのが限界のように、固く口をつぐんでしまうアスカ
厳しく自分の内面を見据える眼差
胸が痛くなるシンジ
と同時に、自分が原因ではないらしいとわかってほっとしている自分にも気づく
自己嫌悪に眉根を締めるシンジ
お互いの内側に囚われた沈黙が続いてしまう
何とかタイミングを掴み直そうとするシンジ

 シンジ「アスカ、あの」

563: 3/20 2015/06/07(日) 01:16:20.10 ID:???
振り向くアスカ
痛々しいほど強い表情
立ち止まる二人
言葉を失うシンジ
それでも何とかアスカの顔から目を逸らさず、心を決めて一歩近づこうとする
そのとたん、ぽつりと頬に当たる滴

 シンジ「…あ」

いつのまにか黒く染まった空
ぽつぽつと雨滴が地面に当たる音が繁くなり、たちまち辺りを白く煙らせて雨が降り出す
一瞬天を仰いで立ちすくむ二人
とっさにアスカの顔を見るシンジ
動こうとしないアスカ
このまま濡れてもどうでもいいかのように、容赦なく降り注ぐ雨を見上げている
瞬間、胸の奥が熱くなるシンジ
何も言わずアスカの腕を掴み、呆然としているアスカを引きずるようにして走り出す
口はきかないが抗わないアスカの気配
乱れた足音がやがて一つに揃い、雨の路上に響く

564: 4/20 2015/06/07(日) 01:17:36.14 ID:???
大きく枝を広げた庭木の下で息をつくシンジとアスカ
枝葉の隙間から滴が落ちてくる
少し落ち着いてきた雨脚を透かして周囲を見るシンジ
一帯は住宅ばかりで、他に雨宿りできそうな軒先や店は見当たらない
顔を濡らす滴をぬぐってアスカに向き直るシンジ

 シンジ「…仕方ないから、ここで雨が小降りになるまで待とう」

うつむいて前髪から滴る水を払いながら頷くアスカ
こちらを見ようとしない
木陰に入って安心したことで、繋いだ手を離してしまったことを悔やむシンジ
ふいに大きく枝が揺れ、葉群に溜まった雨がばらばらと地面に注ぐ
小さく息を吸い込んでシンジに身を寄せるアスカ
すぐに、とっさにそうしてしまった自分を嫌悪する顔になる
薄暗い木の下闇の中でも、その表情が鮮やかな痛みになってシンジの目に焼きつく

 シンジ「…アスカッ」

何を考える余裕もなくアスカの肩を掴むシンジ
互いの近さに一瞬ひるみ、けれどとどまらずに思いきりアスカを抱きしめる
頭上の葉群に弾ける雨音
ふとシンジの胸に手が当てられ、力がこもる
はっとしてアスカを見るシンジ

565: 5/20 2015/06/07(日) 01:18:46.51 ID:???
うなだれたまま静かにシンジを押し戻すアスカの手

 シンジ「…アスカ」
 .アスカ「ごめん。私、…今日は、あんたにこんなふうにしてもらう資格、ない」
 シンジ「…なんで」

答えないアスカ

 シンジ「なんで。どうしてだよ、…資格だなんて、そんなもの必要なんかじゃないよ。
     アスカがいいなら、僕はいつだってそばにいたいんだ。アスカが…嫌じゃないなら」
 .アスカ「…嫌なわけ、ないわよ」
 シンジ「…だったら」

もう一度両肩を支えようとするシンジを拒むアスカ

 .アスカ「あんたじゃないの。…私が許せないのは、私」

自分で自分を突き放すようなアスカの両目
自分自身の気持ちをどうしようもなくて、泣き出しそうなのをぎりぎりでこらえている顔
涙の代わりに乱暴に言葉を吐き出す

 .アスカ「…私、なのよ。あんたに甘えてるだけの私。
     あんたのことが好き。そばにいたい。いつだって一緒にいたいの。…だけど怖い」

見守るしかできないシンジ

566: 6/20 2015/06/07(日) 01:19:33.93 ID:???
 .アスカ「さっきまで私、今日こんなふうになったこと、あんたのせいにしてたのよ。
     勝手に意地張って、拗ねてただけ。
     …今はそうだってわかる。でもいつか、あんたと一緒にいるのに慣れたら、自分で
     自分の嫌なところにも気づけなくなる。全部あんたのせいにするようになる。
     …わかってる。こんなこと言ったってどうしようもないのよ。ただの下らない不安。
     でも怖いの。このままじゃ私、あんたに甘えて、寄りかかって、だらけて、自分のこと
     何もかも全部あんたに押しつけて、…いつか必ず、あんたのこと、駄目にする」
 シンジ「! アスカッ」
 .アスカ「…そうならないって何で言えるの!」

雨脚が和らぎ、辺りが薄明るくなる
大きくみはったアスカの目に映って揺らめく外の光
唇を噛むシンジ
何も言ってあげられない自分
抱きしめることもしない自分
すぐ動けないのは自分も同じ不安を抱えているからだと知っていて、なのに何もできない
二人の間の距離が絶対になる
真空より痛い沈黙
いつのまにか消えている雨音
ほぼ同時にそれに気づき、ふっと我を取り戻す二人
明るんだ空が枝の隙間から覗く
と、二人とも自分たちのずぶ濡れの姿に初めて気づく

567: 7/20 2015/06/07(日) 01:21:08.84 ID:???
すぐ身近にある、濡れて張りついた夏服から透ける肌の量感
思わずアスカの胸元から太ももに目が吸い寄せられるシンジ
滴の伝うシンジの首筋に見入っている自分に気づくアスカ
急に肌近く感じられる相手の呼吸
お互いが異性であることを意識する
直後、アスカの顔が大きく歪む

 .アスカ「…イヤ」

とっさに出た声
だからこそ嘘のない、剥き出しの拒絶
動けなくなるシンジ
口に出してしまった自分に自分でひるむアスカ
互いの鏡のように同じ深さで傷つく二人
いたたまれず身をひるがえすアスカ

 シンジ「…アスカ!」

振り向かず駆け去っていくアスカの後ろ姿
それでも動けないシンジ
アスカが見せた生理的嫌悪の表情が両足を押しとどめている
息を吸い込み、ただ大きく吐き出すシンジ
固く目を閉じてうなだれる

568: 8/20 2015/06/07(日) 01:22:38.18 ID:???
  マリ「姫ー? 晩ご飯、ほんとに全然食べないつもり?」
 アスカ「…ほっといて」
  マリ「そういう訳にもいかないでしょ。明日も学校なんだし、ちゃんと休まないとさ…」
 アスカ「ほっといて、お願いだから…!」
  マリ「……」

なおもしばらく佇んでいるらしいマリ
その気配が部屋の前から遠ざかるのを待って、顔を上げるアスカ
突っ伏していた枕に残る涙の跡
真っ赤になった目をぐいぐいこするアスカ
ベッドの上に座り込んだまま、枕にぼんとこぶしを埋める
深くうなだれる頭
枕を叩く手から力が抜け、再びその上に強く顔を押しつけるアスカ
枕にしがみつく両腕が、いつのまにか抱きしめる形になっていることを自覚する
もう一度顔を上げるアスカ
枕を抱えたまま起き直る
両腕にこもる力

 アスカ(…わかってるんだ、私。…当たり前よね。私自身がしたいことだもの)

ぎゅっと枕を抱きしめ、横に置いてベッドから降りるアスカ
まだ不安と迷いでいっぱいの両目
きつく噛みしめられた唇

 アスカ(…もう一度だけ)

569: 9/20 2015/06/07(日) 01:24:26.37 ID:???
手早く身なりを整えるアスカ
音を立てないよう部屋の扉を開け、暗くなった廊下に忍び出る

 アスカ(もう何言ったってどうしようもない。私が、我慢できないもの。
    私は自分のこと抑えることもできないんだ。あのまま『女』になっちゃいそうな自分が
    怖かった。シンジと今まで以上に深く近づくのが、本当はすごく怖かった。大人に…
    許せなかったママに近づくのが怖い。前に進むのが、ただ怖い。今のままでいたい。
    …そんな下らない、情けない人間。それが、私。わかってる。
    それならもう、あいつのそばにいる意味、ないわ。
    だから、もう一度だけ。…もう一度だけシンジの顔見て、思いっきり抱きしめて、
    それで、思い切ろう)
 アスカ(…嫌われてたっていい。それで当然のことしたもの)
 アスカ(だけどこのまま逃げて引きずらせるのは、絶対に嫌。だから…もう一度だけ)

玄関で素早く靴を履くアスカ
ふと自分の身体を見下ろし、夜道を出歩くには無防備すぎると気づく
とっさに見回した先に広げてある、マリの濃いパープルのレインコート
ぱっと手に取り、まだ濡れているのも構わず、すっぽり羽織って身体に巻きつける
静かに外に出るアスカ
夜道に鋭い視線を配りながら、早足で歩き出す
背後の窓辺でカーテンが動く
見送っているマリ
ふうっと大きく息をつく

  マリ「…何で、あの子たちのことになるとこう甘くなるかなぁ。
    私もまだまだ青臭いってこと、か? あーあ…笑っちゃいますよね、ユイ先輩」

570: 10/20 2015/06/07(日) 01:25:04.31 ID:???
学院男子寮前の路傍に立ちつくすアスカ
並んだ窓を何度も数え直す
前に一度訊いたシンジの部屋の窓に明かりはない
張りつめていた気負いが一気にしぼむのを感じるアスカ

 アスカ(…馬鹿だな、私)

暗色のレインコートごと身体を抱え込む
ブラシも当てていない乱れた髪

 アスカ(結局、自分のことばっかりじゃない。
    会いたいだけなのに言い訳して、勝手に勢いづいて、空回りして。当てが外れて)

それでもその場を離れられないアスカ

 アスカ(…人を好きになるって、こんなに身勝手なんだ。…知りたくなかったな)

暗い窓を見つめているアスカ
泣き笑いの顔

 アスカ(どうしよう。どうすればいいの、私、これから。
    ねえ、…シンジ)

--------


572: 11/20 2015/06/07(日) 01:27:43.57 ID:???

--------

机から顔を上げるカヲル
振り向く
床に座り、さっきと同じ姿勢でベッドに頭をもたせかけているシンジの姿

 .カヲル「…あのさ、どうすんの? 本当に消灯過ぎちゃうけど」

顔をそむけたまま答えないシンジ

 .カヲル「一応、人の部屋に寝泊り禁止って規則あるじゃん。まあ、僕は構わないけどさ。
     …あれ、もしかして寝ちゃったとか」
 シンジ「…ごめん。迷惑なら出てくよ」
 .カヲル「…だからさぁ、…ああもう」

立ち上がるカヲル

 .カヲル「僕は構わないってば。君を強引に連れてきたのは僕なんだし、バレて叱られたって
     全然平気だよ。ただ君さ、いつまでそうしてるつもりなんだよ。夕食も結局抜いて」
 シンジ「…何も訊かないって言ったのは渚だろ」
 .カヲル「そうじゃなくてさ…ん」

窓から夜道を見下ろすカヲル

 .カヲル「…ああ、そういうことか」
 シンジ「…なんだよ」

573: 12/20 2015/06/07(日) 01:29:51.64 ID:???
おっくうそうに頭を起こすシンジ

 シンジ「…わかったよ。
     やっぱり、自分の部屋に戻る。迷惑かけてごめん」
 カヲル「そうだね。行った方がいい」
 シンジ「…、うん」

あっさり突き放されて一瞬言葉を失うシンジ
落ち込んだ自分を自分で笑う
起き上がる前にカヲルが腕を引っぱって立たせ、そのまま窓のそばに引きずっていく
わけがわからないシンジ

 シンジ「ちょっと、何のつもりだよ」
 カヲル「いいからさ。ほら、あれ、アスカさんじゃないの」
 シンジ「…え」

カヲルが指さす方へ目を凝らすシンジ
人通りもない夜道にぽつんと立つ細い影
小さく声を洩らし、目を覚ましたようにびくりと全身を震わせるシンジ
カヲルをというより部屋の扉の方を振り向く

 シンジ「ごめん、でも、行かなきゃ」
 カヲル「…うん。わかってるよ。行っておいで」

カヲルが答え終わる前に、ばたんとドアが閉まる
階段を駆け下りる足音
面倒見きれないという顔で溜息をつき、ちょっとだけ笑うカヲル

574: 13/20 2015/06/07(日) 01:31:14.32 ID:???
濃さを増す夜闇
何も起こらないとわかっていて、ただためらっているアスカ
ふいに寮の方から足音
弾かれたように顔を上げるアスカ
すぐそこに、遭難しかけた人間のように立っているシンジ
こらえようとしても全身で反応してしまうアスカ
唇を噛む

 アスカ「シンジ、…」

続きを言う前に、ぶつかるようにしてアスカをつかまえ、抱きしめるシンジ
何よりも確かな感触
身体の底から悲しいほどの戦慄が走り抜ける
少しの間、それに身を任せるアスカ
意識して振り切るように身体を離す

 シンジ「アスカ…」
 .アスカ「待って。まだ何も言わないで。…でないと、私が言えなくなるから」
 シンジ「…うん」

不安げな面持ちのシンジ
揺らぎそうになる気持ちを引き締めて口を開くアスカ

 .アスカ「…最初から順番に言うわ。
     今日、あんたの誕生日だって知らなくて、ごめん」
 シンジ「…え」

575: 14/20 2015/06/07(日) 01:33:31.90 ID:???
 .アスカ「昼間、ヒカリから初めて聞いたの。
     それで、最初、私、あんたのこと疑ったの。どうして教えてくれなかったのって、
     それだけで頭がいっぱいになって。…それで、帰りも自分からは口、きけなくて。
     …あんたに嫌な思いさせたのはわかってる。だから、まず、ごめん」

話しているうち、どんどん恥ずかしさが高まってきてうつむくアスカ
無理やりシンジの顔を見る
さっきまで思いつめていたことがひどくたわいない下らないことに思えてくる
けれどそれも甘えなのかもしれない
思い直そうとするアスカ

 .アスカ「それで…その、昼間のこと」

思い出して気まずそうな顔になるシンジ

 .アスカ「ありがと。一緒に走ってくれて。嬉しかったの、ほんとは。
     なのにその後、ひどいこと言った…私。自分が怖くなって、勝手に決めつけて」

シンジの顔に広がる思いやりの色を見ないようにするアスカ
視界に波を作る涙の膜
自分の弱さを憎むアスカ

 .アスカ「…子供、なのよ。あんたが…男なんだって思ったら、怖くなった。
     わかってたのにどうしようもなかった。どうしようもないのよ…怖いの、変わってくのが」
 シンジ「…僕だって」

ほんの少しだけアスカに身を寄せるシンジ

576: 15/20 2015/06/07(日) 01:35:16.65 ID:???
もう拒まないアスカ

 シンジ「僕の方が、アスカのこと傷つけたんだ。それもちゃんとわかってたくせに、何も…
     追いかけもしなかった。駄目だったのは僕の方だ」
 .アスカ「違うわよ! あんたはあんたでいい。…あんたでいてよ。今そこにいる通りの、
     不器用で、まどろっこしくて、鈍いくせに他人の気持ちにすぐ傷ついて、そのくせ
     放っておけないくらい優しくて芯の強い、馬鹿シンジでいてよ。ずっと」

一気に言うアスカ

 .アスカ「そのあんたを壊すのなら、私は自分を絶対許せない。許さない。だから」
 .アスカ(あんたを駄目にする前に、私から)
 .アスカ(…?)

