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このstory4は
【明城学院】シンジとアスカの学生生活【LAS】No1~6とは別の作者の方々が書かれたssです



それと同時にこちらはナンバリングしておりますがシリーズものではない点を、了承していただきますようお願いいたします
660:  2015/07/08(水) 00:26:42.26 ID:???
産まれる前から、君の事を知っていた。


紙袋を両手に持ちながら前を見る。
金色の髪が揺れる。その度にキューティクルの輝きが瞳に飛び込んでくる。
彼女は僕の半歩前を歩きながら、僕の表情を見る度に時々振り返って、お目当ての表情があったら笑うのだ。
「なぁにその顔、変な顔」

君のために苦笑する僕を、瞳に捕らえる度に、彼女の笑顔、弾けて光る。


衣替えの季節だった。
成長期がまだ終わっていないらしい彼女は、夏服を新しくする際に一気に買うつもりでいたらしく、忠実なポーターを所望した。
まだ出会って数ヶ月にもなっていないお隣さんの僕はその条件に合っていたらしい。
休日の晴天で布団干しをとベランダを開けたとたんに、ベランダの隣の方から声がかかった。
僕の間抜け面は彼女の中では折込済みらしく、昼食を奢るとは言った。
彼女にとっては奮発だろう。僕にとっても見目麗しい彼女と食事ならやぶさかじゃない。
まあ、お姫様がそう言うならば。
僕は快諾した。ことになっている。

661:  2015/07/08(水) 00:27:37.06 ID:???
人口の多さというものは辟易する。前に居た場所より酸素が薄い気がする。
ナビゲーションの発達した現代には迷子というものは無縁なはずなのに、
アスカに手を引かれて僕はくるくると街中を行くことになる。
まだ街中を十分に見ていない分、土地勘も無く、好奇心が刺激されてたまらない。
そんな中を彼女は僕の手を引っ張りながらぐいぐいといくのだ。
素肌で触れ合う掌の、決め細やかな肌から感じる確かな力。
街中を歩くティーンたちの視線を独り占めする彼女とは裏腹に、僕は何だかおまけみたいだ。
鼻歌を歌いそうな綻んだ表情と、跳躍しているかのような足取り。
腰の高い彼女と僕の歩幅は同じくらいで、少し傷つきそうになる。
エネルギーに溢れたリズムの早い足音に、僕は辛うじてついてゆく。
彼女にこの世界は狭いんじゃないか、常々思う。

日差しは僕らの肌に熱を与えている。
僕を引っ張る掌からも熱を受け、僕の頭は正直オーバーヒートを起こしそうだ。
彼女は相変わらず上機嫌だ。熱だけではなく光を発する太陽のように、くるくると視線と表情を変えて。
僕は時々に休憩を懇願するのだが、その度に言葉が突き刺さる。
「だらしないわねぇ、シンジのくせに」

君の信頼する碇シンジ氏は一体どのような超機関を搭載した超人なんだ。
現実の僕はこんなにも心臓がはちきれそうになっているのだけど。

662:  2015/07/08(水) 00:28:29.47 ID:???
お姫様は慈悲深かった。呪文のようなスタバの注文で許してくれた。
地元じゃハンバーガーショップくらいにしか行っていなかった僕には少々厳しかったけど。
注文に手間どる僕を、後ろからのまなざしが楽しそうで、僕が持っていたころには、スマホ片手にくすくす笑っていた。

「おまたせ・・・」
「おっそーい。でもまあ、面白いものが見れたからいいわ」
「性格悪いよ。まさか動画に撮ったりしてないだろうね」
「もちろん撮ったわ。性格悪いって何よ」

スマホの画面をこちらに見せてから、少し不満げな顔をする彼女。
分かってる。アスカがにやりと笑って、片目だけ瞬かせた。
「大丈夫よ。他の人には見せないから。私だけの楽しみにしてあげる」
「はぁ、ならいいよ、やっぱり君はいい性格してる」
僕の苦笑と同時に、アスカは保存のボタンを押していた。

テーブルに腰掛ける。手に取ったカップの、冷たい結露が汗と混ざる。
特に会話も始めず、落ち着いた時間の中で喉を潤す。
積み重なった荷物が、僕らと店内に壁を造っているような気がした。


視線を合わせる。空色の瞳の中に僕が写っている。
僕はこの瞬間にいつでも青空の中に立っている。

663:  2015/07/08(水) 00:29:22.27 ID:???
瞬きをすれば、そんな夢想も現実に引き戻される。彼女の瞳の中に捉えられる度に、そんなことを本気で思う。
 どのような青色の反射の中でも感じなかった遠い大切な確信を、彼女の中に感じている。
見覚えがあるようで、思い出しそうで、知らない記憶がそこに置いてあるかのようで。
懐かしさ、というよりは、忘れていたセーブデーターを読み起こしたような。
序章を思い出せないのに、物語だけが進んでいる。そんな戸惑いがここ数ヶ月あった。

それは彼女も同じだ。僕と一緒に過ごす間に、違和感と、喪失感と、郷愁のような。
行ったことも無い旅の道程を辿る旅を、僕らはしている。

僕は彼女を目の前に、知らないはずの追憶をしている。
彼女はそんな僕の態度に慣れていて、その行動も許容してくれていて。

「まーた何か変な妄想に耽ってたわねシンジ」
ずぞぞーとストローを慣らすアスカの、ジト目の眼差し。
「誤解されるようなこと言わないでよ・・・別にそんな」
「わかってるわよ。学校でよくあるスケベな眼差しとは違うもん、あんた」
「あー、そういえば衣替えの日とか不機嫌だったね」
「しゃらくさかったわよ。アホの相田がカメラに収めようとしたから、眼鏡叩き割ろうかと思ったわ」
「あー・・・それは。こんどシメとくね」
アスカが目を瞬かせる。青い瞳が明滅してた。
「友達じゃないの?」
「友達だよ。だから僕が注意するしかないじゃないか」
「あんたの故郷では、注意する時に制裁すんのね」
何か妙な誤解をしている。中学時代に不良の前歯叩き折ったことがあるのは言わないでおこう。
僕も頭に血が上ると結構無茶してたなぁ。

664:  2015/07/08(水) 00:30:41.07 ID:???
「まぁいいわ。シンジもやっぱり男なのね。いっつもジジイみたいな遠い目してたから、心配だったのよわたし」
この表情は本気で言っている。僕はさすがに笑顔が引きつりかける。
「あんまり達観したり、何もかも分かったような表情をしちゃだめよ。わたしまで釣られて落ち着いてしまうのよ」
「それは・・・いいことなんじゃないかな?」
「何言ってんの、この歳でおとなしくなってどうすんのよ。
闘争心を失ってしまっては若者失格よ。じじくさいことはやめやめ」
瞳に熱がまた戻った。青い瞳は深みを増していて、また、吸い込まれそうで。


空色の瞳の中に僕が写っている。
僕はこの瞬間にいつでも青空の中に立っている。
たくさんの祝福が僕の周りで拍手を打っている。


「さ、水分も取ったことだし、次行きましょ」
ハンドバッグを手にとって、アスカが立ち上がる。僕はようやく飲み終えたところだ。
「そうだね。次は靴?」
「惜しいわねシンジ。帽子よ」

665:  2015/07/08(水) 00:31:59.95 ID:???
荷物を手早く持つ。その手際は我ながらどうなんだと思うが、慣れてしまった。
どうにか次の辺りで今日は勘弁してもらえるといいのだけど。
立ち上がる。荷物で塞がっていた手だけど、掌だけは露出させる。
そこに彼女が手を合わせてくる。そのまま店を後にする。
分かってるけど、周囲の視線にも、慣れた。


街中を歩く。彼女の行く先は気まぐれで、本人も半分分かってないんじゃないかと思う。
いや、打算的な要素を多くもつ彼女の才からは似つかわしくもない。
まるで偶然を求めているかのように。
僕らが出会った時のように、彼女もまた追憶をしているんじゃないだろうか。
運命というものを信じてはいないけれど。


まぁ、どこへ行くっていっても。

666:  2015/07/08(水) 00:33:02.99 ID:???
「ねえシンジ。次のとこ行ったら早いけどお昼にしましょ。何食べたい?
何でもはナシっていうか言ったら抜きね。ちなみにわたしはラーメンが食べたい」
「それもう僕に意見聞く必要ないよね?」
「ばっかねぇ。ここで「おいしいラーメンの店知ってるんだ」って言えば高感度アップよ。
さ、わたしはラーメンが食べたい」
「・・・ケンスケに教えてもらった店なら知ってるけど」
「おいしいの?店の中にモデルガンとか飾ってあったりしない?」
「まともだったよ。九州風のラーメンだった」
「よし、眼鏡を叩き割るのは許したわ」
「ちなみに好感度は?」
「あんた発の情報じゃないから上昇はナシ。相田はアホだから上昇はなくてずっとゼロよ」


悪びれず、そういう。アスカの瞳が、僕に有無を言わせない。
僕は、へらへら笑いながら、瞳に吸い込まれていくんだ。

667:  2015/07/08(水) 00:34:27.91 ID:???
空色の瞳の中に僕が写っている。
僕はこの瞬間にいつでも青空の中に立っている。
たくさんの祝福が僕の周りで拍手を打っている。
僕はその中で、立ち上がって、僕自身を見つける。
そして、その中で彼女の手を取ったんだ。


現実で、僕は彼女の手の感触を確かめる。
地球を守る使命も持たない、たぶん平凡なティーンエイジャー二人。
夏の日まではもう少し、とある休日の―――



僕と彼女の間に繋がれたもの。日差しと熱が高まっていく日々。
心臓の辺りからくすぶる熱。

それを、産まれる前から知っているような気がした。



688:  2015/07/13(月) 01:00:31.93 ID:???
僕の時間はすべて、君が満たしていく。


温度が高まり湿度が高まり、不快指数が高まっていく日々。
自分の居住する部屋を快適にすべく、僕は掃除と室温、湿度、空調の追求に余念が無い。
その努力は結実し、僕の部屋には常春の涼しさと快適さが存在しているはずだ。

「はぁ~、やっぱりこの部屋落ち着くわぁ~」

あのさ、君の部屋じゃないし、君が寝転がりながら食べてるスイカバーは
僕の冷蔵庫に置いてあったやつだろ?


僕の部屋に彼女がいる。名前は惣流・アスカ・ラングレーというハイブリッドな名前だ。
少女漫画ばりのかわいさと、少年漫画の敵役みたいな憎たらしさが同居した同級生。
彼女と言っても僕たちに男女交際の実績はなく、単純にお隣さんなだけ。

僕と彼女は出会いから奇妙なデジャブを感じ、それを共有している。
中学以前に紅茶色の髪をしたクォーターの美少女なんて、忘れるはずが無いというのに。

それゆえだろうか。アスカは僕に対して遠慮が無い、というか遠慮してくれ。
ノースリーブのシャツとハーフパンツという無防備さが僕の視界の中で家猫のように
伸びている。ごめんなさい目の保養になってます。

689:  2015/07/13(月) 01:01:09.11 ID:???
部屋の空調の中で一番快適な場所を野良猫のような感覚で確保した彼女は、
ティーン向け雑誌を読みながら僕のお気に入りのクッションを使っている。
一方僕はと言えば、部屋の掃除を終えたところで、バスルーム前の廊下を
拭き終えた雑巾とバケツを片付けているところだった。

「シンジ~、お昼まだー?」

君にはぶぶづけを出してあげよう。意味を知らないなんていわせないからな?

「知ってるわよ。でもそれが何か?ここ京都じゃないし、私が帰るかどうかは私が決める」

ここ僕の部屋なんだけど。そのドヤ顔に宇治金時を投げつけたい衝動に駆られるけど、
とりあえず僕は冷蔵庫を開けるのだった。


夏休みの中で、昼間の日差しで外の世界は白い光溢れる。
その中で立ちゆらぐ空気。気温は30度を超え、風も少ない。
要するに今日は部屋の中でゴロゴロしていようと僕は思っていた。
朝一から彼女の襲撃が来るまでは。

690:  2015/07/13(月) 01:01:49.39 ID:???
夏休みが始まってからの彼女は、ほぼ毎日僕の部屋に来て、飯をたかりオヤツを食って、
シャワーを使いテレビを見ていく。全部自分の部屋でやれよと僕に言う権利はある。

「女子の一人暮らしは危険なの。シンジはあたしを保護する義務がある」

あるわけねーよ。

とはいえ、正直に言うと彼女が側にいると、多少の安心感があるのも事実だ。
一人暮らしは自由だが、さすがに学校が休みの間は寂しさも多い。
彼女は遠慮しないけど、僕の部屋の中で取る行動は決まっているし、
人間なのでペットのように野放図でも、それほどない。

僕は結局、アスカが側にいることで言い知れぬ充足を得ているのかもしれない。


そんなことを、テーブルを挟んで、目の前のどんぶりから、シャケの切り身と白ダシを効かせたお茶漬けをすするアスカのほくほくとした顔を見ながら思った。
「おかわり」
「ありません」
「えー、2杯目たーべーたーい」
「しょうがないなぁ・・・」

僕はあらかじめ用意していた分を、アスカのどんぶりの半分くらいに盛り付けて渡した。
こんなことで笑顔になってくれるのなら、多少は作った甲斐もあるような、ないような。

691:  2015/07/13(月) 01:02:37.66 ID:???
昼食を終えて、台所の洗物を軽く済まして、昼過ぎの時間になった。
僕は愛用のS-DATを出してイヤホンを耳に繋いで居間の壁に背を預ける
ごく自然にアスカが隣に来て、そのイヤホンの半分を持っていった。
そのまま僕の膝を枕にして横になる。昼寝は美容の秘訣らしい。
学校でも君は午後めっちゃ眠そうだったね。

「今日の曲なあに?」
「君がこないだ言ってたやつ。Perfumeのセラミック・ガールとか色々」
「んじゃ多少音抑えてね」
「うん」

そうしてゆっくりと瞳を閉じていく。
青い瞳が見えなくなる前に、微笑みかけているのを僕は見る。
高鳴るのは胸の奥で、穏やかな呼吸を耳に捕らえると、僕も引き込まれて落着していく。
そのまま、僕たちは短い夢を見る。

僕はこれといった趣味も持っていない無味淡白な男だけど、
この部屋の中にはせめて安らぎで満たして、念願のマイペースを手に入れたつもりだった。
アスカは僕の部屋の中に、何の抵抗感も無く入ってきて、
今ではこれが欠けたらどうなるんだろう、僕は。

そんなことを思いながら、僕もまどろんだ中に入っていく。
彼女の寝息と、僕の呼吸と、僕の拍動と、彼女の脈動。
前も、同じリズムの中で、二人がひとつになるようにして、そのまま眠った気がするね。

692:  2015/07/13(月) 01:03:22.92 ID:???
寝入ってしまったみたいで、気づけば夕方近くなった。
買い物に行くほど冷蔵庫も空いていなかったので、ありあわせで作ることにした。
アスカはいつもきっちり夕飯まで食べていく。
今日は鴨肉を鶏肉で代用した筑前煮などをメインにしつつご飯味噌汁。
納豆をかき混ぜるアスカの姿にも堂にいったものだ。


夕飯の洗物をしていると、アスカが風呂を使っていく。
こないだはついにシャンプーを持ち込まれてしまった。僕は一回それを間違えて使ったことがあるので、彼女と同じ匂いになった日がある。
その時は何だか落ち着かなくて、というかアスカの髪と同じ匂いが僕の側で漂っているのが心臓をせわしなくした。
僕は彼女が帰ってから2度目のシャワーをしながら気持ちを落ち着けるのが大変だった。

693:  2015/07/13(月) 01:04:07.69 ID:???
その後は夏休みの課題とかをちょくちょくやる時間だ。
この時間は珍しく有意義で、僕とアスカはお互いに課題の苦手な部分を補い合いながら
消化するという塩梅だ。
もっとも彼女は夏休みが始まってからあっという間に課題を終わらせてしまった。
そんなに優秀な地金を持っていながらどうして平常はあれほど自堕落なんだろう・・・。
今日はアスカが僕に数学を教授していく。
接点Tがどーだの、この点は出ないだの、何だかガラの悪い言葉を使いながら
彼女の解説が進んでいく。
僕はその内容を聞きながら、半分は彼女の教え方のダイナミズムが面白くて
「おーん」とか言いながら学んだ。
ちなみに彼女の苦手は古典らしい。
「日本人ってどうしてこうも、今も昔もまだるっこしいのかしら!」
「文化だしねぇ・・・」
紫式部に文句を言ってよ。僕に言われても困る。


そんな感じで、外がとっぷりと暗くなるまで僕らは過ごす。
さすがに就寝の時間くらいは彼女を部屋に帰す。
何度か眠すぎるからここに寝具を置かせろと言って来たことがある。
が、さすがに嫁入り前の娘さんを部屋で寝かせるほど僕は軽薄じゃないんだよ。
てかそんな提案すんなよ、聞いた時は心臓が飛び出すかと思っただろ。

694:  2015/07/13(月) 01:04:50.06 ID:???
彼女はいつも手荷物ナシで僕の部屋に来る。僕は彼女を隣の、部屋の前まで送る。
扉を開いて、彼女が振り向く。

「それじゃあねシンジ、おやすみ」
「おやすみなさい、アスカ。いい夢を」

それだけの言葉を交わして、アスカの部屋の扉が閉まっていく。
僕はそれをじっと見守って、やがて鍵が閉まる音がした。


さて、何でここまで周到に彼女の帰宅を見守るのかといえば、理由があったりする。
僕は自室に戻り、施錠をしっかりとし、なんというかコソコソとしながら、
ベッドの下に隠してある思春期少年御用達の、いわゆるお宝本の隠し箱を手に取る。
僕だって持て余すんだよ。まだ16なんだよ。てかそれで毎日アスカが来てんだよ。
たまには火力発電所になってもいいだろ、とか意味不明な釈明を脳内でしていた。

僕は高鳴る胸と同時に箱を開ける。
が、同時にその手ごたえというか、箱が妙に軽いことに気づいた。
中身が無い。嗚呼、相○K氏経由のお宝本が・・・。
その代わりに入っていたのは、一枚のポートレイト。