顔を上げるアスカ
言葉が出てこない

 .アスカ(…なんで、私、言わなきゃ)

締めつけられたような喉を押さえる
必死に声にしようとするアスカ
暴れ出しそうな心
ふいに真実が涙になって頬を伝う
アスカの身体から力が抜ける

 .アスカ(…言いたく、ないんだ。それだけは、何があっても…私は)
 .アスカ(…馬鹿みたい。こんなになるまで気づかないなんて)

577: 16/20 2015/06/07(日) 01:37:08.83 ID:???
アスカを見守っているシンジ
昂ぶりが落ち着いたのを見て取り、小さくほっと息をつく
顔を伏せたまま、その吐息を聞くというより感じ取るアスカ
とたんに燃えるような恥ずかしさに包まれる
しばらくそのまま佇んでいる二人

 シンジ「…ごめん。アスカがそんなに苦しんでたのに、気づけなくて」

呟くように洩らすシンジ

 シンジ「だけど、…その、誕生日のことは、別にどうでも良かったんだ。本当に」

きっと顔を上げるアスカ
シンジの面にある古い痛みに気づいてはっとする

 シンジ「自分の誕生日が、好きじゃないんだ。…人にお祝いされるのも苦手なんだ」

言葉を探しながら話すシンジ
表情を静め、耳を傾けるアスカ

 シンジ「小さい頃に父さんと母さんがいなくなって、それからずっとおばさんのところで
     育ててもらった。本当にお世話になった。それにはすごく感謝してる。
     でも、両親がいない最初の誕生日に、今まで他人だった人に『誕生日おめでとう』
     って言われたとき、僕は嘘だって感じちゃったんだ。父さんも母さんもいないのに、
     何もかも全部変わっちゃったのに、 『おめでとう』だなんて絶対嘘だ、って。…結局、
     それをずっと引きずってる、のかな」

578: 17/20 2015/06/07(日) 01:38:26.79 ID:???
 シンジ「それでどうしても苦手なんだ、誕生日とか、誰かに祝福されるってことが。…だから、
     アスカにも、話さなくて済めばいいななんて思ってた。…ずるいよね。そんなふうに
     気づかないようにやり過ごして済ませられることじゃないのに」
 .アスカ「シンジ、…」

今度はアスカが口ごもる
気遣うように少し笑うシンジ

 シンジ「だから、そのことは気にしないで。全然、アスカが気に病む必要なんてない。
     僕の問題だから。結局、僕だって自分が変わってくのが怖いんだ。
     アスカが自分を嫌うのと変わらない。…違うよな、アスカの方が、ずっとまっすぐだ」

口をつぐみ、急に気恥ずかしくなったようにアスカを見るシンジ
そのまま動けなくなる
射るような真剣さでシンジを見つめているアスカ

 .アスカ「だったら、これからは私が言うわ」

吸い込まれそうな両目

 .アスカ「シンジ、お誕生日おめでとう、って。
     シンジにこれから来る誕生日全部に。どんなに変わったっていい。あんたが私から
     離れたっていい。毎年毎年、シンジが嘘じゃないってちゃんと信じられるまで、心から、
     何度だって、私が言うから」

急に声をつまらせるアスカ

 .アスカ「だから、…ずっとじゃなくたっていい、今は、シンジのそばにいさせて」

579: 18/20 2015/06/07(日) 01:40:16.89 ID:???
深く息を吸い込むシンジ
何を言えばいいかわからず、口を開いてはためらい、代わりにもう一度アスカを抱きしめる
今度は強く抱きしめ返すアスカ
その両手の痺れるような確かさ
目を閉じるシンジ

 シンジ「…違うよ、僕から言わなきゃ。
     アスカ、…僕のひとりよがりかもしれないけど、僕はアスカが世界で一番好きだ。
     だからずっと一緒にいよう。僕は一緒にいたいんだ。他の誰よりも、アスカと」
 .アスカ「…ばか」

涙ぐんだまま微笑むアスカ
深くシンジの肩口に顔を埋めたまま囁く

 .アスカ「ハッピーバースデー、馬鹿シンジ」
 シンジ「…ありがとう。アスカ」

固く目をつむって微笑むシンジ
その声音の温かさに全身がほどけそうで、また両腕に力をこめるアスカ
寄り添っている二人
突然、頭上から降ってくる声

 .カヲル「…悪いけど、そこまでにしなよ。日付変わっちゃったよ」

くっついたまま弾かれたように顔を上げる二人
呆れ顔で窓から身を乗り出しているカヲル

580: 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2015/06/07(日) 01:41:24.09 ID:???
いつのまにかすっかり寝静まっている男子寮

 シンジ「ど、どうしよう…あ! アスカ、家、帰れる? 電車、もうないかもしれない」

今さらのようにあわてるシンジ
逆に落ち着いているアスカ

 .アスカ「なきゃないで、歩いて帰るわ。雨もやんだし」
 シンジ「そんなことさせられるわけないだろ! 危ないよ」
 .アスカ「じゃあどうするのよ。ここに泊まるわけにはいかないじゃない」
 シンジ「う…」

部屋に引っ込んだカヲルを気にするシンジ

 シンジ「…駄目かな」
 .アスカ「ばーか。まだ、駄目。
     あー、でもどうしよっかな。マリを起こして迎えを頼むのはなんかしゃくだし」
 .カヲル「もうすぐこっちに来るよ。さっき電話しといた」
 .アスカ「は?!」

降りてきているカヲル
恥ずかしいのと訳がわからないのとで食ってかかるアスカ

 .アスカ「何であんたがマリの番号知ってんのよ! 仕事の知り合い以外知らないはずよ!」
 .カヲル「仕事じゃないけど…何だろ、彼女、僕の先輩みたいなものだし」

581: 20/20 終 2015/06/07(日) 01:43:52.87 ID:???
 .アスカ「はあ?! だからなんでそこであんたが出てくんのよ!」
 シンジ「…アスカ、駄目だって、声抑えて。みんなが起きてきちゃうってば」
 .カヲル「ああ、ほら、来た来た」
 .アスカ「…うそっ」

遠くから近づく車のエンジン音
それを確かめ、きびすを返すカヲル

 .カヲル「それじゃ、先に戻ってるから。バレないように入ってきてよ? シンジ君」
 シンジ「え、あ、うん、…何だよ、そのくらいわかってるよ」

手を振って暗い寮の建物に消えるカヲル
取り残される形の二人
少しずつ近づいてくる遠いヘッドライトの光を見やり、急にぷっと噴き出すアスカ
つられて笑うシンジ
もう一度腕をお互いの身体に回して寄り添う

 シンジ「…アスカ、来てくれてありがとう」
 .アスカ「いいの。私が会いたかったんだから」
 シンジ「え…」

素直に照れるシンジに、軽く伸び上がってそっとキスするアスカ
マリに至近距離からヘッドライトで照らされるまで、そのまま静かなキスを続ける二人

620: 1/5 2015/06/15(月) 22:38:48.61 ID:???

-----------


緑濃い通学路
いささか気の晴れない顔で歩いてくるアスカ
隣でレイがすっと目を上げる
続いて気づくアスカ
抑えても表情がぱっと明るくなり、ついで、不機嫌にしかめられる
アスカを見つけ、いつものちょっと照れた笑顔で足早に向かってくるシンジ
…と、隣で能天気に手を振るカヲル

 .アスカ「…まーた同伴出勤」

レイと挨拶を交わしてから隣に来るシンジに、不平顔を隠さないアスカ
苦笑するしかないシンジ

 シンジ「…悪気はないんだよ。同じ寮だし、出る時間一緒だし」
 .アスカ「そこをあんたが調整するんでしょ」
 シンジ「…う」

621: 2/5 2015/06/15(月) 22:39:43.83 ID:???
 .アスカ「だいたい何よあれ、他人の朝の時間に割り込んどいて、もうあの調子。
     信じらんないわ」

ふくれっつらのまま顎で前方のカヲルとレイを指すアスカ
そっと手を繋ぎ、世界に自分たち二人だけのような静かな幸福感に浸っている二人
それ自体を責めるのには抵抗があるシンジ

 シンジ「そりゃ、二人はそのためにここに来たようなもんだし…
     それと、渚が毎朝ついてくるのは僕らの邪魔したいとか見物したいとかじゃなくて、
     単に、アスカと一緒に来る綾波に会いたいからだと思うけど」
 .アスカ「う…何よ、私のせいにするわけ」

表の不満も内心の小さな不安もシンジには隠さないアスカ
くるくる変わる表情
胸の奥が甘くしめつけられるシンジ
素直に気持ちをぶつけてくるアスカをこの場で抱きしめたくなる
それとなく感じ取って、くすぐるような笑い声をたてるアスカ
気を紛らわそうと無意味に前方を見るシンジ
と、ふいにカヲルが振り返る

 .カヲル「ねえ、シンジ君」

いい雰囲気を破られて容赦なく白い目を向けるアスカ

622: 3/5 2015/06/15(月) 22:41:09.00 ID:???
いささか慌てるシンジ
悪びれることなくシンジのところまで戻ってくるカヲル

 シンジ「…な、何だよ」
 .カヲル「君たちってさ」

珍しく真顔のカヲルにややたじろぐシンジ

 .カヲル「…初めてのキスって、どうやってしたの」
 .アスカ「……はぁ?!」

先に自分が真っ赤になるアスカ

 .アスカ「…いいいきなり何訊いてんのよ?! ッていうかシンジから離れなさいよっ
     気持ち悪い!」
 .カヲル「ひどいなぁ、真面目に訊いてるのに」
 .アスカ「真面目だろうが不真面目だろうが、白昼堂々と訊くことじゃないのッ!
     …っていうか」

遅れて状況を呑み込み、徐々に顔が紅潮していくシンジ

 .アスカ「うそ…! あんたたちまさか、まだなの? …一回も?」
 .カヲル「…そうだけど」

623: 4/5 2015/06/15(月) 22:42:27.77 ID:???
露骨に拗ねた顔をするカヲル
悪いと思いつつ噴き出すアスカ
どう反応していいかわからないシンジ
少し前を歩きながら、レイが困ったような視線を向けてくる
ますます顔をしかめるカヲル

 .カヲル「だから訊いてるんじゃないか…
     あー、わかったよ。もういいよ。撤回する。君たちを頼りにした僕がバカだった」
 シンジ「あ、いや、別に、そういうつもりじゃないって。
     ただちょっと、答えにくいっていうか…その」
 .カヲル「何」

意地になった目を向けられてちょっと憮然となるシンジ
息を吸い込み、真顔で向き直る

 シンジ「…そういうのは、他人に訊かずに自分で見つけるものだろ。
     僕ならしない。いくら小さい頃から知ってる相手だからって、情けなくないの? 渚。
     男、だろ」

大きな両目をぽかんと見開くカヲル
口を開き、返す言葉が出ずに、また閉じる
沈黙

624: 5/5 2015/06/15(月) 22:43:37.17 ID:???
まずカヲルが、続いて察したレイが立ち止まる
言い過ぎたかもと危ぶむシンジ
自分も足を止めようとする
その腕をぎゅっと掴み、強引にシンジを先へ引っぱっていくアスカ

 シンジ「…え、アスカッ、ちょっと待ってよ」
 .アスカ「いいの!
     あとは自分で考えさせた方があいつのため、でしょ?
     それに見なさいよ。心配する必要ないわ、そばにいるのがあの子だもの」

肩越しに揃ってこっそり振り返る二人
だいぶ後方になった路上で、しょんぼり立つカヲルの頭をレイがお母さんのように撫でている
その横顔は少女の儚さを超えて優しい
思わず微笑してしまうシンジ

 シンジ「…そうみたいだね」
 .アスカ「でしょ。それと」
 シンジ「な、何」

急に艶っぽい表情になって上目遣いに微笑むアスカ

 .アスカ「…さっきの。カッコ良かった。案外、言うじゃん」

隠しようもなく真っ赤になるシンジ
勝気に笑い、シンジの腕をぐいぐい引いて前へ進んでいくアスカ
強い日差しの下に続く朝の道

633: 1/7 2015/06/21(日) 12:13:02.98 ID:???