アスカが悪戯げに微笑んでいる、自撮りの写真だった。
『スケベにつき、駅前の白ポストの中に叩き込んであげたわ♪』

ポスターカラーで描かれたカラフルな文字を見た瞬間、僕は脱力した。

695:  2015/07/13(月) 01:05:35.95 ID:???
結局僕は、悶々としながら寝室に篭るハメになった。
ネットでお宝画像を収集するのは前に一度アスカにばれて、
一日口を聞いてくれないというだけだったが、あの時はすごく居心地悪かった。

それ以来スマホでもネットでも罪悪感が先走って見れない。
しょうがないので本に頼っていたのだが。


というより、僕は結局さっきの脱力から数分後、手に取ったアスカの写真を見て、
着崩し気味な彼女の姿に、何だか妙な気分が膨れ上がっていく。
相変わらず薄着気味な彼女の肢体がやけに眩しく映って、
そのまま過ちを犯す前に寝ることにしたのだ。


で、僕は、彼女の悪戯な笑顔が写ったそのポートレイトを枕の下に挟んでいる。
現実の彼女がどうあれ、もし夢の中で出てきて、その時・・・
もし、誘惑してきたのならば、僕だってどうするかわかんないんだよ。
もう半分意地になって、僕は強引に夢の世界に飛び込んでいった。

696:  2015/07/13(月) 01:06:24.98 ID:???
白く眩しい光の中にいる。
僕はその中に立ち尽くして、それが何かを知った。
純白の花があたりで揺れている花畑の中で、僕はそこに立っている。
夏服のままの僕の隣で、錆びて壊れた自転車が、草花の蔦が絡んで土に還ろうとしていた。

雨が降った後なのか、純白の花弁の中に、水玉が輝いている。
きらめく石英ガラスのように、透明感と七色の輝きをはらみながら。

視界を覆いつくす花畑。僕の足元から続く道。
その先に、オレンジのワンピースを着た彼女がいる。
僕は歩き出す。彼女は麦藁帽子を被り、ひまわりの花を一輪持ちながら佇んでいた。
そして僕の歩みは、彼女の手を取れるほどの距離へ。

彼女の麦藁帽子とひまわりの花が、オレンジ色の花びらになって散っていった。
僕は彼女の手を取り、そのまま引き寄せた。
彼女は僕の胸の中に顔を寄せ、僕は受け止める。
僕は彼女の髪に鼻先を寄せるほど、そうして抱擁した。

何も持つこともない。何も特別でもない。
僕らはこの距離の中で満たされていて、君の穏やかな拍動が、僕と重なっている。

真っ白な世界の中で、水玉と花びらが空へと吸い込まれて、世界を白く染め、輝く。

僕はその中で、背中に回っている彼女の手が僕を抱きしめる感覚に酔っていた。
それ以上何が必要だったのか。
僕の全てを君に―――

698:  2015/07/13(月) 01:16:34.12 ID:???
「・・・・・・・」
僕は言葉も無く目覚めた。そしてそのまま、鳴る寸前だった目覚まし時計を止めておく。
碇シンジ、本日の目覚め。
腕の中にあった枕を置く。写真はその中でちょっと皺がついていた。
てきとーな辞書で重しをして伸ばしながら、そのままシャワーに行く。
冷水を浴びた後は、朝の支度などをする。

程なくして、早朝からピンポンを連打する音が扉の方向から聞こえてくる。
「・・・はいはーい」
僕はわずかな緊張を感じながら、扉を開く。

「おはよ、シンジ!」

嗚呼、彼女の笑顔はいつも眩しくて、その髪は朝からきらきらしていて。
その服は今日も薄着で。僕はため息をひとつついた。

699:  2015/07/13(月) 01:17:06.71 ID:???
「おはよう・・・」
「ちょっと何よ!朝からテンションが低いすぎよアンタ!」
「・・・早く入ってよ。それとも今日は挨拶だけ」
「なわけないでしょ。ごーはーん。ごーはーん」
「どうぞ」
「何よ朝から辛気臭いわね。ん?さてあんた」
「・・・ねえアスカ、他人のものを勝手に捨てるのは犯罪なんだよ?」
アスカがちょっと、ニヤリとする。正直少し腹が立ちそうで立たなかった。
「なーんのことかしら?」
「・・・君も無用心だね。自分の写真入れておくなんて」
「え?・・・あ、え?まさか、アンタ」
「さてね」
「ちょっと待ちなさいよ。肖像権はあたしにあるんだからね。詳細を供述しなさい!」
「黙秘権を行使するよ。今日の朝はハムエッグでいい?夕方買い物いくから」
「カリカリに焼きなさいよ。って、誤魔化すんじゃない!」

700:  2015/07/13(月) 01:17:58.86 ID:???
後ろでにゃんにゃん言う猫みたいなアスカを無視して、僕は台所に向かう。
夢で出てきたのは確かに美少女で、金髪の天使で、僕の全てを差し出してもよかった。
でもねぇ。
僕の毎日を絶賛脅かし中のこの小悪魔と、あの子を一緒にしたらかわいそうだろ。
だからアスカとあの夢の天使がまだ重なっていない今は、いつものように、しよう。



夢の中まで君に夢中さ。
朝が来たから夢から覚めて、
ずっと前から、これからも、この先も。
僕の時間はすべて、君が満たしていく。

                      了



8: 2015/07/23(木) 00:11:42.70 ID:???
君には誰一人敵わないよ。無敵って言うのは君のためにあるのさ。


明城学院高等部1年。惣流・アスカ・ラングレーおよび碇シンジの通称。
『汎用女子高生型決戦兵器と、その外付け良心回路』
「なぁによ決戦兵器って…ちゃんと美少女をつけなさいよ!」
「そういう問題じゃないと思うんだけどなぁ…」


彼女はほぼパーフェクトだ。実際に外見と才能と能力がハイスタンダードである。
欠点はその破綻した性格だけ。
行動的で自分の意見を曲げることもなく、唯我独尊で無謀であって、
それにより引き起こされるトラブルを全て持ち前の天稟で処理してしまう。
要するにストッパーがいないのだ。誰か彼女を止めてくれ。

「いやそれお前の役目だろ?」
「ケンスケ、そんなこと言うとさっきの時間のノート貸さないよ?」
「いい加減に受け入れろよ。それはともかくノート貸してください心の友よ!」
「君は調子がいいなぁ」
「そんなことを言いつつ貸してくれるお前の態度、嫌いじゃないぜ」

9: 2015/07/23(木) 00:12:26.62 ID:???
つい先日に行われた体育祭ではアスカの身体能力の高さを証明するものとなった。
彼女一人でクラスと組の得点をどれだけ稼いだことか。
注目されることが原動力の一つとはいえ、陸上部をグラウンド走で、
バスケ部を障害物競走で、ソフトボール部を玉入れで、
それぞれ破るという無茶をしでかし、高笑いしていた。
それは春先に勧誘を断られた運動部たちの逆襲を、敢然と実力で退けた結果だった。
まぁそれはいいんだけど、何で僕までそのとばっちりを食うのだろうか。
男子全員参加の棒倒しで、棒そっちのけで狙われたりしたし…。
まあそれ以外は適当に借り物競争でお茶を濁していた。


「えーと、借り物は『カワイイもの』だって」
「よし、あたしね」
「いやいやいやその理屈はおかしいって」

頭をひっぱたかれて借り物に引きずられるなんて、何てひどい経験をしたのだろうか僕は。
なおこの模様を撮影したケンスケは、アスカに綱引きの縄でぐるぐるに簀巻きにされ、
撮影データーを没収されていた。懲りないなぁ、そこだけは感心しちゃうよケンスケ。

10: 2015/07/23(木) 00:13:04.07 ID:???
とにかく、体育祭が終わってから、アスカへの運動部系の勧誘が激しくなったのは事実だ。
素晴らしいポテンシャルを秘めて外見的に派手な彼女を獲得することは、
それぞれの部に大きな躍進を加えることだろう。だが、当の彼女は素っ気無かった。

「めんどい。女子高生の青春を何だと思っているのよ」
「スポーツ以外もだけど、部活動も立派な青春だよ?」


正面から彼女に交渉を持ちかけることはにべもなく、
金銭での移籍交渉なんてものが学園に存在することもなく、
アスカの才能は現在進行形で無駄遣いされていた。
「わたし、勉強さえしといたら後はのんびり力抜いて過ごしたいの。
フツーの女子高生生活とか憧れていたし」
「普通の女子高生は君の10%もアクティブじゃないと思うよ」

そんなことを言ったら、後ろからヘッドロックをかけられた。
.

11: 2015/07/23(木) 00:13:51.88 ID:???
よく晴れたありふれた昼休み。
中庭に備え付けられたテラステーブルで、最近は昼食のお弁当。作るのは何故か僕。
まあアスカがポットからお茶を入れて僕の目の前に置いてくれるだけで、
何かうれしくなってしまう僕も安い男だなあ。

「今日はこれ、スシロール?」
「まあ巻き寿司。具はトンカツとかシーチキンとか卵焼きとかだけどね」

箸を使わずに食べたいけどおコメじゃなきゃヤダというリクエストに応えた結果だよ。
別にオニギリでよかったけど、まぁ、きらきらと並んだ巻き寿司を見るアスカの青い瞳を見て、悪くはなかったかなと思うわけで。


弁当の7割を彼女に食べられたが、いつものことだ。僕は2人分の弁当箱を片付ける。
「ごちそうさま~、ジュース買ってくるわ」
彼女の機嫌は良い。それだけで午後の授業はきっと平和だ。
僕は満足感の中で前を見る。で、固まった。
アスカがにらみ付けている。僕を、じゃない。僕の背後の方へむかって。
背筋を凍えさせるような気持ちで、僕は半身を捻る。
女子生徒が一人、僕らとは数メートルの距離で立っている。
その視線は僕らに向かって、その瞳は何だか潤んでいて。
僕の嫌な予感と一緒に、風が僕らの間を通り抜けていった。
.

12: 2015/07/23(木) 00:14:39.48 ID:???
何だこの状況。

「…何よあんた」

まずい。さっきまで太陽のようだった彼女の表情は氷の女王のそれだ。
でも、アスカのこの眼光でも女子生徒は引かない。
短めの黒髪、洒落っ気の無い雰囲気。でも、どこかスリムなプロポーション。

「あの…惣流さん。あなたにお話が」

張り詰める空気の中、声を絞り、誠実であろうとするその瞳。
ここ最近やかましかった、ただの勧誘の生徒ではなさそうだ。
アスカの視線が僕をねめつけた。どうしろと。
僕は肩をすくめた。アスカが舌打ちする。
「こっちきて。シンジはこっち」
「僕がいていいの?」
僕は立ち上がって席を空ける。アスカが僕の耳を掴んでくる。
低気圧を発生させるアスカの背後に、僕は立った。

女子生徒がゆっくりと僕らのテーブルまで歩んできて、そして深く一礼をした。
「あの…」
「ああ、どうぞ座って、ね」
苦笑いをする僕の耳を、アスカが思いっきり摘む。痛いよアスカ。

13: 2015/07/23(木) 00:15:43.75 ID:???
彼女は繭原(まゆはら)こずえさんというらしい。僕らと同じ1年生。
見覚えの無いのはクラスが別だったから。まあそれはいいんだけど。
どうも彼女は、バレーボール部に所属しているらしく。

「惣流さん、私たちの部の、助っ人をしてくれませんか」

言われなれた言葉だ。部員としてダメなら助っ人から。
体育会系の思考だ。入り口はともかく、そのうち馴染んでいくだろうっていう。

「イ ヤ よ。あたしは便利屋っかっつーの。おとといきやがれよ」

君ねぇ。そんな発言をするから『観賞用美少女』とか言われるんだよ。
にべもないアスカの態度に、繭原さんは引かない
「…都合のいい言葉だってことはわかります。
でも、私たちにはもう!」

声も表情も、悲壮という他はない。
あ、まずい。繭原さんの瞳の水分が溢れそうになってる。
もし零れたら、アスカの不機嫌がとんでもないことになる。
僕は痛む耳をさすりながら。

「えーっと、一応説明してもらえる?その、なるべく、詳しく」

勤めて笑顔を貼り付けて、僕はとりあえず穏やかに声をかけた。
繭原さんの涙が、すんでの所で留まるのが見えた。
そして僕の足の甲を、アスカがテーブルの下で踏んづけた。
こいつめ…。
.

14: 2015/07/23(木) 00:16:33.14 ID:???
「えーっと、つまり次の試合に、一人重要な人が怪我で出れなくて、
その試合に勝ちさえすれば次の試合には間に合うから、1戦だけってこと?」
「は、はい!」
繭原さんは一生懸命説明してくれた。文脈が乱れるほどに。
僕の要約で少し落ち着いてくれたのだけど、今度は途端に不安な表情になる。
当たり前だ。アスカはさっきからテーブルに肘をついて僕らをジト目で見てる。

「あの…惣流さん」
「言いたいことはわかったわ。でもあたし、手伝う理由ないもの」
大体バレーボール部ですら、初めて見たのだし。
「大体他の運動部の人に声かければいいじゃない」
繭原さんはうつむく。
「声…かけたんです、私も先輩も。でも他の部も大会が重なってて…」
よかったねアスカ。たぶん君が帰宅部最強の人材だよ。

「それに…みんな、そこまで責任持てないって…」
そりゃそうだよね。もし負けたら、原因の一つに数えられるわけだから。

「スポーツってさ、体調管理も含めてスポーツでしょ。怪我の原因が何であれ、
準備も含めて競技なんだから、おとなしく控え出しておけばいいじゃない」
アスカの毒舌のキレが悪い。どうにも繭原さんは苦手なタイプみたいだ。
こういう真面目で素直な子相手だと、いつもの切れ味は出ないんだね。
.

15: 2015/07/23(木) 00:17:37.73 ID:???
「…悔しいですけど、本当に悔しいんですけど。
今の控えの、一年の、私たちよりも、惣流さんの方がたぶん強いです」
搾り出すような声だった。僕は立っていたから、繭原さんが膝の上で拳を握るのを見た。

「怪我をしたのは、キャプテンなんです。
キャプテンは…今までキャプテンは…!」

そこから、繭原さんの態度が変わった。
溢れてきたのは、そのキャプテンへの敬意。熱心な取り組み。
チームを纏め、励まし、支えてきたこと。
キャプテンがこの大会で引退する時期だということ。
その忸怩たる想い。痛いほどに。喉から、搾り出すほどに。

「…」
アスカは黙った。繭原さんの、全てを投げ出すような懇願に対して。
それも、自分自身のためではなく、誰かのために。
このままだと、繭原さんは土下座をしてきそうだ。
そんな気配を察知しているのか、アスカの視線はさっきまでより少し鈍っていた。
んで、僕に対して困ったように睨んでいる。

アスカ、君は素直じゃないし、唯我独尊だけど、まごころには、弱いんだね。
じゃなきゃ今までの勧誘みたいに交換条件も出さないこんな説得で困るわけない。
.

16: 2015/07/23(木) 00:18:16.31 ID:???
まあ、ここは僕が泥を被ろうか。

「あー、繭原さん。非常に残念だけどさ」
僕の言葉に、繭原さんが肩をビクっとさせてから顔を上げる。

「アスカって、そういうチームワークプレイ向いてないんだよ、全くね」

僕は勤めて笑顔を作る。何かビキっという音がしたような気がするけど、かまわない。

「ほらバレーボールってチームプレイじゃない。どれだけ運動神経が良くても
そういう部分ではアスカって壊滅的だからさ」

背中の辺りが冷たくなる。首筋のあたりまでざわついた感触が走る。

「だからアスカを助っ人にしたら逆に負ける気がするんだ。せっかくの大会で
そんなラストってのはキャプテンさんにとっても―――」

直前に見えたのは、繭原さんの怯える表情だった。
僕の頭部に、アスカのニーハイキックが綺麗に―――。
僕は意識を刈り取られた。
.

19: 2015/07/23(木) 06:59:51.94 ID:???
浮かぶ意識で見えたのは、高い天井にぶら下がってる照明。
所々にボールの挟まった、知ってる天井だ。
ワックスがシューズでこすれるキュッキュという音と、反響するボールと躍動の音。

半身を起こすと、僕の額あたりから、ぬれたタオルが落ちた。
腕時計を確認する。もう午後の授業終わってるじゃないか。
ぼやけた視線で見えるのは、体育館の中で躍動する体操着とジャージの女子生徒たち。
その中に見間違えるはずもない彼女。
アスカが跳躍していた。陣を分けるネット付近で、中空のボールを思いっきりぶったたく。
球は弾丸のように、相手陣地に突き刺さる。僕は思わず拍手をしていた。
場が止まる。ポニーテールに髪を纏めたアスカが、意地の悪い笑顔で僕に向く。

「やっと起きたわねナマイキシンジ」
「えーっと、まあ細かい説明は抜きにして、助っ人の件は」
「受けたわ。あんたにあそこまでコケにされたからには、あたしのプライドが許さないの。
――必ずあんたにほえ面かかせてあげる。土下座して謝りたくなるくらいにね!」

ふんぞりかえってアスカが言う。
ま、そういう理由でいいんじゃないかな。表向きは、だけどさ。
彼女は素直じゃない。でも、真っ直ぐに走りだした彼女は、誰にも止められない。
視界の隅で繭原さんと視線があった。彼女が深く頭を下げてくる。
僕はひらひらと手を振り、アスカが放ったアタックを横顔に食らった。

続く。



69: 2015/08/23(日) 00:25:04.78 ID:???
こだまする掛け声、室内シューズが床をこする音。足音。ボールが空を切る。
うむ、実にスポーツに満ちた青春。
でも僕は一切関係ないはずなんだけど?
 
「こらシンジ、さっさとボールもってきなさいよ!」
 「ねえアスカ、助っ人ってのは、僕は含まれてないはずだよ?」

 我らが学び舎明城学園。その放課後の体育館コートに僕はいる。
一応室内履きと、上着だけジャージを羽織って、女子バレー部の臨時男子マネージャーという名目でいる。アスカ曰く、アンタの口車に乗ったのだから、手伝うのは当然。らしい。
 まあそりゃ炊きつけたのは僕だけどさ。
 そんなわけであのやたらでかい鉄カゴを運搬したりボール拾ったりしている。

 「いやぁ~ありがとうね碇くん。おかげで助かってるわ」

 壁際に並んだボールを掴んでいると、そう、声をかけられた。
 少々クセっ毛気味のショートヘアー、いかにも体育会系女学生という感じの3年の先輩。
この女子バレー部のキャプテン、小沼みゆきさんというらしい。
 引き締まった肉体を持ち、アスカよりやや高めの身長を誇る彼女は、
松葉杖をつきながら体育館の中で歩いていた。
 「これ、見た目ほどひどい怪我じゃないのよ。こっちの方が治り早いんだって」
 
 そうやって自分の、包帯に巻かれた片足首を見る眼差しは、少しだけ曇って見えた。

70: 2015/08/23(日) 00:26:04.29 ID:???
 「ああ、どうもキャプテン。…あの、すいません、部外者の、男子の僕が」
 
 僕はぎこちない表情でそう言うしかなかった。ぶっちゃけ周りは女子に囲まれているし、
女子バスケ部がコートの半分を使っている。そんな中で男子生徒が一人で歩いているのは
正直目立つ。僕は目立つことが正直苦手だし、望んでもいない。
 
 「ああ、いいのよいいのよ。碇くんは惣流さんのリクエストだし。ほら、今でも」

 キャプテンが首の動きと視線だけで僕を促す。僕もそちらの方向を見る。
 跳躍し、中空のボールを叩き落す。それは白く太い線を描いて、相手側のゾーンに
突き刺さる。コートの中で、僕に非常に馴染み深い彼女が、僕の方に視線を送る。

 「あー…、ナイスプレイ。」
 僕のか細い声が、果たして彼女の方に伝わったかはともかく、
アスカはふふんと鼻を鳴らすような満足げな表情をして、そのままコートに戻っていく。
ポニーテールと体操服姿が実に活動的な彼女らしい。僕はため息をついた。

 「…あの、アスカのことなんですけど、正直助っ人になるんですか、あれ」
 「あー、何何?やっぱ気になっちゃう?」

 ネアカだなあこの人。キャプテンさんは壁に背を預け、そのままずるっと座り込んだ。
 
 「正直ねぇ…あの子のポテンシャル舐めてたわ。すごいよ、あの子」
 
 そう言ってキャプテンの視線がコートの方に向く。
 僕とアスカがバレー部の助っ人に来たのは昨日。でも、今アスカはレギュラーチームを
相手に1年チームの一人として練習をしていた。その中には、繭原さんもいる。

71: 2015/08/23(日) 00:26:48.11 ID:???
「私が今抜けてる状態だから、正直言ってレギュラーチームって言っても万全じゃない。
だから今、副キャプテンの3年の子がまとめてるんだけど。まあそれでも。
授業でいくらかバレーやった程度の子が入ったチームに攻めきれないでいる」

 分析をする遠い視線は、少しだけ冷徹な色を交えている。
チームを纏めるということはそういう視点も大事なんだろうな、とは思う。
冷徹すぎても、たぶんそれは傲慢な司令官のように反感を持たれるんだろうけど。

 「3年のアタックを拾い上げ、トスして、自分でアタックし返す。
その度にどんどんレギュラーチームのコートに突き刺さっていく。
あの子、運動神経もそうだけど、観察眼すごいね」

 ああ。僕はうなずいた。アスカは賢しい。
隙あらば攻撃するスタイルは、彼女の人生のテーマでもあるようだし。

「ちょっとコツを教えただけで上達していく。という天才かと始めは思ったけど、
どうもそうでもなさそう。すごい勢いで考えながら動きを練り上げてる感じ。
言い方変だけど、なんか軍人さんみたい?」
 「あー…今が平和な時代で本当に良かったですね。少なくとも日本が」

 アスカが戦争にいったら、洋画劇場のスターのように重火器を満載して前線に
飛び込んでいきそうだ。敵も味方も爆発炎上しそうだし。何か頭が痛くなる。
 本当に平和な時代でよかった。何か心からそう思ってしまうよ。


「だから惣流さんに関しては本当に心配いらないと思うわ。でも、問題は別っていうか。
 正直――」

 伏せ目がちの眼差しは、アスカ以外の方に向けられていた。
 アスカの横でふらつきはじめた、繭原さん達のほうへ。

72: 2015/08/23(日) 00:27:40.94 ID:???
アスカと同じコートで、ポジションも近いところにいる。
でも、肩を揺らし、息を切らしている。それは、繭原さんだけではない。
アスカ側のコートの一年や、サブメンバーといった人たちで構成されたチーム。
その人たち全員が、何だかとっても。

「彼女、強すぎるのかも」

苦笑気味のキャプテンの声と同時に、一年側のコートの奥まった方に、
レギュラーチームのアタックが刺さった。

アスカがそっちの方を向く。
後ろ側で捕球をし損ねた女子選手が思わずすくむのが見えた。
ああ、いけない。彼女の悪い癖だ。

「…ちょっと行きますね」
僕はキャプテンの返事も待たず、女子コートの方に向かっていった。

本来なら再開されるはずの練習の最中、不自然な停止。
固まっている女子バレー部員達。その視線の中心に立つのは、彼女。
僕はその停止したコートの中に、無遠慮に入っていく。ざわめきが起きる。

アスカの視線が僕に突き刺さる。熱を帯びて、青い色が燐光を放っているかのような鋭さ。

「…何よシンジ、なんで入ってきてんの。練習中―」
僕はかまわず、背中の方に隠し持った、ボールをそっと見えるように取り出してから。

「アスカ、『とって』」

73: 2015/08/23(日) 00:28:22.60 ID:???
アスカの見開いた視線に、僕の投球フォームが映りこんでいる。
距離は、約5メートルも無かっただろうか。それなりに速度をこめたはずの男子の投球は。
乾いた音を立てて、アスカはキャッチした。

唖然とした空気と視線。かすかなざわめき。僕はその最中にもう一球を。

愕然とした繭原さんの方に向けて。

「繭原さん、『とって』」

口を開けて同じく驚愕する繭原さん。そこに僕は、多少アスカよりは手加減して。
やはりスローイングする。バレーボールが飛んでいく。
叩きつけるような音がして、繭原さんのレシーブで打ち上げられた球が、中空に。

僕はその白球をキャッチする。そのまま繭原さんに向けて。
「ナイスレシーブ」
とだけ言って、アスカに向き直る。アスカはいまだ、呆けて固まっているだけだ。

「アスカ」
僕の呼びかけに、アスカは寝起きの子供のように肩を揺らした。
この間隙しかない、今しか、ない。
僕は近づいて、アスカの持っているバレーボールに手を重ねた。

「バレーボールは手に持っちゃいけないんだよ。ちゃんと弾かなきゃ」
「…は?」
「今の繭原さんみたいに」

そこでアスカが、ようやく瞳の中に時間を取り戻した。
「あ…アンタぁ~」
瞳の中に潜む苛立ちの色が、僕の知っている色になったのを見届け、僕はほくそ笑む。

74: 2015/08/23(日) 00:28:57.95 ID:???
「オーバーワークだよ、アスカ」
「は?いや、そんな。ちょっと、そんなことあるワケないじゃない!」
「あるさ。いつもの君なら、この球を僕の顔面にスラムダンクしている」
「あ」

その手があったか、みたいな顔しないでくれるかな。
これでも一応、一発食らう程度のことは覚悟していたんだけどさ。
僕はアスカの背中から、そっとタオルを巻きつけた。

「少し夜風に当たろう。そしたら色々とクールダウンできるよ」
「………、喉渇いたわ、そういえば」
「おごるよ」
「…、当たり前じゃない」

 白球が体育館の床の上に落ちる。僕はキャプテンの方に向き直る。
「すいません、ちょっと休憩を」
「ごゆっくり~、30分ほどいいわよ。無粋な邪魔はしないから♪」

軽い調子で言いながら、松葉杖を振っている。何かこの言い方、聞き覚えがあるような。
僕が何か記憶の底の蓋を開けようとすると、ぐいっと首をタオルで引っ張られた。
そのまま呆然としている体育館中の視線の中、アスカに連衡されて僕は行く。
恥かしさ甚だしいが、僕らが体育館を出る時、キャプテンが部員を招集する声が聞こえた。

きっと、今から部員の引き締めというか、一年に渇を入れてくれるんだろう。
そういうことくらいは、自分達でやってもらわないと、困るからね。

75: 2015/08/23(日) 00:30:16.60 ID:???
黄昏を過ぎた空。外の照明。羽虫がチラチラと、その付近を舞っている。
体育館の外にあるベンチに、僕とアスカは並んで腰掛けている。
スポーツドリンクを、喉を鳴らしながら飲んでいるアスカの隣で、お茶を飲む僕。
ていうか距離近いヨ。年頃の娘さんが汗のにおいも気にしないってどういうこと。
しかも汗なのかシャンプーなのかわからないけど物凄くいいにおいだし。
これアレか、フェロモンとかいうやつか。僕は鼓動が早くなるのを感じていた。

「はぁ~~~」
ビール飲んだ人みたいな息を吐いたアスカが、僕に体重をかけてきた。
「バレーって意外とめんどくさいわね。ホント」
「…そうかな、僕には何かすっごいこなしているように見えたけど」
「『あたし』は、ね」
「君本当にチームワークっていうものに欠けてるよね」
「だってしょうがないじゃん。部員だって言うからちょっと本気を出してみたら、
速攻でオーバーワークになるんだもの。鍛え方甘いんじゃないかしら」
「君一人だけ、進化の速度が違うんだよ、きっと」

才能を持て余した人間、というか、訓練が巧い人間の習熟は、一般人とは違う。
1を教わって1を得るわけではなく、1を教わってそれを使いこなし、
その差を乗算で増やしていくのだ。効率的な時間の使い方、肉体の動かし方、戦略の思考、
明晰な彼女の頭脳の中で、それは進化していく。
でもそれは、結局は反射神経と集中力で補ったものにすぎない。
基礎を摘み、筋肉の中に行動を反復させて学習したものとは違い、消耗が激しすぎる。
彼女の無視できない存在感は、その中で周囲すら磨耗させていく。

そうして、才能と情熱ゆえに、アスカは自然、孤立していくんだ。

76: 2015/08/23(日) 00:30:55.94 ID:???
頬に当たる風が、僕たちの前髪を揺らしていた。アスカは飲み終わったペットボトルを
軽く放り投げて、それがゴミバコのふちに上手い具合に辺り、入っていく。
「…少し寝るわ。あんた見張ってて」
そう言って、僕の膝をいつも勝手に借りていく。別にいいけど。
普段、学校でここまで近寄ってきたことは、そういえば無かったかな。
外聞を気にするアスカは、僕らの部屋ではともかく、普段、僕との距離はそれなりにある。
やっぱりオーバーワークだったのかな。
せめてここしばらくは、夕飯のリクエストには出来うるだけ応えるくらいしか。
そのまま、しばらく僕たちはおとなしくベンチの上で休んでいた。
僕は、冷蔵庫の中身を思い出しながら、今夜の食事について思索していた。

夜になりかけた風は僕の頬に悪戯に触れていく。火照り、熱はどこまでも収まらない。
僅かな時間に眠る彼女は、才能を持て余した麒麟児ではなく、子猫のように愛らしい。

言ってやるものか。彼女にいつも贈られている賞賛のような、つまらない言葉など。
心の中に生まれた意味の分からぬ悔しさの理由はまだ、僕にも分からない。

きっちり25分眠り、僕はアスカを揺り起こす。瞼をしぱしぱさせながら、アスカが起きる。
汗は収まり、透き通った蒼い瞳が僕を見上げる。
愚かにも僕は、それだけで今日の理不尽が吹き飛ぶんだよ。

身を起こし背伸びをした後、軽い足取りで体育館に向かうアスカは僕を振り返りもしない。
その後をゆっくりと追いかけていく。でもその足取りが、体育館に入ってしばらく止まる。

すっきりした顔をした一年生たち。繭原さんたちの頬に見える、真っ赤な掌の跡。

いや、説得とか納得とかはさせるだろうとは思ったけどさあ。
涼しい顔で手を振るキャプテンの笑顔に、僕は久しく感じていなかった女性への恐怖が
思い出されてしまった。その中にただちに合流していく、アスカを含めて。

77: 2015/08/23(日) 00:32:32.21 ID:???
バレーの試合は近い。でも、平日には学業があるのは仕方ない。
そしてアスカは、堂々と教室で居眠りをすることにした。
僕はと言えば、なぜか毎度アスカの近くに席が配置されるという謎の措置により、
爆睡する彼女の代わりにノートを取り、ケンスケやクラスメイトが寝顔を撮影するのを
防ぐという役目を負っていた。指にテーピングをしながら眠る彼女の近況を理解は
されていた。でも教師は自分の授業で眠られるということが面白くないらしい。
 結構な頻度で名指しされるが、僕が軽く触れるだけで起きて、寝ぼけ眼で黒板を見て、
数秒で質問を理解して正解を解答して、そのまますぐ眠る。そんな離れ業をされるだけだ。

でも日に日にその睡眠の深度が深まっていくのを感じている。
正直心配だよ。僕はケンスケの間接をキめつつ、彼のカメラを没収しながらため息を吐く。
「あ゛ぁ゛~、いかりぃくぅ~ん~、それ以上は勘弁してぇ~~」
「仏の顔も3度以上は無いんだよケンスケ。ね」
「がああああああああ、ぐげっ―――」


終鈴が鳴る。担任がクラスに戻ってきて、終礼が始まりそうになる。
「さてと、起きてないのは惣流と、…相田は何でだ、碇」
「さあ、僕として散々警告はしましたし?」
「あ、うん。だいたい分かった」

理解のある先生でよかったよ。終礼は淀みなく終わり、僕はアスカの肩をとんとんと叩く。途端、アスカが跳ね起きた。
さすがに僕もびっくりとするけど、見開いた瞳で中空を見るアスカの表情は。

「…やっぱ、これしかないわね。よしっ」

ああ、これはゼッタイ何か思いついた表情だ。それも、僕にめんどうな。
僕はさっきまでと違うため息をつき、きらきらと蒼い瞳を輝かすアスカを見た。

続く



251: 2015/10/21(水) 22:34:57.15 ID:???
いつもより高い天井。多い照明。そして…2階席という名の観客席。
黄色い光は拡散していて、音は響いていて、空調の風が、頬に触れていた。
ここは県営の体育館。実業団とかの試合も出来る、本格的な設備。
人口密度は高く、今日試合の行われるそれぞれの高校の応援団と、応援幕。
我が明城学院からも当然、いる。僕はその観客席にはいない。

「…あの…僕男子ですから外で…」
「男女平等って言葉、本当にステキよね、ね、シンジ!」

大会当日。僕は何故かコートの傍にいて、スポーツドリンクとタオル、スコア表などを
手に持って突っ立っていた。顧問の先生と、松葉杖は外れてるけど、キャプテンと一緒に。
コートの内部で円陣を組む我らがチームの中に、目を引く蜂蜜色。

「いくわよー!「「「「「ミョウジョウーッ、ファイ!!」」」」」

6人の麗しい戦士達の中心に、ユニフォームを纏った彼女が立っている。
士気は十分、というより、こと彼女は本番に強いタイプだ。
本日の試合は、より上への切符を賭けた戦い。相手チームの戦力は、下馬票で互角。
しかもそれはキャプテン込みのフルメンバーでのこと。平均身長に至っては、こちら
よりも高い。見たところは闘志十分の相手メンバーの視線が、我がチームの秘密兵器、
文字通りの汎用人型美少女助っ人(自称)に突き刺さっている。

アスカはふふんっと、スポーツマンシップにあるまじき不適な態度で、その視線を
涼しげに受けていちゃったりする。当たり前だ。彼女が萎縮するわけがない。
そしてコートどころか、観客席の視線を十二分に引き寄せた後、その視線が、僕に。
流し目からの、満面の笑みと熱視線。んで、少し僕に軽く手を振る。
その瞬間、僕の方に、ぐっさりと会場中の視線が突き刺さった。

252: 21 2015/10/21(水) 22:36:26.63 ID:???
驚き、好奇心、嫉妬、敵意、値踏み、好奇心、ああやだいやだ。
嗚呼、僕の胃が今日はもつのだろうか?
 僕は固い表情でアスカに手を軽く返した。キャプテンが背中に軽く肩を叩いてくれた。
 
「がんばってねぇ~、今日の作戦の成否は、きみたちにあるんだからねぇ~」

嗚呼、胃がめっちゃ痛い。どうして女子って、こういう時に笑ってられるんだろう。

 こうして、会場中の熱い視線の洗礼を受けながらも、試合は始まった。
 6人制バレーボールの、3セットマッチ。25点取得で1セット取得。ただし24点同士の
場合はデュースという状況になり、2点差が付くまでは勝敗は決しない。
 6人がコート上をくるくる回るようにポジションを移動し、サーブを打つ人も毎回変わる。守備要員のリベロがいて、攻撃的な動きは出来ないが、後方の守備に専念出来る。 
細々としたルールを除けば、そのような部分だけを覚えておけばいいだろう。
 後はただ、互いに白球を叩きつけ合い、舞い上がるボールを見届けるだけだ。

 アスカは、当然のように一番最初のサーブを打つポジションに陣取っていた。
 主審の笛が鳴る。白球を中空に放り、音もなく舞い上がり、弓なりのフォームから。
 まるで翼のように広がる、アスカの金色の髪の流れ。
体育館の中に、大型ライフル弾のように、正確に相手コートに突き刺さった。

 得点を知らせる笛は、一呼吸は遅れたか。歓声は、さらに一呼吸遅れた。
 相手チームと高校の応援団がざわめき、うちの応援団が色めきたつ。
 その中でアスカは、さも当然のように、ふふんと不適に立つ。そして、僕にウインク。

 その瞬間、僕は軽く引きつる。背中に感じる、総毛立つ感触。太陽のような彼女の所作、
そして、会場中から来る、暗闇のような負の感情。僕は縮こまりそうになる。
 アスカの蒼い瞳が、すんごく愉快そうに笑っている。いや、もう、なんかね。