---------

改札から息せききって走り出てくるシンジ
「ごめん、遅れた!」
その声を聞いてから振り向くアスカ
まだ湿っている傘を支えにしてじっくりシンジの姿を眺める
ついさっきまで改札の方ばかり気にしていたことは素振りにも見せない
心配そうなシンジの顔を見て、微笑んでしまう
「いいわ。今日は私から呼び出したんだし、許したげる」
つんと顎をそらすアスカ
「…ありがとう」
本気で安堵するシンジ
アスカのいつもの勝気な笑顔が目の前にある、そのことがただ眩しいほどに嬉しい
いつもいつもどうしてここまで心が波立つのかわからない
わからないけれど、結局、それが嫌ではない自分に苦笑する
「…なによ」
シンジの少し大人びた表情に内心どきっとしてしまうアスカ
ただの子供っぽい笑顔のはずなのに身体じゅう包み込まれるような温かさを覚える
だからわずかでも置いて行かれたくなくて、自分からシンジの腕を取る
「まいいわ。
 さ、行こ。今日は混みそうだから」
「…そう言えば、今日はどこに行くの。メールでは何も言ってなかったけど」

634: 2/7 2015/06/21(日) 12:13:55.65 ID:???
日曜らしくいつもより人通りの多い街
急ぎ足のアスカに引っぱられ、あわてて歩調を合わせるシンジ
ちらっと頭上を見上げる
今は降りやんでいるものの、相変わらず黒っぽい雲が低く流れている梅雨空
周囲を歩く人々もほとんどがたたんだ傘を手にしている
「別にどこって訳じゃないわ。あすこよ」
アスカが指さす先には、やや高級志向の有名百貨店
「え…っ」
いきなり現実に引き戻されて焦るシンジ
信号待ちをさいわい、至急、財布の中身を頭の中で引っくり返す
お見通しのアスカ
「あんたに何か買わせるつもりじゃあないから、安心しなさいよ。
 今日は…ちょっとだけ、私の個人的な買い物に付き合って。時間はかけないから」
少し改まったようなアスカの横顔を見つめるシンジ
あまり気の乗らない用事なのだと察する
「…そっか。なんだ、心配しちゃったよ。
 それなら、アスカがいいだけ付き合うよ。その後で僕にも付き合ってくれるなら、だけどさ」
わざと茶化すシンジを笑みを含んだ目で見上げるアスカ
「…ばか」
信号が青になり、二人を囲む人の流れが交差点を渡り始める

635: 3/7 2015/06/21(日) 12:14:43.41 ID:???
フロアの一角で足を止めているアスカ
真剣な目で見入る先にあるのは、曇りひとつないガラスのショーケースに並ぶネクタイ
後ろから値段を覗いてぎょっとするシンジ
あれこれ迷っているようでありながら、もう決めているらしいアスカ
上品な渋いブルーの一本の上に指を当てて振り返る
「これ。どう?」
両肩で反応してしまうシンジ
「どう…って、え、何で僕に」
うろたえてネクタイとアスカの顔を交互に見る
呆れ顔になるアスカ
「男の目から見てどう、ってことよ。これじゃ…ちょっと無難すぎかな。でも、だからって
 派手なの選んでも、生意気って思われそうだし。若作り過ぎても締める気しない
 かもしれないし」
再びネクタイの列に視線を落とすアスカ
何となく状況が把握できてくるシンジ
今更のようにフロアの垂れ幕やポップを見回す
「…そっか。お父さんに?」
「そ」
わざと顔を上げずに答えるアスカ
「ドイツにいるパパ。ま、もうママとは離婚してずいぶん経つんだけど、それでも私には
 パパだから。たまには近況報告しなきゃマズイかな、って。…やっぱり、これにしよ」
店員に声をかけるアスカ
包装を待つ間をもてあまし、半歩下がってシンジの傍らに来る
どことなく不安げな佇まいに隣の自分が背筋を伸ばすシンジ
何も言わずアスカの手を取る

636: 4/7 2015/06/21(日) 12:15:18.56 ID:???
アスカの細い指が待っていたように握りしめてくる
一度気がつけばフロアの各所にある黄色のバラと『6.21 父の日フェア』のコピー
『父』の字を少し複雑な表情で見つめるシンジ
意識して視線を振りほどき、すぐそばにいるアスカを見つめる
「…ありがと」
少しして、やっと笑顔を見せるアスカ
ギフト用にしてもらった包みを受け取ってフロアを後にする二人
百貨店を出てからやっとふーっと息を吐き出すアスカ
見るからに両肩から力が抜けるのがわかる
ちょっとおかしくなるシンジ
「そんなに気が重かったんだ。何だか、不思議だな。何でも平気でこなしちゃうアスカが
 そこまで緊張するなんて」
珍しく言い返さず何か考え込んでいるようなアスカ
気に障ったかと不安になり、それでも黙って待つシンジ
再び交差点を渡る二人
交差点の真ん中でふっと頭上を仰ぐシンジ
重なり合って天を塞ぐ淡い墨色の雲の層
その向こうにあるはずの遥かな空間
無心に見上げるシンジの額にぽつりと滴が弾ける
あっというまに数を増す雨滴
「あ、もう! また降り出しちゃった、ついてない」
声をあげ、あわてて傘を広げるアスカ
我に返って自分も傘を開くシンジ
周囲にもざわめきが走り、急に通りが色とりどりの傘で溢れる
ただの通り雨かと思いきやどんどん強さを増す雨脚
「どうしよう、どこかで雨宿りしようか」

637: 5/7 2015/06/21(日) 12:15:59.14 ID:???
見る間に人通りの減っていく街並を見回すシンジ
雨宿りとは言っても、手近な店の席は同じような小止み待ちの人々で既に埋まっている
恐らく地下街に下りても同様だろうと溜息をつくシンジ
と、アスカがいつかのように自分の傘をぼんとシンジの傘の上に重ねる
「いいじゃない、このままでも。雨の中歩くのだって別に嫌いじゃないし」
「でも、濡れちゃうよ。せめて駅の地下道に降りない?」
「嫌よ」
ネクタイの包みをしまったバッグをしっかり胸に抱え、首を振るアスカ
「それじゃこのまま帰るみたいじゃない。そんなのないわ。後はあんたに付き合うって
 言ったんだから、ちゃんと、私をエスコートしてってよね」
「だけど…僕の方は、ただ売り場までついていっただけだし」
アスカの言葉は嬉しいながらも、危ぶむ気持ちのままのシンジ
すでにアスカの肩や髪に点々と雨の滴が散っている
聞かない構えのアスカ
「いいの。このまま歩こ。だって…」
急にずいっと身を寄せるアスカ
通りに面したカフェの大窓を指さす
「これならみんなが見るもの。私たちのこと」
笑いまじりに囁くアスカ
手持ち無沙汰な人々が、わざわざ激しい雨の中を歩く二人をぽかんと眺めている
頬が熱くなるシンジ
あわてて傘を傾けて姿をかばおうとする
自分の傘で押さえつけてそれを阻止するアスカ
さらに焦るシンジ
「え、うわ、ちょっと、まずいよ、それは」
「何がまずいのよ」

638: 6/7 2015/06/21(日) 12:16:59.27 ID:???
「何がって、…いくら何でも、こんな大勢の人の前で、僕らだけくっついて歩くなんて、その」
「恥ずかしい?」
すらっと言われて言葉に詰まるシンジ
堂々とシンジの肩に頭を預けるアスカ
「いいじゃない。私は平気だもの。誰にとがめられたって、言い訳じゃなく言い返せるもの」
顔を上気させたまま言い切るアスカを見下ろし、困惑顔のままふっと笑うシンジ
「…そうだね。…うん。僕もだ」
自分を隠そうとしていた傘をまっすぐに立て直す
花の咲くように笑うアスカ
ふと真顔になる
「…今日は、付き合ってくれてありがと。シンジ。
 それと、さっきあんたが言ったこと、当たってる。私、本当は苦手なんだ、パパのこと」
「…うん。そんな顔してた」
柔らかく笑うシンジ
ちょっと照れるアスカ
身を離して傘を握り直す
「小さい頃は大好きだったんだけど、ね。ママと離婚して、ずいぶん時間が経って…今じゃ
 パパのことどう思ったらいいか、どう接していいかわかんなくなっちゃった、っていうか。
 …ごめん、シンジからしたら贅沢な悩みよね」
アスカの眉が翳る
首を振るシンジ
「ううん。…そんなふうには思わないよ。
 アスカのお父さんは、アスカだけのお父さんなんだから。もっと身勝手になったって、
 いいんだよ。たぶん」

639: 7/7 2015/06/21(日) 12:17:44.86 ID:???
ほんの少し弱さを覗かせて微笑むアスカ
「…ありがと。
 やっぱり、今日、シンジに一緒に来てもらって良かった」
言いつつ、照れたように前を向いてしまう
気遣いながらも少し困惑するシンジ
「お父さんへの、父の日のプレゼントを買うのに? …えっと、男目線の助言が必要だった
 って意味、かな」
「違うわ。これと一緒に送る手紙には、あんたのこと書くの。
 私にはもう私だけの大事な人がいます、だからもう、私をかわいそうな小さな娘として
 扱わなくても大丈夫、ってね。パパだって、私のことでいろいろ我慢してきたと思うもの」
大人びた引き締まった横顔を見せているアスカ
素直に見とれるシンジ
ふと気づく
「え、じゃあ、今日のこれはある意味、お父さんへの紹介、ってことだよね…?
 …どうしよう、何だか、今になって緊張してきた」
「何よ、今さら。堂々としてなさいよ」
改めて腕を組んでくるアスカ
結局、微笑んでしまうシンジ
アスカといるだけで今ここにいることが少しも怖くなくなる
それが始まりで、それが全て
世界はその中にある
「…そっか。…そうだね」
傘をもっと近くへ差しかけ、ぎゅっとお互いを引き寄せる
「そうよ、ばーか」
二人の歩調が揃う
重なった傘の布面を鳴らす雨
足元で弾ける滴
街と二人を映す濡れた路面
降りしきる夏の雨の無数の白線



674: 1/5 2015/07/09(木) 23:35:57.67 ID:???
「あーあ、結局、今日も一日雨」
放課後、机の上にどすんと鞄を置いて嘆息するアスカ
なだめ顔で笑うヒカリ
「最低って、仕方ないじゃない。梅雨なんだもの。…あれ? アスカ、初めてだったかしら」
首を振るアスカ
「ううん。日本のツユはこれで二回目。でも慣れる気はしないわ、うっとうしくて」
また窓の外を見やって思いきり頬をふくらます
「せっかく夏服に変えたのに、毎日毎日、半袖じゃ寒いぐらいだし。もう7月よ? 信じらんない」
「お天気のことは、どうしようもないわよ」
ヒカリもつられて雨の校庭を見下ろすが、すぐに教室内に視線を戻す
心なしかそわそわしているその表情に目をとめるアスカ
振り返って、腑に落ちた顔になる
ヒカリの方にぐっと身を寄せる
「ねえヒカリ。…鈴原と、一緒に帰らなくていいの?」
とたんに頬を染めるヒカリ
悪戯っぽい目になってその顔を覗き込むアスカ
「せっかくテスト前週間で、部活が強制停止なんだから。このチャンスを逃す手はないわよ」
真っ赤になって何度もかぶりを振るヒカリ
「だ、だめよそんなの。私、一応クラス委員長だし」
「そんなの関係ないわよ! …あ、わかった。ヒカリ」
ちょっと真面目な顔をするアスカ
思わず引きこまれるヒカリ
顔にかかった髪を鮮やかなしぐさで払うアスカ
「…進級して同じクラスになったからって、鈴原のこと、近くで見守るだけで満足してない?」

675: 2/5 2015/07/09(木) 23:39:53.33 ID:???
「それじゃ一年の頃より後ろ向きじゃない。
 …ま、それがヤマトナデシコの流儀なんだってんなら、これ以上、言わないけど」
あえてはっきり言い切るアスカ
とまどい、まごつき、ちょっと目をつむってゆっくり溜息をつくヒカリ
言い過ぎたかなと不安になるアスカ
が、困ったように表情をほどくヒカリ
「…うん。当たり、かも。
 そうよね、やっぱり変よね。でも…少し近くに来たら、かえってなかなか言い出せなくて。
 うん…情けない奴なの、私。…だから、アスカがうらやましい」
「私?」
急に矛先が向いてあわてるアスカ
両手の指先を軽く触れ合わせながら、伏し目がちに言うヒカリ
「アスカの、そういう、自然体で碇君といられるところ。
 自分では気がついてないかもしれないけど…女の子として素敵だし、いいなぁって思うわ」
「え、や、何よヒカリ、私は別に、…ただ、普通にしてるだけよ」
「ほら、そういうところ」
にこっとするヒカリ
今度はアスカがほのかに顔を上気させる
「もう。やだ、ヒカリ」
「ごめん、でもほら、後ろ」
困らされているような、でも嫌がってはいない笑顔でアスカの後ろを指すヒカリ
やや憮然となるアスカ
それでも言われるまま素直に教室の戸口を振り向く
と、ちょっと目を見開く

676: 3/5 2015/07/09(木) 23:43:44.78 ID:???
トウジやケンスケと一緒に教室を出ようとしていたシンジと目が合う
声には出さず、口の動きだけで小さく、先に出るよと合図するシンジ
他人には気づけないほどのごく短い優しい眼差
同じ素早い笑みで頷くアスカ
何事もなかったように友人たちと喋りながら出て行く背中を、ひそかに視線だけで追いかける
そこで改めて気がつく
「…もしかして、かなり前からああやってたの? あいつ」
まだ笑いながら首を振るヒカリ
「ううん。でも、アスカのこと何度か見てたから。
 アスカに断らずに先に行っちゃうの、嫌だったのね、きっと。いいな、そういう気の遣いかた、
 碇君らしいっていうか、…あ、違うか、私が邪魔してたのね」
片手で拝むポーズをするヒカリ
「ごめんね、アスカ。碇君にも、あとで謝っておいてくれる?」
心から言っているらしいヒカリ
「…たくもう、ヒカリ、人のことならよく気がつけるのに。どうして自分の話になると臆病なのよ」
言いつつ、何だか胸がいっぱいになるアスカ
自分がシンジと一緒にいることをこんなにも素直に認めてくれているということ
そう見てもらえるくらいに、自分とシンジが並んでいるのがもう当たり前になっていること
当たり前の確かさと大切さが心地よく胸の底に沈む
それでも、ちょっと意地を張ってみるアスカ
「それは別にいいけど…でも、私がこのあとシンジと合流するかどうか、わからないじゃない?」

677: 4/5 2015/07/09(木) 23:46:04.98 ID:???
心外そうな顔をしてみせるヒカリ
「でも、するんでしょ?」
知らんぷりで突っぱねようとして、結局できずに笑い出すアスカ
「うん。するわ」
自分もくすくす笑うヒカリ
心底嬉しそうに、それからうらやましそうに、アスカを見る
「じゃ、早く追いかけなきゃ。あんまり碇君を待たせちゃかわいそうよ」
「ん。でも…」
手早く鞄を取り上げるアスカ
ヒカリに手を振りながら、もう歩き出す
「…ちょっと待つくらいでちょうどいいの、あいつは。じゃね、また明日」
「うん、またね」
手を振り返すヒカリを背に教室を出る
下校する生徒で混み合った廊下を抜けていく
と、もう小走りになっているアスカ
気がついて照れ笑いする
自分で自分がもどかしいような、いとおしいような、泡立つ嬉しさととまどい
今の自分の心の姿
拒まずに、無意識に素直な笑顔を浮かべて階段を駆け下りていくアスカ

678: 5/5 2015/07/09(木) 23:47:27.20 ID:???
昇降口を突っ切って片手で傘を開きながら一気に戸外へ
もう降りしきる雨も、今の自分の伴奏に聞こえる
走る靴先が雨水を跳ねちらかす
校門の少し外に傘をさして佇む人影
振り向く前から笑顔になっているシンジ
「お待たせ、馬鹿シンジ!」
飛びつくように正面に回るアスカ
子供っぽいと思いながらも足が止まらない
二人の距離の間でお互いの傘がぶつかって滴を散らす
「わ」
「きゃっ」
同時に声をあげ、それから顔を見合わせて笑う二人
なぜこんなに嬉しいのかわからない
わからないけれど、それが今の本当だと思う
お互いの目の中に同じ気持ちを認め合ってもう少し穏やかな笑みを交わす
自分を隣にしたシンジの、照れまじりに安らいだ表情
急に恥ずかしくなって目を逸らすアスカ
目で気遣いながらも声音には出さずに、いつもの口調で言うシンジ
「それじゃ、帰ろっか。アスカ」
「…うん」
とたんに弾けるような笑顔になり、傘ごとシンジにぶつかっていくアスカ
傘で押し合いながら、肩と肩がくっつきそうに並んで遠ざかっていく二人の後ろ姿

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709: 1/9 2015/07/14(火) 00:32:30.25 ID:???
こんばんは、通りすがりです
新作をおおーすごい!と読んでたらなんかベタ甘なのが出てきました
夜中の手紙の例もありますがどうしようこれ投下しますごめんなさい
---------


「……暑い」
早朝から真っ盛りの夏の日差し
ぐったりと頭を垂れて歩くシンジ
少し先から振り返るカヲル
「…あつい。
 もう無理。熱中症確実。こんなんで、学校まで、行けるわけないって」
強い陽光に白っぽく飛んだ路面
真下を向いて自分の影だけを見つめ、少しでも照り返しを防ごうとするシンジ
ろくに前を向かないのでふらふら道の脇にそれていく
めんどくさそうな顔をして引っぱり戻すカヲル
「何やってんだよ…ほら、しっかりしなよ。目ぇ開けて」
「無理。暑すぎる」
交差点の電柱の落とすささやかな影に入るシンジ
熱い息を吐き、汗をぬぐう
涼しい顔をしているカヲルを恨めしそうに睨む

710: 2/9 2015/07/14(火) 00:33:22.17 ID:???
「…こんなに暑いのに、何で渚は平気なんだよ」
頭の上に鞄をかざすカヲル
影になった首筋に汗
「平気な顔してるだけだよ。僕だって暑い」
「じゃあそう言えばいいじゃないか」
「言ったってどうにもならないだろ。ほら、信号青だよ」
名残惜しそうに電柱の影を見下ろすシンジ
「…もうちょっとここで休んできたいんだけど」
「遅刻するよ」
「いいよ、どうせ今週はテストの答え合わせだけだし、朝のホームルームも大して中身ないし」
「単なる遅刻でも内申書には響くんじゃないの。…ていうか、そっちじゃなくて」
「何だよ」
少し黙るカヲル
「わかんないの? じゃあいいよ、もう知らない」
顔を上げるシンジ
さっさと歩き出しているカヲル
思わず声をかけるシンジ
「…待てよ、何の話だよ」
振り向きもせずに言葉だけ投げ返すカヲル
「アスカさんとの朝の待ち合わせ。僕はレイと。決まってるだろ」
「あ」
瞬きするシンジ
ぼやけていた顔がぱっと生気を取り戻す
既に点滅している歩行者用信号
焦って一気に走って渡るシンジ

711: 3/9 2015/07/14(火) 00:34:59.83 ID:???
カヲルを追い越し、歩道に飛び込んで振り向いたとたん、自分でおかしくなって笑ってしまう
呆れ顔のカヲル
かなりの頻度で車が行き交う道路を振り返る
「…危ないなぁ君は」
「そっちが急がせるからだ」
「君が勝手に急いだんだろ。まあいいけど」
先ほどまでとはうって変わって足早に行くシンジに、今度はついていく恰好のカヲル
少し笑う
「…君ってつくづくゲンキンっていうか、アスカさんのことになると人が変わるね」
「何か言った?」
もう気持ちは先に飛んでいるシンジ
上の空で振り向いてすぐまた前を向いてしまう
声に出して笑うカヲル
「なんだよ」
「いや、やっぱりこっちに来て良かったなって思ってさ。レイと二人きりもいいけど、やっぱり君が
 そうやって元気でいるのを見られるのが嬉しい。うん、嬉しいんだ」
やや警戒顔になるシンジ
「…変なこと言い出すなよ」
「いいだろ、一度口に出してみたかったんだ。
 …だから、そうだな。アスカさんには感謝だ、君をこんなに生き生きさせてくれてるんだから」
「そこまで言うほど、かな。大げさだよ渚は」

712: 4/9 2015/07/14(火) 00:36:38.24 ID:???
形の上では言い返しながら既に照れているシンジ
しっかり見て取っているカヲル
それも認めながら、あえて気づかないふりで突っぱねるシンジ
「とにかく、行こう。待たせちゃ悪いから」
「はいはい」
いつもの角を曲がり、見慣れた店先を通り過ぎ、むせるような緑の匂いを放つ木々の横を抜ける
行く手の路上に二つの細い姿
意識すらせず大きく次の一歩を踏み出すシンジ
「やっぱり、待たせちゃってた!」
勝手に足が走り出す
文句言いながら続くカヲル
声を放つシンジ
「…ごめん、アスカ! 遅くなった!」
振り返るアスカ
レイと談笑していた名残の微笑みがまだ頬に漂っている
青い目がまっすぐシンジの目を射る
ついで、親しみに満ちたからかいの色を含む
「ばーか。レディ二人を待たせすぎよ」
「ごめん…って、アスカ、それ何?」
白いレースの日傘をくるりと回してみせるアスカ
強烈な日光の下、そこだけ繊細な影をレイと半分ずつ分け合っている
「マリの。あんまりあっついから借りてきたの。どう? 見違えたでしょ」

713: 5/9 2015/07/14(火) 00:39:04.93 ID:???
「…うん」
アスカを見つめて素直に頷くシンジ
瞬間、照れるアスカ
「…ばか、そんな正直に丸呑みしてどうすんのよ」
「だって…本当に、見違えたから。すごく素敵に見える」
真顔で答えるシンジ
胸のうちのたじろぎを隠して佇む夏の制服姿のアスカ
影の中でも輝いて見える豊かな髪と、世界の中心そのもののように思えるいとおしい顔
すらりとした立ち姿を白の多い夏服がよけい眩しく見せている
半袖から伸びた白い腕
その先の両手がもじもじと日傘の柄を掴み直す
そこにアスカのかわいさをまたひとつ見つけ、胸が苦しくなる癖にくすりと笑ってしまうシンジ
「…何よ」
明るい影の中から薔薇色の頬をして睨むアスカ
首を振るシンジ
「ううん。ただ綺麗だなって思っただけだ。…まあ、綾波と相合傘なのは、ちょっと悔しいけど」
実際少し嫉妬してしまうシンジ
目ざとくその表情を見つけ、ふんと笑って軽く顎をそらすアスカ
「女の子となんだから、ノーカンよ。嫌なら今度取り返しなさいよね」
「…、そのつもり」
まっすぐ視線を繋いで言い交わす二人を、どうしようもない慈しみの顔で見守るレイとカヲル
ふと気づいてその表情に打たれるアスカ
思い出してレイに顔を寄せる
「…そうだ、今、行っちゃいなさいよ」

714: 6/9 2015/07/14(火) 00:41:10.68 ID:???
「え、さっきの…? 今、なの?」
大きな目を見開くレイ
白い顔がほのかに上気する
強気に頷くアスカ
「ちょうど今、そこにいるんだし。善は急げよ」
「…うん」
素直にこっくりするレイ
訳がわからないシンジ
「え…何、急に。二人とも」
何となくカヲルを振り返る
同じくきょとんとしているカヲル
シンジの眼前をレイがすり抜ける
とまどうカヲルにしなやかに身を寄せ、カヲルが何か言う前にすっと背伸びしてキスする
唇をそっと離して靴のかかとを下ろし、微笑む
言葉も出ないカヲル
同じくらい真っ赤になっているシンジ
アスカが日傘の柄でごつんとその頭をどやす
「痛った、…なんだよ?!」
やや不機嫌顔のアスカ
状況が状況とはいえ、シンジが他の子に見とれるのはやっぱり面白くはない
「デレッとした顔で人のファーストキス見てるからよ。馬鹿」
「自分がけしかけたんじゃないか! …って、その、綾波、どうして」

715: 7/9 2015/07/14(火) 00:42:38.85 ID:???
振り向いてふわりと微笑むレイ
「アスカが、キスは待つものじゃなくて、盗むものだ、って。…だから、そうしたの」
「…え」
また頬が熱くなるシンジ
アスカを振り返る
自分もはにかみながら、鮮やかに笑うアスカ
「その通りでしょ」
「…う」
固まるシンジ
やっと我を取り戻したカヲルが、二人の顔を見比べて口を開く
「…そっか、…じゃあ君たちのときも、アスカさんからだったんだ。最初のキスって」
「え?! …話したの?! アスカ?!」
大いにうろたえるシンジ
逆に落ち着いているアスカ
「悪い? 相手がレイだもの、いっかなって」
「よ良くないッてば! だって、その、そういうのってほら、一応、二人だけのっていうか」
「別に何か盛ったり嘘言ったわけじゃないんだからいいでしょ!」
「そういうこと言ってるんじゃないだろ!」 
「もう、往生際が悪い!」
再び日傘をひるがえし、今度はレースの縁でぼんっとシンジの頭を叩くアスカ
そのままにこっと笑う
勝ち誇った底にほんの少し恥じらいを隠した笑顔に、そのまま何を言い返す気もなくなるシンジ
ふっと表情がほころぶ
「…わかったよ」
一瞬、その顔を見つめるアスカ

716: 8/9 2015/07/14(火) 00:45:04.41 ID:???
「ならよし。…ね、レイ? 案ずるより産むが安しだったでしょ?」
すっかりお姉さん顔でレイに言い聞かせてみせる
あどけないくらいに嬉しさをあらわにしているレイ
「…うん。…しあわせ」
自分も笑顔になるアスカ
シンジを振り返る
「ほらね?」
苦笑するシンジ
「何でそこで僕の方を見るんだよ…それと、渚には一言謝っといた方がいいと思うけど」
「うん。それはそう思う」
何度も頷くカヲル
すぐ傍にいるレイを意識しすぎて逆にいつものように寄り添えない
いつになくうろたえているカヲルを得意げに見やるアスカ
と、レイがシンジに向かって小さく首を振る
「いいの。びっくりさせてごめんなさい。…でも、するって決めたのは、私だもの」
ぽかんと瞬きを繰り返すしかできないシンジ
アスカと目と目で微笑むレイ
まだ不満顔のカヲルにもう一度すっと身を寄せ、内緒話の姿勢でささやく
アスカとシンジにもかろうじて聞こえる声
「…今度は、あなたからして」
抗いようもなく真っ赤になるカヲル
その手を引っぱって歩き出すレイ
会心の笑みを見せるアスカ
シンジに向き直る
「さ、早いとこ学校行くわよ。このメンツで遅刻したら、いかにもって感じでカッコ悪いでしょ」