253: 22 2015/10/21(水) 22:37:52.71 ID:???
『はっきり言って、私、3セットをフルに戦えるとは思えないの』
 アスカは体育座りする部員を前にそう断言した。一年部員の頬に紅葉が咲いた日に。
 『せいぜい私が戦えるとしても、1セット、そっから先は消耗して、むしろ足手まといになるわ』
 その意見に頷いたのは、壁に背を預けた、ほかならぬキャプテンだった。
 『だろうね、バレーは跳ぶ競技だもの、独特のリズムがあるし、スタミナは作りづらい』
 『じゃ、じゃあ…物凄く早く2セットを取るしか…』
 繭原さんのその意見に、アスカは首を振った。
 『いいえ、その全く逆をやってやるっていうのよ』
 アスカは指を前に突き出した。そのまま視線は指先の方向に集まる。
 『それには…あたしだけではなく、あいつの協力が必要になるわ』
 
 『え…なんで…僕?』
そこでアスカは、僕にとってはお馴染みの、とんでもなく邪悪な笑顔を浮かべたのだ。
 『この作戦のキモよ、拒否権なんて、ないからね』

 ―――思い出したくも無いし、意識したくも無い作戦だ。でも何故かキャプテンはその
案を支持したし、部員からの反対意見も無かった。その圧力に負け、僕は作戦の要となる。

 僕は心を殺し、何とか表情に笑顔を作る。アスカを見つめ、彼女に向かって手を振り、
声をかける。賞賛や励ましという言葉の間に「ステキダヨアスカー」とか棒読みする。
…いやこれ本当に作戦の内なんだよ。僕の隣で、キャプテンが肩を震わせ笑いを堪えてる。
繭原さんや控えの人たちは、何か耳を真っ赤にしながら見つめたり、ビデオで録画したり
してる。僕は羞恥に耐えながら、そうしてアスカ限定への声援を送ったりしていた。
対して彼女はというと、僕の声援を受けて実に満足そうにのびのびとプレイをしていた。

254: 23 2015/10/21(水) 22:39:26.14 ID:???
得点に絡み、相手の渾身のアタックをブロックし、自分の範囲内に対して鉄壁に拾う。
 会場の耳目は、やがて彼女の一挙手一挙動に収束していく。そして、それに比例して僕
の羞恥心は加速度的に高まっていくのだ。1セット目10点台後半、互いに譲らず。
 アスカは、なおも敢然と不敵に立っていた。
 「碇く~ん、大丈夫?」
 さっきまで爆笑していたキャプテンが、ようやく笑いが収まってきたらしい。
 「もう僕の心はズタズタなんで…帰っていいですか?」
 「またまた~愛しの彼女をほっといて帰れるわけないでしょ。こんな試合初めてよ私」
 「…あなたたちの命運をかけた試合ですからねコレ?」
 「いやーもうここまできたら、開き直った方がラクだよー。楽しもう、ね」

 この人は…。まあ、開き直った方がラクってのは解るよ、うんすごく。
 繭原さんが声を振り絞って応援してる。僕もそういう風に出来たらいいんだけど。
 
 でも…効果は出てきてる、かな。

 試合は硬直していた。1セットも20点台に入ると、アスカの動きに慣れてきているのか、
相手方も易々とは点を与えてはくれない。キレのある跳躍、鋭いアタック。木霊する声援。
両校の応援も、過熱している。たくさんの声に混じって、観客席にまぎれた見覚えのある
眼鏡の少年が、連続してフラッシュをたき過ぎて警備員に摘みだされていくのを見た。

アスカは肩で息をしている。上下する肉体の中で、金色の髪が光る河のように輝いている。
ネット際の攻防、相手側前衛3人の視線を受けながら、尚もにらみ返す。
事前の情報を全て抜けて現れたアスカの存在は、どれほどの不条理なのだろう。 
譲れない試合の行方に対して立ちはだかる憎き怨敵、というのだろうか。

255: 24 2015/10/21(水) 22:41:05.10 ID:???
鋭い笛が鳴る。僕にとってはひどく長い、1セット目の終わり。ギリギリ逃げ切り、明城
学院がモノにしたこの1セット。その立役者はベンチで、一言も喋らず僕の隣で座ってる。
 何も言わず、長い深呼吸をしながら、玉の汗を浮かべている。
 僕はキャプテンが飛ばすプレイへの激を聞き流しながら、タオルで視線を隠したアスカを
 見ている。僕はここで見ていることしか出来ない。声をかけることしかできない。
 君の戦いの場に駆けつけて、全てをなぎ倒すことも出来ない。
 でも、僕は、ここにいよう。君の隣に。君が帰ってくる場所の隣に。
 それを言うことの出来ない僕は、笛が鳴るまで、アスカの手を隠れて握っていた。

 2セット目。
 明確に、アスカは狙われていた。1セット目の派手な動きから、どうやら助っ人である
ことはばれたらしい。際どい攻撃、鋭い打球、マークされたネット際の攻防。段違いだ。
 拾いきれない、攻めきれない、守りきれない。相手側の応援も、アスカから得点を取った時が一番大きい。
だけど、アスカの瞳はまだ、蒼い炎が燃えている。
 たとえこの会場を僕以外、全て敵に回したとしても、きっと彼女は立っている。
 得点が離され始めた。相手側のハイタッチも、熱を帯びる。
 けれど、その次のポイントはしっかり叩き返して、冷や水を浴びせ返す。
 
 犬歯を見せるような獰猛な笑顔を、僕は忘れずに焼け付けておく。
 
 『…えっと、僕が出来ることなんてそんなもの』
 『いいのよ、あんたは、あたしの試合をコートの近い場所で見てればいい』
 『えー、意味わかんないよソレ』
 『あたしから目を逸らさないで、あたしをずっと見てればいい』
 『………』
 『何、出来ないって言うの?』
 僕は自分の後ろ頭に手を添えながら、こともなげに応えた。 
『―いや、それさあ、いつもと何が違うって言うの?』

256: 25 2015/10/21(水) 22:42:32.24 ID:???
 繭原さんが叫びそうになる時に、キャプテンは彼女の肩をそっと掴んだ。
 繭原さんが、それではっとする。横目で二人が頷きあうのを見た。
 明城ベンチは、獅子奮迅の戦いを見せるアスカを、冷静に見つめ続ける。
 試合会場は加熱して、デュースまでもつれ込んだ。アスカの放った打球が、ネット際で
ブロックされて、それをトスで拾いあげ、別の先輩が叩いた。相手が渾身のブロックで受
け止め、再び上がった打球に、反応できるものはなく。
 打球がアスカの横を通り抜け、金髪が揺れ動いた。笛が鳴る。
 相手方の表情に、歓喜。だが、汗だくのアスカはちぇーっと、つまらなさそうな表情で。
 2セット目が落ちてすぐ、ベンチに戻ったアスカは。
 「あとは、頼んだわ」
 「―――はいっ!」

 気合満点の繭原さんにタッチして、僕の隣の席に、悠々と腰掛けた。
 その瞬間に、相手方のコートの何人かの膝が、がくんと揺れるのが見えた。
 そう、相手は確かにアスカを倒したに相違ない。だが、そのためにレギュラーの何人
を燃え尽きさせたか。ぱっと見で4人と、リベロの2人。相手の半分が、既に。

 『…要するにアスカ、試合を引っ掻き回して相手を消耗させて交代するってこと?』
 『そういうことよ』

 ポジションをローテーションするバレーボールでは、集中した戦い方は出来ない。
 だけど、自分が最前線に立つ半分の時間は、必ず相手と競り合う。アスカはそう言った。
 何故なら自分は目立つから、相手の注目を集め、必ずムカつかせて見せると。

 それを聞いたバレー部の人は、等しく口をあんぐりあけていた。当たり前だよ。

 『―…それの利点と、その作戦しかないって言い切った理由、聞かせてもらえる?』
 
 キャプテンの鶴の一声にアスカは頷いた。

257: 26 2015/10/21(水) 22:44:07.22 ID:???
まあその後の理由は半分くらいは頭が痛い言葉だったけど。
 『昨日まで青春を捧げてきた試合に、金髪の彼氏連れがおふざけ半分で暴れまわったら、
ムカツカない?』って…どういう理由だよ。
 確かにアスカの髪は地毛だから、大会規定を通り抜けて、さぞかしコートに映えるだろ
うさ。んで、僕にその試合をホイホイ見に来た、頭の悪い彼氏ポジションをやれと。
 この説明を大真面目に言うアスカに、キャプテンは吹き出し、そして腹を抱えて笑った。
 だけど、アスカのシメの言葉が、きっとみんなを納得させたんだよ。

 『だから、あたしは必ずキャプテンが抜けた分以上の損失を、相手に与える。
 その後は、この部の実力で、必ず勝ちあがって。
 あんた達が決めるのよ。他の誰でもない、自分の部の命運を』

 その言葉に、力強く同意したのは、他でもない、繭原さんだった。

 後は語るまでも無い気がするけど、一応。
 ペース配分を乱された相手は、程よく温存しておいた明城レギュラーと競り合い、
意地を見せたものの、最後は繭原さんのド根性レシーブからの攻防で勝敗を決した。
 明暗の分かれたコートの中で、色々な涙がいくつも床に落ちたのが見えた。
 スポーツの爽やかで残酷な輝き。高い天井の大型照明灯が、それを照らし出していた。

 熱気と歓喜の中で、たくさんの無垢な祝福を受けるアスカの、照れたようなドヤ顔が
忘れられない。その中で、一番心泣いていたのは、キャプテンだった。
 その日はタクシーで家に帰った。交通費は痛かったし、運転手さんの生暖かい心遣いが
もう何だか。僕は半分以上タクシーの中で寝かけたアスカを彼女の部屋に放り込み、
こっそりと冷蔵庫に冷やしておいた今日の晩餐の準備を進めるのだった。
…まあ、起きてこなければ明日食べればいいか、限定ケーキ。

258: 27 2015/10/21(水) 22:46:06.51 ID:???
よく晴れたありふれた昼休み。
中庭に備え付けられたテラステーブルで、僕とアスカ。いつもの昼。
アスカはスマホをいじくり、その画面を僕に見せた。いつの間にキャプテンとメル友に…。

怪我の復調した明城女子バレー部は、順調に勝ち進んでいるらしい。やっぱりホッとする。
何故か得意げなアスカに向かって、僕はお弁当箱を開きながら聞いてみた。
「…もしこの先、バレー部から助っ人頼まれたら、どうするの?」
「断るわ、あったりまえでしょ」
スパっとアスカは言った。その表情に未練はなく、気まぐれを起こす気も無いらしい。
「あたしの目標は達したの。―ねえ、あたし、出来てたでしょ」
蒼い瞳が、僕を見ている。
真っ直ぐに。

ああ、そうか。
「うん。僕の負けだよ。君の、アスカの見事なチームプレイだった」

前半から中盤まで、相手と競り合いつつ、まるでマラソンの駆け引きのように。
兵士みたい。キャプテンが言った言葉通りに。あの日、コートにいたのは、選手ではなく。
惣流・アスカ・ラングレーという名前の、一人の戦乙女だった。
なるほど。
僕は彼女にこうして勝利を告げるために、あの日、あのコートの外で彼女を見届けたんだ。
僕の瞳の中に、勝利者の笑顔が、ようやく映りこんだ。

真顔のアスカがいつものように破顔して、弁当箱の殆どを食べ始める。
僕もお茶をついで箸を取ろうとした時、背面に気配を感じた。

259: 28 2015/10/21(水) 22:48:19.42 ID:???
すわ闖入者かと振り返る。先のバレー部の活躍以降、勧誘は後を絶たない。

「あ…、あの、お邪魔してごめんなさい!」
繭原さんだった。アスカの警戒心、僕の緊張感が解ける。何より、アスカがフレンドリー
に近づいていく。
「あ、繭!ひっさりぶりー!」
おお、何かアスカが女子高生っぽい絡み方をしている。何か感動するなあ。
繭原さんもえへへという、何だか幼い感じの笑顔で、手を叩きながら対応する。
「ごめんなさいね碇くん、お昼邪魔しちゃったみたいで」
僕は椅子に座ったまま、軽く手を振っておく。

晴れやかな青空の中、談笑する女子を横目にお茶を飲む。…何か字面だけだと怪しいな。
お茶を飲み干すころには、繭原さんはアスカに何か紙袋を渡して、すぐに去っていった。
足早な背中を見届けた後、アスカが席に戻ってくる。

何か得意げに、誇らしげに。僕は、晴れやかな空に似つかわしくない嫌な予感が。

「ねえ、シンジ」
その笑顔は、間違いなく僕に対して拒否権を出させない時の表情だよね?

「女子バレー部のみんなからね、こないだの試合の報酬代わりというか、ご厚意をね」

 笑顔のままアスカは紙袋の中身を取り出した。その中身は、ティーン向けのタウン誌。
ドッグタグとポストイットがたくさんはみ出している、『話題のスイーツ特集!』という文字が躍る表紙。

260: 29(完) 2015/10/21(水) 22:51:23.95 ID:???
「女子バレー部の全員がオススメしてくれた情報が詰まってるんだって、コレ」

成長期の体育会系女子がオススメする食事スポットの数々。それが今、アスカの手中に。
雑誌の裏にはご丁寧に『碇くん、頑張ってね!byバレー部一同』という文字が見えた。

嗚呼、僕の週末と、その財布の中身が…。
僕はがっくりと、早々に敗北宣言を出すことにした。今更勝利者に、逆らう気もないさ。
きっと。
君には誰一人敵わないよ。無敵って言うのは君のためにあるのさ。
他でもない、アスカならね。


                               おしまい



P.S
いつも作品を見て頂いているみなさん。1さん、通りすがりさん、たくさんの物語のつむぎ手さんへ
万遍の感謝を。
もう某スマホのEVAコラボでシンジ君が引けなくてもオラいじけないよ!
 ありがとうございました。



301: 2015/10/31(土) 23:52:13.99 ID:???
僕達の青春には、なんというか甘みが足りない。
物質としての砂糖という意味ではなく、甘ったるさというか、甘酸っぱさというか。


ある日のこと。僕は台所で鍋の火加減を見ていた。シチューの具が湯気の中で煮えている。
彼女は珍しく、リビングではなく、台所のテーブルの座席に座って、僕の後姿を見ている。
男のエプロン姿の何が、彼女の興味を引いたのか。

「ねえ、シンジ」

僕の名前を呼ぶその声には、やや硬質なトーンが感じられた。僕は鍋の火を止め、振り返る。

「そろそろ、私達の関係も、はっきりさせた方がいいんじゃないかしら」

僕の時間が、少しだけ止まりそうになる。辛うじて、僕は平静を装った。

傍目から見れば、余りにも奇妙な関係。僕達は明確に何かを決めたわけではなく、
今日この日も同じ部屋の中にいる。その距離は日々少しずつ詰められていく。
今は、こうして3食を共にしているという間柄で、そこに束縛は無い。

302: 2015/10/31(土) 23:53:18.97 ID:???
段階もなく、僕らは飛び越えていった。あの日、駅で僕が彼女の手を捕まえた日から。

クラスも、住処も、話題も、興味も、僕らは遠ざかることなく近づいていった。
惣流・アスカ・ラングレーは非凡な少女だった。外見・正確・能力。それらは同年代の
優秀な生徒のそれではない。頭一つ抜けた、いわゆる天賦というものが、躍動している。

片や僕はと言えば、育ってきた学区から出てきただけの、たぶん平凡な人材で済む男。

華やかな彼女に手を引かれてきた日々の中で、感じるのは、花束のカスミソウへの哀れみ。
引き立て役でしかないというのを、十二分に感じている。
まあ、そんな他人の評価なんて、いちいち取り合うのもバカバカしい。

けれど彼女に対してつりあわない男だという自覚はある。
それでも傍にいるのは、はっきり言えば僕がこの距離に甘んじているのだ。
苛烈な性格を持つ彼女に近づけない周囲よりも、何故か傍にいることは、奇跡なのだろう。

容姿ではなく、彼女の蒼い瞳の傍にいるだけで、僕は理由の無い安息を得る。
遠い昔の約束を果たしているような、言葉にしがたい満足感の中に、僕は浸っていた。

しかし、僕も彼女も成長しているのだ。時間は流れて、結構な月日を過ごしてきた。
僕らの関係にもそろそろ、明確な名前が必要な時が来た。

隣人・クラスメイト・同級生・同校の生徒。そんなものではなく、友人知人といったものでもなく。

僕は、アスカを。

303: 2015/10/31(土) 23:54:08.91 ID:???
心の中で決意という名の引き金に指をかけた途端、アスカが何かを手に取った。
テーブルの上で広げられていた本だった。

「シンジ!オランダには執事養成学校があって、8週間でプロの執事になれるらしいわ!」

「…は?」

僕は間抜けな声を出した。キラキラした瞳で、雑誌のページを指差した。
燕尾服を着た紳士達が、頭に本を平置きし、落とさないようにグラスを運ぶ訓練。
あー…姿勢矯正か、コレ。

「どうよコレ、このカリキュラムを受け、惣流家に仕える身として私に対して『おかえりなさいませお嬢様』と傅くととてもいいと思うの!」

アスカは何かうっとりとしながら、天井を見ている。あ、いつもの妄想だ。

「やっぱり私の生活に日頃こんだけ関わってるんだし、居心地はすごくいいし、
『実家のような安心感』っていうの?私、ここに来て結構くるんだけど、未だにホーム
シックが無いのよ。やはりシンジは私に仕えるべきだと想うの。ね」
「………」
「費用は150万くらいかかるって言うけど、私が将来そんなものポンと現金一括で払える
くらい余裕で稼いでみせるから、これはベストな選択肢と言えるわね!」

僕は台所に戻り、鍋の火を再点火しかきまぜた。途中で少し火を弱めるのも味に変化を
出せるかなあ。次は圧力鍋を試してみたいなぁ。

304: 2015/10/31(土) 23:55:09.30 ID:???
「ねー聞いてるのシンジ、お嬢様の言うことは絶対なんだからね」
「寝言はそこまでにして下さいませお隣様」
「何よソレ!レディに対して失礼な言い草だわ、ゼントルメン失格よ!」
「アスカが淑女?…はんっ」

僕は鼻で笑ってやった。僕の一世一代の言葉のマグナム弾が湿気ってるんだ。
文句の一つも言ったっていいだろうに。
僕はちゃっちゃと夕飯の用意を進め、ナイスアイディアを潰されたとうるさいアスカは、
夕飯の後にそのことについて文句を言ってくるのだった。
僕が座るソファーの隣で、耳を引っ張ったりほっぺをつんつんしたりしながら。

夕食後っていうのはねえ、なんというか救われていなきゃダメなんだ。
満腹で静かで穏やかで…。

僕はアスカの掌を掴む。僕より小さなそれは、指先で全て包み込めてしまった。

「…あのさ、別に僕としてもそんなに悪い提案だとは思ってないよ。だけどさ」
「だけど何よ。シンジはあたしの世話なんかしたくないって言うのね」
「そこは違う。身の回りのことくらい自分でやってくれとは思うけど、それとは別」

やかましかったアスカの身動きが止まっている。蒼い瞳が僅かに揺れている気がした。

「ねえ、アスカ。僕は、君にとって必要かい?」

305: 2015/10/31(土) 23:55:54.32 ID:???
僕は意地悪な質問をした。ほんの少しだけ、胸の中が痛む気がした。

「――当たり前じゃない。あんたは、私の――」
わたしの。僕は、彼女のぷるぷるとした唇を凝視する紳士失格な男だった。

その先の言葉をなくして、沈黙が僅かになった。時計の秒針の音がしている、
僕は、彼女の手を緩やかに拘束したまま、逃がす気もなかった。

というより、アスカ。君は余りにも軽率じゃないかな。
僕の質問に『当たり前じゃない』なんて言うなんて。僕の心臓は平易な表情とは裏腹に。
鼓動の高まりを気取られぬよう、掴んでない方の掌が、緩やかに閉じたり開いたりしてる。
昔からの癖だ。この癖が出て、その指が拳の形に握られた時には。
高まった熱が、心の銃弾のしけりをとる。君の心臓までには、こんなにも近い。

今なら、この想いを弾頭に代えて、君を撃ち抜けそうな気がしてる。

「…ねえ、シンジ」
掴んだ掌が、するりと滑らかな肌の感触を与えて、状況を変えた。
指先が絡み合う。触れ合う面積が、増えていく。

「あたしのこと、これからもずっと助けてくれる?」

僕の心臓は、蒼い瞳の不安げな眼差しの中で逆に撃ち抜かれた。
僕は顔をそむけて、何も掴んでない方の掌で顔を覆った。
参ったな、耳が熱い。体の芯から、熱で焼け落ちてしまいそうだ。

306: 2015/10/31(土) 23:57:22.70 ID:???
僕は返答の代わりに、繋いだ掌に、ゆっくりと力を込めて、包むように。
ぎゅっと、合わせて、そのまま固く離さないようにした。
しばらくしてから、彼女の指にも、僕と同じような力が込められた。
心臓に触れているように、僕の中に熱が、広がって溶けていった。


「ねえしんじー、はっきりしなさいよー、ねえー。貴女のお世話しますお嬢様って言い
なさいよー」

耳の後ろで聞こえる声は、調子付いてた。僕はしばらく彼女の方に顔を向けれそうにない。
片手の掌は、指先を絡ませながら、まだ離れない、離せない。
やっぱり、僕にはまだ、色々な意味で修行が足りない。

その夜は、そんな気持ちになりながら、猫のように僕に言葉をかけ続けるアスカを、言葉も無くかわすので精一杯だったのさ。


僕達の青春には、なんというか甘みが足りない。
物質としての砂糖という意味ではなく、甘ったるさというか、甘酸っぱさというか。
けれど彼女との関係は、いつでも度数の高いアルコールのように、芳醇で甘美なんだ。
頭の中まで蕩かすような酩酊間で、未成年の僕はいつも、酔っ払ってばかりさ。
早くいい男になって、この酔いも御せる日がきたら、その時は、どうか覚悟してね。


         おしまい


399:  2015/11/21(土) 02:04:10.77 ID:???
寒い季節が来るね。僕と君が出会ったあの季節だ。僕はあの寒空の下で、君に。



夏休みが終わったのがつい先日だと思ったら、中間があって、文化祭があって、まあ
色々があって。そして今度はもうそろそろ期末だと言う。

「んで、12月には色々とイベントが目白推しなのよね~」

と、楽しそうに雑誌を読むアスカは、今日も僕のルームに出されたコタツに入ってる。
猫か、君は。

僕は鍋の中でゆらゆらと揺れるふろふき大根の火加減を見るのに精一杯である。
台所の小さな窓から見える外は、木枯らし吹き、枯葉が待っている。
雪はまだだけど、霜はそろそろかな。水仕事にはきつい季節だけど、日当たりはいいんだ
よねこの部屋。菜ばしを持ちながら台所で仕事をしていると、コタツの方から電子音。

「ん?」
アスカがスマホを取る。そして耳に当てながら、コタツを出て距離を取る。
呼び出し音が僕の後ろを通り過ぎ、扉を開けて、自分のルームに戻っていった。

彼女のプライベートにはあんまり踏み込みたくないけど、よくかかってくる音だった。

400:  2015/11/21(土) 02:04:44.64 ID:???
その度に、驚きと一緒に柔らかい表情になるから、たぶん実家の家族かな。
壁の向こうから、足音と楽しそうな声が聞こえるような気がする。
僕は輪切りにした大根の一つに菜ばしを無遠慮に刺して加減を確かめた。
そろそろいいかな。火を止めて、ああ、肉味噌を盛る器を用意して。

『えええええーーーーーーーーーーー』

壁の向こうから、何かすごく甲高い声が聞こえて、僕は固まっていた。
…何かあったのかな?角部屋方面でよかったけど、ご近所迷惑になりそうだよアスカ。

鍋つかみを両手につけて、僕は鍋を食卓に移動していく。どたどたと、慌てるような足音。
扉を乱暴に開き、なんと珍しいことか、アスカがちょっち青ざめている。

「…どうしたの?」
僕の言葉に、アスカが少し呼吸を整えて部屋に入ってくる。冷蔵庫のドアを開けて、飲む
ヨーグルトの瓶を一気飲みした。それ高かったんだけどなぁ。

「…ママが…」
お母さんが?

「ママがその…帰ってこいって」
この季節に?何か親族に関係することでもあったのかな。と僕はのほほんと肉味噌を盛り
つけた皿と箸を食卓に添えて、次はご飯をよそうべくしゃもじを手にしていた。
アスカの視線が泳ぎながら、僕の方にやっと来た。この様子だと、親戚のご不幸とかじゃ
ないな。とか、気楽に思っていた。それよりもご飯が冷める前にセッティングを…。

「その…シンジも、連れてこいって」
「は?」

401:  2015/11/21(土) 02:05:55.43 ID:???
夕餉の支度が止まる。えーっと。
僕は頬をぽりぽり指先で掻き、エプロンを外して、言った。

「あの…詳細はご飯食べた後でいいかな?」
「…ッ、この野郎、仕方ないわね!」

何で罵倒されるんだろう。まあ、アスカはスマホを握り締めながらコタツに戻っていった。
いい加減上げ膳据え膳ばかりじゃなくて、たまには手伝ってほしいんだけどなぁ。


そんな中でも夕食はおかわりされた。ま、いいけどさ。


とりあえず食事後は食器だけを台所の水に浸けて、コタツに向かい合って話をし始めた。

「それで、アスカが実家に呼び出されたのはともかく、何で僕まで?」

出涸らしを啜りつつ、僕は話を切り出した。
正直、意味が解らないし、思い当たる理由が無い。疚しいことは何もないが僕の信条だ。

「あのね、夏休みあったじゃない」
「ああそうだね、ほぼ毎日僕の部屋に来て、そっから僕の部屋への滞在時間が延びて…」
「そんなことはどうでもいいのよ、ええ」
僕のプライバシーを日々削っている張本人はそんなことを言い張った。

402:  2015/11/21(土) 02:06:47.42 ID:???
「1回、だけ帰郷したじゃん。あたしもあんたも」
「そういやそうだったね。何でか知らないけど、日程合わせられたけど」

別にいつ帰ってもよかったし、地元の昔馴染みにも会って、色々話もしたし。スマホは絶
対覗かれないように久しぶりに鼻フック決めたけど。あいつらも元気そうだったなぁ。

「なぁにほっこりしてんのよ。何なの、もしやあんた地元に…」
何ですっごいにらんでくるんだよアスカ。懐かしい友達くらいいるだろ。

「ふーん、友達ね。シンジにもそういうガキっぽいところがあって結構結構」
意味の分からない納得をして、アスカはすぐに顔を曇らせた。
「ママはね、あたしが夏休み中ずっといるものだと思ってたみたい」
へえ。でも1週間って結構長い期間のような。
「1月まるっと過ごすと思って、色々企画してたのがつぶれたって嘆いてたわ。
でもママは、あたしがこっちでちゃんと高校生活に励んでいると思って耐えてくれたのよ」
まあ、アスカの成績表を見て文句を言う親はいないと思うよ。…生活面の部分以外。

「そこはどーでもいいのよ。所詮一般のくくりであたしは理解できないんだから」
と、胸を張るアスカ。…僕一応、その一般人のくくりなんだけど?

「それでね、あたし、せめてあたしがこっちで元気に過ごしたことをちゃんと知ってもら
おうと思って、写メールいっぱい送ってたのよ。それも一日何枚かずつ。感想も載せて」
何かメールマガジンみたいだね。『見ないと罰金よ!』とか僕は言われそうだけど。

403:  2015/11/21(土) 02:07:19.13 ID:???
「…で、こないだ夏祭りの浴衣姿でピースしている姿を送ったんだけど」
ああ、浴衣姿で髪をアップにしてまとめて、うなじが白くて細いと思ったあの日かぁ。
「それが悪かったみたい」
「え、何で?ごめん理解できない」

やっぱり浴衣の色は薄紅じゃなくて黄色系等を進めるべきだったのかな?と的外れな事と
解っていても、あの時の思いがよみがえってくる。まあ、花火に映えてたからいいかな。

「あの時シンジに撮影頼んだじゃない。んで、せっかくだから鞄も渡して」
「ああ、絶対に汚さないでねって何度も念を押されたやつね」

アスカにしては地味だけど、しっかりした造りの本革の手提げ鞄。
留め金とかには年季が伺えてたけど、それでも大事にされていることはよく解る。

「あれはママのお下がりなの。前から欲しいって思ってたけど、高校進学祝で貰ったの」
そう穏やかに話すアスカの表情は柔らかかった。柔らかくて、僕の、鼓動に悪い。

「…で、だから『アスカちゃんがあの鞄を手放すなんて!もうママの事は嫌いになった
の!?』から始まって、預かっててもらったことを言うと『アスカちゃんがあの鞄を預け
た…だと…?』んで、それから何かを察したみたいになって」

…なんだこのアスカのお母さんの、斜め45度に加速していく思考は。
僕の嫌な予感は、その後すぐに短い導火線に着火した。

404:  2015/11/21(土) 02:07:57.96 ID:???
「『ボーイフレンドね!ボーイフレンドが出来たのね!ああ、もうだから独り暮らしなん
て!』から始まって後はもう何か想像が走っちゃったみたいで、あの、そのね」

珍しいね、そんな遠慮したような表情で言うのは。僕は苦笑しながら、促した。

「…シンジの存在知られたから、一度戻って説明しないと、実家に帰ってこさせるって」

言葉も無かったけど、僕もなんだかもう頭が痛い。というより、何で僕そっちのけで話が
進んでいるわけ?後、アスカ、僕の存在を知られたって、僕のこと、何も言ってないの?
僕は盛大にため息を吐いた。アスカは、何かしおらしくておとなしい。

「…いついけばいいのさ」
「えーっと、こんどの土日からの連休で…」
「明日からじゃないか。あーもう」
僕はコタツから立ち上がって台所に向かう。その背中に、語りかけてくる。
「えっと、ついてくるのよ…ね?」
何でこんな時に限ってしおらしいんだよ。いつもそんくらいとは言わないから、半分くら
いはおとなしく…なったらアスカじゃないか。

「…片付けとかやっておくから、アスカは荷造り初めてて。僕はそんなにかからないから」
とりあえず、台所の皿をさっさと泡まみれにしないと落ち着けない。
「…うん!」

405:  2015/11/21(土) 02:08:35.97 ID:???

パタパタとアスカがまた自分のルームに戻っていく。扉が閉まる。
僕は泡立つスポンジ片手に、冷たくなり始めた水に指先をさらしながら、
洗い物を進めていく。重ねられた皿から流れていく白い泡が、勢いをつけて排水溝へ流れ
ていく。白くなっていく食器とは裏腹に、僕の思考は千路に乱れていた。


何着てけばいいんだ。最近美容院に行ったのはいつだ。
いや、それより何て言い出せばいいんだ。隣人?クラスメイト?変なデジャヴ仲間?

第一印象は大事だよね。ああ、でも、何か色々ともう落ち着かない。
人生はシナリオ通りに行かず、時計の針はある日いきなり突然進められることもあるし。
あまりにも突然で、なんと言うか僕の予想より遥かに早い…。

一応これも…ご挨拶ってことになるのかなぁ。

僕は頭をよぎった馬鹿な単語を振り切って、皿を一つ一つ純白に磨いていった。

                          
548:  2015/12/09(水) 21:54:52.08 ID:???
いつも立体的な夢を見ているようだ。薄紙の向こうに僕は零れ落ちる砂を握り続けている。

砂をこぼし続けてきた掌を、ある日暖かな手がやや強めに掴んで、包んでくれた。

僕はこの手を離したくない。それ以上を、欲深く罪深く願っている。
子供の頃以来の強い願望に戸惑っていることもあったけど、僕にとっては。


窓の外に、朝焼けのオレンジの光が見える。薄暗い雲も散逸していて、もれ出でる光は
より鮮やかに燃えているかのように輝いている。
特急券を僕に押し付けるように渡した後、アスカは窓際の席で眠っている。
僕達の膝の前に2つの鞄、アスカが持っているのは、お母さんからのプレゼントの鞄。
スーツケースなんて洒落たものが無い僕は、最低限の着替えとかの入ったスポーツバッグを前に。いつものSDATは動かしていない。そんな気分でもなかった。

 慌しい旅立ちではあったけど、幸いにも国内、というか比較的近場だったのは幸運だ。
 てっきりドイツまでいくかとおもったけど、関東県内で少し安心した。財布的に。
 でも向かう先は、箱根方面だった。

 僕は窓の外を見る。山の峰峰は僅かに雪化粧で白んでいるけど、その間の裾野に、いく
つか点在している不可思議な巨大物。人が手を広げたような、大きな岩石の。
 それは「遺跡」とだけ呼ばれている。何のために造られたのか、いつ造られたのか。
歴史的な謎はともかく、その磨耗した表面に見えるのは、人工の痕跡。
 僕は、この遺跡にも、何か深く沈みこむようなデジャビュを感じている。

 そして、出来うるならそっとして触れないでいたい。

549:  2015/12/09(水) 21:55:34.58 ID:???
 隣で、アスカが身じろぐ気配がした。ショボショボの瞼で、僕を見てから、視線を追い
かけて窓の先を見た。アスカは少しじっと見つめてから、あくびを一つ。
 「…もうここまできたんだ。はっやいもんねぇ…」
 君が寝過ぎなだけじゃないかな。手で顔をこすろうとするのを止めて、ハンカチを渡す。
 「まあいいわ…。ねむい」
 そう言って、僕の肩の方向にこてんと頭を倒して、そのままスヤスヤ寝息を立て始める。
 僕は突然の彼女の行動に、これも遺跡のご利益だろうか?と意味不明の思考をする。
 まあ、不安げに拍動していた僕の心臓は、別の理由で早い脈拍を維持していく。
 
 僕は眠らない。まだ降りる駅は先だし、朝焼けの陽光を受けて輝くアスカの髪の輝きを、
神聖なもののように見届ける使命がある。なんかある。うん、きっと。

 
 騒がしい改札口方面を抜けると、ようやく人心地ついた気がする。今でも電車から降り
る際の、人波が動く流れにうまく乗れない。アスカも同じようなので、手を繋いで駅の外
に出た。モスグリーンのコート、青いマフラー、茶色の皮手袋を着こんでいるけど、吐く
息も白むほど寒く、そして風もあった。厚ぼったい服を嫌うアスカはさらに寒そうだ。
 とっととタクシーでも拾って目的地にでも行こう。と、いつの間にかホットおしるこの
缶を飲んでいるアスカに提案すると、アスカはぐびぐびと飲み干しながら。
 「…えーっと、シンジ、そのね、言い忘れてたけど」
何かバツの悪そうな表情のままうつむいた。僕は嫌な予感半分で聞いてみようとした。

タイヤの擦れる派手な音。駅前のロータリーに不似合いな、真っ赤な車体。
衆目の意識がそこに集中する中、開かれたドアの先から、金髪の、妙齢の…
あ、この人たぶん。

550:  2015/12/09(水) 21:56:11.10 ID:???
「ママ!」
そんなアスカの声に僕はやっぱりなと思いながら、予定よりずいぶん早いファーストコ
ンタクトに戸惑いを隠せないでいた。だってあの車、よく見たらシボレーのカマロだよ。
そっから何か白いコート着た金髪の女優さんばりの女性が出てきて、しかもアスカの面
影ばっちりというか、アスカも将来あんな綺麗な人になりそうだうわぁとか思って。

アスカが駆け寄ってハグをした。昨日までの緊張はどこへやら、笑顔が弾けている。
その光景は映画のワンシーンのように美しく、何だか遠い光景だった。
もう思考状態がデストルドー反応寸前に至りそうだった僕は置いてきぼりで、いっそ
この隙に僕だけこっそり帰ってしまっても。いや逃げるのは何かだめだ。
そんな逡巡の後、アスカのお母さんの視線が、僕に。
ああ、おんなじ蒼い瞳をしている。涼しく晴れた日の空の色で、僕の心を飲み込んだ。
でも、すぐに目を細めて笑みを形作ったけど、笑顔とは本来凶暴なものであり云々
要するに、その笑顔は剣呑なものが多分に含まれているのが直感的にわかったんだ。