717: 9/9 2015/07/14(火) 00:47:41.26 ID:???
「…うん。確かに、そうだ」
もう照れずに笑って頷くシンジ
先を行く二人を見守りながら眩しい道を歩いていく
開いたり縮まったりする距離
アスカの足元で日傘のレースの影が踊っている
ふと思いついて振り返るシンジ
「アスカ、その傘どうするの? 校則に引っかかるんじゃない?」
「平気よ。折りたたみだから、校門入る前に鞄にしまっちゃえるもの」
「じゃあ、それまでは差してる?」
「当たり前じゃない。どうして?」
見上げるアスカ
答えず、傘のレースの影に隠れるようにして素早くアスカにキスするシンジ
長い一秒を立ちつくす二人
顔を離したとき、はじめて目を開くアスカ
「…、なによ」
目で微笑むシンジ
「相合傘の分。取り返せって言ったろ。だから」
「…もうっ」
傘ごとシンジの腕を抱きしめるようにして身体をぶつけるアスカ
ぎゅっと力をこめる
「あんたってば、…ほんとに、馬鹿なんだから」
「…うん」
もう一方の手をそっとアスカの手に添えるシンジ
静かに微笑む
再び歩き出した二人の上に降り注ぐ真夏の光

762: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 22:06:51.29 ID:???
旧スレ埋め立ておつかれさまです
ちょっと乱入しますね
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夢を見ている。嫌な夢。
見ているときは、ああ、またあの夢だ、とわかる。目が覚めれば忘れてしまうのに。
見たこともない地下空間で(といっても、巨大な天井は既に全部落盤していて、遥か上に
地上の空が見えているのだけど)何か大きな力を駆って、たった一人で戦っている夢。
味方はいない。
敵はすっかり周りを囲んでいて、こちらのエネルギー残量や武装は底をつきかけている。
しかもその敵っていうのが、とにかく見るだけで嫌になるくらい、ニンゲンの、一番暴力的で
醜い部分だけ取り出したような奴。見た目だけじゃない、することも。
悪意ですらない、暴力への欲望だか衝動だかの根源的なものを剥き出しにして、こっちを見て…
いや、見てくるための目すらない。顔面には獰猛な口があるだけ。絶対に意志が通じない。
しかもそれが、同じ奴が九体もいる。
それが夢の一番嫌なところだ。
一人だということ。誰も助けに来てくれないということ。
幾ら頑張っても、必死にやっても、最後には負けて、相手の意のままにされるということ。

763: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 22:16:26.57 ID:???
今も…そうだ。
いつもと同じ。戦うためのエネルギーが尽きて、地面に倒れ伏す。
あいつらが迫る。
とても、とても酷いことをしに。
夢の中で絶望する。
あいつらより先にこちらが醜い内面をあらわにする。どんなに巨大な力を使って戦っていても、
しょせん、自分もただの動物に過ぎないと暴かれる。だって浮かぶのは恐怖と憎悪だけだから。
殺してやる。
嫌、助けて。
自分の心がその二つだけになる。もうあいつらなのか自分なのかわからなくなる。
だけど…
そう、その時やっと、夢の中でも思い出す。
訪れるのだ。
奇跡が。
そして、もう一つの絶望が。

764: 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2015/07/28(火) 22:33:50.02 ID:???
同じもう一つの力を駆って、あいつが目の前に、あいつらとの間に立ちはだかる。
「約束したんだ。君を助ける、って」
そして、動けない私を守って、ものすごく不利なのに、つらいのにも痛いのにもてんで弱いくせに、
戦ってくれる…守りきってくれる。
「大丈夫?」
息を弾ませながら、自分の方がよっぽどキツイ思いしてるくせに、私に訊く。
私はいつもの通り(いつもの通り、って何…?)憎まれ口を叩いてしまう。それは、すごく、安心したから。
嬉しかったから。
いちばん一人がつらいときに、一人じゃないんだよって、教えてくれたから…
何よ、私より全然トロくて頼りがいがなくて、本当はいつだって逃げ出したくて、それもわかってて、
そういう自分が嫌いで、いつだって、他人に傷つけられるなら(それとも他人を傷つけるなら)一人で
死んだ方がましだなんて顔、してたくせに。傷つくのは当たり前、もう諦めてるなんて顔してたくせに。
上っ面だけでも平気な顔作ってやり過ごそうとして、いつだってしきれなくて、傷ついてたくせに。
それでも私が傷つくのは見過ごせなかったなんて。
バカよ、あんたは。
でも私はそれで嬉しい。私が、あんたにとって、ただ危ない目に遭って見過ごせない他人だったって、
それだけでもいい。私は、嬉しかったから。
だけど…それをちゃんと伝える前に、あいつらが再び立ち上がる。

765: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 22:45:40.92 ID:???
今度はあんたが襲われる。抗っても、結局最後は意のままにされる。
私はそれを見ているだけしかできない。
違う、もっと悪い。
あんたを中心にして世界の形がほどけ始めたとき、私は…安心できるただ一人の人だと思っていた、
もういない人の幻に抱きしめられて、心の奥底を開いてしまった。私という形を失ってしまった。
だから、もう見ていることもできなくなってしまった。
たった一人、世界に取り残してしまった。
一人は嫌だと、あんなに思い知らされたのに。そこから救ってもらったのに。
私はあんたを、最後まで、一人の人として見つめることもしなかった。不可避の現象だったとしても、
私がそうできなかったことは、事実だ。
私は、先に消えてしまった。
あんたを一人残して。
だけど…あんたと、そしてあの子は、何も責めなかった。世界に、絶望しなかった。
私に…私たちみんなを、見捨てなかった。
それが溶けて形を失って一つになって、あの子の姿になった世界だとしても構わない。
あんたはあの子から逃げなかった。
そして自分の心で、ここに還ってくると決めたのだから。
そう、そして…一度無に帰した世界に、神様のかけらが降りしきる。涙のように。

766: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 23:00:59.96 ID:???
そして。
全てが始まったあの雪の朝を、私は少し遠くから見ている。それはきっとあの子の望みだ。
あの子の希望だ。
どこまでもその意志のままに無限に広がりうる、あなたの未来、という名の。
乗客が押し合う電車の中で、あなたが私の手を取る。しっかりつかまえて、たくさんの無名の人の塊から、
私という一人の人間を引っぱり出してくれる。そうして、私の顔を見る。
私を。
今夢を見ている私、…夢の中の私とは厳密には同じじゃない私、新しい世界に新たに生まれ落ちた私を。
本当はあの私は(この夢を見ている私は、ってことになる)夢の中の、孤独に怯えながら戦っていた私とは
違う。本当には何を受け継いでいるのでもないし、今さら同じ道を繰り返す必要も、だから、ない。
それでも、命は繋がっている。
それがあの子の希望だ。
もう夢から醒めかけているのを感じながら、夢の中の私は、再び遠ざかる私に呼びかける。
ねえ、わかってないのは承知だけど、あの日、雪が降ってたのは偶然じゃないのよ。
あの子は私の中にも、あんたの中にも、全ての人と命の中にいるんだから。
あんたはこの新しい世界で、私によく似た私にめぐり会った。他にも、なぜかわからないのに懐かしい
人にも会えたかもしれない。そう、あの子によく似た女の子にすら、出会うかもしれない。
でもそれはかつていた私たちじゃない。それでいいの。
それが、希望なのよ。
未来という名の。
人は何度でも、前を向いて歩き出せるということの。
だから…あんたは、何度だって、何度生まれ変わったって、ここにいていいのよ。
そう、そしてもちろん、私も。

767: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 23:21:59.74 ID:???
「…ねえ」
彼女が前を向いたまま、すごく柔らかい、泣きたくなるほど優しい声で、僕を呼ぶ。
夏の光の中で、一瞬何もかもが奇跡のように見える。
「何」
僕は内心湧き起こる動揺に焦りながら、なるべく何でもない声で答える。
向こうの信号を見るふりを装ってこっそり隣を見る。彼女は微笑んでいる。とても優しく。
再び、奇跡という言葉が頭をよぎる。
いつも通りの光景のはずなのに、どうしてか、こんなにも危うくて、いとおしくて、安心する。
彼女は夏服のスカートを払って、ちょっとつま先を見下ろす。
「ねえ、私たちってさ…
 …ううん。やっぱ、何でもない」
「なんだよ」
「別にいいの。ちょっとヘンなこと、思っただけ」
彼女は声に出して笑う。笑っている横顔は確かに同い年の女の子なのに、そこにある何かが、
僕の胸の奥底、自分でも知らないところを貫く。思い出さなければならない何かがあるように。
忘れてはいけなかった何かがあったように。
「…何だよ、言ってみてよ。気になってきた」
「何よ、もう忘れちゃったわよ」
振り返って、彼女は僕の顔をまじまじと見つめる。

768: 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2015/07/28(火) 23:50:37.36 ID:???
僕は慌てて表情をやわらげる、少なくともそう努力する。成功した気はしないけど。
彼女は吹き出す。
それを見るだけで僕も心底ほとして、一緒に笑い崩れてしまう。彼女はそんな僕がヘンだと
更に笑い転げる。何だかどうでもよくなってしまう、たった今あれほど真剣に恐れていた感じも。
ひとしきり笑ったあと、彼女はまっすぐ僕を見て言う。
「あんたの思ってたこと、何となくわかるけど…
 でも、焦んないの。いつか必ずわかれるようになるわよ、私にもあんたにも大事なことなら」
大人びた言い方が、少し遠い。
でも構わない、まだ追いつけるから。それは結局、僕が追いつきたいからに他ならないんだけれど。
「…そうかもね」
僕は心から言う。が、彼女は唇をとがらせる。
「あ。今、やれやれわかってないなーアスカは、とか考えたでしょ」
「え?! 違うよ、何でそんなこと言うんだよ」
「そういう顔してた」
「してないって! ちょっと、アスカ、待ってよ!」
彼女は先に立ってさっさと歩き出す。でも、僕が追いつくのを嫌がりはしない。今のところは。
早足で隣に並んで、僕はちょっと息をこらえる。
さっきの、奇跡だという感じが、また胸に押し寄せる。

769: 埋め小ネタ 2015/07/28(火) 23:59:55.07 ID:???
いつもの通りのことのはずなのに。当たり前に過ごしている時間のはずなのに。
でも、当たり前って、いつまで当たり前でいられるんだろう?
「バカね、いつまでも辛気臭い顔してないの」
彼女は鮮やかに笑う。結局、いつもこうなのかもしれない。それでいいのかもしれない。
単なる考えすぎでも、もしかしたら遠い予感でも、今を当たり前に歩いていけばいいのかもしれない。
僕らにできるのはそれしかないのかもしれないから。
「いたいた! レイ、お待たせー」
「…あー、来ちゃったかぁ。ちぇ」
「は?! 何ロコツに嫌な顔してんのよ。二人きりに割り込まれるのが嫌なら、何で今までの時間を
 有効活用しないのよ、この本番に弱い優柔不断男! ったく、レイに悪いとか思わないわけ?」
「ひっどい言われよう。…ねえシンジ君、君ってよくこんなキョーレツな子と付き合ってられるね」
「まあ、正直、僕もときどきそう思うかも」
「ちょっと! 聞こえてんのよそこ!」
「…キョーレツって、何が?」
「だからこういうとこだよ…って、痛っ! ほらもう、やっぱりそうじゃないか! 乱暴だし!」
「…そう? 私は、可愛いと思う、そういうとこ」
「え?! …なによ、真顔で言わないでよ」
「何でそうなるかなぁ…まあ、レイが言うならそれでいいけどさ。ていうか、そういう台詞はシンジ君の
 役目じゃないの、ほんとは」
「うん。そう思う」
「そう言えばそうよね」
「え…なっ何だよ、いきなりこっちに振られても困るってば。…えーと」

770: 埋め小ネタ・完 2015/07/29(水) 00:02:51.74 ID:???
当たり前を当たり前に、その通りのものとして繰り返すこと。
毎日を繰り返して、積み重ねて、前に進んでいくこと。
それしかないのかもしれない。
たとえどんな世界に生まれても、苦しいことやつらいことはきっとある。だけど嬉しいことも同じくらいに、ある。
不安と喜びは背中合わせにあるから。
それとも…こうして考えてることも、結局は、全部ひっくるめて…
「ほらシンジ、どうなのよ」
「えっと…そりゃ、つまり、…その」
僕は彼女をまっすぐ見つめる。照れくさい、というか心臓が破裂しそうなくらい、恥ずかしい。
「…、アスカ」
「何よ」
「僕は…うん。僕は、アスカが、好きだ」
「え」
彼女は両目を見開き、それから怒ったように、赤くなった顔をそむける。
「好きだよ」
僕はそれこそ馬鹿のように繰り返す。
そう、繰り返しだ、これも。
「…バカ、何度も言わなくたっていいでしょ。ほんと、バカなんだから」
「…うん。わかってる」
彼女はつんと顎をそらして、また先に歩き出す。旧友たちが隣で笑っている。
そう、全部ひっくるめて、要するに、僕が彼女に恋をしているという、それだけの話なのかもしれない。
だったらそれでいいと、今、僕は思う。


--------
43: 1/9 2015/08/15(土) 01:37:10.40 ID:???