「Guten Morgen …あなたがシンジくんね?」
「は、はひ、はじめまして、その…おはようございます」
僕ははい、と言ったつもりだった。お母さんはクスっとした後、指先を動かし。
「さあ、車に乗って。ここは寒いし、何よりお腹すいちゃったし」
言うが早いか、お母さんは左ハンドルの運転席に座る。僕はアスカの方を見る。
縮こまった彼女が、後部座席のドアを開け、僕の方に視線をやる。
…サングラスをかけたお母さんの視線が、僕とアスカを交互に見比べた。

551:  2015/12/09(水) 21:56:49.97 ID:???
男は腹を括らなきゃいけない時があるんだろう。僕は踏み出す足に力を込めた。
立っている。その自分の足の感触が、僕に力を与えてくれるような気がした。
お邪魔します、と言いながら僕は初めての外国車のドアを閉める。
 正面を見ると、運転席から覗き込むアスカのお母さん、ええい、もう。
 「あの、アスカのお母さ」
 「キョウコ。でいいわ。惣流・キョウコ・ツェッペリンよ。よろしくね」
 「あの、はい。シンジです。碇…シンジ」

 僕は手を向けてとにかく握手を求めたつもりだった。
 が、何故か知らないが、キョウコさんが固まっている。
 瞳は見えないけど、その眉の高さで何となく、見開いているんじゃないかと。

 「ええっと…うん、もしかして、あー」
 「ママ?」
 「いやいやいや。うーん、まあいいわ。後でいっか。ふむふむふむ」

 何だろう。この行動はアスカでも見たことがある。1を知って10を発想する時の仕草
だ。と、キョウコさんが宙ぶらりんな僕の指先にむかって、拳を振りながら。
 「Schnick, Schnack, Schnuck!」
 と、快活な言葉で言った後、僕の掌に指2本が突き刺さった。
 「…え?」
 「Schere(チョキ)で私の勝ち。ざーんねん。ポイントマイナス1点ね」
  僕が呆気に取られて、それがじゃんけんだということに気づくまでに遅れた。
  「気をつけなさい。ママは先制攻撃が基本。油断してるとやられるわよ!」
  …え?ドイツ軍伝統の電撃戦ドクトリンでも持ってるのこの人。

552:  2015/12/09(水) 21:57:28.17 ID:BjWDZOZa
「ふーん、アスカ。この子結構隙が多いのね」
 「ごめんなさいママ、シンジはまだ十分な訓練を受けてないの」

 訓練とか必要なの? 僕は狐に摘まれたまま、馬力のあるエンジンが駆動した。
ロータリーの視線をどこ吹く風で動き出し、オーディオのスイッチを入れている。
 洋楽でもかかるのかな、と思ってたら、思いっきり聞き覚えのあるイントロ。
『天城越え』だった。
 …なんだ、すっごく掴みどころが。
そっか。アスカの上位互換なんだ、この自由さ。

 そう思うと少しだけペースを取り戻せるような気がする。
 「演歌、お好きなんですか?」
 「ん?あー、イメージと違ったかしら」
 ミラー越しの視線のやり取り。隣に座るアスカはやきもき。僕は、ややヤケっぱち。
 「そうでもないですよ。聴きなれてるっていうとアレですけど、知らない歌よりは安心
します。両親もよく聴いてましたし」
 家族のことをダシに使うのはアレだけど、これで失礼ではないハズ…。
 ミラーに映るキョウコさんの口元が、にんまりと曲がった。
 「あんまりビビって無いのは感心します。ポイントプラス2点」
 ハンドルを握りながら、指を2本立てる仕草。このポイント制は一体何なんだろう。
 「よし、よくやったわシンジ。まずは白星先行よ」
 「…君のうちのルールについて事前によく聞いておくべきだったよ」
 「んなもんあるわけないでしょ。ママの発想はアタシを超えているんだから」
 すごく同意したいけど、君がそれを言っていいのかな。
 キョウコさんは曲のサビにハミングしてるし、ちょっち何かスピード速くないかな。
 そんなわけで、未だ落ち着かないまま、僕は憧れの紅いカマロの車内にいた。

553:  2015/12/09(水) 21:58:24.73 ID:???
 白亜の御殿と呼ぶくらいの新しさと品のある洋風の邸宅。随所に配置された監視カメラ。
両開きの鉄門を通り、ガレージに駐車していく。あ、隣にコルベットも置いてある。
庭園があるけど、花の種類と彩りは少なく、移ろう季節に枯れ始めた葉が目につく。
アスカは車を降りると、スタスタと先に行くキョウコさんの背中を見て。
 「うーむ、ママの機嫌は良さそうね…何か杞憂だったかしら」
 「そうなの?流石にそこまでは僕はわからないけど」
 「まっさか即家に通すとは思ってなかったもの」
 プライベートに対して固いタイプってのは、君とよく似ていると思う。
 後は、僕のプライベートに遠慮なく入ってくるところまで似てないといいけど。
 
 僕らはキョウコさんの後について玄関まで行く。カードをスリットに通して、スムーズ
なエアの開扉音と共に開く電子制御扉。アスカは慣れた様子で玄関に入っていく。
 玄関から先は、暖色の淡い色合い。柔らかいカーペット。照明や帽子掛けなど、花のモ
チーフのインテリア。曇りガラスの窓の付近に飾られている写真に、幼い少女の笑顔。
 「じろじろ見たら怒るわよ」
 と、その少女の現在が僕の耳を掴んだ。不躾なのは解ってるけど、もう少しくらい…。
 しかし僕は残念がっている場合でもなかった。
 廊下からリビングに至る間、アスカの写真があちこちに飾られていたからだった。

 …。そういえば外国だと、家族の写真を飾るのは普通のことだよねハハハ。
 フォトフレームの中で少女は少しずつ僕の知っている今の彼女になっていく。
 じっくりと眺めたかったけど、アスカはそれを許してくれないし、それに、日頃ケンス
ケが頼みもしないのに彼的フェイバリット撮影品を見せてくれるおかげで理解できた。
 この写真、相当な数の中から厳選されたものだということを。
 「さあ、アスカにシンジくん、入って座ってね」
 にっこりと笑ってリビングに招かれる。僕は魔法の剣も祝福の鎧も無いまま、茨の城の
中に入る童話の主人公のような気持ちだった。
それも、魔法も呪いも自力でぶっとばすようなお姫様に、腕を引っ張られて。



406:  2016/07/28(木) 00:53:57.80 ID:???
もし何がしかの大きな破綻が起きて、その時に、一つだけ持ち出せるものがあるとしたら。
僕は君を、首根っこを捕まえてでも持っていく。その首に手をかけて、でも。


湿度の高さと窓の外からのざんざとした音。音と水分に閉じ込められた季節、梅雨。
ねずみ色の空を、彼女がつまらなさそうに見上げている。寝転がったままで。

「ねーシンジ…」

僕は室内乾燥したタオルをたたんでいるので、彼女を見ることもなく対応もしない。
というよりこのタオルほとんど、隣人の少女、つまり僕の部屋の中心で座布団と袋菓子を
独占している同級生、惣流・アスカ・ラングレーのものなんだけど。

「曲変えて」
「やだ」

僕はにべもなく断る。広がった金髪の真ん中にある白肌の眉根が、思いっきり歪んだ。
アスカは自分の言葉に引きずられるタイプだ。要するに文句を言い出すと機嫌が悪くなる。
よって僕は、それまで室内に流れていたミニマル系のテクノを止めた。

407:  2016/07/28(木) 00:54:44.53 ID:???
「ねえアスカ、いい加減僕の部屋に入り浸るようなら少しは色々手伝ってほしいんだけど」
僕は穏便に言っているはずだ。仏の顔も3度って言うし。

「男子高校生の中に美少女女子高生がいる。それだけで部屋の彩りにこれ以上にないく
らいに貢献しているじゃないの。表彰ものよ?」

アスカの即答に、僕はうわぁ・・・とか呻きながら悪びれのない響きに佇んでいた。
悔しいのは発言の内容には頷く部分もそれなりにあるということで。

丁度僕の手が洗濯物をたたみ終えていた。僕の宙ぶらりんの手は、どうしたものか。
ショートパンツにTシャツ姿でくつろぐアスカの方に、何となく掌の甲を向けた。

「何、触りたいの?」

ぴたっと僕が固まる。何を言ってるんだこの娘さんは。
その僕の反応が、アスカの某かの琴線に触れたようで。

「ねぇ~シンジ、あたしがもし、どこでもいいから触らせてアゲル♪って言ったら」
さっきまでの不機嫌はどこにやら、ニヤついた笑顔で半身を起こし、人差し指を自分の
唇に触れさせながら、自然、僕の視線はつややかなアスカの口元に視線を釘付けにして。

「あんたは、どこに触れたい?」

408:  2016/07/28(木) 00:55:35.17 ID:???
僕はついこないだの6月に17歳になったばかりの男子高校生です。
脳の中のサーキットに、様々な感情が一気に過負荷を起こしかける、が。
「なんだよそれ、自分を安売りしないんじゃなかったの?」

視線を横に逸らして、僕は辛うじて、いつもの皮肉めいた態度をとることに成功した。

「ふっふっふ、そうね、安売りはしないわ。あたしは――」
アスカはゆっくりと距離を詰めはじめていた。まずい、横を向いたのは失敗だったか。

「欲しいと思ったものは全部手に入れたいわ、女の子だもん」

言葉の意味味は分からないけど、声の距離はどんどん近づいていて。
猫科動物のような俊敏で音もない動きが、僕の手首を掴んでいる。

強く圧迫しているのは親指と人差し指だけ、3本の指先が、肌を撫ぜるように触れてる。
あのさ、僕はこんな時、どうすればいいかわからないんですけどー。

アスカと僕の距離は、膝のつき合わせられるほどの距離だ。
悪戯っぽく微笑むアスカは、もう殆ど勝ち誇っているかのようだった。
この状況で僕がもし、どこぞに触らせてくださいと言おうものなら。
僕の今後がどれほどアスカにもってかれるのか。

僕にも意地がある。跪き、従い、意志を無くすのは少なくとも男のすることじゃあない。
僕が知っている、男というのは。

脳裏に浮かんだ僕の最も遺伝子的に近い男性、即ち父親は――

…母さんのために、全てを投げ出しているような人だった気がする。

409:  2016/07/28(木) 00:56:28.15 ID:???
・・・やるか?
僕の様子が少し変化したのが感じられたのか、アスカの目が少し見開くのが見えた。
そうだね、結局、僕らが2年に進級した時、クラスは変わらなかった。
ケンスケも一緒のクラスで、新しい友人も色々出来て、それは満足しているんだけど。
なにより、アスカが傍にいることで感じた安堵に、僕は驚いていたんだ。

「え、あの、シンジ…」

アスカが少したじろぐ様子が見えたが、そんなことは関係なく、溢れ出し始めた。

『シンジ…いいか、機会というものは実は頻繁に与えられているものだ。
それをものに出来るかどうかが、人間の能力は、『そこ』で決まる』

低い声の響、僕がまだ中学生だった時、暑い夏の日に、並んで海釣りにいったあの日。
揺れない釣り針に対して、父さんが訥々(とつとつ)と語り始めた言葉。

『釣りにはアタリというものがある。餌につられ、魚がその餌を完全に飲み込んだ感触だ。
釣り針がかかるまでには、いくら糸を巻いたところで逃げられてしまう』

その時、父がたらした釣竿の先は、波間に揺れていた。

『知識…経験…それらは確かに大事だ。だが人生は予習が出来るものだけではない。
では、未知の存在、海の中のように、見ないものと戦う場合に必要なのは――』

糸の先で、水面から銀色に反射しながら魚が飛び跳ねた。父はにやりと笑った。

『――欲しいと思う心と、それを炊きつける、まあ、『度胸』だな」

410:  2016/07/28(木) 00:57:40.18 ID:???
父に、ありがとう。母に、なんというかごめんなさい。
僕は今、その、気になっている同級生の女の子がグイグイ前に来てくれたので、
彼女の手をとっています。アスカは、この僕の対応に僅かな戸惑いと、気の強さからくる
来るなら来いやこのやろうみたいな強気な姿で、青い瞳で僕を見ています。

雨が僕らの部屋の外で、世界の全てを閉じ込めているかのように。
このまま止まなくて全てが流されるようなことがあっても、
掴んだものを離したくはないんだ。

少しだけ、アスカの唇が震えているのが、見えたんだ。
「…手で、よかったの?」
「だけじゃ、ないよ」
僕はなるべく冷静に言ったつもりだった。でも、お互いの心臓が跳ねたのは感じた。

「…めっちゃお高いわよ」
「かまわない」
「返品、不可だし…」
「好都合だね」
「…あの、その…」
「条件、それだけなら」
僕はもう片方の掌で、アスカの肩を掴んだ。青い瞳が揺れているのが、見えたよ。

411:  2016/07/28(木) 00:58:36.93 ID:???
「アスカ」

本当に色々と込めて、名前を呼んだ。アスカがきゅっと、唇を噤むのが見えた。

「初めて会った時からだよ、正直に言うと。一年くらい、かかったけど」

17歳の少女の心に、決して抜けない針を刺した。僕の心にもそれは刺さっていて。

「欲しいなら、僕の全てをあげても構わない。僕も欲しいんだ、まるごと、その」

男は、度胸だ。

「アスカ、僕は、君の」
途端
「!ッッッ、あああ゛ッッツ」
アスカの瞳がものすんごく見開いて、小動物みたいにびくんと肩が跳ねた。
僕もさすがに急停止した。喉元まで出掛かっていたんだけど。

「ごめん、まじごめんシンジ、ちょっとストップ!」
は?
「その、あたしとしたことが今日油断してて、パッケージングが済んでない!」
は?え?
「ちゃんとピーチ・ジョンの上下揃えてくるから、ちょっと待ってて!」
言うが早いかアスカは僕の手をするっと抜けて、猛然と自分の部屋にダッシュしていった。

後に残された僕は固まったまま、行き場のない掌をとりあえずは額に触れさせた。

412:  2016/07/28(木) 00:59:39.55 ID:???
…なんというかあれだ。釣り上げる寸前で糸が噛み切られて、その後に、魚の方が自分で飛び込んできた場合、どんな顔をすればいいんだろう。

雨はまだ降っている。とりあえず、アスカが帰ってきたら、うーん。

言葉では言ったけど、本当にアスカが全力振りしてきそうで、うーん。
とりあえず、ちゃんと言葉を聞いてもらった上で、まだ学生だから、お互い分割払いみたいに
ゆっくりと進んでいけないかなって、しっかり相談しないといけないや…。

僕はため息をついた。さっきまでの度胸とかは何なんだって自分で思うけどさ…。
上気した頬をぴしゃりと叩きながら、とにもかくにもなるべく考えなきゃ…。

本当にこれが正解なのかはしらないけど、僕と彼女の奇妙な関係の新しいステージ。

こんなんでいいのかな、マジで。
脳内の父さんに聞いても答えは返ってこなかったけど、瞼の裏の母が、くすくすと
笑って、それから親指を立てて歓迎しているような気がした。

                             おしまい。


94:  2016/01/20(水) 01:00:45.10 ID:???
初めて出会った時の感想は「面倒そうな女の子」だった。
あの時から変わっていない。口に出してはいない。気づかれているかもしれないけど。
それはそれでかまわない。僕は満面の笑顔で彼女にそう告げる気でいる。


緊張感が僕を満たしていた。せっかく入れてもらった紅茶も味が半分飛ぶくらいに。
湯気の向こうで、キョウコさんが微笑んでいる。表情を変えないというのも恐いものだ。
僕達はリビングにあるテーブルで、猫足の椅子に座り、向かい合わせにしていた。

遅い朝食という時間でもあるので、ソーセージの乗ったパンなどの軽食が出てきた。
えらくマスタードが多い気がするのだけど気のせいだろうか。
アスカは懐かしそうにその味を頬張っている。ああ、こんな感じの朝食もいいな。
対してキョウコさんはあまり手をつけず、僕らの方を眺めているだけである。
僕はいつもの癖を出さないように気をつけているというのに。

アスカが食事の途中で手を伸ばしてきた。
時間が固まる。冷たいものを感じる。アスカも固まっている。
僕の部屋ではよくある仕草。手づかみで食べた時に僕に手を拭くものを要求する仕草。
キョウコさんの笑顔が恐かった。アスカの手が、しおれた植物のように縮んでいく。
僕はその指先を、そっとナプキンで包み、緩やかに撫でる。

キョウコさんの眉が跳ねるのが見えたような気がしたが、僕は固まったままのアスカの指先を
そっとナプキンで拭い、そのまま僕の片手に持っていた紅茶を飲み干した。

「…ゴメンナサイね、無作法な娘で」
「いえ」

こういう時は笑顔だったほうが恐いというのが、僕の結論だ。僕も同じような表情をしてる。
僕の脳裏の中に焼きついている、ある女性のような笑顔で。
アスカが指先を見つめながら固まっている。そういや、直接拭いたのはコレが初めてか。

95:  2016/01/20(水) 01:01:27.62 ID:???
「ずいぶんと仲がよくて驚いたわ、シンジくん」
食後の後に、出し抜けにそんなことをキョウコさんが語った。食器は片付けられている。
殊勝なことに洗い物を申し出たアスカは、台所のほうに皿を持っていった。
向かい合えば剥き出しになるかと思っていたが、柔らかい言葉だった。
「わざわざ来てくれてありがとう、一人娘だから色々と心配で、過保護かと思うかもしれないけど」
そうやって左手で自分の頬をなでる。どの指にも指輪は、なかった。

「そうですね、アスカ、さんは」
「さんづけで読んでるの?」
「いえ…」
「遠慮しないで。いい機会だと思ってるの。というか、本当に来てこっちの方がびっくりしてたし」
…。意図が読めない。キョウコさんは少し姿勢を崩し、足を組んだ。
黒ストッキングの脚線美の膝に、掌を置くようにして。

「あの子、いい子なの。私にとって」
睫が少し下がっただけ、それだけのハズなのに心臓に悪い。女性の機微には、やっぱりまだ慣れない。
「私の可愛いアスカ。自慢の娘。その愛情を注いで、あの子もそれに応えてきてくれた。
だからかしらね、外面(そとづら)だけはいい子に育っちゃって」

まあ、明城に入学した当初は猫被ってたからなアスカ。
それは高級品にかかった薄っぺらいビニールカバーのように彼女を覆っていた。
半透明のそれが、僕には気に入らなかった。それはどうやら、キョウコさんも同じようで。
「…ねえ、どうやってシンジ君は、あの子の化けの皮をはがしたのかしら。私はそれがとても気になってるの」

見えない銃口を突きつけているかのような圧迫感。上等だ。いつかはあるんだこんな日が。

96:  2016/01/20(水) 01:01:54.16 ID:???
「別に、大したことは。…そうですね、僕視点ですけど、ざっと今までをお話します」
疚しいことは何もない、してない、僕はただ、アスカに普通に接しただけだ。

明城学園の入学当初からアスカは耳目を集めていた。容姿と能力が華々しい彼女は、他人
との距離の取り方も心得ていた。他人と深く関わらないように、広く浅く。
僕も似たようなものだが、僕は先んじて相田ケンスケという趣味に生きる男と友情を育んでいた。
 進学校にも関わらず勉学そっちのけで趣味に没頭する彼に、色々と考えさせるものが多かったが、不思議と気が会った。
 そのうち、彼と僕には共通の認識が生まれていた。
 ケンスケは語っている。被写体としてのアスカは確かに素晴らしいが、何か違う、と。
 要するに、アスカの猫被りは彼女の輝きを損なっているだけという意見が一致した。
 で。
 僕とケンスケはアスカを構い倒した。

 ケンスケは「お前がこういう事にノッてくれるやつだとは思わなかった」と言っていた。
 カメラ馬鹿の相田と、鉄面皮の碇と当初は呼ばれたものだが、事あるごとにアスカの仮面をはがすべく、色々とアホなことをしたものだ。

 棒読みでアスカを賛美したり、そこかしこに皮肉を言ってみたり、そしたら鉄拳が飛んできた。堪忍袋の限界だとアスカは言っていた。
 『何よあんたら、私のこと馬鹿にしてんの!?』
 胸倉を掴まれながら、苛立ちを噴出している素のアスカを見て、僕は微笑んでいたらしい。

 『シンジ、マジで殺意向けてきて僅かながらにビビったので俺はもう無理。後頼む。』

 と、放課後のアスカの2人呼び出しを、メール一本で逃げた彼の友情には何も言うまい。

97:  2016/01/20(水) 01:02:39.66 ID:???
茜色に染まった夕暮れの校舎裏で、僕とアスカは対峙した。
 のこのこと出向いた僕に対して、アスカは初めから眉を斜めにし、怒りを隠さなかった。
 ケンスケはいなかったが、ある意味僕にとっては好都合だった。
 顔を見るなり罵声を連ねる彼女に対して、僕はただ一言。
 『そういうのって、疲れない?』

  彼女は虚をつかれ、しばし呆然としていたように思う。視線が遠くなっていくのを感じ、
僕は言葉を続けた。どうして、何故、誰のために、何で。問いかけを羅列した。
 大人や他人の顔色を伺わなければならないほど、彼女は弱い存在なのか。
 そしてありのままの姿であることを、許されない存在なのか。
 特別と言えば聴こえがいいが、僕にとってはそうではない。

人の顔色を伺い演技をするのも、人から孤立するために距離を取るのも。
 どちらも寂しくて、心が冷たくなるだけで、痛くはないけど、暖かくはならない。
 一時期の僕がそうだった。両親ととある理由で疎遠になりかけた時の僕が。

 君もまた、普通の少女の一人に過ぎないんだ。
 ほっといたら遠くへ行ってしまいそうな彼女を、僕はそうして釘を刺し、留めた。
 我ながら、ひどい男だ。

 まあ、その後に酷い罵倒の連打を耳が痛くなるまで聞いた。
 今にして思えば、あれは破れた殻を捨てていくような、ストレスの発露だったのだろう。

 そして後日、アスカは今のように解き放たれた。
 ケンスケ曰く『いい表情をするようになって写真の売り上げが伸びたぜ!』と。
 僕は彼に手厚い友情を込めた関節技をキメた後、ただ満足していた。
 で。

98:  2016/01/20(水) 01:03:12.25 ID:???
「…その後からなんですよ。今度はアスカの方から、僕に構ってくるようになって」
 
 彼女の行動力を侮っていたわけじゃないが、それはあっという間だった。
 曰く『あんたのせいで私の評判が地に落ちた。覚悟しなさい』だ、そうで。
 素を解放した彼女の評判は一変した。しつこい他方面の勧誘を文字通り一蹴し、
取り扱い注意品目として教師達に見られるようになった。
しかし生き生きとしたアスカはむしろクラスにより馴染んだような気がするし、
彼女が起こす騒動に何故か巻き込まれる僕は、正直に退屈しなかった。

『シンジ…お前も表情柔らかくなったんじゃないか』
ケンスケ曰く、入学時の僕はトゲが多少あって、とっつきにくい部分もあったそうだ。
まあ僕も、外面を気にする風潮は、多少はあったし。
 でもまさか、ある日いきなり、お隣に引っ越してくるとは思っても見なかったけど。
 その後に僕の私生活が徐々に侵食されていくことを説明していく段になって。

 キョウコさんが爆笑していた。口元を押さえても漏れる声で、案外と笑い上戸らしい。
 
 「ちょっとあんた!ママに何吹き込んだのよ!」
 珍しいエプロン姿のアスカが台所からダッシュしてきていた。台所で走るのは危険だと思うなぁ。
 「ママは一度ツボに入ると中々笑いが止まらないの、マジで何言ったの!?」
 未だに肩を震わせて笑うキョウコさんの揺れる背中に、泡が少しついた手でアスカが触れる。
 キョウコさんが顔を上げる。大丈夫大丈夫と、アスカの手に触れながら。
 「あらアスカ、丁度いい所に来たわね」
 その言葉にアスカがギョっとするが、キョウコさんはそのままアスカを引き寄せ、胸に抱いた。
 「あなたがとても楽しそうに過ごしている理由をシンジ君から教えてもらっただけよ。安心して」
 

99:  2016/01/20(水) 01:03:42.27 ID:???
「え?え、どういうことなの…」
 「ああ、私の可愛いアスカ。とてもとても可愛い私の天使」
 いまだ混乱の渦中にあるアスカに、柔らかい発音の言葉が囁かれていく。
 「遠い学校に行くと言った時からママはとてもとても心配だったけど、彼に出会うためだったのね」
 「え?」
 「ふふ」
 目を細めながらアスカの髪をキョウコさんが撫でている。アスカは、いつもより幼く見えた。

 「えーっと、洗い物まだ残ってるんだったら、僕がやってくるよ」
 僕はそう言って、アスカと入れ違いに台所の方面に向かっていく。
 半分くらい残っていた皿と、手付かずの鍋。他人のお宅の台所というのは緊張するな。
 リビングの方から、戸惑いが混じったようなアスカの声と、楽しげなキョウコさんの声。
 距離が離れて内容は聞き取れないそれが、自然と耳に入る。
 僕は、指先に触れる温水の冷感に少し驚いていた。
 火照った熱が指先から出て行く。耳も、熱い。
あんなことを口走らなければ良かった。話の流れとは言え、何で僕は言ったんだ。
深呼吸をする。鼓動が今になって、落ち着かない。
あの言葉が自然と口から零れ落ちた時、僕はどんな表情をしていたんだろう。


 『どうしてそこまで構ったかってのは、んー…
僕はたぶん、彼女の、ありのままの笑顔が見たかったんです』
 

頭の中が茹であがりそうな熱を放ちながら、僕は無心になるべく、入念に機械的に洗い物を片付けた。

100: 20 2016/01/20(水) 01:04:44.04 ID:???
リビングに再び行った時には、にこにこと座っているキョウコさん。
その正面の席で、バツの悪い表情を浮かべたアスカがいた。
僕が視線を向けていることを察すると、アスカはぷいっと顔を背けた。
いたたまれない気になりそうになると、キョウコさんがまたクスっと微笑んでいる。
「大丈夫よシンジくん。洗い物をありがとう、お客様なのにね」
「…いえ」
着席を促される。僕はアスカの隣の席に、座っていいのだろうか。
一瞬の逡巡の際に、上着の裾を引っ張られて座らされた。無作法だよアスカ。
「もー、本当に無作法よアスカ」
「い、いいのよママ、シンジなんだから。シンジだからいいのっ」
どういう理由だよもう。でも、その態度に僕は安心してしまう。
「あらあら」
 親御さんの前だからなのか、何故か僕も死ぬほど恥ずかしい。
 向こうを向いたままのアスカは僕を見ない。僕はキョウコさんにとりあえず向き直る。
 「もー、今からちょっと面白い写真を見せてあげようかと思ってたのに」
 キョウコさんがニコニコとして、いつの間にか、一冊の本を手に取っていた。
 色あせかけた古いアルバム。日付は遠く、僕達の生まれる前。
 「何よママ、てっきりアタシの昔の写真でも持ってきたのかと…」
 「ふふ、シンジくんを少し驚かせようかと思って」

 嫌な予感がする。慣れた様子のウインクの仕草で、ぱらりとページを開く。
 アナログ特有の色あせ加減を持ったカラー写真。その一枚。
 その一枚、集合写真。その面影のいくつかに、強烈な見覚えを覚えた。

 「…あれ、これママ?こっちの人…え、なんかシンジに…」

 僕は頭を抱えた。そして、キョウコさんが僕に対して向けていた眼差しの理由を。
 写真の中に、僕にとってこの世界で敵わない女性が微笑んでいる。
 写真の端っこに、僕にとって、面影を追い求めている男性がそっぽを向いている。
 その2人の面影を足して2で割ると、丁度僕になる。
 「大学のころ、ちょっとね。これも運命のイタズラなのかしら」
 キョウコさんはまた一つウインクをした。僕はこの女性(ひと)にも敵いそうにもない。

102: 21 2016/01/20(水) 01:06:43.38 ID:???
要するに、アスカもキョウコさんも、一度隙を見せてはいけない相手なのだ。
 緊張で満たされていた午前中とは打って変わって、僕とアスカの毎日を楽しそうに
聞き出していくキョウコさんの表情は母親と話好きの女性のそれだった。

 僕は学校からプライベートから根掘り葉掘り聞かされて、というかアスカに内緒に
していたはずのことも多く聞き出されていった。アスカはアスカで、自分の一番尊敬する
キョウコさんとその昔の友人に僕の両親がいたことに驚きながらも、妙に納得していた。

僕が常日頃から、両親は普通の人だと言っているのを明確に否定できて喜ばしいようだ。
でも僕にとって母さんは滅多に怒らないけど恐い人だし、父さんは滅多に笑わないけど
家族には優しい人なんだ。数年前に息子を放って『何かドイツ辺りにいる秘密結社が世界
を滅ぼしそうだからおしおきしてくるわね』と笑顔で妄言を吐いてそのまま本当に何年も
帰ってこないけど、時々は預け先の親戚宅に連絡もくれたし、高校進学も反対はしてたけど
最後には賛成してくれたし。
ということを苦々しくも言うと、キョウコさんは引きつった笑顔で
「あなたも大変ねぇ。彼女は…まあ、有言実行を地で行くから、ちゃんと帰ってくるわよ」
「え?本当にシンジのママ、何物なの。エージェント?ジェームスボンド?」
知らないよ本当に。どうせ昔の研究に関するものでもやってるんじゃないかな。
何を研究していたかは知らないし、父さんとは出国前に色々と話せて、だから旅立てたし。

『自分の足で地に立って生きろ。お前は、そうできるように育ててきた』

僕は拳を握る。この掌の中に、父と母の暖かい想いが残っている。だから、いいんだ。

「ふうん。帰国したら、大人びたあなたを見て、あなたのママは驚くかも」
僕は苦笑した。大人になんてまだ成れてもいない。夢を見つけても、どう生きていくかも。
ただ、今の僕は。僕はアスカの横顔を少しだけ見つめて、そのままキョウコさんに向く。
「あの、キョウコさん」
「なあにシンジくん。そんな強い瞳を向けないで。あなたの言いたい事、大体分かるから」
強い想いをぶつけられる。母親として、一人の女性として、想いの嵩が、僕にずしりと。

103: 22 2016/01/20(水) 01:07:32.68 ID:???
僕が気圧されかけ、下っ腹辺りに気を込めて言い返そうとした時だった。
隣でアスカがぴくっと肩を揺らして、僕の裾を掴み、そこから掌を、僕の手の上に乗せた。
「マ、ママ!あの、私ね…あの学校で…ちゃんとやれてるから。勉強だって、スポーツだ
って誰にも負けないでいるの、楽しいの。クラスメイトとか、先輩とか、街とか、あの。
…だから、こっちに帰ってくるのは、少なくなったけど、それはママが嫌いになったわけ
じゃなくて…その」

指先って柔らかいなあ。たどたどしい声のアスカというのも意外というもので。
僕はもう先ほどからの攻撃で脳みそが沸騰してしまってもう何がなんだから嗚呼。
ぐっとアスカが僕の身を引っ張った。んで、僕の片腕に抱きつくくらいに密着して。
「シンジは頼りないから、あたしが付いていないとダメなの!」
と、言い放った。え?
「こいつったら一人でいるとずっと一人でいるし、若者っぽいアグレッシブさもないし、
気が付いたらカップラメーンで済まそうとするからご飯食べに行って栄養バランスを考えさせたし!」
いやそれって君の事だよね?女の子の手料理に夢を見てもいいんじゃないかな?
というかテンパって何を言い出すんだよ。僕は反論を脳みそが出力しないやわらかい
というか、視界が ぐるぐるとして ああ 揺れるあすかの髪がきらきらして

「あらあら」

そんなキョウコさんの声が遠のいていく。前日からの寝不足だった僕の意識は左側に感じる
アスカの柔らかな感触に沸騰し続け、脳みそのシンタックスエラーによって限界を迎え
ぷつん、と途切れた。

104: 23 2016/01/20(水) 01:08:19.22 ID:???
目が覚めた時は夕暮れだった。ソファに横たわりタオルケットがかかっている。
照明が抑えられたリビングの中に、僕の視線はまどろみながら誰かを探していた。
茜色に染まった空に、星が少しずつ輝き始めている。
庭先に2人が座っていた。僕は半身を起こさずにその声を聞いていた。

「ねえ、ママ。…私、変わったのかな」
呟くような、甘やかな彼女の声。穏やかな声がもう一つ、それに応えた。
「ええ、可愛い私のアスカ。あなたはもっと魅力的になったのよ」
「え…いやそうじゃなくて」
「違わないわ。あなたのまま、一つだけ進んだの。変わったわけじゃない。
新しい場所に行って、押し潰されることも歪むこともなく、狭苦しい場所にいるわけでもなく。
 シンジくんが、あなたをあなたのまま、こうして連れて帰ってきてくれたわ。
 少し悔しいけど、それよりも遥かに嬉しいことよ」
 「…ママ」
 「私は安心して、ここで待っていられる。あなたの変わらない笑顔が、魅力的になっていくのを、楽しみに待っていられる。
 ずっと、心は傍にいるわ。寂しくなったら、いつでも帰ってらっしゃい」
 「うん、ママ…」

 寄り添う二つの後姿を盗み見る。…僕の中で、重たいものが解けていく。
 その緊張感が、僕をもう一度まどろみの中に落としていく。

 「あ、でもシンジくん。自分から攻めないと上手いこと主導権握れなさそうね」
 「そうなのよ!アイツったらどうやっても反応が鈍くてアッタマきちゃうの!」

 …不穏な会話が聞こえたけど、僕は聞こえないフリをしよと思う。
…密室とか寝込みとかスマホに追跡アプリとか何か嫌なキーワードなど僕は聞いていない。
聞いていない…。…荷物には注意しておこう。うん、いや、何となく。

105: 24 2016/01/20(水) 01:08:58.56 ID:???
 2日間、早かったな。僕は再び赤いカマロの後ろの席で、そんな事を考えていた。
 結局あの後、キョウコさんは僕とアスカをいつもにこにこしながら眺めており、時折に
飾ってある写真の由来を語り、その都度アスカが話を逸らそうと躍起になっていた。
 僕はキョウコさんとメールアドレスを交換し、僕がケンスケから押収したアスカフォルダの
一部を解放する代わりに、惣流家秘伝レシピを教えてもらうという取引を結んだ。
 ありがとうケンスケ。君が売ろうとしていた写真は僕にとって有意義なものになったよ。
 友情って素晴らしいなあと棒読みを心の中で呟きながら、歌謡曲を聴きながら公道を行く
 キョウコさんの後姿を見ている。アスカは今日も、僕の隣に座っている。
 あの家の中にいるアスカは自然で、僕はその中で異物にならないか心配だったけど。
 心の中に生まれたその気持ちに驚きながらも、今この時間に満たされる。
 
 そんな思考が時間を進めていくかのように、駅のロータリーについた。
 帰りの新幹線の時間までは余裕があったけど、キョウコさんはからっとしていた。
 また、映画のポスターのようなハグをアスカに、ついでに僕にもして。
 頬にキスをされた時は心臓が跳ねたけど。悪戯な笑顔で、そのまま紅いカマロをかっとばしていった。

 僕はアスカに足を踏んづけられ、耳を引っ張られてそのまま帰路に着いた。
 よく知っている街へ。車窓で途中にまたあの遺跡を見たけど、僕の心はざわめかなかった。
帰りの新幹線の車内で再び眠る彼女の横顔と繋いだ手の暖かさが、僕の心を占めていた。

寒い季節が来るね。僕と君が出会ったあの季節だ。僕はあの寒空の下で。
掌の中で握っていた心を、君に触れさせて、そのまま離れられなくなっている。
僕の隣に、いつの日も太陽のような暖かさがあって、その傍でまどろんでいたい。
いつか、僕の母と父にも、アスカを会わせる日がくるのかな。
その時、僕は彼女のことをどのように、どれほどに、何て説明したもんかな。
                            
                         おしまい。
139:  2016/02/03(水) 00:51:39.89 ID:???
 『拝啓、惣流・キョウコ・ツェッペリン様。
 年始の挨拶以来の事ではございますがいかがお過ごしでしょうか。
 最近、都市部でも流行り病といいますか、インフルエンザが蔓延しております。
 学校や買出しに行く際にもマスクをした紳士淑女を見かけます昨今、僕も罹患致し、
 己の節制の無さを痛感しておるところでございます。
 つきましては僕の部屋のドアを叩いてこじ開けようとしている娘さんに対し、
 彼女にまで感染させるわけにはいかないという旨の説得を―――』