-------
日ざかりの墓地を歩くシンジとアスカ
真上から照りつける日差し
手桶と柄杓を片手にまとめ持って、空いた手で汗を拭うシンジ
その間も足を止めない
少し突きつめたような横顔
まっすぐ前を見据えて一歩ずつ進んでいく
花束を抱え、そのちょっと後に続くアスカ
今日もマリの白いレースの日傘を肩に預けている
明るい影の奥に沈んだ顔
とりとめない視線を周囲にさまよわせる
蝉時雨
「…大丈夫? 一番暑い時間に来ちゃったね」
ぱっと目を戻すアスカ
振り返っているシンジ
とっさに日傘を深く下ろしてしまうアスカ
花束を抱え直す動作にまぎらわせる
「別に。平気よ、日本の夏は初めてってわけじゃないもの。…けど」
「ん?」
アスカがちらりと見せた不安に目を留めるシンジ
足を止め、アスカが追いつくのを待つ

44: 2/9 2015/08/15(土) 01:38:13.60 ID:???
「まあ、ちょっとは…居心地悪い、かもね。こういう場所って、来たことないし。
 …にしても、いいの? 私がついてきて。ある意味、一番のプライベートでしょ」
いつものようにすぐにシンジに寄り添おうとはしないアスカ
微笑するシンジを見つめる
「いいんだ。…アスカと一緒に来たくて、ここに呼んだんだからさ。
 わざわざごめん。でも、ありがとう、付き合ってくれて」
「…何よ」
ふっと表情を緩めるアスカ
日傘をゆっくり回しながら再び歩き出す
並ぶシンジ
「いいのよ、このくらい。半分は観光に来たようなもんだし。マリも案外あっさり
 車出してくれたし。…ま、あとで別の形で返せっていう魂胆なんだろーけど」
「う…そうだよね。…ごめん。返せたら、返したいんだけど、さ…」
首を振って笑うアスカ
「冗談よ。マリだって無収入の高校生二人にまともに期待しちゃいないわよ。
 旅行した分、勉強もおろそかにしないようにって、それだけ」
「…そうなんだ。…けど、アスカはそういうの嫌いだろうなって思ってた」
日傘を傾けるアスカ
レースの陰から少しうつむいたシンジの横顔が覗く
「そういうの、って?」

45: 3/9 2015/08/15(土) 01:39:29.28 ID:???
ちょっとためらうシンジ
自分の内面を覗き込むような目つき
「大人に、甘えること。
 …アスカは今、お母さんと離れて一人なんだろ。だから、余計に他人に隙は
 見せたくないんじゃないのかなって気がしてたんだ。たとえマリさんでも」
小さく口を開くアスカ
敏感に気づいて、すばやく目を向けるシンジ
自嘲するように笑ってうつむく
「ごめん、僕の勘違いだ。ていうか、マリさんにもアスカにもひどい言い方してる」
言ってから、自己弁護する自分にさらに苦い笑みになる
手桶の持ち手を握る指に力がこもる
「…ほんとよ。馬鹿ね」
顔を上げるシンジ
日傘の落とす明るい影に彩られたアスカの微笑
抱えた花束にちょっと視線を落とす
「…甘えたくないのはあんたの方でしょ。だけどまあ、甘えるのも悪くないわよ」
反射的に言い返そうとするシンジ
アスカの目が遮る
「いいの、わかってるから。言いたいことは。
 私も、最近まで同じだったし。
 でも、大人じゃない…子供でいるってのも、それほど嫌でもないって、今は思えるの。
 甘える、イコール弱い、とは限らないっていうか…だって、あんたに甘えるのは、私、
 苦しくないもの」
とまどったように瞬きするシンジ

46: 4/9 2015/08/15(土) 01:41:50.94 ID:???
柔らかい目をしているアスカ
「あんたをずっと見てたら、そう思えたのよ。
 …別に、すぐにわかれとか賛成しろなんて言うつもりないわ。自分の問題だもの。
 あんたを、全部どうにかできるなんて思うほどうぬぼれちゃいないわ。…まだね」
軽く付け加えて口をつぐむアスカ
黙り込んでいるシンジ
さっきの自分の不用意な言葉が急に幼く感じられて恥ずかしさばかり増している
とがめるのではなく、真顔で悔やんでいるらしいシンジに、しだいに照れてくるアスカ
また日傘を盾にする
「何よ、深く考えないでよね。…あー、それにしてもあっついわね。
 けど東京以外の日本を見るのって、考えてみたら、初めてかも」
ぶんぶん振られる真っ白な日傘
小さく笑うシンジ
「…アスカ、ありがとう」
「え」
日傘のレースのふちが揺れる
訊き返される前に立ち止まるシンジ
表情を少し改め、水の入った手桶を地面に下ろす
墓地の寂しい一角
つられて止まるアスカ
「…ここ?」

47: 5/9 2015/08/15(土) 01:43:55.15 ID:???
「うん」
真夏の陽にさらされた墓石の前に立つ二人
日傘をたたむアスカ
じいじいと熱気の底を伝わってくる蝉の声
ぬるい風
「…ん?」
花束を持って目をみはるアスカ
墓の花立てには、既に別の小さな花束がある
すっかり灰の塊になった線香が台の上で崩れている
「なんだ、先に誰か来てたんだ。あんたの、えーと…おばさん?だっけ」
首を振るシンジ
「ううん、違うと思う。おばさんは、父さんのことあまり好いてなかったから」
また自己嫌悪の影がかすめる
「…今日ここに来たのも、本当は言ってないんだ。途中で観光して東京に戻るって、
 そう嘘ついて向こうを出てきた。…今考えると、僕ってひどいし、馬鹿だな。
 おばさんが気づかない訳ないのにさ」
怒ったように振り向くアスカ
「別に、いいじゃない。お互い気遣ってるのもわかってるってことでしょ、それって」
「…そうだといいけど」
腕を伸ばし、乾いた墓石に水を掛け始めるシンジ
突き放された気がして黙り込むアスカ
が、ふいに向けられたシンジの笑顔に緊張を解かれる
力みのない優しい表情
「でも、ありがとう」

48: 6/9 2015/08/15(土) 01:45:23.25 ID:???
形だけそっぽ向いてみるアスカ
「…何よ。
 それより、じゃあ誰なのよ、ここに先回りしたのは」
「たぶん、渚と綾波じゃないかな。他に知ってる人ってあまりいないから」
「またあの二人?! ったく、どこまで人の事情に割り込んでくれば気が済むんだか」
大げさに嫌な顔をするアスカ
一呼吸おいて笑う
「…ま、私らとかち合うのを避けたことは、評価するけど」
「うん。結構気を遣ってくれてるんだ、二人とも」
「知ってるわよ。嫌って言いたいんじゃなくて…なんかビミョーに腹立つってだけ」
小さく声に出して笑うシンジ
見つめるアスカ
改めて花を供え、持参したマッチで線香に火をつける
細い煙があるかなきかの風に流れる
シンジを横目で見つつ真似して手を合わせるアスカ
ずいぶん長い間目をつむっているシンジ
いつのまにかその横顔だけを見ているアスカ
やがて、後片付けをして墓を後にする二人
「…ねえシンジ、さっきの話だけど。…ほら、甘えるとか何とか、っていう」
「うん」
「あれ、言い過ぎた…わよね。撤回しとく」

49: 7/9 2015/08/15(土) 01:47:59.37 ID:???
「そんなことないよ。言ってくれて、嬉しかったから」
「…ほんとに」
「うん。嘘じゃない」
「…、あっそ。
 あー、ならついでに付け足しちゃうけど、…あんただって、甘えていいのよ。
 私だけじゃなく、もっと…周りに。他人に甘える自分を、少しは許しなさいよ。
 そうしてもいいと思う、…私は」
「僕って…そんなに、顔に出てる? もしかして」
「割とね」
「そっか…」
「馬鹿、深刻に取んないでよ。ほんと素直すぎるんだから」
また日傘をくるくる回しているアスカ
ふと足を止めるシンジ
両親の墓所の方向を振り返る
黙ってその姿を見守るアスカ
シンジの提げた空の手桶から石畳へ、わずかな滴がしたたる
振り向いた姿勢のまま言うシンジ
「…アスカ」
「何よ」
「今日…アスカと、ここに来られて良かった。
 今までで一番、父さんと母さんと、ちゃんと話せた気がする。…アスカのことを
 報告したくて、僕はここに来たんだ、ほんとは。きっと」
まばゆい日差しの真下に佇んでいるシンジの姿
「僕は…」

50: 8/9 2015/08/15(土) 01:50:16.18 ID:???
少し言葉を探しているらしいシンジ
わずかに口ごもった後、しっかりした声で言い切る
「僕は、ここに帰ってこられて、良かった。…うん。帰ってきても、良かったんだ」
強いのにそっと包み込むような語調
かすかに目をみはるアスカ
既視感とも違和感ともつかない何かが心をかすめる
一瞬の錯覚、それとも記憶でない記憶
無意識に口にしているアスカ
「…還って、きて?」
「え?」
振り返るシンジ
急速に現実感が戻る
取り残された気持ちを扱いあぐねるアスカ
意味もなく周りを見回す
辺りには夏の光ばかり
「今…」
「どうしたの、アスカ」
傍に寄るシンジ
その顔を見上げるアスカ
思い出せない何か、もう思い出さなくてもいい何かが形もないままに消えていく
瞬きばかり繰り返すアスカにうろたえるシンジ
「え…アスカ? 大丈夫? あ…気分悪くなった?」
「…平気よ」
首を振るアスカ
本気で心配しだしたシンジの額を指でつつく

51: 9/9 2015/08/15(土) 01:51:29.54 ID:???
「何でもないわ。…さっさと行きましょ、マリが車で待ちくたびれてるから。
 あんたも新幹線の時間とか、あるんでしょ」
「…うん、でも」
「大丈夫だってば」
「…わかった。じゃ、少し急ごう。やっぱりこんな暑い時間にするんじゃなかった」
「今頃言わないでよね」
少し早足で歩き出す二人
最後にもう一度だけ振り返るシンジ
陽炎にかすむ墓地
アスカが腕を引っぱる
「ほら、行くわよ」
「…うん」
アスカに視線を戻し、柔らかい表情で頷くシンジ
ちょっとだけ照れ、わざと強い眼差で笑い返してみせるアスカ
少ししてシンジが顔を寄せて囁き、アスカが笑って頷いて、自分からシンジの手を掴む
汗ばんだ手を固く繋いで歩いていく二人
降る蝉時雨

----------
88: 1/5 2015/08/28(金) 00:34:35.50 ID:???


---------
宵闇の公園
あれほどうるさかったはずの蝉の声がいつのまにか絶えている
代わりに響く静かな虫の音
昼間の熱を残した地面
暗くなった木陰を渡る風はもうはっきりと涼しい
手元の花火がぱちぱちと最後の光を散らして消える
「…あーあ、終わっちゃった」
溜息混じりに呟くアスカ
燃えがらを水のバケツに放り込み、風に乱れた髪をかき上げる
そのしぐさに何となく目を奪われているシンジ
気づいて睨むアスカ
すぐにからかうような笑顔になる
「何見てんのよ」
「別に。花火を見てたんだよ」
シンジも笑い返す
「嘘。ちゃーんと見たもの」
「何だよ、アスカこそ見てたんじゃないか」

89: 2/5 2015/08/28(金) 00:35:24.46 ID:???
「当ったり前じゃないの」
屈託のないアスカの笑い声
ふと周囲の静けさを振り返るシンジ
何でもない時間が過ぎていくのを、少しじりじりしながら噛みしめる
焦燥というよりは寂しさに近い感傷
「あとは…なんだ、もうないんじゃない」
花火の袋の前に一緒にしゃがみ込んだアスカを、もう一度見るシンジ
顔を上げたアスカと間近で視線がぶつかる
ほとんど圧力のようなたじろぎに負け、お互い相手から目を逸らしてしまう
そむけてためらっている顔と顔
花火の匂いが流れる
と、シンジの手が袋から細い束を拾い上げ、一本抜いてアスカの手にも渡す
振り向くアスカ
一瞬、そこにいるシンジに、視線で寄り添う
それから照れたように細い紙の花火に目を移す
「ん? これも花火なの?」
「うん。小さいけどね。こうやって持ってみて」
教わる通りにアスカが垂らした花火の先へ、慎重に火を近づけるシンジ
宙に揺れるこよりの先にちりちりと小さな火球がともる
ペンの先でちょんとついた程度のごくささやかな赤い光の点
「…これだけ? 何も起きないじゃない」

90: 3/5 2015/08/28(金) 00:36:48.16 ID:???
つまらなそうな声になるアスカ
直後、目をみはり直す
宙でぶるぶる震える火の玉から、繊細な光の翅枝がぱっと閃く
一呼吸ほどの間をおいて、もう一度
一瞬だけなのに華やかで寂しい
しだいに密度が増していく
息を凝らすようにして見とれているアスカ
笑って自分のにも火をつけるシンジ
しばらく花火の精緻な閃きを見守っている二人
やがて複雑だった光の網がごくごく細い火の筋に変わり、それも消える
元の小さい点に戻った火球を、まだ待っている顔で見つめるアスカ
こよりが伝える火球の震えが少しずつ弱まっていき、とうとう火球そのものがぽとんと闇に落下する
思わず溜息を洩らすアスカ
「何よ…」
名残惜しそうにシンジの持つもう一本を見つめる
こちらも同じように光が少しずつ衰えていく
最後に火球が落ちるところまで、しゃがんだ両膝を揃えて見届けるアスカ
ふうっと息をつく
そっと覗き込むシンジ

91: 4/5 2015/08/28(金) 00:37:25.07 ID:???
アスカが気づくのを待って笑いかける、というよりも、自然に笑顔になってしまう
ちょっと悔しそうに笑い返してみせるアスカ
「これで終わり?」
「まだ、あと何本かあるけど。でも、同じのだよ」
「いいの」
シンジの手から線香花火の残りを受け取って微笑むアスカ
紙こよりを染めたさまざまな色を、離れた街灯からの照り返しで見て取ろうとする
「よく日本人はこんなもの考えつくわね。器用っていうか、スケール小さいっていうか」
「スケールって…何でそうなるんだよ」
一度立ち上がり、すっかり暗くなった公園の奥を透かし見るシンジ
幾重にも湧き上がる虫の声が暗闇に満ちている
「日が短くなったね。もう真っ暗だ」
「…帰り、ちゃんと家まで送ってよね。って言っても、10分もかからないけど」
「でも、送るよ。危ないからね」
「そ。じゃあ一応、頼りにしよっかな」
しゃがんだまま顔を上げるアスカ
「ほら、片付けなんか後でいいでしょ。先にこっちよ」
薄暗がりの中でもわかる勝気な笑顔
苦笑してしまうシンジ
「はいはい。わかったよ」

92: 5/5 2015/08/28(金) 00:39:35.50 ID:???
「ちょっと、何よその言い方は」
再び腰を下ろすシンジ
隣り合った身体はくっつきそうでくっつかない
ささやかに近づいたり離れたりを繰り返す親密な距離
その危うさと確かさに、二人とも何となく安心している
「じゃ、せーので火つけるわよ。先に火の玉が落ちた方が負け。いいわね?」
「いいけど、…負けって、負けたら何させるつもりだよ」
「それは勝った方が決めるの。ほら、早く」
「わかったってば」
抑えた笑い声
暗闇にぽつんぽつんと赤い光がともる
呼吸するように震える火球から一瞬一瞬広がる精緻な光のレース編み
閃いては消える火の舞を言葉少なに見守る二人
火球を睨みながら、もう一方の手でこっそり残りの花火を数えるアスカ
じっと光を見つめているシンジ
柔らかく夜風が渡る
黙り込んだ二人を押し包むように音を増す虫の声
彼方の空に月

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106: 1/8 2015/09/04(金) 09:29:39.54 ID:???