 メールの文面を途中まで入力して、僕のスマホ操作は止まった。
 ガチャンという音が聞こえて、窓にヒビが入ったのが見えたからだ。
 僕の部屋に吹き込む冷たい風。細かく広がるガラスの破片。

 そして、据わった瞳で僕を睨む金髪をたなびかせる闖入者。
 病床に臥せっていた僕は、スマホを片手に硬直していた。
 マスクをずらして、僕はしゃがれかけた声で言った。


 「…あのさ、敷金帰ってこなくなるのは困るんだけど」
 「うっさい!」
 涙目のラフメイカー。そんな君には、僕の小粋なジョークも通用することはなかった。

140:  2016/02/03(水) 00:52:11.74 ID:???
 3日ほど前のことだ。おもむろに38度近い熱を発熱した僕は学校を早退し、その日のうちに病院へ。
不幸にもインフルエンザの判定を受けた僕は、被害を最小限に抑えるべく、外界との接触を断った。
いくら処方箋があるとはいえ、高熱と倦怠感に支配された僕は、手短なメールをするのが限界だった。
『薬は飲んだから3日ほど寝る。君も気をつけてね』
そのまま僕は安静にしていたのだけれど、充電を忘れたスマホがそれ以降音を立てることは無く、丸々2日眠っていて、今日が3日目である。

僕の熱は下がったし、スマホの不具合も確認した。
まあ、電源を入れた途端にすさまじい量のメールがあったのは正直に驚いた。

そして現在進行形での彼女の蛮行。参ったな、寝てた間シャワーも浴びてないのに。

彼女はとりあえず、3点破壊で少しだけ割れたガラス窓を閉め、僕の部屋に入ってきた。
「…110番かな?」
「…呼ぶなら呼べば」

冗談を言う雰囲気ではない。というより、僕のスマホを持った方の腕に爪が食い込んでいる。
アスカは今までになく剣呑で、不機嫌で、危うくて、真っ直ぐだった。
いつもの調子で僕が何かを言うのもためらう程に。
髪がやや乱れ気味で、整えたツーサイドアップは解かれて、ストレートヘアーが重たげだった。
僅かに前髪の間から見える瞳の青色は、高温の炎のように危うげで、揺れてる。

141:  2016/02/03(水) 00:53:02.47 ID:???
どうして君は、こういう時に限ってへし折れそうなほど危ういんだ。
剥き出しの茎を見せる薔薇のように。
いつも僕を刺すトゲよりも、それは僕を黙らせて、ひどく不安にさせてしまう。

ああ、僕が病もなく、勇気のある無謀な男であるならば。
君をこのまま抱きしめて、シーツの海の中へ没入していきたい。
・・・病気のせいにすれば、それもまた一手かな。
莫迦なことを考え始めた程度には落ち着き始めた僕は、握っていたスマホを離した。

「…メール、誰としてたの?」
ぞっとするほど冷たい声。毛布の上に落ちたスマホが回収される。
連絡は君とケンスケと、後はまあキョウコさんくらいしか最近は取ってないよ。
ごく自然な指捌きで、僕が送ろうとしていたキョウコさんへのメールは削除された。
「ふーん、ママに告げ口しようとしてたんだぁ」
「…正当な抗議だと思うけど」
「あんたが扉を開ければ済む話だったでしょ」
「開けれるわけないでしょ。1週間は様子見なきゃいけないって」
「だ・ぁ・かぁ・らぁ、私はワクチン接種したって言ったでしょ!」
 ・・・予防接種とタイプが合うかどうかも分からないじゃないか。
 僕が臍を曲げた子供のように言うと、ようやくアスカも落ち着きかけたような声音で。
 「あたしだってね、こんな野蛮な真似はしたくなかったのよ」
 腰に手を当てて、ふんぞり返りながら僕を見下ろす。
 「でもメールには出ないわ鍵は開かないわで心配になるじゃない、
挙句の果てにようやく返事が来たと思ったら」

142:  2016/02/03(水) 00:53:51.67 ID:???
そこでアスカは戦慄いた。
 『ごめん電源切れてた。ちゃんとご飯食べてる?』
 自らのスマホを突きつけ、僕の文面が表示された画面を押し出してきた。

 「ふっざっけんじゃないわよ!私だって16の乙女よコンチキショウ。お湯くらい沸かせるっつーの!」
 あ、やっぱカップラーメンだったのか。油断するとアスカは佐世保トンコツラーメンばっかり食べるからなぁ。
 「いや…自炊っていうのはもっと…栄養バランスを…」
 「予防接種もしなかったあんたに言われたくないッ。何で行かなかったのよ!」

 いやさぁ…前に一緒に近所の総合病院に付き添いに行った時にさ、その翌日にケンスケに。
 『お前らが病院に入ってくの目撃したから、産婦人科に行ってたってメールを流しておいてやったぜ』
 とサムズアップされ、クラスメイトにあらぬ疑いを掛けられ、学校の先生に呼び出され、
休み時間に襲撃を受け。
 それからケンスケ他をシメた後に、僕の足が病院から遠のいたことは言うまでもあるまい。

「ばっっっっっかじゃないの!?そんな下らない理由で…アイツマジぶっ殺す。具体的には明日」
やめてくれよ。結局誤解は解けたし、ケンスケも眼鏡が割れる程度で済ませたし。

143:  2016/02/03(水) 00:54:59.52 ID:???
「あのさ」
 僕はとりあえず、一呼吸を置くために、自分の襟元を開いた。
 アスカがカチンと固まるのが見える。べたついたシャツが気持ち悪い。
 「ちょっと着替えるから、部屋の外出ていってくんない?」
 「………脱走しない?」
 「しないよ。てかどうやってベランダ越えてきたんだよ」
 「……着替えたら鍵閉めたりしない?」
 「襖にどうやって鍵閉めるんだよ」
 「…40秒で」
 「10分は待って」
 「なんでよ」
 「そこのウェットタオルで体拭くから」
 「…仕方ないわね」
 ようやくアスカは部屋を出て行った。とはいえ、一人暮らしだから隣はすぐ台所なのだが。
 あ、僕のスマホも一緒に持ってかれてる。
 僕はため息を吐いた後、おもむろに肌着を投げ捨てた。べとついた体を拭いて、
 一通り新しい服に着替えていく。
 ・・・うがいくらいしたい。洗面台に行くか。

 僕は出し抜けに襖を開けた。台所にはいつの間にか、何だか色々持ち込まれていた。
 そして、そこでコトコトと音を立てる土鍋と、その中をしゃもじでかき混ぜているアスカが見えた。
 「あ゛」
 目が合う。玄関の鍵と合金チェーンは開けられている。いつの間にか大荷物が入っている。
 「5分で出てくるなー!」
 
 僕の顔面に鍋つかみが炸裂した。ぽわぽわとした真新しいそれは、
こないだキョウコさんの家で見たやつと同じ柄(がら)だった。

144:  2016/02/03(水) 00:55:32.23 ID:???
 顔を洗い、口を漱ぎ、髪に櫛を入れてようやく僕も落ち着けた。
 目の前には、湯気を立てる深皿。その中に煮込まれた卵粥。
 んでもって、目の前でいつもとは違う感じで睨むアスカ。
 レンゲの先で柔らかく輝くそれを口元に含んで、僕は言った。
 
「おいしいよ、アスカ」

 それは本心からで、偽りもなくて、自然と僕にしてはだらしなく笑っていた。
 「………」
 一瞬の後、目の前を閃光が瞬いた。目を瞑りかけて前を見ると、アスカがスマホを構えていた。
 「チッ…、こういう時だけすばやく反応しおって。ねえ、もう一口食べなさいよ」
 「なんでだよ、ご飯食べてる姿を映すのはマナー違反だよ」
 「あんたがクッソ珍しい表情を見せるから悪いのよ!ほら、もっかい!」
 「えー」
 「やっぱり日頃のアレは作り笑いだったのね、この顔面詐欺師」
 何だよその謂れのない評価は。僕は呆れ果てたまま、せっかくの手料理が冷めないうちに食べることにしたのだった。


 『拝啓、惣流・キョウコ・ツェッペリン様。
 年始の挨拶以来の事ではございますがいかがお過ごしでしょうか。
 最近、都市部でも流行り病といいますか、インフルエンザが蔓延しております。
 僕も不覚ながら先日罹患し、病に臥せっていた所をお宅のお嬢様に助けられて
 おります。ところでそのままお嬢さんが家に帰らず、インフルエンザの潜伏期間中
僕の世話をすると強弁しておりますので、何卒説得の程を…

PS、惣流家伝統のお粥は美味しかったです。今度レシピを教えてください。
                       敬具』
 おしまい


177:  2016/02/15(月) 00:55:58.28 ID:???
伝説に、聖人は愛する人々を守り、慈しみ、祝福し、それが故に処せられた。
すなわちヴァレンタインデーとは犠牲と奉仕と庇護が混在する、与えることに対する祝福。


教室、僕の机の上に一つの紙箱が乗っている。それを上の方から展開する。
甘やかな香り。濃厚な黒と焦げ茶色の重なり。横に添えておいた小さな包丁で、その円形が少しずつ割られていく。
紙皿の上に乗ったそれに小さなプラスッチックフォークをつけて。

「はい、ケンスケ。君の分」
「…シンジ、俺はこんな時どんな顔をしてお前の友チョコを食えばいいんだ」
「普通に食べればいいと思うよ」


 世の中がチョコで甘ったるい匂いの強い2月の第一週から第二週にかけて、催し事の好きなうちの国での奇妙な習慣。
 明城学園は進学校で、その体裁は真面目な堅物であるというイメージを世間に放っているが、内側には色々緩いもので。

・ チョコレートはお菓子に相当し、デザートとして昼に食すならよし。
・ 即ち昼以降に学校内で飲食した場合は没収及び反省文。
・ 包装を解いた場合もまた没収及び反省文。
・ この期間は2月第一週から2月第二週の間までとする。
・ 死して屍拾うものなし。
・ 死して屍拾うものなし。
・ 死して屍拾うものなし。

などと言う伝統の不文律が存在することを、部活動をしている生徒は先輩から教わり、クラスに周知し、継承されているらしい。
 そんなわけで僕は日頃お世話になっているクラスメイト数名のリクエストで、
昨日にかけてガトーショコラを焼き、こうして久しぶりにクラスで昼食を取っている。
 

178:  2016/02/15(月) 00:56:30.35 ID:???
 既に早弁をしていたケンスケは、誰よりも早くガトーショコラを頬張っているのだが、
一口食べるたびに「おお!?」「こ、これは」「なんちゅうもんを…食わしてくれたんや」
とかリアクションに余念が無い。頼むから静かに食ってくれないかなあ。

 「いやこれは感動ものだって。このサクサクとしていてしっとりしてそれでいてべたつかないうめえおかわり」
 僕は水筒で紅茶を注ぎながらケンスケに渡す。そのまま紙皿にもう一つ取り分けたケーキのピースを渡す。
僕は自分の弁当も残っているので、口をつけて食べ始めた。昼休みは始まったばかりだ。
 
「いやあ感動的な美味さだよコレ。手作りということでさらにポイント高い。金取れるんじゃね?」
「んなわけないだろ。結構失敗もしてるよ。ていうか後何人かに配るつもりだから、それで終わりにしてね」
 「まあ取りに来る度胸のあるやつがいればだけどな」
 ケンスケの眼鏡が少し鈍く光る。
 「…あー…」
 僕は頭を抱える。
 そりゃあ僕もせっかく焼いたから食べてもらいたいさ。でも、教室の中には緊張感が漂っていた。
 僕の前の席でガンを飛ばす、金髪碧眼のクラスメイトの視線の圧力のせいで。

 今週のアスカはえらく不機嫌である。据わった瞳で、クラスメイトを睥睨しながら、お弁当にも手をつけてくれない。
 結局後半になったら食べるのだけど、何をそんなに警戒しているんだか、というやつだ。
 「あのさ、アスカ」
 「あ゛あん?」
  そんなドスを効かせた声を作っても、君の声は可愛いんだよ。
 「碇くぅーん、趣味悪いよその感想ゥー」
 僕の呟きを聴いたケンスケの言葉をスルーしつつ、僕は半分くらいになった自分のお弁当箱を置いた。
 

179:  2016/02/15(月) 00:57:09.86 ID:???
「ご機嫌斜めだね」
 「うっさいわい。…あんたこそさっさと食ったらいいじゃん。あたしの勝手でしょ」
 と、相変わらずにべもない。僕はわざとらしくため息をついて。
 「…今日のおかず、口に合わなかった?」
 と、目を伏せがちにすると、ぴくっとアスカの動きが止まる。威圧感も少し、薄れた気がする。

 「そーいうわけじゃなくて…あの」
 「一応ちゃんと作り置きじゃなくて作ったんだけど、キョウコさんに聞いたレシピ通りにさ」
 ぴたっと、アスカの動きが固まる。彼女にとっての魔法の言葉のように作用している。
 「…え?コレ、ママが教えてくれたやつ。え…あ、そういや見覚えあるような。ウソ、この味ってマジで」
 アスカはフォーク片手にぽいぽい食べ始める。僕は彼女の反応に会心の手ごたえを感じる。よし、シナリオ通りだ。
 「碇くぅーん、用意周到にも程があると思うよこの手管ァー」
 僕はケンスケに向かって、持ってきた紙箱を押しつつ、目配せをした。
 ケンスケは一つ頷いて、ケーキの入った箱と紙皿とフォークをひったくる。

 「さあさあ碇くん特性チョコレートケーキ、ガトーショコラだっけ?先着残り後10切れ!
なお手作りが控えてる女子はオススメしないぜ、マジで自信無くすからなぁ」 

と、にぎやかにクラスの中央で言い出した。クラスは途端に騒がしくなって、教室の中で大移動が起きた。
緊張感から解放されたクラスメイトたちが、ケンスケの周りを取り囲み、ジャンケン大会へと移る。
その流れを上手くコントロールするケンスケの手腕に、僕はいつも感心を隠せない。

180:  2016/02/15(月) 00:57:54.64 ID:???
 僕が視線を前に戻すと、アスカの青い視線がそこにあった。睨んではいるけど圧迫感は無い。
猫がこっちを見ているような気持ちになって、僕は微笑を返した。
「…ごちそうさま」
お弁当箱は空になっている。紅茶を注いで渡すと、カップをぐびぐびと飲み干した。
「お粗末様でした。また作るから、その時も感想を教えてね」
「んもぉ…いけしゃあしゃあと。アンタそんなに八方美人だと刺されるわよ」
何か危ない事を言い出したので、さすがに僕の箸も止まる。
「気に食わないかい?」
「とっても」
そうばっさりと正面から談じられては、意見を捻じ曲げることも出来ない。
「少しはクラスにサービスしとかないと、4月のクラス換え以降で何言われるかわかったもんじゃないよ?」
「言わせておけばいいじゃない。あたしがそんなもん気にすると思う?」
「僕は気にするなぁ」
「あんたこそ、そういうのを気にしないタイプだと思ったけど」
まあ、そうなんだけどね。僕と彼女は騒がしくチョコケーキに群がるクラスの輪を遠目から見ている。
結局、今年、クラスメイトの中で深い交流は、それこそケンスケくらいなもので、僕の日々は殆どアスカと繋がっている。
もし、クラス替えで――
「ないわね。絶対ない」
僕が眉を潜めたのを、正面でアスカはにやっと笑っている。
「なぁに、あたしとクラスが別になるのが恐いの?大丈夫よ、何かそんな気がするの」
僕は思わず口を紡ぐ。どうしてそこまで断じることが出来るんだ。去年を振り返って、
破天荒な行動をしていた君の隣に、来年以降もいれるかどうかわからないじゃないか。
もしかしたら、君の才覚に害があると思われたとしたならば。
そんな僕の言い知れぬ不安をよそに、アスカは僕のお弁当に手を伸ばして残っていたものを摘んだ。
「その時はその時よ。でも大丈夫、寂しがりやのシンジくんのために、アタシは会いに行ってあげる」
齧りかけのプチトマトを僕の口に押し込めながら、彼女が悪戯っぽく笑っている。

181:  2016/02/15(月) 00:58:39.23 ID:???
 僅かな酸味が僕の口の中で広がり、喉の方に消える。アスカの根拠のない自信に、僕はいつも押し切られる。
僕は苦笑しながらお弁当箱を仕舞っていると、何故か制服の着衣が乱れかけたケンスケが戻ってきた。
「任務完了したぜベイベー…。あれな、いざという時の腕力は男子も女子も変わんないのな…」
引き裂かれかけた紙箱を丸め、ゴミ箱にシュートを決める。バウンドしたそれは、少し外れかけて上手く入る。
「ありがとうケンスケ。…好評だったかい?」
「女子の何人かが頭を抱えているのが見えるだろう。お前のクオリティはそこまで高まっているのさ」
あ、本当だ。いやあ実際作ったらそれほど難しいことじゃないんだけどなあ。
「そういえば碇くんよ」
「…何だよ相田くん」
制服を直し、眼鏡を少しくいっと指先で直しながらケンスケが続ける。
「君の本気チョコはどんくらい美味しいのかね?」
僕が口を開くよりも早く。

「そりゃあもう、この程度の作品より遥かに美味しかったわよ」
何故か胸を張るアスカのドヤ顔に、僕とケンスケは少し顔を見合わせて。

「…碇くぅーん、君、ちょっとお姫様の舌肥やし過ぎじゃないのぉー?」
「逆に考えるんだケンスケ。僕のハードルはいつも高いと考えるんだ」
「シンジ、その言葉一つで何か俺口の中が少ししょっぱくなるような気になるぜ」

伝説に、聖人は愛する人々を守り、慈しみ、祝福し、それが故に処せられた。
すなわちヴァレンタインデーとは犠牲と奉仕と庇護が混在する、与えることに対する祝福。
『だからあんたにとっては毎日がヴァレンタインみたいなもんね。』
と、ヴァレンタインウィーク初日からずっと、甘いものを要求する彼女。
僕は素直にそれに応えることにした。何、僕にも見返りを欲しがる下心はあるよ。
14日の君の口元は、さぞかし甘い香りがするんだろうな。

             おしまい。




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