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「あー、かったるいったらないわ。まだ身体から夏が抜けてない感じ」
学校帰り、歩きながら大きく伸びをするアスカ
隣で笑うシンジ
「そうだよね。でも、みんなそうなんじゃないの? 学期初めなんてさ」
「違うの。日本は夏と秋が地続きすぎるのよ」
「そうかな…」
ぴんとこない顔のシンジ
恨めしげに強い陽射しを睨みつけるアスカ
空はまだ湿気を含んで靄がちに青い
遠くにはまた雨を降らせそうな黒っぽい雲の列
汗で貼りついた前髪を乱暴に手で払って、溜息つくアスカ
微苦笑するシンジ
「そっか。ドイツの季節感に慣れたアスカには、まだしんどいよね」
「しんどいって程じゃないわ。けど…」
ふっと思い出す顔になるアスカ
「向こうじゃ夏季休暇が終わったらきっちり秋の空気になってるの。空の色も違うのよ。
 そもそも、夏だってこんなに蒸し暑くないし」
少しシンジを気にする
不思議そうに見返してくるシンジの顔色に安堵し、自覚してちょっとむっとなる
照れ隠しにまくしたてる
「…ほんっと、日本って湿気が多すぎるのよ。いくら風土ったって限度があるわよ。しかも、
 ちょっと前まではそこに紙と木で家建てて住んでたなんて、信じらんない」
「…さすがに今は違うんじゃないかな」

107: 2/8 2015/09/04(金) 09:31:31.28 ID:???
「どうだか。ドイツじゃ、千年前からもう城砦と石の教会よ」
「千年って…」
苦笑しながらも深く突っ込まないシンジ
ぽんぽん底意のない悪態をつくアスカが眩しい
なんだかんだでこの時間を楽しんでいる自分をふいに意識する
穏やかな温かさが胸に満ちる
ふとシンジの表情に気づくアスカ
包み込むような柔らかな眼差
瞬間、なぜか泣きそうになって、慌てて真上を睨むアスカ
もつれた髪を振り払うのを装って上気した頬を隠す
髪の房の隙間から盗み見る
気づいていないようなシンジの横顔
一夏の間にまた少し成長したのを理屈でなく見て取るアスカ
すぐ隣を歩いているのに急に遠ざかったような、意味もない不安がかすめる
とっさに名前が口をつく
「…ねえッ、シンジ」
「何?」
振り向くシンジ
真正面から顔を見合わせて、言葉が続かなくなるアスカ
「…どうしたの?」
足を止めているアスカ
一緒に立ち止まり、しばしきょとんとしているシンジ
それから少し表情を改めてアスカを覗き込む
ますますどぎまぎしてしまうアスカ

108: 3/8 2015/09/04(金) 09:32:39.63 ID:???
もともと何か言おうとしたわけではないから、下らない話か冗談にしてしまったって構わない
そうわかっているのに何も続けられない
どうにかしようと思うほど身動きが取れなくなる
たわいない惑いなのに抜け出せない
全ては汲み取れないまでもアスカの動揺を感じ取るシンジ
だからと言って大人のようにすぐ何かできる訳でもないことは承知している
黙って傍に立ったまま、空を仰ぐ
急にくっついてくるアスカ
シンジの胸に顔を伏せ、シャツを掴む
そこまでは予想していなかったため大いにたじろぐシンジ
「え…アスカ? …っ、あの」
「…動かないで」
顔を肩口に埋めたまま制するアスカ
「…でも」
とまどいを口にしてしまうシンジ
無言でぎゅっとすがるアスカ
伝わってくるあるかなきかの震え
黙り込むほかないシンジ
自分が何も出来ない、何もわかっていない子供だと痛感する
唇を噛み、それでも何かせずにはいられなくて、何も言わずアスカの背に両手を回す
腕の中で一瞬わななくアスカの身体
静かに強く抱きしめるシンジ
黙っているアスカ
風が渡り、言葉でも数字でも計れない時間が過ぎる

109: 4/8 2015/09/04(金) 09:33:29.78 ID:???
沈黙に身を委ねている二人
今まで何度こうやって寄り添ってきたのか、もう数えきれない
なのにまだ全部はわからない
わからないけれどこうしていると何度でも心が快くほどけていく
皮膚、髪、衣服 触れ合った境界面が痛いほど意識される
互いの境界、すなわち互いのかたち
だからもどかしくていとおしい
だから何度でも手を伸ばす
繋がる感触を確かめる
…ゆっくりまぶたを開くシンジ
夢から醒めたように顔を上げる
ふと見下ろす
まだ顔を伏せたままのアスカ
ふいに胸が騒いで、息を止めるシンジ
ひょいと顔を仰向けるアスカ
素直に心配しているシンジの顔を見つけて、鮮やかに笑う
ちょっと憮然としつつもつられて笑ってしまうシンジ
笑いながら、今さら照れたように身体を離す二人
再び何事もなかったかのように並んで歩き出す
「…で、何だったっけ。さっきの」
「別に何でもないの。乙女の憂鬱ってやつよ」
「え…何だよ、それ」
「それより、えーと、ほら! 日本にはなんかないの? こういう…なんていうんだっけ、
 しつこい夏の残りをやり過ごすための、伝統の小物とかオマジナイとか!」

110: 5/8 2015/09/04(金) 09:34:56.78 ID:???
「おまじない…一応、今、21世紀だよ」
それでも、困った顔ながら考え込むシンジ
満足げにちらちら見やるアスカ
困らせて、この一生懸命な表情を見てやっただけで、本当は充分なのを噛みしめる
「ばーか。いいわよ、真面目に考えなくて」
歌うように笑いを含んだアスカの声
何だか全てアスカの手のひらの上のようで少し悔しくなるシンジ
胸の内には、別にそれでもいいと思ってしまう自分がいる
それもちょっと情けないので、ややむきになっているとわかりつつなおも頭をひねる
「…あ」
「ん? 何よ」
「…おまじないでも、残暑避けでもないけど」
晴れ晴れした顔でアスカを振り返るシンジ
「風鈴。ちょっと時節的には遅いけど。でも、もう冷房に頼らなくてもいい頃だから、
 試すにはちょうどいいんじゃないかな」
「ふう…りん? 何よ、それ」
軽く首を振って教えないシンジ
「アスカご所望の日本の伝統小物。マリさんにでも訊いてみてよ。きっと知ってるから」
「…ふぅん」
一応頷くアスカ
正直、シンジの表情が晴れただけでもうどうでもいい
その気持ちを何となくアスカの目色から察して、素直に微笑むシンジ
思わず、にこっと満面の笑みを返すアスカ

111: 6/8 2015/09/04(金) 09:36:36.82 ID:???
別れ際、いきなりぎゅっと手を繋いでくるアスカ
不意打ちであからさまに動揺するシンジ
やや強く振り返る
珍しく真剣な表情で繋いだ手と手を見下ろしているアスカ
文句を言うきっかけを逃すシンジ
うつむいたままぽつりと言うアスカ
「さっきの。ありがと」
「え…」
「…抱きしめてくれたこと」
真っ赤になるシンジ
言葉を返せない
気にせず、静かな声で続けるアスカ
「…何であんたと出会って、今、ここでこうやって一緒にいるのかわかんないけど。
 でも、つらい時の私には、あれが一番効くの。…さっき、わかった。だから…ありがと」
口を開き、けれど何も言えないシンジ
胸がいっぱいでただアスカを見ていることしかできない
いざという時に不器用な自分が心底嫌になる
機敏に視線を上げ、目を合わせて悪戯っぽく微笑するアスカ
「…ばか。あんたはそれでいいのよ」
「…アスカ」
今度はシンジが危うく泣きそうになる
目ざとく見つけてにっと笑うアスカ
「何よ、男のくせに。もっと堂々としてなさいよ」
「…ごめん」
取り繕おうとしてやめ、顔をくしゃくしゃにして微笑み返すシンジ
「ほんとにばかね」
ふと二人の間に沈黙が落ちる
シンジの表情が静まり、眼差が真摯になる
待っている顔のアスカ

112: 7/8 2015/09/04(金) 09:38:03.51 ID:???
ぐっとためらいを呑み込むシンジ
思いきって一歩距離を詰め、もう一度腕を伸ばし、そして両手が空を切る
ぽかんとするシンジの鼻先をすり抜けるアスカの髪
跳ねるように数歩退き、くるりと振り返って勝気に笑うアスカ
「今日はここまで。続きは、明日よ」
「…何だよ、それ」
言いながらも、夕陽にほんのり輝くアスカの顔にもう許すほかなくなっているシンジ
肩の力を抜いて仕方なく笑う
「…わかった。じゃあ、また明日」
「よし」
わざと先に背を向けて一人で歩いていくアスカ
その後ろ姿を見送り、今さらすっぽかされた切なさに溜息ついてきびすを返すシンジ
入れ替わりにそっと振り向くアスカ
ひとりでに笑いがこみ上げる
歩いていくシンジもいつのまにか少し笑っている
傾いた陽射しの下、遠ざかっていく二人

「ねえ! マリ、うちに風鈴ってないの? 風鈴!」
「にゃによう、いきなり。大体、風鈴は夏の風物詩だよー。ちょっと遅いんじゃない?」
「いいから! ないの?」
「んー…ああ、カヲ坊がお土産にくれたのがあったっけ。ちょっと待ってて…
 風鈴ねえ…あ、姫、もしかして彼氏に何か聞いたとか? …あーわかった、なんか
 いいことあったんでしょ。今日」
「ノーコメント! いいから早く!」
「んもー、わかったってば」

113: 8/8 2015/09/04(金) 09:41:19.95 ID:???
就寝前、自室に引き上げて初めて風鈴を手に取るアスカ
「あのニヤケ男の土産ってのは気に食わないけど…あ、そっか。レイのだと思えばいいのよ」
ガラス製の小さな風鈴を手の中で引っ繰り返してみる
短冊には涼しげな金魚の流し描き
カーテンを少し引き、窓を細く開けて風鈴を吊るすアスカ
離れて具合を見る
「…こうでいいのよね? 何も起きないじゃない。馬鹿シンジ」
露骨にご機嫌斜めになるアスカ
と、夜風が渡り、窓の隙間から吹き込む
小さく目を見開くアスカ
風の感触と一緒に、ちりんちりんと澄んだ音をたてる風鈴
湿っぽいはずの夜風が何となく特別に感じられる
汗の引いた両肩をふっと抱きしめるアスカ
微笑んでいる
「…何よ。子供騙しね、こんなの」
悪態をついてみる
それでも眠ってしまうのが惜しくて、ベッドに腰を下ろしたまま風を待つアスカ
いつまでも灯っているアスカの部屋の明かり

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追記:カヲルはゼーレ(欧米の財界引退者が暇を持て余す会)に育てられています
 マリとユイは何代か前の同じく特別奨学生
 その縁でカヲルは幼少期を日本(というかユイの傍)で過ごし、マリとも知り合いです
 …ということにしておきます

204: 1/7 2015/09/28(月) 21:38:39.42 ID:???

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秋の朝
ひんやりした風が過ぎ、ふと鼻をくんくんするアスカ
通りかかった住宅の庭先
生垣の奥に繁った常緑樹から甘い香り
「んん…? 花が咲いてるようにも見えないのに。変なの」
「何? …ああ」
背伸びして木の種類を確かめるシンジ
自分も爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込む
まだいぶかしげな顔のアスカに微笑む
「キンモクセイ。よく見えないけど、きっとまだ蕾なんだよ。ちゃんと花が咲く前から
 こんなに匂うなんて知らなかったな」
教える態度のシンジにむっとなるアスカ
優しいのは嬉しいが、さすがに同年齢に子供扱いはされたくない
つんと顔をそむけてみせる
「Osmanthusくらい知ってるわよ。日本にもあるって思わなかっただけ」
「え?! う…ごめん」

205: 2/7 2015/09/28(月) 21:39:13.15 ID:???
素直にしょげるシンジ
それを見て素直に機嫌を直すアスカ
「何よ、馬鹿ね。この程度で落ち込まないでよ」
「っ、落ち込んでなんかないだろ」
あわてて言い返すシンジ
言ってからやや拗ねた顔でそっぽを向く
「…アスカに言われると応えるってだけだ。僕は」
「ふぅん、そう」
大いに満足するアスカ
優しい声になる
「きん…もくせい、だっけ? 日本語ではそう言うんだ」
顔を向けるシンジ
アスカの表情がやわらいでいることにたわいなく安堵してしまう
いつまでも見とれてしまいそうで、やや口早に答える
「うん。金木犀。金色の花って意味になるけど、どう見てもオレンジだよね」
「そう? いいじゃん。金の花かぁ…ドイツ語よりゴージャスね」
「ドイツにもあるんだ、キンモクセイ。日本的な花だなって思ってた」
「何言ってるんだか。Dueftbluete、ドイツ語ではいい匂いの花って意味よ。
 あれをモチーフとか素材にした香水だってあるんだから。ほんと、物知らずよね」
「そこまで言わなくてもいいだろ。…けど、じゃあ、アスカも知ってたんだ。
 なんか、…ちょっと、嬉しいな」
「え…なんでよ、もう」
名残惜しげにキンモクセイの庭の方を振り返るアスカ

206: 3/7 2015/09/28(月) 21:40:26.89 ID:???
風の中に香りを探すが、もう感じ取れない
しぐさに気づいてふふっと笑うシンジ
「さすがにこの距離じゃわかんないよ。でも、花が咲いたらもっといい匂いだろうな」
「そうね。ちょっと楽しみができた気分」
「はは、良かったじゃない」
なにげなさを装ってアスカを見つめるシンジ
隣を歩くアスカ
歩く動作につれて軽やかに揺れる髪、細い手脚、整った白い横顔、気の強い眼差
たぶん自分では気づいていない無防備なくらい純粋な可憐さ
つと目を上げてシンジの視線に気づく
間近のアスカにたじろぐシンジ
心臓が止まりそうになる
すぐそこで自分を見つめているアスカの深い両眼
不意打ちのようにうろたえてしまう
反射的に目を逸らす
初めての体験のように胸が苦しい
未だにどぎまぎする自分が悔しいし情けない
自己嫌悪の溜息
小さく笑うアスカ
「何よ?」
「べ、別に」
「あ、そ。じゃあ、そういうことにしといてあげる」
「ほんとに何でもないってば」

207: 4/7 2015/09/28(月) 21:41:42.13 ID:???
まだアスカの方を向けないシンジ
もう一度アスカの笑い声
独り言のように続ける
「…ばかね。こっちまでドキドキしてくるでしょ」
「…え」
思わず振り向くシンジ
待ち受けている、アスカの狙い定めた勝気な笑顔
今度こそ見栄も隠す余裕もなく赤面するシンジ
逆らわず気持ちにさらわれるに任せる
生きて揺れて輝いている、とても大切にしたいもの
シンジの目が優しくなるのを見てちょっと息をつめるアスカ
「…ばか。冗談よ」
「わかってる」
笑い合う二人
並んだ足音がもつれながら続いていく
透明で強い秋の陽射し
「…ん?」
ふとけげんな顔になるアスカ
「…あんたも私も、去年からこの道で学校通ってるわよね」
「そうだけど…何で、いきなり?」
「キンモクセイよ。なんで初めてみたいに驚いてんのよ。あんな強い香り、去年の秋に
 とっくに気づいてて良さそうなのに。あんたも、もちろん私も」

208: 5/7 2015/09/28(月) 21:42:39.70 ID:???
「そういえば…そうだね。何でだろ」
会話が途切れる
横目で隣を盗み見るアスカ
思ったより考え込んでいるらしく、真剣な横顔を見せているシンジ
一人でひそかに微笑むアスカ
他人には滅多に防御を崩さない学校での普段のシンジの姿
今はそれを知っているから、こうやって素直に心を見せてくれることに本当は胸が高鳴る
独占欲は好まないし、たわいないと思うけれども、嬉しいのはどうしようもない
胸のうちの暖かさを抱きしめる
いつのまにか隣にいることが当たり前になっているシンジという存在
シンジの隣という場所が当たり前になっている自分
ふいに笑いがこみ上げてきて、胸から溢れ出す
びっくりするシンジ
「…どうしたの?」
「思い出したのよ」
まだしばらく笑っているアスカ
突然、ふっと抜き身のような真顔になってシンジを見つめる
構えるよりも受け入れる表情になるシンジ
「…私がいつからあんたを見てたか、知ってる?」
「…え」
小さく息を吸い込むシンジ
「いや…っていうか、…アスカ、僕のことなんか気にしてないと思ってた。…付き合う、まで。
 …もちろん、受験の時のことは忘れてないよ。僕はあれからずっと忘れられなかった、
 だけど、アスカは綺麗だしみんなの憧れだし、…あんなの、アスカにしてみたら単なる
 アクシデントみたいなものだったんじゃないかって」

209: 6/7 2015/09/28(月) 21:43:11.98 ID:???
「何よそれ」
ちょっと睨むアスカ
思い直して軽く目を伏せる
「…ま、私も見ないフリしてたし、おあいこか」
今度はシンジが目を凝らす
「ふりって…じゃあ」
「だから、そこでキンモクセイが出てくるの」
少し怒ったような声で続けるアスカ
「去年の今頃よ。朝、今みたいに学校に向かって歩いてて、キンモクセイの香りがして…
 ああ、秋になっちゃったんだって思って。このまま見てるだけ、気にしてるだけでもっと時間が
 経っちゃうのかって考えたら、耐えられなくなったの。だから」
目をみはるシンジ
「…それじゃ、あの時話しかけてきてくれたのって」
「そ。授業とか日本語のこと訊きたかったんじゃないの。
 最初っから、あんたと話がしたいだけだったの。こんなふうにね。…見破れなかった?」
かすめるような素早い微笑を見せるアスカ
見つめるシンジの視線を受け入れる
「ま、きっかけなんて何でも良かったのよ。あんたとちょっとずつでも近づいていけたんだから。
 で、そっちの方が最優先になっちゃってたから、…キンモクセイなんか忘れてたってわけ。
 おかしいでしょ?」
首を振るシンジ
「ううん。嬉しいよ、…全部」

210: 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2015/09/28(月) 21:43:45.29 ID:???
一瞬目をつむって柔らかく笑うアスカ
気持ちの揺れにしたがって緩急の移るアスカの歩調
それに合わせながら付け足すシンジ
「それと、僕も思い出した、かもしれない」
「何を?」
「キンモクセイ。…あの頃、君が話してくれるようになって、僕はいつも舞い上がってたし、
 逆に自分で勝手に落ち込んだりしてた。だから、僕もキンモクセイのこと頭になかったんだ、
 きっと。それより少しでも長く君を見てたかったから」
振り返るアスカ
ゆっくりその頬が紅潮する
「…、そう、なんだ」
「うん。ずっと」
「ずっと?」
「うん。…これからも、ずっと」
今の自分にある思いの全てを込めて、静かに言葉を放つシンジ
顔を上気させたまま、やっといつもの表情で笑うアスカ
「…ばか」
「…うん」
どちらからともなく手が伸ばされる
柔らかく、強く、お互いを気遣いながら繋がれる手と手
二人の歩調が揃う
見えてきた校門をそれぞれ確かめ、目と目で頷いて、いつものように学校へ向かう二人
晴れた秋空に風が渡る

235: 1/2 2015/10/15(木) 00:07:53.49 ID:???

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登校してくる生徒たち
ざわざわしている教室
並んで入ってくるシンジとアスカを何となく目で追うトウジとケンスケ
さりげない距離の取り方
特にためらいももたつきもなく、それぞれの席に離れていく二人
「…すっかり板についたもんやなぁ、あの二人」
「何が」
「あれや。付き合うとるのはとっくに周りも公認しとるのに、学校におる間はああして
 クールなもんや。普通、もっとくっつきたいもんやないんか? よぉ我慢が続くもんやと
 感心するわ」
「我慢ってより、周りに隙を見せたくないんだろ。特に惣流はさ。
 シンジも、自分のことで惣流を傷つけたくないんだろうしさ。そういう奴だよ」
「傷つけるて、んな大げさな。…けど、ま、わかる気はするわ」
「かっこつけてるけど、何となくさ、見守ってやるかって気にさせる奴なんだよな」
「見守ってるワシらも相当な物好きやけどな」
「それを言うなっての。…ん」
ふとシンジに目を留めるケンスケ

236: 2/2 2015/10/15(木) 00:08:53.84 ID:???
鞄を開けて教科書やノートを整理しながら、そっと顔を上げてアスカの方を見ている
周りのざわつきの中、少しだけ見つめて、すぐに目を逸らす
ケンスケに引っぱられて途中から観察に加わるトウジ
今度はアスカを見てみる
同じく、ヒカリや同級の女子たちと明るく雑談しつつ、姿勢を変える隙にそっとシンジを見る
同じようにほんの少しだけ目を預けて、ちょっと笑って会話の輪に戻る
ぽかんと眺めているトウジとケンスケ
注意しているとけっこう頻繁に行き来している二人の視線
「…やっぱりくっつきたいんと違うか」
「二人して示し合わせてる感じでもないし、よくかち合わないもんだ。…あっ」
言った途端、ちょうど二人の視線が交差する
感電したように互いの表情が生気に輝く
一瞬の交感
目と目でかすかに甘く笑い合い、すぐに離れる
あまりにも早業なので周りは気づいてもいない
何となく笑い出してしまうトウジとケンスケ
「…大したもんやな」
「ほんと、降参だよ」
廊下から先生が現れ、雑然としていたクラスが静まる
日直の号令の声
学園の一日が始まる

241: 1/4 2015/10/17(土) 20:30:06.23 ID:???
こんばんは
いつもながら、読んでいただいて本当にありがとうございます
続きが浮かんだのでまた少しだけいきますね
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授業中
「じゃあ、この前出しておいた課題、解いてもらうぞ。誰か一人…」
先生の言葉とともにええーとざわつくクラス
指されませんようにと思いっきり首をすくめるトウジ
気づいて、ヒカリと小さく笑い合うアスカ
「んー、それじゃ、碇」
アスカの肩がぴくんと跳ねる
明らかに集中度が変わる
クラスメートたちの安堵のざわめきの中を淡々と立っていくシンジ
片手のノートを瞥見しながら黒板に解答を綴っていく
じっと睨んでいるアスカ
チョークの手が少しためらったり迷ったりするたびに表情が締まる
声を殺しながらも、ほとんど一喜一憂してしまう
「ああもう、違うでしょ…! そうじゃないってば…ん? …そう、それならいいのよ」
「…アスカ、ちょっと、先生に聞こえちゃうわ」
はらはらしながら、シンジの姿と、傍のアスカを見比べるヒカリ
「だってまどろっこしいんだもの。あれなんてほら、こっちの解き方のが断然早いのに」

242: 2/4 2015/10/17(土) 20:30:55.66 ID:???
「うーんと…でも、教科書の過程をちゃんと生かしてるから、あれでいいんじゃないかしら」
「その辺が優等生なのよねー。いちいちテキストに従って、実戦力が身に付くかってのよ。
 ほんと、おとなしいっていうか順応優先ていうか、じれったいったらないわ」
文句を並べる割に生き生きと語るアスカに、つい微笑んでしまうヒカリ
悪口になるのは照れくさいから
本音はシンジのことを口にするだけで嬉しいのが聞くほうにまで伝わってくる
だから、その純粋さにつりこまれて笑顔になるヒカリ
小声ながらだんだん熱を帯びてくるアスカの語り
「だいたい日本人の男ってのはそこが弱いのよ。もっと自己主張したって構わないのに、
 相手の目ばーっか気にして。優柔不断もいいとこよ。決断力も積極性も皆無。相手を
 立てるってのは、単に自分が身を引けばいいってもんじゃないでしょ。それに…」
「…ちょっと、ア、アスカ」
急に固まるヒカリ
「ん?」
振り返るアスカ
先生とばっちり目が合う
「それじゃあ宿題にしてなかったがこの次の問題、惣流にやってもらうか。
 帰国子女らしい応用力を期待してるぞ」
「…うっ」

243: 3/4 2015/10/17(土) 20:31:49.83 ID:???
さすがにぐうの音も出ないアスカ
クラスメートたちの興味津々の注視の中、黒板へ向かう
ちょうど解答を書き終えて振り返るシンジ
間近にアスカを見つけてちらりと表情を輝かせるものの、すぐにその顔色を見て取って黙りこむ
思いっきり睨みつけるアスカ
すれ違いざま低い声を投げつける
「…あんたのせいよ。バカッ」
「え…な、何」
わけがわからないシンジ
チョークを叩きつける勢いで問題を解き始めたアスカを窺いつつ席に戻る
周りの意味ありげなからかい半分慰め半分の視線を振り払い、溜息をつく
「…どうなってるんだよ、もう。何でいきなり」
「後で謝っておいた方がいいと思うよ。彼女にさ」
むっとして後ろの席のカヲルを振り返るシンジ
「だから、なんでだよ」
「なんででも。そういうケースだと思うよ、ここは」
「…ちぇ、他人事のくせに、何でも知ってるみたいな顔で言うなよな」

244: 4/4 2015/10/17(土) 20:32:54.44 ID:???
「他人事だからさ。オカメハチモクっていうだろ」
ふくれているシンジを面白そうに眺めるカヲル
「…それか、こっそりキスの一つでもしてあげるとか。僕とレイだったら、そうするかな」
シャーペンを取り落とすシンジ
信じ難いものを見る目でカヲルを凝視する
全然動じないカヲル
不機嫌顔で前に向き直るシンジ
相変わらず仇のようにチョークを酷使し、それでもすらすら問題を解いているアスカの姿
最後の一行を書き上げて「どうだ!」とばかりに振り返る
不承不承ながら頷いてみせる先生
おおーとなる級友たち
同じく素直に感嘆するシンジ
怒気に満ちていたアスカの目がそれを見つけ、一瞬ふわりと和む
が、すぐまたつんとした顔になって席に戻り、音を立てて座る
またもわけがわからなくなるシンジ
後ろからカヲルの抑えた笑い声
ぶすっとしつつ、それでもしばらくアスカの背中を見守っているシンジ
休み時間に誘ってみようかという思いが頭を巡る
カヲルの助言を思い出してちょっと熱くなる頬
再び眠たげなざわめきに戻る教室
先生の解説の声が流れていく





【明城学院】シンジとアスカの学生生活【LAS】chapter3



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